全114件 (114件中 1-50件目)
今日はテレビでよく見かけるお笑いタレントのジェイソン・ディヴィッド・ダニエルさんを紹介したい。さわやかで風刺の効いた面白いことを言う人だ。彼はもともとシステムエンジニアだ。来日して旭化成で音声認識ソフトの開発の仕事をしていた。その時に「エンタの神様」の面白さにはまったのが、芸能界に入るきっかけとなった。彼は現在、お笑い芸人のほか、ベンチャー企業の役員もしている。お笑い芸人の仕事のため、半休をとったり、取締役会を途中で抜けたりもしている。彼は「本業は何」と聞かれるけど、その言葉自体がおかしいという。これは仕事=人間という先入観、軽蔑の言葉であるという。お笑いもベンチャー企業の仕事もすべてが本業であるという。「僕は人間・ジェイソン・すべてが本業」と言い放つ。在日外国人である。日本語が堪能。もちろん英語も堪能。日本語と英語の同時通訳。翻訳ソフトの開発技術者兼役員。日本と日本人を風刺したお笑い芸人。これがジェイソンさんのスタイルだ。森田では自分の強みや長所を活かして生きていくことを目指しています。では他人と差別化できるような強みや長所がない人はどうすればよいのか。少しだけ差別化できる強みや長所が見つかれば、それらを組み合わせるという方法があります。トライアスロンというオリンピック種目があります。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロを組み合わせた競技です。トライアスロンに取り組む人は、それぞれの分野ではオリンピックにエントリーできる実力はありません。ところが3つを組み合わせると、オリンピック出場が可能になったのです。たとえ突出した強みや長所がなくても、2~3個得意技で注目を集め、生きがいを持てる道もあるということだと思います。
2024.09.23
コメント(0)
「動物学校」というリブズ博士の書いたおとぎ話があります。昔々、動物たちは、新しい世界の様々な社会問題を解決するために、何かしなければならないと考えて、学校を設立することにした。科目は、かけっこ、木登り、水泳、飛行であった。学校を円滑に運営するために、すべての動物にこれら4科目の履修が義務付けられた。アヒルは、水泳の成績は優秀だった。先生よりもうまかった。飛行もいい成績だったが、かけっこは苦手だった。それを補うために、放課後居残りをさせられた。やがて、足の水かきがすり減り、水泳も平凡な成績に落ちた。しかし、学校は平均的な成績でいいとされていたので、アヒル本人以外は、誰もこのことを気にかけなかった。ウサギは、かけっこにかけては最初から優等生だったが、水泳が苦手で居残り授業ばかりさせられているうちに、神経衰弱を起こしてしまった。リスは、木登りは上手だったが、飛行の授業では、木の上からではなく、どうしても地上から飛べと先生に強制され、ストレスがたまる一方だった。疲労困憊の末、肉離れを起こし、やがて木登りもⅭ、かけっこもⅮにまで落ちた。ワシは問題児で、厳しく更生する必要があった。木登りの授業では、いつも一番早く木の上に到着したが、先生の指示する方法にどうしても従おうとしなかった。結局、学年末には、泳ぎが得意でかけっこもまあまあ、木登りも飛行もある程度こなせた少々風変わりなウサギが、一番高い平均点を獲得して卒業生代表に選ばれた。学校が穴掘りを授業に取り入れてくれなかったことを理由に、モグラたちは登校拒否し、その親たちは税金を納めることに反対した。そして子供を穴グマのところに修行に出すと、後はタヌキたちと一緒に私立学校を設立し成功を収めた。(7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベア出版 417ページより引用)自分の長所や強みを伸ばすことに焦点を当てないで、欠点や弱みを人並みに引き上げようとしていると、元々持っていた自分の長所や強みは、しだいに精彩を欠いていくという話である。野村克也氏は生前こんな話をされていた。野球の世界で足が速い、肩が強い、球を遠くへ飛ばすことができるという特技を持った選手がいる。これらは持って生まれた才能であり、いくら訓練しても育たない。また、この3つをプロ野球の平均レベル以上に持っている選手はそうはいない。しかし、他の選手にはないきらりと光るものがあれば、プロ野球選手と生き残ることができる。半面、 1番厄介なのは、3つの全てが平均点の選手です。厳しい目で見れば、他の選手と差別化できるものがない。とりえがない選手ということになります。ですから、プロ野球の選手は、自分の劣っている面に焦点を当てて矯正する、能力アップを図り、人に追いつこうとする努力はほとんど無駄な行為なのです。これは一般の社会でも同じことが言える。自分の長所や強みを見つけて、そこを徹底して磨いていけば、組織の中で確実に重宝される。例えばパソコンの扱いが抜群に手慣れていれば、上司は自分の部署から外したくないと思うだろう。そう思わせることができれば、その人はそれだけリスクを少なくできるわけだ。これを我々神経質性格者にあてはめると、どういうことになるだろう。神経質者は細かいことによく気がつきます。これは天性のものです。また、真面目で粘り強い。物事を細かく分析できる能力がある。好奇心が強く、課題や目標を持って努力することができる。神経質者の欠点や弱点を修正しようとするよりも、自分の持っている特徴や能力に目を注ぎ、そこに磨きをかけていく。そのような生き方のほうがはるかに意味のある有意義な人生を送れるのではないだろうか。神経質性格を持ちながらも、神経症に陥っていない人は、会社でも神経質性格をプラスに捉えて、存分にその性格を生かしている人たちだと思われる。例えば周囲の人から依頼されたことを、どんな小さな事でもメモして確実に実行していく。それを積み重ねて信頼感を勝ち取っている。コツコツと長い時間をかけて作り上げてきた信頼感は、組織の中で活かされて絶大な力を発揮している。
2024.06.08
コメント(0)
結婚相手を選ぶ時、性格が似通った人を選ぶのか、あるいは性格が違う人を選ぶのか、悩ましい問題です。集談会で知り合って結婚した人を何組も見てきました。集談会というのは、神経質性格者がほとんどである。同じような性格・気質の人同士が一緒になれば、素敵な家庭を築くことができそうに思えます。森田先生は神経質同士の結婚は考えものだと言われている。神経質者同士は、お互いに心持がよく分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げあって、相手にばかりそれを改良させようとする。グジグジといつまでも言い争いをする。およそ、結婚は気質の違った人同士が、うまく組み合わされるほうがよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。結婚について最も大事なことは「調和」ということです。森田先生の言われていることは果たして本当なのでしょうか。異質な性格特徴を持った人同士が結婚すると、磁石でいえばプラスとマイナスが引き合うような関係になることが考えられます。何十年という単位でみると、自分にない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係になることが考えられます。1+1が2ではなく、3にも4にもなるという可能性があるということです。相手の気になる部分を包容力を持って受け入れることができれば、確かにかけがいのない夫婦になることはできかも知れません。さて同じ神経質性格といっても、強迫神経症タイプの人と不安神経症タイプの人はかなり違うように思います。それは人間関係の面において顕著です。不安タイプの人は配偶者や家族をとても大事にする。一般的には陽気で明るく、他人の気持ちを思いやることができます。私は以前大阪に単身赴任していました。友人で不安タイプの方は金曜日になるとすぐに帰省していました。家族に会うことを指折り数えて待っているのです。強迫神経症タイプの私は、休みになると関西の観光地を巡り歩くことを楽しみにしていました。逆に家内のほうが大阪に遊びに来るようなことがありました。強迫神経症タイプの人は、一人でも生きていけるタイプかも知れません。自立心が旺盛です。逆にいえば自己中心的な面が強い。結果的に他人の気持ちを思いやることは苦手です。プライドが高く、人を傷つけることを平気で口にすることがあります。反対に自分が他人に傷つけられることについてはとても敏感です。他人から評価され、一目置かれることに大きな喜びを感じる人です。自己中心的なために、やり過ぎになることが多々起きます。もし集談会で知り合って結婚する場合は、不安タイプと強迫タイプの組み合わせがよいように思います。強迫神経症タイプ同士の場合は、よほど注意する必要があります。一緒になって落ち込んでしまっては、機能不全家族になってしまうからです。奈良県 長谷寺本堂
2024.04.23
コメント(0)
米長邦雄さんの話である。将棋の対局はほとんどの棋士が羽織袴である。通常の手合は背広にネクタイ姿で対局している。これは誰かが見ているとか見ていないとか言う問題ではなく、自分が職業としている将棋というものへの敬意である。ところがある時ジャンバー姿で対局している若者がいた。対局後、私は彼を別室に呼んで注意した。「競輪場へ行くような格好で対局してはいかん。みんな背広とネクタイできている」努めて高圧的にならないように言ったつもりだったが、たちまち反論されてしまった。とにかく、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うのである。全ての出来事は、自分の頭で判断でき、それが必ず正しいと思い込んでいる。自分の頭では判断不能なことがあり、判断できたことでも誤っている場合があるということは、プロとして将棋を指していればすぐにわかるはずだ。であるなら、先輩に注意されたら、 「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」という気持ちを持っていることは棋士の昇段に関わる重要なことになる。米長さんは、熾烈な勝負を繰り広げている棋士にとって、素直に忠告を聞かない人に勝利の女神は、決して微笑まないと言われている。なぜなら勝負を決するような重要な山場で舞い上がってしまい局面が読めなくなる。客観的な立場から全体を見渡すことができなくなり、無理やり自分の考え方を押し通そうとするのである。将棋の世界は、自分のやりたい放題のことを仕掛けて勝てるというような甘い世界ではない。百戦錬磨の棋士がしのぎを削っているからである。棋士を職業とするからには、攻撃にかける時間以上に、客観的な立場から戦況について検討を加えていく能力が欠かせないのだ。よく将棋の対局で長考しているのはその作業を繰り返しているのである。(運を育てる 米長邦雄 クレスト 96頁より引用)将棋の世界は攻撃以上に防御が必要になると言われています。それは5対5ではなく、4対6くらいの割合になるのかもしれない。勝負に勝つためにはこのバランスが非常に大事になってきます。防御は、イケイケドンドンの攻撃一辺倒の時は軽視しがちになります。バランスが崩れるとサーカスの綱渡りでは地上に落下してしまいます。森田理論では神経質性格の人は自己内省力が強いと学びました。これが強すぎると、考えることが内向き一辺倒になる可能性があります。行動は消極的になり、考えることは観念的になります。そして自己嫌悪、自己否定で苦しむようになる。しかし米長邦雄氏は自己内省力のない人は大成しないと言われています。自己内省力は、反省力、分析力、客観化できる能力のことです。素晴らしい能力です。この能力はお金を出して買えるようなものではありません。また、この能力がないと、双極性障害の躁状態になります。ここで肝心なことは、自己内省性は生の欲望に向かって努力しているときに、初めて効果を発揮する能力であるということです。生の欲望の発揮が6、自己内省力が4くらいの気持ちを持って目の前のことに取り組むことが必要です。米長邦雄氏は、アマ三段とプロ棋士四段の差は紙一重だといわれる。しかし、待遇面では将棋で生活できるか、あるいは引退を余儀なくされるかという大きな差がついているのです。自己内省力の強い神経質者は、自己内省力を大いに評価したいものです。
2024.02.29
コメント(0)
元巨人の桑田真澄氏の話はとても参考になります。打者というのは、このコースに投げると必ずと言っていいほど振ってくるポイントがあります。桑田氏は敢えてその近辺で勝負をしているという。そのほうが勝負が早い。桑田氏の得意球は大きく曲がるカーブです。ところが打者はなかなか振ってくれない。またギリギリのところを狙って投げても、審判はそういう球になれていなくて、ボールと判定されることがある。ストライクともボールとも取れる球をすべてボールと判定されると、審判に腹が立つし、自分の投球にも狂いが生じてくる。フォアボールを連発して自滅することほど情けないことはない。桑田氏は以前にホームランされた球種、コースは自分でもよく覚えているという。普通のピッチャーはその球種、コースは避けて勝負しようとするが、桑田氏は敢えてそこを意識する。その根拠として、長所の隣には短所があると信じているからだ。桑田氏はコントロールにかなり自信があったのでこれができたという。勝負するときはスピードに変化をつけてタイミングを外すことを意識する。1キロ速いか、遅いかによってタイミングはずらせる。また、数センチ球がホップするか沈むかという変化をつける。あるいは球一個分ずらす。微妙な変化をつけるのです。打者はヒットゾーンの球は高い確率で打ちに来る。そうすれば球数を少なくして打ち取れる確率が高まるのです。桑田氏は絶えずそういう勝負を仕掛けていたという。私たち神経質性格は短所を意識しやすい。心配性である。小さな問題を自分の一生を左右するような大きな問題に膨らませてしまう。いつまでもクヨクヨ悩む。自己嫌悪、自己否定してしまう。他人から非難されるとむきになって反発する。桑田氏の説によれば、短所と長所はコインの裏表の関係にあるということになります。神経質性格の長所は、高性能のレーダーやソナーを標準装備しているようなもので感受性、感性が鋭い。問題や課題の発見能力が高い。それを細かく分析して原因追及ができる。ライバルを意識して粘り強さを発揮する。目標や夢に向かって努力することができる。しかし神経質者は短所は意識するが、長所を意識することが少ない。順序が逆になっているのです。短所や弱点はそのままにして、長所や強みを意識してさらに鍛えて伸ばしていくことが大事になります。ないものねだりをやめて、今の自分に備わっている性格、資質、能力を活かすことに注力した方がよほど意味のある生き方ができると思う。
2024.02.22
コメント(0)
2014年6月24日投稿の再録です。宮大工の菊池恭二さんという人がいる。菊池さんは、木はそれぞれ強烈な個性をもっているという。「檜」は丈夫で癖がなく木肌はつやがあり美しい。香りもいい。何より耐久性に優れ、腐りにくく長持ちする。害虫にも強い。このため柱や梁や桁、土台など構造材には最適です。ただ成長が遅く、用材しては高価になります。「欅(けやき)」は、固くて強い木です。檜よりも堅い。それだけに加工するのがとても難しい木です。狂いも少なく、耐久性、耐水性、耐汚性に優れている。植林できないのでとても高価です。「樫」も非常に硬い木ですが、建築用材としてはあまり使いません。加工がしにくく、乾燥しにくいためです。カンナの台にするにはもってこいの木です。「檜葉(ひば)」は、殺菌効果の高いヒノキチオールを多く含むため、木を腐らせる腐朽菌に強い。ヒバ普請の家は蚊が寄り付かない。白アリに強いなどの特徴があります。強度も檜なみ、耐水性は檜以上です。「杉」は檜ほどの強度はないが、それなりに水にも強く、木目がまっすぐにとおっていて加工しやすい。大量に植林されているため安く手に入ります。「松」は、固くて曲げる力に対して強く、耐久性もあるので梁などに使われてきた。マツヤニをだし、腐りにくい。耐久性、耐汚性に優れ、線路の枕木などに利用されてきた。このように木は、それぞれ強烈な特徴を持ち合わせています。その上で、同じ木でも育った場所によってそれぞれ違う個性を発揮する。山の南側、北側、谷、峰などどの場所に育ったのか。成育環境の違いによって、右にねじれたり左にねじれたり、節が多かったり少なかったり、柔らかかったり硬かったりする。宮大工の大切な仕事の一つに、その癖を見極め、建物のどの部分にどう使うか決めていくことがあります。温度や湿度の変化によって木は曲がったり割れたりします。木は暴れるのです。これを木癖と言います。木癖を無視して、たとえば、右にねじれる木ばかりを組み合わせたりすれば、建物は右にねじれてしまいます。これを防ぐには右にねじれる木と左にねじれる木をうまい具合に組み合わせて、ねじれの力を相殺してやる必要があります。木癖を読み切り、適材適所にあてがうことで、建物の歪みを防ぐとともに、長年の風雪に耐ええる堅牢社寺建築を実現するわけです。それが宮大工の技です。これは人間にも同じようなことが言えると思います。同じ親から生まれ、同じ親に育てられても、兄弟姉妹それぞれに顔かたちも違うし、独特な個性を持っています。ましてや違う親から生まれた他人は、気質など大きく違うのが当然です。森田先生は全集5巻で人間の気質を7つに分類されていました。神経質性格の人とそれ以外の人とは水と油のようなもので、決して混ざり合うことはありません。我々は、自分の持って生まれた独特の特徴や個性を早く自覚する。森田理論の神経質の性格特徴を学習すればそのことはよく認識できます。そしてその特徴や個性を磨いていく。最終的には自分自身を活かし尽くす。高め尽くす。またそれぞれに違う他者の特徴や個性を認める。互いに受け入れて互いに活かしあう。そういう人間関係を目指していく。宮大工の菊池さんは、ないものを求めるのではない。あるものを見つけ出して、活かしつくすことの大切さを教えてくれています。これは森田でいう唯我独尊の考え方と同じです。(宮大工の人育て 菊池恭二 祥伝社文庫参照)
2024.02.10
コメント(0)
スイスの精神科医・心理学者であるユング博士によると、人は内向的な人と外向的の人の2つのタイプに分けられるという。内向的な人は自分の内面との対話を重視している。外向的な人は他者との関係性を重視しているという。神経質者は自己内省的であると言われています。ユング博士の、自分の内面との対話を重視している人が多い。自己内省性にはメリットもデメリットもあります。メリットは次のようなことがあります。自分の考え方や行動を細かく分析することができます。他人や状況を細かく観察して的確な診断を下すことができます。分析力が鋭く的確で説得力のある説明ができるようになります。事故や不具合の原因を追究するためには必要な能力となります。一方自己内省性にはデメリットもあります。上から下目線で自分の行動、性格、境遇、ミスや失敗を批判的に見るようになる。反省する力が旺盛で恥ずかしい思いをしたことはいつまでもよく覚えてします。イヤの思いをしたことは、「不快」「嫌い」と判定して、二度と手を出さないようになります。制御機能が強力で、行動は消極的、回避的になります。人間の脳では顕在意識と潜在意識が働いています。顕在意識は建前で、潜在意識は本音と置き換えてみましょう。いくら建前で鼓舞しても、本音の部分が賛同しなければ、積極的な行動にはなりません。むりやり行動しても途中で挫折することが多くなります。脳内では湧き出てきた感情を扁桃体が「不快」「嫌い」と振り分けて、神経伝達物質のノルアドレナリンによって、その情報が青斑核に送られて防衛系神経回路が作動することになります。防衛系神経回路が作動すると、行動は回避的、抑制的になります。いくら意志の力で打開しようとしても改善することはできなくなります。自己内省性という傾向を一方的に悪いことだと決めつけるのは問題です。自己内省性は、行動が暴走しないように制御する役割を持っています。ここで問題なのは、内向性と外向性のバランスが崩れていることです。自己内省力が強く働き、注意や意識の外向化が起きなくなっているのです。本来、注意や意識の外向化を最優先することが大事になります。その次に自己内省性を適宜活用していく。自己内省力一辺倒の人は外向化が蚊帳の外になっているのです。バランスを取り戻すことが必要になります。注意や意識の外向化を図るためには、仕事や日常生活の中で、絶えず課題や目標を意識して生活することです。やるべきことをあらかじめリストアップすることが肝心です。次に森田理論で学習したように「ものそのもの」になって取り組むことです。広島三景園 向こうに見えるのは広島空港管制塔です
2023.10.16
コメント(0)
学校行事ではおもしろい珍事があるという。学校の運動会では足の速い人は足の速い人同士、遅い人は遅い同士で走らせる。学芸会では入れ代わり立ち代わり主役が何人も登場する。見ている人はどうなっているのか訳が分からなくなる。これは足の遅い人や主役になれない人が卑屈にならないように配慮しているのだという。能力的に無理な人が劣等感で傷つかないように、学校側としては生徒の身になっても、最大限の配慮をしていることです。いじめ対策を狙っているのでしょうか。このような配慮は差別をなくして平等な社会を築く効果があるのだろうか。現実は足の速い人、遅い人がいます。演技の上手な人、下手な人がいます。それ以外にも、勉強の好きな人、嫌いな人がいます。絵画、音楽、書道、運動の好きな人、嫌いな人がいます。料理、釣り、自然散策、ペットの飼育、園芸が好きな人もいます。無関心の人もいます。リーダーシップを発揮することが得意な人、反対に他人との付き合いが苦手な人もいます。神経質性格で心配性の人もいれば、発揚性気質で外向的な人もいます。人間は個性の宝庫だと思います。千差万別です。ある面では突出した能力を持っていても、他の面では人並以下というのが現実です。それを一つの分野に絞って、良い悪い、できるできない、能力があるないとランク分けするのはあまりも無謀です。その人の得意分野を見つけ出して、ほめて励まして伸ばしてあげることが肝心だと思います。私が高校生の頃は、すべての人の点数が一覧表にされて配布されていました。また教科ごとに成績上位者は名前と点数が廊下に張り出されていました。これによって成績のよかった人は益々やる気に火が付きました。その結果どんどん成績が伸びて、難関大学に合格していきました。成績の悪い人はどうなったか。当然勉強には力が入りません。ところが私の高校は高校駅伝の名門校でした。3年間マラソンに打ち込んだ人は、箱根駅伝の常連校から引く手あまたでした。さらに有名大学を卒業してもなかなか入れないような実業団チームにスカウトされていきました。現在の青山学院大学の陸上部監督の原晋氏もその一人です。原晋氏がキャプテンをされていた時は、下馬評は悪かったのですが、原氏の統率力のおかげで準優勝の快挙を成し遂げています。彼は学力はありませんでしたが、マラソンのおかげで大学卒業後中国電力に入りました。足を故障して選手としてはすぐに引退に追い込まれました。その後、営業マンとして再出発し、トップ営業マンとして復活しています。青学陸上部監督の手腕はそのときに身につけたものが多いという。私は人生というものはその分野でこれをやらせたら他の追随を許さないと思うようなものを見つけて磨きをかけるほうがよいと思います。それがどんなニッチの世界でもよい。それを見つけることが大切になります。集談会で大学の4年間は自分の得意分野を見つける活動期間に充てた方がよいという話を聞きました。世の中には12000種くらいの職業があるそうですから、神経質性格を活かした適職は必ず見つかるはずです。得意なことは自信につながりますし、益々やる気が出てきます。すべての面で人並を目指してもほとんど使い物になりません。それよりは自分の好きなこと、得意な分野をさらに伸ばしていく人生に乾杯です。老婆心ながら、それに加えて森田理論学習を続けた人は素晴らしい人生になると思います。大菊の苗
2023.09.21
コメント(0)
今日は、砂、真砂土、岩石の特徴と用途の話です。これらはそれぞれに使用用途は限られています。適材適所で使うととても役に立ちます。ところが使い方を誤ると全く役に立たないばかりか、粗大ごみになってしまいます。砂・・・最近世界中で建築用の砂の奪い合いが起きています。中国、インド、アメリカ、日本などでコンクリートを作るときの砂の需要が高まり、奪い合いになっているそうです。世界には砂漠地帯にいくらでも砂がありますから、問題ないように思われますが、粒子が細かすぎて建築材料としては使い物にならないそうです。ちなみにコンクリートの砂は粒子が粗い砂が適しているそうです。ガラスにはケイシャが必要ですが、これは石や砂から取りだしているそうです。パソコンの製造に必要なシリコンあります。シリコンは土や砂に含まれている硅石という鉱物から作られています。砂地で降水量がないところでは、保水力がなく、植物や樹木はほとんど育ちません。真砂土・・・真砂土に腐葉土、牛糞、鶏糞、バーク堆肥などを混ぜると、微生物やミミズなどが住みつき、園芸、野菜作りなどに利用できるようになります。ただし、モルタルやコンクリートの材料としては不向きです。岩石・・・花崗岩、石灰岩、大理石のようなものがあります。岩石は、城壁、墓石、庭石、建物の基礎、生活資材、建築材料などとして使われます。しかしその用途は限られています。こうしてみるとそれぞれに強烈な特徴と強みを持っていることが分かります。弱みをなくすることよりも、それぞれが元々持っているものを活かして、適材適所で活躍できる場を提供するしか使い道はありません。しかし性格をそのように考えることは難しいようです。私達は神経質性格を持って生まれました。神経質性格にはプラス面とマイナス面があります。これは森田理論の神経質の性格特徴を学習すればよく分かります。基本的にマイナス面に注意を向けるよりも、神経質性格のプラス面の特徴を活かすことを考えた方がよいと思います。プラス面の特徴としては、繊細である。感性が鋭い。分析力がある。粘り強い。好奇心が強い。努力を惜しまない。責任感が強い、まじめであるなどです。その他、興味や関心のあるもの、元々持っている素質や能力に光を当てて、磨きをかけていくほうがより味わい深い人生を送ることができるようになります。
2023.08.02
コメント(0)
2013年3月12日に「ミドリ亀の飼育」という記事を投稿しました。その子どもは保健室登校児でした。担当の養護教師が家庭訪問のときに、小さいときからとにかく動物の世話をすることが好きだということが分かりました。そこで、その教師はちょうどクラスでミドリ亀を水槽の中で飼っていたので、その子どもに「君がそのミドリ亀の班長だ」と役割を持たせました。するとその子どもは、「じゃあ、ミドリ亀の世話にいくか」と言って教室に行くようになったというのです。彼は、ミドリ亀の飼育に関してはものすごく有能で、他の子どもが太刀打ちできないくらいの知識を持っているのです。すると、ミドリ亀を育てることによって、自分はクラスの誰よりもすごいところがあるということに、自分自身で気づいたのです。自信が生まれてきたのです。それからは、他の面でもどんどん能力を発揮し始めたということです。普通他人の長所や強みと自分の短所や弱みを比較して、自己否定に走ることが多いと思います。森田理論学習で気づいたことは、短所や弱点ばかりの人はいないということでした。そこに注意や意識を持って行くよりも、長所や強みもあるはずだから、そちらに注意や意識を向けて磨きをかけていくほうがよほど意味がある生き方ができるということでした。また、他人の短所や弱みを見つけて批判するよりも、その裏にある長所や強みを見つけて、評価していくほうが人間関係はうまくいきます。以前の私は、神経質性格はよくない性格だと思っていました。神経質性格の特徴を学習すると長所と短所はコインの裏表の関係にあることが分かりました。たとえば心配性であるという特徴があります。これは小さなことに囚われて、いやな気分にいつまでも振り回されるという面があります。ところが裏を返せば感性、感受性が豊かであるということになります。鋭い感性は芸術、創造性の発揮には欠かせないものだということが分かりました。だから心配性という性格は大変貴重な性格だったのです。私の場合、森田理論の学習のなかで執着性が強いことが分かりました。何か問題が発生するとそれを徹底的に分析しないと気が済まないのです。自分が納得できる答えが見つかるまで粘ることができるのです。それと読書が好き、文章を書くことも好きという特徴があることが分かりました。それを活かしてブログに取り組めば味わいのある生き方ができるのではないか考えました。今後はその特徴を活かして生きていきたいと考えています。わが町内会の神輿です。
2023.07.13
コメント(0)
外国人は人と同じということに悩み、人と違うことを喜ぶという。人と違うところを持っているのは、神様から与えられた自分の個性、アイデンティティがあると考える。違うところを持っているのは、良いことだと考えて、それを活かして生きていこうとする。たとえハゲ、デブ、チビでもそれを改善しようとは考えない。ウィングなどを買い求めることはお金と時間の無駄になると考える。それよりもスキンヘッドを自分の売りと考えている節がある。ハワイなどではかなり太っている人がいるが、積極的にダイエットに取り組んでいる人はあまりいない。日本人はそうは考えない。人と違うということに引け目を感じる。人より劣っていると判断すると、時間とお金をかけて人並を目指すことになる。本来の目標や課題を忘れて、そこに全エネルギーを投入するようになります。本末転倒とはこのことです。特に完全主義、完璧主義の人はその傾向が強い。自分の持っている強みや長所に光を当てようとは考えない。ありがたいことだと感謝することはない。さらに強みや長所を大きく育てていこうという考え方はしない。実にもったいないことをしています。逆に弱点や短所はどんなに小さなことでも放置できないと考える。人と比較して劣っているところがあると、我慢することができなくなります。容姿、体型、能力、境遇、性格など人それぞれ違っていてもよいはずだが、本音の部分では受け入れることができないのです。弱点や短所を持っている人が、それが気になるのはどうすることもできない。不快な感情は池の中の鯉のように自由に泳がせておくことが大事になります。次に不快な感情に振り回されないように心がけることです。不快な感情と行動を切り離すことが、その後の展開を大きく左右します。不快な感情を抱えたまま、その時その場で適切な行動を選択して実行することが大事になります。
2023.06.14
コメント(0)
マンションの大規模修繕の現場監督から聞いた話です。ほとんどの現場では2人一組になって仕事をしているそうです。その際誰と組むかが作業効率に大きく影響してくるということでした。その監督は指示しなくても次々と自分の仕事を見つけ出してくる若手を指名しているということでした。1つ指示をすれば、それに付随して2つも3つも課題を見つけることができる人です。そしてこまめに動く人であれば最高です。始末が悪いのは指示したことしかしない人です。現場監督が指示するまで待っている。いちいち指示しないと、動かない。一旦指示したことが終わると、次の指示を何もしないで待っている。はずみがついて次の仕事をかたづけておこうという気持ちにはなれないようだ。時には指示したことに「それはできません」と反発してくる。そういう人と一緒に仕事をしているとイライラしてくる。疲れがたまる。むしろ一人でやった方がうまくいく。この話を聞いて入院中の水谷啓二先生の話を思い出した。いつまでも庭にしゃがんでいるのも、なんだか格好がわるいので、私はジョロに水を入れて来て、その草花に注ぎかけました。すると、いつの間にか、また森田先生が縁先に出てこられ、「君は何をしているのかね」と聞かれます。「はあ、草花に水をかけています。土が乾いていましたから」と答えました。すると先生は、「見給え、これは1年きりの草花で、盛りはとっくに過ぎて、まさに枯れようとしている。君は枯草に水をやってどうするつもりかね」と笑われてしまいました。森田先生は、その枯れた草花を根ごと引き抜いて、庭土の上に放り出されました。私がそれを拾って、ゴミ捨て場に捨てに行こうとしますと、「待ち給え」と語気するどく呼び止められました。「大の男が、枯草一つ持ってどこへいく。そんなことをしていては、何一つできないうちに、日が暮れてしまう。この花を身給え。盛りを過ぎた草花が、まだたくさんあるではないか。みんな引き抜いておき給え。あとでほかのものを買って来て植えよう」と言われました。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 8ページ)私たち神経質者は高性能のレーダーを標準装備しているといわれます。普通の人と較べると、もともと気づく力は旺盛なものがあります。神経症に陥っているときは症状にフォーカスしているためにゆとりがないのです。神経症から回復すると次々に気づきや発見が生まれてくるようになります。感情が動き出すと、行動したいという意欲が湧いてくるようになっています。
2023.05.29
コメント(0)
武田勝氏は2006年から2016まで11年間、北海道日本ハムファイターズのサウスポーの主力投手として活躍しました。特に2010からの4年間は10勝以上を4年連続で達成しています。言うまでもなく10勝というのは一流投手の証です。それ以外にも8勝以上が3回あります。優れた投手だったのです、ローテーション投手として信頼される人だったのです。ところが、武田投手の平均球速は129キロだったそうです。高校生並みの球速だったのです。むしろそれより見劣りがする。現在1軍で活躍するピッチャーの速球が、140キロ後半から150キロ台がほとんどです。武田投手は、よくこれでクビにならなかったものだと思う。どんなことをして生き残っていったのか、興味は尽きない。彼の特徴は、利き腕の肘が「くの字」に曲がっていることです。両腕を前に伸ばしたときに、左だけが極端に曲がっています。これはアマチュア時代に左ひじを繰り返し故障し、欠けた骨がくっつき、そのまま固定されてしまったのだそうです。普通このような状態では、まともな仕事を続けることはできない。これを致命的な弱点、欠点と考えて、引退を考えるのではないでしょうか。自分で自分の欠点を嘆き悲しむようになると思います。それに輪をかけて、周りの人も厳しい目で見てくる。馬鹿される。軽蔑される。非難される。否定される。よほどのことがない限り、球団が契約してくれないと思います。武田投手は、致命的な欠点をあえて隠さず、長所として活かすにはどうすればよいかと発想の転換を図ったそうです。彼は短所の裏側には、必ず長所があるはずだと考えたというのです。それを見つけることができれば、プロ野球の選手として生きていけるはずだ。無いものねだりをしないで、あるものを鍛えて生き残ろうと考えたのです。彼は肘が「くの字」に曲がっていることが自分の強みだと考えたのです。速い球は投げられませんが、変化球なら十分通用する。彼はスライダーとシュートに活路を見出しました。武田投手と対戦した選手が次のようにコメントしています。彼のスライダーは一度ストライクゾーンを大きく外れるように見えるが、途中から方向を変えて内側に食い込んでくる。ボールと判断して見逃せば、ストライクになってしまう。きわめて厄介なボールを持っていた。これに対抗するためには、ボールのスライダーがきたと思った時、振りにいかないと相手の思うつぼとなる。独特の持ち球はスライダーだけではありません。スライダーとは反対に変化する、切れのよいシュートも持っています。右に左に変化する球を予測していると、129キロの速球でも遅れてしまう。武田投手は、「真っすぐの握りでわざと手首を寝かすだけでボールが勝手にシュートしてくれる。手首をひねらなくてもよいので、シュートを多投しても手首の故障を防げる」と言っています。武田投手は利き腕が「くの字」に変形していることを自分の強み、長所としてとらえ、それに磨きをかけることで、11年間プロ野球の世界で優れた成果を出し続けた人だったのです。この考え方は、神経質性格の人は大いに参考にしたいものです。神経質性格は小さな不安にとらわれて、葛藤や苦悩を抱えます。それをマイナスと捉えないで、類まれな優れた性格と捉えて、それに磨きをかけて勝負していくという考え方に転換するのです。感性が鋭い。慎重で用心深い。緻密である。リスク管理ができる。分析力が鋭い。生の欲望が強い。責任感が強い。粘り強さを持ち合わせている。このように神経質性格を弱点や欠点と考えないで、自分の強みや長所と考える。これは森田理論学習の「神経質の性格特徴」を学習すれば理解できます。それを活かして生きていくことになれば、有意義な人生を送ることができます。
2022.11.29
コメント(0)
元中日監督の落合博満氏のお話です。中日監督時代、選手にバッティング教えたことはほとんどない。打撃コーチも見ているだけで、教えることは何もしない。絶対変えなければいけないというときだけは、教えることはあった。その教え方ですが、「こういう方法もあるよ」というような言い方をしていた。これをやれ、こうしろという押し付けはしていない。本人に考えさせ、導く形をとっていた。ソフトバンクの柳田悠岐選手の打撃については、「よくこれで打てるなと思う。一番独特な打ち方をする選手。同じような打ち方の選手は記憶にない」でもそれでいいんじゃない。つまり彼が、自分に合った結果を出せる独自の打撃術を開発したということだよ。彼の代名詞は、フルスイングだけど、「力強いスイングができなければ、ボールは飛ばないしね」と理解を示している。また彼の打撃は、アッパースイングだけど、この打ち方はかつてはタブー視されていたものだ。彼はその常識を見事に覆した。痛快です。また柳田選手がスイングした際に、踏み込んだ右足の甲が投手側から見えます。昔は、これは修正すべき欠点だとみなされていた。コーチなどから「打った後に右足の甲を見せるな」と指摘されていた。でも柳田選手が今それをすると、膝を痛めてしまう。ケガをしてダメになってもだれも責任を取ってくれない。自己責任というのがプロ野球の世界だ。柳田選手は実績を出すことで、常識を変えていったといえる。落合さんは、プロ野球の世界で生きている人は開拓者のようなものだという。プロ野球選手としてスカウトされる人は、それなりにいいものを持っている。それを自分の力でどんどん伸ばしていける人が勝ち組となる。プロ野球の選手になることが最終目標だった人は、そこから伸びてこない。そこが出発点だと自覚して、努力精進した人が脚光を浴びる。勝ち星が伸び悩む、打率が上がらない、ホームランが打てないとき、ついコーチの助言に依存してしまうことがある。それは仕方がない面がある。でも基本的には、プロ野球選手になった人は、コーチの指導に過度に依存してはいけない。依存し過ぎて、自分の考えやスタイルを軽視すると墓穴を掘ることになる。落合氏は現役のとき、だれが何と言おうと「オレ流」を推し進めた人だ。一見すると、頑固で、融通の利かない、堅物のように見える。でもそれは違うと思う。自分の信念をもって、押し通すことが絶対に必要になる。自分の感情や気持ち、意思や理想、欲求や欲望、希望や夢を軽視・無視する人生に陥ってはならない。これは森田理論でいえば、課題や目標を持った生き方、つまり生の欲望を軽視した生き方は、人間本来の生き方から離れてしまうということだと思います。他人中心ではなく、自分中心の生き方を追求していかないと、後悔することになると指摘されているような気がする。
2022.11.23
コメント(0)
現在家電量販店が各地で大量出店しています。その特徴は、どこも圧倒的な品ぞろえと低価格です。そして5年間無料補償を行っている。テレビ宣伝や新聞チラシの攻勢はすさまじいものがあります。これでは町の電気屋さんはとても太刀打ちできないと思いがちです。一般消費者も町の電気屋さん自身もそう思っています。その結果、大手量販店の系列店になっているところが多くなっています。そんな状況の中で生き残っている電気屋さんがあります。どんな戦略で生き残っているのか興味は尽きない。ひと言でいえば、地域密着型のサービスを徹底的に貫いているのです。たとえば、天井の照明の蛍光灯が切れた。年配の人は途方に暮れる。蛍光灯を買っても取り付け方が分からないこともあるのです。そんな時、町の電気屋に相談すれば、すぐに飛んできて取り換えてくれる。家電製品が故障した。すぐに診断してくれる。直せるものはすぐに修理をしてくれる。万が一修理不能の時は、その人に合った商品を紹介してくれる。古いものは引き取って持って行ってくれる。さらに取り扱い方や使い方を丁寧に説明してくれる。使っている途中で分からなくなっても、すぐに駆け付けて教えてくれる。これはパソコンなどでは重宝する。そして使い方の注意点も教えてくれる。ついでにスマホの使い方を尋ねると、サービスで指南してくれる。これなら少々高くても全然問題にならない。年配の人にとっては遠くの量販店よりも、近くの親切な電気屋さんの方が頼りになる。普通町の電気屋さんは、量販店の勢いに飲まれてしまって、前途を悲観してしまうのではないでしょうか。自己否定ばかりではお先真っ暗になります。この時必要なことは何か。自分の現状や状態を正しく見つめることです。品ぞろえ、低価格、補償内容ではとても太刀打ちできません。でも昔から地域に密着して、家族構成まで把握しています。その人たちに量販店ではできないサービスを提供することはできないか。一つはフットワークの良さで勝負する。とにかく素早い対応を売りにする。1時間でも早くをモットーにして行動する。そして、これでもかという懇切丁寧な対応を心掛ける。次に買ってくれた人には、きちんと設置してあげる。そして試運転をして使える状態にしてあげる。使い方や注意点を懇切丁寧に説明する。その後故障や使い勝手の悪さを抱えている人はいないか。量販店のように売ったら終わりではなく、売った後のアフターサービスを徹底する。この分野では量販店の追随を許さないという姿勢で臨む。自分の弱みや欠点に注目すると、将来に希望は持てなくなります。逆に自分の強みや長所を認識して、そこでお客様のニーズに応えるという姿勢に目をつけると、その後の展開は大きく変わってくるということではないのか。森田では神経質性格には、マイナス面とプラス面が同居していると学びました。プラス面は細かいことによく気が付く。分析力が高い。人の気持ちを理解できる。粘り強い。責任感が強い。真面目である。生の欲望が強く、目的や目標に向かって努力している人が多い。弱みや欠点、ミスや失敗に関わり続けるよりも、神経質性格のプラス面に視線を移し、存分に活かす方向で努力した方がよいと思われます。
2022.10.30
コメント(0)
生活の発見誌9月号の岩木久満子氏の記事は大変参考になりました。この中で神経質性格の特徴について説明されています。これによると、大項目として、生の欲望と自己内省をあげておられます。生の欲望というのは、外に向けて自分を活かそうとする欲望のことです。自己内省は内向きに自分のことを考え悩む傾向があるということです。生の欲望に対応する小項目として、向上発展欲と自己保存欲があると説明されています。そしてそれぞれ下位項目でその特徴を取りあげられています。その説明が的確です。自己内省に対応する小項目として、自己観察と理知をあげておられます。私が面白いなと思ったのは、これらをよく見るとまるっきり反対の特徴です。つまり神経質性格には、相反する特徴が多分に含まれているということです。このように理解すると神経質性格の特徴が今まで以上によく分かります。例えば生の欲望に対しては、自己内省が対立している。天秤でいえば、右に生の欲望があって、左に自己内省があるようなものです。同じ重さのものを乗せないとたちまちバランスが崩れてしまいます。バランスが崩れると存在すること自体が不可能となります。生の欲望と自己内省力はセットで装備されていて、そのバランスを維持することが肝心です。この場合、まず生の欲望を発揮することが大切になります。その次には、自己内省力を働かせて、欲望を制御することが大事になります。生の欲望の小項目である向上発展欲には、自己保存欲が対立している。誰でも積極的、生産的、建設的、創造的な人生を送りたいという欲望があります。これが向上発展欲です。でも、新しいことに挑戦するにはリスクが伴います。現状に特段の問題がなく、ある程度満足していると、現状維持で十分ではないか。しんどいこと、面倒なこと、イヤなこと、エネルギーの浪費は避けたいという気持ちが出てきます。普通は気分に振り回されて、楽な方向に向かうことが多くなります。自己保存欲が前面に出てくると、向上発展欲は急速にエネルギーを失ってしまいます。これでは人間本来の生き方からは外れてきます。味わいのある人生を送りたいならば、相対立する別の側面にも焦点を当てて見ていかなければなりません。両面観の考え方です。そしていかにバランスを維持していくかが私たちの腕の見せ所となります。
2022.10.24
コメント(0)
神経質性格の人の中に、負けず嫌いでプライドが強い人がおられます。周囲の人と調和を目指すよりも、我が道を突き進む傾向が強い。私の人生はこの方向で行くと決めている人は問題がないのかもしれない。だが周囲の人とある程度のかかわりを持ちたいと思っている人は、少し緩めていく必要があると思う。今日はそれを森田理論で考えてみたい。あなたはプライドが高い人だと言われたことがある人は必見です。プライドの高い人は、他人は戦うべき相手と考えている節がある。他人と競争し、勝負を賭けて張り合う気持ちが強い。相手に勝って、周りの人から称賛されることに大きな喜びを感じている。征服欲、コントロール欲求が強いのかもしれない。チームや仲間を作って、お互いに助け合って目標を達成することはあまり視野に入っていない。孤立しても別に構わないと思っている。単独行動を好む傾向が強い。その方が気を使わなくて済むので、精神的に楽なのである。人生は一人になっても十分楽しむことができるはずだという思いが強い。ちなみにこの傾向は、強迫神経症の人が強いように感じています。不安神経症の人は、仲間を気にかけ大切にする傾向が強いように思います。ですから、強迫神経症と不安神経症のカップルはぶつかることが少なくうまくいく場合が多いように思います。負けず嫌いという性格は、目的達成という面ではプラスに働くことがある。同僚をライバル視して、闘争心に火がついて、必死に努力する人もいる。営業成績でライバルに勝って称賛されることに喜びを感じている。順調なときは、発言内容も行動も、積極的・活動的で魅力いっぱいの人間に見える。しかし短期間では爆発的なエネルギーを発揮するが、継続性に欠け、いずれ息切れする例が多いように思う。それは自分を無理やり鼓舞して行動に駆り立てているので継続性がないのかもしれない。自分の本心と乖離しているからかもしれない。負けず嫌いが裏目に出ると大変なことになります。他人が自分に寄り付かなくなり孤立してくる。人間関係が対立関係に陥りやすく、人から敬遠されるようになるのだ。最悪一日誰とも会話しないで過ごすようになると、心身ともに病んでくる。さらに自己内省力が強い人は、自分を責めて、劣等感で苦しむことになる。他人からの何気ない一言で大きく傷つく。あからさまに非難、否定、叱責、無視、軽蔑されるとひどく傷つく。そんな状況に陥ると、精一杯の抵抗を見せて、相手に反撃を加える場合もある。他人の悪い評価を気に病むようになると、行動は消極的、回避的になる。予期不安に振り回されて、行動することができなくなってしまう。自分を擁護してくれる人がいなくなると、孤独でさみしい人生を送ることになる。親や配偶者がいなくなると大変なことになる。ただし友人がいれば大丈夫です。ですから負けず嫌いは、ほどほどに抑えて他人との暖かい交流を楽しむ方がよいと思う。そうなれれば、肩の荷が下りて、もっと楽な生き方ができるのではなかろうか。ではどうすればよいのか。そういう性格だからどうしようもないことなのか。そうではないと思う。森田理論で考えてみたい。かくあるべしを押し付ける前に、相手の立場に立つことを心がけることである。傾聴、共感、受容、許容、感謝の気持ちを前面に押し出す。形から入るということです。イヤイヤ仕方なしでも結構です。相手の話など聞きたくないでしょうが、一息置くことを心がけるのです。自分の気持や感情、思考、欲望や要求を、いきなり相手にぶつける前に、できるかぎり我慢することです。自己主張する前に、少しだけ相手の言い分に耳を傾けてみようでよいのです。こうなりますと、殺気立った人間関係が格段に改善します。これを実行すると相手と自分が縦の人間関係ではなく、横の人間関係になります。ここがポイントです。縦の人間関係は、上下の人間関係です。「かくあるべし」を押し付けたり、押し付けられたりの人間関係です。これはまずいいです。横の人間関係は、譲ったり、譲られたりの平等な人間関係に変わります。こうなりますと、ひとまず敵対関係は解消されます。交渉や妥協や話し合いの余地がでてきます。ここをぜひ自分のものにしてもらいたいと思います。次に、人の役に立つことを見つけて行動するとさらに人間関係はよくなります。生活の中でちょっとした小さな親切行為を数多く実践するようにする。人の役に立つことを探し回っていると、相手と戦うことは考えなくなります。相手から親切な言葉がけをしてもらったり、親切なことをしてもらった時は、「ありがとうございました」と笑顔で感謝の言葉を伝えるようにする。
2022.09.25
コメント(0)
プロ野球の世界で「遅い球」を武器にして輝かしい成績を上げてきた人がいる。阪急(オリックス)から阪神で活躍した星野伸之さんだ。星野さんのストレートは130キロに満たなかったという。120キロ台はバッティングセンターで我々が対戦しているスピードある。つまり素人が気持ちよく飛ばしてストレス解消できるスピードである。高校生でも130キロ台が普通というのに、それを下回っていたという。星野さんはそれにもかかわらず176勝を挙げた。名球会の一流投手に近い成績を残している。100勝あげれば一流投手と言われるのにどうしてそんな活躍ができたのか。星野さんは、遅い120キロ台のストレートと90キロ台のカーブが持ち球だった。その緩急の差をつけることを心掛けていたという。それに加えて、投球フォームが最大の武器だった。投げる左手を身体の側面で隠して打者を幻惑させた。打者は握りが見えないから球種が読みづらい。腕の出所が分からないのでタイミングがとれないのだ。この変則的な投球フォームに自信を持っていたのである。それと、前向きで積極的な「逆転の発想」を持っていたことである。『以前は「よし、抑えてやる」と力んで投げていた。でも、結果が出ない。ならば「どうぞ打ってくれ」とね。ど真ん中の球でも打ち損じて野手の正面をつくことだってあるから』力勝負で相手バッターをねじ伏せてやるという気持ちは全くない。ただタイミングを外してバットの芯に当てられないことだけを心掛けていたのだ。こうなると気が楽になる。気持ちの上で優位に立てる。打者の方は草野球並みのスピードの球が打てないのでイライラする。(一流アスリートの身体能力 二宮清純 富家孝 青春新書 144ページ参照)今の時代120キロのストレートしか投げられない投手はドラフトとは無縁である。草野球でもやっていけるかどうかというレベルである。そういう方が、プロ野球の世界で素晴らしい成績を残して活躍していたというのは驚き以外のなにものでもない。いくら飯よりも野球が好きだと言っても、能力的に無理なものは無理だと思いがちです。星野さんを見ていると2つの球種のコンビネーション、球を見えづらくする投球フォーム、投球に対する考え方で一流の域にまで到達された。私たちは他人と比べて能力に雲泥の差があると、早々にあきらめてしまいます。星野さんを見ているとあきらめるにはまだ早いといわれているような気がします。弱点や欠点は視点を変えると、とてつもない強みや長所として活かすことができる。ただし、弱点や欠点を目の敵にして否定していると、そんな芸当はできません。その事実や現状を素直に認めて受け入れることが欠かせません。そしてそれを活用するための工夫を積み重ねる。その姿勢を持っていると、とてつもない成果をもたらすことがある。あきらめるのはその後にした方がよいということだと思います。
2022.03.14
コメント(0)
今日は「炎の男」といわれたプロボクサーの輪島功一氏を取り上げてみたいと思います。輪島功一氏は4重苦を抱えたボクサーだといわれていました。それはアマチュア経験がない、デビューが遅すぎる、身長が低い、リーチが短いということです。目が見えない、音が聞こえない、話すことができないというヘレンケラーを想像させます。普通ならばプロボクサーになれないだろう。私なら早々に見切りをつけて次の進路を探すだろう。ここが我々と輪島氏の違うところだ。輪島氏は負けん気が強く、しかも粘り強い人だった。25歳でプロデビューすると、7連続KO勝利でウェルター級の新人王をとった。これで終わらなかった。その後も快進撃は続いた。そして世界ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)のチャンピオンになった。しかも6度の防衛を果たした。圧巻はその後である。一旦世界王座から転落したにもかかわらず、再度挑戦して2度にわたってチャンピオンに返り咲いている。一旦負けてしまうと、引退する人が多い中で極めて異例である。常識的に考えると、ハンディがあるとまともに闘っては勝てない。輪島氏はハンディをアドバンテージに変えることはできないか必死に考えたという。そこで考えたのが「カエル跳び」だった。力仕事で鍛えていた足腰のばねを活かすことを考えたのだ。「カエル跳び」は、まずカエルのように低い姿勢をとって相手の視界から消え、つぎにパッと飛びあがってパンチを繰り出す。電光石火の動きだ。ボクシングの常識を覆す奇想天外な奇襲戦法だった。それを見た人が「あれがボクシングか。ボクシングをバカにするのもいい加減にしろ」と極評する声も多かったという。しかしボクシングのルールには、一度沈み込んでカエルのように飛び上がってはいけないというルールはなかった。この「カエル跳び」スタイルこそが、輪島氏に幸運をもたらしたのだ。輪島氏は4重苦を持ちながらも、そのことを嘆き悲しんではいない。それを補って余りあるものはないだろうかと考えた。自分が持っているもので、相手を上回っているものはないか探したのだ。最終的には、仕事で鍛えた強靭な足腰のバネを最大の武器と認識して、それを活かして勝負することを思いついたのだ。そして一度食いついたら絶対に離さないという目的意識の強さが味方した。これは我々神経質者にも大いに参考になる話である。神経質性格には細かなことが気になるという小心な面がある。ところがそれは感受性が強いという長所でもある。その長所を活かすことは考えられないだろうか。神経質者は高性能レーダーを標準装備しているようなものなのです。持っていない人が喉から手が出るほど欲しいものなのです。でもその人たちは手にすることができない。私たちは生まれながらに備わっているものなのです。あまりに高性能すぎて無用の長物だと否定する前に、どうしたらその機能を活かすことができるだろうかと考える人は味わいのある人生を送ることができる。
2022.01.27
コメント(0)
日本人としてはじめて、アメリカのプロバスケットボールリーグの最高峰NBAのプレイヤーになった、田臥勇太選手がいました。バスケットボールの選手には身長2メートルを超える人がざらにいますが、田臥さんは173cmと小柄です。これは大きなハンデではないかと思いますが、田臥さんの認識は違います。「むしろ、背が低いから何ができるのかを探すことが面白い。たとえば、転がったボールを相手より早く飛び込んでもぎ取る。そういうことで差が出ると、すごくうれしいのです」背が低いことを逆に自分の武器にして、大きな選手にはなかなかできないスピーディーな動きや、いろいろなスキルやテクニックで勝負しているのです。体が小さい人でも、足が速い、素早い動きができる、器用であるという特徴を持っていればNBAのプレイヤーになれるのです。しかし現実は厳しいものがありました。デビュー戦からわずか1か月後には解雇されました。4試合に出場して、プレー時間は合計17分でした。ここで意気消沈してバスケットボールをやめてもおかしくありません。しかし、田臥さんは夢をあきらめることはありませんでした。その後もNBA復帰を目指して下部リーグでプレーを続けました。その後、日本に戻り、リンク栃木ブレックスに入団しました。そして、Bリーグで見事優勝に貢献しています。田臥さんは、欠点と長所の関係について考えるヒントを与えてくれています。例え致命的な欠点があっても、逆にその欠点は見方を変えると長所になることがある。普通、人と比べて劣っていると認識すると、そこに注意を集中させて、なんとか人並みの段階になるように修正しようとします。田臥さんは、それは努力目標が間違っていると言っています。人間には短所があれば、それと同じくらいの長所もあります。また短所と思われる裏には、それは短所ではなく類まれな長所が隠れていたということもあり得るわけです。神経質性格は、取り越し苦労をする、内向きになりやすい、こだわりやすい、完全欲が強く観念的で行動力が少ないという面があります。あるだけならよいのですが、それをよくないものと判断して、自己嫌悪、自己否定しています。森田理論を学んで、性格には両面性があることが分かりました。鋭い感受性の持ち主である。物事をより深く分析することができる。目標に向かって努力することを惜しまない。粘り強く努力家である。真面目で責任感が強い。大きな夢や希望を持って努力する傾向がある。神経質者の場合は、欠点や弱みを修正することに専念するよりも、欠点や弱みの裏に隠れている長所や強みを過不足なく評価することが大事だと思います。そして自分の強みや長所で勝負するという気持ちを持ち続ければ、その後の展開が大きく花開いていくいくように考えています。
2022.01.15
コメント(0)
西田文郎さんが行動力という面から、男女をそれぞれ5つのタイプに分けておられる。森田にも関係するところがありますので、これを私なりに補足して紹介してみたい。まず、男性の場合1、「ツバメ」型(5%)・・・課題、夢や目標を持ち、その実現に向けて積極的に行動している人。森田理論でいう生の欲望に向かって行動している人である。大局的な視点を持ち、リーダーとして人を鼓舞してまとめる力がある。情熱的で野心家で冒険家である。イケイケどんどんタイプ。ただしそれが先行し過ぎると、思わぬ落とし穴が待っている。2、「カモメ」型(10%)・・・「ツバメ」型の不足している部分をカバーして強力に補佐するタイプ。「ツバメ」型のようなリーダーシップはとれないが、責任感が極めて強く、問題点や課題を発見する力があり、事前に予想される障害物をとらえることができる。「ツバメ」型の人とタッグを組むと、1プラス1が3にも4にも増強される。ナンバーツーの役割を自分の使命として全力を投入できる人。良い意味で小さな不安や問題点を見逃さないで真剣に取り組むことができる人。3、「ニワトリ」型(35%)・・・会社では指示・命令されたことは必至でこなしているタイプ。気分に振り回されて、楽な道や逃避することを潔よしとしない。人間としての責任は果たしている人。生きているという実感が持てる人。使命感や責任感があり、堅実に仕事をこなし、仕事以外のこともきちんと取り組んでいる人。会社でも家庭でも堅実な頼りがいがある人として人望が厚い。生活の中で小さな楽しみを味わっている人。社会人として立派な人である。ただし本音と建前が乖離すると、ストレスで苦しむこともある。4、「スズメ」型(45%)・・・指示されたこともきちんとできない。楽をしたい、人が見ていないと怠け癖の体質が身についている人。どちらかというと、刹那的、享楽的、本能的、消費的な生活を続けている人で、生きがい、目標達成、夢の実現などとは無縁の人である。その日その日を惰性で生きている人。少なからずモヤモヤした生き方をしている人。5、「カラス」型(5%)・・・自分や他人を批判や否定ばかりして、いつも対立関係に陥り、喧嘩を売っているタイプ。そうすることで存在意義を見出している人。常時欲求不満で、人生に投げやりになっている人。組織のお荷物になっているタイプで、リストラ候補になっている人。しかし本人にはその意識が希薄である。こうしてみると、好ましいと思われる1から3までのタイプは50%である。生きがいとは無縁で、悶々と惰性で生きている人が50%である。2人に1人というのは、ちょっと多すぎはしないだろうか。私の場合、神経症で苦しんでいた時は、4のタイプだった。時には5のタイプが顔をのぞかせていたと思う。幸い、森田理論に出会い、学習仲間と付き合うようになって、3のタイプに変化してきたようである。そして、生涯学習として森田理論を位置づけることで、多少なりとも1にも2にも近づきつつあるのかもしれない。女性の場合1、「ツバメ」型(5%)・・・男性の「ツバメ」型と同じです。やり手の女性経営者のような人ですが数はそんなにいない。結婚にあたっては、男性の「カモメ」型との組み合わせが、最強コンビです。男性の「ツバメ」型とは、理想のように見えますが、船頭が二人いることになるので、必ずしもうまくはいかないかもしれない。2、「タカ」型(10%)・・・家庭生活、子育て、近所付き合いのことに関しては、男性に変わり、全責任を持って、取り仕切っているタイプ。「おかみさん」タイプ。女性にとっても、男性にとっても安定感・安心感があります。男性の「ツバメ」と一緒になると、大きな成果につながる可能性があります。また男性の「ニワトリ」型とも平和な家庭を築くことができると思われます。3、「カナリヤ」型(45%)・・・家族融和、子育て、仕事、近所付き合い、趣味、ボランティアなどのバランスを維持しながら、毎日精一杯生きている人。次々とやるべき課題が多く生活に張りがあります。小さな幸せのかけらを毎日いくつも味わっているような人。45%の人がこのタイプというのは頷けるような気がします。4、「白鳥」型(5%)・・・変なプライドを持っており、自己主張が強いタイプ。数は多くはないのですが、時々このタイプの人と出会います。本人もつらいでしょうが、なんとなく周囲の人から敬遠されることが多い。理屈っぽいので、一見「ツバメ」型と見間違えることがあるが、その違いはほとんど見るべき成果を出していないことです。5、「ダチョウ」型(35%)・・・扶養家族の地位に安住し、それを最大限に利用して、自分の思うままに自由奔放で刹那的、享楽的、消費的な生活を最優先させている。その日一日を楽しく過ごせればそれでよしというタイプ。そのくせ何か物足りないような生きづらさを抱えている。このタイプの人が35%もいるというのは問題かもしれない。これらは固定したものではなく、難しいことですが、森田理論学習に取り組むことによって、多少なりとも違う型に移れると思っております。以上は、「ツバメの法則」西田文郎著 徳間書店 62~63ページをもとにして投稿しました。
2022.01.10
コメント(0)
森田先生は、人の気質を7種類に分類されています。意志薄弱性気質の人は、いわゆる感情鈍麻で、人生の欲望・向上心に乏しく、下等の感情に支配されるばかりである。神経質者は自分が意志薄弱ではないか、ヒステリーではないかと、悪い方面ばかりを考えて、独り心配し苦労するが、意志薄弱者はそんな事は全く平気で、修養とは全く無関係の人のことである。抑鬱性気質の人は、陽気の人と反対に、陰気で気のふさぐ方で、何ごとも消極的である。時どき神経質と区別の難しいことがあるけれども、この方は、単に気が沈むというだけで、神経質のように、自己内省が深く行われていないのである。偏執性気質の人は、物事に凝り性のもので、やたらに自分の権利義務を主張するとか、学問や発明に熱中するとか、哲学に凝り、宗教に惑溺するとかいう人であって、一般の人間味が乏しくて、何か、ただ一つの事にのみ執着するような人である。その他、感情過敏で自己内省の乏しいヒステリー性気質、陽気で交際上手な発揚性気質、表面と内面が一致しない解離性気質について説明されている。私たちのような神経質気質の人は、自己内省的で、何かにつけて、自分のことを観察批判して用心深く、石橋を叩いて渡るという風である。すべて理知的で感情を抑制する事が強い。したがって軽はずみではないがヒネクレである。自己中心的、他人に対しては、情愛がうるわしくはないが、信頼を置くことができる。悪い方面の事のみを、我事のように自分に引き当てて反省する。人と喧嘩する時でも、神経質者は、自分の欠点や、悪い点を充分に考えて、しかるうえで争う事ができる。(森田正馬全集 第5巻 364ページ 要旨引用)神経質者は、欲望が湧き上がっても、素直にその実現に向けて行動しない。欲望には不安がつきものであるが、欲望の実現に向かって努力するよりも、障害物である不安を取り除くことにエネルギーを投入する。ミイラ取りがミイラになるようなものである。本人は不安をすべて取り除いて、しかる後に欲望の追及に専念したいと考えている。行動している中で問題が出てくれば、そのときに解決策を考えればよいという気持ちはない。不安に注意や意識を向けていると、普通は自己内省的になる。それもネガティブで悲観的な考え方になり、それが悪循環するために、手も足も出なくなる。いつのまにか、欲望の追及が蚊帳の外になる。そして悶々としてくる。消極的で逃避的な自分に対して自己嫌悪するようになる。ますます観念の世界にどっぷりと漬かり、退屈を持て余すようになる。最後には、生きることが苦痛になり、生きていくことがむなしくなる。私たち神経質者はどういう心構えで生活していけばよいのだろうか。まず不安は欲望がある限り必ず発生するものだということをしっかりと理解することが大切になる。そのうえで、欲望をしっかりと意識することだ。目を離さないことだ。神経質者は生の欲望が旺盛というのがその特徴だ。車でいえばアクセルが欲望だ。これを第一優先順位とする。アクセルを踏み込まないといつまで経っても目的地には到着しない。ブレーキ(不安)は欲望が暴走したり、横道にそれたりしないように、適宜利用すればよいのだ。欲望と不安の関係を森田理論学習によって理解すること。それ以外に不安の特徴や役割、欲望の制御の必要性ついても十分に理解すること。理解したら即実行することだ。そして次に観念優先で事実を無視する態度の弊害を理解することも大切だ。事実を優先して、観念・理知は補助的に活用することを学習して自分のものにする。確実に身につけると、あなたの人生はその日から全く新しいものに生まれ変わるのである。ここまで至れり尽くせりで、教えてくれているのが、森田理論学習と学習仲間たちなのである。森田理論学習の醍醐味は大きくはこの2点に集約されると思う。
2022.01.09
コメント(0)
みなさんフィットネスクラブにはどんなイメージがありますか。立地条件が良いところにある。たとえば駅に近い。中心街にある。歩行マシーンや筋力アップの器具がたくさん並んでいる。歩行マシーンの上には何台もテレビが設置してある。広いプールがある。シャワー室や広い風呂がある。私物を置いておくためのロッカーがある。男女のインストラクターが何人もいる。最初のうちはつきっきりで懇切丁寧に指導してくれる。私が大阪に単身赴任の時、通っていたフィットネスクラブもそうでした。その会社はみんなが知っている大きな会社が経営していました。会社が契約しているので比較的安価に利用できた。多くの人がこのようなイメージ持っている時、もしこの事業に新規に参入したい人はどう考えるでしょうか。相手は、この業界では大手企業なので新規の参入は難しい。初期投資がかかり過ぎだ。家賃や人件費も高くつく。資金も不十分だ。銀行の信用がないので融資も受けられない。ないない尽くしの状況で、新規参入すると、かえって返り討ちに合うはずだ。あきらめるしかないか。そして指をくわえてみるだけになるのではないでしょうか。こんな状況の中で、あえて参入して大成功を収めた会社がある。カーブスという会社だ。2005年に事業を開始して、いまでは全国に2000店舗ある。急拡大している。まだまだ成長途上にある。この会社は今あげた弱みや短所を逆に強みや長所として成功した。この会社のクラブには、マシーンはない。プールもない。シャワーもない。クラブは駅前にはない。住宅街や商店街にある。だから家賃も安い。特徴としては、女性専用のクラブである。スタッフも全員女性だ。時間的には30分だけの健康クラブである。予約は不要です。だから買い物途中でちょっと立ち寄って、指示に従って運動をする。腰、お腹、たるみ、体重、ひざ、体力、血圧の改善を目的としている。月単位の申し込みになる。決して安価ではない。入会金も必要になる。それなのに、大盛況なのである。私の住んでいるところから5分のところにスーパーがある。その2階にそのクラブがある。近所のおばさんたちに口コミで広がったのだという。今や女性のニーズを完全につかんでしまった。どうしてそんな芸当ができたのか。今まで年配の女性が一人で駅前にあるフィットネスクラブに通うには敷居が高かった。通うにしても気合を入れて、アスリートのような気持で取り組む必要があった。交通費もかかる。時間も下手をすると半日潰れてしまう。毎週通っていると家族や近所の人に目をつけられてしまう。満を持して通っても周囲は男性ばかりで、好奇な目で見られることがある。風呂やシャワーやプールがあっても、その後の化粧に時間がかかる。結果的に、運動によって腰、お腹、たるみ、体重、ひざ、体力、血圧の改善を図りたいというニーズに応えてくれるサービスは存在しなかったのである。このフィットネスクラブの成功は、欠点や弱点を抱えて、劣等感で苦しんでいる人たちに勇気を与える。ないない尽くしの欠点や弱点は、時として自分の長所や強みになることがあるのだ。欠点や弱点と長所や強みは、コインの裏腹の関係にあることが分かる。最悪なのは、自分の欠点や弱点にとらわれて、それを忌み嫌い、なんとか人並みに修正しようとする事である。それでは益々みじめな気持ちになります。自己否定するようになります。ここで肝心なことは、欠点や弱点を否定して取り繕うことではありません。その現実を素直に認めて受け入れるようにすることが大切です。そして、この事例に学んで、欠点や弱点の裏には、長所や強みが隠れているのではないかと考えることです。この世に存在する物は、プラス面があれば、必ずマイナス面もあって、バランスを求めて動いています。森田でいう事実本位の立場に立つことができれば、明るい見通しが立つかもしれないということです。駅前の大手のフィットネスクラブは、このやり方を真似て新規事業を立ち上げようとしても、すでにこの会社が全国展開して事業モデルを確立している。さらにこの会社はどんどん成長を続けているので追いつくことは容易ではない。また、撤退してこの分野に新規参入しようとしても、既存の施設やマシーンが無駄になる。従業員の雇用の問題もある。それらが足かせとなって参入を困難にさせている。つまり今までの強みは、容易には解消できない弱みに変化していたのである。反対にこの会社は、ないない尽くしが、身軽でフットワークがよいという長所になって輝いてきたのである。短絡的に欠点や弱点を非難・否定しないほうがよいということがよく分かる。
2021.12.21
コメント(0)
森田先生のお話です。ともかくも人は、あまり完全になってもいけない。個性というものがなくなる。絵の竜に瞳を入れないようなものになってしまう。欠点のあるところが、かえって愛嬌にもなり・人に好かれるようにもなる。静かでむっつりして・少しも叱言などいわぬ人よりも、かえってあっさりして・怒りやすくともアトのないような人が、人から親しまれやすい。あまりに完全な美人がかならずしも決して人に好かれるものではないが、えくぼは特に愛嬌のあるものである。このえくぼは実は筋肉の欠損から起こる変質兆候であるのである。(森田全集 第5巻 767ページ)神経症の完全治癒を目指してはいけないといわれています。私も同感です。神経症は自分の気になる不安や恐怖にとりつかれて、精神交互作用によって、器質的な精神疾患のような様相を呈しています。そのときは頭の中は症状のことで一杯です。神経症が治るということは、その比重を下げていくことです。100%を占めていたものを、90%、80%、70%・・・最終的には20%くらいまで下げていくことです。それ以上目指していくことはやりすぎとなります。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざ通りになります。他の人が気がつかないことまで気になる。とわれてしまうのが神経質性格者の特徴です。それは裏を返して分析すると、感性や感受性の強い性格ということになります。感性や感受性が強いということは、文学、音楽、絵画、演劇などの芸術、改善点、夢や希望、人の気持ちなどを細かく感知できるということです。これは神経質者の長所となります。高性能のレーダーや高性能の魚群探知機を標準装備しているのが神経質者です。それをわざわざ取りはずす必要はありません。むしろその活用方法を考えるべきです。神経症を完全に治すということは、不安や恐怖を引き起こす感性を鈍化させようとすることです。そんなことをすれば、自分が自分でなくなります。長所を殺してしまうことになります。もし可能であったとしても、感性が鈍化して芸術を心ゆくまで楽しむことができなくなります。そんな人間にはなりたくありませんね。しかし神経症と格闘している人は、自分の神経質性格を外向的で発揚性気質の性格に変えてしまおうなどいうことを考えてしまうのです。集談会で「ほどほど道」を目指しているという住職さんがおられました。神経症の治癒は、この「ほどほど道」を目指して、人生を楽しむことが正解となります。
2021.11.08
コメント(0)
外科医の土橋重隆さんは、ガンになる人は基本的に真面目に生きた人ですと言われている。ガンは頑張る人がなるというのは本当です。性格的にいいかげんな人は一人もいない。肉体的に頑張ったのか、性格的に頑張ったのか、自分の本音を抑圧して建前優先で頑張ったのかによってガンの発生場所が違ってくる。たとえば乳ガンですが、乳ガンの場合はストレスが関係しています。過去のある期間、強い肉体的ストレスを受けた人は左乳ガン、長い期間をかけてじわじわと、精神的なストレスが蓄積された人は右乳ガンになりやすいのです。左乳ガンの人は、誰かの下で働くことで能力を発揮する。その要求に、つい頑張って、肉体を酷使してしまう。激しいこともできるし、深夜残業もこなす。肉体的にボロボロになるまで頑張れる人です。ですから、左乳ガンの人は「あの時の無理がたたったのだ」と思い出すことができる。右乳ガンの人は、潜在的に職場や夫婦などの人間関係のストレスをため込んでいる。人間関係に問題を抱えている人は、自分の思い通りに相手をコントロールしたい人です。相手と対立して勝ち負けを争っている。和解、妥協という気持ちが持てないで、主導権争いを繰り返しているとストレスとなります。自己中心性が強くて、職場で四面楚歌になっている場合は危ない。そういうストレスが蓄積された結果なので、原因はこれといって特定できない。肺ガンの患者さんは、病気が怖いのです。肺ガンであると知らされた途端に、一気に衰えてしまう。なんでこんなにガタガタになるのだろうと思うくらいです。そのショックが免疫力をさらに落としていく。その恐怖を不安の程度に落とすことが大切です。健康についての不安や恐怖は、健康体で長生きしたいという欲望が強いということですから、不安と欲望の関係をきちんと理解しておくことが肝心です。ガンは悪いものだから、排除することばかり考えていると、こういう心の余裕は生まれません。胃ガンや十二指腸ガンの人は、とにかく生真面目なんです。言われたことに対して、なにごとも真面目に取り組まれますね。自分の本音としては、断りたいのだけれども、相手のことを考えると建前上引き受けないとまずいことになると考えるような人です。そこに精神的な葛藤を抱えている。自分のことでいっぱいいっぱいで、他人のことを思いやる余裕がない。他人からものを頼まれると、引き受けるかどうかをとことん悩むような人がかかる。肝臓ガン、胆のうガンの人はとりあえず引き受けてしまう。引き受けてしまってから、あれこれと悩む人が多い。胆のうガンの人は結構ユーモアのある人が多い。サービス精神が旺盛です。相手を思い、気遣うようなところがあります。すい臓がんは、「弱音をはかず、最後まで凛としている。芯が強い」人がかかる。昭和天皇がすい臓ガンでした。侍従長でさえ、昭和天皇がまどろんだところを見たことがないというのです。すい臓ガンの人は、葬式の準備までして終わるような人ですよ。とにかく立派な最後です。この指摘は確かに思い当たることがあります。それとガンになる人が出る家系は、同じようなガンが別の人に再現される傾向もあります。それを遺伝子レベルで説明される人もいますが、土橋重隆医師の指摘されていることも影響していると考えるほうが妥当性があると思います。考え方、生き方、行動、食生活の偏りが、身体に無理やストレスを与え、それらが蓄積された結果、ガンが発症している。これを逆手にとって、自分の思考パターン、行動パターンの傾向を自覚して、片寄っているなと思った時は、すぐに修正してバランスを回復できる人はガンにかかりにくいということができます。そういう意味では、森田理論はバランスを取り戻すことをことさら重視している理論です。いかに不安と欲望の調和を保ちながら、生の欲望の沿って生きていくかに焦点を当てています。バランスのとれた生き方を身に着けるために、森田理論という人間哲学を学ぶことをお勧めいたします。
2021.09.27
コメント(0)
今日は元中日ドラゴンズのピッチャー山本昌さんを取り上げてみたい。この方は、50歳までプロ野球の選手として活躍された。5年間くらいプロ野球の選手として在籍すればよいという中で、29年間50歳まで活躍できたのは驚嘆に値する。その間219勝をあげて名球会入りされている。山本昌さんは、特別ストレートが早いわけではなかった。1回143キロを計測したことがあるが、ほとんど130キロ台である。このスピードは、プロのピッチャーとしては心もとない。高校生レベルです。1年で首になってもおかしくない選手だったのです。山本昌さんも不安だったそうです。山本昌さんは、入団当時のエース小松辰雄投手のストレートを見たとき、とてもプロではやっていけないと思ったそうだ。ではなぜ過酷なプロ野球の世界で前人未踏の50歳までプレーできたのか。それはスクリューボールを持っていたからだと言われている。このボールは横に変化しながら落ちるボールである。山本昌さんはこれをアメリカで身に着けたそうだ。アメリカの選手は大振りしてくる選手が多い。勝負球として有効だった。日本ではコツコツ当ててくる選手が多いので、習得することは困難だっただろうと言われている。でもプロの世界では、スクリューボールを投げる投手は多い。なぜ、山本昌さんのスクリューボールは威力があったのか。これは自分の欠点と関係があるという。僕の股関節、膝関節は外を向いている。いわゆるガニ股なのです。他人とは違う向きをしている。これは一般的には、投げる時にヒザが外へ割れてしまうので力が逃げてしまう。投手としては致命的ともいえる欠点を抱えていたのです。山本昌さんの投球フォームを一目見たトレーニングコーチは、「野球選手としては大成しない」と即座に断言したそうだ。ところが捨てる神あれば救う神ありだった。専門的になるが、力を逃がす球はよく曲がる。球をリリースする位置と、反対側の腰の位置が遠ければ遠いほど変化球はよく曲がるのです。つまり力を逃がすには、膝関節を外に開けばよいのだ。もともとガニ股の僕は自然にヒザが外に開くので、願ったりかなったりだったのです。ヒザが開くというプロ野球選手としては致命的な欠点が、スクリューボールには、強力な長所として作用したのです。そのかわりガニ股では快速球は投げられない。力が逃げていくからだ。でも変化球に磨きをかければ、プロの世界で飯を食っていけるという確信を持つことができたのです。欠点と長所は表裏一体だと思います。コインの裏と表の関係にあるということです。欠点を素直に認めて受け入れると、それは類まれな長所に変身するかもしれない。長所に胡坐をかいて、有頂天になっていると、その長所が自分に災いをもたらす欠点にならないとも限らない。私たちは心配性で、他人の思惑に振り回される神経質性格を快く思っていませんでした。ところが森田理論学習のおかげで、神経質性格の長所をはっきりと自覚できました。こんなにはぐくみあいのある性格はないと思えるようになりました。生きる自信と勇気が湧いてきました。いまでは、両親に対して「神経質性格に生んでくれてありがとう」という気持ちです。
2021.09.21
コメント(0)
奥村幸治さんのお話です。野茂英雄さんならフォーク、田中将大さんならスライダー。誰にも負けない武器を持つ。これは一流のピッチャーの必要条件です。バッターが決め球を攻略しようと意識し過ぎると、ストレートなど他のボールが有効に使えます。逆にバッターが決め球を最初から捨ててくれれば、配球の面でピッチャーは非常に優位に立てます。これだけは誰にも負けないというレベルまで技術を高めるには、自分の長所と特徴を冷静に見極めたうえで、地道な努力が求められます。それは容易なことではないでしょう。しかし、「あいつにはアレがある」と周囲が認めるレベルに達すると、プレーをする前から精神的に優位に立てます。何よりも自分に対する自信が深まります。「自分はできるんだ」という自己効力感が得られて可能性が広がり、他の長所も伸ばせるようになります。それが、第2、第3の武器を身につけることにもつながります。得意なことをするのは楽しいので、練習にも学習にも身が入ります。宝塚ボーイズというリトルリーグにも様々な個性を持った選手がいます。バントが得意、スローイングが上手、いい声を出せる、スコアが正確につけられるなど、その個性を伸ばしてやることが自信を深め、野球選手としても人間としても大きく伸びる足掛かりになるのです。むろん、弱点が少ない方がベターです。たれにも負けないものがしっかり確立したら、得意でない部分を見直す心のゆとりが生まれます。弱い部分は余裕ができてからカバーしていけばよいのです。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 160ページより引用)普通、自分の欠点や弱点を克服した後で、自分の長所や強みを活かしていこうと考える人が多いと思います。奥村氏はそれは順序が逆ですよと指摘されています。そういわれても、素直に納得できないと思われる人も多いでしょう。それは、自分の欠点や弱点を野放しにして、みんなの目につきやすい状態にすると、仲間として受け入れてもらえなくなるという危惧があるからです。現実は欠点や弱みを隠さないで堂々と開示している人のほうに安心感を持って人が集まってきます。それは誰でも大なり小なり欠点や弱点を持っているからです。自分の都合のよいところだけは、必要以上に誇張して目立たせ、都合の悪いところは徹底的に隠す。あるいはごまかすという態度をとる人に対しては、油断も隙もならない人だという感情を持つからだと思います。そうは言われましても、自分には長所は強みは何もありませんという人もいます。そういう人は、森田理論学習で学んだ神経質性格の特徴を思い出していただきたいと思います。神経質者の長所や強みとしては、ねばり強い。真面目でコツコツ努力を続けることができる。また、感受性が強い、好奇心が強い。理論的で分析力がある。反省する力がある。失敗やミスを成功の糧にすることができる。よりよく生きたい気持ちが強い。課題、目標、夢、希望に向かってチャレンジ精神が旺盛である。責任感が強く、軽率な行動は避けることができます。営業などでは、負けず嫌いで少々のことではへこたれない。この特徴を活かして、一つのことに照準を定めて、努力精進していくことです。イチロー選手は1日10分の素振りを高校時代3年間休まずに続けたそうです。イチロー選手は「たった10分です。でもその10分を続けることが大切です」と言われています。1日300スィングしたとしても、1日や3日で止めたのでは、力はつきません。「継続こそ力なり」仮に一つのことを10年続けたら、人間としてすごく成長し、全く違う自分に変身できるとは思いませんか。人生はマラソンのようなものです。42.195キロは長い道のりのように思えますが、完走して振り返ってみるとあっという間の出来事です。そういう気持ちでこのブログを続けています。毎日投稿して現在8年と7か月になります。
2021.07.30
コメント(0)
ヒューマンエラー(意図しない人的ミス)の研究者ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒの言葉です。一つの重大事故の背景には、29の軽微な事故があり、その背景には300の些細な異常がある300の些細な異常を見逃さないで、きちんとキャッチして対策を立てれば、軽微な事故は防止することができる。それが最終的には、世間を震撼させるような重大事故をも未然に防ぐことが可能になるのである。その一つの例として、1985年8月に御巣鷹山に墜落した日航機事故についてみてみよう。この事故によって500名近くの人の命が失われた。坂本九さんもその一人であった。この事故原因は、後部圧力隔壁の破壊によるものであったと結論づけられている。その結果尾翼は吹き飛んで操縦不可能に陥り、羽田空港に引き返すこともできなくなった。それでは、この事件は唐突に起きたものなのか。あるいは些細な異常が発生していたのか。調査によると、事故機には、飛行中、化粧室のドアの開閉がしにくくなるトラブルが多発していた。昭和60年2月から墜落するまでのわずか半年余りの間に、計33件も報告されており、このうち28件は、客室後部にある化粧室に集中していた。これは些細ではあるが、見落とすことのできない異常です。日本航空は、この報告をどう取り扱ったのでしょうか。同機は7年前の着陸の際に、尻もち事故を起こし、圧力隔壁が壊れて修理したことがあった。その後遺症として化粧室の開閉の不具合につながっているのではないかということを疑う繊細な神経を、機体の整備担当者および管理監督者が持ち合わせていたら防ぐことができたかもしれない。結果としてそこまでの繊細な神経の持ち主は一人もいなかったのである。存在していても上層部に進言する人はいなかったのである。もしそこに不安を感じる人がいたら、アメリカのボーイング社に機体を送り、再度検査・修理することになっていただろう。修理不可能なら廃棄する方がよほど理にかなっていたのである。航空機というのは、人の命を一瞬で奪ってしまう乗り物であることを考えると、繊細な神経の持ち主以外は取り扱ってはいけないのである。日本航空は、この事案を軽々しく取り扱った。結果として無視することになった。同社の調査によると、33件の報告のうち20件は、同機を大阪~グアム便に使った際に起きていた。またグアム線を飛ぶ他のジャンボ機にも同じトラブルが起きていたため、グアム線の特殊事情と結論づけた。何が特殊事情なのだろうか。不思議でならない。さらに、客室後部の化粧室近くにあるコート収納庫に、機内誌などの物資を大量に積み込んだことがあったため、コート収納庫の棚下に物品を積むことを禁止するという解決策を打ち出した。つまり圧力隔壁の修理ミスによる不具合ではないかという危惧を持つ人はいなかったのです。さて、神経質性格者の特徴は、些細なことが気になるということです。楽天的、発揚性気質の人が、全く気がつかないで見逃すようなことも意識化される。整備担当者、危機管理担当者のなかにバリバリの神経質性格者を配置していたらどうだろう。とにかく些細な異常を見逃さない。それを大きく拡大して原因究明をする。こういう人材がいたとすれば、原因究明にもっと力を入れることができたはずです。安易な対策で済ませるようなことはしなかったはずです。とても残念ことでした。神経症の発症は、小さな不安を拡大して、それにとらわれることで、日常生活、仕事、人間関係などに悪循環を招きます。これは不安の取り扱い方を間違っているのです。不安は信号でいえば黄色や赤信号を点灯させて、警告してくれているのです。その不安の役割を認識して、目の前の問題点や課題に対して、不安を存分に活用して慎重に取り組むという態度になれば、これほどありがたいものはないのです。不安を邪魔者扱いしてはいけません。もともと不安は私たちの強力にサポートしてくれている味方なのです。だから進化の過程で淘汰されずに残されてきたのです。些細な不安に振り回されることを極端に嫌う人が多いのですが、それはあまりにも一面的な見方です。些細な不安が泉のごとくコンコンと湧き出てくる神経質性格をもっともっと評価してあげることが大切です。それを最大限に活かしていくことが、私たち神経質性格者の、進むべき道であると心得ることです。
2021.06.22
コメント(0)
会社の就職試験で、「あなたの長所は何ですか」「自分の強みと考えていることは何ですか」「どんなことで会社に貢献したいですか」「今まで寝食を忘れるほど取り組んできたことがあったら説明してください」という質問が必ずと言ってよいほど出ます。これらは、私が企業の採用担当者だったころ、必ず質問していたことです。誰でも面接の前には、そのような質問を想定して、自分の長所や強みなどを考えてみると思います。企業の方は、自分の長所や強みを活かして、ポジティブな姿勢で仕事に立ち向かおうとしている人であるのかどうかを見極めたいと思っているのだと思います。そういう人を一人でも多く採用すれば、会社は伸びてくると思っているわけです。ところで、神経質者の場合は、性格テストなどで、内向的、神経質、消極的、情熱不足、好奇心が乏しいなどではねられる可能性があります。神経質性格のよさは分かっていても、外向的で積極性のある人と比べられると多少不利になります。多少はったりをかますくらいの方がよいと思います。入社後は、外向的で積極的な人が目立ちますので、多少差がつくような場合があります。また根回しや交渉術、リーダーシップを発揮するという面では苦手の人が多いようです。とりわけ、上司の機嫌を取ることは、下手な人が多い。むしろ相手が気分を害するようなことを平気で口にする。神経質者は、外向的で楽天的、行動的な人とは違ったよい面をたくさん持っています。問題は、普段からそういう強みや長所を意識した生活を送っているかどうかです。それらはあって当たり前、それより弱みや欠点にばかり注意を向けていませんか。神経質者は自分が持っている強みや長所で勝負をかけた方がよいと思います。神経質な人は、時間がかかりますが、徐々に真価を発揮してくる人が多いように思います。噛めば噛むほど芳醇な味が出てくるするめのようなものです。森田理論学習の「神経質性格の特徴」でそれらのことを学びました。神経質者の長所としては、ねばり強い。真面目でコツコツ努力を続ける人です。また、感受性が強い、好奇心が強い。理論的で分析力がある。反省する力がある。失敗やミスを成功の糧にすることができる。よりよく生きたい気持ちが強い。課題、目標、夢、希望に向かってチャレンジ精神が旺盛である。責任感が強く、軽率な行動は避けることができます。営業などでは、負けず嫌いで、ライバルを想定して情熱を燃やすこともあります。持って生まれた性格特徴を最大限に評価して、なんとしても生活の中で、自分の強みや長所を活かしていこうと覚悟を決めて取り組むことが大切だと思います。そのためには、森田理論学習で神経質性格のプラス面とマイナス面をバランスよく理解することが欠かせません。
2021.06.13
コメント(0)
「動物学校」というリブズ博士の書いたおとぎ話があります。昔々、動物たちは、新しい世界の様々な社会問題を解決するために、何かしなければならないと考えて、学校を設立することにした。科目は、かけっこ、木登り、水泳、飛行であった。学校を円滑に運営するために、すべての動物にこれら4科目の履修が義務付けられた。アヒルは、水泳の成績は優秀だった。先生よりもうまかった。飛行もいい成績だったが、かけっこは苦手だった。それを補うために、放課後居残りをさせられた。やがて、足の水かきがすり減り、水泳も平凡な成績に落ちた。しかし、学校は平均的な成績でいいとされていたので、アヒル本人以外は、誰もこのことを気にかけなかった。ウサギは、かけっこにかけては最初から優等生だったが、水泳が苦手で居残り授業ばかりさせられているうちに、神経衰弱を起こしてしまった。リスは木登りは上手だったが、飛行の授業では、木の上からではなく、どうしても地上から飛べと先生に強制され、ストレスがたまる一方だった。疲労困憊の末、肉離れを起こし、やがて木登りもⅭ、かけっこもⅮにまで落ちた。ワシは問題児で、厳しく更生する必要があった。木登りの授業では、いつも一番早く木の上に到着したが、先生の指示する方法にどうしても従おうとしなかった。結局、学年末には、泳ぎが得意でかけっこもまあまあ、木登りも飛行もそこそこという少々風変わりなウサギが、一番高い平均点を獲得して卒業生代表に選ばれた。学校が穴掘りを授業に取り入れてくれなかったことを理由に、モグラたちは登校拒否し、その親たちは税金を納めることに反対した。そして子供を穴グマのところに修行に出すと、後はタヌキたちと一緒に私立学校を設立し成功を収めた。(7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベア出版 417ページより引用)自分の長所や強みを伸ばすことに焦点を当てないで、欠点や弱みを人並みに引き上げようとしていると、元々持っていた自分の長所や強みは、しだいに精彩を欠いていくという話である。私は高校時代、生物と倫理と古文だけは成績が良かった。10段階評価でいずれも9だった。しかしこれらは受験科目で特別重要視されているのではなかった。特に私立大学の場合は、試験科目にはなかった。みんなが見向きもしない授業に格別な興味を抱いていたのである。特に倫理は古今東西の偉人の哲学が面白かった。ところが受験科目に指定されていた化学、物理、世界史はさっぱりだった。化学に至っては、赤点でレポートを提出して何とか単位を得るありさまだった。高校は単位の取得は、選択制ではなく、すべての教科で基準点をクリアすることが求められた。この点は、「動物の学校」と同じであった。いろんな経験をして今思う事は、いろんな教科をまんべんなく学ぶことはよい事だと思う。しかし平均的な人間として教育された人が、自信をつけて、職業人として、人間として大きく成長して行けるかというとこれは疑問であると思う。医者でも、弁護士でも、ファィナンシャルプランナーでも一般的な最低限の知識は必要である。ところが、一般的な知識だけでは人様に役に立つような仕事をすることはできない。自分の専門分野を決めて、一層の研究や経験を重ねていかないと人から信頼されることはない。資格を取得した後が問題になるのだ。たとえば、ファイナンシャルプランナーであるが、一般的知識としては、金融資産運用設計、不動産運用設計、ライフ・リタイヤメントプランニング、リスクと保険、タックスプランニング、相続・事業承継の分野がある。それぞれの分野のすべてに合格して、初めてファイナンシャルプランナーという名称を使用することが許される。特にCFPという資格を取得すのはたやすい事ではない。しかし、資格を獲っただけでは開業しても飯は食っていけない。ここがまさに出発点になるのである。私のように資格を獲った段階で満足していては、その資格はまさに「死格」となってしまう。優秀なファイナンシャルプランナーは、専門分野については、他を寄せ付けない知識や経験を積み重ねているのである。専門分野については、問題解決の高度なノウハウを持っている。さらに、関連各所との強力なネットワークを作り上げている。例えば金融資産運用設計では、証券アナリスト、金融関係の様々な資格も持っている。不動産運用設計では、宅地建物取引主任者、不動産鑑定士などの資格も持っている。タックスや相続税については税理士や公認会計士の資格を持っている。つまり一般的な知識を身につけた上で、専門分野に特化して、どんどん深堀しているのです。自分の専門分野については、どんな難しい案件が持ち込まれても解決に導いてくれる。自分の長所や強みをどんどん磨いて、その地域で絶大な信頼を得ているのである。これらのことから言えるのは、すべての分野で一流である必要はないということです。そのようなことに取り組む必要もない。唯一資格取得の受験校の講師として役立つくらいである。それよりも、一つの分野に特化して技なり技術を磨き上げていくことが極めて大切になるということです。ですから、苦手な分野を普通のレベルに引き上げることに力を入れるよりも、自分の長所や強み、興味のある分野に最大限のエネルギーを投入した方が、自他ともにハッピーになるということなのです。自分の苦手な部分は、他の人に花を持たせるくらいの気持ちを持ち合わせるとちょうどよいくらいだ。
2021.05.10
コメント(0)
中里良一さんのお話です。私が尊敬するある会社の社長は、「欠点とは四角形でも三角形でも「カド」の部分、長所とは「辺」の部分をいう。ほとんどの人は欠点を直すために「カド」の部分を丸く削り落としていくが、それによって長所である「辺」の部分もいっしょに削ってしまい、どんどん小さな器になってしまう」と話してくれた。「カド」を削らず、長所である「辺」を伸ばしていけば、いずれは小さな欠点などは見えなくなってしまい、器も大きくなっていくものである。だから、「カド」がとれて丸くなった人よりも、欠点はあるけれども「辺」が長い人が好きだ。社員の面接の時も、学校の成績がオール5の人よりも、通知表に1から5までバラエティに富んでいる方が魅力的に感じる。こじんまりとまとまっているよりも、たとえ欠点があっても何か飛び抜けた特徴を持っている人の方が、話をしていて私も学ぶべき点が多い。(負けるな町工場 中里良一 日刊工業新聞社 124ページ)中里さんは、欠点や弱みのない人間は魅力を感じないといわれています。欠点や弱みが大きい人は、その裏にとてつもない長所や強みを持っているに違いないと信じておられるようです。この考え方は、森田理論のこの世の中は調和によって成り立っているという理論と合致しています。普通は、人と比較して、自分の欠点や弱みに気が付くと修正しようとします。その差がありすぎると、ひがんでしまう。相手の足を引っ張ることを考える。あるいは、相手に軽蔑されないように隠蔽工作を図る。ごまかしてなかったものにしようとする。そして注意や意識が自分の持っている欠点や弱みばかりに向いてしまうことになります。この考え方に取りつかれてしまうと、人生に希望は持てません。どうすれば希望が持てるようになるのか。欠点や弱みがあるということは、それに比例して長所や強みもあるはずだと信じる事です。どうしようもない欠点や弱みがあるということは、とてつもない長所や強みがあるはずだと無条件に信じる事です。その二つが同じ程度あることで、存在することが許されていると信じる事です。そして自分の長所や強みを見つけ出すことに注意を払いましょう。長所や強みは、欠点や弱みと思っていたことの中にも存在しています。小さなことにクヨクヨと悩むとい神経質性格は、自分の最大の欠点や弱みと考えていた人も多いと思います。しかし、森田理論学習で「神経質の性格特徴」を学習したおかげで、これは類まれな素晴らしい長所や強みを兼ね備えた性格であったと認識を新たにされた方も多いと思います。このことに気づいたら、次に手をつける事は、欠点や弱みの修正はほどほどにして、長所や強みの活用法を考えて実行に移すことです。例えば、神経質性格は小さなことが気になる性格ですから、この気づきを忘れないようにすぐにメモする。そして小さなことをおろそかにしないで、丁寧に取り扱う。「大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと」いう西川きよしさんの言葉通りです。これだけのことを1か月、2か月、3か月と続けて行けば、それだけで類まれな素晴らしい人間に変身できるということになります。自信とやる気が出てくると、欠点や弱みは恐れをなして後ずさりを開始するようになるのです。欠点や弱みは、私の愛嬌と笑い飛ばせる人間に変身できるかもしれないのです。それは紛れもなく、まるごとの自分を、受け入れることができたということです。この世に生まれてきてよかったという気持ちになれるはずです。それを応援し、バックアップしてくれているのが森田理論学習なのです。
2021.05.02
コメント(0)
元プロ野球の選手の高木豊さんのお話です。いまは、「長所を伸ばせ」「特徴を生かせ」という指導が主流になっていると思います。しかし、「欠点を強制しないと、長所も伸びない」というのが私の持論です。「長所を伸ばせ」というフレーズには、心地よい響きがあります。だから、人はその方向になびきやすいのです。しかし、そのフレーズは、往々にして、イヤなことはしない、楽な方に逃げる、と同意になりがちです。野球でも、苦手な部分から逃げるのは二流選手が多かったものです。それを、「長所を伸していく」というふうに、言い訳に使っていました。(父親次第 高木豊 日本経済新聞出版社 60ページ)今日はこの話を基にして、森田理論でいっている長所を伸ばすとはどういうことか考えてみましょう。神経質者は自分の欠点、弱みに注意を向けて、元々持っている長所、強みは放り投げている人が多いと思います。そして自己嫌悪、自己否定感で苦しんでいる。森田では、その態度は問題があるのではないですかと言っているのです。誰でも欠点、弱みと長所や強みは同じ数だけ持っているという前提に立っているのです。そのバランスの維持を目指していくことが肝心なのです。ですから、ここでは、欠点は治さなくてもよいとか長所だけを伸ばして突き進めばよいと言っているわけではありません。その視点から、神経質者を見た場合、欠点や弱みの方に比重がかかりすぎているとみているのです。放置すると、劣等感で、自分で自分を責めるようになります。苦しくて生きていくのが辛くなる。存在する事さえ危うくなってしまいます。このことに気づけば、早急にバランスを回復させる必要があります。そのためには、欠点や弱みは一時横において、あえて自分の長所や強みに注意や意識を向ける必要があります。自分にも長所や強みがあるということを自覚する必要があるのです。つぎに、その強みを普段の生活の中で活用していくことが重要になります。そうしますと、天秤に同じ重量のものをのせたときのようにつり合いが取れてくるということになります。この世で長生きしようとするならば、バランスを維持していくことに、エネルギーを投入することが肝心だということです。肉体的にも精神的にも調和を抜きにしては、すぐに行き詰まりますということを言っているのです。高木さんの指摘は、長所を伸ばすという言葉を隠れ蓑にして、「イヤなことはしない」「しんどいことは避ける」「楽な方に流される」人が後を絶たないと言われているのだと思います。このことを森田では、「気分本位」な態度と言います。目の前の日常茶飯事の問題や課題、仕事、勉強など当然手をつけなければならないことからすぐに逃げ出してしまうのは、犬食わない代物だということになります。誰でも行動する前は気持ちが乗らなくて、逃げ出したくなるものです。そうすれば、一時的に楽になります。しかし、後で倍返しの後悔が湧き上がってきます。一方、イヤイヤ仕方なしに行動したにもかかわらず、そのうち行動に弾みがついて、興味や関心が高まってきたという経験は誰でもお持ちだと思います。気分本位はワクチンの注射を打たれるようなものです。最近、テレビでワクチン注射のシーンをよく見かけます。筋肉注射は痛そうだからしませんというのは、幼児が駄々をこねているようなものです。森田を学習した人は、気分本位という悪魔の誘惑に同調しないように気をつけましょう。
2021.04.15
コメント(0)
青山学院大学陸上部監督の原晋さんのお話です。天才は、10のうち4ぐらいまでは何も考えずにできてしまいます。しかし、凡人は、その4まで到達するのが難しい。天才が現役を引退して監督やコーチになる場合があります。どうしても上から下目線で選手を見てしまう。それは、自分が難なくできていたところで足踏みしている選手を見たとき、「どうしてできないのか」と思ってしまうのです。手を抜いているからできないのだと判断してしまう。なげやりな態度で真剣に取り組んでいないから、記録が伸びないのだと判断してしまう。つまり、選手の目線に立つことができない。「かくあるべし」が強く出てしまう。これは何を意味するかというと、天才だった人は、苦労して能力を伸ばしたという経験がないので、1から4までを導くことができないのです。「名選手、必ずしも名監督にあらず」というのはそういうことです。現役時代名選手だった人は、元々能力が高く、そこを出発点として、さらに努力を積み重ねて栄光をつかみました。そういう人が監督やコーチになる場合は、過去の栄光は一旦白紙に戻すことが必要です。「自分についてこい。自分の指示に従っていると名選手になれる」という指導をしては、指導者としては失格です。その選手のレベルを見極めて、そのレベルを一段階押し上げるのだという姿勢が求められます。相手に寄り添った指導を心掛けることです。元々高い技術や能力を持っているわけですから、後は相手の状態を見極めて、寄り添っていく指導を肝に銘じていけば、「名選手で、しかも名監督にもなれる」ということです。選手として凡人だった人が、監督やコーチを引き受ける場合はどうすればよいのか。原監督は次のように言われています。私のような凡人監督は、虚勢を張らずに、1から教えられるかどうかを常に頭に入れておく必要があります。私も監督就任当時、虚勢を張っていました。現役時代に、箱根駅伝やオリンピック出場という華やかな実績がなかったことでネガティブな気持ちがあり、焦りがあったのがその理由です。自分を強く見せなければ、選手がついてこないのではないかと必要以上に目線を上げていました。大した実績もない自分を選手たちは信頼してくれないのではないか。そもそも実績のない自分が監督をする資格があるのだろうかと不安になっていたのです。監督やコーチになった人は、周りから、この人は監督やコーチの器であると認められたからこそその立場にいるのです。リーダーシップを発揮する人、経営者、指導者としての適性は、選手としての適性とは全く違います。その適正が感じられない人が監督になれるはずはありません。監督の適性について次のように指摘されています。まず目標設定能力がいります。目標達成に至る青写真を描ける人のことです。またそれに向かって努力を惜しまない人。多くの選手たちをまとめ上げ統率できる能力。自分のことは横において、相手の立場に立つことができる人。選手の目線に立ち、もう一段階能力を引き上げるための指導力のある人。他の部署との折衝能力のある人。協力者を集める能力のある人。などなど。そういう意味では、選手時代の能力はあまり必要ではありません。そこに胡坐をかくようだと、むしろ邪魔になる。それよりは、計画立案能力、目標達成に向かっての燃えるような情熱、チームをまとめ上げる能力、人間関係、交渉力などが必要です。原監督は選手としては無名であったが、中国電力で営業マンとしては抜群の成績をたたき出しておられました。自分の得意な面を青学の陸上競技部の組織運営に活かされて成功されたされたものと思います。選手時代は華やかな成績がなかったことが、むしろプラスになって作用したのではないでしょうか。人間はある面では、他人と比較して劣っていても、別の面では優れているところがあるのかもしれません。優れた点や自分の強みを早く見つけ出して、そこに焦点を当てて、磨き上げていくことが何よりも大事になります。私たちの場合は、かけがいのない神経質性格の優れた面を再認識して、そこで勝負するという決意を固めて、実際に実行に移すことです。
2021.03.25
コメント(0)
人生は自分の強みや長所で勝負しなさいと言われます。でも人と比較して特別に優れた能力もない。実力もない。学力もない。学歴もない。体力もない。スポーツ、音楽、絵画などは大の苦手です。毎日生きていくことが精いっぱいで貯えもない。神経質性格の持ち主で、細かいことが気になり、いつもビクビクしながら生活している。強みや長所なんてなにもないと嘆く人が多い。元女子マラソンの指導者の小出義雄さんは、高校の先生だったころ、校長先生から、「お前は教室で間違いを教えるから、昼間は校長室で寝ていろ。課外活動の時間になってから動いてくれ」と冗談を言われていたという。小出さんは小さいころはガキ大将で、スイカ泥棒などを繰り返していたという。それで逃げ足が速くなったといわれている。自分の長所は、「足が速い事」「夢や情熱があること」「やりだしたら途中であきらめないこと」「陸上で成果を出すための努力を厭わないこと」と言われている。それに磨きをかけることで、女子マラソン界に旋風を巻き起こした。小出さん曰く。人間、誰にでも必ず一つや二つは長所があるものだ。どんなワルといわれる子にも、逃げずに忍耐強く接触したら、必ず長所は見つかると、私は確信を持って言える。(小出監督の女性を活かす「人育て術」 二見書房 参照)短所や弱みを修正したり、無くするために、多くのお金を使い、時間を割いて涙ぐましい努力をする人が後を絶たない。そんなやり方は問題があるのではなかろうか。そんなことに注意や意識を傾けていくと、元々ある自分の強みや長所にヤスリをかけて、削っていくことになるのではないか。そんなことより、長所や強み、興味や関心の持てるものを早く見つけ出して、そちらの方にエネルギーを投入し、磨きをかけていく方がよほど意味があるはずだ。その方がきっと将来の展望が開けてくるはずだ。でもないない尽くしの自分に何があるというのか。そういう人に言いたい。神経質性格というものがあるじゃありませんか。どんな性格にも二面性があります。神経質性格は細かいことにもよく気がつくという特徴があります。感受性が鋭い。自己内省性もある。粘り強い。責任感も強い。好奇心も強い。よりよく生きたいという気持ちを持っている。これは天性のものです。後からお金を出して買い取ることはできません。この宝物を、磨いて伸ばしていけば、素晴らしい人生を送ることができます。神経質性格の人は、ネガティブな部分に焦点を当てることが多いと思います。それは横において、ポジティブな部分に焦点を当てて、生きていくと覚悟を決めてしまえば人生は全く違ったものに変身します。森田理論学習で「神経質の性格特徴」を、この視点から学習し直してみてください。
2021.03.18
コメント(0)
森田先生のお話です。橋田東声君が「忙しい時に、かえって歌がよくできて、暇なときには、なかなかできない」といった事があるが、私共もその経験は明瞭に認めている。かえってよくできるのではない。忙しいと時に当然にできるのである。それは暇な時は心が緩み、忙しいときは精神が緊張するからである。(森田全集第5巻 649ページ)精神緊張状態にあるときに、優れた短歌や俳句が生まれるといわれている。仕事、家事、育児の中で、気づきやアイデア、工夫や改善点をどんどん思いつく。昆虫の触角が四方八方に向けられて、絶えず動き回っているような感じの時にすぐれた作品が生み出される。生活の発見誌に毎年1月号で川柳を募集している。ここに掲載されている人の名前を見ると、毎年同じような顔ぶれである。日ごろから意識して川柳のネタを集めて作品作りに励んでおられるのだろう。そういう人は普段から精神的余裕があり、しかも緊張感に満ちた生活をされておられるように感じている。なすべきことがきちんとなされていて、生活の中にちょっとした楽しみを見つけることが定着している。川柳は常識とされていることと現実の乖離のなかに面白さがある。それが面白いという感じる感性は、物そのものになりきる生活の中から生まれている。それは普段の生活の中で、そういうものを見つけようというアンテナを張っているからこそ思いつくのである。日常生活や仕事の面が充実していることが想像できる。よくダジャレをしゃべる人がいる。言葉遊びのようなものである。たとえば、「その通りです」というところを、「醤油ことです」などという。馬鹿にしたくなるような言葉を連発して、その場を盛り上げようとしている。そういう方は、面白い事を思いついたら、それをネタにして、なんとか使えないものだろうかと考えている。他人にしょうもないことだと笑われながらも、収集と創作を続けている。そういう人の意識は、絶えず外向きで、内向きにはなっていない。一見馬鹿にされているように見えるが、そういう人の周りに人が集まってくる。特に、「箸が転がっても面白い」などという若い女性などの受けがよいようだ。神経症の人で、日常会話の中でダジャレを連発し始めたら、神経症とは縁が切れたと思って間違いない。ダジャレ名人を目指すことでも、神経症は克服できるのです。私の周りにはダジャレを連発する人がいますが、残念ながら神経質な人ではありません。ぼんやりして、精神が弛緩状態にあるときは、いくら知恵を絞ろうとしても難しい。そういう人に「もっと考えて行動しろ」「もっといい知恵を出せ」と言っても無理なのです。問題解決に向けてのアイデアや発想も精神緊張状態の中で生まれる。精神を緊張状態にするためには、注意や意識が外向になり、目の前のなすべきことを丁寧にこなすことが大切です。つまり物事本位になっているということです。問題を抱えて解決策が思い浮かばないときに、仕方なく別のことをしていると、急に解決策が頭に受かんでくるということがあります。これは精神緊張状態にあるときにはじめて可能となることです。神経質性格は細かい小さなことが気になるということです。普通の人が気づかないような事でも気づくというのが特徴です。これをプラスとして認識し、さらに鍛えて精錬させることが大事になります。そのためには、森田先生が言われるように、実践や行動力に留意して、精神を緊張状態にしておくことが最も効果があるということです。誰でもマラソンをしているときは、腕を前後に振っています。つまり足だけではなく、手も自然にテンポをとって前後に動いています。精神活動も同じです。身体が動いている時に初めて活性化しているということです。そういう状態の中で、私たちの小さなことが気になるという神経質性格は、自他ともに大いに活かすことができるということだと思います。
2021.03.07
コメント(0)
大リーグで活躍されたピッチャーの野茂英雄さんのお話です。野茂さんはストレートフォークボールで勝負してきた。成績が悪くなると、周りから「なぜスライダーを覚えないのだ」とか「チェンジアップがあると、もっとピッチングの幅が広がるぞ」と助言されたそうです。これに対して野茂さんは、自分のやり方は変えたくなかったといわれています。変化球をまじえての「打たせてとる」ピッチングは、自分の志向する野球とは相容れない。かりに、そうしたピッチングの方が有効だったとしても、自分を偽っての白星は、真に心を満たすものではない。心の底からカタルシスを得ることもできない。(超一流の自己再生術 二宮清純 PHP新書参照)2つの球種だけだとバッターからは球種を絞りやすい。ストレートだけを狙ってタイミングをとればよいということになる。ピッチャーは勝負に負ける確率が高くなる。普通のピッチャーは、他の変化球を覚えて打者に的を絞らせないようにと考える。このやり方は、もともと自分が持っていないものを、練習によって精度を高めて、試合で通用するものに変えるというやり方です。この方向で球種を増やしていくのがセオリーである。こうした方向で、自分のピッチングの幅を広げていくことは素晴らしいことだと思う。ピッチャーとしてだけではなく、人間としての生き方にかなっている。野茂選手は自分の持っているストレートとフォークボールに自信があったのか、その方向には向かわなかった。成績が悪くなるときは、コントロールを乱した結果、自らのピッチングパターンを押し通すことができなくなったからだと分析していた。メカニックの微妙な狂いが成績の悪化を招いているという認識なのです。だから、他の変化球を覚えることよりも、ストレートのコントロールの精度を高めていくことが何よりも大切になる。そのためにはまず足腰を鍛えていくことが有効になる。次に映像による動作解析によるフォームの修正に取り組んだ。今はピッチングフォームをデジタル処理して、線の動きでフォームのチェックを行うことができる。ボールを投げる際の肩やヒジの位置、肩の幅、スタンスの幅、腕の振り・・・。この分析によって、成績の良かった時と比べると、上半身のブレが見つかった。問題点が見つかったことで、努力目標が明らかになった。一時成績を落としたシーズンもあったが、2001年13勝を挙げることができた。この話は神経質性格を持っている私たちにも勇気を与える。神経質性格は、心配性で小さなことにとらわれて、不安や不快感で精神的に苦しむことが多くなる。神経質性格はよくない。性格改造を行い、少々の不安や不快感を吹き飛ばすような人間になりたいと考える。自分がもともと持っている神経質性格を悪い性格と決めつけて、発揚性気質の人間に作り変えてしまおうと考えがちになるのです。そう考える前に神経質性格のプラス面にも焦点をあててよく分析してみましょう。神経質性格も細かいことによく気が付く。感性が豊かである。分析力が豊かで、真実を追求する力を持っている。粘り強い。好奇心が強く、生の欲望が強い。真面目で責任感が強い。自分にないものを求めるのもいいのですが、前提として自分の持っているものを再評価してみましょう。そしてそれを鍛える。磨いていく。活用していく。まずその方面にエネルギーを投入しませんか。森田理論はそのことを訴え続けているのです。
2021.01.04
コメント(0)
青山学院大学の陸上競技部の原晋監督は、就職試験では自分の強みをアピールしなさいと言われています。たまに就職試験で続けて落ちる選手がいる。その選手に、「どうした、学生時代に陸上競技に打ち込んだことは話したのか」と尋ねる。すると、「実業団就職ではないので、就職に関係ないと思い、一切話しませんでした」という。これに答えて、原監督はこんこんと説明する。「それって、君の生きざまを全否定しているわけ?中学・高校・大学と今までずっと陸上競技に賭けてきて、そのことを言わずして自分を売り込むなら、相手に対しても自分に対してもウソをつくことになる。これからの人生もずっとウソつきになってしまうよ。実業団就職でないのだから、大学時代に陸上競技の成績がどうだったかはある意味でどうでもいい話だ。陸上競技部にどうかかわったかを会社の人事は見ているのだから、堂々と話せばいいんだよ」「東大や京大、早稲田や慶応出の人間と学問で勝負しても負けるに決まっている。お前たちは、陸上競技で頑張った姿勢や、陸上競技で培った人間関係で勝負すればよい。面談の場では、一生懸命に陸上競技をやったことを堂々と述べればいいだけだ。だから、陸上競技に打ち込むことが就活なのだ」この話には考えさせられます。私たち神経質性格の人の強みは何でしょうか。これは森田理論で「神経質の性格特徴」を学習すれば理解できます。小さい問題や課題によく気が付く。好奇心が旺盛です。感性が鋭い。豊かである。創造的である。ミスや失敗の原因を掘り下げて分析できる。分析能力が高い。一旦取り組み始めたら、目標を達成するまであきらめない。一度噛みついたら離さないという、スッポンのような執着性を持っている。安易に軽はずみな行動はしない。事前によく考えて、問題や障害を取り除くことができる。何事にも責任感が強く、真面目に取り組む。心の中に高い目標、課題、夢、希望を持っている。就職試験ではこれらを具体的な話としてアピールすればよいのだ。こういう人が就職してくれれば、会社としてもメリットは大きいはずだ。神経質性格者は、もともと優れた特性を持っているのです。とても魅力的なのです。これらを全く評価しない。あるいはアピールしないで、発揚性気質の性格に変革しようなどと考えている。それはやり方に問題があります。そんなに人生は長くないのです。もともと自分が持っているもので勝負をかけないと、後悔してしまうのです。
2020.10.03
コメント(0)
神経質性格の人は自己内省力があります。自分の欠点、弱み、ミス、失敗を反省する力があるということです。その事実を認めて、これから先の実践・行動に活かすことができると、それらを経験することは決してマイナスにはなりません。むしろ人間としての器が一回り大きくるきっかけとなります。身体的なハンディキャップを持ちながら、懸命に生きている人には感動を覚えます。またミスや失敗を繰り返しながらも、態勢を整えて、目的、目標、夢を見失わないで挑戦し続ける人も心から応援したくなります。ところが実際には、これらを認めて受け入れることができない人が後を絶ちません。整形美容で容姿の改造に取り組む人がいます。神経質性格を忌み嫌って性格改造に取り組む人もいます。たった1回のミスや失敗も許されないと自分で自分を追い込んで、実践・行動が停滞したままになっている人もいます。つまり自分の独りよがりの先入観、決めつけ、森田でいう「かくあるべし」で現実否定が習慣となっているのです。この傾向が自分だけに向けられるのでしたらまだましですが、他者にも向けられますので困ります。この呪縛から解き放されるためにできることはないのでしょうか。その一つとして自分や他人のいいとこ探しを提案いたします。というのは、人間には良いところと悪いところが半々ずつあるというバランス理論から考えると、悪いところばかりに注目することは片手落ちではないかと考えているからです。生活の発見会の会員の人で、妻の誕生日に、感謝と長所の言葉を100個ほど色紙に書いてプレゼントした人がいました。妻は涙を流して喜んでくれたということです。自分を評価されたことがあまりなかった人にとっては、大変うれしい出来事に違いありません。人に評価されないときは、自分で自分をほめてあげたいものです。マラソンで銅メタルをとった有森裕子さんは、インタビューに答えて「初めて自分で自分をほめてあげたいと思う」と言いました。自分をけなしたり、否定ばかりしている人にとっては、にわかには信じがたい言葉ではあります。でも少し強引に、無理やりでも自分を評価してあげないと、いつまでも自己嫌悪、自己否定に陥ってしまうのではないかと思います。この際、欠点、弱み、ミス、失敗は寛容な気持ちで見逃してあげて、小さな長所や強み、持っているもの、小さな成功体験をおおきくクローズアップして自信を持たせてあげましょう。その方がよほど意味がある事ではないでしょうか。人生は過去の過ちを後悔して生きるよりも、それらを乗り越えるための努力を積み重ねる。そうすれば、神様はミス、失敗、弱点、欠点は見逃してくれるのではないでしょうか。ちなみに私自身自分のいいとこ探しを書き出してみました。20個は見つかりましたが、どうもそれ以上は見つかりませんでした。でも内心ではまだまだあるのではないかと思っている次第です。無理やりにでも見つけようとする姿勢が大切なのだと思っています。
2020.07.23
コメント(0)
神経質性格の人は弱気と強気が同居しているという。強気な面としては負けず嫌い、頑固である。こだわりやすい。一度食いついたら決して離そうとしない。観念優先で自分や他人に「かくあるべし」を押し付ける。理想主義、完璧主義、完全主義、目標達成第一主義、コントロール欲求が強い。弱気な面としては、心配性である。普通の人が無視するようなことにいつまでもこだわる。注意や意識が内向き、内省化しやすい。物事を悲観的、ネガティブに膨らませてしまう。自己嫌悪、自己否定、他人否定に向かいやすい。森田理論学習の神経質性格の特徴として次のように学んだ。・自己内省的、理知的、意識的である。・執着性が強い。・感受性が強く、心配性である。・生の欲望が強い。これらの分析はすべて的を得ている。ここで注意したいのは、神経質性格にはプラスとマイナスの二面性があるとことを忘れてはならない。生活するにあたっては、優れたところは益々伸ばしていけばよい。問題のあるところは、封印するようにすればよい。どちらかに片寄ると問題になる。バランスを意識することだ。神経症に陥ると、それが反対になっている。そして一人で相撲を取って、自滅の道へと突き進んでいる。それは理解の仕方が間違っているのである。両面観で神経質性格をとらえ、理解することを忘れるとまずいのだ。次に、集談会などで神経質性格の活かし方を学ぶことも大切である。自己内省が強いという事は、反省する力があるという事である。観察する、分析力が優れているという事だ。失敗や問題が起きたときに、その原因をより深く解明していくことができる。原因を探るためにどんな苦労も惜しまない。そして他人に理路整然と説明できる能力を兼ね備えているのだ。こういう人がいないと世の中はうまく回っていかない。自分や他人を否定するために活用するのではなく、有事に備えて事前の準備をするために活用すればこんなにありがたい事はない。心配性であるという性格は、どんな些細なことでも、感情が湧き出てくるという事だ。レーダーでいえば高性能レーダーを標準装備しているようなものだ。豊かな感性が泉のごとくこんこんと湧き出ていて、とどまることがない。それを利用して音楽を楽しむ。絵画や演芸を楽しむ。感性が豊かなのでよく深く鑑賞することができる。生活や仕事面に活かしていく。きめ細かな取り組みができて、満足を得ることができる。この特徴をネガティブにとらえて、何事にもあっけらかんと対応できるような性格改造を目指すことは間違いだと思う。元々備わっているものに磨きをかけて大切に取り扱う事に注力すればよいのである。生の欲望が強いという事は、好奇心が強いという事だと思う。エネルギーが有り余るほどあって、いつも課題や目標、夢に向かって努力を惜しまない人である。こういう人は歳をとって肉体的には弱ってきても、精神的にはいつまでも若い。人生を楽しみ謳歌している人である。経済的・時間の許す限り、興味や関心のある事には積極的に手を出していくようにするべきだと思う。定年退職してたちまちやりたいことを20個ぐらい持ってないと、退屈で空虚さを感じるようになると聞いたことがある。そのためには、現役で働いている時から、やりたいことのストックをためておくことだ。「今日は何をして時間をつぶそうか。何か楽しい刺激はないかな」などと言って、テレビをつけっぱなしの生活を送っているとすぐにぼけてきます。いったんボケが始まるとなかなか元に戻すことはできません。
2020.06.12
コメント(0)
森田全集第5巻の173ページに、「会社で人を採用する時など、神経質な人をとってはいけないといっている」とあります。私が社員の採用の仕事をしていた時、「YG性格テスト」をするように言われた。目的は消極的で意欲のない人、人間関係作りの苦手な人をふるい分けることだった。そして明るく、積極的な人を選別することだった。甲乙つけがたいとき、最後の決め手としてこの性格テストを参考にした。つまり、神経質性格の人をふるい分けて、落とすためのテストだったともいえる。そして、森田先生の言う発揚性気質の人を選び出す手段として利用していたのである。当時も疑問に思っていたが、今では両方の性格者を均等に採用することが、長い目で見ると会社の存続性が高まると思っている。ちなみに発揚性気質の人は、陽気で、愉快な人で、あっさりしていて、交際上手で、朗らかの人である。交際にも、気持ちよく、気のおけない人で、よく人の世話をやく人である。その代わり、ただうわべばかりで、人に対して、深い思いやりなどは全くなく、自己内省もできない。一方、神経質性格は、自己内省的で何かにつけて、自分のことを観察批判して用心深く、石橋を叩いて渡るという風である。すべて理知的で感情を抑制することが強い。したがって軽はずみではないがヒネクレである。自己中心的で、他人に対して、情愛がうるわしくはないが、信頼をおくことができるという風である。(森田全集第5巻 365ページ)私たちは森田理論学習によって、神経質性格には二面性があると学んだ。その発揮の仕方で、短所が前面に出る時もある。緻密でどんな小さいことでもよく気が付くという特徴を仕事に活かしていけば、どれほど会社に貢献するかわからない。さらに、分析力を活かして、将来のリスク回避を提案すれば、会社の発展にも寄与できる。問題は、先入観と決めつけで、神経質性格は社会にとってはマイナス面が多く、そういう人とは付き合わないほうが無難であるという暗黙の了解があることだ。それに影響を受けて神経質性格の人が、自分の性格は修正しなければいけない性格なのだと思っているとすれば、こちらのほうが問題である。私たちは森田理論学習で、神経質性格の特徴について学んだ。この学習のおかげで、神経質性格の見方は全く変わった。マイナスにみえる性格の裏には、プラスの面が隠れており、そのプラス面を生活や仕事に活かしていけば、これほどはぐくみあいのある性格はない。神経質性格者は、感受性が強い。繊細で感情が豊かである。好奇心が強い。生の欲望が旺盛である。自己内省性がある。責任感が強く粘り強い。森田理論学習に取り組んでいなければ、自分の性格を忌み嫌っていたことだろう。ないものねだりで、発揚性気質の性格に改造するのではなく、もともと持っている神経質性格のプラス面により一層磨きをかけて生きていくほうが有意義な生き方ができる。
2020.04.23
コメント(0)
先日の集談会で生活の発見会の会員になると毎月送付されてくる「SEIKATSUNO Hakken」(通称生活の発見誌)の体験記を読み合わせして感想を述べ合った。なお調査の結果、神経症の体験記は好評でよく読まれていることが分かっている。私は、1年に2回か3回は、理論学習の時間に体験発表を組み込むことを提案している。すると、発表する人もそれを機会に自分を振り返ってみることができる。このまとめは森田理論学習をしている人にとっては必要不可欠なものである。発表後にみなさんの感想やアドバイスを聞くこともできる。これも励みになるのである。これを初心者のうちは1年に1回ぐらいは取り組んでもらいたいものだ。きっと成長している自分を発見できるだろう。「まとめ」のしかたは、すでにこのブログで紹介している。しかし現実は喜んで体験発表する人がほとんどいない。そこで次善の策として、発見誌に掲載されている「体験記」を読み合わせて、感想を述べ合うことをお勧めする。今回取り上げた方は、神経症が悪化して、ひきこもりになった人だった。その人が森田療法に出合い、森田の協力医の治療やカウンセリングを受けながら、集談会に参加して、立ち直りの過程がとても分かりやすく書かれていた。今は介護の仕事をされて、集談会では世話活動もされている人だった。ひきこもりの時期から比べると、雲泥の違いが見てとれた。その人の言葉で印象に残っていることを紹介してみたい。「戦線恐々としながらアルバイトを始めます。常に森田の考え方を意識しながら働きました。そうすると今まで欠点だったものが長所になっていく不思議な感覚におそわれました」「私が森田で学んだことは次のようなことでした。臆病な人間は大胆な人間になる必要はない。慎重な人間になればよい。仕事や作業に時間のかかる人は早い仕事をする必要はない。丁寧な仕事をすればいい」これに対しての私の感想です。この方は元々、ご自分の細かいことにとらわれていく神経質性格を毛嫌いしていたようだ。ところが森田理論学習の中で、神経質性格には二面性があるということに気づかれた。かっこよく言えば自覚を深められた。一種の悟りを得られたのです。つまり、小さなことが気になるというのは、気苦労が絶えないという面が確かにあるが、感性が鋭いということでもある。普通の人が気がつかないこともどんどん気がつく。観察力や分析力に優れている。芸術作品もより深く鑑賞できる貴重な性格です。忌み嫌っていた性格の中に、何物にも代えがたい長所があることに気がついた。これは生き方を変えるような発見だと思います。自分はこの神経質性格のプラスの面を活かして、勝負していけばいいのではないか。そうだ。この際短所は横において、自分の置かれた境遇の中で、長所や強み、自分の存在、自分の持っている能力に磨きをかけて生きていこうと決意を固められた。それが上記の言葉になったのではないか。この言葉は何気ない言葉ですが至言です。森田理論学習をしていると、あるときハット悟りを得るときがあります。それは他人から教えてもらったことではなく、自らつかみとったものです。これが積み重なっていくのですから、森田理論学習は生涯学習になっていくのです。何気ない日常生活の中で、小さな発見や気づきに素直に喜べるような習慣が定着してくると、神経症の苦しみはどんどんと遠のいていきます。そして神経質性格に感謝することができるようになります。そんな自分を生んでくれた両親に親しみを覚えるようになります。
2020.02.29
コメント(0)
企業は同業他社と熾烈なシェア争いを繰り広げていきます。企業が生き延びていくためには、シェアナンバーワンをめざすことが目指すことが大切です。シェアがナンバーワンになると、どんどん波及効果が出てきて、益々自社商品が売れるようになります。特に営業努力をしなくても、テレビ宣伝するだけでどんどん売れていくので笑いが止まらない状況になります。これに対して、ナンバー2以下の企業は、いくら営業努力しても太刀打ちできなくなります。多額のテレビ宣伝費を投入しても、思ったほどの効果が上がりません。こういう状況に陥いると、ナンバー2以下の企業は、ついに白旗を上げて吸収合併や撤退に追い込まれる場合があります。利潤が出ないので、生産すればするほど損失が拡大していくのです。事業継続の意欲が根こそぎ奪い取られてしまうのです。このようにして弱肉強食でナンバー2以下の企業は淘汰されるということになります。ナンバーワン企業とナンバー2企業のシェアが接近している場合は、熾烈なシェア争いに巻き込まれます。戦略としては新規顧客の獲得に目が向くようになります。まだ自社商品を手にしたことのない人に、その商品の魅力を伝えて、同業他社から一人でも多くの顧客を奪い取ろうとする戦略です。営業力、広告宣伝費を既存の顧客ではなく、未知の顧客にばかり向けているのです。これは市場動向調査、広告宣伝費もかかり、地道な営業活動の継続が必要になります。この方面だけの努力でライバル企業に勝てるのか。必要条件ではあるが、十分条件とはなりえない。ここで注意しなければならないのは、既存の顧客の満足度をさらに高めていくということです。その方面の努力を忘れてはならない。自社商品の強みを自覚して、その強みをさらに高めて、顧客満足度をさらに高めていくという活動です。そうしないと、大切な自社の顧客がライバル企業に鞍替えしてしまいます。ザルで水を掬うような結果になってしまいます。顧客はその商品の本来のよさが失われた。商品の改悪があった。価格が高くなった。その商品よりも他社商品の優位性が少し高まった。同業他社の商品には多くのポイントがつく。サービス品がついてくる。営業マンの訪問がなくなった。同業他社の営業訪問が増えている。そしていろんな情報を持ってきてくれる。他社のテレビ宣伝が目立つようになった。店に行くと同業他社の商品が一番目立つところに置いてある。手に取りやすい目の前に置いてある。こういうマイナスの行為が続けられると、顧客はどんどん同業他社に流れていく。雪だるまを坂道で転がすように、どんどん勢いを増して、どうすることもできなっなってします。気が付いたときはもう手の施しようがないという状態に追い込まれることになります。自分の持っている強みをさらに高めていくという地道な活動の継続が大切だと思います。神経質性格者はいろいろと欠点を気にして、それと格闘することが多い。そして神経症で苦しんでいる人がいる訳です。神経質性格にはマイナス面も確かにありますが、プラス面も数多くあります。そのバランスをとっていくことが大切です。いつもはマイナス面ばかりを気にしていますから、そういう人はプラス面ばかりにフォーカスしてみる。神経質性格のプラス面を大いに磨いて生活に活かしていく。このことを意識して生活することが大変重要です。神経質性格者でオーラを放っている人はそういう人だと思います。
2019.11.08
コメント(0)
ビール業界ではキリンビールが一人勝ちという時代が続いていました。1970年代に入るとシェアーが60%を超えて、独占禁止法に抵触するため、売りすぎないようにという通達が出るような状況だったとのことです。ところが1987年アサヒが「スーパードライ」を発売してから、キリンの独壇場だったビール業界に大きな変化が起きました。スーパードライは、発酵度を非常に高めた製品で、鮮度やコクとキレを前面に押し出して、爆発的なヒットとなりました。そのため1997年のキリンの国内シェア63.8%でしたが、1995年には50%以下にまで落ち込みました。そして2001年には40パーセントを割り込みました。そしてついにアサヒビールに首位の座を明け渡すことになりました。これに対してキリンビールは危機感を持って消費者の意識調査を実施しました。すると若者を中心として、キリンのラガービールは「苦い」「古い」というイメージが強いことが分かりました。従来のラガービールの特徴は、喉にガツンとくるコクと苦みが持ち味で多くのファンを掴んでいたのです。しかしこのままでは、スーパードライに対抗できないと経営者は結論づけました。特に若者のラガービール離れが加速すると判断したのです。そして安易に、苦みを抑えて若者好みの飲みやすいビールに変更したのです。その結果どうなったか。若者はスーパードライからラガービールに変えてはくれませんでした。逆に昔からのラガービールファンのキリンビール離れに火がついたのです。営業マンが訪問する先々で、「どうしてラガーの味を勝手に変えたんだ」といわれるのです。仕事が終わり、よく冷えてコクがあり、苦みのあるビールを飲むことを楽しみにしていたお客様の信頼を裏切ることになったのです。市場調査を基にして、弱点である若者層を取り込もうとして、大切な昔からのラガーファンを失っていったのです。一旦失ったお客さんは、アサヒのスーパードライに鞍替えしてしまいました。キリンビールは戦略の立て方を間違えてしまい、アサヒの怒涛の快進撃を、指をくわえて呆然と眺めることしかできなくなりました。これが売れすぎて、売上制限をしていた会社の変貌のすべてです。(キリンビール高知支店の奇跡 田村潤 講談社新書 参照)この事実から私たちは何か学ぶことはないのでしょうか。私たちは小さなことが気になる神経質性格を持っています。この性格は、ちょっとしたことで不安や恐怖に襲われて、動揺して振り回されてしまいます。そして、外向的で発揚性気質のような性格に生まれ変わりたいと考えるようになります。元々神経質性格には、感受性が強い、まじめで努力家、分析力が優れているなどの長所があるのですが、それらはあって当たり前という気持ちが強いのではないでしょうか。それらを放り投げてないものねだりをしていることはありませんでしょうか。神経質性格の特徴で学んだように、性格にはプラスとマイナスの両面があります。マイナス面にはある程度目をつむって、プラス面をさらに鍛えて、伸ばしていくことが肝心なのではないでしょうか。この社会は神経質者がいなくなると、暴走社会で厄介になると聞いたことがあります。会社でもいけいけどんどんの人ばかりだといずれ破綻してしまいます。私たちは自分に元々備わっている性格をはぐくみ育てていくという気持ちを忘れてはなりません。
2019.11.04
コメント(0)
樹木希林さんのお話です。私はすべてのものに対して、絶対こうでなければいけないという鉄則はないと思っているのです。例えば私の顔。これはミスして出てきちゃったわけですよ。少なくとも美人女優という枠には入らない。でもこのミスを活かそうと思ってやってきた。今はミスがむしろ面白い顔として受け入れられる時代ですけど、それこそ40年前は、女中の役の顔だってミスは許されなかった。その中で私がこうして生き残れているのは、ミスを活かそうとしてきたからじゃないかと思いますね。(一切なりゆき ~樹木希林のことば~ 32ページより引用)イケメン、美人の人は確かにいます。イケメンや美人に生まれた人は、その特徴を活かして、さらに磨きをかけてモデルなどをすればよいのだと思います。反対にそれを鼻にかけて、男性遍歴、女性遍歴を繰り返している人もいます。そういう人は、晩年を迎えたとき、とてもみじめで寂しい状況に追い込まれている人もいます。自分の特徴の活かし方を間違えているとしか思えません。私たちはイケメンや美人でないからと言って悲観する必要はありません。むしろ悪い虫が近寄ってこないという側面を評価することも大切です。また、いくら衝動的で本能的な欲望が湧き起こってきても、そのおかげで人生が破滅に追い込まれることを防いでくれているのです。ですから、そういう人の容姿や器量と自分を比較して、自己嫌悪、自己否定に陥ることは、お門違いで残念なことです。それよりも私たちは神経質性格の長所と短所を学習したわけですから、神経質性格のプラス面を評価して活かすようにしていくべきだと思います。神経質性格はとてもはぐくみ合いのある性格です。他の性格者は、神経質性格者に生まれたかったと思っても、どうすることもできないのです。神経質性格は、それを持って生まれた私たち神経質者の独壇場なのです。神経質性格者は、感受性が豊かである。感性が鋭い。生の欲望が強い。夢や目標に対しての執着性が強い。まじめで責任感が強い。努力を惜しまない。企画力、創造性、分析力が強いなどの優れた特徴が数多くあります。こういう優れた特徴を持っているわけですから、この部分を活かして勝負をかけてみることです。他人と比較して、弱点や欠点を修正しようとするよりも、強みや長所に光を当てていくことが大切です。そういう気持ちを持って生活していると、実り豊かな人生に変わっていきます。ことさらないものを発見して嘆くよりも、元々備わっているものを最大限に活かしていくことを心がけていきましょう。せっかく森田理論で神経質性格の特徴を学習しているのですから。
2019.05.03
コメント(0)
プロ野球の世界で、入団した時、走攻守、いずれも平均点以上でバランスの選手がいるそうだ。だだし走攻守のすべての分野で超一流という選手はいない。一長一短を持っている選手がほとんどだそうだ。ホームランを打つパワーはあるが、鈍足で守備に難がある。相手のモーションを盗んで、走るのは早いが、非力でバッティングは弱い。しかも守備に問題がある。また、守備はそつなくこなすが、バッティングや走力は平均レベルに届いていない。しかし面白いもので、どちらの選手の方が、監督やコーチが使いやすいかと言うと、ある1つの分野で飛び抜けた才能や能力を持っている選手であるという。そういう選手をうまく組み合わせて使うのが監督やコーチの仕事ということになる。それがたとえ、走攻守にわたって傑出した能力がなくても、ベンチで大声を上げて選手を鼓舞するような才能や能力であっても構わない。そういう選手の方が、厳しいプロ野球の世界でしぶとく生き残っていくということである。学問の面でも、例えばAという人が、数学70点、英語80点とする。B君は数学40点、英語90点だった。合計点ではA君は150点、B君は130点である。どちらが優秀かといえば当然A君ということになる。見た目はそうだが、本当にそうなのか。確かに総合点ではA君が勝っているが、個別的に見ればB君の英語の90点というのが最高点である。B君が、その英語に磨きをかけて、同時通訳ができるような能力を身に付けたとしたらどうであろうか。自分も自分の得意な能力を発揮できるし、社会に役に立ち、受け入れられることが可能になる。すべてにわたって平均点の人より、一つの分野に秀でている人が魅力的である。普通は自分の弱点や欠点を気にして、それを人並みに引き上げようと涙ぐましい努力をする人が多い。例えば、髪が薄いので、カツラをかぶる。背が低いのでシークレットブーツを履く。太っているので、腹巻などで腹を締め付けている。欠点を隠せば、周囲の人が自分のことを認めてくれるに違いないと固く信じているのだ。しかし、実際には欠点を必死になって隠そうとしていることを、周囲の人は見破っている。そのような弱点や欠点を隠すということが、普段の生活や仕事に対して常習的に行われていると判断されてしまう。事実を事実として認めないで、隠したりごまかしたりする人だとみなされてしまう。安心して近づいていけないオーラを醸し出している。容易に他人を寄せつけなくなる。このようなことにエネルギーを投入していても、弱点や欠点を隠すことができれば、良好な人間関係を築くことができるという思いは無残にも打ち砕かれてしまうのです。反対に弱点や欠点はそのままにして、自分の持っている強みや長所、才能や能力を見極めて、それを伸ばしていくということに取り組んでみる態度はどうであろうか。はるかに意味のある生き方ができるように思う。そう言われても、人と比較して、そんなに優れたものを持ち合わせていないと思っている人も多いだろう。そういう人にオススメしたいのは、神経質という性格の事である。普通は小さなことが次から次へと気になる神経質性格は、嫌悪している人が多いのではなかろう。何事もあっけらかんとして、小さな不安が気にならず、楽しく愉快に生活している人に憧れている。中には性格改造に取り組んでいる人もいる。そういう人は森田理論の中で、神経質性格の両面性をよく学習してもらいたいものだ。小さいことが気になるという性格は、感受性が強いということである。芸術や文化の面で功績のある人は、感受性が強いということが欠かせない。自己内省性があるということは、物事をよく観察して分析する力があるということである。プロ野球の解説者でも、選手の心理や技術について的確に分析してくれる人は、神経質性格を持ち合せている人なのである。神経質性格者は好奇心旺盛である。つまり生の欲望が強い。しかも食いついたら放さないというすっぽんのような性格特徴を持っている。私もブログで森田理論の発信を始めて7年目に入った。今や、飛行機が安定走行に入った状態になっている。これも神経質性格を活かしていることだと思っている。自分には何も取り柄がないと思っている人は、神経質性格そのものが光り輝く宝石の原石だと思ってほしい。根気強く磨いていけば、必ずものになる代物なのである。それに早く気づいてほしいものだ。
2019.04.08
コメント(0)
森田理論に「物の性を尽くす」というのがある。物の存在価値を徹底的に活かし尽くすということである。森田先生は、水も活かし尽くすことを教えられた。風呂の残り湯は、雑巾がけに使う。観葉植物にかける。庭の打ち水に使う。新聞の広告も、裏面を原稿用紙として使う。ごはんや風呂を炊くときに使う。近くにあった野菜市場では落ちている野菜くずを拾ってきてニワトリやうさぎのエサにする。そのものの持っている存在価値を見つけ出して、最後の最後まで活かし尽くすという考え方だ。この考え方を、自分自身に応用することを提案したい。まずこのブログを読んでくださっている方は、神経質性格の持ち主だと思う。神経症で苦しんでいるときは、小さなことで心配ばかりする性格を別な性格に変えたいと思いがちだ。私は森田理論を学習して、神経質性格にはマイナス面とプラス面の両方が同じ数だけあると学んだ。私は神経質性格のプラス面をしっかりと認識して、プラス面を生活に活かしていくことが大切だと思っている。心配性であるということは、反面感受性が強いということである。美しい風景、音楽、絵画、演劇、映画、ドラマ、小説などからあふれんばかりの感動をもらうことのできる性格なのである。神経質性格者でない人よりもより多くの感動を味わうことができるということだ。涙が出るような感動を一日一つでも味わえることができれば、つらいことがあっても生き抜いていく力が出てくると思う。感受性を磨き鍛えるためには、興味や関心のあるものには積極的に取り組んでみることだ。取り組んでいく中で感性はどんどん磨かれていく。また心配性の人は、思いやりの深い人である。自分の心の痛みがビンビンと感じられる人は、他人の心の痛みも分かる人である。たとえば自分が尿道結石で苦しんだ経験を持っていれば、他人が下腹が痛いと言って、のたうち回ってれば、およそその見当がつく。どうすればよいのかすぐに分かるようなものだ。過去にそういう経験がない人は、相手の苦しみが全く理解できないのだ。そういう人は相手の身になって考えることが難しいのである。性格の活かし方という面では、プラスの面に焦点を当てて、それを磨いて生活の中で活かし尽くすという考え方が大切だと思う。神経質性格は、あらゆることによく気づく、感受性が強い、失敗の原因をとことんまで反省して分析できる力がある、責任感が強く粘り強い、好奇心が旺盛で夢や目標を絶えず追い求めているなどの特徴がある。ないものを探し求めることよりも、自分に元々備わっているものを棚卸して、それを活かすことを考えていく方がよほど意味のある人生を送ることができると思う。
2019.02.19
コメント(0)
森田先生は、森田全集第5巻の中で人の気質を7つに分類されている。神経質気質は、自己内省的で、何かにつけて、自分のことを観察批判して用心深く、石橋を叩いて渡るという風である。全て理知的で感情を抑制することが強い。したがって、軽はずみではないがひねくれである。自己中心的で、他人に対して、情愛がうるわしくはないが、信用を置くことができる。発揚性気質の人は、陽気で、愉快な人で、あっさりしていて、交際上手で、朗らかな人である。交際にも、気持ちよく、気の置けない人で、よく人の世話をやく人である。その代わり、ただうわべばかりで、人に対して、深い思いやりなどは全くなく、自己内省などもできない。人が笑っていれば、単に喜んでいるくらいに考えて、泣き笑いとか、会釈笑いとかいうことの見分けのつかないものである。人と喧嘩するときでも、神経質は、自分の欠点や、悪い意見を十分に考えて、しかるえうで争うことができるが、その他の気質の人は、ただ一途に相手の悪いところばかりを怒るという風である。ちなみに、その他の気質として、ヒステリー性気質、意志薄弱性気質、抑鬱性気質、偏執性気質、乖離性気質をあげておられる(森田全集第5巻 364ページより引用)ここで問題なのは、神経質気質の人が、発揚性気質の人の性格を比較していることである。自分の性格のマイナス面と、発揚性気質のプラス面を天秤にかけて比較しているのである。発揚性気質の人は、小さな事は気にならず、あっけらかんと笑い飛ばしてしまうような人である。明るく愉快で他人の注目を一身に集めている。社交上手で、行動力も交渉力もある。人を統率してまとめ上げるリーダーシップも持ち合わせている。神経質性格の人は、これらの性格特徴は持ち合わせていないので、発揚性気質の人と比較すると自己嫌悪、自己否定に陥る場合がある。しかし、発揚性気質の人も欠点や弱みを持っている。細かい事は気にならないので、対応することが困難である。体の異変にも気づかず、診察を受けたときは、もうすでに手遅れという事態を招くことがある。大きなプロジェクトなどは手がけることができるが、 ザルで水を救うようなもので、予期せぬ事態に陥り、足元救われるようなことが発生する。内省性に欠けるので、第三者から見て、無鉄砲なことでもイケイケドンドンで突っ走ってしまうこともある。他人の気持ちを思いやる心がなく、自分の思い通りに支配しようとする。神経質者は、心配性で不安にとりつかれる、物事にいつまでもこだわりやすい、注意や意識が自己内省一辺倒である、 「かくあるべし」が強いなどの欠点がある。神経質者から見ると、発揚性気質の人は自分にない性格特徴持っており、とても眩しく見えるのである。自分の性格特徴を否定して、発揚性気質の性格に変えてしまいたいと思う人が出てくる。心身を鍛えたり、性格改造のためのセミナーに参加したりする。こういう方向で努力するのはいかがなものであろうか。それよりは、神経質性格にはプラス面とマイナス面が共存しているのであるから、それをきちんと自覚することがより大切なのではなかろうか。神経症に陥っている人は、まさか自分の神経質性格にプラスの面があるとは思えない。神経質性格のマイナス面ばかりをみて、自己嫌悪、自己否定しているのである。こんな性格に産んだ親を憎んでいるのである。これは性格の見方があまりにも一面的である。性格特徴には、それぞれの性格に10の欠点があれば10の長所もあるのである。10の長所もしっかり自覚できなければ、性格を正確に自覚したことにならない。そして神経質者の生き方としては、その長所を大切にして育んでいくことにあるのではないでしょうか。
2018.11.04
コメント(0)
アメリカの大リーグに所属する選手は、ウェイトトレーニングで筋肉をつけて体を大きくする選手が多い。150キロを超えるストレートでも、甘い球なら軽々とホームランにできる選手を目指しているのだ。このような風潮に疑問を投げかけるのがイチロー選手である。体を大きくすると、走るのが遅くなる。筋肉が邪魔をしてスピーディーな動きができなくなる。例えば、太ももの前の筋肉やふくらはぎを大きくするとスピードは出なくなる。スピードを維持しようと思うなら、太ももの裏側を鍛えて、ふくらはぎを太くしてはいけないのだ。また余計な力が入ってしまうと、故障を誘発してしまう。力んだスイングでミスショットも増えてくる。体を大きく、筋肉を太くすると、そこから生まれる力を過信してしまう。そういうウエイトトレーニングでパワーを増強する練習は大変危険であると警告している。そこを錯覚してすぐに使い物にならない選手がたくさんいるのは悲しいことだという。イチロー選手は筋力をつけることよりも、関節の可動域を大きく、効率的に使うことに普段から重点的な意識を置いている。彼のようなタイプの選手で大切なのは、身体そのものを大きくして力を生み出すことではなく、無駄のない身体の使い方なのである。そのためにイチロー選手は彼独自のトレーニングのための機械を作り出した。(イチローの流儀 小西慶三 新潮文庫 86頁より引用)実によい話だ。この話は森田理論にも通じる話である。私たちは優れた神経質性格を持っている。この性格を持っている人は、いろいろと細かいことによく気がつく。裏を返せば心配性である。四六時中不安に振り回されている。そんな人間が、発揚性気質で、少々の不安はあっけらかんとして気にも留めない人を見るととても眩しく見える。 できることなら自分も神経質性格を、外向的で、社交的な性格に変えたいなどと考える。イチロー選手ならそんな馬鹿な事はやめた方がいいと言うだろう。隣の芝は青く見えるだけのことだ。発揚性気質の人は、イケイケドンドンの人が多いが、細かいことに気が回らないので、リスク管理がおろそかになる。人の気持ちを思いやることも少ない。上昇気流に乗っているときはいいが、いったん落ち目になってくると、始末がつかなくなる。行動力は素晴らしいが、 1人の人間としての深みというものはあまり感じられない。神経質性格を持っている人は、感受性が豊かである。まじめで責任感が強い。好奇心も強い。反省し、分析する力もある。相対的に粘り強い。ないものねだりをするよりも、これらプラスの性格特徴を自覚し、それにさらに磨きをかけることに注力した方がよほど意味がある。この世を動かしているのは、神経質性格者であると聞いたことがある。神経質の性格特徴を遺憾なく発揮すれば、比較的間違いが少ないのではなかろうか。自覚するためには、森田理論学習が有効になる。神経質の性格特徴の学習は、今まで日の当たらなかった神経質性格の可能性を改めて自覚することにつながると思う。
2018.09.25
コメント(0)
サッカーの岡田武史さんは、小さいことでいいから成功体験を積み重ねていくのが大事なんですが、その時短所をカバーしようとするより、長所を伸ばそうと考える方がうまくいくように思うと言われている。サッカーの監督時代は、それぞれの選手の長所を見るようにしていました。短所ばかり見ていると、 「こいつ、使えないな」と思ってしまいます。よいところを意識して見ていると、 「何とか使い物になるかな」と考えられるようになる。すると、ほめる回数も増えていくので、選手のほうもやる気が出てくるのです。試合前にも必ず、 「ここにいる選手はみんな、必ずいいところを持っている。試合ではその長所を生かせ」と言っていました。チーム全体でも、長所をどんどん押し出していくと、自然に欠点まで消えることがあります。逆に、せっかく連勝して波に乗っているのに、あえて欠点を修正し、完璧を目指そうとして、ガタガタとチームが崩れていく経験を何度もしました。プロ野球の王貞治さんは、巨人入団から3年目に、ホームランを打つために、2本足打法から 1本足打法にしました。1本足打法は長打が出やすいという長所がありました。しかしタイミングがつかみにくく、三振が多いという。短所もありました。監督やコーチからはその短所を埋めるために、バランスの良い2本足打法に戻すようにアドバイスされました。しかしどうしても、 2本足打法にすると途端に長打が出なくなるのです。僕の持って生まれた最大の特徴である球を遠くに飛ばすという長所を生かすことができないのです。ホームランを目指していた僕は「自分には1本足しかない」と思って頑としてゆずりませんでした。(人生で本当に大切なこと 王貞治 岡田武史 幻冬舎新書 142ページより引用)短所を直そうとすればするほど、長所を伸ばすことがおろそかになります。どうしても注意や意識が短所の修正ばかりに向いてしまいます。そのうち、長所はもともとあるものだから、手をかけなくても大丈夫だと考えるようになります。この考えは大変危険です。長所を伸ばす努力を怠ると長所を伸ばすことはできません。さらに、長所を放置していると、本来あった長所は目減りしていくのです。ヤスリをかけて小さくなっていくようなことになります。それでなくても、短所を人並みに引き上げるには、相当な努力や時間が必要になります。労多くして、成果が出にくいと言わざるを得ません。ですから、基本的には、自分が持って生まれた、もともと備わっている能力に光を当てて、磨きをかけていく態度が重要になります。社会生活に影響するような短所を放置していても構わないのかという反論が聞こえてきそうです。当然短所も修正することが必要な場合もあります。しかし、ここで言いたい事は、それは程度問題だということです。短所を修正する前に、長所を伸ばすことに真っ先に取り組みましようということなのです。自分にないものを求めるよりも、自分にもともと備わっているものを活かして生活する態度が大切であるということです。真っ先に重点を置くところは、今持っているものを活かしきるということです。森田理論の中に「物の性を尽くす」というのがあります。自分、他人、物、時間、お金に至るまで、今あるものをとことん活用し尽くすということです。自分を生かすということは、人にあって自分にないものを追い求めることではなく、自分に備わっているものを自覚して、磨きをかけるという方面の努力を怠らないようにするということです。
2018.09.13
コメント(0)
カーネギーの言葉に「不足しているものを数えるな、恵まれているものを数えてみよう」というのがある。欠点を修正することよりも、むしろ長所に光を当てて磨き上げるということである。陸上競技では、マラソン向きの選手と短距離向きの選手は筋肉のつき方からして全く違います。マラソン向きの選手が自分の得意な面を忘れて、短距離の練習をしたところで成果が上がりません。自分の得意な面に焦点を絞って伸ばしていくことが、生きがいにつながってゆきます。プロ野球選手は、球を遠く投げること、球を遠くへ打ち返すこと、速く走ることなどは、天性のものであって、後からいくら鍛えても身に付ける事はできないそうです。ただプロの世界へ入っていく選手でも、 3拍子揃って超一流という選手はあまりいません。それでもプロの世界へ入ってくる選手は何かしら優れた面を持っている。3つのうちの1つは見るべきものがある。ホームランを打つような事はできないが、バットに当てることが上手な選手もいます。 150キロを超えるスピードボールを投げることはできないが、コントロールだけは抜群の選手もいます。また、多彩な変化球を操ることができる器用な選手もいます。打つことは苦手だが、守備だけは天下一品の選手もいます。相手ピッチャーや相手バッターの癖を見つけるのが上手な選手もいます。ベンチにいて仲間を鼓舞するのが上手な選手もいます。プロ野球の世界では、それらのうちの1つが他の選手よりも上回っていると、生き残っていくことができる場合があるのです。他はどうでもいいと言っているのではない。他は人並みか、人よりある程度劣っていても構わない。ここで最も重要なことは、他の選手と差別化できるアピールできるものを何か1つでも身に付けているということである。ですから、自分の恵まれている長所を伸ばしていくことに力を入れていくことが欠かせないのである。これを怠って、欠点を修正していくことばかりに力を入れていると、長所は次第に見劣りしてくるようになる。つまり平凡な選手に成り下がってしまう。そうなればプロ野球の世界から弾き出されてしまうのです。我々神経質者は、鋭い感性を持っている。他の人が気づかないような細かいこともよく気がつく。反省心が強く、分析力があり、責任感があり、粘り強い。好奇心が旺盛で、強い生の欲望を持っている。これらを自覚して、さらに磨きをかけて、これで勝負していくという覚悟を決めることが大切である。これが神経質者を活かす道であり、これ以外に自分を活かす道はないのではないか。神経質性格には、小さなことに取り越し苦労をする。小さなことにいつまでもとらわれてしまう。自己内省ばかりで外向きにならない。 「かくあるべし」で自分や他人を縛り上げてしまう。などのマイナス面の特徴もある。これは神経質性格に限らず、どんな性格であってもプラスがあればマイナスがあるのである。ある程度修正していかなければならないが、基本的には性格のプラス面に光を当てて存分に活かしていく方向を目指さなければならない。私たちは森田理論の「神経質の性格特徴」を学習している。これが理解できたならば、後は自分の性格を実生活の中で生かしていくことを実践していかなければならない。理解できても、仕事や実生活の面で活かすことができなければ、残念な人生で終わってしまうこと肝に銘じておきたい。
2018.08.08
コメント(0)
全114件 (114件中 1-50件目)