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今日は書く事がないので、レシピです。手羽先が好きなので手羽先のレシピはかなり充実しているかも・・・。あー雨降ってる。シーツ取り込んで、洗濯したかったのに・・・。風も強いぞ、Geelong「手羽先の甘辛煮」<材料>手羽先(好きなだけ)ねぎ(白い方だけ)オーストラリアなら、ポロねぎの白い部分(みじん切り)しょうが みじん切り ・・・手羽先の量にもよるけれど、 小さじいっぱいの絞り汁にんにく みじん切り ・・・お好きな人はたくさん。でも一片ぐらいでOK豆板醤 辛いのがお好きな人はたくさん入れてもOK だけど私は、小さじ2杯ぐらいでじゅうぶん酒(紹興酒でもよい)・・・・小さじ一杯程度チキンスープの素・・・・・・小さじ一杯から一杯半(手羽先の量による)水<作り方>1、手羽先の皮の部分に、フォークで穴を開け、熱した油で手羽先を揚げる。後で煮込むので、この時は、手羽先に色をつける程度まで揚げる。(好みで片栗粉をつけてあげても良い)2、手羽先の色がついたら、油からおろして油をきっておく。3、大き目のナベに(中華なべが最適)、油を少々いれ、油が暖まったら、ねぎ・しょうが・にんにくのみじん切りを入れて、香りが出るまで炒める。4、の(3)香りが出てきたら、豆板醤を油で炒めてこちらも、香りが出るまで炒める。(焦げやすいので気をつけて)5、(4)の香りが出たら、いったん火を止めて2をなべに入れ、水を手羽先が隠れる程度までいれ、チキンスープの素を入れて、手羽先が柔らかくなるまで煮込む。(ふたはしないこと)6、手羽先が柔らかくなったら、砂糖を大さ一杯半、又は蜂蜜を小さじ2入れて甘みを加える。7、 とろみが欲しければ、コーンスターチ又は片栗粉を水で溶かしたものを加えて、とろみをつける。最後にごま油を振り掛けて皿にもる。8、 青ねぎを散らしてもOKお試しあれ
2005年09月30日
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今朝、我が妹からメールが来ていた。「10月24日は結婚1周年だけど何かお祝いするの?」とメッセージが来た。私はそのメールを見て、「"o(-_-;*) ウゥム…」と考え込んだ。2004年10月24日は、日本で親族だけ集めて、式と食事会をした日にち・・。しかし、私達は私の婚約者ビザを申請中のため、オーストラリアで入籍をしないといけない。だから、婚姻届を出したのも、オーストラリアでの入籍が終わってからである。オーストラリアで入籍をしたのが、2005年2月14日・・・私は、そんなに「記念日」にこだわるタイプではないが、妹の方はたくさんの記念日がある。「初めてキスをした日」「結婚を決意した日」「入籍をした日」「結婚式をした日」「・・・」などなど、彼女にはたくさんの記念日があり、その日にはちゃんとケーキか、特別料理を作るなどしている。彼女は、はっきり言って「記念日女」。そして、毎朝朝の情報番組の占いで、今日の一日の運勢を占う、「占い女」。私は、占いなんて、「世界中にA型の人間が何人いると思ってるのよ」「世界中に何人私と同じ誕生日の人がいると思ってるのよ」と、占いを馬鹿にしているし、「記念日」なんて「だからどうした」の人間。私達は、性格正反対の姉妹である。しかし、結婚一周年は何かしないといけないだろうと、彼女のメールで、考え込んでしまった私である。しかし、私達の結婚記念日はいつなのだろうか??人気blogランキングへ
2005年09月29日
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子供達が、母親の元で過ごしているので、今週は静かな1週間です。・・・が、その気の緩みが、「ぐうたら妊婦」を作っていると思っています。Kを時間までに起こす必要もなく、ただただ怠惰な毎日。水曜日は午前11時45分まで眠りこけました。目を覚ましたのは、空腹感から・・・そして今日は、10時40分起床。これも空腹感で目が覚めました。朝起きるのが遅い成果、夜更かし女王。TVを見ず、ネットサーフ三昧。子供達がいない間にしたい事はたくさんあったんだけれど・・・・それでは私の好きなメルボルンの風景を一枚人気blogランキングへ
2005年09月29日
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Shanaさんからバトンを渡されてしまいましたぁQ1 小さいころ何になりたかった?なんじゃろー、なにになりたかったんじゃろー??かっこいい女の人になる。という漠然とした夢がありました。ハンサム・ウーマンという女性になりたかった。理想は・・・ローレン・バコール、キャサリン・ヘップバーン、大地喜和子さんみたいな女性・・自立して、男性と同等に渡り合えて、ハスキーな声・・・あこがれましたねぇQ2 その夢叶った?かなってないです。私はどちらかというと、「ハスキーボイス」でなくて高音だし・・・(ノ◇≦。) ビェーン!! 男性と同等に渡り合えるのは、たぶん口だけ・・・口がめちゃ悪い。理想の女性像とかけ離れてる・・・(; ̄ー ̄A アセアセ・・・Q3 現在の夢は?健康な子供を産む事。4BRの家を見つけてすむ事。できれば家を買いたいけれど無理でしょう。Q4 宝くじで3億円あてたら?そうだねぇ、オーストラリアに家を立てて、大学で勉強して、あー、船旅1ヶ月・・・。飛行機のファーストクラスに乗って、シンガポールのラッフルズホテルに1ヶ月長期滞在、エステ三昧・・・。うー物欲が・・Q5 夢のような世界とは?どの「夢」?寝てみる夢、それとも私の理想とすること??これ漠然としていて、答えが出ません。Q6 昨日見た夢は?( ̄へ ̄|||) ウーム 覚えていません。次はどこに回そう・・・。あまりブログ友達が多くないから悩みます。3人ですか?そうですねぇ「あなはな日記」のなみさん・・・、なみさん見てる??「 14階の窓の外」とのUribonさん・・・あとは誰がいいだろう・・・変り種で、たこ社長・・・。メルボルンに戻ってるし・・・たこ社長見てるぅ??突然ですみませんが・・・お願いしますぅ。人気blogランキングへ
2005年09月28日
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昨日、定期健診の後ダンナの車で一緒にメルボルンまでいった。いつもと同じように、ダンナのオフィスの近くの駅で降ろしてもらい、Connexに乗って、メルボルンセントラルまで、一気に領事館まで行って、「疲れたから、そろそろ帰ろう」と思った2時ごろ・・・。QV、メルボルンセントラル辺りをウロウロして、Connexで、V/lineのある、スペンサー駅まで戻れるかなと思い、チケットを通して、構内に入って、駅員がいたので、「どの電車がスペンサーまで行くの?」と聞くと、「スペンサー行きはないから、外にでてトラムつかまえなさい」と来た。『ハイ(^-^)/、トラムですね』と思いながら、もう一度構内を出て、セントラルの外にでる。『はて、どのストリートでトラムをつかまえればいいのだろうか?』とふと思いました。そして、セントラルの中から表に出るのが一苦労。出入り口がたくさんあり、出る度に、『( ̄ー ̄?).....??、あれぇ、これってどっちがスペンサー方面?』と戸惑う事4回。私はセントラルからスペンサーまでを目指した事がなかった・・・。( ̄ー ̄; ヒヤリセントラルからでて、『こっちかな』と思う方向に歩いて、「ちがうみたい」と感じてセントラルに戻る事3回。そうだ、Myersの方にでればいいんだと思い、やっと目的の出口が見つかり、Myersの前・・・。「あーこれで私は家に戻れるのね」と安心したのが、3時でありました。結局セントラルの辺りで1時間もウロウロ、セントラルを出入りするのも1時間ほど・・・。まったく自分の方向音痴さかげんに、嫌気がさしてしまいました。結局歩いて、スペンサー駅まで行き、サインをたどって、チケットを購入する場所に行ったら、「こっちでは売ってないのよ」と・・・「だったらそんなサインなんて出すなー」と叫びたくなったが、疲れてへとへとだったので、いわれた場所へまたまたトボトボ・・・。ヘトヘトになりながら、Geelong駅までのチケットを購入。片道10.40$って、高いと思う。Geelongについて、バスを乗り継ぎ自宅に着いたのが、5時をすぎておりました。私が「自宅に戻る」と決心してから3時間経っておりました。私の方向音痴は今始まったわけではないのだが・・・。妊婦がトボトボ・・・帰ったらぐったりで、ダンナにメールで「さっき帰って疲れたから、夕飯は適当にして」と送り、私はBreadtopで買った、パン2個が夕食になりました。人気blogランキングへ
2005年09月28日
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うわさの母が購入したえびす柄のベビー服。どうするんだぁ?人気blogランキングへ
2005年09月28日
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月曜日からの疲れがたたったのか、今日は12時近くまで熟睡。これでいいのだろうか??? コーヒーを飲んだ今も眠い。というわけで、母が送ってきたベビー服を・・・人気blogランキングへ
2005年09月28日
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今日は妊娠26週目の、定期健診でした。いつものように、9時の検診。Geelong Hospitalに歯、早めの8時40分につきました。昨日の夜更かしがたたって、今朝は本当に眠かったです。金曜日に無料で配布される新聞に、金曜日から翌週の木曜日までのテレビ欄があるのだけれど、月曜日の深夜1時にAlly McBealがあると知っていたので、無理やり起きていました。嬉しい事に最終回。私はあれを見逃している。しかし、あの主人公の女性アリーは、細すぎる。貧相に見えて仕方がない。ついでに最終回が近づくに連れて面白くなくなっている。ロバート・ダウニーJrの辺りで終わって欲しかった。・・・と昨日のテレビの話は、あっちに置いといて・・・検診は、順調におなかも胎児も育っているとの事。ついでに、昨日戸籍謄本が届いたので、メルボルン領事館にパスポートの氏名変更に行った。案の定資料が足りなかったので、後日ダンナの車に乗せてもらって、彼のオフィスの近くの駅で降ろしてもらおうと考えた。Connexで、領事館のあるメルボルンセントラルまで、だいたい30分ぐらいです。そして、そのメルボルンセントラルに、Minkさんブログに載せていた、MAX BRENNERがあります。私はそれを2月頃見つけました。安定期に入ってから、急に「甘いもの」が欲しくなりだした私です。疲れもたまっているのか・・・・?、(。>0<。)ビェェン妊娠前は、どちらかというと酒の肴になりそうなものが好きだったんだけれど・・・。辛いものが好きな私。地元のせんべいや「もち吉」 七味がいっぱい入ったせんべいが大好きだったし、辛子明太子もそのまま、口に入れていたこの私が・・・チョコレートなんて、半年にヒトカケでも良かった私が・・・・「チョコレート」に嵌ってしまいました危ない、危ない・・・。メルボルンに11時に着き、領事館の用事は10分で終わり、「さぁ、お昼はどうしよう」と考えていたら、目の前にMAX BRENNERのお店。迷わず、その店に入りメニューを見て悩む事10分。どのメニューも私を呼んでいる気がする・・・・。なんて勘違い野郎・・・(・_・;でも、メニューは若干シドニーのMinkさんの所とちがっていると思います。そこで、イタリアン・シックホットチョコレートを頼みます。そして、極めつけが、ベルギーワッフル、イチゴ&アイスクリーム添え・・・。ワッフルだから、チョコレートは少ないだろうと思っていたら・・・・。甘かった。イチゴてんこもりのワッフルに、チョコレートのかけらぼろぼろ、チョコレートソース、そしてアイスクリーム。写真がないのですが、チョコレートの過剰摂取です。ワッフルは、あまり「サクッ」としていなくて、「マーマーかなぁ」と思ったけれど、イチゴにチョコレートソースをつけて食べると、「ああ、感無量」。そして、チョコレートソースに、ワッフルとイチゴを同時に浸して、まだまだ、アイスクリームをのせて食べる・・・・。「ああああああっ、感無量」でございます。食後の、ホットチョコレート・・・。もう感涙の嵐。Minkさんの彼氏のように、「チョコレート中毒」になってしまったのだろうか?それとも、マタニティ期間限定の「チョコレート中毒」なのだろうか???人気blogランキングへ
2005年09月27日
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今日の午後、母から小包が届いた。結構大きな箱だったので、「重いかなぁ」と思ったら、POSTのおじさん、「軽いですよ」と一言。実際思ったよりも軽かったです。いつものように、ガムテープ、紐で頑丈に閉ざしてある、我が母の作った小包。あけるのが大変。( ̄ー ̄; ヒヤリ中を見ると、靴下の山、山,山・・・そして、ホッカイロ・・・。以前、寒いので送ってくれといったのだが、その「送ってくれ」が未だにリピート・・・。すでに、段ボール箱一杯ホッカイロがたまっています。そろそろ打ち止めを願わないと・・・そして、ダンナとStepに甚平の贈り物。Step(S用)の、甚平は「ねまきかぁ?」って感じのもで、なぜかキティちゃん・・・。これは「寝る時しかきねぇだろうなぁ」と思っています。ダンナも、大きなキティちゃんの柄に、「これ女の子用?」と・・・ハーイ(^O^)/、私も一瞬そう思いました。そして、日本からた8枚程度の赤ちゃんの服。ひとつはなぜかえびすさんのアップリケ入り・・・・。彼女の趣味が分かりません。そして、入っていました・・・!!新しい私の戸籍謄本。 子供が産まれる前までに、名前をダンナの姓にしようと思っていたので、これはうれしい。ちゃんと、カタカナ姓になっていました。これで日本でも「結婚」したと認められたのかぁと考えています。次はパスポートの名前をチェンジしようと思っています。明日検診の後、ダンナにメルボルンまで連れて行ってもらいます。彼は職場へ、私は最寄の駅へ・・・人気ブログランキング
2005年09月26日
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今朝、ダンナ君が仕事に行く途中で、子供達を母親の元に届けにいった。はっきり言って、家の中が静かである。子供達がそろった1週間・・・、長かったです。ダンナ君もなぜか先週は、水曜日から休暇を取り、いつもなら木曜日から、子供達と自宅で過ごすのに、今回は水曜日から子供達と家にいた。学校の休暇の最初の1週間は、我が家が子供達をみる。そしてダンナ君は、1週間も休暇を取るわけにはいかないから、月曜から水曜日まで仕事に出かけて、その間子供達は義母の元に預けるのだが、今回は水曜日から仕事を休んでいた。先週仕事に行ったのは、火曜日だけである。子供達のいる前半は、落ち気味で危なかったが、誕生日のあたりから、正常に戻り子供たちとも、あまり緊張しないで過ごせた。しかし寝室に扉を閉めて、閉じこもっている時の方が多かったが・・・。子供達は、PCの前にいれば、おとなしくいい子だが、一日中PCの前で、いくら休暇中といえ、ゲーム三昧はさせられない。ダンナ君は苦労しながら、子供達をPCの前から遠ざけていたが、彼らの十八番「退屈」の大合唱には、私もダンナ君もいらいらしていた。長女のKはTVやPCの前にいる時は、集中して静かなのだが、弟のSの方は、そうは行かない。一人やたらに話している。独り言ならいい・・・。くだらない事を、他人に聞いてきたり、納得を求めている。PCを弟に譲って、前の晩撮っておいた、ビデオをみたいのに、いちいちそのくだらない質問のお陰で、TVに集中できなくて彼女はイライラ気味。そして、KのPCの順番の時は、横にSが座って、いちいち彼女の操作の質問、ゲームのくだらない質問・・・。「黙っててくれない」「シーッ」といらいらしながら、弟に言っているのだが、彼が黙っていられるのは、せいぜい1分ぐらいである。これも、アスペルガーの症状の一種らしい。ダンナ君が説明してくれた。彼は、夜更かしがたたって、「眠いんだろうなぁ」って時に、ダンナ君が起こして、すぐにハイパーなSになる。Kの方は眠気でボーっとしている。同じアスペルガーでも、歳が経つと落ち着くようである。この、寝起きからハイパーなのはアスペルガーの症状のひとつ。私も朝からハイテンションのSには着いていけない。さて、子供達がいなくなって、のんびりできるのかなと思っている皆さん、そうではありません。できない。Sのいる間は、あまり熱心にトイレ掃除ができないので、いない間にトイレ掃除を徹底した。彼はおしっこを撒き散らす8歳。トイレをぎりぎりまで我慢するので、飛び散って仕方がない。一応1週間の間に、チョコチョコッとするのだが、徹底してすると毎回彼がトイレに行くたびに、がっかりさせられる。ついでに、彼が家にいる間、私がトイレを使うときは、まず最初に除菌クリーナというか、ウェットティッシュをもってトイレに入り、必ず便座をふいてから出ないとできない。彼は便座をあげる事をしない、危険トイレ使用者である。そして、子供達のベッドのシーツ、私達のベッドのシーツと大物を、この一週間の内に洗いたいと予定している私である。
2005年09月26日
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実は・・・、今日は・・・、私の3?回目の誕生日なのです。しかし、3?歳になって、誕生日を祝われても、うれしいのやら・・・、どうなんだろう。私自身、31歳になって、「身体」の衰えを感じていました。その前までは、夜寝なくても大丈夫だったのに、三十路になってから、「寝ない」と身体がついていかない。この3?年間の間に、色々な誕生日の祝い方をしてきた。大体が、飲み屋で暴れ明かすのが、私の誕生日の祝い方・・・。ドイツで暮らしていた時、ドイツでは、誕生日のものがケーキをわざわざ職場にもって行き、同僚などとケーキを食べるのだそうだ・・・。そして誕生日の食事会も、「誕生日」の者が、招待して、レストランの食費も出している。お金がいくらあっても足りない・・・。さて、オーストラリアで結婚して初めての誕生日。前の週末にメルボルンで過ごしているので、ダンナからのプレゼントは無し。義母からマグカップと、スパイスラックをいただいた。これは私がリクエストしていた物の中の物である。そして、子供たちと一緒にこちらのいわゆる、ファミレスに行って、食事をして終わった。こちらのアイシングいっぱいのケーキは嫌いなので、ケーキは省いたが・・・あの、アイシングのケーキ、日本人で好きな人はいるのだろうか?「チョコドーナッツだぁ」と思って、喜んで買ったのが、アイシングのドーナツだと知った時のショックといったらない。こちらではダンキンドーナッツのシナモンシュガードーナッツしか私は食べれない。アー、ミスタードーナッツで食べたい・・・さて寂しかったのは、花のない誕生日だったことかな?
2005年09月22日
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土曜日の朝、雨が降っていました。私達は、取りあえず朝食を取りに、QVへ向かいました。そこの「包店~Breadtop~」へ向かいました。QVのLevel1にあります。このベーカリーは私の最近の、ヒットです。日本的なベーカリーで、「アンパン」がある。!!QVの「包店」は、席は少ないがカフェもあるので、コーヒーと一緒に、パンを2つずつ食べる、ついでにカフェラテも・・・。あーヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ その後、QVのBigWにより、折りたたみ傘を購入。しかし、神様は不公平だ!!傘を買って、おもてに出た途端、雨がやんでおりました。しかし雲行きがあやしかったので、Cityの古本屋めぐり。そこで彼はSF小説を買う予定でしたが、お目当ての本が無く、何の収穫も無くお昼の時間。またまたQVのフードコートにいって、私はカレーを、彼はミンチパイを食べました。そして、「Red Eye」という映画を見て、夜に備えて少しお昼寝。夕食は、近くのワインバーで・・・お魚がオイシかったぁ。妊婦の私もワインをグラスで頼み、今日の長家はこれでおしまい。しかし彼は、そのワインバーで3杯も飲んでおりました。私の残りのワインも入れて、かなりお飲みになった様子・・・。しかし、このワインバー雰囲気も、サービスもよかったのだが、高い。高すぎる。二人の食事代、メイン二人分、ワイングラス4杯、チーズの盛り合わせ一皿で、合計122.2ドル。二人で目玉を、飛び出させながら支払いを済ませ、別のバーへ移動。そこで彼は、白ワイン、私はオレンジジュースを、一杯ずつ飲んで、あんまりタイプじゃなかったので早々に退散。今度はCherryという、パンクロック系のバーへ移動した。こちらのバーの方が私達好み。しかし音楽はパンクロック・・・(; ̄ー ̄A アセアセ・・・そこで彼は、ビールを飲み、私はジンジャーエール。この時から、彼は「怪しい親父」になりつつあった。「あー僕タバコが吸いたい気分」と、前のバーでいっていたので、ここではどうするのかなと思ったら、タバコの自販機を発見。彼はしっかり買っていました。これで、にわか喫煙者の出来上がり。ライターも、マッチも無いのにどうやって吸うのだろう?店にはマッチも置いてなくて、隣のグループに「あー火ぃ貸してくれない」と頼んでいた。この店には12時半までいたが、その間彼はずっとその隣のグループでライターを借りていた。すでに酔っ払いモードの彼・・・・。あやしいオヤジである。隣の人とも、ワケの分からない話をしている。この店で彼は、ビール一杯とワインを4杯飲んでいた。私もそのワインを一口いただいたが、安物の悪酔いしそうな、ワインでありました。11時半頃、私は疲れたので、「帰ろう」といって、無理やり彼を店から出し、歩いてホテルに向かいました。すでに「千鳥足」の彼・・・そこで、ベンチを見つけ、なにやら「ねぇこのジャズバーへ行かない?」といったので、私をホテルに送ってから、あなただけでいきなさいといい、無理やりホテルに戻った。さて、ホテルに戻った彼は、多少冷静さを取り戻したみたいである。洋服を自ら脱ぎ、ベッドへ倒れこむが、酔っ払いすぎて眠れない。案の定吐いてました。吐いたら楽になったのか、いびきをかきながら眠っていました。眠りに着くまでの2時間、目が回っていたそうで、眠れなく私も、心配でベッドの上で彼を見守っていました日曜日の彼は二日酔いで、午後2時まで寝ておりました。
2005年09月20日
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久々のブログ投稿です。金曜日からメルボルンで、「都会」の空気を吸うためと、私の誕生日がこの木曜日にあるので、ダンナ君と二人きりで過ごしてきました。イヤー、先週末は天気が悪くて、土曜日は朝から「雨」、「雨」でした。金曜日、私は朝から歯医者の定期健診。「どうせ虫歯は無いだろう」と思っていたら、私の担当医、虫歯を見つけてくれました。キャイーン!!今は妊娠中なので、「出産したら必ず来てください」との事。ついでに、歯のクリーニング。その後メルボルンへ行き、だんなと待ち合わて、今週末のホテル(今回はサービスアパート)、Punt Hill Little Bourke Apartments Melbourneという、チャイナタウンのど真ん中にある、アパートメントホテルで3日間を過ごしました。スタジオタイプの部屋だったけれど、使いやすくてよかったんだけれど、ベッドサイドのテーブルが、片方しかないし、ベッドサイドのランプも、わざわざ、歩いていって、壁のスイッチを押さないといけないので、私の評価は★★★☆☆です。私達が、ホテルを探す時は、「Rates To Go」というwebサイトで、ホテルを探します。「ホテル直前予約」なので、グレートのいいホテルが、安価で泊まれます。10ヶ国語対応なので、面倒な英語を見る必要は無い。お試しあれホテルにチェックインしたその日は、夕飯を外で食べて、明日の朝に備えました。夕飯は「キムチ・まんま」で・・・おいしかったのだが、量が多すぎて、私達は、ダウン。しかしまた挑戦します。
2005年09月20日
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私は、子供の頃から以上に怖がりでした。人形類が嫌い。もちろん熊のぬいぐるみも嫌いだったらしい。母親が「女の子だから」と思って買った、ぬいぐるみとかダッコチャン人形は、最初の1-2時間は喜んでいたのに、すぐに怖がって見向きもしなくなったらしい。それは今も同じで、あまりぬいぐるみ類は欲しくない。歴代の彼氏達が(数多くはいないが)、誕生日・クリスマスなどにぬいぐるみを買ってくれた事があったが、アレは迷惑でしかなかった。それよりもモルト・ウィスキーとかの方が嬉しかったんだが・・・子供の頃は、異常なほど犬、猫が嫌いだったらしい。特に犬はダメで、どんな小さな室内犬でも、怖がって近付くとテーブルの上にまで逃げる始末・・・。外出して、遠くの方に「豆粒」みたいになっている犬の存在が分かったらしい。それを見た、母親の友人が「それではいけない」という事で、中学2年から犬を飼いだし、今は犬等の動物が平気になったが、あまり得意ではない。鳥はインコを含め苦手だ・・・。あのくちばし・・・、あの折れそうな足、腕の上に載ると引っかかれそうなつめ・・・、今でもインコとかペットのトリに口移しで餌を渡している飼い主が信じられない。昆虫は、あらゆる種類が怖いそして子供の頃は、曾祖母の家の地区の、祭囃子が怖かった。我が家の地区の祭囃子は、子供が太鼓を「テケテケ」叩いているだけだったが、曾祖母の地区の、祭囃子は鬼も出て、大人が太鼓を叩いている。あの腹に響く太鼓の音は、子供心にとても怖かった。
2005年09月16日
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昨日はずっといわゆる、「落ち気味」の日だったようで、精神的に疲れてしまった。「先週の私」と「今の『落ち気味』の私」を比べるのが間違いかもしれない。先週の私は本当に、アクティブで気持ちのいい週で「うつ病が治ったかも」と思っていた。案の定、セラピストに会った先週の水曜日、「調子がいいのなら薬の量を藩領にして、週末はやめて見ましょう」といわれた。その直後だんだん気分が落ち気味になっていった。薬療法を始めて、2週間。早い回復だなと思っていたのだが・・・。週末は子供達が我が家にそろう時期。緊張していたのだと思う。そして、月曜日、火曜日とその緊張が解放されて、いきなり「落ち」てしまった。私自身、「愛する」ことができても、「愛される事」に臆病な人間。「愛され方」が分かっていない。ダンナが、愛情を表現するたびに、頭の中で「申し訳ないなー」とか「彼にはもっと良い人が現れる」と感じている。昨日、お昼前にダンナにメールを送った。「私が落ち着くまで、「別居」しよう」という内容だった。私はKが戻ってきたら、食事の事を言って、家を出るつもりでいた。そしたら彼が、Kよりも早く1時頃自宅に戻ってきた。私はビックリした。普段は7時にならないと戻らない彼。私は「あーあのメールが彼に負担をかけてしまった」と思い、ますます落ち込んでいた。私は、昔から「好まれている」「愛されている」と思うと、ますます意地悪になり、「嫌われる」用にふるまって生きていた。それは、父から30数年間言われ続けていた、「おまえを好きになる人間なんて、この世にはいない」という言葉。そして、いじめの経験がある。ダンナの、大きくて私を包み込んでくれる、「愛情」。これを私は、「申し訳ない」「そんなに愛さなくてもいい」「私はあなたに愛される資格はない」と感じ、それがプレッシャーになってしまう。昨日はこらえきれなくなって、寝室に戻り泣き崩れていた。ダンナは「話して見なさい」と根気良く、私に諭してくれ、私はそのような事をいった。彼自身、私のこの「愛情を受け取る事」への臆病さ、戸惑いにビックリしていたみたいだ。私自身、愛されたいのに、愛される事が怖い。この感情を長年もてあましてきた。学生時代のいじめで、未だに心に突き刺さっているのが、中学2年の時。当時私があこがれていた、祐次君。彼から映画に誘われ、私はとても嬉しくなって、日曜日待ち合わせ場所に、おしゃれして出かけた。しかしその祐次君、30分経っても、1時間経っても、2時間経っても現れなかった。私は結局3時間半彼を待ち続けていた。当然家に戻ったら、門限をすぎていて、たまたま休みで家にいた、父に、門限を破った理由を聞かれ、事の次第を伝えると、こっぴどく叱れた。運悪く、母は、夜勤の日でいなかった。「14歳のくせに色気づきやがって」。「おまえを本気で誘う人間がいると、本気で思ってんのか?、見てみいその格好を・・・」。そんなとっぴな格好をしていたわけではなかった。お気に入りのミニスカートに、T-シャツにブラウスをひかっけた格好。そして、翌日学校に行くと、インスタントカメラで取ったと思われる、写真が黒板に張られていて、黒板には「待ち火と現れず」とかかれ、一時間後との写真が乗っけられていて、クラス中が私を笑っていた。とどめの一言が、その雄二君が、「おまえ本気で、俺がくると思ってた?ハハハッハ」。担任の先生が、その後来て黒板を見て、私を進路指導室に呼び、「町にでる時は、「制服」で出ないといけないという、校則を知っていますか?、反省文2枚書きなさい」といわれた。このトラウマや、父から受けた精神的虐待のおかげで、「愛情を受け取る」のが怖くなったのは事実である
2005年09月14日
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昨夜、寝室で私は自分の思いをダンナにぶつけた。「私の今の状況は、私も辛いしあなたも辛いでしょ、私はあなたに負担をかけたくないし、これ以上あなたのお荷物になりたくない」「このまま私の「うつ病」状態が続けば、将来必ず私達の夫婦関係にひびが入る」「私はそうなる前に、別れて、あなたとあなたの子供達の将来の邪魔をしたくない」「私は、あなたに嫌われたら、生きていけないと思うので、その前に別れて欲しい」と彼に言った。彼は本気で怒っていた。「なんで夫婦関係が順調なのに、別れなければいけないんだ」「君の考えは間違っている」「君の事を、負担に思っていないし、今君は病気なんだ。君はその病気を治すことだけ考えればいい」「後の事は僕に任せればいいし、僕は今でもちゃんと気分転換はしているし、疲れはない、子供達も気にしていない」「別れたからといって、自分達に良い結果が出るとは思えない」「君は今「うつ」の状態と、長年父親からのマインドコントロールでまともな考えができていない」「来年には僕らの子供が産まれる。それって幸せって事じゃないのかい?」「別れる気はないし、お互い幸せでいたいという気持ちは、今も変わらない」彼の本音を聞き、ますます申し訳ないと思い始めている私である
2005年09月13日
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私は、小学校から中学校卒業まで、いじめを受けていた。小学校の時に、両親に「いじめにあっている」と相談した時、父が「いじめられるお前が悪いんじゃあ」と言われて以来、両親の前では、学校での出来事で弱音が吐けなくなった。そして、「あーいじめられている、私が悪いんだ」と他の人にも相談できなくなり、自己解決していくしかなかった。学生時代のいじめの理由は、「給食を食べるのが遅い」、食が細かったので、「いつも給食を全部食べきれない」、「食物アレルギー持っていた」、そして父親が彼独自の美的感覚で、いつも散髪していた、私の「ヘルメット頭」である。また、もともと、涙腺が弱く少し意地悪されると、涙がすぐ出ていたのも、いじめの、理由のひとつにある。それが尾を引き、私は小学校入学から、中学校卒業までずっといじめにあっていた。担任の先生で「いじめ」に気づいてくれる人もいたが、対応がまずかった。「いじめられるあなたにも、原因がある。そんなに簡単に泣くな」と、たぶん彼女なりの激励だったのであろう。これで、私は相談できる大人が回りにいなくなった。いつの間にか私は、「ばい菌」、「しらみ」というあだ名がついていた。別に不潔にしていたわけではない。小学校5年の頃、「どうしていつも私は泣いているんだろう」という不満というか、疑問がでてきた。そして、いじめを受けないために、「あー傷ついていないふりをすれば、あきらめてくれるかも」と思い、いつもクラスの道化になっていた。しかし、周りからのいじめは一向に終わらない。「ばい菌」とよばれ、嬉しそうに「はーい、ばい菌ちゃんでーす」と、笑いながら答え、いじめっ子が呆れたように、笑いながら私をからかっていた。私は、この経験から「あーこれでいじめられなくなる」と単純に思っていたが、心の中は「私はばい菌じゃない」と思っていた。中学校に上がると、いじめがなくなるだろうと思ったが、ますますひどくなった。小学校からそのまま中学校に上がるため、同級生の90%が同じ中学。クラス数も少なくなり、今度は学年中のいじめの対象になっていた。私はどうして、いつもターゲットになるのだろう。中学の頃は、小学校2年間で演じ続けていた、「みんなの道化」が板についてきて、そんなに簡単には涙が出なかった。しかしいつも家に戻ると、具尊し手いる自分がいる。このみんなの「道化」でいるという習慣は、家族の前でも続き、現在まで至っている。しかし、ダンナと結婚してから、その「道化」でいるというマジックが通じなくなった。彼はいち早く、いつもよりもハイテンションな私には、実家からヘンな電話がかかっている事を知った。そして、ダンナと出会って、一緒に住み始めてから、父親からの解放、色んなしがらみからの解放で、一気にトラウマとなって出てきている。父親からは何か起こると、「フラットが悪い」といわれ、「お前はアホだから幸せになれない、まともな人生を歩めない」「のたれ死ぬの関の山」といわれ続け、父親と、遠く離れて暮らして、ダンナと暮らし始めて、心の平安が出た途端、「これではいけない」、「私は幸せになってはいけない」と考えていた。そして、Step達が、だんなに怒られれているのを聞いていると、「あー私のせいだ」と感じてしまい、気持ちが萎縮してしまう。しかし、私は、辛い時ほど笑顔を見せて、「道化」とならないといけないと思うと、辛くなってきた。そして今年、オーストラリアに本格的に移住、結婚となり、Stepの一人と同居が始まり、いきなり妊娠。環境の急激な変化と色々な罪悪感で、うつ病。先週はじめは調子が良かったのに、週末から逆戻り。昨日は夕方小型のはさみで、自分を傷つけている所で、ダンナが戻り、はさみを取り上げられた。私自身、歯止めが利かない。自分を傷つける事で、気持ちが安心しているのが分かるのである。この悪循環を取り除かなければ・・・
2005年09月13日
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子供達と久々の週末。金曜日Kはご機嫌が悪い。弟が来るので、注意が彼女だけに行かず、弟の方にも行くので、嫉妬の塊。土曜日の朝、日本語コースが父親と一緒にあり、宿題をしないといけない彼女。イライラして、宿題がはかどらず、「宿題」の問題の出し方にケチをつける有様。宿題は、簡単な家族紹介の手紙を読んで、その内容を把握すると言うような内容。そして手紙の返信を書くのだが、その返信も「家族の構成」「ペットの有無」を、相手側に教えるという事。普段なら、スラスラこの手の宿題を済ませてしまう彼女。彼女のイライラは、弟が家についてから始まっている。理不尽な難癖をつけては、自分のイライラを解消させているみたいだ。私はこの理不尽な「難癖」にすでに切れる寸前で、その宿題をやっている彼女の態度に、「あーもうたくさん、宿題はしなくていい」と宿題の用紙を取り上げた。初めて、彼女に見せるキレた私の姿。当分は手の震えが止まらなかった。夕食の後片付けが終わり、私は一人寝室にこもり、心を静めた。ダンナも私についてきて、「気にしなくていい、君は正しい事をしたんだから」といってくれたのだけど、手の振るえと彼女に起こした私の行動に、ショックをまだ受けていた。私は「今はショックで落ち着くのに時間がかかるので、少し一人でいさせて」といって、シャワーを浴びた。彼は私がシャワーを浴びている間に、Kと話し合いをしていたようだ。私は父との関係、小・中学校時代に、受けたいじめのせいで、会う人みんなに「いい人」でいたいと思っている。「私が我慢すれば、周りは平和なんだ」という思いが強い。そしてその「我慢」というものが限界に来ているのだろう。これからこの「いい人」でいたい症候群を、克服していかないといけないのだろう。まだまだこの「うつ」と向き合わないといけないらしい。先週の前半は、絶好調だったのに、週末になると子供達の前で、「いい人」「完璧な継母」を演じないといけないと思うと、体がピーンと緊張して、肩と首にコリが出て、首が曲がらない状態が、この週末続いている。
2005年09月12日
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この、水曜日にセラピストの第一回目のセッションが始まった。今回のセラピストは、アジア系の女医さんで静かに語る口調が、私に安心感を持たせた。女医の提案で、薬を一錠から半錠に減り、2日間だけ服用にした。ということは、昨夜で抗うつ剤とはおさらばという事になる。私は、薬を服用し始めた時から、「早く服用をやめたい」と思っていたが、いざやめるとなると、「私は本当に大丈夫なんだろうか?」と不安がよぎっていた。弱い薬を、20mgづつ(一錠)服用していた時は、朝起きてもけだるさが、一日中残り、「はぁ~」と思っていたが、よく眠れて余計な事も考えないですんだので、安心していた。薬を半錠にした時から、神経がピリピリし始めている。おかげで、疲れているのに眠るのが難しくなってしまった。木曜日、最後の薬を飲み、「さぁ、寝よう」としていると、神経がピリピリしている。昨日は朝6時に起きて、眠たくて疲れているはずなのに、神経がピリピリ。頭の中で「リラックス、リラックス」と唱えると、ますます神経がピリピリと悪循環。たぶん、今日からStepが二人そろうからだろうと、私は想像している。ダンナも指摘したように、私はStepの前だと、スーパーStep mumになろうとして、神経をヘトヘトにそしてピリピリしさせている。「良い見本をStep達に見せないといけない」という使命感が、私の神経をずたずたにしていくのである。アスペルガーのStep達は、理屈が通じない。「そんなことしたら、おかしいでしょう?」といっても、彼らは「いや・・・・・」と自分の理屈。そして、「それはおかしい!」と注意したくても、「オーストラリアではOK」なのかもしれないと思うと、何もいえなくなってしまう。今は、この前の時よりも神経がピリピリしていないから、いいのだが・・・。さて、今週末どうなる事やら
2005年09月09日
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私達は、毎週水曜日に義母の所で、食事をしている。その時、私はバスで義母の所に行くのだが、その時間帯がちょうど学校が終わる時間帯なので、学生がいっぱい入ってくる。私は、「日本の学生も、こっちの学生もあんまり変わらない」と、思ってみておりますが、こちらの学校、中高一貫教育のようで、年齢の幅が結構ある。そして、ティーンといわれる、16歳から18歳までの、女の子達を見ていると、「大人っぽい」子から、「子供っぽい」子まで、色々いる。子供っぽい子は、本当に顔が幼く、しゃべり方も子供のようだが、16歳前後にして、「人生経験20年」って感じの女の子も沢山います。まぁ、西欧人の顔はだいたいふけ顔で、アジア人(オリエンタル)の子達は、本当に押さない顔をしている。そして、その学校は、多少のメイクは許しているのか、メイクをしているのだが、メイクをしている子の中には、「アンタ魔女かい」というような子。「娼婦かい」というような子も見かけます。そういう子達のメイクは、だいたい目を強調したメイクが多い。顔のつくりが派手な分、本当に老けて見えるのです。だけど、肌はつるぴか。30代の私には、うらやましい限りです。さて、そのバスに、ワイルド系のハンサム君が、いつも彼女と一緒に乗ってくる。最初の学期の、彼女は、髪が黒くてどちらかというと、キレー系の女の子で、バスに乗るたび、彼女は彼の膝の上か、横に座ってイチャイチャしていた。私は、「(* ̄ρ ̄)”ほほぅ…チュウするんかいなぁ」と、好奇心の塊で、そして無関心を装いながら見ていました。そして、今学期。久しぶりにバスに乗って、義母の所に・・・。学校の近くのバス停に、バスが停車して生徒達が、車に乗ってくるのを「ボー」っと見ていました。「オー、ワイルド君いるやんけ」と見ていると、彼の彼女が女の友達と乗ってくる。「あれーメズラシイなぁ」と見ていると、その彼の彼女が代わっている。「アレレ、じゃああの子はどうなってるんだ」と思ったら、そのキレー系の元彼女は、私の後ろに友達と座っている。今度の、ワイルド君の彼女は金髪のかわいい系の女の子になっていた。私はその女の子にも、見覚えある。『あれ、あのキレー系のお姉ちゃんと、かわいい系のお姉ちゃんは、友達じゃなかったけ?』ワイルド君が、だいたいいつも先に下りるのだけれど、彼女達はその後いつも話しをしていたのを見たことがある。さて、そのワイルド君と新しい彼女は、元彼女の目の先で、イチャイチャしておりました。私の後ろで、女の子が「大丈夫?」と聞いているのが聞こえました。「ありゃー、女友達同士で、彼氏の取り合いこしたのね」と、私は思いました。その新しいカップルは、ワイルド君が降りるまでイチャイチャ。そしてワイルド君が、その新しい彼女はどうなったかというと、一人でポツンとしておりました。「あー、彼氏ができたと同時に、女友達もなくしたのねぇ」と、一人のんきに考えている私でした。
2005年09月05日
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「私は掃除が嫌いだー」ここで、叫んでも始まらない。昔から、「整理整頓」が苦手です。_s(・`ヘ´・;)ゞ..威張るようなことではないが・・・。箒で掃いているのに、そばから埃やチリが見える。やっと掃除が終わったと思っても、やっぱりゴミがある。いったいどうゆうこっちゃねん!!:・。・゚゚・(≧◯≦)・゚゚・。・え~~~~~~~~ん!!!←泣いても始まらない。今日は朝から、「掃除の日」と決めて起きた。まずは、洗濯から・・・。その間に、朝食。そして椅子を、裏庭に出して、戦闘体制に入る。最初、掃き掃除にしようか、掃除機を出そうか迷ったが、掃除機を出すのが面倒で、箒を手に取った。一応、家中の床は掃いたつもりだが、やはりゴミがちらほら。しかし見て見ぬふりをする。その後、トイレ掃除、床のモップがけ、洗濯物を干したりで、結局1時間半かかった。毎日、こまめにやっていれば、こんな大事にはならないのにね
2005年09月05日
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今日はじめて、マタニティブラを買いに行った。だいたい16週目アタリから、日本のブラがきつくなり始めていたので、そろそろ「ブラがいるかなぁ」と思っていたが、オーストラリアのブラのサイズ表示がいまいち理解できていない私・・・ダンナと町に出たついでに、Mayerの下着売り場に、ダンナと一緒にいった。こういう時、恥ずかしがらずについてきてくれるのは、西欧人だからだろうか?たこ社長は、奥様の下着選びに、ランジェリーショップ付き合いますか?さて、ダンナが「僕の妻が、マタニティブラを買いたいのだけど、オーストラリアのサイズが分からないって言ってるんだ」と売り場の女性に聞いてくれて、彼女は「問題ないよ」といって、私の体のラインを見て、めぼしいサイズのブラを渡し、フィッティングルームへ向かった。試してみたが、どうやら私には、カップが大きすぎる。彼女も確認して、「もうひとカップ小さいサイズかな」といって、次のサイズを持ってきてくれたが、それも小さかった。他のメーカで試してみて、やはり小さい。やっと見つけたけど、やっぱ少しカップが大きい。チクショウ(・_・;どうせ私は、日本でも胸がなかったですよ。(_TдT) シクシクアイーンジュニアサイズの、ブラでよい私。オーストラリアでブラを買える日は来るのだろうか?どなたか、ブログランキングの張り方を教えてください
2005年09月03日
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