1
依存症には、アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、通販依存症、ニコチン依存症、恋愛依存症など様々ある。私はある時期、パチンコ依存症になりかけたことがある。お金を湯水のように使うことはいけないということは、妻に指摘されなくてもよく分かっていた。しかし足が勝手にパチンコ屋に向いてしまう。自分の身体なのに制御不能になっている。脳が得体の知れないものに乗っ取られてしまったような感じだ。毎日1000円のこづかいしか持たないようにして必死に耐えました。3か月くらい経過して、パチンコ以外にもいろいろ楽しみがあると思えるようになってやっと足が洗えた。以来パチンコ屋には1回も足を踏み入れていない。依存症にはネズミを使った興味深い実験がある。同数のオス・メス合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ環境の異なる2つのグループに分ける。一方は一匹ずつ金網のオリの中にいれる。他方は広々とした場所(ラットパーク)に雄雌いっしょに入れて生活させる。そして両方のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を用意して、その後の様子を57日間観察した。9~13日後、ゲージのネズミたちはどんどん薬物の深みにはまる。一方広々とした場所のネズミたちは、自由にモルヒネが飲めるにも関わらず、ほとんど触れられずに自由な生活を楽しんでいた。19~23日後、ゲージのネズミはますます薬物を口にし、反面ラットパークのネズミは薬物を避け続けた。心地よい環境にあるラットパークのネズミたちは薬物に対する欲求がほとんど見られなかったという。この実験の結果、依存症の発症には、生活環境が大きく影響しているという結論に達した。自由を奪われて生活しているとストレスがたまります。それを解消しないと心身に重大なダメージを与えます。そこで手っ取り早く依存対象に手をつけるようになるのです。ドーパミンというカンフル剤を利用して、ストレスを緩和させようとしているのです。依存症は、誰でも最初は好奇心に突き動かされ、軽い気持ちで手を出します。そのときの快感が脳にしっかりと刻まれる。二度三度と手を出すうちに、しだいに脳がハイジャックされる。気が付いたときは、使用量がどんどん増えている。また中断すると禁断症状に苦しめられる。離脱症状と言われるものです。そのアリ地獄の底に落ちると、自分の意志の力だけでは依存症から抜け出すことは不可能となります。依存症に陥らないようにするにはどうすればよいのか。その予防法として考えられるのは、日常生活の中で過度のストレスをため込まないようにすることです。孤独、退屈、苦痛、不自由、人間関係などのストレスを極力抱え込まないことです。問題を抱えている人は信頼できる人や集談会の先輩会員に相談することです。それでも難しい場合は医療のお世話になるしかありません。依存症に陥る人は生活が不規則になる傾向があります。規則正しい生活習慣を作り上げると抑止力が働きます。無意識のうちにすっと身体が動いていくような習慣を作り上げることが有効です。日常生活の多くを他人任せにしている人は精神的に不安定になります。特に食生活が大切になります。自分で料理を作らない。宅配を頼む。ファーストフードが多くなる。外食中心になる。これらは依存症の予備軍となります。日常生活の中で、小さな目標に挑戦して達成感や感動を味わうという楽しみがない。外から与えられる娯楽的、刺激的、享楽的な楽しみばかりを追い求めている。こうなると、身体は依存対象に引き付けられてしまいます。そうしないと精神的にイライラして苦しくなってくるからです。凡事徹底の生活習慣を身に着けて小さな楽しみや感動をより多く見つけることができるようになると依存症に陥ることを防止できます。
2024.05.29
閲覧総数 29
2
「ものを頼むときは忙しい人に頼め」という言葉があります。少々高くても、法律問題は行列のできる法律事務所に頼む。資格試験の学校を選ぶときは、過去一番多くの合格者を出しているところを選ぶ。少し待っことはあっても、行列のできるラーメン屋さんに行く。すぐには引き受けてくれなくても、仕事を頼むときは仕事をいっぱい抱えている人に頼む。自助グループでもあの人は忙しすぎて、世話役にはならないだろうという人に依頼する。家でぶらぶらしている人だから、時間は十分あるだろうというような人には依頼しないことだ。時間が有り余っている人に頼んでも、思っているほどの成果を期待することは無理だと思う。森田理論を学習した人は、「なるほどその通りだ」と思われる人が多いのではないでしょうか。普通に考えると、忙しい人は頼みごとを雑に扱うので、やることなすことが雑でスキだらけになると考えがちです。忙しい人よりは、時間がたっぷりあって余裕やゆとりのある人がある人のほうが、丁寧に取り組んで期待以上の立派な仕事をしてくれるに違いないと思いがちです。それは私の経験では間違いだと思います。考えていることと実際があべこべになるのです。森田でいう「思想の矛盾」でがっかりすることになると思います。これは精神の活動レベルの違いから起きる現象です。忙しい人は、精神が昼間活動しているときは緊張状態にあります。暇な人は精神が弛緩状態にあるのです。この差は見逃すことはできません。森田理論に「無所住心」という言葉があります。精神状態が四方八方に張りめぐらされて、昆虫の触覚がピリピリとアンテナを広げているような状態です。こういう状態にあると、気づきや発見が泉のようにこんこんと湧き出ているのです。工夫や新しいアイデアが次から次へと浮かんでくるのです。すると物事に取り組む意欲が高まり、行動的になります。失敗することがあっても、失敗を糧にして、さらに創造力が高まっていきます。それらの経験がどんどん蓄積されていくわけです。精神が弛緩状態にある人と比較すると、どんどん差が拡がってくるということになります。ですから「行列のできる・・・」に頼みごとをすると早い、出来栄えがよいという結果ができやすいのです。これは森田的な実践をしていく中で、検証できた事実です。これを体験して会得すると、行動実践はより活動的になると思います。森田理論に「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」という言葉があります。昼間活動しているときは、ぼんやりしている時間を少なくして、次から次へと物事本位で家事や仕事を片付けていく習慣を作れば、誰でも精神緊張状態を作り上げることができます。そういう人のほうが、人の役に立つ人間になれるのだということを意識したほうがよいと思います。
2019.06.05
閲覧総数 1362
3
森田先生は精神学会で東北大学丸井清泰教授とお互いに論戦してぶつかり合っておられた。感情むき出しの攻撃であったという記録が残っている。詳しくは「森田正馬癒しの人生」を参照してください。現代でも学会など学術的な討論の場で、相手の研究成果、論点、主張などに対して痛烈な批判や反対意見が出されることがあるという。ここで面白いのは、批判やこき下ろされた人の対応が2つに分かれるという。一つは自尊心が傷つけられて不快になり不機嫌になる人。もう一つは厳しい意見や質問を歓迎して、やり取りを楽しんでいる人。普通学者というのは自分の研究分野に対して絶対的な自信と確信を持っているものである。自分の一番の存在意義、よりどころとなるものである。それをこき下ろされればたちまち意気消沈するのは普通のような気がする。それを意に介さない人はどうゆう人なのであろう。多分その人は、いままでの研究の蓄積により、文献や論文、講演や研究成果の発表によって、ゆるぎない強固な自信と自己評価を自分なりに確立しているのではなかろうか。そしてさらに研究を深めていこうという意思を持っている。だから前進につながる批判はうれしいのである。高良先生がその道のエキスパートにあることが、人間関係の改善に役に立つというのはこの事を言われているのだと思う。確固たる自信と自己評価を持っていない人は、他人からの批判、叱責、無視に対しては弱い。そういう自信がない人にどう対応すればよいのでしょう。私はそういう人に「かくあるべし」を押し付けてはますます、自信をなくし、自尊心やプライドを傷つけることになると思う。認めてあげる、受容して共感してあげる。よいところはほめてあげる。評価してあげる。森田理論の原点に立った対応が、その人の自信となり、前進していける力になると思う。これが子育て、対人折衝の基本だと思う。ぜひ身につけたいところである。
2013.06.19
閲覧総数 188
4
私たちは人から指示されてイヤイヤ仕方なくやることは、身が入っていないので出鱈目になりがちだと考えやすい。これに対して奥村幸治さんは疑問を投げかけておられます。私は現在、「宝塚ボーイズ」という中学硬式野球チームの監督をしています。そこで子どもたちに野球を教えていますが、最初によい習慣を身につけさせるには、監督やコーチ、親などから「やらされる」という外部環境も必要だと考えている。たとえばチームに入ったばかりの中学1年生に「自分の目標を持って練習をやりなさい」と教えてもできません。そこで、「キャッチボールのときはこういうことを考えながらやろう」とか「道具を大事にしよう」と具体的な話をしながら習慣づけをしていきます。すると初めは監督やコーチに「やらされる」だったことが、どこかで主体的に自ら「やっている」ことに変わっていきます。イチロー選手も小さい頃はお父さんに毎日バッティングセンターに連れて行かれていました。お父さんとキャッチボールをするのは純粋に楽しめていたかもしれませんが、毎日バッティングセンターに行くのは大変です。今日は行きたくない。つらい時期もあると思うのです。けれど、それを続けているうちに、「自分のなかに目標を作る」という意識づけができるようになったのではないかと私は思います。「やらされる」を「やっている」に変えると、目的意識ができて練習に張りが出てきます。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 40ページより引用)勉強や仕事でも最初から面白くてたまらないという人はいません。むしろ、取り掛かる前は億劫で、やらないで済むことなら、やらない方を選択したいと思いがちです。それが正直な気持ちです。でも、それに流されると、次の展開は望めません。気分本位で逃避的態度を選択することは、人間の本来性に背くことになります。ですからイヤイヤ仕方なしでも行動を起こすことがとても大切になります。そうはいっても、「楽をしたい。エネルギーを消費しないで休みたい。人が見ていなければさぼりたい」という気持ちの誘惑にまけて、堕落の道に真っ逆さまというのが実態です。そういう人を見つけると、首に縄を巻いてでも、オアシスまで連れて行くという人がいるということは、将来的に見るととてもありがたいことです。奥村さんは、とりかかる前は、本人がどんな気持ちだろうが関係がない。とにかく無理やりにでも、行動のきっかけを作っていく。その先はどうなるか分からない。イチロー選手のように、興味や関心を高めて、目標を持って主体的に行動してくれるようになることは理想ですが、そうならないこともある。その方が多いかも知れない。そういう場合は、別の面で刺激を与えるようにする。ここで大切なことは、最初の「やらされている」という気持ちが、イヤイヤ手をつける事で、好奇心が刺激され、疑問や関心や興味が生まれてくる呼び水になることがあるということです。そうなれば、つぎの課題や目標が生まれてきます。このようにしていつの間にか主体的な行動に変化してくるのです。課題や目標、夢や希望に向かって、努力精進するというレールに乗るかどうかは、最初は他人から強制されたことでも構わないということになります。子供を持っている親は、無理やりにでも多くの経験をさせて、きっかけづくりをする必要があります。集談会では、自分の日常生活や趣味などを開示して、他の参加者に刺激を与えることが大切です。集談会に参加する人は好奇心旺盛な人が多い。相手が刺激を受けて自分でも取り組んでみようと思ってくれれば紹介したかいがあったというものです。
2024.05.28
閲覧総数 41
5
これは以前大阪の万博公園で撮った柳の木です。壮観です。柳の木を見ていると、不安や恐怖に対する対応方法を誤らないようにと教えてくれています。風のない穏やかな日は、ゆらゆらと揺れています。ところが一旦強風が吹くと右へ左へと大きく揺れています。極めつけは台風が直撃したときです。枝は上下左右はげしく揺れて、引きちぎれないばかりに、乱れ狂っています。このまま放置していると、大変なことになってしまうと心配になります。何とかして、その乱れた動揺を抑えないと、明日の朝は無残な姿をさらしているに違いないと確信します。ところがどっこい。台風一過の次の朝には何事もなかったようにたたずんでいるのです。その姿には安心感とともに感動を覚えます。一方、何百年も生きてきた日光の松の大木は少々の台風などにはびくともしません。相撲取りが小中学生に胸を貸すようなもので、実に堂々としています。傍で見ている人もその力強さを安心してみていられます。ところが、大型台風が来たときには、たまに意外なことが起きます。次の朝、あのびくともしなかった松の大木が無残にも折れてしまっているのです。強風に対して限界までは抵抗して何とか持ちこたえていたのですが、限界を超えてしまうと、自分の命を守ることに失敗してしまったのです。これは人間でいえば、不安や恐怖、違和感や不快感と格闘して、神経症に陥ったり、うつ病を発症するようなものではないでしょうか。柳の木と松の大木の生死を分けたものは何だったのでしょうか。それは不安や恐怖、違和感や不快感が湧いてきた時に、それを取り除こうと果敢に挑み続けたのか、あるいはそれらに抵抗しないで受け入れたかの違いです。たとえ心の中が混乱してどうにかなりそうになっても、じっと我慢して抵抗しなければ、時間の経過が薬となって、万事うまくいくようになっているのです。感情の法則が働いているのです。台風にとってみれば、抵抗しない人は、相手を簡単に破壊してしまえるようですが、実際は自分がまけているのです。肩透かしにあったようなものです。負けるとは思いもしなかった相手に負けたわけですからさぞかしショックでしょう。松の木は、最初とても強そうで勝ち目はなさそうに思えましたが、勢力を増強して立ち向かえば、相手も応戦してくれるので、やりがいがあるのです。そして最後には屈強な相手を倒してしまったのです。固定観念や常識で判断したことと、実際の事実は全く異なっていたということです。私たちは柳の木に学び、どうすることもできない不安や恐怖、違和感や不快感は謙虚に受け入れるという能力を身に着けることが大事になってくると思います。その手法はぜひ森田理論で学んでください。不安にいつもとらわれてしまう人は、柳の木を写真に撮って机の前に貼って意識付けをすることをお勧めします。
2019.05.10
閲覧総数 1182
6
ピアノの名演奏家ホロヴィッツは、一生栄光に満ちた人生を歩んでいたとばかり思っていた。ところが実際には苦悩の多い波乱に満ちた人生であったようだ。ホロヴィッツは1904年にロシアの寒村でユダヤ人の家に生まれている。音楽の才能があった母親から6歳でピアノを始めた。8歳でキエフ音楽院に入学し、そこで3人の教師に出会うことで、急速にその才能が開花した。しかし16歳のころ国内政治の内乱に巻き込まれて、住居や財産のすべてを奪われている。さらにユダヤ人であるということで大幅に自由を奪われていた。彼が最初に直面した試練であった。1925年ベルリンに旅立つ。(ちなみに彼が故郷に帰ったのは、ペレストロイカ後の1986年であったという)彼はその頃までには卓越した演奏技術を身につけており、以後演奏活動で生計を立てるようになった。中村紘子氏によればピアニストは15歳、16歳でほぼ基礎が固まっていないと、それ以降いくら頑張っても一流の演奏家にはなれないといわれる。そんな最中、1932年の秋、大指揮者のトスカニーニからニューヨーク・フィルの定期演奏会でベートーベンの「皇帝」を協演してほしいという申し込みを受けた。これがその後の彼の人生に決定的な影響を与えた。今考えれば不運の幕開けであった。翌年そこで知り合ったトスカニーニの娘ワンダと結婚している。次の年には娘ソニアが誕生している。ホロヴィッツは、ワンダと結婚するまではトスカニーニの婿になるということがどういうことかよく分かっていなかった。トスカニーニは、超人的ピアニストをつかまえて、「でくのぼう」呼ばわりをしていた。まもなくホロヴィッツは、トスカニーニの前では借りてきた猫のようになっていった。友人たちによれば、トスカニーニ一族の怒鳴り合い、ののしりあいには一種特別なエネルギーと迫力があって、そこに居合わせるとどんなタフなものでも生命が縮むほどの凄まじさがあったという。更にトスカニーニと娘のワンダは人の悪口を言い合うことでも奇妙に気が合い、それこそ大声で口から泡をとばし合いながらの大袈裟な身ぶり手ぶりで誰かれの批判を言いまくり、時には熱する余りコーヒーカップが飛び交うことも珍しくなかった。これとは対照的にホロヴィッツの家系には、神経過敏な傾向が強く流れていた。兄は神経を病んで廃人同様になって死んでいる。間もなく友人たちは、彼の異常なほどの神経質さ、おどおどした態度、情緒のはなはだしい不安定、時折みせる虚脱状態などに不安を覚えるようになった。恐怖から逃れられないことを悟った彼は、精神的におかしくなったのだ。それは演奏にもあらわれた。18番のチャイコフスキーのピアノ協奏曲をめちゃくちゃに弾いたりした。舞台に出る前は強度の緊張感に苦しめられ、開演のベルが鳴っている時に逃げ出してしまうということもしばしばあったという。一方肉体的にも、神経性胃炎による腹痛と慢性の下痢がひどくなり手術をしている。それがもとで余病を併発し、結局、彼はそれから2年近くの間をコンサートステージから遠ざかることになった。これは神経症の発生と格闘によく似ている。このホロヴィッツは、肉体も精神もほとんど絶望的に衰弱し切っていたが、そんな彼の窮地を救ったのがロシアの大先輩であるラフマニノフであった。ラフマニノフの献身的な援助がなかったとしたらホロヴィッツは再起できなかったであろうといわれている。我々も我々の話をよく聞いてくれて、受容と共感の態度で支えてくれる仲間の援助が欠かせない。それが自助グループ生活の発見会の仲間たちだと思う。ホロヴィッツは、それに加えて一人娘ソニアのことで問題を抱えていた。娘にしてみれば、溺愛はしてくれたが時に理不尽で身勝手で激烈な癇癪持ちの祖父トスカニーニ。その存在すら目に入らぬほど彼女に無関心な父ホロヴィッツ。そんなホロヴィッツにかまけて、娘の世話のすべてを家庭教師や召使にまかせきりの母親ワンダ。愛着障害、アダルトチルドレンで苦しむ子どもができる条件がそろっていたのである。ソニアは成長するにつれて攻撃的で乱暴で、気性が激しく移り変わる手に負えない少女になっていった。両親の愛情と関心を惹きたいがためにわざと極端な行動に出て、ときには危険な状態を生じた。煙草を吸ったり悪態をついたりの果て、カーテンや飼っている犬に火を点ける。といった行動にまで及んだのである。そして12歳で不良少女専門の矯正学校に入れられた彼女は脱走を繰り返し、その度に感化院、治療院、精神病院といった施設をたらい廻しにさせられた。その後ソニアは一番気の合っていた叔母に引き取られ、イタリアで暮らしていた。22歳の時、モーターバイク事故で脳に回復不能な損傷を負い、その後植物人間となり2年ほど生きながらえ、24歳の生涯を終えた。彼女にとってはやりきれない人生だったことだろう。ホロヴィッツは、演奏活動はキャンセルしたが、娘を見舞うことはなく、ニューヨークの家に引きこもったままだったという。そのホロヴィッツはついに1949年妻のワンダと別居するようになった。1989年85歳で亡くなる前は、目は虚ろ、口ではわけの分からぬ言葉をつぶやき、ほとんど発狂寸前であったという。ホロヴィッツは人もうらやむ名声を獲得したが、はたして幸せな人生だったといえるのであろうか。神経症の発症と家庭の崩壊はこうして始まるという見本のような人生を送っている。(ピアニストという蛮族がいる 中村紘子 文藝春秋より引用)
2016.12.11
閲覧総数 3906
7
親や会社の上司などが「かくあるべし」を振りかざして自分のことをバカにしてきたらどうすればよいのか。その言動に対して、 「なめられてはならない」 「この腹立たしい気持ちを取り去りたい」という態度で対応しようとすると、相手と言い争いになる。我慢すると憎しみがどんどんエスカレートして、恨みに変わってしまう。相手の理不尽な言動に対して、相手といがみ合う方法は、決して良い結果をうまない。こういう時は森田理論の「純な心」を応用したいものだ。親や会社の上司に注意や意識を向けて、腹を立てて反発しようとする気持ちがわき起こってきたら、すぐに初一念思い出すことだ。初一念に引き続いて、初二念、初三念が湧き起こってくるのですが、こういう時は初一念に立ち戻るという癖をつけていくのです。この能力を身につけたいものです。 1番最初自分にどんな感じがわき起こってきたのだろうか。自分はその感情に対してどういう気持ちになったのか。その感情を受けてどうすればよいのか。どうしたいのか。その気持ちを相手にどう伝えたらよいのか。つまり売り言葉に買い言葉で相手と対応するのではなく、 1番最初に感じた初一念から出発するのである。それは五感・身体を通じて湧き起こってきた感情であり、一切夾雑物が入り込んでいない素直な感情なのである。この感情を、「私メッセージ」を使って相手に伝えていくのだ。例えば会社の上司で、仕事上のミスをして叱られたとする。「バカかお前は。こんな初歩的なミスをして。能力がないのならさっさと辞めろ」まさかこんなことをあからさまに言うような上司はめったにいないかもしれません。例えばの話です。こんな時後先考えないと、すぐに破れかぶれで反発するか我慢します。そして会社にいられなくなるかストレスが溜まり精神障害を引き起こします。そんな時森田の「純な心」で対応するのです。私「ミスをしたことは謝ります。申し訳ありません。でもバカだ、無能力者だと言われて、私はとても傷つきました。」上司「なにを子供みたいなこと言っているんだ。そんなこと言うからバカだって言われるんだ」私「そのような人格否定をされると、私は恐ろしくて何も言うことができなくなります」上司「恐ろしいだと。俺のどこが恐ろしいんだ。俺は正当なこと言ってるつもりだ。本当にお前は馬鹿なやつだ」私「そんな風に言われるとますます嫌いになってしまいます」上司「それはお前が会社のお荷物になるようなことをしたのだから当然のことだろう。反省して、おとなしくしておれ」私「課長はそういう気持ちなんですか。私はあなたには失望しました。お話する気力もありません。残念です。失礼します」これは言い訳をしたり、相手にこびて服従しようとしているのではありません。私は上司の言動が恐ろしくて仕方がありませんという「初一念」の気持ちを伝えようとしているのです。あくまで自分の素直な感情を伝えようとしているのです。森田でいう「純な心」です。そうすると、上司は最後の言葉で返す言葉を失ってしまいます。気が抜けたような気持ちになります。この上司と話をしても時間の無駄だと部下は判断しているのか。もうこれ以上自分と話をしたくないという事は、自分にはついていけないと思っているのか。それが噂をよんで、他の同僚や私の上司に知れ渡ったらまずい。自分には部下を育て、組織をまとめあげる能力がないとみなされるのはイヤだ。自分の言葉は、天に唾するようなもので、最終的には自分に降りかかってくる。自分の最初に湧き起こってきた感情を思い出して、そこに焦点をあてて自分の気持ちを口に出していくと最悪の事態に至らず、しかもストレスをため込むことがありません。そんな対応ができないから苦しんでいるのだという反発があるかもしれません。すぐに自分の初一念や気持ちを上司に向かって伝えることはできません。理屈が分かったからといっても、そのような行動がとれるのは別問題です。まずはその方向が神経症に陥らず、自分を救う道なのだということをしっかりと理解することが大切だと思います。
2019.01.02
閲覧総数 7051
8
石原加受子さんの言葉です。あなたは、人に依頼されたら、気持ちよく引き受けたり、罪悪感なしに断ったりすることができますか。あなたは、手助けが欲しいと思ったら素直に依頼したり、断られたとしても、相手に悪意を抱かずに受け止められるでしょうか。独立独歩の人と見える人すらも、傷つくことを恐れていて、頼まれると断れないし、断ったら気に病むし、自分からは頼めないという人なのかもしれません。傷つきたくないという思いは、万人に共通するものです。傷つきたくないから「断ること」を恐れ、「頼むこと」を恐れるのです。(「また断れなかった・・・」がなくなる本 石原加受子 河出書房新社 126ページより引用)他人からの依頼を自分の都合に合わせて上手に断ることができる人は、他人に対してお願いや依頼が躊躇なくできる人です。「断ること」と「お願いすること」は表裏一体です。ですから、自分の意志を押し出して「断ること」ができない人は、「他人にお願いや依頼」をすることができない人です。この指摘は耳が痛いです。私のことを言われているようです。私は大学を卒業後、出版社に就職して書籍の訪問販売の仕事をしていました。見も知らない人に書籍を買ってもらうという「お願いや依頼」をするという仕事です。私の気持ちの中には、「書籍は読みたい人が自らの意思で買って読むもの」という思いがありました。だから、読む気がない人に、書籍の販売をするということは押し売りになるという気持ちでした。その結果、本を読むことが好きな人を選別して、その人たちだけに営業をかけることにしました。いわゆる有力な見込み客のみを相手にするという方法です。有力な見込み客から断られると、自分の自尊心が傷つきました。ショックを受けて、次の仕事に向かうことができなくなりました。そして、成果の上がらないダメ社員になってしまいました。成果を出している人を見ると、見込み客の選別などはしていませんでした。断られたらすぐにあきらめて、次の人にアタックする。訪問回数を上げないと成果には結びつかないという信念をもって仕事に取り組んでいたのです。自分が傷つくことよりも、その日1日のノルマを果たすことに全力を挙げているわけです。これは、お願いや依頼したことを相手が引き受けるかどうかは、相手の自由だ。相手に選択権があるというということをはっきり自覚していたのだと思います。私の場合は、有力な見込み客は絶対に買ってくれるはずだ、この人を取り逃がすと後がないという切羽詰まった心理状態になっていたのです。ですから断られると相手を赦さない。能力のない自分を自己嫌悪する。しだいに仕事をさぼるようになる。どんどん悪循環が加速してきました。その反面、人からのお願いや依頼を断ることは、相手が気分を害して、その後の人間関係が悪くなると考えていました。ですから相手の依頼事項はよほどのことがないかぎり、引き受けるようにしてきました。自分の気持ちや意志に反してまで、引き受けるので、辛いこともありました。転職先での事です。ある実力のある営業マンから、翌日大切な要件を頼まれました。私は次の日有休休暇を取ることにしていました。だから明日のことは安易に引き受けることはできなかったのです。私は「明日は有休をとるので引き受けることはできない。他人に依頼してくれ」と言えばよかったのです。ところがあろうことか、「分かりました」と言って引き受けました。私はその依頼事項を同僚に再依頼して有休をとりました。ところが同僚はその案件のことをすっかり忘れて手付かずになっていたのです。次の日大変な状況になったことは容易に想像していただけるかと思います。断ることができない人は依頼することもできない。その心理的からくりは、自分が傷つくことをひたすら恐れているのです。その時の自分の注意や意識は相手の言動ばかりに当てられているのです。ここですっぽりと抜け落ちているのは、素直な自分の感情、気持ち、意志、欲求などです。それらを十分に認めて、できるだけ叶えてあげる、癒してあげることが必要だったのです。これが第一優先順位となります。これがすっぽりと抜け落ちていたので、歯車がかみ合わない原因だったと思います。森田理論学習中ではっきりと気づきました。これに気づくと、訪問販売の仕事の場合、「成果を上げて同僚や上司に評価されたい」という気持ちが強かったわけですから、その方向で努力精進できたはずです。相手の言動に振り回されて、自分が勝手に傷つくばかりというのは避けられたと思います。有休休暇の場合は、自分の都合を優先することですから、事情を話して断ることができたと思います。普段から自分の感情、気持ち、意志、欲求を軽視して粗末に扱い、そのエネルギーを他者の思惑に向けていると、とっさの時に間違った行動をとってしまいます。森田は自分の素直な感情、気持ち、意志、欲求を正しく認識して、それを第一優先順位に位置づけて、対人関係に対応していきましょうという理論だと思います。
2022.01.21
閲覧総数 1207
9
タレントの所ジョージさんは、毎朝起きた瞬間から、今日一日をいかに楽しく過ごすかばかりを考えているという。だって楽しむために起きているのだから。悩むことで解決することなら、いくら悩んでもよいと思うけど、解決しそうもないことなら悩まない方がいい。たとえば、好きな人ができて脈がない場合、自分ではどうしようもないでしょう。相手に嫌われてしまったら、自分も嫌いになったことにすればいい。あまり一人の人に執着しないほうがいい。失敗する人生も楽しいじゃないですか。人生は失敗に満ちている。だからこそ、楽しいわけで、失敗しない人生なんてそんなつまらないものはない。いろんなことが自分に降りかかってくるからこそ、生きている実感があると思う。今の世の中は便利になりすぎている。それが楽しさを奪っている気がします。便利なものを使うのはいいけれど、あまりにそれに頼り過ぎると生きる楽しさがどんどん減っていく。楽しみを見つけることにコツなんてないよ。身の回りを見渡せば、面白いことは一杯転がっているはず。お金をかければ楽しいというわけじゃない。要は自分自身が主人公にならなければ、楽しさは味わえないということ。受け身で他人から与えられた楽しさは、所詮他人の楽しさでしょ。そんなものはすぐに飽きてしまう。不便さや曖昧さを楽しみながら、自分の足元に落ちているものに目を向ける。楽しいものは最初から存在しているわけではない。いかに楽しく工夫するか。いかに楽しさを引き出すか。それに尽きると思う。(60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人 PHP 71~75ページ要旨引用)森田に通じる話ですね。所さんの話を聞くと、宇野千代さんの次の言葉を思い出す。幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がいる。(宇野千代 幸せの言葉 海竜社 195ページ)問題を抱えることは、解決策を目指すかぎりにおいて、生きがいを作り出します。問題を抱えない人生はあり得ません。神経症の発症、仕事や人間関係の問題、心身の健康問題、経済問題、事故や自然災害、理不尽な仕打ちなど様々です。それは、神様からどう取り組むかという宿題を出されていると受け取るのは如何でしょうか。それぞれ、出される宿題は違いますが、要はそれらに真剣に向き合って生活しているかどうかが肝心です。死後の世界が存在するかどうかは分かりませんが、もし仮に存在するとなると、その点を厳しく査定されることになると思います。
2022.08.04
閲覧総数 1681
10
2023年3月1日に1年で66795円を貯める方法をご紹介しました。これは1から365のくじを作り、当たった数字の金額を貯金していくというものでした。実際にはエクセルで管理してしています。表計算は便利です。左から日付、当たったくじ、入金額、預り金、貯蓄額です。たとえばこんな具合です。12月1日 くじ300円 入金額1000円 預り金700円 貯蓄額60000円12月2日 くじ160円 入金額 0円 預り金540円 貯蓄額60160円12月3日 くじ210円 入金額 0円 預り金330円 貯蓄額60370円これを繰り返した結果、12月31日で66795円貯まりました。自由に使えるある程度まとまったお金があるのはうれしいものです。たまには思い切って贅沢でもしてみようかとワクワクします。今年はくじを引かずにこの表を活用して続けることにしました。手間がかからず、自動的にお金が貯まり、楽しみが増えます。昨年は欲しかった7インチのポータブルナビを買いました。チンドン屋の興行で老人ホームや公民館や町内会へ行くことが多いのですが、道に迷いいつも難儀していたのです。このポータブルナビは取り外しができます。これが便利なのです。翌日にイベントがあるという場合は、家で訪問先を特定して地点登録するのです。そしてルートのシュミレーションを起動させて道順を確認します。普通にナビを起動させると高速道路を通るように案内が始まります。これは設定で一般道路を第一選択肢として指定すればよいことが分かりました。でも、自分の考えていた一般道とは違う道を案内することが頻繁に起こります。これはルート編集で経由地を何か所かあらかじめ設定しておけば、ストレスがなくなることが分かりました。このナビは初めての場所に行くときは手離せなくなりました。近くの景勝地や施設などの観光案内も豊富に用意されていました。今度はこれを活用して出かけてみようと思っています。去年貯めたお金が多少余りましたので、孫を連れて新しくできたサッカースタジアムやプロ野球観戦に出かけることを考えています。皆さんもよかったら今年の実践課題として取り組んでみませんか。岩国の錦帯橋が見えます。周りは吉香公園です。
2024.01.02
閲覧総数 64
11
青山学院陸上部原晋監督のお話です。青山学院大学陸上競技部の部員は約50名在籍している。全員が箱根駅伝にエントリーできるわけではない。出場できない選手に居場所を見つけてあげることが、監督の重要な仕事になります。サポート部隊の役割としてどんなものがあるのか。実際のレースでは出場選手への声掛け、応援、給水、手荷物の保管、走り終わった選手へのケアなどがあります。移動や選手の回収などの役割などもあります。沿道においては幟を立てて選手を鼓舞することも行います。それ以外に部活動としては、重要な役割分担があります。陸上競技部というチームの中には、キャプテン、マネージャー、寮長、学年長という役割を持つ人を置いています。これらは基本的に選手に選ばせています。キャプテンはチーム状態が悪い時に、チーム全体を明るく前向きな方向に導く人です。リーダーシップが求められます。部員からの信頼感がある人です。また部員に自分のメッセージを発信できる人です。会社でいえば経営者です。その時の状況を読んで、方針を立案し、みんなを鼓舞して、チームとしてまとめ上げる能力を持っている人が適任です。マネージャーは、選手のサポート役です。裏方になります。選手として箱根駅伝に出場する希望がかなわなかった人の中から選びます。選手たちのコンディションの把握に努め、日々改善していくのが仕事です。アンテナを、幅広く張って、状況により敏感な人が向いています。細かいことに敏感な神経質タイプに向いています。また、監督と選手のパイプ役という側面もあります。時には監督に変わって、厳しい言葉を伝える必要があります。先輩後輩に関係なく物申せる人物でないと務まりません。反面口の軽い人は向きません。伝えていいことと、軽口をたたいてはいけないことが、よく分かり、実行できる人でないと務まりません。マネージャーになるためには一つの条件があります。それは、選手生活をやり切ったという人でないとダメです。とことんまで自分の限界に挑戦してきたが、設定タイムを期限までにクリアできなかったという人の中から選びます。そういう人がマネージャーになったときに力を発揮するのです。マネージャーが務まる人は、卒業後会社に入っても立派な仕事がこなせます。つぎに寮長ですが、部員の生活管理、衛生管理、整理整頓、食生活の管理を通じて寮の運営を担当します。寮母との相性がよいことが条件です。細かいことによく気が付き、凡事徹底に徹することができる人が適任です。率先垂範の人が適任です。これも神経質性格者がぴったりと合います。学年長は学年全体を束ねる人です。明るく前向きな人で、将来のキャプテン候補です。たとえ、箱根駅伝に出場して選手としてスポットライトを浴びなくても、その人の持ち味を見つけて、部活の中で、居場所を与えて、伸ばしていくことがとても大切だということです。それぞれが自分の課題や目標を見つけて、それに向かって努力精進していくことが、なによりも重要だということです。これはすべての人に当てはまることだと思います。(フツーの会社員だった僕が青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉 原晋 アスコム 185ページより参照)これは生活の発見会の集談会運営にも活かすことが大切になります。どんな役割があるのか。どんな人がその役に向いているのか。常に無所住心を心がけて適材適所を目指すことです。役割を持っていると、森田から離れそうになったとき、引き留めてくれる役割が期待できます。長く森田に関わっている人のほうが、森田的な生き方を自分のものにされているように思います。
2024.05.25
閲覧総数 45
12
日本人は団体で海外旅行をすると、空港に降りた途端傍若無人の行動をとることがある。以前ブランド品を買い漁ったり、レストランでバカ騒ぎをするのが話題となった。外国の人が見ると、いつもは控えめで他人を気にする人が、酒に酔った人のように羽目を外すのが理解できないらしい。これは日本人と外国人は元々考え方の違い、行動様式の違いが影響しているのではなかろうか。日本人は自分自身と世間というものはほぼ基本的に一体化していた。ここでいう世間とは、家族、親せき、友人、同僚、近所の人、会社関係、学校関係、取引先の人などである。一体化しているということはいい面と悪い面がある。いい面は世間によって自分の基本的生存欲求と安全が守られているということである。悪い面は自由が束縛されているということである。自分勝手な行動は許されない。社会があっての個人なのである。あまりにも身勝手な行動をとると、ついには勘当されたり、会社を辞めさせられたり、学校を退学させられてしまう。つまり縄張りから追い出されてしまう。するととたんに生きることは困難になる。仲間の輪から追い出されたシマウマを想像してみるとよい。その日のうちにライオンやチーターの餌食になってしまう。外国はたとえばハンバーガーを頼んだ時のことを思い出してほしい。サイズはどうするか。レタスをはさむか、キューリがいいか。肉は何枚入れるか。香辛料は何をかけるか。飲物はどうするか。事細かに質問される。日本のように、何も言わなくても店員が事細かに気を使ってくれることはない。阿吽の呼吸ということはない。それでは物事は進まないのである。つまりすべてが自己責任の世界なのである。資産運用にしてもすべて自己責任。アドバイスを受けようと思えば、金を出してファイナンシャルプランナーに相談する。他人とトラブルを抱えると弁護士を雇って解決してもらう。精神的な悩みを抱えると精神科の医師、臨床心理士、カウンセラーに頼る。自分の安全は自分で守るのが原則だ。だから護衛のためにピストルも必要になる。これは自分という硬い城壁の外は、多くの敵に囲まれているようなものである。世間に守られていないのだから自主独立で生きていくしかない。この状況は自由である反面しんどい世界である。日本は自分と世間という城壁があった。それらが一体となって、外部の危険、リスクに対していたのである。世間が緩衝帯となって自分を守ってくれていたのだ。問題はその有様が、精神面にどのような影響を与えていたのかということである。日本人の場合は世間との軋轢が生じると、自己主張を繰り返して、世間と戦うということはあまりしない。自分の方を抑圧する。我慢する、耐えて世間に迎合していく。自分中心の生き方を抑えて、他人中心の生き方を選んでしまうのである。しかし、これがストレスとなり、葛藤を生んで息苦しさを招いていたのである。自分の生の欲望の発揮を抑えてしまうと、いつも不安が付きまとい、自己嫌悪、自己否定から抜け出すことができなくなってしまう。森田理論を学習してわかったことは、人間は死ぬるまで生の欲望の発揮を続けていかなくてはならない。それが人間本来の生き方である。それが基本である。思いやりの気持ちを持つということはその次に大切なことなのだ。この順序を間違えると大変なことになる。今やマンションに住んでいても隣の人との交流はほとんどない。つまり自分と世間の一体化は薄らぎつつある。だからこそ、生の欲望の発揮に邁進しないと精神的に不安定になってしまう時代なのだと思う。
2016.02.08
閲覧総数 1039
13
中国の諺に「狡兎に三窟あり」というのがあるそうです。この意味は、賢い兎は3つの隠れ穴を持っているという事だそうです。これはリスクを分散して、生命の危険を防衛していることだと思われます。神経症で悩んでいる時は、頭の中の大部分が症状のことで占められています。症状を克服するという事は、その比率を下げていくことが重要になります。そしてあれもこれも気になり、いつまでも神経症だけにかかわっておられない状態になればしめたものです。そのためには、内向している精神を少しずつ外向きに変えていくことが大切です。具体的には、普段の生活をいくつかのジャンルに分類してバランスをとっていくということになります。大きく分けると、仕事、勉強、家庭生活、交友関係、地域活動、趣味や習い事、運動や健康、自己啓発などがあります。神経症で苦しんでいる人は、主として職場での人間関係で苦しんでいる人が多いと思われます。そうなりますとたちまち苦悩と葛藤で精神的に追い込まれてしまいます。生活内容が多方面に展開してくると、注意や意識が外向きになって神経症とは無縁になってきます。仕事をする第一の目標は、自分と家族の生活を維持していく為です。そのことをしっかり自覚して、まずはタイムカードを押しに行くことに専念しましょう。最初から仕事が楽しくて仕方がないという人はいません。誰でも最初は生活のために嫌々仕方なしに仕事に取り組んでいるものです。そのうち、トラブルが発生したり、あるいは弾みがついて一心不乱になることがあります。そうなると感じが高まり興味や関心が出てきます。気づきや発見も出てきます。そうすると、意欲ややる気が出てくるようになるのです。しだいに仕事が面白くなり弾みがついてくるのです。家庭でも、炊事、洗濯、掃除、家計のやりくり、近所との付き合いは必要最低限の仕事になります。そのことだけでも、一日のうちの多くの時間を費やすことになります。子供がいる家庭では、子育てに割く時間も要ります。介護の必要な家庭では、そのための時間も必要です。神経症に陥ると、それらに割く時間が極端に少なくなります。おざなりになり、他人に依存するようになると精神状態も不安定になってしまいます。逆に日常茶飯事を丁寧にこなすようになると、神経症は少なからず克服できるようになります。それは行動・実践によって精神交互作用が断ち切られるからです。地域活動には、自治会の活動、講中の活動、マンションでは管理組合の活動などがあります。私は集談会の活動はこの地域活動の一環ではないかと考えています。これらを見てみぬふりをして生活するということは褒められたものではありません。積極的にとは言わないまでも、ある程度の地域活動に参加しないと生活しづらくなってきます。いざというときに助けてもらえる人がいなくなってしまいます。少しでも活動に参加することによって、近所で知り合いが増え、円滑な人間関係を築くことができます。神経質の人は、好奇心が旺盛です。あれもやってみたい、これもやってみたいと思っている人が多いようです。その気持ちに沿って、何でも手を出してみる事は、自分の人生を豊かにしてくれるように思います。私は老人ホームの慰問活動を年間30回ぐらいは行っています。。サックスの演奏、どじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術、腹話術などの芸を日々磨いています。それぞれの人の趣味は様々に違うと思いますが、いくつかの趣味に取り組むと生活が豊かになるようです。次に歳をとってくると、ほとんどの人はいろんな持病を抱えています。健康に暮らしていくために、食べ物、運動、やりがい、経済的な自立、認知症について、普段から手を打っていくことは、人生90年時代といわれる今日ではとても大事なことだと思います。それらを無視した生活をしていると、仮に長生きをしても、ガンなどの難病に罹りやすく、最後は寝たきりになり、脳の機能が失われることになりかねません。このように意識して生活の幅を広げることを心がけて、バランスのとれた生活をしていると、ちょつとした不安や問題があるたびに大きく落ち込むという事はなくなってくると思われます。
2018.04.15
閲覧総数 1476
14
高良武久先生は、神経質なひとの自己中心というのは、普通言われている自己中心な人とは違うと言われています。一般的には、自己中心的な人は、人に何を言われても平気、身勝手、わがまま、厚顔無恥で無神経、強引、傲慢、横柄な人のことをいいます。こう言う人は周囲の人から嫌われます。自己愛性人格障害の人はまさにこのような人です。神経質な人はひとから嫌われてはいけないという気持ちを持ち合せているために、そういう自己中心的な行為はとらない。ひたすら注意や意識が自分に向かう。自己内省的になる。わずかな他人の言動を大きく拡大して、傷ついてしまう。挙句の果てには、自己否定に陥り、行動は逃避的になる。長谷川洋三氏がこんな話をされていた。海外へ単身赴任をする夫を空港まで見送りに来た奥さん。空港には会社関係の人が何人か見送りに来られていた。それを見た奥さんは、突然何も言わずにその場を離れて車に戻った。というのはこの奥さんは赤面恐怖があった。赤くなった顔を会社の人が見たら変に思うのではないか。きっとそう思うはずだ。さらにそんな醜態は夫にも迷惑がかかるのではないか。夫に迷惑をかけてはならないと考えたのだった。そこでとっさに身を隠そうと思い立ったのだった。神経症の人の自己中心の典型的な例である。これを見て会社の人はどう思うか。なかには体の調子でも悪くなったのかなと思う人もいるかもしれない。でもたいていは、思いやりのない冷たい奥さんだなと思われるのではなかろうか。自分の思いと周囲の人の見方が反対になってしまっているのである。一方で生活の発見会の会員の中には、こんな人がいた。神経症に陥ってつらい日々を過ごしていた人が、森田療法のおかげで、よくなってきた。会社でも仕事本位になり、着実に成果を出して昇進も果たし、周囲の人に評価されてきた。ところが、その人が集談会に来ると自信満々でアドバイスをするようになったのだ。自分の体験をもとにして、叱咤激励するものだから多くの人に煙たがられているのである。岩田真理さんによると、ごく一部の方ですが、神経症を克服した人で、頑固で、自己主張が強く、どこか尊大で、人の気持ちや場の雰囲気などおかまいなく自分のいいたいことを言う人がいます。ときどき「あの人は神経症があった時の方が付き合いやすかった」と評されているのです。この人は、神経質症の症状のために劣等感で苦しんでいたのが、裏返って優越感になっているのかもしれない。(流れと動きの森田療法 岩田真理 白揚社 10ページより引用)こう言う人は根が自己中心的な人であろうか。多少はあたっているかもしれない。私が思うには、この人は「半治り」の人だと思います。「半治り」の人はこういう状態を現す人もいるのである。表面的には、まさに自己中心的な人そのものである。こう言う傾向のある人は、是非とも完治を目指していってほしい。どうして「半治り」状態に甘んじておられるのか。それは森田の完治を、「症状はあるがままに受け入れて、なすべきをなす」ことだけにこだわっておられるからである。森田理論では、治り方は大きく分けて2つあると紹介している。もう一つの治り方は、「かくあるべし」的思考方法を少なくしていくことである。そのことを森田では「思想の矛盾」を解消していくと言っている。「半治り」の人は、半分は治っているのである。いいところまでは到達しているのである。ところがその先、前進することを止めてしまったために、自己中心の弊害が出てきたのである。また、現状の自分を認めることができないために、心の底からスッキリとした展望を描ききれていないのである。「かくあるべし」を修正して、事実や現実を大切にするようになった人は、他人を叱咤激励するようなことはしない。他人の話をよく聞き、受容と共感で相手に寄り添うことができる人である。つまり、厚顔無恥で無神経、強引、傲慢、横柄な人ではなくなる。それはいつも現実、現状、事実から出発できる能力を獲得しているからである。そういう視点で、集談会に参加している人を見ていると興味は尽きないのである。
2016.08.05
閲覧総数 1064
15
森田先生は事実には、「主観的事実」と「客観的事実」があると言われている。たとえば心臓麻痺恐怖の人がいるとする。医者が検査してあなたの心臓は問題はない、大丈夫だという。これは客観的事実である。しかし本人はやはり恐ろしい。医師の診断に納得できない。これは、主観的事実である。この時、患者は大丈夫だという客観的事実と、自分は怖がるものであるという主観的事実とを認めなければならない。神経症に陥っているような人は、客観的事実を無視して、主観的事実に重きを置いている。本来は客観的事実と主観的事実を天秤にかけて、調和のとれた考え方や行動をとることが大事なのである。バランスのとれた思考ができなくなって、主観的事実に振り回されている状況である。傍から見ているとなんでそんなに強情なのだろうと見えてしまう。でも本人は真剣である。真剣であればあるほど滑稽で異質に見えてしまう。もっとわかりやすい例がある。イソップ物語のすっぱいぶどうの話である。腹を空かせたキツネがぶどうの木を見つけた。ところがぶどうの木が高くて手が届かない何回ジャンプしてもぶどうを取ることができない。そこで狐は負け惜しみで、あのぶどうはきっとまずくて食べられるようなものでは無いはずだ。自分のぶどうを採って食べたいと言う気持ちを欺いた。そして自分はもともとぶどうは好きではなかったのだと思おうとした。また、そのぶどうを取る力がない自分に対して「自分は何をやってもダメだ」と自己否定をした。ここでの紛れもない主観的事実は、ぶどうを採って食べたいという気持ちである。しかし、努力しても、その欲望が叶えられないので、逆にその気持ちを抑圧しようとしたのである。森田理論では、腹が立つ、悔しい、嫉妬する、不安である、悲しいなどのネガティブな感情でも人間の意志の力でなくしてしまおうなどと考えてはいけないといういくら理不尽で嫌な感情であっても、感情自体に良いも悪いもない。どんな感情でも価値批判しないでそのままに受け入れることが大切なのである。この場合の客観的な事実は何であろうか。自分は背が低くて葡萄に手が届かないということである。それでもぶどうを食べたいという気持ちがあるなら、その障害を取り除くべく、なんらかの手立てをする必要がある。例えば、何か台のようなものを持ってくる。あるいは脚立のようなもの探してみる。いずれにしろ、目的が達成できるようにいろいろと工夫をするようになる。ただし、ぶどうが食べたいという主観的事実を無視していると、そのような建設的な方向には向かない。感情をねじ曲げたり、自己否定、自己嫌悪の方向に向かう。ここで大事なことは、主観的事実をありのままに素直に認めるといういうことである。これを無難に通過すると、客観的事実のほうに注意や意識が移っていく。するとそこに存在する問題や課題を解決するために、いろんな気づきや発見が生まれ、やる気やモチベーションが次第に高まってくる。そういう意味では、主観的事実と客観的事実は「かくあるべし」でやりくりをするのではなく、どこまでも事実に忠実に従うという態度をとることが大事になる。主観的事実と客観的な事実を、今の自分にとっての主観的事実とは何か、あるいは現実に目の前に立ちはだかっている客観的な事実は何かに分けて、どちらの方にも偏ることがないようにバランスを意識することが大切なのだと思う。
2017.07.10
閲覧総数 10897
16
イチローさんのスランプ脱出法が面白い。イチローはスランプのとき、いきなりベストの状態に戻そうとは考えていない。スランプのときに一番良い状態を思い出すと、理想の状態と現実との大きなギャップを感じて余計に苦しくなる。良くも悪くもない普通の状態、つまり中間地点を修正の参考にしているという。普通の選手は好調時のフォームをビデオで見て、現在どこが問題であるか、どこを修正すれば元に戻るかという風に考える。理想の立場から現実を見つめていると、次々に問題点が出てくる。あれもこれもすべて修正しなければ元の状態には戻れないと考えるから苦しくなる。ダメだ、難しい、自分には無理だと考えると、脳内を防衛系神経回路が駆け巡ります。こうなると笛吹けど踊らずという状態になります。スランプの改善が進まなくなります。そしてすべてを放りだして、あきらめてしまうのは問題です。反対に下から上目線で、一つか二つに絞って改善していると、活路が開ける場合があります。そして弾みがついてくると果然やる気が高まります。小さな成功体験が自信を育てて、脳内を報酬系神経回路が駆け巡るようになります。どんどん好循環が生まれます。さらにセロトニン神経回路も作動するようになれば、欲望の暴走を制御できるようになります。これは減点主義ではなく、加点主義の考え方を採用するということです。神経質性格の人は、観念優先で理想を他人にも自分にも押し付ける傾向があります。どうしても非難、否定することが多くなります。上から下目線の態度になります。この考え方は減点主義の考え方です。事実や現実を受け入れて、そこから目の前の課題や目標にチャレンジするようにすると万事うまく収まります。これが加点主義の考え方になります。
2023.07.11
閲覧総数 113
17
世界的指揮者の小澤征爾さんは20代の頃ブザンソンの指揮者コンクールで1位になっている。また世界的名指揮者のバーンスタイン、カラヤン、ミュンシュに師事している。その人達から絶大な信頼を得て、海外では若き指揮者として評価が高かった。その小沢征爾さんが意気揚々と日本に凱旋し、 NHK交響楽団を指揮する機会があった。ところが、 NHK交響楽団員は指揮者小澤征爾さんを認めていなかった。実は当時のNHK交響楽団は、海野義雄氏がコンサートマスターを務め、東京芸大の出身者で固められていた。ところが、小澤征爾さんは桐朋学園の出身であり、 NHK交響楽団員にはランクが下と見られていたのだ。指揮を間違えるとか遅刻癖があるとか色々難癖をつけられて拒否されていた。でも大きな原因は、小生意気で学歴で劣る指揮者と共演はできないという気持ちが強かったようだ。ある日のコンサート当日、 NHK交響楽団員の全員が申し合わせて公演にやってこなかった。大人げない行動だが、これは事実だった。普通は突然このような理不尽な仕打ちを受けると怒り心頭となる。だれでもそうだ。その不快な気分を払拭するために、感情を爆発させるのが普通ではないだろうか。「いくら若いとは言え、世界で活躍している小澤だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ」と。しかし小澤征爾さんは、感情を爆発させるような事はされなかった。ここがすごいことだ。逆に理不尽な行動をとった人たちに対して、いつかは見返してやりたいとめらめらと闘争意識に火がついたという。自分の居場所は日本にはない。それなら海外で努力精進して、世界で一流と認められるような指揮者になろう。そして名オーケストラを引き連れて日本に凱旋したいと強く思われた。当時日本人が世界で活躍するという前例のなかった時代である。野球界では野茂英雄氏がその扉を開いていったが、それよりもずっと前の時代であった。一人で飛び込んでいかれたのだ。小澤征爾さんは、世界で著名なベルリンフィルやボストン交響楽団など世界を代表する楽団で研鑽を積んでゆかれた。そしてクラッシックの本場のヨーロッパやアメリカで世界的な指揮者としてその地位を不動のものとされた。その後世界の三大交響楽団の一つと言われているボストン交響楽団を率いて日本で凱旋公演を行うことができた。賞賛の嵐であったという。その当時を振り返って小澤征爾さんは次のように言われている。もし、 NHK交響楽団が自分を暖かく受け入れてくれるようなことがあったら、私は日本に留まっていただろう。そうすれば、世界の小澤征爾と言われるような世界的な指揮者にはなる事は出来なかったであろう。その当時は腹が立って仕方がなかったが、今現在はNHK交響楽団に受け入れられなかったからこそ今の自分がある。逆境こそ私の出発点であった。だから拒否されたが、今となっては感謝しかない。この話は、流罪や迫害に合いながらも、北陸や関東で布教活動を続けられ多くの門弟を育てられた親鸞聖人を思い出す。一時の感情に翻弄されることなく、自分一人の力で運命を切り開いてゆかれた姿に共感を覚える。運命は耐え忍んでいてはつぶされてしまう。森田先生が言われるように、運命は切り開いていくしかない。正岡子規、後藤新平、エジソン、野口英世などもそうだった。ここが森田理論に通じるところである。
2017.12.15
閲覧総数 789
18
自己中心と自分中心は、言葉がよく似ていますが、その意味する内容は全く違います。自己中心的な人は、他人に何を言われても平気、身勝手、わがまま、厚顔無恥で無神経、強引、傲慢、横柄な人のことをいいます。自分さえよければ、他人はどうなっても構わないという態度です。自分の利益のためならどんな悪事を働いても心が痛まない。他人を利用して、自分の利益を増やそうと考えている。自分の地位や名誉を上げるために、平気で他人を蹴落としてしまう。自己愛性人格障害の人はまさにこのような人です。自己中心的な人は、敬遠されて、最後には孤立や破滅への道を突き進むことになります。 自分中心というのは、そういう人とは全く違います。目指している方向性が違うのです。自分中心的な人は、自分の感情を否定しない、無視しない、抑圧しないで、湧き起こった来た感情にしっかり向き合い、正面から受け止めることができる人です。自分の気持ちや意志を大切にできる人です。そして自分のやりたいこと、自分のやりたくないことをしっかりと持って、自分の意志を相手に示せる人です。他人の言動にふりまわされないで、自分を認めて受け入れることができる人です。自分をかけがえのない存在として、自分を守り抜くという強い意志と信念を持っている人です。自己嫌悪や自己否定とは無縁な人です。どこまでも自己肯定感につらぬかれています。こういう自己信頼性の高い人は、少々の社会の荒波に対してもへこたれることはないと思います。森田理論でいえば、「かくあるべし」が少なく、事実本位の生活態度が身についている人です。私たちが森田理論学習によって目指しているのは、そんなところです。自分中心の生き方のできる人は、他人を責めたり、無視したりしません。他人の思惑よりは自分の気持ちや自分の意志の方に注意が向いているからです。他人の気持ち、感情を最大限に尊重します。他人の○○したい。○○したくない、といった欲求を尊重します。他人の「好き嫌い、快、不快、苦楽」といった感情を尊重します。他人の意志を尊重します。他人の「断る、取り組む姿勢」を心から認めます。それは自分も望んでいることであり、他人も当然望んでいることだということがよく分かっているからです。だから自分の「かくあるべし」を相手に押し付けることはありません。相手の気持ち、感情、言動の自由な動きを「あるがまま」に認めて尊重します。相手と自分の立場の違いがあれば、それをはっきりさせて調整を目指すことができます。自己中心的な人は、他人と常に対立関係にありますが、自分の感情や意志を大事に取り扱っている自分中心の人は、相手と友好的で調和しています。
2019.02.08
閲覧総数 8337
19
「太陽の塔」をデザインした岡本太郎さんは、「生きることは遊びだ」と言っている。「生きることは遊びだ。お遊びじゃないよ。お遊びは無責任なものだ。だからお遊びなんて、いくらやったって空しんだよ。いのちを賭けて、真剣な遊びをやらなくちゃ」「趣味なんかで人間はほんとうに生き甲斐を感じて、全人間的に燃焼することはできない。私は好奇心も強いし、何にでも新鮮な興味を覚えるタチだから、ヒョコヒョコと動き回っているが、それは自分の貫いている生き方のスジにかかわってくるものだから面白いのだ。遊びだが、その瞬間に全存在がかかっている。命がけの真剣な遊びなんだ。」「目的が大切なんじゃない。目的を定めて、突き進む、その姿勢、ダイナミズム、緊張感こそ生きている意味がある。それをみんな勘違いして、目的達成、目標まであと何歩、と自分をウツロにしている。目標に振り回されているから、達せられなければ、がっくり落ち込んでしまうし、達成されればしたで、あとどうしていいか解らない。空しくなってしまう」「たとえ成功しなかったとしても、その人は存分に遊んだ、十分に生き甲斐を味わったはずだ。だからそれでいいじゃないの。結果はどっちでも、もう報われている。遊びというものはそういうものなのだ。過程が問題なのだ。やっているときが面白いのだ。何かを達成して終わる、というものではない」(いま生きる力 岡本敏子 青春文庫より引用)岡本太郎さんはここで大事なことを2つ言っているように思う。まず「お遊び」と「遊び」は違うということだ。「お遊び」は神経伝達物質のドーパミンを出して、快楽神経のエーテン神経を刺激するものだと思う。でもこの手の快楽は決して長続きするものではない。「お遊び」で継続して快楽を得ようとすると、絶えず刺激を与え続けなければならない。また慣れると快楽が薄まってしまうので、しだいに強い刺激を与えることも必要である。ギャンブル、飲酒、グルメ三昧、異性との交際等が代表的なものだ。「お遊び」は人生の醍醐味という点からすると底が浅い。本来の「遊び」というものは、目先の刹那的快楽を追いかけるようなものではない。自分の関心や興味のあるものに取り組んでいくうちに、気づきや発見が次から次へと出てきて、感じが高まっていくものだと思う。そして課題や目標が進化し発展していくものだと思う。これは本来の人間の生き方にかかわるものである。こういう生き方を続けていくことが出来る人は素晴らしいと思う。森田的生き方もまさにそこにある。二番目に岡本太郎は、森田理論でいう「努力即幸福」のことを述べている。たとえ目標が達成できなくたって、十分に楽しめた。生きがいを味わったということに意味があるのだ。目的を定めて、突き進む、その姿勢、ダイナミズム、緊張感こそ大切なところだと言っている。目標達成至上主義に陥ってしまうと人生は苦痛になってしまう。全くその通りであると思う。
2016.04.07
閲覧総数 1466
20
森田理論学習の「純な心」でいつも例に出されるのが皿を割った時の話です。「しまった、おしいことをした」驚いて思わず繋ぎ合せてみる。ここから出発すればよいが、「こんなところへ皿を置いておくのが悪い」「いまさら繋ぎ合せても仕方がない」「どう言い訳をしようか」等と考えて対応策を考えていると状況は悪化していくということでした。平井信義さんが、子どもがお母さんの食器の収納の手伝いをしていた時、持っていた皿を割った時の対応について説明されています。皿を割ったことにこだわっているお母さんはこんなことを言います。「なにやってるのよ」「あんたがちゃんと持たないからこんなことになるのよ」「不注意な態度のあんたが悪い」「もう手伝わなくていいから、あっちに行ってらっしゃい」言葉だけではなく、なかには叩いたりして体罰をあたえる親もいます。そのうち、「あなたは普段から落ち着きがないからこんなことになるのよ」などと、皿が割れたこととは関係のないことを持ちだして、子どもを非難します。人格否定です。子どもは親から叱られるのをじっと聞いていると嫌になりますから、手遊びなどを始めるでしょう。そうしますと、「人の話をちゃんと聞いていない」などと言って、さらに叱ったり叩いたりします。子どもは皿を割った瞬間「しまった」と思っています。だから親はそれに輪をかけて叱りつける必要はないのです。皿は壊されたけれども、これを機会に、それを子どもの人格形成に役立たせるにはどうしたらよいのか考えてみることです。それには、失敗の体験を成功の体験に変えてあげることが大切です。そのためには「この次には頑張って上手に持ってね」と励ますことが必要です。こうした励ましの言葉によって、子どもは「この次にはこわさないで運ぶんだ」という決意とともに、困難に挑戦しようという意欲が盛んになります。そして子どもが次に挑戦してくる機会を待つことです。次に挑戦してうまくいくと、「ヤッタア」という気持ちになります。親は両手をあげて喜んであげましょう。こういう態度でいると、子どもは小さい成功体験を積み重ねて自信をつけて、自己の存在意義を確かなものにしていくのです。後始末はどうしたらよいでしょう。「自分でしたんだから、自分で片付けなさい」あるいは、「じゃまだからあっちに行ってらっしゃい」と命令し、自分でさっさと片付けてしまうのはいただけません。子どもの人格を伸ばそうとしているお母さんは、こわれた破片がどのように飛び散っているか、それをどのようにすればきれいに後始末できるかを、子どもに教えるために、子どもといっしょに後始末をするものです。大きな破片を取り除いた後、小さな破片は、新聞紙を水でぬらしてそれをちぎってばらまき、それらをほうきで掃くとか、ガムテープを使ってそれに貼りつかせるとか、いろいろな方法がありますから、それらを子どもに教えることは、次に失敗をしたときの後始末を自分できちっとすることのできる子どもを作っていくわけです。つまり子どもは、親がいなくても、壊したものを適切に処理することができるようになるのです。(子どもの能力の見つけ方伸ばし方 平井信義 PHP参照)
2016.05.27
閲覧総数 2393
21
私の経験です。私はその当時中間管理職で部下として男性2人と女性の社員が6名いました。ある時、私が知らない間に主力メーカーの営業マンが、私を除く全員を飲食接待していたということがありました。あとからそのことを部下から聞いてとても腹立たしく思いました。普通メーカーの接待と言うのは、その組織の責任者に声をかけることが多いものです。それを差し置いて内緒で部下全員に声をかけて、自分だけが仲間外れにされていることに無性に腹が立ってきたのです。そこでメーカーの営業マンに電話して散々嫌味を言ってしまいました。そういう態度ならお前のところからの仕入れは一旦外させてもらうというようなことを言ったと思います。すると支店長と営業マンが飛んできていろいろと言い訳をしていましたが、それは火に油を注ぐようなもので、私のイライラはどんどん膨れ上がり仕事が手に付かなくなりました。この問題を森田理論の「純な心」で整理してみたいと思います。腹が立って憤懣やるかたないというのは、「純な心」でいうと初二念だと思います。では初一念は何だったのか。「ショックだ。自分には人望がないのか。自分もみんなと一緒に誘ってもらいたかった」です。よりによって自分だけが無視されたことでつらく悲しい気持ちになった。でも私はその悲しいという感情をしみじみと味わうことはしなかった。私は「純な心」について学習していなかったので、初一念の感情を味わうこともなく、無視してしまったのだ。普通「純な心」を学習していない人はほとんどそうなってしまう。それは腹が立ったという初二念の感情が間髪を置かずにすぐに出てきたからである。そちらの方に気をとられてしまうからである。そしてうかつにも、これをもとにして行動を起こしたのである。と言うよりも当然にといった方がよいかもしれない。無意識的に怒りを爆発させて、精神的にスッキリしようとしていたのである。怒りを爆発すると少しは気分がせいせいとした。ところがその後のメーカーとの付き合いはぎくしゃくとして、長らく以前の関係のようにはゆかなかった。益々敬遠されてしまうようになった。そして他の部署の課長と仲よくするようになったので、対人恐怖症の私としては益々分が悪くなった。それをきっかけにして部下との関係も悪くなっていった。「純な心」を学習している今だったら対応を間違えない自信はある程度ある。まず、「ショックだ。自分もみんなと一緒に誘ってもらいたかった」という初一念を大事にする。ここを出発点にすると間違いないのだ。その感情を十分に味わう。そして自分の気持ちを「私メッセージ」として相手に伝える。初一念は積極的に言動に反映させた方がよいのだ。次に湧き起ってくる、無性に腹が立ったという初二念も十分に味わってみる。憤懣やるかたない感情を味わってみるのである。心の中で殺してやりたいほど相手のことを憎んでもよいのだ。この感情も十分に感じることが大切です。でも初二念は味わうだけにする。ここが肝心なところだ。初二念は決して言動には反映してはならない。ここを間違っている人が非常に多い。以前の私もそうだったのだ。その結果人間関係が悪化し孤立していった。仕事がやりづらくなり、生きることがつらくなっていたのだ。初二念からの言動はうまくいったためしがない。さて、森田理論の感情の法則では、どんなに激しい怒りの感情でも、ひと山越えるとしだいにおさまってくるという。永遠に続く怒りというものはない。だからおとなしくじっと持ちこたえていればよいのだ。それなのにその怒りを言動として吐き出すと、一山下るのではなく、まだまだ上り続けるということになる。火に油を注ぐことになるので簡単には収まらなくなる。だから初二念はどんなに激しいものであっても一旦持ちこたえるというのが正解である。さらに森田先生は、持ちこたえるというだけではなく、心を流転させる方法を勧めておられる。つまり目の前のなすべきことに取り組んでいけば、意識がその怒りから離れていく。新しい行動によって新しい感情が生まれてくる。するとその怒りの感情は速やかに終息に向かうと言われている。そういう意味では、ここでとるべき新しい行動は、初一念に基づく「純な心」を使った私メッセージの発信をお勧めしたいのである。まとめて見ると、初一念の感情はともすると見落としてしまう。でも必ず初一念の感情はあるはずなので、見落としても遡って思い出してみることが大切である。次に初一念も初二念の感情も両方ともよく味わってみる。それから、初一念の感情はそのまま相手に言動として吐き出してみる。「純な心」からの言動は相手とけんかにならない。かえって同情されることの方が多い。初二念の感情は絶対に言動に表してはならない。心の中ではどんなに相手のことを恨んでもよい。感情の法則を応用して嵐が過ぎるのを待つという気持ちを持ち続けなければならない。それを促進する方法がある。つらい気持ちを持ちこたえながら目の前のなすべきことに取り組んでいくのである。これらをすぐに習得するのは難しいと思う。うまくいかないと言って嘆くことはない。最初からうまくいくことは難しい。10回のうち2回か3回うまくいけばきっと物にすることができると思う。是非とも身につけてもらいたいものである。
2016.11.05
閲覧総数 135
22
作家の三島由紀夫は強い完全主義者であったと言われている。彼は約束事を重んじることで有名だった。自分自身、遅刻したこともなかったし、誰かが遅れてきたときには15分以上待つこともなかった。作曲家の黛敏郎とオペラの仕事をしたとき、黛敏郎の作曲が締め切りに間に合わなかった。黛敏郎は詫びを入れ、上演時期の延期を申し出たそうだ。ところが三島由紀夫は、そのその提案を無視して作品の上演自体を取りやめた。以降、三島由紀夫は、黛敏郎と絶縁した。最初、予定された通りでなければ、妥協してまで行おうとはせず、むしろ白紙に戻してしまうのである。約束を破る人を大目に見るということはできなかったのである。彼の完全主義は他人に向けられるだけではなく、自分にも向けられていた。彼は大蔵省に勤めていたとき、家では午前2時ごろまで執筆して、朝早く仕事に出るという生活だった。睡眠時間は3時間から4時間だったという。さらに、原稿の締め切りを1度も破ったことはない。どんなに酒席で盛り上がっていても、 10時になるとさっと切り上げた。極めて厳格的、禁欲的で、自己コントロールの利いた生活ぶりだったのである。三島由紀夫の小説家としての絶頂期は、 29歳の時に刊行した「潮騒」、31歳の時の「金閣寺」、 「永すぎた春」である。残念ながら、その後刊行した小説の売れ行きはよくなかった。三島由紀夫の不振とは裏腹に、大江健三郎など、次世代の作家の作品が世間の話題をさらい、売れ行きでも三島をはるかに超えるようになった。さらに追い打ちをかけたのが、川端康成がノーベル賞を受賞したのである。三島由紀夫自身も毎年ノーベル賞候補に挙がっていたが受賞することはなかった。40歳を過ぎた三島由紀夫の関心は、自分の人生をいかに劇的に締めくくるかに向けられていたようだ。自衛隊での自決当日に最後の作品が編集者に渡るように段取りしていたという。最後まで原稿の締め切りを守り、予定していたシナリオ通りに人生の幕もおろしたのである。完全主義といえば、ノーベル賞作家のヘミングウェイや川端康成もそうだった。不完全な人生に耐えられなくなって最後は二人とも自殺している。あまりにも完璧を目指す生き方は、順風満帆で成功している間は問題はない。でも人生山あり谷ありが普通である。完全主義者は谷の時につまずく。一度歯車が狂い、自分が思っているように事が運ばなくなると、不完全な自分を許せなくなるのである。長所も欠点の数だけあるという見方ができないのである。また人生には波があるという認識がないのた。歯車が狂うと全部が悪いような気がしてくる。考えてみれば、私たち神経質者も完璧を求める傾向がとても強い。完全主義者である。普通神経症の人はちょっとした体の不調を見逃すことができない。何度も病院で検査を受ける。対人恐怖症の人は、必要以上に他人の評価が気になり、人前に出ることが億劫になる。不完全恐怖の人は、取越し苦労だと分かっていても、戸締まりやガスの元栓にとらわれる。完璧を求めるあまり、日常生活が停滞し、自分を否定し、対人関係がぎくしゃくしてくる。岡田尊司氏は、完全主義に陥る原因は、一つには親の育て方に問題があると言われる。完全主義にこだわる人は小さい時から、優れた結果を残したときしか評価されなかった人である。優れていなければ、価値がないという親の価値観に縛られて育っていることが多い。つまり、それは本当の意味でその子の価値を肯定され、愛されたと言うよりも、優れているという条件付きで、愛情や承認が与えられたということなのである。親の要求水準に達しない期待はずれの子どもは、否定され叱られることが多かった。親から無条件の肯定という形で、承認を与えられてこなかったのである。それが、大人になっても完全・完璧な人間でなければ、自分は社会に受け入れてもらえない。他者から愛されることがなく、認めてもらえないと生き延びていくことはできないというトラウマになっているのである。岡田氏は、不完全な存在こそが安定したものであり 、それを受け入れ、さらけ出せることが、人から受け入れられ、愛されることにもつながるのだといわれる。うまくいかないことや、思い通りにならないことがあっても、それはそれで人生の醍醐味だと受け止める。うまくいかないことにも何か意味があるはずだと、そこから何か宝物を見つけ出す心がけが、その人を幸福にしていくことだろう。苦労や失敗もまた楽しめばよいのである。もちろんうまくいっているときには幸せを満喫すればよいが、うまく行かない局面では、またそれだけの味わいがあるものだ。後から考えれば、うまくいかないことばかりで苦しんでいたときは、 一番必死に生きていた時だという感慨を覚えるものである。成功する時の輝きもよいが、苦悩し悶々と過ごす日々は、もっと深い人生の味わいを教えてくれる。なんともいえない切なさや悲しみ、悔い、無念さ。そうしたネガティブな感情こそ人生を人生たらしめているものなのである。幸福なだけの人生など、甘いケーキばかり食べさせられるようなもので辟易してしまうだけである。幸か不幸か、誰の人生も良いことと悪いことがほどよく織り交ぜられているものだその人がどれだけ幸福かは、よい事が人より多く起きるということではなく、悪いことにもどれだけよい点を見つけられるかなのであるといわれている。この考え方は森田理論に通じている。(あなたの中の異常心理 岡田尊司 幻冬舎新書参照)
2017.04.19
閲覧総数 1137
23
アドラーは、「怒りは第二次感情である」と言っています。人は不安や恐怖、嫉妬、寂しさ、無力感、自己嫌悪など、自分の中に受け入れがたい「一次感情」があるときに、それを隠すように怒るという言動をとるものだという考えです。例えば、幼い子供が危険な行動をとり、ヒャッとさせられた親が「危ないじゃないの」と言って怒ることがあります。このような言動の前には、そんなことをすると子供がケガをするかもしれない。大事故に巻き込まれるかもしれない。命を落とすようなことになるかもしれない。こうした第一次感情が隠れているという考えです。現実には子供に怒りをぶっつけているのですが、前提として「びっくりした、ハッとした、心配だった」という第一次感情があるのです。これは森田理論でいう初一念という直観的な感情のことです。第一次感情は、心配だった、不安になった、恐ろしかった、寂しかった、悲しかった、がっかりした、嫉妬したというようなものです。素直で直観的な感情です。ところがこの第一次感情は、意識することもなく、すぐに消えてなくなるという特徴があります。そして人間には引き続いて第二次感情が出てくるようになっているのです。そしてつい、これに基づいた言動をとってしまうのです。この感情は目の前に起こった出来事や事実に対して、弁解、言い訳、ごまかし、隠ぺい、逃避、否定が含まれているのです。相手に対しては叱責、非難、拒否、無視、抑圧、否定などがあります。観念や理性に基づいた「○○しなければならない」「○○であってはならない」などという「かくあるべし」が多分に含んでいるものです。「かくあるべし」を優先した言動は、現実や事実と激しく対立します。すぐに自己嫌悪、自分否定、他人否定で対立関係に陥ります。怒りはこの第二次感情に基づいての言動ということになります。第二次感情に基づいた言動は、弊害だらけというのはお分かりだと思います。突発的な怒りの感情は6秒でピークに達し、それをやり過ごすことができれば次第に沈静化するといわれています。その6秒さえやり過ごせば、怒りに任せて他人を傷つけたり、人間関係を悪化させる行動を控えることができやすくなります。それに加えて、第二次感情を見極める習慣を作ることが大切になります。自分や他人を批判、否定するような気持ちはすべて第二次感情です。そんな時は第一次感情に立ち戻ることが肝心です。危険な行為をしている子供に対して「だめだ、すぐにやめなさい」ということも時には大切です。でももっと大切なことは、第一次感情に立ち戻れるかどうかです。この例で言えば、「お父さんはびっくりした。とても動揺した。でも何事もなくてうれしかった」ということになります。その言い方のほうが子供との関係はよくなってきます。これが森田理論で学習している「純な心」の生活面への応用ということになります。
2019.10.27
閲覧総数 7374
24
プロ野球のファンの人で、ひいきのチームが負けるとイライラして不機嫌になる人がいます。負け試合を振り返って、監督や選手の批判を始めます。選手の采配や、チャンスに凡退した選手をこき下ろすのです。辛辣な解説者や評論家のようです。それでも憤懣やるかたない不快感はどうすることもできません。その日のプロ野球ニースは見る気にもならない。次の日の朝刊も見る気にもならない。次の日も不快な感情でいっぱいで生活や仕事、対人関係に悪影響を及ぼしています。ストレスを発散するはずの野球観戦が、逆に自分の精神状態を混乱させている。この問題はどのように考えたらよいのでしょうか。こういう人は、ひいきのチームが勝って、存分に快の感情を味わいたいのです。ところが勝負事には負けることもあります。しかし負けてしまうと、不快感という不利益をまき散らすので、決して受け入れることができないのです。ましてやイライラや不機嫌な精神状態は、同時に身体面の不調も招いてしまうのでなおさら許せないのです。スカパーを契約して全試合を見ている人や年間指定席券を買って球場に出かけて応援している人などは、その傾向が強いと思われます。かわいさ余って憎さ100倍といった感じです。これは境界性人格障害を持った人とよく似ています。過剰に誉めたかと思うと、気に入らないことがあると、手のひらを変えたようにこき下ろすのです。感情の起伏が激しすぎて、人間関係がすぐに壊れてしまうのです。そんな不快な感情に振り回されるのが嫌なら最初から観戦などしなければよいと思うのですが、試合のある日は朝から楽しみにしているのです。これは勝てば何とも言えない至福の心境に至ることを神経細胞が覚えているからです。これは脳の快楽神経系(エーテン神経)にきっちりと埋め込まれており、たびたびその快感を味わいたいという神経の仕組みが出来上がっているのです。この状況は程度の差はありますが、一種のプロ野球観戦依存症といわれるものです。依存症には、ご存じのように、薬物、アルコール、ギャンブル、パチンコ、ニコチン、ネットゲーム、買い物、仕事などいろいろあります。最初何気なく始めたことが、得も言われぬ快感になり、しだいにのめりこんでいくというものです。そのうちそれなしでは生きていけなくなる。最悪の場合、自己破産、家族崩壊、刑事沙汰、精神的・身体的不具合を起こします。いったん依存症に陥ると、そんなことは分かっていても、自分の力で抜け出すことは大変難しい。もがけばもがくほどアリ地獄の底へと落ちていく。それはドーパミンなどの神経伝達物質がエーテン神経を刺激して、快楽を得続けるというシステムが常時作動しているからです。もしこれを遮断すると、精神的にイライラしてじっとしていられなくなる。不快、不安、焦燥感が襲ってきて、それを解消するために、また依存対象に手を出していく。そして、さらにのめりこんでいくようになる。エスカレートして使用量が増える。アルコール依存症になると、医師の指導の下に回復を目指すことになる。断酒会に入って仲間同士で励ましあう。その時は完全にアルコールは絶つそうだ。一滴でもアルコールを体内に入れると、脳が目覚めて元の木阿弥になる。プロ野球観戦依存症はそこまで行きつくことはないと思うが、その心理的メカニズムは他の重篤な依存症に近いという事を自覚しておくことが必要だと思います。
2020.08.24
閲覧総数 7729
25
斎藤茂太氏のお話です。ストレス学説を打ち立てたカナダの故ハンス・セリエ自身が「適度なストレスがないと人類は滅びる」といっている。世界の長寿村を調べると共通する要素が見つかる。長寿の地域の人々はかなり厳しい労働をしていることと、もうひとつは適度のストレスがあるということである。例えば、暑さ、寒さがはっきりしているところでは長生きする人が多い。有名な旧ソ連のコーカサスの長寿村も寒暖の差が激しいところで、夏は暑く冬は寒い。気候が温暖なところ、花が咲き乱れるようなところではかえってあまり長生きしていないのである。緊張を強いる「ストレス」がないと人間は、ちょっとしたことでも壊れやすい存在になる。人生もこれと同じであって、多少の揺れはむしろ必要だといってもいいのである。(逆境がプラスに変わる考え方 斎藤茂太 PHP文庫 20ページ)ストレス研究の筑波大学の田神助教授は次のような実験を行った。ネズミを2つのグループに分けて3週間実験を行った。1つのグループは、毎日餌を好きなだけ食べさせて、温泉に入れた。もう一つグループは、餌を少ししか与えなかった。さらに毎日水泳をさせた。その後、両方のグループを寒さにさらした。風邪をひいたのは、餌を腹いっぱい食べさせて温泉に入れたグループであった。空腹と水泳をさせたストレスいっぱいのように思えるグループは風邪を引かなかった。しかもキラー細胞(ガンを攻撃する細胞)という免疫機能の働きを調べると、空腹と水泳をさせたグループのほうか強かった。この結果から、適度の運動を実行して、適度のストレスを受ける方が免疫力が高まることがわかった。動物行動学のケーニッヒという人が、青サギを使って次のような実験を行った。食べ物を十分に与えて飼ってみると、最初はどんどん増えていくそうです。ところが、あるところまで増えていくと、そのうちだんだんと減ってきて、そして最後には絶滅したという。卵を産んでも返さないとか、子どもができても餌をやらないなどのことが起きてくる。環境が整いストレスがなくなると、子育ての意欲が骨抜きにされるということです。それよりも自分の生活をより豊かにすることに関心が向いてくる。一般的にストレスや悩みを抱える事はよくないことであると受けとめられている。しかし、実際にはストレスや悩みがまったくない順風満帆な生活を送っていると、心身の健康を損なうケースが多くなる。反対に適度なストレスや悩みを抱えながら、日々の生活に立ち向かっているほうが心身ともに健康体となる。心身の健康を保つためには、仕事や家事に取り組むときに、意識して問題点や課題、改善点や改良点を見つけ出すように心がけることが理にかなっている。それらはすべて宝の山になる。発見したときは忘れないようにすぐメモしておく。課題や目標に意欲的に取り組むと心身の健康に役立つことを発見した。
2024.05.23
閲覧総数 29
26
不安の立場に立って、神経症で苦しんでいる人を観察してみました。そうすることで双方の関係性がよく見えてきます。不安は不安から逃げ回っている人を見つけると嬉しくなります。自分の居場所や活躍の場を見つけることができるからです。アフリカのサバンナで獲物を見つけた肉食獣のようなものです。思わず不敵な笑みがでてしまう。不安から逃げまくり、取り除こうと必死になって努力している人を見ると、俄然力がみなぎってきます。相手を身体的、精神的に二度と立ち直れないほど叩き潰してしまいたいと考えているのです。最後に息の根を止めることが目的なのです。勢いづくとますます戦力を増強して立ち向かってきます。一旦アリ地獄の底に落ちてしまうと脱出することは容易ではありません。太平洋戦争を戦った日本とアメリカのようなものです。日本はうかつにもアメリカが仕掛けた挑発に乗ってしまったのです。戦争を開始する前、日本軍の上層部はアメリカに勝てるのではないかと思っていました。しかしガダルカナルで敗北してしまうと後退を余儀なくされました。最後には原爆まで落とされて惨敗しました。さて、不安にとって挑発に全く乗ってこない人は厄介な人です。不安は欲望があるから湧き上がってくるものだ。不安や症状を持ちこたえたまま、生の欲望にのって「なすべきをなす」方向に舵を切っている人は「のれんに腕押し」状態となります。張り合いがない。居場所がない。活躍の場がない、手持ち無沙汰で時間ばかりが過ぎていく。こういう人は見るだけで嫌気がさしてしまう。こんな人と付き合うのはイヤだ。逃げたほうが得策だ。武力の増強はもってのほかで、むしろ戦力の縮小を考えざるを得なくなるのです。そうだ、不安から逃げ回っている人や取り除こうとしている別の人に乗り移ってしまえばいいのだ。森田理論学習で不安の特徴や役割を理解している人は厄介です。そして不安と欲望の関係をよく分かっている人もどうすることもできない。不安の方は相手を痛めつけようとしているのに、相手は不安を自分の味方に取り込み、欲望が暴走しないための抑止力として活用している。昨日の敵は今日の味方という関係を築いているのです。不安の方も自分の本来の役割を与えられて、別の意味で存在価値を発揮している。居場所や活躍の場を与えられているので反撃するよりも居心地がよい。むしろ相手の役に立っていることがうれしいと思えるようになってきた。不安の特徴や役割を身に着けている人は、不安を大事な仲間として付き合っていることになります。さらに不安を大いに活用しているのです。昨日の敵は今日の味方になっています。取り入れた相手と共存共栄の関係に入ってしまっています。当初の目論見とは全く違う関係が出来上がってしまうのです。この関係は不安と敵対していた時には考えられないことです。不安の方としても、自分の存在価値を認めてもらい、働き場所を提供してもらっているので異存はありません。こういう関係が出来上がれば、双方とも友好的で、安全、安心、平和な幸せの時を享受できるようになるのです。こういう方向性をみんなでめざしていこうとしているのが森田理論学習なのです。素晴らしい世界が広がるように思えませんか。
2024.05.27
閲覧総数 38
27
五木寛之氏のお話です。生きていれば誰しも、不幸な出来事や死にたくなるような情けない局面に直面することがあります。また、「泣きっ面に蜂」とはよく言ったもので、トラブルや不幸というものは重なるものです。そんな弱りきったときに「人生には無限の可能性がある」「夢は必ず実現する」といったポジティブ思考は何の役にも立ちません。五木さんは、12歳の時、北朝鮮のピョンヤンで、敗戦を迎えました。頼りにしていた母親を失い、それまで正しいと思っていたことはすべてくつがえされ、目を覆いたくなるような悲惨な状況の中、九州に引き揚げてきました。引き揚げても住む家さえなかった。それを身の不幸と思いました。でも考えてみれば、自分よりも不幸な子供たちはたくさんいた。私はそんな時、徹底したネガティブ思考でしのいできました。「人生とは苦しみの連続である」と覚悟を決めたのです。そうすると、その諦念の底から、かすかに湧いてくる力がありました。「それしかないなら、引き受けるしかないな」という、「居直りのエネルギー」です。私は、これこそ、真のポジティブ思考なんじゃないかと思うのです。ネガティブ思考を突き詰めていくと、いつか底を打ちます。するとそこから、新しい力が生まれてくる。このように、ネガティブ思考から生まれたポジティブ思考は相当に強いものです。捨て身で覚悟を決めたこころから生まれてきているのですから。もしあなたに、次々と不運が襲ってきたら、無理にそれに対抗しないことをお勧めします。むしろそれを柔らかく引き受け、そして居直ってください。居直るということは覚悟を決めたということです。すると、ちょっと味わったことのないようなパワーが湧いてくると思います。それが仄かなものでも、あなたの覚悟という基盤から生まれた新しいエネルギーです。そのエネルギーを使って、あなたなりのポジティブ思考をしてみてはどうでしょうか。(ただ生きていく、それだけで素晴らしい 五木寛之 PHP 44ページ参照)稀に最悪の状況に追い込まれながらも、発奮材料に変えることができる人がいます。そういう人は、ミスや失敗、最悪な環境や境遇がエネルギーの供給源になっているのです。そういうネガティブ要素がなかったなら、普通の人で終わっていた可能性が高い。これは、森田でいう最悪の事実にきちんと向き合うことができたからこそ可能になったと考えられます。多くの人は、最悪の状況に追い込まれて、なすすべもなく没落していく傾向が高い。それは、理不尽で自分の思いどおりにならない現実を、非難、否定しているからだと思います。事実をあるがままに認めることができれば、葛藤や苦悩はなくなります。その結果、貴重なエネルギーの無駄使いがなくなります。事実にしっかりと足場を築いて、夢や目標を見上げることができれば、そのエネルギーを使って、逆転人生の始まりとなります。これが五木氏の言われている「居直りのエネルギー」の発揮のことです。このことを森田では「生の欲望の発揮」と言います。森田では神経症を克服した人は、生の欲望に目覚めて見違えるほど活動的になります。
2023.02.20
閲覧総数 641
28
現在の「森田理論学習の要点」の前に、「森田理論学習の実際」というのがありました。37ページに「行動や気分には波がある」というのがあります。緊張した後には緩みがくる。動いた後には疲労がくる。気分が高揚した後には、気分が沈む時もある。いつも同じような調子は続かないで、緊張・弛緩・好調・不調の波が循環しているということでした。私たちはこうしたリズムがあることを忘れ、常に緊張・好調を望み、弛緩・不調といったものはあってはならないと考えてしまう。体がだるい、物事に集中できないといった身体の不調は、その前の2、3日の生活を振り返ってみると、多くの場合、緊張や好調のあとにやってくる。そのような時は、素直にその時の状況に従い、決して無理をしないように、その時にやるべくことをやっていく。なるべく自然のリズムに合わせていくことが大事になります。自然には強弱がある。リズムがある。波がある。一本調子で緊張、好調が持続することはない。緊張、好調の後には、いつかは弛緩、不調の状態がおとずれる。それを理解していないと、今の好調な状態がいつまでも続いていくような錯覚に陥る。反対にスランプに陥ると、どこまでも奈落の底に落ちてしまうと思ってしまう。これは認識の誤りです。リズムや波がうねっていることを理解することが肝心です。理解しているとどん底に落ちたときに慌てふためくことが少なくなります。波が持ち上がってくるのをじっと待つことができます。波の底にいるときは、墜落しないことだけを注意する。淡々と最低限の生活を続けていけば必ず上昇してきます。投げなりになってすべてを放り出してしまうのは考えものです。仮に波の底にいるときに慌てふためくと、そこは一番底で、その下に二番底、三番底が口を開けて待っていることになります。リズムや波の法則が機能しなくなり、最後はなすすべもなく自滅してしまうことにもなりかねません。リズムや波が理解できたら、次に調整を心がけるようにしたいものです。森田先生は風邪をひくのは寒いときに外から帰宅して、炬燵に潜り込んで転寝をするようなときだと言われています。これは緊張状態にあった心身の状態を、急に弛緩状態に転換するために起きるのです。人間の心身のコントロールは照明器具のスイッチの切り替えのようにはいかないと心得ておくことです。スポーツでも激しい運動をした後は、クールダウンしている。人間の心身の状態もそれに倣いソフトランディングを心がける必要がある。無理をしないように心がけていると、上手くリズムや波に乗れるようになります。
2024.05.20
閲覧総数 36