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◆編集後記「千鳥足」◆ 2月は、俳句が3年分残っていました。この月から地元の俳句の会に参加したため でしょう。96年は、俳句を始めて間もない作品▽97年は、自動車の運転でいうと「初 心者マーク」が外れた段階▽98年は、父が亡くなった年で、最も寒かった時期――と いう3回に分けられます。この時期の各作品を読み、私自身が強い印象を抱いた句を 抜き出したいと思います。 ・(96年二月)の焼鳥3句 酒好きなら誰もが経験しているのではないでしょうか。「転がる串に」の句には、 飲みすぎ、食べ過ぎた「軽き悔」があらわれ、「短冊煤け」には、友が亡くなってか らの時間や馴染みの店の姿が見え、「自慢話に老いを聞く」では、悪酔いした相手 (もしくは自分自身)の様子が伺えます。 ・愛犬の乳癌手術 寒の明け この犬のことは、通常号第13号( http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20020628 )の「新婦の 父」に触れています。 ・盗みせし子と歩む道 余寒なお 父は補導員をやっていたことがありました。補導した少年と一緒に、冬の北海道の 道を、無言で歩いたのだろうかと想像しました。 ・山小屋のつららロックを懐かしむ 雪国以外の方には、想像がつかない情景かもしれません。山小屋で酒盛りが始ま り、ウイスキーを飲み始めたのでしょう。「氷がないぞ!」ということになり、 「雪入れるか!」 「いや、雪はダメだべ。つらら取って来い!」 「おい、水道シバれて、水出んぞ!」 「ロックでいいべや!」 といった会話をしているのではないか、と思い描きました。 私自身、今、ウイスキーを飲みながら、この原稿を書いたので、そんな流れを思い ついたのかもしれませんが。 ・栄進の内示の報や 春隣 私事ですが、ムスコは、この春の定期人事異動で、広島に赴任することになりまし た。書類上の異動日は4月1日。ですが、今年は統一地方選挙があるので、実施は5 月1日です(余談…この日は母の誕生日です)。 大学入学で大阪に来たのが1986年。90年に現在の勤務先である会社に入り、福井、 伊賀(三重県)、奈良、そして再び大阪と、17年間も近畿(琵琶湖の周辺)で生活し てきました。広島には仕事などで2、3度行ったことはあるものの、ほとんど知らな い土地です。親類もいないのではないかと思います。どんな出会いがあるのか、非常 に楽しみです。 なお、私が大阪から広島に移りましても、このメールマガジンは、今までどおり、 www.honya.co.jp さんを通じて発行いたします。変わりなく、ご講読・応援をよろし くお願いします。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2003年02月28日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 短めの作品を5編掲載しました。 道産子以外の方が分かりにくい言葉は、最後の作品「★最後の参観日」の冒頭にあ る「シバレ」でしょう。「ひどく寒い」「凍える」といった意味です。ただ、道産子 でなくとも、松山千春さんのファンならば、「大空と大地の下で」という歌の歌詞 に、この語が入っているので、ご存知かもしれません。 北海道はどれだけ「シバレる」のかとよく尋ねられます。もちろん、地域差があり ます。「おかあさんへの手紙」の舞台でいうと、第1週掲載の風連中央小学校のある 名寄市周辺は、道内屈指(ということは、国内屈指)の寒冷地です。私自身が経験し た外気温では、午前6時現在で氷点下38・8度が最も寒いものでした。父が名寄市立 智南(ちなん)小学校に勤務当時(1977年4月~79年3月)でした。私は小学6年か 中学1年でした。智南地区は、名寄市の市街地から10キロほど離れた農村地で、冬場 はたいてい市街地よりも3~5度は低いと言われていました。となると、おそらく40 度を超える気温を、私たち家族は経験したと言っていいと思うのです。 ※今、あえて、道産子が通常使うように「超える」という言葉を使いました。北海 道で冬場に気温の話をする時は、まず「マイナス」「氷点下」とは言いません。毎 朝、テレビやラジオで放送される「今朝6時の気温」でも、プラスの場合は、「札幌 プラスの0・2度」などのように、「プラス」の場合だけ、付け加えています。 しかも、本来は「下回る」というべきケースでも、「シバレたねぇ。20度“超え た”もんねぇ」などと使うのです。私は、十数年前、NHK旭川放送局のアナウン サーが、テレビのニュースでこういう使いまわしをしていたのを聞いたことがありま す。NHKは、放送で、必要に応じて方言を使っていいことになっています。このア ナウンサーは、北海道の実情をきちんと知っていた、優秀な方だったのでしょう。 ところで、名寄地区の小中学校は冬季間、25度を超えると1時間遅れ、30度を超え ると2時間遅れで通学することになっていました。最初の1時間目または2時間目ま では、授業がカットになりました。ただ、智南小の場合は、23度で1時間遅れと決 まっていました。これは、市街地よりも寒いという実態を踏まえたものだと思いま す。 このぐらいシバレると、戸外に放置した車のエンジンは、かからなくなりました。 シバレそうな日は、バッテリーを外して家の中に運び、ストーブに一番近いところに 置いてから寝ました。それでもバッテリーが上がってしまうこともありました。 水道は、「水を落とす」という作業が必要です。屋内の水道の蛇口すべてをそれぞ れ全開にし、水を出しっぱなしにして、元栓を締めるのです。そうすると、家の中の 水道管の内部には、水が残りません。つまり、凍りません。翌朝、使う段階になっ て、また元栓を開くと、また水が出るようになります。 私は、大学入学で内地(北海道から見て、本州・四国・九州)に来て以来、何十回 も「水をちょろちょろ出しておくんでしょう?」と尋ねられました。ちょうど今の時 期、名寄あたりでは、それは、絶対にやってはダメなことです。一晩、そんなことを 続けたら、水道管の中に残った水が凍って膨張し、水道管が破裂します。水道屋さん を呼んでも、方々で同じことがあれば、なかなか来てくれなかったり、最悪の場合、 水道屋さんの車のバッテリーが上がって、身動きが取れないということもありえま す。それに、修理には時間と、家計をいためつける費用がかかります。 ついでなので、北海道のシバレについて、内地の人たちの誤解をもう一つ、ぜひと も解いておきたいと思います。それは、(ちょっと汚いですが)「戸外での立ちショ ン」です。 大学の同級生(関西出身)に実際に、真面目に尋ねられたことなんです。彼は「北 海道てな、冬に外で立ちションしたら、出た瞬間に凍って、金づちで叩き割りなが ら、やるんやろ?」と、アクション付きで言いました。私は「そんなこと、ある訳が ないだろ!」と即座に否定しました。ギャグ漫画じゃないんですから……。 人間の体温は通常35~37度で、体内に直前まであった尿も、その程度にまで温めら れています。地面というか、雪面までの約1メートルの距離で、尿が“飛行中”に 凍ってしまうとしたら、外気温は何度なんでしょう? ただ、確かに“着地”した ら、周囲の雪や氷を溶かした後、ほぼ瞬時に凍り始めます。それは、事実です。 かなり脱線しました。失礼しました。軌道修正しましょう。 この文中で、「寮」とあるのは、以前にも書いたことのある児童養護施設「富良野 国の子寮」です。 さて、「★あと51日(42日)」は、この年の卒業式があった「3月19日」までが残 り51日、休日を除くと42日になると解釈するのが自然だと思います。現在と違って学 校は6日間(5日半)通う時代でした。児童らは、黒板に書いた日を1日ずつ消して いって、中学校へと旅出す時を楽しみに、不安に思っていたのでしょう。 「★勲章」に出てくる「道新」は「どうしん」と読み、北海道新聞( http://www.hokkaido-np.co.jp/ )のことです。同社サイトの会社概要によると、発 行部数(2002年9月ABC協会報告部数)は、123万6284部。北海道で「新聞」というと、 自動的に道新を指すほど影響力のある新聞です。 「日刊富良野」は、富良野地区のローカル紙で、同社サイト( http://www.furano.ne.jp/kyowa/nikkan/top.html )によると、現在は「日刊」発行 ではなく、毎週火曜日、木曜日、土曜日の週3回発行になっているそうです。また、 「北海タイムス」は、1998年9月に事実上廃刊となった北海道の老舗地方紙です。我 が家でも購読していたことがありました。 地域のニュースのコーナーとはいえ、一つの小学校が、これほど新聞に取り上げら れるのは、珍しいでしょう。小規模校・鳥沼小だからこそニュースにもなったのだと 思います。きっと、子どもたちの励みになっただろうなと思います。 「★2月14日、聖バレンタイン デー」は、学年通信のすき間に書いてあった一言 ですが、季節ネタとして取り上げました。それから、最初の作品「★雪のぼうし」に 出てくる小説「雪のぼうし」は、残念ながらどんな作品か確認できませんでした。も しも、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。お願いします。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2003年02月21日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 「★父親参観日―ごくろう さま でした」で分かりにくい部分は、「シーズン 券」かもしれません。北海道のスキー場の多くは、1シーズン中、リフト乗り放題の 「定期券」を発行しているのです。鳥沼小は富良野スキー場まで車で20~30分ほど。 冬季間の体育の授業の多くは、スキーとなります。個人的にスキーに行く機会も含め て、年に計10日ほどスキー場に通えば、シーズン券は通常、元が取れます。父親参観 日で、「みんなシーズン券を買ってやった方が安上がり」という意見が出るのは、当 然といえば当然だと思います。 余談ですが、私は十数年前、長野・白馬のスキー学校に勤務していたことがありま した。私の知る限り、当時の信州のスキー場では、シーズン券を見かけませんでし た。私自身は勤務中なら、スキー学校のユニホームを着ていれば、リフトは乗り放題 だったのですが、一般の利用者にとって、シーズン券がないのはかわいそうだなと感 じていました。 「★27才の誕生日」では、父がまた「うそ」を書いています。「範士八段 音喜多 先生に“山口! ちょっと来い! 気迫が足りん 気迫が”どなられての毎日だそう です」の部分です。 はっきり言って、音喜多(おときた)先生が、私らをどなることなど全くありませ んでした。「範士八段」とは、剣道界の称号・段位としては実質最高位といっていい 方なのです。北海道内でも数えるほどしかいません。初段、二段の私らから見たら、 雲の上の上の上の方。そんな方が、私らに声をかけることは、まずありません。私ら が「気迫が足りん」とどなられるとしても、高校の剣道部の先輩からか、せいぜい五 段、六段の先生方までです。 ここは、完全に父の創作です。過去にも何度か指摘しましたが、これは、父の悪い 癖です。読み手を過度に意識して、瞬間的に「山口智」から、脚本家・詩人たる「大 津哲太郎」に変身してしまったのでしょう。聞きもしないことを確認しないでコラム に書くというのは、本当に恥ずかしいことです。 「★バレンタインデー」は、担任の5年生女子からもらったチョコレートが、本当 にうれしかったのでしょう。義理チョコであっても。これは、似た経験があるので、 分かります。 思い出したのは、先ほど触れたスキー学校でのことです。1980年代後半は、修学旅 行でスキーをやる学校が関西圏を中心に多数ありました。我がスキー場へも、大勢の 高校生が、やって来ました。 男性の指導員が最も緊張するのが、2月中旬でした。特に、女子の班の担当になっ た時です。一つの班で10人前後の生徒を受け持つのですが、指導員は、チョコレート をどれだけもらえるか――これが、「指導力の証」のように学校内で言われていまし た。私の「指導力」は? 父のように、記録には残さなかったので、どうだったか なぁ?(笑) (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2003年02月14日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 今日2月7日は、父“悟風”智の誕生日です。生きていれば、68歳でした。こんな 日に掲載したのは、「命」について考える作品となりました。1976年2月の学年通信 に掲載された作品は、この1編だけです。 妹が虫垂炎の手術を受けた当時、妹は小学1年、私は4年生。手術が終わって帰宅 した母から「二葉ちゃん(妹)、もうちょっと遅れていたら、死んでいたかもしれな いんだって」と聞かされたことぐらいしか覚えていません。家に電話はありました が、遅くなると連絡を受けたとしても、私1人で食事の支度は出来ず、その間、私が どこにいて、何をしていたか、記憶にありません。 今、27年経て読み返すと、大変なことだったと改めて思います。町医者は、まだ虫 垂炎の診断が出来なかった時代ということになります。これで思い出して、「外科医 ・当麻鉄彦 メスよ輝け!!」(高山路爛・作 やまだ哲太・画、集英社)という漫画 をもう一度、読んでみました。似たシーンがあります。時代は、1960年代のようで す。主人公・当麻鉄彦の兄(高校生)が腹痛を訴え、町医者が往診したものの、虫垂 炎と正しく診断できなかったことから、兄は腹膜炎を起こし、敗血症、腎不全と併発 して2週間後に死亡したという場面です。鉄彦は、これを機に「兄のような病人をき ちんと救える臨床医になろう」と決意したとあります(ビジネスジャンプ・コミック ス第2巻より)。 さて、「娘の手術」で、分かりにくいのは、「リンク」でしょうか。当時の我が家 は、父の勤務先である風連中央小学校と、校庭を挟んで向かい合っており、ドアから ドアまで約100メートルの距離でした。そのグラウンドは、冬になると東半分がス ケートリンク(1周200メートル)、西半分が雪上サッカー場になりました。私たち 兄妹は放課後、帰宅すると、玄関でスケート靴に履き替え、そのままリンクへ直行し たものでした。 (発行者・山口一朗)===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2003年02月07日
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