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最近、 包丁 を新調しました。
今までは、某ドイツの刃物メーカーの三徳包丁を使っていました。
結婚したときにお祝いに頂いたものだから、かれこれ10余年・・・。
度々簡易の研ぎ器で研いではいたのですが、近頃全然切れなくて困っていました。
毎日使う物だから、切れない包丁だと台所に立つのが苦痛になります。
そこで、ふと思いついたのが「研ぎ石」を使って研いだらどうだろう?ということ。今までの簡易の包丁研ぎ器と違って、昔ながらの研ぎ石で研いだら違うかもしれない・・・。いや、断然違うはず!!
そう思いたち、その足で以前 肥後守 を買い求めた商店へ。
こちらは昔ながらの刃物屋さんで、店構えも内装もノスタルジーが感じられるお店です。一般家庭用から業務用の刃物や大工さんや左官屋さんが使う道具などなど、見ているだけでも飽きない場所です。
そして、何よりもこのお店のご主人や奥様が、とっても素敵な方。
専門をひけらかすことなく、ずぶの素人の私にも、丁寧に色々なことを教えてくださいます。
お店の方が持つ専門の知識の中から、『今』私に必要な分を会話して与えていただき、それをまた日常の暮らしに私なりに生かしていく・・・・・。
昔は何を買い求めるにしても、売り手と買い手の間に「会話」が行き来して、品物+アルファを共に手にしていたんですよね。
大きなお買い物から、小さな日常の消耗品や食品まで・・・。
金銭の授受だけではなく、人のぬくもりも行き来していたお買い物。
この古き良き事を廃れさせてはもったいない!
そう思ってから、お買い物はなるべく顔の見える所から・・・を心がけております。
そしてまずは、このお店オリジナルの研ぎ石を見せていただき早速買い求めました。
ご主人は創意工夫して素人でも上手に研げるように作った研ぎ石。これなら我が家の包丁も、切れる包丁!に変身させられそうです。
ご主人から今まで使っていた包丁の研ぎ方を丁寧に教えていただき、練習しなくちゃね・・・とか、難しかったら持っておいで~とかお話して、ふと棚に目をやると和包丁を発見。でも、和包丁ってお手入れが大変そう・・・・。
今まで使っていたのはステンレスの包丁で、お手入れ簡単!のものだったので、なおさらそう感じるのかもしれませんが・・・・。
そこで見せていただくだけ・・・のつもりで、お手入れ大変なんでしょう?とお聞きすると、「この 薄刃包丁 は、和包丁の職人さんがつくる当店オリジナルの包丁なんですが、お手入れが簡単にできるように職人さんと開発したものなんですよ。洗ってそのままというわけにはいかないけれど、洗ったあと水気をふき取って、定期的にこの研ぎ石で研いでいただければ大丈夫ですよ」とのお返事。
昔ながらのお台所にある手作り感あふれるもので、「ナイフ」ではなくまさに「包丁」という名に相応しいお品です。
手に持った感じもしっくり馴染み、お料理もはかどりそう。
奥様がもう何年も研いで使ってきた同じ包丁は、何回りも小さくなっていました。料理人しか使わないと思っていたお道具が、こんな身近でしかもお手ごろなお値段で手に入るなんて・・・・。
そこで早速こちらも買い求め、その日から我が家の主役の包丁になりました。
きっと、カタログで見たりネットで見たりしただけでは買うことは無かったであろう和包丁。でも、包丁とまな板を使って料理するには、やはりその文化の中で育まれ改良されてきた道具が一番最適だと、毎日の食事つくりで実感しています。
人と人との会話とぬくもりがあったからこそ、手に入れられたお道具。
これから先、小さくなるまで私と共に台所を彩り、私の料理の腕を上げるお手伝いをしていくパートナー。
目利きして選んだ道具たちを、「私自身」になるように使いこなすことを愉しみましょう。
「変化」
変化というのは、「ひとつ」をいかにたくさんの物に見せ、魅了できるかということだと思います。単調なる「ひとつ」ではなく、千変万化する「ひとつ」を演出する面白さと愉しさを、どれだけ多くの人に与えらるかが、その人の器量と言えるでしょう。
物をたくさん用いるのではなく、少ないものを上手に活用し、人の働きだけで変化を創る、そこに風情と日常性が生まれてくるように思います。利休が考えた侘びの精神とは、「一」や「変化」ということを念頭においていたのでしょう。
利休の高弟の宋啓という人が、利休の茶会を筆記していた時の事です。同一の道具が出される茶会の記録を宋啓が省略しているのを利休が見咎め、どうして記録していないのかを聞くと、「同一の道具は前にも記したものがありますから」と答えました。
利休は「度々同じ道具を使って茶会をしている時にこそ、茶会の苦心や働きがあり、同じ道具だからと記録しないのは、物に執着して着眼点が物にしか行っていない証拠である」と言い、物の変化を見る眼のないようではまだまだ修行が足りないと戒めています。
日常生活の暮らしを大切にしていれば、どこにでもありそうな道具を使って、誰にもできない趣向を創っていくことができるものです。それには日常生活における生活の眼が大事で、平凡な中に非凡を創作していく想像力は、雑記を用いて場を構成し、それによって変化を生み出していくことです。
それが茶の湯の精神を培い、侘び茶を理解する基となるのです。
(日常に生かす茶の湯の知恵 福良弘一郎氏著より)
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