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生活の発見誌の5月号に青木薫久先生の興味深い記事があった。これをもとにして、私なりに考えてみました。森田療法では、「神経症」というよりも「神経質症」という言葉を使う。「神経質症」というのは、神経質性格を持っている人が「神経症」を発症した場合を想定している。では神経質性格というのはどんな特徴があるのか。1、繊細で細かいことを大きく心配する性格である。2、神経症を何としても治したいという強い欲求を持っている。3、自分の心身の状態を細かく分析する傾向がある。自己内省性がある。4、症状について強いこだわりがある。強い執着性を持っている。性格にはプラス面とマイナス面があります。プラスに活かすことができれば、神経質性格ははぐくみあいのある性格となります。ところが、マイナス面が表に出てくると、日常生活に支障が出てきます。また症状のために生きづらさを抱えるようになってきます。森田療法では、厳密にいえば、神経質性格を持っていて、行動や観念の悪循環で苦しんでいる人を「神経質症」と呼んでいるのです。狭義の神経症と言ってもよいかも知れません。しかし、神経質性格を持っていない人でも、不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、観念上、行動上の悪循環に陥っている人もいます。これは広義の神経症と言ってよいものです。たとえば、集談会に本人がやってこないで、子供が不憫でかなわないといって親が参加される。本人には親がこの会に参加したことは知らせていないという。医師やカウンセラーに森田療法を勧められたので集談会に参加してみた。自分が神経症に陥ったのは、親の神経質性格が影響している。親に責任を取ってもらいたいと訴える。うつ病や他の精神疾患、不登校、出社拒否、人間関係、身体的病気などの問題を抱えている。問題は、こういう人たちに森田療法が適応可能なのかどうか。青木先生は、神経質性格傾向の乏しい神経症は、通常、森田療法の適応外となりますと指摘されています。私は集談会で一緒に森田理論学習をする仲間としては次の2点は必須であると考えています。1、神経症を何としても治したいという意欲が感じられる人。2、他責の気持ちよりも、自責の念で苦しんでいる人。これに当てはまる人は、森田理論学習に取り組むことで、神経症を克服し、神経質性格者の人生観確立に向けて大いに役立つと考えています。
2022.06.24
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日本森田療法学会の神経質症状の診断基準により自己診断の参考にしてみてください。これにより森田療法及び森田理論学習の適応者かどうかが分かります。(一部分かりやすくするために内容を訂正しています)まず次の2項目が当てはまる人。A、 自己の症状(悩み)に対して違和感を持ち、苦悩、苦痛、病感をともなう。B、 自己の今の状態(性格、症状、悩み)をもって環境に適応できないのではないかという不安がある。次の5項目のうち2項目以上があてはまる。C、 症状がおきるのではないかという持続的予期不安がある。(予期不安)D、 主に一つの症状について悩んでいる。(防衛単純化)E、 自分の症状、悩みは特別、特殊なものであると考えられる。(自分の悩みの特別視)F、 症状、悩みを取り除きたいという強い意欲を持っている。(症状克己の姿勢)G、 症状の内容が、通常の生活感情から連続的で、了解可能である。(了解の可能性)次のような傾向があるかどうか。H、 精神交互作用がみとめられる。(注意と感覚の悪循環がある。注意狭窄に陥っている)I、思想の矛盾が認められる。「こうありたい」自分と「現在のこうある自分」とのギャップに対して常に葛藤している。J、 この症状さえなかったら自分はなんでもできるはずだ。あるいは不安、恐怖の全くない状態を望んでいる。次のような性格特徴があるか。・内向性、弱力性(下記5項目すべてが当てはまる)1、 内向性(自分の存在全体について、過度に内省し、劣等感をもつ)2、 心配性(細部にこだわり、なかなかそこから抜け出せない)3、 対人的傷つきやすさ、過敏性(些細な人の言動で傷つく、人の言動が気になる)4、 心気症(自分の身体や感覚に対して過敏となりやすい傾向)5、 受動的(イニシアティブを取れない、消極的、新しいことが苦手)・強迫性、強力性(下記の5つの項目のうち1つ以上があてはまる)1、 完全欲(強迫的に完全にしないと気が済まない)2、 優越欲求(負けず嫌い)3、 自存欲求(プライドが高い、自尊心が強い、人にちやほやされたい)4、 健康欲求(常に心身とも健康でありたい、全く不安のない状態を望む)5、 支配欲求(自分や周囲を自分の思い通りにしたいという欲求が強い)(回復の人間学 北西憲二 白揚社 131ページより引用)
2016.03.09
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「甘えの構造」の著者の土居健郎氏によると対人恐怖の様相が変化してきているという。「遠慮」が必要となる人間関係を中間帯とすると、その内側には、「遠慮」の必要のない身内の世界があり、またその外側にはやはり遠慮する必要のない「他人の世界」がある。「遠慮」必要なのは、仕事での仲間、上司、お客様などである。また隣近所の人などである。要は利害関係が絡んでいる人間関係であろう。内側の「遠慮」の必要のない身内とは、家族、気心の知れた友達とか、趣味の仲間とか、会社の同僚などである。ところが今の若者は、友達や親友に対して非常に気を使っているのである。決して本音を出すようなことをしてはいけない。また相手を傷つけるようなことをずけずけと口に出してはいけない。あたらず触らずのよそよそしい関係になっているのである。つまり現代社会では友達などは「遠慮」しなくてもよい身内の世界から、「遠慮」しなくてはいけない、中間帯の位置に変化してきたのである。また一方で、会社の取引先とか、お客様に対しては低身低頭最大限「遠慮」して気を使わなければいけない相手である。ところが、お客様がちょっとクレームをつけると、「僕は間違っていません。お客様が間違っています。注意してもらわないと困ります。」と言って逆ギレしたりするのである。本来気を使うべき相手と気を遣わなくてもよい相手が混乱しているのである。昔当然と思われていた人間の付き合いができなくなり、衝突したり、ぎくしゃくするようになってきました。そうゆう変化が起きているということは、頭の中に入れておいた方がよいと思います。
2013.03.26
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2010年NHKテレビで放送された番組に、大学生が一人で学生食堂に行って食事ができずに、トイレに行って一人で弁当を食べるというのがあった。一人だけで学食で食べていると、「友達がいない孤独な奴」「ネクラな奴」と人からみられるのがイヤだというのである。一緒に食べる友達ができずに、大学へ行くのが億劫になり、ついには中退し、退学する学生もいるという。ある大学では、そんな学生のために、カウンセラーが一緒に昼食を食べるサービスをスタートさせたという。会社でも、得意先と大きなトラブルが発生し、上司がすぐに先方に行って謝ってこいと言われた社員が、先方に出向かずメールで謝ったという笑い話がある。得意先からのお叱りの電話を受けた上司がその社員に事情を聞いたところ、面と向かってはしどろもどろになると思ってメールにしましたと答えたという。対人緊張の強い人は、人の思惑が極端に気になる人です。それも悪い方にばかり考えて、予期不安で全く行動ができなくなります。現代の人の行動を見ていると、対人恐怖はより深刻になっていると思われます。そいう意味では、一般教養として森田理論の学習は学校教育の中に取り入れる時期にあるのではないでしょうか。そういう人が300万人はいるという試算があるのである。また神経質性格を持っていて人の思惑が気になる人、なんとかしたいという意欲を持っている人は真剣に森田理論学習をされたらよいと思う。学習されることによって、認識を深めて、対処の仕方を見つけていくことができます。
2013.03.25
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元ヤクルトの古田捕手は、僕が「ストレートでいこう」とサインを出した時、ピッチャーが変化球を投げたいと思ったら首を振ればよい。しかし若い選手は首を振ると先輩に悪いと思うのか、首を全く振らない人がいます。選手が首を振っても、ここはストレートがよいと僕が判断すれば、またストレートのサインを出すだけです。つまり自己主張がないのが問題だというのです。自分の思いをきちんと伝えないと相手の考えていることが分からず、信頼関係は生まれないと言っています。森田先生も同じことをいっています。西郷隆盛などは自分の意見をしっかりと持っていた。でもそれを押し通すことはなかった。みんなの意見を聞いてそれが大勢を占めていれば、自分の意見と違っていてもそちらにしたがったといいます。また自分の意見がまったくないのは盲従であって、私のいう柔順ではないと言っています。納得ができないと思いながらも、森田先生のいうことであるから、しぶしぶでも手をつけてみる。これを柔順という。
2013.03.13
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「神経症の時代」の著者渡辺利夫氏によると流浪の俳人、種田山頭火は神経症であったという。山頭火は父の放蕩と蒸発、母の自殺、弟の自殺、兄弟姉妹の早死、家の破産、離婚など人生の艱難辛苦をなめた人であった。その苦しみを逃れようと、酒におぼれて忘れようとしたがかなわなかった。仕事も長続きしたものはなかった。幸い全国に句会仲間がおられたのでその人たちを頼りにして、法衣を着て全国を行乞しながら流浪するしかなかった。山頭火の代表的な句 「分け入っても 分け入っても 青い山」振りほどこうとあがけばあがくほど頑固にこびりついて離れない執着、それがこの山の緑だ。執着を振り払って少しでも安らかな心境を手にしようと必死に努めても、いや、努めようとすればするほど執着が強くなってゆく。一つの山を通り抜けても、また別のもっと深い山に分け入ってしまう。これは森田の精神交互作用のことですね。苦悩、煩悩、不快な感情をなんとか意のままに操ろうとしたが、なかなか思うようにならない。最後には森田理論で学習するようにあるがままに受け入れていくしかないという心境に達したと思われる。「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし」
2013.03.05
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先日「レ・ミゼラブル」という映画を見てきました。あらすじはジャヴェル刑事が、脱獄したジャン・ヴァルジャンを、法の守護者として執拗に追い詰めていくという物語です。ところが、ジャヴェル刑事は、自分の身の危険を顧みずにある青年を救おうとするジャン・ヴァルジャンの態度に心を打たれて、逮捕することができなくなる。ここに至って法の番人として今まで生きてきた自分の生き方がもろくも崩れてしまい、そんな自分を受け入れることができなくなり、自殺してしまいました。これは、神経症で悩んできたものからすると大変違和感がありました。ジャヴェル刑事は国家、社会、組織、正義など既存の制度、仕組み、既成概念等に忠誠を尽くすことに生きがいを感じている人間でした。我々神経症で悩んできたものは、自己中心的であり、会社や国のために自分を犠牲にするような生き方は理解できないのである。ここでいう自己中心は注意が常に自分自身に向いているということである。そういう意味では、アメリカの精神病分類の中に自己愛パーソナリティー障害というのがある。その中に過敏型というのがある。その考え方にぴったり当てはまるのが我々である。特徴としては1、人の反応に敏感、2、内気で自己抑制的、3、人のことを気にする。4、注目されることを避ける。5、傷つきやすい。などが挙げられている。つまり人の眼ばかり気にしているのが、この過敏型自己愛者である。この過敏型自己愛を昇華するのにアメリカと日本では違いがあるという。アメリカでは自己愛を満たすべく積極的に自己主張してゆく。日本では自己主張をできるだけ抑えて、相手がこちらの自己主張を満たしてくれるのをひたすら待つ。自己愛をみたすかどうかはすべて相手の出方次第という風潮がある。私はこの部分は、アメリカ的になっていくことが森田理論に近づく道であると思う。
2013.03.02
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大原健士郎先生の話である。神経症の人はよくしゃべる。1時間でも2時間でもしゃべる。しかしうつ病の人は青白い顔し、質問に対してもボソボソと答える。頭はさも重そうにうなだれ、診察室の机にもたれかかるように座っている。神経症は、エネルギーはたっぷりあるが、うつ病の人はエネルギーを消耗し尽くしたような感じである。神経質の人は元気がよいので、浜松にある私の病院にも、北海道や四国などの遠方からもやってくる。うつ病は消耗しきっているので静岡あたりから来るのが限度である。うつ病の人は食欲が著しく減退して、それとともに体重が10キロも20キロも減少することがよくある。神経症の人は体重の減少はあまりない。食欲がないといって間食をしていることが多い。うつ病の人は、いろんな妄想(実際にありもしないことをあると確信し、訂正不能である)が起きてくる。神経症では妄想を示すことはない。うつ病の人は悪くなると、思考も行動もテンポがのろくなり、ちょっと見ると痴呆のような状態になる。神経症はこのような状態になることはない。神経質な人は概して自己中心的で、自分本位である。したがって周囲の人からは、「あの人はなんでもよくできるが、ちょっと人柄がなあ」といった批評を受けることが多い。それに比べるとうつ病は、概して自分を犠牲にしても他人に尽くすといった、他人本位の性格が目立つ。そのため周囲の人から敬愛されている。
2013.03.02
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シドニーオリンピック女子マラソン優勝の高橋尚子を育てた小出義雄さんは、高橋さんがなぜ強くなったかということについて、長年の監督としての経験から一つ言えることがあるといわれる。「こうすれば強くなれる。今日はこの練習やって、明日はこれをやる。明日の朝はきついけどこれをやるよ。」と指導すると、時にはきついなあと思ったこともあるだろうけれども、自分なりに納得して素直に従ってきた。自分の気持ちは持ちながらも、監督のいうとおりに従ってきたのである。ところが、強くならない子というのは、素晴らしい素質を持っていても、「いや、監督、こんなにやったら疲れちゃいます。」「今日はジョクだけにします。」「私はこうやりたいんです」などといって、練習方法を自分で勝手にきめてしまう。中には私の指導方法についていけないといって辞めてしまう人もいる。実にもったいないことだ。これと同じことを森田先生もおっしゃっていました。納得ができないと思いながらも、森田先生のいうことであるから、しぶしぶでも手をつけてみる。これを柔順という。不従順な人は、「わからない」と断言して、少しも実行してみようとしません。実にもったいないことです。
2013.02.22
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対人恐怖症はアメリカの精神分析によると、回避性人格障害といわれています。その特徴を見てみましょう。1、人から非難、批判、拒絶されることに対する恐怖のため、重要な対人接触のある職業または学校活動を避ける。2、この人たちは、嫌われていないか、批判されずに受け入れてもらえるかが、確認できない限り、新しい友人を作ろうとしない。3、馬鹿にされたり、恥をかかされたりする場面に出会うことを恐れるあまり、行動を抑制したり、自分自身について話すのをためらったり、親しい気持ちになるのを控えたりする。4、批判されたり拒絶されたりすることに心がとらわれているために、社会的に常識的な事ができない。5、自分では社会的に不適切である。人間的に長所がない。または他人よりも劣っていると思っている。6、不適切感があるため、新たな対人関係が生じる状況で制止が起こる。7、恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的に危険を冒すこと、または新しい活動に取り掛かることに、異常なまでに引っ込み思案である。こうゆう人は負けず嫌いでプライドが高い人です。それが現実問題として、いつもびくびくとして繊細で弱弱しい自分を受け入れられなくで苦悩し、神経症に陥っているのです。こうゆう人は森田療法の適応者です。森田理論で複雑に絡み合った糸をほぐしてゆけば、症状を治してゆけます。どうか森田理論に注目していただきたいと思います。
2013.01.20
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それでは実際に次のチェックリストに基づいてご自分が森田療法の適応者かどうか判定してみてください。「はい」は、番号に○をつけてください。これは北西憲二先生の本に載っていた診断方法です。1.私は今の自分では環境に適応できない。(仕事や家庭や学校でうまくやっていけない)のではないかと不安です。2.私は今の悩みを非常につらく感じます。3.私の今の悩みは、自分の性格と関係があると思います。4.私はつらい場面がまた起こるのではないかといつも不安です。5.私の悩みは、他の人にはない特別なものだと思います。6.私はなんとか私の悩みを取り除きたいと思っています。7.現在、私は自分の悩みしか考えることができません。8.自分の悩みに注意を向ければ向けるほど、悩みは強くなってしまいます。9.私はこの悩みさえなかったら、自分の望むことができると考えています。10.私は今の自分を全くだめな人間と思っています。11.私はこうありたいという自分の欲望のため、苦しんでいます。12.私は自分の悩みを取り除くためにいつも努力しています。13.私は内気で、ちょっとしたことでも苦にするほうである。14.私は物事にこだわってしまい、なかなかそこから抜けだせません。15.私は他の人のいうことが気になったり、傷つきやすいと思います。16.私は自分の体や体の調子が気になる性分です。17.私は引っ込み思案で新しいことにとりかかるのが苦手です。18.私は物事をきちんとしないと、気になって仕方がありません。19.私は負けず嫌いです。20.私は自尊心(プライド)が強い方です。21.私は全く不安のない状態を望んでいます。22.私は自分の気持ちや周囲の人たちを思い通りに動かしたい方です。23.私は白か黒か、ゼロか100か、どちらかに決めないと気がすまないほうです。24.私は内弁慶(外ではおとなしく、内ではわがまま)です。25.私は理屈っぽく、頭でっかちのほうです。どうでしたか。15個以上に○が付いている方は森田神経質といえるでしょう。森田理論の学習があなたの症状や悩みの解決に役立つことでしょう。
2013.01.12
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最近は家族に付き添われて集談会に参加される方がいます。また本人は来られなくて、家族の方のみで集談会に参加される方もおられます。神経症者を抱えたご家族の方の不安、あせりは大変大きいものがあろうと思います。軽率にこうしたよいと簡単にアドバイスはできないのが現状です。ただ集談会の森田理論学習は本人がでてこられないとなかなか前に進みません。そこでまず森田療法とはどんなものか知ってもらうことが必要です。このプログを参考にしてもらったり、本屋で森田関連図書を一冊買って読んで見る。その他インタネットで検索などの手があります。いづれにしろ我々集談会の会員、他の自助組織の人たち、協力医、臨床心理士、各県の精神衛生センター、インターネットなど様々な情報源があります。それから本人が集談会に行ってみるのか、、協力医の診察を受けてみるのか、別の自助組織に行くのか、あるいは臨床心理士のカウンセリングを受けるのか選択されたらどうでしょうか。また生活の発見会では「家族のためのやさしい森田理論ガイド」(800円)を発行しています。この本には身近な神経質症例を多数載せています。家族の対応がとても参考になると思いますので一読される価値はあります。神経症になった家族がいる場合、過度に干渉する。必要以上に過保護になる。どう接したらよいか分からなくなり全く無関心を装う。といった対応は事態を悪化させるようです。ご家族に望まれる対応としては、本人を叱責したり、無理やり病院に連れて行ったりしないで、いろんな情報を集めて、その中から最もよい方法を本人に選ばせる。いずれにしろ、本人を温かく見守り、本人が自然に動き出すのを待つといった態度が必要となります。また、ご家族の方も森田理論を勉強されたら役に立つのにと思われる方が多いように思います。これから紹介します診断法をやってみて森田適応でしたら是非森田理論学習をされてみたらいかがでしょうか。それが本人にもよい影響を与えることになります。
2013.01.12
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森田先生は人間の気質を7つに分けておられます。神経質気質、ヒステリー気質、意志薄弱性気質、発揚性気質、抑鬱性気質、偏執性気質、乖離性気質の7つです。このうち我々のような神経質気質について「自己内省的で、なにかにつけて、自分のことを観察批判して用心深く、石橋を叩いて渡るという風である。すべて理知的で感情を抑制することが強い。したがって軽はずみではないがヒネクレである。自己中心的で、他人に対して、情愛が麗しくないが、信用をおくことができるという風である。」これを受けて、私はこう考えます。日本の人口1億2000万人として、「神経質気質」を持っている人は、少なく見積っても1000万人ぐらいはおられるのではないだろうか。7で割るともっと多いのですが、少なく見積もっています。その中には神経質性格のプラス面をいかんなく発揮して、充実した人生を送っておられ方もいらっしゃるでしょう。反対に、生活は維持しているが心の中になにかスッキリしないもやもやしたものを抱えながら生活しておられる方、マイナス思考から抜けきらない方、ちょっとした失敗やミスなどがあるとすぐに落ち込む方もおられるでしょう。そういう方が「神経質気質者」の1割と仮定してみると100万人になります。さらに、なんとか日常生活はこなしているが、神経症として症状が固着して、日常生活に支障をきたしている方が、1パーセントとして最低でも1万人はくらいはおられるのではないか。1割とすると10万人になります。この方たちは森田理論の学習をすると、症状が治るだけではなく、その後の人生がガラッと良いほうに変わる可能性の高い人です。私はこうした方たちに、森田理論学習の重要性について訴えたいのです。
2013.01.08
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(1)「神経症」は、生まれ持った素質に加え、あることにとらわれることによって起こってくるもので、いわゆる気質的な疾患ではないといわれています。(2)症状のきっかけは、人間にとっての自然な心理的・生理的現象を異常なものと思い、それを取り除こうとするものです。たとえば、人前で緊張したり、あがったりすることは、普通の人なら誰にでもあることです。これだけでは「神経症」ではありません。「神経症」になる人は、人前で「あがる」ことを異常と思い込んで、あがるまいとはからうことによって「症状」を形成してしまったのです。それを「とらわれ」と呼びます。(3)「神経症」の基盤にあるのは、強い欲求と抑制力・反省力です。そのため、神経症の人は反社会的行動な行動をすることは少ないといわれています。
2013.01.06
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森田先生の時代には治療対象は厳密に区分され、強迫神経症、不安神経症、普通神経症以外は森田療法対象外とされていたようです。ところが現在では、価値観の多様化、社会の変化に応じて症状も複雑になり、複合型の症状を呈している場合も少なくありません。従来、うつ病は森田対象外とされていましたが、現在は必ずしもそうではありません。うつ病患者の70%くらいは、抗うつ薬を服用することによって改善に向かい、だいたい3カ月から6カ月で本来の姿に戻ることができるそうです。ところが残り30%くらいの人はすんなりと回復しないそうです。長期にわたってうつ病が続き、抗うつ薬が有効に効かない場合があるようです。現在ではこのような方も森田療法の対象に組み込まれています。薬物療法と森田療法の組み合わせ治療によって完全にうつ病を治すことができます。うつになった原因の一つが神経症ということでしたら、森田理論を学習して以後うつ病を再発しないようにすることが大切です。気分変調症といって、うつ病ほどではないが、長期にわたり、気分の落ち込みが続き悩む人たちもいます。このかたたちは繊細で傷つきやすく、人に拒絶されることを恐れる傾向があります。この方々も森田療法で治療可能な代表的なタイプの一つとなっています。また最近は引きこもり、不登校が大きな社会問題となっています。このような方も神経質適応者かどうかの診断のうえ、条件に合う人は森田的アプローチで問題解決の糸口につなげる事例もでております。いずれにしましても、現代ではうつ病と神経症、統合失調症と神経症、神経症を治したいという意欲はあるが無気力で努力することは苦手といった幅広い症状に対しても森田理論は対応しております、神経症と他の病気との合併症状を併せ持った方は、一度、森田療法の協力医が全国におられますのでご相談されることをお勧めします。
2013.01.06
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森田理論は万能ではありません。心の問題を抱えたすべての人に役立つわけではありません。森田理論は「神経質性格」特徴を持った人に有効性を発揮します。その中でも特に症状をなんとか治癒したいという意欲を持っているかどうかが成否の分かれ目となります。あるお医者さんは神経症の見分け方について次のように述べられています。「神経質症の見分け方ですが、私はその人がどうゆう事情で診察を受けにきたのかということをまず重視しますね。その時、自分で森田に関する本を読んで、この病院を知ってひとりでやってきたという人がいます。こうゆう人はまず神経症といっていいですね。ところが一人で来た場合も、家でぶらぶらきままな生活をしている、そのために、家族が森田の本を読んで、こうゆう病院があるから行きなさいといわれ、自分は森田のことは何も知らないんだが来たという人がいます。こうゆうときは考えなければいけませんね。」家族と一緒に来た場合でもいろんなケースがあるようですので、本人の治療意欲や家族や他人に対して、過度な反抗的態度をとらないなどの見極めが必要となります。
2013.01.05
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