別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2007.08.20
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カテゴリ: 子どもの世界
【ひぐらし】

●8月3日

今朝は、ジイジと山荘に一泊した。
昨夜、7時ごろ、ここに着いた。
山荘といっても、ジイジ手作りの、ログハウス。

ジイジは、ぼくが生まれる前、7年もかけて、このログハウスを建てたという。

しばらくテレビを見たあと、床についた。
「明日は早いから」とジイジは言った。
ぼくは、「うん」と言って、それに従った。

床から見ると、ジイジは、ひとり、缶ビールを飲んでいた。

ジイジと約束しあう。

「ひぐらしの声を聞いたら、起こしてよ」と。

ぼくは、ひぐらしの声が大好き。
「明日こそは、声を録音してみるよ」と、ジイジに告げる。

日本海を通り過ぎる台風のせいか、どこかむし暑い。

扇風機のやわらかい風。それを感じながら、
そのまま眠る。

……

●8月4日

朝、目を覚ます。時計を見る。午前4時。
ジイジが、「鳴くのは、いつも4時半ごろ」と言っていたのを思い出す。

ぼくはカメラを手にして、細い階段をいおりる。
下ばきをはいて、外に出る。

まだ暗い。足元もよく見えない。
どんよりとした重い雲を、すぐ上に感ずる。
「今日は鳴き出さないかもしれない」と、
ふと心配になる。

谷下の小川を流れる水の音。
昨夜の雨で、増水したらしい。

やることもないので、そのまま庭に生えた雑草を、何本か抜く。ひんやりとした手ざわり。朝のツユ。

2週間もこないと、夏の庭は、そのまま雑草におおい包まれてしまう。「いやだな」と、心のどこかで、そう思う。

再び居間にもどって、電気を消す。

5分、10分……。

そのときジイジも起きてきた。台所の電気がついた。

●ひぐらし

気のせいか? 遠くで、ひぐらしの声を聞いたような気がした。

気のせいか? 川を流れる水の音のようにも思えた。

耳をすます。心を落ち着ける。

潮騒のようでもある。しかしそれはひぐらしの声だった。

ザザーッ、ザザーッ、と。

突然、右手にある林の中で、一匹だけひぐらしが鳴いた。

カナカナカナ……、と。

しかしそれはすぐやんでしまった。
仲間への合図だったのか。
それとも、寝ぼけたひぐらしの一声だったのか?

が、しばらくすると、谷の下からいっせいに、ひぐらしの声が聞こえ始めた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

●撮影

ぼくはカメラをセットした。
庭の台の上に置いた。

しかしいくらシャッターを押しても、カメラが作動しない。

あわてて庭園灯をいくつかつける。
動画撮影には暗すぎた? 

その庭園灯めがけて、カメラをセットする。
ゆっくりとシャッターを押す。

30秒、40秒……。

あたりは足元もよく見えないほど、まだ暗い。
時刻は午前4時30分を、少し回っていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

ひぐらしの声には、高低がある。それがいくつか重なって、ときにハーモニーをかなでる。
ひぐらしには、そういう才能があるのかもしれない。
近くの相手に合わせて、音の高さを調整する?

それがときに、ちょうどオーケストラのような
演奏のようになる。自然のオーケストラ。
まさしく自然のオーケストラ。

静かで、単調な音楽。澄んだ音色が、森を
つらぬいて聞こえる。聞くものを、穏やかなやすらぎで、包む。

少し前、ジイジがそう言っていたのを、思い出す。

今は、夏。だからその時刻になると、ひぐらしが鳴き始める前に目をさまし、それを待つ。

いつもは朝寝坊の、ぼくが……。

●朝もや

カメラのモニターの数字を、ゆっくりと読む。
あいにくと、そのカメラには、音声録音機能がなかった。
録画と同時に、音声をそこに取り入れる。

「うまく録れているかな?」と、それを心配しながら、場所をかえる。
ひぐらしの声に近づく。

何度目かにシャッターを押したときには、あたりは、ほんのりと明るくなっていた。

今度はカメラを高感度設定にして、スチール写真を何枚か、撮る。

ピッ、ピッ、ピッ、と。

暗く沈んだ空の下に、緑を帯びた山々の景色が浮かびあがってきた。
白いモヤが幾筋も、山の間から天に向かってのびている。

遠くで、ヒヨドリの一声が聞こえた。
しばらくすると、今度は、ウグイスがそれを追いかけた。

ぼくは台所にもどり、パンを口の中に、ほうりこむ。
たった今撮ったばかりの録画を確かめる。

声は入っていた。よかった。

ひぐらしの声を聞いていたときには気がつかなかったが、カメラは、小川の水が流れる音を、大きく拾っていた。

ザーッと、雨が降るような音だった。その音を背景に、ひぐらしが元気よく鳴いていた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……

よかった。再び、そう思った。

●編集

頭の中で、ビデオの編集を考える。

画像をスライド風に紹介しながら、そのバックにひぐらしの声を入れる。

まだ暗い朝の様子から、少しずつ明るい景色にする。
エンディングは、朝の景色。

声のナレーションはなし。文字だけを、右から左へ流す。

ひぐらしの声が泣き止んだのは、午前5時20分ごろ。
遠くで鳴いていると思ったつぎの瞬間には、カラスの鳴く声で、それが消された。

朝だ。
8月4日、土曜日。

そのときジイジが、散歩から帰ってきた。
重い木の戸が開いた。
ぼくと視線が合うと、ジイジは元気な 声でこう言った。

「おはよう! 声は録れたか」と。





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Last updated  2007.08.20 09:48:58
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