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今朝は台風も過ぎ去り、青空の爽快さのもと幼稚園へと向かいました。
気圧の関係なのか、湿度の関係なのか、はたまた気のせいか、台風や雨、寒い時は怪我の古傷で全身が痛みます。
以前だったらきっとそれだけでナーバスになっていたところ・・・。
でも、意外とすんなり乗り越えられて、よしよし私も成長したなぁと思いながらの通園の道。
大好きな師の一人からメールを頂きました。
朝だし、何かしら?
そう思って、歩きながらメールを開くと、「咲き出しました」のタイトルが。
お花が大好きなわが師は、お庭にたくさんのお花を育てていらっしゃり、折に触れ贈り物を下さいます。
今回のお花のお写真は、「彼岸花」と「しゅうめい菊」。
コメントに、「楚々として可愛らしい誰かさんみたいです」の文字が。
誰かに見つけてもらえなくてもいいよ。
誰かに品評してもらえなくてもいいよ。
例え道端に打ち捨てられていようとも、誰も名前を知らない雑草だとしても、小さな花は私だけの花。
この地球上に2つと同じものが無い、『佑啓』という名の花。
薔薇じゃなくても、蘭じゃなくてもいい。
お花屋さんを美しく飾る花じゃなくてもいい。
私が道端に花開くことを楽しむことができれば、それだけで十分です。
でも、「私がそこにあることを愛しく思う」ためには、まだまだ日々努力が必要。
そう思って歩いてきた毎日。
人知れず(だと思っていた)生えていた草花の成長を傍らからそっと見守り、花が開くのを楽しみして、花が咲いたと喜んでくださる方がいらっしゃる・・・・。
今朝は、頂いたメールに自分を重ねて、朝から上機嫌の私でした。
「 しゅうめい菊 」のような・・・・。
世の中様々な贈り物があるし、送る方法もたくさんだけど。
「見守っているよ」そんな、メッセージがこもった優しい贈り物は、ダイレクトに魂に響きます。
これでいいのかな?
この道で間違ってないかしら?
人間だから、折に触れ通る「選択の道」。
どの道に進もうと、どのように歩もうと、それはすべて自分が選び、種を蒔き、自らが刈り取らなくてはならない道だけど。
時に現れる迷いのトンネル。
「花が咲いたよ」の贈り物は、そのトンネルの出口に射す一筋の光明に見えました。
私もいつかこんな素敵な贈り物を、さりげなく差し上げることが出来る人になれますように。
そのためにも、まだ歩ける、まだ進める。
そう思えた今朝のひと時。
楚々とした花たちに力を頂いて、可憐に進めますように。
素敵な贈り物、ありがとうございました。
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