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2004.01.06
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カテゴリ: ボブ・ディラン


【追記】No.2
夕方仕事を抜け出してお買い物。
ついでにちょこっと夕陽を撮影する。
逆だな、夕陽が見たくて買い物に出たんだ。

静かな日常が始まったのだと実感する。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004年1月6日 IP屋上駐車場より


【追記】No.1
布団に潜って午前2時にすっと寝入る。
普通の人なら夜更かししたなあということなのだろうが、私の場合だと宵の口に寝コケたぐらいの感じ。
年末年始にはじけてそのまま仕事始めに突入した疲れが出たのだろう。

午前7時に目が覚める。
爽快。
も、も、もしかして真人間に生まれ変われるのかしらん?



ちょっと忙しいので、本館より蔵出しにてごめんなさいませ。



【2003年2月9日付日録】
[ウレシパモシリ共和国 / 琉球共和国]

今年に入って、「週刊金曜日」が少しリニューアルして読みやすくなった。
記事のバラエティが増えて、雑誌っぽく、有り体に言えば昔の「週刊 朝日ジャーナル」っぽくなったのだ。
今日(あは、金曜日です)届いた最新号の音楽欄は『ボブ・ディラン ライブ1975』の紹介記事でした。
幻泉館日録・元旦に出てくるCDですね。

→Bob Dylan Live 1975 (The Bootleg Series Volume 5)
 (With Limited Edition Bonus DVD)
Bob Dylan Live 1975
生田卍さんという人が書いているのだが、実にツボを得ていてよろしいです。

ボブ・ディランが最も油の乗っていた時期の、「ローリング・サンダー・レビュー」というツアー。
プロデュースしたのがジャック・エリオットとアレン・ギンズバーグだそうです。
様々なミュージシャンを柔軟に参加させて、即興性・演劇性を前面に出した、終始突っ込み気味の畳みかけるような疾走感。
そうそうそう。

「ハリケーン」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」は私のお気に入りです。
「ハリケーン」は映画にもなった冤罪事件を扱ったもの。
黒人への差別に抗議して、当時のディラン様は顔を白塗りにしてステージに立っていました。
「ハッティ・キャロルの寂しい死」はあがた森魚さんの絶唱もありますが、吉田拓郎「島田準子が吉田拓郎に与えた多大なる影響」の元歌でもあります。
悲惨な人種差別を歌った曲を、徹底的に私的な恋の歌にしちゃうところが拓郎さんですな。
生田さんは「ウディ・ガスリーズ教室」と書いてますが、そうそう、ボブ・ディラン様もガスリーズ・チルドレンでありました。

音楽仲間の怪人きりぽんさん(仮名♂40代?)がドアーズのコンサートを観に美国へ旅立ってしまいました。
で、出発前にNHK人間講座で永六輔さんが「人はなぜ歌うか」ってのを始めたよと教えてくれました。
再々放送ぐらいで観るとして、「テキスト」を買ってきました。
ついでに買ったのが

 保阪正康『昭和史 七つの謎』講談社文庫
 松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』集英社

いやあ、楽しいものがたくさんあるので、いくら時間があっても足りない。

とりあえず眠い目をこすりながら『昭和史 七つの謎』。
第1話「日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?」
保阪さんは1933年(昭和8年)を契機に日本の社会状況が「文化大革命」化したと分析する。
この時期の日本の超国家主義を毛沢東の永久革命に似ていると決めつけるのは納得できないが、確かに日本全体が宗教カルトのようになったのは事実だ。
なるほどと思ったのは、こんな方向付けを行なった「犯人」、責任者である。
陸軍首脳部、つまり陸軍省が犯人であるのは論を待たない。
誰もが認めるところだろう。
それに結託した共犯者を保坂さんは1933年から約6年間の文部大臣と文部官僚であるとする。
文部大臣は、あの鳩山兄弟の祖父に始まる人々である。

歴代文部大臣

この文部大臣と文部官僚は、「教育」の名のもとに当時の日本国民から知性を封殺したのである。
陸軍だけで暴走などできなかった。
こいつらがいかんのである。
官僚は当然戦後も責任など取らずに生き延びたぞ。

民主党の党首だったお兄ちゃんは「だってお坊ちゃんなんだからしょうがない」とか開き直ってましたな。
爺さんの戦争責任とか考えたことあるんだろうか。
戦犯指定は「家」に降りかかった災難ぐらいに思ってるんじゃなかろうか。
(根拠はないすよ、私の想像です。)

いくぶんなりとも当時の文化状況を知っていたら、オウム真理教の国家ごっこも、金ちゃん国家の首領様も笑うことはできないと思うよ。
半世紀以上も前、大昔のことだから関係ない、ではありません。
間違いだらけのしょうもない「歴史教科書」を押しつけようとしている連中は、そんな文化状況の再現を狙ってるんだから。


え~、ここから金曜深夜です。
ちょっと日付足踏み。

日本というのは、不思議な国名です。
だいたい読み方がわからない。
「にほん」なのか「にっぽん」なのか。
どちらも音便が発生していて、文字の音と違います。
「にちほん」「じつぽん」はダメなんでしょうか。
「じゃぱん」「はぽん」「いるぼん」でもいいんでしょうか。
「じぱんぐ」や「やまと」なんてのもあります。

国の主人が誰なのか名乗っていないのも珍しいようです。
象徴天皇制なので、「共和国」ではありません。
形式的には立憲君主国家らしいのですが、「王国」「帝国」でもありません。
おら、ハダカで恥ずかしいだ。

保阪正康『昭和史 七つの謎』など読みながら、こんなことを考えてました。
1945年8月のポツダム宣言受諾前後、戦後日本の占領政策を巡って凄まじい駆け引きがあったのですね。
米英は、ドイツのようにある共通の常識・文化を持った文明国だとは、日本を見ていなかった。
日本にはレジスタンスが存在しなかったのだから、そう見られても仕方がないですね。
ソ連に手出しされたくないので原爆を投下したのも、黄色人種ならいいやという側面があったようです。
カナダの元首相が出した回顧録にも、そんなことが書いてありましたね。
「核兵器が用いられたのが黄色人種に対してであったのは、不幸中の幸いである」ってなことが。

でまあ、対ソ戦略の意図をもって、戦争責任が棚上げされてしまったわけです。
天皇の命令によって、連合国による占領はまったく平和に開始されました。
マッカーサーの「日本人は十二歳」という発言は、これから文明人として教育してやろうという宣言でもありました。
いや、戦争責任者、実にうまいことやりましたな。
太平洋戦争を始めたのは海軍なのに、東京裁判で絞首刑になったのは陸軍の軍人ばかりです。

東京裁判(極東国際軍事裁判)で平和に対する罪(侵略戦争の共同謀議に加わった罪)に問われた人達が、いわゆるA級戦犯。
被告の特定と量刑には、大いに疑問が残ることは確かです。
最も大きな疑問は、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということですが、これは前記占領政策のために、問わないことを前提としてしまったからですね。
保坂さんによれば、そのために海軍も免責されてしまったようです。
そして、陸軍の一部に全責任を負わせました。

ところでこのA級戦犯が収容されていたのが昔の東京拘置所、いわゆる巣鴨プリズンですね。
今はサンシャイン60が建っています。
東池袋中央公園にはその碑が残っています。

東京裁判には多くの疑問と謎が残るのだが、もし日本が戦勝国になっていたら、これほどまともな裁判を行なうことは絶対になかったことだろう。
これは推測というより、歴史的事実であります。
敗戦までの日本がどれだけ国際法なんてものを無視したか。
あるいは無知であったか。
ね。

ご存知フィリップ K. ディックに『高い城の男』という作品があります。
日独の枢軸国側が勝利したパラレル・ワールドを描いた小説です。
傑作という評判なんですが、お馬鹿なことにプロットをすっかり忘れてしまいました。
ただ、「易経」に従って行動を決定するといったような、アメリカ西海岸的東洋趣味の描写があったのを覚えています。
これがニッポンのイメージなんだよなあ。

あ、だらだらすんません、今夜ヒマなんです。

それで、歴史のれば・たらなんですが、もしあのころ、スターリンがもう少しうまく立ち回っていれば、日本の一部はソ連に占領されていたんですね。
北海道、あるいは北北海道が千島・樺太あたりと一緒にされて、日本ではない国になっていたかもしれない。
保阪さんの場合は「東日本社会主義人民共和国」と書いていますが、「東」はなかっただろうなあ。
東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮といった分断国家の悲劇を回避することができたのだから、実にうまく立ち回った(というか運が良かった)のだと思います。

その犠牲になったのが沖縄です。
実際に地上戦が行なわれ、久米島にいたっては、日本軍によって住民が虐殺されるなんていうことさえありました。
ニッポン全体が独立国家に戻った後も占領が続き、ニッポンに返還されたのは1972年です。
今もなお「象の檻」があったりするのはご存知のとおり。
こんな仕打ちを受けるより、独立国家になった方が幸せだったのではないかとも思います。
映画『ウンタマギルー』には琉球独立党という愉快な連中が出てきますね。
琉球独立党は実在の政治的党派でありました。
ヨーロッパの、ポルトガル、スペイン、カタロニア、バスク、あの辺の国境は、実に摩訶不思議ですよね。
歴史的たら・れば次第では、今沖縄が日本でなくても何の不思議もありません。
そういえば池袋に話が戻るんですが、某中華料理店の2階には台湾独立党の闘士という爺さんが潜んでいましたぞ。
あ、中東の国境の方がめちゃくちゃだ。
問題のイラク、クウェートあたりの国境って、実にいいかげんに作られたものですわな。
イスラエルにいたっては今も無茶して広げてます。

さて、それで保阪さんはソ連に占領されて東側陣営に入る幻の国家を「東日本社会主義人民共和国」と名付けましたが、私だったらそれは東日本の先住民、アイヌの共和国であってほしいですね。
名付けて「ウレシパモシリ共和国」。
どうせもうすぐ日本国憲法改正論議が首相近辺から出されることと思います。
私も憲法改正には賛成です。
第1章を削って、「ニッポン共和国憲法」と名前を変える。
ダメっすか?
ダメらしいんで、幻の琉球共和国とウレシパモシリ共和国に期待します♪
吉里吉里共和国でも、でんがなまんがな共和国でも、どってんばってん共和国でもいいぞ。



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Last updated  2004.11.05 12:56:43
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