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温暖化により、50年前の鹿児島の気温が今の岡山で、当時の岡山は今の新潟のそれだったそうな。じゃあ、私の子供時代は石川県くらいか。ここいらは、黄色でなく在来種のシロバナタンポポが優勢で、これもずっと好きなお花。小学校に上がる前くらいの時に、兄と祖母(低学年の時他界)と一緒に、丁度この季節に家の周りの花を摘みに出た。大振りのシロバナタンポポを祖母に得意げに差し出す兄に対抗して、「小さい花もかわいいんで~」と、ハコベか何だったか小さい白いのを持って行ったら、いたく感心された。祖母からすると、人の眼にもとまらず、こつこつ生命を全うする小っぽけなものに人間の姿を重ねたから、あんな表情をしたのだろうが、当時の私は、精密で繊細で美しい小さい花の方がより積極的に好きだったのだ。自分の生れた土地と家とを、手放しに好きだったり、元々ストレートに自己肯定できる人間ばかりではない。ある程度の規模の街は生き易い。状況や環境に何かと救われるからだ。しかし、出自、出所を否定するのは自分をまるごとそうしてしまうようで辛く苦しい。状況でなく、土地でなく、自由だと思えないのは私の問題だ。何故長男にだけ個室が与えられたか。何故男子には進学させられても私を大学に行かせる金は無いと言われたのか。何故兄は宗教にハマったままなのか。大きなものに委ね、頼るのはラクで安心だ。すんません。お彼岸で墓参りして、戒名とか亡くなった年とか「ほう、こっちが光平さんの父ちゃんの墓ね」とか興味深く先祖の歴代を遡ったりしました。ダンコウバイとワサビとも一回ユキワリイチゲ。
March 23, 2008
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ホームセンターで一番安かったポリプロピレン(PP)額縁。(エコマーク製品)ラワン・プリント合板の様な昭和調の木目塗装が施されていたので、研摩して落としました。(これはこれで安さが滲み出ていて良かったのだが)ぱっと見、針葉樹無垢材のモールディングみたいだ。・ ・・すみません言い過ぎました。さて、柚子味噌を思い出したので写真2段目右。うちの実家のは甘辛い醤油味。毎年冬は魔女の大鍋がストーブでぐつぐつしていました。上白糖の真っ白い山が私の食欲を減退させたものです。(辛党)ついでに唐突だが実家鴨居。(写真3段目)・ ・・で、でか。成300超えているかも。大正元年、祖父の誕生日に合わせて建てられた家。(因に一族、この祖父を中心に全てが回っていた)中国地方の典型的農家の造りで、部屋は田の字に建具で仕切ってあり、私がこんまい時は、玄関から入って台所まで三和土の土間が続いていた。かまども憶えている。高校卒業して自活するまでは個室が無かった。奨学金の返済は大変でした。(安堵)イカルが「ヒョ~ヘ~ヒ~ヒョ~ヘ~」ってもう鳴いています。彼等には早春ならしい。でもジョウビタキもまだまだ目につくね。
February 3, 2008
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自分と対峙するだけで安心してちゃダメなんだ。そこから理由をつけて進まない楽な道を選ぶから。外因と錯覚する実はもう一つの自分を超えて行こうとしないと、生きているとは言えないぞ、アタシ。来年からは年令を訊かれたら「5ですよ、ははは」と返答しようと思う。 何処を目指したらいいのか解らないカレーもできました。
February 11, 2007
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の、部門記号を経る。910や1820のキリの良い青竹を横にでなく、縦にスパッとも切れないよおなJIS2級世界(ああ、まだシビアでないでしょうよ)に、リストラに逢ったんで去年やって来たんですわ。結果、休日激減+残業。(お値段据置き)作ったり読んだり脳内旅行行ったり出来なくなったんです。もお、ワレ、ヒトニアラズ。私的ヒト規格はお母さん。誰も自分の出所を否定できるかしら。なかなか会えない友達、お元気ですか。あれから宅の電話器が鳴ったのは指折り(年末年始の身内連絡のみ)3、4本ですが何か。(ケ-タイフケータイですが何か)旧い友や、ここで会えた人に、一件一件お話に行けたらいいのになあ。
February 1, 2007
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直毛さん(メーテル似)と巻き毛さんです。あんたら、崖っぷちを、其の程度の認識で宜しいのですか。きょうは、しょくばの方の近親の方が亡くなったので、ナミダ出て、ひざもふるえて、(何でアンタがっつ)おしごと手につきませんでした。(現在進行形)
November 14, 2006
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美しいなと思うのを切り取る。はなみ
November 8, 2006
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「さようならしなくてはならないので、あうのはいやです」が、いつからかみにつきました。
November 2, 2006
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それでも、手元に残っているものは、何でしょう。子供時代の絵、捨てなければよかったな、と、今の今の私になってようやく思います。
October 26, 2006
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何が良いって、一つ間違えると何処へ誘われるか分らない賭博性を孕んでいる所が。(ナビ?ありませんが)後、「カッパドキアは何時か押さえとくべきでしょう」とかよい考えがいっぱい出て来るとこ。 一番よく乗ったのは、20才前後。S48年製ホンダライフ号↑で何処までも行けそうな気がした。「ライフゆうて、120キロ出るんじゃなあ」「よう屋根とかドアとか飛ばんもんじゃなあ」沼津PAで見た朝日は忘れない。その頃は骨董屋丁稚で、朝3時に起きてレンタル車で東寺(毎月のちっちゃい方のやつ)に出稼ぎに遣らされたり、福山や香川やなんかにもお使いした。昔の手仕事の高技術に身近に触れられる眼福な日々だったと思う。それでも私は、おお美しいことよ、と恍惚はするものの、それを手に入れたい、欲しい、とはどうしても感じない。(経済的にと言ってしまえばそれまでだが)大人になればそれなりに、土地が欲しい、備前の布袋さんが欲しい、信楽の狸が欲しい、等のいっぱしの所有欲が身に付くかと思ってたのに。きっと小さい子供時分から、「私が所有できるものなど、この世に何一つ」無いのだわ、と諦めなければならない事が多かったからかも知れない。休日のご本は、九鬼周造『「いき」の構造』 何もいらんけど、こんなところで自給自足生活したいだけ。
September 10, 2006
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縁側で乾かしていたむくげを描いた画用紙にみつばちがとまったので、大人のひとにみてもらおうとした夏休みでした。大人うけのする技工に走ったいやな子供でした。
August 22, 2006
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赤シソの塩もみに漬ける前の塩びたし干し梅。子供私はよくつまみ喰いしてました。一年分の味噌仕込みの時の茹で上がり大豆もつまみ食いしてました。それが子供の仕事です。
August 7, 2006
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ばあちゃんの家がなくなるそうな。四個一で唯一存命の母方祖母のおうちは岡山市にあります。祖母は年相応に痴呆もあり、体にガタもきており、数年前から彼女の長女宅で暮らしてます。子供期の夏休みとか長い休みの日にはここのお家に行くのが楽しみでした。ハレ(あえてカタカナ表記)の国岡山とはよく言ったもので、県北とは湿度、気温、日照時間とも年間を通じて違っていて、カラリと明るくぽかぽかした所。この隣街の倉敷市の短大に進学するにあたって当初数カ月間居候させてもらったんですな。この時代のアタシときたらドアーズの『ストレンジ・デイズ』を愛聴しとるようなモラトリアムティーンエイジャーでしたので、直に学校の近所に引っ越しちまいましたが。知らせを聞いた今朝、あのお家=このアルバムが脳裏に流れて来ました。あれは絶望の反対の季節をうたったアルバムでしたので・・・、青春じゃのう。トウが経ったもんです。自分自身の実家を含め、「ずっと在るもんだ」と何故か勝手に決め込んでますが、何時でも「当たり前」はずっとあるもんでないです、またまた実感。で、すので、今現在会ってる人、思う事、がとても貴重ですね。毎日顔合わせてるそれら、一夜の夢だったりして。しみじみ。今日の収穫でっす。
May 31, 2006
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未だ学名調べず。この草は私の人生に於いて「うさぎのみみ」と呼称さる。山育ちな小学生だった私ですが、時既に高度経済成長後期、物質文明成熟しまくりな同級生達を横目で眺めつつ、物品を買い与えてもらった記憶が殆ど皆無と言って差し支えない子供の遊び。(長いセンテンスじゃのう)片道子ども足でちんたら帰ったら30分くらいかかってたかなあ、小学校出てすぐのあぜ道。で、成るべく毛並みの艶やかで大振りで純白なのを厳選→3本目を首元でまきまき、キュッする→これを2体こさえる→この二人で何かが降臨したかのごとくストーリーが始まる→愉悦に浸りつつ一大カタストロフィを迎える頃にいつ到着したのか記憶がないまま帰宅済み。これが秋になるとすすきバージョンにスイッチ。ポイントはやはり、素材のセレクト力にある。物語りへの入り込み具合を左右する重要な工程なのだ。今日は3粒~、徐々にサイズダウンしてますが、しょおがないよねん。
May 30, 2006
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もらってから久しいうちの杉無垢(無塗装)のお盆を、これまたもらった蜜ろうワックスを塗ってみる。ふ~ん。普通。しかし、挽き物も一回はやってみたいなあ・・・。また始まったよ。で、今日ですね、せっかく平日昼間の人になったんだから、前々から気になっていた旧道の骨董屋さんを「たまには眼福」ってひやかしに参りました。で、そこで、15年分驚いて来ました。高校を卒業してからこっちと言うもの、高校だろうが保育園だろうが、同級生と名の付く人物にはお目にかかった事すらなかった引きこもりばばあですが、遂に記録が敗られてしまいました。ええ、ええ、そこの店主さま@三代目がそれらしい。「らしい」というのが、こちらの記憶がすっぽり抜け落ちているから。何度でも申しあげますが、私にとって学校なんてものは「の、呪ってやる」以外の何ものでもなかったのですね。同級生の記憶?あるわきゃあないっつーの。なんで発覚したかっちゅうとですね、茶のみ話しの最中にうっかり自分の名字を言ったから。私「すっっっぅごい若い時分に、骨董屋で丁稚してたんですわ」店主「昔ゆう割りに若いですがあ」私「あら、ご主人こそ」(この辺の会話はありがちな骨董屋の社交辞令です)店主「いや、33ですよ今」私「じゃあ同い年じゃわ、敬語やめるわ」店主「え~、同い年で○○っちゅうたら高校同じじゃがん、6組。○○、憶えてねえ?」私「・・・クラスっすら憶えとらんわ」という展開。そんな、うちら世代のすっかりパパりん容貌になっちまってる同級生なんて例え憶えとろーが個人が特定できるわけないわよねえ。しかも、さらに驚いたのが、「同級生に会わない記録」が、実は短大時代に既に記録ですら無かったって事。この同一人物と津山駅前にて、会話まで交わしていたそうです。で、タイトル。アタシの脳みそ・・・もう一体なにを信じたらいいのか分りません。おまけシリーズ津山市さくら状況。
April 6, 2006
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ジャンルは国産軽自動車限定。な狭隘な旧車好きです。ええ、アメ車だイタ車だあ、カタチから入る種類の志向です。あと、手間がかかる動物的なところがええんっすわ。初乗りはアタシと同い年のS48年製ホンダ・ライフ号。Nチンに似てるやつ。学生時代さる自動車屋で眠っていたそれを車検代だけで復活。軽の車検は8万円くらいよ。でも、奨学金とバイト代で生計立ててる身には散財だったわ。これでねえ、大宮行ったのよ。高速で。いや、ホンダに就職した娘が正月に帰省しててね、「欲望と犯罪の渦巻く都市TOKYO(ハング・マン風でよろしく。あー、知らないわねナウでヤングな方々は)案内するわよ」ってんで休み利用して。そん時、新幹線でもなく、飛行機でもなく、選んだ交通手段が、2才半年並みの脳みそにはマイカーしかなかったのね。行きは2人で交代運転、って決定した時のその娘の言葉「うん、だいじょーぶ、ホンダのエンジン丈夫だから」ええ、何事も無く倉敷帰省。このいきさつを後々人に話したら、皆が皆、「そいつもそいつだ、無謀」って語種になってるわ。その後もS49年ステップ・バン、45キロしか出ないマツダ・キャロルの‘60年代後期型。お世話になりました。あなた方は転売に苦労しませんでした。あ、でも今の車選ぶ条件っていったら、ひたすら実用性と経済性を追求したシブい選択。そして何より「走行中勝手に止まらない事」が大前提ね。ま、所詮20~1.2才の物欲熱にやられてただけかも・・・、や、面白くない大人になっちまったっていうことかしら。
April 1, 2006
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今日雪じゃったけぇ、津山市。(発音が想像しにくい方は文太兄ぃに近いと想像してください)ふふふっ!想定内よ、お見通しなんだから。タイヤ、しばらく換えないことにしようっと。毎年めんどうくさいったら。(積雪地域限定の話題)この寒さ、子供の時は「呪ってやるぅ~」と怨念込めてましたが、津山に帰ってきてからは免疫つきまくって、「暑いじゃあ寒いじゃあ、どおしょおもねぇもん文句ゆうてどがんなるんなら」(暑い寒い等と、どうにもならない事を文句言ってもしょうがないではないですか)くらいにあしらえるようになりました。そして、これまでもさんざんっぱら公言している事だけど、通常の人間より13テンポ遅いと冠される私の身体機能も、自分にとってはこれが標準なのよねえ。保育園から始まって、周囲の子供や大人たちのてきぱき、きりきりぶりに恐れ入って現在に至りますが、割と遅くない時期にそれが「どうしようもない」事だと自覚だけはしていました。
March 30, 2006
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昨日のタイトル、昔読んだセンダックの絵本で、主人公の女の子がこんな感じの台詞を言ってたのよね。『うさぎさんてつだってほしいの』でしたか。その子が母親へのプレゼント選びを(といっても、店なんかじゃなくて森で)うさぎに候補をあげてもらいながらしぼっていきます。その中で、わたしのおかあさんは小鳥やお花は森にあるままのが好きなの、というんですね。(結果くだものを贈る事になったが)まったく、これは何事にもあてはまることです。
March 28, 2006
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