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母が余命一か月で亡くなってから早くも3年10カ月が過ぎました。母亡き後の父はまるで生ける屍のようになり、母を失った悲しみの中で生活しておりましたが、その父も今年の一月、念願叶って冥土へと旅立ちました。17歳に出逢った時から私を常に支え、励まし続けてくれたアメリカのママも2年半前に亡くなりました。付け加えて、14年家族と共に暮らした犬も一昨年のクリスマス前に旅立ちました。身近な人たちが旅立つごとに私にとっての「死」は更に身近なものとなりました。「死」はあの世とこの世の間にある「ドア」に過ぎないと思いながらも、現実に訪れた「死」はそれまであった人生の色を確実に別の色へと導くものでした。人はそうやって「死」と向き合い「死」を受け入れていく。いや、「死」によってもたらされた新しい環境に慣れ親しんでいく。大事な人がいなくなる。大事な人ともう会えない。「死」が重なるにつれ、「死」は大事な人たちと自分を切り離す残酷な壁のように思えてきました。その壁があたかも存在しないものと思えるようになるには時間が必要です。父の安息を願いながらも父との今生の別れは辛いものでした。父が亡くなってから5カ月が過ぎても沈んだ気持ちが続き、どうしたものかと思いながらも時が過ぎるのを待つしかないとあきらめていた時、あることがきっかけでスコットランドの友人とマッターホルンに行こうと思い立ちました。人生の不思議は準備が整った瞬間に舞い降りてきます。これは私が今まで生きてきて体験してきた事実です。スイスには友人が二人いるのですが、その内の一人も昨年お父様が他界されたばかりで、私がスイスに行く話をすると一緒にユングフラウに行こうと誘ってくれました。登山は大好きですが、マッタ―ホルンもユングフラウも標高が高すぎるので登るのではなく周りのハイキング・コースでその雄大な姿を拝むに留め、とにかく元気になることが第一目標の旅でした。まだ6月ということや今年は大雪で天候も悪かったことなどがあり、最初は現地の人からはマッターホルンが見られるかどうかと言われていました。けれどゴルナーグラート展望台に着いてしばらく待つと周囲の雲がきれぎれに散り、マッターホルンの美しい姿を拝むことが出来たのです。その美しい姿は想像を絶するほどにやさしく穏やかで、涙が次々とこぼれ落ちるほどの感動がありました。「神」という存在が「聖なるもの」の象徴なのだとしたら、この目の前の山こそが神だと思いました。ユングフラウでは周囲の山を登りながら、澄み切った空気をたくさん吸い込んで、上流に流れる冷たい雪解け水をいただきました。山を登ったり滝や沢巡りをしたりとベルナ―オーバーランド地方を何日も歩き続けたのにもかかわらず疲れを感じることなく数日が流れ、そして気が付くと心身共にとても元気になっていたのです。アルプスの少女ハイジが山を離れてドイツの街で病気になった時も山に帰ると元気になりました。歩けなかった少女クララもスイスの山で暮らし、歩けるようになりました。これは山の自然が起こす奇跡なのだと思います。私も自分でも信じられないほど元気になりました。山々を巡る旅が終わった日、チューリッヒの花屋さんでエーデルワイスを見かけました。「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌としても有名なアルプスの花です。ネットや本で見たことはありましたが、想像していたよりも小さい花だったので驚きました。そして花が挿してあるビンを手にした私は、迷いもせずにレジに向かっていました。エーデルワイスの花言葉は「尊い思い出」、「勇気」、「忍耐」。その名はドイツ語のEdel(高貴な)Weiss(白)に由来し、学名のLeontopodium(レオントポディアム)はギリシャ語のleon(ライオン)にpodion(小足)。綿毛に覆われた花の姿がライオンの足を思わせるからだそうです。実際に花の周りや葉に綿毛が生えていて、全体的にフェルトのような柔らかさがあります。想像もし得なかったその可憐な姿に心惹かれながら花を愛でていたら、この小さな可憐な花がスイスやオーストリアの国花として選ばれた理由がわかるような気がしてきました。エーデルワイスはアルプスの山に咲く高山植物です。夜空の星がアルプスに落ちて花になったという言い伝えもあるそうです。星形で綿毛に覆われたふっくらとした花弁は寒さに耐えるための装具のようにも見えます。寒さ厳しい高い山の岩壁を好んで生息し、太陽が一番近い場所で凛と咲くエーデルワイスからは強く生きる志が伝わってくるように思いました。「生きる」ということの意味を追及していくと時に迷子になるような感覚に陥ります。「生きる」ことが厳しくなる時期、「生きる」ことが困難になる時期、「生きている」ことが実感できなくなる時期、そのような時期があるからこそ「生きる」ことの本当の意味を見つけていくことが出来るのかもしれません。「死」は確実に誰にも訪れます。だからこそ、自分の人生の終わりが自然にやってくるその時まで、生きる知恵を身に付け、人生を全うしようと思います。両親が亡くなり人生の色が変わったとしても、新たなページがめくられて明日が始まります。帰りの飛行機の中で、なぜか「カンフー・パンダ」を観てしまいました。そして亀の仙人があの世に旅立つ前に言ったセリフに感動しました。「昨日はヒストリー。明日はミステリー。そして今日は贈り物だよ。」スイスの美しい山々やエーデルワイスからもらった「これからを生きる力」はまさに贈り物であり、明日からまた始まるミステリーに挑む源になることは間違いありません。今、感謝の気持ちでいっぱいです。
2013.07.27
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「チャクラ-癒しへの道」クリスティン・ペイジ著より感銘を受けた部分をご紹介させていただきます。『人生のある局面を贈り物と受けとめる人もいれば、障害と感じる人もいます。各人に自由意志が備わっているからです。自由意志を選択権と言い換えてもかまいません。経験を受け入れるという選択や、経験がもたらすレッスンを学ぶという選択です。多くの人々にとって自由意志とは厄介なもので、失敗や間違いを恐れる心をもたらします。事実をいうなら、間違いなどこの世にありません。無駄になる経験は何一つとしてないのです。否定的に受けとられがちな出来事こそが、魂に学びの場を提供しているのであり、また、その道を二度と歩かないようにという授業でもある場合もあるのです。多くの人々が経験の途上で道に迷ってしまいます。大事なのは出来事の内容ではなく、すべての出来事が経験から導きだされる変化のための機会であることを見抜けないのです。魂は人生に何を求めているのでしょうか。● 自分を知ること● 自分への責任を果たすこと● 自分を表現すること● 自分を愛すること● 自分を評価すること● 自分に敬意を払うこと● 自分を意識すること全体性を回復した「自意識」とは、これらすべての側面を包含した調和的な存在で、そこにはスピリチュアルな存在としての人間を形成するさまざまな要素が統合されています。しかし私たちの多くは、表層的なパーソナリティが日常生活の大部分をコントロールし、影響力がパーソナリティから魂に移行すると、心に不調和が生じます。そのように感じるのは、心が二つの異なる波動を受けとってしまうからです。一つの波動は魂のレベルから、もう一つの波動はパーソナリティのレベルからやってきます。魂の波動とパーソナリティの波動とを単純に入れ替えることができるならば、その人の人生に混乱が生じることなく、移行できるでしょう。しかし、そのような変化に抵抗すると、まず心が不調和を感じとり、緊張・不満・怒り・憂うつなどの症状が出てきます。このようなメッセージが送られても、波動を変えるための行動を起こさなかった場合、不調和は身体に病気となってあらわれます。』この世で生を受け、死に向かうまで、私たちは人生の節目を何度も迎えます。変化はその都度やってきます。クリスティン・ペイジは「すべての出来事は、変化のための機会なのです。」と言っています。フィンドホーンを設立したアイリーン・キャディは「ひよこが卵の殻を破って出てきたとき、蝶がさなぎから脱皮して姿を現してきたとき、それはもう元に戻ることはできませんが、新しいものへの成長は続いていきます。…… いつも必ず何かが起きています。すべて起きるままに任せ、その展開を妨げることをせずに、ともに流れていきなさい。…… 内なるやすらぎがあるとき、あなたの心は開き、新しい展開に向かう準備ができているのです。」と言っています。人生を客観的に見て、何を目的として生きていくか、また、何を「幸せ」と設定するかは自分の意思によって選ばれます。自分を幸せにするのは自分なのです。どうやって生きていきたいかは結局自分が選んでいるのですから、不平や不満、持って行き場のない怒りや責任は、外に向けられるのではなく、自分に向けられるべきです。もし、「周りが変われば全てがうまくいく」と思う人がいたら、それは間違いであると早く気づいてください。すべては「自分」から始まります。自分をもっとよく知りましょう。自分をもっと大切に扱いましょう。自分の心の声にちゃんと耳を傾けましょう。人生に行き詰まり変化を余儀なくされる時、慣れ親しんだ人や場所との別れがある時もありますが、それが自分にとって必要だと感じた時、勇気を持って前に一歩、歩き出しましょう。留まって変化に抵抗し、自分に我慢を強いていると、心に不調和が生じ病気になってしまうかもしれません。人生の転機を上手に乗り切り、苦しみは新しい扉が開かれるために必要なものだと知っていれば、きっと良い方向への流れが出来ていくと信じます。
2011.11.03
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寺山心一翁さんの「フィンドホーンへのいざない」という本を読み、また友人に誘われてフィンドホーンに行く前に寺山さんのチェロを聞きに行く機会があり、その時にお話されていた寺山さんのお考えに対して深い感銘を抱いていましたので、先月から朝日カルチャーセンターで始まった寺山さんの「意識の超越理論」という講座に参加しております。先月の第一回目の講座にて、寺山さんが余命二ヶ月と宣告された癌を自然治癒されたお話をされました。それはご本人の意図する範疇でなく、癌が勝手に治ってしまったのです。食べ物を全く受け付けなくなってしまった寺山さんは水のみで日々を過ごされる中、毎朝の日の出を見て、セロの音色を聴いて、ご自愛なさっていただけだというのです。しかしその愛は、ご自身を蝕む癌に対しても向けられていました。癌を含めて、自分の体を愛したのです。結果、癌は綺麗さっぱり寺山さんの体から消えていきました。寺山さんのお話によると、体に食べ物が全く入らなくなると、体は不要なものを排出していくのだそうです。そして血液が綺麗になると自然治癒力が高まるのです。それが断食の効果です。健康になられた今でも定期的に断食をされていらっしゃるというお話を伺い、私も断食に興味を持ちました。私の両親は共に癌を患ったので、自分の中で抱えているのかもしれない癌の種に怯える自分を感じ、それはストレスとなって蓄積していきました。実際、母が亡くなった後より、ずっと慢性胃炎を患っています。私も自分の体を労わるために断食をしてみようと思い、断食が出来る場所をネットで探してみたところ、「やすらぎの里」というHPが目に留まりました。「あなたが忘れていた”やすらぎ”がここにあります。私がみなさんに感じて欲しいこと、それは”こころとからだのやすらぎ”です。私は”豊かさ=幸せ=やすらぎ”だと考えます。」という「やすらぎの里」の大沢先生のお言葉に惹かれ、早速予約をしました。温泉とマッサージが付いているのも魅力でした。日曜日の午後から土曜日の朝までの間、いろんな人との出逢いや自然の触れ合いを体験しました。断食コースで予約される方は通常3日の断食に回復食、普通食となるのですが、私は慢性胃炎があるため、面談の際、2日断食に回復食でゆっくり4日かけて普通食に戻しましょうとアドバイスされました。胃が悪い人は胃が空っぽの状態になると胃酸が溜まり、気持ち悪くなる人が多いとか。胃液を吐き始めて脱水症状が起こると大変だからということでした。断食中でもお茶や水は自由に飲めます。また、しょうが湯一袋を一日三回分に分けて飲めます。このしょうが湯が心の支えになります。また、10時と18時に酵素ジュースやお吸い物などをいただけます。リピーターが数多くいらっしゃり、いろんなアドバイスをいただきながら過ごしました。ヨガ、気孔体操、自然の中の散歩、マッサージ、温泉と、ゆっくりと過ごしながらも体がやすらげるためのメニューが満載でした。断食をしている方々との交流で空腹を紛らわし、楽しい会話もはずみました。3日目の朝は低血糖でフラフラになり、回復食を食べていなかったら倒れていたかもしれません。2日断食にして正解だったということです。断食を体験して思ったことは、食を断って体をゼロにリセットした時、本当の意味で自分の体の声に耳を傾けるようになったような気がします。今まで溜めこんでいた脂肪を体が燃やし始め、使われていなかった錆びれた体のパーツが目を覚ましたような感覚、断食反応で出てくる「ここの血流が滞っているよ」という体からのサインのような痛みの感覚、胃に何もないのに胃がもたれているような感覚… ああ、もしかしたら私はずい分胃に負担をかけてきたんだなぁと、改めて胃を気遣い、胃を大事にしなければ、と思いました。私は冷え性で、運動して汗をかいても内蔵は冷たかったのですが、夜寝る時にお腹を触ってみたら内臓が温かくなっていて、内蔵脂肪が燃えていることを実感しました。お腹が空いていなくても口が寂しくて食べる習慣が身についていたため、溜め込んでいた脂肪を燃やす機会がなかったのです。今までいかに何も考えず食べていたかということにも気がつきました。体に「ごめんね。」と素直に謝りました。体のすべての器官は私が生きるために動いてくれていることを実感し、当たり前のように思っていた体のサイクルを心からいとおしいと思えるようになりました。毎朝4:40、ウグイスの第一声の「ホー、ホケキョ」で目覚めます。寺山さんから教わったのですが、夜明け前の日の出が上がる直前に木々が酸素を放出し始めます。その酸素で鳥が目覚めるのです。ウグイスの声は「もうすぐ日の出だよ。」という合図でした。21時半の夜のヨガで体が眠りへとやさしく導かれ、22時消灯後はぐっすり眠っていたということもありますが、この4:40のウグイスの声で目覚める朝が何とも心地よいのです。そして、素晴らしい日の出が見られることの喜びは言葉では言い尽くせません。屋上の露天風呂まで上がり、海岸のほうを見ると日の出が見られます。卵の黄味のような赤っぽい橙色のまあるい太陽が、キラキラとした光と共に水平線に現れるのです。辺りは木々が放出する酸素で溢れ、ウグイスや他の鳥たちが合唱を繰り返し、空は薄水色に変わります。こんな光景が毎朝、何億万年も昔から繰り返されてきているのだと思うと、朝が来て夜が訪れることが当たり前のように長年生きてきて、今、初めて自分はこの美しい自然のサイクルの中で生活していたのだと実感し、地球の住民であること、自分がこの自然の一部であることに感謝し、心の奥底から湧き上がる温かい気持ちで体中が満たされていきました。涙が溢れてきて、「ありがとう。」の言葉しか出てきませんでした。最終日の朝は日の出が見られる海岸まで行き、最後の日の出を断食の仲間と海風と共に楽しみました。断食をきっかけに体も心も新たにリセットされたように思います。自分の体と心だからこそ、自分がきちんと愛を持ってケアしていこうと思います。「やすらぎの里」のHPです。http://www.y-sato.com/983.html
2011.05.03
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この度「フィンドホーンの魔法」を体験して帰国いたしました。ロンドンから成田への直行便がキャンセルになり、ソウル経由で2時間も早いフライトになりました。私が日本を飛び立った翌日に震災があったことや、2週間の留守の間に日本の人々が体験された恐怖やその後続く混乱を思うと、私の体験をここでお話することは適切ではないかもしれませんが、フィンドホーンのエッセンスを少しだけ皆さんと分かち合いたいと思います。日本が大変な状況になり、フィンドホーンやイギリスの各地から、沢山の人々が日本に向けて祈りと愛を送り続けていたことも、この機会にご報告させていただきます。グラストンベリーで滞在したB&Bの人は、まるで自分のことのように震災に遭われた方々のことを思い、涙されていました。フィンドホーン財団はスコットランドの北東部の端にあり、太陽の光があまり届かない荒地を開墾した場所です。海辺に近く、そのような砂地では出来るはずのないような巨大なキャベツやカボチャが採れて評判になりました。自然との共鳴、共存、そして人々の意識が奇跡が起こしたと言われました。(フィンドホーンの歴史についてはこちらのサイトへ)→http://www.findhorn.org/japanese/history/私はフィンドホーンの体験週間に参加しました。スイスから一人、フランスから一人、アイルランドから二人、スペインから一人、イングランドから一人、アメリカから一人、オランダから一人、日本からは私を含めて三人にフォーカライザー(グループの世話人)が二人の合計13人のグループで一週間を過ごしました。日本人が三人もいたことは驚きでした。一人はイギリス在住の女性、もう一人は大学一年生のお嬢さんでした。三人とも同じ部屋で一週間過ごし、まるで昔から一緒に住んでいる家族のように親しくなりました。平日の午前中は Work is Love in Action (仕事は愛の行動)という活動時間で、11人それぞれが役割分担して仕事をします。私は畑仕事を担当しました。馬糞を片付けたり、畑を耕したり、土の中の古い根っこを取り除いたり、キッチンから出た生ゴミを集めて馬糞や砂や木を砂状にした材料と混ぜて肥やしを作ったりしました。3月のスコットランドはまだ寒く、時折ポツポツと雨が降ってきて、寒さに震えながらの作業はとても楽しいものとは言えないのですが、不思議なことに自然の中で体を動かしているだけで気持ちよくなるのです。休み時間に温かいハーブティ-を飲みながら周囲の人と談笑する時間は楽しい思い出となりました。愛を持って仕事をすることがどういう意味を持つのか、それはただ仕事という決まりごとを淡々とこなすのではなく、楽しみながら、心をこめてやることです。生ゴミを集めた後、リヤカーに生ゴミを出して大きなシャベルで細かく刻むのですが、談笑しながら楽しく刻むとそれは仕事ではなく、まるで子どもの頃の遊びごとのような陽気な気分になりました。土の中の古い根っこを取り除いていくと大きなミミズが出てきます。「あら、ミミズさん、失礼。こちらのふかふかな土の上でおくつろぎくださいね。」とミミズを移動させます。ケイナという名前の猫が近くに来て「遊ぼうよ。」と寝転んだり、体をくっつけてきたり… 微笑ましい時間でした。その他の時間は夜の9時半まで毎日、瞑想やダンスやゲーム、自然散策、フィンドホーン財団のゲストのスピーチなどがありました。グループの皆といる時間が増えるごとに私たちの心は通い合い、またダンスやゲームで楽しい時間を分かち合うごとに皆が仲良くなっていきました。フィンドホーンに滞在して感じたこと、それは人々がいかに繋がっているかということです。国籍や言語、環境や顔立ち、年齢がどんなに違っていても、通い合う心は同じということです。グループの最年少は19歳で最年長は70歳でした。私たちはお互いの個性を尊重し合いながら、助け合い、喜び合い、確実な?がりを築いていきました。あまりのスピードで、あまりにも濃い絆が作り上げられていきましたが、追いつけないほどのスピードだったわけではありません。一週間という時間がまるで一年もしくはそれ以上の時間の流れに感じたのは私だけではありませんでした。世界の各地から集まった人々が、同じ時に同じ場所でお互いの心を通わせることで、こんなにも絆が深まるとは思いもしませんでした。友人というより「きょうだい」になった感覚さえありました。そして、絆が深まると心の扉は簡単に開きました。心が開かれると『奇跡』が起こります。癒しのエネルギーが満ち溢れ、辛かったことや悲しかったこと、心の奥に潜んでいた思いが癒され、心から飛び出していく感覚さえ感じました。フィンドホーン・コミュニティの方々の意識は高く、そんなエネルギーが集まった場所だからこそ、『奇跡』は既に『奇跡』ではなく、日常の出来事になるということも知りました。いかに意識を高く保つか。それがフィンドホーンという場所だから出来るのか。私は考えました。フィンドホーンは元々荒地でした。しかもスコットランドは寒く、雨もよく降ります。そんな場所で巨大な野菜が収穫されたことは『奇跡』なのでしょうか。フィンドホーンから帰宅した今、『奇跡』は私たちが心から望めば、実現可能なのだとわかりました。人々が団結し、心の絆を深め、そして自然と調和すれば、『奇跡』は起こるのです。私たち一人ひとりがその『奇跡』の種を持っているのです。震災が起こり、まだ不安定な状態が続く日本で、「自分たちの力を信じていこう」というCMが連日流れています。皆が心を通わせて信じる力を強めれば不可能は存在しない、奇跡は当たり前に起こる、と私は思います。ひとつだけ忘れてはならないのは、自然と調和するということです。人間も自然の一部であり、すべての命は母なる地球と繋がっているのです。自然と共存する環境とはどのようなものであるべきか、考えていきたいと思います。
2011.03.31
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今「人生がときめく片づけの魔法」という本を読んでいます。そして、目からウロコ状態で片づけを開始しました。すると何年も手放せなかった洋服や本をいとも簡単に手放すことができました。一度も着るチャンスが訪れなかった高価な服も、「ときめかない」という基準で手放しました。不要な洋服を捨てられなかったのは「いつか着る時が来るかもしれない。」と思い込んでいることや、洋服に思い出があったという理由からで、本についても思い出があると感情が付いているのか、捨てられませんでした。面白かった本、自分のためになった本、好きなジャンルの本についても同様です。ところが…この本の筆者の近藤麻理恵さんは、洋服は家じゅうの収納から全部出して床に並べ、ひとつずつ触ってときめくかどうかで残す基準を決めます。本も本棚からすべて出し、ひとつずつ触ります。収納に収まって長らく動かされていない状態のモノは、じつは寝ていて、気配が消えている、と筆者は指摘します。書類は全捨てが基本で、アクセサリーや小物、生活用具から思い出の品に至るまで、この本のアドバイスに沿ってモノを捨てていくと、本当に自分に必要なものが何なのか、ちゃんと見えてくるのです。筆者は「感情を信じて行動すると、すべてがうまくいく」、「モノを触ったときのときめきで判断してください」とアドバイスします。筆者は神社で5年間ほど巫女として働いた体験がある女性で、「お部屋を神社のような空間にし、自分が住む家を清らかな空気の漂うパワースポットにすること」が裏テーマだという部分を読んだ時、それが可能であれば、どんなにすばらしい空間になるか、考えただけでワクワクして、私の胸もときめきました。また、筆者はモノを大事に扱い、感謝する心の大切さについても触れています。不要になったモノを捨てる際も「ありがとう」という気持ちを忘れません。要らないモノを捨てることによって、残したモノとていねいに向き合うこともできるのです。そして要らないモノを買わない自分になります。自分に必要なものとそうでないものがよくわかるからです。ときめくモノだけの中で生活することで、人生はますますときめいていくのです。捨てられないモノ、またときめかないモノの中で「なんとなく」生活している空間と、ときめくモノにだけに囲まれて生活する空間は別物になります。今の自分、これからの自分と向き合い、自分が何を欲して生きているのかも明確にわかります。この本はあなたを「ときめく人生」に導くための参考書のようなものです。是非、読んでみてください。
2011.02.25
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昨年12月6日、アメリカのハイスクール時代にお世話になったホームステイ先のママが亡くなりました。72歳でした。私は一昨年母を亡くし、その一年後にアメリカのママまで逝ってしまいました。ママはとても愛情深い女性で、私を本当の娘のように可愛がってくれました。ママは歯科医の夫のマネジメント(主に事務や経営に携わっていた)をしていた他に、ダンスやヘブライ語を教えていて、私はよくママがダンスを教えている劇場に連れて行かれました。日曜日に行くユダヤ教の協会では皆へブライ語の歌を唄っていました。ヘブライ語が得意なママが大きな声で私に笑いかけながら唄っていたことを思い出します。ママは宗教を私に押し付けることはせず、ユダヤ教徒の断食の日であっても私にはサンドイッチを作ってくれました。週末はベッドルームがある豪華なボートで過ごすのですが、大西洋から吹いてくる風がボートのデッキに付いている鐘をやさしく揺さぶり、静かな波の揺れと鐘の音が子守唄代わりになっていました。ママはボートに来ても海には出ず、デッキの長いすに座り本を読んでいました。ボートから離れて周囲を散歩すると大きなマグノリアの木が涼しい影を作っている美しい場所がありました。マグノリアの花が咲いた時にはその大きさと強い香りに驚きました。ママはいつも私の隣で、木や花の説明をしてくれていました。家で夕飯を食べた後は必ずママと食器の片付けをしていたのですが、ある時ママが私に一冊の本を渡して、「これからあなたは食器洗いのお手伝いはしなくていいから、私が食器を片付けている間、この本を読みなさい。」と言いました。ナンシー・ドリューの推理小説でした。ママは私に本を読ませ、発音チェックをしてくれたのです。わからない単語に当たると、その単語の意味を説明してくれ、発声が不確かな単語に当たると正確な発音を練習させられました。ハイスクールを卒業するための科目としてアメリカ歴史は必須だったのですが、その歴史の先生のアクセントにひどい訛りがあったため、授業を理解するのが大変でした。そんなことをママには話さなかったのに、ママは冬休みの旅行は私がアメリカ歴史が苦手だからワシントンDCに行ってアメリカの歴史を見せてあげたいと言い出しました。ついでに従兄弟が住んでいるニューヨークにも足を伸ばそうということになりました。12月のニューヨークはとても寒く、私たちが滞在している間は大雪でした。ママは小さい子どものように雪と戯れ、大はしゃぎしていました。私は忘れません。ママの笑い声、ママの話し方、チャーミングな仕草、私を包み込んでくれるような愛情…私は自分の母とはこんなに素直な愛情表現が出来ませんでした。ママはいつも私におやすみのキスをする時に「大好きよ、私の可愛い子。」と言いました。私が40度の高熱を出して寝込んだ時、夜中何度も私の部屋に来て、額の冷たいタオルを取り替えてくれました。私が落ち込んでいる時は傍に来て、肩を抱き、「大丈夫だから、心配しないで。私が何とかする。」と言ってくれました。私が失敗して自分を責めていると、「あなたは悪くない。」と本人の私よりも私の味方をしてくれました。アメリカのケーキは甘すぎて食べられない私に手作りの誕生日ケーキを作ってくれて「あなたの好み通りに甘さ半分よ。」とウインクしました。アメリカのアイスティーも甘すぎて飲めないと言う私のために、私専用の甘くないアイスティをいつも作って冷蔵庫に置いてくれていました。そして、どんなに長い年月が流れようと、ママと私は連絡し合い、再会を楽しみにしていました。なかなか会いに行けない私をママはずっと待ってくれていました。私は大事な人をもう一人失ってしまいました。悲しくてどうしようもありませんでした。『セ・ラ・ヴィ(それが人生よ)』とフランス語が得意なママが耳元で囁いているように思います。『悲しいこと、辛いこと、沢山あるのが人生よ。でも、それと同じくらいの楽しいこと、嬉しいこともあるのが人生よ。楽しみなさい、あなたの人生を。立ち止まらずに、また歩き出しなさい、あなたの人生はあなたしか生きられないのよ。』そんなママの声が聴こえてきます。ママは幸せな人生を生きたのだと思います。幸せな人生とは、当たり前にある悲しみと喜びを受け入れ、人生の意味を理解し、次に進むことなのかもしれません。私の母の人生、アメリカのママの人生は幸せな人生だったと思います。二人共、とても深い愛情を周囲に与えました。愛情深い二人の母に出逢わせてもらったことに感謝せずにいられません。二人からもらった永遠に枯れることのない愛情は、私の心に生き続けます。ママ、ありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。心から冥福を祈ります。
2011.01.26
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皆さん、山と海だとどちらがお好きですか?私は20代まで山よりも海のほうが好きでした。カリフォルニアにいた頃、サンディエゴからロサンジェルスに向かう途中にデルモアという美しい浜辺があり、よく散歩しました。冬になるとアザラシが迷い込んできてしまうようなところで、夏でも水が冷たいため海水浴には向かず、サーファーは見かけましたが人混みのない静かな浜辺でした。デルモアには大学で同じクラスを受講していた友人が住んでいたので、よく遊びに行きました。ホームシックにかかった時などは、一人で浜辺の端から端まで歩き続け、この海の向こうに日本があると思って自分を慰めました。夕陽を映した浜辺は七色に輝いて、それは言葉で言い表せないほどの幻想的な世界をつくりあげ、時々立ち止まり見入ってしまうのですが、日没は必ずやって来て、「今日はここまで」と時間切れになり、仕方なく帰る支度を始めたものです。北海道の黒岳を登ったのは12年前でした。北海道の夏は、長い冬の間雪の中で眠っていた自然が一気に溢れ出るせいか、その荘厳な有様に圧倒されてしまいます。登山途中から見下ろす大雪山の風景は夏色の緑で覆われ、それは本当に息を呑むほどの美しさで、その景色が「カムイ・ミンタラ(アイヌ語で神々が遊ぶ庭)」と称される理由を納得しながら登りました。それ以降、私はすっかり山の虜になりました。今年の夏は木曾駒ケ岳と甲斐駒ケ岳と二つの駒ケ岳に行きました。(写真は甲斐駒ケ岳)登山は、頂上に向かってただひたすら登る作業です。足が痛くなっても、疲れても、ただひたすら一歩一歩登るのです。登山は人生を生きることと、とてもよく似ていると思うのです。天候が崩れたら非難して休む。寒ければ寒いなりに、暑ければ暑いなりに対策を練る。足が痛くなったら休む場所を見つけて時間を計りながら休む。そして休んだら、また登るのです。途中、すれ違う人々の言葉に励まされたり、頂上までどのくらいか教えてもらったり… 皆さん笑顔で「こんにちは」と挨拶するのが山のルールです。そんな時、人は一人で生きていないのだなと実感します。そして何よりも、頂上に辿り着いた時の達成感。何とも言えない思いが込み上げてきます。きっとそれは頂上まで辿り着いた人にしか判り得ない気持ちなのだと思います。それが自分の求めたものなのかどうかは、その時にしかわかりません。答えは手にして初めて理解されるのだと思います。大抵、頂上に着いたら感無量になり、自分が何を求めて登っていたのかさえもどうでもよくなります。壮大な景色の前では自分の悩みなどちっぽけな問題に過ぎない。わからないもの、答えの出ないものはそのままでいいと思うからです。自分という小さな存在が大きな地球に守られ生きている、それだけでいいのだと、頂上に吹く風に地球の息吹を感じ、雄大な空の真下で太陽の光に包まれ、ただ生かされている命の有難さに感謝したくなるのです。だから、私は山がとても好きです。人生は迷って当たり前、休んで当たり前、疲れて当たり前、でも前を向いて歩き出せば必ず天辺まで辿り着きます。山はそんな当たり前のことを教えてくれる場所です。甲斐駒ケ岳を登っていた時、登山ブームにのって初めて登山に来た若いカップルとすれ違いました。テントが入っているかのような大きな荷物を背負っていました。長く休憩した後のようで、また歩き出さなければならない時間が来たこと、荷物を背負わなければならないことに文句タラタラでした。「あ~あ、何にも悪いことをしたわけでもないのに、こんなに重い荷物を背負ってまた歩かなければならないなんて、嫌になっちゃう。ふー。」と言いながら、重たい腰を上げたところでした。言霊とは不思議なもので、「嫌だ」と言えば、自分を取り囲う空気さえも「嫌」な状態になっていくように感じます。でも「平気」とか、「頑張ろう」と言えば、周りの気が味方して、気持ちも前向きになります。「登ろう」と決めたのは自分。疲れて辛くなることも予想していたはずです。尾瀬ではアルバイトの若者が缶ジュースをたくさん積んだ大きな荷物を背負って、ただ黙々と歩いていました。文句一つ言わずに。山はいろんなことを教えてくれます。それは自分の人生をどう生きていくか、どう生きていきたいか、そしてそんな自分を自分はどう受け止めるか。自分を信じ、自分を受け入れ、自分を労わり、励まし、そして人と交わる場所が山だと思います。
2010.08.31
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今年の夏、占星術ではカーディナル・クライマックスという時期に突入しています。カーディナルとは「活動宮」のことで、牡羊座、蟹座、天秤座、山羊座の4つの星座はカーディナルサインと呼ばれる活動宮の星座です。それらの星座に大きな影響を及ぼす惑星(木星、太陽、土星、冥王星)がそれぞれ入り、とても緊張感のある配置をとるとのこと。前回のカーディナル・クライマックスは1930年頃、世界的な大恐慌が起こったり、通貨や政治などにも大きな変化が起こったそうです。活動宮の星座に関係ある人たちに影響があるそうなのですが、私は山羊座で、また星座の図表を見てみると蟹座とも関係があるので、影響を免れないようです。以前に天中殺についてコメントしたブログを書きました。その時に体験したいくつもの「まさか」についてもコメントしましたが、カーディナル・クライマックスと重なるこの時期に、またもや想定外の「まさか」はやってきました。最近、4本目の「親知らず」を抜きました。上2本の「親知らず」は10年以上も前に抜き、左下の3本目は3年ほど前に抜きましたが、どれも痛みは3日経てば治まり、4本目の「親知らず」も同じような感覚で、軽い気持ちで抜いてもらうことにしました。ところが…!このラストの「親知らず」は二手に分かれた根っこが骨にしがみつくように生えていて、先生が歯を引っ張るとアゴが外れそうになるほどに上に持っていかれるので、アゴを両手で押さえて我慢していたところ、「真ん中を切断して、二手に分けて抜きましょう。」と先生が提案され、「親知らず」は二つに分断されました。私は長年、自分の体の一部分であったその「親知らず」を上手に手放すために、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と心の中で言い続けていました。時間はそれなりにかかりましたが、無事に抜けてくれ、ホッと一安心。が、痛みは3日経っても治まらず、一週間経っても痛いままで…診察していただいたらドライソケット(治癒不全)になりかけているとかで、痛み止めをずっと飲み続けることになりました(涙)痛み止めを飲んで就寝するのですが、痛み止めが切れて目覚めると激痛状態で、痛み止めが効き始める1時間ほど、何も出来ない朝が10日も続きました。痛みと共に過ごす時間は本当に辛く、自分の体なのに自分の体でないような、情けなさと苦しさと不甲斐なさで、ネガティブな気分に悩まされました。痛みが続くと人間は、こうも簡単に何もできなくなってしまうのかと、大げさかもしれませんが、本当に落ち込みました。痛みが治まる期間を最初は3日を目安にしていましたが、次は1週間を目安に、そして最後は10日を目安にと、痛みと戦う日が長引くほど疲れも増し、痛みが治まるのをただ待っているだけの日々は辛いものでした。最初、私は抜歯の痛みは3日程度で治まるものと、過去の体験から勝手に思い込んでいました。それが治まらないため、不安を抱えることになりました。「化膿しているのではないだろうか?」「ドライソケットになったらどうしよう?」不安は痛みを増長させるだけでした。パソコンで「親不知、抜歯、ドライソケット」と入力し、何度も検索しました。知識が理解につながれば、安心できると思ったのです。けれど、知れば知るほど、そして症状が当てはまれば当てはまるほど、不安は増すばかりでした。痛みが一週間過ぎた頃、とりあえず10日待ってみようと思いました。10日過ぎてまだ痛かったら、また歯医者に行けばいいだけのことです。そして、10日が過ぎてやっと痛みが引いてきました。こんなに散々な痛みに苦しんだ後は、これもカーディナル・クライマックスの影響かと裏付けることができます。けれど天中殺やカーディナル・クライマックスなどの時期的に困難が想定される時期であっても、「長い人生、そんな時期もあるさ」程度にとらえ、過剰に考え過ぎないこと、固定観念に縛られないことが大事だと学んだように思います。考えていく上で妄想してしまうと怖れを作り上げることになるからです。どうしても避けられないことは、世の中のいろんな場面で遭遇します。そんな時は、体験することで学べるという利点のみに意識を集中すれば、もっと気楽に生きていくことができます。また、自分の「気」をコントロールしていくことができれば、病気(気を病む)になることもなく元気(元の気)を保つことができます。気落ちすれば「気」が落ちてしまうので、気休め(気を休める)になることに意識を集中させて、少しでもネガティブな方向に「考えすぎない」ことです。結局のところ、出来ることは限られているのですから、「あるがまま」を受け入れ、少しでも安らぐための時間を意識的に作り上げていく努力をする、それが一番効果的だと思いました。今回の体験から、「手放す」とは、自分を自由にするということなのだと思いました。拘りやわだかまりを捨て、怖れや不安から自己を解放するのです。人に対しても、自分が作り上げた固定観念を手放すことによって、新たな人間関係が生まれるかもしれません。「~にちがいない」を「~かもしれないし、~じゃないかもしれない」に変えていくことで違いが見えてくるのかもしれません。自分の考えに固執しすぎないことが何よりも大事です。少し、自分と距離を置いて、自分を客観的に見られるようになれば、状況がよく見えるようになるでしょう。そして気がつくはずです。自分を縛り付けているのは、誰でもない、自分自身だということに。
2010.08.01
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先々週、父がまた入院しました。父は癌だけでなく、高血圧と不整脈などの病気があり、血圧が200を超えてしまうほど高い日があったため、新薬を服用しながら血圧を下げていました。ところが、血圧だけでなく脈までが低くなり、めまいで悩むようになりました。入院した頃は心拍数が38しかなく、寝ている間は31まで落ち、朝ちゃんと目覚めてくれるのかとても心配しておりました。担当医師の勧めで、ペースメーカーを入れることになり、この度おかげさまで無事に手術が終わり、快復を待つのみとなりました。父の人生を考える時、そろそろ幕締めの準備に入ってもおかしくない年齢です。50年間の連れ合いだった母にまで先立たれ、子どもや孫に囲まれて暮らしてはいても、これ以上生き延びる欲もなし、後悔もなし、と言っております。ペースメーカーを装着し、あとどれだけの時間が父に残されているのかはわかりませんが、父との最期を穏やかに過ごしたいと、お父さん子である娘は願うのみです。私はファザコンと言われてもおかしくないほど、お父さん子でした。「尊敬する人は誰ですか?」の問いには、何の迷いもなく常に「父」と書いていました。それは、とても幸せなことなのだと気づいたのは大人になってからでした。父は典型的な「日本のお父さん」で、口数少なく、怒ると物凄く恐く、話をする時でさえ自分が何を伝えるのか整理してからでないと話せないほどでした。けれど、穏やかな空気が流れている時の父は、常にやさしく、正直で、真っ直ぐな人でした。幼い頃、私がよく覚えているのは、コタツに座る父の膝の上でみかんを食べていたことです。コタツから出てみかんを取りに行くのが寒いのですが、食べ終わると新しいみかんをまだ小さい私が取りに行きます。小さな手にみかんを3,4個抱きかかえながら、父の膝の上に戻ると、とても温かい… ホッとしながら、父とみかんを食べていた思い出があります。就寝前、「たぬきのごんべいさん」という話をしてくれたこともなつかしい記憶です。父が一緒に就寝できる夜は、疲れていたせいかお話が最後まで続いたことはなく、話が途切れて、私や妹や弟が「それから?」と聞くとイビキの音しか聞こえてこない… 結局、いつも最後までお話を聞いた記憶がありません。遊んでもらった記憶は全くありませんが、そんなことはなくて当然で、私にとって父は世界で一番強い人であり、また頼りになる人でした。父の前で子どもたちはいつも行儀よくしていたので、父に怒られた記憶は1、2度程度でしょうか。とても怖かったので、よく覚えています。年月が流れて、父は変わりました。娘の私も歳を重ね、父や母の思いを理解できるようになりました。今、杖なしでは歩くことさえ出来なくなった父は、まるで幼子に戻ったようです。私の父への愛と尊敬の念は変わることなく、けれど、まるで幼子に接するように父と接しています。父は呆けてはいないので、話は理解してくれます。ただ、耳が遠いので、会話はちょっと苦労しますが…父がいて、母と出逢って、私が生まれて、父と母の積み上げた歴史の中で、私の生い立ちが育まれていったのだという、ごく当たり前のことを最近よく考えます。「魂は両親を選んで生まれる」と、24歳の時にある人から教えてもらいました。その時までは、「産んでほしいと頼んだわけではない」と思うところがありました。私が両親を選んで生まれてきたのだとしたら、彼等から学ぶことが私の魂の成長に必要だったからなのでしょう。それが何だったのか、今は理解して生きていると思っています。母の人生を振り返り、人の一生は本当にあっという間に過ぎ去っていくものだと感じています。生きている最中は長く感じますが。父の人生の最期に父を支えることは、私自身の心を支えることでもあります。「千の風になって」の歌のように、魂は自由に空を駆け巡ったり、時に近くで見守っていることを何かのかたちで教えてくれたりしているのだと思います。父の時間が全うされる時には、きっと母が笑顔で迎えに来るでしょう。それまでの間、父との時間を大切に、私の感謝の気持ちを伝えていきます。
2010.04.18
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2010年3月15日、西荻窪のガブリエルは最後の日を迎えました。ガブリエルを始めて3年目の3月です。実は15日は亡き母の誕生日です。母が生きていたら74歳になっておりました。2007年2月12日に開店してからの3年間、ガブリエルは本当にたくさんのお客様に愛されてきました。私自身、お客様とお話しながら学ぶことも多く、やさしいクリスタルの音楽が流れる空間で、たくさんの石たちに囲まれ、アロマの香りに癒され、幸せな3年間を過ごすことができました。一時閉店を惜しんでくださるお客様たちから、たくさんの激励のお言葉と贈り物をいただきました。添付の写真はその贈り物のひとつの桜の木です。大切に育てていきます。その他にも手作りの髪留めや、手作りの小冊子、手作りのケーキにチョコレート、手作りの石鹸、手作りの作品、お料理、お庭に咲いていた沈丁花や花束、フラワーアレンジメントなど、本当にたくさんの贈り物をいただきました。皆さん、本当にありがとうございました。皆さんからいただいた愛情こもったお言葉や心温まる贈り物を大事に、次のガブリエルにつなげていきます。私がお店を始めた頃は、ガブリエルが皆さんにこんなに愛していただけるお店になることなど想像もしていませんでした。実際、商品を売っているお店なのに、お土産やプレゼントをいただくほうが多いことに、本当に驚きました。セッションを通して、皆さんの悩みや課題に対して何らかのお手伝いができること、そしてセッション後に皆さんの笑顔が見られること、それが私の喜びでした。皆さんの心の痛みや悲しみに触れるたび、その痛みを和らげることを望みながら、皆さんと接してまいりました。そうすることで、私もたくさんの学びを受け取っていました。過去の執着や悲しみを手放すことがどんなに大事か、真のやさしさとは何か、自分自身を受け入れ、許し、愛することとはどういうことなのか…皆さんは『幸せ』って何だと思いますか?幸せの在り方は人によってそれぞれ異なり、その人の生き方、環境にも大きく左右します。けれど共通していることは「心が温かくなること」だと思います。ふとした瞬間に『幸せ』は訪れます。そして、その瞬間、私たちはとてもやさしい気持ちになります。お年寄りに席を譲る青年を電車で見かける時。赤ちゃんをあやしていて、屈託のない笑顔を向けてくれる時。友だちと話を共有しあう時。誰かがお茶を入れてくれた時。ふと空を見上げ、きれいな青空が広がっている時。『幸せ』は、私たちのあちらこちらにあるのです。だから、「幸せになりたい」というのではなく、「幸せを見つける」自分になっていけるような人生を送りたいと思います。私は皆さんから、本当にたくさんの『幸せ』をいただきました。今後は、表参道の友人のサロンでワークショップやセッションをしながら、父の最期の時間を父と共に過ごしながら、父に『幸せ』をたくさん見つけてほしいと思います。そして、最期の瞬間まで「生きていてよかった」と思ってもらいたい、それが今の私の願いです。皆さん、3年間、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
2010.03.16
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皆様にご愛顧いただきましたおかげで、今月12日にガブリエルは3周年を迎えます。3年間ガブリエルを続けることができましたのも、皆様のご支援があったおかげだと心よりお礼申し上げます。3周年を迎えることができたガブリエルですが、3月15日を持って、一時閉店することをお知らせいたします。ガブリエルにてセッションをされたお客様には既にハガキやメールでお知らせいたしましたが、突然の報告で誠に勝手で申し訳ございません。皆様にはご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。私の父は長い闘病生活を送っており、その父を介護していた母が昨年10月に亡くなりました。その父と、父が迎える最期の時まで、出来るだけ傍にいたいと願う私の我侭をどうぞお許しください。3月15日以降の営業については、ホームページにてお知らせいたします。セッションやワークショップなどは、別の場所にてご予約を承ります。また、ホームページにお買い物のコーナーを設ける予定です。ブログは以前より頻繁にアップできると思います。2月中は、3周年の記念セールを開催しております。毎年恒例の空クジなしのくじ引きには、入浴剤やアロマの香水やバスソルトなどの他に¥10,000円分のお買い物券が4枚、¥1,000円券が12枚分含まれています。お近くにお出かけの際は、是非お立ち寄りください!※完全予約制にて営業しておりますので、お越しの際は、お電話をしていただけると有り難く存じます。(2月のセール期間中、定休日以外は開店するつもりでおりますが、病気の父が入退院を繰り返しているため、スケジュールを立てることが困難な状況です。申し訳ございません。)メールで既にお知らせした皆様には重複いたしますが、ブログでも、やなせたかしさんの『絶望のとなり』という詩をご紹介いたします。絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた絶望はとなりのひとに聞いたあなたはいったい誰ですかとなりのひとは ほほえんだ私の名前は希望ですこの詩を読んで、心が温まりました。『絶望』の隣には『希望』が在るのです。かつてネイティブ・アメリカンの長が言っていた言葉を思い出しました。「生と死はひとつ。」「喜びと悲しみはひとつ。」「始まりと終わりはひとつ。」「唯一、不変なもの。それは変化。」「人は変化を受け入れる時に、体験し、学ぶ。」変化を怖れずに、時の流れに沿って、過ぎ行く時間を大事に過ごしていこうと思います。
2010.02.02
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今月の2日、母が旅立ちました。すい臓癌でした。母は厳しい人でした。小さい頃の母との思い出も、どちらかというと、おこられることのほうが多かったように思います。私は長女なので、いつも母から「お姉ちゃんは妹や弟のお手本になるのだから、しっかりして。」と言われながら育ちました。きょうだい喧嘩をしても、一番先におこられたのは私でした。「お姉ちゃんが我慢できなくて、どうするの?」私は、心の中で、いつも独り叫んでいました。『私は「お姉ちゃん」に生まれてきたくなかった!!』私は、母に嘘がつけない子どもでした。母に嘘をついていると、体の中にモヤモヤしているものをしまっているような感じで、それがとても気持ち悪く、どんなにおこられてもいいから、その気持ち悪いものをとってほしいため、母に正直に何でも告白していました。思春期を迎え、隠し事がひとつ、またひとつ増えるたびに、そのモヤモヤが体のどこかで固形化していったように思います。「お母さん」という存在は、すごく身近で、でも遠い人で、そして亡くなってもずっと、とても大事な存在なのだと、今、感じています。瞼を閉じると、嬉しそうに微笑む母の顔が思い出されます。それが私の覚えていたい母の顔なのかもしれません。思春期からずうっと話さなかった秘密も、今の母にはすべてお見通しだから、何の気兼ねや心配も要らないのですね。母が危篤という知らせが入り、電車に飛び乗った時、たまたま同じ電車に乗ってきたガブリエルのお客様にお会いしました。彼女は、とても綺麗なお嬢さんで、ガブリエルで何度かブレスをお作りしています。「これから、お出かけですか?」と聞かれたので、「実は、母が危篤で、これから病院に駆けつけるところです。」と、こぼれ落ちそうになる涙を抑えながら答えると、「ごめんなさい、私は両親を知らないで育ったようなものだから、お気持ちがわかりません。」と言われ、電車の中で彼女の生い立ちの話を聞かせていただきました。母の危篤の時に、彼女と電車でその話になったことは偶然ではないと思います。実は母は養女で、実の親の愛情を知らずに育ちました。母にとっても、彼女にとっても、本来は無条件に愛情を注いでくれるはずの「お母さん」が不在のまま、人生を過ごしてきたのです。母は、多くの人もそうであるように、実の母から無条件の愛をもらいたかった。でも現実はそうではなかった。求めても得られないものを求め続け虚しくなる代わりに、憎しみの感情でその傷を埋め合わせたのです。決して得られることがないものを求めることほど虚しいものはありません。母が母の人生を生きるためには、その虚しさを無視する必要があったのだと思います。ガブリエルでセッションをされるお客様の中にも、母娘の関係で悩みを持たれている方が多くいらっしゃいます。そして私も今まで、母とはあまり良い関係ではなかったと思っていました。母が他界して、それは、私が内に秘めていた母への執着が原因だったことに気がつきました。正しくは、私が思い描く「お母さん」という存在への執着です。「お母さん」なのだから、無条件に受け入れてほしい。「お母さん」なのだから、100%愛してほしい。きっとそんな気持ちがあったのです。「お母さん」という立場の人は、子どもが社会の中で恥ずかしい思いをしないよう、人様から後ろ指をさされないよう、他人が教えてくれない大事なことを教えてくれます。そのためには厳しく子どもを叱ったり、おこったりもするのでしょう。他の誰でもない、「お母さん」だから、その役割が与えられるのです。そこには、意見の衝突があるかもしれません。お母さんの思いが押しつけにしか思えない時期もあるかもしれません。また、お母さんの言い方ややり方に納得いかないこともあるかもしれません。でも、そんな嫌な思いをしてでもおこってくれるのは、きっと「お母さん」だからなのですね。お母さんも人間ですから、お母さんなりのやり方でしか思いを伝えられないのかもしれませんが、そこには計り知れない愛情が溢れているのかもしれません…母が自分の母にも「お母さん」を求めていたことを、きっと今は否定しないでしょう。母に愛されていた私でさえ、母が亡くなるまで、その愛を心底信じて生きていませんでした。様々な意見の衝突や環境がそうさせていました。母が入院していた期間の私が付き添っていた時間、母は私と向き合い、いろいろな話をしてくれました。母との大事な時間を最期にもらえたことに感謝しています。人が過去の出来事や人物を許せないと思う時、そこに必ず『怖れ』があります。とても傷ついたからこそ、その『怖れ』を手放せず、それは憎しみのような感情とともに、『許せない』気持ちへとつながります。先週、ガブリエルにお立ち寄りになったお客様は、ご自身を許せないという感情を手放せずにいらっしゃいました。自分を許せないことは辛いことです。自分に価値があることを認めず、自分を痛めつけ、自分を責め続けます。結果、自分に満足することなど有り得ません。そして、その結果をそのまま受け入れ、自分は価値がない人間だから当然だと思い込んでしまいます。自分は愛されなくて当然だ、自分は失敗して当然だ、自分は出来ない、自分はどうなってもいい…『許せない』思いを持っている人は、その思いが『怖れ』から来ていることに気づいてください。そしてその『怖れ』は、自分の中の傷ついた体験から来ています。母の人生の中で起こった数々の許せない出来事も、母は自分を強く見せることで乗り切っていました。悲しみを悲しみと受け止めるには痛すぎるから怒りへと変化させ、苦しみをお酒で紛らわす。でも、それらの感情は、母の心を蝕んでいきました。許せない思いを抱えて生きていくことほど辛いことはありません。母が、自分の実の母の存在を受け入れ、最終的に許したのは、母が亡くなる1ヶ月前でした。母は最期の短い期間、自分の内側の『怖れ』を手放し、許しを与え、自由になりました。そして、母のその行為は、娘の私にも大きく影響しました。私も素直に、母から愛されていることを認め、子どもの頃のように母を慕う娘に戻れました。母が亡くなった後、常連のお客様から心温まるお言葉をいただきました。「お年寄りがやさしいのは、愛する身内を亡くしているからだそうですよ。」彼女は昨年お母様を亡くされました。愛する人、身近な人の死を迎えた人だから言える言葉なのだと思います。人が人生の幕をおろし、新たな出発に旅立つ時、その人生で抱え込んでいた憎しみや悲しみや心配などの執着をまとったままの重装備だと、とても長旅には耐えられません。母がヒラヒラと舞う蝶のように軽々しく、すべての重荷を手放して、空に舞い上がって自由を楽しんでもらえるよう、手を合わせ祈っております。愛溢れる思いとともに。
2009.10.13
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20代半ばの頃、外資系の会計事務所で役員秘書をしていた頃の話です。私が入所して間も無く、アメリカより二人の役員が東京事務所に転勤になり、私は当時の上司に加えて、その二人の秘書を務めることになりました。当時はバブルが崩壊する前で景気もよく、年度途中で不動産を借りることは難しかったのですが、G氏は運良く、すぐに白金の一軒家を借りることが出来ました。 彼は3人のお子様と奥様をお連れになっていて、彼の奥様からはよくお電話をいただきました。慣れない異国の地で、ご不便なことも多々お有りになったと思います。私もできる限りのサポートをさせていただきました。新聞の取り方から車の購入まで、ありとあらゆることでお手伝いいたしました。K氏のご家族の新居はなかなか決まらず、2人のお子様と奥様はホテル・ニュー・オータニで1ヶ月以上もの間、ホテル暮らしをされました。K氏はホテルから事務所に通い、2人のお子様もホテルからインターナショナル・スクールに通っていました。その頃、奥様に書類のお届物があり、私がホテルまで持って行くことになりました。ホテルの部屋のドアの前で私を迎え入れてくれたK夫人は、美しい金髪を後頭部の上の方に束ね、少女のような声でお話される方でした。「わざわざ届けてくださったのね、ありがとう。」「ご覧の通り、大きなベッドに占領されてしまっているから、あまりくつろげないスペースだけれど、よろしかったらお茶をお出しするわ。」私は、丁寧にお茶を断り、持ってきた書類をK夫人に渡しました。「ご新居がなかなか決まらず、ご不自由な生活をされていると思います。私で何かお手伝いできることがあったら、何でもおっしゃってください。」と私が言うと、「不自由?」「とんでもないわ。」と言って、彼女は笑い出しました。「家族皆で一緒に東京に来られて幸せよ。」「自分のことは自分で出来る限り頑張るわ。でもお世話をかけてしまうことになったら、その時はよろしくね。」と、茶目っ気たっぷりにウィンクされました。私はK夫妻から、人生を生きる上での一番大切なことを学びました。それは、どんな苦労や試練がある時にも向かい合い、受け入れ、努力して乗り越える術のようなものです。彼らは、決して微笑みを絶やすことなく、前向きで明るく、ありとあらゆる物事をまるで魔法のように喜びや幸せに変えていく力を持っていました。彼らは努力家で、正直で、そして愛に溢れるご夫妻でした。K氏は温和な方で、私が元気のない時には仕事中の会話にもユーモアを交え、何気ないやり方で支えてくださいました。K夫人は、日本での生活を存分に楽しまれ、沢山の友人を作られ、ご家族の生活を支えて過ごされました。私は彼女の口から不平不満を聞いたことが一度もありませんでした。様々なご苦労もあったでしょうに。ご夫妻のお嬢様は実は養女でした。 結婚して8年経っても子宝に恵まれなかったご夫妻は、生まれたばかりの赤ちゃんを養女に迎えたのです。その後、奇跡が起こり、K夫人は妊娠し、男の子を授かるのですが、ご夫妻はお嬢様をそれは可愛がり、たくさんの愛を与えて育てていらっしゃいました。一度だけ、夜の8時過ぎにお電話したことがありました。電話口のK夫人は、「今、主人は娘と話をしているの。娘が寝る時間になってから、折り返しお電話してもいいかしら。彼は一日の終わりのこの時間を子どもたちと話す時間として特に大事にしているので。」とおっしゃいました。ご夫妻の絆とご家族の絆は、強い愛で結ばれていました。東京での任期が終わりアメリカに帰国された後、2人のお子様がそれぞれ別々の州の大学に入学され、K夫人はアリゾナで大学院に通われました。その頃はご家族がバラバラで、それぞれの夢に向かって、それぞれの地で暮らしていらっしゃいました。 K氏はK夫人の新しいチャレンジを応援されていました。そして、K夫人は大学院を卒業され、大学の講師になられました。50歳を過ぎた頃だと思います。私は、ご夫妻から毎年、クリスマス・カードをいただくのですが、数年前、夏が始まる頃に一枚のカードが届きました。大学を卒業され、社会人として立派に成長されたご子息が、事故で亡くなったお知らせでした。悲しいお知らせなのにもかかわらず、ご夫妻はご子息が愛した「釣り」を多くのアメリカの子どもが楽しめるようにと、釣り愛好家の組織を立ち上げるための寄付をお願いしていらっしゃいました。お慰めする言葉も見つからないまま、私は寄付を送金し、送られてきたご子息の写真を見ながら、K夫人のカードを何度も読み返しました。その文面から伝わるのは、悲しみの底に突き落とされた母親の悲痛な叫びではなく、息子への溢れる愛の想いでした。「私たちは息子の死を決して無駄にはしません。」「息子はこの組織の中で生き続け、沢山のアメリカの子どもたちに「釣り」の楽しさを教えてくれるでしょう。」「私たちが生活する空間の中でも、私は常に彼の存在を感じることができます。」本当に強い人です。K夫人は、どんな苦境の中でも前向きに現実を受け入れ、苦しみや悲しみを愛に変えることができるのです。どれほどに苦しまれ、どれほどに辛い思いをされたことか… それでも、彼女は立ち上がり、前に進むのです。そして、そうすることがどんなに大切なことか、周囲に教えてくれるのです。ご夫妻の長女はイギリスに転勤になり、10歳ほど離れた二人の子連れのアイルランドの男性とご結婚されるのですが、その時のお知らせには、「聞いてください、皆さん!こんな幸せなご報告ができるなんて夢のようです!」「私たちの娘が結婚するのです。そして、何とも嬉しいことに、私たちには二人の孫ができるのです!」と喜びでいっぱいの言葉が並んでいました。大きな人です。そして、とても、とても愛情深い人です。K夫人に出逢えたことは、私の人生の財産であり、何よりもの尊い学びです。彼女は私の人生のお手本となる女性です。
2009.06.16
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久しぶりにブログを更新いたします。私事なのですが、いろいろと大変なことが重なり、ブログを更新するどころか、ガブリエルも一週間休業いたしました。6月中は不定休での営業になりますし、7月からは完全予約制になります。皆様には大変ご迷惑をおかけします。申し訳ございません。パソコンで検索していたらガブリエルのHPが出てきて、西荻付近に用事があったので、ついでに当店にお寄りいただいたお客様が、昨日再びご来店されました。前回いらっしゃった時の彼女の悩みが、些細なことで妹さんと仲違いされてしまったことでした。仲直りにブレスを作ってみたらいかがかとアドバイスさせていただき、その後、仲直りされたとのこと、わざわざお礼の花束を持って来てくださいました。ガブリエルのお客様からは、本当にいろいろな物をいただきます。お花もよくいただくのですが、お土産や差し入れも多くいただき、その度に心が温かくなります。昨日、閉店後、シャッターを閉めて歩いていたところ、後ろからお客様が追いかけていらっしゃって、私に手渡されたものは、ホメオパシーのレメディでした。「とてもお疲れのご様子だったから。」彼女は私の様子を見て、私に必要なレメディをわざわざ作って持って来てくださったのです。皆様、この場を借りて、お礼申し上げます。本当に、本当に、ありがとうございます。皆様に来ていただいているだけで有り難いのに、ガブリエルを愛してくださり、本当に、心より感謝申し上げます。私も、皆様の心温かいご支援に応えられますよう、頑張ります。
2009.06.02
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久しぶりにネイティブ・アメリカンのチャーリーより素晴らしいメールが届きましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。「もしあなたが、動物が人間より精神的に劣っているとお考えならば、もう一度考え直していただきたい。これらの写真はカナダの北東部のハドソン・ベイで撮られたものである。カメラマンは、その時、結末を既に知っていた。犬ぞり用に飼われている犬に、シロクマが近づいてきた。シロクマはその後、一週間に渡り、毎晩、犬と遊びに戻ってきた。私たちが常に愛を分け合い、健康に気をつけ、 そして、友人を大事にし続ける存在でありますように…! 」
2008.12.21
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8月より、今年3月まで美大生だった愛ちゃんが、ガブリエルの新作を作ってくれております。彼女は、まだ若いのに、とても落ち着いていて、更に、しっかり者で、その上、とても美しい作品を生み出すアーチストです。以下、愛ちゃんの最新の作品です。1. フェアリー・レイク… 大きなアマゾナイトを湖に例えて、その周りに自然の草花を添えた作品です。ペリドットの草原色が湖の端に美しく添えられ、大きなローズクォーツの花はまるでフェアリーのようです。黄金色のシトリンと水晶が陽射しを、レインボームーンストーンは神秘的な光を表しています。淡水パールが散りばめられ、やさしい雰囲気をかもしだしています。¥16,800(税込)2. ブルー・ラグーン… 大きなアマゾナイトを海に例えて、ラピスラズリ、ターコイズ、アパタイト、淡水パールで波を作りました。小さな銀色のイルカが波の下で遊んでいます。水晶と銀色に光るパーツは、海の波しぶきと一緒にキラキラ光る太陽の反射のように見えます。星型のヘマタイトは、海底に眠るヒトデをイメージしています。¥16,800(税込)3. ヴィーナスの誕生… 大きなアマゾナイトを海に例えて、白いシェルから美しいヴィーナスが誕生しているイメージです。薔薇の形のブルーレースとローズクォーツを使い、ヴィーナスの美しさを表しています。淡水パール、ペリドット、アパタイトも美の女神の誕生に彩りを添えています。¥16,800(税込)4. エンジェル・スカイ… 大きなアマゾナイトを空に例えて、エンジェルが飛んでいる様子を表しています。エンジェルのトップにやさしい空色のブルーレースの薔薇を、エンジェルの周りにはアメシスト、水晶、ムーンストーン、淡水パールを散りばめました。エンジェルが存在する空の辺りが、楽園の聖歌を奏でるようなハーモニーに包まれています。¥16,800(税込)愛ちゃんの作品は、その他たくさん出来ていますので、お時間のある時に是非、ガブリエルにお立ち寄りください。また、遠方でお越しになれないお客様には、代引きで送ることもできます。メールしていただければ、対応いたします。gabrielle@song.ocn.ne.jp
2008.10.11
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今日、珍しく小学生の女の子が二人、ガブリエルに入って来ました。二人は仲良く相談しあいながら、石を選んでいました。私は、他のお客様のお相手をしながら、二人の様子をながめていました。「これは、どうかな?」「うん。でも、こっちは?」選ばれている石たちも、どこか緊張しているような感じが伝わってくるようです。「石が好きなの?」と私が聞いてみると、うなずきながら、一人の女の子が「先生へのプレゼントを買いに来ました。」とのこと。二人は、学校が終わったあと、自宅から一駅ほどあるガブリエルまでの距離を、自転車をこいで、先生へのプレゼントを買いにやって来たのです。「先生は、おいくつぐらい?」との質問に「年齢は教えてくれないから、知りません。」との答え。「じゃあ、ご結婚されているかしら?」と聞くと、「いえ、彼氏はいますが、結婚はしていません。」とはっきり答えてくれます。とても大事な贈り物なのでしょう。あれこれと、悩んでは、二人で相談しています。二人はまだ小学4年生です。どうやらプレゼントは、一人の女の子からで、もう一人は付き添いで来た様子。「先生には、とてもお世話になっているので、感謝の気持ちでプレゼントしたいんです。」との言葉が、私のハートの奥までドキュンと突き刺さり、できることなら、無償で何か手渡したいと思ったのですが、それでは、そのプレゼントが全く見知らぬ人からの贈り物になってしまい、この子のせっかくの気持ちが台無しになってしまうので、「良かったら、この2,310円のブレスレットを1,000円でお譲りしますよ。」と、水晶といくつかの石で作られたブレスレットを見せてみました。女の子は、そのブレスレットをとても気に入ってくれて、「いいんですか?」と申し訳なさそうに聞いてきました。「もちろん。」女の子の先生への愛情は、私のハートまで確実に伝わり、それは、とても温かく、心地よい波動で、そのままずっと残っています。実は、ガブリエルのお客様で、学校の先生は多くいらっしゃって、先生方のご苦労や、生徒への心配りなどのお話を聞くたびに感動していました。生徒から、このような愛情がいっぱいのプレゼントを贈られた先生は、きっと嬉しくて泣いてしまうだろうな、と思ったら、ガブリエルにお見えになる先生方のお顔が次から次へと出てきてしまって、私まで泣きたいくらい嬉しくなってしまったのです。大切な人に喜んでほしい、感謝の気持ちをかたちにして伝えたい。それがプレゼントをするということですよね。女の子は、包装されたプレゼントを手渡され、握り締めていた1,000円を支払い、「どうもありがとうございました。」と言いながら、深くお辞儀をしました。彼女の嬉しそうな笑顔がまだ瞼に残っています。
2008.09.26
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『「物事に対する態度」ある女性がいました。朝、彼女が目覚めて、鏡を見ると、頭には3本の髪の毛しかありませんでした。「あら。」彼女は言いました。「今日は髪の毛を編もうかしら。」そして、彼女は3本の髪の毛を編み、素晴らしい一日を過ごしました。次の日の朝、目覚めて鏡を見ると、頭には2本の髪の毛しかありませんでした。「ふうん。」彼女は言いました。「今日は髪の毛を分けてみようかしら。」そして、彼女は2本の髪の毛を左右に分け、すてきな一日を過ごしました。次の日の朝、目覚めて鏡を見ると、頭には1本の髪の毛しかありませんでした。「そうねぇ。」「今日はポニーテールにしようかしら。」そして、彼女は1本の髪の毛をポニーテールにして、楽しい一日を過ごしました。次の日の朝、目覚めて鏡を見ると、頭には1本の髪の毛もありませんでした。「そうよ!」彼女は叫びました。「もう、髪の毛をどうしようか悩むこともないわ!」物事に対する態度で、すべてが決まります。そうしなくてはならない、と決めつけるのではなく、柔軟になりましょう。人は皆、何らかのかたちで毎日戦っています。シンプルに生きましょう。寛大に愛しましょう。深く思いやりを持ちましょう。やさしく話しましょう。あとは全部、神さまにお任せしましょう。人生は、嵐が過ぎ去るのを待つことではありません。人生は、雨の中でのダンスを学ぶようなものなのです。』これは、ネイティブ・アメリカンの友だちのチャーリーから送られてきたメールの一文です。このメールを読んで、やさしい気持ちになりました。悩みは自分で作るものなのですね。シンプルに、そして思いやりを持って、自分や周りと接し、あとは全て、神さまにお任せする・・・雨の中でのダンスを楽しむ・・・何事にも柔軟な思考で、悩み事を作らず、やさしい気持ちで生きていきたいです。
2008.04.26
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本日1月28日より2月5日まで、ガブリエルは休業になります。アリゾナのフェアにて、石を買い付けに行ってまいります。どんな石との出逢いがあるのか、ワクワクしております。ガブリエルには、『メリルのハンドメイド・コーナー』があります。20代のアメリカ女性、メリルが、シルバー・ワイヤーで作った作品が飾ってあります。メリルの上司のショーンは、年間4,5回、ブラジルまで行って石を買ってきます。美しい水晶の他に、レアな石も見つけてきます。そんな石からメリルは、ジュエリーに出来る石を選び、素敵にデザインします。メリルのピュアな、石を愛するエネルギーが、石たちを本当に美しいジュエリーに作り上げます。石の本来の美しさを保ちながら、石の波動を邪魔しない彼女の素直なエネルギーで作られた作品には、やさしいハーモニーとパワーを感じます。私がメリルとショーンに出逢ったのは、1年半ほど前のサンフランシスコの石のフェアでした。その後、アリゾナの大きな石のフェアに行った際、偶然にも宿泊先のホテルが同じで、運命の再会をしました。ショーンいわく、「縁があるとは、こういうものだよ。つまり、僕たちは縁があるんだね。」大きなフェアで沢山の石と出逢いましたが、ショーンの持っている石がベストだと感じました。どうして彼の石がベストなのか、見破るのは容易いことでした。「ああ、本当に美しい。なんて、美しいのかしら。」ショーンとメリルは、そう言いながら、ひとつずつ、それぞれの石の魅力を愛でては眺め、大切に、丁寧に陳列していきます。そう、彼らは、石を心から愛しているのです。並んだ石たちは、皆、居心地良さそうに、それぞれの美しさと光を放っていました。私も石を愛する一人です。そして、私の役割は、石を必要とする人、石が行くべきところへ、石を送り出すことです。石は、本当にピュアなエネルギーで、持ち主をサポートしてくれます。ガブリエルには、石に関する不思議な報告がたくさん寄せられておりますが、それはまた後日、ゆっくりとお話いたします。今回は、一つだけ・・・ガブリエルが開店してから間もない頃のことです。あるお客様が、お祖母様のお誕生日にと、メリルのレインボー・オブシディアンのジュエリーを購入されていきました。レインボーが円状に入っているオブシディアンはパワフルで魅力的でした。(オブシディアン:黒色の反射効果は、魔除けとしての効果をもたらす。現実性を強めたり、問題に直面した場合の即応能力を高めてくれる。)家にこもりがちだったお祖母様は、毎日そのペンダントを首からさげていらっしゃったそうです。そして、その後、信じられないほど元気になられて、よく外出され、毎日をハツラツと過ごされていらっしゃるとか・・・これが、オブシディアンの効果のみとは決して断言いたしませんが、お孫さんからの愛情と共に受け取られたこのプレゼントの石がもたらした効用も大きく作用していると、私は信じます。私が石と携わりながら、いつも感じることは、石のピュアなエネルギーと、信じる心、人を想う気持ちが、このようなポジティブな展開を起こさせるのかもしれないということです。クリスマス・シーズンの新商品に、もう一つ、メリルよりレインボー・オブシディアンのジュエリーが送られてきました。その時にも、すぐにご購入されたお客様がいらっしゃいました。そのお客様からのご報告では、不思議なことに、何かあるごとに、オブシディアンのレインボーの色が変化するとのことでした。石は喋りません。また、動きません。動物は、絶えず動いているし、植物も成長するごとにその命を感じることができます。でも、石にも命が宿っていて、その静寂の中に力強い波動を感じることができるのです。写真は、メリル作のブルークォーツのペンダント・ヘッドです。
2008.01.28
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