全672件 (672件中 201-250件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ... 14 >
5月21日(金) 快晴夜中に何度も目を覚まし、とうとう朝5時には起きてしまいました。昨日は24時間も一睡もしないで起きていましたのにどうしてなんでしょうね。一日では時差は解消しないんでしょうね。仕方が無いので朝食前に近辺を散歩しました。朝の爽やかな空気の中を散歩するのは清々しくていいものですね。胸一杯に空気を吸いました。ホテルの前は路面電車(トラム)の停留所となっており、朝の通勤の人々で賑わっていました。ガイドさんの話では、この路面電車は一度は廃止され軌道が道路として整備されていたのが、昨年末再度敷設されたとのことです。どこかの国と同じでお役所仕事には無駄が多いと揶揄されていましたよ。お役所の仕事は民意を集約して決めることから朝令暮改となり無駄が多くなるのも仕方が無いのでしょうね。この日は8:50にホテルを出発し、第1訪問地のオーベルシュルオワーズに10時に着きました。オーベルシュルオワーズは、ゴッホの終焉の地として有名で、ゴッホと弟のテオのお墓があります。ゴッホは、日本ではこの読みが主流ですが、フランスでは”ゴーグ”と発音されているようです。元々はオランダ人でオランダ読みでは”ホッホ”に近い発声となるようです。バスが着いたのはゴッホが最期を向かえた家の目の前でした。ゴッホが住んでいた家は1階が「ラヴー亭」というレストランで、その2階にゴッホが借りていた部屋がありました。ゴッホの借りていた部屋は、4畳半にも満たないような狭い部屋で、その当時のゴッホの窮状が偲ばれます。道の反対側にゴッホが描いた町役場がありました。町役場 街中には当時の風景や建物がそのまま残されており、画かれた建物や風景の前にはゴッホの絵の立看板が立てられているので、絵と実物を対照させ見物でき旅の楽しみが倍増します。ゴッホの家から少し行った処に”田舎道と階段”の現場がありました。田舎道と階段 何の変哲も無い風景ですが、有名になった画家が画いたというだけで何か有難いものでもあるかのような気にされちゃうって可笑しいですね。その先の坂を上がったところに良く知られている”オーベルの教会”の絵の現場がありましあた。オーベルの教会 坂の途中にアイリスの花が咲いていました。この花も何の変哲もない花ですが、毎日何十枚もの写真のモデルになっているのでしょうね。モデル代をとれば結構な金額が稼げるのになどと下世話な想像をしちゃいます。余談ですが、現在でもこの村には画家が600人ほど住んでいるということですよ。ゴッホにあやかりたいということなんでしょうかね。さらにその先に行きますと”荒れ模様の空の麦畑”や”鴉の群れ飛ぶ麦畑”(絶筆だと言われてきましたが、最近の研究で違うようだとされてきています)を描いた麦畑に出ました。これこそ全く何の取り止めも無い麦畑で、これを見ることに何の価値があるのだろうって疑問が湧いてきちゃいます。旅行業者の陰謀でしょうね。その後、ゴッホとテオのお墓を参拝し、オーベルシュルオワーズを後にジヴェルニーに向かいました。ジヴェルニーの村は如何にもフランスの田舎風でなかなか感じのいい景色でした。ジヴェルニーでは、まず昼食をいただきました。レストランも藤棚があったりしていい感じのレストランでした。まず出てきたのが、野菜サラダでした。これが大変なボリュームで、大体の人が残されていたようです。次に出てきたのは名前は聞き忘れましたが”焼き豚”のような料理で、付け合せのポテトの料理が美味しかったです。食事の後、モネの屋敷まで歩いて出かけました。途中道端にテーブルを出して食事を提供しているレストランを見て、我々もこいう雰囲気で食事をしたいものだと羨ましく思いました。モネの屋敷では、まず”睡蓮の池”を見物しました。何て言ったって、モネと言えばまず睡蓮の池ですからね。ただし、池の睡蓮はまだ咲いていませんでしたよ。当然ですよね。日本でも睡蓮が咲くのは6月以降ですから。睡蓮の池の周りには柳の木が植えられていますし、竹なども植えられていて、太鼓橋と共に日本情緒を醸し出しています。そうそう、シャクナゲも沢山花が咲いていました。睡蓮の池を一回りした後、反対側のお花畑の見物をしました。いろいろな花が咲き競っています。チューリップにバラ、芍薬や牡丹などの花もありました。モネは花が大好きだったということですが、これだけのお花畑を維持するのは大変でしょうね。驚いたことに大きな桐の木があって花が咲いていたんです。かって桐は娘が生まれたら一本植えるという話があり、日本の木だとばかり思っていたのですが、フランス北部ではあちこちで見られました。日本で桐を植えるのは嫁入り道具の桐の箪笥を造る材料とするためだと思われますが、最近は桐の箪笥の需要が少なくなってきたことから桐の木をほとんど見ることができません。フランスでこんなに多くの桐の木を見るなんて驚きです。モネの館には膨大な量の浮世絵が展示されていました。モネは浮世絵に強い関心があり、その画風に影響されているということは知っていましたが、これほど多くの浮世絵を集めていたのは驚きでした。この後、ルーアンに移動しました。夕食はルーアンのレストランでいただきました。メニューはモネのレシピを取り入れた印象派メニューということでした。中身は野菜スープと赤魚のムニエルでしたが、どちらも味はそれなりに良いのですが、塩っぱいのには閉口しました。(つづく)
2010/05/28
コメント(2)
5月20日(木)から27日(木)までパリ近辺を中心にしたフランス旅行に行ってきました。これまで、海外旅行から帰ってくると非常に疲れてしまい、日記を書かないことが多かったのですが、今回のフランス旅行は、パリを中心とする限られた範囲の旅行でしたので、それほど疲れることも無く日記を書く元気が残されています。今回の旅行は、次のような場所でした。(1)ゴッホ終焉の地 オベルシュルオワーズ(2)モネの睡蓮の池のある ジヴェルニー(3)ジャンヌダルク処刑の地 ルーアン(4)説明不要 モンサンミッシェル(5)古城巡りの ロワール(シュノンソー城、シャンボール城)(6)ステンドグラスの大聖堂 シャルトル大聖堂(7)花のパリ お決まりの ノートルダム大聖堂 ルーブル美術館 ベルサイユ宮殿5月20日(木) 雨朝5:00に起床し、雨の中を出発しました。旅行は飛行機の時間の都合もあって朝早く出る必要があることもありますが、こんなに早いのは久しぶりです。大きなスーツケースを引っ張ってガラガラと音を立てたのではご近状迷惑だと、重いスーツケースを持ち上げて抜き足差し足の忍び足でバス停に向かいました。こんな苦労をしてどうして旅行に出かけなきゃならないのかね。成田空港には8:30に到着しましたが、飛び立ったのは11:30家を出てから飛び立つまで5時間30分よ、もう少し何とかならないもんでしょうかね。(何を言ってるのよ、成田の近くに住めば良いんじゃないの---陰の声)飛び立ったら早速朝食(いや、これは昼食でした)和食と洋食のセットメニューの他、自由選択の料理があり、私は”スズキのポワレ”を選びました。スズキのポワレは、最近世田谷美術館に行ったとき付属のフレンチレストランでいただいてとても美味しかったので、それを選んでみたというわけです。ANAのスズキのポワレは、世田谷美術館のレストランのように皮がパリッと焼けているという訳にはいきませんでしたが、それなりに美味しくいただけました。この他、前菜として”紅鱒の軽いスモーク”とデザートには”アイスクリーム”を選びました。全般に美味しく、機内食を楽しめました。そうそう言い忘れましたが、今回の旅行のフライトはANAだったのです。旅行社のツアーは、航空会社を選ぶことが出来なく、これまでのツアーは、バージンアトランティックだとかイタリアンだとか日本国内便を持たない航空会社の便が多く、マイレージをいただいても使い辛い場合が多かったのですが、今回の便はANAですのでマイレージは利用価値が高いですよ。ヨーロッパに行くときは、往きの飛行機で寝てしまうと、時差の解消が上手く出来ないことから、できることなら全く寝ないで行きたいと思っていたので、音楽を聴いたり、ニュース番組を見たり、映画鑑賞をしたりして時間を過ごしました。映画は、チョッと前に話題になった『アバター』があったので、これを見ました。アバターは3Dの映像を楽しむ映画ですので、飛行機の座席の画面で見たのでは、今一つ迫力に欠けて楽しめませんでしたよ。シャルルドゴール空港には、現地時間の16:00に着きました。この日は、降りる直前に2度目の機内食がいただけるので、ツアーとしての夕食は用意されていないことから、成田で軽食になるようなものを仕入れてこなくてはと考えていたのですが、忘れてしまったことから困ったと思っていましたが、現地の係員の人が気を利かせて空港内のショップに案内してくれたので、マドレーヌやビスケットなどの軽食とソフトドリンクを購入しました。これは、たんに食品を購入するということだけでなく、小銭を手に入れる手段にもなるようです。成田で換金して得られるのは紙幣ばかりで、現地で必要になる小銭がないということが多々あることから小銭を得ておくということは何かと便利ではあります。この日のホテルは、パリ市の南西部にあるホテルでした。これまでのツアー旅行では、第1日目のホテルは、単に寝るだけだと言うこともあって、木賃宿じゃないかと思われるような安宿が多かったのですが、今回のホテルは所在地こそ中心地から離れているとはいえ立派なホテルでした。この日は17:30にホテルに入り、チョッと休憩し持参した軽食を食している内に8時頃になりましたが、まだまだ外は明々として寝る時間とも思えない明るさでした。あまり早く寝たのでは夜中に目が覚めてしまい時差を引きずってしまいますことから、少しでも起きていようと近辺を散歩してみました。このホテルの近辺は住宅地のようで、オフィスのような建物も一部見受けられるものの商店やレストランはほとんど見られません。日中はとても5月とは思えないような暑さでしたが、流石にこの時間になるとヒンヤリとしていて、街路のプラタナスを渡ってくる風が頬に心地よく感ぜられます。まだまだ明るいので歩いている人も多く、黒人と出会ったりすると緊張したりします。人種差別だと言われるかも知れませんが、感情は如何ともしようがありません。辺りを一回りしてホテルの近くまで来たら感じの良いイタリアンのレストランがあるじゃありませんか。夕食代わりの軽食やソフトドリンクなど食べてしまって残念。店先のメニューを覗いていたら、ウエイトレスのお姉さんが飛んできて”英語を話せる人は居ますか?”だって。これは良いお客だと思ったんでしょうね。私らは慌てて”No.No.Just Looking.”なんて叫んじゃいました。この後、ゆったりシャワーを浴びて就寝しました。結局、この日は朝5時に起きて、寝たのはフランス時間で10時でしたので、17時間+時差7時間で合計24時間一睡もせず起きていた勘定になります。(つづく)
2010/05/27
コメント(0)
5月11日(火)より14日(金)までかって勤めていた会社の同期入社の友人の山荘を利用させてもらって同期会のゴルフ合宿を行いました。今回の参加者は、9名でした。この季節は山々は黄緑色や白っぽい緑、橙がかった緑など色々な色合いの緑が散りばめられパッチワークのようです。 5月11日(火) 前夜祭 曇り時々雨我家に10時に友人の一人が迎えに来てくれ、途中別の友人をピックアップし、結局4名で同乗し中央高速を使って宿泊場所の八千穂高原の山荘に向かいました。午後2:00に現地に到着したら、まだ山荘オーナー氏がまだ到着していず山荘に入れないので、とりあえず山荘の玄関やベランダの落ち葉を掃除したりしながらオーナー氏の到着を待ちました。その後、1時間ほど経ってオーナー氏が友人を伴って現われました。真面目に早めに来るのも時と場合によっては考え物ですね。山荘を開けて暖炉の火を点けました。(5月も中旬なのに暖炉だなんて可笑しいと思われるかも知れませんが、1,200mの高原ではまだまだ火がなくちゃ寒いのです)友人の一人が暖炉の火が点いたらたら、早速ビールをグビグビやり始めちゃいました。どうしようもないですね、呑平は。他のメンバーもつられて飲み始めちゃいました。時刻は4時とまだまだ宴会の時間には早いのですが、既成事実には勝てません。それではと、お酒の御摘みに”モッツアレラチーズとトマトのサラダ”を作って出しました。つづいて、”スナックエンドウとジャガイモ、ベーコンのバター炒め”を造り、シェフをオーナー氏に譲りました。オーナー氏は”八宝菜”と”回鍋肉”の中華料理を作って提供してくれました。このメンバーが集まり飲み会が始まると必ず議論が始まるのですが、この日の議論は政治問題に集中し、民主党の政治運営の問題点に議論が沸騰しました。鳩山首相の不甲斐なさ、体たらく、中でも普天間基地移転問題に対する姿勢に批判が集まり、急先鋒のG君が『以前も民主党が政権を取ったら、日本は危ないと言っていたのに、他の皆は民主党支持で、孤立無援で奮戦させられたが、実際にそうなって来ているじゃないか』と攻め立てると、以前は民主党よりだった他のメンバーからも鳩山首相の不甲斐なさや小沢幹事長の豪腕政治をなじる意見が出てきて、唯一民主党擁護の論戦を張るO君が窮地に追い込まれ防戦に必死という状況に様変わりです。政権交代で民主党に期待した私は、本来ならO君の支援に回るべき立場であったのですが、 民主党政権の現状に期待を裏切られたと思っていおり、反論する術も持たないことから、卑怯にも狸寝入りです。(日頃からお酒を飲むと直ぐ寝てしまうということが、こんなところで役に立つとは思ってもみませんでした)この日は、夕方降り出した雨が激しくなり、屋根を打ち付ける雨音に明日の天気に不安を感じながら床に就きました。5月12日(火) 晴昨夜は、10時ころに就寝した人が多く、皆が朝5時頃に目を覚ましてしまいました。(一部しぶとく寝ている者も居ましたが、起きた者が騒がしくするので、結局起きてきました)この日は、昨夜の雨が嘘のように晴れ上がり最高のゴルフ日和でした。皆が揃ったのは7時前と7時半開場のゴルフ場に向かうには少々早すぎたのですが、ゴルフ場に電話してみると7時には従業員は出ているとの話でしたので、ゴルフ場に向かいました。丁度7時頃にゴルフ場についたら、もう多くの従業員が来て開場準備をしていました。さっそく、チェックインをし、朝食が可能か伺ったら、直ぐにも可能だとのことで、皆で朝食をいただきました。そうそう、朝食の話のところで下世話な話ですが、何故こんなに早くやってきたかと申しますと朝食前にやるべき事を済ませておこうという輩が何人も居たのです。山荘には、何でも揃っていて素晴らしいのですが、唯一問題点はトイレが水洗になっていないということなのです。日頃ウォシュレットを使っている皆さんとしては、文明以前のスタイルで用を足すことは忍びなくて、ゴルフ場で用を足そうという作戦なのです。何やかやと用を済ませたりはしましたが、8時にはスタートできる状態となり、ゴルフ場と交渉しスタート時間を早めてもらいスタートしました。この日の私の成績は次の通りでした。午前中 52午後 52-------合計 104私としては、まあまあの結果です。ゴルフの終わった後、キャディマスター室のお姉さんから”コシアブラ”なる木の芽の山菜をいただきました。お姉さんは仲間の一人が手なずけてお友達になっているのです。今回も鎌倉土産の”ハトサブレ”を手土産に持ってきて渡したので、そのお礼にゴルフ場の中で採取してきてくれたのです。”コシアブラ”なる木の芽は、良く知られている”たらの芽”とは違いスーパーなどで手に入れることのできない非常に貴重な山菜で天婦羅にしていただくととても美味しいとのことでした。マメな友人のお陰で得難い山菜にありつけました。早速この日の夕食に天婦羅にしていただきました。天婦羅の具は、”コシアブラ”の他、”エビ”、”シイタケ”、”シシトウ”、”さつまいも”など豪華な内容となりました。”コシアブラ”の天婦羅は、山荘のオーナー氏の話の通りとても素晴らしい味で、皆さんも絶賛でした。天婦羅を作ったのはオーナー氏で、彼の実家は天婦羅屋で、子供の頃は何時も手伝わされていたとのことです。本来ならその店を継ぐはずでしたが、彼はそれを嫌って大学に逃げ込んだなどと話していました。この日の夕食は、この他”ソラマメとエビ、タマネギの炒め物”、”洋風肉じゃが”などを私が作りました。”洋風肉じゃが”は以前の作って好評でしたので、大いに腕を振るって造りましたが、チョッと気が入りすぎて大量に造りすぎてしまいました。この日消費したのは1/3以下で大部分が残ってしまいました。皆さん小食ですね。やはり歳なんでしょうかね。日頃は妻と2人分の料理しか作っていないので、9名の大所帯ではどの程度作れば良いのか分からず、少なすぎたり多かったり料理もなかなか大変です。5月13日(木) 晴この日も皆さん早起きで、朝6時には全員目を覚ましちゃいました。前日の様子から7時前にゴルフ場に入れるようでしたので少し早めに出かけました。ところがドッコイ。ゴルフ場に着いたら誰も居ません。ゴルフ場のフロントに電話をしてみましたが、”今日の営業は終了です”と留守番案内が帰ってくるばかりでした。ゴルフ場の従業員がやってきたのは、開場時間の7時半でしたよ。我々が玄関で”おはようございます”とお迎えしました。この日のプレーは個人戦でなく、スクランブル方式の団体戦で楽しみました。スクランブル方式は、常にベストボールを選択して打つ方式で、想像以上に良いスコアーが出ます。ゲームを面白くするためには、チームごとの力を均衡にすることが重要ですが、今回は昨日の成績をもとに力が均衡するよう組み合わせを決めました。さらに、ティショットだけは、一人3打以上選択するという制限をつけることでゲームを面白くします。朝着いた時に、『昨日いただいた”コシアブラ”がとても美味しかった』とキャディマスター室のお姉さんにオベンチャラを言っておいたら(オベンチャラなんかじゃなく本当の気持ちなんですが)、この日もまた”コシアブラ”を採ってきてくれていました。流石に2日続けて天婦羅という訳にもいかないので、皆で分けてお土産としました。この日の夕食は、昨日残した”洋風肉じゃが”と残り物のレトルト中華料理を作って食べました。皆さん毎日10時頃には床につくという早寝でしたが、この日は翌日は帰るだけということもあって、1時過ぎまで話し込みました(何の話をしていたか忘れてしまいました。歳なんですね)。5月14日(金) 曇りこの日はゴルフをやりませんのでゴルフ場で朝食という訳にはいかず朝食を作りました。そこで山荘のオーナー氏が”かに玉”に”野菜とベーコンの炒め物”そして”味噌汁”と残り物をうまく使った素晴らしい朝食を作ってくれました。山荘のオーナーも大変です。朝食の後、掃除をして山荘を後にしました。掃除が大切なんです。山荘の利用では。きちんと清掃しておかないと次に来た時大変です。
2010/05/18
コメント(0)
今日は、世田谷美術館に川上澄生の版画展を見に行ってきました。世田谷美術館は砧公園の中にあり、東京の23区内にあるとは信じられないような緑に囲まれた非常に落ち着いた環境に包まれています。川上澄生は、横浜に生まれ東京で育ちました。1921年、26歳のとき、宇都宮で旧制中学の教員になるとともに、本格的に木版画の制作を手がけるようになりました。その後、戦中戦後の4年ほどを除けば、他界するまでのおおよそ50年間を、一教員としてこの地で過ごし、その間、市井の一隅にあって日々の暮らしのなかから、そして遠く江戸期や明治期への憧憬、少年時代への郷愁のなかから、独自の画趣を紡ぎだし、ひたすら木版画の世界に刻みつづけていったのです。川上澄生の版画は、それを見て棟方志功が版画家になることを決意したという逸話もあるということで、棟方志功の版画の中にその影響が見受けられるような版画もありました。版画鑑賞の後、砧公園を少し散歩してみました。砧公園で気がついたことは、木が非常に大きいということです。中でも桜の木は、今まで見たことも無いような大木で、枝が広がって地面につきそうになっている木が沢山ありました。こんなに大きな桜の木の花が咲いているのを是非見てみたいものだと思いました。そこで、来年の桜の季節には、是非とも砧公園の桜を鑑賞にこようと妻と話し合いました。その後、美術館に付属しているレストランで昼食をいただきました。このレストランも非常に雰囲気が良く、緑に囲まれて落ち着いて食事ができました。フレンチ料理のレストランということもあり、公共施設の付随レストランとしては少々お値段のほうは高めでしたが、味は中々のものでお値打ちだと言っても良いでしょう。特に、食後のコーヒーが素晴らしかったといえます。(大きな声では言えませんが、私だけスイートをいただいたりしたんです)
2010/05/03
コメント(3)
今日は、NPO事務所当番の日だと思い出かけましたが、お休みの日でした。そうだよね。昨日も休みで、明日からは連休なんだから、当然の事としてお休みでしょう。ちょっと考えてみりゃ直ぐ分かることです。何せ、我々のNPOは開店休業状態で、事務所に誰も居ないと問題だという事で、”事務所当番”を置いているくらいなのですから、無理して出てくる必要など全く無いのです。あーあー無駄なことしちゃったな。仕方が無いので、昼食でも食べて家に帰ろうと地下鉄で新宿に向かいました。途中、六本木の駅に着いたところで、”そうだ、天気も良いので六本木辺りでもチョッと散策するか”てなことで六本木で途中下車しました。良いですね。都心だって五月晴れの散策は気持ちがいいものですよ。ましてや、ここミッドタウンの庭は広々していて緑が多く素晴らしいです。お昼の時間だし、昼食でもいただくか。ということで、青空のもとで爽やかな五月の風を感じながら食事ができるテラスのイタリアンレストランで昼食をいただくことにしました。(五月じゃなくて、まだ四月なんだがね)でも何だか周りから浮いちゃってますよ。皆さんアベックか女性のグループばかりです。おじんが一人なんて、ありえない風景です。間違ったところに入ちゃったかな。さらに、さらに、やってきたピザが大きいの何のってこんなにデカいピザを一人でたいらげる事は不可能です。あーあ、参ったな。店の前のメニューの写真を見て、大きそうだなとは思ったのでした。値段から行ってスパゲティが1、200円と手ごろな値段なのに、ピザは1,600円と少々値が張り過ぎでした。だけど、毎日昼食にスパゲティばかり食べているので(冷凍食品のスパゲティです)この日はピザにしようと決めたのです。多分多人数で来てシェアして食べるんでしょうね。いや!まいった、まいった。頑張ってチャレンジしましたが、一切れだけは残してしまいました。その後、何処へ行くか迷いましたが、六本木ヒルでやっている”ボストン美術館展”に行くことにしました。(ウインドショッピングの選択肢にはないんです)セザンヌ、マネにピサロ、ルノアールにロートレック、レンブラントにベラスケス、いろいろ有名な画家の絵がありました。そうそう、何と言っても圧巻はモネです。「ルーアン大聖堂」や「睡蓮の池」、「アルジャントゥイユの自宅の庭」など10点もの作品が見られるのです。その他、ゴッホの「オーヴェールの家々」なんかもありましたよ。「アルジャントゥイユの自宅の庭のカミーユ・モネと子ども」 「オーヴェールの家々」来月半ばにフランス旅行に行く予定で、その時モネが最後に住んだ街ジヴェルニーとゴッホの最期の地オーヴェールを訪れることになっているので、今回の展覧会は是非とも見ておきたいと思っていたのです。ボストン美術館には5回も行っているのですが、どんな絵があったか全く忘れてしまっています。何もかも忘れてしまってるんじゃ、美術館や展覧会に行っても全く意味が無いですね。
2010/04/30
コメント(0)
3月12日の日記で紹介したエベレスト・トレッキング挑戦プロジェクトの発足会を私の所属しているNPOの事務所をお借りして開きました。呼びかけに応えて参加してくれたのは8名でした。今回の参加者が全員エベレスト・トレッキングに参加するか否かは不明ですが、8名ものメンバーが賛同してくれたのは大成功です。この日は、まず、メンバー各位のこれまでの山歩きの経験や最近取り組んでいる体力維持の活動などを紹介し合いました。今回参加した皆さんは、専門的に登山をやっている人は全く居ませんでしたが、大部分の人は富士山を制覇(私はと言うと富士山は未経験なのです)しており、それぞれに山歩きや散歩、テニスなどの運動を積極的にやられている方ばかりでした。中にはフルマラソンを8回もやったことがあるという剛の者もいらしゃいました。大多数は、一緒にスキーを楽しんでいるメンバーですので、それなりに体力には自信を持っていますが、中でも体力維持に心を砕いている方々が参加されたようです。そりゃそうでしょうね。何たってエベレストをトレッキングしようという企画なのですから。参加メンバーの自己紹介の後、ヒマラヤに5回もトレッキングで行ったというベテランのトレッカーの友人に、エベレストトレッキングの素晴らしさと取り組むに当っての注意事項や必要な装備などについての説明をしていただきました。エベレスト街道を歩いて見られるヒマラヤの山々や主峰のエベレストを街道から望む写真を見せられ、その迫力と素晴らしさに参加メンバーは溜息がでるばかりで会場は興奮の渦に包まれて来ちゃいました。当初の提案は、誰もが行ける4,000m弱の地点を目指すことでしたが、エベレストのベースキャンプ(5,500mのカラパタール)からの景色などを講師から紹介されると、暴走気味で最早止めようもありません。この後、第1回トレッキング訓練として八ヶ岳の天狗岳(2,646m)に登る計画について案内し、日程はメンバーの都合をメールで調査し検討することを確認し、終了しました。発足会の終了後、昔勤めていた会社の従業員クラブを利用させていただき懇親会に移りました。これがまた大いに盛り上がり、チョッと暴走気味になちゃいました。今回参加したメンバーが集まって2次会に入ると、何時も暴走です。こんなんでエベレスト・トレッキングなんかに行けるんでしょうかね。心配になっちゃいます。
2010/04/27
コメント(7)
今年は同窓会の当たり年です。2月の高校の同窓会に続いて、今日は中学の同窓会です。中学の同窓会は初めての参加です。同窓会自体へ第2回目だということですが、私は初めての参加でした。誰が誰だか全く分かりませんでした。でも、その内以前見たことある顔だなって思い出してきました。不思議なものですね。今回の同窓会では、まず、物故者へのお勤めから始まりました。65名の同窓生の内、7名が亡くなっているのです。そして、大変都合がいいことに、同窓生の中にお坊さんがいらしゃったのです。同窓生のお坊さんの先導でしめやかにお勤めが執り行われました。同窓生にお坊さんが居るのは便利ですね。皆さんもお世話になっているようですよ。卒業した後どんな生活をしてきたかお互いに知らない人ばかりでしたので、まず、これまでどんな生活をしてきたか、今どんな生活をしているか、各人が自己紹介することから始まりました。皆さんいろいろな人生を送ってきていらしゃるようでした。1次会が終わった後、記念写真を撮って、コーヒーショップで2次会に進みました。この日は、恩師が来られるという予定でしたが、体調が思わしくないということで来られないということでしたので、皆で寄せ書きをし、東京から参加したメンバーが先生の家までお伺いすることとなりました。具合が悪いという話でしたので、心配をしていたのですが、先生のお家にお伺いしましたら、とても元気で一安心でした。さらに、先生は卒業写真集や当時のスナップ写真を用意して待っていてくださったのです。卒業写真を中心に当時の話に華が咲き大いに盛り上がりました。私は中学卒業後初めてお会いしましたので、本当に懐かしさで胸いっぱいになりました。子供時代の思い出に浸るってのも良いものです。
2010/04/23
コメント(3)
昨日、今日とまた4月7日に出かけた富士見高原にテニス合宿に行ってきました。今回は友人夫婦と一緒に出かけましたが、妻がギックリ腰をやってしまってテニスはできない状態でしたので、急遽単なる旅行に目的を切り替えて出かけました。天気予報では、2日とも雨となる予報でしたので、観光は困難と思い、美術館めぐりでもするかと思っていましたが、昨日(4月21日)は天気予報は全く外れて、真っ青な青空の快晴でした。そこで、急遽お花見に旅の目的を方向転換しました。ただ、先々週に行った時に満開でしたので、もう花が終わってしまっているのではとの危惧はございましたが、何はともあれ現地を訪れて、そこでどうするか考えようということで出かけました。ただ、先々週訪れた同じ場所では、もう葉桜になっていることは明確なので、少しでも可能性の期待できる高地富士見町を訪れることにしました。現地についてみたら、あっと驚き。今を盛りと桜が満開でしたよ。驚いちゃいます。先々週に訪れたところとは、車で20分くらいしか違わないところです。何と、さらに嬉しいことに、満開なのは桜だけじゃなくて、梅や桃も満開なのです。さらに、さらに、こぶしや木蓮、そして三つ葉つつじまで花を咲かせています。木の上から地上に眼をやると、タンポポや水仙などが咲き競っています。そして、遠くを眺めると八ヶ岳の山々が望めます。反対側には南アルプス山々が迫ってきます。中でも甲斐駒ケ岳の勇姿は素晴らしいものです。この富士見町は八ヶ岳の南麓の傾斜地に広がる村で日本の代表的な山村風景の一つではないかと思われます。全くもって原田泰治の世界です。早速、桜の木の下にブルーシートを広げ、高速道路のサービスエリアで仕入れてきた”速弁(はやべん)”で花見の宴です。素晴らしいな! 今年は、もう何回も花見を楽しみました。ただ、この日の夜の天気予報も”明日は雨”と言う事でした。気象庁も懲りもせず雨の予報を出しています。『何でこんな快晴だのに雨なの』だが、朝起きてみたら、予報どおりの雨でした。仕方がないのでこの日は当初の予定通り美術館にでかけることにしました。そうだ原田泰治美術館に行こう。昨日見たあの景色がキャンバスに焼き付けられています。さらに原田泰治美術館のカフェでいただいたチーズケーキが美味しかったです。そして、カフェから望んだ諏訪湖の景色は雄大でした。さらに幸運なことに彼方に間欠泉が吹き出すのを望むことができましたよ。いい旅でした。
2010/04/22
コメント(0)
驚いちゃったな!!朝起きて庭を見たら雪が積もっているじゃないの。北海道でもあるまいに、四月の半ばに雪が積もるなんて、まったく驚きです。今年の春は、暑い日があったり、寒い日があったり、寒暖が激しいですが、雪とは驚きです。来週は、また、八ヶ岳の麓でテニスをやる予定ですのに、寒いのかな。先週同じ場所でテニスをしましたが、宿のある富士見高原はとても寒く、ベランダの水溜りが凍ったりしていました。来週も同じように寒いのかな。嫌だな。天気が回復してくれて気温が上がって春らしく穏やかな気候になることを願うだけです。
2010/04/17
コメント(1)
よくブログを見させていただいている夢子さんが家の近くの桜を紹介していたので、我が家はどうか考えてみたら、我が家の近くにもいろいろ桜を楽しめる場所が多いということに気が付きました。もっとも大規模なのは家から2~3分の所にある桜並木です。この桜並木は、芝生の広場の両側に2列ずつ桜が植えられています。新興住宅地の中の公園で、植えられて20年ほどですので、桜の木も大木という訳にはいきませんが、それなりに桜見物の新名所となって来つつあるようです。休日の午後には多くの人がブルーシートを広げて桜の下で宴を広げています。他にも、多くの公園があり桜の木が植えられています。また、学校の校庭にも必ず桜が植えられています。さらには、道路の並木として植えられているものや、団地の庭に植えられているものなど数えられないほどの桜があります。よくよく考えてみると、家の近くを散歩するだけで桜見物を楽しめます。桜の花をアップで撮ってみました。
2010/04/11
コメント(4)
4月7日(水)から9日(金)まで長野県富士見高原に友人たちとテニス合宿に出かけ、最後の日には諏訪大社の御柱祭の見物を楽しんできました。4月7日(水) 曇りときどき雨この日は、曇りで雨の可能性もあるという天気予報で、現地に着くとポツポツと雨が降ってまいりました。テニスコートの予約は13:00からでしたのに、高速を降りたのが11:00頃で少し早すぎましたので、近くの山高の神代桜を見物することにしました。神代桜は、北杜市武川町の実相寺境内にあり、日本三大桜の一つとされているエドヒガンザクラで、推定樹齢が1,800年とも2,000年とも言われている古木です。その姿は、下の写真のごとくであり、想像を絶する悠久の時を超えて咲き続けてくるさまは、神々しく見る人は思わず手を合わせたくなる姿をしていました。樹高10.3m、根元・幹周り11.8mで、日本でも最古・最大級の巨木として、国指定天然記念物第1号に指定されているということです。伝説では、神話の武将日本武尊が東制の折に植えたといわれ、名前の由来となっているようです。また、13世紀頃、日蓮上人がこの木の衰えを見て、回復を祈ったところ再生されたとされており、「妙法桜」とも言われているとの事です。いずれにしても凄い桜を見物できました。南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!実相寺は日蓮宗の寺でした。この寺の境内には、この他多くの桜が植えられておりお花見を楽しむことができました。また、身延山の枝垂桜や三春の滝桜など有名な桜の子桜があり、居ながらにして全国の銘木を楽しむことができるようになっていました。住職さんは酔狂な人なんでしょうね。そうそう、この桜を見るために駐車場をお借りするのに駐車料金500円をとられましたが、その時領収書のかわりに500円の食券をくれました。この食券は、駐車場をやっている食堂で利用できるもので、桜を見物したあとで食堂を利用したら駐車料金がタダになるというシステムです。結局500円の駐車料金がおしいので、その食堂で昼食をいただくことになっちゃいました。しっかりしたシステムを作っていらしゃいます。午後は、北杜市の須玉という所にある”パパス須玉”というテニスコートでテニスを楽しみました。パパス須玉には、アウトドアーとインドアーのテニスコートがあり、アウトドアーのコートはすべてクレーコートでした。クレーコートは、土なので雨が降った後では利用できないか心配でしたが、ほんの僅かでしたので問題なく利用できました。テニスを終えた後、富士見高原の合宿所に入りました。この合宿所は利用料金は安くて助かるのですが、青少年の教育用施設ですので、まず、オリエンテーションというのがあって、利用に関する注意事項を聞かねば利用できなかったり、配膳や布団を敷く作業などすべて利用者が行なわねばならない点が少々気になります。ただ、午後2時から風呂に入れるなど気の利いたサービスも充実しています。風呂は良いですよ。大きな浴槽を独占できます。何故か?って。他に利用者が居ないからです。4月8日(木) 晴この日は快晴でした。朝起きてみたら、ベランダに残っていた昨日降った雨が凍っていました。春の高原は結構寒いんですね。そんなに高地じゃないと思っていましたが、標高1,370mだそうです。この日は、午前中3時間ほどテニスを楽しみました。今回のメンバーは5名で、その内2人はかなり上手く、私を含め3人は初心者です。昨日の練習マッチでは、力がバランスするよう上級者と初心者で組んで楽しみました。この日は、上級者と初心者でマッチをするという上級者からの提案があり、そのような組み合わせも楽しみました。上級者チームと初心者チームでマッチするんじゃ、初心者チームが必ず負けて面白みに欠けると思われるでしょう。まったくその通りなのですが、そこで次のような約束事を設ける事で初心者の練習になるようにしました。(1)初心者は上級者に勝つよう細大の努力をする(2)上級者はプレーが継続するよう努力する上級者にとっては少々ものたらない面はありますが、初心者の向上のためということで、上級者自らが提案してくれた組み合わせですので、提案に甘んじて我々初心者は大いに楽しませていただくと共に力を付けるよう努めたって次第です。昼食は、花の下でお花見をしながらいただこうと、清春芸術村というところに出かけました。この芸術村は、モンパルナスのアトリエ”ラ・リューシュ(蜂の巣)”を模したアトリエ「ラ・リューシュ」なる建物が中心となっており、この建物は3階建て16角形の特徴ある建物で28室が貸アトリエとして版画工房、彫刻・作陶の設備が整えられ、制作意欲のある芸術家に開放されています。その周りに桜が植えられていて桜の名所としても良く知られています。この桜の下に桟敷を敷きお弁当をいただこうという目論見でしたが、残念ながら桜は2分咲き程度で、2分咲きの桜の下でお弁当をいただく羽目になりました。それでも、遠くに雪をかぶった八ヶ岳や南アルプスの峰々を望みながらのお弁当は、ポカポカと暖かな日差しの下で大いに楽しむことができました。その帰りに、神田の大糸さくらという桜も訪ねて見ましたが、やはりまだ蕾の状態でした。この日は桜見物が不発となり午後3時前に合宿所に帰り着きましたので、ゆったりとお湯に浸かって明日への英気を養いました。4月9日(金) 曇りこの日は、諏訪の諏訪大社下社の御柱祭が催されるということで、これを見に行くことにしました。御柱祭の時は、近辺は通行禁止で車では近寄れないので、市が用意してくれた駐車場に車を停めてシャトルバスで木落しの坂まで行こうという予定で行きました。ところが車を停めた中学校の校庭からはシャトルバスの乗り場までかなりあり、係員の話では歩いていった方が良いとの事でしたので、歩いて行きました。これが何と上り坂を約5km程も歩くとになりました。私は、エベレスト・トレッキングにチャレンジしようってんですから、その予行演習だと思えば良い訳ですが、他のメンバーにとってはかなりの苦行だったようです。木落し(坂の上から御柱の木を落すという行事で御柱祭の中心の行事)は、13:00にあるということでしたが、見物席がいっぱいで入れなくなってしまう可能性もあるということで、10時と早めに着いたつもりでしたが、もはや座れる場所は残っていませんでした。そこを年寄りの図太さで割り込んで席を確保し、御柱の木落しが始まるのを待ちました。これが何と難行苦行でした。曇りで日が照らず寒く風が吹き震え上がらんばかりの陽気の上に、河原の石畳の上に座っているのでお尻が痛い上に冷え込み、とにもかくにも難行苦行の連続でした。ブツブツ、ブツブツ、愚痴を言いながらも、3時間待ち、さて木落しが始まったとなったら、あっという間の3秒で全ては終わってしまいました。やれやれ、何と3時間の難行苦行の成果が3秒に凝縮されたって訳でしょうか。方やお祭の主催者は3時間どころじゃなく7年間もかけて取り組んできているのです。この事に思いを馳せれば3時間の難行苦行など文句を言ったら罰が当ります。所詮お祭は、やる方も見る方も意味の無いことに情熱を傾けて馬鹿騒ぎするってもんでしょう。御柱祭に命を掛けている諏訪神社の氏子の皆さんに感謝しなくては。写真では左上が御柱の木が落ち始めた瞬間で、右下が落ち終わった後です。左下の写真は、観覧席で、まだまだ空いているじゃないかと思われるでしょうが、この部分は有料観覧席で、有料の人はゆっくり開始直前にやってきて、真正面の特等席で見物できるのです。一方、お金の無い人たちは右下の見え難いところにすし詰めになって見るという不平等なシステムになっているのです。やっぱり金がなくちゃ世の中楽しめないね。(本当の所は、有料観覧席は何十倍もの申し込みの中から抽選で選ばれた結果です)何はともあれ、天下の御柱祭を見られた事に感激しましょう。
2010/04/09
コメント(0)
3月29日 晴朝一番に高松城跡公園(玉藻公園)を2時間程散歩しました。写真は、お城の一部であった渡櫓と水手御門および月見櫓です。国の重要文化財に指定されているようです。この公園はお城の遺跡とともに庭園もなかなかのもので楽しめました。この後、母方の祖父母のお墓にお参りし、岡山に移動しました。3月30日 晴この日は後楽園に桜を見にいきましたが、全般に3分咲き程度でした。後楽園は何度も来ており、池の端に枝垂れ桜があったので咲いているのではと期待したのですが、全く咲いていませんでした。ただ、旭川の対岸に枝垂桜が一本だけポツンとあり、これが満開でした。後楽園の中では、流水に浮かんだり青い苔の上に落ちた椿の花が風情があって印象に残りました。午後は、昔勤めていた大学に同僚だった若い先生方を訪ねました。良いものですね。思い出話に花を咲かせるのは。今や思い出だけが私の心の支えです。だって、もう新たな仕事は無くなってしまいましたから。大学は大変なようです。子供の数が減ってきて定員に満たない学科が増えてきているようです。頑張っても、頑張っても、学生数が減るってやるせないですね。夕方になって、かっての教え子達と居酒屋で杯を傾けました。世の中分からないものですね。卒業できるか危ぶまれていた学生が、今やお好み焼きチェーンの社長になったりしていました。この度の旅は、ご先祖のお墓参りとかっての同僚や教え子達との再開と楽しい時を過ごさせていただきました。
2010/04/02
コメント(0)
3月28日から四国へ少し時期はずれのお墓参りと、岡山の昔の仲間を訪ねる旅をしてきました。3月28日 曇り高松空港で目的の琴平にどのように行けば良いかリムジンバスの運転手に聞いたところ、「途中の一宮で降りて電車で行けば良い」とのことでしたので、一宮で降りて電車の駅まで行ったら何と琴電という単線の電車でした。琴平にはお墓があるので何度も来ているのですが、琴電に乗るのは初めてです。やってきたのは2両だけのチンチン電車に毛の生えたような電車でした。「こんな電車でトロトロと琴平まで行くのは大変だ」とは思いながらも、今更他に選択肢も無いので仕方なく身を任せトロトロと琴平に向かいました。ところが後で親戚の人に聞いて分かったのですが、琴平と高松の間の交通機関は琴電が最も便利だとの事でしたよ。琴平では、取り敢えずお花を仕入れてお墓に向かいました。お墓に着いたら、驚き!!我家の墓にお花が供えてあるじゃないですか。そんな事あっていいのかね。我々以外にお墓参りに来る人がいるはずもないのに。そうでした。墓の世話をお願いしている親戚の人がお花を供えてくれていたのです。私が来ることを伝えていましたから。ありがたや、ありがたや。墓参りをした後、たまたま金毘羅宮で若冲の展覧会をやっているということなので、訪れてみることにしました。知りませんでした。これが何と石段を500段も上がったところにあったのです。金毘羅さんは石段で有名ですが、それは本宮に登る道であって、まさか途中の書院までが500段もあろうとは思いも寄りませんでした。やっとの思いで辿り付いた書院には、若冲の襖絵の他、円山応挙の虎の襖絵など素晴らしい絵画が沢山ありました。苦労して行った甲斐がありましたよ。こんな襖絵もありましたよ。田窪恭治という画家が製作中のもので、奥書院の南側に建てられた白書院(新書院)の長さ12間に及ぶ襖と長押に制作中の障壁画で、琴平山に自生するヤブツバキをモチーフに、パステルで描かれているというものでした。この障壁画は斬新なものではありましたが、どうも地元の人には品位に欠けるということで評判は良くないようです。(親戚の方からの話です)本来ならこの時期は桜が満開というところなのでしょうが、この数日の桜冷えで開花が遅れていましたが、”陽光(ようこう)”という桜は早咲きということで満開でした。この後、高松に帰り夕食後栗林公園に夜桜を見に出かけました。(つづく)
2010/04/01
コメント(2)
3月28日から31日まで四国(讃岐)と岡山に行っていました。この間もスクワットを続けようと意識していましたが、必ずしも目標をクリアしたというわけにはいきませんでした。3月28日 30回この日は東京から高松まで飛行機で移動し、高松から琴平に行き、高松に戻り泊まりました。琴平では石段を500段ほど登りましたし、高松では栗林公園の夜桜見物に行きましたので、十二分に足腰を使いました。3月29日 30回 + 30回この日は、朝高松城跡を2時間ほど散策し、観音寺市近くに移動した後、岡山市に移動しました。2時間ほど歩いたので十分じゃあないでしょうか。3月30日 30回朝、ホテルから後楽園まで歩き、約2時間ほど園内を歩きました。夕方は飲み会でしたので、夕方のスクワットはお休みとなりました。3月31日 30回 + 30回岡山から高松空港まで移動し、飛行機で東京に帰りました。途中飛行場で時間があったのでスクワットをやれば良かったのですが忘れてしまいました。この日のスクワットは家に帰ってからやりました。以上、目標の90回はできませんでしたが、かなり歩いたので良しと言う所でしょうかね。
2010/03/31
コメント(2)
エベレスト・トレッキング挑戦を決めた日から毎日スクワットをやり始めました。これまでの実績は次の通りです。 スクワット実行回数表 月日 曜日 第1回 第2回 第3回 合計3月14日 日 40 40 803月15日 月 10 30 403月16日 火 30 30 30 903月17日 水 30 15 30 753月18日 木 30 30 30 903月19日 金 03月20日 土 30 30 30 903月21日 日 30 30 30 903月22日 月 30 30 30 903月23日 火 30 30 603月24日 水 30 30 30 903月25日 木 30 30 603月26日 金 30 30 603月27日 土 30 30 60大体毎日30回を3回やるようにしています。やっていなかったり、少ない日はズルしている訳じゃなくて、体操教室があったり、ゴルフに行ったり、テニスをしたり等で充分運動をしたような日やどうしても出来なかった日です。これまで日記に掲載しなかったのは、3日坊主に終わるんじゃないかとの思いがあったからです。私はどちらかと言いますと気まぐれな性格で、こう言う気の重い訓練は続かないことが多いのです。それだからこそエベレスト・トレッキング挑戦プロジェクトなどという大仰な旗を揚げる事で何とか継続を意識付けしている訳なんです。取り敢えず少々は続いているというところです。明日から四国と岡山の方に旅に出ますが、この間もホテルでやるなど何とか継続するようにしようと決意しています。少々回数は減るかも知れませんが、1日1回でもやって切れ目無く続けるようにしたいと思っています。どうなりますことやら。
2010/03/27
コメント(4)
昨日は、名古屋まで本当のとんぼ返りをしてきました。名古屋とんぼ返りは、今年2回目です。1回目は2月28日の高校の同窓会です。この時はとんぼ返りとは言っても、名古屋で同窓会に出席し、その日の内に帰ってきたのですが、今回はまったく何もしないで、一瞬の停滞も無く帰ってきちゃいました。実をいいまますと、先週土曜日に息子が友人とゴルフをする為に家に帰ってきたのですが、いきなり38度程の熱を出し、下痢をしてしましました。医者の見立てではインフルエンザじゃないこということでした。そのため、ゴルフにも行けず名古屋に帰ることになりました。1日我家で休養し少しは状況が良くはなりましたが、車を運転して名古屋まで帰るのは問題が多いということで私が同乗していくこととなったのです。息子と私の二人で交代で運転しながら、息子の家の近くの駅で降ろしてもらい、そのまま名古屋駅から新幹線で帰ってきたって訳です。この間、サービスエリアでトイレを利用したり、食事をする以外何もせず、ただひたすら往復しただけです。これこそ、まったくのとんぼ返りです。疲れちゃいました。本当に!!
2010/03/15
コメント(4)
3月6日から9日まで逗留した友人の山荘で、朝早く起きてやることも無いので、山荘に置かれていた本をめくっていて、宮原巍著『還暦のエベレスト』なる書物にめぐり合いました。著者はネパールに魅せられて、エベレストの望める地に”ホテル・エベレスト・ビュー”なるホテルを建設し経営しており、それまでの経緯やその後エベレスト登頂へのチャレンジに到る流れを本書で紹介しています。ホテル・エベレスト・ビューから見たエベレスト(左端のピークがエベレスト(8848m) 中央の雪煙を上げているのはローツェ(8414m))この本を読んでいてホテル・エベレスト・ビューが3,900mの所にあり、その直ぐ脇に飛行場まで持っているということに心を動かされ、こいつはエベレスト行だと閃いたって訳です。この山荘のオーナーは、ヒマラヤトレッキングに5回も行ったという兵で、その時の話など聞いてはいましたが、途中酸素不足でどんなに大変かという話ばかり聞いていて別の世界の話だと思い、まったく興味が湧きませんでした。この本を読んでいてエベレストのビューポイントが3,900mの所にあり、飛行機でいけると知り、これならそんなに激しい高山病に悩まされること無く、厳しいトレッキングも経ることなく行けるのではと思ったわけです。以前、スイス旅行でフランスのモンブランの途中の4,000mのところまでロープウェーで登った経験がありますが、この時は少々フワーっと浮いたような感じになった経験があります。その時、これは一種の高山病だと思った訳ですが、少しジッとしていたら落ち着いてきましたので、この程度の高さなら克服できるのではないかと思っていたわけです。また、富士山でも軽い高山病に掛かる人も居るということを聞いており、5,000m以上を走る青蔵鉄道でのラサ旅行ではかなりの割合の人がかなり重い高山病に罹るという話しをテレビの番組などで観ていることから、この辺りが一つの境界かと思っています。朝になってオーナー氏に、『エベレストに行くことにした』って話したら、『以前から如何にヒマラヤトレッキングが素晴らしいか、これまでも話していたじゃない。だけど、ちっとも興味を示さなかったくせに突然どうしたの』って言われちゃいました。『いや。これまでの貴方の話では、ヒマラヤのトレッキングは素晴らしいけど、途中の行程や高山病が大変だって事ばかり聞いていたので、興味を持たなかったが、ホテル・エベレスト・ビューまで出かけるのなら、飛行機で比較的簡単に行けるんじゃないかって思ったのよ』って話したら、『確かにホテル・エベレスト・ビューの隣には飛行場があるが、飛行機は飛んでいなくてヘリコプターをチャーターしていく必要があり、チャーター料だけでも60万円は掛かるよ。定期便の富んでる飛行場まで行ってそこから歩くのが普通のコースなんだよ』『君の言っている場所に行ったこともあるが、その時は少し手前の定期便のあるところまで行き。そこから歩いて4日程でその場所に行ったのだよ。その行程の旅行記をホームページで詳細に紹介しているよ。それ読んだ?』『読ませてもらったことはあるけど、何人ものシェルパを雇って出かける本格的登山に近いものと思っていたよ。もう一度読ませていただいて検討します』てなことで話は終わり、帰宅後に調べてみました。帰宅後に調べてみましたら、まったくオーナー氏の言う通りで、ホテル・エベレスト・ビューに行くってこと自体がヒマラヤトレッキングなんだと分かりました。そこで、結果としてホテル・エベレスト・ビューに行かないことになってしまうかも分からないが、そこに行くということを最終目標にして、国内で訓練する活動をしようと決意しました。その為には、まず仲間を集めることが必要です。当然の事ながら一人でホテル・エベレスト・ビューに行くなどと言う事もできませんし、国内での準備訓練のトレッキングや富士山登山だって一人ではできません。そこで、まずヒマラヤトレッキングを目標に一緒に訓練しても良いという仲間を集めることにしました。とりあえず、取っ掛かりとしてこの8月に北八ヶ岳の天狗岳にチャレンジしてみることにしました。天狗岳は2,600m程の低い山で、片道4時間程で登れるようなので、この山荘に泊まって日帰りで行けます。まずは、この山歩きでどの程度の脚力があるか確認し、つづいて乗鞍や白馬など3,000m級で岩場の少ない山にチャレンジしようと考えています。それで自信が付いたら富士山で高地訓練のチャレンジをしてみたいと思っています。ヒマラヤト・レッキングは、厳しい山登りがあるわけではなく、酸素の薄い高地の対応と長時間歩く脚力が求められるものです。突然こんな事を思いつきましたが、実際にヒマラヤに行くか否かは怪しいものです。実現可能性は3~40%って所でしょうかね。実際のところは、目標を立てることで山歩きの意欲を継続しようと言うのが本音です。
2010/03/12
コメント(2)
3月8日(月) 霧この日は、朝から霧が立ち込め100m先も見えない状況でした。車の運転に当っては最大限気を付けゆっくりゆっくりと進みました。スキー場はさらに深い霧で、50m先も見えない状況になっていました。こんな状況でスキーをやるのは危険かと思いましたが、スキーヤーが殆んど居ないことから衝突の危険性も少ないのではと思い始める事にしました。(この日見たスキーヤー+ボーダーは総計で7名程じゃないかと思っています)ゲレンデは昨夜雪が降った様子で、凍っていたバーンは姿を消し、最高のコンディションになっていました。早速、友人と一緒に昨日指導員から指摘された問題を改善する練習を開始しました。昨日は、雪面が氷のように硬くなっている部分が剥き出しになっていて、ガリガリ・ガリガリとスキーが横滑りするので、オッカナ・ビックリで腰の引けたスタイルになっていましたが、この日は雪面をシッカリ捉えて制動をかけたいい滑りができます。友人の指摘を参考に1~2回滑ったらかなり良くなってきたようです(友人の意見です)。あ~あ~!今日バッジテストがあったら合格になっていたかも知れないのにな!獲らぬ狸の皮算用ってもんです。そりゃ。なんや、かんやで午前中のスキーを終えた後、山荘オーナー氏に連絡し、迎に来てもらいました。この日の午後は、3人揃ってスノートレッキングを楽しむ計画にしていたのです。我々お客だけが楽しんで、ホストの友人は山荘に篭って読書じゃ申し訳ないので、オーナー氏が得意なスノートレッキングの計画を入れたのです。本当は、一日掛けてやれば本格的なスノートレッキングを楽しむことができるのですが、それでは我々の目的であるスキーが一日だけになってしまうので、オーナー氏にも妥協していただいて半日のトレッキングとさせていただいたのです。(本当を言いますと、2005年の日記にも示しているようにスノーシューを履いて歩くってのは難行なのです: http://plaza.rakuten.co.jp/himajiiSky/diary/200502270000/ に掲載)この日は、昇る時間を1時間と決め、その時間で登れる範囲で引き返すこととしました。結果として、登り1時間、下り30分のお試しで終えました。引き返し地点でコーヒーを沸かして一休みと、オーナー氏がコッフェルを取り出しドリプシを取り出したところで、”あ!肝心なものが無い”と嬌声をあげました。器具は全て用意してきたのですが、濾紙を忘れちゃったんですって。それじゃお湯を沸かしてもコーヒーを飲むことはできないと、用具を仕舞おうとした時、私が”いや!濾紙がなくてもお湯に直接粉を入れれば飲めるよ”と異議を申し述べました。ところが、他の2人は”それじゃあ、ジャリジャリして飲めるなんて代物じゃないよ”と反論します。”いやいや、トルコではコーヒーは粉ごと沸かして上澄みを飲むんだよ。それがトルココーヒーの煎れ方なんだよ”と説得しようとしましたが、なかなか納得しません。”何を言ってるんだい。トルコこそがコーヒーの発祥の地で、その方式が正統な煎れ方なんだよ。実際トルコを旅して現地で飲んだ私が言ってるんだからやってみよう”と教養と経験を繰り出して説得し造らせました。出来上がったトルコ風コーヒーを口に入れたら、最初はコーヒー豆の粕が口に入ってきて、プッ、プッと吐き出すばかりで美味しくも何ともありませんでした。その内、オーナー氏がケトルの上澄みを別の容器に移して飲んでみて”飲める、飲める”と飲み始め、皆が少しコーヒーの粕が落ち着くようにして上澄みを頂きました。目出度し、目出度しで、雪原の中で煎れたコーヒーを楽しみました。この後、昨日と同じ公共日帰り温泉に浸かり山荘に帰りました。3月9日(火) 雪この日は、朝から雪でした。暖炉の火を消し、部屋の掃除やガス、水道の閉栓など山荘の後始末をして帰路に就きました。
2010/03/10
コメント(0)
3月6日(土)から9日(火)まで八ヶ岳の北にある友人の山荘に泊まって八千穂高原にスキーに行ってきました。このスキー行は年中行事になってきており、2月あるいは3月の適当な時期に出かけています。3月6日(土) 曇りのち雨10:00に大宮駅前に集まり、山荘オーナーの友人の運転で現地に向かい2:00頃現地に到着いたしました。途中、高原に入る手前にあるスーパーで、これから3日間の食材とアルコールを仕入れましたが、これが何と1万1千円もの大量な仕入れとなりました。一度にこんなに大量の食材を仕入れたのは初めてで、3人でこんなに多くの食材を食べ切れるのか心配になっちゃいました。山荘に着いたら早速水道やガス栓の解放と暖炉の火を点ける作業の開始です。暖炉に火を点ける作業は、まず山荘の周りに落ちている柴を集めるところから始めねば成りません。そして、新聞紙を丸め、その上に柴を載せ、さらにその上に丸太を置いて火を点けます。ところが、暖炉自体が冷えていてなかなか火が点きません。そこで、部屋にあった段ボール箱を切り裂き、それに点火し、その上に柴や丸太を置くことでやっと火を点ける事ができました。何時もここに来て暖炉の火を点けて感じるのですが、暖炉の火燃え始めると心が和み気持ちにゆとりがでてまいります。この後、お茶を飲みながらゆったり寛ぎました。私はお茶を頂きましたが、おちゃけ(お酒)を始める輩もいたりしまして、仕方がないのでタコ酢を造り提供しました。この後、オーナー氏が鶏のつくね鍋を作ってくれました。これがなかなかいける味でオーナー氏の料理の腕もなかなかのものです。日頃はまったく酒を飲まないわたしですが、この日は気分が良かったのかワインをかなり飲んでしまい、8時前に寝てしまいました。この日は、夕方になってからしとしとと雨が降り出しましたが、夜半に眼を覚ました時には、ジャブジャブ、ジャブジャブと本格的な雨になっていました。1,200mの高原で夜中に雨だなんて驚きです。あーあー!明日は雨か。(実はこの段階では”今日”だったのですがね)スキーは止めにして、ゴルフの練習にでも行くことにするか。3月7日(日) 曇り朝起きて窓の外を覗いたら真っ白な銀世界。雪だ!雪だ! 雪が積もっている。この地方は、高地なので気温は低いのですが、降雪量が少ないことから、上の写真ように木に雪が付く風景が見られるのは稀です。友人の話でもこういう風景は初めてだということです。いいぞ!いいぞ! こいつはいけるぞ。朝食後友人に送ってもらい、スキー場に向かいました。ゲレンデに出たら、いきなりスッテン・コロリン。まだ、靴で斜面をあるいていただけなのに、昨日の雨で水を含んだ雪が氷のようにガリガリなのです。これでスキーができるかね。このスキー場にはスキー学校があり、バッジテストをやっているという情報を得ていたので、チャレンジしてみようと覗いてみました。バッジテストは、日曜日の午前中だけ開催しているとのことでした。エ!エ!エ!エ~ 今日の午前中しかやってないの。練習もしないで、いきなりバッジテストはないよ。でも、”仕方が無いか”とチャレンジしてみることにしました。約2時間、指導員の指導に従い滑降したら、それがテストなんです。”1時に事務所の前に結果を掲示するから”てので、昼食後、確認に行ったら、あらあら”不合格”。でも、あとチョッとで合格点に届くってことでした。それじゃあ来年も挑戦してみよう。来年は、土曜日に来るなんてことはしないで、木曜か金曜にやってきて、十分練習した上でバッジテストにチャレンジできるようと心に決めました。午後は、指導員から指摘された問題点を中心に練習しました。少しは改善されたかな?山荘オーナーの友人に迎をお願いして、近くにある公共日帰り温泉”八峰の湯”に向かいました。あれ、山荘オーナーの友人ってスキー場に送ってきたり、迎に来たり、お抱え運転手みたいじゃない?そうなんです。山荘オーナー氏は、篤志家で我々がスキーを楽しめるよう、山荘からスキー場まで送り迎えしてくれているのです。ありがたいですね。持つべきものは友人です。チョッと脇道に話がそれましたが、スポーツをやった後の温泉は良いですね。この世の極楽です。 (つづき)
2010/03/09
コメント(0)
田部井文雄著「四字熟語物語-故事来歴をひもとく」の中の『四面楚歌』の項を見ていたら次のようなことが書かれていました。「某大臣が消費税増税の政策に言及したところ、首相始め周囲の閣僚などによって反論され、『私は今、四面楚歌、まさに項羽の立場です』と語り、その事が新聞各紙に掲載された。ただし、その大臣は、その言葉の後に『しかし、私はまだ項羽のように”騅(すい)は逝かず”の状況には陥っていません』と付言したにもかかわらず、この大臣の肝心の言葉は、一紙を覗いて新聞もテレビもほとんど取り上げなかった」このことについて著者は、「日頃政治家の教養を云々することの多いマスコミの方々も、ここでは、この一大臣の教養に完敗だった」としている。『騅は逝かず』とは、項羽が詠った詩の中で”四面楚歌の状況にある上に、名馬の騅も今は走らない状況だ”と嘆いたときの言葉です。ここで大臣は、『しかし、私はまだ項羽のように”騅は逝かず”の状況には陥っていません』と言っているのですから、まだ突破口があると言っているわけで、その事を伝えなかったのは、明らかに報道陣の重大ミスであり、著者はその原因としてその意味を解しなかった報道記者の教養不足にあったとしている訳です。確かにそういう面もあったでしょう。しかし、私は、”必ずしもそれだけじゃなかったのではないか”と思っています。すなわち、マスコミは”四面楚歌の状況にあるが、まだ突破口がある”と大臣が考えているという報道では、消費税増税の政策を非難したい立場から望ましくないことから、後半部分を無視して報道したのではないかと考える訳です。この件は、何も誤報をした訳でもなんでもなく、チョッと省略しただけのように思えますが、とんでもないことで、全く反対のことを報道しているのではないでしょうか。こういう姿勢の報道は至る所で見られるように思います。私は何も政府よりの姿勢をとっている訳ではありませんが、最近のジャーナリズムの報道には都合のいいように偏った報道をしていると思えてなりません。この文章は、政治的発言というのではなく、チョッと学習していて気が付いたことを紹介してみただけですので、悪しからず。
2010/03/05
コメント(1)
2月28日に高校の同窓会が名古屋で開かれたので久しぶりに出席しました。同期の卒業生は500名ほどなのですが、この日は150名程が参加しました。もう卒業後50年も経っているので、1/3程も集まるのは驚異的といえます。中でも私のクラスは57名の内26名が参加するという高い参加率でした。(1クラス57名も居たんですよ。40人だって贅沢だって言いたくなります)私は大学を卒業後東京に就職したこともあって、同窓会に参加するのは30年ぶりでした。そこで、一部の友人以外長い間会っていないので顔が分からないのではないかと思い、卒業アルバムをコピーして持参しました。18歳の頃の写真なので役に立つか否か分かりませんでしたが、これが大いに役立ちました。何十年もたって歳をとっているのに面影は残っているものですね。本人と子供の頃の写真を見比べてみたら直ぐ見分けが付きましたよ。当時の思い出話などしている内に、時代を超えて高校生時代の戻って大いに語り合いました。学内でミスコンテストをして女性陣に総スカンを食った話やら、大学受験の対象科目でない科目のテストを見せてやった(カンニング)思い出など、楽しいですね若い頃の思い出に浸るってのは。そうそう、修学旅行に四国を回ったのですが、当時ペーギー葉山の『南国土佐をあとにして』が流行っていて修学旅行中大いに歌った思い出など、いろいろな事が走馬灯のように思い出されてまいりました。私は今でもカラオケでは『南国土佐をあとにして』が十八番で、カラオケで歌うと当時のことを思い出します。この日は、幹事の取り計らいで、同窓生の一人で運輸事務次官をやった後○○に天下った典型的天下り官僚の話しを聞くことが出来ました。時節柄、あまり政府を批判するようなことは話せない(物言えば唇寒し冬の朝:芭蕉(本当は”秋の風”))ということで、本人の意見ではなく巷間に流れている噂話を紹介するような話でした。彼が自民党支持なのか民主党支持なのか知りませんが、最近の政治の状況はぼやきもでますよね。実をいいますと昨年の選挙では、私も政治の変革を期待して民主党に投票したのですが、最近の民主党政府の政治には全くガッカリさせられちゃっています。そりゃあ始めて政権に就くのですから、初めから完璧な政治など期待してはいませんでしたが、これほど酷いことになろうとは思いもよらなかったです。次の参議院選挙ではどうしようかな。最後に校歌の斉唱があり大いに盛り上がったところで、誰ともなく万歳三唱が持ち上がり、”バンザイ!!バンザイ!!バンザイ!!”でお開きとなりました。(何を万歳しているのでしょうかね???)良いですね。同窓会って。この歳になると昔のことが懐かしくなるのでしょうかね。次回もまた参加しよっと。
2010/03/04
コメント(4)
2月14日から16日までの日程で高山、金沢そして白川郷を巡る旅に行ってきました。冬の白川郷は是非とも訪れたい所でしたが、妻が寒いのが苦手で冬に雪のある寒いところに観光で出かけるなどとても考えられないという姿勢でしたので、これまで言い出せずにいました。ところが、突然白川郷に行ってみたいと旅行のパンフレットを用意してきたので、さっそく行くことにしました。今回の旅行は、白川郷だけを訪れるのではなく、第1日目は新幹線で上田まで行き、その後バスで松本から安房峠を越えて高山に入り、高山の街並みを観光した後、金沢に泊まりました。安房峠に入る手前のバスの中から周りの景色を眺めていたら、周りの木々がダイヤモンドを散りばめたようにキラキラと輝いて幻想的な景観を醸し出していました。以前、スキー場で霧氷が付いた唐松林の木々を見て素晴らしいと感動したことがありますが、今回の景観は違っていて透明感のある感じでした。多分、木々に付いた雪が融けた後、夜間に凍り付いて透明な氷になり朝日に照らされてキラキラと輝いていたのではと思います。高山は何度か訪れはことがあるのですが、高山の街並みは落ち着いた佇まいで何時行っても心が和みます。高山では街並みを楽しんだ後、屋台会館を訪れ山車を見学しました。高山の山車は、以前高山祭の時期に訪れた事があり、実際人形を操っているのを見たことがあります。賑やかな祭で見るのも趣があっていいものですが、展示されているものをじっくり見るのもまた面白いものです。第2日は、自由行動となっていましたが、福井の永平寺を廻るオプショナルツアーがありましたので、そちらを申し込みました。この日は、まず金沢の兼六園を観光した後、永平寺に回り金沢に帰ってきました。永平寺はとても有名で何か特別なものがあるのかと期待して行ったのですが、特に観光に値するような所ではありませんでした。参禅などで良く知られていて期待する旅行者が多いので、旅行業者が目玉にしているんじゃないかと思いました。永平寺の山門の四天王第3日目には白川郷を訪れましたが、白川郷に向かう前に金箔の製造・販売店を案内されました。『金箔の製造・販売店を案内されました』としているのは、期待したわけじゃなく無理やり連れて行かれたと思ったからこのような表現にしたのです。そうでしょう。金の商品なんて高くて買える代物じゃないと思えませんか。ところが、必ずしもそうではありませんでした。千円程度で買えるお土産が結構あるのです。上の写真は平安時代に遊ばれていた貝合わせの貝ですが、正確な価格は忘れましたが千円程度だったように記憶しています。買ってみても良いかなと思える価格です(私は買うようなことはしませんでしたがね)。金の茶室なんかもあって結構楽しめましたよ。この後、本来の目的の白川郷に向かいました。雪の白川郷は良いですね。趣があります。惜しむらくは合掌造りの屋根の上には雪がありませんでした。(合掌造りは屋根の雪が落ちるようあのような形になっているのです。旅行者の身勝手な思いです)帰りは高速の白川インターから日本海側を回って糸魚川-長野を通って上田に帰り新幹線で東京まで帰り着きました。上田の駅で新幹線料金を見て驚きました。東京-上田間の新幹線往復料金が12,960円なのです。なぜ驚いたかと申しますと、今回の旅行の費用が19,000円程度だったからです。これは上田からバスで700km以上を走り、2日間朝食つきのホテル代を含んだ金額なのです。どう考えても驚きです。兼六園に全く雪が無かったなど少々雪が不足していたという点で不満は残りました(自然現象だから仕方が無い)が、お安くて楽しい旅でした。(雪の安房峠越えなど少々不安でしたが、その不安は全くの危惧でした)
2010/03/03
コメント(2)
明けましておめでとうございます。私のブログも2005年1月1日に始めてから早5年に成ります。この間、旅の日記や徒然な独り言など449件の日記をアップしてまいりました。我ながら長く続いてきたものと感心いたしております。しかしながら、最近は記事にする出来事が少なく日記が途切れがちになっておりますが、これからもボチボチと綴ってまいりたいと思っていますので引き続き宜しくお願い申し上げます。
2009/12/31
コメント(2)
今年は我家の庭の紅葉がとても綺麗です。この庭の紅葉は毎年観ているのですが、何時もはそれほど素晴らしいとも感ぜず見過ごしてしまっているのです。ところうが今年の紅葉はこれまでに比べて非常に赤く色付き透明感のある色になりました。特に、カエデが朝陽に照らされて輝く姿は一服の絵のごとくです。こんなんでしたら他に紅葉を探して出かける必要も無かったんじゃないかとさえ思えます。
2009/12/02
コメント(1)
友人から無農薬栽培の里芋と八つ頭が届きました。この友人は毎年この時期になると自家製の里芋と八つ頭を送ってくれます。これが何と半端な量じゃないんです。写真のものはほんの一部で、その量たるや我々夫婦2人では2ヶ月から3ヶ月もかけないと食べられないほどの量なんです。この友人は、定年退職後両親が残してくれた畑でいろいろな野菜類を栽培しているとのことですが、中でも里芋がその土地に合っているということで、とても美味しいのです。これを農薬を使わないで栽培しているということですが、並みの苦労じゃないのではと思っています。ですから、それを頂いた我々も、友人の苦労に感謝しながら、味噌おでんや筑前煮の具にしていただいています。今年の物は、まだ頂いていないので何とも言えませんが、毎年頂くものは柔らかくて美味しいと本当に楽しみながら頂いています。以前、感謝の意を込めてデパートからお歳暮を贈ったのです。そうしましたら『こんな物を贈って来るんじゃもう送らないから』と言われちゃって、どのような形で感謝の意を返したら良いか苦労しちゃっています。そこで、ブログで紹介でもして感謝の意を伝えようってことで本日紹介させていただいているような訳なんです。公器を私用で使っちゃって御免なさい。
2009/11/27
コメント(0)
今日の夕方、近くの庭園の紅葉のライトアップを観に行ってきました。暗闇の中に赤く染まった紅葉が浮き上がり幻想的な風景を醸し出していました。写真はデジカメで撮影したものですが、3脚を使いませんでしたのでほとんどのものはブレてしまっていました。帰り道で道路わきにお地蔵さんを見つけて撮影しようとしたら、女房殿が『お賽銭も払わないで写真を撮ったのでは綺麗に写らないんじゃないの』などとのたまうので、お賽銭50円なりを納め、お参りをして撮影させて頂きました。ブレずに綺麗に撮れていましたよ。お参りしたお陰かな?
2009/11/23
コメント(0)
上田紀行氏の「がんばれ仏教」に触発されて昔読んだ紀野一義著「現代に生きる仏教1『いのちの風光』」を探し出して読み直していたら、”愛別離苦”という言葉が出ていました。愛別離苦とは、「愛する人と別れるのは苦である」ということで、四苦八苦の”生、老、病、死”の四苦の次に来る苦です。「愛する人と別れるのは苦である」ということそれ自体は自明の理であり、どういわけだか知らぬが、好きな人ができてその人のそばに生涯いたいと思っても、いやでもその人のそばにいられないようになっているような気がすると言っている。それでは、どうしたらその苦に向かい合わないで済むかと言う事になると、『法句経』という釈迦の誌を集めた経典のなかで、次のように歌われている。愛する者に会うなかれ憎む者に会うなかれ愛する者を見ざるは苦なり憎む者を見るもまた苦なりということは、愛する者に会わなければ良いということになるわけですが、実際にはそういうわけにはいきません。そこで「愛する者という眼でその人を見なければいい」のではないかとしています。愛する者をみるな、愛する者を嫌いになれといったってできっこないわけで、好きな者は好きなままでいい。ただ、それと同時に、好きでもない嫌いでもない人がそこに居るという冷静な見方を、片一方で持つようにしたらどうかとしている。これは中々深い洞察で、こういう好きでも嫌いでもない眼、これを『非情の眼』だとしている。非情の眼は、好きでも嫌いでもない眼、ものごとの奥底まで見抜く眼、情を知り尽くして情に溺れぬ眼であり、釈尊の眼は非情の眼であったに違いないとしている。私もこうであれたら良いなとは思いますが、なかなかそうはまいりません。私と妻とは結婚以来ずっと『それぞれが勝手に生きよう』ということでやってまいりました。これは結構いい訳で、相方が何を考えていようが、何をしていようが、お互いに干渉しないで、それぞれが好きなことをしていれば、喧嘩になることもないのです。自分の考えを相手に押し付けるようなことも無いので、相手が自分の考えに従わないといって腹を立てることもありませんし、何かしたいときでも相手の意向を推し量る必要も無いのです。だからといって家庭内別居のようになっているかといいますと、そんなことはありません。(実際に寝室は別になっていますが、これは私がイビキをかいて寝られないことがあるからです)旅行もほとんど一緒に行っていますし、スーパーに買い物に行く時も一緒にいっています。この他に私は友人と一緒にゴルフ旅行に行ったり、スキーに行ったり、勝手なことばかりしています。妻も、テニス仲間とテニス旅行に行きますし、学生時代の友人たちと奈良や京都に旅行しています。お互い許可を得るわけでもなく、それぞれ好きなことを好きなようにやっています。ひょっとすると『好きでも嫌いでもない眼』に近いのかななどと勝手な思い込みをしたりしている此の頃です。
2009/11/14
コメント(0)
11月5日(木)に月例のゴルフ練習会に行きました。10月は旅行が多くてまったく練習していなかったので、一度くらい練習しておかなきゃと思い、11月4日にゴルフレンジに練習に行ったら、打つときに足を踏ん張っている感じが全く無く、まるで手だけで打ってる感じでした。もちろんあたりも悪くて飛距離も出ません。これは明日のゴルフは悲惨な結果になるのではと思いました。実際コースでのあたりもまるで思いどうりではなく、惨憺たる結果になるだろうと覚悟していたのですが、結果は午前中49、午後55で、トータル104と思ったほど悪い成績ではありませんでした。ホールごとの明細は次の通りです。どうなっているんでしょうね。まるで当たりが悪くても、そんなにひどい結果にならないなんて。それでいて練習を積んで、素晴らしいショットを放っていても、あまり変わらない結果に終わるなんてね。練習した方が良いのやら、練習なんて意味が無いのやら?訳が解らなくなってきちゃいます。
2009/11/13
コメント(0)
【10月30日(金)】 晴この日は何も予定が無かったので近くの浜辺をブラブラ歩きました。のんびりするって良いですね。昼食は、ホテルの中にあるテイクアウトのお店でゲットし、プールの脇でいただきました。夕食は、先日スーパーで仕入れたビーフをバターで焼いてステーキにしていただきました。こちらの食品はボリュームが半端じゃなくて、注意をして選んだのですが、やっぱり草履の様にデカかったです。【10月31日(土)】 晴この日はホノルルへ移る日です。あさ6:30に空港に向かい、9:30のフライトでホノルルに向かいました。国内線で9:30のフライトなのに何で6:30に出なけりゃいけないのか疑問ではありましたが、コンドミニアムの受付のおばさんが3時間前に出発しなけりゃ駄目だって言うんで仕方なくそうしました。案の定空港ではゆっくり朝食をとっても、まだまだ時間が余っちゃいました。ホノルルに着いた後、チェックインには早すぎるのでどうしようかか、いろいろ考えました。でも、最初の日に重い荷物を引きずりながらショッピングセンターをうろついた時の苦労が身に沁みていたので、”エイヤー”とばかりホテルに向かいました。そしたら、どうでしょう。ホテルの玄関では、手荷物預かり係りが我々の荷物を受け取ってくれて、引換券を渡してくれました。その後、チャックインしたら、直ぐに鍵を渡してくれました。チョッと事務的だけど、スピーディで感じいいですね。部屋で用意されていたコーヒーなどいただいたあと、海岸に出かけました。そうです。ワイキキの浜辺です。ダイアモンドヘッドも見られます。人が多いな。マウイ島とはまるで違います。日本人も多いですし。三十数年前に新婚旅行で来た時のことを思い出してアラモアナ・ショッピングセンターに行ってみようということになりました。かってはワイキキの直ぐ近くだったように記憶していたので歩いて行きましたが、何とかなりの距離でした。30年前とは違ったところにあるのかね。記憶が定かでないので分かりません。ショッピングセンターに入ってみて二度驚き。昔のアラモアナ・ショッピングセンターとはまるで違います。まるでブランドショップが集まっているアウトレットみたいです。日本から来た若い女の子は”SALEよ!SALEしているよ!”などとはしゃいでいますが、ブランドに興味の無い我々にはまったく興味のもてないスポットでした。昼食時間になったのでレストランを探し、イタリアンの店に入りました。店員が髭を画いたり、魔女のような扮装をしたり”おかしな店だな”と思いましたが、何とこの日はハロウィンのお祭りの日でした。店の真ん中ほどの薄暗い席(西洋のレストランは日本と違い薄暗い店が多いのです)に案内してくれたので、窓際の明るい席にしてくれるように頼みました。『ちょっとまて』といって手配をしてくれてはいるようなのですが、なかなか案内してくれません。何か手こずっているようです。いろいろ考えてみましたが、こちらのレストランでは席毎にサービスの担当が決まっていて、客を順番に引き当てていることから、席を変えてくれるように言われても直ぐに”はい、はい”と変えることが難しいのでしょうかね。サービス担当者にとってチップは重要な収入ですから、その辺の調整が必要なのかななどと推測したりしました。パスタとピッツアをいただきましたが、結構いい味でした。今回の旅で食べた食事では最も美味しかったかな。ただ、ボリュームはしっかりあって、少々食傷気味ではありました。ホテルへの帰りはバスを利用しました。バスといっても外見は次の写真のように昔の電車のような姿をしています。グアムのバスも同じような姿をしていました。観光客向けにこんな形にしているのでしょうね。バス乗り場で案内係のオバサンにどうしたら乗れるのか訊いてみましたら、HISのバスはHISのカードがあれば無料で利用できるということでしたので、これはしめたとHISのクレジットカードを見せたら、そのカードは駄目だって言うんです。どうしてなんでしょうね。航空券もホテルもHISを通して予約しているし、れっきとしたHISのクレジットカードなんだけどな。どうもHISのパックツアーで出しているカードじゃなきゃ駄目なようでした。残念、残念この日もハワイの夕日を堪能することが出来ました。夕方、土産物を買いに街に出たら、メインストリートはハロウィンの扮装をした人たちがゾロゾロ、ゾロゾロと歩いていました。私たちも皆さんの扮装を見学しながら街を歩いてみました。いろいろ居ますね。おかしな格好をした連中が。この日は夜遅くまでガヤガヤ、ガヤガヤと賑やかだったようです。【11月1日(日)】 晴この日もやはり朝6:30にホテルを出て空港に向かいました。この日はタクシーでなく乗り合いマイクロバスを利用しました。乗り合いマイクロバスは前日に予約しておけば指定時間に迎に来てくれて空港まで送ってくれます。タクシーに比べりゃ遥かに安上がりです。このマイクロバスもホテルのコンシアージに相談して予約してもらったのです。ホノルルのコンシアージはしっかりしています。テキパキ、テキパキと対応し適切なサゼッションをしてくれます。やっぱりホノルルは観光で成り立っている街なのですね。そんなこんなで楽しい6日間のハワイ・マウイ島の旅は終わりを迎えました。朝出て昼過ぎに成田に着いたのですが、11月2日になちゃってました。ハイ今回の旅の反省点は、宿のロケーションを間違えた点でしょうかね。もちろん、行く前にショッピングセンターの場所や交通機関などについてある程度は調べては行ったのですが、宿から本格的なスーパーのある所まで30分以上もかかるっては思っていませんでしたし、レストランが近くに無いとも思っていませんでした。もう少し街の中心に近い宿を選ぶべきだったのかなってところです。(もっとも町の中心といっても地図や航空写真では良く分からないのですがね)
2009/11/12
コメント(2)
上田紀行著『がんばれ仏教』なる本はとても面白く参考になる書籍です。先週の水曜日(11月4日)に図書館に本を借りに行ったとき、たまたまこの本が目にとまったので借りてきて読んでみました。上田紀行は東京工業大学大学院助教授で、「仏教ルネッサンス塾」の塾長をするなど仏教に関心をもっている文化人類学者です。この著書では、上田は日本における仏教の現状に危機感を抱いており、現状のままでは伝統仏教は衰退し、早晩死に到るのではないかと危惧しているのです。今日伝統仏教は「葬式仏教」と揶揄されており、葬式をやる以外、布教活動をするでもなく、人々の悩みに応えるような活動もしていないし、もちろん文化や社会活動の中心としての働きをするような動きも無いことを嘆き。「その葬式においてもお経を読むだけで、遺族のケアが行われる訳でもなく、ありがたいお話の一言も無いというのが現状で、お布施の額だけが気になる。本来仏教とは何より人間の「苦」に向き合い、その原因を深く探求することで、そこからの解放へと導こうとする教えではなかったのか」と疑問を投げかけています。このような現状から多くの人たちが「仏教なんて何も期待できないし、また期待する意義も無い」と思ってるのに対し、既存の仏教界はそのことに何ら危機感を抱いておらず、手を打とうともしていない。しかしながら、思想としての仏教は素晴らしいと思っている人たちも多く、それに比べて現実の日本仏教はいったいどうなっているんだろうという疑問を抱いているのが現状ではないかとしている。これに対し上田は「仏教が使命を終えたとは考えておらず、それどころか、この時代だからこそ与えられた大きな使命があると信じているからである」としており、さらに「今日の日本は元気が無く、困難な時代を迎えている。この困難な時代に立ち向かい、未来を切り開く行動が今求められている。そして、仏教がこの時代の使命に大きな貢献をもたらすことが出来ると信じている」としている。その上で瀕死の仏教に『がんばれ仏教!』と心からエールを送りたいとしているのである。本編の中では活発な活動を展開しているお寺や僧侶を紹介し、そのような活動が広く展開されることを期待してるとしています。私自身30年ほど前に紀野一義の現代に生きる仏教『いのちの風光』、『佛との出会い』、『大悲風の如く』に出会い非常に感銘を受けたことから仏教に関心を持ち般若心経などに関する書籍なども読んだりしてきたのですが、それ以上前進することはありませんでした。上田も言っているようにお寺は葬式や法事以外関心が無く、お坊さんにしろ私の興味に応えてくれそうな人は身近には見付からないというのが現状でした。私が本書に興味を持ち参考になると感じたのは、仏教を生き返らせようとしている多くの僧侶たちがいて、その活動が広く展開されてきつつあるのではないかと感じたからです。皆様も一度本書(「がんばれ仏教」上田紀行)を読まれてみると宜しいですよ。とても面白く、読みやすい本です。「お気楽人間の暇爺が何言ってるの」なんて声が飛んできそうですね。
2009/11/11
コメント(2)
【10月29日(木)】 晴この日は朝8:30から10:00までテニスを楽しみました。気候はおだやかで、朝のうちは涼しく感じられるのですが、やはりテニスをやると暑くて汗が出てきてたまりません。早々に終えて部屋でシャワーを浴びて一休みしました。この日の昼食は、日本から持ってきたカップヌードルとグレープフルーツをいただきました。カップヌードル美味しかったよ。重い思いをして持ってきて良かった。食後、妻は疲れたから休みたいって寝ちゃいました。せっかくハワイまで来たんだから休んでばかりいないで海に出たらとは思いましたが、各人の自由なんで一人で海に出かけました。一昨日昼食を食べたレストランの前の砂浜で泳ぎました。一昨日昼食を食べながら、この浜辺は人が少なくていい感じなので気に入っていたのです。やはりこの日も殆んど人は居なくて、広い砂浜にぽつぽつと10名くらいでしたでしょうかね。水中眼鏡をかけて海の中を覗いてみましたら、砂浜だというのに結構魚が泳いでいるのです。そこで、近くの岩場に行って見ましたところ、岩陰には結構小さな魚たちが泳いでいました。ただ、波が来ると岩に押し付けられそうになって危険でしたので、程々のところで引き上げることにしました。この日は、夕方ハワイアンダンスショーを予約していたので、バスで2つ先にあるマリオット・ホテルに向かいました。こちらではハワイアンショーをルアウ(LUAU)と言うようで、このショーもルアウ - ホヌアウラと言ってました。主催者からのセールストークを掲載しておきます。『息を呑むマウイのサンセットと南国ムードたっぷりのワイルア最高のルアウをお楽しみ下さい。伝統的な貝殻のレイで出迎えを受け、カルアアピッグを開くイム(かまど)を開く儀式へアナタを誘います。ハワイアンの代表料理が並ぶバッフェ料理とダンサー達の洗練されたエンターテインメント。マウイの御滞在をより一層思い出深いものにします』ショーは、まず客から参加を募集してハワイアンダンスのレッスンから始まりました。こちらの人は我先にとどんどん出てきます。ダンサーの指導で皆さん楽しそうに踊っていました。その内とっぷり日が暮れてきて、プロのダンサーによる本格的ショーが始まりました。良いですね。エキゾチックでハワイにやってきたって感無量です。初めの内は所謂良く知っているハワイアンダンスで、最後は火を使ったファイアーダンスで締めくくられました。ダンスが終わって帰る段になったら、妻が海岸を歩いて帰ろうって言い出しました。おい、おい、まだバスも在るし、歩いて帰る必要なんてないじゃん。我家じゃ妻の言うことは絶対なので、仕方なく従うこととしました。最初の内は海岸沿いに舗装された遊歩道が続いていましたが、その内道が無くなり砂浜を歩くことになりました。スニーカーを履いていましたので、それ程苦痛という訳でもありませんでしたが、それでも砂浜を歩くのは少々くたびれます。それに誰も歩いてなんかいません。少々心細くもなってきます。ワイキキの浜辺なら歩いている人も居るでしょうがね。ここは昼でも人の少ないマウイの浜辺です。結局、30分ほども歩いたでしょうかね。いい運動になりました。
2009/11/09
コメント(0)
【10月28日(水)】 快晴この日はモロキニ島シュノーケリングツアーの日です。朝6:00に起きて宿の前で待っていたらシュノーケリングツアー会社の日本人スタッフのお姉さんが迎えに来てくれました。シュノーケリングツアーをやっている会社は数限りなくありますが、器具の使い方から現地での注意事項、緊急の場合の対応などいろいろコミュニケーションが必要なことが多いと思われることから日本語の話せるスタッフのいるツアーということでこのツアーを選びました。モロキニ島は、火山の火口のカルデラの一部が海上に現われている岩礁で、細い三日月形をしています。この三日月の湾の中でシュノーケリングを楽しむことができるのです。この岩礁には人は住んでいませんし、自然を守るよう注意が払われているので、透明度も高く、サンゴ礁や魚たちが豊富です。モロキニ島シュノーケリングに当たっては、自然を傷めないよう厳しい注意事項がありますが、我々には日本人スタッフの方がポイントだけ簡単に説明してくれました。一方他の皆さんには、船長が道具の使い方や注意事項を長々と事細かに説明しているようでした。要点は次のようなことのようでした。(1)岸に近づくと岩に押し付けられて怪我をするし、自然をいためることになるので、岸に近づかない(2)石や砂、海草など島のものは絶対とらない。撮って良いのは写真だけこの他にも、スケジュールや終了の合図のし方、浮きにボンベを乗せてパイプで空気を送って利用できる簡易ダイビング利用のセールスなどを話していたようですが、こんな話しを長々と20分もしゃべられたのではいい加減飽きちゃいます。でも、こちらの人は真面目に聞いていましたよ。日頃から長々と説明されるのは慣れているんでしょうね。こちらの社会じゃ説明が不十分だと何かあって訴えられた時不利になるので、事細かに説明するのかななんて勘ぐっちゃったりします。いよいよシュノーケリングが始まる前にスタッフの人から『浮きなど何も使わなくても自信がある場合は良いが、少しでも不安のあるひとはヌードルという浮きを利用した方が良い』というサゼッションがありました。私自身シュノーケルを着けていれば問題はないと思いましたが、歳も歳だし疲れて帰ってくるのが大変なことも無きにしも非ずとヌードルを借りることにしました。水は透明度が高くかなり深いところまで透き通って観られます。サンゴ礁の間をいろいろな魚たちが泳いでいます。『ちょっと潜って近づいてみようか』って思いましたが、潜れません。そうでした。浮きを抱えているんでした。浮きを手放して潜るという手もあるのですが、責任感の強い日本男児には出来ない相談です。仕方が無いので、ゆっくり波に漂いながら水面から海中を覗いて楽しむことにしました。そうそう、今回のシュノーケリングに備えて、ウォータプルーフのデジカメを持ってきたんです。PENTAXのOptio W60という機種です。水中10mまで利用可能という結構優れものですよ。ただ、ズームが駄目です。ズームしてもレンズを動かさないで、電子的に加工しているだけみたいなんです。これじゃ意味ないよね。もっともウォータプルーフでレンズを前後できるってのは無理でしょうね。水面から魚の写真を撮るってのは中々難しいですね。魚も動きますし、波に揺られて焦点も合わせ難いのです。最大の問題は、魚の背中しか撮れないってことです。結果は次のような写真ばかりでした。この後、船上で昼食をいただいたのち、海亀が多く見られるというポイントに移動しました。移動途中で船上から海面を泳いでいる海亀を見ることができました。これは幸先が良いね。これは希望が持てるぞと勇んで海に入りました。今回は広い範囲を移動しようと浮きを持たず、海亀が見られるんじゃないかと思われる岸近くに向かって進みました。約20分ほど進んだでしょうかね。海亀は影も形も見つかりません。そうでしょうね。この大海原を自由に泳いでいる海亀に遭遇するなんて奇跡だもんね。船を振り返ったら、何と遥か彼方まで来ちゃってるじゃないですか。つい海亀を探すのに夢中になって遠くまで来ちゃいました。『これはいけない』とばかり大急ぎで船に帰りました。船に帰り着いて廻りを見回したら、まだ誰も帰ってきていません。元気ですね。皆さんお若い人ばかりなのです。このツアーの参加者は。後で他の人に伺ったら、2匹も遭遇したって人もいました。熱意が違うんでしょうね。ツアーが終わって帰りにスタッフのお姉さんに『肉なんかを売っているスーパーが見付からなくて』て言ったら、スーパーまで送ってくれました。肉を売ってるスーパーが無い訳ないよね。ここはアメリカなんだもん。早速、肉やらなにやら仕入れてまいりました。この日の夕食は、日本から持ってきた”チンすれば出来るご飯”とステーキの豪華メニューでした。(豪華かどうかは疑問だがね)(つづく)
2009/11/06
コメント(1)
【10月27日(火)】 快晴朝、鳥のさえずりに目を覚ましました。爽やかな空気と鳥のさえずり、リゾートの朝です。この日はシリアルに紅茶、オレンジの朝食で済まし海岸に散歩に出かけました。(昨夜もシリアルだったからシリアル漬けになちゃいます)穏やかで静かな海です。港からはダイビングに向かう船が出航していきます。港の駐車場にはトレーラとおぼしき車が何台も駐車しています。ここはダイビング船の基地なのです。トレーラーはボートの牽引車だったのです。防波堤から海中を覗いてみたら小さな魚が群れています。生き物を感じるのは喜びです。いつまで見ていても飽きません。この後少し浜辺を散歩して宿に帰りました。8:30からプール脇でオリエンテーションがあるということなので妻と2人で事務所に出かけました。コンシアージのおばさんがオリエンテーションをしてくれるようですが、参加者は全員揃っているようなのに30分ほど待ってやっと始まりました。マウイ時間なんでしょうね。始まったらオプショナルツアーやイベントの説明を何と約1時間も延々と喋りまくります。半分も分からない英語の説明を延々1時間も聞かされて疲れちゃいました。あーあー疲れたよ。こちらの興味も聞かないで1時間も喋りまくるのはよしてよ。(後で感じたのですが、こちらの人は何かにつけて長々と喋りまくるってことです)この日は、この後朝訪れた港の脇にある浜辺で遊びました。小さな浜辺ではありましたが我々以外に誰も居ません。のんびりしていて良いですね。ぼんやり海を眺めながら、実際に海に入ったのは15分くらいで、泳いだのは20ストロークくらい、疲れてしまったので早々に引き上げることにしました。何しに来たのか分かりません。まあ、のんびりしに来たんだから良いか。宿に帰ってシャワーを浴びた後、昼食と買い物に出かけました。この日の昼食は、宿の直ぐ前にレストランを発見したので、そこに行きました。まさにハワイのリゾートそのものという雰囲気の良い感じのレストランでした。その後、30分くらい歩いて昨日のショッピングセンターの直ぐ隣にあるABCShopというスーパーに買い物に出かけました。ABS-Shopは、グアムにも店があって、そこには通常のスーパーマーケットと変わりない商品を置いていたことから期待をして出かけたのですが、この店には肉だとかは全く置いてませんでした。結局、昨日買い物をしたナチョラルフーズの店で冷凍サーモンとバターそれとパパイヤを買って帰ってきました。この日の夕食は、お湯を沸かして持ってきたカップヌードルを造り、それとサーモンのバター焼きをいただきました。食後の果物にパパイヤを頂きましたが、これが結構すばらしい味で、パパイヤを見直しました。パパイヤは初めて食したという訳ではなくて、これまでもパーティーなどで出ているものを食べたとこはありましたが、何か薬臭くて美味しくないと思っており、どうしてこんなものを有難がって食するのか疑問に感じていました。この時私が感じたことは、日本で食しているパパイヤは遠距離を移送することから未熟のものを収穫し、輸送中に蒸らし店頭に出しているものだから美味しくなくて、今回のパパイヤは美味しかったのは十分熟したものを収穫しているからではないかということです。この様なことはバナナやマンゴーにも言えることで、やはり産地で新鮮な食品をいただけば何だって美味しく頂けるのではないかと思います。夜に入ってから星を見ようと外に出てみました。凄いね。星がいっぱい輝いています。富士見高原でも同じでしたが夜空には多くの星が輝いているのですね。今や東京には夜空はありません。
2009/11/06
コメント(0)
10月26日(月)から11月2日(月)までハワイのマウイ島に行ってきました。【10月26日(月)】 雨この日は生憎雨が降っていましたが、それほどでもなかったので傘は使わず出かけました。成田空港でイザ出発という段になって雨が激しくなり離陸が遅れてしまい、19:50の出発予定だったものが約2時間ほど遅れて22時頃に離陸しました。その結果、ホノルル到着も2時間程遅れ、当日の10:00頃の到着となりました。夜の10時に出たのに当日の朝の10時に着いちゃって、何か儲かったような気がしました。これは日付変更線を越えてやってきたからでが、帰る時に1日取り返されちゃうんで、結局は何ら儲かったりするようなことはないのです。当然のことですよね。ハワイは快晴。南国の太陽がギラギラ照り付けて、晩秋の支度できた我々は暑くてたまりません。トイレに入って夏服に着替えをしました。ホノルル空港でハワイアン航空の国内線に乗り換えようとしたのですが、当然の事ながら予定していたフライトには間に合いませんでした。そうしたら、チェックインカウンターのオバサンが『予約されているフライトは出てしまっています』だって。オバサン、なんて意地悪なのかね。到着が遅れて、次の便に乗れるか、異国の地で心細い思いをしているのに、もうチョッと優しい扱いもあるんじゃないの。ハワイの空港のチェックインカウンターは、日本のカウンターとはまったく様相が違います。チェックインの係りが全員がオバサンなんですよ。だが、話しているうちに解ってきたんですが、このオバサンはとても陽気できさくなオバサンでした。意地悪なんかじゃなくて、チョッと事務的にやっただけでしょう。マウイ島に着いたら迎えにの人の中に私の名前を掲げた人が居るじゃないですか。あれ!ツアーでもないのに迎えの人が居るなんて?でも、よくよく伺ってみると、やはり私の迎えです。感激しちゃうな!日本の旅行会社はサービス満点です。ホテル(コンドミニアム)にチェックイン可能か電話で問い合わせてくれたり、タクシーを手配してくれたり、やってくれたこと自体はあまり意味のないことでしたが、何せ異国の地です、同朋が支援してくるのは心強いですよね。到着したのが12時前だったこともあり、まだチェックインできないとのことでしたので、一旦近くの町のショッピングセンターに立ち寄って昼食を食べた後、宿所に向かおうと言う事になりました。ショッピングセンターに立ち寄ったのは昼食を食べるということだけでなく、別の目的がありました。と申しますのは、このマウイの空港にはバスというものが一切来ていませんので、何処に行くのもタクシーに頼らざるを得ないのです。宿所までは50ドルから60ドルも掛かっちゃうんです。一方、ショッピングセンターからはバスが出ていて、このバスが何処まで行っても1回1ドルとお安いのです。そこで、ショッピングセンターまでタクシーで行き、そこから宿所まではバスで行こうって作戦です。これなら1/3くらいで行けちゃいます。ショピングセンターで時間を潰し食事をした後、バスに乗り込んだら、バスの運転手が何やら我々に叫んでいます。何だろうって、よくよく訊いてみましたら『荷物が大きすぎるから乗せられない。タクシーで行け』って言ってるんです。こんなの初めてです。大きな荷物を持っているからってバスが乗車拒否するなんて。あり得ませんよね。バスの運転手と喧嘩できるほどの英語力も無いので仕方なくバスを降りてタクシーで行きました。何とこのタクシー代が60ドルも掛かっちゃいました。センターまでのタクシー代が16ドルほど掛かりましたので、合計76ドルも掛かっちゃいました。全くの”骨折り損のくたびれ儲け”でした。まあ、これも一つのチャレンジと経験。旅はチャレンジが楽しみなんだから。宿所は思い描いていた通りのコテージ風のコンドミニアムでした。リビングは広々としていますし、ベッドルームがあって、キッチンもちゃんとしたのが付いています。バスルームの他に別のところにシャワールームも付いています。多分4名くらいで利用することも想定しているんでしょうね。良いですね。こんなコンドミニアムでゆったり寛いで明日への活力を充実するってのは。(そりゃ忙しく活躍しているビジネスマンの言うことなんだよね。私ら明日も暇なんだった)ちょっとソファーに寝転がったら、白河夜船。目を覚ました時には日が落ちてきていました。妻はぐっすり眠っているので、一人で海岸に出てみることにしました。しばらく砂浜を歩いている間に太陽が水平線に落ちていき、真っ赤な夕焼けに包まれました。到着当日から夕日を楽しめるなんて幸運です。大海原に落ちる太陽って雄大だな!!散策しながら、ふと明日の朝の食材のショッピングに向かうことを思いつきました。地図を見ながらショッピングセンターを探しましたが、衣料品や海のレジャー用品を扱っている店はあるのですが食料品を扱っているスーパーがなかなか見つかりません。やっと見つけたのが”Natural Foods”と書かれたお店。野菜などはそれなりに置いてあるのですが、ハムなどの肉類は置いていません。多分健康に良くないって考えているんでしょうね。他には食料品を扱っているお店は無さそうなので、仕方が無いのでこの店で食材を仕入れることとしました。”MILK"が無いか探していたら”SILK”というものがありました。ラベルを見たらシリアルにかけているような絵があったのでミルク風の飲み物だろうと購入。その他にオレンジジュースやミネラルウォーター、アイスクリーム、シリアル、グレープフルーツなど、何だかまとまりの無い買い物をしました。これだけで30ドル以上でした。高いね、ハワイの物価は。さらに悪いことに重いんだよね。何たって大きいのよ。オレンジジュースだって2Lもあるんです。これを持って宿所まで歩いて帰るのは難事です。大きな荷物を持って20分も歩いて宿に着きました。その後夕食をどうしようかということになったのですが、妻はあまり食欲が無いということと最寄のレストランまで20分も歩かなきゃならないことから『有り合わせで間に合わせよう』と言う事になりました。この日の夕食は、シリアルにSILKをかけて食しました。可笑しな夕食でした。その時分かったのですが、SILKというのは”SOY MILK(豆乳)”の略でした。(つづく)
2009/11/04
コメント(0)
今日は午後からハワイのマウイ島に旅行に出かけます。マイレージが47,000マイル溜まっているのですが、これでは韓国や台湾など近くしか行けません。後、3,000マイルあれば東南アジアやインドなんかまで行けます。残りの3,000マイルをゲットしようと4月に中国の桂林に行きましたが、この旅行は旅行社のツアーだったこともあってマイルはまったく得ることが出来ませんでした。(マイレージの取得はどんなタイプの航空券を利用したかで決まるようで、旅行社のツアーではできるだけ割安な航空券を利用するように手配することから乗る直前まで航空券の種類が分かりません。結果としてマイルがゲットできるか否かは、乗る直前にならないと分からないようになっているようです)そこで今回の旅行はリゾートでの滞在であることもあってマイルを確実にゲットしようとツアーを使わずに行くことにしました。そんなことで、宿泊はホテルを使わずコンドミニアムを利用することにしました。ところが、結果としては結構費用がかかることになっちゃいました。こんな事だったら、溜まったマイレージなんか捨てて、ツアーを利用してバリ島にでも行ったほうが結果としては安く上がったんじゃないかなんて反省しきりです。もっとも、リゾートもグアムやバリ島など安上がりの場所ばかりじゃなく、ハワイにも行ってみたいという思いもあったので、『まあいいか』ってなところです。そんなこんなで、ハワイもホノルルのあるオアフ島じゃなく、静でユッタリできるマウイ島を選んだのです。ハワイは新婚旅行で行って以来、何十年かぶりです。楽しみだな。楽しめるかな?ワクワクです。
2009/10/26
コメント(1)
今朝の朝日新聞に『これが日本の原風景だ』という特集が載っていて、そこで小学校唱歌『故郷』の生い立ちが紹介されていたので、早速YouTubeで探して聴いてみました。小学校唱歌って良いですね。心が安らぎます。子供の頃、こんな歌を学んで何時も口ずさんでいたんだったと思い出されます。今日の小学校ではこのような歌を教えているのでしょうか?日頃ニュースで子供たちが肉親や友達などを傷つけたりするニュースを聞いたりすると心が痛みますが、こういった歌を学んで口ずさんでいたらそんな子供に育たないんではないかと思ったりします。どうなんでしょうね。老人の感傷なんでしょうかね。何か世の中すべてがギスギスしていて、ゆとりが無いように感じます。商店街なんかでもガンガン激しい音楽を流しまくるんじゃなくて、緩やかで心和む小学校唱歌なんかを流せないもんでしょうかね。(パチンコ屋なんかじゃチョッと無理かな。軍艦マーチなんかの方が勇ましくて良いかも)昔を懐かしむ老人の戯言でした。
2009/10/24
コメント(0)
10月18日(日)から20日(火)まで、弟と友人夫婦と一緒に長野県と山梨県の県境にある富士見高原にテニス合宿に行ってきました。10月18日(日) 晴この日は晴れてはいましたが、モヤがかかっているようで秋晴れというわけにはいきませんでした。8時30分に家を出て、近くの駅で弟をピックアップし、友人宅で友人夫婦をピックアップし、八王子インターから小淵沢を経由して、富士見高原に向かいました。日曜日でしたし天気も悪くなかったので、中央高速は渋滞気味でかなり時間がかかるのではないかと思って早めに出たのですが、渋滞はまったく無くむしろ全体的に普段よりスピードを出して走っていて、予定より大幅に早く11時前に着くことができました。予定では途中で昼食をとった後宿舎に入ろうと考えていたのですが、11時前に昼食と言う訳にもいかず、そのまま宿舎に入りました。富士見高原は、八ヶ岳の麓に広がった爽やかな高原で、市町村や学校の研修施設や企業の保養所の多いところです。今回の宿舎は、市の青少年向けの教育用施設です。お役所仕事だから無理かなとは思いましたが、受付の係りの人に『着替えをしてテニスをやりたいのだが、可能か』と伺いましたら、『まだ、準備中なので部屋は利用できないが、着替えは浴室を利用し、荷物は体育室に置いておいて良い』とのお許しが出ました。良かったね!駄目だと言われたら困ってしまうところでした。『テニスコートは少し傷んでいるが、空いていれば自由に使って良い』ということでしたので、早速着替えをしてテニスコートに向かいました。テニスコートは、写真のように緑に囲まれ素晴らしい環境の中にあります。(緑の葉は、黄葉していました)コートが少し傷んでいるとは言ってはいましたが、一部ヒビがある程度でまだまだ立派なものだと思えました。しかし、実際にやりはじめると、ヒビの所に玉が当ると在らぬ方向に玉が飛んだりしました。練習の間はそれほど問題だとは思いませんでしたが、ゲームに入ったらヒビのお陰で思わぬ結果になったりして少々抵抗がありました。1時過ぎまで楽しんだ後、蕎麦屋で昼食をとりました。この後、近くにあるテニスコートが幾らで借りられるか調べてみましたところ、1時間2,200円だとのことでした。1時間2,200円だなんて出鱈目な値段だね。軽井沢だって1時間1,500円で借りられるって言うのにどうなってるんだろう。仕方が無いので、そのまま市の施設のコートでテニスを続けました。この宿泊施設では、最初の日は4時30分からの入所オリエンテーションに出席することを義務付けられています。成人だけでも利用できるようにはなってはいますが、本来の趣旨は青少年教育の場として用意されている施設ですので、青少年の研修での利用を想定した利用手順を守ることが求められるって訳です。私共も4時頃にテニスを切り上げオリエンテーションを受けました。良いですね。青少年に還った気持ちになってオリエンテーションを受けるなんて。少年少女の参加者が多数来ていて大変な騒ぎだったんじゃないか?と思われますか。いえいえ!まったく静かなものでした。この日の利用者は我々5名だけだったんです。100人から200人は利用できようという大きな施設を我々5人で独占して利用させて頂きました。お風呂も大きな浴槽でゆったりと楽しめましたし、食事も我々だけでゆったりと楽しむことができました。少々もの寂しい感はありましたがね。風呂で思い出しましたが、研修施設なのに、夕方は4時半から風呂が利用でき、朝も風呂が沸いているのです。何と素晴らしいサービスなんでしょう。その上、利用料金は市民でしたら1泊400円、市民以外でも800円とデラ安です。食事だって夕食が800円で、朝食が400円ですよ。いい加減な料理じゃないのだって。そんな事ありませんよ。旅館並です。どうしてこんなに安いんでしょうね。青少年の健全な育成を願っての施設だからなんでしょうね。いっそのこと。『老人自然の家』とでも名打って広報したら大いに賑わうんじゃないでしょうかね。市長に言っとこ。10月19日(月) 晴この日は、朝9時からテニスの練習を楽しみました。勿論その前に朝風呂を楽しみましたよ。昼食は、カントリーキッチンというレストランでいただきました。アメリカの田舎風とでも言うのでしょうかね。良い雰囲気のレストランですし、料理も中々の味でした。こちらに来れれたら是非とも寄ってみられることをお勧めします。午後はテニスは止めにして、横谷渓谷に紅葉を観に出かけました。横谷渓谷は紅葉が真っ盛りで、赤・黄の紅葉が緑の木々に照り映えて素晴らしい景色を楽しむことができました。また、写真の”乙女滝”をはじめ幾つかの滝があり、オゾンを胸一杯吸ってテニスの疲れを回復することができました。(少々無理があったかな)この日は、素晴らしい快晴でしたので、夕食後星を見ようと庭に出て夜空を仰ぎ見ました。凄いな!!こんなにお星さんがあるなんて。都会では、夜空を仰いでも、数えられるほどの星しか見られません。こんなに星があるなんて忘れてしまっていました。再発見です。10月20日(火) 曇りこの日は、テニスはせず、朝から宿にお別れをして、入笠山(にゅうがさやま)にハイキングに向かいました。入笠山は、標高1,955mとかなりの高さの山で、本来ならハイキングと言う訳にはいかない山ですが、スキー場ができ1,800m近くまでゴンドラドープウェイで登れるようになったことから、誰もが気軽に訪れることが出来るようになりました。この山の売りは360度の展望ですが、生憎この日は曇っている上、空気がモヤッていて、周りの山々はシェルエットでしか見ることができませんでした。残念!!また、山頂の下には湿原があり、春や初夏には高山植物も楽しめるようです。来年の夏前にまた来たいものです。
2009/10/22
コメント(0)
10月12日(月)に宇都宮に出かける用があったので、そのついでに会津・磐梯方面に3日ほどドライブ旅行をしました。宇都宮での用件は1時間もあれば終わってしまうもので、宇都宮に用があって出かけたついでに旅行をしたのか、旅行をしたかったから宇都宮に用を作ったのか、そこのところは怪しげなものではあります。10月12日(月) 晴れこの日は、JRで宇都宮まで行き午前中に用件を済ませ、レンタカーを借りて会津方面に向かいました。宇都宮からこの日泊まる予定の芦の牧温泉にナビを設定したら、高速で会津若松まで行きそこから芦の牧温泉に戻るルートが設定されたので、これでは無駄が多いと思いいろいろ変更しようとしましたが、変更することができませんでした。自分の車のナビでしたら簡単に変更できるのですが、初めて使うレンタカーのナビではどうしたら良いのやらわからず、結局そのままでスタートしました。白河に来たところで、ナビを無視して高速を降り一般道路を走り始めました。ナビは強情なので、また高速に戻るようなルートを指示してくるのではないかと思っていましたが、そうはならず目的地方向に直線的に向かう道を選んでくれました。ナビに従ってしばらく走りましたが、道がドンドン細くなり対向車とすれ違うのが怖いほどになってきました。しかし、細い道にもかかわらず対向車が多く、中でも首都圏ナンバーの車が多かったことから、連休最後の日で旅行帰りの車が走っているのだから目的方向に確実に向かっているものと確信しそのまま走り続けました。途中で、”大内宿”という観光案内の看板を見つけましたので、そちらに立ち寄ってみました。大内宿は、昔の街道の宿場で、藁葺きの古い建物が残っているということでテレビでも紹介され最近人気が出てきている観光ポイントです。大内宿に辿り着いてみたら、そこは車、車、自家用車や観光バスがいっぱい駐車されていました。そうだったのか、ここから帰りの車が走っていたんだ。会津若松や磐梯高原の観光客が帰るにしてはおかしいと思っていたが、これで納得でした。【大内宿】大内宿は、写真のように街道筋の道路に沿って古い藁葺きの建物が並んでいました。特徴としては建物が同じ向きに建てられ同じような形をしていることです。これらの建物は、かっては旅籠だったのではないかと思われますが、藁葺きの建物とはいえ非常に大きく立派な建物です。このような建物を維持していくことはさぞかし大変ではないかと、他人事ながら思いやられました。観光するからといって入場料を取っているわけでもありませんので、維持費は所有者が負担しなければならないのでしょう、ほとんどの建物が土産物屋あるいは食べ物屋(蕎麦屋)になっています。観光客が多いの何のって、大変な混雑です。日曜日の渋谷の交差点ほどかと思われました。駐車場が車でいっぱいなんだから当然のことなのかな。この後「芦の牧温泉」の宿に入りました。この日の宿は、川縁の絶壁の上に立っていて景色の良い部屋に通されました。宿の方の話では、もう少し先になると紅葉が素晴らしいということでした。宿に入ったら早速温泉に浸かりましたが、何と温泉の湯の温度がメチャクチャ高く、ほうほうの体で引き上げて、休憩所で火照った体を冷やしていたら、係りの方とおぼしき女性が『男湯は熱かったですか』だって。『熱いの何のって!まるで東京の銭湯のようだ』って言ったら(実を言えば東京の銭湯には入った経験はないのですが、東京の銭湯は熱いって言われてますのでそう申したまでです)『この温泉は源泉掛け流しで、水で薄めることはしていないので、温度調節が難しく、熱すぎるようなこともある』『女湯は私が調べて調節してくれるように係りに頼んでいるが、男湯は・・・』だって。『それは無いだろ。温くするように頼んでおいてよ』寝る前にもう一度入ったときには適温に調節されていました。10月13日(火) 晴れこの日は、まず会津若松市内に入り、若松城(鶴ヶ城)を見学しました。会津藩は、明治維新の折幕府側につき戊辰戦争で新政府軍に攻撃され、お城もやられてしまったので、現在あるお城は戦後(第2次世界大戦後)再建されたコンクリートの城ですが、中には会津藩の歴史や鎧兜などの遺物が展示されており、興味を持って見る事ができました。鶴ヶ城を後にして、猪苗代湖の方に廻り、続いて五色沼に向かいました。ナビに従って進むルートでは紅葉にめぐり会いそうにないことから、ナビの指示を無視して出来るだけ高いところを通るルートで進むことにしました。ところうが、ナビは行っても行っても元のルートに戻るよう指示してきます。それを無視して進むのも大変ですが、無視しつづけて進んでいきましたら、ナビも根負けして私が望むほうの有料ドライブウエーにルートを切り替えてくれました。ナビを無視してやってきて良かったですね。ドライブウエーに入ったら、早速木々が黄葉しています。【磐梯山】黄葉を楽しみながら暫くドライブしたところで休憩に入り、猫魔八方という所まで少しばかり登山道を散策してみました。黄葉が素晴らしいですね!!楓やもみじなどの木は無く、ブナやナラなどの木なので、赤く紅葉するという訳にはまいりませんが、黄色い黄葉もまた良いものです。真っ青な空に黄色と緑の葉が映えて素晴らしい眺めです。散策の後、峠を越えて道を下り、五色沼に向かいました。途中で昼時になりましたので、昼食に蕎麦でもと思い、「手打ち蕎麦」の旗のある店に寄りました。あれ!ここ蕎麦屋?フランス料理のレストランと違う?フランス料理のレストランなんかじゃありません。”蕎麦”の暖簾が出ています。中に入って、またビックリ。やっぱりフランス料理のレストランじゃない。ベルサイユ宮殿風のテーブルと椅子だよ。潰れたフランス料理レストランを居抜きで買って開業したんじゃないでしょうかね。皿まで洋風だもんね。メニューが来て、また驚き!!皿蕎麦(ざる蕎麦のことか)が1,100円。大盛りだと500円上乗せ。結局、1,600円もの蕎麦を食べさせられることとなりました。観光地価格なのかね。はたまた、負債の整理に協力させられてるのかな?【五色沼湖沼群】五色沼は裏磐梯高原観光のメインスポットです。”毘沙門沼”に始まり、”赤沼”、”みどろ沼””弁天沼”、”瑠璃沼”、”青沼”、”柳沼”といったさまざまに水の色の異なる沼が連なっています。【毘沙門沼】最も大きく水が澄んだ変化に富んだ沼です【青沼】最も青白色に光っていて神秘的な沼です五色沼湖沼群の散策には約1時間ほどかかりますが、最後は入り口から最も離れたところに着くため、車で行った場合元に戻る必要があります。この日は、歩いて帰るつもりで出かけましたが、最後になって雨が降り出してしまいました。出るときにはお日様が燦々と照っていましたので、傘を持たないで来てしまった私たちは大慌てでした。終着地点に行ってみましたら、そこにバスが止まっていて、運転手と思しき人が我々を見付けて「五色沼入り口まで240円です」だって。見透かされているんだね。見透かされていたって何だって良い。傘もないのに雨が降り出して困っている我々にとっては天の助け。バスに乗って5分程で五色沼入り口に着きました。この日は、この後「大塩裏磐梯温泉」の宿に泊まりました。10月14日(水) 晴この日は、天気予報では雨だということでしたので、「雨なら喜多方に行って喜多方ラーメンでも食べて帰るか」ということにしていましたが、朝起きてみたらドンピカの快晴でした。それではということで安達太良山登山に向かいました。【安達太良山】安達太良山は、日本百名山のひとつです。山の頂上部分がチョッと乳首のように飛び出た面白い形状をしており、この部分を乳首山と呼んでいるようです。全体はオッパイのような形状と言えましょう。詩人・彫刻家として有名な高村光太郎が「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が、智惠子のほんとうの空だといふ」と詠み、智惠子の故郷としても知られています。この山は、写真のように緩やかな山で登山と言うかトレッキングあるいはハイキングと言ったような気持ちで登れる山でしょう。しかし、山に向かう人はトレッキングシューズはもちろんのこと、本格的登山に向かうような姿で出かけていらっしゃいます。我々はといえば、旅行者に毛の生えたような出で立ちで山に挑戦しました。遭難でもしたら中高年の無謀登山だと叩かれちゃうかな?自己弁護する訳じゃないのですが、靴は山歩きも出来るウォキングシューズで岩の上でもなんら問題なく歩けるものでしたよ。登山口からはゴンドラに乗り薬師岳というところから歩き始めました。まず始めは板敷きの木道が整備されており、ルンルンの気分で登ることができましたが、暫く行くとバラストを敷いた道に変わり、それも過ぎると今度は岩がゴロゴロしている登山道になってきました。最後の乳首山はチェーンを辿って登る岩登りです。本格的登山の雰囲気を味わうことが出来ました。頂上に着いてみたら、顔見知りの人がいらっしゃるじゃありませんか。そうだ、田部井淳子さんだ。あの有名な登山家の田部井淳子さんも登ってらっしゃる山なんですよ。素晴らしいな!山の頂上で田部井淳子さんに会えたんですよ。得しちゃったような気分です。乳首山を降りた肩の辺りで持ってきた弁当を開いて昼食です。弁当はコンビニで仕入れてきた「助六寿司」と「おにぎり」です。山の空気の中で食べる弁当は美味しいな。安物のコンビに弁当でも、昨日の1,600円の蕎麦に比べりゃズッと美味しかったよ。山を降りたら一路宇都宮へ車を飛ばし、JRに乗り換えて帰還しました。
2009/10/16
コメント(2)
このところ暫くブログをお休みしていたら、友人からブログが更新されていないので「体でも悪いのか心配していたんだよ」と叱責の言葉をいただいてしまいましたので再開することとしました。実を言うと、体が悪かったなどということは全く無く、ピンピンしていました。ただ、努力をしているにも拘わらずゴルフの成績が全く改善せず、日記を書く元気を失くしてしまっていたのです。その結果として、読んでいただいている人に心配をかけたのでは申し訳ないと反省し再開することとしました。今日は、昔の仲間と出かけたゴルフ合宿の話から始めます。昔の仲間とゴルフ昔働いていた会社のOB仲間が友人の山荘に集まり、10月1日(木)と2日(金)の2日にわたってゴルフを楽しみました。9月30日(水) 曇り時々雨この日は、鍋をつつきながら明日への闘志を高める予定でしたが、仲間の一人が「義母が亡くなりいろいろ相続などで苦労している」との話を出したので、早速相続問題で議論が沸騰しました。この御仁は、奥さんを亡くした後も義母を世話してきた世にも稀な孝行ものです。皆もこのことはある程度は知っており、その彼が相続問題で苦労しているとは、一体どうなっているのか大いに憤りを感ぜざるを得ず、「どんなことで苦労しているのか」皆が早速促成弁護士に変身して問題解決への提言や相手に対する対応の作戦を繰り出してきました。血のつながっている実子の義弟が居るのですよ。男手一人で奥さんの母親の世話をするなんて考えられますか。とても考えられません。その義弟は、義母が生きている間は面倒を見ず、彼に面倒を見てくれるようお願いしていたのです。ところが、義母が亡くなるやいなやまったく不条理な相続権を主張してきたというのです。確かに如何に長く世話をしようとも法律上は配偶者と実子以外には法的相続権はまったくありません。(皆様もこの事はよく知っておいた方がよろしいですよ)だからと言って、本人自身がお願いしてきていたのに、亡くなったらとたんにそれまで世話など無かったかのように掌を返して不条理な相続権を主張してくるのは許せません。ところが、「人がいい」というか「おっとりしている」というか、何だか頼りのないことを言っているのです。皆は、自分のことのように興奮し、ありとあらゆる知識を総動員して、対抗策と今後の対応について提言を繰り出して行きました。たまたま、参加者の中には不動産関連の係争に巻き込まれて裁判で争った経験を持つ者や、今まさに相続問題で争っていていろいろ知恵を付けている者など多士済々で、その場が即席裁判所にでもなった雰囲気となってきました。議論は法的知識のレクチャーに始まり、悪知恵を付けるやら激励するやら夜遅くまで議論が続きました。この討論は、言い出した本人だけじゃなく皆にとっても勉強になりました。日頃は遺産相続問題など他人事のように思っていましたが、身に詰まされた具体的事例を前に議論して学んでおくと、いざという時には役立つでしょうね。自身の遺産の問題を含めて。あそうか!紛争が起こるほどの遺産など無いんだった。良かった!良かった!10月1日(木) 曇りこの日は、予報では雨になるということでしたが、チョッとパラパラと来た程度で日が差して暑いほどのゴルフ日和でした。プレーは、個人戦でそれぞれが日頃の修練の結果を出して頑張りました。この日の私の成績は、午前中47と希望の持てるスコアでしたが、午後になって60とメチャクチャに叩いてしまい、合計では107と納得のいかない結果となりました。修行が足りない。まだまだだね。この成績をもとに翌日の団体戦の組み合わせを決めました。この日のプレーは、前半と後半の間に昼食を入れずスルーでプレーしたので、2時前に終わりました。この後、風呂で汗を流した後昼食をと思っていましたが、係員に「先に昼食を終わらせてください」と促され仕方なく昼食をとった後、風呂に浸かり疲れを流しました。ゴルフの後ゆったりと風呂につかるのは良いですね。この世の極楽です。山荘に帰ってもまだまだ明るくやることも無いので早速牛シャブを突きながらの宴会に流れ込みました。この日の議論はテーマを変えてやろうということになり、民主党の政策について議論することとしました。民主党の政策となれば、何と言っても目玉は「2万6千円の子育て支援」です。「小子化対策上、有効な施策だ」とする者のあれば、「選挙目当てのバラマキ政策だ」と厳しい批判をする者も現われ、民主党支援派と自民党支援派に分かれて、さっそく掴みかからんばかりの大激論です。「2万6千円もらったからといって子供を造る人が居るか」「日々の生活費にも苦労している人たちにとっては、干天の慈雨であり有効である」「2万6千円で子供が育てられるのか」など、ありとあらゆる詭弁を繰り出してディベートとなりました。最後に民主党支援派から「子供は社会の宝であり、皆で負担して育てる姿勢が大切だ」という意見が出され、「この姿勢自体には異論はないが、方法が姑息な点に問題がある」といったところで意見の集約がなされました。その後、日頃から右派だと目されている仲間が「自民党の政治には問題が多かったので、政権交代は仕方が無かったが、民主党の安全保障政策では将来どうなるか分からなくて不安だ」と言い出し、議論は安全保障問題に展開していきました。安全保障問題となると自民党支持派と民主党支持派の意見の対立は一層激しくなり、抜き差しなら無い状況となります。より真面目に学習している保守派の意見に押され窮地に立たされた民主党支持のリベラル派から「お前は右翼だ」なんて罵声が飛び出し、今にも掴み掛りかねない嫌悪な雰囲気となりましたが、中間派から「まあ、この話は100年経っても平行線だから、明日も朝早く起きなきゃならないことだしここらで打ち止めにしよう」という提案があり、議論はここまでとし就寝しました。こんな話しを聞くとお互いいがみ合っているのかと思われるかもしれませんが、実を言うと本当はディベートを楽しんでいるのであって、仲良しな仲間たちの集まりでです。10月2日(金) 曇り天気予報ではこの日は雨ということでした。しかしながら、たまにはパラパラ落ちてくることもありましたが、プレーをしている間は続けられなくなるほどの雨にはならず最後までプレーすることができました。この日は、二組に分かれてスクランブル方式で競技する団体戦で楽しみました。スクランブル方式は、一緒にプレーしているメンバーのショットの中からベストショットを選択し、全員がそこから次のショットを打つという方式でプレーをするもので、結果はメンバーの誰にも出せない良い結果になります。スクランブル方式では、一般に下手な順に打ち、次の人は前者の結果を見てどのようなショットを打つか選択できることから、メンバー全員が別々にプレーし最も良い結果を選ぶより良い成績を得ることができます。この日の成績は、私が入っている組が3オーバー(39)とプロ並の成績で勝ちとなりました。この日の夕食は鍋物でなく、シェフ係りの私が「豚の冷シャブとキュウリのたたき和え」と「洋風肉じゃが」を用意して提供しました。この日は、夕食が美味しかったこともあり激しい議論は無く、和やかな中で昔語りや孫の話など他愛ない話しを楽しみました。10月3日(土)これまではゴルフ場で朝食をいただいていたのですが、この日は山荘のオーナー氏が用意してくれた「味噌汁」と「出汁巻き玉子」の朝食をいただき、その後山荘の掃除をし、帰路につきました。
2009/10/07
コメント(0)
5月25日(月)と26日(火)に長野県の佐久地方の八千穂高原にある友人の山荘を利用させていただき、佐久リゾートゴルフ倶楽部でかって勤めていた会社の同期入社の仲間とゴルフの集まりを持ちました。利用させていただいた山荘は、八千穂高原の別荘地のカラマツの林の中に建てられた山荘で、大きな暖炉のある居間でくつろげる素晴らしい山荘です。この時期は新緑が青々と芽を出し清々しさを演出してくれます。家の前には大きなウッドデッキがあり、爽やかな五月の薫風が頬をなで、高原のリゾートにやってきたって感じられます。佐久は東京からは遠いので、翌日のゴルフに備え24日(日)の午後(3時前)に山荘に入りました。この日集まったのは、東京近辺から来た7名と遥々大阪からやってきた1名の合計8名です。この山荘は標高1,200m程の所にあるので、5月とはいえ夕刻になると冷えてきます。そこで山荘に着いたら早速暖炉に火を入れました。この暖炉の火を起こす作業がまた楽しみなのです。まず、新聞紙をグチャグチャに丸め、その上に枯れ枝などのオキを重ね、その上に丸太を重ね合わせて、新聞紙に火を点けて燃やします。枯れ枝までは簡単に火が点くが、その上にいきなり丸太では火が点かないのではと思えるでしょう。一般に丸太を割ったものを燃やしますが、この暖炉ではいきなり丸太でも火が点くのです。暖炉の火がメラメラと燃えあがると心が和みゆったりした気分になってきます。ゆったりした気分になれば、次はアルコールということになります。まずはビールで喉を潤し、入社当時のことなど昔話が弾みました。「アルコールだけでは」などと思っていたら、友人の一人から”おつまみ”の差し入れが提供されました。この友人は見かけによらず良く気が付くんです。以前も差し入れにおかきやピーナツなどのおつまみを用意してくれていました。(他は日頃は据え膳でやっているので、なかなか気が利かない連中ばかりです)今回も同様のおつまみをどっさり仕入れてきてくれました。おかきとピーナツのおつまみでビールをやっていると、今度は山荘のオーナー氏が本格的中華料理の酢豚を作って出してくれました。やあ、やあ、本格的に宴会の始まりです。美味しいね。この山の中で本格的中華料理がいただけるなんて。だが、この酢豚はあっというまになくなってしまいました。そうでしょう。一皿の酢豚に8人が手を出すんですから。つづいて八宝菜が出てきました。イヤー凄い!オーナー氏は中華の達人だ!ところがドッコイ。玉ねぎや白菜など一品入れるだけで簡単にできるレトルトの中華料理があるのです。世の中便利になりましたね。この日は参加者の昔の恋愛話や失恋話などが暴露されたりして大いに盛り上がり夜更けまで話し込みました。5月25日(月) 晴れ朝の5時に起きだしてくる輩がいます。幾ら高原の朝が爽やからだと言ったって。かっては何時も遅刻間際に飛び込んできた輩が朝5時に起きだすなんて。でも、毎日夜は9時前には就寝するんだって。みんな歳なんだよね。10時頃のスタートを予約していたのに、8時にはコースに着いちゃいました。スタート時間を早められないか交渉したところ、9時過ぎにスタートを早めてくれました。空いてるんです。ガラガラなんです。ゴルフ場が潰れないかって心配になっちゃいます。良いですね、この時期のゴルフは。この日は暑からず寒からず、気候もよくて、天気も良くて最高のゴルフ日和でした。それで成績はどうだったって。今一つ納得いかなかったけど、まあまでした。この辺が実力でしょうかね。ゴルフの後、スーパーに立ち寄り料理の材料を仕入れました。この日は私が料理作りを担当しました。料理の材料は、牛肉2パックに豚肉2パックとベーコン、モッツアレラチーズ、玉ねぎにジャガイモ、ニンジン、ニラ、スナップエンドウ、トマト、モヤシ2袋など等、普段は考えられないほどの品と量を仕入れちゃいました。料理担当の私としては「こんなに沢山仕入れて使いきれるか」不安がいっぱいでした。山荘に帰りついたら早速料理開始です。まず、友人の一人からの提案で直ぐに食べられるものということで、”トマトとモッツアレラチーズのサラダ”を提案者とオーナー氏が作りました。(料理の写真を撮り忘れたのでインターネットに掲載されているレシピから料理を想像してください。アドレス: http://www.morinagamilk.co.jp/menu/food/recipe_side/009.htm)ちょっと味見させていただきましたが、とても美味しかったです。このサラダを肴にビールを飲んでいる間に”タッキー鍋”なる次の料理を作りました。タッキー鍋はジャニーズのタッキー(私は知らないタレントです)がテレビで紹介していたという料理で、妻がよく作るので覚えた料理です。土鍋にモヤシ、ニラ、豚肉を順に何段か積み重ね塩・コショウで味付けして蒸し焼きするだけで出来上がるという全く手のかからない簡単な料理です。(ジャニーズのお兄ちゃんが紹介する料理なんだから簡単に決まっているのです)これをポン酢でいただくと結構美味しいのです。この日も評判が良かったようです。(台所の様子が良くわからなくて、塩と砂糖を間違えて入れてしまいました。私自身は全く味見をしませんでしたが、すぐに無くなっていたようです)すぐに無くなってしまいそうでしたので、急いで次の料理を作りました。次は”スナップエンドウとジャガイモ、ベーコンのバター炒め”を作りました。この料理は、名前の通りの料理で簡単なものです。その料理をお出したあとすぐに次の”洋風肉じゃが”に取り掛かりました。洋風肉じゃがは、肉じゃがをトマトソースとトマトケチャップで味付けし洋風にした肉じゃがで、汁を多めにしてスープ風に作りました。皆さんにスナップエンドウの料理をお出しした段階では、何も準備していなくて、まずジャガイモの皮むきやニンジン、玉ねぎを切る作業から始めなくちゃならないという普通の料理の手順からいったら出鱈目の手順で進めざるをえませんでした。この段階で皆さん酒も進んでいましたので、ご飯の準備も必要ということに気が付き慌ててご飯を炊き始めました。結局料理ができた段階でまだご飯が炊けていなかったので、ご飯が炊きあがるまで料理のガスを止めて最後にもう一度煮立てて出すような手順となりました。煮物でしたので問題はなかったのですが、炒めものだったら惨めな結果に終わっていたでしょう。バタバタ、バタバタと慌ただしく料理作りに専心していて、何も食べられませんでしたが、ここに至って料理作りがすべて完了しましたので、私もゆっくり落ち着いて洋風肉じゃがでご飯をいただきました。自分ながら結構美味しく出来上がっていました。この日もその後話し込んで結局床に就いたのは12時を超えていました。5月26日(火) 快晴前日に零時過ぎまで起きていたので、さすがにこの日は5時に起きだす人はいませんでした。この日は、A、B2チームに分かれて組み毎のスクランブル方式の団体戦でプレーしました。スクランブル方式というのは、各人が打って最もいい結果と判断したボール(ベストボール)を選んで打っていく方式です。結果として参加メンバーの成績よりいい結果となるのですが、それが想像以上に良い結果となるのです。今回のメンバーは一人では90とか100以上の成績ですが、それが4人集まるとアンダーパーの結果になるのです。今回は全員が参加できるよう”ティーショットについては、一人3ホール以上選択する”という制限を付けて行いましたが、3アンダーと6アンダーで上がりました。A、B両チームのホール毎の成績は次のようなものでした。(-:パー ○:バーディ ◎:イーグル △:ボギー) No 距離 パー Aチーム Bチーム 10 308 4 - -11 161 3 - -12 349 4 - ○13 480 5 ○ -14 326 4 - -15 164 3 - -16 471 5 ○ ◎ 17 347 4 - -18 388 4 - -------------------------------------------------IN成績 -2 -31 452 5 ○ -2 317 4 △ -3 123 3 - -4 287 4 - -5 313 4 - ○6 456 5 - ○7 331 4 ○ ○8 147 3 - -9 350 4 - --------------------------------------------------OUT成績 -1 -3-------------------------------------------------ROUND成績 -3 -6-------------------------------------------------素晴らしい結果で良かったね。この日の夕食は、山荘に残る人が6人に減りましたので、オーナー氏の提案で焼き肉にしました。焼き肉は簡単で良いのですが、メンバーが多いと1つのプレートでは難しいのでメンバー数が減ったこの日に焼き肉にしたということでした。焼肉をつつきながら飲むというのも良いものですね。話が弾みます。(弾みすぎて暴走気味だったかな)5月27日(水) 晴れこの日は、朝起きて朝食を食べた後、山荘の掃除をして帰路に就きました。山荘の利用は後始末が大切なのです。きっちり始末をして帰らないと次に来たとき掃除から始めなくちゃならなくなります。楽しい合宿ゴルフの集いでした。
2009/05/30
コメント(0)
5月18日(月)に長野にある水芭蕉の里『鬼無里(きなさ)』を訪れました。10時前に現地に着きたいと朝7時に佐久のマンションを出たのですが、途中長野市内で通勤渋滞につかまり市内を通過するだけで1時間ほどロスってしまい、着いたのは10時半になってしまいました。鬼無里は長野市に属する村ですが、長野から長野と白馬を結ぶオリンピック道路(通称)を1時間も走り、水芭蕉のある奥裾花地区はさらにその道から脇にそれて山間の道を40分程も行かねばならないという大変な場所にありました。オリンピック道路は通称こそ立派ですが、道はクネクネと曲っていますし、途中すれ違うのがやっとという狭い場所が何箇所もある難関道路で大変な思いをして辿り着きました。ところが、水芭蕉は見頃を過ぎて大きな葉が茂っているではありませんか。『残念至極』と言いたい所ですが、何とかまだ残っている花もありました。桜もそうですが見頃が短い植物は年によって見頃となる時期が一定しないので、なかなか見頃に出会えるのは難しいですね。でも、この日は最高の五月晴れで、素晴らしい新緑のブナの林を堪能することができました。ブナの新緑は素晴らしいですね。真っ青な五月の空に輝いています。萌黄色というんでしょうか、ブナの若葉の色合いが良いですね。すがすがしい気持ちになります。さわやかな初夏の薫風が頬を撫でます。水芭蕉は少し過ぎてしまっていましたが、素晴らしい高原の散策を楽しみました。奥裾花は、丁度戸隠の裏側で目の前に戸隠連峰を望めます。午後は長野に返り善光寺にお参りしました。善光寺は今年は7年に一度の御開帳の年に当っていて、前立本尊の御開帳がなされています。善光寺の御本尊は一光三尊阿弥陀如来ですが、ご本尊自体は654年から秘仏と成っており、実際に拝めるのは鎌倉時代に造られたご身代わりの前立本尊となっています。(ひょっとしたら本尊は存在してないんじゃないでしょうかね。1千年以上も秘仏で御開帳されないなんておかしいですよね)この前立本尊の右手に結ばれた金糸から繋がる白い綱が本堂前の回向柱(えこうばしら)に結ばれており、その回向柱に触れることで前立本尊に触れることと同じ事とされており、回向柱に触れることでありがたい結縁が生まれ、その功徳を受けることができるということです。右の写真がその回向柱です。長野の善光寺さんと別所の北向観音さんは南向きと北向で一対となっているとされており、両者にお参りすると一段とありがたいとされていますが、私は先月末に別所の北向観音に参拝し、今回善光寺さんにお参りさせて頂きましたので、さぞかしありがたい功徳が授けられるのではと期待しています。さらに、5月18日には佐久で夕食をいただいた鯉料理店の向かいにあった”ぴんころ地蔵”さんにもお参りしましたので、健康で長生きしコロリと死ねるんじゃないかと思っています。このピンコロさんは、5年ほど前に造ったものだということですが、最近はとても人気が出てバスを連ねてお参りに来られる方が後を絶たないということです。皆さんピンコロが願いなんですかね。この日は平日だというのに門前は現世の安穏と極楽往生を願う善男善女で大変な賑わいでした。翌朝は、帰りがけに姿かたちが美しいと良く知られている『ヤマナシの木』を見ていこうと、野辺山廻りでヤマナシの木を訪ねてみました。ああ!無残!何たる姿か!!以前は右下のように美しい姿をしていたものが、今では枝が枯れて花も少なく全く無残な姿になってしまっていました。
2009/05/19
コメント(3)
5月10日より伊豆に出かけ、修善寺の虹の郷を訪れました。修善寺にある虹の郷は、自然と文化をテーマとしたテーマパークでイギリス村やカナダ村などがあり、西洋式庭園と日本庭園があります。イギリス村は、イギリス風の建物が立ち並びコッツウォルなどのイギリスの村にやってきたような気分にさせられます。園内はイギリスの昔を思い出させる汽車とバスが走っており、トロッコ列車の旅を楽しむことができます。庭園には各種の花々が植えられていますが、この時期はシャクナゲとバラが見られました。
2009/05/13
コメント(2)
5月7日(木)から1泊2日の日程で昔勤めていた会社の仲間と伊香保温泉にゴルフ旅行に行ってきました。5月7日(木) 曇り東京発朝7:08の新幹線で行く予定でしたので、家を5時に出なければ成りませんでしたが、朝3:30には起きてしまいました。ゴルフに期待が膨らんで朝早く目が覚めたんだろうって。『そうなのよ』と言いたい所ですが、実は違うんです。このところ殆ど毎日5時から6時には起きていますし、4時台に起きることも稀ではありません。この日は、前日にテレビを観ながら9:00頃に寝込んでしまったので、朝早く目が覚めちゃったんです。老人化現象の一種なんでしょうね。クワバラ、クワバラ!!9時前には群馬県の渋川駅に着き、9:30にはスタートしました。良いですね。新緑が綺麗で。この時期は最高のゴルフシーズンです。そんなに気候が良かったんだったら、成績もベストだったんでしょうとお思いでしょう。ところが、そうもいかないところが問題なんです。最初から右45度の方向にシャンクして、トラブルからのスタートでした。結果として、このホールは10打も叩いちゃいました。あーあー、今日も駄目かと落胆しましたが、その後は各所に良いショットがでて、午前中53、午後50、合計で103とそれなりの結果が出ました。ホールごとの結果は次のようなものでした。ゴルフの後は、そのままの姿で旅館にむかい温泉に浸かりました。良いですね。ゴルフの後温泉にゆったり浸かるってのは。ここの旅館は温泉が素晴らしいとの旅行社の推薦だけあって、広くて色々な種類の温泉があり、温泉廻りだけで大いに楽しめます。さらに、この旅館は只者じゃなくって、400年もの歴史を持つ大家で、天皇陛下もお泊りになったという由緒ある旅館なのです。その時お出しした調度品が麗々しく飾られていましたよ。その夜はお決まりの宴会で、酒に弱い私は酔っ払ってしまい、足の先まで赤くなちゃいました。今にも宴会場で寝入ってしまうところで、友人に送ってもらい9時過ぎには寝ちゃいました。(『体の別の尖った部分も赤くなっちゃった』などと戯言を言ったようですよ)5月8日(金) 曇り&雨早く起きて窓の外を見たら、建物が朝日に照らされて金色に輝き素晴らしい景色でした。空は真っ青で抜けるような五月晴れでした。ところが、テレビの天気予報では『午前中は雨で午後には止む』などという予報をしているのを聴いて、『何言ってんだろうね』などと嘘ぶいていました。(後で分かったことでしたが、これが間違いの元だったんですね)快晴だったのは宿に居る間だけで、出発頃には雲が広がり、スタート時間になると雲行きが怪しくなってきました。この日は、昨日以上に調子が良く、午前中はパーが3つにボギーが2つと嬉しくなるような結果でした。でも、その他がいただけません。トリプルボギーを3つも叩いちゃっています。こういうのが無ければもう少し良い結果を出せるんだがな。結果として、この日の午前中は49と50を切りました。ホールごとの成績は次のようなものでした。ただ、最後の3ホールに来たところで、霧が出たり雨が降り出したりで、午後プレーがが続けられるか怪しい状況となってきました。昼食中も雨が降り続き、結局午後のプレーは止めて帰ることにしました。私は午前中49でしたので、心の中では”続けたい”という叫びが渦巻いていましたが、他の人と合わせなきゃならないことから敢えて希望を言うことは差し控えていました。ところが、昼食後のパーティでは、お酒を飲まなかったのに居眠りなんかしちゃいました。疲れていたんでしょうね。2日連荘じゃね。疲れちゃいますよ。あのまま続けていたら、どうなっていましたことやら。止めて良かったんでしょうね。希望が残って。
2009/05/09
コメント(0)
4月29日(水)から5月2日(土)まで、友人たちと4名で佐久・軽井沢にテニス合宿に行ってきました。高速料金の休日割引制度は良いですね。往き・還りとも割引料金で、往きは1,000円、還りは1,350円でした。還りが1,350円なのは何故だか分かりませんが、多分圏央道を利用したからでしょう。いずれにしても安上がりで、年金生活者には福音ですよ。29日は中央高速を利用し、途中昼食がてら清里にある道の駅”南きよさと”に立ち寄りました。道の駅南きよさとでは、広場の上に鯉のぼりが沢山泳いでいました。全部で500(匹?尾?)程だそうです。いいものですね。五月晴れ(この日は4月だったけどね)の大空を鯉のぼりが泳いでいるってのは。晴れ晴れして、爽やかです。道の駅の裏手にある傾斜が40度以上はあろうというケーブルカーで登ると目の前がパッと開け雪が残る八ヶ岳連峰の山並みが望めました。4月30日(木) 快晴4月30日は、8:30から12:00まで立科町営のテニスコートをお借りして練習をしました。早朝から3時間半も練習しましたよ。もっとも、ほとんどはゲームを楽しんだのですがね。テニスが終わった後、汗を流しに温泉に入ろうと権現の湯に出かけましたが、生憎この日は休館日でしたので、望月町にある”みどりの村”の望月温泉に浸かってテニスの疲れを癒しました。みどりの村は丘の上の林の中にある研修・保養施設で、温泉の露天の湯からは佐久平が一望でき素晴らしい温泉です。この地方の温泉では、普通寛げる大広間と食堂があるのですが、ここは食事のサービスをしていないということで、国道筋まで帰ってそば&寿司屋でそばをいただきました。そばを食べる時は大盛りで頼むのが習慣ですので、全員”大盛り”で注文しましたところ、これがまた大変なボリュームでした。よく調べてみたら350gということでした。普通なら2人前の量です。そばの味は素晴らしく、その上このボリュームです。嬉し涙が出てきちゃいましたよ。昼食の後、少し観光でもしようと、別所温泉に向かいました。別所温泉までは、やっと車がすれ違える程度の田舎道を約1時間ほど走りました。別所温泉は、信州の鎌倉と言われている所で、多くの寺社が点在しています。まずは、北向観音にお参りしました。北向観音は、本尊が千手観音菩薩で厄除けの功徳があるとされており、「北向」の名は長野の善光寺の南向きと、向きあっているところから名づけられたものだということのです。善光寺と北向観音のご利益は一体のもので、その一つを欠けば"片詣り"であるといわれているようです。善光寺にもお参りに行かなくちゃご利益が期待できないのかね。今年は善光寺で本尊がご開帳されているので、行ってみることしようかな。この北向観音の境内に”愛染カツラ”なる桂の木が植わっていました。高さ22m、目通り5.5m、枝張り14mという大きなもので、北向観音の霊木ということです。川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説があります。知らなかったな。愛染カツラってこんなところに在ったんだ。 その後、国宝の八角三重塔のある安楽寺という寺を訪れましたが、八角三重塔は拝観料が必要でしたので、本堂とお庭を見学して退散いたしました。5月1日(金) 快晴この日は、軽井沢に出かけ”風越公園”のテニスコートで練習をしました。風越公園は、オムニコートが14面もある立派なテニス場他、スケート場や総合グラウンド、プールなどもある運動公園で、スケート場は長野オリンピックのカーリング会場となったところです。午前中テニスの練習をした後、雲場の池にあるレストランで昼食にスパゲティをいただきました。私は、トマトソースの普通のスパゲティをいただいたのですが、友人はスープスパゲティを注文し、とても美味しいと賞賛していました。スープスパゲティは、かって勤めていたことのある虎ノ門の近くに美味しい店があり、大好きだったのですが、なかなか出す店が少なく、最近は賞味する機会がありませんでした。友人が美味しいと賞賛するのを聞いて注文しなかったことを悔いちゃいました。次回訪れる時には必ずスープスパゲティを注文しよう。食事の後、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」で知られている小諸の懐古園を訪れました。懐古園は、小諸城の跡で重文の三の門が象徴となっています。この城は山本勘助が築いたものだとの事で、場内に勘助が愛用したとされる鏡石という石がありました。自分を写しながら写真を撮りました。しっかり写っているでしょ。5月2日(土) 快晴この日も、午前中昨日と同じ風越公園でテニスを楽しんだ後、帰途に着きました。今回のテニス合宿の旅は、29日から4日間雲一つ無い快晴で気候も寒からず暑からずで最高のコンディションでテニスを楽しむことができ、また、別所温泉や小諸懐古園などを案内できて有意義な旅でした。
2009/05/03
コメント(2)
料理を造ろうとしてレシピを探すと食材にローズマリーなどのハーブが必要なケースがしばしば見られるのですが、わざわざ購入してもほんのわずか使うだけで残ってしまうため、結局その料理を諦めたりします。ほんのわずかだけ必要な時に採取して利用できるよう栽培することにしました。今回栽培を始めたハーブは、スペアミント、イタリアンパセリ、クレソン、バジルおよびローズマリーで、他にプチトマトを使われないまま庭の片隅に放り出されていた大型のプランターに植えつけました。必要になったとき採取できるかな?これからはハーブを使った料理造りにチャレンジしてみよう。
2009/04/27
コメント(2)
我家の庭の赤い牡丹の花が咲きました。今日は朝から雨で牡丹の花は雨に打たれてうな垂れてしまっています。もう終わりなんですかね。この写真は2日ほど前に撮影したもので、この花はその前日くらいに開いたばかりばかりなのですが、どうももう終わりになってしまいそうです。花の命は短いと言いますが、まだ満開になってから4日程しか経っていません。如何にも短すぎるって思えます。牡丹の花は豪華でとても好きなのですが、花の命があまりにも短すぎるのが難点ですね。
2009/04/25
コメント(2)
今日は、日頃一緒にテニスを楽しんでいる夫婦が我家にやってきました。今日午前中テニスをやった後、最近テレビをデジタル放送が映るテレビに買い換えたことを話して、「一度見に来たら」って言ったら見学にきたのです。何も新しいテレビが珍しい訳じゃなく、42インチのテレビが居間に置かれた様子を観て参考にしようという訳です。CSハイビジョンの画像などをお見せした後、中国・桂林旅行の写真などをパソコンからテレビに繋いでお見せしました。奥さんは旅番組の映像の素晴らしさを観て、買い換えたいとの希望をお持ちのようでしたが、相棒はテレビなんか買い換えなくても良いという意見をお持ちのようでした。今のテレビがまだまだ十分使えるのに買い換えるってのは決断が付き難い問題ですね。その後、最近YOUTUBEを使って歌謡曲の練習をしていることをお話し、YOUTUBEを活用すれば昔知っていた歌を思い出すなどいろいろ発展できることを紹介したら、これまた奥様が興味を持たれ、早速家に帰ったら試してみようとのお話でした。旦那の方はコンピュータに非常に強いのですが、奥様は苦手なようで「主人に聞いてもちっとも熱心に教えてくれない」などと愚痴をこぼしていました。どこでも同じですね。我家も女房殿は何回教えてもパソコンの使い方を憶えません。挙句の果てに、ワープロでの文章作成や年賀状の印刷を頼んできたりするんです。そんなに頭が悪いとは思えないのですが、機械を触るとなるとまったくだめなんですよ。機械音痴なのでしょうね。
2009/04/22
コメント(0)
先週木曜日に何時も一緒に練習会をしている仲間のコンペがありましたが、前半52、後半54で、106という納得のいかない結果に終わりました。成績もさることながらショットが良くなくて全くガックリきました。この日のホールごとの成績は次の通りでした。ここのところかなり練習していたので無念でなりません。5月には4ラウンドのプレーの予定があるので、その時には良い結果が出せるよう練習しておかなくちゃ。
2009/04/20
コメント(0)
庭の牡丹の花が開きました。我家の庭には、2株の牡丹があります。ピンクの花と深紅の花を咲かせます。この内、日当たりの良い方のピンクの花の牡丹が開きました。牡丹の花は、豪華で繊細で素晴らしいですね。大好きです。中国では皇帝の花とされています。私は皇帝なんかじゃなく、市井に巣食う1市民ですけどね。今年は庭の一部を花壇にし、黄色のパンジーとオレンジのマリーゴールドを植えました。前から同じ場所にミヤコワスレが植わっていたのを、少々移動して植え替えました。ミヤコワスレは強い草で何もしなくても毎年可憐な花を咲かせてくれます。【ハーブを育てる計画】近々、プランターにハーブを植えて育ててみたいと思っています。料理本やインターネットで調べて料理を作る時、ハーブを使うようになっている場合が多いのですが、指定されているハーブがあることは殆どありません。購入してきても使うことが少なくて駄目にしてしまいます。そこで、自分でハーブを育てるようにすれば何時でも必要なだけ採取できるんじゃないかと考えたわけです。ただ、私たち夫婦は旅行で家を空けることが多いので、水遣りが出来なくて枯れてしまうのではないかと心配しています。庭の隅に大型のプランター(幅1m、深さ40cmくらい)があるので、これを使えば少々の期間水遣りができなくても枯れることなく育つのではないかとも思っています。どうなりますことやら?
2009/04/19
コメント(2)
4月10日(金) 曇りこの日は陽朔の近辺を観光し、桂林に戻りました。陽朔の近辺では遇龍橋と世外桃源郷を見学しました。遇龍橋は600年ほど前に造られたと言われているアーチ型の石橋で、小さな村にありました。ここでは橋もさることながら村の様子にとても興味を惹かれました。村の中ではおばさんが重い荷物を天秤にかけて運んでやってきたり、家の玄関先で鶏に餌をやっているお婆さんが居たり、田舎の村の日常そのものに出会えました。そして、村の中を歩いていたらお爺さんが二胡を弾いて聴かせてくれました。中国では、こういった楽器を弾ける人が何処にでも居るのですね。また、この日は「新築のお祝いをどのように行うか」、村の男たちが村役場の前に集まり喧々諤々の議論を戦わしている現場に遭遇しました。(ガイドさんの話です。中国語が分からないので何をしゃべっているかは分からなかったのですが)日本でも四、五十年前には良く見られた風景です。次に訪れたのは『桃源郷』です。本当に桃源郷があるのかと思ったら、実は民俗をテーマにしたテーマパークでした。「世外桃源」という名前は、陶淵明の「桃花源記」に書かれた理想郷「桃源郷」に由来しており、各少数民族独特の建物や暮らしが再現されています。園内は舟で廻り、奇峰. 湖沼. 洞窟.田園の自然景色を見渡しながら、舟の上から、少数民族の歌や踊りのパフォーマンスを楽しみ、生活や文化に気軽に親しむことができるようになっています。最後に桂林市に戻り、市のシンボルとなっている象鼻山を訪れました。この名は大きな象が漓江に鼻を伸ばして水を飲んでいる姿に似ていることから名付けられているようです。人の為に働いた象が、天帝の怒りに触れ殺され、そのまま石に変わってしまったという伝説が残っています。ここで最初に紹介した切り絵作家に出会いました。この後、桂林市内のレストランで夕食をいただき、国内便で広州に移動しホテルに入りました。この日の夕食は、これまでの食事の中で最も美味しかったように感じました。この社のツアーでは、ホテルや食事について後になるほど良くなるように手配しているのではないかと感じていましたが、今回もその感を強くしました。旅の印象を良くするようにという配慮からでしょうかね。例えそういう配慮が働いていたとしても嬉しいですね。4月11日(土) 晴れ朝食後ホテルをチェックアウトし、帰国の途につきました。広州空港のコーヒーショップでかっての中国の同志(トンジー)に出会えました。注文したコーヒーにフレッシュミルクが付いていなかったので持ってきてくれるように言ったのですが、しばらく経っても持ってこないので、近くに居たウェイトレスにお願いしました。快く受けるのですが、やはり持ってきません。また、別のウェイトレスにお願いしました。また、持ってきてくれる様子が見られません。しびれを切らしてカウンターに行ったら、パックのフレッシュミルクが置いてありました。ただ、持ってくれば良いだけだったんです。忙しくしているかといえば、全く違います。仲間同士でお喋りなんかしているんです。30年ほど前に来た時にはこんなことは当たり前でした。今回の旅では、お店に入ったら直ぐに店員が対応に出てきますし、客の希望を良く聞いて対応してくれていました。こういった対応は昔の事と思っていましたが、今でもあるんですね。世界との窓口の空港のロビーの中でです。ウェイトレスの女性は全員が自由に英語で対応できる語学力を持っているようです。かなりハイクラスの人たちじゃないでしょうか。まだまだですね。中国は。こいう対応が無くならなくちゃ完全に開かれた国になったとは言えないでしょうね。
2009/04/17
コメント(2)
全672件 (672件中 201-250件目)