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とつぜんですが。こっちで活動再開しました。http://killallhippies.cocolog-nifty.com/blog/
Mar 12, 2008
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タイトル『another girl,another planet(仮題)』1グローバルな世界、企業城下町、包括的管理。2自殺。3夢の中で出会う違う星の女の子。4姉。爆弾魔。5地面に絆創膏を貼る幼女。壁の落書き。6学校。巨大な力と、それに圧殺される自我。語り口はヴォネガット。テーマはピンチョン。エンターテイメントであること。叙情を排し、ペーソスをもって。ヒューマニズム。
Nov 13, 2006
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パスワードを失念していたため、ずっとログインできずにいたので放置して、mixiの方に引きこもっていましたが、今日、突然パスワードを思い出しました。こっちでは、小説家志望の創作メモというか、やっとこさ書こうと思う小説に関するメイキングみたいなもんを書き綴っていこうかな…と思います。
Oct 29, 2006
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忘れないうちに書いておかねばなりません。映画『ラスト・デイズ』についてです。この映画は『グッドウィル・ハンティング』で大ヒットを飛ばし、『エレファント』でカンヌを取ったガス・ヴァン・サント監督による新作です。内容は94年に自殺したニルヴァーナというロックバンドのリーダーであるカート・コバーンにインスパイアを受け、その自殺直前の風景を描いたものと言われています。さて…まず断っておかねばなりませんが、僕はガス・ヴァン・サントという監督が嫌いです。そしてニルヴァーナは僕の青春に最も影響を与えたと言っても過言でないほど大好きなバンドです。だから僕は観る前から、この映画が酷いものであることは、ある程度、予測しておりました。どれだけ酷いものかを確認するためだけに映画館に足を運んだのです。こんな僕は、だからまあ、観客として最低なのですが、世間の評価も大体、似たり寄ったりなのではないでしょうか?できるだけ冷静に書こうとしているのが、お分かりでしょうか? まあこの映画、一言で言ってしまうと糞映画ですね。それ以外の何物でもありません。ヘロイン中毒のロックスターである主人公が森の中をぶつぶつ言いながらさ迷い歩く・・・ただそれだけ。無意味な長回し、無意味なゲイ描写、無意味な時間軸の交差の連続。本当にまったく意味がわかりません。あげく主演のマイケル・ピットの自作(!)の歌を弾き語るシーンに辟易。気付いたら死んでる主人公の死体から魂が抜け出し天に上っていくという呆れた演出。最後は警察が主人公の死体をストレッチャーに乗せようと持ち上げたら、重くて落しちゃうシーンまで撮っている。反吐吐きそうな不快感と怒りが込み上げる。画面が暗転し、「この映画はフィクションであり…」云々のテロップ、しかし、次のテロップでは「この映画をカート・コバーンに捧げる」とくるのです。ガスよ…お前一体何がしたいわけ? まったくもって意味がわからない! 観終わって映画館を後にする時、率直に「死ね!」と思いましたよ、僕は。でもまあ、そんなことは全部、予測内の出来事。どうでもいいのです。純粋に映画として退屈なんだから、これ誉める人がいたら、その人のことは「白痴」と思ってまず間違いないでしょう。思うにガス・ヴァン・サントという人は、もはや表現の動機を失っているのでしょう。自身の問題である「ゲイ」「ドラック」という動機をキャリアの初期に消化してしまって『サイコ』完コピという暴挙というかマスターベーションに走ったりしてる時点で、それは明白です。そもそも、ガス・ヴァン・サントには、カートよりも、描かねばならないミュージシャンが存在するはずなのです。そう、その人物の名はエリオット・スミス。ガス・ヴァン・サントの出世作『グッドウィル・ハンティング』の主題歌を歌い、一躍スターの座に登った、とても繊細な歌を歌っていた吟遊詩人。彼もまた自ら命を絶ってしまったのです。少なくとも、ガス・ヴァン・サントにとって、カートの死よりも、エリオットの死を描くことのほうが必然性があるではありませんか? とにかく、これほど不快な映画を観たのは久しぶりでした(多分、『ハムナプトラ』以来…)。
May 16, 2006
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『七人のマッハ』を観る。冒頭10分にしてすでに、とんでもない事態が起こっている。 タイ国境近くのとある村にチャリティーでやって来たサッカー選手や新体操選手やテコンドー選手やセパタクロー選手やラグビー選手などのアスリート達。子供や老人とほのぼの過ごしていると……突然、銃撃! 武装ゲリラがやって来て、いきなり村人を撃ち殺しはじめる! 平和な村は突如、阿鼻叫喚の地獄絵図。ソンミ村の虐殺もかくやと思われる惨劇に! 殺されなかった村人達とアスリート達は村の中央に集められ人質に! 武装ゲリラは首相に「麻薬王の将軍を解放しなければ村人を殺してメディアに放送するぞ」と要求。特殊部隊が村に近付くけれど、見せしめに村人達は次々に殺されていく! 首相はついに麻薬王を解放することを決定する。しかし人質の中に主人公である秘密捜査官が紛れ込んでいた。彼は武装ゲリラが核ミサイル(え?)をバンコクに撃ち込む計画を知り、村人とアスリート達に「殺されるか、戦うかだ」と無茶発言。当然、尻ごむ人質達…。その時、ラジオからタイ国歌が流れ出す・・・ タイ国はタイ国民の血肉を集め合わせたもの タイ全土はすべて国民のもの すべてを維持できているのは タイ国民すべてが団結を愛しているから タイは平和を愛するが、闘うことになれば恐れはしない 独立は誰にも抑圧させはしない 国家のためにすべての血の滴を犠牲にする タイ国家に栄光あれ すると人質全員が、立ちあがり国歌を合唱しだす! 「戦おう!」、そして全員丸腰のまま、武装ゲリラに向って全力疾走! 当然、撃たれまくるが、それでも立ち向かう! ここから役者の台詞らしい台詞はなくなり全員「うおーっ!」という叫び声しか発さなくなる。というかキリング・センスに目覚めたアニマルと化す! サッカー選手は(都合良く落ちてる)ボールや、木になってる実を蹴って敵を倒し、新体操選手は平均台キックをかまし、ラグビー選手はタックルでゲリラどもをノックダウン! 老人も子供もムエタイを駆使してテロリストどもを倒しまくる! 武装ゲリラの女幹部はテコンドー選手に顔面に何度も蹴りをくらい、刀に串刺しになって死に、余裕かましてた武装ゲリラのリーダーはロケット・ランチャーの砲弾をくらって木っ端微塵になり、ついに勝利を手にしたかに思えたが、核ミサイルの発射まであと数秒! ゲリラのリーダーの右腕(マッハの最後の敵だった人が演じてます)を殴り倒して、装置を止めようとする主人公! しかし……止め方が分からない(笑)、「うおーっ!」苦悩の叫び! そして核ミサイルは発射されてしまう(ええー?)。「うおーっ!」怒りの叫び。しかし、核ミサイルは海に落ちたので一安心(まあ…そういうことにしておいてあげてください)。 『マッハ』と同じアクション監督だし、タイトルがタイトルなので、似たようなアクション映画なのかな? と思ってたら大間違い。『マッハ』や『トム・ヤム・クン』を観てしまった身としては、単純にアクション的にはトニー・ジャーに及ぶべくもない…とは思いますが、この『七人のマッハ』は、それとは違う次元の映画なのです。意味もなく全編にわたって熱い。熱すぎます! それでいて爽やかなのです! そしてまた、全編にわたって致死性の高いスタントの嵐です、オンパレードです。絶対、何人か死んでると思います。「何もそこまでしなくてもいいよ…」と観てるこっちの方がオロオロしてしまいます。 みんなレンタル・ビデオ屋さんに行こう! 映画に命かけるというのは、こういうことを言うのだと思います(文字通りの意味で…)。でも絶対に真似しないように! そしてタイの国歌は死ぬほどカッコいいね!
May 2, 2006
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映画の日に運良く休みだったので『トム・ヤム・クン』を観に行きました。『マッハ!』の衝撃さめやらぬ人々は多いのでしょうが、そんな僕もその一人。当然、誰もが『マッハ!』を超えられるのだろうか…? と奇妙な疑念を抱きつつスクリーンと対峙したのでしょう。しかし、杞憂! そんなものは杞憂です。まるでガキンチョのように、ただただ「すげー!」と興奮するしかない大傑作でした。ストーリーなんて別に誰も気にしてないだろうけど、さらわれた象を求めて三千里の道のりは、訳の分からんストリート・ギャングやら、カポエラ使いやら、青竜刀使いやら、プロレスラーやらが立ちふさがり、我らがトニー・ジャーが邪魔する奴らを情け容赦なくムエタイ暗殺術で倒した後に関節ボキボキ砕き割り皆殺し…という人権無視の動物愛に満ち満ちたお話なのです。ああ…なんか説明するのもめんどくさい。ところで、ガス・ヴァン・サントの『ラスト・デイズ』を一ヶ月くらい前に観たのですが、いまだに不快感が抜けきれません! 某SNSの話題を覗き見てみると否定派は「反吐が出る」的な罵詈雑言。実は僕もそんな罵詈雑言に120%賛成なのだけれど、肯定派の人達は「雰囲気が良い」とか「リアルだった」とか「泣けた」とか「カートの最期を思って悲しくなった」とか、挙句の果ては「本当に映画が好きな人なら好きだよ、この映画」ときたもんだ。みんな死ね! ということで、今度、『ラスト・デイズ』について書きます。本当に映画が好きな人はなあ…『トム・ヤム・クン』を観るんだよ、ばああか!
May 1, 2006
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やっと観てきました、『ホテル・ルワンダ』。1994年のルワンダでの多数派フツ族による少数派ツチ族の大虐殺を描いた『ジェノサイドの丘』の1エピソード、1200人のツチ族を匿い救ったホテルのマネージャーの話を映画化したもの。ちなみに以前書いた『ジェノサイドの丘』の書評を以下にあげときます。1994年4月6日、ルワンダで行われた未曾有のジェノサイドの衝撃的なノンフィクション。ルワンダには、多数派のフツ族と少数派のツチ族がいて、アフリカの多くの国と同じように、冷戦時代の雇われ独裁者の暴政のもと断続的にフツ族によるツチ族への虐殺が続いていた。しかし70年代を過ぎてからは大規模な虐殺は数を減らす。もともとフツ族とツチ族の争いは、人種的なものではなかったと思われる。両部族間の結婚は認められていたし、フツ族もツチ族も一緒に暮らし、働き、学んでいた。だが90年代に入ってから、フツ至上主義党が急速に台頭することで状況は劇的に変化してしまう。愚鈍な大統領ハビャリマナ、政府の実権を握る大統領夫人マダム・アガートとその姻戚組織アカズの傘下で、フツ至上主義は加熱。また、ミッテラン大統領時代のフランスはルワンダを英語圏勢力から死守しようと政府を援助。国連指揮下の援助団体と国連軍は何も出来ず傍観。そしてわずか3ヶ月の間に約80万人のツチ族が殺された。このジェノサイドは、ナチスによるユダヤ人虐殺とは、まったく性質の異なるものだ。虐殺が始る前、新聞やラジオは「ツチ族を殺せ」とプロパガンダを垂れ流しつづけ、フツ族の人々は兵士達に殺人の予行練習を受けていた。ツチ族もそれを知っていた。殺す側も、殺される側も、その時が来るのを待っていたのである。1994年4月6日、大統領が暗殺される(恐らく政府による謀殺)と、その日のうちに虐殺は始った。市長は市民を殺し、医者は患者を殺し、神父は信者を殺し、夫は妻を殺し、教師は生徒を殺した。女子供の区別はなく。隣人が隣人を殺したのだ。このあいだまで、仲良くやっていた人たちが、突然、別人になってしまうという恐怖。ジェノサイドが起こる直前。ルワンダにいた国連軍は「とんでもないことが起こりつつある」と報告を送っていた。「最重要」と記されたその報告をみて、当時国連平和維持活動の責任者だったアナン(現事務総長)は軽視し、こともあろうにハビャリマナ大統領に忠告するのみだった。国連本部は政府の管理外の過激派の行動だと甘く見ていたのだ。当時、国連はボスニアで手いっぱいだったのだ。だが後になってアナンはこの件に関して証言を拒否。ルワンダの責任者にも証言を許さなかった。こうして国際社会の知らないところでアウシュビッツ以来の組織的な「ジェノサイド」が始ったのである。英雄的なカガメ将軍に組織された反政府軍RPFによって、フツ至上主義政府軍は敗れ、ジェノサイドは終わった。しかし、フツ族は復讐を恐れ政府軍とともに難民となって逃亡。各地に難民キャンプが作られ、そこに国際援助団体がこぞってやってきた。フツ至上主義の残党は、難民キャンプ内で、国際援助を受けることで、再組織化を果たし、ゲリラ戦を展開。ザイールの悪名高きモブツの援助を受けルワンダ外のツチ族を虐殺し始める。ジェノサイドを無視し続けた国際社会は、皮肉なことにジェノサイドされた側でなく、ジェノサイド実行者達を保護するという転倒が起きたのだ。RPFは無力な国連に頼らず、アフリカ諸国と連携し、モブツ政権を実力で打倒。このアフリカにおける「世界大戦」によって、欧米列強の力を借りることなく、アフリカ人がアフリカ人によって正義を実行したのだ。こうして難民は帰ってきた。そして人類史上初めての現象があちこちで発生する。自分の家族を恋人を友人を殺した人々が、また同じ家に帰ってきて、また同じように暮し始める。生き残ったツチ族にとって、これはセカンド・レイプに等しい。事実、各所で復讐が起きる。ジェノサイドを生き残った人達の、その後の生活、感情、思考が本書の後半のテーマとなる。重い。非常に重い読後感。1994年の出来事だ。日本では、当時ルワンダにおける虐殺は報道すらされなかった。ちなみに当時の国連の高等弁務官は日本人緒方貞子である。国際援助とは? 人権とは? イラクという絶好のサンプルのある今こそ、我々日本人は考え直すべきだ。映画は始終、不穏な雰囲気で包まれている。「ゴキブリどもを殺せ」と繰り返されるラジオ放送の内容は時に具体的に個人名とその住所をあげる。全編にわたって銃声が響き続ける。ホテルのマネージャーの話なので、その外での虐殺の全貌が描かれる箇所はあまりない。ある日突然、隣人が隣人を殺すという異常事態が描かれているわけでもない。非常に良い映画なのだけど、原作を読んだ身としては消化不良ではある。「アフリカではよくあること」って、どっかの芸能人が言ってたらしいけど、まあ、当時の日本人も含めた西側諸国の人達の気分っていうのは、そういうもので、たぶん今でもそうなんだろう。映画の中で虐殺の映像を撮った外国人ジャーナリストが、「その映像を見れば外国は援助してくれますね」と言う主人公に「彼らはテレビでこの映像を見て『恐いね…』と言って、ディナーを続けるんだ…」と言うシーンがあったのですが、ここで言う「彼ら」っていうのは、まさしく僕やあなたのことに他ならないのです。一体僕らは、どれだけ多くの人々を見捨てているのでしょう? 映画は、反乱軍がやって来て、ホテルに逃げ込んだ人達も無事、国外に逃れるところで終りますが、その後の事態は前述の通り。虐殺当事者のフツ族民兵達は「難民」として、国際援助団体の保護を受け、その中で武装しゲリラ勢力と化し、虐殺はルワンダ外で続きます。政権を取ったRPFを中心とした軍隊に敗れるとフツ族難民はルワンダに帰ってきて、またツチ族と一緒に生活を始めるのです。この想像不可能な事態が、その後、どうなっているのか僕は知らないけれど、ある種のことは取り返しがつかない、憎しみを取り除くことなんて不可能なのではないのだろうか? ダメだ。はっきり言って、僕にはこのルワンダの大量虐殺は想像不可能だ。なぜそんなことが起きたのか、なぜ隣人を躊躇なく殺せるのか、さっぱりわからない! そんな時、主人公のホテル・マネージャーの姿を思い浮かべる。最初は自分の家族の無事しか考えてない彼が、こんな異常事態で理性を保つ根拠としたのは正義感でも何でもなく「職業倫理」だった。一流ホテルのマネージャーとして、どんな事態であってもホテルの品位を保つこと…どんな時にも普段通りに生きるということが、どれだけ難しいのか。それがどれだけ偉大なことなのか! きっとそれは、決して他人事ではないのだろう。
Mar 29, 2006
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なんだかんだで文芸同人誌『黒色文学』の製作に目処がつく。4月には完成。どこで売るかはまだ未定ですが、模索舎やタコシェには置かせてもらうつもり。とにかく「文学」「文学」と暑苦しい内容になっていて、読む者をうんざりさせること請け合い。さらにはテーマがアナーキズムなもんだから、はじめっから読者を限定してる気がしないでもない…。つうか、まあ誰も読みゃしないんだろうけどさ! 数冊ずつお店に置いてもらって、知り合いに配って、あとは通販形式(いやいやメール・アートの一種なのだ! …と思うことにしよう! うん、そうしよう!)?詳細後日。ちなみにプロフィールの画像を『ファントム・オブ・ザ・パラダイス』のウィンスローにしてみた。なんか恐いねー。
Mar 13, 2006
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『補遺』と一緒に発売された同じく限定1000枚のライブ盤。『1972・高知大学ライブ』。マニアの間では伝説として語られたらしい録音なのだそうだ。アマゾンだかなんだかのレヴューを見たら、『コンサートライヴ零狐徒』より凄いって書いてあったから、「そりゃ大変だ」と思って購入。僕は三上寛の最高傑作は『零狐徒』だと常々思っていたので、これは一大事なのです。で、聴いてみた。あ…音悪い…。ブート盤とか買い漁った経験のある人ならご存知でしょうが、これは所謂オーディエンス録音ってやつ。演奏より、まわりの観客の声とかの方が、はっきり聞こえたりする。でもその分、雰囲気は凄く良く伝わってきます。冒頭、手拍子する客に、歌の途中で「手拍子するなと言ってるじゃないか」って歌詞にして、やめさせたりしてます(笑)。曲目は以下の通り。1.東京だよおっ母さん2.パンティストッキングのような空3.コップは壊れるだろう4.小便だらけの湖5.誰を怨めばいいのでございましょうか6.青森県北津軽郡東京村7.ひびけ電気釜!!8.近親相姦の唄9.あなたもスターになれる10.おかっぱ頭の少女のメンスが紅い11.犯されたら泣けばいい12.昭和の大飢饉予告編13.妹売歌14.夢は夜ひらく初期の代表曲を網羅した完璧なセットリスト。演奏も歌も最高に熱いし、熱いと言えば観客達も熱いことこの上ない(笑)。これで録音状態が良ければ、言うことなしだったろうに…。まあ、そこは差し引いても傑作であることは間違いありません。ちなみにジャケットのイラストは友川カズキです。すんごい絵だな…。
Mar 7, 2006
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三上寛『補遺』。いわゆるアウトテイク集というやつ。限定1000枚というマニア泣かせのCDですが、これははっきり言って名盤です。世紀の大傑作です。なにせ、あの幻の名曲と言われていた「おまわりさん」と「ホイ!」が入っているのである! この2曲は70年代初頭に赤塚不二夫の創刊した雑誌「マンガNO.1」の付録のソノシート(!)に入っていた曲。ものすごい曲です。特に「ホイ!」。絶対、笑う。三上寛を生まれて初めて聴いた時の衝撃を思い出した。出会う人みんなに『ひらく夢などあるじゃなし』を貸しまくったものだった。みんな「すごいね…」と小さな声でぽつりと言って返してきただけだったけど。しかし今の若者はあれかね? 本当にオレンジ・レンジなんかで感動しているのかね? オレンジ・レンジがどんな人達で、どんな歌唄ってるのか全然知らないけど…。「お○んこに突っ込んだ そのダラダラした指で ブイサイン作ったとこで 何になる?」そんな歌が受け入れられていた時代が、かつてあったのだよ、若者よ!『補遺』曲目紹介 1.銀河の裏街道 2.銀河の裏街道(Short Version) 3.銀河の裏街道(Version2) 4.もずが枯れ木で 5.馬鹿ぶし 6.ハリーアップ 7.忍者 8.朝の国から 9.りんごっこ伝説 10.ビー・クワイエット 11.おまわりさん 12.典子は今、愛のテーマ 13.十九の春 14.ジャッカル 15.弥三郎節 16.木 17.ホイ! 18.あなたもスターになれる「銀河の裏街道」は昔、三上寛がやってたラジオ番組の主題歌らしい。「ハリーアップ」「ビー・クワイエット」「ジャッカル」は『成吉思汗あるいは義経記』という演劇のための曲。なのでちょっと三上寛ぽくない前衛チック。「忍者」は未発表曲で死ぬほど名曲! 「典子は今、愛のテーマ」は同名映画のテーマ曲。「弥三郎節」は津軽の民謡。ちなみに「馬鹿ぶし」「朝の国から」はカラオケで歌ってる。「馬鹿ぶし」はライブでカラオケをバックに歌っているのですが、「朝の国から」は多分、カラオケボックスで録音したんだと思う(手拍子機能とか使ってるし…)。いやあ、生きてて良かったよ。みんなも欲しくなったでしょ? いますぐアマゾンでも覗いてみたら? ディスク・ユニオンあたりなら、まだ在庫あるかもね。でも『十九歳』の時みたいに、後から普通にリリースされるかもしれないけど…。
Mar 6, 2006
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戦争が異常事態だというのは嘘だ。戦争が始ってしまえば、戦争下で生きることもまた日常になってしまう。荒俣宏の『決戦下のユートピア』は、大東亜戦争下の庶民の生活を、当時の新聞や雑誌などの資料から読み解く本です。語られる内容は、結婚相談所、ファッション、出産育児、科学教育、貯蓄、保険、芸能、宗教など。はっきり言って笑えるエピソード満載。戦争というシリアス極まりない状況が、滑稽極まるナンセンスの集大成だったりするのは、人間の悲喜劇なのですなー。本書は、軍国主義の時代にも、庶民は健全に生きていたのだ…ということを言外に言っているのだろう。かつて吉本隆明が言った「大衆の原像」というやつだ。「大衆のしたたかさ」こそ真実信頼に値する…という知識人の自己言及的な批判だ。でも、この考え方は決して正しいわけではない。大衆は無知蒙昧で愚劣だ。大衆とは、特権階級の鏡面作用に過ぎない。大衆と特権階級は両義的であり、補完的である。だから、個人が個人として自律的に生きなくてはいけないのであり、アナーキズムとは、そういう個人の孤立の思想なのだ。
Feb 27, 2006
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元ゼルダにして、どんとの奥さんであらせられる小嶋さちほさんによる沖縄での生活記録。文庫化に際して、なぜか町田康と小嶋さちほさんとの対談が収録されている。これ読む限り、沖縄は楽しそうなこと、このうえない。でも、とても遠い世界のように感じられて仕方がない。季節感を完璧に漂白された僕は、海も山も祭りもリゾートのそれでしかない。東京から抜け出すことは、逃亡することだ。では、どんとは逃げ出したのか? そんな疑問が、本書を読んでいるうちに柔らかく氷解する。オルタナティヴ。どんとが沖縄で色々やってた頃、そんな言葉でポップ・ミュージックを語ってた人達は気付きもしなかったんだろうが、この頃のどんとこそが、真の意味でオルタナティヴであり、歴史と伝統を下地にして何か新しいものが生まれる萌芽だったに違いない。それをフォローするのがメディアの役割なのだが、怠慢で、感性の鈍磨した彼等は、その芽に水を与えなかった。かつてピート・タウンゼントはこう言った「ロックとは、バンドとオーディエンスとジャーナリズムの三者との関係性である」。その言葉が正しいとしたら、日本のロックを殺したのは、ジャーナリズムの責任だ。「オルタナティヴを殺したのは誰か?」だと? お前のせいだよ! さて、それはさておき。実際のところ、沖縄で浄化されちゃったかのように語られがちだった、どんとですが、多分、その原因は小嶋さんの語り口にあると思われます。この本を読むと、どんとはいわゆるスピリチュアル系は大嫌いだったみたい。「目に見えないものをわかったふうに言うのは信じられない」と、実にまっとうな言い分だと思います。でも、どんとの歌詞やMCなんかは、とても預言的だったりするのも事実。そしたら、小嶋さんが対談の中で「どんとの言葉は、あらゆる宗教が言ってきたことの、新しいヴァージョン」的なことを言ってた。僕もまったく同じことを思ってた。ライブDVD観る限り、神が降りてきてるとしか思えない瞬間があるのです。新しい宗教、生きている宗教、形式化されていない宗教…。ひょっとしたら、ボ・ガンボスっていうのは、そういうものだったのかもしれません。
Feb 26, 2006
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うーむ…。ということで重信房子被告に懲役20年の判決が下りました。もちろん控訴して裁判闘争は続きます。司法の判断としては、「実行犯ではないから求刑無期は重過ぎる」ということらしい。被告側としてはハーグ事件への関与そのものを否定してるわけだけど、さすがにそれはないと思う。問題は、「テロリスト」という言葉が、いま現在、持っているイメージなのであって、アメリカの飼い犬である日本で、日本赤軍という存在は数少ない最大のタブーなのです。「テロリスト」という言葉から連想するイメージとは、西側のイメージであって、東側(という言い方はすでに死語かもしれないけれど)、またはアラブ側の視点で見てみれば、それは少し違ってくるのではないでしょうか? 例えば、ゲバラは「テロリスト」だと断罪できるのか…ってこと。そして、やっぱり「人を殺すこと」に対する、乗り越えがたい観念というものを、ありありと感じます。でも絶対悪なんて、この世にあるわけない。「どうして人を殺してはいけないのか?」って問いは、だから本当はもっともっと重要なのだと思うのです。「人は殺しても良い。それが本当に君にとって必要だとしたら、むしろ殺すべきだ」…というのは僕の回答。極端? 確かに思考実験の域を越えてはいないかもしれないけど、論理的に考えれば、そう言うしかないんじゃないだろうか? 信仰も道徳も持ち合わせちゃいない典型的な資本主義下のディレッタントとしてはさ。ということで現在、次の同人誌に載せるためラスコーリニコフとムルソーの架空対談と称して「テロ時代の殺人哲学」というのを準備中だったりします。『罪と罰』を再読中なんですが、やっぱり面白いなあ…ドストエフスキー!
Feb 23, 2006
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仕事帰りに、ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーを観る。鈴木則文監督『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』。池怜子とクリスチナ・リンドバーグのポルノ女優東西対決…らしいよ。雪の降る中、長ドスで何人もの敵と切り結ぶ(全裸で返り血を浴びながら)冒頭から、かっこよすぎる。かっこいいと言えば荒木一郎による音楽も最高だ。殿山泰司や大泉晃がどうでもいい役で出ているのが、いかにも東映って感じ(笑)。クリスチナ・リンドバーグはお人形さんみたいだし、池怜子は粋だし、演出はお洒落だし、言うことありませんね。最後、血みどろの戦いを終えて、長ドスを杖がわりにして、降りしきる雪景色の中をふらふらと歩く場面、突如、雪が花札に変わる。敷き詰められた花札とばらばらと降ってくる花札。なんて芸術的な画なんだろう…! 仕事場で眺めてたピカソよりミレーよりローランサンより、よっぽど感動的だ。鈴木則文監督といえば『トラック野郎』(実は観たことありません…)なのでしょうが、ほとんどDVDどころかビデオにもなってないようなので、こまめに名画座のスケジュールをチェックしておかないといけませんね…。ラピュタでは今度、『女番長』シリーズやるらしいですよ。あ、『キルビル』の元ネタ感バリバリだったのはご愛嬌。
Feb 22, 2006
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来る23日、重信房子に判決が下るらしい。求刑は無期懲役。罪状は旅券法違反、ハーグ事件での逮捕監禁、殺人未遂。テロが最大の社会悪として定着しつつあるかのような現在、重信さんの立場は相当、厳しいのだろうと思います。さて『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』は、逮捕後、重信さんによる法務局宛の上申書であり、娘に向けた自らの半生の告白であり、とても理解しやすいパレスチナ側から見た中東紛争のガイド本となっています。日本赤軍が持っているイメージを覆すことは難しいでしょうが、少なくとも、本書で語られる言葉に目を向ける価値はあります。ただし注意しなければならないのは、これがあくまで法務局宛の上申書だという点。重信さんが、「日本人民に」本当に言いたいことは、もっと深くて重いはず…。「これからも武装闘争を続けますか?」と聞かれて「私たちは今まで、その時代、その民衆が必要とする闘争をしてきた。今の日本はそれを必要としていない」と弁護士に答えた彼女は、社民党と市民団体と自身で政党を結党して、今後の活動の場を日本で…と考えていたみたい。でも盟主アメリカの真似っこで「テロには屈さない」とバカの一つ覚え、駅のゴミ箱を撤去して「テロ対策」と堂々としてるような現代日本では、日本赤軍の華麗なる戦歴は、それこそ極刑ものなのです。僕のような心情テロリストにとっては、「抑圧された人民の語る言葉は銃以外にない!」という悲痛な宣言に120%共感を覚えます。また「ラスコーリニコフの苦悩」を真に(←ここ重要!)理解できた人ならば悲劇を恐れて、さらに恐ろしい悲劇を招く愚を犯さないように行動せざるを得ない時があることを知っているでしょう。重信房子、日本赤軍は「アラブの英雄」か? はたまた「国際的なテロリスト」か? 僕自身の評価は、いまさら書くまでもないでしょうが、とにかく多くの人に本書を読んでもらって、もう一つの側の考えを知ってみるのも良いと思う。そして、一刻もはやく、駅とか公園とか街中にゴミ箱を設置してもらいたい。テロ対策なんて糞食らえ。フリー・重信房子!頭脳警察「赤軍兵士の歌」を聴きながら。
Feb 19, 2006
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『ミュンヘン』観てきました。『宇宙戦争』の大傑作ぶりに、スピルバーグには期待を隠せません。……しかし…長い…。最近は映画も3時間クラスのものが多くなって、どうにも辟易します。それだけならまだしも、予告編も20分くらいやってる気がします…。まあ、僕は映画が好きというよりも、映画館にいることが好き…というような気がするので別に良いのですけどね。さて『ミュンヘン』。1972年ミュンヘン・オリンピック、黒い九月、PLO、モサド、ファタハ、バーダー・マインホフ、赤軍、IRA、ETA…この映画の中では、そんな言葉が普通に語られるのですが、みんな分かるのかな? と思ったら、後に座ってた女の子たちが「さっぱり分からない」と言ってたので、ああ、やっぱりと思った次第。いや、たぶん、この日本で普通に生きてたら、イスラエル・パレスチナの問題なんて、知らなくたって別にどうってことない問題だもの。呪わしい80年代が60~70年代の革命熱をダサいものとして簡単にゴミ箱に捨ててしまった日本では、テロ=犯罪という支配者側の論理がまかり通ってしまっていて、もうあの頃を語ることすら困難なものとなってしまっている。映画としては、多少、中だるみ的な部分が無きにしもあらずといった感でしたが、明らかな作家性というか、メッセージをひしひしと感じる力作です。でもやっぱり上映時間が長いなあ……2時間以上の映画を観てると途中で疲れちゃうのは年齢のせいでしょうか…? 体力のせい…?さて『ミュンヘン』関連で、『テロリスト 黒い九月』という映画があります。そのものずばり、ミュンヘン・オリンピックの事件の映画化なのですが、テロリスト役がフランコ・ネロ(ジャンゴ!)、警察署長役にウィリアム・ホールデン(パイク!)という超豪華(一部で…)主演陣。まあ映画的にはアレな出来ですが、やっぱ主演二人はかっこいいので、もしレンタル・ビデオ屋でみかけたら是非観てみたらどうでしょう? 『ミュンヘン』の説明不足な点が少しは解明すると思いますよ。
Feb 12, 2006
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仕事が暇で暇で仕方がなかったので持ってた文庫本を一冊読み終えてしまいました。『「あさま山荘」籠城 無期懲役囚 吉野雅邦ノート』。連合赤軍のCC(中央委員)吉野雅邦の親友であった著者、大泉康雄さんによる、連合赤軍事件の分析というよりは、吉野雅邦という人物についての評伝のような内容。こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど、とても面白い。本書は著者と吉野氏との幼少時代からの思い出や、手紙のやり取りなどから、かなり詳細に吉野雅邦、そして当時の若者の空気感を伝えている。吉野雅邦は恋人(実質上、妻)であった金子みちよの殺害に深く関与していて、僕はそこらへんの事情について知りたかったのだけど、正直、やはりこの本を読んでも良く分からない。恐らくは本人にだって良く分からないのでしょう…。でもこれは決して他人事ではない。いみじくも著者が語っているように、連合赤軍事件は、一部の狂信的な過激派の引き起こした特殊な事件などではなく、日本の(日本人の?)組織が抱え持つ構造的な欠陥が突出してしまった象徴的な事件なのだ。「唯銃唯軍主義」「銃を軸とした遊撃戦」「銃による殲滅戦」そんな理論なき理論に拠って、行われた「総括」の嵐。十四名の同志を殺したというのは、確かに異常な事態ではあるのですが、僕らが属している組織だって根は同じなのだということを忘れてはならない。我々はみな潜在的に森恒夫であり永田洋子であり坂口弘であり坂東国男あり…そして何より吉野雅邦であるのだ。「おれは吉野たちが引き起こした事件というものが、日本の組織の形態をもっとも生々しいかたちで見せつけたものという見方をしているんだ。戦争中の軍隊とか、いまの企業とか学校、あるいは家族といった単位にまでしみついている、自分たちを客観視できない閉鎖的な独善性。人間関係も理性的なものでなくて、自分たちにだけしか通用しない論理で互いに縛り合っていくような仲間意識。そういった組織が引き起こした象徴的な事件だと思う」というのは著者と吉野雅邦と深く親交を持っていた人物の話だが、まったく正鵠を射た意見だと思う。連合赤軍事件…これは革命ではない。だが、これもまた革命のひとつの結果である。無血革命などというのは戯言に過ぎない。革命とは、すなわち戦争を意味するのであり、そこには当然、血が流れる。そこを批判するのはまったく荒唐無稽である。連合赤軍事件を批判するなら、その組織性についてでなければならない。組織の論理が、個人の論理を封殺するような有様は、まったくおぞましい限りだ。だが、革命とはそういうものだ。前衛党の建設、そして前衛党による軍の創設。これなくして革命は成功しない。そして、そこにはやはり矛盾が宿っている。だから僕はアナーキストのままでいたいし、武装闘争の形態はテロであって欲しいと思っている。そしてそんなことでは革命は成就しないのも分かっている。じゃあ、どうしよう? いやどうしようもないんだけどね…ほんと。
Feb 10, 2006
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噂のスコセッシ監督によるボブ・ディランの3時間半にも及ぶドキュメンタリーを観てきました。かの伝説の「ユダ事件」の夜をクライマックスに、60年代のディラン、そしてディランに影響を与えた人々を通じて、ディランの歴史のみならず、アメリカの歴史、アメリカのポップミュージック(ロック以前の)の歴史を明らかにするといった内容です。驚きなのは、ディランが恐ろしく率直に語っていること。あの諧謔と韜晦の人が…。アル・クーパーやジョーン・バエズはもちろん、なんとスージー・ロトロさんまでもインタヴューに答えてるんだから、これは結構ディランにとっては、しんどいのかも。でもスージー・ロトロさんはいまだに『フリー・ホイーリン』当時の面影を残していて綺麗な人でした。一方のジョーン・バエズは別人のようでしたが…。しかし、若き日のディランの触れれば切り裂かれそうな迫力といったらない。かっこいい。そして、彼を取り巻く人々も皆、魅力的だ。「自分を超える弟子を持たなければ、本当の師とは言えない」と言い、ビートニクの精神を受け継ぎ、それ以上の存在となったボブ・ディランを、もはや崇拝してるとしか思えない口調で語るアレン・ギンズバーグの姿が印象的でした。映画は全編、66年のあの夜と過去との時間軸が交錯する形で語られる。フォークの裏切り者(ユダ)とされた66年のツアーでの、ファン達の「彼はインチキよ!」とか「ゴミだ」「胸がむかつく」「あんたは最低だわ」の声。マスコミの馬鹿ぶり(「追憶のハイウェイ61のジャケットに映るバイクのTシャツの意味は何ですか?」とか…)。コンサート会場での大ブーイングと野次の嵐、かつてこれほど敵意に満ちたライブというものがあったのだろうか? そしてそのツアーが、まだ20代の若者だったディランにとって、どれだけのストレスだったのだろう。もちろん、この直後、ディランはバイク事故でウッドストックの地下室に姿を晦ますことになるのですが…。とにかくボブ・ディランの偉大さが、ひしひしと伝わってきます。そしてディランが音楽家であると同時に、ビートニク直系の文学者だったのだということも再認識できるでしょう。
Jan 16, 2006
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やっと腰痛が治りました。そして引越しました。新居は広くて、収納もあって、風呂トイレ別で、キッチンも広くて、日当たり良好で、ベランダも広くて、駅から近くて、商店街も近くて、まわりは静かで、同居人もいて、まあ簡単に言うと最高なのですが、いまだ梱包をといていない荷物が20箱くらいあって、その中身は全部、本とCDとビデオDVDの類。一番やっかいな荷物。土日はお休みなので、整理に明け暮れます。日常が忙しくて、しかも楽しいと、書くことなくなりますね…。そんなわけで、また今度。
Jan 13, 2006
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ヘルプ! ぎっくり腰……!
Jan 8, 2006
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あけましておめでとうございます。大した正月休みもなく、色々忙しいくてブログ更新してる暇なんてありゃしませんよ…とほほ。あと5日後には引越ししなくてはいけないのですが、今住んでる部屋が狭過ぎて、荷造りすると寝るスペースもなくなる恐れがあって、なかなか作業が進みません。もうすでに布団を敷くと左右にダンボールの壁がせまっております。でも本棚にはまだぎっしり本が詰まっている……。どうしたものか…? さて2005年はどんな年でしたか? 僕は映画をいっぱい観た一年でしたよ。そんなわけで僕の2005年ベスト映画を発表しまーす。1『ランド・オブ・ザ・デッド』これほど公開を待ち望み、これほど期待に応えてくれて、これほど感動した映画を現在進行形で体験したのは生まれて初めてでした。やっぱりゾンビは最高ですね。2『復讐者に憐れみを』衝撃的という意味ではこれに優るものはなかったです。こんなに陰惨な映画ばかりとるパク・チャヌクという監督、そして信じられないほどにキュートなペ・ドゥナという女優さんの存在に気付かされました。3『マルチュク青春通り』僕には無い物ねだり的な青春映画。最後の『タクシー・ドライバー』な展開(ヌンチャクで!)が最高にかっこいいです。4『カナリア』好き嫌いは分かれるでしょうが、僕は大好きな映画です。5『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』生まれて初めてショーン・ペンの演技に感動しました。これも『タクシー・ドライバー』ですね。6『香港国際警察』ジャッキー・チェンの新境地とか言われてた映画。本当にその通りでした。ジャッキー好きには評価が分かれるところなのでしょうか? 僕は最高だと思いましたけど。7『銀河ヒッチハイク・ガイド』原作本もサントラも買ってしまいました。素敵過ぎます。続編待ってますよ!8『宇宙戦争』賛否両論あったみたいなので興味なかったのですが、レンタルして観てみたら、これは傑作じゃないですか! 9『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』これもまた…忘れがたい映画でした。10『エターナル・サンシャイン』この脚本家は、ついつい追いかけたくなる。あいも変わらぬ奇天烈なアイデアを使って、実はまっとうな恋愛映画になっているという、やっぱり変な映画。と言いつつ、『キング・コング』『男達の大和』『東京ゾンビ』『七人のマッハ!』とかは、まだ未見なのですが……。
Jan 5, 2006
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『ブレイド3』が借りたくてレンタル・ビデオ屋に行ったのに全部貸し出し。仕方がないので適当に新作を手に取る。『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』。はっきり言って、別に期待はしていませんでした。まず僕はショーン・ペンが嫌いなのです。次に、これは事実を基にした映画なのですが、その実際に起きた事実が、事件としてショボ過ぎる気がした。ところが……ところがねぇー! これはすごいですよ。傑作ですよ。泣きますよ。はっきり言って2005年版『タクシー・ドライバー』ですよ! あなたが、嘘と金と偽善と厚顔無恥な権力者を心の奥底から憎む、どうしようもなく孤独で、社会生活をうまく営めなくて、やさぐれてて、情けない、人生の落伍者ならば、絶対に大感動します。嘘じゃありません。私が保証します。妻と子供と別居中の冴えない中年男サム・ビッグは、兄の経営するタイヤ会社で働いていたけれどクビになって、事務用品店のセールスマンになる。すると店長は「ポジティヴ・シンキング」とかの胡散臭いビジネス本(犬には良い名前をつけろ、とか書いてある…)や、カーネギーの啓発テープ(自分を信じろ、と繰り返される…)とかをサムに渡す、「この本とテープがあれば、君も成功者さ!」。そしてテレビに映るニクソン大統領を指して「奴こそ最高のセールスマンだ。奴は国民に自分が最高の商品だと信じ込ませて二回も当選したんだぞ」と言う。作り笑いが引き攣るサム(ああ…可哀想!)。別居中の妻は、セクシーな服着てレストランで酔っ払い相手にセクハラされながらウェイトレスとして働いている。日曜日にサムが家族のもとに行くと、「来る前に電話するっていう約束でしょ?」と冷たい対応。写真を撮ろうとしても、子供達は嫌々な感じ。「ご飯よー」の声で、さっさと家の中に入っていってしまう。「じゃあ、また今度ね」と目の前で閉じられるドア。職場の店長と、その息子のいやがらせにうんざりさせられる日々。親友の黒人とバスを改造してタイヤの移動販売の事業を起こそうとして、銀行に融資を頼む。「返事は郵送されてきます」と言われて、来る日も来る日もポストを覗き込む。希望は夢に託すしかない! テレビでブラック・パンサー党のニュースを見て共感したサムは、さっそくブラック・パンサー党の事務所へ出向く。「白人でも君達の船に乗る奴はいる。だから党名をゼブラ(しまうま)にしよう」と言って、大金をカンパする。別居中の妻がキャデラックに乗った男とよろしくやってるのを発見。そして離婚届と事業の融資の断りの手紙が届く。絶望。テレビでは、ウォーターゲート事件の報道。「いったい、こいつらは何様のつもりなんだ?」「奴らが俺達に何をしてるのか分からないのか?」「いまも奴隷制が存在する。現代の奴隷とは、従業員と呼ばれてるんだ!」。ぶっ殺してやる! サムは拳銃を盗み、ガソリンで爆弾を作り、鏡の前でハイジャックの予行演習(!)をする。そして敬愛するレナード・バーンスタインに犯行声明のテープを録音する。「親愛なるレナード・バーンスタイン様。私はアメリカという砂漠の砂粒の一つのような存在です。しかしもし私に運があれば、砂粒でも奴らを破滅させることが出来ると思い知らせてやれるでしょう。どうか、ありのままの私を世間に伝えてください…」。サムは旅客機をハイジャックしてホワイト・ハウスに突っ込もうと、空港に向った! アイ・アム・サム(ビッグ)。あなただってそうだ。そうでしょ? お願いだから自己嫌悪に陥らないで、奴らに一矢報いてください。甘い汁吸うことしか考えていない、薄汚い偽善者どもを憎んでください。革命はまだ起きないでしょう。だから前段階武装蜂起。つまりそれはテロなのです。僕はそれを決して否定しないから、だから奴らをぶっ殺そう! こんな世の中間違ってるんだー!
Dec 30, 2005
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『ハリー・ポッター』あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』効果で、映画界はファンタジー・ブームまっさかりですね。『ナルニア』まで映画化されて、次はやっぱり『ゲド戦記』です。しかも、ジブリ。宮崎駿は、僕が中学生くらいの頃から、『ゲド戦記』を映画化したいって言ってたから、構想十何年といったところでしょうか…? そう、中学生だった頃の僕は『ゲド戦記』と『水滸伝』の大ファンだったので、非常に懐かしさで胸いっぱいなわけですが…。もう十五年くらい前の話だもんなあ。話の内容とか、ほとんど忘れてる。確か、いま5巻まで出ていて、僕は4巻までしか読んでいない。でも4巻の時点で、主人公ゲドは魔力を失ったおじいちゃんになってて、2巻の主人公のテナー(この人もすでに子持ちの未亡人でおばさんになってたはず…)と結婚して終ってたから、5巻の内容がいまさらながら気になってきた。というか、ル・グインってまだ生きてるんですね…。しかし、ジブリが訳の分からぬ改悪を施さぬことを願う。
Dec 21, 2005
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急転直下。人生に転機が訪れる。夜更け。僕が、いま世界で最も偉大な芸術家だと密かに思っている七尾旅人の「戦闘機」という歌を聴いて、恥ずかしいけど、ちょっとだけ泣く。さよなら僕の四畳半。バイバイ!
Dec 19, 2005
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昨日はバイト先の人達と忘年会。ほとんど知らない人達ばかりで、気を遣って疲れた。でも飲み過ぎたので、午後に起きだすと、異様な底冷え。部屋がまるで冷蔵庫の中みたいに寒い。我が四畳半の唯一の暖房器具である小さなハロゲン・ヒーターなんかでは、太刀打ちできません。なので取り敢えず電気ストーブを買いに街へ出かける。すさまじい風が吹いていて、ストーブ買ったら、即、部屋へ帰り、箱から取り出し、点火! ああー、あったかい。元気が出てきたので、性懲りもなく映画を観に行こうと考える。さて……『キング・コング』か、あるいは『東京ゾンビ』か、はたまた『七人のマッハ!』か、いやいや『ブレイキング・ニュース』か、さてはて『男たちの大和』か………悩んだ末、ラピュタ阿佐ヶ谷で(遠出したくなかったので…という消極的な理由から…)、『憲兵とバラバラ死美人』を観る。最近、DVD化されたらしい新東宝の素敵なタイトルの映画。おじいちゃん、おばあちゃんがいっぱい観に来てたのが微笑ましい。だって、あなた、「憲兵とバラバラ死美人」ですよ(笑)。きっと、おじいちゃん、おばあちゃんにとっては青春の1ページなんでしょうね。それって何だかすごく良いよね。でもなあ……僕は騙されましたよ。このタイトルに。僕の予想……憲兵が悪逆非道の限りを尽くして、罪もない女性をバラバラに切り刻む、残虐映画。実際の内容……バラバラ殺人事件を心優しい憲兵さんが誠実な捜査のはて目出度く解決。普通のサスペンスじゃん……。なんか拍子抜けして家路を辿る。あんま面白くなかったなぁ…。しかし、いつのまにか辺りは暗くなり、寒さはさらに骨身に沁みる…。夜が更ける……。
Dec 18, 2005
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普段は別に考えることもないけれど、企業というのは「法人」なので、「人間」として社会の中ではカウントされている。つまり企業には「人権」というのが認められているのですね。はっきり言ってナンセンスとしか思えませんが…。仕事が早目に終ったので映画を観に行きました。『ザ・コーポレーション』。まあ、反グローバリズムというか、多国籍企業の弊害に関するドキュメンタリーです。まあ、目新しい視点があるわけではないのですが、一応、やっぱり気にはなりますよね…? さて、企業が「法人」なのだとしたら、そいつは「人格障害」のサイコパスだ、ってことで、いろいろ実証的な例が並べ立てられていきます(笑)。もともと、「法人」という滅茶苦茶な論法がまかり通ったのは何故なのかというと、アメリカで黒人が開放された時、「人間の自由はおかすべからず」と法律で決められたどさくさに「企業も人間ですから自由を認めろ」と訴えたのが始りのようです。ひどいね。この映画ではマイケル・ムーアとかノーム・チョムスキーとかナオミ・クラインとか、そっち系の有名人とか、話にはチラッと聞いていて気になっていたインターフェイス社のCEOレイ・アンダーソン(商業用カーペットで世界一のシェアを誇るインターフェイス社のCEOでありながら、エコロジー活動に勤しむ、環境問題の最重要人物)とか、僕が軽蔑してやまないミルトン・フリードマン(かの悪名高きマネタリズムの提唱者である経済学者。ノーベル賞受賞してる)とかが出てくる。取り上げられる問題は、ボリビアの水道民営化を阻止した民衆蜂起(この事件はすごいです…)、ホンジュラスの労働工場での搾取、インターフェイス社での環境問題への取り組み、ロイヤル・ダッチ・シェルの公害問題、モンサント社の遺伝子組換えの悪影響と情報統制、GAPやナイキの非人道的な工場の実態。資本主義の世界で企業が金儲けだけを考えて何が悪い? なんて意見も、まあ尤もだという気はするけど、企業も「人間」だというなら、自由を主張するのと同じくらい、法にも縛られなくてはいけないじゃないか、ってことだと思う。そりゃそうだ、人間なんだから、犯罪を犯したら裁かれなければならない。これはすごく単純で簡単な結論だね。ただこの映画ではIMFやら世界銀行やらWTOだとかの貿易協定だとかにたいする切口が希薄でちょっと不満。それとリベラル側からの意見だけ見ててもダメな気がする。映画の中でも誰かが言ってたけど、工場が発展途上国に誘致されれば、そこにいる下層階級の人達は低賃金でも働きたいって思う。他に仕事なんてないんだろうし、工場が海外に出来ること自体は悪いことではない。それを即、文化の収奪とか決めつけるのは早計だ。問題はそこで何が行われているのか、法に則って検証すること。あとやっぱり、そういう企業に、自分が消費者として荷担してるって事実を無視してはいけない。そして更に重要なのは、だからといって絶望ばかりしてるのは、一番たちの悪い思考停止だということ。希望だけは捨ててはいけないのです。
Dec 12, 2005
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うーん…仲代達矢かっこいいなあ。あの朴訥とした喋り方が好き。久しぶりに図書館に行ってビデオを借りてきた。『切腹』。すごい傑作なり。関ヶ原の合戦によって戦国時代が終り、各地の大名もお家取り潰しをくらって、武士達は職を失い、食い詰め浪人と化して陋巷に貧していた。「夢も希望もないので武士らしく切腹したいので、庭先を貸してくれ」と浪人達は栄華を極める武家屋敷に詰め掛ける。武家屋敷は困っていくばくかの金をやって浪人達を追い払う。浪人達は始めから切腹する気などなく、ただ単に金をたかりにやってきているのだ。そんな事件が流行っているなか、「赤備え」の伊井家のもとに、「切腹させてくれ」と津雲半四郎(仲代達矢!)という浪人がやって来る。この伊井家にはつい春先にも同じように浪人がやって来ていたのだが、「武士の風上にもおけない強請りたかりに屈することはできない」という理屈で、本当にその浪人を切腹させてしまっていた。その時の模様を半四郎に語って聞かせて追い返そうとするが、半四郎は引き下がらない。「これは見上げたもんだ」と早速、切腹の用意は進むが、半四郎は「伊井家にその人あり」と知られた剣術の達人に介錯を頼もうとする。しかし、その達人はたまたま病気で出仕していない。仕方ない、と次々に介錯役を頼みたい人物を挙げていくのだが、彼が名指しで指名する人物はみんな病気で臥せっていると聞かされる。これは裏に何かある! 伊井家の家老は疑惑の念にかられ、その場は緊迫する。そして半四郎が静かに語り出すのだった……。びっくりするくらい脚本と役者が素晴らしい。時代劇ではなく、サスペンスです。最後は泥臭いチャンバラで派手に終わるところも泣けてきます。面白いよ!
Dec 6, 2005
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若松孝ニ監督、内田裕也主演、『餌食』。あれ…? これって……。全然知らなかったんですが『魚からダイオキシン』ってリメイクだったのですね? その元ネタがこの映画です。『魚からダイオキシン』では、裕也さんはクルド人の難民の音楽を世に広めるためコンサートを開こうとしますが、『餌食』ではレゲエ。映画の中で流れるのはピーター・トッシュとマトゥンビだけですが。内容は『魚からダイオキシン』とまったく同じ。『魚からダイオキシン』は、『餌食』のプロットをそのまま借りて、デティールを細かくし、裕也さんの都知事選騒動を交えて、リメイクされている。『~ダイオキシン』では本木雅弘が異彩を放ち、軍艦島でのロケが素晴らしかったですが、ラストは『餌食』の方が衝撃的です。長い海外生活から日本へ帰ってきたロックンローラー内田裕也は、衝撃を受けたレゲエのテープを持って、昔の音楽仲間がやってる音楽会社へ行く。日本でレゲエ・バンドを呼んでコンサートを開こうと持ちかける。しかし、昔の仲間は音楽業界に寄生する商売人と化していた。アイドル歌手が幅をきかし、プロモーターは外タレのための薬のルートを独占し、すべてが腐りきっていた。裕也さんのかつての恋人も、業界の食い物にされ、今では薬漬けにされ、外タレ用のセックス処理係となってしまっていた。裕也さんは、ひょんなことから知り合った元暴走族の青年が居候してる家に転がり込む、そこには青年の彼女の女子高生と謎の老人がいた。女子高生はピンサロのホステス、老人は古い拳銃を磨く元ヴァイオリニスト。昔の仲間に絶望した裕也さんは「てめえらとは組まないことにした」と吐き捨てる。すると仲間たちに「お前みたいのをロック乞食と言うんだよ」と侮蔑の言葉をかけられ、さらに裕也さんが呼ぼうとしていたレゲエ・バンドのメンバーがロシアン・ルーレットで運悪く死んでしまったということを知らされる。昔の恋人に会った裕也さんは、禁断症状に苦しむ彼女を見て、首を締める。「天使に会ったら、よろしくな」。老人に拳銃を借り、元暴走族の青年とともに、昔の仲間であり、恋人を薬漬けにした音楽会社の社長のもとに向かう裕也さん。丁度、社長はヘロインの取引中だった。銃撃戦の末、金とヘロインを手にした裕也さん。一人生き残った社長にロシアン・ルーレット! カチリ! 空砲。「お前は運が良いなあ…」。失禁して気を失った社長はそのままに、その場を去る裕也さん。しかし、青年は腹を撃たれていた。バイクに乗って疾走する二人。死んでしまった青年を見て、女子高生は泣く。老人は裕也さんから返してもらった拳銃を夜明けの町に向って撃つ。その後、老人は車に轢かれて死ぬ。絶叫してビルの屋上に駆け上る裕也さん。ビルの上から、雑踏の一般市民を次々と狙撃。やがて裕也さんも駈け付けた警官に撃たれて死んでしまう。最後は裕也さんがコンサートを開くはずだった野球場で一人踊る女子高生。素晴らしい。マトゥンビのCDを棚から探して聴き直してみよう。その後、『魚からダイオキシン』も見直してみた。どっちも良い映画だな。「商売もいいだろう。でも耳は腐らせるなよ・・・」。肝に銘じろよ。
Nov 30, 2005
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なんで僕はこんなものにばかり惹かれてしまうのでしょうか…?福満しげゆき『僕の小規模な失敗』というマンガなのですが…。「このままじゃダメになる… すべてがダメになる 大いなる予感!」「恋愛ゲームに参加できず、学歴コースからも脱落し、現状打破をねらった漫画コンクールでは相手にされない、そんな主人公の将来は一体どうなる?」という帯の文句もあんまりなマンガ。「一体どうなる?」なんて聞かれても、「どうにもならないよ…」としか答えられません。まあ誰しも身に覚えがあるはずの思春期の苦悩(身に覚えのないような人ととは絶対に分かり合えません!)が、悶々と続く。痛いなあ…。僕が最近、同人誌用に書いた小説も似たような感じだったので、がっくり落ち込む。誰かもっと明るい話をしてください。もっと笑えるようなヤツを!
Nov 29, 2005
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70年代初頭、ロックンロールの魔法にとりつかれた15歳の少年は、ローリングストーン誌のライターとして、レッド・ツェッペリン、イーグルス、デビッド・ボウイ、ザ・フーなど大物達と仕事をする。少年の名はキャメロン・クロウ。古き良きロックンロールの時代のささやかな伝説。キャメロン・クロウはその後、映画監督へと転進。その半生を『あの頃ペニー・レインと』という自伝的な映画を撮るまでに。そのあまりにもピュアなロックに対する憧憬が、観てる者を恥ずかしくさせなくもないけど、そんなセンチメンタルな気分は分からないでもない。そのキャメロン・クロウの新作、『エリザベスタウン』を観た。某スニーカー会社で自分がデザインした靴のプロジェクトをまかされたオーランド・ブルーム。でも、発売されてみると「こんなもん履くくらいなら、裸足の方がマシ」とか大酷評をくらって、会社に天文学的な損害を与えてしまう。仕事は当然クビ、恋人にも捨てられ、人生に絶望したオーランドは自殺しようとする。ところが、そこに妹から「お父さんが死んじゃった」と電話がある。父親は故郷に遊びに行って、そこで突然、急逝してしまったらしい。「お母さん(スーザン・サランドン)が動転してるから、お兄ちゃんが遺体を引き取りに行って」とのこと。そんなわけでオーランドは父の故郷であるケンタッキー州はエリザベスタウンまで出向くはめになる。飛行機に乗ると、自分以外誰も乗っていない。しかも、スチュワーデス(キルステン・ダンスト)がしつこく、わけの分からない話をしてくる。もらった地図には電話番号が…。エリザベスタウンに辿り着いてみると、親戚や町中の人達が、自分の父親の死を悼んで、勝手に葬儀の段取りを進めている。泊まったホテルでは馬鹿カップルの結婚式でドンチャン騒ぎ。妹からは「お母さんが、車の修理を始めたり、料理をしだしたり、タップダンスを習ったりして、訳が分からないから、早く帰ってきて!」と泣きの電話がかかってくる。疲れ果てたオーランド君はついついキルステン・ダンストに電話をかけてしまう。すると…。しみじみとしてしまうなぁ…。でも女性が観たら「なんかこれ、男が勝手に女に抱いてる理想、というか妄想じゃないの?」とか思うかもね。この映画のキルステン・ダンストは限りなく魅力的ですが、現実にこんな女性いるわけない。キャメロン・クロウっぽいなぁ…って思った。女性に対して何かコンプレックスあるよね、絶対、キャメロン・クロウって(『バニラ・スカイ』とか)。でもでも、僕は良い映画だなって思いました。車欲しい(免許も持ってないけど…)。あと、この映画のテーマ曲は、レイナード・スキナードの「フリー・バード」です…うーん…微妙! あとスーザン・サランドンが葬式の時、みんなの前でエロ話(笑)をした後「ムーン・リバー」をかけてタップダンス(しかも思いっきり下手)するシーンに苦笑しつつも感動しました。
Nov 28, 2005
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石井輝男に心を奪われてる間に、観たいと思ってた映画のいくつかがとっくに公開されてて、『親切なクムジャさん』を慌てて見に行きました。『JSA』という朝鮮半島分断の物語の中でも最も美しく悲しいファンタジーを撮ったパク・チャヌク監督の『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』に続く復讐三部作の最後を飾る『親切なクムジャさん』。なぜか劇場のおばさん率が高い。まさか『オールド・ボーイ』の高評価の影響か? いやいや多分「韓流ブーム」の一環なのでしょう。でも、おばさん、それは完全に間違ってるよ! タイトルに騙されてるよ! この監督は、絶対頭おかしいんだから! 観る者の気分をどん底に落とすために映画撮ってるに違いないんだから! 当然の如く、映画が進むと、滅茶苦茶、陰惨なシーンが続いて、おばさん達ドン引きしてる…。なんかちょっと可哀想ですね。というかクムジャさん恐い。男に裏切られて無実の罪を着せられて刑務所に服役してクムジャさんは、13年かけて復讐計画をたて、刑務所仲間の協力を得て、男を捕らえる。そして…そして…そして…ああ…こっからが血も涙もない展開で、「なんでこんな救いのない映画ばかり撮るんだろうなぁ…」と暗澹としてしまう。観客にトラウマを残すこと必至の内容。でもやたらスタイリッシュな映像と演出は相変わらずで、観終わった後は「やっぱ、すごいや。この監督…」と溜息まじりに呟かずにはおれませんでした。人にはお勧めできませんが、凄い映画であることは間違いありません。しかし、パク・チャヌク監督の今後はどうなるのでしょう? その後、心癒されたくなって『エリザベスタウン』も観たのですが、これは全然凄い映画ではなく、普通に良い映画でした。というかしみじみと感動してしまいました。ちょっと涙腺緩んじゃう感じ。感想はまた今度書きますが、今日はキルスティン・ダンスト(この人、絶対に良い娘だよね!)に救われた気がします。クムジャさん恐いクムジャさん恐いクムジャさん恐い…。
Nov 20, 2005
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アナーキストがナショナリズムを語るとどうなるのか? その答は例えばこうだ。舛田利雄監督、笠原和夫脚本による1980年の映画『二百三高地』。日本とは? 日本人とは? 戦争とは? 戦後民主主義と義務教育によって洗脳されてしまった僕達にとって、アメリカ占領以前の歴史とは負の歴史であり、タブーであった。自由主義史観というのは、それらを否定するのは良いとしても非常に中央集権国家の幻想に捕らわれていて、まったく妄想としか思えない。そうではなくて、もっと自由に歴史を俯瞰することはできないものか…? 例えば竹中労の著書を、石原莞爾という人物を、そして笠原和夫の脚本を見よ。思えば、日本の戦後知識人というのは、戦争に無理矢理駆り出されて酷い目にあった若者達であって、そんな彼らが日本という国家を敵視するのは当然なのかもしれない。そして、そんな知識人達に影響されてしまったのが、戦後史の問題点のひとつではないのか? 戦前が暗い時代だったって? 本当に? 天皇陛下万歳と叫んで死んでいった人達はみんな狂ってたって? 本当に? 我々は二度と同じ過ちを繰り返さないって? 本当に? 僕はそうは思わない。いつの時代、どこの国に生まれたって、人間は根本的には変わらないはずだ。もちろんパラダイムとか、エピステーメーとかいうのはあるだろう。でも、たった60年そこら昔の話だよ? 僕らのおじいちゃんが、僕らと全然違う人間だったって、どの口が言いきれるというのでしょう? こんな簡単なことがまるで理解されなかったであろう80年代というポスト・モダンでニューアカでハイ・イメージ論で差異で戯れて脱構築な時代に、笠原和夫が世に問うた「戦争三部作」、その第一弾にして最高傑作、それが『二百三高地』です。二百三高地は、いうまでもなく日露戦争における旅順攻略の激戦地。これは旅順攻略を、国家指導者、兵士達、銃後の民衆をまったく同等に描いた映画なのです。不平等条約に囲い込まれ、欧米列強の帝国主義がアジア全域に及ぶ時代、このままでは日本は列強の属国と化してしまう、と朝鮮半島にまで進出したロシアに脅威を抱く日本政府。ロシアとの戦争は免れない。しかし及び腰の伊藤博文に児玉源太郎(丹波哲郎が怪演)は、「戦争してもせいぜい五分五分、だがいま戦争しなければこの先、日本が勝つ見込みは絶対にない」と開戦を要求。無茶は承知、「自分は身命を賭ける。閣下にも死んで頂く。天皇陛下にも前線に出て頂くかもしれない」と大上段に説得。そして日露戦争は始る。緒戦の快進撃。そして難攻不落の旅順要塞へ。来るべき艦隊決戦の前に、旅順にいるロシア艦艇を撃滅しなければならない。陸軍を率いるのは乃木希典大将。学校の教師のあおい輝彦はトルストイを敬愛している。ロシア人の牧師のいる教会で夏目雅子(最高に美しいです)と出会う。しかし、あおい輝彦にも出征の命令が下る。夏目雅子に思慕を打ち明けられるあおい輝彦。「絶対に帰ってくる」とお決まりの台詞。「美しい国日本 美しい国ロシア」あおい輝彦は学校の子供達の前で黒板にそう書き、ロシアを憎むなと教え、自分が帰ってくるまでこの文字を消すなと教える。ロシア語が話せて、教師という立場のあおい輝彦は士官待遇で部下を持つが、その面々はヤクザ、遊郭の太鼓持ち、豆腐屋、女房に先立たれ子供二人を路頭に迷わせてしまう冴えない中年……と前途多難。そして旅順の大攻防戦が始る…のだが、戦力差は圧倒的にロシア有利。ひたすら突撃するだけの日本兵はロシアの機関銃の餌食になって各部隊全滅しまくり。戦線は膠着状態に。いたずらに死んでいく日本兵。内地の乃木大将の家には「人殺し」「無能者」などと叫んで石を投げる民衆。戦争ごっこに興じる子供達の目の前に戦死した兵士の遺骨を抱えた家族達の葬列が長く続く。あおい輝彦の小隊では、子供達が心配で逃げ出そうとする中年をヤクザが捕まえる。中年の右手を撃ち抜こうとするヤクザ。「銃が撃てなきゃ、お前は帰れるだろ?」。ぎくしゃくしてた兵士達の間に死線をくぐり抜けた者同士の友情がうまれていたのだ。しかし中年は「俺はみんなと一緒に帰りたいんだ」と戦場に残ることを決意する。遊郭の太鼓持ちが「死んでも墓がないよ」と言うと、ヤクザが「だったら俺の墓に一緒に入ればいい」と言う。ちなみにこのヤクザは佐藤允さんが演じてます。いい役者さんですね。日露戦争の時代には、休戦の一日というものがあって、その一日は日本兵もロシア兵も戦場に入り乱れてお互いに肩を叩いたり、酒を酌み交わしたりしてる。この映画ではちゃんとロシア兵の描写もあって、作劇上の悪役というものが存在しない。捕虜尋問の際、ロシア語ができるあおい輝彦は通訳として臨席する。乃木大将から捕虜は人道的に扱うように厳命されているのだが、「お前ら日本人は猿だ」と罵られ、あおい輝彦は通訳せずに捕虜を撃ち殺してしまう。軍令違反を問われたあおい輝彦は絶叫する。「私達、死んでいく前線の兵士には、国家も、天皇も、陸軍も、軍規もない。ただ苦しみがあるだけだ!」「私はすべてのロシア人を憎む」。死体で埋まった二百三高地。そこにかぶさる、さだまさしの「防人の唄」。山は死にますか~♪ その歌詞が真っ黒な画面にテロップで流れる(この辺、狂ってる。とりあえず笑っておこう)。最後の突撃でついに二百三高地は落ちる。そこから見下ろせるのは旅順要塞と港に停泊するロシア艦艇! 砲撃により、ついにロシア艦艇を撃滅し、旅順要塞も落ちる。その戦闘の中であおい輝彦は死ぬ。あおい輝彦の部下で生き残ったのはヤクザと豆腐屋だけだった。内地、旅順陥落の報に喜ぶ人々は乃木大将の家のまわりで歓呼の声をあげる、「乃木大将万歳!」。あおい輝彦の学校に新しい教師がやってくる。夏目雅子だった。黒板にあおい輝彦のように「美しい国日本 美しいロシア」と書こうとして、しかし「ロシア」は書けずに教室を飛び出して彼女は泣き崩れてしまう。明治天皇の前で戦勝報告をする乃木大将。報告書を読み上げる手が途中で震えだす。声を詰まらせ、膝を折り泣き崩れる。この仲代達矢の演技も鬼気迫るものがある。その乃木大将の肩に手をそっと置く明治天皇。映画は最後、伊藤博文暗殺、明治天皇崩御、乃木希典自刃の文字で終る。以上、おぼろげな記憶で内容を書き出してみましたが、この映画の素晴らしさを全然伝えられていない気がする。とくにあおい輝彦の台詞がちょっと良く思い出せない。もっとすごいんですよ、本当は。笠原和夫脚本作については、次回『大日本帝国』に続く。続くのか…?
Nov 16, 2005
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en-taxi最新号の付録に『実録・共産党』の脚本がついている。知ってる人は知ってると思いますが、『実録・共産党』は、深作欣ニ監督、笠原和夫脚本の『仁義なき戦い』の反体制アナーキストコンビによる、戦前の共産党の実態を東映実録路線で映画化しようとした幻の企画。笠原和夫という取材魔の脚本家は、資料調査、実地調査はいうに及ばず事件関係者に直接話を聞きに行くほどの徹底ぶりで、特に歴史認識に関して、かなり異質なものを感じさせる。戦後民主主義、高度経済成長に対する疑惑が滲み出ている。そしてそのような視点はアナーキストでなければ得られないものなのです。さて、『実録・共産党』の脚本は、渡辺政之輔、徳田球一を中心に、初期共産党の弾圧の歴史を、『仁義なき戦い』方式で描かれている。多分、映画化されたら『仁義なき戦い』の一作目に近い雰囲気の映画になったんだと思う。とにかく、最初からやたら人が死んでいく。しかもみんな若くて、20歳そこそこの青年達。関東大震災の際に次々と警察に捕まって処刑されていく社会主義者達。それでも活動を諦めない人々。治安維持法公布。渡政の死。芋づる式の逮捕。裁判。転向。そして太平洋戦争勃発。その間に社会主義者の若者達はいとも簡単に殺されていく。これはそんな青春の物語のようでもある。映画化されていれば、『日本暗殺秘録』に優るとも劣らぬ傑作となったことでしょう。
Nov 15, 2005
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新文芸座での石井輝男監督追悼特集も最終日。この日は『地獄』と遺作『盲獣VS一寸法師』二本立て。『地獄』はいうまでもなく、宮崎勤、オウム真理教なんかの遅々として進まない裁判状況に業を煮やした石井監督が、「だったら俺が裁いてやる!」と映画で、地獄の裁きを下すというトンデモ映画。砒素カレーの林ますみとか、オウムを弁護してた筑紫さんとか、中沢教授なんかも、地獄責めをくらっております。この映画、『神曲』のパロディなのだなぁ…と、ふと思いました。ダンテが権力の座から追い落とされて、ルサンチマンから書かれたとしか思えない『神曲』の「地獄篇」には、彼の政敵とかが地獄に落ちて悲惨な目にあっているのです。『神曲』なんて詠んだことある人めったにいないでしょうが、僕はこれ大好きなのです。笑えるのが、ソクラテスとか古代ギリシャの哲学者とかが天国に行けずに煉獄という天国と地獄の狭間にたむろしていること。その理由がキリスト教の信者じゃないから。そりゃあんた、キリスト生まれてないもんね…その時代(笑)。一目惚れした少女ベアトリーチェを天使と同列にしちゃう妄想大暴走の「天国篇」は退屈極まりないですが、「地獄篇」は最高ですよ。それにしても『地獄』は変な映画です。映画的には破綻しまくっているのでしょうが、送り手の伝えたいことが、これほどはっきりと伝わってくる映画というものも相当、珍しいのではないでしょうか? アメリカでブッシュやラムズフェルドや大企業のCEOが地獄の業火で焼かれる映画を誰か撮らないものですかね?『盲獣VS一寸法師』の方は、良く分かりませんでした…。それにしても石井監督は暗黒舞踊が余程お好きだったのでしょうね…。
Nov 11, 2005
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仲間とやってる同人誌用の小説約50枚を書き上げへとへと。そして通勤用に持ち歩いていた文庫本が中上健次『十九歳の地図』。ああ…なんかかぶってる気がする…。読んでて辛かった。中上健次は言うまでもなく天才ですが、今の僕にはこの内容はきついですよ。この主人公はまだ十九歳だから許されるけど、僕なんて…僕なんて…ああっ!何もそんなに世界を憎まなくたっていいじゃないか? 世の中には素敵なことだっていっぱい溢れてるよ…多分。なんて。しかし、何だって僕は中上健次なんて読み返しているのでしょうか…? なんかもっと軽いものを読みたくなってきた。それなのになぜか今手元に『「あさま山荘」籠城』なんて本が…読まなきゃいいのに、多分、明日ポケットに忍ばせるのでしょう。こんな自分が嫌だ。もう少し、リラックスしないと、精神的にはちきれそうです。最近、疲れ易いからかなぁ…? 体力つけるために運動でもしようかな? なんて。というか書評になってないね。中上健次に関して、別に言うことなんてないけどさ。うらぶれた若者が読んだら、絶対、影響を受けると思う。中上健次の文体はよく「謳いあげるような」と評されるんだけど、僕が死ぬほど好きな『岬』あたりに較べると、まだまだ文体がこなれていない気もする(←不遜!)。この時点で充分に偉大な作家ですが、ここからさらにとんでもない大作を書くんですよね…この人。こんな化物には絶対に勝てっこないよ。別に勝負を挑む気すらないんですが…。しかし上手いですよね。公衆電話で世界に繋がってる(しかもネガティブに)、どうにもならない孤独な主人公の、その世界に対する無尽蔵の憎悪。ああー辛い。誰かオブラートちょうだい!
Nov 8, 2005
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またまた新文芸座へ石井輝男追悼特集を観に行く。本日のプログラムはかの『直撃地獄拳 大逆転』と『ポルノ時代劇 忘八武士道』。杉作J太郎とリリー・フランキーのトークショー付き。なので、午前中から異様な混みよう。相変わらず男性率および中年率高し。休憩時間に男性トイレが長蛇の列というめったに見られない光景がおかしい。よぼよぼのお爺ちゃんとかも一人で来てたけど、何か将来の自分の姿を見ているようで切なくなってしまいました…。長生きしたら名画座に痛風の足を引きずって通う孤独な老人になるのだろうなぁ…さみしいよ。『キル・ビルVOL1』が偉大だと思った理由の一つが、最後のクライマックスの大激闘シーン。最後にドカンと立ち回るのが、娯楽アクション映画の必要不可欠な鉄則だと思うのですが、それをタランティーノは、やりすぎなくらい押さえていて大好きでした。タランティーノ自体は、僕はそんなに評価してるわけではないですが、あの映画だけはやっぱ好きです。で、おそらくその『キル・ビル』にも影響を与えたと思われる『忘八武士道』も、またそういう意味で完璧に鉄則に忠実で最高でした。手足バラバラ、耳も頭も吹っ飛び、血が吹き出しまくる演出は偉大なる三隅研次『子連れ狼』に対する、石井輝男からの返答なのでしょう。孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八つの人の道を忘れた忘八者が取りしきる遊郭吉原の用心棒に雇われた、お尋ね者の明日死能(丹波哲郎!)が、妖刀・鬼包丁で私娼窟を叩き潰していく。吉原の忘八者、私娼窟のヤクザ、御上、それぞれの陰謀と、自らが利用されているのを薄々感じながらも、容赦なく立ちふさがる敵を叩っ斬っていく死能。最後、雪降る中、阿片漬けにされた死能が群がる御用役人たちを次々と斬り殺して行くシーンのカッコイイこと! アンヌ隊員も惜しげもなく脱いでますが…いいのでしょうかね?そして『直撃地獄拳 大逆転』。この(一部で)有名な映画を僕が昔観たのは高校生くらいの頃だったけど内容を全然忘れていないのにびっくりした。それだけ印象に残っていたのでしょうね。あらためて観ても馬鹿馬鹿しい。でも最高に面白いね。みんなお洒落な格好してるのが新鮮だった。千葉真一が鎧の中に隠れてるシーンは相変わらず笑います。佐藤允さんの飛行機操縦シーンとかほんと最高(笑)。郷えい治の「やばいよぉ~」って情けない声も良い。ああー面白かった。と映画館を後にする喜びは何物にも変え難い。こういう映画を撮る人はもういないでしょうね。そういう時代でもないんでしょうし。いい加減、恋愛とかサイコスリラーとか飽きたんですけど…。やっぱアクションだよね。娯楽に徹する気概を持ち合わせた表現者を待ち望みます。芸術性とか、感動とか、後から付いてくるものを、狙ってやるのは、もうやめにして下さい。
Nov 5, 2005
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タワーレコードのアヴァンギャルド・コーナーでSPKの『Auto Da Fe』が売ってた。懐かしいなと思って、店員さんの手書きコメントを読むと、どうやら貴重な入荷のようだ。ふーん、これって今、廃盤なのかあ…。昔の話ですが、僕はニルヴァーナというバンドが消滅してから、ロックに興味がなくなって、URCとかノイズとかサイケとか現代音楽とかを聴いていた時期がありました。高校生の終わりくらい。でもある日、こんな音楽ばっかり聴いてたらダメな人になってしまうと気付き、CDを売り払い、ボブ・ディランやジミヘンやデビッド・ボウイとか所謂ロック・クラシックを聴いて、なんとか立ち直った(?)のでした。しかし、最近、また趣味が一回りした感があります。そこでSPKをCDの山の中から引っ張り出して聴きなおしてみました。というか、何だかんだ言ってちゃんと手元に残ってるのが因果なもんだ・・・。SPK。オーストラリアのユニット。いわゆるインダストリアル・ミュージックという、テクノ・ポップの異種。NINの源流といえば今時のロック小僧には分かりやすいかな? ノイズと絶叫と過剰なパフォーマンス。精神病院の看護人グレアム・レベルと患者(!)のニール・ヒルによって結成されたという恐るべきユニットです。SPKとはSozialistische Patienten Kollektive(社会主義患者集団)の略で、同名の政治組織が、その名の由来。とにかく、とにかく喧しい音に乗っかって「殺せ! 殺せ! 殺せ!」とか叫んでる(んだと思う…)。でも今聴くと、意外にノイズって感じじゃなくて、ちゃんと曲として聞こえてくる。というか、カッコイイ! 高校生の頃はやさぐれの極地でこんな音楽をヘッドホンで聴いて「気が狂う」とか思ってたけど、いまとなっては笑えてきます。SPKも、あの頃の自分のこともね。ちなみにニール・ヒルはその後、自殺という実に出来過ぎな結末を迎え、グレアムはやたらポップなことやって顰蹙かったり、いまは映画音楽やったりしていて、こっちはこっちで、まあ良くある結末ではある。しかしまあ、「狂気」というのは、人が思うほどロマンチックなものではなくて、パターン化しているものなのですが、安易な芸術家ほど、そこらへんを履き違えてこまりものだ…と常々思っています。まあ僕が心理学専攻だったから、そう思うだけかもしれないけど、ダリってのは僕の中で安易さの塊みたいに見えて昔っから嫌いなのです。精神病を特殊なものとして自らの埒外に置こうとする考えは実は二重の差別なのです。ラカンを引くまでもなく、精神もまた言語によって構造化されている以上、自分と地続きなものなのです。まあ、僕は精神分析学は好きではありませんがね。分かってない人が多いので一応、言っておきますが、心理学という学問は「人間の自由意思」を否定する学問なのですよ。精神分析学は無意識によって、認知心理学がシステムによって、行動主義がSR結合によって、そして大脳生理学がそれらの証左となっているのです。さらに言うと、それら狂気は権力によって措定されています。ここで言う権力とは、国家権力という狭義の意味ではなく、人間の集団が秩序だって上手く生きていくための流れのことですが。まあ、あまり安易に狂気を語るべきではありません。狂気なんてものは本当は存在しないのです、というのが僕の結論。SPKはそういう意味で「分かりやす過ぎる」のですが、音楽ってのは不思議なもので、本人達が真面目にやってても、聴いてるこっちとしては笑えるものになってしまっていたりするので、直接身体に機能する音楽の面白さってのは、とても大脳生理学的なのです(笑)。
Nov 4, 2005
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池袋の新文芸座で石井輝男監督追悼特集をやっています。東映異常性愛路線の中でもカルト中のカルトと伝説的に語られる『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』をついに観ました。このソフト化不可能と言われる映画の名はつとに耳にしていましたが、名画座か海賊版ビデオで観るしか方法がないので、いままで「観たいなぁ…」と思ってはいましたが、東京から離れていたこともあり、なかなか機会に恵まれなかったのです。そもそも僕は石井輝男の映画は『網走番外地』のいくつかと、『直撃地獄拳』と、『地獄』と、『忘八武士道』くらいしか観たことがありませんでした。いわゆる東映異常性愛路線というやつもこれが初見。『奇形人間』と一緒に、撮影所の助監督が批判声明を出したと言われる『徳川いれずみ師 責め地獄』をやってたので、それも観た。エログロナンセンス極まれりというか、『ホーリーマウンテン』に優るとも劣らない衝撃を受けました。すっごい面白い! 『いれずみ師』のオープニングの残酷描写にタイトルがばーんと赤い文字で出るのが死ぬほどかっこいい! そしてものすごい練りに練られた脚本、ちゃんと娯楽として成立してるところが最高です。彫り物対決の二段攻めにどぎも抜かれ、股裂きラストで完の文字がスクリーンに浮かぶという、開いた口の塞がらない展開に思わず笑うしかありません。そして『恐怖奇形人間』。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』ってこんな話だったけ? 人権に抵触しまくった狂った描写が頻出するので絶対にDVD化することはないのだろうけど、もしこれからの人生で観ることのできる機会がありましたら、皆さん是非一度は観ておくべき映画だと断言しますよ。名画座のプログラムをこまめにチェックしてれば観る機会はきっとやってきます。前半は割りと普通のサスペンス仕立てで、ちょっと退屈だったりするのですが、後半、島に渡って土方巽の暗黒舞踊がスクリーン所狭しと踊り狂ってからがエライことになってきます。「奇形人間の王国を築くんだ!」と言う土方巽の狂いっぷりに惚れ惚れします。男女のシャム双子(もうこの時点で各方面から非難の声が聞こえてきそうですね!)と恋に落ちる主人公。愛する男の死骸をついばむ蟹を貪り食って生を繋ぐ洞窟に捕らわれた母親。島中に溢れかえる奇形にされた人間達。気持ち悪いよー! そして突如登場する明智小五郎。映画史上最大の衝撃的ラストらしい、人間花火で場内大拍手。「おかあさーん!」って……有り得ないラストだよ、まったくもう(笑)。お腹いっぱいで劇場を後にして、ぐったり疲れてしまいましたとさ…。石井輝男はすごいなあ…他の映画もぜひ観てみようと思いました。「おかあさーん!」どっかーん! ああ…たぶん一生忘れないな、あのラストは…。
Oct 29, 2005
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「ロックとは生き様である」なんて時代がかった言い方すると、目くじら立てる人がいる。90年代半ば、日本では定着するはずがないと思われたテクノ、ヒップホップ、ハウスなんかがクラブ・カルチャー(とドラッグ)とともに、またたくまに普及すると、一挙にロックという音楽はダサいものに成り下がってしまいました。確かにその頃はといえば思い出したくもないブリット・ポップ全盛期、ニルヴァーナ亡き後、オルタナティブはメインストリームに吸い上げられ、苦悩を気取るのがファッションと化し、猫も杓子もディストーションにシャウト、曲は強弱法の繰り返し。インディーのモラトリアム小僧達はひたすら地味な活動を続けていました。チャートは金の匂いしかしないブラック・ミュージックで席巻され、こりゃ本当にロックは死んだも同然。レニー・クラヴィッツあたりが「ロック・イズ・デッド」なんて歌ってりゃ、そりゃご臨終ですよ、とほほ…な有様。と思ったら、レディオヘッドがテクノ、ハウス、クラウト、現代音楽を導入(たぶん彼らはCANになりたかったんだろうね…)。そしたら、それが流行として定着してしまったのです。ああー! つまんないね!いまのそういうバンドに僕はロックな魂を感じません。多分それは僕がオヤジ化してる証拠かもしれませんが、やっぱり僕はロックとは…音楽とは…人間の魂の感情の生き様の表現だと思っているのですよ。「エゴを撒き散らすロックスターは時代遅れ」「リズム音楽として8ビートも16ビートも弱い」「ギターソロを弾いて陶酔してるギタリストはステージでマスターベーションしているに過ぎない」ああー! はいはい! あんたは正しいよ!じゃあ、こんな歌を歌う人のことを、どう思う?(言葉で伝えたいことや/きかせたい歌が/ありすぎて ありすぎて WOW/MiYOU MiYOU たぶん何もしてやれない/だけど今そばにいてあげるよ/少しだけ……)なんてことないラブソング? いや違う。これは池田貴族が癌で死ぬ直前に発表された歌なのだ。MiYOUとは幼い娘さんのこと。病院のベッドに横たわる池田貴族のもとにやって来た、みうらじゅんが「もう一度いっしょに何かやろうか?」「今の貴族にしか歌えない歌。カラオケで誰が歌っても嘘に聞こえる歌。辛いだろうが今の気持ちを詞にしてみないか?」と持ちかけて作られたアルバムがこの『MiYOU』なのだ。人生の切り売り? 露悪趣味? お涙頂戴のメロドラマ? ああー! だからあんたは正しいってば! だからちょっと黙ってろ!僕はこのアルバムにロックを感じる。このアルバムに参加した実に多くの人達の池田貴族に対する愛を感じる。そして池田貴族の死と向かい合って生きることに対する複雑な感情に素直に感動する。「音楽は音楽じゃん」って、ほんとその通り。でもそれだけじゃ物足りないオヤジ感性の人間もいるのだよ。そこのCISCOの袋持ってあるく似非DJめ! 俺は最近レコミンツとディスク・ユニオンでしかCD買ってないぞ! 悪いか? 今度モダーン・ミュージックに行きたいぞ! 悪いか? くやしかったらURCから聴き直せっつうの! ついでに今出てるニルヴァーナのあのCD! あれはカートが最も憎んだ形の商業主義じゃないのか? 草葉の陰でカートは激怒してると思うぞ! クリスにデイブお前ら一体どうした? こんちくしょう!
Oct 27, 2005
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銀河ヒッチハイク・ガイドの続編『宇宙の果てのレストラン』読了。ああー! はやく続きが読みたい! 訳者の方、頑張ってください! 全5作完訳してね!というわけで、「宇宙、生命、その他もろもろ」についての究極の問いと究極の答を求める(答は42と分かっている)地球の生き残りとヒッチハイカーと元銀河大統領と鬱型ロボットのSFコメディの傑作なわけです。宇宙を支配する男、太陽に宇宙船を突っ込ませる大爆音ロックバンド、不必要なノータリン集団を冷凍睡眠させてどこぞの惑星に不時着する箱舟やらのエピソードが、おそらく今後の伏線になっているのでしょう。僕のお気に入りのいつも調子が最悪で落ち込んでいるロボットのマーヴィンの見せ場が増えていて、にっこり。でもマーヴィン、敵に襲われた一行の囮にさせられたり、5760億3579年間置き去りにされたり、太陽に突っ込む宇宙船に取り残されたりして、あいかわらず可哀想(笑)。というか、その宇宙船から逃げ出せたのかどうか不明。まさか死んじゃってないとは思うんだけど、うーん…やっぱり続きが気になるよー!本書中マーヴィンが最高に輝いていたやりとりを引用「いい加減にしてよ、このネジのゆるんだみじめったらしい鉄くずが……」「どういうご用件ですかって訊いてくれないんですか」昆虫は口をつぐんだ。細長い舌が飛び出し、目玉をなめて、また引っ込んだ。「訊く意味があるの?」「この世に意味のあることなんてあるんですか?」マーヴィンは即座に答えた。「どう、いう、ご用件、です、か?」「人を探してるんです」「だれを?」昆虫はきいきい声で尋ねた。「ゼイフォード・ビーブルブロックスです」とマーヴィン。「あそこにいるあの人」昆虫は怒り狂って全身を震わせた。口もきけないほどだった。「知ってるのなら、なんだって訊くのよ!」「ただ話がしたかったんです」マーヴィンは言った。「なんですって!」「情けない話でしょ?」ははは……ほんと最高に可愛い奴ですね、マーヴィン。
Oct 25, 2005
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映画がすっかりお気に入りなので原作も読んでみました。ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』。なぜか新宿あたりの大きな本屋の店頭にも置いていなくて、注文しようかな…と思ってた矢先、神田の岩波ブックセンターで発見しました。内容は映画と大体同じ。でも映画で大きく取り上げられたイルカのくだりは、原作ではあまり重要な部分ではなかったみたい。僕としては鬱型ロボット・マーヴィンの台詞が映画より多いので、それを楽しみに読みました。マーヴィンは本当に可愛い奴です。「先にお断りしておきますが、わたしはとても気が滅入っています」これが登場して最初の発言です(笑)。「うっとうしいやつだと思ったでしょ?」「うっとうしいやつだと思われたくないんです」「これ以上に悪くなりようがないと思うと、とたんにもっと悪くなる」「話をしたいふりなんかしないでください。あなたがわたしを嫌っているのはわかっているんです」とかとかとか…大好きだー、マーヴィン! 映画のテンポのはやい展開で、うっかり見落としていた部分というのも、これを読むと理解の助けになるはず。地球の本当の役割とか、ゼイフォードの人格とか、ヴォゴン人の詩の内容とか(これは別にどうでもいいけど)…。しかしダグラス・アダムス面白いです。早川から出てないので、すぐ絶版になってしまったらしい(新潮社め!)。ヴォネガットを心優しいニヒリストと呼ぶなら、ダグラス・アダムスはニヒルなモラリストってところでしょうか? まあ典型的なイギリス人とでもいうべき皮肉の効いたユーモア。コメディなのでSFマニア以外の方にも受け入れられて然るべき傑作でしょう。なにはともあれマーヴィンです。さっそく続編『宇宙の果てのレストラン』を読みます。
Oct 16, 2005
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『マカロニ・ウェスタン 800発の銃弾』を観てきました。西部劇好きと思わしきオジサン率高し。無駄にオシャレで上品ぶった映画館アミューズCQNに頭の禿げあがったオジサンがたむろする光景を眺めつつ席に沈む。かつてマカロニ・ウェスタンのロケ地だったスペインはアルメリアの「テキサス・ハリウッド」はいまやウェスタン村となって、スタントマン達が西部劇ショーをやって細々としていた。そのウェスタン村のリーダー、フリアンはクリント・イーストウッドのスタントをやったというのが自慢。フリアンは息子を映画の撮影中に自らのミスで死なせてしまって以来、映画から干されている。西部劇ブームはとうの昔、ウェスタン村も寂れて、滅び行くの待つばかり。そんなウェスタン村にある日、フリアンの孫のカルロスが訪ねてくる。最初は邪険にしていたフリアンも、いつしかカルロスに心を許すようになる。カルロスや娼館の娼婦達をまじえてウェスタン村のスタッフ達の乱痴気騒ぎ(このシーンが最高に楽しいよ!)。しかしカルロスの母親が怒り心頭でウェスタン村に息子を取り返しにやって来る。彼女は夫の死の原因であるフリアンを許さない。彼女はアメリカ人向けのテーマ・パークを建設するための土地にウェスタン村に目を付け、土地を買収。ウェスタン村は取り壊しが決定してしまう。フリアン達はウェスタン村を、そして男の誇りを守るためにウェスタン村に立て篭もり、警察と機動隊の包囲に抵抗する。マカロニ・ウェスタンというマガイモノのジャンル映画はいまや好事家のコレクションと化した感がありますが、映画が女性向けの娯楽になったかのような現代には、まあ仕方ないでしょう。埃っぽくて、男臭くて、馬鹿馬鹿しくて、やりすぎ感が溢れてるマカロニ・ウェスタンはジョークみたいなものなのでしょう。でも、そんな映画に愛情を寄せてやまない時代遅れな人達には、この「時代に取り残された男達の誇りと自滅の美学」いわばサム・ペキンパー主義(笑)に溢れまくった本作に涙を滲ませること請け合い。「人生にはつらいこともある。想像を超えるほど。しかし運命からは逃げられん。だから精一杯楽しまないと。楽しみを放棄するのは、罪深いことなんだ」なんて…同感です。
Oct 15, 2005
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岩波ホールなんて何年ぶりに行ったのだろうか…? 『亀も空を飛ぶ』という映画を観に行った。米軍によるイラク侵攻前後のクルディスタンの小さな村に生きる子供達の物語。アメリカびいきの頭の切れる少年サテライトは子供達のリーダーで、地雷を掘り出して国連の出先機関に売って生活費を稼ぎ、親を失った子供達をまとめている。大人達も、利口なサテライトに何かと頼っていた。アメリカとの戦争の気配が近付いて、大人達は衛星放送でアメリカのニュースを見て情報を得ようと、サテライトにパラボア・アンテナを設置してもらう。ニュースは見れたが、英語が分からず、その内容は理解不能。一方、サテライトは、赤ん坊を抱いた難民の少女と出会い恋をする。そして、その少女の両腕を失った兄は不思議な予知能力を持っていた。子供達が自分達の力で共同体を作り生きているという設定が面白い。岩波ホール的な退屈さは少なくとも感じられなかった。ユーモアとペーソスのバランスに律儀に気を配られている気がする。子供達もみんな可愛い。でも想像と違って、この映画には何かが足りない。何か、というのは明らかで、それは紛れもなく「アメリカ」の存在なのだ。この映画にはアメリカ軍の侵攻を描いてはいない。悪として描かれるのはフセイン、悲劇として描かれるのはクルド人の虐殺。監督はイランのクルド人バフマン・ゴバディ、彼の名誉のために付け加えておくと、アメリカの存在が希薄なのは恐らく意図的ではないと思う。イランの映画監督といえば、僕の嫌いなキアロスタミがいるけど、キアロスタミに較べれば、本当にすごく良い映画だと思う。でも、やっぱりイラク戦争を語るのにアメリカが抜け落ちているのは納得できない。そして、あのラストもいただけない。この映画には、最も重要なものが決定的に欠けているのである。それは何かって? 惨劇の事実と、希望なのだよ!
Oct 12, 2005
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今日の仕事には苛々させられた…。監督とデリバリーの段取りが、まるでなってない! ……あ、こっちの話です。ところで明日から大阪・京都に行ってきます。三連休の人込みに酔い、当然のごとく酒に呑まれてこようと思います。なあんにも考えずに、観光してきまーす!
Oct 7, 2005
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なんだこれ…面白過ぎる…!木村哲人『テロ爆弾の系譜-バクダン製造者の告白-』読了。テロルの恐怖が吹き荒れる、こんな時代にこそ読んでおくべき一冊だと思います。著者の木村哲人さんは映画、テレビ業界で録音技師として活躍した人らしい。いわゆる技術者。ひらたく言って機械オタク。木村さんの書いた音響効果の解説『音を作る』はアホンダラ三谷幸喜の『ラヂオの時間』の原作になったらしい…。この物騒なタイトルの本の骨子は4点。(1)タイトル通りテロ爆弾の歴史的考察。(2)著者本人の爆弾製造と、そこに絡んでくる共産党、そして何者かによる陰謀。(3)『球根栽培法』にまつわる謎。(4)日本のテロおよび暴力革命神話の解体。(1)に関しては、モロトフのカクテル(火炎瓶)から始り、ロシア革命で皇帝を爆殺したグリネイド(着発式手投弾)を発明した天才キバリチッチの挿話、そして日本における鯉沼九八郎の爆裂弾そして自由党の顛末などが描かれる。(2)こそ最もスリリングな部分。子供の頃から機械好きだった著者は戦時中の雰囲気に影響されてか、兵器マニアでもあった。幸い叔父さんが軍の兵器廠に勤めていたり、かの鯉沼九八郎の爆裂弾の製法が伝わっている家だったりした(なぜ伝わってるかは本を読んでみて!)りで、環境的には万全。さて昭和26年、19歳の木村さんは、共産党の友人がいて、ある日『球根栽培法』というパンフレットを見せてもらう。これは当時の共産党がゲリラ戦に備えて党員に配ったといわれる武器製造パンフレットであり後の『栄養分析表』や『腹腹時計』のルーツであると言われている。しかし木村さんは『球根栽培法』を読んで「インチキだ」と憤慨する。兵器マニアの木村さんにとっては、あまりにもお粗末で実用に耐えず、間違いだらけの内容だったのだ。それでその友人に『球根栽培法』を返し、その内容を貶したところ、日共地区軍事委員会の会議に呼ばれる(!)。そこで『球根栽培法』の誤りを指摘したところ、「じゃあ、実用に耐える爆弾を作ってよ」と頼まれてしまうのだった。そこで木村さんは鯉沼式爆裂弾と地雷を作り、共産党員を驚嘆させる。「血のメーデー」直後のある日、日共中央軍事委員会から接触があり、「君は今日から中央直属の武器研究員だ」と言われてしまう。アジトと資金を調達してもらい、木村さんは学校にも行かずに爆弾研究にあけくれ、ついに着発手投弾を完成させる。だが、ある日突然、木村さんはアジトの一室に監禁されてしまう。その頃、共産党内では武力路線が衰えていた。殺されると思った木村さんは持っていた睡眠薬を服用して自殺を図るが一命は取り留めて病院に担ぎ込まれ、ことの真相は有耶無耶のうちに終ってしまう。だが間違いなく木村さんはスパイによって共産党中央から隔離されていた。公安による仕業か、共産党内の非武装派の仕業か、謎は明らかにされないが、ともかく共産党の軍事組織である中核自衛隊は何の武装も持つことは出来なかった。もし木村さんがスパイの罠に落ちることなく共産党のキバリチッチ、鯉沼九八郎となっていたら……。(3)そして件の『球根栽培法』の謎。なぜこのようなインチキ教本が共産党内部で出回っていたのか? 木村さんは、独自の調査で、おそらくこれが、旧日本軍スパイ養成学校、陸軍中野学校とアメリカ軍の知識を援用したものだと推測。要するにこれも武装路線に走る共産党を内部から武装させないためのスパイ工作に他ならないというのだ。これが事実ならば、いまだに、おどろおどろしく語られる『腹腹時計』なども、実は体制側のデコイなのかもしれない。(4)そして、最も重要なのがこの点、日本のテロの幼稚さ。木村さんは過去に作られたテロ爆弾を実際に再現し、実験し、そして共産党の実情や、不可解な陰謀に巻き込まれたりして、日本の革命家たちの無知、浅慮について思い知らされる。例えば、大逆事件に使われるはずだった爆弾を再現したら、直径3センチほどの花火程度の玩具が出来あがった。こんなもので人を殺すことは絶対に不可能なのだ。それを事前に大した実験もせず、大言壮語を吐いて、天皇殺害を企図し、結果、幸徳秋水以下24名が刑場の露と消えるのである。日本の革命家は理論家になろうとしてばかりで、技術者になろうとはしない。それが問題だ。共産党の軍事組織が聞いて呆れる、何が中核自衛隊だ。銃も爆弾も地雷も作れずに鉄パイプを振り回して武装革命だなんて、それは革命ではなく、革命ごっこではないのか? 著者はそう言いたいのだ。木村さんの作った爆弾は使用されなかった。木村さんはテロを肯定しているわけでもない。木村さんは兵器マニアで機械好きなだけで、特定のイデオロギーのシンパなわけではない。無差別テロを憎んでいる人だ。だが、テロを否定してるわけでもないのだ。一発の爆弾で世界が変わることがある。もし、本当に世界を変えなければならない事態がやってきたら、あなたは爆弾を投げる勇気があるのだろうか? 僕は?「憎しみのためのテロに荷担することはできない」と有島武郎はギロチン社のメンバーに資金カンパした時に言った。ロシア革命の際、皇帝を爆殺したソフィア・ペロヴスカヤ、この若い美貌の女性は何不自由ない貴族の生活を捨て無残な死と隣り合わせのテロリストの道を選び、爆弾に倒れた皇帝の身体を抱いて泣き「はやくお医者を!」と叫んだ。それから「貴方はお父様のところへ旅立つのよ、それはロシア人民のためなのです」と言った。心優しきテロリストたち…。テロ…。もちろんそれは殺人であり犯罪である。だが、人間にとって最も大切なのは「必要な時に必要なことをする勇気」ではないのか? だったらテロでしか権力に対抗する手段がないときに、それをしないのは怯惰なのだ。そしてテロは大衆の支持が必要だ。それがなければ、それこそテロリストは、ただの殺人者でしかない。心優しきテロリストたち、あなたがたは今誰と戦っているのか? 願わくば、あなたが憎しみのため、人を殺していないことを…。
Oct 4, 2005
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僕はテレビを朝の30分くらいしか見ないので、いまいち良く分からないのだけれど、今度はバリでテロがあったらしいですね。観光客が撮ったとおぼしき映像を見て「ひどいなあ…」と普通に思う。…思うのだけれど、それはあくまで日本人の感覚。論理的には、やっぱり一概に否定することはできません。TPOを入れ替えてしまえば、思想だのパラダイムだの常識なんてものは、すっかり変わってしまうはず。イスラム原理主義の過激派の犯行らしいのですが、これを「宗教の問題だ」と言って、理解の埒外に置こうとするのは間違っている。こう言うことは可能だろうか? 「宗教問題、民族問題、国家問題など本当は存在しない。存在するのはただ、経済問題なのである」。すべては地続きであることを忘れてはならない。今回の被害者の中に日本人も含まれていたことは、端的にそういうことを示唆するものだ。良く知らないけど、バリ島って観光産業で成り立ってるんじゃないの? このテロで観光客が減れば、現政権に大打撃を与えられるってことだ。自己責任っていやな論調があったけど、でもあれは、本当に哲学的に考えてみれば、当然なことなんですよ。僕らは、国家にもイデオロギーにも法律にも縛られない自由がある。権利ではなく自由。言いたいことが伝わらないと思うけど、旅行するのにも、色々、考えた方が良いよってことですね。まあそれはともかく…これから観たい映画。『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』絶対観ます!『亀も空を飛ぶ』面白そう。『東京ゾンビ』予告を観たら、何か本格的だったよ。
Oct 3, 2005
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ヴィンチェンゾ・ナタリ待望の新作『ナッシング』観てきた。なんとこれはコメディーだった。あんまり笑えないけど…。二人のダメ男が主人公。極度の臆病者のアンドリューと、抜けてる自己中男デイブは一緒に暮していたけれど、デイブが「彼女と暮すから」と言って出ていってしまう。ところが、そのデイブの彼女はデイブの会社の金を横領するのにデイブを利用していただけだった。デイブは結局、アンドリューの家に舞い戻る。家を売り払って遠くへ逃げようと言い出すデイブ。そこに役所からオッサンがやってきて「この家を取り壊します」。解体屋がすぐにやってくる。さらにデイブのもとに警察が横領事件のことを聞きにやって来る。またさらにアンドリューは幼女暴行のあらぬ疑いをかけられ彼のもとにも警察がやってくる。窓から発煙筒が投げ込まれ、警察が侵入しようとしてくる。その時、デイブとアンドリューが叫ぶ「放っといてくれ!」すると世界が消失する。何もない空間に家だけが、ぽっかり浮かんでいた。奇才という呼名がこれほどにふさわしい監督もいないであろうヴィンチェンゾ・ナタリですが、今回もまた珍妙な映画を撮ったものですな…。でも大傑作『CUBE』や『カンパニー・マン』のようなロジカルなサスペンスを想像してると肩透かしをくらうでしょう。絵的にも、「何もない世界」の真っ白い空間が広がってるだけなので途中から退屈気味に…。個人的には世界が消失するまでのドタバタ劇が最高に面白かった分、どうも中盤からはイマイチかなぁ…。前ニ作、特に『CUBE』にあった現代社会の得体の知れなさを描くような風刺の要素が皆無、本当に単純に「世界がなくなっちゃう」というワン・アイディアでもって一本、映画を撮っちゃったんだろうな、勢いで。
Oct 2, 2005
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保坂正康著『死なう団事件 軍国主義下の狂信と弾圧』を読む。写真は紀伊国屋の再版だけど、僕が買ったのはれんが書房新社の絶版本。裏表紙に「死なう 死なう 死なう」って書いてある(笑)。「死のう団」というのは興味があったのだけど、どんなものだったのかは全然知らなかった。その全貌が本書を読んで明らかになりました。というか宗教だったのか。昭和初期、日蓮主義者・江川桜堂が既成宗教の堕落に怒り、真日蓮主義復興のため日蓮会を設立。暗い世相と桜堂のカリスマによって、段々、日蓮会の規模は大きくなる。しかし、既成宗教の批判から立ち上げられた日蓮会は次第に過激分子を内包し、血盟団や5・15事件らの影響もあってか、彼らは「行動」を希求するようになってくる。日蓮が強調したという「不借身命」をキーワードに、日蓮会の思想は「死のう!」という叫びに熱狂する。つまり、理想のために身命を投げ打つということなのだけど、その熱狂は「死」そのものに傾いていく。この「死のう団」が羽織袴姿で「死のう! 死のう!」と叫びながら鎌倉八幡宮に行く途中、横浜で逮捕されてしまう。ここで自体は急変する。警察は「死のう団」をテロ集団と決めつけ拷問する。これには裏がある。「死のう団」は東京の組織だが、逮捕されたのは神奈川。警視庁では血盟団や5・15事件でめざましい成果を上げていたのに対し、神奈川県警は何の活躍もしていないで焦っていた。そこに「死のう団」が引っかかったてきたのである。「死のう団」が本当にテロ集団ならば、警視庁管轄の組織を、神奈川県警が一網打尽にすれば、警視庁の鼻をあかせるわけだ。だから神奈川県警としては、「死のう団」は是が非でも「テロ計画」の自供が欲しくて、激しい拷問が加えられたのである。とはいえ、神奈川県警特高の恐ろしさは、「死のう団事件」に限った話ではないようで、共産党員などからも神奈川県警の特高は「カナトク」などと呼ばれていたほどらしい。しかし特高も「死のう団」をテロ集団と認められる証拠を掴むことは出来なかった。釈放された「死のう団」ではあるが、社会的に抹殺されたも同然で活動はできなくなってしまう。信者達は去り、世間からは白い目で見られ、だがそれが残った者達にとっては狂信の糧となる。そして「死のう団」は警察を告訴する。この時点で「死のう団」は宗教団体ではなく「反権力団体」へと、その様相を変えていくのである。さて警察では拷問や虐待の事実が明るみに出るのを恐れて、「死のう団」に告訴取り消しの要望を出すが、「死のう団」は拒絶。その後も警察はあの手この手で告訴取り消しのお願いをしてくる。だが結局はものわかれに終わり、告訴状は検事局で闇に葬られてしまう。そして昭和12年2月17日。宮城前、警視庁、国会議事堂などで5人の男が切腹する。「死のう団事件」である。「死のう団」盟主、江川桜堂はこの計画には乗り気ではなかったが、瓦解する組織と死に逸る若い信者を止めることはできないと悟り、行動を許した。しかし本当に死ぬことは許さなかったのだ。だから5人はいずれも軽傷だった。しかし、このハラキリ・デモも何の効果もなく、「死のう団」は壊滅。盟主・桜堂も病没。事件は忘れ去られてしまう。時代は大東亜戦争の幕を上げようとしていた。「お国のために死のう!」と、日本人全員が「死のう団」となっていく……そんな時代のお話です。
Oct 1, 2005
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『がんばれ! ベアーズ<ニュー・シーズン>』を観ました。『悪魔のいけにえ』リメイクも『ゾンビ』リメイクも、別に悪くはないんだけど、いまいちピンとこないなぁ…と思ってた僕ですが、このリメイクには思わずにっこり。リメイクというか、まんまな気がしないでもないけど、別にいいじゃないか!オヤジ臭が画面から匂ってきそうなウォルター・マッソーも、可憐で小生意気なテイタム・オニールもいないけど、別にいいじゃないか! 子供なのに煙草ふかしてバイク乗りまわす不良少年が、やけに大人びてて笑いの要素がなくなってるけど、別にいいじゃないか! 『スクール・オブ・ロック』のリチャード・リンクレイター監督の最新作が、またまた子供映画っていうのだって、別にいいじゃないか! 最近こんなに観る者を幸せにする映画ってのもないと思いますよ。家に帰ってからビデオでオリジナル版まで観ちゃったし…。まあ最高ですよ。最高。
Sep 28, 2005
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仕事がお昼くらいに終ったので、映画を観ようと思って、ファッキン六本木ヒルズに行く。ムカムカするほど訳分からん構造。どこが入口なのかも分からないぞ! 腐れ森ビルめ! なんでわざわざ六本木ヒルズなんぞに映画を観に来たのかというと、『銀河ヒッチハイク・ガイド』やってるのって東京だと、ここか南大沢だけだからなのです…。まあシネコンって、それほど嫌いじゃないから別にいいんだけどね。さて『銀河ヒッチハイク・ガイド』なのですが最高でしたよ! 原作本も探してみよう。バイパスを作るから家の立ち退きを迫られてるダメっぽい主人公アーサーでしたが、突然、上空に宇宙船が登場。「宇宙バイパスを作るので地球を破壊します」といきなり宣言。映画開始10分くらいで地球は爆発。アーサーは友人のフォードという実は宇宙人のヒッチハイカーに救われて、二人だけの生き残りの一人になってしまう。色々あって、銀河系大統領の船に同乗。そこには大統領にナンパされたおかげで生き残ってたトリリアンという、アーサーの意中の人が偶然居合せていた。そして、この銀河系大統領はバカでアホでボンクラで冒険家なので、就任式の途中で船を奪って逃亡中。「生命、宇宙、そのすべて」という謎に750万年かけて「42」と答を出した宇宙最高のコンピューター「ディープ・ソート」に会いに行くために一行の旅のはじまりはじまり。写真のロボット、マーヴィンがかわいい。出てきてすぐ「ぼく落ち込んでるんだ」とか言って、全編ボヤきっぱなし。しかも、まるで役に立たない(笑) でもクライマックスは、この鬱型ロボット、マーヴィンの一発大逆転劇で終るのでした。主題歌「さよなら、魚をたくさんありがとう」は、滅び行く人類に向けて、地球で二番目に知能の高い生物であるイルカが歌う曲(ちなみに人類は三番目、一番目はネズミなんだけど、それがなぜかは映画を観てくださいね)。イルカは地球が滅ぶのを察知して空を飛んで地球から逃げちゃうのです(笑)。ともかくマーヴィンが最高です。もっと出番がいっぱいあれば良かったのにな。
Sep 27, 2005
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