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平成14年の年末紅白歌合戦でも歌われた歌劇曲「私のお父さん」を私は携帯目覚ましのメロディーにセットしています。「私の父」は菓子会社の職人でした。もう随分昔の話ですが確か「職人」というテーマで父の事が地方版の新聞に掲載されたことがあります。中学生の時美術の時間に描いた父の作業風景の絵がその時えらく先生に誉められたことを今でも覚えています。上手く描けたというより菓子型を手作業でひとつひとつくるくる回しながら焼いていたせんべい作りの光景が先生には目新しく感じたのだと思います。その父も四年前84歳で他界しました。前夜まで風邪気味で自宅療養中、私が作ったちらし寿司を美味しいと言って食欲もあったのですが、次の日のあさ母が買い物に出かけているうち一人で台所のテーブルの下で亡くなっていました。朝食にも私のおすしを食べたらしく、お昼ご飯を食べる前だったのでそれが人生最後の食事だったのです。私はお昼に丁度その時仕事から帰宅し、親戚から知らせを受けました。電話の声で最初「お父さん、亡くなったよ。」と言われ私は「どこの?」と聞き返しました。突然で信じられませんでした。若い時分、家庭人としては母にも不満があり苦労もかけたようですが私にとっては父のぬくもり…幼い頃に発熱でうなされた時よく一緒に寝てくれていて、父の腕の中のぬくもりは今でも忘れられません。このぬくもりを「わたしのお父さん」の中に思いを寄せ巡らせます。オペラ歌手、鈴木慶江(のりえ)さんの歌はテレビ東京「美の巨人たち」のエンディング曲でもおなじみでした。プッチーニ作曲。
2004年03月26日
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数年前から私の母(80歳)に少しずつ狭心症の症状がみられ2月中旬、総合病院で心臓のカテーテル検査を受けました。腕の動脈から造影剤を送り血管の状態を見るもので私も一泊入院に付き添いました。検査結果はやはり長い間の年月、血管にコレステロールが溜り心臓に送る冠状動脈が少し細くなっていました。先生からのお話で治療の方法として一番はバイパス手術があるが年齢が年齢だけにそれはやめ、薬での治療で今後の様子を見るということになりそれは本人と家族の要望でもありました。退院の日以後それからはほとんど毎日のよう、私は母の下へ血液さらさらメニューの惣菜を作り持って行くようにしています。むかし成人病予防の講習会へ行き使っていた『食品交換表』の本が今回とても役立っています。幼少時代は食べ物に恵まれなかった母は今まで好みで食べてきたと思います。その好きなものがここにきて生活習慣病に現れたのですから・・・とはいっても80年も生きられたのです。不足はない年齢です。だから「好きにすればいいじゃないか」と思っていてもいくつになってもいて欲しいというのが子供の気持ちです。実家の台所へ掲げた絵で書いた表、医食同源で食べることは大事です。自分の健康をみつめ自分でも管理してネ!とい願いを込めました。
2004年03月07日
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