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■百田尚樹『ボックス!』(上下巻、講談社文庫)
◎北上次郎がマッチアップした
北上次郎(書評家)がマッチアップした対戦者は、まだ3戦しか経験のない新人でした。デビュー戦(2006年『永遠のゼロ』(初出:太田出版、講談社文庫)でラッキーパンチをあてて、一躍ヒーローになっています。私はデビュー戦のビデオはみていません。第2戦(『聖夜の贈り物』太田出版)、第3戦(『輝く夜』講談社文庫)は凡戦だったようです。
正直なところ、こんな相手とはファイトをしたくありませんでした。北上次郎はときどき、無名の新人とのカードを組んできます。グラブをまじえてみると、おおむね将来性のあるボクサーばかりです。「この男は手ごわい。すごいすごい、感動した」(『本の雑誌』より)と、彼は今度の挑戦者のイメージを伝えてきました。北上の刺激的な言葉にだまされて、とりあえずリングにあがることにしました。
リングアナウンサーが、対戦相手の百田尚樹をコールしました。丸顔のスキンヘッド。腹はたるんでいます。なにしろ挑戦者は50歳です。セコンドにはNHKがついていますので、すこしは警戒が必要です。まずは右ストレートを鼻頭に打ちこんで、リングに沈めてやろう。そう思って、開始前のグローブをあわせました。
日の丸をあしらったトランクスに、『ボックス!』という縫い取りがしてあります。箱屋の宣伝か、と思ってしまいました。箱屋との対戦なら、安部公房(『箱男』新潮文庫)や萱野葵(『段ボールハウスガール』角川文庫)とグローブをあわせた実績があります。
『ボックス!』。単純な縫いとりだ、と笑ってしましました。これではファイティングスピリットがわきません。なぜか「ボックス」のあとに、オッタマゲーション・マーク(!)がついています。そんなもので威嚇(いかく)しようとしてもムダです。
トランクスのベルト下には「興奮に次ぐ興奮、そして感動の結末」とあり、「映画化!」と大書されていました。本来は「北上次郎氏絶賛!!」などと書くべきでしょうが、「映画化」を優先したようです。これではマッチアップした北上次郎が気の毒です。
トランクスにはごていねいに、ヘッドギアをつけたボクサーのイラストまで刷りこんでありました。映画の主人公を演じる「主演:市原隼人」の写真までそえてあります。しっちゃかめっちゃかなトランクスだな、と思いました。こんなやつと戦うのか、と思うと情けなくなってきました。(ここまでは太田文庫についての記述です。現在は講談社文庫に所属をかえています)
プロボクサー小説となら、過去に何度も対戦しています。マンガでは「あしたのジョー」(全12巻、講談社漫画文庫)でしたし、小説では飯嶋和一の『汝ふたたび故郷に帰れず』(小学館文庫)が強敵でした。「2番煎じかよ」と左フックを叩き込みました。今度はブロックでかわされました。挑戦者が不敵な笑みを浮かべています。
観客席の最前列から、北上次郎の声が聞こえます。「標茶六三、気合いをいれろ。これまでお前の対戦した相手とは毛色が違うんだ。あてずっぽうのパンチじゃあたらないぜ」。なるほど、的確なジャブでした。強いなこいつ、と思いました。
◎著者と登場人物たちが、真剣勝負
百田尚樹『ボックス!』(講談社文庫)はスポーツ小説として、あさのあつこ『バッテリー』(全5巻、角川文庫)よりも中味が濃いものでした。
『バッテリー』はすばらしい小説でした。しかしおまけで出版した『ラスト・イニング』(角川文庫)というデザートに、吐き気をもよおしてしまいました。「『バッテリー』あの伝説の試合結果がここに!」というコピーに、期待しすぎたせいかもしれませんが。
『ボックス!』には、この二の舞をしてもらいたくないと思います。上下巻で、りっぱに完結しています。おまけはいりません。北上次郎がいうように、『ボックス!』は近年にない迫力満点のスポーツ小説でした。
舞台は恵比寿高校ボクシング部。登場人物は、学業成績はかんばしくないが、天性のボクサーの鏑矢義平。その親友で、いじめられっ子の木樽優紀。彼は特進コースの秀才です。そして2人の成長を見守る女教師の耀子。これら3人を軸にして、ボクシング部監督の沢木、マネージャーの丸野女子、立ちふさがるライバル・稲村、プロボクシング・ジムのトレーナーである曽我部などが脇役に配置されています。
物語は木樽優紀と女教師・耀子の視点から、交互に展開されます。いじめられっ子の木樽優紀が、ボクシング部にはいります。病弱な丸野がボクシング部マネージャーになります。ボクシングには無知な女教師・耀子がボクシング部顧問になります。磁石に砂鉄が集まるように、登場人物たちが四角いリングに引き寄せられます。
百田尚樹は、登場人物をみごとに融合させてみせます。対戦場面の迫力もみごとでしたが、人物造形が実に巧みです。意図的なお涙ちょうだいの描写もありません。著者と登場人物たちが、真剣勝負をしていることがわかります。
私が箱だとばかり思っていた、「ボックス」の動詞はなんであるのか。アマチュアとプロのボクシングはどうちがうのか。これらの初歩的な差異を、百田尚樹は女教師・耀子に質問させます。
本書には、共感できるすてきな言葉もたくさんありました。読書に支障が生ずるので、あえて引用はしません。ただし私の「読書ノート」は、「才能」「鉱脈」「基本」などの引用文でいっぱいになりました。ラ・ロシュフコー『箴言集』(岩波文庫、二宮フサ訳)をほうふつとさせる、あざやかな言魂にも満ちあふれていました。
『ボックス!』は、かんぺきな作品でした。フルラウンド戦いましたが、随所で重いパンチを食らってしまいました。文句なしにお薦め。北上次郎のマッチングした試合で、またも完全燃焼させてもらいました。
百田尚樹は、川上健一(推薦作『翼はいつまでも』集英社文庫)とならぶスポーツ小説の名手のようです。あわてて『永遠のゼロ』(講談社文庫)も読んでみました。百田尚樹は、飯嶋和一のデビュー時に似ています。
レフリーが、高々と彼の右手を掲げているのをみました。百田尚樹には再挑 戦しようと、『海賊とよばれた男』(上下巻、講談社文庫)を購入してきました。骨太の手強い挑戦者でした。ノックアウト寸前まで追いこまれたのは、ひさしぶりのことです。
(山本藤光:2010.05.14初稿、2014.11.05改稿)
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