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March 23, 2022
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カテゴリ: カテゴリ未分類
邪馬台国論争をしている学者先生はほとんどの先生が「論理学」を理解していない。
Wikiを見ると、
論理学とは「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。
と書いてある。
すなわち自説を論理的に説明、あるいは証明する場合に必要な学問である。

そこで何故ほとんどの先生が「論理学」を理解していないと言えるかと言うと、
ほとんどの先生が「逆もまた真である」ことを前提として持論を展開しているからである。

Wikiで「逆」を調べてみると、
命題「p⇒q」に対して、「q⇒p」を、元の命題の逆(ぎゃく、英: Converse)と言う。
ある命題とその逆の真偽は、必ずとも一致しない(逆は必ずしも真ならず)。
この表現は日常生活や数学の中でことわざのように使用されることがある。
一致するような命題については「逆もまた真である」などと表現する。
これは本来の用法とは異なる。
(世の中のほとんどの場合逆もまた真である命題は少ない。)
と書かれている。

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
とも書かれているので、不審に思えるかもしれないが、
これはWikiの担当者が面倒くさくて出展を省略しているだけで、
実は高校の数学の教科書には必ず載っている。
僕等の時代には中学校で習ったが、
ゆとり世代の教育以来、だいたい難しい学習は無くなるか高年齢に回されている。

で、Wikiにちゃんと説明されていないので以下に説明する。


上図を見ると「全てのpを満足する点はqにも含まれている。」
従ってpならばqが成立する。(p→q)
しかし、その逆に「qに含まれる点はpに含まれる点と含まれない点がある。」
なので、逆すなわち(q→p)は成立しないのである。
屁理屈を言う人は全部が成立しないのではなく、半分くらいは成立するのではないか?
と言うかもしれないが、それは論理的に証明にはならない。
単に可能性を言うだけで証明をしたことにはならないのである。
よく「冤罪」が発生するのはこのパターンである。
pに含まれるかどうかは分からないがqには含まれているから「犯人の可能性がある」と
捕まえてしまってから、後に引けなくなって無理やり犯人に仕立て上げるパターンである。
必ず犯人であると言う証拠を見つけてから捕まえるべきであり、
犯人の可能性が有ると言う段階で捕まえられた(真犯人ではない)容疑者は可哀そうである。
警察や検察は「誰かを捕まえなければ仕事にならない」ので捕まえようとするけれど、
もし真犯人が別にいる場合には、間違えられた容疑者のせいで真犯人は助かってしまう。
もしかすると世の中にはけっこうこのパターンが有るのかもしれない。

話は戻って邪馬台国論争をする学者先生は、ほとんどこの間違いにはまっている。
一番わかりやすいのは、
「卑弥呼が亡くなった3世紀中頃に造られたから箸墓は卑弥呼の墓である」と言う理論である。
「これは卑弥呼が亡くなったのは3世紀中頃である」と言う正しい命題の逆であるが、
逆は正しいとは限らないので何の証明にもなっていない。
よく「3世紀中ごろに造られた他の古墳は卑弥呼の墓ではないのか?」と言う反論が出るのは、
まさに「逆は真では無い」からで、
世の中には3世紀中ごろに造られた卑弥呼の墓と、
3世紀中ごろに造られた卑弥呼以外の人の墓が有るからである。
纏向遺跡が邪馬台国と言うのも同じである。
その頃に造られた大きな都と言うのは、単なる「命題の逆」なので真ではなく、
その頃に造られた邪馬台国の都と、
その頃に造られた邪馬台国以外の国の都があり得るので、全く証明になっていない。
単なる雰囲気あるいは思い込みである。冤罪に巻き込まれた容疑者である。


景初3年の鏡を卑弥呼の鏡と言うのも同じである。
要は自説を世の中に広げたい学者先生が、知っていてやっているのか、
知らずに馬鹿なのでやっているのかは分からないが、
正しい証明の方法を使わずに自説を広めており、
世の中の人がだまされている状態が、今の邪馬台国論争である。
残念で仕方ない。

<後日追記>
色々な先生方の説を読んで気がついたのだが、
先生方は「ずるい」のだと思う。

今、箸墓が卑弥呼の墓だと言う人達が多いのは先生方の作戦にはまっているのだと思う。
どういうことかと言うと、
先生方がその根拠を述べる場合「箸墓は卑弥呼の墓であることと矛盾しない」と言う。
これは一般の人に「誤解を与える」ことを狙っている。
「~に矛盾しない」と言う言い方は、
「正しいかどうかは分からないが正しい可能性も有る」と言うのが本来の意味なのだが、
一般の人は「矛盾しないから正しい」と誤解する。

つまり上に書いた「逆は正しい場合と間違っている場合が有るが正しい場合もある」と言う
その事を意識的に誤解させようとしているのである。
一般の人は「逆は必ずしも真ではない」と言うことを考えないから、
「~に矛盾しない」と書けば、勝手に誤解して信じるだろうとずるい考えを持ったのである。
学問の輩として恥ずべき行為だと思う。
分からないのなら「分からないけど、私はこう思う」とちゃんと書くべきだと思う。
一般の人が誤解するような書き方をすべきではない。

学者先生は変な方向に賢いと思う。
もっと真実を追求する方に賢くなるべきだろう。






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最終更新日  April 17, 2022 10:08:01 PM
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