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チーは今、ばぁばと沖縄の姉宅
私自身も、3/23の引継ぎの翌日から3/24~3/31まで滞在しており、一足先に帰宅した私は、今日やっとブログを書けた次第。
頑張って日記を記録しておくよ
2/16-3/11
無職状態だと在園していることが申し訳ない気がして、毎日ガッツリ予定を入れる
ITトレ参加、求人チェックの毎日
3/11(金)
川崎病の検診日。心エコー異常なし。
アスピリンの服用終わり、次回は半年後の8月
病院でマスク姿。病院いる時に地震こなくて良かったけど・・・
実家へ帰宅して衣類を脱いでる時に、震度5強の地震発生
震源地の東北にて大災害・・・
余震がすごいので、家に出入りし毛布や水など持って、ベンチに座る。
夕方は寒くなったので車に乗ってみたりしたけど、大丈夫そうなので家に入った。
福島出身の従姉妹が徒歩でやってきて、福島にいる家族のことを心配する
余震と携帯の警報で、ほとんど眠れなかった
3/12(土)
大きめの余震が多い。ひたすらTVを見て状況の確認
繰り返される大津波の映像に怯え、テロップに同じ情報が何度も流れるので今起きたことかと驚き、被災者のインタビューに胸を痛め、ドッと疲れた
余震が怖くて、チーは外へ出せない。従姉妹がいるので、気が紛れて楽しく過ごしている様子
従姉妹と協力して、電話とネットで親戚の安否を確認
原発が爆発したということで、さらに衝撃
3/13(日)
今日も余震。従姉妹も不安なのか、連泊
母が今日食べるお肉がないというので、気分転換を兼ねて1人で買出しへ
ところがスーパーの棚は、すぐ食べられるような弁当・パンがからっぽ、肉など生鮮食品もからっぽ。
放射能汚染を恐れ、家篭りのために、食料を買い込んだのか
とりあえず買い込むのはバカげてると思い、頼まれた肉と自分のチューハイだけ手にしたけど、レジ並びすぎ_| ̄|〇
会計で30分くらいかかったよ・・・
従姉妹は明日出勤なので、夜に帰宅。人が減ると何だか心細い・・
私はマンションが計画停電に入っているし、古い家に住む1人暮らしの母も心配なので、まだ帰らず実家にとどまることに。
3/14(月)
毎日余震。プラス、3号機も水素爆発。不安と緊張でだんだん煮詰まってきた
16日は仕事の引継ぎ日だったけど、日程は特に決めうちじゃないので23日へリスケしてもらった。
チーはしかめつらでニュースを見る私を横からじーっと見つめて、目が合うと愛想笑い
ストレス溜まるよね、チーも。反省・・・
寝巻きのままずっと室内で遊ぶ、退屈そうな背中
原発から24kmの従姉妹の家族が、車で東京に向っているということ
ガソリンはたまたま満タンだったので、東京手前まで来る分くらいはあるらしい。
被曝検査し、シャワーで除染したという
母の親戚はみな福島と仙台で、命は助かったが避難所にいるなど状況は悪い
母の心労もMAXになっていて、 かなり情緒不安定になっており、私にヒステリックに「チーと避難しなさい」を繰り返して、怖すぎ
TVに映画を流して、布団を引いて、チーと隔離し、ひとまず昼寝するように頼んだ
余震も多く、3日の家ごもりで、各局の報道も同じ報道の繰り返しばかりで知りたいことは知れず、見たくなくなっていた
情報はipodでチェックし、TVでは録画の映像を流したりした
まんじりと眠れもしない状況・・・・
結局、計画停電は無し(゚д゚ )
3/15(火)
名古屋の兄が「埼玉に帰省中の奥さんが名古屋に帰るので、一緒にみんなで避難してきたら」と電話してきた
兄の子供は9ヶ月なので、原発が心配だよね
普段はマリモのように物静かな、"ホワッツマイケルの猫に好かれるおじさん"のテイな兄が、結構しつこく電話してきたので、よほど心配なのだろう。
夕方には「会社を休んで迎えに行く」と電話してきたが、母が「東京はガソリンが入れられないから帰れなくなるよ」とお断り。
その夜、東海で大きな地震・・・ほんと来なくて良かったよ・・・
兄の電話を受けて、母が「あんたもお嫁さんと、新幹線で名古屋に行きなさい」とやかましいのと、実家に滞在するにも洋服を全く持ってきていなかったので、母へのポーズとしてマンションに荷物をまとめに戻った。
この空に、放射能が漂っているのかな・・・と不気味な気持ち。池袋も節電で暗く、怖い感じ。
そんな中、働く人々はいつも通りに動いていて、日本人の整然とした感じが、私にとってはかえって非日常的な印象を強くした。
マンションには主人。 なるべく、近所の実家へ行くようにお願いする。
主人は、突然の避難準備にビックリしていた様子。でも子供のことだし、今は状況が読めないし、念のため行けるなら行ったほうがいいかも、と言ってくれた。
兄の家に初訪問なので、小旅行気分で行けば、とのこと。
帰りは雨が降ってしまったので、心配した主人がガソリン不足の中車で送ってくれた。
だけど余震も多いので、子連れで移動してもし新幹線に閉じ込められたら
原発がまた爆発して、駅で大量に浴びてしまったら
この時は分からないことだらけで、動くに動けない、という思いが強かった。
お嫁さんも同じく迷っていて、どうするのかハッキリ決まらずだった。
3/16(水)
いよいよ福島の親戚が到着しそうなので母は布団干しなど受け入れ準備に忙しく、新幹線での帰省を迷っていた兄嫁が決心して帰るというので、状況に押されて?といった感じで私も送迎がてら同伴することに。
チーには「新幹線初めてだね、楽しみだねぇ」と盛り上げて、大人の不安を感じさせないように努力した。
ホームから車中を見つめる、見送りの母の目がしょぼーんと寂しすぎて、チーが「なに?なんで?ばばといっしょにいきたい」と少しパニくってしまった。
兄嫁は同い年で、育児話もできるので、新幹線での会話も弾む。
やはり、原発のことでアレコレ語り合った。
ここからは、名古屋滞在記に続く。
地震の3日前、3/9の駒沢公園・・・
梅が見ごろだった。最近はよく歩いてくれるので、リッキーとも仲良く散歩できる。
陽だまりの下、こうやって普通に散歩することが、贅沢になってしまった・・・
今でも信じられない。
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