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自分の気持ちを上手に相手に伝える。
それって、とっても難しいことです。
「分かり会え無い事を分かる」ようにすることを昨日学んでからは、余計に言葉の使い方に難しさを覚えます。
気持ちを伝えるために言葉を駆使しても、果たしてどれだけ想いが相手に伝わっているか?相手の一生懸命な話を聞いても、果たしてどれだけ相手の気持ちを理解しているか?
それでも、やっぱりこの世の中では言葉で心を伝える大切さを感じます。「言わなくても分かってくれるだろう」なんて、ありえないことなのですから。言葉にしないと思っている事は絶対に伝わらない。
以心伝心なんて、同じような環境で同じように育ち、同じように物を考えているとい前提に立ってこそ、初めて可能になるものだと思うのです。
だから、思いの全てを伝える事は絶対に無理だけど、それでも少しでも伝えることができたならと思い、言葉を使う。
多種多様な考え方や情報が溢れている現代においては、言葉の役割はますます大きくなって来ているように感じるのです。
言葉はどうやって使えば良いのか?
そのことを 『ありのまま』(梶田真章著) では次のように書かれていました。
言葉でコミュニケーションをとろうとするとき、見知らぬ人とは、最初からそうすんなりとはいかないことがあります。あまり親しく無いうちは、言葉や態度を額面どおり受け取ってしまいがち。でも、それはかなり限られた理解となるかもしれません。
相手がちょっと不愉快な発言をした時、そこは深呼吸の一つもして心を落ち着け、その言葉を発するまでに相手は朝起きてから今までにどんなことがあったのか?と想像をめぐらせてみる。
あれこれと相手の事を想像できて初めて、相手の言葉を受け止め、されに受け容れて行こうという気持ちも生まれるのではないでしょうか?
そんな事は、自分に余裕が無いとなかなか出来ませんが、言葉をそのまま受け取ると誤解が生まれがちです。思わず口を滑らせてしまったり、言いすぎてしまう事はだれにでもあるのですから、そう言う失言にいつまでも囚われすぎないほうが良いかもしれません。
まずは言葉にする。それから、言葉の背景にも目を向けて見る。それぞれがちょっとしたゆとりを持つことにより、人と人の気持ちというのは、随分多く伝え合っていけるようになるはずです。
よほど朝からイライラとして誰かに当たりたい心境で無い限り、通常は誰も、喧嘩して一日を過ごすことを願う人はいないはずです。
それでもちょっとした言葉のボタンのかけ違いによって、心の波紋が大きくなって、傷つき傷つけてしまう。
それは、やはり自分に余裕が無い時に発する言葉にありがちな事。
子供に対しても、家族に対しても、友人に対しても・・・・。
自分以外の他者と向き合うときは、常に余裕を持っていたいもの。
『平常心』
この言葉を見失わないようにしなくっちゃ。
何と言っても口は災いの元ですからね。
そして、さらに失いたくないのは想像力。
行間を読む。言葉の裏に隠されている真実を探る。相手の心境を考える。これは全て想像力があってこそ出来る事。訓練しなくては廃れてしまいます。
心のゆとりを持って、言葉と想像力をつかう。