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February 17, 2025
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今日、ふとした偶然からかねてからの疑問が一つ解決した。

古事記はかって偽書ではないかと言われた時期が有った。
それは学者先生が古事記(真福寺本)を研究している際に、
その出だしに「序を併せたり」と書かれているのを見て、
本文の前に付けられた古事記の由来に関する記述を「古事記の序」と呼んでしまったからである。
そして、本文は十分に古く古代の書式なのに序?の部分は新しく、
序?の部分を読む限り古事記(真福寺本)は天武天皇や元明天皇の時代の物とは思えないし、
この序?の部分は序ではなく天皇への上奏文の形をしているので、
後世に書かれた偽書ではないか?と疑っていたのである。

僕も初めて古事記(真福寺本)を読んだ時に確かにそうだなと思った。
じゃぁ古事記は偽書なのか?
それが今日別な本を読んでいて、現実的な証拠が見つかり、
それは古事記が悪いのではなく、学者先生の読み方が間違っているのだと分かった。

まず古事記(真福寺本)の該当部分を見てみよう。


確かに「古事記上巻」の下に「序を併せたり」と書かれている。
でも待てよ。「古事記の序を併せたり」とは書いていないぞ。
本当に古事記の序なのか?

そこで今日見つけた、現実的な証拠である。
日本紀講の私記である。
日本書紀は完成後、世の中に広める為に何回か日本書紀を読む講義が開かれている。
日本紀講筵(にほんぎこうえん)である。
初回は養老5年(721年)に開かれており、
日本書紀完成つまり養老4年(720年)の翌年である。
この回はどちらかと言うと、できたばかりなので「お祝い」的な要素が多く、
その後、弘仁3年(812年)、承和10年(843年)、元慶2年(878年)、延喜4年(904年)、
承平6年(936年)、康保2年(965年)の計7回が行われたものと、
史料などから考えられている。

講師には紀伝道などの歴史に通じた学者が博士・都講・尚復などに任命されて、
数年かけて全30巻の講義を行った。長期にわたる大規模な行事であったために、
ほぼ30年おきに1回開催され、尚復を務めた者が次回の博士・都講を務めるのが慣例であった。
また出席者も太政大臣以下の公卿や官人が出席し熱心な講義・意見交換が行われている。
私記はそのメモである。

日本紀講筵の初回の講師(博士)はなんと古事記の編者で有名な太安万侶の子孫の多人長である。
そして、この日本紀講筵では、漢文で書かれた日本書紀に出てくる古い言葉の発音の理解の為に、
なんと古事記が使われている。(私記にその経過の記録が残っている。)
Wiki(古事記)の受容・研究史欄を見ると次のように書かれている。
古事記の名が初めて他の文献に現れたのは、『弘仁私記』の序とされる。
『日本後紀』の記述によれば、太安万侶の一族の末裔とみられる多人長(おおの ひとなが)が
弘仁の日本紀講筵で執講を務めているため、多人長が『弘仁私記』を書き、
日本紀講筵で古事記についても触れたと考えられている。
但し、ここで用いられた古事記が太安万侶の編纂した古事記そのものかどうかは分からないと
断り書きがあるが、多人長が太安万侶の子孫であったならば、同じ物だろう。

で、その弘仁私記が僕の言う「現実的な証拠」なのである。
こんな感じ。


ここにも「序を併せたり」と書いてあるじゃないか!
古事記(真福寺本)は日本紀講筵の場で生徒が写したメモ(私記)なんじゃないだろうか?
もしそうならば、「古事記の序?」と称する部分は「古事記の序」ではなく、
「日本紀講筵」の序(多人長の講義の序)なのではないだろうか?
上の弘仁私記の「序」と同じなんではないだろうか?
上の序を日本書紀の序と考える人はまずいないと思う。
弘仁私記自体は日本書紀の講義のメモなので、そもそもメモの序ってなに?と思う。
恐らくは先生(多人長)が講義の前に話した前段の説明だろう。
つまり日本書紀が作られた経緯などを本文の説明の前に話した記録だろう。

古事記の序?も同じなのではないだろうか?
本来は日本書紀の講義の場なのに、何故古事記を使うのかを説明するのに、
多人長は漢文では古代の発音や言葉の意味が分からないから、
古事記を使って説明するけれども、
この古事記は怪しい本ではないのですよと言うことを説明する為に、
太安万侶が元明天皇に奏上した経緯を上奏文を使って説明(証明)したのを、
書写した生徒が「日本紀講筵の序」として書いたもので、
上の弘仁私記の序(日本書紀の事前説明)と同じなんではないだろうか?
そのせいで、序?と後世の学者先生が勘違いした部分は古事記の書かれた年代とは合わず、
書式も元明天皇への上奏文の形になっているのだろう。

そう考えると元々古事記の序ではないのだから、
古事記本文と古事記の序?の年代が違うのは当たり前だと思うし、
古事記本文はちゃんと「古事記」なんだと分かるのである。

そもそも古事記が成立した和銅5年(712年)から9年しかたっていない721年に開かれた
日本紀講筵の場で使われた古事記が偽書のはずは無いと思う。
たった9年なんだから、出席した生徒の身分やレベルを考えると、
まだ元明天皇に奏上された古事記を見たことのある人はいるだろうし、
変な本だと多人長は大変なことになると思う。

これが古事記偽書説が誤りである根拠になると思う。
古事記が悪いのではなく、勝手に古事記の序?だと思い込んでしまった学者先生が悪く、
その誤った解釈を世の中に広めてしまった他の学者先生も悪いのだと思う。
簡単に分かることなのに。





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最終更新日  February 17, 2025 04:01:14 AM
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