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おやこ劇場のSさんからのメール2通です。先日おやこ劇場で集めた物資をOさんが知り合いの棟梁の実家、岩手の大船渡市小石浜に届けてくれたのです。 「おはようございます。昨夜Oさんが出発して岩手に入りました。先ほど大船渡に着いたと電話が入りました。吾野の国道を走ってるみたいと思っていると一瞬で開けた世界は車が船があらぬ所にあらぬ格好で打ち上げられ、家が大破し、この世のものとは思えない風景だそうです。学校と思われる建物も三階まで波が来たようだ…一面が廃墟…淡々と伝えてくれるOさん、彼女も目の当たりにしてただ唖然と伝えるだけ…。テレビで悲惨な映像を見るよりも現場に今いる人の声からは伝わる。ただ淡々とした声を聞いただけなのに何故涙が止まらない。彼女にはこれから私達に何が出来るのかしっかり見て来て欲しい。また皆さんよろしく〓水沢のインターを降り山道を走り山道を抜け初めて見えたのが大船渡だと思われます。」「先ほどOさんから電話がありました。棟梁の実家のある小石浜は津波で流された家は少なく、浸水した家は多いものの、地域が小さい為皆で比較的お元気で避難されているようです〓しかし物資は入りが少なく高齢者が多いと聞き、最後に積んだオムツ類が喜ばれたようです。防寒着も助かった、あれもこれもとひとしきり皆さんでみた後ここよりも被害が大きい所に持って行って、との事で出かけたら、場所はよく分かりませんが、自衛隊の物資を受け付けている所があり、そこで全ての物資を受け入れてくれて全てお渡し出来だとの事でした。自衛隊が結構の物資を運び込んでいるようでした。ガソリン事情も少し回復しているようです〓小石浜の方々がよく来てくれたね~落ち着いたら来て下さいと歓迎してくれたとのこと〓少し仮眠をとって帰りに向かうそうですが、他の避難所の様子も見て来てと伝えました〓」にほんブログ村
2011年04月04日
宮城県にNPOつなプロでボランティアに行ってる娘マッキーのつぶやきです。「携帯使えます。ごはん食べれます。お風呂は入れないけど、温かい寝床はあります。なにもかも整った環境で、こんなにも元気なのに、なにもかも失った方々を目の前に、わたしが、出来ることが少なくて、悔しい。」「一回帰ります。でも、また戻ります、絶対。だって、何が欲しいですか?と避難所で聞いた時に、『お世話になったこの学校、入った時より綺麗にして出て行こうって言ってるんです。その掃除のお手伝いですかね』と、こんな時だって相手を思うことの大切さ学んだから。助け合いたいじゃないか、素直に。」本当に娘の方が勉強させてもらってます・・・少しはお役に立ててるのかな・・・にほんブログ村
2011年04月01日
昨夜ツイッターで被災地の情報を教えて下さいと頼んだら、早速リプライで、二つのサイトを教えてくれました。先日おやこ劇場のサークルで仕分けした物資の送り先です。知り合いの方の実家が大船渡市にあって、その方がトラックで物資を届ける予定なのです。情報提供はありがたいですね。岩手日報ニュース「再起へ始動、漁業者奮起 大船渡・小石浜」河北新報ニュース「ふんばる 3.11大震災/共同生活まるで家族」にほんブログ村
2011年03月29日
今朝早く被災地にボランティアに行った娘マッキーから下のメールは、昨日マッキーからもらったメールで、所属してるNPOかものはしの代表者村田さんのメルマガの転送です。「まきんぐ」とはマッキーの別の愛称です。「ゆるかも」は、かものはしの学生サークルです。以前、ここのスタディツアーに参加し、翌年インターンになってスタディツアーを引率し、今は、かものはしの学生サークルゆるかもで活動してます。そのNPOの参加者として、「つなプロ」から被災地ボランティアの募集を受けたらしい。かものはしやつなプロにもご協力いただけると嬉しいです。 『かものはしの村田さんが紹介してくれた!ゆるかもって、まきんぐ( ̄▽ ̄)』From: かものはしプロジェクト ??????@kamonohashi-project.net> Subject: 【かものはし】共同代表村田、被災者支援に参加します 東北地方太平洋沖地震 特別メルマガVol.3-------------------------------------------------------------------【かものはし】共同代表村田、被災者支援に参加します 東北地方太平洋沖地震 特別メルマガVol.3 -------------------------------------------------------------------東北地方太平洋沖地震で被災されたの方々へ謹んでお見舞い申し上げます。 今回は、前回のかものはし東北地方太平洋沖地震特別メールマガジンに続き、第3回特別号をお送りします。(かものはしの震災に対する主な方針はこちらです第1回 https://s.blayn.jp/bm/p/aa/fw.php?i=kamonohashi&c=35&n=27137 第2回 https://s.blayn.jp/bm/p/aa/fw.php?i=kamonohashi&c=34&n=27137 )かものはしが参加している「つなプロ」からいよいよ、ボランティアの方々が派遣されます。また、つなプロの募金受付も開始されました。最後までご覧いただけましたら幸いです。 ◆◆◆ 目次 ◆◆◆1)「つなプロ」第一陣ボランティアが出発します2)被災者支援に参加、共同代表村田からご挨拶3)カンボジアの女性も応援しています4)「つなプロ」募金の受付が開始されました-------------------------------------------------------------------1. 被災者をNPOとつないで支えるプロジェクト「つなプロ」 第一陣ボランティアが出発します-------------------------------------------------------------------かものはしは、避難所で多様な配慮を必要としている方々、例えば、妊産婦、アレルギーをお持ちの方、難病患者精神適用支援者、外国人(言語サポートの必要な方)の方々への支援プロジェクト「つなプロ」に協力しています。(つなプロとは、被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクトという意味です。)具体的には、ボランティアを派遣し、被災地でのニーズを把握、特別なニーズをもった被災地の方の所在を確認し、個別支援を行います。▼つなプロの詳細はこちらをご覧くださいhttp://blog.canpan.info/tsunapro/そのボランティア第一陣44名がいよいよ、3月29日から宮城県の避難所に派遣されます。かものはしスタッフからも複数名、このボランティアに参加いたします。ボランティアがニーズを伺うのは、被災者の方々の中でも、特別なケアを必要とされる方です。その方々の声に耳を傾け、貢献できるよう活動して参ります。-------------------------------------------------------------------2. 被災者支援に参加、共同代表村田からご挨拶 -------------------------------------------------------------------皆さまこんにちは、村田早耶香です。この度、かものはしが参加している、「つなプロ」のボランティア派遣第一弾として、私も、宮城県の避難所をまわり、ニーズをヒアリングするボランティアに行って参ります。3月29日(火)~4月3日(日)までの約一週間、宮城県に滞在する予定でおります。(*場合によっては、3日以降も滞在する可能性があります)これまでは、緊急フェーズでしたので、一般のボランティアの受け入れが出来るような段階ではありませんでしたが、これからは沢山のボランティアの力が必要な段階になってくると思います。妊娠されている方、障がいを持っていらっしゃる方、介護が必要なご高齢の方、アレルギーを持っていらっしゃる方のニーズを聞き取り、専門のNPOとつなぐ活動をします。災害時には、性犯罪が増える可能性があります。かものはしのミッションである、性的搾取を予防・解決するためにもこの活動は非常に意義があることだと考えています。かものはしから、私のほかに、スタッフ、インターン、ゆるかも、かもカフェメンバーの有志が、今回一緒にボランティアとして被災地に行きます。テレビの映像を見ながら、家族をなくされて涙される方を見て、涙を流し、ただ状況を見守るだけでもどかしい気持ちでいたので、少しでもお役にたてるのであれば、嬉しく思います。ただ、災害支援は、私自身はじめてのことですし、まだ余震が続く中での業務に、若干緊張しています。無理をしすぎず、自分自身の心身の健康を保ちながら、活動して参ります。なお、ボランティア期間中は、電話、メールを使うことができませんので、この期間にご連絡を頂いた場合には、大変申し訳ありませんが、東京に戻り次第順次連絡を差し上げます。どうぞよろしくお願い致します。また別途、皆様に報告をできればと思います。それでは、行って参ります!村田早耶香-------------------------------------------------------------------3.カンボジアの女性も応援しています-------------------------------------------------------------------かものはしで、カンボジア駐在している本木です。カンボジアで、とても嬉しい出来事がありました。コミュニティファクトリーで働く女性たちからの支援です。地震、といっても、カンボジアには地震がないので、彼女たちには想像がつきません。津波といっても、海を見たことがない人がほとんどです。写真と映像で地震の被害を見てもらうと、「チュチュチュ」と口を鳴らす女性たち。驚くときに出るカンボジア人の癖です。目を見張り、大きくでる吐息。「死者が1万人以上になりそうなんだ」と伝えると、「1000人の間違えじゃないんですか?」と驚いていました。その後、「寄付をしたい人は僕まで」とアナウンスしました。これについてもとても迷いました。寄付というのは自発的なもので、強制するものではないので。でも、女性達は、積極的に寄付をしてくれました。しわくちゃで茶色く汚れた村の人たちの生活がかかった紙幣。日本人スタッフに、「元気をだしてください」と一言ずつ声をかけてくれたそうです。ブログhttp://www.kamonohashi-project.net/news/cf/2xxx-xxx-xxxxx_865.phpからもご覧いただけます。-------------------------------------------------------------------4. 「つなプロ」募金の受付が開始されました-------------------------------------------------------------------「つなプロ」のボランティア活動を維持するための資金を集めています。こちら「京都地域創造基金」http://ow.ly/4nvtp よりご寄付を受け付けています。寄付申し込みフォームにあります、寄付対象項目で「つなプロ基金」を選択してください。また、前回募金開始をお知らせいたしましたが、本開始は25日でした。その間、募金をご希望されていました方々、ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫びいたします。この募金は、被災地の方々の支援金として使われます。是非、ご協力よろしくお願い致します。最後までお読みくださり、ありがとうございました。にほんブログ村
2011年03月29日
おやこ劇場のKさんからのメールです。可能なら是非周囲に拡散して下さい。ランドセルメーカーの協和が、被災地の小学校在校生の為にランドセルの寄附を呼びかけています。新品は協和が二万個寄贈するそうですが、在校中児童には今春卒業する六年生からランドセルを集め、協和の工場が修理して届けるそうです。協和によると、岩手、宮城、福島の三県で、新一年生は約四万九千人、新二年~六年生は二十五万人いるそうです。津波被害や避難でランドセルを失った子供らに寄贈します。同社は一社で供給できる量は限られていて、賄いきれないとして、不要になったランドセルの提供を呼びかけています。発送費などの募金も併せて受け付けます。届け先は各自治体や教育委員会と調整して決めるそうです。問い合わせは同社広報課TEL:03-3866-7478FAX:03-3866-8932E-mail:ganbare@kyowa-bag.co.jp*記事は昨日3/19の東京新聞夕刊に載っていましたから、他紙にも掲載されていると思います。今月卒業の児童以外にも、家にランドセルがあれば、(もちろん子供と相談した上でになりますが)力になれると思います。このまま丸々転送で構わないので、周囲に拡散してみて下さい。出所が間違いない記事として、写メも添付します。以上、中学の野球部の仲間からの〓です。ランドセルはまだこれから必要になってくるものだと思いますが、もし不要なものがありましたら、お願いします。また集めさせていただく時に、連絡しますにほんブログ村
2011年03月25日
友達からのメールを転送します。彼女は不思議な能力があり色んな物を読み取る力があります。そんな彼女からのメールです。皆さんの意識と目線が違う方向へ行ってくださると嬉しいので転送させて頂きます〓↓原発が泣いています。人々のために一生懸命今まで動いてきたのに、地震で、津波で、負傷して辛い思いをしているのに、みんなから恐れられ、非難され、攻撃され、悲しい、辛いって泣いています。だれも自分の応援をしてくれていない、自分はひとりぽっちだと泣いています。どうか原発に向けているあなたの拒絶のエネルギーを止めてください。人々から突き刺すようなエネルギーを受けて、原発が悲しみで破裂しそうです。人々の恐れと悲しみと嫌悪と怒りと不安と拒絶のエネルギーを受け、とても寂しく、縮こまっています。原発は(少なくとも今の福島原発は)「風の谷のナウシカ」のマンガで出てきた巨神兵と似ています。恐るべき破壊力をもっていますが、心は子供のよう。痛んだ身体を背負いながら泣きながら母を捜している幼子のようです。どうぞ、あなたが原発に向けている否定のエネルギーを感謝のエネルギーに代えてください。原発があったから今まで私たちは豊かに暮らしてこれたのです。原発を作ったのは私たち人間です。要するに原発の親は私たち人間です。原発が負傷をおって放射能を出しているからといって、原発が悪いわけではありません。問題は危険を承知でそれを作った人間にあります。私たちは原発の親であるのに、子が負傷して危険になったら悪者扱いをしてすごい否定のエネルギーを送っています。原発は自分の存在を親に否定された傷ついた子供のようになっています。人間に例えて想像してみてください。それがどんなにつらいことか。どうぞ愛のエネルギーを注いであげてください。感謝の気持ちを原発に伝えてください。愛の波動で満たしてください。恐れる前に、嫌う前に、感謝の気持ちを伝えてください。にほんブログ村
2011年03月22日
今日は仕事休みました。まだ鉄道もちゃんと運行していないので、1台しかない車を主人の通勤のために提供したから、私は行けないのです・・・もう出授業もないし、成績も担任に渡したから、一段落ついたのだけどね。計画停電になる前に、溜まってた録画をみていたけど、途中で切れてしまいました・・・それからは、漫画読んだり、花の写真撮ったり、食事したり・・・やっと停電が終わったので、パソコンで日記を書いたり、ネットサーフィンしていたら、地震の被災地の悲惨なニュースばかり目についてしまう・・・避難所で凍死したり、餓死したり、性被害にあったりする人が居るということ・・・避難所となってる学校を追い出されようとしていること・・・教育委員会にも、学校はなるべく早く教育の場に戻すべき?という言い分があるのだろうけど、私も被災したら、教員の端くれとして、板ばさみになってしまいそうだなあ・・・また、餓死を調べたら、避難所だけでなく、普通の生活?の中でも貧困や虐待(ネグレクト)などで餓死している人が多いことも分かった。日本は一体どうなっているんだろう。平和で豊かな国だと思っていたのに、こんなに心も生活も貧しくなってしまったのかな?大学3年のマッキーが、「バブルもはじけた後で生まれ、将来の希望がなかった」みたいなことを言っていたけど、そうなのかしら?私は高度経済成長期に育ったから、未来はよくなるものだと思ってた。今の子供はそう思えないなのだとしたら、可哀想・・・でも、先日の地震の後、生徒と話してて、「未来の日本は君たち子供にかかってるんだよ」と言ったら、「そうだよね。地震で電気や水の大切さも知ったから節電・節水する」とけなげに言ってました。高3のミンミは、不安がって「もうみんな死んじゃうのかな?」なんてこと言うから、「若い身空で何言ってるの!」とつい言ってしまいました。中3のカズは何も言わないけど、感じるものはあるよね。もういい歳した大人の私が弱音を吐いてちゃだめだな。失望しても絶望しない。希望は最後まで捨てたくないですよね。生きてさえ居ればいつかはいいことあるかもしれない。それが希望ですよね。そう思えない世界って・・・そう思える日本になって欲しい。足を引っ張り合うのではなく、助け合う社会にね。また、地震でイベント中止など自粛ムードの中、ユーモアや楽しみも必要だとは思う。スカブラという職業が昔、炭鉱などであったそうだ。潤滑油というか、ハンドルの遊びのようなもの。そういうものがないから、世の中ギスギスしていらだってるんだよね。なんかブログでさえ、地震関連以外は書いちゃいけないような雰囲気・・・私が漫画やドラマのことを書くと、ボランティアなどやってるマッキーには意識が低いと非難されてしまう・・・こういうときこそ、明るくなる材料というか、地震以外のものも必要なんじゃないかな?歌もそうだけど、希望が持てるようなものが必要だよね。日本が地震や経済だけでなく、心までも沈んでしまったら、復興はありえないような気がしてなりません・・・にほんブログ村
2011年03月18日
昨日の朝、教会の牧師夫人にティラミスのレシピをメールかFAXで送って下さいとお願いしたのですが、昨夜、わざわざうちまで持ってきてくれました。申し訳なかったですね。私はまた熱が出て早く寝たので、会えなかったのですが、声は聞こえて起きたので、メールでお礼しておきました。レシピの他に、「春になったら」という星野富弘特集の小冊子を持ってきてくれました。私も割と好きで、詩画集も持ってるのですが、星野富弘がクリスチャンとは知らなかった。月刊誌「百万人の福音」の巻頭を1982年以降28年以上にわたって飾ってるらしい。中学の体育の教師で、クラブ活動指導中に事故に遭い、頚髄を損傷し、首から下が動かなくなったことは知っていたけど。星野富弘のインタビューより引用。-だから、枯れた葉っぱもついたまま(描いてる)なんですね。「最初のころ、枯れた葉っぱは邪魔だったんです。それから落ちたり散ったりした花。たとえばコスモスなんかも、花びらがいくらか落ちている。でも、その方がきれいなんです。そういう絵を描くようになってから、人生観が変わりました。 花をそういう見方をするようになったら、人間の見方も変わった。けがもそうです。病室でずっと描いていたというのもありますけど、なにも健康でぴんぴん動いてるばっかりが価値があるんじゃないとか、若いころは年を取るというとマイナスが積み重なっていくような気持ちでいたけど、でもそうじゃないことに気がついた。 それで、あまり想像で描かないで、実物をまるべく見るように、実物に教わりながら、花を絵の先生として、『描いてやろう』じゃなくて、『描かせてもらおう』になった」本当に良いところも悪いところも、そのまま受け入れることが必要なんですよね。人間も自然も・・・にほんブログ村
2011年01月23日
クリスマスに久しぶりに教会に行き、クリスマス会で歌ったり、伴奏させてもらったのですが、先日、牧師夫人から、来年は是非?自作の曲を歌ってくださいとメールをいただきました。嬉しくて今までの曲も考えたのですが、できたら、賛美歌?神への想いを歌った曲がいいかな?と思い、この詩が思い浮かんだのです。このフリーページから、詩が載ってる俊さんのサイトに飛んで読もうとしたら、無くなってしまってたので、焦ってしまいました。慌てて探したら、別のサイトを見つけたのでまたリンクさせてもらいました。以下の文章は、そのリンクの部分を除き、フリーページそのままです。クリスマスが過ぎたけど、こういうキナ臭い時期だからこそ、癒されるこの詩を読んでみてくださいね。この詩に出来たら曲を付けたいけど、長いし、散文だし、難しいなあ・・・私なりに変えさせてもらってもいいかしら?森進一じゃないけど、改作になってしまうかな・・・でも、こういう意図で作りたいです。まあ、来年のクリスマスまでにですが・・・ここをクリックすると、回覧板さんの詩につけた「とりのうた」の歌が聴けます。。Sepia Moonさんの掲示板でお見かけし、俊さんのHPに飛び、マーガレット・F・パワーズの「あしおと」という詩を読ませていただきました。以前、読んだことがあったのですが、うろ覚えだったので、あの詩だ!と思い、感激しました。是非、クリスマスに皆さんにも読んでいただきたく、俊さんの許可をいただいて、リンクさせていただきました。画像もBGMも詩にとても合っていて、独特の世界です。紹介文も引用させていただいています。俊さん、ありがとうございます。また、わざわざ掲示板に書き込んで、俊さんに紹介してくださったSepia Moonさん、ありがとうございました!俊さんの「あしあと」の紹介文です。「最近は、お祭り化しているクリスマス。主イエスを思い出すよう、マーガレット・F・パワーズの詩で『あしあと』を贈ります。これは、クリスチャンの間でも有名な詩です。この詩は、彼女が知らない所で有名になっており、彼女が入院した時に、看護婦から勧められたのが、自分で書いたこの詩だったそうです。クリスマスの時期なので、何かを感じ取っていただければ幸いです。」俊さんのサイトが無くなってしまい、残念です!詩が無くなって慌てて探したら、下のサイトが見つかりました。とても素敵な画像もあるので、見に行ってくださいね。Jedidiahさんの部屋 「あしあと」マーガレット・F・パワーズ「ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。ひとつはわたしのあしあと、もう1つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには1つのあしあとしかなかった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」 。この詩を読んでると、涙がこみ上げてきます。神をうらむこともあったけれど、そのときでさえ、一緒にいてくださったことを感謝します。主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」神を信じない人は、主を、身近な愛する誰かに置き換えてみてください。親や恋人、友達など・・・やがて出会うであろう愛する人かも。遠藤周作の描くイエス像が好きな私です。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」のデクノボーのような非力なイエス。それでも、つらい時には必ず寄り添っていてくれる。時には背負ってさえくれる主イエス。この詩と重なって感じられます。柴門ふみの「あすなろ白書」の掛居君も、そういう人になりたいと言っていました。クリスマスに独りの人こそ、主イエスは背負ってくださると思います。「しめやかな聖夜に舞う雪見上げれば愛もあなたに降り注ぐらん」by friendly
2009年01月05日
amaabileさんのHPにリンクが貼ってるのを見て、教えていただきました。フリーリンクだそうなので、クリックしたり、リンクしてみてください。「1クリックで救える命が有ります。ご協力お願いいたします。」マッキーが、紛争国の子ども達を救うような仕事やボランティアを将来したいというのだけど、やはり政情不安や治安の悪い国には、母親としていかせたくないですよね。志はとても嬉しく、尊重したいのだけど・・・だからこそ、こういう形でも協力できるのならと思います。マッキーにも教えてみます。みなさんも良かったらお願いしますね。今日は初めてなので、日記にも書きましたが、HOMEのTOPにリンクを貼ったので、これからもお願い致します。
2008年12月18日
大宮中央高校の保護者会の前に飯田ようこさんの講演会がありました。ジェットコースターのような波乱万丈の人生を歩み、離婚後、不登校の娘を一人で育て上げた経験を基に、不登校児の多い、この通信制高校の保護者へ共感と励ましのメッセージを送ってくれました。「ひき肉たっぷり元気になるラザニア」という私小説(自伝)も出版している方で、キャリアアップし続ける向上心を持ち、起業家でもあるキャリアウーマンです。詳しくは下のサイトを見てくださいね。「ひき肉たっぷり元気になるラザニア」また、その本の書評?感想です。とにかくエネルギー溢れる方で、残り時間を気にしながらも話し続け、自分の経験からくる想いを私達に伝えたいという情熱を感じました。とても、私と同年代とは思えないほど若々しく溌剌としてましたね。「子供を守れるのは親しか居ない。『あなたのことは私が守ってみせる』と子供に宣言し、実行するところを見せる」と言う。高校との話し合いの場にパソコンを持ち込み、議事録をその場で入力し、娘が理不尽に退学させられたら、この議事録をネットに公表すると脅かしたそうだ。ある意味?モンスターペアレントだけど、それを見ていた娘さんは感激したらしい。うちのミンミは、かえって引くかもしれないな。私がミンミの皮膚科に付いて行った時、医師に質問責めしたのを嫌がっていたからなあ。患者には薬など知る権利あると思うけどね。まあ、カズも先日病院で同様に嫌がっていたから、子供の前で聞くのは遠慮しようかな?愛情を見せなくても嫌と言うほど分かっているかも。「私はあなたを見捨てない!」ということさえ、子供に伝わっていればいいのですって。保護者会では、逆に?「子供にあまり期待しない方がいい」と担任がクラスの保護者に話していた。もちろん、それを子供に言わない方がいいけど。期待しても裏切られるから、親も疲れてしまうのですよね。期待しないで見守ることが必要なのかな?成績や出欠も渡されましたが、ミンミは今のところ、全部のスクーリングに出席してるし、テストの成績もみんな平均点以上で、悪くない。レポートもほとんど提出済みらしい。個人面談でも、「明るいし、真面目だから、心配ないでしょう」と言われたけど、「かえって、今は頑張っているからこそ、緊張の糸が切れた時が怖い」と話しました。担任も様子を見てくれると言う。個人面談を待つ間、クラスの保護者達といろんな話をした。やはりみんな不登校経験者で、いろんな原因や経過があったらしい。こういう話って、普通の子のお母さんには理解してもらうないし、変に同情されたり、アドバイスされたり、興味持たれると、どうしていいか分からないのですよね。私はかえって聞かれる前に先手を打って話してしまったりするけど、みなさんは、なるべく不登校や通信制に行ってることも、話したり、触れたりしないようにしているらしい。 話さないで済むなら、それに越したことはないのだけどね。まあお互いに共感出来るから、盛り上がり、個人面談の邪魔になってしまったのか、担任に個人面談が終わったら帰っていいんですよと言われてしまった。うるさくて、個人面談がよく聞こえなかったかな?同じ教室内で、両方話していたからね。そこでお開きにして帰りました。すっかり日も暮れてしまい、大宮の駅前は、もうクリスマスイルミネーションが輝くほどの時間になっていました。昨夜の所沢のイルミネーションも綺麗だったけど、やはり負けるかな?帰りお腹が空いてしまったので、武蔵浦和駅構内の華むすびというおむすび専門店で、ひじき結びと、唐揚げ、ゴマ団子を食べてしまいました。その上うちに帰って、ミンミが作ってくれた夕食も食べたから、食べ過ぎだよね。今日は頭も心もお腹も一杯になった1日でした。Eさん、いろいろ心配りしてくれてありがとうございました!
2008年12月17日
初めて、日記で字数制限を超えてしまった!元々長い日記を書く私でも、7年目にして初めての快挙?続きまで読んでくださる方々に感謝です!まだの方は、出来たら前の日記を読んでからお読みください。また、講演の最後に、「障害の一番の原因はなんだと思いますか?」と元教師の講師が中学生に問うていた。「時間が無いので私が答えてしまいますが、実は戦争です。元々障害のない人が戦争によって障害者になるのです。平和とは、ただ戦争のない状態ではなく、和=口に穀物(禾)が入る状態が平=ずっと続くこと。平和とは、心身ともに苦しまずに生きていける状態なのですよね。本当に戦争、格差、貧困など、根っこは同じかも。戦争で少ない価値を取り合っている。「憲法は、他の法規より優先される最高法規だ」と最初の詩を紹介した時、講師が言ってたけど、本当にそうなら、第9条を無視していい訳がない!なんて、また熱くなってしまいました・・・今日は本当にこんな話を聴けて良かった!もう一人の保護者は用事があると、大学生の話を聴かずに帰ってしまった。この人の話が特に素晴らしかったのに・・・他の保護者にも聴いてほしかったな。肝心の中学生達は、どんな風に感じたのだろう。カズに聴いてみたいところだけど、まずは私が来たこと自体嫌がってるから、答えたがらないだろうな。「自殺はしないでね」と常日頃から、耳にタコが出来るほど言い聞かせてるからね。でも、やはり体験談は説得力がありますね。「こんな辛い話を聞かせてくれてありがとう。これからも頑張ってね。」と、彼女が体育館から帰る途中に声をかけました。教師ではなく、カウンセラーになるつもりらしい。彼女ならきっと痛みの分かるカウンセラーになれるでしょうね。有意義な時間を過ごさせてもらい、感謝してます。最後まで読んでくださった方々こそ、本当に感謝です!お疲れ様でした!こんな長い日記を誰が読んでくれるんだろうかと思いつつ、忘備録も兼ねてるので悪しからず・・・これに懲りずにまたどうぞ遊びに来てくださいね。
2008年10月22日
カズが通ってる中学校で、1年生向けに「命の授業」を外部講師をお願いして行うので、保護者も是非聴きに来てくださいとのプリントをもらいました。というより、カズが落としたプリントを拾って見たというか・・・カズはプリントを終わった頃に出す子だから・・・でも、今回は珍しく前もって知ったし、興味があったので、仕事帰りに寄りました。カズに昨日「行きたい」と言ったら、「恥ずかしいから来ないで欲しい」と言うから、「どんな服装で行けばいいの?」と聞くと、その時着ていたコムサの茶色のワンピースに黒のスキニーパンツを重ね着すればいいと言うので、その格好にしました。昨日はワンピースに黒のタイツだったから、足は出すなと言うのです。それでも、勤務先の小学校から直接行くから、仕事着にしては、ちょっとドレッシーかもしれないけどね。やんちゃな腕白相手は肉体労働だから・・・今日も「いやいや園」をみんなの前で朗読しないと分からないほど、いやいや園行きのやんちゃ坊主達が横行してましたねでも、みんな喜んで聞いてくれてたけど。話は戻りますが、中学校の校門も開いてないし、駐車場に車も少ないから、日時を間違えたかな?と思ったら、保護者が他に一人だけ座ってました。「私一人だけじゃなくて良かった」とお互い言い合うほど、少ない!講師が2人居て、一人は、元、特別支援教室の教師だった人で、今は、障害者の作業所の職員の方。もう一人は大学生としか書いてなかったので、作業所のボランティアの方かな?と思っていました。まず、元教師の方の講演の中で、印象的だったのは、母親が勝手に赤ちゃんを産むのではないということ。陣痛が始まるきっかけは、赤ちゃんの脳から出るホルモンなのだそうです。赤ちゃんが早く生まれたいという意思から始まり、8つに分かれた頭蓋骨を組み直して、小さくしながら、7cmしかない産道を、らせん状にくぐり抜けながら、赤ちゃん自身の努力によって産まれるのです。親が勝手に生んだんだから、子どもは勝手に死んでも構わないなんていう言い草は成り立たないのです。また、中1の女子が朝自習の時間、隣の女子に「『遺書』という漢字は、どういう風に書くんだっけ?」と聞いて教えてもらい、翌日、中学校の屋上から飛び降り自殺したそうです。生きるために学ぶはずなのに、死ぬために学ぶなんて・・・と言ってました。そこで、女子大生の登場です。自分は学芸大の心理専攻だから、ボランティアなどで、体験談を聞いたと言い、一人の女の子の話を淡々とし始めました。「両親と一人娘という3人家族の女の子。共稼ぎで、両親は会話も少なく、あまり仲も良くないそう。小4の頃、お父さんが風邪だと言って、仕事を長期に休み始め、結局辞めてしまったそうです。ごろごろ寝ているけど、娘には優しくて、ドライブに行ったり、食事に一緒に行ったりしていたそうです。でも、定職につかないお父さんをお母さんがなじったり、怒ったりして、夫婦仲がますます悪くなり、ある日お父さんは帰ってこなかった。それなのにお母さんは心配する素振りも見せない。翌朝、警察から電話があって、お父さんが発見されたと言う。海で自殺しようとしたけど、助かったらしい。しばらく入院して退院してきた。お母さんは、自分の実家の近くに引っ越すと言う。友達に引越しの訳を聞かれても、自分でもよく分からない。仕事?家庭?と聞かれると、そのまま「そう」と答えていた。母の実家の近くのアパートに三人で暮らしたけど、母は働きに行き、父はその家でごろごろしている。母は、娘の分の食事は作っても、父の分は作らない。父は一人で何かを作って食べていた。母が父を嫌っているのは分かっていたので、母が居る時は父とは話さない。でも、父と二人きりでも、何を話していいかよく分からず、無視したり、避けたりしてしまっていた。それでも、父は優しかったので、本当は好きだったらしい。もし、離婚になったら、どっちについていこうか迷うほど・・・ある日、父が急に二人で外食しようと言い出し、母が自分に用意した夕食をどうしようと思ったけど、一緒についていって外食した。何日か経ってから、母と買い物に一日中出かけた。出がけには、なぜか父に「行ってくるね」と声をかけた。帰ってきてから、父の様子を見に行くと、父は押入れの鴨居に縄を結んで首を吊っていた。慌ててお母さんや近所のおじいちゃんを呼び、お父さんを助けてもらおうと思ったけど、助からなかった。遺書には、仕事が出来ずに、お母さんやおじいちゃんに責められ、プレッシャーだったと書いてあったらしい。女の子は、泣いて哀しんだが、お母さんは冷静で涙一つ見せず、哀しんでる様子もなかった。これからこの冷たいお母さんと二人で暮らしていけるか、優しいお父さんが居なくなって、生きていけるかと思ってしまった。でも、お母さんにそんなこと言えなかった。中学では吹奏楽部に入り、部活の練習が厳しかったけど、嫌な家に帰りたくなかった女の子にとっては好都合だった。」話の途中、この辺だったと思うけど、突然、この女の子は実は私ですと言い出した。私もそうではないかと思っていたけど、カミングアウトするのは辛いだろうな、と思ったら、涙が出てきてしまいました・・・そしてまた話の続き。「お下がりの制服を着たり、高校も近くの公立を受験してと言われ、入ったけど、自分はただ裕福ではないだけで、他の人とそれほど変わってないと思っていた。みんなが大学に行くから私も行こうかと思い、何を勉強しようかと考えたら、お父さんを思い出し、心理の勉強がしたくなった。そこで、奨学金の募金のボランティアを始め、自分より不幸な体験をした人にも出会い、自分はまだ恵まれてるのだと感じた。同じように父に自殺された子どもの話だけど、その父を愛していた母が、「なんで一人で逝ってしまったの?」と嘆きのあまり、子どもを残して1年後に自殺してしまったらしい。(夫を愛してても、愛してなくても夫の自殺の後には悲劇が起こるのですね)と私は思いました。自分にはまだ母が残ってる。生きてる母との関係はやり直せると、母とも10年後になってようやく、父のことを話せるようになってきたそうです。当たり前だと思ってることが実は幸せで、なくしてみなければ価値は分からない。中学生の時は母親に感謝したこともなかったけど、今なら、一人で育ててくれた母に感謝できると。また、それまで父の死因を人に聞かれると病死などと答えていた。それどころか、「お父さん、おいくつ?」と聞かれれば、生きていたら今いくつだろうと考え、生存していることにして、うその年齢を答えていたという。募金活動で、自分の体験を初めて話したら、「妻子を残して自殺するような父親は、弱くて無責任だ」となじられて泣いたそうだ。「確かに弱かったかもしれないけど、父は心の病気だったのだと思う。そしてここでこんな話を出来るほど、命の大切さを痛感できたのも、実は父のお蔭だ」と言ってました。その後、元教師の方が、「お父さんからの、命を賭けた娘へのメッセージだ」とも言ってました。だから中学生のみんなも心のストライクゾーンにしっかり受け止めて欲しいと。また、2人の中学1年生が書いた詩を、ここの中学生に読んでもらってました。一人目は剣道部の男子「カエルさん憲法」(自分を変えるための最高法規)「第1章 1日のどの時間でもいいから毎日続けること。第1条 勉強は1日30分やること。第2条 スブリは1日100本やること。第3条 家の手伝いは1回以上やること。第4条 人助けを1日1回以上やること。第5条 そうじは率先して行うこと。第6条 腕立て伏せと腹筋と背筋を30回ずつやること。第7条 モモのさんぽを10分すること。」人助けなんて、中1が考えるのですね!また、女子中学生の詩です。「しあわせしあわせとは何だろう?うまれてきたしあわせ。いたみを感じるしあわせ。学校へ行けるしあわせ。テレビを見られるしあわせ。風呂に入れるしあわせ。トイレに行けるしあわせ。ごはんを食べられるしあわせ。ふくをきられるしあわせ。ペンを持てるしあわせ。外に出られるしあわせ。だれかとバカ笑いできるしあわせ。そのときそのときがしあわせ。生きていればいい。生きていれば明日は必ずやってくる。それがなによりしあわせ。」この詩を書いた女子中学生は、体育館の掃除中、二階の通路の窓から外に落ちて亡くなったそうです。事故ということになってるらしいけど、私はもしかしたら?と思ってしまいました。でも、元教師の方は、「これは遺書ではなく、遺言です」と言う。そう信じたいですよね。「二人の亡くなった中学生の遺志を継いで欲しい」と何気なく言ってたけど、最初の詩の男子学生も亡くなったのかな?女子だけだと思ったのだけど、聞きそびれたのだろうか・・・「このしあわせを噛み締めて、あなたたちは命を大事に学び続けてください。生きることは学ぶことだから。そして、社会に出たら、生きることは働くことだ。たとえ、作業所の1万5000円の給料でも、会社の10万円の給料よりも価値があると感じる障害者が居る。いい仲間と理解してくれる職員が居るから。お金がすべてではない。生き甲斐を感じられる仕事、働きが出来るよう、今は学校(≒楽幸)で学んでください。楽しく幸せだと感じられないような学校なら、友達や先生に、自分の気持ちを訴えかけて変えてください」とも言っていた。それが出来るくらいなら苦労はしないと思うけど、私も教師の端くれだから、生徒がそう思えるような学校、せめて教室にしたいです。日記をアップしてビックリ!日記にまで字数制限(10000字)があったとは・・・申し訳ありませんが、続きは次の日記を読んでください。お手数おかけしますが、読んでいただけると嬉しいです。こんな長い日記読むもの疲れたでしょうが、あと一息ですので、よろしくお願いします!
2008年10月22日
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