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元中日ドラゴンズの山本昌氏のお話です。何もやっても長続きがしないという方には必見です。取り立てた才能もない自分が、なぜ50歳まで現役選手としてマウンドに立つことができたのか。その最大の原因は「継続力」にあると思っている。だが、何事も継続するというのは苦しい。「よし、今日からダイエット。毎朝5キロ走るぞ!」と、決心は誰でもできるが、それを継続するのは至難の業です。そして、「オレは、意志が弱いな」と落ち込むことになる。これは意志が弱いのでも何でもない。継続するには目標が高すぎたのだ。つまり「目標値」を先に設定して、それを継続しようとすることに無理がある。「目標値」を成果から逆算するので、どうしても目一杯のものになる。そんなことが長続きするわけがなく、挫折して当然なのである。僕は逆発想する。「目標値」を成果から逆算するのではなく、継続できるかどうか、から考えて決めるのだ。たとえば毎朝走るなら、「何キロだったら毎日続けられるか」を考える。だから思い切って距離を短くする。5キロを目標にしたいと思ったら、1キロにする。これだったら、雨が降ろうがヤリが降ろうが継続できるからだ。たった1キロでも、1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と続けていくうちに「俺はやりとげている」という自信が腹の底から湧き上がってくるものだ。5キロの距離をノルマにして挫折すれば、「自己嫌悪」、わずか1キロでも継続すれば「自信」になる。どっちがいいか、言うまでもないだろう。10種類のトレーニングがあったが、僕はそれを3種類だけにした。ノートに10種類のトレーニング内容を書いて、その日に行った3種類のトレーニングに○をつけていった。3種類だけなら、10分もあればできる。本当は10種類全部やるのがいいことは分かっている。しかし、それをやれば苦痛になって続かないということもまた、僕にはわかっていたのだ。校時代から始めた2キロのダンベルトレーニングは30年以上も続いている。(継続する心 山本昌 青志社参照)小さな目標を設定して、継続すると習慣になります。習慣になると無意識的に体がすっと動くようになります。またそれが成功体験になり、自信になると言われている。自信の数が増えてくると、自己肯定感がでてくる。弾みがついて、さらに別の目標にも手を出すようになる。大きな目標への足掛かりにもなる。私の場合を振り返ってみた。生活の発見会に入会して37年である。地元集談会にはほとんど参加している。参加することが待ち遠しい。世話活動もしていて休むということを考えたことがない。仕事に携わって50年を超えた。今でもマンションの管理人の仕事を継続している。仕事を持っていると規則正しい生活の柱ができる。また決められた範囲内で自分の裁量で仕事ができる。仕事の中で身体を鍛えることができる。階段の上り下りを取り入れて毎日6000歩以上は歩く。わずかながら収入にもなり、冷暖房完備の管理人室を自由に使えるのでうれしい限りだ。このブログは11年5か月になる。その間毎日投稿してきた。習慣化しているので、無理なく継続している。毎日日記をつけて18年になる。よかったこと、感謝の気持ちを書いている。特になければ今日の出来事などを書いている。過去の日記は家族のイベント、毎年の予定がよく分かる。一人一芸のドジョウ掬い、しば天踊り、傘踊り、腹話術の口上、皿回し、アルトサックス、カラオケの練習は習慣化している。時々獅子舞と浪曲奇術の練習もしている。朝晩の草花への水やりと手入れ、メダカの世話は欠かさない。田舎での自家用野菜つくりは、シーズンになると1時間30分かけて毎週のように通いで続けている。毎年味噌作り、梅酒、ラッキョウ漬け、マフィン作りは続けている。山本昌氏の先に目標を決めるのではなく、継続できるところから取り組むという考え方に大賛成です。
2024.05.30
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依存症には、アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、通販依存症、ニコチン依存症、恋愛依存症など様々ある。私はある時期、パチンコ依存症になりかけたことがある。お金を湯水のように使うことはいけないということは、妻に指摘されなくてもよく分かっていた。しかし足が勝手にパチンコ屋に向いてしまう。自分の身体なのに制御不能になっている。脳が得体の知れないものに乗っ取られてしまったような感じだ。毎日1000円のこづかいしか持たないようにして必死に耐えました。3か月くらい経過して、パチンコ以外にもいろいろ楽しみがあると思えるようになってやっと足が洗えた。以来パチンコ屋には1回も足を踏み入れていない。依存症にはネズミを使った興味深い実験がある。同数のオス・メス合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ環境の異なる2つのグループに分ける。一方は一匹ずつ金網のオリの中にいれる。他方は広々とした場所(ラットパーク)に雄雌いっしょに入れて生活させる。そして両方のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を用意して、その後の様子を57日間観察した。9~13日後、ゲージのネズミたちはどんどん薬物の深みにはまる。一方広々とした場所のネズミたちは、自由にモルヒネが飲めるにも関わらず、ほとんど触れられずに自由な生活を楽しんでいた。19~23日後、ゲージのネズミはますます薬物を口にし、反面ラットパークのネズミは薬物を避け続けた。心地よい環境にあるラットパークのネズミたちは薬物に対する欲求がほとんど見られなかったという。この実験の結果、依存症の発症には、生活環境が大きく影響しているという結論に達した。自由を奪われて生活しているとストレスがたまります。それを解消しないと心身に重大なダメージを与えます。そこで手っ取り早く依存対象に手をつけるようになるのです。ドーパミンというカンフル剤を利用して、ストレスを緩和させようとしているのです。依存症は、誰でも最初は好奇心に突き動かされ、軽い気持ちで手を出します。そのときの快感が脳にしっかりと刻まれる。二度三度と手を出すうちに、しだいに脳がハイジャックされる。気が付いたときは、使用量がどんどん増えている。また中断すると禁断症状に苦しめられる。離脱症状と言われるものです。そのアリ地獄の底に落ちると、自分の意志の力だけでは依存症から抜け出すことは不可能となります。依存症に陥らないようにするにはどうすればよいのか。その予防法として考えられるのは、日常生活の中で過度のストレスをため込まないようにすることです。孤独、退屈、苦痛、不自由、人間関係などのストレスを極力抱え込まないことです。問題を抱えている人は信頼できる人や集談会の先輩会員に相談することです。それでも難しい場合は医療のお世話になるしかありません。依存症に陥る人は生活が不規則になる傾向があります。規則正しい生活習慣を作り上げると抑止力が働きます。無意識のうちにすっと身体が動いていくような習慣を作り上げることが有効です。日常生活の多くを他人任せにしている人は精神的に不安定になります。特に食生活が大切になります。自分で料理を作らない。宅配を頼む。ファーストフードが多くなる。外食中心になる。これらは依存症の予備軍となります。日常生活の中で、小さな目標に挑戦して達成感や感動を味わうという楽しみがない。外から与えられる娯楽的、刺激的、享楽的な楽しみばかりを追い求めている。こうなると、身体は依存対象に引き付けられてしまいます。そうしないと精神的にイライラして苦しくなってくるからです。凡事徹底の生活習慣を身に着けて小さな楽しみや感動をより多く見つけることができるようになると依存症に陥ることを防止できます。
2024.05.29
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私たちは人から指示されてイヤイヤ仕方なくやることは、身が入っていないので出鱈目になりがちだと考えやすい。これに対して奥村幸治さんは疑問を投げかけておられます。私は現在、「宝塚ボーイズ」という中学硬式野球チームの監督をしています。そこで子どもたちに野球を教えていますが、最初によい習慣を身につけさせるには、監督やコーチ、親などから「やらされる」という外部環境も必要だと考えている。たとえばチームに入ったばかりの中学1年生に「自分の目標を持って練習をやりなさい」と教えてもできません。そこで、「キャッチボールのときはこういうことを考えながらやろう」とか「道具を大事にしよう」と具体的な話をしながら習慣づけをしていきます。すると初めは監督やコーチに「やらされる」だったことが、どこかで主体的に自ら「やっている」ことに変わっていきます。イチロー選手も小さい頃はお父さんに毎日バッティングセンターに連れて行かれていました。お父さんとキャッチボールをするのは純粋に楽しめていたかもしれませんが、毎日バッティングセンターに行くのは大変です。今日は行きたくない。つらい時期もあると思うのです。けれど、それを続けているうちに、「自分のなかに目標を作る」という意識づけができるようになったのではないかと私は思います。「やらされる」を「やっている」に変えると、目的意識ができて練習に張りが出てきます。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 40ページより引用)勉強や仕事でも最初から面白くてたまらないという人はいません。むしろ、取り掛かる前は億劫で、やらないで済むことなら、やらない方を選択したいと思いがちです。それが正直な気持ちです。でも、それに流されると、次の展開は望めません。気分本位で逃避的態度を選択することは、人間の本来性に背くことになります。ですからイヤイヤ仕方なしでも行動を起こすことがとても大切になります。そうはいっても、「楽をしたい。エネルギーを消費しないで休みたい。人が見ていなければさぼりたい」という気持ちの誘惑にまけて、堕落の道に真っ逆さまというのが実態です。そういう人を見つけると、首に縄を巻いてでも、オアシスまで連れて行くという人がいるということは、将来的に見るととてもありがたいことです。奥村さんは、とりかかる前は、本人がどんな気持ちだろうが関係がない。とにかく無理やりにでも、行動のきっかけを作っていく。その先はどうなるか分からない。イチロー選手のように、興味や関心を高めて、目標を持って主体的に行動してくれるようになることは理想ですが、そうならないこともある。その方が多いかも知れない。そういう場合は、別の面で刺激を与えるようにする。ここで大切なことは、最初の「やらされている」という気持ちが、イヤイヤ手をつける事で、好奇心が刺激され、疑問や関心や興味が生まれてくる呼び水になることがあるということです。そうなれば、つぎの課題や目標が生まれてきます。このようにしていつの間にか主体的な行動に変化してくるのです。課題や目標、夢や希望に向かって、努力精進するというレールに乗るかどうかは、最初は他人から強制されたことでも構わないということになります。子供を持っている親は、無理やりにでも多くの経験をさせて、きっかけづくりをする必要があります。集談会では、自分の日常生活や趣味などを開示して、他の参加者に刺激を与えることが大切です。集談会に参加する人は好奇心旺盛な人が多い。相手が刺激を受けて自分でも取り組んでみようと思ってくれれば紹介したかいがあったというものです。
2024.05.28
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森田理論学習の要点の「行動の原則」に「感情と行動は別物」というのがあります。対人感情には、憎しみ、反感、怒り、腹だたしい、嫌悪感、不愉快、憤り、むかつく、うんざりする等があります。こういう感情が湧き上がったとき、すぐに相手に反撃を仕掛ける人がいます。このような対応は一時的にカンフル剤的な効果はありますが、最終的には自分のほうが孤立してしまいます。そのことは誰でもよく分かっているのですが、同じような失敗を繰り返してしまう場合があります。その原因は、子供の頃に苦しみに耐える、欲しいものを我慢するという訓練や経験が不足していることが考えられます。そのつけが大人になって深刻な問題を引き起こしているのです。しかし子供の頃の経験不足を大人になって取り戻すことはできません。どのように対応すればよいのでしょうか。森田の感情の法則①で、「感情はそのまま放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである」とあります。この法則の活用方法を考えたほうがよいと思われます。腹立ちや怒りの感情は、そのままにしておくと自動的に反撃のスイッチが入ってしまいます。時間をかけてゆっくりと対応することは困難です。そこになんとか風穴をあけることを考える必要があります。2019年10月27日の投稿記事が参考になります。「突発的な怒りの感情は6秒でピークに達し、それをやり過ごせば次第に鎮静化すると言われています。その6秒さえやり過ごせば、怒りに任せて他人を傷つけたり、人間関係を悪化させる行動を控えることができやすくなります」腹が立ったとき、怒りでぶるぶる震えたとき、指折り数えて6秒待つという戦略をとるのは如何でしょうか。突発的な怒りの感情は一山登るのにたった6秒しかかからないということです。一山登れば後は下降していく運命にあります。6秒待つだけなら意識すれば何とかなるような気がします。それを座右の銘として持ち歩き、絶えず意識づけを行う。次に、相手から距離を置くことを考える。例えば「腹が痛くなったのでちょっとトイレに行かせてください」などと言って相手から離れる。そのようなことができるようになれば、「感情と行動は別物」として取り扱うことができるようになります。何度失敗を繰り返しても構いませんので、この能力を身に着けるように努力しませんか。そうなれば敢えて多くの人を敵に回すことはなくなるはずです。
2024.05.24
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2月号の生活の発見誌の記事(66ページ)からの引用です。森田療法では、布団上げなど家事の手伝いをすることを推奨しています。私は愚直に発見会に入会した時からこれを続けており、最近は家にいることが多くなったので、部屋掃除、食器洗い、洗濯、片付けなど、気分や症状に関係なく行っています。こういう日常生活の雑事を継続してやることで、日常生活が整い、それが癖になり継続の力となっています。集談会で毎日同じ時間に同じことをするルーティンを作りあげて、実行している人は、神経症に振り回されることが少なくなると聞きました。私の体験でも規則正しい生活は神経症を克服するための大きな力になると思っています。特に朝起床する時間を一定にすることが肝心だと思います。私の場合は6時20分です。それからは次々と流れ作業が続きます。これが習慣化してくると何も考えなくても身体のほうが自然に動いてくれるようになります。結果として前頭前野を休ませることができるのです。前頭前野は必要に応じて適宜活用するようにした方がよい。帚木蓬生氏は、悩みや心配は5分以上頭の中でひねくり回してはいけないと言われています。脳が傷んでくるからです。5分たったら、身体を動かし、脳を休ますようにするのが肝心です。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 45ページ)
2024.05.21
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森田先生はやるかやらないか迷うときは、いったんイエスと引き受けなさいと言われています。本当にそうなのでしょうか。ある人が会社の採用試験を受けた。会社は経理に精通し決算書が作れる人を求めていた。その人は簿記の資格を持っており、やり方を教えてもらえれば、何とかなるだろうと思って、「できます」と答えた。そして運良く採用された。ところが決算時期を迎えて、目的が果たせなかった。結局は会計事務所に依頼することになった。その人は解雇されたという。この方は作成能力がないのに、採用されるために安請け合いをしたのである。入社後死に物狂いで、決算報告書の作成、税務申告書の作成方法を勉強すれば何とかなったのではないかと思う。入社できたことが最終目的地で、その後の努力を怠ったので経歴詐称を働いたと思われたのである。森田先生が今の慈恵医科大学の前身である慈恵医学校で、「精神病学」の講義をするようになったのは、東京帝国大学卒業後9か月目です。その当時、1時間の講義をするのにその準備に8時間も要したのです。この時に、「自分はまだ講義をする実力がないから、1年先に延ばしにしてもらいたい」といったところで、オポチュニティーは頭の後が禿げているから、決して後ろから、つかまるものではありません。(森田全集第5巻 535ページ 要約引用)森田先生はイエスと答えたあと、その期待に応えるために、必死に努力精進することが必要だと言われている。自信のない事、能力不足なことを引き受けるからには、責任を果たすための覚悟と努力が欠かせないということです。もしその覚悟がなかったとすると、軽はずみで、信頼のおけない人だと判断される。大きな行事に参加申し込みだけして、そのうち気が変わってドタキャンする人がいます。主催者は宿泊や食事の手配、交通費の手当てなどの準備をしています。ドタキャンは主催者に迷惑をかけ、無責任な行為になります。あるいは運よく仕事にありついても、与えられた仕事をこなさないでさぼりまくる人もいます。イヤな気分に振り回されて、なすべき事から逃げてしまう人です。こういう人は「迷った時はイエスと答える」を安易に実行すると、信頼をなくして相手にされなくなってしまいますので注意が必要です。
2024.05.15
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株価は毎日上がったり下がったりしています。株の変動については、上値抵抗線という話を聞きます。これは株価が上昇していくときに、上値抵抗線に到達すると、跳ね返されて下がり始めるというものです。それが何度も繰り返される。ところが、何かをきっかけにして、その上値抵抗線を突破してしまうことが起こる。すると、今までの上値抵抗線は、驚くことに下値支持線に変わってしまう。下値支持線というのは、そこまで下がっても、そこから逆に反発するという抵抗線です。同じ場所にある抵抗線でも意味が全く違います。あるプロ野球の選手が次のように話していました。一旦乗り越えた壁は、今度はそれが自分を守る盾になる。この言葉の意味することを考えてみました。何度チャレンジしても失敗続きで跳ね返される。自分の能力では突破することは無理だ。自分は何をやっても失敗ばかりだ。世の中は自分に対して冷たいことばかりする。そのうち投げやりになって、端からあきらめてしまう。ところが、何回失敗しても、何回跳ね返されても、挑戦することをあきらめない人もいます。逆に益々闘志を燃やして果敢に挑戦する。そしてついには、どうにもならないと思っていた壁を乗り越えてしまう。乗り越えた人は一段階ステップアップした器の大きな人間に変身しています。ノウハウや自信をつかみ、さらに大きな目標に挑戦する人間に変身しています。小さな成功体験を蓄積していくと今度はその乗り越えた地点が出発点に変わるのだと思う。今まで目標でしかなかったところが、乗り越えた途端に自分を強力にアシストしてくれる盾のようなものに変身するということです。これはエベレストの登山をイメージすると分かりやすい。エベレスト登山ではベースキャンプを徐々に頂上に移動していく。ベースキャンプで準備万端態勢を整えて、そこを基点にして果敢に頂上にアタックしていく。神様は自分に乗り越えられないような課題は与えないと聞いたことがあります。神経症で苦しみ、のたうち回っている人は、きっと乗り越えることができる課題を与えられているのだと思います。私たちは幸運にも失意のどん底で森田理論に出会いました。同じ悩みを抱えて苦しんでいる仲間と知り合いになれました。神経質の執着性を活かして、仲間と協力しながら、森田理論学習を継続し、生活に応用するようにすれば、神経症はきっと乗り越えることができるはずです。また人生90年時代を自信を持って生きていくための人生観を確立できます。潮岬灯台
2024.05.13
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登山家の野口健さんのお話です。ヒマラヤは感覚の世界だ。登山中にいちいち理屈で物事を考えていたら遭難してしまう。1ヵ月間もヒマラヤにいると、雪崩や落石、氷河などの崩壊の危険に絶えずさらされているためか、音に敏感になる。また湿度や温度など、微妙な変化まで全身の毛穴や肺胞で感じとれる。厳しい環境の中で生き延びるために五感が研ぎ澄まされていく。ヒマラヤにいる時の自分の表情を写真で見て、その眼光の鋭さに驚いたことがある。人はなぜ、あえて危険な冒険に魅せられるのか。時に五感をフルに働かせ、生き延びることだけに必死になりたいのかもしれない。人間も動物だって同じことだ。(自然と国家と人間と 野口健 日経プレミアシリーズ 16ページ)野口健氏は、精神が緊張状態から弛緩状態になると、五感の機能はしだいに衰えてくると言われています。その日食いつなぐことに必死に生きている開発途上国の人たちを見ていると、第一目つきが違う。眼光鋭く、うつろで憔悴した目つきをした人はいない。身の危険を感じることがない。食べることに困らない。安心・安全で不安やストレスのない世界に身を置いていると誰でも五感は鈍化してきます。感性や感受性が廃用性萎縮現象を起こしてしまうのである。有り余る時間を、刹那的で刺激的な快楽で穴埋めしようとしている現代人は、緊張感がなくなり、五感は正常に機能しなくなっているのだろう。精神を弛緩状態から緊張状態に切り替えることは可能であると言われています。それは置かれた境遇や環境を変えてみることです。また行動を変えることによっても可能となります。そうかといって、我々はヒマラヤで登山をするわけにはいかない。開発途上国で暮らすことなど考えられない。ではどうするのか。それは森田理論が教えてくれている。それは、今この瞬間に集中して、ものそのものになって生活することである。日常生活に丁寧に取り組むことだ。凡事徹底を心がけることです。まずは食べること。食材を自分で作る。買いだしをする。下ごしらえをする。料理をする。味わう。後片付けをする。加工食品に挑戦してみる。あとは洗濯、清掃、整理整頓などである。そんな生活の中から、興味や関心、工夫や発見が見つかり、ささやかな幸せを感じる。生活のルーティンワークを確立してていねいに取り組むようになれば、緊張感が生まれて、様々なことに気づき工夫ができるようになります。すると精悍な顔つきに変わり、眼光も鋭くなります。
2024.05.08
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日常生活にはコントロールできるものとコントロールできないものがあります。コントロールできないものは次のようなものがあります。・自然に沸き起こってきた様々な感情・神経質性格、容姿、能力、境遇など・他人を自分の意のままに操ること・現実に目の前で起きた事件、自然災害、経済の変動などコントロールできるものはどんなものがあるでしょうか。・コントロールできることとできないことをきちんと区別するということ・目の前の現実に対応して必要なときに必要な行動をとるということ・様々な感情や事実をそのまま受け入れるということ・良い悪い、正しい間違いなどの是非善悪の価値評価をしないということ・他人の話をよく聞くこと。対立点を話し合いで解決するようにすること・どうすることもできない出来事を素直に受け入れるということコントロールできないものはあるがままに受け入れて、コントロールが可能なものには積極的に取り組むことが大切です。ところが現実ではそれがあべこべになっている人がいます。つまりコントロール不可能なものに積極的に取り組み、逆にコントロールできるものにはなかなか手を付けようとしない人です。神経症で苦しんでいるときはまさにこれが当てはまります。どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。コントロールできないものは、上から下目線で、よいか悪いとか、正しいとか間違っているとか、正義か悪かなどの価値判断をしています。自分の立ち位置を雲の上のようなところに置いて、現実や現状を自分の物差しを使って厳しく裁いているのです。この場合は積極的に行動していないので努力は必要としません。観念優先で行動がおろそかになり、消極的な生き方になります。コントロールできるものは、積極的に行動することですから、エネルギーを消費します。努力することが必要不可欠です。ある意味苦しいです。しかし、この方向を目指すと、問題や課題に果敢に挑戦する積極的な生き方になります。本来の人間の生き方になります。ただし、敢えてリスクをとって挑戦しても、必ずしも成功するとは限りません。そのために行動することを躊躇して、気分に流されて、静観するほうを選んでしまう。玉野井幹雄氏は、「積極的な生き方をする人」は、善いものをさらに増やそうと努力しますが、「消極的な考え方をする人」は、善いものを積極的に増やそうとしないで、悪いものを減らすことによって、結果的に善い状態になろうとしていると言われています。(いかにして悩みを解決するか 玉野井幹雄 自費出版 252ページ)森田理論は神経症的な不安、恐怖、違和感、不快感はコントロール不可能なものだと言われています。それらは、あるがままに受け入れて、コントロールできるものに積極的に取り組みましょうと教えてくれています。気分がどんなに行動することを拒否しても、必要なときに、必要に応じて、必要な範囲の行動を心がけていくことが極めて大切になります。そのためには、規則正しい生活習慣を確立して、頭であれこれ考えなくても、すっと体が動いていく状態を作り上げることが肝心だと思います。大きな目標を目指す場合も、この基本を無視していると、ザルで水を掬うようなことになってしまいますので注意したいものです。
2024.05.05
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キリンビールの社員でNKK活動と銘打った営業を展開した人がいた。それは1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした。「考えたら身体が動かなくなる。まず何も考えずにひたすらお得意様を訪問しよう」というものです。1時間25軒回るためには無駄話はしない。各得意先の訪問時間は約10秒。例えば、新商品のサンプルを置いてくる。リーフレットを置いてくる。情報を伝える。そんなシンプルなことを次々にやっていくのです。「どうもキリンです。新商品のサンプルです。お願いします」この営業マンの担当エリアは静岡だったのですが、「いちばん元気なビールメーカーは?」というアンケートに「キリン」と回答した割合が格段に増えた。活動前には18パーセントだったものが、1年後には40パーセントにも達した。常識的に考えると、得意先を訪問するときは、事前にしっかりと訪問計画を立てる。1軒当たり、ある程度の時間をかけて訪問し、信頼関係作りから始める。おのずと訪問件数は少なくなるが、それは仕方ないと考える。(キリンビール高知支店の軌跡 田村潤 講談社新書 要旨引用)この営業スタイルは、訪問営業のローラー作戦と同じものです。10件訪問すれば1件の成約が獲得できるという「大数の法則」に従って淡々と営業活動をこなしていくのです。断られたら自尊心が傷つくと考えている人にとって、実行は極めてハードルが高いのです。気分本位でイヤなこと、辛いこと、面倒なこと、気がすすまないことからつい逃避してしまう人も難しい。成約になることに確信が持てたときに営業活動をすると考えている人もハードルが高い。そんな無駄な訪問をするのは効率が悪い。時間の無駄だというのは考えものです。そう考えている人は失敗の経験が積みあがっていきません。営業能力の向上は、失敗の経験をいかに数多く積み重ねるかにあります。失敗することで成功のためのノウハウを身に着けることができるのです。ローラー作戦は優秀営業マンになるための登竜門となっているのです。さらに考える前に身体を動かすという営業スタイルが習慣化してくると、仕事をさぼることは居心地が悪くなってきます。周りで見ている人が、「そんなことがよくできますね。よく身体がもちますね」と言われてもピンと来なくなる。自分を鼓舞して、無理やり行動しているという気負いがなくなってくるからです。習慣化するということは、仕事がルーティン化しているということです。これはよい習慣だけでなく、悪い習慣も同様なことが起きますので注意が必要です。何も考えずに、同じ時間に、同じ行動が繰り返されるようになっているのです。気負いはありません。あくまでも毎日やるべきことを何も考えないで、淡々とこなしているだけなのです。平凡を積み重ねていくと、非凡な成果を生み出すということを忘れないようにしたいものです。
2024.05.04
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岡野雅行氏のお話です。仕事を長い時間、根詰めていると、物事のとらえ方に拡がりがなくなったり、融通が利かなくなったりするものだ。そうなると発想のパターンが同じになったりして、ひらめきというものが湧き出てこなくなる。忙しいとき、疲れたときでも、おれは、休憩はあまりしない。そういうときは、休むよりも、人と打ち合わせを入れたりするのだ。そうすることで精神的な勢いというか気持ちの張りが維持できるから、仕事の能率は下がらない。もし、仕事から、まったく離れて頭と精神のリズムを完全に止めてしまったら、再び、元のハイスピードのリズムを取り戻すのには時間がかかるものだからね。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ 52ページより引用)これは森田理論でいうと、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」のことです。私もこれを生活の中に積極的に取り入れています。昼間眠くなったときでも、頭を休めて、掃除や草花の手入れなどをしていると、気分転換になります。そして眠気もどこかに飛んでいき、様々なことが片付きます。逆に1時間以上も昼寝をすると、夜の寝つきが悪くなりますし、あとで後悔しますね。岡野氏は仕事を完全に止めてしまうのは、再びハイスビートのリズムを取り戻すのに多くエネルギーを必要とすると言われています。集談会では、症状でつらいときには、「超低空飛行」を心がけるとよいと聞いたことがあります。症状がつらいからといって、全く行動しなくなると、次に行動を起こすにはかなりのエネルギーが必要になります。ですから、仕方なく、ボツボツと日常茶飯事に手を出すことが大切なのです。行動には波がありますから、どん底はいつまでも続きません。どん底の次には波が次第に持ちあがってくるのが世の常です。ただし、完全に行動を中止してしまうと、どん底の下に次の底が口を開けて待っているということになります。つらいときでも必要最低限ことだけは手を出していくことが大事だと思います。
2024.05.02
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藤井英雄先生のお話です。ネガティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%弱くなり、ポジティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%強くなると仮定します。90回のネガティブな言葉を口にすることで、100の自己肯定感は40(0.99×90乗=0.4)に減少します。365回後には、(0.99×365乗=0.03)100から3になります。90回のポジティブ言葉を口にすると、自己肯定感は100から245(1.01×90乗=2.45)に増加します。365回後には、(1.01×365乗=37.5)100から3750へと膨れ上がります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版参照)普段の生活の中でネガティブな言葉を使っている場合が多いように思います。私は自分のカラオケをビデオ撮影したことがありました。最後に歌唱力の採点が発表されるのですが、そのときいつも否定的な言葉を発していた。「ああ、ダメだ」「悪すぎる」「最低だ」というような言葉です。このような否定的な言葉を聞かされた友達はイヤになったのではないかと思いました。私が反対の立場だったら、否定語を連発するような人と付き合うとこちらまで滅入ってしまう。否定語を使うことが多い人は、それが習慣となっていて、物事の良し悪しを判断するときに、ほぼ毎回ネガティブ、悲観的、否定的な言葉をしゃべっている場合が多いように思います。始末が悪いことに、そのことに自分では全く気付いていない。無自覚なのです。これを無知の知といいます。これは大きな問題です。ネガティブな言葉はすぐに取り消して、ポジティブな言葉に置き換えないと自己肯定感が持てなくなり、自己否定感が猛威を振るうようになります。否定語は、「ダメだ」「悪い」「最低だ」以外にもいろいろあります。「限界だ」「無理だ」「能力がない」「耐えられない」「我慢できない」「もう打つ手がない」「救いようがない」「難しすぎる」「厳しすぎる」「運がない」「ついてない」「あきらめるしかない」などがあります。肯定語もあげておきましょう。「すばらしい」「うれしい」「楽しい」「順調だ」「この調子だ」「がんばっている」「信頼しているよ」「申し分ない」「最高だ」「これでいいのだ」「助かった」「ありがたい」「感謝、感激、感動した」「やればできる」「この次はきっと大丈夫だ」「成功するまであきらめないぞ」「またチャンスはやってくる」「たいしたもんだ」「問題や課題が分かっただけで成功だ」「失敗は成功の糧になる」「ここは是非とも改善してみよう」「あきらめるには早すぎるぞ」「家族のためにも頑張るぞ」「英気を養って出直そう」「いいところもあった」「神様は乗り越えられない課題は与えない」「ここを乗り越えれば自信になるぞ」「自分ならきっとできるはず」「運命を切り開いて、ツキを呼び込むぞ」
2024.04.25
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先日テレビを見ていると日本人で仕事に対してやりがいのある人は5%しかいないということでした。後の95%の人は生活費を稼ぐためにイヤイヤ仕事をしている。高額な宝くじが当たればすぐに仕事はやめたい気持ちなのでしょう。欧米では仕事が苦痛だという人は50%くらいだという。その原因は次のようなものでした。ノルマがきつい。成果主義についていけない。物が売れない。仕事を教えてもらえない。上司が恐い。仕事が多すぎる。休んだときに代わりの人がいない。仕事が単調である。サービス残業が多い。有給休暇が自由に取れない。職場の人間関係作りが煩わしい。通勤時間が長い。給料が安い。いつリストラされるのか不安。社会保険に入れない。とくかくやる気が出てこない。無理やりやらされているような気持が強い。しんどい、きつい、面倒くさいが口癖になっている。どんな気持ちで仕事に取り組めばよいのか、さらに日常生活の心構えについて整理してみました。下線部分は私が特に力を入れている部分です。・仕事をするにあたっては生活費を稼ぐという目的をしっかりさせる。人間関係が良いに越したことはないが、人間関係作りを一番の目的にしない。・仕事をしているときは、問題、課題、改善点、改良点を見つけようという気持ちで取り組む。見つけたらメモして忘れないようにする。目的や目標が明確になれば仕事が面白くなる。・雑仕事を丁寧にする。仕事に追い掛け回されることが減ってくる。仕事にゆとりが出てくる。・職場の人間関係は不即不離を応用する。広くて浅い人間関係を目指す。挨拶、雑談は人間関係の潤滑油と心得て行動する。・仕事のルーティンワークを確立して、考えなくても体が動くようにする。・統率力のない人は、出世は望まない。マネージメントの仕事は極力断る。・仕事以外の人たちとの人間関係作りにも力を入れる。運動や趣味や資格試験などにも挑戦する。・子どもがいる人は子育ての勉強会に参加する。家庭での自分の役割をきちんと果たす。食事は自分で作る。・集談会の人間関係は大事にする。月1回の集談会には参加する。その他リモートの勉強会などにも参加してみる。・規則正しい生活習慣を作る。起床時間と就寝時間を決めて頑なに守っていく。・集談会や自治会での世話活動を引き受ける。花やペットの世話を行う。
2024.04.24
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子供が無理なダダッ子をいって泣く時に、どうすれば、これをやめさせることができるかと、判断ができず、見込みが立たないで、迷いながら見つめていると、いつの間にか子供が泣きやむ。こちらで解決の出来ぬうちに、子どもの方で自然に解決がつき、泣く時に対する最も正しき手段も、自らわかってくるのである。教育のない親、さては教育のありすぎる母など、でたらめにほめたり、叱ったりする。子どもは決して思う通りにならない。あまり自分の考えどおりにしようとするから、少しも子供の心理を観察することができないのである。(森田全集第5巻 323ページより引用)この間、 5つになる女の子熱海に連れて行ったが、感冒で熱が38度あまりも出たことがある。機嫌が悪くて、いろいろ駄々っ子をいう。寝ていなくてはならないといっても、 「抱っこ」と言って泣く。抱っこしてやれば、今度は、「外へ行く、外へ行く」という。熱があって気持ちが悪いから、風に当たればよかろうと、子供ながらに考えるのでしょう。考えてみると、大人もこんな風で、いくらも違わないようだ。少し分けのわかった母親は、子供の駄々っ子は、いい加減にあしらって静かに寝かせておくが、気の軽い親は別に深い思慮も何もなく、子供のねだるままに、なんでもその思い通りにしてやって、決して病のためにはよくない。(森田全集第5巻 459ページより引用)不安や不快な気持ちになったときの対応について説明されています。子どもの態度に同調し、慰めて励ますことは百害あって一利なしといわれている。神経症も不快な感情をすぐに取り除いてすっきりしたい気持ちになります。そのような態度は、火に油を注ぐようなものだと言われています。イライラして不快感でいたたまれないでしょうが、その気持ちを何とか持ちこたえるようにすることが肝心です。イライラする不快な感情に耐えて、どうしたらよいだろうかと工夫し気を揉んで、しばらく様子を見るようにする。そうすれば時間が経過とともに、相手のほうが勝手に折り合いをつけて収まってくることが多いということです。自分の考えを相手に押し付けることは「かくあるべし」を押し付けることになります。これでは時間の経過とともに、本来自然に収まるはずのものが益々こじれてしまいます。不快感を持ちこたえて様子見ができることは、一つの能力を持っているということになります。耐えて事態を静観するという能力を森田に取り組むことで自分のものにしましょう。京都 東寺
2024.04.15
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元サッカー日本代表監督の岡田武史氏の話です。コンサドーレ札幌の監督をされていた時は、当初単身赴任でホテル暮らしをされていたそうです。ホテルの部屋では試合のビデオを見ながら、ああでもない、こうでもないとサッカーのことばかり考えたいたそうです。それが監督の仕事ですから、食事をしている時も、風呂に入っている時も、バカみたいに考え続けます。でも、考え続けていると煮詰まってくるのだそうです。考えているわりには新しいアイデアや打開策は湧いてこない。そんなことを電話で家内にグチったら、「お父さん、マンションへ引っ越しなさい」と言われたそうです。引越せば、自分で掃除をしたり、洗濯をしたり、ご飯を作ったりしなくちゃいけない。それが気分転換になるというんです。引越したら家内の言うとおりでした。つまり、精神の安定に重要なのは生活なんですよ。メンタルコントロールには普通の生活が何より大事なんです。自分にとってサッカーは生きるか死ぬかの、厳しい気の抜けない世界だが、他の人間とってみたら、勝とうが負けようがどっちでもいいことだ。その事実の自覚は大切なことで、心をなごませてくれるシェルターにもなるし、自分の世界にのめり込みすぎないよう距離をとってくれる作用もあります。これに答えて将棋の羽生善治さんも、勝負とは無関係の日常生活が片方にきちんと担保されているということが、とても大切なんですね。将棋に勝っても負けても、家に帰ってくれば、普通の当たり前の生活、普通の時間が流れているということが、気分転換にもなり、心の停滞が防げることになります。(勝負哲学 岡田武史&羽生善治 サンマーク出版 132ページより一部引用)毎日決まった時間に起きて、毎日同じ時間に同じことをする。規則正しい生活を送るということが精神の安定に寄与している。毎日のルーティンを確立して、身体が自然に動いていくようにする。これを実行すると前頭前野を休ませることができます。帚木蓬生氏は5分以上考え続けると脳が傷むと言われています。何も考えなくても自然に体が動いていくのを基本にして、ときどき前頭前野を使って決断しながら生活をする。これが理にかなった生き方になります。
2024.04.08
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集談会でイヤイヤ仕方なしの行動の是非の話がでました。イヤイヤ仕方なしの行動は間違いだらけになりませんかと問題提起されました。本音が拒否しているのに無理やり行動してもしんどいばかりだといわれるのです。目標に向かって努力するのが人間の本来性と言われますが、その反面しんどいこと、面倒なこと、努力を要求されるようなことはパスしたい気持ちも持っています。その相反する二つの考え方が絶えず綱引きをしているようなものです。努力することがしんどいときはつい楽なほうに流されてしまいます。森田ではこの問題をどのように考えているのでしょうか。イヤイヤ仕方なしの行動を回避する人は、行動する前に頭で意欲を高めようとしているのではないでしょうか。事前に安心や確信や自信を作り出そうとしているようにみえます。頭で成功するためのシュミレーションを行い、80%くらいの成功確率があると判断できれば、そこで初めて行動に着手しようとする。成功確率がおぼつかないときは積極的に動くことを控える傾向があるように思います。失敗する確率が高いことに手を出すことは労多くして無意味だ。行動する前から成果が上がるかどうかの詮索ばかりしている。軽はずみな見切り発車は絶対にしたくない。やって見なければ結果がわからないのですが、失敗することを恐れてしまう。対人恐怖の人は他人からバカにされ、批判・否定することは受け入れられない。思い切って行動に移ったとしても、途中で躓いてしまうと、すぐに努力することをあきらめて撤退してしまう。こういう気持ちを持っている人は、引っ込み思案で体験不足に陥ります。子供の頃にけんかや失敗の経験を数多く積み重ねていると大人になってそれが生きてきます。反対に子供の頃にイヤなことや面倒なことから逃げ回っていると、大人になったときにどう対応してよいのか迷ってしまいます。結局目の前の障害を乗り越えることができなくなります。普通の人は嫌な気持ちになっても、必要なときに必要なことから安易に逃げてはいけないものだと考えています。また目的の達成は最初から頭で考えたようにうまくいくわけはないと考えています。目の前には数多くの試練が待ち構えているのが普通の状態だ。目的を達成するためにはその問題や障害物を乗り越えていくことが不可欠だ。目的を見失わないようにして、二歩前進一歩後退の気持ちで取り組むことだ。すぐにあきらめては果実は手にできない。むしろそれらを乗り越えて目的を達成していくことが人生の醍醐味だ。失敗を数多く経験すると、成功へのヒントが蓄積されてくる。人間的にも試練を乗り越えることで一回り大きな器の人間になれると思っている。普通の人は現状を踏まえて目的を下から上目線で見ているのです。「かくあるべし」を振りかざして、上から下目線で見ているわけではありません。自己嫌悪、自己否定で苦悩することはありません。普通の人は現実や現状に根を張って「事実本位」の生き方をしているということになります。これが森田理論が目指している方向です。イヤイヤ仕方なしの気分本位の行動は回避した方が賢明だと思います。
2024.03.25
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アリストテレスは次のように言っています。人は習慣によってつくられる。優れた結果は、一時的な行動ではなく習慣から生まれる。人間の行動の95%はあなた自身の習慣によって決まっているといっても過言ではありません。心理学でも、人の行動の95%は無意識によるものであるといわれており、無意識のほとんどは習慣によってできているのです。このときに脳は、一定期間毎日繰り返された行動が習慣になると、無意識のうちにその習慣を繰り返すように変化してくるのです。ですから、よい習慣でも、悪い習慣でも一旦プログラムされてしまうと、意識していないのに勝手に体がすっと反応してしまうという現象が起きるのです。行動が習慣化していないときは、次に何をすべきかを前頭前野で試行錯誤することになります。こんなことを繰り返していると脳は疲れ果ててしまいます。無意識のうちに作られた健全な生活習慣は、悩む前にすっと身体が動くようになりますので、不安にとらわれる回数が少なくなってきます。問題は習慣にはよい習慣と悪い習慣があるということです。健全な生活習慣を作り上げて、淡々と日常生活をこなしていくことは森田が目指している方向です。(「続ける」習慣 古川武士 日本実業出版社 参照)健全な習慣はまず早寝早起きがあります。特に朝起きる時間を一定にすることです。そして夜寝る時間も一定にする。昼間は仕事や家事、育児や介護が中心になります。これらが生活の柱になります。その間隙をつなぐための生活習慣を確立することが大切です。食事の準備と後片付け、掃除、洗濯、整理整頓、運動、ペットや観葉植物の世話、身支度などです。毎日同じ時間に同じことをしているというルーティンを作ることを目指します。3か月もすれば、身体が自然に動いてくるようになるでしょう。考えることと行動は同時にできませんから、不安に振り回されることはかなり少なくなってくるでしょう。規則正しい生活習慣作りは神経症を乗り越えるために是非身につけたいことです。
2024.03.17
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実業家の春山満氏は24歳のとき進行性筋ジストロフィを発症し、数年後に首から下の運動機能をすべて失ったそうです。その経験の中で、医療・介護事業に取り組んでみようと考えられたそうです。身体が不自由なことが春山氏にとって、生きがいを見つけるきっかけになったのです。その春山満氏の言葉です。障害のある人は、とかく自分の障害が一番辛いと考えて、「もしこの脚が動けば・・・」「手が動けば・・・」と悲嘆にくれる。だが、首から下の機能を失った春山氏は、そうは考えない。「首から下は動かなくても、目は見える。耳も聞こえる。だから自分の障害は一番軽い」と考えるのである。自分にはできないこともあるが、それでもなお自分にしかできないこともある。そう前向きに考えることで、その人の生き方も将来も大きく変わる。この話は現状を否定し、希望を失っている人に参考になります。いつも次のようなことを考えているような人です。神経質性格でなく、発揚性気質の人間に生まれていたら。外向的な人間に生まれていたら。リーダーシップのある人間に生まれていたら。説得力、交渉力のある人間に生まれていたら。もっと頭のよい人間に生まれていたら。もっと子供の教育に熱心な家に生まれていたら。もっと容姿がよかったら。もっと裕福な家に生まれていたら。等々。また、人と比べて劣っていると感じると、時間とお金をかけて、それらを人並みに引き上げようと必死になって努力する人もいます。努力が報われないことが分かると、今度は劣等感を感じている部分を隠蔽しようとする。事実をごまかして生きているような人です。「天は二物を与えず」という言葉があります。この言葉は逆に言うと、「天は一物は与える」ということだと思います。そうなら、春山満氏のようにどうにもならないことはそのまま受け入れる。そして自分に備わっているもの、自分が出来るものに取り組むほうが理にかなっていると思われます。我々神経質性格は、リーダーシップを発揮して組織を動かすようなことは苦手です。良好な人間関係を築いていくのもどちらかというと苦手です。それらは得意な人に頑張ってもらおうではありませんか。我々はそれらを補って余りある強みや長所を持っているのですから。例えば、好奇心が旺盛です。興味や関心の範囲が広くて深い。感受性が強い。音楽、絵画、彫刻、演芸などをより深く味わえる。他人の気持ちをより深く思いやることができる。一旦くらいついたら安易にあきらめない執着性を持っている。優れた分析力がある。探究心がある。思考力がある。論理的である。これらを活用してNO.2としてリーダーを補佐していけば、十分に人の役に立つ人間になれます。これらの神経質の性格特徴を伸ばして生きていこうと決意した人は、味わいのある人生を送ることができます。
2024.03.16
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この言葉は達磨大師の仏性論に出ているという。「故に至人は、その前を謀(はか)らず、その後ろを慮(おもんばか)らず、念念道に帰す」森田先生は次のように説明されている。至人、すなわち達人で悟った人は、金をなくしたとかいって、以前のことの繰り言をいったり、「来年のことをいうと鬼が笑う」というように、当てにもならぬ未来のことを空想するようなことをしない。ただ念念道に帰して、そのときどきの現在に対して、全力を尽くすというくらいのことであろうと思うのである。(森田全集 第5巻 385ページ)誰でも過去のミスや失敗、不祥事等を思い出して後悔することがあります。そして自己嫌悪、自己否定で苦しむことがあります。最悪、それらが夢にまで出るようになります。生きることが苦しくなり、投げやりになってしまいます。そういう人は未来のことに取り越し苦労、予期恐怖する傾向があります。結果がどう出るか分からないのに、失敗した時のこと、最悪の状況を想定して、手を出すことをためらうようになります。隠居仕事に日を送るというふうの境遇に身をおくときには、結局、自分の欲望は思い切り難いものであるから、アアこの身体が病気でなければという「前を謀る」心と、したいことができないで残念だという「後に慮る」の心が起こって、絶えず繰り言が心のうちに巣食うようになるのである。(森田全集 第5巻 167ページ)こうならないために森田先生は「現在になりきる」ことが大切だと言われています。過去のことを後悔し、未来のことを思い悩むよりも、今の生の欲望に乗り切るようにすることが肝心ということです。今取り組むべきこと、やるべき課題や目標を明確にするということです。その流れに乗って生活していると後悔や取り越し苦労は少なくなります。そのためには一つには規則正しい生活習慣を作り上げることが大切です。毎日同じ時間に起床する。その後は習慣化された行動にしたがって、毎日決まったことをこなしていく。この次に何をしようかと考える必要もなく、淡々と手足が動いていく。この時大脳の前頭前野はお休みしています。つまり過去のことを悔やんだり、未来のことを思い煩うことは少なくなります。さらに習慣化された行動に取り組むときに、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけだそうという気持ちを持っていると「現在になりきる」ことができます。気づきや発見、工夫やアイデアが次から次に生まれてきます。行動に弾みがついてやりがいが生まれます。これは森田でいう形から入るということになります。
2024.03.11
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杉山芙紗子氏はテニスの名コーチです。技術的に神奈川県で一番の実力があり、全国レベルでも優勝できる選手が、ある試合の決勝戦で負けてしまいました。その後も、彼女は断トツの技術を持ちながら、勝てない試合が続きました。杉山さんは彼女とお母さんを呼んで、家での日常生活について聞きました。朝起きたらきちんと挨拶ができているのか。身支度や歯磨きなどはきちんとしているか。寝具などの片付け物などはしっかりやっているか等。そんなことには無頓着であることが分かりました。そこで、自分で「やるべきことリスト」を作ってもらいました。玄関の靴を揃える。神棚の水を毎朝替える等、10項目ありました。これは森田でいう実践課題です。それを1ヶ月間続けてもらいました。こうした簡単なことでも、毎日続けることはとても難しいと言っていました。しかし、これを続けた1か月後、彼女は神奈川県の大会で優勝し、関東の大会でも優勝したのです。技術力が1ヶ月でそんなに上達したわけでもない。日常生活の中でやるべきことをきちんとやることによって、自分がなにをすべきかの判断力も増し、結果として試合の中でも正しい判断ができるようになったのです。(一流選手の親はどこがちがうか 杉山芙紗子 新潮社)実力はあるのに本番で練習通りの結果が出せないという選手はたくさんいます。それは期待に応えて勝たなければいけない、負けたらお世話になった人に顔向けができないなどと余計なことを考えてしまうからです。つまり試合に臨んで前頭前野がヒートアップしているのです。試合では前頭前野は開店休業状態しておくことが大切です。今までの練習によって手足の微妙な動きは運動野や側頭葉に記憶されています。そこから前頭前野を経由しないで、直接手足の筋肉に無意識の指示命令が伝えられれば少なくとも練習で身に着けている成果が100%近く発揮できるはずです。これは自動車の運転と同じです。最初は意識して操作していましたが、慣れてくると意識しなくても自動的に必要な操作を正確に行っています。これを鍛える方法は、杉山コーチによると規則正しい生活を習慣化することにあると指摘されています。日々のルーティンワークを確立することです。これは得てして見落としがちなところですがとても大事なところです。規則正しい生活を習慣化できると前頭葉を休ませることができます。反射的に運動野や側頭葉等が盛んに活動するようになります。これが試合中にパニックになることを防いでくれているのです。何も考えることなく、すっと体が動くようになります。すっと動くというのは、考えることを中断して行動に移る能力を獲得していることになります。不安や気分本位に振り回されている人にとっては取り組む価値があります。私が勤務しているマンションからの眺めです。海も見えます。
2024.03.01
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子供の頃にミス、失敗、敗北、挫折、ケガ、大病の経験を持っている人は、貴重な経験をしたことになります。そういう経験が全くないというのは考えただけでも恐ろしいことです。神経質性格の人は、困難が予想されることから逃げ回ってきたことが多いのではないでしょうか。集談会で人間は3000回の失敗を重ねて大人になっていくのだという話を聞きました。私たちはたった1回の失敗も嫌なのでいつも逃げ回ってきました。その結果、ミス、失敗、敗北、挫折、ケガの経験の数が大幅に不足している。その時は嫌な思いをしないで済んだのですが、大人になって経験不足が暗い影を落としています。ノウハウが分からないので、右往左往してしまいます。何をしてはいけないのか、何をしなければいけないのかがよく分からないのです。仕事でミスをしたとき、それを自分の一生を左右するような大問題に膨らませてしまう。もう自分の人生は終わったも同然だ。もうこの会社には自分の居場所はなくなった。退職しておわびするしかないなどと考えるのです。そして自分のミスや失敗が周囲の人に知れ渡り、軽蔑されることを恐れるようになります。予期不安で苦しみ、積極的に仕事に取り組むことができなくなります。失敗しないように逃げ腰の仕事ぶりになります。周囲からやる気のないお荷物社員とみなされるようになります。さらに叱責されることを恐れて、ミスや失敗を隠蔽するようになります。経験不足のまま大人になってしまった人はどうすればよいのでしょうか。生活の発見会の集談会で雑多な体験を積み重ねることをお勧めします。生活の発見誌の1月号(68ページ)に会社の経営者の人の話がありました。この方は集談会の先輩から幹事をやるように勧められたそうです。レクリエーション係を担当し、バーベキューやハイキング、懇親会などの企画と実行をしました。この役が、内向的かつ経験不足の私にとって、大きな勉強になりました。不思議なことに、集談会活動を一生懸命やったら、会社の業績もよくなりました。集談会の活動で、人間に対する誤った認識が是正され、それが社員にたいしても、同じことが言えると、気づいたからかもしれません。また、神経質者が本質的にもっている心配性が、大きな失敗や事故を防ぐことにプラスに働いたようです。神経症のお陰で、35年間、会社を潰さないで、続けられました。集談会の運営にはいろんな仕事があります。会の運営は代表幹事、幹事、世話人が担っています。役割としては、会場設営係、司会進行係、会場予約、受付係、図書係、会計係、集談会報告作成、お茶やお菓子係、初心者対応係、電話対応係、はがきやメール案内係、ZOOM会議の設定、個人相談係、懇親会の幹事など様々です。仲間と助け合いながら成功体験を積み重ねることができます。
2024.02.24
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森田先生のお話です。「今日、患者が、鋸で木を切っているところを見たが、ここの患者は、鋸の種類を選ばないうえに、いくら鋸が切れなくても、平気でひいている。鋸の切れ味などは全く無頓着である。職人は、道具を大事にして、常にこれを研いでいる。素人は、その研ぐ時間で、少しでも、木をひいた方が、その時間に、余計に能率があがると思っている」(森田全集 第5巻 251ページ)この患者は思ったように木がきれないので、この作業をすることがイヤになる可能性が高い。この作業は自分には向いていないと投げ出してしまう。目的を達成できないで他人に肩代わりしてしまうことを考えるようになる。さらに自分は何もしてもうまくできないと自己否定感をますます強めてしまうかもしれません。この患者は多分神経症を治すことでいっぱいなのだと思われます。森田先生から指示された仕事や自分でみつけた作業に、ただ機械的に手を出している状態だと思われます。こういうのをお使い根性といいます。身体を動かしていれば神経症が治ると思っているのですが、ますます悪くなるパターンです。普通の人はどうして思ったように切れないのかと考える。鋸が悪いのか自分のひきかたに問題があるのか。その両方に問題があるのか。しかし自分ではどこに問題があるのか判断できないと思います。すると作業を中断して、この件について詳しい人に聞くはずです。詳しい人は縦引き、横引きの鋸の種類から教えてくれるはずです。また刃を見てなまっていれば、すぐにヤスリやクラインダーで研ぎ始めると思います。そして研ぎ方にもコツがありますので詳しく教えてくれるはずです。刃がとがってくれば切れ味がよくなります。実際に木をきってみると実によくきれる。作業が格段に速くなり、面白くなります。このほか大きな木はある程度きり進んだところで、斜めの切り込みを入れると作業効率が格段に良くなります。他の木も切ってみたくなります。弾みがついてくるのです。このコツを人にも教えてあげたくなるはずです。このパターンに持っていくためには、今とりかかっている作業について、何か問題はないか、不具合はないか、課題、改善点、改良点などがあるはずだという意識を持つことが大事になります。ものそのものになるというのはこういうことです。その時点でやり方が分からなければ人の助けを借りて解決するのです。コツがわかれば目の前の作業に集中することができるようになります。一心不乱に取り組んでいるときは、神経症の苦しみのことは一時的に忘れています。そういう時間が増えてくるということが、神経症から解放されるということになります。
2024.02.08
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1、生活の中で積極的に行動した方がよいものがあります。2、反対に行動は控えて我慢した方がよいものがあります。3、その区分けをして、実行すれば問題行動は起きないはずです。これが逆になっているとすれば改善の余地があります。1ですが、東海、東南海地震が近いうちにやって来ると言われています。地震の備えは今のうちからする必要があります。家具の転倒防止、家の耐震化工事、災害時の備蓄、避難場所の確保、避難訓練への参加、ハザードマップの確認、地震保険への加入、津波への備え、家族との話し合いなど。次に、病気、交通事故、火事、雷、漏水、盗難などに備えて医療保険や損害保険に入っておく。また、年金暮らしの人は、何とか最低限の生活はできても、多額の出費に備える必要があります。たぶん今までの貯えを取り崩していらっしゃるのではないかと思います。財産がどんどん減ってくるのを眺めているだけでは不安になります。私の体験では月に3万円の収入(時間にすれば1.5時間)の仕事をするだけで、精神的にはずいぶん楽になれます。つぎに2について心がけることを挙げてみます。毎日テレビの守りをしている。アルコールは毎日飲んでいる。趣味は何もありません。異性に興味はありません。起床してから今日は何をしようか考えている人は脳の廃用性萎縮が進行します。神経質性格者は一般的に好奇心旺盛です。これを活かすことが大切です。興味や関心のあることはできるだけ手を出すようにしたいものです。身体の健康は、毎年1回は生活習慣病検診に行くことです。その時胃のバリューム検査、ガンの腫瘍マーカーの検査を行う。健康で心掛けたいことはウォーキングです。犬を連れて散歩をするもよし。足の筋肉は第2の心臓といわれています。さらにセロトニンを増やすことを心がけることです。興味のある方は、2022年2月13日、14日 2022年3月8日投稿記事をご参照してください。3ですが、エンディングノートを作成しておくことが大切だと思います。カード関係、所属団体、財産管理、保険関係、交友関係、所有物などを整理しておくことが必要です。財産や不動産は遺産相続でもめないように手を打っておく。それ以外のことも分かりやすくまとめておく。残された子供達に迷惑をかけないようにしておきたいものです。
2024.02.04
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帚木蓬生氏のお話です。集中力など、あったりなかったり、一心不乱の境地も、1年に2度、3度あればいい、というのが、実際の私たちの心のあり方です。だとすれば、集中力があろうが欠けていようが、構わず勉強や仕事に手を出すのが得策です。手を出しているうちに、集中力が研ぎ澄まされてくるかもしれず、運が良ければ、一心不乱の境地を味わえるかもしれません。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 164ページ)私は訪問営業の仕事をしていた時に、どうせ冷たく断られるだろうという先入観でいっぱいになっていました。人への信頼感が欠けている対人恐怖の私にとって大変な仕事でした。私が考えていたことは以下の通りです。見込み客をふるいにかけて、購入意欲の高い人に絞って営業活動をしようと考えました。そうすれば自尊心を傷つけられることはなくなるだろう。また、セールストークや技術を高めることが大切だと考えていました。断られればこう切り返すというセールストークを習得したいと思っていたのです。そのためにセールス技術の本は手あたり次第読みました。身だしなみ、言葉の使い方、導入の話、相手のニーズの掴み方、ニーズと販売商品との関連付け、断わりを切り返す方法、購入を促す説得術などです。しかし結果は惨憺たるものでした。高い見込み客と思っていた人から断られると、その日の仕事に対する意欲がなくなりました。営業というのは、監視されているわけではありませんので、次第に仕事をさぼるようになりました。サボっても暇を持て余し、時間をつぶすのに苦労する有様です。営業成績が上がらないので、上の人や同僚から冷たい目で見られました。またセールス技術はある程度は役に立ちましたが、実際には理論どおりに当てはまることはありませんでした。これは理論が完全でないからだと考えて、さらに理論武装を図ることを考えました。これは森田でいうと精神交互作用でどんどん状況が悪くなっていきます。今考えると、見込み客を選別するよりもローラー作戦を展開して、できるだけ多くの人に会うことが必要だったと思います。またある程度のセールス技術を学習した後は、行動・実践の中でセールス技術を高めることが大切であると思います。いくら畳の上でクロールの練習をしても泳げるようにはなりません。失敗や断られるという経験から学ぶという姿勢はとても大事になります。定年までこの仕事を続けた人の話を聞いてみると、ほとんどこの方法で成功した人たちでした。私は不快な気分が湧き起こってくると、やすべきことや必要なことからいつも逃げてきました。その時はほんの少しだけほっとしますが、人生の敗北者になってしまいました。神経質者は行動は頭の中で納得してから取り組もう。やる気が出てからにしよう。そうしないと惨憺たる結果に終わってしまうと考えて、尻込みする傾向が強いと思います。この考え方は、もっともらしい考えですが、状況はどんどん悪くなってしまいます。イヤだ、面倒だ、しんどい、やる気が出ないという感情は池のなかを動き回る錦鯉のように自由に泳がせておく。行動は気分とはきちんと切り離して、必要な時に必要に応じて必要な範囲で自分の出来ることを心がけて生活したいものです。
2024.01.29
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森田先生は「お使い根性」について次のように説明されている。例えば「この盆栽に水をやる事を忘れぬように」と注意すれば、荒巻君は「どうも自分は気がつかない、頭が鈍い」という風に、言われた文句と、自分の都合とばかりを考えて、盆栽のことを見つめようとは少しもしない。すなわち注意された一つの盆栽ばかりへ水をやり、そのほかの水の切れている盆栽へは、水をやることに気がつかない。また翌日は、もう盆栽も花も自分とは全く無関係である。私はいつもこれを「お使い根性」と称して、「この盆栽に水をやる」という文句だけのお使いをして、盆栽を世話し育てるという事には注意を払わず、すなわち探し求めるという事なしに、ただ指ばかりを見ると同様である。これではいたずらに我情にとらわれるばかりで、決して柔順という事の稽古にはならないのであります。(森田全集 第5巻 186ページ)お使い根性というのは仕事でよく起こります。指示や依頼されたことしかしない。営業などではノルマがありますが、ノルマを達成したいという気持ちになれない。ライバルたちを蹴落として優秀マンとして社長表彰されるようになりたいとも思わない。ノルマが未達であっても、そこそこの営業成績なら首になることはない。給料さえもらえればそれでよい。寄生虫のようになってしまう。そんな気持ちで仕事をしていると、上司や同僚たちからの評価は下がってきます。人間関係が悪くなり、転勤や降格、リストラの候補にされてしまいます。一番問題なのは仕事が苦痛で仕方がないという自分です。その苦痛を和らげるために、ギャンブル、ネットゲーム、アルコール、買い物、趣味、風俗などにのめり込んでいきます。家庭生活や子育てに無関心になり、様々な問題を引き起こします。森田では最初イヤイヤ仕方なく取り掛かったことでも、ものそのものになって一心不乱になって取り組んでみましょうと言われています。しかし手を抜いて楽をする事ばかり考えているとなかなかそんな気持ちになれません。そういう方のために、2014年5月2日の投稿をお勧めします。この方は定年退職後、駐車場の管理人をされていた方です。その方が奥さんの介護に専念するために仕事を辞めることになりました。お世話になった方がちょっとしたお土産を持っていきました。すると小さなプレハブの管理人室で信じられないような光景を目にしました。この続きは当日の投稿をお読みください。感動の涙が出るような話です。森田を学習していると感動の涙を出すことが多いように思います。(どんな仕事でも楽しくなる3つの物語 きこ書房 福島正伸)この投稿にたどり着くには、「新着記事一覧」を左クリックします。別窓が開きます。月別記事を左クリックします。2014年、5月をクリックして2日投稿記事をご覧ください。
2024.01.25
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生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」に次のような記載があります。理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねること。小さな成功体験を積み重ねていくと、自信がついて行動に弾みがついてきます。行動は積極的、生産的、建設的、創造的に変化してきます。理想というのは大きな目標、夢のようなものです。3年先、5年先、10年先、生涯を見据えて長期目標を持つことだと思います。長期目標を持つことができたら、実現可能な短期目標に分けることが必要です。例えば膝を曲げて思い切り飛び上がり手で到達点に印をつけます。それより10cmだけ距離を伸ばそうという小目標を持つことができれば俄然やる気に火が付きます。そういう目標を持つことができれば、ほとんどの人が目標をクリアします。小さな成功体験は自信や自己肯定感を育てます。行動に弾みがついてきます。これが生きる意欲につながります。私の長期目標は最低90歳までは長生きすることです。できれば100歳以上まで長生きしたい。理想はピンピンコロリです。意識して取り組まないと実現は心もとない。そのために短期目標としてどんなことに取り組んでいくのか。まず1年に1回の定期健康診断を欠かさないようにする。身体の不具合箇所を早期に発見して、メンテナンスを欠かさないようにする。車と同じで老化してくるといろんなところに問題が出てくるという前提に立たないといけないと考えています。セロトニン活性化、鍛え方はぜひとも継続して生活習慣としたい。詳細は2022年2月13日に紹介しました。さらに足腰を鍛えるために毎日6000歩以上は歩くようにする。それも3分早歩きをして次の3分はゆっくりと歩くことを意識する。これは足の筋肉を鍛えるコツだそうです。また階段上りを心がける。それも一段飛ばしを取り入れる。今のところはマンションの管理人の仕事の中で実施している。つぎに頭の老化を遅らせることを考える。興味や関心を持てるものにはどんどん挑戦してみる。特にカラオケ、自家用野菜作り、花卉園芸、加工食品作りに力を入れる。また現在チンドン屋として活動している。老人ホームの慰問活動、地域のイベントにお呼びがかかった時は支障のない限り引き受ける。そのためにアルトサックス、傘踊り、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞などの練習を欠かさない。次にこのブログの投稿記事を毎日1本は作る。そのためには前日には書くテーマを1つだけ決めておく。アンテナを四方八方に広げてネタ集めを心がける。これらを駆使して、なんとか脳の廃用性萎縮現象を食い止めたい。
2024.01.12
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11月号の生活の発見誌の「私らしく生きる」という記事は大変参考になりました。この方は20代半ばから65歳まで予備校の講師として働いたそうです。その後は実家の稲作農業を継がれました。「農家は良いイメージが無かったのですが、米作りを始めてみると、神経症と米作りはすごく相性が良いことが分かりました。神経症の回復に効くんです。私はもともと観念的な人間なので、考え込んで行動せずに終わってしまうことが多いタイプ。でも、米作りは考えている暇がありません。天候次第なので、考えるよりも行動しなければならないパターンが圧倒的に多いんです。型にはまった形式はなく、毎年、その場その場の勝負です。雨が多く降れば水を抜かなければならないし、降らなければ水を入れる方策を考えなければならない。考える時間は多く取れません。考えるより行動する仕事なので、私には合っていますね」確かに農作業は段取りを組んで手足を動かすことが主力ですからね。神経症的な悩みは、農作業が終わってからにしようと思っているうちにいつの間にか流れてしまいます。私は田舎の畑で自家用野菜作りに力を入れています。楽しみが多いです。運動にもなりますし、すぐに成果が出る。特に収穫時はうれしいです。このブログで紹介している通りです。たくさん獲れた野菜は料理を工夫しています。その他、梅の木、柿木、栗の木、ゆずなども育てています。梅は梅酒にしています。柿は甘くてとてもおいしい。庭木には金木犀、シャクナゲ、カイズカイブキ、マキなどがあります。草刈りを兼ねて畑や田んぼに出ているときはとても楽しいものです。それは頭を休ませてリフレッシュしているからかも知れません。この方には写真と川柳作りの趣味があるそうです。特に毎年正月に企画される「発見会川柳」では最優秀賞を7回も受賞されている。タナカサダユキさんのイラスト原画が並んでいるという。10月中頃から、「川柳モード」に入るという。実体験を元に思いつくまま句を書き留め、何度も練り直して応募されているそうです。私も1回最優秀賞をもらったことがあります。2匹目のドジョウを狙っているのですが、なかなかいませんね。私は大阪の串カツが好きです。ここはいつも行列ができている。
2023.12.26
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本多信一さんは、学生時代になすべきは、「自分本来の個性を発見すること」だ。それができればもう十分だと言われています。この指摘に同感です。早い段階で自分の将来の好きなものを見つけた人は幸せな人です。それが一生涯携わる仕事だったら申し分ありません。私はそういう意識を持ち合わせていませんでした。私の大学時代の友人たちの多くは公務員になりました。そのための準備を早くから始めていました。私は大学卒業間際になって深く考えることなく仕事を決めて失敗しました。訪問販売の仕事、営業窓口の仕事、中間管理職の仕事をしてきました。本音と建前が一致していない仕事を選択するとその後苦労するというのが実感です。適職につくためには、自分の性格や能力を見極めることが大切です。そのために興味のあることには何でもトライしてみることも必要です。アルバイトをする、本で調べる、人の話を参考にするなどです。そうしないと何が自分に合っているのか見当もつきません。学校で友だちがたくさんいて、仲間と一緒になって一つの目標を目指すことが好きな人は、将来営業の仕事やマネージメントの適性があると思います。学校の先生は子どもと接することが何よりも楽しいという人に向いています。子どもにものを教えること好きというという人にも向いています。リーダーシップをとって人を統率する能力も必要になると思います。他人が怖いという社交不安障害の人は難しいかも知れません。対人関係に問題を抱えている人は、その特性を自覚すればよいと思います。自分を否定する必要はありません。修正する必要もありません。神経質性格のプラス面を意識することです。マイナス面には手を付けない。そして好奇心を刺激するもの、興味や関心があるものを探すことです。営業、指導者、マネージメント以外の仕事の中から自分の適職を探せばよいと思います。例えば、研究職、パイロット、電車やバスなどの運転手、シェフ、職人、自営業、農業、士業、芸術家など対人関係よりは、仕事の出来具合をより重視されるような仕事がいっぱいあります。12000種の仕事の中から適職を見つけることに全エネルギーを投入する。親はそのために全力でサポートをすることが必要になります。自分が持っている性格や能力を活かす、自分の得意な分野を伸ばす、自分の好きなものを早く見つける。見つけたらそれに磨きをかけてさらに伸ばしていくように努力していく。この道を歩むことが幸せな人生につながります。
2023.12.15
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良寛さんは若いころ岡山玉島の円通寺で修業されていた。そこに仙桂和尚という20歳以上年上の僧がおられた。この方は僧侶たちの食事を作る、菜園で野菜などを作る典座という仕事をされていた。その頃の良寛さんは、寺で一途に読経・参禅する。禅語録に触れることが修行であり、立派な僧侶になるためにはそれ以外のことにうつつを抜かしてはならない。修行に打ち込んでいるとそんな余裕はないはずだ。台所で食事を作り、菜園を耕すなどの仕事をする人は下男か作男ぐらいにしか思っていなかった。その良寛さんが越後の五合庵で暮らすようになって、そのような考え方を改めている。「仙桂和尚こそは、真の仏道者である。彼は黙して語らず、朴訥にしてうわべを飾らぬ人であった。30年間、国仙和尚のもとにあっても、参禅もせず、読経もせず、宗門の教えの一言も口にせず、ただ畑を耕して雲水たちを供養していた。円通寺当時、私は仙桂和尚を見ていながらも真の姿をみていず、遇っていながらも真の心に遇っていなかった。ああ、今になって彼にならおうとしても、もはやどうすることもできない。誠に仙桂和尚は真に仏道を会得した人であった」この考えは森田理論学習にも通じるところがあります。いくら森田理論を極めて整然と説明できるだけでは森田を身に着けたとは言えない。それは必要条件ではあるが十分条件とはなりえない。森田理論には車の両輪があると言われています。理論の車輪が小さいときは小さいなりに森田理論の活用と応用が必要になります。理論の車輪がステップアップしていけば、活用・応用の車輪を一回り大きなものに付け替えていく必要があります。2つの車輪のバランスをとりながら前進しないと、空回りしてしまいます。森田理論学習のみに偏っていると、期待していたような効果はありません。むしろ停滞を加速する原因となります。そして森田理論を恨むようなことになります。森田理論の学習をしている人からこんな話を聞くことがあります。ネットゲームが好きで夜遅くまでやっています。休みの日は昼近くまで寝ていることがあります。部屋の中は埃だらけです。掃除や整理整頓する気持ちにはなりません。食事は外食が中心です。鍋や包丁はほとんど使いません。家で食べるときは、おいしそうなお惣菜を買ってきて食べています。アルコール中心の食事です。間食のスイーツやお菓子はよく食べています。土曜日や日曜日は身体を休めることに専念しています。森田理論を活用・応用している人からは次のような話を聞きます。規則正しい生活、凡事徹底、ものそのものになる生活を送っています。起床時間と就寝時間が決まっている。雑仕事、日常茶飯事のルーティンワークに丁寧に一心不乱に取り組んでいる。バランスのとれた食事作りや後片付けを大切にしている。掃除が行き届き、洗濯も滞りなくなされている。土曜日や日曜日はやるべきことをメモしたリストに従って行動している。森田理論を学習して生活ぶりが変化しているのです。
2023.12.14
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今日は「ゆとり生活」ついて考えてみました。「ゆとり教育」「ゆとりある暮らし」「ゆとりがある老後」という言葉があります。ゆとりのある人はバタバタしていません。自分のペースでゆったりと、余裕のある生活を楽しんでいます。ある程度生活に余裕があり、何か大きな出費のとき慌てることがない。精神的に落ち着いていて、行き当たりばったりということがない。食べていくためにだけ生きているというのではなく、自分の好きなことややりたいことにも取り組んでいる。一般的には子育てが終わり、家のローンが終わり、退職金が入ると金銭面では「ゆとり生活」に変化してくるようです。退職すると、精神的、対人的、経済的な悩みや問題が少なくなってくることが大きい。ゆとり生活は、これまで頑張ってきた人に対するご褒美のようなものです。「ゆとり」生活に入ると、人間は二極分解してくるように思います。1、今までどちらかというと、しんどい仕事から解放されて、自分の好きなことややりたかったことにも取り組んでいる人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がプラスに作用している人です。ただしなかにはこんなことを言う人がいます。「私は釣りが好きで、現役のころは退職したら毎日釣り三昧の生活を楽しむことを励みに頑張ってきました。でもそれが実現して毎日好きなことをしているのに、充実感といったものがないのです。そのうち釣りにも飽きてしまいました」ゆとりがありすぎるというのも考えものだと思います。2、一方、課題や目標を持たないで、不規則な生活、刺激的、享楽的な快楽を追い求める生活にどっぷりと浸かってしまう人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がマイナスに作用しています。放置していると心身ともに廃用性萎縮現象が起きてきます。「ゆとり生活」が実現すると、今までの制約だらけの生活パターンから解放されます。起床時間も就寝時間も自由自在になります。それに流されてしまうと、今までの規則正しい生活が一挙に崩れてしまいます。仕事をしていた時は、仕事が規則正しい生活を支えてくれていたのです。課題や目標を持たないで日々刺激があればよいという生活は根なし草に似ています。どうしても空き時間が増えて、自己内省的になってきます。ゆとりが出てきたときに心掛けることは森田理論が教えてくれています。まず規則正しい生活を崩さない。次に日常茶飯事に丁寧に取り組む。自分でできることは、自分でするという癖をつける。そのうえで自分のやりたかったことやりたいことに取り組む。この順序が逆になるとまずいいと思います。つまり森田的な生活を基盤にして、その上で仕事、趣味、ボランティア、世話活動、運動、自己啓発、他人との交流などを楽しむ。これらは森田理論を生活に応用している人は、自然に身についていると思われます。
2023.11.20
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「雑」の付く言葉を思いつくままにあげてみましょう。雑多、雑事、雑談、雑木林、雑貨、雑音、雑学、雑損、雑念、雑費、雑仕事、雑務、雑用、雑役、雑菌、雑誌、雑穀、雑所得、雑種、雑草、雑踏、雑則これらのイメージや特徴はどんなものでしょうか。・こまごましたもの。面倒なもの、わずらわしいもの、とるに足らないもの。・脇役、軽視しても大した問題にはならないもの。・たいして役に立たない、大きく評価できるものではない。不純物。・余分なもの。避けたいもの、迷惑なもの、できればない方がよいもの。「雑」のつくものは、低く価値評価して無意識のうちに無関心になりやすい。「雑」の反対は、一言でいうのは難しい。しいてあげれば、脇役ではなく主役を張る。居るだけで存在感がある。大きな価値を持っている。尊敬されている。常に光が当たっている。大きな影響力がある。一目置かれている。注目されている。一本筋が通っている。世のため人の為に大いに役に立っている。神経質な人は雑事、雑仕事などを無視して、大きく目立ち成果の上がる建設的、奉仕的、創造的な目標に焦点を当てがちな傾向があります。でも大きな目標はなかなか見つからないし、あってもどこから手を付けてよいのか分からない。つまりどちらに転んでも行動的な態度にはなれないわけです。神経質者の特徴は心配性です。これは裏を返せば細かいことによく気がつくということです。この性格を活かすとすれば、「雑」のつく言葉に注目して、それらを宝ものとして取り扱うというのは如何でしょうか。「雑」という言葉がイヤならば、「誰もが気がつかない小さなこと」というのは如何でしょうか。小さな日常茶飯事、みんなが軽視しやすい小さな仕事などに丁寧に取り組んでみる。イヤイヤ仕方なく始めたことでも、一旦はものそのものになって取り組んでみる。その中から小さな気づき、小さな発見、小さな成功体験、小さな楽しみ、小さな感動を見つけることができるようになると、生きていてよかったと思えるようになります。神経質者が「誰もが気がつかない小さなこと」」を軽視するようになると、自分の強み、長所を活かすことができなくなります。秋祭り
2023.11.11
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歳をとってくると二極分解が起きるように思います。元気な人は心身ともに健康です。頭や手足がよく動いている人です。80歳になっても、90歳になっても自分の身の周りのことは自分でしている。毎日楽しみや課題を持ち、感謝の気持ちを持って生活している。一方で病気を抱えて、心神耗弱状態に陥っている人がおられます。行動がおぼつかなくなっている。考えることが後ろ向きです。そういう人が認知症に陥ってくると大変です。但し本人の自覚はありません。自分は正常だと思って行動しています。そういう人が車の運転をするのは危険だと思います。生活の発見会では高齢者の方もたくさんいます。心身とも元気な人が多い。特に世話活動をしている人は元気です。さらに森田理論を生活の中で応用・活用している人は考え方もしっかりしています。毎日緊張感を持って生活しているからかもしれません。こういう人は年に一回は定期健康診断を受けている。特にガンの家系の人、心疾患の家系の人はこまめに検査を受けている。そのうえで森田を生活に応用している。まずは規則正しい生活をしている。次に生活の柱となるものをいくつか持っておられる。今日はそういう人の話を紹介してみたい。現在75歳の方です。生活の柱を整理されてみんなに説明された。1、集談会に参加できるときは極力参加している。50年目になる。2、放送大学に11年間在籍して18科目の単位を取得した。3、本格的な登山をしている。3000mの山9峰の登頂を果たした。4、10年間町内会の世話活動をしている。年間30件近い行事がある。6、公民館の歴史研究会に7年間通っている。現在事務局長。7、子ども食堂の手伝いをしている。8、小学校のクラス会の幹事をしている。年2回開催。2018年からはクラス会新聞の編集責任者をしている。9、広島カープの熱烈な応援をしている。1958年から。この話を聞いて刺激を受けたという人は、90歳以上まで健康に過ごすことができる可能性が高いと思う。集談会で定年退職したらすぐにやってみたいことを10個くらい持っていないと暇を持て余すようになると聞きました。今現在持っていない人はこれからでも遅くはありません。身近なところから見つけることをお勧めいたします。久しぶりに秋祭りでチンドン演奏をしてきました。
2023.11.08
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元スピードスケートの清水宏保氏は、指導者から指示された練習しかしていない選手は伸びないと言われています。指導者から指示された練習メニューをこなしながら、自分で考えた練習にも取り組んでいる選手は、3年後、4年後にしっかりとした結果を出している。与えられた課題にプラスアルファ―を、1日に1秒でも積み重ねていくと、365日後には大きな差となって現れるからです。指導者から指示されたことだけをこなすというのは、森田先生が言われている「お使い根性」ということだと思います。やる気が高まり、自ら積極的に行動しているわけではありません。他人から指示・命令されたことに従っているだけです。最初はこの方法でも一定の成果が期待できます。ところがこの方法は途中で息切れしてきます。それは本音と建前が一致していないからです。いつまでもイヤイヤ仕方なしの行動に甘んじていては行動に弾みはつきません。どこかで自分が主体となって本音と建て前を一致させることが肝心です。この問題の解決策として、森田理論では「ものそのものになる」ことをお勧めしています。これを日々の日常生活や仕事の中で心掛け実践していくのです。最初はイヤイヤ仕方なしに取り組むことは問題ありません。そのうちできるだけ一心不乱に取り組んでみることです。我を忘れて取り組んでいたら、時間が経つのを忘れていたという状態に持っていくことです。そういうときは感情が活発に動き、頭がフル回転しています。問題や課題などによく気づきます。小さな発見、工夫、アイデアを次々に思いつくようになります。行動は積極的、生産的、建設的、創造的になります。プラスアルファ―の行動習慣を作り上げるためには、目標を明確にしておくことも大切です。目標には短期目標、中期目標、長期目標があります。長期目標に到達するために、少し努力すれば実現可能な目標をいくつも持っておくことが肝心です。このことを森田では「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねる」と言います。小さな成功体験を積み重ねると、自信と勇気と自己肯定感が生まれてきます。大阪城
2023.11.02
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中国のことわざに、「狡兎に三屈あり」というのがあります。これは賢い兎は隠れ家を3つ持っているということです。住まいが一つだけだと敵におそわれることがある。自然災害で使い物にならなくなることもある。隠れ家が3つあれば、自分と家族の生活と安全を守ることができる。私たち人間は仕事だけしていればそれでOKというわけにはいきません。森田の学習会では、生活のバランスを整えることが大切であると学びました。その内容は多岐にわたっています。仕事、家事、育児、子育て、家庭生活、生活習慣、職場の人間関係、親戚・近所付き合い、生活の発見会活動、趣味、遊び、教養、自己啓発、交友関係、地域活動、心身の健康管理などがあります。健康な人は全てにアンテナを張って、バランスの維持を心がけています。神経症に陥ると症状を治すことばかりに注意や意識やエネルギーを投入しています。その他のことには、無関心になります。あるいは依存的になります。森田では神経症の不安は欲望があるために起きてくると言われます。不安を抱えたまま、生の欲望に向かって努力精進していくのが筋というものです。不安を悪者にして、不安を無くするために悪戦苦闘しているのですから、症状がよくなる訳はありません。森田の基礎的学習が不足しているといわざるをえません。森田学習をしている人は、実践課題を立てておられる方が多いと思います。その際、仕事と職場の人間関係、家庭生活、ゆとり生活(趣味や遊びなど)、地域活動(町内会活動、趣味の会活動、ボランティア活動、生活の発見会活動)、心身の健康管理の5つに分けるのは如何でしょうか。人によっては違う項目が入る場合もあるでしょう。それはそれで結構なことです。肝心ことは、神経症を治すことを唯一最大の実践課題にしないことです。それは、5つのバランスが整ったあとで、時間があれば取り組んでみようと考えることです。実践課題は具体的であることが肝心です。期間は一週間単位、1ヶ月単位、そして1年単位の中期目標を立てる。集談会で1年に一つでも生活の変化が見られるようになると、その人は神経症を克服できると聞いたことがあります。
2023.10.29
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私は4ヶ月に1回歯医者で歯のメンテナンスをしています。主に歯垢を取り除いてもらうためです。その他歯の健康診断をしていただいています。今回歯の定期検診では凡事徹底の奥深さを感じた。歯医者が小さな虫歯ができかかっているところがあるという。特に親知らずの後ろにはブラシが当たっていないと言われる。つまり丁寧に歯みがきをしていないのではないかと指摘された。前、横、奥、上下と順番に磨いているつもりだった。では何分ぐらい磨いているのかと言われるので、時間は計ったことがないので分からない。タイマーで測った方がよいと言われた。あるいは頭の中で数をカウントする。磨くところは、表面、前面、側面、それぞれに裏表がある。まず上下の歯の表面に1分、次に前面の上下の歯の裏表に1分。次に磨きにくい側面の裏表に丁寧にブラシを当てる。これに2分かける。合計4分になる。早速家で実行してみたが、結構な時間である。今までは2分くらいで磨いたつもりになっていたことが分かった。しかもそれを朝昼晩と3回行った方がよいと言われた。せめて朝と晩は必須である。でも歯医者さんはそれだけでは不十分だと言われる。歯と歯との間は歯間ブラシを当てないときれいにはならないと言われた。ブラシでの歯みがきか終わったら、必ず歯間ブラシを当てることを習慣にしてくださいと指導された。この2つの習慣を継続すると虫歯にならない。定期的に歯垢を取り除くだけで、生涯健康な歯で過ごせますよ。プラントや入れ歯になると大変ですからね。それからキシリトールガムを噛むことを習慣にするとよいそうだ。虫歯予防効果と顎を鍛えて嚥下防止効果もあります。歯との付き合いを見直して、森田の凡事徹底を応用していきたいと思いました。
2023.10.23
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ヨットマンの白石康次郎氏のお話です。水産高校では研修航海に出ます。船の中には危険なものがたくさんあります。マグロなどを釣り上げたときに引っ掛けるでかいかぎや出刃包丁などです。これらを使ったままそこらに放置しておくことは命にかかわる。船が揺れた時に、それらが船の甲板を走るのである。人の首や腹に刺さって亡くなるという事故が実際に起きている。研修航海では、使った道具をきちんと元のところに戻して固定することをきびしく指導される。(人生で大切なことは海の上で学んだ 白石康次郎 169ページ)それがよい習慣となり、単独のヨット世界一周に活かされているという。シート類はきちんとまとめておく。急いで作業をするときに、足に絡まり、転倒するという事故が防げる。部品の一つ、工具の一つも使った後は必ず元へ戻す。急いで何かをしなければならない時に、探し物をするほどストレスがたまることはない。神経症と格闘しているときは整理整頓など眼中にないのではなかろうか。集談会などでも片付け、掃除をしなければと思っても、その気にならないという話を聞きます。片付けを森田の実践課題にするというのはどうだろうか。必要なものを3分以内に取りだすことができるようになることを、実践目標として掲げることを提案いたします。私はインテリアの卸会社でメーカーへの支払業務をしていたことがありました。メーカーからの請求書通りに仕入計上がされていると何も問題はありません。ところが実際には差異が発生しています。返品交換や大量発注による値引きが絡んでいるからです。それが大きな仕入先になればなるほど差異が複雑に絡み合っています。その時納品書がメーカーごとにきちんとファイルされている。売上伝票が連番に整理されているとすぐに差異が特定できることを経験しました。ここで3分以内に目的の伝票を取りだせるというのは、大きな能力だと思いました。私の場合、蔵書が大量にあります。森田関係のノートもたくさんあります。それから森田関係、仕事関係、パソコンのファイル、マンション関係、趣味の関係、近隣・親戚関係、通帳・財産関係、小物、事務用品、請求書や領収書、衣類関係などいろいろと整理しなければならないものがあります。目的物を3分以内に取りだせるようにするという目標があると、整理整頓に工夫をするようになります。まず大まかに分類することから始まります。意識としては大分類、中分類、小分類を意識しています。蔵書でしたら数か所にまとめておく。私は森田関係の本は一ヵ所にまとめています。あとは著者ごとにまとめております。お気に入りの著者はすぐに取り出せます。そしてよく利用する本は前面に出しておきます。あまりみない本は半年に1回くらいは確認するようにしています。必要な書類が山のようにあります。これはKOKUYOのA4-1Fという黄色の個別フォルダーというのが役に立っています。これに見出しをつけて、100均で手に入れたストッカーボックスA4に入れています。これは特に日付ごとにはファイルはしていません。これだけでもすぐに必要書類を取りだすことができます。整理整頓の方法は人様々だと思います。整理整頓の必要のあるものも人様々だと思います。これらの工夫例を情報交換することは大切なことだと思います。
2023.10.11
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イエローハットの創業者の鍵山秀三郎氏は、トイレ掃除に人生をかけて取り組んできたと言われています。「誰にでもできる簡単なことを誰にもできないほど続けてきた」と言われてます。私のやってきたことは、誰でも真似をしようとすればすぐ真似ができることばかりです。ただ、すぐに効果がでないから続きません。効果がすぐにでないと、「こんなことやっていても無駄だ、駄目だ」あるいは「一生懸命やったってやらなくたって結果は同じだ。だったら、一生懸命やったってつまらない」という考え方がとても多いように思われます。私のやり方に批判的な人はたくさんいました。従業員は、社長がそんなことをするから、我々社員が卑屈になると言われました。ある経営学の先生は、「そんなことを社長がしていたらお宅の会社の将来はない」と指摘されました。「そんなことをしている時間があったら、もっと商売の方に時間をかけたほうが営業成績はあがるのじゃないか」と忠告してくれる人がほとんどでした。確かに、東証上場会社の社長さんが、掃除に力を入れているという話は聞いたことがあません。それもトイレ掃除を毎日徹底して行っているというのは変わっています。経営幹部は、そんなことをするべきではない。事業の推移を注視して、経営を健全に維持していく。さらに将来の新たな事業戦略を立てること。これらが経営者の本来の仕事ではないのか。掃除を徹底するというけれども、経営者の本来の仕事から逃げているのではないか。社長としての職責を果たして、そのうえで余裕があれば、余暇を利用して掃除に取り組むようにしたらどうか。これに対して鍵山氏の考え方はまるきり反対です。掃除が先で経営者としての仕事はその次に来るものだ。掃除がきちんとできない人が経営者になっても、ザルで水を掬うようなことになってしまう。これは松下幸之助氏も同じことを言われていました。雨が降ったら傘をさす。当たり前のことを手を抜かずに愚直に取り組んでいく。これが経営のコツだといわれているのです。鍵山氏は、トイレ掃除に取り組んで人生の極意を掴まれました。そして次の言葉を紹介しておられます。「10年偉大なり、20年おそるべし、30年にして歴史なる」平凡を軽視しないで丁寧に取り組む生活を10年、20年、30年と続けた人は、類まれな非凡な人になれます。これは水谷啓二先生を始め森田の先輩たちが口を揃えて言われていることです。凡事徹底を無視していると、小さなことに喜びや感動を味わうことはできなくなります。小さな喜びや感動を味わえない人生は後悔の多い人生になる可能性が高い。森田では神経質性格者に対して、凡事徹底をお勧めしています。
2023.08.30
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林成之氏のお話です。プロ野球のバッターは、時速150キロものスピードで向かってくる剛速球を打ち返しています。ピッチャープレートとホームベースの18.44mです。ピッチャーが時速150キロのボールを投げた時、ホームベースに到着する時間は0.45秒です。一方、プロの打者がバットをスイングするのにかかる時間は0.2秒と言われています。また脳が体に命令を下してから実際に体が動くまでの神経反応には、約0.3秒弱を要します。ほんの少しだけボールが到着する時間が短いために、理論的には打者が150キロのボールを打てないことになります。しかし実際にはプロの打者は150キロ以上のボールを打ち返しています。これはいったいなぜでしょうか。「イメージ記憶」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、物事をありのままに記憶するのではなく、その物事についてのイメージを自分の頭の中で作り上げ、それを記憶することを言います。打者は、ピッチャーが投球動作をしている段階から、ボールが手元にくるまでの軌道のイメージを記憶していて、バットを振るのです。バッティングの達人とは、過去に成功したイメージ記憶を膨大に蓄え、それをあらゆるボールに対して当てはめることができる人です。(勝負脳の鍛え方 林成之 講談社現代新書参照)この話は私たちにも参考になります。過去に成功したイメージ記憶を積み重ねていると、一見実現不可能と思われるようなことでも、脳は目的達成のために強力にアシストしてくれるということです。扁桃体が「快」に振り分けてくれて、ドーパミンという神経伝達物質によって報酬系神経回路を駆け巡ることになります。積極的、生産的、建設的、創造的な行動につながります。子どもの時から興味や関心のあることに積極的にチャレンジして、成功体験を積み重ねることが大切になります。大人になってからは、凡事徹底の生活の中で、小さな成功体験を積み重ねていくことが大切になります。成功体験は自信をもたらします。自己肯定感を育てるためにも大切なものとなります。しかしイメージ記憶は万能ではありません。イメージ記憶は過去の成功体験です。それが今度の挑戦に通用するかどうかは分かりません。イメージ記憶に基づいて行動したとしても、ほとんど失敗に終わります。プロ野球の打者の場合は、7割から8割は失敗に終わります。打者が150キロのストレートのイメージ記憶を取りだして準備しても、鋭く落ちるフォークボールを投げられると当てが外れます。イメージ記憶に基づいて行動してもよい結果が出るかどうかは分かりません。人生は自分なりの成功体験を基にして、予測や仮説をたてて、仮に行動するしかないのです。成功するも失敗するも神のみぞ知るという覚悟が必要になります。バッターの予想は、ほとんど外れますが、たまに良い結果が出ることがあります。それが2割5分から3割いけば、プロとして飯が食っていけます。失敗を恐れず、イメージ通りの球は確実に打ち返す練習を重ねておくしかありません。ほとんど失敗に終わるのなら、挑戦しない方がましだと考える人もいます。成功間違いなしと確信を得た後でないと、挑戦することは無謀であるという考え方の人もいます。神経質性格者は慎重ですからその傾向が強い。これは認識の誤りとなります。100%の成功を望んでいる人は、失敗した時こんな現実は受け入れられないと考えます。この場合は、今度再びチャレンジする時に、扁桃体が「不快」に振り分けて、ノルアドレナリンという神経伝達物質によって防衛系神経回路が作動します。潜在意識が自動的に失敗を呼び込んでしまうようになります。プロ野球で成功するためには、多くのみじめな失敗を許容できる精神力が必要になります。完全主義の人は無理です。減点主義ではなく加点主義の人が成功します。7回失敗しても3回成功すれば一流打者として脚光を浴びることができるとひたすら信じている人は、プロの世界で飯を食っていけます。仮説、実行、失敗、検証、再チャレンジというサイクルを回すことが肝心です。
2023.08.26
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仕事が多すぎてイライラするという人がいます。こじれると、うつ病の発症、休職、バーンアウト、過労死する人もいます。原因はいろいろあろうかと思われます。1、自分一人で多くの仕事を抱えている。2、仕事の優先順位の交通整理ができていない。3、仕事の取り組む姿勢に問題がある。1は、他人に仕事を任せることができなくて、自分一人で抱え込む場合です。仕事がなくなると自分の存在価値がなくなるような気がして手離すことができない。また、他人に依頼して断られることを怖れて仕方なく抱え込む場合もあります。こうなるとすぐにキャパオーバーになり身動きが取れなくなります。残業や土曜日、休日出勤で対応せざるを得なくなります。心身ともに疲れ果ててしまいます。そして仕事が雑になり、納期に間に合わないことになってしまいます。私の場合、集談会で世話役をお願いしたいときに、断られて不快な思いをするのがイヤで依頼できないことがあります。その結果一人で抱えてしまうことになります。他の幹事の人で依頼することが苦にならない人がいることが分かりました。ダメでもともと、引き受けてもらえればもうけものという考えができる人です。こういう人は断られたとき「そうですか。ではまた都合のよい時にお願いしますね」と引き下がるのが上手なのです。自分も相手も気まずくならないのです。その方に依頼して自分になり替わってやってもらうようにしています。2の場合ですが、仕事には必ずいつまでにやるという納期があります。納期を最優先する必要があります。やりやすい仕事を選り好みするのは問題です。スケジュール帳に書き込んで納期に間に合わせることが肝心です。それから、仕事にはすぐにできる簡単なものとどこから手を付けていいのか分からないような難しいものがあります。仕事は簡単でやりやすいものから、どんどんこなして数を減らしていくのが基本です。そして残りの時間で難しいものを手掛けていくように持っていく。限られた時間を有効に使う工夫をする必要があります。3ですが、複雑に見える仕事も分解してみれば、単純な仕事が絡み合っている場合が多いです。単純な仕事を軽視していると、複雑に絡み合って難しそうな仕事に見えてくるのです。ですから単純な小さな仕事を丁寧にこなしていくことが欠かせません。そうなれば、時間的にゆとりが出てきます。気持ち的にもゆとりが生まれます。仕事に追いかけられることがなくなり、仕事を追っていけるようになります。例えば、事務関係の仕事をしている人は、一枚の伝票をお金のように取り扱うことです。どんな伝票でも30秒以内に取りだすことを目標にするのは如何でしょうか。時間にゆとりが出てくると、難しい仕事に取り組む時間が生まれてきます。この点に関しては、2013年1月12日に「仕事に追われる人と仕事を追う人の違い」という投稿記事がありますので、興味のある方はご参照願います。
2023.08.19
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今日はマンションの大規模修繕工事の現場監督の段取り力について取り上げてみました。大規模修繕工事はおおむね12年から15年毎に行われる。大規模修繕の時期が近づいてくると、2年くらい前から修繕委員会が立ち上がります。まず管理会社や設計事務所などに依頼して建物診断を行います。つぎに指摘された修繕項目について取捨選択を行います。そして施工業者の競争入札を行います。施工会社からは工程表に基づいて説明会が行われます。このとき現場監督が紹介されます。そして満を持して半年から1年に渡る工事が始まります。工事は基本的には、足場を組み、建物洗浄、外壁タイルの補修、ペンキの塗り替え、床の下地シートの張替工事などがあります。その他、エレベータ取替工事、屋上防水工事、給水設備取替工事、LED電球取替工事、共用部トイレ取替工事、駐車場の白線引き、玄関改装工事、プレイロッド工事、宅配ロッカー設置工事など多種多様です。ここでは現場監督の段取り力と変化対応力が大きく左右します。工事に合わせて、毎日の朝礼、工事内容や注意点の居住者への周知徹底、水や電力の確保、騒音対策、資材の調達、資材置き場の設置、簡易トイレの設置、代替え駐車場の確保、コピー機など事務機器の設置、産業廃棄物の処理、交通誘導員の手配、職人さんの手配、職人さんの詰所の設置、工事の進捗状況のチェック、問題発生時の緊急対応、居住者や近隣対策、修繕委員会、管理会社、設計事務所との打ち合わせ、引き渡し書類の作成など細部にわたります。現場監督は過去にさまざまな経験を積み重ねています。過去のトラブルのケースや解決策をよく知っており、問題が大きくなる前に事前に対策を立てて実行しています。過去のミスや失敗は貴重な財産として今の仕事の中で活かしているのです。ミスや失敗の数の多さが、現場監督の善し悪しに影響を与えていると言われていた。疑問や問題点は自分一人で判断しないで、会社の人や修繕委員会の主だった人や施工管理者、職人さんと事前によく相談や打ち合わせをしています。その中でも問題発生に備えてキーマンは誰かを捕まえるのが早いし的確です。居住者の中でも工事に影響力を持っている人をすぐにつかんでいるのです。問題が発生した時は、その方に真っ先に相談しているのです。だから問題が実態以上に大きくならないのです。また職人さん、業者、メーカーなどとのネットワークの広さは驚くばかりです。森田でいう広く浅くという不即不離の人間関係が貫徹されている。現場監督は作業の進め方などを内容ごとにノートやパソコンなどによくまとめています。パソコンの扱いも得意で複雑な工程表なども独自のソフトを利用して短時間で作成しています。掲示物や配布物に手抜かりはありません。とにかくやるべきことをどんどん先取りしています。段取り力のよさは舌をまくばかりです。同時並行的にいくつもの作業内容を組み合わせているのです。例えば、設備屋、ペンキ屋、屋上防水、溶接業者などの職人が同時に作業しています。多くの職人や資材を臨機応変に手配して、全体をきちんと統率する能力は驚くばかりです。そのために人間関係調整能力、観察力、フットワークなどが大切になります。笑顔での声掛けを心がけて、むやみに敵を作らないという人間力は必要だと感じました。天候悪化で作業内容が変更になることはよくあります。作業の途中で仕様変更になることもしばしば発生します。想定外の出来事ですが、その変化対応力は驚くばかりです。想定外の問題の発生は、工事にはつきものであり、それを解消して納期に間に合わせるのが、現場監督の能力の発揮のしどころだと言われていました。その人は小さいころはガキ大将で手が付けられなかったそうですが、人間関係の持ち方はそのときに会得したと言われていました。過去に問題やトラブルを起こしても、人生に無駄なことは一つもないということだと思います。むしろミスや失敗、後悔の少ない人が大人になって苦労することになるということでしょう。同じ人間でもスケールの大きさを感じました。この人はどんな仕事についても成功するだろうと感じました。今回勤務棟の大規模修繕工事を管理人の立場から見させていただいて、仕事とはこうゆうふうに取り組むとうまくいくという手本をみせてくださいました。今回は私も大きな刺激を受けました。西国13番札所 石山寺
2023.08.13
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私は現在マンションの管理人をしています。毎日5時間の仕事です。主な仕事は、受付・清掃、立ち合い・点検・連絡報告・事務の仕事です。休憩をはさみながら、毎日決まった時間に決まった仕事を規則正しくこなしています。・管理人ポストの確認。居住者や来客対応。・棟の外回りの拾い掃き掃除。・解放廊下、階段の拾い掃き掃除。・玄関、エントランスなどの水モップ掛け。・各階解放廊下の水モップ掛け。(1日にワンフロア―ずつ)・ゴミ置き場の掃除。植栽への水やり。雑草取り。・玄関、エントランス、事務所、掃除道具置き場などの清掃と整理整頓。・鳥の糞やクモの巣取り、面格子、手摺、サッシの空モップかけ。・設備関係の点検、駐車場、駐輪場の見回り。照明器具の点検。・鍵や重要書類の確認と整理整頓。・2回目の巡回。管理会社への報告書の作成。これらは習慣化しており、あっという間に時間が経ちます。なんとせわしないと思われるかもしれません。ルーティンに従ってこなしているので、精神的にはとても楽なのです。ここでは森田先生が言われているリズム運動を意識しています。それと「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。毎日6000歩から10000歩は歩きます。とくに階段の上り下りはとてもよい運動になります。太ももが大きくなります。下りるときは斜め歩行で衝撃を和らげています。これは「人間の脳は足から衰えてくる」を意識しています。ルーティンワークを持っていることはいかに幸せなことであるかが実感として分かりました。毎日決まった時間に同じことを繰り返すことで、頭を休ませることができます。精神状態が内向き一辺倒になることを避けることができます。気持ちが外向きになることが習慣化してくると、身体も精神状態も健康になります。仕事や生活に弾みがついてリズムやテンポがよくなります。無理をして頑張り過ぎるとどっと疲れがでます。仕事は細く長くをモットーにしてできる限り長く継続していきたい。現在この仕事の最高齢者は83歳の人ですが、私は85歳を目指したい。実現の可能性は高いとみています。そしてブログの継続目標はとりあえず93歳です。もちろん地元集談会への出席は終身です。
2023.08.05
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森田先生のお話です。我々がお茶漬け飯をザブザフとかけ込むには、随分、箸と茶碗の持ち方、とくに左の手の茶碗の回転具合は、極めて微細な働きであるけれども、このほうにはほとんど気がつかないで、意識は飯をこぼさないようにとの目的ばかりに向かっています。また球投げをする時に、球のほうにばかりに注意を集中していさえすれば、適切に球を受ける事ができるけれども、意識がひとたび、自分の手つきや・腰の曲げ方のほうに向かうようになれば、すぐ球を受けることができなくなる。小指を怪我した時などでも、球が受けられなくなるのは、意識がその目的物を離れて、手元のほうに向かうようになるからである。薪割の時に、打とうとする一点のみを見つめていれば、百発百中であるというのも、この理由に基づくものである。(森田正馬全集第5巻 644ページ)森田先生は、意識が内向化してしまうと目的が達成できなくなる。反対に意識の外向化が起きると、目的を達成することができると言われています。今日は意識の内向化と外向化の関係について、車の運転を例に取り上げてみました。車の運転の練習を始めたときときは、誰でも意識の内向化が起きます。運転技術が未熟な時は、意識の外向化は起きません。意識の内向化には脳の前頭前野が絡んでいます。始動のしかた、チェンジレバーの操作、ウィンカー、ブレーキ、アクセル、ライトの点灯、ワイパー操作などが気になります。その次に、窓の開閉操作、空調の切り替え、ライトの切り替え、曇り止め操作、バックのワイパー操作、ナビの操作、テレビやCDの操作なども気になり始めます。まず車を止めた状態で、操作レバーの位置、操作方法を入念に確認します。これは比較的早く分かるようになります。次に自動車学校で実際に運転しながら、運転技術をマスターしていきます。これらが無意識的に自由自在に操作できるまで何度もくり返すことになります。その結果、運転やレバーなどの操作については、前頭前野を経由しなくても、大脳の側頭葉や運動野からダイレクトに手足に指示命令が出されるようになります。これは別の言い方をすれば、意識的行動が、無意識的行動へと変化してきたということです。無意識的行動になると安心してみてられます。しかも正確です。間違いがない。この段階でもし仮にちょっとした不安などがよぎると大変です。その不安の情報が前頭前野に送られて、無意識的行動でうまくいくようなことまで、ああでもない、こうでもないと詮索し始めるのです。練習では上手にできたのに、本番で失敗するのはこういう場合です。不必要な意識の内向化が起きて、行動の目的を達成できなくなるのです。自動車の運転の外向化とは、スピードメーターの確認、信号機の確認、交差点の人や対向車の動き、車線変更時の他の車の動向、交通標識の確認などがあります。意識の外向化は、そのときの状況や変化に合わせて素早く正確に行われています。車の運転の外向化は、運転操作が無意識的に自由自在にできるようになった後で初めて可能になります。脳でいうと意識が内向化しているときは、前頭前野から指示命令が出されます。意識の外向化が起きると、側頭葉や運動野などから指示命令が出されます。その時前頭前野は、完全にお休みしています。外向化に切り替わるまでは、教習所で訓練や練習を繰り返すことが必要になります。一旦意識の外向化を身につけると、それは一生使えるものになります。
2023.07.29
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生活の発見誌の6月号より三重野悌次郎氏のお話です。戦後の教育などは、子どもに納得させようというようなところがあって、近頃の子どもは自分が納得できないことはしないーー納得できないことはしないというのは、非常に自主性があっていいことだというような思想がありますが、これは大変な間違いだと思います。自分の納得できることだけするのでは、いつまでも進歩はないわけです。三重野氏は納得できないことでもしなければいけないと言われています。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。納得できることは、ある程度勝算が立つものが多い。自分なりにシナリオ通りに事が運ぶことを確信していることが多い。これは過去の成功体験に裏打ちされているのではないでしょうか。しかし現実はかならずしもシナリオ通りにならないことがあります。もし逆の結果が出た場合は、計り知れないショックを受けます。反対に納得してはいないが、生活のため、リスク回避のために敢えて行動しなければならないことも多い。この場合は、最初はイヤイヤ仕方なく取り掛かることになります。ダメでもともと、うまくいけば儲けものという気持ちではないでしょうか。取り組んでいるうちに弾みがついて、どんどん意欲的になってくる場合があります。最初はあまり期待していなかった成果がもたらされると望外の喜びとなります。私達神経質者は、少しでも不安が残るものは大事をとって挑戦しようとしない。リスクを犯した冒険を嫌がる。現状維持に甘んじてしまうことが多い。確実に見返りが期待できるものだけを選り好みしています。エネルギーの無駄使いは絶対に避けたい。ミスや失敗は、たとえ小さいものでも受け入れることはできない。神経質者は納得できないものは、最初からしり込みすることが多くなります。私も長らくこの考え方でやってきたのですが、今思うと完全に間違っていたと思います。私は大学を卒業して訪問販売の仕事をしていました。その時見込み客を重視していました。つまり買ってくれるお客様と買ってくれないお客様を勝手に選別していたのです。10人の見込み客がいれば3人くらいの人が買ってくれると思っていました。そこで3人の人には営業をかけていましたが、その他の人はどうせ訪問しても時間の無駄になるだけだと思っていました。ダメなことが予想されることにエネルギーを投入するのは消耗するだけだと思っていました。そして実際には見込み客以外の人を訪問することはしませんでした。その結果どんなことが起きたかというと、見込み客は落とすことはできないと考えているので、対応がぎこちなくなるのです。緊張して、しどろもどろになりました。商談に失敗するのです。また有力な見込み客思って訪問しても、あっさりと断られることが多々ありました。見込み客から断られると、立ち直れないような精神的ショックを受けました。仕事をする意欲が萎えてしまいました。そしてさぼることを覚えました。最後には、成績不良の営業マンになってしまいました。一方成績のよい営業マンはローラー作戦をとっていました。営業ノウハウよりも、数打てばノルマは果たせると気楽な気持ちなのです。できるだけ多くの人に接触することを重視していたのです。30人に営業をかけて、そのうち3人と成約できれば十分と考えて訪問販売の仕事に取り組んでいたのです。だから冷たい断わられ方をしてもほとんどダメージは受けません。断られる人を増やさないと、成約には結びつかないと考えているのです。こういうスタイルの営業マンはどんどん伸びていきました。私は中途退職しましたが、その人たちは定年まで残ることができたのです。その理由は、第一に断られても自尊心が傷つくことがありません。更に断られる経験を積み重ねることで、営業能力に磨きがかかります。セールステクニックが他の追随を許さないほど高められているのです。三重野悌次郎氏が言われているように、納得できなくても、やる気が出なくても、目的や目標に向かって手を出していくことはとても大事なことだと思います。森田理論に「努力即幸福」というのがありますが、成功するか失敗するかと気をもみながら、努力しているその過程が大切なのだと思います。仕事から逃げると、そのときは少しだけほっとします。しかしその後自己嫌悪、自己否定感で苦しむことになります。そのままでは苦しいので、酒やキャンブルなどで解消しようとするのです。どんどん悪循環のスパイラルにはまってしまうのです。
2023.07.20
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実践という言葉の「践」の右のつくりは「わずか」という意味があるそうです。「浅」というのはわずかな水深です。「銭」はわずかなお金のことです。「実践」という言葉は、わずかに自分の手足を使って実際に動いてみるということになります。考えてみると、仕事や日常生活は実践の連続ではないでしょうか。森田理論で「凡事徹底」に目覚めた人はこの方向に向かっているようです。反対にそれらにはできるだけ手を抜いて楽をすることを考える人もいます。余った時間でできるだけ生活を楽しむことを目指す。あるいはもっと価値のあること、クリエイティブなことを手掛ける。そして周りの人がアッと驚くような成果をあげて称賛を浴びる。生活面では料理、洗濯、掃除、整理整頓、修理や修繕、家計費の管理、親戚や近所との付き合いなどを親や配偶者や業者に丸投げしている。自分は会社勤めで生活費を稼ぐのが最大で唯一の仕事であると考えている。稼いだお金で煩雑でわずらわしいことを人に肩代わりしてもらう方がよほど効率的だ。仕事では大きな商談をまとめ上げて会社に貢献する。そして社長表彰の対象者になることを目指す。あるいは業務改善の責任者になって、事務の合理化や効率化を推進する。人のできないようなことを手掛けて成果を上げるのが本来の人間の進むべき道だ。だからめんどうで細かいわずらわしい仕事は他の人にやってもらう。一見効率的で理にかなった考え方のように見えます。こういう考え方になると、雑事、雑仕事などは、価値のない、とるに足らないつまらないものに見えてきます。それらは能力の劣る人がやることだとみなすようになります。私の体験では、この方法はザルで水を掬うようなことになると思います。仮に一時的にうまくいっても、どんどん水が抜け落ちてしまいます。例えば事務処理の仕事では、仕入伝票や売上伝票を取り扱います。それらを日付ごとメーカーごとにきちんとファイルする仕事があります。チェックが終わったのでもう用済みだと判断して段ボールの箱などにそのまま投げ入れていると、伝票の照合が必要な時に面倒なことになります。お目当ての伝票を探すのに時間がかかります。見つからないとイライラします。魚釣りの糸が絡まったような状態です。元に戻らないとあきらめてしまいます。こうして仕事全体が雑になっていくのです。そういう仕事ぶりの人は何かにつけて探し物をするのに時間がかかっています。精神的には何かに急き立てられるような感じになり、そのうち仕事をすることが苦痛になります。誰でも出来るような雑仕事に喜びや楽しみを持てる人は、基礎がしっかりしているので、その上に大きな建物を建てることができます。雑仕事を馬鹿にしている人は、砂上の楼閣を立てているようなことになります。そのうち基礎も立派な建物も崩れ去ってします。神経質性格の人の持ち味は細かいことによく気が付くことです。細かいことをきちんとメモして、次々に片づけていく能力に磨きをかけると、仕事が好循環するようになります。あの人にまかせておくと間違いないという評価を得ると自分の居場所ができます。足場をきちんと固めて、余裕があればもう少し大きな目標に向かう方が賢明だと思います。
2023.06.27
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生活の発見誌の5月号に三重野悌次郎氏の記事があった。それによると三重野氏の自戒の言葉は、「小苦を回避して大苦を生じ、大楽を追及して小楽を失う」であるという。ここで小苦というのは、日常茶飯事の雑事や雑仕事のことを指している。三重野悌次郎氏は雑事をおろそかにして人生はないと言われています。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。集談会で、ときどき家事手伝いの若い女性の悩みを聞きます「こんなつまらないことばかりしていると肩身が狭い。社会へ出て働きたい」私は女性が、社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。家事は我々の本来の欲望達成のために欠かせない仕事です。この大事な家事をつまらないという人は、社会に出て働いても、そこもまた、雑事の連続であることを見て、またつまらないと言うでしょう。どんな仕事も雑事の積み重ねです。その雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田博士のいうお使い根性で働けば、すべてがつまらないのです。ともあれ雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社 83ページ)大楽というのは、ドーパミンが大量に出るような刺激的、享楽的、本能的な快楽を求め続ける生活のことではないでしょうか。ちなみに田舎の住職さんによると、貪欲に欲望を満たそうとする態度のことを「餓鬼」(がき)というそうです。めくるめく快感を果てしなく追い求めていくようになりますと、一時的には幸福感に満たされます。カンフル剤的な効果はあります。しかしすぐにエネルギー切れの状態になり効果がなくなります。そこで急いで次の刺激、快楽を用意する必要が出てきます。しかし同じ程度の刺激では、以前のような強い快感は得られなくなます。そのためにさらに強力な刺激や快楽を注入する必要があります。イタチごっこになります。薬物療法でいえば薬の量と種類が増えていくようなものです。薬は基本的には毒ですから、どんな薬にも副作用があります。特に長期間の服用による副作用は目も当てられなくなります。さらにその効果が切れた時に、イライラするようになります。いてもたってもいられない精神状態に追い込まれます。これは薬が切れた時の離脱症状に似ています。刺激的な快楽を追い求めていると、そのうち欲望が暴走するようになります。欲望が独り歩きを始めて、制御不能に陥るのです。求めても、求めても満たされない欲望に振り回されるようになります。精神的に不安定になります。お金と時間の無駄使いも起きます。いつの間にか小さな楽しみや喜びは味わうことができなくなります。最終的に生きることはつらいことだという考えが湧き上がってきます。生きていても砂を噛むような味気なさを味わうようになる。刺激や快楽を追い求めるよりも、凡事徹底の生活の中で、小さな楽しみや喜びを味わうような生活習慣を作り上げることが大切になると思います。
2023.06.25
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西田文郎氏のお話です。人間を意欲的にさせるきっかけは5つあるそうです。1、何かに不満や反発を感じること。2、願望や欲求を持つこと。3、好きなことや得意なことを持つこと。4、負けず嫌いであること。5、感謝や使命感を持つこと。(かもの法則 西田文郎 現代書林 66ページ参照)集談会ではうつ状態で何もやる気が起きないという話をよく聞きます。そういう方は無気力、無関心、無感動な日々を送ることになります。そういう方はこれを参考にして過去を振り返ってみるのは如何でしょうか。だれでも情熱的な時期、意欲的に行動していた時期があったはずです。それを取り戻して、これからの人生に活かしていくことはできないものでしょうか。1は自分の理想と現実が乖離している場合、何とか現実を理想に近づけたいという気持ちになります。理想が持てなくなり、現状維持で十分と思うようになると意欲は出てきません。ただしこれは下から上を目指す時は有効ですが、理想から現実を非難・否定するようになると葛藤や苦悩を抱えてしまいます。神経症に陥る原因になります。この傾向が強い人は森田理論学習が役立ちます。2は課題や目標を持っている人は意欲的になります。課題や目標が持てないと、ただ延命を図っているだけということになります。人間は目の前の対象物に働きかけて新しいものを創造するという宿命を負っています。森田では人を意欲的にするためには、目の前の事実をよく見つめる。すると何らかの気づきや発見が生まれる。次第に感情が動き出し流れてゆきます。これが積極的、意欲的な行動につながると説明されています。3は好奇心、興味や関心が持てると意欲的になります。小さな成功体験の積み重ねは、プラス思考の人間を作り上げてくれます。高良武久先生は、10年くらいかけて自分の専門分野を極めていくことが大事だと言われています。小さな自信が次の目標を生み出して、次第にステップアップしていきます。4、神経質者は負けず嫌いな性格特徴を持っていると言われます。これをプラスに活かすことができると、意欲的になれます。ライバルを目標にして、追いつき追い越せと努力することはやる気を育てます。ライバル同士で切磋琢磨すればお互いに人生の醍醐味を味わうことができます。5、人の役に立つこと、人の為になることをする。そして感謝・感動の気持を持ち続けることは最高の生き方になります。自分の辛い神経症経験を後世の人の為に活かすことを考えて実行すれば、大きな社会貢献につながります。
2023.06.23
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生活の発見誌6月号に森田理論を様々に応用している人の記事がありました。その方は教師で教育に応用しているということでした。一つの例ですが、運動会の徒競走のときのことです。知的障害のある1年生の一人の女子は、担任の先生たちが横で励ましても、スタート地点から走ろうとしませんでした。学年主任だった私は、その子の前の方から、その子の名前を大声で呼んで、近づきました。すると、その子は私の方に向かって、走りだしました。私はその子の少し前を走ってゴールに向かいました。すると、その子は、私を追いかけて、ゴールできました。これは、目の前の目的を示すという森田の教育への応用の成果と思っています。(同書 66ページ)井戸水を汲み上げる時、呼び水を入れると水をスムーズに汲み上げることができます。この先生の行動は呼び水の役割を果しています。上杉鷹山は、「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言っています。さらに、山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」という言葉を残している。これが3点セットとして作動することで、梃子でも動かなかった人が、行動に踏み出すことができたとすれば、試してみる価値があるように思います。森田は、日常生活のなかで、小さな課題や目標を目指して、小さな喜びや達成感を数多く味わうことをお勧めしています。学校教育のなかで実際に子どもたちに働きかけて、成果をあげられたということは実に素晴らしいことです。わが家のベランダ
2023.06.03
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高良武久先生のお話です。昔、僕が若いころ、森田先生が1週間ぐらい温泉に行かれた。で、帰られたときに、僕が「1週間も温泉に行っていたら退屈するでしょうね」と言ったら、「僕は退屈するなんてことは全然ない」と言われるんだね。何かやるんだな、やっぱり。そのへんを歩きまわったり、いろいろなものを観察したり、書きものをしたり、活動的な人っていうのは、何か外界のものごとに関心を持つことが多いから、退屈する暇がないというんだね。自分の状態ばっかり観察している人間は、非常に空虚になりますよ。外界のものごとに触れて、そして、それに手をかけていくという生活態度になれば、非常にはつらつとしてくるんだね。私たちの精神というものは、ものごとに接触して、はじめてはつらつとしてくるんだから、一人じっとして、ただ自分の反省ばかりしていると空虚になりますね。いつも外界のものに心を向けて、そしてそれに関心をもって働きかけていくというような生活態度になれば、内向的な神経質的なとらわれから、自然に解放されていくんだね。(生活の発見誌 2023年4月号 7ページ)外界のものに心を向けるために、規則正しい生活習慣を作り上げることが大切だと思います。毎日のルーティンを確立することです。同じ時間に同じことをするという習慣をつくる。気が向いたときに気が向いたことをするというのは、あまりお勧めできません。私は30分おきに次々と取り組むことを変えていくのがよいと聞きました。これは「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。まず朝起きる時間を同じにする。そして就寝の時間も一定にする。これは休みの日も一緒にすることです。それから毎日の生活の軸になるものを作る。多くの人は仕事になるでしょう。あるいは家事の人もいるでしょう。子育ての人もいるでしょう。またボランティア、趣味の活動という人もいるかもしれません。毎日のコアになる活動が決まらないと、精神的には不安定になります。その間にもやるべきルーティンワークは様々あります。それを同じ時間に組み込んで自分の生活スタイルを作るのです。そういう習慣が出来上がると、自然に体が動いていくようになります。これはリズム運動と同じということになります。前頭前野を休ませて、手足を動かすことが多くなれば、心身とも健康体になれます。これをせわしないとみるのか、心を外向きにするコツの一つと思うのかは大きな違いです。山口県岩国市吉香公園
2023.05.30
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鍵山秀三郎氏のお話です。鍵山氏は、掃除をしている時は無心になれると言われています。掃除はすべて手を使います。便器も素手で洗います。手で感じる感性を大切にしているからです。手で感じたことは頭にも心にも響きます。自らの至らない人間性を少しでも向上させるためには、手で感じないと駄目なのです。目は臆病ですが、手は勇気があります。たとえば、トイレを目で見ると、汚いな、嫌だなと思います。でも、手で触れてみると、手は本当に勇気がある。小さな汚れや髪の毛1本でも指先で感じ取って、きれいにしようとします。結局、それは問題の本質に近づくということでもあるのです。大事なのは、目の前の問題から逃げるのではなく、できるだけ近づいて対応することです。(二度とない人生を生きるために 鍵山秀三郎 PHP 75ページ)実際に掃除を始めると、気になるところが次々にでてきます。鍵山氏は掃除の効用の一つは、「気づく人」になれることだと言われています。損得に気づく人は多いのですが、そうではなくて、今何が大事か、どうしたら人が喜ぶのかということに気づいて行動できる人になるのです。森田先生は行動する時は「なりきる」ことが大切だと言われています。わしは、風呂を炊く時には、風呂焚きになりきる。どうしたら、ゴミの整理がうまく出来るか、どうしたら少ない燃料で、もっとも早く風呂をわかすことができるか、真剣に研究し、工夫する。風呂を炊く時には風呂焚きになり切り、将棋をさすときには将棋さしになり切る。つまり、何をやっても自分の全力を尽くすのだ。そこには価値批判はなく、風呂炊きも診察と同じように興味があり、張り合いがある。これがもし、下手な価値批判にとらわれ、風呂を炊くより原稿を書いた方が得だ、原稿を書くより診察のほうがもうかる。診察より病院の経営をやった方が利益が多い、という工夫に損得ばかりを基準にして考えていくと、しまいには何もすることがなくななって、手をこまねいているか、あるいは詐欺をやった方が金儲けの早道だ、というようなことにもなりかねない。・・・風呂炊きでも飯炊きでも何でもよい。価値批判を抜きにして、とにかく気軽に手をつけさえすれば、いつの間にか興味が出て来て、研究と工夫を重ね、仕事はそれからそれへと発展して、社会に役立つ働きができるようなものだ。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 9ページ)圓鍔勝三彫刻美術館(広島県尾道市)
2023.05.24
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私は毎日マンションで掃除をしているのですが、指導員からこんな話を聞きました。人が見ていなくても、また汚れが目立たなくても、毎日同じ時間帯に、同じ場所を心を込めて取り組むのが掃除の基本です。心を込めて取り組んでいると、その人の人格が磨かれることになります。掃除が行き届き、身なりがきちんとしている人には、相手もそれなりに対応してくれます。他人から指摘される、あるいは汚れを確認して、これ以上放置できないなというときに始めるのは掃除ではありません。それを言葉で表現すれば「手抜き」です。「手抜き」仕事は、周りの人を不快にさせるだけでなく、やっている本人も面白くありません。この話を基にして凡事徹底について考えてみました。規則正しい生活は、生活にリズムが生まれます。生活のリズムに沿って生活していると、頭を酷使することがなくなります。特に神経質者は時間的な余裕が生まれると、悲観的なことばかり考える傾向がありますので、それを防止することができます。掃除に丁寧に取り組んでいると、他の気になるところが次々に見つかります。それをメモして、自分の課題として取り上げると生きがいになります。改善点を工夫するようになると頭の回転がよくなります。掃除は体を使います。まずよく歩くようになります。階段上りはとてもよい運動になります。足の筋肉が鍛えられます。毎日丁寧に掃除をしていると、周りの人から評価されるようになります。そしてねぎらいの温かい言葉をかけてもらえるようになります。思いやりのある温かい人間関係はとても気持ちがいいものです。掃除以外で毎日取り組むことに料理、洗濯、整理整頓、身だしなみを整えることなどがあります。ペットや観葉植物の世話をすること等があります。これらにも手抜きをしないで、丁寧に取り組むことが、神経症を防止してくれることになります。キーワードとして「凡事徹底」を心がけるということになります。バナナのたたき売り
2023.05.23
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