2007年05月25日
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カテゴリ: 日記
 明日夢はそこで目が覚めた。

「うっ……」

 鼻腔に薬品の刺激臭が飛び込み、左腕に鈍い痛みが走る。

(ここは……?)

 朦朧とした意識をはっきりさせようと、首を振ろうとして気がついた。
 ──自分の身体が、硬い台の様な物に拘束されている。

「?!」

 明日夢はその事実に驚き、怯えて激しく身じろぎした。
 だがその戒めはびくともしない。

 ただ、身じろぎにあわせて鈴の音が鳴り響くだけだ。

(……? 鈴の音?)

 その時になって、明日夢は自分の左手首に何かが取り付けられていることに気がついた。
 僅かに首を動かし、左腕を見る。

 そこには静脈に管が取り付けられ、左手首には鈍く金色に輝く鬼のレリーフが掘り込まれた腕輪が取り付けられているのがかろうじて見て取れた。
 更に良く見ると、その鬼のレリーフの口蓋(こうがい)の中に鈴が取り付けられている。
 それは轟鬼達『弦』の『鬼』達が変身の際に使う音錠に似ていたが、背筋が凍るような『妖気』のような物が感じられた。

 ……ひとまず、明日夢は状況を確認する事にした。
 ヒビキや京介に言わせると、明日夢は普段は臆病なくせに、他人のことや窮地に陥ると「妙に肝が座る」ところが有る。
 肩の力を抜き、まず天井を見上げた。
 夜なのだろうか、暗くて良く見え無いが、かなり旧い造りの洋館のようだ。
 そしてぐるりと首を回して見える限り周囲を見渡すと、なにやら得体の知れない化学実験機材の様なものがあちこちに見える。
 何かの実験室といったところか。

 ただ上手く言えないが、何かこの部屋──空間はひどく現実味に欠けているような印象を受ける。
 まるで夢と現(うつつ)のまどろみの中に居るようだ。
 意識がはっきりし始めただけに、その違和感は嫌でも感じ取れる。

 だが、冷静なのもそこまでだった。
 首を左に向けたとき、明日夢は更に驚くべき光景に絶句した。

「! 持田っ!!」

 明日夢の左側。
 そこには同じように手術台の様なものの上に拘束されている、ひとみの姿があった。
 明日夢と同じく、右腕の静脈に管が取り付けられている。
 明日夢と異なっているのは、ひとみの額には銀色に輝く、鬼のレリーフが施された額冠が取り付けられていることだ。
 しかも、明日夢の必死の呼びかけにも反応が無く、昏々(こんこん)と眠っているように見える。

 そして明日夢は、それぞれ管の先の先に取り付けられているものを見て恐怖に息を呑んだ。


 そこには、巨大な円筒形の水槽の中に浮かぶ、異形の巨大なミイラの姿があった。
 大きさは2メートルを優に超えているだろうか。
 両の腕には鋭い爪。頭部には右側に短い、左側には巨大な角が生えている。
 そしてその顔。
 そこには憎悪に怒り狂ったような、または悲しみに慟哭しているような、凄まじい表情が浮き彫りにされていた。


 この次点で、明日夢の思考は完全に停止した。
 しかも残酷な事に、ヒビキと出会って鍛えられた精神は、狂う事も気絶する事さえ許さなかった。
 いっそ気を失えば。 狂うことが出来たなら。 あるいはどれほど救われたことか。


 そんな時だった。出し抜けにその声が聞こえたのは。

「驚いたな……まさかこんなに目を覚ますとは」

 明日夢はギョッとして声のする方を向いた。
 そこには、いつの間にか一人の男が和装の美女を従えて立っていた。

 その顔を見て、明日夢の記憶から恐怖に満ちた過去が呼び起こされる。
 屋久島の森の中で道に迷ったあの時。
 みどりと共に魔化魍に囚われた、あの夜。

 若さと老いを共に備えた、この世ならぬ美しい和装の男女。
 人間性を、否、生命感の欠片も感じさせぬその二人。

「術式が終わるまでは目を覚ますはずはないんだが……
 まぁ、支障はないだろう」

 中指で眼鏡を押し上げる動作にすら、およそ人間性という物が感じられない男だった。
 しかも明日夢に向ける視線には、まるで実験道具や素材としてしか見えていないようだ。
 それがはっきりと分る。
 しかも放つその気配は……

 ──こいつら、人間じゃない?

 いわゆる童子と姫かと思ったが、放つ気配は明日夢が見た童子や姫とは桁違いだ。
 例えるなら深遠なる「闇」。光さえ飲み込み、意味を成さぬ「闇」そのもの。
 その「闇」が人の姿を形作っている。

 それ以上でもそれ以下でもない。
 確かにそこに居るのに、まるで夢幻の世界に立っているかのような錯覚さえ受ける。
 拘束された体の痛みが無ければ、決して彼らを現実に在る存在として「認識」出来ないだろう。

 例えば星の無い夜空のように。その「闇」が、巨大過ぎて認識できない事にも似て。

「……じゃ、始めよう」

 男の口調は冷ややかと言うには、余りに感情がこもっていなかった
 まるで明日夢を眼中に入れていない。
 いや、正確に言えば明日夢を、明日夢たちを「人」として見ていない。
「生命」とさえ見ては居ない。
 モルモットの方がまだしもマシな扱いを受けるだろう。

 その二人の態度に、停止した明日夢の思考が。
 いや、激情が荒れ狂った。

「止めろ!!」

 冗談じゃない。
 無駄とは分りきった事でも、ひとみだけは……っ!

 だが男は、振り返るとゆっくりの振り向いた。そして指先をすぅ……と、明日夢に向けた。
 その指先には金属のサックがはまっている。
 ただそれだけ。その動作だけでで明日夢の身体が強張り、巨大な圧力が全身を襲う。
 その圧力に、明日夢は声も出せなかった。

「随分ずさんな扱いね? 大切な『素材』なんでしょう?」

「何、構わん。 失敗したら次の『素材』を探すだけだ。
 データ取りにもなる」

 男はそう言うと、静かに手を上げた。

 すると、床から 壁から 天井から
 白と黒の衣装を纏い、奇妙な杖を持った男女それぞれ4人がゆらり……と現れた

 彼らは明日夢たちの周りを囲むと、手に持った「杖」の先を床に下ろす。
 まるで機械仕掛けのように揃った、機械的な動きだった。

 カチリ

 8人の男女──「クグツ」達は床にある何かに杖を差し込むと、懐から異様な色の液体を入れたシリンダーを杖にはめ込み始める。
 するとシリンダーの中の液体が見る間に杖の中に注ぎ込まれていく。


 かくして「儀式」は始まった。


 うぉぉぉぉおおおおん!


 今までピクリとも動かなかった『鬼』のミイラが、悶えるように動き始める。
 そしてその身体が二つに別れ、さらに細かく千切れていく。
 その後破片が螺旋となって水槽の中を回転し始めた。

「今度は期待できそうだな」

 男の言葉と共に、水槽の中のミイラの破片が水槽の中の液体と共に、明日夢とひとみの中に注ぎ込まれていく。

 二人の身体に異変が起こり始めていた。

「かっ…がはあっ!」

 明日夢は身体の中に流れ込んでくる膨大な「力」に痙攣を起こし始めた。
 ひとみもまた声にならない声を上げて、陸の上に放り出された魚のようにガクガクと手術台の上で身体を跳ねる。

 異変は更に続く。

 二人の全身に血管が浮き上がり、その肉体が変貌を始める。
 最初に二人の顔に隈取にも似た文様が浮かび上がり、続いて犬歯が伸びて牙と化していく。
 そしてその額には『鬼』のレリーフが浮かび上がり、角が生え始める。

 それだけではない。

 二人の身体が変色していき、同時にこの世にありうるべからず「黒い光」が二人を纏った。


──そしてその「光」が消えうせた時。


 ブチッ

 ブチブチッッ!

 戒めをたやすく引きちぎり、二人は立ち上がった。

「ほぅ……」

 二人のその姿を見て、男から初めて微量の感情を含んだ感嘆の声が上がる。


 そこには、男女二人の『鬼』が静かに立っていた。

「やっと成功したな」

「おめでとう」

 およそ賛辞の台詞とも言えぬ声音で、女が祝福する。
 その手には、いつの間にか五芒星が刻み込まれた円盤と、ニ刀一対の無骨な短く幅広の剣。
 そして軽く、短い小太刀が一本、これらが紫の袱紗(ふくさ)の上に乗せられていた。

 男は五芒星の円盤を受け取り、二人のバックルに取り付けた。
 そして明日夢が変身した『鬼』にはニ刀一対の無骨な短く幅広の剣を。
 ひとみが変身した『鬼』には小太刀を受け渡す。


 明日夢はその剣を受け取ると、腰の装着帯に。
 ひとみもまた、小太刀を腰に装着する。

 最早変身した二人には声も無く、自我すら感じられなかった。


「さて…」

 男はそんな二人を舐めるように見ると、満足げに初めて微笑んだ。

「さて、『邪鬼(ジャキ)』」

 男はそう言って振り向いた。

 そこにはザンキと瓜二つの男。邪鬼がいつの間にか腕を組んで二人の背後に佇んでいる。

「これで私たちの仕事は終わった」

「ああ」

「あとは契約通り、この二匹の事は任せよう。好きに使うといい。
 ただし、収集したデータは……。 いいな?」

「──いいだろう」

 邪鬼は口の端を僅かに歪ませて、かすかに微笑を見せた──



──響鬼・異伝『鈴鳴る腕輪』 終幕──


 次の段 ──『来たる稀人(マレビト)』──





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最終更新日  2007年05月25日 10時59分52秒
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