だいなんこう とくがわけいざん
大楠公
徳川 景山
ひょう し かわ とど あに ぐうぜん みなとがわ いせき みず てん つら
豹 は死して皮を留む豈偶然 ならんや。湊川の遺跡水 天に連なる。
じんせいかぎり あ な つく な なんし せいちゅう ばんこ つと
人生 限り有り名は尽くる無し。 楠氏の精忠 万古に伝う。
詩文説明
豹(動物)は死んでも人の為に皮を留めて貴重がられている。人は亡くなった後に名を残すといいますが偶然に残るものではない。それなりの功績があって後々までも名を残すのである。大楠公が戦死された遺跡の湊川に来てみると今も当時からの川の水は永遠とつながり流れている。楠木正成一族は、天皇を護るため国賊と戦い艱難辛苦の末、命を落とされたがその忠義の精神は人の心をうち、延々と今も絶え間なく人が訪れ続いている。これからも後世、万古に尽きることなく伝えられていくであろう。(人は一代名は末代)。
湊川神社です。2008年12月30日参拝してまいりました。 右は湊川公園の大楠公の勇姿像です
。●「 豹は死して皮を留む
」で円内は豹。
湊川神社境内をめぐり、水戸黄門さん筆跡の「嗚呼忠臣楠子の墓」の文字と左が水戸黄門さんの像です。


正月前の準備におわれる湊川神社境内 (2008・12・30)
中央・大楠公一代記掲示版絵図と説明 右・湊川の自刃の場面図
多くの人達が全国から参拝に訪れています。これからも末長く大楠公の遺徳は輝き、連なり続けることでしょう。
上の絵は境内に掲示されていました掲示板の絵図の一部ですが、横に全部説明が書いてありましたが、説明を入れますと紙面が大幅に長くなりますので絵の部分だけを繋ぎ合わせてます)。
作者 徳川景山
江戸後期の水戸藩主徳川斉昭。字は子信。号は景山。おくり名は列公。15代将軍慶喜の父。藩校弘道館を設立。兵制改革に努力するも朱子学的な尊攘的行動が幕府に嫌われ謹慎を命ぜられる。のち、許されペリーの浦賀来航にあたり、幕政参与、継承問題で大老井伊直弼と対立幽居となり、そのまま61歳没した。人徳から西山公光圀に対し、小西山公と呼ばれた。
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