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7月末頃以来のお久しぶりです。この間雲隠れしてたっかって。そうじゃないんです。ちゃんと生きてましたよ。実は、3月頃から歯の治療をしていたのですが、7月頃に噛み合わせの調整をしましょうということで、噛み合わせの調整を始めたのです。上の顎と下の顎がずれていて噛み合わせが正しくないって言うんです。それを歯に工夫をして噛み合わせが正しくなるようにしようってんです。そんな事できるんですかね。歯がおかしいんじゃなくて、顎がずれてるんでしょ。そのやりかたは、歯が噛み合わさるところに傾斜がある障害を付けることで、上下の歯が噛み合わさった時ずれるように加工したのです。確かにそういう風にすれば噛み合わせの時にズレが起こって上と下の顎の関係がずれるでしょうね。それで問題なく正常な噛み合わせになったかですって。そんな訳がないじゃないですか。とたんに噛み合わせがおかしくなって、食物が咀嚼できなくなっちゃいました。歯医者はその事は重々承知で、次に行った時「何キロくらい痩せましたか」なんて言うんです。噛み合わせが悪くなったら食物が咀嚼できなくなり、味も何もあったもんではありません。食事すること自体が苦痛で、仕方がないから無理無理食べているような状況になっちゃいました。こりゃまあ全く憂鬱以外の何物でもありません。何もする意欲がおきなくて、毎日家で寝転がっている状態になっちゃいました。もう、facebookもブログも何もあったものではありません。治療の途中で仕方がないとは分かっていましたが、憂鬱の限りです。やっと11月に入り歯の治療が最終段階に入り、噛み合わせの調整をしてくれたのです。スッキリしました。食事も進みます。何でも美味しくてたまりません。歯は大切ですね。噛み合わせがチョットおかしいだけで、もうほとんど生きる元気を失っちいかねない程です。まだ、完全には治療が終わってなくて今月末までは掛かりそうですが、この間治療した歯は、実に17本ほどにもなってしまいました。全体の半分以上を治療したんじゃないでしょうか。くわばら!くわばら!歯には気を付けなくちゃ。しっかり歯磨きをしよっと。そんなこんなでfacebookやブログをお休みさせていただいていましたが、またぼちぼち始めるようにしたいと思っています。これからも宜しく。
2012/12/01
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今日(7月22日)は私の誕生日なので、思い切ってあの貴重な食べ物”鰻重”をいただきました。いやー!!美味しかったですね。本当に。こんな美味な食べ物がいただけなるのかと思っただけで生きる楽しみが無くなってしまう想いです。その後、家に帰り息子夫婦が贈ってくれた”陣平”を羽織り、テレビの”平清盛”を観賞しました。平和ですね。日本は。本当に、本当に平和なんだとつくづく思えます。でも、”平清盛”を見ていると、平和を謳歌した平安の世でも醜い権力闘争に明け暮れる人々の姿は、今日の日本を映しているのではと思える暇爺です。
2012/07/22
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皆さん蓮の鑑賞に行かれているようなので、私も今日は早起きし家の近くの薬師池という所に蓮を見に行ってきました。ここの池の蓮は大賀ハスといって縄文時代の壺に残っていた種を育てたものです?が、とても綺麗な花が咲きます。 この蓮の花が満開になると、極楽浄土とはこの様な世界かとも思えるほどの艶やかさですが、今年は写真でご覧の通り花が少なく葉っぱの陰に隠れてしまっていました。 それでも一つ一つの花は艶やかで、花の開く様子を眺めたいと思わせます。 (蓮の花は毎朝日の出とともに開き、夕方になると閉じるのです)毎朝日の出時刻に開くのは確かですが、閉じているとは言っても完全に蕾のようになっているわけではなく、夕方には少し閉じて、朝少し開くくらいです。もちろんポンと音を立てて開くような事はありません。夢を壊して申し訳ありませんが、科学的事実を申し述べているだけです。
2012/07/21
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今日は久しぶりに焼き肉をやりました。*こころ*さんがブログで紹介していた象印のホットプレートを使いました。なかなか便利なんですが、プレートの数が豊富でどれをどのように使えばいいのか始めるまでに苦労しちゃいました。でも、使った後洗いやすくなっていて後始末の苦労は軽減ざれましたよ。肉は高いですね。2人前1,500円も払ったのにほんのチョットしかありません。だから美味しいのかね。
2012/07/16
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7月12日と13日大学時代のクラブの同世代のメンバーが集まり蓼科高原のフォレストCC三井の森というゴルフ場でゴルフを楽しみました。12日は朝八王子を出て、昼からスルーでプレイしました。最近、ためしてガッテンで紹介していた”スーガアアアという呪文を唱えながらショットをすると、ショットが正確になり飛距離が伸びる”話を真に受けて練習し、それなりの効果があるようだと感じていましたので、これはその検証の良い機会だと考え、実際のプレーでもこの呪文を唱えながらショットを打つように心がけました(ただ、ガアアアは省略し、スーだけを唱えるようにしました)。これが素晴らしいんです。まずもって、ドライバーが確実に真っ直ぐ飛んでいきました。飛距離はあまり良くは分かりませんでしたが、それなりの距離は飛んだのではないかと思えます。さらに、第2打の3ウッドや5ウッドのフェアウェーショットのミスが無く、ほとんど第2打でグリーン近くに飛んで行きました。結果としてパーが5つ、ボギーが9つで、それ以上叩いたのは4ホールだけで、OUT44、IN46の90で上がることができたのです。これは凄いですよ。今までで最高の成績でした。中には、7~8mの長いパットがはいるという幸運もありましたが、とにかくミスショットが殆ど無く楽しくプレーできました。とくに良かったのは、5,60ヤード以下のアプローチショットがことごとくピン2~3mに付けられたのが成績を高めたと思っています。7月13日はこの会の正式コンペで、この日も前日と同じ程度の成績を挙げたいと意気込んで臨んだのですが、力が入ったのでしょうか、ショットも前日のようにスカッと打ち切ることができず。今一つのショットになってしまいました。ただ、それほど悪いとは思いませんでしたが、アプローチとパターが駄目でした。グリーン脇1~2mの所まで2打で行っていたのに、上がってみたら6も叩いてしまっていたと言った考えられないようなミスを何度もやってしまいました。これは、グリーンエッジからのアプローチをピン近くに寄せる事が出来なかった上、アプローチパターでもピン傍に寄せる事ができなかったからなのです。昨日は、この様な状況からはパーか悪くてボギーで上がっていたので、その差は1打または2打にもなちゃったのです。結果は、OUTが51、INも51で合計102といま一つの成績でした。やはりアプローチショットとパターが成績を決めますね。フルショットも大切ですが、これからはアプローチの確実性を上げるような練習をしなくてはと考えるに至りました。(こんなことは何度もそう思って来てはいるのですが・・・・)
2012/07/14
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昨日歯医者で歯の治療をしていただいたのですが、その後で医師が「お疲れですか」と言うので、どうしたんだろうと思い歯科助手の女性に聞いてみましたら、「幸せそうにしてらしゃいました」だって。 そうか、治療中に”ヒョットしたら寝込んじゃったんじゃないか”と思っていましたが、やっぱり寝ちゃったのか。だって、口を開けて1時間もポカーンとしていなきゃならないんだもの、この暑さじゃ意識も飛んじゃうよね。歯科治療中に寝ちゃうなんて人は珍しい?かね。
2012/07/11
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本日10時町内会の仲間と立川にある立川防災館にいって防災訓練を体験してきました。昨年の3.11以降防災にたしする意識が高まり、先日は地域の消防署の方に来ていただき、防災の話や消火訓練をやらせていただきましたが、都民防災教育センターに行きさらに深く防災訓練を体験してみようということになったのです。立川防災館では、防災の意識を高める教育の他、地震体験、煙体験、消火訓練、応急救護訓練などの体験ができますが、今回我々は地震体験と応急救護訓練だけを体験してまいりました。これは地震体験の風景です。この地震体験では、震度3や震度5、震度7などの各レベルの地震の揺れを実際に体験できるもので、”揺れが来た時どのような行動をとればいいか”、”揺れが静まった後、どのような点に注意すべきか”などについて実体験を通して学ぶものです。本来なら揺れ始めた後、次第に揺れが激しくなってくるなかで、各自の判断で行動をするような体験ができれば良いのですが、今回の体験では揺れ始めたらいきなり地震発生の放送があり、直ぐにテーブルの下に避難するということで進められました。これでは実際に地震が襲ってきた状況と違いすぎることから訓練の有効性がかなり薄められてしまうのではと思われますが、訓練中の事故などのことを考え安全に配慮してこの様な訓練になっているものと思われます。ある面では致しかたないのでしょうかね。それでも震度7の激しい揺れを実際に体験できたことは、貴重な事だと思われます。こちらは応急救護訓練の様子ですが、この訓練は人形を怪我人に見立て怪我人発見から、救援要請、まわりの見物人への依頼の要請、そして心臓蘇生の方法、AEDの使い方など実際に近い形で訓練が体験できました。訓練に当たって参加者の皆様も、実際の現場に遭遇しているかのように真剣に大声をあげて訓練に取り組まれていました。このような訓練ではどうしても恥ずかしさが先に立ち、演技だという気持ちが強くなっておざなりになりがちですが、今回の訓練では本当に事故発見現場であるかのように真剣に取り組まれていらしゃいました。特に、AEDの働きや使い方などについては、これまで全く知りませんでしたので、とても勉強になりました。実際にそのような場面に遭遇した時にも少しは役に立つのではと思いました。今日一日、貴重な体験をし、災害に備えた学習ができた事、非常に有意義だったと町内会の役員の方々や防災教育センターの方々にお礼を申し述べたいと思っています。この防災教育センターは誰でも利用できますので、皆様も是非とも一度体験されます事をお勧めします。
2012/07/07
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先週水曜日(26日)のNHKの”ためしてガッテン”という番組で、ゴルフのショットをする時「”スー、ガアアアー”という呪文を唱えながらショットをすると飛距離が伸び正確なショットができる」という魔法のお呪いの紹介をしていました。これは、”スー”という声を出しながらテークバックバックをし、つづいて”ガアアアー”という声を出しながら打ち抜けば、飛距離が伸びる上ショットが正確になるというヘナチョコ・ゴルファーにとってはまるで夢のようなお話なんです。テレビの絵としては、確かに言われているような結果が出るような検証をしていました。「そんなことでショットが飛躍的に良くなるなんて上手い話があるもんか」とは思いながらも、NHKがまじめに取り上げているんだから「ヒョットしたら少しは効果があるのかも」と希望を託し、実際に練習場に行って試してみました。よよよ!!これが何と凄い効果があるんです。ショットが正確だし、飛距離も伸びるんです。ホントかよ、驚きだな。本当なんです。まずもって当りが正確になるのです。ヘナチョコ・ゴルファーの私のショットは、たまには良い当りも出ますが、しばしば思いもよらない方角に飛んで行ったり、トップが出たりテンプラになったり、いろいろ変化に富んだショットになちゃうのですが、これが確実に正確なショットになるのです。これは凄いぞ。さらに、これまではフワーと飛んでポコンと落ちていたショットが、ビューンと飛んで最後にグイーンと延びるショットに変身です。当然のことながら飛距離も伸びるんです。これまでドライバーでキャリーが180ヤードからせいぜい190ヤードまでだったのが、185ヤードの標識を確実にクリヤーし、時には210ヤードも飛んでいるんじゃないかと思われるショットがでるんです。確実に5%から10%は飛距離が伸びています。そして嬉しい事にショットの瞬間にズバっと玉を振り払っている感覚があるのです。これはゴルフをやっているひとじゃなきゃ分からない感覚ですが、”ズバっと振り払う”感覚が得られるってのはとても大切で、このような感覚が得られるようだと思い通りのショットを繰り出す事ができるようになると私は確信しています。こいつは凄い。開眼だ!!開眼したぞ。だが、そこはそれ。ゴルフってのは常に開眼するスポーツなのです。今日開眼したと確信しても、翌日には「昨日の開眼は何だったのだろうか」ということばかりの繰り返しなのです。私など何度開眼した事やら。お釈迦様でも驚かれるほど開眼してますよ。今回の成果は勘違いじゃないのか?本当に効果が確認できるのか?自分一人でやっていたのでは、都合の良い方に解釈しがちなので、他の人に見てもらおうと友人を誘い昨日(7月2日)練習会を持ちました。そこで友人たちの前で(魔法の呪文の)成果をお披露目しましたところ、「ナイスショット」、凄いじゃないか、飛距離が伸びているよ。など絶賛の嵐。日頃は、あれがまずい、これが悪いなどいろいろ辛めのご指導をいただく友人たちからの絶賛です。そこで”魔法の呪文”のお披露目です。友人たちも目の前で私の成果を見せつけられたのでは信用しない訳にはいきません。魔法の呪文を取り入れたショットにチャレンジです。流石に日頃から私などより確実で飛距離も出るショットを放っている友人たちにとっては私ほどの効果はないようでしたが、この魔法の呪文の効果を否定することはありませんでした。日頃ゴルフのショットで悩んでいる皆さん一度騙されたと思ってチャレンジしてみて下さい。必ずや良い成果につながること請け合いです。
2012/07/03
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(C)2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.映画「アメイジング・スパイダーマン」この作品情報を楽天エンタメナビで見る恐そうな映画だな。観ようかな、観るのよそうかな。悩んじゃうよね。
2012/06/28
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今日は新たな料理に挑戦しました。日テレの3分クッキングで「なすと新しょうがの肉巻き天ぷら」なる料理を紹介していたのを見て「これは簡単そうだ」と思いチャレンジしてみることにしました。右の写真がそのできあがりです。あまり色合いが良くなくて美味しそうには見えませんが、生姜味が良く効いてさっぱりしていて美味しかったですよ。奥様よりお褒めの言葉をいただきました。レシピは次のようなものです。【材料】2人分・なす・・・・・・・・・・・・2本・新しょうが・・・・・・・・・60g・豚肉(しゃぶしゃぶ用)・・・12枚・みそ・・・・・・・・・・・・大さじ1▼衣・溶き卵(1/3個分)+冷水・・40ml・小麦粉・・・・・・・・・・・1/2カップ弱▼天つゆ・だし汁・・・・・・・・・・・60ml・みりん・・・・・・・・・・・大さじ2・しょうゆ・・・・・・・・・・大さじ2●小麦粉、油【作り方】(1)天つゆの材料を合わせ、ひと煮立させる。(2)なすはヘタを切り落として縦半分に切り、縦に3等分に切る。しょうがは短冊切りにする。(3)豚肉を1枚ずつ広げてみそを少量ずつぬり、なすとしょうがを等分に乗せクルクル巻く。手で握って肉と新をなじませ、小麦粉少々を全体にまぶす。(4)衣を作る。ボウルに溶き卵と冷水を合わせ、小麦粉をふるい入れてざっと混ぜる。(5)揚げ油を180℃に熱する。(3)の肉巻きを衣にくぐらせ、揚げ油に入れてカラッと揚げる。油をきって器に盛り、天つよを添える。【感想】簡単そうだなんて想ったのは大間違いでした。天ぷらと何ら変わりなく、かなり大変な作業となりました。後で分かった事ですが、普通の天ぷらと違うのは「揚がりたてを食べなければ美味しくない」ということはありません。確かに揚がりたての方が美味しいのは間違いないのですが、少し冷めてしまっても美味しくいただけます。その点は、扱いやすいと言えます。以上
2012/06/24
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何時も使っている2台のノートパソコンの内の1台のマウスが壊れてしまい、1台のマウスを付け替えながら使って来ましたが、使い勝手が悪いのでヤ◎ダ◎機に行ってマウスを買って来ました。これまでのマウスはパソコンに添付されていた物で有線のマウスでしたが、今回思い切ってコードレスのマウスにしてみました。右の写真がそのマウスです。なかなかカッコイイでしょ。「思い切って」だなんてオーバーだと思われるでしょ。でも思い切ってなのです。なぜ”思い切って”なのかといえば、数年前にも使って見ていたのですが、直ぐに電池が切れてしまい使い物にならず捨ててしまった経験があったからです。ただ、それから何年も経っているので「そんな問題は解決しているだろう」と思い、”思い切って”コードレスマウスを使ってみることにしたのです。使い勝手は良いですね。軽いですし、手のひらにぴったりです。後は電池の持ち具合だけです。どうなりますでしょうか?技術の進歩を信頼していますよ。
2012/06/24
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散歩を兼ねて家から3km程の所にある中沢公園というところに菖蒲を観賞に行ってみました。この公園は、池や水車小屋があって自然豊な公園です。公園は谷筋にあって水が豊富なので、この時期菖蒲を楽しめます。この日行ってみたら、何と右の写真のように花がまばらでガッカリしちゃいました。多分市も予算が無くて手入れができないのでしょうね。仕方がないと言えば、仕方がないんでしょうが、何かさみしい限りです。それでもよくよく見ていたら、なかなか見ごたえのある良い花もありましたよ。白と紫のコントラストが清楚な感じで素晴らしいですね。黄色い花と白い花、紫色の花が咲き競っている姿もまた一興です。
2012/06/11
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5月7日より13日まで沖縄の久米島と本島中部の部瀬名に行ってきました。元々久米島に一度行ってみたいと思いポンパレのクーポン券を買っていて、5月頃に行く予定をしていました。(ポンパレのクーポン券は、大多数が定価の半値で手に入れられるというもので、うまく活用すれば非常に有効なものです)ところが、突然娘夫婦から「親孝行に旅行に招待したい」ということで沖縄旅行の招待があり、時期を合わせて久米島と沖縄本島の部瀬名に継続して旅行することになったのです。5月7日(月) 晴当初の天気予報ではあまりよい天気ではないということでしたが、沖縄に着いたらピカピカの快晴でした。久米島は東京からは直接行ける飛行機はなく、那覇で飛行機を乗り換えるか船で行かねばなりません。当初は、経費節約のために船で行こうと考えていましたが、今回は久米島だけでなく続いて部瀬名でも何日間か過ごすことになりましたので、飛行機で行くこととしました。那覇空港で久米島行きの飛行機に乗り換えましたが、この飛行機が何と翼が窓の上に付いているというセナス機のような飛行機なのです。これは驚き。今でもこんな飛行機も飛んでいるのですね。30年ほど前に大阪から徳島に行くのに乗った飛行機がフレンドシップという機種で、やはり窓の上に翼が付いている飛行機でしたが、これが飛び始めるとギシギシ、ギシギシと今にも分解してしまいそうな音を出して飛ぶ機体で肝を冷やした記憶が蘇ってきちゃいましたよ。でも、今回の飛行機はそんなことはありませんでした。今回泊まったホテルは、久米島の飛行場の近くにあるサイプレスリゾートというホテルで、飛行場まで迎えに来てくれていました。我々はクーポンで予約したので非常に安かったのですが、とても立派なホテルでしたよ。ホテルの目の前がリーフの海で、ホテルのプールのデッキチェアに腰掛けながら海を眺められるという素晴らしい環境にあるホテルでした。素晴らしい眺めです。この眺めを一人占めできるんです。(ホテルはガラガラで、ほとんど独占状態でした)5月8日(火) 晴この日は、”ハテの浜”に出かけました。ハテの浜は、久米島の本島から少し離れた所にある砂州で、船で行く必要があります。朝9:30分に迎えのバスがやってきて、港まで連れて行ってくれました。港からは1時間弱ほどグラスボートに乗ってハテの浜までいきました。1時間弱といえばかなり遠そうですが、実際は港のすぐ近くです。どうしてそんなに時間がかかるかと言えば、ハテの浜までの航路はほとんど船底が擦りそうな浅瀬を行かなくてはならないので、非常にゆっくり進むからです。船は底が透明なグラスボートなのでその間海底が見られるのですが、移動中に海底を見続けていると船酔いして気分が悪くなるとのことで、魚が多い漁礁の岩に近付いたら船頭さんが船を止めてくれゆっくり海底の魚を見物できました。そんなことをしているから時間が掛っちゃうのです。ハテの浜は、サンゴの死骸が積み重なってできた砂州で、360°視界を遮るものはなくエメラルドグリーン海と真っ白な砂浜が美しい、まさに南国の癒し空間そのものです。その白さは尋常じゃありません。まるで雪を被っているようにすら見えます。こんなに白い浜辺を見たのは初めてです。シュノーケルを着けて海の中を覗いてみました。海の底も真っ白です。あまり真っ白な砂浜には魚も寄り付きません。魚を見付けるのは大変です。でも、砂の上に岩が出ている処もあり、岩が出ているところには海藻が付いていて魚が群れているようです。それでも魚の数は僅かですので、やおら秘密兵器を取り出しました。朝御飯のときパンとハムをチョットばかりくすねてきておいたのです。それを撒いたら、魚たちがドンドン集まってきました。中にはパンの入っているビニール袋をつつく輩も現れたりします。この作戦は大成功でした。ひと遊びして浜に戻ったら、青空が広がり日差しが強まってまいりました。青空が広がり日差しがつ強まってきたら、海の色が紺青に染まってまいりましたよ。素晴らしいですね。白い浜と紺青の海。何と素晴らしいコントラストなんでしょう。言葉では言い表せません。5月9日(水) 晴この日は、ホテルの前のリーフの浜辺でシュノーケルを付けて魚を探したりしながら遊びました。その後、プールでクロールの練習をしてみました。以前はかなりの距離を泳ぐ事が出来たのですが、最近は25mほど泳ぐと息が苦しくなってしまいます。何とか50m以上泳ぎ続けることができるようにしたいと思っていろいろチャレンジしてみたのですが実現できそうにありません。(このホテルのプールは15mくらいの長さしかないのですが、この日はこの長さを泳ぐのがやっとという惨憺たる状況でした)5月10日(木) 晴この日は、沖縄本島のブセナリゾートに移動する日です。久米島から那覇空港に飛び、空港で東京から来る娘夫婦と合流しレンタカーを借り、ブセナリゾートまで1時間ほどで到着しました。今回私どもが泊まったのは写真の左端の建物”ザ・テラスクラブ”でした。写真の右に写っている平屋の建物群がコテージのようです。この地域全体がブセナリゾートと言われていて、良く知られているブセナテラスなどのホテルがあります。ザ・テラスクラブは、正式名称の中に”ウェルネスリゾート”という言葉が使われているように宿泊施設とともにフィットネスやタラソテラピーなど健康に配慮した施設のようです。部屋に入ったら、何と右の写真のように部屋の真ん中に何の仕切りもなくバスタブが鎮座しているのです。ラブホにはそんなバスもあると噂話か何かで聞いたような気もしますが、何となく異様な印象を受けました。また私達おばあちゃん&おじいちゃん夫婦にはチョット照れくさくて入り難いような気もしましたが、実際に利用してみますとこれが実に実用的で、風呂に浸かりながらテレビが見られたりするんです。(実際には、スライド仕切りで区切って利用しましたがね)5月11日(金) 快晴この日は、娘夫婦と3人でゴルフに出かけました。「女房を一人だけ残して遊びに出掛けるなんて薄情じゃない」なんて非難が飛んできそうですが、実を申しますともう一人婿殿のお母さんも一緒でしたので一人だけじゃなかったのです。お婆さんがた2人は、我々3人とは別にタラソセラピーなどを楽しんだようです。ゴルフ場も南国的雰囲気が溢れていてリゾートにやってきた気分満帆です。「よし!!頑張るぞ」と勢い込んだまでは良かったのですが。ここは南国なんです。お天気も良く、気温がドンドン・ドンドン上がって汗が噴出してきちゃいます。五月だと言うのに。いや、はや、参りました。散々な結果でしたよ。それでもリゾートゴルフを大いに楽しみました。この後、ホテルに帰りお婆ちゃん方二人と合流し、海岸を散歩し水中展望台に向かいました。魚が泳いでいるのを見物するのは癒されますね。水族館もいろいろな魚が見られて良いのですが、自然に泳いでいる魚を見るのは、また別の楽しみがあります。海に潜って見られればもっと良いのですが、「そこまでは?」てなことでシュノーケルで水面から覗いたりしています。シュノーケルで覗くのも良いんですよ。でも、シュノーケルでは魚の背中しか見られません。その点水中展望台では横から魚を眺められます。この水中展望台にはイソギンチャクが付いていて、カクレクマノミも居付いています。かわいらしいですね。カクレクマノミの動きは。幾ら見ていても観飽きません。5月12日(土) 快晴この日は、午後になってプールで水泳をやってみました。久米島のホテルのプールは全長が15mくらいしかなかったので、それ以上泳げるか否か分からなかったのですが、こちらのホテルのプールは30m近くあるようで、この距離を克服できたら50mへの希望も沸いてきます。まずは短い辺(10m程度)で練習をしました。そこでオリンピック競泳の田中雅美選手がクロールの泳ぎ方についてテレビで解説していた中で「クロールで長く泳ぐためには腕を耳の後ろに持ってくるような姿勢で泳ぐ」という事を強調していたのを思い出し、その点に注意しながらチャレンジしてみました。よ、よ。これは良いよ。泳げる距離が延びそうです。長辺(約30m)にチャレンジです。いけましたよ。30mを克服です。この調子で練習をしたら50mも夢ではありません。東京に帰ったら市営プールに行って練習してみよう。いや~、ちょっと頑張っちゃったら疲れたので、タラソプールでリラクゼーション。タラソプールは、海水を用いた多機能海水プールで、温められた海水(33℃・36℃)の心地よさと、水流ゾーンやジェットバス機能による身体機能の活性化やリラクゼーションの効用があるということです。が!! 激しい水流に押しまくられて少々疲れましたよ。久米島からブセナリゾートへ、週遅れの楽しいゴールデンウィークでした。
2012/05/14
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5月1日に日頃一緒に山歩きしている仲間と東京の奥多摩の御岳山にハイキングに行ってきました。当初は9名が参加する予定でしたが、腰痛で辞退する人や奥さんが体調不良で参加できなくなる人が出て、結局この日参加できたのは6名となりました。JR青梅線御岳駅で集まった折、その事を伝えると「もうそんなことが起こりがちな歳になったんだ」というのが皆の想いでした。そうなんでしょうね。御岳駅からバスに乗ってケーブルカーの山麓駅まで移動しました。ここで我々を除いた乗客の皆さんはケーブルカーに向かいましたが、我々は運賃を節約するため歩いて登ることとしました。右の写真は登り口からケーブルカーの山麓駅を写した物です。緑が鮮やかでしょう。新緑がむせ返るような季節なのです。新緑の中ハイキングをするなんて最高の季節です。(少なくともこの時点では、この様に思っていました)ケーブルカーに沿って進む参道の道は、アスファルトで舗装された道ですが、想像以上に坂が急な上、常に同じ傾斜の登りで足を休める暇がありません。これは参りました。15度もあろうかという急坂が果てしなく続くのです。流石にこの道を登って行く人はほとんどいません。途中で登りと下りのケーブルカーがすれ違うのを見た時は「よ!中間点までやってきたな」とホッとしました。やっとの想いで辿り着いたケーブルの山頂は、山頂というよりは集落なのでした。集落の家々はほとんどが宿坊で、土産物屋や食堂もあったりします。商店街まであるんですよ。山頂の尾根に。何と言ってもまずは御嶽神社にお参りしなくては。鳥居をくぐって階段を暫らく登ると御嶽神社の本殿が見えてきました。立派な造りですね。社殿の前に鎮座している大きな狛犬は足が異常に太く変わった形をしています。本当に狛犬なんでしょうかね?神殿の裏に回ったら古い社が少し高い所にありました。ここが、929mの御岳山の頂上なんでしょうね。御岳山山頂を制覇しました。この後、門前の商店街を歩いていたら珈琲の看板を発見したので、一休みしコーヒーをいただくことにしました。このコーヒーが驚きなんです。こんな山の上なのに、注文が在ってから豆を挽きサイフォンで煎れてくれるってんですよ。香りも良く美味しかったですよ。こんな山の上でこんな形でコーヒーに出会えるなんて驚きでした。コーヒーで一休みした後、日の出山に向かいました。ところが、途中で雨が降り出して来ちゃったんです。この日の天気予報では”午後遅く雨になる”ということでしたので、こんなに早く雨になるだなんて想いもしませんでした。大急ぎで雨具を着けましたが、仲間の3名が傘を持参していたのです。雨具を用意するようには伝えておきましたが、傘を持ってくるとは思っていませんでした。でも傘は大正解でした。散歩道に近い平坦な道でしたし、風も全くなかったので、傘が最高の雨具でした。しばらく歩くうちに昼食時間になってきましたが、この雨です。”何処か雨宿りができる場所はないかな”などと思いながら歩いていると、トイレが見つかりました。仲間の2人がトイレに入りましたので、そこで休止し辺りを眺めていたら、直ぐ近くに山小屋がありました。軒が出ていて雨宿りができそうなので、トイレに入った人が出てくるのを待って、皆にここで昼食をするよう伝えようと思って待っていたら、幾ら待っても出てきません。携帯電話で連絡をしようと思いましたが、圏外で電話が掛けられません。あちこち電波事情の良さそうな処はないか移動しながら探して電話を掛けてみました。つながるにはつながりましたが、プツプツ切れて話が伝わりません。先に進んだ連中も山頂の休憩所にいるようなので、「別れ別れではあるがそれぞれに昼食を摂ろう」と伝えてそこに残っていた3名だけで昼食を取り終えました。ところが、その後先に進んだメンバーの一部が戻ってきたのです。彼らの話では、「休憩所があるから来るように伝えたのに来ないので迎えに来た」ということです。きちっと伝わっていなかったのですね。お互いに。携帯電話がプチプチと切れて話がしにくかったとはいえこれは問題です。山の中で仲間がバラバラになってしまったのも問題ですが、連絡が行き違ったのもまた大きな問題です。このルートで道を間違えて遭難するようなことは在りえませんが、この様な事が起こらないようお互い十分確認しあって行動するよう注意することが肝要です。今後は注意するようにしたいものです。日の出山山頂で全員集合して休憩している間に少し雨が小止みなったので辺りの景色を写してみましたが、雲が上がってきていて遠くませは見渡せませんでした。この後、この日の最終目的地”ひので三ッ沢つるつる温泉”に向けて山を下り始めました。つるつる温泉までの下りは、雨で道がぬかるんでいて滑って転んだり思いのほか大変な道のりでした。ひので三ッ沢つるつる温泉の入り口の前で記念写真を撮っていたら、バスが現れました。まるで遊園地の中を走る乗り物のようでしょう。これが一般道路をはしる路線バスなのです。ちょっと驚きですね。つるつる温泉ではゆったり湯船に浸かり山歩きの疲れを癒し、その後、食堂で一杯やり大いに盛り上がりました。我々の山歩きは、これらが無くては成り立たないのです。
2012/05/02
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4月22日(日)から25日(水)まで何時も一緒にスキーを楽しんでいる仲間2人と青森県の酸ケ湯温泉に泊まり八甲田でスキーを楽しんできました。朝8:37の東北新幹線で青森に向かいましたが、途中盛岡を過ぎた辺りで車窓に岩手山が見えてきました。私はこれまで東北線で盛岡より北に行ったことがなかったことから岩手山を見るのは初めてでした。東北の紹介でよくこの山の話題が出てくるのでどんな山なのか興味をもっていましたが、南部富士と呼ばれているだけあって、富士山を想像できるなかなか見ごたえのある素晴らしい山なのですね。青森の駅近くにある生鮮市場の中の寿司屋で昼食をとった後、宿の車が駅まで迎えに来てくれていたのでその車で宿まで送ってもらいました。酸ケ湯温泉は東北の秘湯ということで古びた温泉宿を想像していたのですが、まったくの誤解で立派な建物の大きな宿でした。(この写真は別の日に撮った写真を合成しています)宿に着いたらまず荷物の整理をし、スキー道具を乾燥室に持って行きました。そこにあったスキー板を見て驚き。何と殆どの板が山用のスキー板でした。あれあれ、我々のようにゲレンデスキーで滑ろうって輩は異端児なのか。 まずは温泉です。千人風呂と名打っているだけあって大きな浴室です。それが混浴なんですよ。楽しみだな。でも、一人だけいた女性の入浴客はワンピースのような物を羽織って入浴していらっしゃいましたよ。興ざめだな。素晴らしいお湯でした。体がホカホカと温まり、旅の疲れがすっかり癒されました。夕食後宿に常駐しているガイドさんに山に向かうルートについて伺ったところ、「踵の上がる山スキーとそれ用の靴を装備しているか、スノーシューを持っていてリュックにスキー板を掛けられるようになっていなければ山に入ることはできない」とのことでした。そうなんだ。だから皆さん山スキーでやってきているんだ。トホホ!!何たる失態。春山を甘く見ちゃいけませんよ。春山を。4月23日(月) 曇り/時々雨朝起きたら雨が降っていました。嫌になっちゃうな、雨だなんて。私達これからスキーをやろうってんですよ。まったく。そんなにジャジャ降りでもないので、「しばらく様子を見ようか」など思い悩みました。しかしながら、いろいろ考えたところで何ともならないので、取りあえずロープウェーの山頂までは行ってみようと言う事で宿の車でロープウェーの乗り場まで送ってもらい朝一番のロープウェーで登りました。ロープウェーの乗り場に着いて周りを見たら、驚きでした。殆どの人が我々と同年代で、我々以外の全ての人が山スキーの装備をしていらしゃるのでした。いやはや、八甲田は山スキーのメッカなんですね。これまで行っていたスキー場とは全く違います。我々は場違いなんでしょうね。歳加減から見るとキッカリお仲間なんですがね。山の上に登った後も雨は降っていて何も見えない状況でしたので暫く待ちましたが、待っていても天気が回復しそうにないので、結局雨の中を滑り降りることにしました。まずは、比較的緩やかなフォレストコースを選びました。緩やかとは言ってもフォレストコースと名付けられているだけに木々の間を滑る難コースである上、ゲレンデとは違い整地するようなことがないのでスキーヤーが滑ったギャップがどんどん深くなっていて我々ゲレンデスキーヤーには難物です。深いギャップに悩まされながら、そして木に衝突したりしないよう注意をしながら、山を下りました。半分ほど降りましたらそれまで生えていたヒバの木が少なくなりブナの林に入りました。ヒバの木が生えている辺りはそれほど木が密集していなくてある程度自由に滑降コースを選べたのですが、ブナの林に入ったら木が密集していてルートを逸れたら全く先へ進めないような様子になってきました。ブナ林のなかのルートは平坦ではありますが、回転してスピードを抑えることが難しくどんどんスピードが上がってきてしまいそれなりに苦労をさせられました。悪戦苦闘。やっとの思いで麓に辿り着きました。この間距離は5km程ですが、ほぼ1時間ほども掛ってしまいました。麓に着いた時には天候が少し回復し雨が止んでいましたので、もう一度チャレンジしてみようてなことになって、直ぐ次の便に乗って登りました。ところが上に着いたら今度は霧が深くなって辺りが全く見えなくなってしまいました。何だかついていませんよ。霧は流れているから少し待てば晴れることもあるかもしれないと少しの間待ってみましたが、一向に晴れる気配もないので、霧の中を下ることにしました。今回はダイレクトコースというロープウェーに沿ったコースを選びました。距離は3.5kmとホレストコースより短いだけに斜面がキツイコースです。こちらのコースはホレストコースよりさらにギャップが深くえぐれていましたが、2回目だったこともあって少しは自由に滑れるようになりました。しかしながら、ロープウェーの山麓駅が見える辺りに来たら、激しくデコボコが続く急なゲレンデの上にやってきちゃいました。このゲレンデは林間コースと違い幅が広くギャップを自由にこなせればスイスイ、スイスイと滑れるところでしょうが、自由にこなせるという訳にいかない私は「よいしょ、こらしょ」と一つづつギャップで曲がりながら降りて行きました。しかしながら、一度思い通り曲がれないと態勢が崩れてしまいドンドン・ドンドン横に進まざるを得なくなってしまいます。仕方がないのでスピードが落ちて止まるまでドンドン横に進み、一端止まった後おもむろに回転し下に降るなど何ともぎこちない姿です。やっとの思いでギャップの斜面を下りきりロープウェーの乗り場に着きました。いやはや疲れました。膝がガクガクです。もはや根も精も尽き果ててお休みしようと言う事になりましたが、時計を見たらもう12時近くになっていたので、ここらで昼食にしようという話がまとまりレストランに入りました。レストランのメニューを見ましたら”焼きぼしラーメン”なるラーメンがありました。この名称は以前テレビで紹介していたことを思い出し注文してみました。”焼きぼしラーメン”と言うからにラーメンに”焼きぼし”が乗っかって出てくるのかと思っていましたが、出てきたラーメンは普通の醤油ラーメンでした。「おかしいな」と思い聞いてみたら、焼きぼしを使って出汁を出しているので”焼きぼしラーメン”と言うのだそうです。(そうだったのか。知らないって恥ずかしいね。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」って言うから、まあ良いか)食事が終わった後も天候が回復しそうもなかったので、宿に帰ってゆったりと温泉を楽しみました。4月24日(火) 曇りこの日も朝から雨模様の嬉しくない天気でしたが、仲間の内の一人がロープウェー乗り場で従兄弟と待ち合わせることになっているということなので一番のバスで出かけました。とりあえずロープウェーで登った後急いでダイレクトコースを下り、仲間の従兄弟を待ちました。居ました。居ました。従兄弟の方が。若い方ですよ。従兄弟というから同い年くらいのかたかと思っていましたが、かなり若い方でした。まずは従兄弟の方の案内でフォレストコースを滑りました。昨日はコースの様子が分からなくてガイドのポールを辿りながらオッカナビックリで滑っていきましたが、今回は従兄弟の方の案内がついていたのでユッタリとコースを楽しむゆとりが出てきました。林間を滑るって楽しいものですね。もちろん整備されたゲレンデを滑るのも良いものですが、自然の中を滑るのはまた別物の楽しみがあります。ロープウェーの乗り場に着いたら仲間の一人の奥さんがやってきていました。この方はスキーはやらないのですが温泉を楽しむため同行してきていたのです。スキー仲間3人の他、その奥様と従兄弟の方が集まったところで、従兄弟の方から山上のレストランでジンギスカンの昼食をいただこうって提案がありました。エエ!!山上のレストランでジンギスカン。そんなものあるの?さぞかし”お高い”のではと思いましたが、ガイドしてくださる方の提案です。乗るしかありません。それが何とお一人様千二百円と、考えられないような安さなのです。それに美味しいかったですよ。いやー!良いね。山上で雪山を見ながらジンギスカンだなんて。満足。満足。大満足です。昼食の後、今度はダイレクトコースに挑戦です。昨日は最後にギャップのゲレンデで悪戦苦闘を強いられましたが、今回はそこを避けて整地されたゲレンデを滑りました。良いですね。自然のままの山を滑るのも良いのですが、整地されたゲレンデも。その後、リフトが動いていたので、リフトを使ってゲレンデコースを3回ほど楽しみました。次の写真が我々の滑りです。それなりの恰好でしょ。4月25日(水) 快晴 この日は、真っ青な青空の快晴です。嫌になちゃいますよ。今日はスキーはやらないで帰る日なんです。恨めしそうに青空を眺めながら、何とかならないか考えていたら良いアイデアが浮かんできました。帰りの電車の予定からするとスキーをやるわけにはいけません。だが待てよ。電車に間に合うバスの時間までは2時間ほどあります。この時間を使って山頂までロープウェーで往復することができるじゃないですか。そうだ!!スキーなんかできなくても景色を見るだけで良いのです。早速一番のバスに乗ってロープウェー乗り場に向かいました。さらに良いことは続くものです。朝1番のロープウェーの出発を待っていたらアナウンスがあり、「臨時便を15分前に出す」ということです。これはしめた。当初の予定では山頂に20分くらいしか留まれないと思っていたのに、15分前に臨時便が出るのなら40分近くも山頂で景観を楽しむことができます。良かったな!!天は我々を見捨てていなかったよ。山頂駅に着いて屋上の展望台に上がってみたら、真っ青な空のもと八甲田の山々が我々を迎えてくれました。また、遠くに目をやると津軽富士と呼ばれている岩木山の威容が望まれました。いやはや、いろいろ気をもまされることも多かったのですが、最後には”満足・満足のハッピィエンド”でした。
2012/04/26
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これまで毎日のように北陸や東北の大雪の映像をテレビで見てきたので、北海道もかなりの積雪ではと思っていましたが、ルスツの積雪はそれほどではなく最高のスキーコンディションといえる状況でした。でも寒さは半端じゃなく、寒くて、寒くて凍えそうな寒さでした。スキーで毎年雪の多い所に出かけているので、寒さには強いつもりでしたが、これほどの寒さは生まれて初めてじゃないかと思えたほどでした。ゲレンデに着いたのが午後2時でしたのに、午後4時からはナイターになるということですので、初日からいきなりナイターを滑りました。ナイターも良いものですね。日中より滑りが良くなり、スイスイ滑れます。まるで上手くなったんじゃないかとさえ思えちゃいます。真っ白なゲレンデにオレンジのライトが輝いて幻想的な雰囲気です。また、ホテルの近くはイルミネーションが輝いていてメルヘンチックな雰囲気を漂わせていました。2月2日(木) 晴この日は朝9時リフトの動く前から並んで一番にゲレンデに向かいました。ルスツリゾートのスキー場は、ウエストMt.イーストMt.とMt.イゾラと3つの山にゲレンデがあるのですが、この日は最も高いMt.イゾラに向かいました。(最も高いといっても700m少々なのですが)良いですね。誰も滑ってないゲレンデを滑るってのは。スイスイ、スイスイ、好き放題に滑れます。昨日のゲレンデはホテルに近いこともあって踏み固められてしまっているのか少々固いという感じがしましたが、こちらのゲレンデはサラサラの雪で本当に北海道のスキー場に来たって実感です。(仲間の一人の意見では、あまり寒すぎると滑りが悪くなってしまうのだと言う事でした。と申しますのは、雪が滑るのはスキー板で踏まれた時雪が解けて水になることで滑るのだが、温度が低すぎると解けなくなってしまい滑りが悪くなるという事です。理論的には説得力があるようですが本当なんでしょうかね?)こちらのコースは、少し急な斜面もあれば緩やかな斜面もあるなど変化に富んだコースで、ベテランにも初心者にも楽しめるコースです。この日は帰り際に少し雪がぱらつき始めましたが、、午後4時までミッチリ楽しみました。2月3日(金) 雪のち曇り/ときどき晴朝起きたら外は雪です。これは参りましたね。雪が降っているとはいっても僅かではありますが、ただ、昨日、一昨日のあの寒さで雪の中を滑るってのは・・・迷いました。でも、ここまで来て少しぐらいの雪で止めてしまうのも口惜しいしね。「ままよ」とばかり出てみましたら、外は寒さが緩んでます。そうなんですよね。雪の降る日は寒さは緩むんです。ヤハ~!!最高だ。20cm程の新雪が積もってます。新雪を蹴散らしてグングン滑りまくりです。北海道の新雪は軽くて素晴らしいです。上越辺りの新雪ではこうはいきません。最初は近場のウェストMt.を滑った後、午後になってMt.イゾラに繰り出しました。素晴らしいです。なんかとても上手くなったような気がしてきましたよ。スイスイ、スイスイ。グングン、グングンと滑りまくりです。ヤッホー!だなんて声を上げたくなってきちゃいますよ。この日は、4時になって皆さんが引き揚げた後も頑張り屋の友人と滑り続け、ナイターまで楽しんでしまいました。いい年してチョット頑張り過ぎだったかな。2月4日(土) 晴この日は最後で午後には帰路に着かなければならないと言うのに最高のスキー日和です。Mt.イゾラに繰り出して、斜度も適当で最も好きなスチームボートBコースを滑りまくりました。いやー!!楽しみました。北海道の雪のゲレンデを。まだまだ滑り足りない気持ちはありましたが、大満足な4日間でした。何だかますますスキーが好きになってきちゃいましたよ。(おしまい)
2012/02/09
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2月1日から4日まで北海道のルスツにスキーに行ってきました。今回のスキー行は、70歳前後のシニアスキーヤーの集まりで毎年この時期に出かけていますが、77歳の方を先頭に11名の参加を得て北海道のルスツに繰り出しました。ルスツスキーリゾートは札幌の南西で洞爺湖の北にあるリゾートで、冬の時期は北海道におけるスキーのメッカの一つです。2月1日(水) 晴朝5:00に起きて5:50のハイウエーバスで羽田空港に向かいました。このバスは7:30に羽田空港に着く予定でしたが、高速道路上で事故があったようで途中からのろのろ運転となってしまいました。弱りましたね。集合時間の8:00に間に合いそうにありません。今回のスキー行は私が幹事です。幹事が待ち合わせ時間に遅れたのでは話になりません。やきもきしながら友人の一人に電話をしましたら、彼はもう羽田空港に着いているということで、何人かの人が既に集まっているということです。弱ったな。でも、如何ともしようがありません。まな板の鯉です。腹をくくって。同じ方面からやってくる友人2人に電話で問題がないかい確認をしてみましたところ、彼らはもう直ぐ空港に着くという事でした。電車を利用しているのだそうです。ああ!不覚。幹事なんだから安全を考え電車を利用すべきだった。そんな時、ふと窓の外を覗いたら、事故現場を通り過ぎました。こいつは助かった。時間ぎりぎりに間に合うかもしれません。空港に居る友人に状況を説明し、臨時で取りまとめを頼みました。そんな折、別のメンバーから連絡が入りました。このメンバーも同じ方向からの仲間でした。私より後のバスに乗っているようです。あれ~!!もう駄目です。仕方がありません。人生経験豊富な方たちです。何とかするでしょう。8:03 滑り込みセーフです。臨時に取りまとめを頼んだ友人だけが待ち合わせ場所に残って待っていてくれました。最後の一人を残して全員そろっているようです。ほっと一息ついてゲートをくぐりました。座席に着いて最後の一人からの連絡を待っていると、「時間前には着いたがチェック・インを閉め切ってしまって次の便に回された」との連絡が入りました。仕方がありません。交通事故で渋滞が発生したんだからね。いろいろハプニングは付き物です。千歳空港に着いてスキー場行きのバスを待っていたら、何と後の便に回されたメンバーが追いついてきたのです。これは凄い。驚きです。バス待ちの間に追いついてしまうなんて。列車じゃなくて飛行機ですよ。これで全員揃って、めでたし、めでたし、です。ルスツタワーホテルに着いたら制服に身を包んだドアボーイがお出迎えです。殿様気分ですね~。(あ!!そうだ。ドアボーイじゃなくて、ドアレディだった)早速、着替えを済ませて、ゲレンデへ向かいました。(つづく)
2012/02/05
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1月17日(火) 快晴この日も朝からカラッと晴れ上がった快晴でした。昨日も快晴で、リフトの最高地点まで登り、白馬三山の写真など撮影しましたが、反対側の五竜岳や鹿島槍ヶ岳は雲が掛って撮影に成功しなかったので、この日も最高地点まで登り両山の撮影にチャレンジしました。素晴らしい眺めですね。白馬三山の眺めも素晴らしいものですが、鹿島槍と五竜を望む眺めも素晴らしいものがあります。これだから八方尾根でのスキーは止められません。(左の峰が2つ連なっているのが鹿島槍で、右の大きな山が五竜岳です)この日のレッスンは、昨日最後にチョッとだけやった小回りをミッチリ一日練習させられました。ここでは、指導員がゲレンデの下で見ていて、問題点や課題を指摘してくれる形式でレッスンが進められました。最初に指摘された点は、曲がり方が急で小回りが半円でなく「くの字」になっているという点でした。私も以前からそのことには気が点いていて改善するよう努力はしているのですが、どうしても曲がり方が急になるのは否めません。指導員の指摘に従いユッタリ大きく回るようにしましたら、今度は「回り終わった後、次のターンまで一呼吸あるから、直ぐに次のターンに入るように」という指摘を受けちゃいました。「そんなこと言ったって『ユッタリ弧を描いて回るように』って言ってたじゃない。どうすれば良いのよ?もう分かんないよ」最後に僅かだけ自由滑走の練習をしましたが、やはりここでも「きつく曲がりすぎるので、ゆったり円弧を描いて回るように」という指摘を受けました。1月18日(水) 晴この日は、少し雲が掛っていましたが、それでも日が差して最高のスキー日和でした。朝靄の中眼下に広がる山々が浮かんで見える最高地点からの景色が幻想的だったので写真に収めてみました。レッスンは、朝から大回り、小回り、自由滑走と検定に合格するために「どのような滑走を心掛ければ良いか」指導員が一人一人の滑走を見ながら指摘してくれる練習を繰り返しました。どうも私の滑りはエッジをきつく効かせ過ぎるきらいがあり、しばしばその点の指摘がありました。もちろん改善するよう努力はしているのですが、50年近くも我流でやってきた滑りはなかなか直りません。最後に検定の要領について説明があり、検定員になる予定の指導員から「1級にチャレンジしている人でも2級の検定を受けるのもかまわない」などという説明がありました。どうも1級にチャレンジしている一の中には1級はとてもおぼつかない人もいるのでしょうね。私は2級にチャレンジです。1月19日(木) 薄曇りこの日はSAJのバッジテスト検定の日です。朝早くから起きて、まずは帰り仕度です。そして、次にはスキー板のワックスがけを丁寧に行いました。何せ準備万端整えた上で検定に臨まなくちゃね。悔いが残っては残念ですから。検定員3名と共にロープウェーの終点の所まで登り、その下にあるパノラマゲレンデという所で検定が行われました。このゲレンデは、横幅が広く斜度も程々で、バーンはきれいに整備されており最高の環境です。後は実力だけですよ。まずは、大回りから始まり、小回り、自由滑走とそれぞれ2回ずつ検定の滑りをしました。その間、個人ごとに課題や改善すべき点、どのような滑り方が望まれるかなど検定員からの指摘があり、次の回の滑りに生かすことができるようになっていました。私自身はゆとりをもって思う存分納得のいく滑りができたと確信しました。後は結果を待つだけです。ただ、2級の検定は、3回まで滑ることができ、その内一番良い滑りが選ばれると言う事で、少し山を下ったゲレンデに移動し3回目の検定滑走を行い検定が終わりました。後は、本当に結果を受け入れるだけです。麓にあるSAJのオフィスに向かい検定結果を確認しました。私は合格しているか?あれー!! 「合格」の印が付いてないじゃないですか。残念残念、残念、不合格です。仕方がないよね。50年もスキーをやっているからと言っても、我流が身に沁み込んでしまっていて、SAJの仕様に合うスキーじゃないんだから。まあ良いじゃないの、負け惜しみじゃないが資格が取れたからって特別優待されることもないし、不合格だからと言ってスキーができなくなる訳じゃないもの。のんびり自己流でスキーを楽しめばね。ハハハハハ・・・暇爺のバッジテスト・チャレンジはこれで終わりです。後は、スキーを楽しむだけです。
2012/01/21
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1月15日(日)から19日(木)まで、長野県の八方尾根スキー場で開かれたスキースクールに参加し、バッジテストにチャレンジしてきました。1月15日(日) 曇り朝7時30分に新宿を出発し、八方尾根のある長野県の白馬村に着いたのは11時30分ころでした。午後1時からスクールが始まるということで、早速荷物を解いてスキーウェアに着替えゲレンデに出かけました。この日は、まずは基礎からということで、ボーゲンや斜滑降などの復習でした。その中で、片足で斜滑降をするレッスンはまいちゃいましたよ。私はこう言う基礎レッスンが苦手なのです。バランスが取りづらく、おかしな態勢になり、あらぬところに力が入っちゃうのです。お陰でこの日のレッスンが終わった後、おかしな所の筋肉が突っ張って痛くてしかたがありませんでした。1月16日(月) 快晴窓の外を覗いたら真っ赤な朝日が輝いていました。素晴らしい天気になりそうです。楽しみだな。大急ぎで用意をして、ゴンドラに乗り、八方尾根の最高地点に向かいました。ゴンドラの終点からさらに上に向かいリフトで登りました。このリフトの終点からは白馬三山をバッチリ望むことが出来ました。そこは一面の白銀の世界です。感動します。何度見ても素晴らしい景色です。この後、さらに上に登ってみたいと思いましたが、その先はリフトが動いていません。歩いて登られる方々もいらしゃいましたが、それではスクールにとても間に合いませんので、涙を飲んで下ることとしました。この日もスクールのレッスンは、昨日の続きで横滑りや片足斜滑降から始まりました。流石にこの日は少しはまともに滑れました。この日は、午後になって大回りの練習に入り、最後に小回りをチョットだけ練習して終わりました。レッスンは3時で終わったので、その後、復習を兼ねて八方尾根のメインコースであるリーゼンスラロームコースを2回ほど滑ってあがりました。夕食後、同室の方が隣の部屋へ飲みに行ってしまったので一人でテレビを見ていましたが、午後9時過ぎに帰ってきて、私が電気を点けたままテレビを見ているのに何の躊躇いもなく布団を敷いて寝てしまいました。電気が明々と点いていても寝られるのは特に驚きませんが、何と布団に入るや否やスウスウと寝息をかきながら寝てしまったのには驚かされました。驚きです。私も寝付きは良い方ですが、こんなに瞬間的に寝入る技は持っていません。私は、昨日早く寝入りすぎて朝5時前に目が覚めて困ってしまいましたので、この日は10時まではテレビを見て就寝しました。それでも翌日は朝4時に目が覚めてしまいました。日頃6時間寝ると目が覚める癖がついているので、それ以上寝るのは苦痛でしかありません。(つづく)
2012/01/19
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一昨日(1月11日)、名古屋で大学のクラブの同年代のOBの新年会がありましたが、参加者の近況紹介では、皆さん「どこが悪い、ここが悪い」だなんてまるで高齢者の病気の発表会かと思われる様子になってしまいました。まったくどこも悪くなくて医者に縁の無い暇爺も「そろそろ、どこか悪くならなくちゃいけないのか」などと考えさせられる雰囲気でしたよ。嫌になちゃいますよ、そんな歳になってしまったのかと思うと。でも、昔の仲間と語らうってのは楽しいものですね。うん十年の歳月が飛び去って、若かりし頃の思い出が蘇ってきます。歳を歎きましたが、ドッコイ。翌日は寒さが厳しい中、名古屋よりさらに寒さが厳しい岐阜でゴルフです。昔の仲間と気兼ねなく楽しむゴルフは本当に得がたいものですね。右へ行ったり左へ行ったり、コースを広々と使って好き勝手なゴルフを楽しませていただきました。結果は、前半56、後半54、合計で何と110と散々なスコアーでした。中でもショートホールでバンカーにつかまり12打も叩いてしまったのは大いに反省です。今年もゴルフは反省からの始まりです。反省の上に進歩があり成長があるのです。あくまでも前向きな暇爺です。今年も1年、ゴルフにスキー、テニスに山歩きにと残された人生を楽しみますよ。
2012/01/13
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昨日(1月5日)、渋谷の東急BUNKAMURAで開催されている「フェルメールからのラブレター展」を見に行きました。この展覧会は、フェルメールの手紙を扱った3点の絵画と、同時代のオランダ絵画から手紙を通したコミュニケーションや家族の絆、家族の空間を扱った絵画を集めた展覧会でした。この時代のオランダ絵画は、その前の宗教画から抜け出し風俗画という新たなジャンルを開拓したと言われています。これは、この時代オランダでは大航海で商人たちが富を成し、自宅で楽しむ絵画を求めたことからそのような画題の作品が増えたと言われています。今回の絵画展で特に面白いと思ったのは、ヤン・スーテンでした。ヤン・ステーンの絵は、左の「生徒にお仕置きをする教師」の絵のように画題が明確で、そこで現しているメッセージがはっきり分かる絵になっています。また、一人ひとりの表情が面白おかしく表現されていて見ていても楽しい物でした。この画家の絵は3点ほど展示されていましたが、それぞれにはっきりした道徳的メッセージを主張をしています。つづいて目に付いたのが、ヤーコブ・オホテルフェルトの「ラブレター」という作品です。この絵を注目したのは、手紙を読んでいる女性の金色の衣装が本物あるいはそれ以上に良く描かれていると思えた点です。今回展示されていた絵は、ほとんどが写真と見まがうほど忠実に再現されている絵が多かった(忠実に再現されている風ではありますが、実際はアトリエで描かれたということです)のですが、この絵の女性の衣装はどんな絵具を使ってどのように描けばこのような表現ができるのか不思議に思えました。今回展示されたフェルメールの絵は次の3点でした。「手紙を書く女」 1661年頃この絵の特徴は、手紙を書く女性が筆を休めてこちらに顔を向けて私達を見つめている点だと言う事です。彼女の背後の壁に掛かっている静物画には、うっすらとヴィオラ・ダ・ガンバが描かれているようです。(よく見てみましたが、何が描かれているかは分かりませんでした)画家はこの作品において「音楽は、愛と調和の類義語である」ということから、美と愛の間の調和のある関係をほのめかしているのだそうです。「手紙を読む青衣の女」 1663~64年頃この絵は、最近画面洗浄と修復をしたということで、ラビズラリーの青色が鮮明になっているということでした。後ろに描かれている地図は、愛する人の不在をほのめかいしているとされています。この時代のオランダ絵画には、地図や地球儀が描かれていることが多いのですが、これらは世界に飛躍するオランダを象徴しており、絵の他の部分とともにそれぞれの意味合いを持たせているという事のようです。 「手紙を書く女と召使」 1670年頃夢中で手紙を書く女性とのんびりと窓の外を眺める召使の表情の対照が面白く、手紙を書く女性の真剣さが強調されているように思われました。背後の壁に「モーセの発見」の油絵が掲げられているが、この時代のオランダ絵画では、聖書の主題でその絵の主題を示唆している事が多く、この絵でも彼女が自制し愛人と和解するための手紙を書いている事を示唆しているとされています。17世紀のオランダ絵画は、様々な小道具を寓意的に描きこむことでオランダの諺や格言、道徳的なメッセージを示唆しているものが多いと言えます。それまでの宗教画から離れ日常生活の場面を描く風俗画の中でも宗教的教訓や格言を取り上げることで鑑賞者に注意を喚起していたのではないでしょうか。絵は鑑賞して楽しむものであり、この様なことがどんな意味あいがあるのか疑問ではあります。今回展示された絵は、ほとんどが精緻な描写の絵でしたが、中に描かれている花瓶の表現は実際そこにその物があるかのように写実的に質感を持って描かれていると感じられました。また、多くの絵のテーブルの上に絨毯がかけられていますが、この絨毯が詳細に描かれているのには驚かされました。この時代のオランダでは東方から運んできた絨毯が一つの富の象徴だったのでしょうかね。今回見たような写実的な絵はどちらかと言えば好みではないのですが、最近「美術鑑賞の疑問」ということに拘っており、自分の好みの画家の絵ばかり見るのでなくいろいろな種類の絵を広く鑑賞することも必要であると考え、今回の17世紀オランダ絵画の展覧会にいったのです。今回の美術鑑賞で好みが変わるというようなことはありませんが、異なったジャンルの絵を見ることで、「自分の好みがどんなところにあるのか」ということについて考える機会をえましたし、少しは分かってきたような気がします。
2012/01/06
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今日の夕食は、今人気の「タニタ社員食堂のレシピ」に従って作りました。先日丸善に出かけた時、料理本コーナーで「体脂肪計タニタの社員食堂」というレシピ本が平積みされているのを見付けて、パラパラと捲ってみたら1回の食事に作る3~4皿がまとまっているのを見て、これは良いということで買って来ました。何故、”1回の食事に作る3~4皿がまとまっている”のが良いかと言いますと、メインの料理についてはよく考えるのですが、つい2皿目、3皿目の料理のことを疎かにし、いざ作る段になって何にしようか迷ってしまうのです。ですからタニタのレシピのように1食分がまとまっていると、私としては大変助かるのです。今夜は、そのレシピの中から「チキンのオリーブオイル焼き定食」を作ってみました。下の写真がタニタ本のコピーです。内容は、(1)チキンのオリーブオイル焼き(2)白菜のサラダ(3)小松菜の中華炒め(4)えのき茸のすまし汁の4品です。これで摂取カロリーと塩分は、423kcal 塩分3.2gというとてもヘルシーなメニューなのです。私が作った結果は次の写真です。品数が多い上に手がこんだ料理が多く料理をする上ではかなり大変でした。”小松菜の中華炒め”には豆板醤が入っていてピリッと辛かったり、”チキンのオリーブオイル焼き”にはバルサミコの酸味がよく効いていてとても美味しかったです。全般的に味は良かったですねよ。料理人の腕がよかったという事もありますが、タニタのレシピが優れている面もあったのでしょうね。これからも他の料理も作る気持ちが高まってきました。
2012/01/04
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下の写真が現在の我が家の雑煮です。このような雑煮になったのにはそれなりの変遷の歴史があります。元々、我が家の先祖は四国の香川県の出身で、父親が雑煮を作っていたころは、丸餅を使い、野菜なども全て丸く切った物を入れて造っていました。そして、汁は白味噌を使っていました。私ども夫婦も結婚した当初は、我が家の伝統に従うように努めましたが、まず、丸餅を手に入れるのが大変でそれが四角い切り餅に代わるようになりました。つづいて、ニンジンや大根を丸く切るという習慣が切り捨てられました。さらには、白味噌は正月だけにしか使わないのに買ったのでは不合理だということで、とうとう何時も使っている合わせ味噌に切り替わりました。その内、いつの間にやら澄まし汁に代わり、お餅も焼いたものが使われるようになってしまい、現在の姿になってしまったのです。一見、正月の雑煮だけの小さな事柄のようですが、よくよく考えると奥が深いのです。すなわち、当初は主人である私の四国の慣習に従っていたものが、次第次第になし崩し的に関東風な習慣が取り入れられ、結局は妻の実家の慣習に置き換えられてしまっているのです。こんな事は、皆様の身近な事柄でも起こっているのではないでしょうか?よくよく研究されて、自らの出自を保つようにしたいものです。(我が家ではもはや取り返しがつかなくなってしまっています。力関係がありますからね)今年の雑煮は野菜類が丸く切られていましたよ。少しは昔の伝統に従うってんでしょうかね。
2012/01/01
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2011年以前の日記は写真を楽天ブログから削除しました。見たい場合は、asahi-netのホームページを参照してください。
2011/12/13
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2011年以前の日記は写真を楽天ブログから削除しました。見たい場合は、asahi-netのホームページを参照してください。
2011/12/13
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6月3日(金) 晴この日は、チェコ南部の美しい街として人気のチェスキー・クロムロフに向かいました。チェスキー・クルムロフはボヘミアの深い森に守られて、中世から姿を変えることなくいまに伝わった街です。その街並みはまるで花束。ボヘミアの深緑の中、ブルタヴァ川の輝き、屋根のオレンジ、壁の白、ピンク、黄、青が咲いている。人々はあまりの美しさに、この街を「眠れる森の美女」と呼んでいるとのことです。美しいですね。チェスキー・クロムロフの街は。街に着いたところから早速美しい風景です。つづいては、街の中心のスヴォルノスティ広場から見られる民家街の周りを囲っているヴルタヴァ川の橋の上から撮った川の流れ崖の下から望んだチェスキー・クロムロフ城お城は岩の上に建てられているのですね。中庭の向こうにお城の塔をみる第三の中庭を囲んでいる壁は、あたかも石積みで造られていたり、彫刻が飾られているように壁に絵が描かれていました。城壁の窓から見えた街並みと聖ヴィート教会お城から見たチェスキー・クロムロフの町並全景チェスキー・クロムロフ城の観光の後、オーストリアのザルツブルグに向かいました。
2011/12/12
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6月2日(木) 晴9:00にホテルのロビーに皆さんが集まり、この日の観光の始まりです。この付近は旧市街で路が狭くバスをホテルの前に着けられないことから、まずバスを停めている処まで移動しました。この時、路面電車の走る道を渡る必要があったので、皆で渡ろうと左右を良く見て車が止まってくれた事を確認して渡り始めました。そこへいきなり電車が現れて、危うくひかれてしまいそうでした。エエエエエ!! 驚きだな!! 車は止まってくれているのに、どうして電車が突っ込んできたりするの。ガイドさん曰く「この国では、自動車は歩行者を優先してくれますが、電車は歩行者より優先が高いのです。電車には十二分に気を付けて下さい」だって。驚きだな。電車の方が歩行者より優先だなんて。クワバラ!クワバラ!その上、よくよく観察してみると、電車は日本では考えれれないようなスピードで走っています。専用軌道なんかじゃなくて、道路の一部に軌道がひかれている路面電車なんですよ。この驚きはこの後もさらに大きな驚きに発展していったのです。この日は、とりあえずバスに乗ってプラハ城の観光に向かいました。プラハ城は、市の中心部を流れるヴルタバ川の反対側の市街地を見下ろす小高い丘の上にありました。写真の中の尖塔はプラハ城内の聖ビート大聖堂で、その手前にある平たい建物が王宮です。かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在もチェコ共和国の大統領府のあるということのようです。プラハ城への入り口の正門には二人の衛兵が威厳を正して直立しておりプラハ城を守っています。衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われるということです。ただ、この日は時間に制限もあり、衛兵の交代式を見ることはできませんでした。プラハ城内ではまず聖ヴィート大聖堂を見学しました。聖ヴィート大聖堂は、14世紀に建設されたゴシック様式の建物です。大聖堂の名前となっている聖ヴィートは3~4世紀にディオクレティアヌス帝によって行われたキリスト教徒大迫害の犠牲となったシチリア出身の聖人だそうです。大聖堂内にはミューシャの「聖キリルと聖メトデウス」というステンドグラスがあり、あきらかに他のステンドグラスとは違った造りになっていました。この聖堂内でもう一つの観光のポイントは聖ヤン・ネポムツキーの像です。ネポムツキーは、司祭として知りえた王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだからことからヴァーツラフ4世によって 殺害され、カレル橋からヴォルタヴァ川に投げ込まれたとされています。この聖ヤン・ネポムツキーは、しばしば十字架や棕櫚の枝を手にし、頭上に5つの星が輝く人物としてあらわされています。つぎに訪れたのが聖イジー教会です。この教会の建物は、プラハで最も保存のよいロマネスク建築で、元々はバジリカ様式の教会であったものを何度も壊されたり再建されたりして今日のようなものになっているとのことでした。蝋燭の明かりと外からの自然光で照らし出された内部は、息を呑むほどの美しさ感動させられました。つづいて、黄金の小道を見学しました。黄金の小道は文字通りの小道です。名前の由来は。昔、錬金術師が住んでいたことからついたということでした。小道には小物や本、手作りのお土産などを売る小さな店が並んでいます。店といっても店内は狭くあまり飾り気のない雰囲気だが、それがまたとても魅力的です。かつてこの一角は、プラハ城の衛兵、小間使い、宝石職人などが住んでいた場所だったそうです。プラハ城を出た後、階段を下り、カレル橋に行きました。カレル橋は、プラハ最古の橋であり、“石の橋”または“プラハの橋”と呼ばれていたが、1870年からカレル橋という名で呼ばれるようになったということでした。橋の欄干は30体の聖者や歴史上の人物の彫像によって飾られており、その中で一番有名なのは聖ヤン・ネポムツキーの像です。この他、日本でもよく知られている聖フランシスコ・ザヴィエルの像もあり、台座にはちょんまげ頭の日本人だろうと思われる人物が刻まれています。カレル橋を渡った処にある道路には驚かされました。道幅いっぱいに電車の線路が敷かれているのに自動車がその上を走っているのです。まあ、プラハの旧市街は狭い道が多いうえ、史跡になっているため拡張もままならないことから、こういう事になるんでしょうね。この後、旧市街広場に行きました。そこには旧市庁舎があり、旧市庁舎の時計塔には天文時計と言う時計があります。この時計は地球を中心に太陽が回る天動説に基づいて作られ、年月日と時間を示しながら1年かけて1周するプラネタリウムになっているということでした。また、この天文時計は、毎日9:00~21:00の毎正時になると、機械人形の仕掛けが動き出します。この仕掛けをひと目見ようと、毎正時近くになると、たくさんの観光客が集まって来ます。私どもは丁度その場に居合わせましたので、この仕掛けを見ることができました。近くのレストランで昼食をいただいた後、ツアーは解散となりましたので私どもはミューシャ美術館に出かけました。ミューシャ美術館でミューシャの絵を見た後、マーケットや街の中をあちこち散策しました。中欧旅行初日の最後は、ビアレストランでチェコビールで乾杯です。
2011/12/12
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2008年の2月から2009年の3月にかけて「美術館賞の疑問」ということで、”美術で美しいと感じるのは何故か”というような疑問にチャレンジしようとしてきましたが、結局、考えれば考えるほど、書物など参考資料を探せば探すほど解らなくなり、考えること自体放棄した状況となっています。(その経過は、ここをクリック)その結果、美術鑑賞にも出かけなくなってきたようにすら思えます。(もともと、そんなにシバシバ美術鑑賞に出かけていた訳ではないのですが、それがさらに少なくなったといえます)もっとも、美術鑑賞をしながら『シャガールの絵を見ながら『良いな』とは思えるのではありますが、『どうしてシャガールの絵が良いと思うんだろうか』ということがどうしても分かりません。こんな私には絵を鑑賞する資格なんかないのでしょうかね。シャガールの絵は、空中に人が浮かんでいたり、何故か分からないのに鶏が画かれていたり、赤や緑、青や黄色で塗られていたり、何が何だか分からないのですが、何故だか『良いな』って思えちゃうんです。こんなんで良いんですかね。絵画の鑑賞は』などと考えながらじゃ美術館に足が遠のくってもんですよね。だからといってこの事から完全に逃避していたわけではありません。図書館や書店に行った時には、だいたい美術のコーナーに立ち寄って見ています。(意識して立ち寄っているというのでなく、何となく足が向いているのです)つい先日、家の近くの丸善(最近家の近くに丸善の大型店が開いたのです)にブラっと出かけて、あちこち本を覗いていた時、安野光雅の『絵のある人生』っていう本に遭遇しました。ペラペラ捲ってみたら、どうも「”美しい”とはどういうことか」ということが語られているような気がしましたので、早速書名を書きとめ家に帰りインターネットで図書館の蔵書を調べました。近くの市の図書館が蔵書しているようでしたので、すぐに車を走らせ図書館に向かいました。安野光雅の『絵のある人生』の中で私を捉えたのは次のような事でした。(1)『美しい』と『きれい』は違う「きれい」というのは「汚い」の反対語ですが、「美しい」というのは醜悪な部分まで含んでいる。一見したところは醜悪なものでも、心を打たれるものがある。満開の桜も美しいけれど、秋の枯葉の褪せた色も美しい。「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」(徒然草第一三七段、吉田兼好)ということはこのことである。「美しい」と感じる感覚は、一口にいうと心を動かされるということである。自然や芸術作品に、人の心を動かすだけの力が無くてはかなわないが、それを見る人の感性のありかたというものがあろうかと思う。「きれい」なものに心を動かされても悪くはない。しかしさらに深く働きかけて、見る者が「美しさ」を見つけ出すこともあるわけである。つまり「美」という厄介なものは、対象に備わっている美しさというより、むしろそれを見る自分の感性の責任であるといえる。(2)『美しい』とは昔、絵の入門書にはどの本にも「絵とは美をあらわすものだ」と、まるで判で押したように書いてあった。美とはどういうものなのか、それさえ分かれば絵ができるなら、それが知りたいと思った。たしかトルストイに「美はあらわすことはできても、定義することはできない」という言葉があり、それも心に残った。では、何か分かったかというと、何も分かりません。「絵は美をあらわすものだ」という言葉は、「美とは?が分からないから苦労している」わけで、無責任な言葉に聞こえる。それを言うなら「美とはどういうものか」について触れてもらわないと、分かるものも分からなくなると長く思っていた。東京大学の哲学科に入った友人に、哲学を学んでいるのだから分かるのではと思い「絵は美をあらわすのだと言うのだけど、美ってなんなのだ」と聞いてみた。「お前の描いているのは、絵で実体だけど、美なんて概念なのだから、軽々に定義できない。定義してみても、時代とともにうつろいやすいだろう、だから美に対する概念も時代によって変わると考えた方がいい。それは実態に即して変わると考えた方がいい。大袈裟に言えば概念規定は絵や音楽などの実態を追いかけていることになる」というようなことを言われた。彼のお陰で、その後「美とは何か」などと詮議だてしないですむようになった。(3)絵を見るということ絵を見るときは、先入観をなくし、自分の目で見、自分の頭で考えながら見ることが大切だと思う。他の人がいいという絵が自分には納得できないことがあってもいい。絵は、絵とそれを見る人との共同作業で、そこに普通「美しい」と言っているところの世界を広げているのだといえる。人が、美しいものに反応する感覚は、自然から学んで育つことの他に、絵を見ることの経験によっても磨かれるものだと思う。(4)人はなぜ絵を見に行くのか先輩とイギリスの旅をしたとき、朝別れて夕ご飯はいっしょにするという事で、その日に見てきたことを自慢しあったことがあった。この時、先輩は本屋で見たいろいろな本のこと、美術館で見た印象的な絵の話などをした。わたしは一日中風景の中にいて、自然の美しさを堪能していたものだから、見たことを挙げよといわれても、山、花、木、人々、と言うだけでおしまいだった。二人とも目を開けていたし、ものを見た時間は同じ長さなのに、先輩の見たものの方が密度が高いと思った。すなわち、山や川といった自然を歩いてみても、バスで一日中走っても、美術館の中ほどの密度は無かったのではないかと思ったのだった。風景にくらべて美術館の方が「密度が高い」と感じるのは何故でだろう。思うに、昔の絵は長い時間をかけて描いたものばかりで、その絵には、その絵が絵がかれていたときの時計で計ることのできない時間(思索)があり、絵ができあがってから、こんどは時計で計る意味の時間(歴史)が、ほこりのように降り積もっていると思うことができる。絵を見る人がその時間を共有するのだとしたら、密度は限りなく高いことになる。そうなんだ、「『美しい』とはどういうことか」などと、誰も定義立てできない課題にとらわれることなく、先入観を持たず真摯な気持で絵を見、自分で考え、経験によって磨かれる美しいものに反応する感覚を育てていくことが肝要なのでしょうね。そういう観点で絵画の鑑賞に取り組んでみたいと考えます。
2011/12/09
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11月30日のゴルフコンペで、”ホールインワン”をやり、スコアー92で優勝したことを紹介し、『100切り達成』を宣言しましたが、何もこの日初めて100を切るスコアーを出したという訳ではなく、次に示すように今年後半は半分ほど100を切っているのです。【今年後半の成績】 プレー日 コース 前半 後半 スコアー------------------------------ 6月10日 鎌倉パブリック 48 47 95 6月30日 東京カントリー 47 53 100 7月13日 三井の森蓼科ゴルフ 48 55 103 7月28日 鎌倉パブリック 43 48 91 9月27日 東京カントリー 49 49 9810月22日 東京カントリー 49 51 10010月26日 佐久リゾート 61 58 11911月10日 鎌倉パブリック 50 48 9811月24日 ディアレイク 53 61 11411月29日 厚木ゴルフクラブ 48 52 10011月30日 相模原カントリー 47 45 92------------------------------ 平均 10110月26日の佐久リゾートの119は、あまり練習をし過ぎてプレー中に背中の筋肉が痛くなってしまって思ったようなプレーができなかった事を配慮すると、平均で100以下になっていると言っていいのではと思えます。ですから『100切り達成』を宣言したのです。
2011/12/03
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お釈迦様は難しい話でも相手に合わせて当意即妙に話されたということで、赤ん坊を亡くした女に対し次のような対機説法で死と別れについて説かれたと言うことです。------------------------------------インドにキサーゴータミーという若いお母さんがいました。赤ん坊が生まれましたが、一週間もたたないうちに、病気で死んでしまいました。彼女はあまりの悲しさに、頭がおかしくなるほど泣き沈みました。やがて、死んだ赤ちゃんをしっかり胸に抱きしめて、「私の赤ちゃんを生き返らせて下さい」と言いながら町をさまよう彼女の姿を人々は見るようになりました。ある人があまり可哀そうなので、「むこうの森へ行くと、お釈迦さまがお説法をしていらっしゃいますよ。そこへ行って、お偉い方だからお願いしてごらん」といいました。ゴータミーは喜んで、その森への道を教わって、すぐ駆けつけました。たくさんの人々がとりまいて座っている中心に、お釈迦さまがいらっしゃいました。何か尊いお説法を聞いているのでしょう。みんな声もたてず、お釈迦さまの方に顔を向けて、熱心に聴いています。ゴータミーは、その中に飛び込み、「あたしの赤ちゃんを行きかえらせてちょうだい」と叫びました。みんなは気のふれた女だと思い、取り押さえて外へつれだそうとしました。その時、お釈迦さまが、「女よ、ここにいらっしゃい」と声をかけました。ゴータミーは、すぐお釈迦さまの前へすすみました。お釈迦さまは、ゴータミーにこのように言いました。 「この村の家々をまわって、けしの実をもらってきなさい。ただし、これまで一度も死人を出したことのない家のけしの実でなくてはいけない。それをもらってわたしの所に持ってきなさい。そうすれば、赤子は息を吹き返すだろう」 ゴータミーは勇んで、家々を回りました。我が子が生き返ると聞いた彼女は必死でした。 しかし、訪問をうけた家の人たちは、悲しく首を振るだけでした。 どの家を回ってもお釈迦さまの言われるけしの実は手に入りませんでした。死人を出したことのない家など一軒もなかったのです。 その時、ゴータミーははっとしました。『愛するものを喪った悲しみはわたしひとりのものではない。これまで、みなが味わってきたかなしみなのだ。生きとし生けるものは死をまぬかれることができない。そのことわりをしっかりと胸にだいて、かなしみをしずめなければならないのだ』。そう思ったとき、かなしみは消え、ゴータミーはブッダの弟子になったということです。 ------------------------------------この話は、瀬戸内寂静著「寂庵説法」のページ71に載っていたもので、『ダンマパダアッタカター』に説かれているものです。『悲しみに心を閉ざしている人に難しい話しをしても受け取れるものではなく、己が自分で気がつくように仕向けていることも必要だ』というお釈迦さまの教えの伝え方を示しているものと思いました。
2011/12/02
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今日(11月30日)、元勤めていた会社のOBの仲間たちと相模原カントリー倶楽部でプレーをしましたが、その折に”ホールインワン”を達成したのです。私などショートホールでグリーンを捉えることもままならず、まだまだホールインワンなど出来ようはずもないと思っておりましたが、そんな私がホールインワンを実現したのです。まあ、ホールインワンは実力があればできるって代物じゃなくて、たまたま運かまぐれでできてしまうものではあるのですが、それでもグリーンを捉えるショットができて始めてできようというものです。日頃は右へ左へボールの行方も定まらぬわたしですが、この日はビシッと真っ直ぐなショットが決まり続けたのです。このホールのショットは、今思い出しても鮮明に脳裏に焼きついています。160ヤード程のショートホールを5番ウッドでビシっと放ちました。その玉は、ピン方向に向けて真っ直ぐ曲ることもなく飛んでいきました。『やあ、やあ。やった、やった。ワンオンだ!』と喜んだ瞬間、グリーンの上をピンに向かって転がっていたボールが、突然消えてしまったのでした。『あれ、ボールが消えちゃったよ。何処へ行ってしまったのかね。ホールインワンかな』などと暢気なことを話していたら、キャディさんが『このグリーンは波打っているので、窪みに入って見なくなったのかも知れませんよ』『そうだよね。ホールインワンなんて在り得ないものね』などと言いながら、グリーンに近づいていってもボールは見付かりません。その内、先頭を歩いていた御仁が、ホールを覗き『ボールがあるよ。ホールインワンだ。ホールインワンだ』と大騒ぎ『やった。ホールインワンだ』とばかり天にも昇るような気持で、ピョンピョン飛び上がりました。その内、前の仲間が折り返して来たところで、『ホールインワンをやったぜ!!』とばかり大声を出して叫びました。やったんだ、やったんだ。ホールインワンを。次第、次第に感激が身に染み渡ってきます。今考えてみると、キャディさんが『窪みに入って見なくなったのかも知れませんよ』などと言ったのも、ガッカリさせないための気遣いだったのでしょう。プレー後、風呂に入るときコンペに参加している皆に吹いてまわりました。パーティが始まると皆その話で持ちきりです。この会は年2~3回、始まって以来20回を重ねいますが誰もホールインワンを達成していません。今回が初めてのホールインワンでした。いやはや何たる快挙。気分爽快です。でも、ホールインワンは全くのまぐれです。ホールインワンだけでしたら、そんなには喜べません。ところがこの日のプレーは、それだけではありませんでした。ティーショットは打ちたい方角にビシっと決まり、今まで越えられなかった方の玉をオーバードライブしたりしています。距離が長くてパーオンができなくても、アプローチをきちっとオンさでることができました。さらには長いパットを何本も入れてたり、極めつけは、20ヤード程のアプローチがピンにカキンと音を立てて当り入ってしまったりしました。(入らなかったら10ヤード以上行き過ぎていたでしょう)結果は、OUT: 47IN: 45---------合計 92とこれまでに一度の成し遂げ得なかった好スコアーでした。27人の腕自慢のプレヤーを尻目にぶち切りの優勝を成し遂げてしまったのです。やったぞ、やったぞ!!これで自信を持って『100切りを達成した』と言い切れます。
2011/11/30
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今日(11月29日)厚木基地でゴルフをやってきました。厚木基地でゴルフだなんて冗談でしょと思われるでしょうが、嘘なんかじゃないんです。厚木基地の中にはれっきとした18ホールのゴルフ場があるのです。元々は米軍が軍人の福祉のために用意していた物なのですが、今では自衛隊関係者やその関連の一般人でも利用できるようです。利用範囲がどんな基準で決まっているかは知りませんが、高校時代の友人に元自衛隊に勤めていた人がいて、彼と一緒に利用させていただいたのです。ゴルフ場といってもやっぱり基地の中にあるだけに入場するにもいろいろ審査が大変でした。下の写真が厚木基地のゲートです。まず、このゲートを車で入るために、運転免許証、車検証、自賠責保険証、任意保険証などを提示し、入場許可証を得なければ入場できません。中は広いですね。そうですよね。飛行場ですもの。車でなくちゃゴルフ場に辿りつけません。ゴルフ場に着いたら、まずは着替えです。一般のゴルフ場のようにきちんとしたロッカールームなどないようで、我々は駐車場の傍らで着替えて受け付けに向かいました。元々米軍の施設なので、アメリカ風で多分こんな事になるのではとは予想していました。行く前に状況を良く聞いておけばよかったのですが、あまりいろいろ聞くのも如何かと思い聞いておかなかったのが失敗です。その上、自衛隊の皆様に失礼があってはと思い、きちっとした正装で出かけちゃったのです。車の陰でシャツは勿論、ズボンまで着替えちゃいましたよ。いよいよプレーですが、勝手に手で引くカートにゴルフバックを乗せ、適当にコースに出て行ってプレーするという全くアメリカ式のプレースタイルなんです。もっとも、ほとんどプレーしている人がいませんので、「何時何分にスタートしてください」などと決める必要もなく、適当にスタートすればいいわけです。コースは、平坦で結構手入れが行き届いていましたよ。飛行場の中にあるので全く平らかと思っていましたが、そうではなくて、適当にアップダウンもあり楽しめるコースでした。(滑走路は人工的に平坦にならしているのでしょうかね)初めの内は、それほど飛行機の音も気になりませんでしたが、しばらくプレーしている内に、滑走路のすぐ横50mくらいの所まで近付いて来てしまいました。そこからの景色はつぎの写真のように、何もフェンスもなくゴルフ場の芝生の続きに滑走路があるって感じです。流石にそのホールの辺りは、滑走路側に打つのはOBになっています。もし、そちらの方に打ってしまったらどうするんでしょうかね。その内、ヘリコプターが上がったり降りたりし始め、爆音が激しくなってきました。やはり飛行場の中なんですね。さらに耳をつんざく激しい爆音が聞こえてきたのは、ジェット戦闘機が飛び立った時です。流石にこの時ばかりは、ちょっと茫然としましたよ。まあ、まあ、そんなこんなで半日で1ラウンド楽しませていただきました。この日の成績は、前半48、後半52でラウンド100とまあまあの出来でしたが、あと一つ縮めて100を切りたかったところです。(実力だから仕方がないか)プレーを終えた後、当然のことではありますが、風呂なんてものはありません。シューズを履き替えてクラブの食堂で昼食をいただきました。この時も私は、ズボンを履き替え、ブレザーを着て食堂に入らせていただきました。朝覗いた時、米軍の兵隊さんらしき方々が、食堂で歓談しているようでしたので、日本男児として恥ずかしくない姿で利用させていただこうと考えた訳です。(後で考えると、少々気負いすぎだったかも知れません)美味しかったですね。本場のニューヨークステーキ。(本場かどうか疑わしいのですが)満足。満足。一日大いに楽しませていただきました。
2011/11/29
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定年退職後、親から相続した畑を利用して農業をやっている友人から里芋と八つ頭、さつま芋が、宅急便で届きました。彼が農業を始めてから毎年今の時期に里芋が送られて来ます。毎年の恒例として、この時期に送られてくるのを楽しみにしているのです。昨年は天候の具合が良くなくて出来が悪いという事で送られこず残念におもっていましたが、ことしは豊作だっということでさつま芋も一緒にどっさり送られて来ました。里芋は”きぬかつぎ”にして食べると美味しいだろうな。楽しみです。この友人は、畑の農業をやっているようですが、他の友人には田圃を手に入れて本格的な稲作農業に取り組んでいる御仁もいます。その友人の話では、彼は政府から補助金をもらっているということです。驚いちゃいますね。農業で生活を支えているって訳じゃなく、定年退職者で十分な年金をもらっているので、どちらかといえば趣味に近い状態で農業をやっているのに補助金が出るんだそうです。確かに田圃を3つも手に入れて、農機具なんかも購入し、かなり本格的に農業をやってはいるのですが、やはり年金生活者が趣味的にやっているということには違いありません。こんな農業にまで補助金を出すってのは如何なものでしょうかね。まあ、どういう趣旨でやっているかで区別するのは難しいとは思いますが、どうしたものでしょうかね。はっきり言って、今の農業補助金は大部分が兼業農家に出されているというのが現状ではないでしょうか。大部分の農家は、本職は会社員や公務員で、企業や役所から給与をもらい生活していて、日曜とか休日に片手間に農業をやっているってのが多いんですから、そういう人と定年退職者の趣味的農業を区別するのは難しいんでしょうね。あ~あ、日本の農業はこの先どうなるんでしょうね。どんな政策をとれば日本の農業が魅力ある職業となるのでしょうか。この先心配ですね。
2011/11/28
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下着って結構なお値段なんですね。最近、股引(膝下サイズ)のゴムひもが馬鹿になってはいていて気持が悪いので、代りのものを買いに行きました。まずは、品質が安心できるユニクロに行きましたところ、ヒートテックの下着しかなく、シャツと股引がそれぞれ900円なんです。2セット買いたいと思っていましたので、3,600円になちゃいます。「ヒートテックだからといって、下着2セットで3,600円って高すぎるよ」と思いとどまりました。隣のイトーヨーカ堂に行けば”普通の下着がもう少し手ごろな値段であるのでは”とそちらの方を覗いてみました。あれ、あれ。900円なんて安いほうだよ。BVDの下着は1,200円はとか1,400円もしているよ。もっとも40%引きにはなってましたがね。やっとの思いで780円で2つ以上なら10%引きになるというのを見つけました。仕方が無いので上/下ワンセットだけ購入してきました。あ~あ~!下着のお値段も馬鹿になりませんね。もっとも、よくよく考えてみると高くもないような気もします。毎日、四六時中使っているんですから。(ゴルフに行くのを1回くらい我慢すれば、すぐに出てくるじゃない)また、「他の品物に幾ら払っているか」考えてみるとお安いものです。ゴルフのクラブならワンセットうん十万円もしますし、スキーの道具だってやっぱりうん十万円しています。それでどのくらいの時間使っているかって?スキーの道具なんか、多くて年間15日です。下着は365日、24時間使うんです。それで上下で2,000円もしないんだから、安いといえば安いものですよね。私はあまりファッションには拘らなくて、”機能にはお金を払う”って考えです。下着は衣類だからファッションのように捉えていましたが、ファッションなんかじゃなくて機能なんですよね。(女性物にはファッションの性格もありますがね。誰に見てもらうんかね?)肌を守ったり、汗を吸ったり。これからの時期、寒さから身を守るって機能もあります。今の時代電気を節約しなけりゃなりませんので、暖かくて着心地の良い下着が求められます。けちなこと言わずに、しっかりした下着を着用しましょう。
2011/11/26
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11月21日(月)に大山詣を兼ねて大山をトレッキングしてきました。今回のトレッキングの呼び掛けには7名が参加しました。トレッキングは、標高300mの蓑毛から登り始め、760mのヤビツ峠を通り、1,250mの山頂に至るルートで考えました。ただ、参加者のうち2名は自信がないということで、ケーブルカーで途中まで登り、頂上駅から登るコースをとり、山頂で合流することといたしました。蓑毛からの登りは、最初のコンクリート舗装の部分はかなりキツイ登りでしたが、その後、は比較的ゆるやかな登りでした。(コンクリート舗装の部分は山の傾斜に沿って登るようになっていて、それ以後の登山道は斜面をジグザグに登るように造られていたのです)この登りは、9:20に登り始め、山頂には12:20に着くことができました。登山ガイドの所要時間に比べると30分オーバーで辿り着いたということです。途中休憩を多めにとったことから、まあまあというところかな。山頂には大山阿夫利神社の本殿と奥の院があります。左の写真は奥の院ですまずはこの奥の院に参拝。辺りを探すと、すぐケーブルカー利用ルートの仲間を見つけることができました。ガイド書の時間で見積もると1時間以上早く着くはずでしたが、丁度到着したところだということでした。彼らの話では、ケーブルカーの山頂駅からの登りが岩がゴロゴロしている道でとても大変で10分か15分おきに休憩をとりながら登ってきたとのことでした。その通りなんですよ。私も昨年同じ道を登りましたが、彼らの言うとおりでした。早速ここで麓の駅前の弁当屋で買ってきたお弁当をいただきました。美味しいですね。お腹が空いている上に、清々しい空気。元気な山ガールたちと冗談を言いあいながら食べる昼食は。山ガール達は何も我々の仲間っていうわけではないのです。たまたま、隣でワインを楽しみながら昼食をとっている方々がいらしゃっただけです。山頂は山ガールたちで大賑わいなのです。下りは、ケーブルカーコースの仲間の意見をいれて別の比較的緩やかなコースをケーブルカー山頂駅まで下りました。ケーブルカー乗り場の前の茶屋まで辿り着いたら、先頭を歩いていたメンバー2名が見当たりません。下りのケーブルカーの発車時間が10分後に迫っていますのに何処へ行ってしまったんでしょう。どうも大山神社の下社に参拝に出かけてしまったようです。道が分かれているところに来たら、全員が集まったところで「どちらの道を選ぶか決める」ってのが山歩きのルールってもんじゃないですか。この連中ときたら、勝手がってに好きな方に行っちゃいます。まいちゃうな!!リーダーの権威もなにもあったもんじゃありません。まあ、全員がリーダーなんだから仕方がないか。てなことで、大声出して呼び集め、ケーブルカーの乗り場まで急いだにもかかわらず、駅員は「このケーブルカーの乗車は閉め切りました」だって。次のケーブルカーまで20分ほど時間待ちです。急いで下って、明るいうちに会食の旅館に入りたかったのに。ケーブルを降りて、バスに乗る段にも同じ事になっちゃいました。バスが待っているのに2人ほどの仲間の姿が見当たりません。やきもきしていたら、やおら現れました。大声をあげて急ぐように叫びました。どうも土産物屋に立ち寄っていたようです。『土産物屋に立ち寄るな』などと無粋なことは言いません。それなら、それと、一言あれば、やきもきしなくても済むんです。やってられませんね。この連中とは。(実を申せば、この私も同じ仲間なのですが)いやはや、今回は何とかこのバスに間にあいました。よかった!よかった!この後、温泉に入って会食を楽しむため、バスと電車を乗り継いで鶴巻温泉というところに行きました。(山登りより、こちらの方を楽しみにしてる方が多いのです)鶴巻温泉駅に着いたら、温泉大好き人間約1名が『何だ、山間なんかじゃなくて、街中じゃないか』だって。苦情を言うんです。『そりゃそうだけど、実際の旅館を見てから文句をいってよ』(言ってる本人も初めてで良くは知らないんですが)今回入浴と会食を予約した旅館『陣屋』は、何でも将棋や碁の名人戦なんかが行われる処で由緒ある旅館だと言う事だけは知ってはいましたが、実際のところは良くは知らないのです。行って。見て。驚き。すごい、すごい、凄いんです。庭にはかがり火が焚かれ。灯篭に灯が燈され。幻想的な風景です。良いんですか?こんなところに山登りの恰好ででやってきて。何はともあれ、まずは温泉です。素晴らしい湯船ですね。雰囲気が良いですね。お湯も柔らかで、ほど良い温かさで。山登りの疲れが吹き飛んじゃいました。続いて会食。ビールが入って、ワインが入り、山歩きの話に。最後には、東日本大震災の被災体験談が。これが凄かったですよ。乗っていた新幹線が、橋の上に止まってしまい、24時間もそのまま動かなかったり。その後、数日は盛岡市内の映画館に留まったり。何やかんやで『大山詣トレッキング』を無事終えました。
2011/11/22
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知識記憶定着に向けての努力の6回目です。読んだ内容をメモしているだけですので、無視してください。本を読んでも読んでいる先から忘れてしまうことから、読んだ本の内容で記憶したいと思われる部分や句をメモにし、繰り返し読み返すことで記憶の定着を図ろうとしたためたものです。この内容は、紀野和義著の『現代に生きる仏教』という本を読んだ時のメモです。p85.「日々これ好日」「日々これ好日」とは、毎日毎日好い日ばっかりということだが、本当にそういうことなのだろうか。実はこれは、毎日毎日がいい日でも悪い日でもないということなのである。今日はよかった、うれしかった、などというのは、まあ上の下というところであろう。一日一日がきちんと一日一日で、よくも悪くもないというのが一番いい。無事、何事もきわ立ったものがないのがいい。何も特別喜んだり、悲しんだり、ひっかかったりするものがない。大らかで、入って行けば行くほど深くて、考えれば考えるほど重くて、それでいてふわりと軽い人生。きっちり充足しているのに、どこにも踏ん張ったところがない人生。それがいい。それがすばらしい。しかし、それをいいとか、すばらしいとか思ったり、ひっかかったりしてはならぬのである。これが「無我」の世界である。p92.「舎利子見よ空即是色花ざかり」 (海軍の将軍小笠原長生の句)『般若心経』に「色即是空 空即是色」とある。「色即是空」(形あるものは、即ち「空」である)とは、自分の考えていること、やっていることがみんな空(むな)しくなり、どうしようもなくなり、ぎりぎりと追いつめられて行く世界である。それがどんずまりまで行って、もう見栄も外聞もない、自我も我執もなにもかも持てないスッテンテンになったとき、くるりと引っくり返って「空即是色」と翻って来るのである。そのときの「空」は「仏のいのち」とでもいうべき世界である。一切が仏のいのちの中で動いていることが分る。さあそうなると、せつないも、悲しいも、苦しいも、一切が花ざかりとなる。ひとつひとつが面白い。ひとつひとつが生き甲斐になって来るのである。 こうした風光の奥に、釈尊の説かれた「無我」の教えがいつまでも消えることなく輝いているのである。この事を海軍の将軍小笠原長生が、「舎利子見よ空即是色花ざかり」という句で表したのです。(つづく)
2011/11/19
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11月16日から日頃一緒にテニスを楽しんでいる仲間たち7名(3夫婦+1)と長野県の富士見高原に1泊2日でテニス合宿に行ってきました。11月16日(水) 快晴この日は、抜けるような青空の快晴のもと中央高速を快調に飛ばし、11時30分に富士見高原に到着しました。早速、昼食をとあらかじめ予定していた蕎麦屋に出かけましたら、臨時休業だって。参っちゃうね。どうもこの辺りは今時分はシーズンオフで客が来ないことから適当に休んでいるようです。仕方がないので途中にあった道の駅まで帰して、そこで蕎麦を食べました。この蕎麦屋が何とお高いのです。かけ蕎麦ともり蕎麦が860円だって。東京都心の蕎麦屋だってこんな値段はしませんよ。どうなちゃってるんでしょうね。確かに手打ちそばで腰が強く美味しい蕎麦ではありましたが、如何にもお高い限りです。次回は良く調べてから行こっと。富士見高原は八ヶ岳の麓の標高1,300mに位置しており、この時期もう寒さを感じるほどでしたが、この日は快晴で爽やかな空気のもとお日様の光がポカポカと降り注ぎ最高のテニス日和でした。テニスの後、この日の宿である少年自然の家という市の研修施設に入りました。この研修施設は、小学生の夏季研修などのための施設で今の時期は利用者が少なく、広く市民に開放しており、我々高齢者も利用できるのです。何時もの事ですが、この日は我々7人だけでした。数百人が利用できる大きな施設にです。この日の部屋は、多分もっとも小さな部屋を割り当ててくださったのですが、それでも18畳の部屋で7人です。ゆったり利用でしました。食堂なども百人以上が利用できるところにたった7人がポツンと集まって夕食をいたしました。また、風呂も当然のことながらかなり大きな風呂です。そこに3~4人でノビノビと浸かる事ができ、もう大尽の気分です。市民の貴重な税金で造ったこんな施設を余しておくのは勿体ないのではと考えますが、それはそれ次代を担う子供たちを健やかに育てる教育のためには是非とも必要なんですよ。11月17日(木) 快晴前の日の夜は施設の規定で夜10時には消灯でしたので、早くから寝てしまったため、この日は朝6時より前に目が覚めてしまいました。まだ、皆さん寝ていらしゃるようでしたので、こっそり起き、朝湯に浸かりました。良いですね。朝湯は。スッキリ目が覚めて爽快な気分です。この日も快晴でした。流石に高原の朝は冷え込みます。こういう事を想定して、十分防寒の用意をしてきていましたので、何ら恐れることはありませんでしたがね。9時からテニスコートを予約していましたので、早々に宿舎を立ちコートに向かいました。テニスはこの日も9時から11時までガッチリ楽しむことができました。11時にテニスが終わった後温泉に行く予定をしていましたが、気温が低くまったく汗がでなかったので『11時から温泉に入る気も起こらないね』てな話になって、紅葉狩りに先に行って、その後で温泉に行こうってことになりました。そこで、まず甲府市の近くにある”昇仙峡”という紅葉の名所の渓谷に向かいました。昇仙峡に近づいたあたりで12時になったので、昼食をどうするかという事になりました。適当なファミレスで昼食をとった後昇仙峡に向かうこともできましたが、この際お弁当を仕入れて紅葉見物をしながらいただくってのも良いじゃないかという結論になり、途中のコンビニでお弁当を仕入れて昇仙峡に向かいました。昇仙峡は凄いですね。周りの山は岩だらけで、川床は大きな岩がゴロゴロしています。写真の岩山は”覚円峰(かくえんぼう)”って言うんだそうです。もちろん岩だけじゃありませんよ。紅葉も素晴らしいものです。全国観光地百選 渓谷の部第一位に選ばれたんですってよ。さらに、さらに、見物客もゾロゾロと行列です。2~30年ほど前にも一度訪れたんですが、その時には外国人の姿はまったく見かけませんでしたが、今回は外国人も沢山いらしゃいました。中国語とおぼしき言葉を話している人もいますし、インド人だなって容姿の子供連れご夫婦もいらしゃいました。さらに、まったくどこの言葉か解らないような言葉で話していらしゃる方々もいました。そこから暫く川に沿って昇っていったら、大きな滝がありました。この滝は、”仙娥滝(せんがたき)”という滝で、もの凄い水量でドウドウと落ちてきていました。この後、石和温泉から少し北の小高い丘の山頂にある”ほったらかし温泉”という温泉に入浴し一日の汗を流しました。”ほったらかし温泉”は素晴らしい景色が眺められる最高の温泉です。普通露天風呂っても塀で囲われていますが、この温泉の湯船は、丘の頂上にあり片方が広々とひろがり、遠くに富士山が眺められ、眼下には石和の町並みを望むことができる眺望満点の湯船です。ちなみに、次の写真は、ほったらかし温泉の湯船から望める富士山です。夜は夜で、町並みの明かりと天空のお星様の眺めが素晴らしいってことでした。(おしまい)
2011/11/18
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知識記憶定着に向けての努力の5回目です。読んだ内容をメモしているだけですので、無視してください。本を読んでも読んでいる先から忘れてしまうことから、読んだ本の内容で記憶したいと思われる部分や句をメモにし、繰り返し読み返すことで記憶の定着を図ろうとしたためたものです。この内容は、紀野和義著の『現代に生きる仏教』という本を読んだ時のメモです。p80.自己をならうということ道元の「正法眼蔵」にある言葉「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せられるといふは、自己の心身、および佗己(たこ)の心身をして脱落せしむるなり。悟迹(ごしゃく)の休歇(きうかつ)なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ」(禅問答のようで何だか良く分かりませんが、紀野一義氏は次のように解釈しています。少々長いがほぼ原文をそのまま掲載します)「仏道を修行するということは、自己を探求するということだ。自己を探求するということは、自己を忘れることだというのである。自己を忘れるということは、自分の我執を捨てることだと考えていいと思う。自分の我執を捨てるということはどういうことかというと、万法に証せられることだという。すなわち、自分からやるのではなくて、まわりのものがどんどん自分を前に引っ張り出し、押し出して行ってくれるようになる。自然にまわりの者が放っておかなくなる。世間全体が放っておかなくなる。そういう生き方をいうのである。さて、万法に証せらるるというのは、自己の心身、佗己の心身をして脱落せしむることだという。これは分かりやすくいえば、自分が他人で、他人が自分、自分と他人との区別が全くなくなってしまうことをいうのである。自分がやっていても、自分がやっているという気がしない。人のためにやってあげても、それは自分のためにしている。自分のためにしていることが、ちゃんと人のためになっている。こういう状態になった人は、悟りの状態がどういうものだという意識が全くない。悟ったなどと言いもしない。仏教の信仰がどうのこうのということも言わない。それでいて、その何の意識もないはずの自分の生活が、どんどん大きく広く伸びて行く。世間が黙っていないで、どんどん伸ばして行ってくれる。そしてその人の人柄がどんどん深くなって行く。こういうことである。ここで言われていることは、自分の我執をなくし、人に愛されたいという願いを持ち、人を愛したいと願い、自分の中に他人を入れても何とも思わず、自分のいいところも悪いところもみんな人に見せて、こだわりなく、大らかに、自分のためにすることがみんな他人のためになるような、そんな生き方をしていると、世間が放っておかず、悟りとか救いとかいうようなことを離れて、しかも自分も他人も幸せになり、どんどん生活の幅がひろくなって行くというのである」(紀野一義氏の解説も分かったようで分からないようでもあります)
2011/11/15
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知識記憶定着に向けての努力の4回目です。読んだ内容をメモしているだけですので、無視してください。本を読んでも読んでいる先から忘れてしまうことから、読んだ本の内容で記憶したいと思われる部分や句をメモにし、繰り返し読み返すことで記憶の定着を図ろうとしたためたものです。この内容は、紀野和義著の『現代に生きる仏教』という本を読んだ時のメモです。p58.無明とは無明とは「生きようとする意志」であり、人間が生まれてくる以前、おそらく神様が出てくる以前に無明がある。その無明から人間が生まれてくる。どちらを向いても何も分からぬ、黒暗々、混沌未分という世界があり、それが人間の中にもあり、人間を生かし、人間を動かしている。無明は明かりの無いいやなもの、汚いもの、いやらしいもの、望ましくないものとばかり断定する訳にはいかない。無明の闇の中にいるからこそ明かりを求めるのであり、「迷いがあるからこそ悟りがる」ということになる。岩見護の言葉に次のような一節がある。「無明のであるがゆえに、切実に仏の教へを必要としているのである。仏の教へによって無明が無明としられるのである。そこから無明のやみのほのかな光がさしてくる。」林語堂の言葉「物事を見るのと見ないのとは、たいへんな違いである。物事を見て歩く多くの旅人たちは、本当は何も見ていない。何も見ていない多くの人たちは、本当は多くのものを見ている」p64.アートマンについて(アートマンとは「大我」)釈尊より400年前のインドの哲学者ヤージュャヴァルキヤの言葉「ああ、実に、夫を愛しているから夫が愛(いとお)しいのではない。アートマンを愛しているから夫が愛しいのである。ああ、実に、妻を愛しているから妻が愛しいのではない。アートマンを愛しているから妻が愛しいのである。ああ、実に、子どもを愛しているから子供が愛しいのではない。アートマンを愛しているから子どもが愛しいのである。ああ、実に、見るべきもの、聞くべきもの、思考すべきもの、沈潜すべきものはアートマンである」(個人的感想:アートマンについて、本当のところは良く分からないので、本当に意味するところが解っているか否か分からないが、アートマンを「我」と捉えたらグサリと胸に来る言葉である)アートマンとは「大我」であり、わたしにもあなたにも共通の自己のことである。わたしにもアートマンがある。あなたにもアートマンがある。そして、わたしのアートマンとあなたのアートマンとは同じなのである。そうなると、わたしがあなたを好きになれば、それは実は自分が好きなのだということになる。わたしがあなたを憎めば、実はそれは自分を憎んだことになる。結局「わたしがあなたで、あなたがわたし」という世界が開けてくる。p70.無我と自己を大切にするということ「思いはすべての方角に行けど、おのれよりさらに愛しきものに出会うことなし。かくのごとく、他の人々にとりてもおのれは愛しきもの、ゆえに、おのれを愛する者は他を害うことなかれ」p77.愛されたいと願う気持倉田百三の「愛と認識との出発」から「わたしたちは人を愛するということをしなければならないけども、同時に人から愛されたいという世界も持っていなければならない。人間と人間が結びつくのは、愛したいという気持と愛されたいという気持とが一つになってはじめてできるのである。だから、愛されたいという気持をなくしてはならない。自分が愛されたいと思っているその人から愛されなかったら、歎けばよいではないか。愛されたいというのは人間の理想だ。理想を捨ててまで人間が生きるということは、おかしなことだ。人間は理想をなくしたら生きているとはいえない。ださら、愛されたいという理想はいつまでもなくさず、相手がこちらを愛してくれなかったら歎けばよいではないか」「愛されたい」ということが大切であり、愛されるためには自分を無にしなければならぬ。自分の方に何か構えたものを沢山持っていて、それで愛してほしいというのは無理である。自分をからっぽにして、裸にして飛び込んで行かねばならない。この頃の人間はそうしなくなった。「愛する」ということはしても、「愛される」ということはしなくなった。なぜかというと、愛されたいと思うその人から愛されなかったら馬鹿を見るから、愛されたいというような気持は持たぬというのである。この「愛されたいと願う気持」は「無我」の世界にあたると思う。「我」というものをなくしてしまわないと、愛されたいという願いは実現しないのであるから。仏と人間との関係でも、仏に愛されたいという願いのあるところへ仏の声が来るのである。(つづく)
2011/11/14
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知識記憶定着に向けての活動の3回目です。本を読んでも読んでいる先から忘れてしまうことから、読んだ本の内容で記憶したいと思われる部分や句をメモにし、繰り返し読み返すことで記憶の定着を図ろうとしたためたものです。この内容は、紀野和義著の『現代に生きる仏教』という本を読んだ時のメモです。 p47.八正道苦の原因を見つけ、滅ぼすにはどうしたらよいか。それにはやりようがありそれを「道諦」といい、具体的には次に示す「八正道」というものを示された。「八正道」のひとつひとつが完全に実行されるようになったとき、「苦」はいつのまにか苦にならぬものに変わる正見---間になにも邪魔なものを入れないで非情の眼で現実を見ること正思---「正しい思慮分別」先入観とか、利害打算ということを離れて、よくよく考えることである正語---「誠実な、美しいことば」自分の言った言葉に責任を持ち、相手の心を傷つけないよう配慮してものをいう「言霊のさきはふ国」言葉に霊があり命があって、人を幸せにしてくれるものだと考え釈尊のことば「義理のよくととのった言葉で相手に話せ」正業---正しい行為。体でする行為、口でいう行為、心に思う行為の3つを「身口意の三業」。「正業」とは、心に思うことをつつしみ、口をつつしみ、行為をつつしむことをいう正命---調和のとれた生活。精神的にも物質的にもバランスの取れた生活。信心に基づいて自然にそなわってきた財を、如法に散じて多くの人々の幸せを念ずる生き方正念---正しい信念や理想。この世に生きている生き甲斐のある人間は、どんな困難があってもそれに堪えて、立派に正しく生きて行くことができる正精進--どんなことでも始めたからには最後までやり通すということ正定---心が安定していること。変転し動揺する世の中にあって心が揺るがぬことで、信心が決定しなくてはならない。その方法として仏前に端座して経を誦むp55.縁起釈尊がはじめに説かれた教えの中で見逃せないものの一つ。縁起とは、この世にあるものは皆関係しあって存在しているということで、「すべての存在するものの本は因縁である。であるから一切は空であって主体がない。因から存在が生ずるのであるが、師(釈尊)は、それらの因を説かれ、その滅をも示された」「これがあることに縁ってかれがあり。これが生ずることに縁ってかれが生する。これが無いことに縁ってかれがなく、これが滅することに縁ってかれが滅する」(釈尊の言葉)p56.ガタピシ==仏教から来ている言葉「我他彼此」p56.業--縁起の動き業は大きな力で動いてくる。とてもひとりの人間の力でどうこうすることはできない。この業を突っ張ろう人間を「業突張」という。それがおばあさんなら「因業婆」ということになる。
2011/11/08
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11月4日(金) 晴この日は、天気は晴れていましたが、山の上からは右の写真のような雲海が見られ、下界は深い霧に包まれていました。最初に訪れたのは”楢下宿 丹野こんにゃく番所”という所でした。名前から想像すると何か昔の役所のような処かと想像されますが、何とそこは只のコンニャク販売店でした。試食に玉コンニャクのおでんを振舞ってくれたので、まあよしとするか。そこに着いたのが9時頃でしたので、誰も購入する人など居ないのではないかと思っていましたが、あれよあれよという間に皆さん商品を手にし始め、我先に購入し始めちゃうじゃないですか。我々もついつられて刺身コンニャクなんか購入してしまうはめになっちゃいました。この後、バスの車窓から街道の吊るし柿風景を見ることができました。実を言えば、旅行の日程表に”街道の吊るし柿風景が見られる”とありましたので、私どもは吊るし柿の購入を計画していたのですが、バスの中から眺めるだけでしたのでガッカリというところでした。つづいて訪れたのが”高畠ワイナリー”。これはワインの醸造所で、ワインの試飲ができる処ですが、当然の事ながら販売所に連れて行かれちゃいます。アルコールに眼がない人達にはお楽しみ処かも知れませんが、お酒が飲めない私達には何の関心もありませんでした。でも、結局私達もワインを買う羽目になってしまいました。ツアー会社の戦略もなかなかのものですね。次に訪れたのが、米沢の上杉神社でした。NHKの大河ドラマで「天地人」をやっていた時代は、直江兼続人気で大変な賑わいだったようですが、今では訪れる人も少なくなってきているようです。私どもはここでラ・フランス(洋ナシ)に巡り合えたのでした。ラ・フランスの産地としては高畠町が良く知られていましたので、高畠ワイナリーで手に入れられるのではと期待していたのですが、そこでは手に入らず残念に思っていたところでしたので、”ハッピー!!”てなところです。そして、この後、車は喜多方町に向かいました。山形から会津方面に向かうには、会津山地を越えて行かなければならないので、山坂を走る大変な道のりではと考えていましたが、山また山をトンネルでぶち抜いて走る道路が貫通しており、難なく辿りつくことができました。時代の違いを感じますね。喜多方ではお決まりの”喜多方ラーメン”の昼食です。もう、1時頃になっていたので、すぐに昼食にありつけるかと思ったら、何と”熊野新宮神社”というところに先に回るってじゃないですか。どうなってるの。お腹が空いたよ。予約時間になってないので時間調整に予定変更したんだって。ラーメン屋さんには、次々到着する観光バスが列を作っているんですかね。ラーメンを食べた後、喜多方は蔵の街として有名ですので、散策する時間が設けられているのかと思って期待していたのですが、その予定はなく柳津・福溝虚空蔵菩薩園蔵寺の参拝だって。そんなんだったら、「さっさと帰りたいね」とは思いましたが、そうは問屋が卸しません。新幹線代金を安く上げるためには、利用時間帯を選べないのでした。そんな訳で行きたくもない柳津・福溝虚空蔵菩薩園蔵寺の参拝に向かいました。(この寺は、”アカベコ”の発祥で知られているんだって)これが思い違いでした。柳津・福溝虚空蔵菩薩園蔵寺では紅葉が真っ盛りで、今回の旅行では最高の紅葉を楽しむ事が出来たのでした。ハッピイ!ハッピイ!この後、白河までバスで走り、新幹線で帰路につきました。
2011/11/07
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11月3日(木) 曇りこの日は、朝から曇りでした。また、ホテルを出た時は靄というよりは霧が深い状態で、この後の観光が危ぶまれました。まず最初に向かったのは、銀山温泉です。銀山温泉は、銀の鉱山のとして栄えた「延沢銀山」に由来する温泉街で、大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができます。木造3階建ての家並みとガス灯大正レトロですね。ちょっと足湯にも浸かってみました。つづいて山寺の呼び名で知られる立石寺に向かいました。山寺を有名にしたのは、何と言っても俳聖芭蕉の『しずけさや 岩にしみいる せみのこえ』の句ですが、もう一つ有名なのが1,015段の階段です。わたしゃ老体に鞭打ってこの階段を制覇しました。登りはまだ良かったのですが、山門に下りついた時には流石に膝がガクガクしちゃいましたよ。山寺の紅葉は真っ盛りでした。素晴らしいですね。赤、黄、緑の木々が、塔堂のいらかと競い合いこの日は、この後宿泊地の蔵王温泉に入りました。到着後ホテルの近辺を散策してみましたが、蔵王温泉は標高が高いことから紅葉の盛りは過ぎ冬の始まりを感じさせる景色となっていました。(つづく)
2011/11/07
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11月1日(火)から4日(金)まで3泊4日でみちのく路紅葉狩りの旅を楽しんできました。紅葉の季節に入り紅葉狩りの旅に出かけたいと思い何処にするか思案した結果、ここは東日本の応援に少しはお役に立てるのではと福島、宮城、山形の3県を回る”みちのく路の旅”に出かけることにしました。11月1日(火) 晴まずは、東京駅から東北新幹線で福島県の郡山まで進み、ここでこの日宿泊するホテルのバスに迎えられ裏磐梯ロイアルホテルに入りました。ホテルに着いたのは1:30頃でしたので、部屋で少々休んだ後2:30から五色沼を散策しました。五色沼は、毘沙門沼、赤沼、青沼、柳沼、その他、沼ごとに色が異なる10ほどの沼(総数は40程との事です)が連なる自然探索路を散策することができます。私共は、一昨年もここにやってきましたが、その時は下流にある毘沙門沼から上流の柳沼に向かって探索しましたので、今回は逆の方向に向かって探索しました。一昨年は10月10日で紅葉の季節には少々早すぎました。今回は少々遅かったようではありましたがまだまだ楽しめる状況でした。五色沼は沼ごとに流入している火山性の水質の影響や、植物・藻などにより、緑、赤、青などの様々な色彩を見せ、そのことからこの名称で呼ばれるようになったようです。写真でも弁天沼の水の色は”白濁した空色”ですが、毘沙門沼の水の色は、”澄んだ深い青”です。11月2日(水) 晴この日も快晴でしたが、地表付近は靄のようなものが掛っており、景色は全体にスッキリしない状況でした。晩秋ですのにスッキリ晴れ上がらないでこのように靄がかかってくるのはどうしてなんでしょうね。バスガイドさんの話では、天気が良すぎると気温が上がって水蒸気が蒸発し靄のようになるんだと言う事でした。この日は、観光バスで東北自動車道を北上し、平泉に向かいました。この間の走行はかなりの距離だったのではないでしょうか。今回はバス旅行でしたので、気楽に眠ってしまったりして気が付いた時には平泉の近くまで来ていました。バス旅行は楽チンですね。自分で運転したんじゃこうはいきません。平泉に着いたころには疲れ果てて観光どころではなくなちゃってます。平泉では当然のことながら世界遺産に登録された中尊寺金色堂を拝観させていただきました。中尊寺の金色堂は、写真やテレビの映像で何度も拝見させていただいており、どんなものかは十二分に知っていたのですが、直接見ることで改めてその荘厳さに圧倒されました。金色堂の写真撮影は禁止で画像は掲載できませんので、金色堂が収められている覆堂の写真を掲載しておきます。この風景もモミジが少し色づいていて趣深いものとなっていました。この覆堂は、1964年に金色堂を解体修理した時用意されたもので、室町中頃からそれまで500年間程金色堂を風雨から守ってきた旧覆堂は、100メートルくらい離れたところに残っていました。次に見学した宝物殿”讃衡蔵”の中には仏像や仏具、経文など国宝級の文化財・宝物が見られるようになっていました。中でも経文で書かれた五重塔の絵は、つい先日テレビで紹介されていたこともあり、興味を持って見させていただきました。この絵は、紺色紙に金泥で今光明最勝王経を塔の形に細字で写経したもので、写経、造塔造仏、経典解説を一度に成就するものとして平安以降多く書かれたものの代表的なものだと言う事です。この日の中尊寺境内の紅葉の状況は、進んでいるところもあれば、遅れているところもあり、全体としては右の写真のようにまだまだって処でした。ところが、今朝の新聞に出ていた黄葉の様子では見ごろに入っているようで、我々の訪れは少々早すぎたようでした。ただ、今回の旅行では何箇所か訪れましたので、そのすべてで最盛期に当たるということは不可能です。それなりに適当な時期に訪れたと言えましょう。中尊寺では、昼食をいただきました。バスツアーのオプションの”精進料理”の昼食を頼んでおり、それなりに期待をしていたのですが、大学の大食堂のような場所で、大人数であてがい料理をいただくというもので、残念ながら期待外れでした。(もともと、それほど期待に胸を膨らませているてなことはなかったのですがね)中尊寺の後、塩釜神社(鹽竈神社が正式)を訪れました。塩釜神社は、東北一宮(東北鎮護・陸奥国一之宮)ということで想像以上に立派で豪壮な神社でした。なかでも神社の神殿の両側にある木が立派で、向かって左側にある”多羅葉”という名の木は非常に大きく、600~700年を経た古木であり元来熱帯植物で、昔インドから移植されたものだということでした。カメラを持っていき忘れたので実物は撮影できなかったのですが、境内にあった幼木の写真を参考のため掲載しておきます。珍しいきでしょ。この後、松島に向かいました。松島では、ライトアップクルージングなるオプショナル観光が用意されていました。(塩釜神社の参拝はこの為の時間調整じゃなかったのですかね)松島に来て島めぐり観光をしないのは如何かと思いましたが妻が、「寒いのはお断り」とのことでしたので適当に近辺を観光しました。松島に来たのですから、何と言っても日本三景の一つである島々の風景をと思い橋の掛っている島に渡りました。何とこの橋が有料でした(有料なんだから景観が保障されていると返って安心かな)。帰りにはもう夕闇が迫ってきていました。この後、11月1日からライトアップ観光が始まったという円通寺を訪れました。これが素晴らしかったのです。暗闇の中、庭園の木々が照明され通り道に灯篭の灯りに導かれ幻想的な風景が展開されていたのです。また、園内でのオカリナ演奏がさらに雰囲気を盛り上げていました。そして、最後にあった池に映る木々の様子は、とても幽玄で引き込まれてしまいそうですらありました。この後、インターネットで探しておいた寿司屋”表禅房 おりこの”を探し、海鮮丼をいただきました。これがまた最高に美味しかったのです。今回の旅行で食べた食事の内で最も美味しかったといえます。(つづく)
2011/11/05
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10月24日の日記で取り上げた「自己を探求せよ」ということについて、瀬戸内寂静さんの般若心経についてのお話をまとめた「般若心経-生きるとは」という書物の中に分かり易いお話が載っていましたので紹介させていただきます。【瀬戸内寂静著“般若心経”】 p43.------------------------------------仏教というのは、なにも遠い遠いところのことを考えるんじゃないんですね。あの世に行った時、いいところに行けますよとか、特等席に行けますよとか、そんなことを言ったってわからないでしょ。誰も行って帰ってきたことがないんですから。私だって行ったことありません。もしあの世に行ったら、そこがどんなところか、皆さんにちゃんとファックスか何かで教えてあげますけど。まあ、今はわからないのですから、わからないことを、あれこれ思い悩んでも仕方がないことです。だから行ったら行った時のことと考えて、それよりも生きている今、私たちは幸せでありたいでしょう。今日を思い残すことなく過ごしたいでしょう。後悔することなく行きたいでしょう。だったら足もとをしっかり見なさい。自分自身を見つめなさい。こいうことをお釈迦さまは教えているんですね。仏法とは、自分自身を見つめること、自分を知ることです。そこから、この自分は何をしていけばいいのか、それを考えなさいということなんです。仏は自分の心の中にいるんです。------------------------------------瀬戸内寂静さんのお話は面白くて分かり易いですね。難しいことでも分かり易く話され心にピンと響きますね。
2011/10/31
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10月25日(火)から28日(金)まで元勤めていた会社の同期の仲間と佐久にゴルフ合宿に行ってきました。この仲間たちとは、毎年3回ほど仲間の一人の山荘に泊まり込んでゴルフを楽しんでいますが、今回は今年最後となるゴルフ合宿でした。私の最近のゴルフの成績は、スコアが100または90台でしたが、今回(26日にプレー)は116とまったく泣きたいほどの成績となってしまいました。言い訳はしたくないのですが、21日の日にゴルフコンペがあり、それに向かって週2回程度の練習をしていた上に、23日(日)にも練習をしてきました。この練習が”2時間打ち放題”というコースで、時間内にできるだけ多く打たなきゃ損とばかり300球以上も打ってきたのです。さらに、25日の日には、現地に集合した後皆で練習場で一練習したりしました。その結果と言うのも何ですが、プレー当日は背中が痛くなってきてしまい、無理無理プレーするような状況からこんな結果になってしまいました。”年寄りの冷や水”なんでしょうかね。翌日(27日)もゴルフをする予定でしたが、初日のゴルフを終えた段階では無理かと思える状況でした。しかしながら、友人たちが心配し背中じゅうに大きなシップ薬を4枚も貼ってくれたお陰で、翌朝にはほとんど痛みがとれていたのです。27日の日は、普通のプレーではなくスクランブルと言って組毎に皆が打った球の中でもっとも望ましい玉を選んで次のショットをすると言うプレー方式で楽しみました。今回は2組でプレーし、私の組は2オーバーの74で上がることができました。ところが、相手の組は2アンダーの70で上がり、私どもの組の負けでした。残念、残念。でも、天気も良く楽しくプレーできました。この会は、ゴルフのプレーもさることながら、山荘でのアフターゴルフが大いなる楽しみです。皆で暖炉を囲み、酒を酌み交わしながら、昔の思い出や政治談議を楽しんだり、大いに盛り上がります。また、その時の酒の肴も楽しみの一つです。その調理は、山荘のオーナーと私が腕を奮って用意いたします。私にとっては皆が『美味しい、美味しい』と喜んでくれるのも楽しみの一つです。今回、最初の日の夜は、キムチ鍋を中心に、前菜に枝豆や鯵のタタキなどを用意しました。最後は、キムチ鍋の残り汁で雑炊を造って食べました。二日目の夜は、日本食コースをと考えて、サバの味噌煮をお米のご飯のおかずに最後に用意する予定でした。そこにメンバーの一人が”長崎チャンポン”を提供したいと申し出てきました。一人でも料理人を増やしたい料理担当としては是非ともとお願いしたのですが、当初考えていたメニューを簡単に変更できるほど柔軟性はありません。仕方なく、サバの味噌煮と長崎チャンポンてなメニューになってしまいました。実際には、まず”枝豆”で始まり、”里芋のきぬかつぎ”、”スナップエンドウとジャガイモ、ペーコンのバター炒め”、そして”サバの味噌煮”と進んでいくうちに皆が「お腹一杯でこれ以上食べられない」と言いだしちゃいました。”長崎チャンポン”の提供を申し出たメンバーには申し訳ないとは考えりましたが、長崎チャンポンの提供は次の日に先送りとすることとなってしまいました。翌日は、何としても長崎チャンポンをいただかなくてはということで、前菜を控えめにし、メインの”長崎チャンポン”を味わいました。めでたし、めでたし。料理造りに参加したいというメンバーの意欲を削いだのでは、料理人が増えません。28日は9時半ころに山荘の掃除を終えることができましたので、何処か紅葉でも見に寄り道をしようということとなり、八ヶ岳連峰を反対側に越えるところにある麦草峠を訪れてみました。途中に白樺の純林があるので、白樺が黄葉していたら素晴らしい景色が楽しめると思っていましたが、白樺は黄葉の時期を過ぎていてしまっていました。しかしながら、山全体を覆うカラマツが黄色く黄葉していてとても素晴らしい景色を楽しむことができました。さらに、途中の食堂の駐車場から浅間山とそれに続く連山を一望できました。雄大で素晴らしい景色です。その後、お土産に野菜類を買いに立ち寄った野辺山から八ヶ岳連峰が一望のもとに望むことができました。私自身野辺山には何十回と立ち寄っており、ここからの八ヶ岳の風景は目新しいものではありませんが、この日の景色は山肌の陰影がクッキリと描き出されており初めて見る景色だと感じました。つづいて、昼食を食べようと清里の清泉寮に立ち寄りました。清泉寮のレストランは、大体の料理が2,100円と高めだとは思いましたが、これまで友人の山荘で自分たちで料理を造ってきたので安上がりに収められたことから、少しくらいの贅沢は許されるだろうとこのレストランを利用することとしました。実際の料理は、メインディッシュの他に、サラダバー(スープも含む)とデザート、飲み物が付いており、この値段はむしろ安いと言えるものでした。清泉寮の前の牧場から富士山が望めました。この富士山が雲の上(いや、靄の上か)から頭を出しており、その景色は一幅の墨絵そのものでした。この後、中央高速を東京に向けて帰路につきました。
2011/10/29
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知識記憶定着に向けての活動の2回目です。読んだ本の内容で記憶したいと思われる部分や句をメモにしたためたものです。----------------10月23日(日)----------------現代に生きる仏教(1) No.2いのちの風光 第2章 苦しみのさなかからp38.諦め「諦」は「あきらめ」であり、「明らめる」ことである釈尊によって明らめられた、明らかにされた「さとり」のことをさして「諦」というp38.四諦四聖諦―――苦聖諦、終聖諦、滅聖諦、道聖諦(苦集滅道の四諦)苦諦―――生きていることが苦である集諦―――原因のことで、苦しみには必ず原因がある滅諦―――原因があるとしたら原因を滅ぼさねばならぬ道諦―――滅ぼすにはやり方がある。それを道というp41.苦の聖諦苦とは(釈尊の言葉)「比丘たちよ、苦の聖諦とはこのようである。すなわち、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。憎む者に会うのは苦である。愛するものに別れるのは苦である。求めて得られぬのは苦である。略説すれば、この心身は全て苦である」四苦―――生老病死八苦―――四苦+愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦五蘊―――人間を構成している五つの要素(色、受、想、行、識)p44.愛するものに会うなかれ。愛する者に別れるは苦なり愛して愛さず愛する者という眼で見るな。好きでも嫌いでもない人がそこに居るという冷静な見方「結婚するなら二番目か三番目の人と結婚したほうがいい。一番目でないと、どうせ二か三番目なんだから大したことはないと初めからあきらめている。向こうも当てにしないほうが良いと思っているに違いない。だから両方ともあまり期待していない。期待していないから意外にいいことがあったりする。どうせ美味い料理なんか食べさせてもらえないだろうと思っていたら、意外に愛情のこもった美味しいものを毎日食べさせられて、びっくりしたり、見直したりすることもあるものだよ」p45.非情の眼(釈尊の眼は非情の眼)好きでも嫌いでもない眼、ものごとの奥底まで見抜く眼、情を知り尽くして情に溺れぬ眼p47.正見間になにも入れない、色眼鏡をかけて見ない、主観と客観が一つになった物の見方が、苦しみを克服する有力な方法こういう非情の眼で現実を見ること、間になにも邪魔なものを入れないで相手を見ることを「正見」という----------------こんな内容を掲載し読者には申し訳ないと思っています。無視してください。
2011/10/25
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10月22日の日記で紹介した”知識記憶の定着に向けての努力”の一環としての読書メモを掲載してみます。この日記を読まれている方にはご迷惑かも知れませんが、個人的な備忘録と思い無視してください。(備忘録というよりは、記憶定着努力が三日坊主に終わらないたで継続するためのものです)今回取り上げた書籍は、紀野和義著の『現代に生きる仏教』という本です。私がこの本に最初に出会ったのは30年ほど前で、その時はとても感銘を受け1冊300ページ程の本3冊を3日間でいっきに読み遂げました。読んだ当時はその内容を鮮明に記憶しており、内容に啓発される事も多く私の考えや行動の規範として強く影響を受けてきた書物です。その後も何度も読み返しており、本来なら内容を鮮明に記憶していて良いはずですが、最近は内容を全く思い出せません。つい最近も読み返してみましたが、読んでいく後から記憶から零れ落ちてしまうような状況です。このような記憶力の低下に強い衝撃を受け、今回は読みながら憶えておきたい内容をメモにとり記憶として定着可能か否か実験してみようと言うわけです。まず第1回として10月20日(木)と22日(土)に読んだ部分のメモを掲載します。----------10月20日(木)----------現代に生きる仏教(1)いのちの風光 No.1 第1章 死の直前まで歩きつづけた人p3.釈尊はいつ生まれたか以前の考えは、釈尊の死後ウパーリが毎年点を一つづつ打っていったことを記した「衆聖点記」の記録を参考に紀元前566年としていたその後宇井先生の研究の結果次のような提案をされた釈迦が死んだのはアショカ王即位の116年前アショカ王の即位が紀元前271年と推定し結果として釈迦が死んだ年を386年とし寿命を80年と考え 生誕を紀元前466年と推測さらに中村元先生がより精密な研究の結果 紀元前463年と推測p7.釈迦の誕生現在はネパール領となっているカピラヴィッツ父:スットーダナ王 母:マーヤ夫人育ての親:叔母マハー・パシャパティ----------10月22日(土)----------p12.釈迦の出家釈迦は29歳の時出家し、35歳で成道(悟り)したp17.初中終(しょつちゅう)釈迦が説教で使った「初めも善く、中ほども善く、終わりも善くあれ」という仏教の教えからきたことばであるp18.世阿弥の言葉「是非初心忘するべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。命には終あり能には果あるべからず」という世阿弥の言葉も初中終からきたものいえるp19.自己を探求せよ(自己を求めよ)ほんとうの自己が良く分かったら、それは「さとり」である自分とは何か。ほんとうの自分とは何かp23.寸鉄、人を刺す教え―――縁起の考え「すべての存在するものの本は因縁である。であるから一切は空であって主体がない。そして、因から存在が生ずるのである」p24.師匠のない仏教はない(私(このメモを書いている私)は「仏教は生きる道を探す力を与えてくれる」と信じているが、指導してくれる師を見つけることができないのが現状である)---------------------------------さてさて、どの程度記憶の定着に貢献できますものやら。(ここに掲載することでこの実験を継続させる力にしようとしているのですがね)
2011/10/24
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10月20日の日記で記しましたように言葉を思い出せない悲しさは、童謡カナリヤの『唄を忘れたカナリヤは、後の山に棄てましょか?』でもありませんが、本当に消え入ってしまいたい思いです。漢検をやってみて感じたのですが、『あれ!どうしてこんな簡単な漢字が思い出せないのか』と本当に自分ながら驚きの連続でした。大変助かることに漢字は漢検のようなテストツールが揃っていて、そういったツールを利用して記憶を蘇らせることが可能です。実際、漢検2級の漢字については、当初2割から3割も思い出せない漢字がありましたが、本やニンテンドウのDSのソフトを利用して学習を深めた結果、95%以上正解できるようになりました。(どれだけ認知予防に役立つのかは不明ではありますが)ところが言葉となるともういけません。例えば”やりたいと思ってはいるが、何かためらいがある”といった事を表したいという時、「何か適切な言葉があったはずだ」とは思うのですが、その言葉が思い出せなくなったりするのです。この例での言葉は”躊躇する”ですが、もっと微妙なニュアンスにかかわるような表現では、歯痒い思いをする事がしばしば起こります。日常的に使っている卑近な言葉の例で申し上げれば、”紫色をしている、あの野菜は何て言うんだったんだっけ”なんて事さえ起こったりするのです。それは勿論”なすび”なんですがね。こんな事をつづると『冗談でしょ』と思われるでしょうが、それが冗談じゃないから悲しくなってしまうのです。この段階では、まだ認知症ではなく、単なる老化による物忘れにしか過ぎないとは思いますが、こういったことが進んで認知症に近づいて行くんじゃないかと、戦々恐々の日々なのです。また、本を読んでいても、読み進む先から、つい今しがた読んだ内容を忘れてしまいます。ああ、嫌だ、イヤだ。こんな事を考えていると毎日が憂鬱なってしまいます。そこで自分が好きなテーマに絞って書物の内容を徹底的に記憶しようと”本を読みながら書かれていた内容をメモに整理し繰り返し憶える”ようなことを始めてみました。漢検は、適当なツールがあって楽しみながら記憶の定着を確認することができますが、知識の記憶の方は楽しみながら確認する方法もありません。また、作業自体も苦痛を伴うものだと思われることから、どれだけ続けられるか疑問と言わざるを得ない状況です。どうなることやら?ヒョットして、毎日やったことを、日記につづるのも良いかも知れないですね。(読まれている人に苦痛を与えてしまいますかな?)こんな事が認知症の予防にどれだけ役立つのか分かりませんが、何もやらないよりはマシかななどと思いチャレンジをしています。
2011/10/22
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ここのところ文章を考えるのが億劫になって、6月16日に中欧旅行の日記を途中で中断してからブログにアップしなくなっています。歳なんですかね。(もちろん歳でしょ。古希を過ぎてるんだから)とにかく物事を考えるのが億劫です。以前は文章を書くのがメチャクチャ早くて、それを自慢に思っていましたが、このところまったく文章が考え出せません。もっと悪いことに言葉が出てこないのです。言葉が思い出せないなんて冗談じゃないかとお思いでしょうが、本当なんです。とにかくイメージに合った言葉が思い出せないんです。歯痒い限りです。とにかく語彙がメチャクチャ貧弱になってきちゃってますよ。さらに悪いことにキーボードの入力ミスが頻発して、漢字変換するとメチャクチャな言葉に変換されて、はじめから入れ直すなんて事がしばしばです。歳はとりたくないものですね。かってコンピュータで文章が入力できなくて鉛筆で手書きしていた時代、考え出される文章に手が追いつかなくて戸惑いを感じたりしていたものです。A4の原稿用紙に小さな字でびっしり書いて1日に30枚ほども書いたら、手首がおかしくなるなんてこともしばしばでした。そんな私が、何の意味もないブログの日記を綴るのが億劫になるなんて。あーあー、歳はとりたくないものです。こう書いていくとヨボヨボの老人のようですが、体はいたって元気でゴルフにテニスにと元気に体を動かしています。最近は山歩きも始めちゃっていますよ。そうそう、スキーももちろん続けるつもりです。体は元気一杯なのですが、頭が老化してきているんじゃないかと感じる今日この頃なのです。母が今年2月に亡くなったのですが、この母が老人性認知症を患い妻に大変苦労を掛けました。その息子である私もその遺伝子を引継いでいるのではと強迫観念に駆られており、記憶の喪失には神経質にならざるをえないような訳なのです。テレビで認知症の進行を遅らせるという目的で漢字のテストと記憶を繰り返すようなことが紹介されていたので、私もひょっとしたら何かの役に立つかも知れないと漢字検定の本を買ってきてやってみていますが、有効性があるのでしょうかね?わはははは!『溺れるもの藁にもすがる』の心境です。(とりあえずここまで)追伸: 書き忘れましたが、目の老化も文章を綴る障害となってきているんですよね。私はもともと近眼なので、パソコンの画面の文字を見るときには眼鏡が必要なんですが、物を読むとき(書物や新聞を読む時)には眼鏡を掛けては読めなくなってきているのです。眼鏡を掛けたり外したり不便な限りです。それにやけに目が疲れてかないません。
2011/10/20
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6月1日から10日まで中欧のチェコ、オーストリア、スロバキア、ハンガリーに旅行してきました。6月1日(水)成田からオランダのアムステルダムまでKLMオランダ航空で飛び、そこでチェコ航空に乗り継ぎプラハに向かいました。 アムステルダムからプラハまでもビジネスクラスだということで喜んでいいたのですが、現実は右の写真にもあるような3シートの真ん中のシートにテーブルがセットされているだけというものでした。これがビジネスクラス?まるでペテンです。フラッグ・キャリアだというのに。プラハには着いた時にはもう日が落ちていたこともあり、空港内は閑散としてほんとうに田舎空港にやってきたという印象を持ちました。プラハはチェコ共和国の首都ですよ。 最初の日の宿泊は右の写真のような何の変哲もないホテルでした。夕方に現地に到着する場合には夕食が用意されないので、夕食に代わるような物を用意しておくのが賢明だとこれまでの経験から知っていたので、アムステルダムの空港内でクッキーなど軽食を手に入れてきました。ところが、今回はアムステルダムからプラハまでの飛行機の中で夕食が出たのです。残念!せっかく旅行慣れたところ生かそうとしていたのに。結局、このクッキーはお土産になちゃいました。この日は、家を出て以来なるだけ寝ないようにしてきたので、風呂に浸かってベッドに入ったらすぐに眠りこみましたが、夜中の2時頃には目を覚ましてしまいました。うまくいかないものですね。時差ぼけに陥るまいと、20時間以上の寝ないように頑張ったのに。途中でチョットだけ寝たのがいけなかったんでしょうかね。(1時間程度と思っていましたが、もっと長く寝込んでしまっていたんでしょうかね)6時半からレストランが開かれるという話でしたので、レストランが開かれる時間を待ちかねて食事にでかけました。レストランにはまだだれも居ませんでした。最初の客でした。朝食を終えて時間を見ましたらまだ7時前です。観光の出発は9:00の予定でまだまだ時間がありましたので、ホテルの近辺を朝の散歩と洒落込みました。 ほんの2分くらい歩いたところで記憶にある建物を発見しました。あれ! この建物は、今日の午後の観光予定に入れていた「市民会館」じゃない。こんな近くにあったんだ。この建物は、1912年に完成したアールヌーボー洋式の優美な建物で、中にはスメタナホールというプラハで最も大きいコンサートホールがあり、音楽好きな市民の憩いの場となっています。 そのすぐ隣には左の写真のような真っ黒く異様な塔が建っていました。あれ! これは「火薬塔」じゃない。そうです。この塔は15世紀半ばに建築されたゴシック様式の塔で17世紀に火薬貯蔵庫として利用されたことから火薬塔と呼ばれているのです。いや~、知らなかったな。ホテルがこんなに街の中心部にあるなんて。この事は、この日の午後の自由時間の観光には大いに優位性を発揮したのです。9:00にホテルのロビーに皆さんが集まり、この日の観光の始まりです。この付近は旧市街で路が狭くバスをホテルの前に着けられないことから、まずバスを停めている処まで移動しました。この時、路面電車の走る道を渡る必要があったので、皆で渡ろうと左右を良く見て車が止まってくれた事を確認して渡り始めました。そこへいきなり電車が現れて、危うくひかれてしまいそうでした。エエエエエ!! 驚きだな!! 車は止まってくれているのに、どうして電車が突っ込んできたりするの。ガイドさん曰く「この国では、自動車は歩行者を優先してくれますが、電車は歩行者より優先が高いのです。電車には十二分に気を付けて下さい」だって。驚きだな。電車の方が歩行者より優先だなんて。クワバラ!クワバラ!その上、よくよく観察してみると、電車は日本では考えれれないようなスピードで走っています。専用軌道なんかじゃなくて、道路の一部に軌道がひかれている路面電車なんですよ。この驚きはこの後もさらに大きな驚きに発展していったのです。この日は、とりあえずバスに乗ってプラハ城の観光に向かいました。プラハ城は、市の中心部を流れるヴルタバ川の反対側の市街地を見下ろす小高い丘の上にありました。写真の中の尖塔はプラハ城内の聖ビート大聖堂で、その手前にある平たい建物が王宮です。かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在もチェコ共和国の大統領府のあるということのようです。プラハ城への入り口の正門には二人の衛兵が威厳を正して直立しておりプラハ城を守っています。衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われるということです。ただ、この日は時間に制限もあり、衛兵の交代式を見ることはできませんでした。プラハ城内ではまず聖ヴィート大聖堂を見学しました。
2011/06/16
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