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今週は、1月第5週。山口“悟風”智の誕生日とスポーツについて、メルマガ発行者で長男の一朗が書きました。本文は、以下のアドレスのバックナンバーに、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ に掲載しています。
2004年01月30日
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今週は、山口家での「ごちそう」について、メルマガ発行者で山口“悟風”智の長男の一朗が書きました。本文は、以下のアドレスのバックナンバーに、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ に掲載しています。
2004年01月23日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 同じ学年通信に載った3編を掲載しました。父“悟風”は、書きたいことが盛りだくさんだったのかなと思います。1日で読むには、分量がおおかったので はないでしょうか。 「★新しい出発の 前―」は、毎年この時期に似たような作品を書いています。通常号第41号(03年1月10日発行、 http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20030110 )や、翌週の第42号(03年1月17日発行 http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.cgi?20030117 )をご覧下さい。 「★年賀状」で、父が書いていることは、私も同意します。印刷会社が出したそのままのような年賀状は、もらっても、うれしさ今一つです。いっぱい書い てくれている人の方が、好きです。自分自身の賀状もそうです。ただ、毎年反省しているのは、どうしても文字が多くなること。短い言葉で、スパッと書きた いのですが、なかなか出来ません。 「★辛口カレー」は、何となく家族の、ある日曜日の様子が浮かんでくるような気がしました。私は、実家から約60キロ北にある旭川市内の学校に通って いました。日曜日もあまり帰宅しなかったので、この時のことは知りません。ただ、気が向いて、カレーライスを作った父の様子、カレーが出来たのを見て、 感動しただろう母の様子、それを文句を言いながら食べていた妹の様子――を想像していました。 年末、実は、久し振りにカレーを作ったせいでしょうか。こんな情景が妙に強く、鮮明に、感じるのです。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年01月16日
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◆編集後記「千鳥足」◆ 「★さあ 出発の年だ!」に書いてある二十五日間とは、北海道のほとんどの学校 での冬休みの長さです。ちなみに夏休みも25日間です。 長く北海道を離れていると、こういう「道産子の常識」を忘れてしまうようです。 実は先日、卒業した高校に電話しました。教員として母校に戻った先輩に、連絡を取 るためでした。「授業中でなかったらいいんだけどな」と思っていると、電話口の向 こうで、「M先生、出てきてたっけ?」と話しているのです。「年休でも取ってるの かな」と思っていると、昼間なのに、先輩が顧問をしている音楽部は、合唱の練習を しているらしい。そこまで来て、ようやく「そうか! 北海道はまだ冬休み中だった んだ」と気付きました。 「★気温差六十度、たくましく」と「★家族の思い」を書いた時、父“悟風”智に とっても、当時の出来事は「衝撃」だったのでしょう。このメールマガジンを2年近 く発行してきて、父が作品で国際関係に触れるのは、珍しいなと思いました。 「米ソに氷解ムード」「日ソ関係も、好転の兆…」のきっかけになったのは、85年 3月にソ連でゴルバチョフ氏が共産党書記長に就任したことでしょう。「グラスノス チ(情報公開)」と「ペレストロイカ(改革、大改築、建て直し)」の政策を採った ことで、東西の対立が大きくやわらいだのは事実だと思います。 一方で、86年1月28日、スペースシャトルが発射直後に爆発したことは、前年(85 年)8月12日に日航機の墜落事故があったこともあって、ものすごく大きな衝撃でし た。 「★家族の思い」の中で、私が共通一次試験で思う点がとれず、志望していた国立 大には合格できそうもないと電話したことを、父は書いています。この時は、両親に さらなる負担をかけることになって申し訳ないと本当に思いました。 ただ、塞翁が馬です。私自身は、大阪の私立大に入学したことは、北海道や東京の 国立大で4年間過ごすよりも、結果的に良かったと常々考えています。日本の北の端 で生まれ育った人間が、歴史的にも、文化的にも奥の深い近畿で生活したことで、多 くの貴重な出会いがありました。地元や首都にいては見られないこと、想像すらでき ないことが少しは見えた気がします。 時はちょうど、入試の時期。来週末(1月17、18両日)には、共通一次試験の流れ をくむ「大学入試センター試験」が行われます。自分の反省を込めて言えば、受験生 の皆さんには、まず体調に気をつけること、次に時間に余裕を持つこと、そして、最 後まであきらめないこと。この三つをお願いしたいと思います。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年01月09日
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◆編集後記「千鳥足」◆ あけましておめでとうございます。新年を皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私 は、年賀状書きで冬休みが終わりました。 2004年最初の「おかあさんへの手紙」は、北海道の冬らしい2題でした。どちら も、氷点下30度を下回るのが当たり前だった1970年代の、風連町などを含む北海道名 寄地方の冬の様子を、よく伝えていると思います。 「★風連の寒さ」では、風連中央小学校の校舎とグラウンド、当時住んでいた教員 住宅が思い浮かびました。我が家は、グラウンド東側にある道路からは一番奥(西 側)にあったので、冬になると、車を出すために除雪にかなり時間がかかったのだと 思います。 少し分かりにくいのは、「“八月まで 雪はないや”と 車のないころは、新聞配 達の人やヤクルトのおばさんまでご迷惑かけていたけど。だったのに」という文章で しょう。筆者の思いは、「これだけ雪が積もっていたって、いくら風連が寒くたっ て、8月が来るまでには、雪は全部消えてなくなるよ」という意味です。だから、雪 が積もったまま放置していて、新聞やヤクルトを配達してくれる人たちに迷惑をかけ たということです。 1970年代は、まだ「マイカー」(この言葉は、今となっては死語かもしれません が)の普及率はまだそう高くはなかったと思います。そう思って調べてみたら、株式 会社オリコム(東京都港区)のサイト「Orbit」(http://www.oricom.co.jp/ ) を見つけました。掲載しているコラム「リサーチのツボ ~データで見る日本~」の バックナンバー「車をお持ちですか?」 (http://www.oricom.co.jp/research/re020621_1.html )に貴重なデータ分析が載 っていました。記事によると、日本の自動車保有台数の総数は70年の1653万台に比べ、 2002年には7627万台、約30年間で4.6倍にも増加しているということです。人口(国 勢調査)の伸びは1.2倍、乗用車(普通車+小型車)の伸びは7.7倍。やはり、30年前 は、自動車が高価だったということでしょう。 また、寒冷地仕様の車はそのころからありましたが、そうであっても、零下30度で は、エンジンがかからないことが多かったと思います。 「★ノルディック大会」は、多少の説明が必要かもしれません。 父“悟風”智が手伝ったという大会が行われたのは、風連町の北隣の名寄市にある ピヤシリスキー場での大会です。計時係を担当したのでしょう。 ピヤシリは、国際大会や全日本クラスの大会が開催できるスキー場です。大きな大 会でいうと、79年と昨年(2002年)には、国民体育大会のスキー競技会も開催されま した。スキーのジャンプは、夏でも冬でも大会を開いており、原田雅彦選手(雪印) ら、世界クラスの選手が飛びに来ています。(参考サイト→ http://www.sfen.jp/sporttown/st_0013.html ) この文章にある「三十度という酷寒の中を凍傷にかかりながらも」という表現。普 段、大げさな表現が多い悟風ですが、ここは、父にしては、むしろ控えめな表現だと いえます。スキーの距離(レース)競技の選手は、最長50キロ走ります。当然汗をか きますし、鼻水も出てきます。こめかみや鼻からつららをぶら下げて走っている選手 をよく見たものです。読者の皆さんの中にも、荻原健司・次晴兄弟など、ノルディッ ク複合の日本人選手がオリンピックなど世界大会の放送で、鼻水どろどろ状態で走っ ている姿を見た方もいるでしょう。 父は、札幌オリンピックで70メートル級(現・ノーマルヒル)ジャンプで金メダル を獲得した笠谷幸生さん(現・全日本スキー連盟ジャンプナショナルチーム担当理事 兼ヘッドコーチ代行)と、くみ交わしたと書いてあります。反省会の会場で、話しな がら飲む機会があったのでしょう。ここで、笠谷さんは「五年待ってください。必ず 日の丸飛行隊を よみがえらせます」と約束したといいますが、その3年後の80年、 レークプラシッド五輪で、たくぎんの八木弘和選手(現・同連盟ジャンプナショナル チームチーフコーチ)が銀メダルを獲得しています。その後、98年の長野五輪で日本 ジャンプ陣は大活躍しました。(参考サイト→ http://www.joc.or.jp/ichiran/index.html ) また、落合力松さん、塩田富治さんとも、かつての距離スキーの名選手で、どんな 方かは、インターネットでも検索できます。 なお、文中の冒頭の「二十八、九、三十と三日間」は原文では「二十八、九、十と 三日間」になっていました。明らかな間違いだと判断し、「三」を書き加えました。 (発行者・山口一朗) ===================================★【発行者より】本文は、メールマガジン「おかあさんへの手紙」通常号の講読申し込み窓口http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/index.html で、講読をお申し込みになり、お読み下さい。登録、講読とも無料です。バックナンバーは、http://www.honya.co.jp/contents/letter2mom/ で読めます。
2004年01月02日
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