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ここ数日、かなり暖かい日が続いており、積もっていた雪もほとんど解けてしまいました。でも、ふと気づいたら、来週はもう3月。少しずつですが、春は確実に近づいているようです。このままもう雪が降らずに春になってくれるといいのですが、4月になっても降る年もありますので、まだまだ安心できません。前回のブログに書きましたが、この週末は2泊3日で吹奏楽団の練習に出かけていて、留守にしていました。4月にイタリアで開催されるコンクールに出場するのですが、今回の練習を含めて2回しか練習がありません。予定通り3日間みっちりとしごかれ、久々に吹奏楽三昧してきました。とても楽しかったですが、トランペットが私を入れて2人しかいなくて、大変でした。前回の練習(10月)では8人もいて、その全員がコンクールに参加すると言っていたのに、ほとんどの人がここへ来て急に参加できないと言ってきたそうなのです。おまけにパートリーダーもウィルス性の風邪をひいてしまい、しゃべることもできないと急に欠席したので、たった2人だけ。コンクールで演奏する曲は、課題曲・自由曲ともに4番まで楽譜があるので、最低4人は必要です。今、出場が確定しているのは3名で、次回の練習には新しい人(助っ人?)が1名来るそうです。本番までにまだあとトランペット奏者を1~2名見つけなければならず、役員さんたちはパニック。私にはコネが無いので、手をこまねいてみているしかないのが歯がゆい…。また、昨日は午後からパートナーのいとこのお誕生日パーティーに呼ばれていましたので、私は楽団の練習場から直接出向き、遅れて参加しました。私以外の出席者は午後のお茶の時間の前にみんなで義母のお墓参りに行ってきたそうです。義母の母親は亡くなる前に叔母さんと同居していたので、お墓は叔母さんの家の近くにあるのです。義母が亡くなってから、こうして親戚で集まるのは初めてのことだったので、皆悲しみを新たにしていました。前回集まったのは11月中旬の叔父さんの誕生日パーティーで、その時義母はまだ元気でした。そのちょうど翌日に抗がん剤治療を始めて、その後急速に具合が悪くなってしまったのです。それから前々回のブログに書いたクレジットカードの件は、おかげさまで解決しそうです。すぐにカードを止めてもらい、後はクレジットカード会社から私に必要書類が送られてくるので、それに署名をして送り返せば使い込まれた分のお金は戻ってくるとのことです。でも、まだ銀行の口座はマイナスのままだし、全然解決したという気はしないのですが…。それにしても一体どこでデータが盗まれたのか、本当に気味が悪いです。どうやらスペインで使われたようなのですが、まるで心当たりがありません。まさか同部屋のマヨルカ親父(<スペイン人)の仕業?!というのはちょっと度が過ぎる冗談でした。さてさて今晩はいよいよ今年初ウィーンフィル。楽しんできます
2010年02月22日
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今日から3日間、吹奏楽団の今年初の練習です。久しぶりの練習(プラス長距離の運転)とあって、ちょっと緊張してますが、「楽しい音楽の時間の始まり」です。コンクールまで今回を含めてあと2回しか練習がないので、みっちり鍛えられてきます!練習から戻った翌日は、いよいよ私にとって「2010年ヨーロッパ文化都市」の幕開けとなるコンサートが控えています。今年初のウィーンフィル、指揮はロリン・マゼール氏です。実はマゼール氏はあまり好みではないのですが、プログラムで選びました。こちらもとても楽しみ。そういえば、火曜日は前から入っている方の吹奏楽団の定例練習もありましたっけ。こちらはそれほど楽しみというわけではないですが(苦笑)、5日間音楽三昧ですそれでは、行ってきます。
2010年02月19日
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私がとても楽しみにしていた、6月の小澤征爾氏指揮のベルリンフィルのコンサート。小澤氏に食道がんが見つかり、このコンサートも残念ながらキャンセルになってしまいましたので、すぐに払い戻しを要求しました。すると主催者側に「払い戻しは一切不可」と言われたのです。私は小澤氏の音楽が聴きたくてこのチケットを買ったので、彼が出演しないならチケットを返したかったのに、主催者側は「良い指揮者を連れてくるから、きっとチケットを手放したくなくなりますよ」なんて言って、譲らなかったのです。そもそも、このシーズン真っ最中の時期に一流の指揮者のスケジュールが空いているとは思えないし、おそらく代振りははっきり言って二流・三流でしょう。三流の指揮者の演奏に100ユーロも払いたくないから払い戻しして欲しいのに…と思っていたら、先日代わりの指揮者が発表されました。やはり私の予想通りいまいちの指揮者(ケルン放送交響楽団の指揮者)で、もうがっかりです。しかも、演奏する曲目まで変わっていて、まったく別のコンサートになってました。もうすっかり興味がうせてしまい、再度払い戻しを要求するつもりです。いくら演奏がベルリンフィルとはいえ、指揮者も演奏する曲目も変更なら、チケットの価格も変更するべきですよね。そして今朝、もっともっとショックな出来事がありました。今週末は去年の秋に入団した吹奏楽団の練習があり、3日間留守にします。楽団の会計係からのメールを読み返していて、4月に参加するコンクールの準備金をこの月曜日までに振り込まなければいけなかったことに気づきました。もう期限は過ぎていますが、今日オンラインで振り込めばぎりぎり練習前までに入金されるかもしれないので、急いで手続きをすることにしました。数日ぶりにオンラインバンクの画面を見て、あれっと思いました。口座の残高がやけに少ないのです。今月は外出もしていないし、ATMでお金も下ろしていないし、こんなに使った覚えはないのだけれど…。内訳を見てると、ちょうど昨日、クレジットカードの代金が引き落としになっていました。その額がちょっと多すぎるような気がして、再びおかしいなと思いました。そこで、クレジットカードの方へ移動してみたところ…。私が利用したのは、2月5日に日本のオンラインショップで買い物をしたのが最後でした。ところがその翌日から1週間以内の間に、何度も利用が記録されているのです。全く身に覚えの無い複数の利用の合計金額が約650ユーロにも達していました。先ずパートナーに相談と思い、携帯に電話してみましたが、あいにくつながりません。ならばとにかく銀行に連絡しようと電話してみますと、私の口座がある支店に転送されました。状況を伝えると、「もう口座から引き落とされているから…」と言葉を濁す係員。クレジットカードの引き落としが行われるまで気づかなかったこちらが悪いと暗に責めているような口ぶりなのです。もしかして、もうお金は戻ってこないと言うことでも、引き落としは毎月月末近くだし、昨日の引き落としに今朝気づいたのだから、ぎりぎりセーフではないかと思うのですが、とにかく店に来て欲しいの一点張りです。手続きをするにはいずれにしても私のサインが必要だとのこと。仕方がないので、会社を早退して銀行に出向いてきます。それにしても、腹が立つのももちろんですが、なんとも気持ちが悪いです。一昨年、パリでバッグを盗まれ、数時間後に金目のものを全て抜かれたバッグが手元に戻ってきたときと、さらに数日後、盗まれた携帯の請求書が届いたときの気持ち悪さに似ています。どこの誰とも知らない人が、私のデータを持っているという事実が薄気味悪いのです。そもそも、去年の11月初旬のキプロスへのプチバカンス以降、どこにも出かけていないし、お店でクレジットカードを利用した覚えもありません。となると、残りはオンラインですが、チケットショップやア○ゾンなど、今までに何十回と利用していますが、一度もこんな問題はありませんでした。1つ心当たりがあるとしたら、里帰りのチケットを購入した旅行代理店です。初めて利用した会社ですし、チケット代の引き落としは1月で、その後から身に覚えの無い利用が始まっています。しかも、引き落としの内容が全て航空会社や旅行会社関係というのがますます怪しいような。とりあえず、銀行へ行って、何が出来るのか聞いてきます。それにしても気持ち悪い~。
2010年02月18日
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健康面で長年私を苦しめているもの。それは、ずばり肩こりであります。私の肩こりははっきり言って筋金入りです。高校生の時、すでにピッ○エ○キバンが手放せなかった私。コンクール前の夏合宿では腕が上がらなくなり、見かねた講師の先生(!)にマッサージをしていただいたこともあるくらい。2年程前には会社の福利厚生の一環で職場でマッサージを受けられることになり、日本人数人と誘い合ってお試しを受けたところ、マッサージ師さんに「一度整形外科に診てもらいなさい」と言われる始末。おまけに去年の里帰り中、わらにもすがる思いで初めて整体院に行ったところ、「女性では数年に一人いるかいないかの凝り」というありがたくない称号を賜り、院長先生のやる気に一気に火を点けてしまったことも。ここ数年は肩こりから来る偏頭痛、そして嘔吐というパターンがめっきり少なくなってきたので、自分の中では調子が良い方だと思っていたのですが、どうやら肩こりが慢性化しすぎて、凝っているのが普通になってしまっているようです。先週、頭を動かすと首の右側に結構強い痛みがありました。さらにPCに向かっていると、右腕や右脚に痺れるような嫌な感じがあって、仕事に集中できなくなりました。そこで、初めて整形外科のお世話になることに。やっと診察を受けられたのは1週間後で、そのころにはもう症状がだいぶ軽減してしまっていたのですが、レントゲンを撮影することになりました。レントゲン検査の結果、骨には全く異常なし。右半身の痺れや痛みは、すべて肩や首の凝りから来ているのだろうということです。整形外科の先生が書いてくれた処方箋は、1週間に1度のマッサージおよび温湿布6回分ドイツへ来てからというもの、効果のないエステやマッサージにどれだけお金を費やしたことか…。マッサージに保険がきくんだったら、もっと早くに整形外科の扉をたたけばよかったです。そして本日、初めて治療(セラピー)を受けてきました。オイルを使って凝りをほぐすクラシックマッサージが20分ほど、そして、その後ファンゴセラピーという温湿布がありました。ファンゴとは、イタリア語でミネラル分が豊富な土という意味だそうです。サランラップで来るんだ粘土製のマットようなものの上に寝かされたのですが、最初の瞬間は思わず「熱い!」というくらいの温度。が、その熱さにもすぐに慣れて、じんわりと気持ちよくなってきました。この感覚、何かに似ている…。思わず「いい湯だな♪」と歌いそうになって気づきました。そう、日本で熱めの温泉に入ったときの感じに似ていたのです。はあ~、極楽極楽(笑)。今年に入ってから毎日のように雪が降り、最高気温が氷点下の日も多いドイツ。これだけ寒いと頻繁にお風呂に入りたくなりますが、我が家にはまだバスタブがなく、シャワーだけ。寒さで縮こまった筋肉がほぐれないのも仕方ありません。日本のような温泉も、お風呂に入る習慣もないドイツ、一体ドイツ人はどうやって冬を乗り切っているんだろう?と思ったら、こんな秘密兵器があったんですねぇ。このセラピー、1週間に1回と言わず、週3回くらい受けたい私です…。
2010年02月12日
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例の社内での不平等についての後日談です。労働組合の助言により、人事部の人と話をしてきました。何か解決の糸口が見つかるかと期待していましたが、見通しはかなり悪そうです。なんだかこの件に関われば関わるほど、ますます落ち混みが激しくなってきて、弱気になりつつあります。私が同僚の方がお給料が高いと聞いたのですが、と話したら、人事の人は私が労働組合と話しをしたことは知らないので、「もしかしたらその話はデマかもしれない」なんて言われました。「会社では、同僚をうらやましがらせるために、そいういうしょうもない嘘をつくことは良くあることよ」なんて言うのです。彼女に面談を申し込んだ際のメールには詳細を書かなかったので仕方ないかもしれませんが、私の『給与とモチベーションについて』話したいと書いたのに、私の給与額すらも調べていなくて、拍子抜けでした。今日話をした相手は、労働組合の組合長が勧めて(選んで)くれたのですが、私よりも後に入社したまだ結構若い女性で、確かに話はしやすいけど、あまり仕事はできない人なのではという印象を持ちました。その彼女が言うには、やはり入社時の会社と個人との取り決めがあるので、同じポジションだからほぼ同じ給与額とは一概には言えない、とのこと。でも、それって面接の際に言ったもん勝ちってことですよね?(もちろん、言ったからってそれがそのまま通るとは限りませんが…。)それに、景気が悪いときに入社した人は、単にアンラッキーだったとあきらめろと言っていることになります。彼女、同じポジションでもお給料が違う例なんて沢山あると言って、自分と人事部長を引き合いに出してきたので、またびっくりしました。役付きと役なしでは給与額が違うに決まっているではないですかそれに、彼女いわく、よほどの事がない限り昇給がないのが普通と言っていて、「つまり一生同じお給料で働かなければならないということ?」と訊いたら、「そんな職場は沢山あるわよ。パン屋の売り子とか…」なんて言うのです。そもそも、比べる対象がおかしいですよね。いずれにしても、やはり面接のときの給与額交渉が一生を左右するらしいということで、それもなんだか理不尽だなあと感じました。だって、一度取り決めたお給料は下げられないというのですから、採用さえしてもらえば、入社後にどれだけサボろうが何しようが、関係ないってことですよねそりゃあドイツ人の大半がサボりまくるわけですよ。何もしなくても高給がもらえて、お咎めすらないんですから。そんなこんなで、彼女はちょっと的外れなことばかり言っているように感じられ、それにも失望しました。さらに、私が入社前に自分を安く売りすぎたのでは?とも言われました。確かにそれはその通りだし、自分でもよ~く分かっています。でも、その時は実際に採用されて、入社してから頑張って仕事をして認めてもらえれば、昇給のチャンスがあると信じていたのです。それに、普通はこのポジションには大体これくらいが妥当という相場がありますよね。ドイツには賃金率システムというものがあり、大体どの産業部門でも大手の会社はこの賃金率に則って給与額を決めているのです。ところが、うちの会社にはそれがないそうなのです。つまり、完全な自由貿易といいますか、入社前の交渉が全てだったわけです。今更そんなことを知っても遅いのですが…。たとえば、うちの部署にはルーマニア人が数人いるのですが、彼らがなぜ雇われたかというと、ドイツ人より安い賃金で満足してくれて、かつドイツ人より真面目だから、です。彼らは絶対に同じセクションのドイツ人より沢山仕事をしているし、会社にも貢献していますが、ドイツ人よりもお給料は安いのです。つまり、会社はもしかしたら『このポジションにはこれくらい』とある程度の物差しは持っているかもしれませんが、応募者が会社が思っている額より安く提示してくれればラッキーで、その分コストが抑えられたことになるわけです。私も、一生そのお給料のままだと知っていたら、面接時にもっと粘ったのに…。でも、あまり高い金額を提示したら、採用されなかった可能性もあるわけで、どっちもどっちですね…。話し合いの結果を一言で言いますと、今は会社に予算が無く、一切の昇給が認められていないので、私に希望はないとのことです。一応私からの訴えは覚えておいて、次に人事部で昇給についての話し合いがあったときには議題に載せてくれるとのことですが、年内には昇給ミーティングはないだろうとのこと。何度も言うようですが、私の最終目標は給与額を上げてもらうことではなく、会社が私の仕事振りを認めてくれている、私と同僚を平等に扱ってくれていると感じられる事、そしてそれによってモチベーションを維持できることが一番大事なのです。でも、それには私の給与額を同僚と同じにしてもらうしかないわけで、そこが悩ましいところです…。サボリ魔の同僚が入社した頃は別の上司(駐在員さん)だったし、このセクションに他に人がいなかったので比べる対象も無く、彼が提示した額がそのまま通ってしまったんでしょうね…。私ももっと強気に出ればよかったのでしょうか。あ~あ、後悔先に立たずです。というわけで、あえなく撃沈です。一応、私達の給与額や仕事内容、職務経歴等を調べて、彼女が人事部長と話をしてくれるとのことですが、どうやっても昇給が不可能と分かっているのですから、意味ないですよね。また労働組合長と相談して、次の手を考えることにします。
2010年02月09日
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今私が苦しんでいる件の全ての元凶は、一度失業してから、給与額ががくんと落ちてしまったことです。失業後、初めて入社した会社(ドイツ企業です)に買い叩かれたのです。その会社がドイツ語のできる日本人を探していて、たまたま私が登録していた派遣会社に連絡をしたのが始まりでした。私は当時、有効な労働許可証を持っていなかったので、派遣で働くことはできず、その会社に直接雇われることになりました。つまり、その会社の契約社員となったのです。最初は一ヶ月の短期契約で、日本から研修を受けにくる方の通訳と、空港・ホテルへの送迎、その後は主なカタログ・マニュアルなどを和訳するという仕事内容でした。が、提示された月給がびっくりするくらい安かったのです。正確な額はもう思い出せないのですが、ショックで電話口で絶句してしまったくらい…。返事が出来ないでいると、交通費実費は別途払うからと畳み掛けてきたのです。その会社は家から片道70~80キロととても遠かったので、実費全額が出るならばとOKしました。今思えば、それが間違いの元でした。後になって、会社が交通費を支給するのは、私がその日本人の方のために運転した距離分だけと言い出したのです。話が違うと言ったら、社長の部屋に人事部の人と共に呼び出されました。私に直接電話してきた人事の女性も社長の目の前で「違う」とは言ってくれず、結局私の勘違いとして片付けられました。その後、他にももっと色々翻訳して欲しい、さらに日本市場の窓口になってほしいと仕事が増えていきました。契約更新の際、人事と諸条件の話をして、提示された月給の額がそれまでもらっていた失業保険よりも少なく、かなりへこみました。が、向こうも「Hartz IV(生活保護)よりはましでしょう」と痛いところをついてきます。迷ったけれど正直に「何もしないで家にいてもらえた額よりも、毎日2~3時間かけて通って、8時間働いてもらえるお金の方が少ないなんて、モチベーションを維持するのが難しいと思う」と告げました。すると、向こうも理解してくれて、交通費(ガソリン代)の補助という妥協案を出してきました。それを足しても、手取りは私としては満足のいく額ではありませんでしたが、おりしもハリケーンの影響でガソリン代が高騰中でしたから、この条件を飲むことにしました。が、補助だけでは到底足らず、ガソリン代持ち出し分を払うために働いているような本末転倒の状態でした。それでも、失業して家にいるよりはましだと思っていたのです。その後、転職した際に手取額が100~200ユーロ上がり、もう1度転職したとき(今の会社)にさらに少し上げてもらいました。以前の給与額よりうんと高い額を請求するにはそれなりの理由ないと無理ですので、毎回「以前よりも高ければOK」としてきたのです。採用してもらえさえすれば、その後の努力によって昇給できると思っていたこともあります。その考えは甘かったのですが…。でも、私の日本人上司が一度、うちの部署で数名だけ、がんばっているからとお給料をアップしてくれた事があったのです。私もそのうちの1人でした。手取りにしたら些細な額でしたが、それでも仕事振りを認めてもらえた事がとても嬉しかったのです。その後、昨年度からは経費削減のため、昇級・昇給は一切禁止。今年の1月からは政策により少し減税になったので、ほんのわずかだけ手取りが上がりました。それでも学歴・年齢等を考慮すると、いまだに給与額はかなり少ない方だと思います。前置きが長くなりましたが、私が労働組合と話をしようとしているのは、自分の昇給が一番の目的ではありません。単に同じセクション、同じポジションの同僚が私よりずっと高いお給料をもらっているというその理由が知りたいのです。ドイツは学歴、肩書き重視なので、普通はまず学歴で差がつき、その後は偉くなればなるほどお給料が上がるシステムです。毎年年度始めにベースアップとか、年功序列とか、そういう類のものはありません。まず、学歴から見れば、彼より私の方が基本給が高くないとおかしいのです。また、同じポジションでも業務内容が違うからと言うなら、私の方がこなしている業務が断然多いので、これもおかしい。扶養家族もいないし、彼の方が高給でなければならない理由がまるで無いのです。強いて言えば私だけが結婚しているという違いがありますが、もしもパートナーの収入があるからという理由で私の給与が低いのであれば、それこそ性差別ですよね。どうしてこんなことがまかり通っているのか、何が理由なのか、それを知りたいだけなのです。私達二人を平等に扱っていると主張するなら、私の給与額を彼と同等にするか、彼の給与額を私と同等にする(=減俸)しか方法はないと思うのですが…。本日、組合長と2度目の面談を行ったところ、同僚と私の業務内容は「一字一句全て同じ」だったそうです。ただ、唯一の違いは、私の方には日本語関連の業務が記載されていること。つまり、正式な書類で見ても、私の方が業務も要求される技能も多いことになります。ただ、問題は別の部署でも同じパターン(同じセクション、同じポジションなのに給与額に大差がある)があったけれど、そのケースでは二人とも男性だそうです。つまり、私が男女差別があると訴えることはできないということです。ただ、彼らの場合、1人はもう1人に比べ、職務経験が極端に少ないとのこと。これは私達のケースには当てはまりません。考えられるのは、同僚の方が勤続年数が長いということですが、うちの会社では勤続年数によって自動的に昇給するシステムはないので、これも当てはまりません。この件について、詳しく知れば知るほど、ますます不公平さが浮き彫りになり、今まで知らなかったことまで知ってしまい、正直かなり落ち込んでいます。行動を起こしたのは逆効果だったのかもしれないとちょっと後悔…。でも、ここまで聞いてしまったからには、会社から納得のいく説明を聞かずにはいられません。というわけで、進展がありましたら、またご報告します。
2010年02月05日
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私の家から会社までは25キロ足らずで、普通は40~50分で会社に到着します。が、今朝はなんと1時間半近くかかりました。州内で大々的にストが行われているからです。昨晩のニュースで聞いて知っていたのですが、朝になったらすっかり忘れていました。というか、私はいつも車通勤なので、あまり関係無いと思ってそれほど気に留めていなかったのです。家を出て、いつもよりもかなり手前で渋滞が始まっていたので、やっと思い出しました。私の住んでいる市も隣の市も、トラムとバスが一切走っていないそうです。そのため、普段電車通勤の人も今日だけはマイカー通勤のようで、普通の道路がものすごく混んでいたのでした。今日、電車ででかける用事(はっきり言うと飲み会ですが)がなくて本当に良かった…。ところで、彼らは5%の賃上げを要求してストをしているようですが、私もストを決行したい気分です。元上司に帰任前にも再度、私の同僚のサボリ君が私よりもお給料をもらっていると聞かされ、またモチベーション降下中だからです。母に労働組合に掛け合ってみると告げたところ、心配だとメールが来ました。いくら社員の味方をうたっていても、実際は会社の経営陣に従うだけの労働組合は多いし、下手をしたら上司や同僚に知られて、いじめにあうのではないかと。それに、今は不況のため、会社も人員削減に必死なので、会社に不満を持っていることが分かったら、辞めさせられたりするのではないかというのです。でも、労働組合と話し合いをしただけで解雇なんて、ありえませんよね?そもそも、うちの会社は日系企業ではありますが、現地人が300名以上、日本人出向社員10名足らずという構成です。当然、労働組合員も全員現地人で日本人はいませんし、組合は常に社員(現地人)の味方です。私は日本人ですが、現地採用なので、当然現地人と同じ扱いになります。それに、労働組合のメンバーは守秘義務がありますので、私がこういう訴えをしたということは外部に漏らすことはできません。パートナーは私にかなり勝ち目があると言っていますが、私は実際にお給料を上げてもらうことにはそれほど興味はありません。今回の訴えの結果として上がればもちろん嬉しいですが、どちらかというとこの件が事実かどうか、もし事実ならその理由が知りたいのです。お金の問題というより、自分のプライド、モチベーションの問題なのです。で、先ほど労働組合の組合長から電話があり、たった今話し合いをしてきました。昨日の朝、組合宛てにメールを送った際は、『給与について話をしたい』としか書かなかったのですが、どういう内容か向こうも想像していた様子。なんと、私の月給とサボリくんの月給を既に調べてありました。組合長いわく、確かに歴然とした差があるとのことで、それを聞いてさらにむかつきました。私は上司から「彼の方が稼いでいる」と聞かされてはいましたが、差がそれほどあるとは想像していなかったので…。でも、同じポジションでも全く同じ給与額にしなければいけないということはないそうで、これだけでは性差別とは言えないとのことで、がっかりです。それに、もし私の訴えが認められたとしても、会社は去年に引き続き経費削減のため、今年も一切の昇給・昇級はしない予定とのことです。そうだろうとは思っていましたが、やはりはっきり断言されると意気消沈です。実際問題として、お給料以外の待遇で差をつけてもらうことは不可能だからです。私と彼は同じポジションですが、実際に明記されている業務内容が全く同じかどうかは分かりません。その点を調べてから、もう1度話をすることになりました。正直言って、私の方が沢山の業務をこなしているし、彼よりは能力も高いという自負がありますので、それに基づいて判断されれば、私の給与額の方が高くなければおかしいはず…。なんとか良い妥協案を見つけ、職場での心の平安を取り戻したいと思います。それにしても、彼がこんなにもやる気がないのに、うちの会社を辞めない理由がこれでよ~く分かりました。何もしていないのにそれだけ高給をもらえるなら、意地でもしがみついていたいはずですね。当時彼を採用した駐在員さんも、ドイツ人の平均月収など知らず、彼の給与が高すぎるなどとはゆめゆめ思わなかったのでしょう。「このままで済むとは思うなよ」と啖呵を切りたいところですが、ドイツでは実質減俸も異動もありえないので、彼には何も起こりえないところが非常に悔しいです。
2010年02月04日
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昨日、勤務先で労働組合主催のミーティングがありました。その時に組合員の1人がお給料についての説明をしたので初めて気づいたのですが、職場での不当な扱い等は労働組合に訴えて、調査や改善してもらう事ができるのです。以前は「同僚が仕事をサボってばかりでモチベーションが上がらない」なんて、小学生の告げ口ではあるまいし…と思って、機会があるごとに直属の上司に訴えることしかしていなかったんですが、よく考えたら別の手があったわけです。帰宅後パートナーに相談したら、私の給与の件も労働組合に訴えることができると言うので、そうすることにしました。入社してまもなく、日本人上司から私の同僚のサボリくんの方がお給料を沢山もらっていると聞いて以来、ずっと不満に思っていたのです。でも、上司は「同じ仕事でも、男性の方が沢山お給料をもらうことになっているからどうしようもない」の一点張りでした。確かに日本ではいまだにそうかもしれませんが、いくら日系企業とはいえ、ドイツにある会社はドイツの労働法に則って経営しなければいけないはずです。この同僚は私と全く同じ肩書きだし、子供もいないし、彼の方がお給料が多いというのはどう考えてもおかしいのです。ドイツでは性別などを理由に差別をしてはいけないことになっていますので、平等な扱いを求めることにしました。日本人上司はもう帰任してしまいましたので、もし私が訴えたことで上司にお咎めがあるとしても、その点は気にする必要はありません。それに、労働組合には当然守秘義務もあります。自分にデメリットはないだろうと判断し、今朝早速、労働組合に面談の申し込みをしました。もう後には引けません!とにかく、このいつもさぼってばかりいるドイツ人同僚が男性であるというだけで私より沢山お給料をもらっているという事実がどうしても許せなかったのです。突き詰めて考えてみたら、今の会社に対する一番の不満がこの件でした。これだけでも改善してもらえたら、モチベーションも上がり、会社にさらに貢献できると思います。どうして今まで労働組合に掛け合う事を思いつかなかったのか…。もっと早く行動に移したら良かったです。
2010年02月03日
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私は普段コンタクトレンズを着用していますが、思わぬアクシデントに遭遇してしまいました。今朝、いつものようにレンズを装着しようとしたら、目に激痛が走ったのです。バスルームで地団駄を踏んでのた打ち回ってしまいました。しばらくしたら少し落ち着いたので急いで水で目を洗いましたが、下ろしたばかりのコンタクトレンズも一緒に流してしまいました。その後も痛みはなかなか引かず、何度も目を洗いましたが、右目は真っ赤。時々思い出したように痛みが出て、涙も止まりません。とてももう1度コンタクトをする気になれず、眼鏡で外出しました。実は、金曜日の夜にも同じような激痛を経験していました。が、その時はコンタクトを外すときに起こったので、手に石鹸の泡の残りでもついていたのかな、位に思ってそのままにしてしまったのです。土曜日は外出の予定が無かったので、1日コンタクトレンズを使用しませんでした。原因は金曜日に買ったばかりのコンタクト洗浄液でした。今までずっとA社のものを使っていたのですが、先日インターネットでそこの製品はあまりよくないと読んだのです。お店の人に「2週間使い捨てのソフトレンズを使っている」と言ったら、「それなら洗浄液はこれかこれです」とA社とB社のものを出されました。そこで、初めてB社の製品を買ってみたのです。金曜日は夜遅く帰宅し、コンタクトを外したのは夜中の3時頃でした。パッケージを開けると、洗浄液の他にケースも入っていましたが、おまけ(?)でケースがついてくるのはよくあること。今使っているケースもまだ新しいものなので、そのケースに今までと同じように洗浄液を満たし、その中に外したコンタクトを入れて蓋をしたのです。ところが、コンタクトを入れようとしたらこの激痛。あまりの痛みに、一体何が起こったのかと洗浄液のケースをよく見てみると、「直接目に入れないでください」と注意書きがあるではないですか。直接目に入れてはいけない液体に思い切り浸したコンタクトを目に入れてしまったのですから、そりゃあ痛いに決まってますね…。思わずドイツ人夫に「眼鏡屋を訴えられると思う?」と聞いてみましたが、「普通は使う前に注意書きを読むべきだからね…」と冷たく言われてしまいました。確かにそれはそうなんですが、でも、普通はケースに洗浄液を入れて、その中でレンズを一晩置く方法が一般的ですよね違います???この洗浄液はパッケージに一緒に入っていた特別なケースにレンズを入れないといけないのだそうです。どういう仕組みなのかはまるで分かりませんが、このケースに入れて6時間以上経てば、洗浄液が中和されて、そのままレンズを装着してもOKなのだとか。でもでも、私はもう怖くてこの洗浄液に浸したレンズを目に入れる勇気が無いんですけど~?下ろしたばかりのコンタクトレンズの残り1枚と買ったばかりの洗浄液、どちらもゴミ箱行きにするしかないのでしょうか。もったいないなあ。ということで今日の一言は「使用上の注意をよく読んでからお使い下さい」ということで…。
2010年01月31日
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本日は1ヶ月以上前から日程を調整して企画していた、女友達との新年会です。予定では5人参加のはずだったのですが、残念ながら1人は体調不良で欠席。会場は中華レストランで、メインは火鍋!この新年会、私が幹事だったのですが、始めは新年会=お正月=和食しかないでしょう~と思い、日本レストランを予約するつもりでした。ところがある日、火鍋が食べられるお店があると知り、興味津々に。参加者の皆さんに尋ねてみたところ、そこでもいいよと快諾いただき、急遽中華に変更したのでした。実は私、火鍋を食べるのは全くの初めて。去年の里帰り中、父が「火鍋の店の株主優待券があるから、行ってくれば?」と言ってくれたのですが、梅雨明け前のあの蒸し暑さの中で鍋を食べに行く気は到底起こらず、丁重にお返ししたのでした。それ以来、一度は食べてみたいと思っていたのです。そのお店は皆、以前から気になってはいたものの、周りに入った事がある人が誰もいないので、なんとなく敬遠していたと言うところ。が、中に入ってみたらなかなか豪華な作りで、かなり広いお店でした。入り口脇のテーブルには予約したグループ用らしい火鍋がすでにセッティングされており、見た目はかなりおいしそう…。メニューを見ると、なんと全て日本語で書かれていて、さらにびっくり。意外と日本人のお客が多いようです。確かに、日本人の好みのツボを熟知しているような品揃えでした。「フランス産生牡蠣」という文字を見つけ、前菜はこれしかないと即座に決めました。牡蠣は私の大好物の1つなんですが、今シーズンはまだ一度も食べていなかったので、どうしても見逃せなかったのです…。4名中、貝類は全くダメと言う人が1名、安全策を取って食べないと言う人が1名で、残りの1名(広島出身)を誘って、一緒に食べてもらいました。まあ、確かに初挑戦の中華レストランで生牡蠣なんて、ちょっと危険度高過ぎですよね。でも、「まだ一度も当たったことないし~」と強気で頼んでしまいました。おまけにこちらの中華レストランではあまり見かけない「空心菜の炒め物」がメニューにあり、こちらもどうしても見逃せず、前菜として頼んじゃいました。ニンニクと塩だけのシンプルな味付けなんですが、これもかなりいい線いってます。なんと言っても、めっちゃビールに合うんです~。そしていよいよ本日のメインイベント、火鍋の登場。セパレートという2種類の味が楽しめるものにしたので、鍋の真ん中に区切りが。片方は真っ白、片方は真っ赤(というか茶色?)です。始めはスープだけ味見して「赤い方は辛過ぎる!」と言っていたメンバーですが、そのうちみんなはまり始めました。赤いスープで似た具材をゴマペーストにつけて食べるとおいしくって♪「癖になる味だよね~」と言いつつ、最後の方はみな赤いスープだけで味わってました。ビールもたっぷり飲んで、お会計は1人20ユーロ強。少々サービスに難あり、ではありますが、まあまあ当たりでした。春が来て暖かくなる前に是非また行きたいです。
2010年01月29日
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今日はいよいよ私の上司の最終出勤日です。ご本人が絶対にもどってくると言っていることもあり、部署でのお別れパーティーも予定されていないし、本人も何もしないようですし(こちらでは帰任や誕生日の際、当人がご馳走をする習慣)、どうもまだ実感が湧かないのですよね。本当に帰国されてしまったら、じわじわと寂しくなってくるのでしょうか。でも、私の部署は私が恐れていたのとは逆の方向に進みそうです。私は日本人のお目付け役がいなくなって、働かない同僚たちがますますサボるようになり、部署が崩壊するのではと心配していたのですが、どちらかというと独裁政権になりそうな予感…。この日本人上司の上司はドイツ人で、この人が私の所属するセンターの所長なのですが、どうやら基本的に日本人がお嫌いなようです。しかも、人の好き嫌いが激しく、日本人部長がいなくなったとたん、彼が思い切り権力を振りかざしそうなのです。一昨日、早速私の同部屋の親父はこの所長に呼び出され、病欠が多いと叱られていました。その時は私も実際そう思っていたところだったので(しかも毎回月曜日だし)、内心「よくぞ言ってくれた」と思っていたのですが、昨日から少々不穏な空気が漂い始めました。この親父は昨日、今後は今までと全く違う業務をするように言い渡されたそうなのです。これって、もしかしたら『イジメ』じゃないでしょうか?私も以前別の日系企業に勤めていたときにやられた手口なのですが、わざと今までと全く違う業務を与えて、本人が辞めたくなるように仕向けたり、実績が上げられなかったらクビにする口実にしたりするのです。彼いわく、他にも色々驚きの変更があるらしく、「明日(つまり今日ですね)はみな機嫌が悪くなるぞ~」と脅されたんですが、今のところ私にはミーティングの連絡も呼び出しもありません。一度日系企業で働いたドイツ人は、辞めても(転職しても)別の日系企業に行くそうです。ドイツでは労働組合が強いのと、駐在員さんが現地人に甘いのをいいことに、日系でのほほんと過ごしているので、他の普通のドイツ企業では使い物にならないのだとか。私のセクションのサボリくんなんて、まさにその典型です。彼は病欠が多いということで、すでにイエローカードを何度も出されており、人事から呼び出しを受けたりもしているのですが、ドイツでは病欠や産休を理由に社員を解雇することはできません。それを知ってか、彼はやりたい放題やっています。うちの部署で即刻クビになった人といったら、今後の業務のために導入するソフトウェアを比較のために多数購入したと偽って、実はまるで買っていなかったという人くらいです。逆に言うと、それくらいあからさまに会社に損害を与えた人じゃないと、クビにはならないのです。サボりくんは昼休みにほぼ毎日1時間半~2時間ほど外出するのですが(ちなみにランチを食べに行くわけではなく、食事は戻ってきてからデスクで食べています)、その時に毎回タイムカードを押して行きません。うちの会社はその辺は厳しく、タバコを吸いに外に出ただけでもタイムカードを押さなければいけない決まりなのに、それも毎回はやっていません。これは労働時間の虚偽申告にあたり、立派に解雇の理由になるそうなんですが、残念ながら私の日本人上司は何もアクションを起こしてくれませんでした。彼がサボった仕事は結局私のところに回ってくるので、実際に迷惑をこうむるのは私一人なんですよね。上司は最終的に誰かがやってくれればいいので、私が訴えてもまともに取り合ってくれなかったのです。さて、上司が代わって、私にとっては吉と出るか凶と出るか…。ちょっとどきどきです。
2010年01月29日
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今朝は起きたらなんと11時過ぎでした…。木曜日の夜、送別会(詳しくはこちら)から帰宅したのが2時だったので、4時間くらいしか寝られなかったのですが、まだその疲れを引きずっていたようです。もう徹夜で朝まで飲むなんて、とてもできません。私がメールの返信を書こうとしていたところ、呼び鈴の音が。近所の人かと思ったら、なんと義父が急に訪ねてきたのです。コーヒーを飲みながらパジャマのままPCに向かっていたところだったので、かなりあせりました。いくら親(義理の親)とはいえ、来る前に電話一本できないのでしょうかねえ。私は急に予定を狂わされるのが嫌いなので、こういう『突然の訪問』というのがかなり苦手です。義母も結構ちょくちょく我が家に立ち寄ることがありましたが、不幸中の幸い(?)、彼女のお目当てはパートナーだったので、私がいない曜日や時間帯を狙ってくることが多かったのです。なので、「なんで急に来るのよ、き~っ」となることはなかったのですが、後で帰宅するとケーキの残りと使用済みのカップがキッチンに置いてあったり、逆に片付けてあるものの位置が普段と違ってたりいて、来たことがばればれではありましたが。それに、義母に前もって知らされずに突然来られると、『抜き打ち検査』のような気がして、それがとても嫌だったのです。義父は2時間ほどいて、「おなかがすいたから」と言って帰っていきました。もしかして、お昼どきに来たのは私たちと一緒にディナーを食べられると思っていたのでしょうか?ドイツでは日曜日の昼に一番豪華な食事を食べるのが伝統なので、それが狙いだったのかも…。我が家はパートナーが普段夕飯しか食べないので、夜に温かい料理を作るのです。週末でも彼が食べないので朝食や昼食を食べる習慣がなく(私はおなかがすくので適当に一人で食べますが)、たまに気が向いたら日曜日に一緒にブランチをするくらい。なので、日曜日のお昼に温かい食事を作ることはありません。そういえば、帰る30分くらい前だったか「今からご飯を炊いてと言ったら、どれくらいで炊ける?」とか聞いていましたっけ。私が1時間半と答えたら、「そんなにかかるのか!」と言っていたのですが、もし20~30分で炊けるのなら、炊いて出してほしかったんですね。今思えば、ですが。でも、ご飯を出してほしかったならば、余計に前もって電話1本入れてくれなくちゃ。結局、今週のいつか夕飯に呼んでほしいと言い残して帰っていきました。義父は私の炊くご飯というか、日本のお米がすっかりお気に入りで、食事に呼ぶと必ずご飯をリクエストされます。これも結構良し悪しで、義父はチャレンジ精神はまるでなく、食べ物に関してはめちゃくちゃコンサバなので、普通に和食を用意してもまず食べられません。ご飯に合って、かつ義父が食べられそうなものって意外と少ないので、義父が食事に来る日は頭が痛いのです。なんでも食べてくれるなら、普段よりちょっと量を多めに作るだけでいいので、楽なんですけどね…。それに、我が家は平日は基本的にご飯を炊きません。会社から帰宅したら6時だし、それから少し休憩して簡単な夕食を作ったらもう8時です。メニューが和食となると、夕食が9時とか9時半になってしまいます。でも、義父は5時とか5時半に夕食を食べる人なのです。それにあわせて食事を出そうと思ったら、私は会社を早退しなければなりません。かといって、週末は土曜日は買出しと掃除・洗濯、日曜日は音の出ない家事(主にアイロンかけ)で終わってしまうので、正直あまり余分な仕事は増やしたくないのです。でも、義母はほとんどずっと専業主婦だったし、男性はきっとそういうことがあまりわからないのでしょうね…。おまけに義父の場合、自分の子供のところへ行くのに前もって許可を取る必要は無い、手土産などを持参する必要も無いと思っているようなので、出来た嫁ではない私は余計むっとしてしまいます。やれやれ、です。。。
2010年01月24日
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昨日は今月末で帰任される日本人上司の送別会でした。私が幹事だったので、プレゼントやカードも用意して準備万端!のつもりだったのですが、なんとお店側の手違いで個室が取れていなかったのです。お店に行き、名前を告げると、アルバイトらしき女の子に「こちらです」と入り口近くのテーブルを示されました。確かに私の名前が書いてありましたが、予約したのは個室なので別人だと思い、「個室の予約をした○○です」と言い直しました。女の子はちょっと困った顔をして「少々お待ち下さい」と言って、引っ込みました。しばらくして男性店員(店長?)が出てきて、「申し訳ありません、手違いで個室が取れていませんでした」と言うではないですか。個室は2つあるはずなので、「今から入れないんですか?」と訊くと、両方とも別のグループで埋まってしまっていて、テーブル席しか用意できないとのこと。個室なら多少騒いでも気兼ねしないで済むし、うちの会社の人だけになので、いっそう盛り上がると思っていたのに…。個室があるからそこのお店を選んで、わざわざ2~3週間も前に電話で問い合わせ、個室が空いているというから予約を入れたのです。せっかくの送別会だし、参加者みんなに「今回は個室なので多少騒いでも大丈夫です」と思い切り言ってしまったのに…・個室が空いていないなら、別にそのお店じゃなくても良かったのです。私がそう言っても、店長らしき人がひたすら「申し訳ありません」と謝るのみ。あまりにもうわべだけの謝り方だったし、お店の対応に頭にきたので、いっそのこと場所替えしようかと思いましたが、遅れてくる人もいるので、連絡が大変そう…。私が迷っていたら、店長が「ボトル一本サービスしますから」と言ってきました。そこで、焼酎一本で手を打たせていただきました。2次会は毎度お決まりのコースでカラオケでしたが、移動した時点ですでに11時くらいだったので、電車の時間が気になってしまい、あまり楽しめませんでした。一番お世話になった直属の上司なので、私1人だけ先に帰るのもなんとなく嫌だし、最後くらいとことんお付き合いしたかったのです。が、私の住んでいる市まで行く電車は11時台が終電。それ以降は市境にある駅が終点になってしまいます。そこで、電車でその市境の手前の駅まで行き、その駅前にあるタクシースタンドからタクシーで帰る覚悟はしていたのですが、な、なんとその終電すらも逃してしまいました。普段、飲み会は金曜日の事が多いので、月~木は夜中1時以降の電車はないということを知らなかったのです。0時台の時刻を調べたところ、0時1分、0時31分というダイヤだったので、1時1分にも電車があると思いこんでいました。1時5分くらい前に店を出て駅までダッシュしたのに、0時31分発の電車が終電だったのでした…。あ~、急いでお店を出て損した他の人も私の少し後にお店を出て、昨日は3次会はなかったそうです。みな翌日も仕事だったので、さすがに自粛したようです。私は2次会だけでも睡眠不足で、今日は眠くて仕方ありませんでした。ちなみに、上司は別名『夜の帝王』と呼ばれていたくらい、お酒・カラオケ好きで、平日の飲み会でも朝までコースが定番だった時期もあるくらいのお方。私も一度くらいは終電の時間を気にすることなく、朝までお付き合いしてみたかったのですが、その前に帰任が決まってしまい、残念でした。ボス、このリベンジ(?)は日本で再会したときにきっと果たさせてもらいますね
2010年01月22日
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パートナーと一緒にGiora Feidmanというクラリネット奏者のコンサートへ出かけてきました。クレズマー音楽と言うジャンルをご存知でしょうか?東欧やドイツに住んでいたユダヤ系住民の音楽で、映画『シンドラーのリスト』で流れていた、物悲しい曲もクレズマーです。このFeidman氏はドイツではかなり有名で人気のあるクレズマーミュージシャンなのです。私のパートナーがこのFeidman氏のクラリネットが大好きで、以前にも1度コンサートチケットをプレゼントしたところ、とても喜んでくれました。去年のクリスマスは直前に義母が亡くなったため、例年のようにはお祝いしないことになったので、パートナーにはプレゼントの代わりに手紙を書き、このコンサートのチケットを添えて渡したのです。本日のコンサートはD市の教会で行われました。つまり、座席指定はなく、チケットは1階席と2階席の2種類のみです。開演は8時で、パートナーは7時に家を出れば十分と言い張りました。ところが、私が少々危惧していたとおり、7時半の到着はちょっとばかり遅すぎました。まず、教会が市内の繁華街の近くにあるため、車を止めるスペースがなく、時間を大分ロスしてしまいました。結局パーキングハウスに駐車してそこから歩き、会場に着いたのは開演20分ほど前。その時すでに1階席の椅子はほぼ全て埋まっていました。いくら指定ではないとはいえ、それほどすぐに席が埋まらないと高を括っていたパートナーはかなりショックを受けたようです。ところどころ席が空いていましたが、それらは大きな柱の影などで、演奏者がまるで見えません。チケットにも「席によってはステージが見えない場合があります」と小さく書かれており、彼にそれを伝えて、早めに行ったほうがいいと忠告したのですが、聞いてもらえませんでした。まあ、音さえ聞こえればステージが見えなくてもたいしたことないかと思っていたので、それ以上強くは主張しなかったのです。ところが、教会の備え付けの長椅子が並んでいる後ろの通路に普通の椅子に腰掛けている人が15人ほどいました。パートナーは私達もそこに座ろうと言い、柱の後ろに並べてあった椅子2つをそこに運び出しました。「移動する前に係員に聞いたほうがいいんじゃないの?」と言っても、大丈夫の一点張り。すると、開演直前になって係員の一人が私達の隣に座っていた老夫婦のところへつかつかとやってきて、「ここに座っていられると開演できません椅子を元の位置に戻してください」と苦情を言いだしました。なんと、その列に座っていた15人ほどの人たちは全て、私達と同様、勝手に椅子を移動してそこに座っていたようなのです。どうりで列の左右で椅子の数が違うと思った…。隣の人が怒られているので、私は移動しようと席を立ったのですが、パートナーは知らん顔しています。苦情を言われたのは隣の夫婦だけで、自分はまだ何も言われていないから、というのが彼の言い分です。私はそこに座ったときからずっと周りの人の目が気になっていたところ、係員に怒られたので、いたたまれなくて困惑するばかり。すると、私達が入ってきたときに席を探してくれようとした男性の係員が来て、パートナーは彼に直接「移動してください」と注意されてしまいました。やっと席を立った彼に係員は「椅子を元の場所に戻してください」と言ったのですが、彼は「主催者側のアレンジが悪すぎる」と言い返し、そのまま立ち去りました。これにはさすがに係員もむっとしていました。私達が少しでも良い席を求めてうろうろしていると、また同じ係員がやってきて、2階ならまだ席が沢山あると言いにきました。でも、ちょっと待って。私達は1階席のチケットを持っているのに、なぜ2階席に行かなければならないの???私が腹が立つのはこういうところです。入り口では、チケットを持っているかどうかをチェックしているだけ。一旦中に入ってしまえば、誰でも空いている好きな席に座れるわけです。この1階に座っている100人くらいの観客の仲に、2階席のチケットしかもっていない人が数割はいると断言できます。もしくは、主催者側がお金儲けのために1階席のチケットを実際の座席数より多く売りすぎた可能性もあります。いずれにしても、正規の料金を支払った人間が2階席に行かなければならないのは納得できません。パートナーにはめずらしく「これがドイツ人だ、典型的ドイツだ」とご立腹。これ、普段は私の口癖なんですけれどね。最終的に私達は1階の大きな柱の真後ろの席に落ち着きました。私の席から見えたのは、弦楽カルテットのバイオリン奏者2名のみ。パートナーは肝心のFeieman氏が見えないのがとても残念らしく、ちょっとふてくされていましたが、私は内心、自分達が他の人より遅く来たのだから仕方ないと思っていました。どうせステージが見えないなら、純粋に音だけを楽しもうと目をつぶってみました。ところが、音に集中していたら、今度は雑音が気になって仕方ありません。街中なので外を走る車の音がするのはしょうがないとしても、鍵を何度も落とす人がいたり、携帯の電源を切っていない人がいたり、ベビーカーを持ち込んでいる人がいて、赤ん坊が何度も声を出したり…。いくら教会でのコンサートとはいえ、無料のチャリティコンサートではないのだから、赤ちゃん連れは辞めて欲しいものです。Feidman氏はジョージ・ガーシュインやピアソラの曲も披露してくれ、演奏はとても良かったです。でも、コンサート中も隙間風が入ってきてかなり寒く、その分100%は楽しめませんでした。パートナーは「演奏は良かったけど、(席や対応に)がっかりした」とのこと。次回はコンサートホールで開催されるコンサートを聴きに行こうとめずらしく意見が一致したところで、久しぶりに日本のラーメン屋さんで腹ごしらえをして、帰途につきました。
2010年01月20日
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去年の秋の時点では、2年ほど前に入団した吹奏楽団の方は退団するつもりでしました。CDの録音が終わり、12月頭のユニセフ主催のガラコンサートに出演したら、それを最後にするつもりだったのです。指揮者.楽団共に音楽的レベルがちょっと低いのと、何よりも私語の多いだらだらした練習がとても嫌だったので。でも、皮肉なもので、CDの録音のために何度も特別練習をし、週末も長い時間を一緒に過ごしたので、少し情のようなものが沸いてきてしまいました。また、義母の危篤・急逝のため、ガラコンサート出演を急にキャンセルすることになってしまい、今ひとつけじめがつけられなかったのです。それに加え、そんなことで苦労して録音したCDも結局受け取りに行かれなかったため、トランペットのメンバーの1人に「代金は後で必ず払うから」と言って、家に郵送してもらいました。そのお金も返さなければならなかったので、しぶしぶ初練習に出向いたと言うわけです。でも、本当は別のもっと良い楽団が見つかったら、この楽団はすぐにでも辞めてもいいと思っています。去年の秋に見つけた吹奏楽団はレベルも高く、とても満足してますが、年に4回しか練習がありません。この団の練習がない時も定期的に楽器を吹いていないとレベルが維持できませんので、どうしても他の楽団を探さなければならないのです。教会のポザウネンコアでもいいかな?とも思ったのですが、やはりあまりにも音楽的レベルが低すぎて、持久力の維持くらいしか期待できそうにありません。ドイツへ来た直後に入った吹奏楽団の私と確執のある指揮者がまた辞めたようですので、そこに戻ることも考えましたが、やはり今更戻りにくいものがあります。それに、高速道路を使っても一時間くらいかかるので、ガソリン代も高くつくし、やはり遠いと何かと不便です。去年の秋に入った楽団では今年の春、国際コンクールにも出場する予定なので、早くちゃんとした別の楽団を見つけて練習に励まないと…とあせってはいるのですが、めぼしい楽団がないのです。というわけで、しばらくは今の楽団に所属することになりそうです。今年、どんな行事(コンサート、演奏旅行等)があるのかはまだ発表されていませんが、7月に予定されているポーランド演奏旅行は既に断りました。今月はひたすらお試しをしてます。指揮者に何か思うところがあるのか、以前よりレベルが高めの楽譜が配られています。で、今日のお試しの曲の楽譜を見ていて思ったのですが・・・。海外の出版社の楽譜って、どういう風に扱われているのでしょうか?いや、もちろん版元と何らかの契約を交わして、代わりに販売しているということはわかっていますが。たとえば、こちらでも「ニューサウンズインブラス」の楽譜は人気なのですが、「デ・ハスケ」が販売しているため、NSBの名前は知らない人が多いのが日本人の私としてはちょっと不満。吹奏楽に詳しい人はNaohiro Iwaiの名前を知っている場合もありますが、普通の人は編曲者の名前までは見ていないようです。で、今日のお試しの中に星出さん編曲の「アメージンググレース」があったのですが、こちらの版元はヤマハとなっていました。この楽譜、日本ではNSBでは無かったですか?なぜデ・ハスケの出版ではないのでしょう。作曲者・編曲者の方は曲ごとに交渉・契約しているのですか???さらに、「スターウォーズ・サーガ」というヨハン・デ・メイ氏編曲のスターウォーズをお試ししました。で、ふと思ったのですが、この「スターウォーズ」のようにデ・ハスケが独自で楽譜を出している場合(特にデ・メイ氏が編曲している場合)、NSBの同曲の楽譜はやはり売らないのでしょうか???この「サーガ」はNSBの「コンサートセレクション」ととてもよく似ていましたが、私はNSBの編曲の方がいいと思ったもので…。まあ、自分が演奏経験があるからそう感じただけかもしれませんが。でも、本当に似てるんですよ~。って、もしかしたら、ここは突っ込んではいけないところなのかしら
2010年01月19日
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1週間ほど更新できませんでしたが、変わりなくやっております。パートナーが現在、インターネットプロバイダーをドイツ某大手T社から変更しようとしています。そのため、設定が終わるまで家でインターネットができなかったり、先にこのプロバイダーへ変更した義父が家に来て、パートナーと二人で1日中PCをいじっていたり、ということが続いていたのです。本当なら昨日(土曜日)、新しいプロバイダーから技術者が我が家に来て、ハードの設定を行うことになっていました。こちらは土曜日は休みの会社が多いので、『本当に来るのかな~?』と半信半疑でしたが、8時以降に来ると言われていたため、早起きして待っていた(私はお昼前に出かけましたが)ところ、結局来なかったとのこと。さすがドイツの会社、相変わらず「サービス」という単語は辞書には無いようです。これは電話会社、家具屋、その他どこも同じです。時間指定なんて概念はなく、せいぜい「午前中」か「午後」くらいしか選択肢はありません。時間指定があったとしても、それは向こうから一方的に指定されるもので、「この日のこの時間に来ます」という紙が郵便受けに放り込まれているだけです。おまけに約束の時間に来ない事がざらなので、わざわざ有給を取って待っていた日には頭に血が上ります。いつ来るか分からないので、家から全く出られないし、ちょっとトイレに行ったりするのも気を遣うし、本当に困るんですよね。いつか改善される日が来るのでしょうか。話がそれましたが、自宅で自分の好きなときにPCが使えず、不自由しています、ということが言いたかったのです。でも、こんな状況下でも、インターネットで嬉しい再会もありました。4年くらい全く連絡がなかった友人が私を見つけてくれて、突如メッセージが届いたのです。理不尽な理由で一方的に去っていった友人だったので、向こうからまた連絡をしてくることは決してないだろう思っていましたが、こちらが謝る理由も無いし、そのまま放っておきました。でも、彼女は当時の不義理を反省し、謝ってくれたので、その謝罪を受け入れました。ちょうど義母を失くしたばかりで、一期一会とかそういうことについてつらつら考えていた時期だったので、すんなり許す気になったような気がします。そう考えると神様(天国の義母?)の采配だったのかもしれません。一期一会といえば、私を今の会社に採用してくださった私の直属の上司が今月末に日本に帰任されることになりました。年が近いと言うこともありますが、えらぶらずオープンな性格の方なので、かなりざっくばらんに色々なことを話し合いながらやってきました。一応、1年後にまた戻ってくるという前提での帰任なのですが、本当に突然のことで、ショックです。うちの部署はなぜか給料以上の働きは絶対しないと固く決心しているような同僚が集まっているので、入社以来ぶち切れた事が何度もありました。この上司でなかったら、もしかしたら転職を考えていたかもしれません。彼がいなくなってしまったら、ただでさえ働かない同僚たちがますます図に乗り、やりたい放題好き勝手をするのが目に見えています。我が部署が崩壊しないうちに、1日も早く戻ってきてもらわないと…。去年の年末から引き続き、周囲の人間関係に大きな変化が起きています。2010年が始まってまだ半月ほどですが、今年は激動の年になりそうです。
2010年01月17日
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去年から練習に参加し始めた団体で、今年はコンクールに出場します。4月に3日間かけてイタリアで行われる吹奏楽コンクールです。ヨーロッパでのコンクールは…6年ぶり?そのコンクールのプログラムが今日メールで転送されてきました。今年の審査員には残念ながら日本人はいません。一番の有名人は私達の選んだ課題曲の作曲者、ハーディー・メルテンス氏でしょうか。私達のエントリーしている最上級のカテゴリーは2日目です。我が団の演奏順はその日の一番最後だったのですが、時間を見てびっくりなんと演奏開始が23時35分となっていました。プログラムをじっくり見て、さらにびっくり一団体の持ち時間がなんと1時間もあるのです。ステージセッティングに15分見ているとしても、45分もあります。そういえば、去年の練習のとき、演奏前のウォーミングアップやチューニングも審査の対象とか言っていました。ひえええええ。課題曲を作曲者の前で演奏するより、こっちの方が緊張しそう(涙)。それにしても23時35分開始ということは、終わるのは夜中の1時前じゃないですか。平日の私は10時過ぎにはベッドに入り、ちょっと読書してから11時前に寝る生活。春になったら、遅くまで起きているトレーニングしなくっちゃ。
2010年01月12日
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年が明けて、ようやく我が家にも普通の日常が戻ってきました。パートナーもまたフルに仕事を始めて、大分気がまぎれている様子です。さすがに気を使ってくれているのか、義父の訪問も先週は一度もありませんでした。が、私が仕事始めだった4日はパートナーはまだ休みだったので、数時間義父と一緒に過ごしました。その際、「真面目な話がある。近いうちに時間を取って家に来てほしい」と言われたとのこと。電話では話せないことらしいです。義母に初めて癌が見つかった際も、義両親から電話があり、「話があるから実家に来るように」と言われました。指定された日時まではまだ1~2週間ありましたが、その間はどんな内容の話なのかも全く知らせてもらえず、私たちは不安で悶々とした時間を過ごしたのです。正直「またか」と思いました。パートナーにさらに話を聞くと、二人きりで話がしたいと言われたそうで、私は一緒に行ってはいけないとのこと。となると、内容はおそらく家(相続)のことだろうと想像できますが、パートナーもそう思ったらしく、義父に尋ねたところ、「家の事ではない」と言われたそうです。まさか義父にも深刻な病気が見つかったとか、そういうことなのでしょうか?本日、やっとパートナーに時間ができたので、夕方から一人で実家に出かけていきました。相続に関する話ではなく、でも私がいてはできない話というと、つまり私が反対するだろう内容というわけですよね。となると、やはり同居か、もしくは実家の一軒家をうちのアパートと交換してほしいと言われるのか…。2時間半ほど経ったとき、パートナーから電話がかかってきました。「どうだった?何か深刻な話?」とたずねると、全然違いました。なんと義父には今気になる女性が2人いて、お付き合いしても差し支えないかと聞かれたそうです。パートナーから義父が家に関することとではなく真面目な話をしたがっていると聞いたとき、私は半分冗談(でも半分本気)で、「もしかして、再婚の話だったりして。お義父さん、彼女でもできたんじゃないのぉ?」と言ったことがありました。するとパートナーはちょっと怒ったように「そんなことはありえない。お父さんはお母さんが亡くなってすぐに別の女性を見つけられるようなタイプじゃない」と反論してきました。でも、以前我が家に来たとき、義父は伴侶を失くした年配の人のためのフォーラムに登録したと話をしていたのです。「写真を載せたら、結構反響が大きくて、感じのいいメールももらった」とまんざらでもなさそうでした。そのことがあったので、「もしかしたら彼女ができたのかも」と思ったのです。その私の女の勘(笑)が見事当たっていたわけです。それにしても、男性ってみんなこうなのでしょうか?義父がパートナーに話があると言い出したのは、義母が亡くなって1ヶ月も経っていない時なのです。日本で言うとまだ四十九日も過ぎていないのに、私から見るとちょっと早すぎるような気がして、なんだかお義母さんがかわいそうと思ってしまうのですが…。まあ、でも義父がやっと前向きになってくれたのは非常に喜ばしいことではあります。急に一人暮らしになったことで、寂しくてますます引きこもり、そのうちウツになってしまうかと心配していたくらいなので。少々複雑な気分ではありますが、お義父さんの恋がうまくいくよう、私も影ながら応援したいと思います。
2010年01月10日
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昼休み、インターネットで主要ニュースをチェックしていたら、『小澤さんがん告白』の文字が。嫌な予感がしてヘッドラインをクリックしてみたら、なんと食道がんだそうですね。とてもショックです。小澤氏のオペラ座の任期が今シーズンで終わるので、金銭的に余裕があったらもう1度ウィーンにオペラを聴きに行きたいなあと思っていたところでした。まさか、このまま音楽監督を降りてしまわれることになるとは…。以前にも書いたことがありますが、やはり気になるコンサートは多少無理してでも聴きに行っておくべき、ですね。それにしても、このごろ私の周りでは癌の話題がとても多い気がします。1ヶ月前に義母を癌で失くしましたが、他にも親戚や友人・知人のご家族など、癌と闘っている人がいます。それだけ癌人口が多いということなのか…。幸い、小澤氏のがんは初期段階とのことなので、手術後にゆっくり休養され、また戻ってきてくれると信じています。1つ気になるのは、記事に「1月から6月の間に日本とウィーンで予定されている公演を全てキャンセル」とあったこと。ウィーン以外のヨーロッパ公演はキャンセルにならないのでしょうか。私が去年から楽しみにしていた小澤氏指揮のベルリンフィルのコンサート、6月21日なんですが…。常識的に考えたら、やっぱりこちらもキャンセルになるんでしょうね…。残念です。
2010年01月07日
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今年の冬はなぜか異常に雪が多いドイツです。私が住んでいるエリアはオランダに近く、ドイツの中ではかなり温暖な地域になります。例年では、雪が降ってもそれほど積もることは無いのですが…。私は今日から仕事に戻りました。パートナーが今日1日有給だったので会社まで送り迎えしてもらったのですが、せっかくの有給だったのに、全然自分の時間が無かっただのなんだの、ぶーぶー言われて閉口しました。こうなるのが嫌だったからこそ、去年のうちに冬タイヤを購入しておきたかったのに…。通常、ドイツで夏タイヤから冬タイヤに帰るのはめっきり寒くなる11月頃です。でも、去年の11月はまだ比較的暖かく、例年なら夜の間にフロントガラスが凍るのに、1度も凍らなかったのです。しかも、上旬はプチバカンスに出かけたので、冬タイヤ購入はその後でいいだろうと思っていました。ところが戻ってきた日からは、義母の癌の再発(転移)が判明、入院そして急逝とずっとばたばたしてしまい、週末もまるで時間が取れなくなってしまいました。そうこうしているうちに大寒波がやってきて、大雪は降るは、気温はマイナスの日が続くは、本格的な冬の到来。私は年末は12連休でしたので、この間に何とかしたいと思っていました。車関係のことはよく分からないので、詳しそうな同僚にきいたところ、タイヤを安く買えるウェブショップを教えてくれました。パートナーと一緒にそこのサイトを見て、注文するつもりだったのです。ところが彼は自分が面倒くさいものだから、「タイヤ屋より、先ずはスズキのディーラーにきいてみたほうがいい。年明けに自分がディーラーに電話するから」と言って、先延ばしにしたのです。でも、去年も仕事始めの日の朝、大雪で車が出せないという経験をしたので、「今年もまた仕事始めの日に雪が積もるかもしれない。そうなったらどうするの?」と聞いたところ、「4日は有給だし、その時は自分が会社まで送っていくから心配するな」と言っていたのです。そうしたら、まさにその通りになってしまいました。でも、いざ本当にそうなったら、文句タラタラなんですよね~。まさにこうなるのが嫌だったから、早く冬タイヤに換えたかったのです。彼は私が会社に送って行ってもらえるのを喜んでいると思っているようですが、全然違います。自分の車で行った方が早いし、彼の都合に縛られず、自分の好きな時間に退社できるし、恩着せがましい事を言われなくて済みますから。雪道の運転の経験が全く無いわけではないし、無理すれば自分の新車で出社できたかもしれません。ただ、もしも雪道で事故に巻き込まれたり警察に止められた場合、冬タイヤを装着していない場合は非常に分が悪くなります。事故で車や自分の身に何かあっても、保険も降りないかもしれないのです。そのため、どうしても自粛せざるを得ません。今週末も彼の会社関係のスケジュールが入っているので、冬タイヤを買いに行く時間は取れそうもありません。これからまだまだ寒くなり、雪ももっと降るという予報なので、非常に不安で憂鬱です。雪の日は家でぬくぬくしていられるのであれば、家の中から銀世界を眺めるのは好きなんですけどね…。
2010年01月04日
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お正月とはいえ、こちらでは祝日は元日のみですので、会社やお店は2日から通常営業となります。学生時代は授業も2日開始で、日本人の私にはそれがとてもつらかった…。幸い今年は2・3日が週末にかかっているため、例年よりはのんびりとお正月気分を味わうことができます。ただ、お正月気分を味わおうにも、ドイツではなかなか難しいものがあります。特に食事に関しては、一体何を食べればいいのという感じです。せっかくだからちょっと特別にしたいけれど、日本食の材料は余り手に入らないし、高いし、ドイツにはお正月の定番料理なんてものは存在しないし…。大晦日のお昼頃にあわてて2日分の買出しに行きましたが、大晦日の夜と元旦のことしか頭になく、元日の晩御飯のことをまるで考えていませんでした。朝はゆっくり起きたので、午前11時ごろに毎年恒例の三種の神器(笑)で済ませましたが、さて晩御飯どうしよう…。最近はあまりまめに買い物もしていなかったので、冷凍ピザ等の買い置きもありません。たまたまクリスマス前に買ったオーブンで焼くだけのチアバッタがあったので、とりあえずそれを主食にすることに。卵とベーコンがあったので、ベーコンエッグを作り、主菜に。さらに、これまたクリスマス前に付け合せ用に買ってあったソラマメのクリーム煮があったので、これを副菜にしました。おまけ(?)にチーズを出し、シャンパンを開けました。一応まともな食事になりましたが、お正月気分もへったくれもありません…。2日目は家事をしている際に、ふとステーキが食べたくなりました。そこで思いきって「今日か明日の夜はステーキにしない?」とパートナーに提案してみました。ここ2ヶ月近くどこにも出かけていないし、お正月なんだから少しくらい贅沢しようよ!と言ったところ、彼ものってきました。明日の夜のほうが都合がいいというので、ステーキは1日お預け。さて、今日の晩御飯は何にしよう?と思っていたら、パートナーが「鴨肉が食べたい」と言い出すではないですか?さすがゲルマン民族、根っからの肉食です。私は農耕民族ですので、毎日毎日肉をガッツリ食べる気はしません。なので、「今日鴨肉で明日はステーキ勘弁して~」と言い、「もし今日鴨肉が食べたいなら、明日の外食はステーキじゃなくてお寿司とかにしよう」と妥協案を出してみました。すると、あっさり受け入れられたのです。お寿司のほうがお正月らしいし、私的にはラッキーな展開となりました。というわけで、本日のディナーは鴨胸肉のソテー。付け合せはほうれん草のゴルゴンゾーラソースとインゲンのベーコン巻き。どちらも冷凍のものを使い、楽しちゃいました。鴨肉のソテーは去年のクリスマスに初めて作ったところ、パートナーに大・大・大好評で、以来我が家の定番になりました。本当はオーブンを使って焼き、出てきた肉汁を使って別の鍋でソースを作るのですが、普段作るときは手抜きバージョン。フライパン1つで全部済ませてしまいます。それでもなぜかおいしくできるんですよね~。自分でも「私ってもしかして天才」と思うくらい、おいしかったです。新年早々、自画自賛ですみません…。さぁ、明日は久しぶりのお寿司お店が冬休み中でないことを祈るばかりです。
2010年01月02日
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新年明けましておめでとうございます。昨年中は愚痴の非常に多い私のブログにお付き合いくださり、どうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。先ほど、毎年恒例のウィーンフィルのニューイヤーコンサートが終わりました。これを聴いてやっと「年が明けた」という気がします。日本はもう元日が終わろうとしているので、ちょっと間抜けなタイミングですが…。いつのころからか、我が家のお正月の三種の神器(お刺身、数の子、お雑煮)を食べながらニューイヤーコンサートを鑑賞するのがお決まりの元旦の過ごし方になっています。今年のドイツの元旦は雪景色です。年が明ける1時間くらい前から振り出して、今もまだ降り続いています。元旦に雪が降るというのはあまり経験がありませんでしたが、粉雪が舞う中で聴くウィーンフィルもなかなか乙なものでした。今年の指揮者はお気に入りのプレートル氏でしたし、新年早々堪能いたしました。今年、2010年は私たちの住むルール地方が世界文化都市になることになっています。去年、コンサートの回数をセーブしたのは、今年に予定されているめぼしいコンサートに目一杯お金をかけるためという理由もありました。とりあえず、1月から6月までは毎月1つ、コンサートを聴きに行く予定です。お気に入りのオケや指揮者が何度も来てくれるので、うれしい悲鳴です。チケットがもう少し安ければ、全部聴きに行きたいところですが、こちらでも一流オケのコンサートチケットは200ユーロくらいしますので、手当たりしだいというわけにはいきません。今のところ、コンサートだけで手一杯で、バレエやオペラ等はまるでチェックできていませんが、こちらもかなり期待できるのでしょうか?4月には所属する吹奏楽団で初めての国際コンクール出演も控えているし、2010年は音楽を思いきり楽しむ年になりそうです♪皆さんは新しい1年、どんな年にしたいですか?
2010年01月01日
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今年最後のブログは良いことがかけるといいなぁと思っていましたが、またちょっと頭に来ることがありました。なんと税務署から手紙が来て、税金の追徴金を払えというのです。それも金額が5百数十ユーロで、格安チケットだったら日本に行って帰ってこられるほどの額です。例年ならば、払いすぎて結構な額が戻ってくるのに、まるで戻ってこないどころか、500ユーロの出費なんて痛すぎます~。確定申告は我が家ではいつもドイツ人夫の担当です。自分でやればできないことはないとは思いますが、お金に関することですし、ドイツのお役所の文書はややこしいので、毎年彼にまかせています。私の必殺の一言は「日本に住んでいたら、私が全部やってあげるのにねぇ」でございます。ただ、我がパートナーはいつもぎりぎりにならないとやらないので困っています。今回も連絡が来たのは2009年の分ではなく、20008年の分なのです。毎年、前年の確定申告を年末にやって、大晦日に税務局のポストに自分で投函するのが恒例で、今まではそれで何とか受理されていました。今年は28日の夜になって、ようやく「そろそろやらないとまずい」と作業を始めました。そこまでは良かったのですが、その日中に終わらなかったようなのです。途中で眠くなってしまったのか、何か足りない書類があったのか知りませんが。それなのに、なんと29日は仕事の帰りそのまま親友と待ち合わせして遊びに行ってしまい、夜中まで帰ってこなかったのです。つまり、28日に取り掛かりはしたものの、作業完了せず、そのままほうったらかし。そうしたら、30日に例の手紙が届いてしまったというわけです。せめて親友に会うのを30日にしてくれていたら29日に書類を仕上げられて、30日の朝に投函できたのに…。そうしたら、「手紙が届いた時点ではもう書類は提出済みでした」と強く出られたのに、と頭にきて仕方ありません。でも、文句を言うと、それなら自分でやれと言われるのは目に見えているので、文句を言うこともできないのですよね…。ちなみに、仕事納めだった昨日は、「疲れているから今夜はもうできない、明日の朝早く起きてやる」と言いつつ、夜中までテレビを見ていました。今、大晦日の午前10時前ですが、まだ起きてきません。もうあきらめて罰金(追徴金)を払うつもりなのでしょうか。結構大金なのに~~~これからまだドイツのLittle Tokyo、D市にお正月の買出しに行かなければなりませんし、義父が我が家に来ることになっていますが、今夜のメニューもまだ決まっていません。今日はお店は午後1時か2時にはしまってしまうので、時間との戦いになり、いらいらしてまたけんかになるのは必至。まったく進歩のない我が家です。来年はもっと良い年になりますように。友人・知人の皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
2009年12月31日
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今日は久々に人混みの中へ出てきました。義母の具合が急に悪くなってから1ヶ月ほど、自分の生活圏からまったく出ていませんでした。前半は時間がまるでなく、後半はパートナーや義父に申し訳なくて。クリスマスも24日からず~っと家にこもっていて、なんだか息が詰まってきたようです。クリスマスの連休が明けたら、ショッピングに行こうと決めていました。朝起きたら小雨がぱらついていてあいにくのお天気でしたが、気にしない。雨天決行とばかりにえいやっと出かけて参りました。電車に乗ってまず目指したのは、お気に入りのブランドのお店。12月の頭、初めてこのお店からプライベートセールのお知らせが来て、初日に行ってみようかと思っていたところ、義母が入院。当然、出かけるのは中止にし、毎日病院へ通うことにしました。クリスマス後の街はもらったプレゼントを交換する人や、セール目当ての人でごった返しています。普段は人混みはあまり好きではありませんが、なんとなくほっとしている自分がいました。お気に入りのお店で何着か気になったものを試着して、その中から2着だけ購入しました。10月中旬に義両親とパートナーと一緒にフランスのコルマーへ行って以来のショッピングなので、逆上して衝動買いしまくってしまうのではとちょっと不安でしたが、大丈夫でした。以前は気に入ったものがセールだったら、すぐに買ってしまう傾向がありましたが、最近は「気に入ったものが必ずしも自分に似合うものではない」と悟り、あまり失敗しなくなりました。大人になったなあ…(苦笑)。それに加え、義母が亡くなって以来、物欲がめっきり無くなってしまったのです。その後、2~3軒のお店を覗きましたが、これというものもなく、何も買わずにショッピング終了。ちょっと疲れてきて、甘いものが食べたくなったので、お茶することにしました。ショッピングセンターの中に入ってみたら、イタリアンカフェがあったので、そこで休憩。カプチーノとチョコレートシュークリームを注文しました。知らない人たちに囲まれて、ボーッとお茶をしていたら、少しずつ気分がほぐれていくのがわかりました。うまい言い方が見つけられませんが、「これでやっと社会復帰できた」という感じがしたのです。ウィンドウショッピングとかカフェでお茶とか、そういう何気ない楽しみを最近の自分はものすごく欲していたのだなあと改めて気づきました。結局、街中にいたのは3時間足らずだったでしょうか。戦利品の洋服たった2着(2着も買えば充分かしら?) を抱え、また電車に乗り込みました。溜まっていたストレスをほんの少しだけ開放できた1日でした。
2009年12月28日
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クリスマスがやっと終わりました。今年は何かというと義父のことでパートナーと言い合いをしてしまい、とても嫌なクリスマスになってしまいした。私の中でも、最愛の妻・母を失くしたばかりのお父さんやパートナーをサポートしてあげよう、自分にできることは何でもしてあげようという気持ちは当然あります。ただ、義父が自分ではまったく自立する努力をしようとせず、今の自分は何でもしてもらって当然という態度なのがどうしても鼻につくのです。どんな状態でも、人に何かしてもらったら感謝の気持ちを忘れてはいけないのではないでしょうか?さらにパートナーがあまりにも義父を甘やかしすぎることも気に障ります。「今は特別な時期だから、義父を最優先にするのは当然」というパートナーの理屈は理解できます。ただ、その「特別な時期」というのはいつか終わりが来るのでしょうか?本当にしばらくしたら義父が自分一人でも前向きに生活していこうという気になってくれるのならば、今だけ精一杯手助けしようと思いますが、どうもそうは思えないのです。今日は午後、義父を家まで迎えに行って、3人で散歩に行ってきました。前日(26日)はクリスマス最終日でしたが、あまり寒くなく、青空も広がり、とても気持ちの良いお天気だったのです。さらに、クリスマス中唯一何も予定がない日だったので、気晴らしに外に散歩に行こうとパートナーを誘ったのですが、疲れていて行きたくないと振られました。結局パートナーは午後中ほとんどずっと昼寝をしていて、起きてきてからはテレビ三昧。夕食のアヒルの丸焼きも本当は彼の担当でしたが、私が一人で作りました。なんと2時間もかかったのですが、出来はいまいち。クリスマスだというのに、夕食を食べている間も特に会話もなく、パートナーは夕食前から見ていた冒険映画をずっと見ているし、食後もその映画を見るというので、私はつまらなくてさっさと先に寝てしまいました。その映画は去年も今頃の時期やっていて、パートナーは去年も見ていたのに、今年もまた見ているのです。去年は無理やり一緒に見せさせられましたが、私にとっては面白くもなんともありません。さらに、今日のお昼頃になったら、「午後にお父さんと散歩に行くことになっているけど、一緒に行く?」なんて突然訊いてきました。いつそんな約束をしたのか知りませんが、こちらはいつも直前になってからそういう予定を知らされるので、イライラして仕方ありません。それに、それならそうと昨日私が散歩に誘ったとき、「明日お父さんと散歩に行く約束をしているから今日は行かない」と言えばいいものを、黙っているから余計腹が立つのです。今日の我が家の夕食は刺身だったので、さすがにお父さんを招待しようとは言いませんでしたが、お父さんは自分の夕食が済んだらうちに来るかもと言って帰って行きました。一事が万事すべてこんな調子なのです。家にいると、いつ義父が来るかわからないので、正直落ち着きません。私が一番腹が立つのは、何をやってあげても当然という態度をとられることなのですが、パートナーはそれをいまひとつ理解してくれません。今年は12月に入ったとたんお母さんが入院してしまい、クリスマス関連の行事すべてをキャンセルせざるを得ませんでした。もちろん、お母さんがいつ亡くなるかわかりませんでしたので、自分の判断で決めたことですし、それは間違っていなかったと思っています。が、ユニセフのコンサートも会社のパーティーもすべてドタキャンや欠席して、その後もクリスマスマーケットにも一度も行かれず、クリスマスらしいことは何ひとつできませんでした。それでもパートナーが一言「今年はクリスマスらしいことが何もできなくてごめんね」とか「来年はまたちゃんとお祝いしようね」とか言ってくれれば、許せたのです。そういう思いやりの一言が何もなく、私が何をしても「当然でしょ?」と受け取られるのがものすごく嫌なのです。義母が亡くなった後は、さらにひどくなり、何でもかんでも義父がすべて優先。さらに食事に招待しても何をしても、パートナーもお父さん本人もお礼すら言いません。3人で一緒に出かけても、会計はすべてパートナーが支払い、義父はそのときも知らん顔で「ありがとう」の一言もありません。こんな毎日なので、せっかくの連休ですが気も休まらないし、休み中に何の楽しみもないし、正直毎日が憂鬱です。これだったら会社が休業でないほうが良かった、とすら思ってしまいます。私たちが二人とも仕事だったら、お父さんも我が家に来ることはできませんから…。なんて、こんなことを考えてしまう自分勝手な自分も情けなく、余計落ち込んでしまうのですが。私自身、なるべく助けてあげたい気持ちと、早く自立してほしい気持ちがせめぎあっていて、どうしたらいいのかわからないのです。このままだと、そのうちパートナーが義父の家で同居しようと言い出しそうで、それも心配…。同居問題とか、こちらではあまり聞いたことがないのですが、まさか自分が結婚5年目にして巻き込まれるとは、夢にも思っていませんでした。が、これが現実というものなのですね…。
2009年12月27日
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今年は初めて義母のいないクリスマス、しんみりとしてしまうだろうなあと予想していましたが、想像していたのとはちょっと違いました。私にとっては葛藤の連続、苦しい毎日でした。私は「できた嫁」ではないので、滅私奉公のようなことは耐えられないのです。イブ当日、私は予定通り午後2時過ぎに家を出て、午後3時からの礼拝で演奏してきました。私たちの教区では、イブの午後は礼拝が3度もあり、最終回は5時からですが、ポザウネンコアのメンバーも家族と一緒にお祝いします。そのため、最終回では終わるのが遅すぎるということで、毎年3時からの礼拝に出演するのがお決まりなのです。パートナーにも来てほしかったですが、お料理で忙しいからと言って着ませんでした。実は今年はお母さんが具合が悪くなる前からガチョウとアヒルを注文してしまっていて、もうキャンセルができなかったそうなのです。それで、パートナーがイブの日にガチョウを焼いてお父さんに食べさせると言い出しました。(私は丸ごとの鳥を焼いた経験がないので、できないと言ってありました。)彼に任せるのはちょっと不安でしたが、私は教会へ行くので時間がないし、ずっと前に一度親友と二人で焼いたことがあると言うので、やらせてみることにしたのです。礼拝を終えて、4時半過ぎに家に帰ったら、もう義父が来ていました。私が出かけている間、3時ごろから来ていたみたいです。いくら家に一人でいるのが嫌だと言っても、ディナーは6時~7時くらいからなのに、ちょっと早すぎですよね…。彼がお父さんと二人でリビングのソファに座ってくつろいでいたので、お料理の守備を聞いてみたら、完璧だとのこと。キッチンに見に行ってみると、確かにガチョウはオーブンに入っていましたが、それ以外は手付かずのまま。二人でずっとおしゃべりしているし、仕方ないので、残りの料理(サラダ、ガチョウのソース、その他もろもろ)は私が全部作りました。お父さんは付け合せはご飯にしてほしいと言っていたので、急いでお米を研いでご飯の用意もしました。食器洗い機の中のものもそのままだったので、それも全部片付けました。帰宅してからディナーを始めるまで、ず~っとキッチンにこもりっきりです。でも、二人ともそれが当然と思っている態度なので、その時点ですでにちょっとむっときていました。食べ終わるころ、義父とパートナーがまた義母の話をしだして、私のことは眼中にない様子。なので、全部食器を提げ、食器洗い機の中に片づけて、生ごみを外のゴミ箱に捨てに行って…と後片付けも全部一人でやりました。でも、それでも二人は知らん顔で、席を立って手伝おうともしないし、「ありがとう」の一言もないのです。義父は好き勝手なことばかり言うし、思い切りくつろいでいて、何でも私たちに全てやらせるし、せっかくのイブだというのに、だんだん腹が立ってきてしまいました。その後、私は心ばかりのプレゼントを用意していたので、気を取り直して二人に渡しました。今年はクリスマスは派手に祝わないということになっていたので、例年のようなクリスマスプレゼント交換も行なわないとのことでした。なので、私も例年のように洋服とか日用品とかを買ったわけではなく、音楽ならきっと安らぎを与えてくれるだろうと思い、義父には私たちが録音したCDを、パートナーには彼が大好きなミュージシャンのコンサートチケットをプレゼントしたのです。それ以外にパートナーには気持ちをこめて書いた手紙を添えました。ところが二人はまるで嬉しそうではなく、「今年はプレゼント交換はなしだと言ったのに…」と迷惑そうなのです。私だってその意図は理解していましたので、例年のように物ではなく、二人の悲しみを癒してくれるようなものを選んだつもりでした。お金だって例年に比べたらほとんど使っていません。私の気持ちを示したかっただけなのに、いきなり批判されてがっかりしてしまいました。しかも、お父さんはおざなりに包装紙を破って中を見ただけで、またしても「ありがとう」すら言わないのです。もちろん、お父さんから私たちには何もなしです。それは当然だと思っていましたが、後で聞いたら、義母は子供たちのクリスマスプレゼント用に500ユーロを用意していたというのです。義父はそれを叔母さんの家の子供2人と、パートナー妹さんの子供2人に分けて、現金であげるそうです。そこまでは理解できました。ところが、義父はパートナーの妹さんにも400ユーロあげるというので驚いてしまいました。お葬式の前、実家に泊まっていたときに、食料品を買ってくれたからだというのですが、妹さんが買ったものは牛乳とか果物程度です。それに、実の娘が両親を助けるのは当然のことだと思うのですが…。義母が亡くなった後、私たちも義父を何度か夕食に招待しましたし、今回クリスマスイブも我が家に招待したわけですが、それらはすべて「当然」のようです。私たちがそういうことをするのは当然だとみなされて、妹さんがたまにちょっと何かをするとすぐにほめられ、おまけにお小遣いまでもらえるなんて、理解に苦しみます。妹さんはクリスマスは「自分の家族と過ごしたい」と言って、実の娘のくせに、お父さんをクリスマスディナーに招待していないんですよ?義父は私たちの家に来ても、「自分の子供の家だから遠慮は要らない」と思っているのかもしれませんが、それならば妹さんにも同じように接してほしいものです。というか、実の娘に気を使いすぎだと思います。妹さんにそれほど気を使うならば、私(息子の嫁)にももうちょっと気を使ってくれてもいいのでは???なんだかすべてが納得いかず、苦いクリスマスイブとなってしまいました。こちらではクリスマスはまだあと2日続きます。はてさて、どうなることやら…。
2009年12月24日
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今月は忌引きなどで予定外に休んでしまったため、本日23日も出勤する予定でしたが、残業時間消化のため、代休をいただくことにしました。21日は同部屋の同僚のおかげで午後中ばたばた、22日も彼の業務でかなり時間をとられてしまい、ぐったりでしたが、なんとか22日中に自分のやるべきことも終えることができました。23日は日本が祝日で本社も休みですし、ヨーロッパの同僚・ビジネスパートナーたちもクリスマス休暇に入っている人が多く、出勤してもほとんどやることがないのが目に見えています。とういわけで、今年は期せずして12連休となってしまいました。ゆっくり休めるのはうれしいけれど、今年はあまりうれしくありません。我が家は2週間前に義母を亡くしたばかり。ドイツには喪中という概念はありませんが、やはりクリスマス前に家族をなくした場合、クリスマスを例年通り祝うことはしないようです。それを受け、私も今年は日本以外に住む友人たちには毎年恒例のクリスマスカードを送るのをやめました。クリスマス自体も、今年は派手に祝ったりはしないとのこと。ただ、義父が一人で家にいるのは嫌だと言うので、持ち回りでクリスマスディナーに招待することになりました。イブは我が家、第一クリスマスは叔母の家がそれぞれディナー担当です。第二クリスマスは義妹の家にお茶に招待されたそうです。当然、今年はクリスマスプレゼントの交換もしないとのことです。私は義父とパートナーに心ばかりのプレゼントを用意しました。と言っても、例年のように洋服や日用品などを色々購入したわけではなく、義父には私たちが録音したCD、パートナーには彼が大好きなミュージシャンのコンサートチケットを買いました。音楽なら、彼らの悲しみを少しでもやわらげてくれると思ったからです。でも、彼らから私にはプレゼントなどないのはわかっています。その代わりというわけではないですが、来年の里帰りのチケットをもう予約してしまいました。日本のゴールデンウィークが明けた週末から2週間の滞在です。義母の死後、パートナーがめずらしく「早く日本へ行きたい」と私をせかしてきました。来年か再来年辺りは義母に日本を見せてあげたいねと話していたので、それを実現させたいのかも知れません。なぜか義理の両親(私の家族)にも早く会いたいという気持ちが強いようです。というわけで、今年は里帰りのチケットが自分へのささやかなクリスマスプレゼントになりました。我が家はとても静かなクリスマスになりそうです。皆さんはどうぞ楽しいクリスマスをお過ごしください。
2009年12月23日
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朝起きたら、雪はもうやんでいました。が、昨日丸一日降り続いたので、20センチくらい積もっています。これではとても夏タイヤでは怖くて運転できません。クリスマス前なので、同僚やヨーロッパ他国の販社の方々もそろそろ休暇に入っています。あまり忙しくはない時期なので、今日は欠勤しようかな?とも思いましたが、クリスマスからは11連休。まだ終わっていない案件もあるし、がんばって働きますか~。今の会社に入社して初めて、電車で出勤しました。雪で運転できないことを見越して、前日に時刻表を調べ、いつもより早起きしたのです。乗り換えは1回だけなんですが、電車も大幅に送れ、しかものろのろ運転だったので、会社まで2時間かかり、どっと疲れました。とにかくやるべきことだけやって、早めに退社しようと思っていたところ、トラブル発生。1月に出る新商品のCDがまだできていないというのです。これは私と同部屋の親父(失礼)の担当業務。私と彼とは所属しているセクションが別なのですが、親父の部署の人間は親父一人だけ。なので、同部屋のよしみで仕方なく以前は私が彼の休暇中の代理人を勤めていました。その代わり、私が休暇中には彼にも私の仕事を代理で担当してもらうことにしたのです。ところが、今年の夏に私が有給をとって一時帰国した際、私のプロジェクトは思いっきりほったらかしにされていたのでした。しかも、私の休暇後最初の出勤日、彼は「胃が痛い」と言って欠勤したのです(詳しくはこちら)。この件以来、彼は怖くて私に自分の代理を頼めなくなったようです。それ以来、彼はここでは有名な「サボりくん」とペアを組み、お互いに休暇をとるときはもう一方の代理を務めるようになりました。それは別にかまわないのですが、問題は彼らの「代理人」というのが名前だけであること。メールを送ると自動返信に「xxにコンタクトしてください」とメッセージが出るのですが、実際にコンタクトしても、代理人は何のことかまるでわからず、埒が明かないのです。今回も親父が休暇に入る前、私は彼に(嫌だったけど)「終わっていない案件はない引継ぎしなくてもいいの」と確認しました。親父は「何もない、大丈夫」と言い切って3週間ほどの長い休みに入りました。もちろん、1月に出る新商品の担当者も2回ほど彼のところに確認に来ていましたが、「すべて間に合うから心配するな」と豪語していました。ところが彼はこの件のアレンジをまるでしていかなかったのです。おまけに、代理人にも何も引継ぎをしていかず、本業務のほかの関係者にも確認や連絡を怠ていたため、私が急遽代行しようにも、誰が何を担当しているのかすらわからない始末。すぐに彼の会社の携帯とプライベートの携帯と両方に電話しましたが、両方とも電源を切っているのか、留守電。メッセージを残しましたが、折り返し電話もかかってきません。色々な人に助けてもらい、やっと足りないデータの担当者は判明したものの、その人もすでに休暇に入ってしまっており、どうにもならないことだけがわかったのでした。そうこうしているうち、ヨーロッパ本社の他部署から私のところに苦情メールが来ました。もちろん、上司や偉い人へのCC付きです。これにはさすがにぶち切れましたね~。そもそも、私は親父と同じセクションですらないのです。しかも、親父の休暇中の代理人でもないというのに、私がこんなお叱りを受けなければならないというこの理不尽さ。他に苦情を言う相手がいないということもあるのでしょうが、親父の無責任さにはらわたが煮えくり返りました。結局、会社を出ることができたのは夕方6時近く、家に着いたのは夜8時前。帰りは寒いは、電車には乗り遅れるわで、散々でした。特に忙しくない時期は会社を4時半頃には出ているので、超過勤務もいいところです。明日の朝一で親父から電話がなければ、この件はもう年内には間に合いません。帰ってきたら、絶対締め上げてやる~~~
2009年12月21日
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前日、気温マイナス11度の中、義母の納骨式を終えましたが、一夜明けたら辺り一面雪景色。夜中に降り始めたのか、すでにかなり積もっていました。雪はさらにどんどん降り、時折吹雪きながら1日中降り続けました。前日の夕方、楽団(ポザウネンコア)の今年最後の営業活動がありました。地元のショッピングセンターに入っているデパートの依頼で、クリスマスソングを1時間演奏するというもの。12月中に合計3回ミニコンサートが行なわれました。本当はこの日、納骨式だからと断ろうかと思っていたのです。が、前回2回とも欠席してしまったし、最終日は出演できるメンバーも少ない様子。時間的には間に合いそうだったので、出演することにしました。ところが、何度も言うようですが、この日の気温はマイナス10度前後。『まさか外では演奏しないよね』と思っていたのですが、メンバーの一部が「屋外で演奏するという契約(?)だから」と言い張り、外で行ないました。しかも、場所がちょうど喫煙エリアだったので、すごく煙たかったです。途中、メンバーの奥様がグリューヴァイン(ホットワイン)を差し入れてくれ、数分間休憩して暖を取りました。さて、また演奏しようと思ったら、3番ピストンがびくとも動きません。なんとあまりの寒さにピストンが凍り付いてしまったのです。長年楽器を吹いていますが、初めての経験でした。一番ひどかったのはチューバで、演奏中に何度も中座して屋内に行き、楽器を暖める羽目に。最後はトロンボーンが頼みの綱かと思いきや、トロンボーン2名中1名のスライドも凍りつきました…。ドイツの冬、恐るべし。それにしても、大雪が降るのはどうして日曜日が多いのでしょうか。どうせ降るなら、翌日が休みの金曜日の夜か土曜日に降ってくれればいいのに…。月曜日の朝、どうやって会社に行こうかと1日中そればかり考えていました。11月の頭にプチバカンスへ出かけ、戻ってきたその日に義母のがんの再発を知らされ、それ以降はずっとばたばたしていたため、冬タイヤを買いに行く暇などなかったのです。いざとなったらパートナーをなんとかおだて、会社まで送ってもらおうと思ったのですが、冬タイヤをディーラーに預けているパートナーも交換してもらいに行く暇がなかったのでした。今年はずっと暖冬(暖秋?)で、ちょっとのんびりしてしまったのも悪かったのですが…。それにしても、先週末に花の球根を植えたのは大正解でした。あの日を逃したら、もう植えるチャンスはなかったからです。我が家の庭では今、大量の球根が真っ白な掛け布団をかけて眠っています。これだけ寒いと、球根も地中で凍ってしまうのではないかと心配ですが、ちゃんと芽が出ますように…。
2009年12月20日
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今日は義母の納骨式でした。めずらしく朝から快晴でしたが、朝10時の時点でなんと気温がマイナス11度。ちょうど記録的な大寒波がヨーロッパを襲ったのです。お義母さんは自分のお母さん(つまりパートナーの祖母)と同じお墓に入れてもらう事を希望していました。おばあさんは晩年を叔母(義母の実妹)の家で過ごしたので、お墓は叔母の家の近くにあります。そのため、今日は午前11時に叔母の家に集合することになっていました。納骨式は12時からだったので、11時半過ぎにみんなで歩いて墓地に向かいました。メンバーは義父、パートナーと私、妹さんとその子供二人、叔母夫婦とその子供二人、義母のいとこの合計11名です。義母が最後はこのメンバーで見送って欲しいと言い残したのですが、パートナーを失くしたばかりのいとこと幼い孫2人にはショックが大きすぎるだろうから、見せて欲しくないとも言っていました。が、13歳と15歳になった孫2人は、自分たちで納骨式に参列することを選びました。納骨式と言っても、特別な儀式はありません。私達が墓地に着いたらもう骨壷がお墓の前に置いてあり、穴も掘ってありました。牧師さんが来てお祈りを捧げたりするのかと思っていましたがそれもなく、参列者が揃ったら葬儀屋さんが骨壷を穴に入れてくれました。その場で義父が最後のお別れのスピーチをし、その後1人ずつ土をかけて終わりです。これで本当にお別れなんだという寂しさと足元から這い上がってくる寒さとが体に忍び込んできて、なんともいえない気持ちになりました。こちらではキリスト教の教えのせいか、死後は魂だけが重要で、体の方はあまり重要視されないようです。私にとっては今回の義母の死がドイツで初めての経験だったので、他の家庭や地区では違うのかもしれませんが…。義母は病院で息を引き取りましたが、病室を出てからは結局ただの一度も義母と対面することはありませんでした。お葬式のときは教会に棺が安置されましたが、蓋は開けられないまま、火葬場へと運ばれていきました。荼毘に付されたのがいつだったのかすら家族には知らされず、指定された日時に墓地に行ったら、もうお骨になっていたのです。そのため、私にとっては、義母が本当に亡くなってしまったという事がどうしても実感しがたいのです。正直、いまだに信じられません。お葬式のときに棺が開けられ、もう1度お顔を見てちゃんとお別れを言えたら、また違っていたと思います。逆に、将来私の家族が亡くなってしまったとき、今度は私のパートナーが大変な思いをするのかもしれないなあとも思いました。日本ではお通夜・お葬式と立て続けに行いますし、お葬式の後は親族は火葬場まで行くのが普通ですよね。目の前で棺が炉に入れられるのも相当つらいですが、その後、お骨を拾うという習慣もあります。キリスト教圏で育った彼には耐えられないかもしれません。結婚するときにはもちろん両親はまだしばらくは健在だと思っていたし、そんなことまで考えもしませんでしたが…。文化の違うもの同士の国際結婚、やっぱり色々と大変です。
2009年12月19日
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今日は久しぶりにコンサートを聴きに行ってきました。おそらく今一番有名な女性トランペッター、アリソン・バルサムが隣町へ来ると知り、チケットを買っておいたのです。今年は新車を購入したおかげで何気に節約を強いられ、なんと2009/2010シーズン始まって初めてのクラシックコンサートです。我がパートナーも一応トランペット吹きなので、一緒に行く?とたずねてみたところ、聴いてみたいと言うので、チケットは2枚買ってありました。月初に突然の不幸があったばかりなので、「とても行く気になれない」と言い出すのではないかと心配していましたが、行くというのでほっとしました。良い音楽を生で聴けば、彼も少しは気が晴れるかもしれません。『クリスマス・トランペットコンサート』とうたっているので、ずっとアリソン・バルサムが演奏するのかと思っていましたが、ドレスデン室内管弦楽団と1曲ずつ交代。1部は4曲中2曲、2部は2曲中1曲というプログラム構成で、ちょっぴり期待外れでした。でも、2曲目に満を持してステージに登場したバルサム氏を見て納得。なんと、彼女、身重ではないですか~。おなかの大きさから見て、どうやら妊娠6ヶ月~7ヶ月といったところ。当然もう安定期しょうが、妊娠中にトランペットを吹いても大丈夫なのですかねえ?まあ、実際に吹いているのだから、医者はOKしたのでしょうが…。ちょっと(実はかなり)びっくりでした。やはり多少おなかをかばって演奏しているのか、高音のときはかなり音が細くなっていました。でもって、彼女がまた死にそうな顔で演奏するんですよね。さらに、楽章と楽章の合間やカデンツァの途中などで『はぁ、はぁ』とそれはそれは苦しそうに息をするのです。彼女の演奏を生で聴いたのは初めてなので、もしかしたらいつもこうなのかもしれませんが、はらはらしてしまい、肝心の演奏に集中できませんでした。2部では私が日本でレッスンを受けていたときに練習していたネルーダのトランペット協奏曲を演奏してくれ、勉強になりました。私はB♭管で練習していたのに、バルサム氏はE♭管で吹いていたので思わず「ずるい!」とか思ってしまいましたが、E♭の曲なので当然と言えば当然。柔らかくてきれいな音で、1部のピッコロトランペットより断然良かったです。彼女の本日の出番はこの曲にておしまい。管弦楽団はアンコールの最後に「G線上のアリア」を演奏してくれ、パートナーは自然と義母の事を思い出したようです。義母は今週中に荼毘に付されることになっていました。明後日が納骨式なので、おそらくはもう火葬は済んでいるはず・・・。そのため、今日の彼は『もうお母さんの体はこの世に存在しないんだな』と思って、落ち込んでいたのです。アリアを聴きながら色々な事が思い出されて、私も思わずしんみりしてしまいました。
2009年12月17日
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義父が我が家に食事に来た際、おしゃべりしていると、「夕方暗くなってくると特に家に一人でいるのがとてもつらい」とぼやき始めました。そこで、ふと思いついて「身辺がもう少し落ち着いたら、猫を飼ったら?」と提案してみたところ、義父も「それはいいアイディアだ」と飛びついてきました。家に猫がいれば、外出から帰っても待っていてくれるし、少しは気が紛れるのではないでしょうか。義父は物心ついてからずっと家に猫がいたそうで、大の猫好きです。今までは実用主義の義母がペットをもつことに反対していたので、飼いたくても飼うことができませんでした。でも、その義母も亡くなってしまったことだし、障害はなくなったわけです。ところが、問題が1つ。もし猫を飼うとしたら、私は完全室内飼いをおすすめしたいのですが、義父はそれは無理だというのです。義両親の家はリビングから庭に出る扉が引き戸式になっており、夏はそこを開けていることが多いため、猫が出て行ってしまうとのこと。それならば外にも自由に出られるようにして飼うしかないと思ったのですが、外に出る猫は事故にあったり病気をもらってきたりで、心配がつきません。それに、夏などはおなかがすいたときにたまに帰ってくるくらいで、ほとんどの時間を外で過ごしたがる可能性もあります。家にほとんどいてくれないとなると、義父は寂しさを紛らわせることができません。親戚や知人一同は、猫より犬の方がいいという意見で一致しています。犬ならば飼い主に依存するので、いつも側にいてくれるし、ある程度人間の言葉に反応してくれます。猫と違って、車で旅行にも連れて行くこともできます(<義父はもうドイツ国外へ出る事はないと言い切っているので、飛行機に乗ることは先ずありえない)。一番のポイントは、1日に2~3回は散歩に連れて行かなければいけないこと。以前から黙っていれば何時間でもPCの前で過ごしてしまう義父なので、義母の死をきっかけにますます引きこもってしまうのではと心配でしたが、犬を飼えば嫌でも外に出なければなりません。私の本音としては猫を飼って欲しいけど、やはり犬の方がいいような気がしてきました。問題は義父にぴったりの犬がいるかどうかです。ドイツにはティアハイムという日本でいう保健所のような施設があり、捨てられたたり、事情があって持ち込まれた動物が保護されています。処分はしないので、動物ホームというか、シェルターのようなものですね。犬にしても猫にしても、飼うならこのティアハイムにいる子から選ぶつもりでしたので、年が明けたら一緒に行こうと話していました。気に入った子を家につれて帰って、相性などを見るために1週間くらい一緒に生活をしてみてから最終的に受け入れるかどうか決めるつもりだったのです。ところが、こう!と決めたらさっさと実行したいタイプの義父は、なんと今日、早速ティアハイムに行ってきたそうです。前向きになってくれるのは喜ばしいけど、年明けに一緒に行こうって約束していたのになぁ(苦笑)。犬を飼いたいと言ったところ、質問用紙に色々記入させられたそうですが、少々前途多難のようです。ティアハイムにいる犬なので、犬種や年齢をきっちり選ぶことはもちろんできませんし、なにより一番心配なのは、犬の性格です。飼い主本人の事情(病気、引越し等)による持ち込みもあるのですが、性格や行動に問題ありのケースもかなり多いのです。つまり、吠え癖が治らない、人や他のペットを傷つけた事がある、などの犬ですね。こういう問題ありの子は、とても犬初心者の義父の手に負えるとは思えません。ある程度年齢がいっていて、あまり大型ではなく、穏やかな性格の子が見つかると良いのですが、多少は妥協が必要になるでしょう。次の機会には是非私達もティアハイムに行って、一緒に良さそうな犬を探してみたいと思います。我が家にも新しい家族(王子の妹?)が増える危険大のような気もしますけど…。
2009年12月16日
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前日にやっとお葬式が終わって、なんとなくがっくり来てしまい、パートナーも気が抜けてしまったのか、何もする気がしないようでした。私もかなり疲れていたし、「今日はどういう予定?」とせっつくのもかわいそうなので、黙って適当に家事をしたりしていました。ところが、午後になってパートナーが急にやる気を出して、庭仕事を始めたのです。以前、彼のお客さんに種屋さん(?)がいて、クリスマス前には箱一杯にお花の球根を送ってくれたそうなのですが、当時彼はアパートに1人暮らしで庭も無かったので、毎年お母さんにその球根をプレゼントしていたそうなのです。でも、このお客さんを同僚に譲ってしまって以来、球根のプレゼントもなくなってしまいました。ところが、先日同僚の代わりに久しぶりにその得意先へ行ったとき、「庭付きの家を買ったので、球根を買いたいんだけど」という話をしたら、まあちょっと待ってなさいと言われたそうなのです。すると、義母の入院直後に彼宛てに小包が届き、開けてみたところ、中身は様々な球根でした。毎日毎日、義母の容態に関する悪いニュースばかり入ってくる中、生の象徴のようなお花の球根を贈られた時の彼の喜びようはちょっと忘れられません。とにかく、そのお母さんとの思い出の球根が届き、今年はお母さんが植えることができないので、我が家の庭を花で一杯にしようねと話していました。お葬式も終わり、一段楽したので、早速球根を植えることにしたようです。この日は雪と言う予報でしたが、結局降らなかったので、実行することにしました。とても寒い陽気でしたが、彼が一生懸命土を掘り返し、私がそこに球根を植えていきました。チューリップ、クロッカス、水仙、ヒヤシンス等々、我が家の庭の空いているスペース全部に植えられるだけ植えたのです。上手く育てば3月中旬くらいからクロッカスや水仙が咲き、4~5月にはチューリップが満開になるはずです。義母も花がとても好きな人だったので、きっと天国から見に来てくれるでしょう。まだ遠い春が今から待ち遠しいです。
2009年12月12日
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今日は教会で義母のお葬式(お別れ会)が行われました。お母さんの最期は病院で看取りましたが、それ以来一度も棺さえも見る事がなかったので、どうしても本当に亡くなってしまったのだという実感が湧きませんでした。が、親戚はもちろん、お母さんの友人知人が黒い服を着て続々と教会に集まってくるのを見ていたら、新たに悲しみがこみ上げてきました。また、教会に入ると真新しい棺が安置されていて、やはり夢ではなく、本当に亡くなってしまったんだなあと思いました。お葬式はとてもとても悲しかったです。が、全てお母さんの望んだとおりに行われたので、お母さんはきっと天国で満足していると思います。棺の色や飾る花、さらには式で歌う賛美歌まで全て生前に自分で選んだのです。女性の牧師さんはお母さんとは長い付き合いで、同じ聖歌隊にいたこともあり、感情のこもったスピーチをしてくれました。式の最後にお母さんが病室で書いた私たちへのお別れの言葉が読み上げられ、参列者は皆号泣していました。私と私の両親には「○○○(<私の名前)と日本の家族の皆さん、これまでのご好意に感謝します」と言う言葉を遺してくれました。私はお葬式のときには棺を開けて、最後のお別れができるものと思っていたのですが、私達が最後の賛美歌を歌っている間にどこからともなく黒服の男性が現れ、棺を運んでいってしまいました。そのまま火葬場へ運ばれ、今週中に荼毘に付されるそうです。なので、再びお顔を見ることはできませんでした。式の後は参列者へのお礼を兼ねて、教会の集会室で軽食とコーヒー・ケーキが振舞われました。その後、私たち身内はご両親の家にもう1度集まりました。ハンブルクから来たお父さんの親戚はその日のうちに戻ると言うので、夕方パートナーがまた駅まで送っていきました。その後、妹さんと彼女の息子さんが帰っていき、叔母夫婦も帰り、私もそろそろ王子の我慢(空腹)も限界だろうと8時半過ぎにお暇しました。その日は自分の車で来ていたので、パートナーと一緒に帰らなくても良かったのです。お葬式の前日からご両親とは40年以上のお付き合いという旧い友人が実家に泊まっているため、お父さんが1人ぼっちになる心配が無かったので、早めに帰ることができました。パートナーもビールをもう1杯飲んだらすぐに帰ると言っていましたが、結局遅くまで戻ってきませんでした。3人で色々思い出話をしていたようです。義両親の新婚当時からの知り合いで、パートナーの赤ちゃん時代も知っている方なので、話が尽きなかったのでしょう。1週間後には身内だけで墓地へ行き、納骨式を行います。お母さんが亡くなって、やっと少し悲しみが癒えてきたかと思ったら、5日後にお葬式が行われました。新たな悲しみが癒えてきたと思われる頃、今度は納骨式が行われるのです。こちらの弔い関連の行事は時間がかかりすぎて、私にとってはつらいです。
2009年12月11日
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先週の金曜日は会社のクリスマスパーティーでしたが、やはり欠席しました。木曜にお見舞いに行った時は、義母は割りと元気そうで、「この週末にどうこうということはない」とはっきり言っていたので、行こうと思えば行かれました。が、予断を許さない状況であることには変わらないですし、何より浮かれ騒ぐ気分になれなかったのです。土・日はユニセフ主催のガラ・コンサートに吹奏楽団の金管アンサンブルのメンバーとして出演することになっていました。金曜日の時点では出演するつもりでいたのですが、土曜日からモルヒネ投与を開始するため、これ以降は寝ていることが多くなり、会話がほとんど出来なくなると聞いたので、土曜日の出演はキャンセルしてお見舞いに行きました。結果的にはこのときが意識のある義母と会う最後の機会になりましたので、病院に行くことにして本当に良かったです。その時はまだ日曜日のコンサートには出演するつもりでいたのですが、日曜日の朝早くに容態が変わり、朝9時に永眠しました。パートナーと彼の妹さんは今週一杯仕事を休むそうですが、私は今日から出社しています。同居していない義理の両親が亡くなった場合、特別休暇はたった1日しかもらえないのです。義母の死は、正直いまだに信じられません。丸2日経った今でもまだ夢の中の出来事のような気がします。クリスマスまではもたないと聞かされてはいましたが、まさかこれほどすぐに亡くなってしまうとは思っていなかったのです。悲しみやショックももちろんものすごく大きいのですが、まだあれもこれも伝えたかったのにという後悔の気持ちで一杯です。しゃれべなくなってから亡くなってしまうまで、本当にあっという間でした。それにしても、義母は最期まで本当に立派でした。私達と話しているときに時々涙ぐむことはあっても、私達の前で泣いたり愚痴を言うこともなく、いつお見舞いに行っても落ち着いていました。もし私が同じ立場だったら、自分の不幸を呪い、毎日泣き暮らしてしまいそうです。義母はとてもバイタリティに溢れており、人を助けることに生きがいを感じているような人でした。行動力や好奇心も人一倍あり、晩年は家に引きこもりがちな義父について不満を漏らすこともありました。まだまだやりたいこと、行きたいところ、沢山あったと思います。義母の無念を思うと、やり切れません。私は神様と言うよりは、「運命を司るような何か大きな力」があるとなんとなく考えていますが、全くの無宗教です。でも、義母を見ていたら、宗教を持つことも悪くないのかもしれないと思いました。パートナーが面と向かって「怖くないの?」と聞いたとき、私は内心『なんて質問をするんだ?!』と動転していたのですが、全く動じずに「恐怖は全く感じないのよ」ときっぱりと応えていたからです。死因は乳がんの遠隔転移(肺がん)による呼吸不全ということになるのだと思います。でも、これは厳密に言うと正しくありません。最後は呼吸困難になり、窒息死することが分かっていたので、息が苦しくなってきたら、薬を投与することに決めていたのです。いわば、安楽死ですね。でも、本人もお父さんも痛みを感じずに安らかに逝く事を希望したので、そうすることにしました。窒息で亡くなるなんて、想像するだけでとても苦しそうですので、結果的にはこれで良かったのだと思います。最期はパートナーのお父さん、妹さん、パートナーと私、叔母さん(お母さんの実妹)と叔父さんの5人で看取りました。私にとって、人が亡くなるところを見るのは初めての経験でしたが、心臓が止まると人間というのはあれほど直ぐに冷たくなってしまうものなのですね。お父さんももちろんものすごく悲しんでいましたが、お母さんがやっと楽になれたという気持ちと、最期をお母さんの愛する家族みんなで見届けられたという満足感などで、大分救われているようです。亡くなった当日は私達も側にいたし、夕方から夜にかけては葬儀屋さんが来て、これからの事を色々と打ち合わせをしたりしたので、感傷に浸る暇もなかったのかもしれません。今はまだばたばたしていますが、徐々に『今やらなければいけないこと』が少なくなって、お葬式も済んで、普通の日常が戻ってきたそのときの義父の事が今からとても心配です。今でもやはり喪失感は相当あるようで、特に夕方暗くなってから以降はとてもつらいとのことです。さらに今がクリスマスシーズンだということがますます私達のつらい気持ちに拍車をかけています。国中が浮かれているこの時期に大切な家族を失い、今年は一人欠けた状態でクリスマスを祝わなくてはいけないのです。義母は実家にクリスマスツリーを飾り、残された家族全員で一緒にクリスマスをお祝いするようにと言い残したそうなので、その通りにするつもりです。でも、パートナーは今年は我が家にはツリーを飾りたくないと言っています。お母さんの事を思い出して、つらすぎるのだそうです。お葬式は今度の土曜日に執り行われる予定だったのですが、その日に教会のクリスマスパーティーがあるとのことで、金曜日に変更になりました。お葬式と言っても、日本で言うお通夜のようなもので、ご両親が通っていた教会に棺を安置して行います。(ちなみに、通常は墓地で行われるそうです。私にとって、ドイツでのお葬式は初めての経験なのです。)この日には家族だけでなく親戚や友人などが来て、最期のお別れをします。また、義母はこちらでは一般的な土葬ではなく、火葬して灰を自分のお母さんの棺の所に埋めて欲しいと希望していたそうです。そのため、来週~再来週に荼毘に付し、その後、今度は家族だけで正式なお葬式(納骨式)を行うそうです。この日取りは未定ですが、私達はクリスマスイブまでには全て終わる事を望んでいます。今年はまだ一度もクリスマスマーケットに出かけていません。例年にも増して長く暗い冬になりそうです。
2009年12月08日
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火曜日は、お母さんの余命があとわずか数日と聞かされ、病院から家に戻る車の中で泣けて仕方ありませんでした。でも、帰ればお母さんの息子であるパートナーがいるので、アパートに入る前にちゃんと涙をぬぐって、彼の前では泣かないようにしようと決めていたのです。でも、彼のところに行くとすぐに「(お母さんの様子)どうだった?」と訊かれ、そのあとに「僕はもう直ぐ母親を失うことになるんだね?」と畳み掛けてきたので、やはり堪え切れませんでした。パートナーは火曜日、お見舞いに行かない代わりに事情をもっと詳しく知っているだろう叔母さん(義母の実妹)に電話してみると言っていたので、病室で叔母さんに会ったとき、彼が今夜電話で話をしたがっていると伝えておきました。それで、私が余命等について聞いた事を彼に話すよりは、叔母さんから聞いた方がいいだろうと思い、「とにかく叔母さんに電話して」と言ったのです。彼は1時間~1時間半くらいも叔母さんと話をしていました。その後、立て続けに妹さんにも電話をかけていたので、驚きました。なにせこの兄弟は1年に1度、お互いの誕生日にしか電話をしないので…。パートナーが叔母さんや妹さんと長々と話しているのを聞いていて、やはり私には出る幕は無いと改めて思いました。彼や妹さん、叔母さんにとっては、自分が生まれてからずっと側にいた人をもうすぐ失うわけです。私はいくら義理の娘で、自分の子供と同じように思ってもらっているとはいえ、知り合ってからまだ7年ほどしか経っていません。妹さんとの電話では、それまで泣いたことが無かったパートナーも涙声で、聞いているこちらもとてもつらかったです。昨晩はパートナーと一緒に病院に行ってきました。昼~夕方は叔母さんの子供や他にもお見舞い客が来ると聞いていたので、お母さんに私達は夜に行くからと話してあったのです。お母さんの病室のある階でエレベーターを降りようとしたら、目の前にお父さんと妹さんが立っていました。彼らが言うには、今日はお見舞い客が沢山来て、お母さんは体力を消耗してしまい、疲れ切っているそうです。妹さんは私達に「このまま引き返してほしい」とまで言いました。でも、せっかく来たのだし、「顔を見るだけで長居はしないから」と言って別れました。妹さんはどうも私があまりお見舞いに来るのを快く思っていないようなのです。自分の彼氏と違い、私がちゃんと家族の一員として扱われるのが気に喰わないのかもしれません。でも、今はこういう時期なので、妹さんの気持ちもよく分かるし、彼女の好きなようにさせています。義母は確かにかなり疲れてはいるようでしたが、一昨日よりは元気そうに見受けられました。少し顔がやつれた感じがしましたが、病院の食事がおいしくないか、食事をするのにもものすごく体力がいるので、あまり食べていないからだと思います。とにかくものすごく疲れやすいようで、ちょっと動いただけでその直後はしばらく息遣いが荒いのです。水曜日の話では、肝臓の機能が大分低下しているため、徐々に体内の毒素が処理できなくなり、体中に黄疸が出て、あと数日で亡くなってしまうという話でした。でも、昨日の話では肝臓は思ったほど悪くなってはいなくて、疲れやすいのは肺がんから来ているとのことです。このまま進行がゆっくりならば、予想していたよりは生きられるのかな?とちょっぴり希望が出てきました。今週末にどうこういうことはないとお母さんからもはっきり聞いたので、少し安心しました。予断を許さない状況であることには変わりないですが、今週の日曜日に入院して、今週末までしか生きられないなんて、あまりにも急すぎて、お母さん自身もそうでしょうが私達にとっても時間が無さ過ぎて、それが一番つらいことでした。たとえ数日でもまだ残された時間があると分かり、それが単純に嬉しいのです。私達も精神的にちょっとだけ楽になり、久しぶりにまともな(?)夕食を作って二人一緒に食べました。なんだかものすごく久しぶりに食べ物を味わった気がしました。前日全く何も口にしなかったパートナーもしっかり食べてくれて、ほっとしました。でも、こんな状況下でもおなかがすいてしまうという事実にすら落ち込んでしまうのですよね・・・。お父さんは今度の日曜日、以前の職場のコーラスの毎年恒例のクリスマスコンサートがあります。お母さんの状況次第では、歌なんて歌えないと泣いていましたが、お母さんが小康状態なので、コンサートに出演することにしたそうです。お母さんもそれを願っているとのことで、私も今週末土・日にあるユニセフ主催のコンサートに予定通り出演しようと思っています。昨日の朝、指揮者にメールして、場合によっては急に出演できなくなるかもしれないと伝えてあったのですが、今の状態なら大丈夫そうなので…。土曜日には私達がうんと時間をかけて録音した例のCDが出来上がってくることになっています。なので、是非それを受け取ってきて、お母さんにプレゼントしたいと思っています。まだCDを聴く元気があるかどうか分かりませんが、金管アンサンブルでクリスマスソングなどを演奏しているので、彼女好みのCDだと思うのです。聴いてもらえればいいのですが…。今日は会社のクリスマスパーティーですが、お酒を飲んで騒ぐ気分ではないし、欠席することにしました。今日も病院に顔を出すつもりでいましたが、昨日義母から今日も沢山人が来る予定なので、遠慮して欲しいと言われ、スケジュールがぽっかり空いてしまいました。気分転換のためにクリスマスマーケットかショッピングにでも行こうかな?とちょこっと思ったりはするのですが、でも義母の事を思うと、自分だけ楽しむわけにはいかないと感じて、何もする気になれません。とりあえず明日、コンサート会場に行く前に病院に寄り、日曜日の昼間はCDを持ってもう1度訪ねようと思っています。
2009年12月04日
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入院している義母のお見舞いに行ってきました。私が去年義母に看病してもらった病院へ、今度は私が義母を見舞うことになるなんて、皮肉なものです。あまり言いふらすようなことではないと思い、自重していましたが、義母の乳がんが再発しました。たった2週間の間に色々なことが立て続けに起こりすぎて、自分の感情がジェットコースターに乗っているように上がったり下がったりしてました。もう限界です。事の発端は11月16日(月)にかかってきた一本の電話でした。私達がキプロスでのプチバカンスを追え、空港から自宅に戻り、ほんの5分くらい経ったときです。まるで私達が帰ってくるのを今か今かと待ち構えていたかのように電話の呼び出し音が鳴りました。パートナーが電話を取り、その後延々1時間半くらい長電話していました。彼がご両親と長電話をすることはめずらしくないのですが、その間ずっとベランダに出たままだし、どうも様子がおかしいのです。電話が終わった後で訊いてみたら、かけてきたのは義父で、定期検診で新たに義母に癌が見つかったという内容でした。義母は2006年に乳がんが見つかり、その夏に左乳房の全摘出手術を受けました。その後、治療の甲斐があって順調に回復し、最近ではほとんど元通りの生活を送っていました。私達もすっかり楽観的になり、このままあと2年何事もなく過ぎ、医者から完治を告げられるだろうと思っていたのです。そのため、私達は今回の旅行前に義両親にちゃんと挨拶をしてから出かけませんでした。滞在先の住所や電話番号を控えておくことも…。パートナーはその事を義父に大変責められたそうです。たった1週間のバカンスだからと思っていたこともありますが、まさか何も起こる訳がないと思っていたのです。言い換えれば、最近の義母はそれだけ元気だったということです。今回癌が見つかったのは、骨と肝臓とのことでした。義父がパートナーに話したところによると、「このまま何もしなければ余命2ヶ月、抗がん剤治療をしてももってあと半年」と言われたそうです。あまりにも急な悪い知らせに私達はとてもショックを受け、動揺しました。楽しかったキプロスでのバカンスから一気に奈落の底に突き落とされたのです。私自身は、見つかったばかりの癌が余命数ヶ月と言うほど後期のステージに進んでいるとはどうしても信じられず、インターネットで色々調べてみました。すると乳がんの手術後に体の別の箇所に癌が見つかること(遠隔転移)は割とよくあることだと分かりました。また、全く新しい癌が発症したのではなく、乳がんの転移とみなすので、この場合は乳がんのステージ4になるそうです。つまり、乳がんとしては後期だけれど、肝臓癌としてはまだ初期段階なのだと私は理解したのです。さらに、乳がんの遠隔転移が出た人でも、薬で症状を抑えれば、そのまま10~15年も生きる人が結構いるとのことで、かなり希望が持てました。義母も完治はもうありえないとしても、癌と共存してまだまだ長く生きられると思ったのです。もちろん、一生薬が手放せないのはつらいでしょうが、それによってほぼ支障がなく日常生活ができるのだったら、それくらいは問題ないと思っていました。そうこうしているうちに、11月23日(月)、第一回目の治療が行われました。抗がん剤を点滴で体内に入れるのです。こちらでは抗がん剤治療のために入院することはなく、点滴が終わると家に帰されます。前回の手術後も抗がん剤の副作用がつらいとこぼしていましたが、今回はさらにつらかったようです。点滴後、3~4日経っても吐き気やだるさが抜けず、しんどいしんどいと言っていたそうです。それでもまだ「前回から3年以上経っているのだから、その分齢も取って体力も落ちているんだし、かわいそうだけど仕方ないよね」と思っていたのです。その後、27日(金)にパートナーが実家に電話をしたところ、義母の息遣いが苦しそうで、浅い呼吸を繰り返していると聞かされました。それを聞いてパートナーは「もしかしたら肺炎を起こしているのではないか」と言い出しました。抗がん剤投与によって免疫力が落ちてしまうので、十分ありえることです。ところが、義母は医者には行きたくないと言い張ったのです。癌が再発してからというもの、検査検査であちこちの医者に行かされ、行く先々で毎回2~3時間待たされ、心底うんざりしてしまっていたのです。これで肺炎かもしれないとなったら、また癌専門医とは別の医者のところに行かなければなりません。それは嫌だと言うわけです。そのまま自宅でがんばっていたのですが、ついに我慢できなくなったようです。29日(日)に、義父が近くにいないときを見計らって、こっそり担当医に電話をしたそうです。すると「救急車を呼んで直ぐに病院へ行きなさい」と言われたそうで、そのまま救急に電話し、義父に指示を出して荷造りをさせ、病院へ向かったそうです。もちろん、そのまま入院となりました。その翌日、私は会社帰りに義母の様子を見に、義両親の家に顔を出そうと思っていました。ところが、前の晩に王子の具合が悪くなってしまい、獣医さんのところへ連れて行かなければなりませんでした。動物病院から帰ってきて、せめて電話してみようと思っていたら、パートナーに先を越されました。私達はその時初めて、義母が入院したと知ったのです。それを聞いた時、私は正直ほっとしました。『抗がん剤の治療では入院できなくても、肺炎ならば入院できるのではないか、義母は入院した方がいいのではないか』と考えていたからです。というのも、病院にいれば医師や看護士がすぐ近くにいるので、もし何かあった時に直ぐに対応してもらえるし、自宅で1人で面倒を見るより義父の負担も軽くなるだろうし、私達も安心できると思ったのです。ところが、パートナーの意見は否定的でした。入院すれば、確かに身体のためにはいいかもしれないけれど、お母さんの精神にとってはダメージになると言うのです。確かに義母はもう医者通いは嫌だ、新しい医者にかかるのは御免だと言っていました。でも、私にはそれが義母が生きる気力を失ってしまっている証拠にと感じられ、怖かったのです。義母は抗がん剤の副作用がきつい時期だからそう言っているのであって、薬が効いて元気が出てくれば、また違う考えになるに決まっていると思ったのです。それでとにかく入院して、今の肺炎のような症状だけでも落ち着いてくれれば、また抗がん剤治療も受けられるようになり、だんだん良くなってくるはずと思いたかったのです。入院した翌日、30日(月)にはまた検査が行われました。私は医師が診れば、すぐに確実なことは言えなくても、「多分肺炎でしょう」というような診断がつくものだと思っていました。ところが、検査結果がまだ出ていないので、肺炎かどうか分からないと言うのです。これには一抹の不安を覚えましたが、最近の医者は100%確実にならないと診断を下さないのかもしれないと自分を納得させました。1日(火)の夕方、パートナーが1人で病院へお見舞いへ行きました。私はこの日、吹奏楽団の今年最後の練習があったのですが、「休んで一緒に行こうか?」と聞いたところ、「そこまではしなくていい。日を改めて君が一人で行った方が喜ぶから」というので、そうすることにしました。この日、検査の結果、義母は肺炎ではなく、肺がんを患っている事が分かりました。そして今日、私も病院へお見舞いに行ってきました。私が出かける直前にパートナーが帰ってきたので、一緒に行こうと思ったのですが、彼は今日は行かないというので、一人で行ってきました。色々な話を聞かされていたので、実際に義母を目の前にしたら、頭が真っ白になって何も話せなくなるのではないかと不安でしたが。義母の部屋は四人部屋で、てっきり二人部屋だと思っていた私はちょっと驚きました。癌が再発し、抗がん剤の副作用もあって、見る影もなく痩せてしまっているのではと心配していましたが、1週間ぶりに見る義母は傍目からは全く変わりないように見えました。違うことと言ったら、普段より笑顔が無いことくらいでしょうか。ベッドの脇には叔母と叔父(義母の実妹とその夫)、反対側には娘(パートナーの実妹)さんがいて、義母の手を握っていました。3人の表情を見て、私も一瞬で状況を悟りました。義母はもう長くないのだと。1週間前には叔父の誕生日パーティーでご馳走を食べていたのです。癌の転移が見つかって落ち込んではいたものの、普通に他のゲストと談笑していました。あんなに元気だったのに、あとほんの数日しか生きられないなんて…。なんだかドラマ化何かの中の出来事のようで、まるで実感が湧いてきません。ものすごく悲しいのに、ふとした瞬間、周りにいるみんなが役者のように見えてきてしまいます。だって、目の前にいる義母はベッドに横になっている以外は、まったく以前と変わりない姿なのです。死期が目前まで迫っているだなんて、到底信じられません。四人部屋にいる女性は皆、どうみても義母よりは10~15歳は年上で、正直もう十分生きたと思われる方ばかりです。部屋の中では義母が一番若く、しかも一番健康そうに見えます。それなのに、この中で義母が一番先に旅立たなければならないなんて、神様はなんて不公平なのでしょう。義母はまだ66歳なのです。普通なら、あと20年くらいは生きられたのに…。どの部屋も一杯で四人部屋にしか空きベッドがなかったと言うことですが、明日、義母は担当医の計らいで二人部屋に移動させてもらえることになりました。自宅に帰らなくていいのかと何度も尋ねる義父に、「もちろん家に帰りたいわ。でももう時間がなさすぎる。2~3日だけ帰っても仕方ない」と応えました。その部屋で義母は最期のときを迎えるのです。義母の癌の転移が分かってから、つらつらと考えていました。ある日突然、何の前触れもなく急に死んでしまうのと、余命を宣告されて死んでいくのと、どちらがつらいのだろうと。残される側にとっては、どちらもつらさは変わりません。でも、旅立つ側にとっては、もしかしたら残りの時間が分かっていると言うのは、それほど悪いことではないのかもしれません。私が死んだら誰と誰に知らせてね、最後は近親者だけで見送ってね、などと淡々と義父に継げる義母を見ていたら、ほんの少しだけそう思えました。でも、家族にとってはなんとつらく寂しい時間でしょうか。それにしても義母はなんと強い人なのでしょう。この期に及んでも泣き崩れることもなく、毅然とした態度の彼女を心から誇りに思います。私は今まで、身近な人は祖父母しかなくした事がありません。4人とも、私が学校や会社に行っている間に亡くなりましたので、死の瞬間に立ち会ったことは一度もありません。義母がこれからどのように変化していくのか、どのように旅立っていくのか、正直言ってものすごく怖いです。が、彼女に残された時間を考えたら、少しでも側にいて、何も言えなくても手を握っていてあげたいです。明日以降も毎日病院に顔を出します。
2009年12月02日
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最近調子が良かった王子ですが、またまた便秘気味のようです。(尾篭な話ですみません・・・)昨日、たまたま掃除をするためにドーム型のトイレの屋根を外していたら、王子がやってきて踏ん張り始めました。しばらくして出て行ったのでチェックすると、ほんのわずかしかしていません。ところが、王子がしゃがんでいた辺りの床には小さな水溜りが出来ていて、よだれをたらすほど力んでいたのだと気づきました。その後、注意して聞き耳を立てていると、案の定階上から王子の鳴き声が。出したいのに出ないのが気持ち悪いらしく、わめきながらうろうろしています。最終的には例のごとくパートナーのベッドの上で粗相。なぜか便秘のときはそこでするのがお決まりになってしまいました。元気そうではありますが、排泄のたびにあまりにもつらそうなので、翌日に病院に連れて行こうと決心しました。会社を早めに出て、急いで家に帰ったところ、パートナーはまだ帰っていなかったので、1人で王子をキャリーに入れて、車に乗せて出かけました。病院の近くには車を止める場所がなかったので、病院まで歩くのが一苦労。何せ我が家の王子様は体重が10キロ近くあらせられます。キャリーは片手でしか持てないので、かなり重いのです。熱もないし、触診の結果は特に異常はないようで、便通を良くする薬をもらいました。さらに浣腸をしてもらい、家に帰ったら出るはずだからと言われ、ひとまず安心。でも、もしまた便秘したり、様子がおかしくなったら、全身麻酔をしてレントゲン検査をすると言われてしまいました。ところが、受付で代金を払っていたら、王子の様子がおかしいのです。変な音を立てながら口からよだれを吐き出しているので、私はパニック寸前。薬でアレルギーショックか何かを起こしたのかと思ったのです。が、受付の人いわく、動物が極限状態まで興奮したりストレスを感じると、よだれをたらすことはよくあることなのだそうです。私は王子のこんな様子を見た事がなかったので、本当にびっくりしてしまいました。その直後、急に辺りがくさ~くなったので、王子がさっきよだれをたらしながら大をなさっていたのだと分かりました…。『このまま帰ると車が臭くなるなあ』と思っていたら、受付の人が診察室が空いたら、キャリーをきれいにしてくれると言うので助かりました。家に帰ったら出るはずとは言われましたが、まさかこんなに早く薬が効くとは。翌日、医師に電話をして便通について報告するようにと言われていたのですが、病院で既に効果が証明されたので、電話はしなくていいことになりました(苦笑)。帰宅して数時間後にももう1度トイレでしたので、とりあえずは腸が空っぽになったのではないかと思います。後はちゃんと1~2日に1回するようになれば安心なのですが、しばらくは薬をあげながら様子見です。早く良くなりますように
2009年11月30日
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ドイツにある某スーパーマーケットチェーンが今週一杯『ドイツマルク・ウィーク』を開催中。ユーロが導入されてから、一般的にドイツの物価は2倍になったと言われています。大まかに言って1ユーロは2マルクの価値とみなされているのですが、それに乗じて、という感じです。つまり、1マルクだったものが通貨単位だけ変わって1ユーロになり、実質的には倍の値段(2マルク)になっているということですね。そのため、ラジオでこの『マルク・ウィーク』の事を初めて聞いたとき、マルク時代の価格で売る、つまり半額セールでもするのかな?と思っていました。ところが、今朝また同じチェーンのCMをラジオで聞いてびっくり。「今週はマルクでお支払いが出来ます」と言っているのです。マルクウィークは半額セールではなく、そのまんま「マルクが使える週」という意味だったのです廃止になった通貨の使用期限て、無期限なのでしょうか?違いますよね???この間バカンスで訪れたキプロスは2008年1月1日にユーロが導入されたそうですが、キプロス・ポンドのコインが既に土産物屋で高額で売られていましたし…。それに、たかがスーパーのチェーンがこんなこと、独断で決めていいことなのでしょうか?そこものすご~く不思議なんですが、そもそもこのマルクウィーク開催によって、このチェーンに何かメリットはあるんですかね?その点もすご~く気になります…。あまりにも気になったので、調べてみました。ユーロ・ドイツマルク間の両替は、ドイツ連邦銀行で永久保証されているそうです。隠して忘れていたマルクのへそくりがどこかから出てきても安心ですね♪
2009年11月25日
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最近、私の周りでは死に関連する知らせが相次いでいます。不幸は連鎖するものなのでしょうか?プチバカンスでキプロスに滞在中、サッカーのドイツ代表GKだったエンケ選手が自殺しました。パートナーがサッカーに興味がないこともあり、私もここ数年、ブンデスリーガの試合から遠ざかっていたので、名前を聞いても顔は浮かんできませんでした。ニュースで顔を見て初めて、「ああ、見たことがあるなあ」と思った程度です。ホテルの部屋にいるときはパートナーがドイツ語のTV放送を見ていることが多く、私達の滞在中はほぼ毎日彼の自殺関連のことで持ちきりでした。情報番組では、「生と隣り合わせの死」というテーマで毎朝ホスピスや火葬場(ちなみにドイツでは土葬が主流です)などが紹介されていました。いきおい、私たちも死について話す事が増えました。私は結婚前にパートナーにいくつか条件を出したのですが、そのうちの1つが「絶対に私より先に死なないこと」。異国の地で年老いてからパートナーに先立たれてしまったらと考えただけで、不安でたまらなくなるからです。私は死んだら土葬ではなく、火葬にして欲しいと頼みました。そうしたら、彼は私の灰を日本に撒いてくれると言いました。休暇を終えてドイツに戻るとき、「帰りたくない」と強く思いました。もちろん、バカンスが終わるということは普通の日常に戻らなければいけないわけで、毎回多少憂鬱にはなるのですが、それとは違います。なんとなくドイツに嫌な知らせが待っているような、不吉な予感がしたのです。キプロスを離れるとき、空に大きな虹がかかっていて、それを眺めていたらなぜか涙が出てきました。死んだ動物は虹の橋を渡るとどこかで読んだことがあるので、もしかしたらバカンス中に仲良くなった猫が死んだ知らせかもしれないなあなんて思いました。同時に、彼らともう一度会うことはあるのだろうかと思い始め、生と死や一期一会について、機内で漠然と考えていました。ドイツへ戻ったら、嫌な予感はこのことだったのかというような知らせを受けました。さらに留守の間にたまっていたメールをチェックしたら、友人のお母様が亡くなられたとのこと。彼女は確か私と同い年なので、お母様の年齢も私の母と同じくらいのはずです。とても驚きましたし、ショックでした。さらに今日、以前日本に住んでいた際にお世話になっていた楽団の元団員さんがお亡くなりになったという知らせが届きました。去年白血病を患っていることが分かり、最後はご本人の意思により、ご自宅で息を引き取られたそうです。享年61歳。私が入団した当時、最年長だったその方は楽団の主のような感じでした。マーチが大好きで、無理やり聴かされたりもしました。結構あくの強い方だったのですが、偶然にも私と同じ誕生日で、「おぬしも変人じゃあ!」とからかわれつつも、かわいがっていただきました。その後、確か健康上の理由で退団されて、その1~2年後には私も海外へ転出してしまい、近況が分からないままでした。どうされているのか気になっていましたが、まさか病に倒れられていたとは…。豪傑なイメージの方だっただけに、いまだに信じられません。普段生活していると、自分だって死とすぐ隣り合わせに生きていると実感することはなかなかないのですが、もしも自分に何かあったときに大切な家族が困ることの無いように、遺言を作成しておかなければと思うようになりました。特に我が家の場合、パートナーと私の両親、義両親と私の両親が意思の疎通が出来ないので、自分達の意思をはっきり伝えておかなければなりません。あまり考えたくないですし、できれば避けたい話題ですけど、大事なことですので、しっかり準備したいと思います。
2009年11月23日
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7泊8日のプチバカンスから戻ってまいりました!行き先は初めての国、キプロス。1週間なので、あまりのんびりリラックスはできないと思っていましたが、とても良い気分転換になりました。現地は毎日25度前後まで気温が上がり、ドイツの夏と同じくらい。夜中~明け方に雨が降った形跡のある日も1~2日ありましたが、それ以外は青空が広がり、毎日快晴でした。海の水温は20~23度くらいで、泳げないこともなかったですが(実際に泳いでいる人は沢山居ました)、風があるのでちょっと肌寒く感じました。が、私達は泳ぎに行ったわけではないので、全く問題なし。さらに、ギリシャに近いので、ギリシャの島々のように猫が沢山いるかもと予想はしていましたが、想像以上でした。ホテルの敷地内にもかわいコちゃんたちが沢山うろうろしていて、猫好きに取ってはパラダイス!何匹かの猫たちとは顔見知りになり、仲良くなったので、お別れするのがつらいくらいでした。食事もかなり私達の口にあいました。思っていたほどシーフード三昧ではなく、新鮮な牡蠣やエビなどは食べられなかったのですが、イカやタコ、いわしはおいしかったです♪シーズンオフなので現地のお店がどれだけ開いているか分からず、ホテルを朝・夕2食付にしてしまったので、あまりレストランを試せなかったのがちょっと心残り。というわけで、今年最初で最後のバカンスを思い切り楽しんできました。どんより暗くて寒いドイツから逃げ出し、お日様を満喫するのはかなりいいアイディアでした。でも、またドイツに戻るのが憂鬱で、あまりの格差にかえってウツになってしまうのではと心配になるくらい…。実際、キプロスを発つ前日くらいから少々ふさぎこみがちだったのですが、バカンスの終わりというのはいつもなんとなく悲しいもの。特に私の場合、ドイツが大好きというわけではないので、ドイツに戻る時はいつも複雑な気持ちが付きまといます。いつもと同じ『プチウツ』に違いないと自分に言い聞かせていましたが、嫌な予感と言うのは当たるものですね。パラダイスから帰宅したばかりの私達を待っていたのは、とっても悪い知らせでした。あまりにもショックで、まだ気持ちの整理ができていません。これからのことを色々考えてしまい、不安で一杯です。さらに、自分自身のあまりの自分勝手さに戸惑ったり、自己嫌悪に陥ったり、ジェットコースターに乗っているみたい…。でも、今回のことで、人生って本当に何が起こるかわからないと思い知らされました。明日、もしも自分の身に何か起こっても後悔しないよう、人にはやさしく、何事も楽しんで生きていこうと決意を新たにした1日でした。
2009年11月16日
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こんなタイトルの漫画、大昔にあったなあ…。あれは『ねこねこファンタジア』だったか?いずれにしても、キプロス島は猫好きにはパラダイスでございます。初日、ホテルにチェックインした直後、パートナーは「30分だけ寝かせて」と昼寝を始めてしまいました。前日、「明日の朝は早いから早く寝るように」と言っておいたのに、夜更かししたせいです。しばらく起きそうもないので、一人でホテルを探検することに。おなかがすいたので、ランチを食べちゃえ!とホテルの敷地内のプールの近くにある、レストランに行ってみました。テーブルにすわり、周りを見渡すと、あちらこちらのテーブルの下におねだり君たちが陣取っています。思わずにやけ、オーダーもそこそこにカメラを取り出し早速「キプロスで最初に出会った猫」を激写。キプロス島の猫たちは、なかなか毛並みもよく、美人さんが多いです。スマートで尻尾も長く、ちょっと見は野良には見えないくらい。観光客においしいものをもらっているのか、撫ぜると毛もふわふわな子も結構いるし、何より人懐っこいのが嬉しい♪この後、私はあちこちで出会った猫の写真を撮り続け、パートナーに「写真集でも出すつもり」とあきれられました。だって、かわいいんだもん絵になるんだもんここ数年、毎年文豪の猫に関する名言に猫の写真がついているカレンダーを購入しているのですが、「今年は自分でカレンダーを作る」と宣言してしまいました。そして、それを言い訳にさらに猫の写真が増えていくのでした…。
2009年11月10日
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今回、行きのフライトは朝6時10分発というほぼ始発(って飛行機でも言うのかな?)に近いものでした。フライトやホテル込みのパック旅行を申し込んだので、選択の余地が無かったのです。通常、EU内でも国外へのフライトは2時間前のチェックインになります。が、4時に空港が開いているのかも分からないし、1時間ちょっと前で大丈夫だろうと見込んで、4時半にタクシーをお願いしておきました。予想通り、空港到着は5時少し前。早速チェックインカウンターに向かうと、カウンターは2つしか開いておらず、どちらもかなり長蛇の列。皆、考えることは同じなんですね。しかも、途中でカウンターがひとつ閉鎖されてしまう始末で、チェックインまでにかなり時間がかかりました。やっと順番が回ってきて、パートナーと二人でカウンターへ行くと、『隣同士の席はもうありません』とのこと。私達は全然気にしませんが(笑)、もしこの旅行がハネムーンとかだったら、ちょっと幸先が悪いと気にする人もいるかもしれませんよね。受け取ったボーディングパスは彼が15列目、私が3列目でした。「3列目ってことはもしかしてビジネス」な~んてちょっとだけ期待してしまったりしましたが、乗り込んでがっくり。すっかり忘れていましたが、バカンス用の飛行機にビジネスクラスなんてものは存在しないのでした。しかも、3座席のど真ん中…とほほ。機内は左右3つずつの狭い座席が50列びっしり並んでいて、しかも満席です。ドイツ人、ただでさえがたいが大きい人が多いのに、狭苦しいことこの上なし。ドイツ人に人気のバカンス地(マヨルカ島、クレタ島、エジプトなどなど)に向かうフライトは、いつもこうなのです。まさにゲルマン民族(日光を求めて)大移動という感じ…。私の隣は、チェックインカウンター前で小銭をばら撒き、なぜか自分では拾わずに周りの人に拾わせていたちょっと変わった女性(しかも体格かなり良し)。乗り込んでしばらくしたらいびきをかきはじめ、朝食が配られたときに声をかけましたが、熟睡中。その後、免税品の販売が始まる頃にお目覚めになり、しっかり朝食を運ばせました。私の目の前は機内に乗り込むときに目の前にいた1歳~1歳半くらいの女の子とそのご両親。途中でXXXをなされ、自然現象なので仕方ないとはいえ、真後ろにいた私にはかなりきつかったです。そのとき改めて「飛行機は窓が開けられないんだよ~」と気づきました(<当たり前)。そんなこんなであまり快適なフライトとはいえませんでしたが、4時間あまりで憧れのキプロスに到着!1年に晴れの日が340日とも言われるこの地、本当に素晴らしいお天気です。どんより曇った寒空のドイツから飛んでくると、まさにパラダイス。これからの滞在に期待が膨らむのでした。
2009年11月09日
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ここ2週間の懸念事項だったCD録音がようやく終わり、先ほど帰宅しました。今、日曜日の夕方4時半です。週末ずっと留守にしていたため、洗濯物が溜まりに溜まっているのですが、予想通りパートナーは何もしてくれていませんでした。ので、これからせっせとアイロンかけをします。全部はとてもかけ終えられないと思いますので、旅行先で要りそうなものだけ。その後は早めに夕食を食べて、9時頃には寝なければなりません。明日はフライトが朝の6時10分発なので、5時くらいには空港に着いていなければならないのです。それには家を4時半に出なければなりませんので、3時に起きるとして、6時間寝るには9時には寝なければならないことになります。アイロンかけをしたら当然荷造りもしなければなりませんし、正直憂鬱です。やらなければいけないことがありすぎ、ストレスの方が大きくて、まだバカンスに行くんだという嬉しさは全くありません。これも楽団の指揮者がCD録音に予定の倍の時間をかけれくれたおかげです…。とりあえず、明日から1週間、キプロスに行って参ります。本当は2週間くらいのんびりしたいところですが、諸々の事情で1週間になってしまいました。完全にはリラックスはできないかもしれませんが、まだまだ長いドイツの冬に備え、お日様の光をたっぷり浴びてきたいと思います。
2009年11月08日
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今の会社で働き始めて、無事丸3年が経ちました。最近つくづく思うのは、ドイツでもやはり女性が働き続けるのは難しいなあということ。今日、食堂で産休を取っていたAさんを久しぶりに見かけました。こちらでは赤ちゃんが生まれると同僚にお披露目に来る人が多いので、彼女もそうなのかな?と思って見ていました。Aさんはここ2年くらいずっと会社にいなかったので、てっきりそのまま退職されたのだろうと思っていたのです。ところが全社員宛てのメールが来て、彼女はこれからマーケティング部のセールスアシスタントとして働くとのこと。これには正直ちょっとびっくりしました。私が入社した当時、彼女は庶務にいたからです。最近、世界的不況のおかげで、周りの日系企業も事業所を閉鎖したり、時短勤務を導入したりしています。産休を取っていた人が予定の期間が過ぎても職場復帰させてもらえず、会社から休暇を延長して欲しいと依頼されたりすることも多々あるそうです。もっとひどい場合は、産休から復帰してしばらく経った途端、解雇されることもあるとか…。私の場合、勤めた会社や部署が無くなったりすることが続き、今まで3年以上勤めた会社は一社しかありませんでした。転職が多いということは、つまり試用期間も多いということですが、試用期間中に産休申請するなんて当然ありえません。たとえ試用期間が無事に終わっても、自分のポジションを失うのが怖くて、産休なんてとても取る気にはなれませんでした。Aさんの場合、庶務からマーケティング部に異動できて、結果的には以前のポジションよりキャリアアップできたと言えるでしょう。ちょうど今週からマーケティングのアシスタントの女性(仮にBさんとします)が産休に入ったので、これ幸いとその人の後任になったのです。Bさんは産休+育休で、今後2年間戻ってくる予定はありません。でも、考えてみれば、この逆もありえるわけですよね。たとえば、このBさんが復帰しようとしたとき、そのポジションにはもうAさんが落ち着いてしまっているとします。そうしたら、Bさんは全く違う部署に飛ばされてしまう可能性もあるわけです。また、ドイツでは分業がしっかりしていて、通常自分が今までやってきたことと全く違う職種に移ることは出来ません。にも関わらず、Aさんは今までまるで経験の無いマーケティングの仕事を任されているわけです。つまり、アシスタントクラスの女性は、誰がどの仕事をやっても同じとみなされているってことですよね?これって働く女性としてはとてもつらいことです。もし、会社でキャリアを積んで、将来は役付きになりたいと思えば、子供を持つことはあきらめ、ひたすらがんばるしかありません。子供を持ちたかったら、ずっとアシスタントクラスの業務に甘んじるか、妊娠をきっかけにキャリアをあきらめるしかありません。子育てが終わってからキャリアアップを目指しても、よほどの才覚がない限り、難しいものがあるでしょう。ドイツも少子化が深刻だったので、ドイツ政府は色々な手当てを出したりして、なんとか出生数を増やそうとしています。が、政治家の中には、もっと高学歴の女性にも子供を産んでもらわないと困ると発言している人もいるのです。そんな事を言うならば、休暇後も以前と変わらないポジションを確約して欲しいものです。もちろん建前ではそうなっているのでしょうが、実際周りを見ていると、どうもそうではないようなので。まあ、私自身にはもう無縁の話ですけれどね…。
2009年11月04日
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先週の金曜日、夏に注文したバスルームの家具がようやく届きました。注文したのはいつだったか思い出せないくらい昔…。先方はもう少し早く配達できたようですが、我が家の都合で今になってしまいました。なんだかんだ言っても、新品はやはりいいものですね。以前住んでいた人が張ったタイルや取り付けた照明器具が全然好みじゃなかったのですが、家具が入っただけでバスルームが大分ましになりました。ただちょっと困ったことが1つ。新しい家具は洗面台付きのものなので、今までつけていた洗面台を取り外して捨てました。が、今度の洗面台に蛇口等はついていません。つまり、自分たちで好きなものを探して購入し、取り付けなければならないのです。ご存知の通り、私は最近CD録音のために時間を取られていて、週末もろくに家にいない状態。まず、一緒にお店に行く時間がないという問題があります。が、これは土曜日に私がCD録音をドタキャンした(詳しくはこちら)ため、幸か不幸か解決いたしました。チェーンのガーデンセンターに行き、色々見てまわった結果、某有名ブランドの蛇口に二人とも気に入ったものがありました。しかも、セール中で約半額ラッキーとばかりにお店の人を呼びました。が、その人が言うには、半額なのは展示品のみだとのこと。展示品しか残っていない場合、そう明記してある事が多いので、私は内心「それは違うのでは?」と思ったのですが、他のセール品ももしかしたら在庫は全て売り切れてしまい、残りは展示品のみだから値下げされているのかもしれないと思い直しました。特に傷等もなかったし、何せ半額というお買い得価格なので、これを買いたいと告げました。すると今度は展示品をディスプレイから取り外すのにかなり時間がかかるとのこと。土曜日の夕方だったのですが、その日の営業時間中には無理だというのです。それを聞いてパートナーは渋ったのですが、私は2~3日くらいキッチンを使えばいいことだからと主張しました。お店の人は月曜日には渡せると約束してくれ、それならばと彼も納得しました。内金を払い、以外にもこれで蛇口問題はあっさり解決です。あとは月曜日の夜にパートナーが取り付けてくれれば、バスルームが使えるようになるはず。だったのですが…。本日、私が帰宅してすぐ、携帯にパートナーから電話がかかってきました。仕事の帰り、お店に寄って蛇口を受け取ろうとしたところ、なんと展示品は壊れていたと言われたとのこと。ディスプレイの板を外してみたら、ほぼ全ての商品が上に出ているところ以外の部分が壊れていて、使い物にならない状態だったのだそうです。それにしても頭にくるのは、お店側の態度です。一応「すみません」とは言ったそうですが、それ以外には何も言ってこなかったと言うのです。普通ならば、「代わりの商品を選んでくれれば、そちらも値引きされてもらいます」とか、何か提案があってもいいと思いませんか?もしくは、「時間がかかってもよければ、同じものの新品を注文しますけど、いかがですか?」とか…。そもそも、自宅の電話番号も携帯の電話番号も聞いておいて、商品が壊れていると分かった時点でなぜすぐに連絡をくれなかったのでしょうか?こちらは月曜日に手に入ると思ったからこそ契約したというのに、これで振り出しに戻ってしまったわけです。私達は平日は二人とも夕方まで仕事だし、週末は私がまたCD録音で時間がないし、来週からはバカンスだし、別のものを探しに行く暇がありません。せっかくバカンス前に全て片付くと思っていたのに…。本当にドイツのサービス業ってやる気がないというか、困ったチャンが多いです。こちらの事情とかを全く想像しようともせず、内金を返せばそれでいいでしょうという態度。ほんと頭に来ます~。
2009年11月02日
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早いものであと2ヶ月で2009年も終わりですね。今年の締めくくりの時期だというのに、私にとっては散々な週末でした。全て自業自得なんですが…。金曜日の夜、日本人駐在員さんの送別会(とその人の後任の方の歓迎会)をやりました。うちの部署の方なので、私が幹事をしたのです。私が入社してから、同じ部署の日本人の方がいなくなってしまうのは初めてで、なんだかとっても寂しい気持ち…。でも、私は土・日とも楽団のCDの録音が予定されていたので、心を鬼にして二次会には行かずに失礼しようと心に決めていたのです。が、一次会で盛り上がってしまい、気づいたら二次会も最後まで参加しておりました…。二次会がお開きになったのは午前2時前で、帰宅は3時。先週はずっと家の工事などでよく眠れず、寝不足気味で疲れていたところに、少々飲みすぎてしまいました。翌朝はなんとか目覚ましをかけた時間に起き、シャワーを浴びたのですが、胃が痛くてたまりません。これでは車の運転も出来そうにないので、仕方なく録音を欠席してしまいました。9月に入ってからずっと休まず特別練習に参加していたのに、録音日当日に体調を崩すなんて、自分に腹が立って仕方ありません。でも、全ては二次会に行ってしまった自分のせい。一日中、死ぬほど自己嫌悪に苦しみました。そんなこんなで土曜日はろくにももの食べれず、ほぼ1日中ベッドで過ごしました。翌朝起きたときはまだ胃の痛みがありましたが、なんとか楽器が吹けそうでしたので、指揮者に電話して、参加しても良いと言われてから家を出ようと思ったのですが、電話がつながらない…。もしや、私が持っている携帯の番号は古いのかもとにわかに不安になりました。前日はしゃべれる状態ではなかったので、朝に指揮者に携帯メールを送って欠席することを伝えたのです。が、もし携帯の番号が変わっていたら、その連絡も伝わっていないことになるわけで、思い切り無断欠席になっているわけですよね。そう考えたらパニックになり、ますます胃が痛くなりました。行ってみて、追い返されたらその時は仕方ないと思い、予定通りの時間に出かけ、結局この日の録音には参加してきました。土曜日は5~6曲しか録音しなかったそうで、日曜日も結局4曲しか録音できませんでした。両日とも7時間もかけたにもかかわらず、です。実は、今度の土・日も録音できるよう、既にエンジニアに話をつけたのだそうで。2日間で録音する予定だったのが4日に延びたため、ゆっくり時間をかけてやっていたようです。私にとっては不幸中の幸いということになるのでしょうかあの指揮者のことだから、今週末もやるのではと予測はしていましたが、まさか本当に4日も時間を取られるとは…。しかも、私は録音最終日の翌日からバカンスのため、早朝に起床しなければならないのです。これはやはり、前回楽団の悪口を書いたバチが当たったんでしょうね…。うう、神様(というか、指揮者様?)ごめんなさい~。
2009年11月01日
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今日は午後中ずっと全社員ミーティングでした。予定では4時半に終わるはずだったのですが、最後に保険会社の人がプライベート年金保険の紹介に来て、これが長くかかりました。質疑応答が続いていて、5時になっても終わりそうもなかったので、抜け出すことに。その後、会社から直接楽団の練習に行ったのですが、こちらは9時までの予定だったのに、終わったのは9時45分。今週末にCDの録音があるので、指揮者がいつまでも練習したがり、遅くなってしまったのです。指揮者自身は本当は10時~10時半頃までやりたかったそうですが…。この楽団(指揮者)のこういうところがものすごく嫌いです。もし、どうしても練習時間を延長したいなら、前日の夜か、遅くとも当日の昼間にメールででも伝えてくれれば、こちらもそのつもりで出向くのに、練習が始まってから急に「今日は最低10時まで練習したい」とか言われても困ります。特に私は会社から直接行くので、夕飯も食べてないのに…。そもそもの間違いは、9月の練習を丸々お試しに費やしたことなのです。夏休み明けから特別練習を入れておきながら、プログラムを決めるために毎週初見大会で色々な曲を吹かされました。そのため、実際に練習が始められたのは10月に入ってから。クリスマスの時期にCDを売りたいと思っていたのなら、なぜ夏休み中にプログラムを考えておかなかったのでしょうか?大体のプログラムさえ決まっていれば、最初の1ヶ月をつぶさずに済み、録音日間際になって慌てずに済んだでしょうに…。とはいえ、この指揮者の性格からいって、本番の直前はいつも往生際悪くじたばたするんですが。結局、帰宅したのは10時半近くで、パートナーも30分ほど前に帰ってきたばかりとのことで、夕食の買い物も支度もしてくれていませんでした。テイクアウトのピザ屋さんに行ってくれ、夕食を食べたのはなんと11時過ぎです。食べ終わったらもう11時45分で、いつもならとっくに寝ている時間でした。このCDを置き土産(?)にこの楽団は今年一杯でやめようと思っているので、なんとか我慢できいますが、本当に疲れます。吹いていて楽しい団体だったら、あっという間に時間が経つのですが、(指揮者の無駄話を含め)とにかく私語が多いし、だらだらした練習なので余計疲れるんですよね…。あとは録音が予定通り来週の土・日で無事に終わってくれる事を願うのみです。この指揮者のことなので、来週の週末もまたやると言い出しかねませんから。
2009年10月27日
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こちらは夏時間が終わり、今日から冬時間の開始です。日本との時差は8時間に戻りました。冬時間になるとウツになる人もいるらしいですが、私も最近少々ひきこもりがち。職場や楽団で色々へこむことがあり、ちょっと現実逃避気味で、アプリに熱中しています。毎日帰宅後、2~3回チェックするのが日課になってしまっているのです。非生産的ですね…。おまけに先週はすっかり風邪をひいてしまい、毎日会社から早めに帰り、夕食後すぐベッドに入るという事を繰り返していました。金曜日はもう工事の人が来ないので、パートナーには「今日は休めば?」と言われたんですが、夜に先日行われたソフトボール大会の打ち上げが行われる予定で、私が幹事だったため、この日も休むわけに行かなかったのです。ところが、助っ人としてチームに加わっていただいた他社の方2名(つまりこの打ち上げの主賓)のご都合が悪くなり、欠席するという連絡をいただいたので、急遽打ち上げ自体をキャンセルすることになりました。私はまだ体調が悪かったですし、週末は楽団の特別練習があり、夜出かけるのはあまり気が進まなかったので、中止になってくれて正直なところラッキーでした。土日はいずれも吹奏楽団の練習。今年は金管アンサンブルのCDを作成することになり、今週末が録音なので、そのための特別練習です。土曜日は朝10時から午後3時まで、日曜日は朝10時から午後1時までの予定が指揮者の希望で2時に延長されました。おかげで両日ともほぼ1日つぶれてしまい、土曜日の夕方に買い出しに行き、土曜日と日曜日の夕食を作った以外、家のことは何も出来ずじまい。パートナーが水~木は大理石の工事の人が来るので仕事を休み、金~日も家にいたので、庭仕事や掃除等色々やってくれたので助かりました。が、洗濯関係は全く手付かずで、アイロンをかけなければならない洗濯物が溜まっています。毎年晩秋~クリスマス前のこの時期は楽団の行事(営業活動)で忙しいのですが、今年は本当に空いている週末がありません。そろそろ牡蠣もおいしい季節だし、買い出しも兼ねて隣国へ食事に行こうなんて話していますが、クリスマス前に行けるかどうか…。クリスマスと大晦日の間は我が社は休業なので私はお休みですが、彼は今年も仕事だそうです。さらに、今週もまた例の業者が来て、リビングの床全面を磨くことになっています。彼はこの日もまた有給を取り、お義母さんを通じてご両親の家の近所に住んでいる大学生(?)を家具をどかすためのお手伝いとして雇ったそうなので、私は何もしなくていいそうです。とはいえ、本棚の中身は私が時間を見つけて元に戻さないといけないのでしょうが…。また、今週は夏に注文したバスルームの家具もいよいよ届くことになっています。こちらも今ある家具をどかしたり、洗面台を外したりしなければならないはず。多分、パートナーはおそらくこの日も有給を取っているのだと思います。彼は自分から私にちゃんと予定を言わない人なので、私は直前にならないと分からないことだらけなんですよね…。北ヨーロッパの人は冬は家で過ごすことが多いため、家を居心地良くしようと良い家具を買ったりするとよく言われます。我が家もよく言えば長い冬に向けての準備中と言えなくもないですが、このところ家にいてもまるで落ち着きません。とにかく早く全て片付いて欲しいの一言です。
2009年10月25日
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やはり風邪をひいてしまいました。火曜日は早めに帰宅し、楽団の練習もキャンセルして、ご飯を食べて風邪薬を飲んですぐに寝たのですが、やはり遅すぎたようです。昨日は症状がますます酷くなり、欠勤したかったのですが、翌日(今日ですね)締め切りの仕事があったため、無理して出社。しんどいながらもその仕事を無事に終え、その後直ぐに退社させていただくことにしました。結局3時半頃に帰宅したのですが、実はもっと早く帰っても、どうせ家では静養できなかったのです。というのも、昨日は我が家のリビングの床の工事の日だったから。以前のブログで、パートナーがリビングの床を張り替えたがっていることを書きました。以前は大理石を全て剥がして、フローリングにしたがっていたのですが、私だけでなく、自分の親や親友などにも反対され、それはなんとかあきらめてくれたのです。が、それ以降、大理石の手入れをしたいとずっと言っていて、私が「床はまだそれほど優先順位は高くないから、徐々にやっていこう」と言ったのに、勝手に業者を呼んで見積もりをさせ、作業を依頼してしまったのです。内容は、今週水曜日1日で壊れている部分(リビングからキッチンへ向かう部分)の大理石の張替え。さらに来週にリビングの床全体を磨き上げてもらうというもの。見積もりも契約も全て私に無断で進めてしまったので、頭に来て文句を言ったのですが、自分の冬のボーナスで払うと言うので、勝手にさせることにしたのです。が、その作業が思ったより大掛かりで、昨日1日では終わらなかったのです。新しく貼った大理石の上は通ってはいけないとのことで、ものすごく不自由ですし、家の中でも靴を履いて移動しなければなりません。また、古い大理石を壊したりしたときに出た砂埃がものすごく、家中真っ白になっています。キッチンの床は何もいじっていないのですが、電磁コンロの上も真っ白ですし、ダイニングテーブルは汚れよけのビニールマットで覆われているし、何より調理したものをリビングに運ぶ事が出来そうもありません。そのため、昨晩は具合が悪いのに外食に行かざるを得ませんでした。今日もまだ体調が悪く、本当は今日こそ欠勤してゆっくりしていたかったのですが、家がこんな有様ですし、また今日も業者が来るので落ち着かないと思い、仕方なく出社したのです。パートナーは修理は1日で終わると言っていたのに、予定外にもう1日かかることになって、一体どうするのかと思っていたら、念のため今日も有給を申請しておいたそうです。いつもぎりぎりまで何もしない彼がそんなに用意周到なのはおかしいので、元々2日かかる作業だったのに、私に嘘をついたのでは?と思っています。それに、来週の床全体を磨く作業というのも、リビングにある家具(棚など)はどかさなくても大丈夫と言うのでOKしたのに、実はそれも嘘だったのです。リビングの一面の壁をほぼふさいでいる大きな棚だけは動かさないそうですが、それ以外は全部動かさないといけないそうです。つまり、CDや本がぎっしり詰まっている棚も中身を全部空にして、どこかに移動して、また作業が終わったら全部元に戻さないといけないらしいのです。(その事実をこの間の旅行中に義母から聞かされ、とてもショックでした。)一事が万事この調子で、パートナーは全て自分ひとりでやるからと言うのですが、お義母さんも手伝いに来ると言っているし、私だけ知らん顔しているわけにはいきませんよね。彼が一体来週何日有給を取ったのか知りませんが、本棚の中身は95%くらい私の所有物なので、元通りにしまうのなんて、私しかできないし…。私は今週末も来週末も楽団の特別練習で留守だというのに、一体いつ作業をすればいいのやら。実は昨日、私が早めに帰宅したところ、お義母さんがいきなり我が家に来たのです。多分、私はまだ帰っていないだろうと踏んで、急に立ち寄ったのだと思いますが、これもちょっと嫌な感じでした。なぜお義母さんがいちいち我が家の様子を見に来るのでしょう?私が義両親の突然の訪問(チェック)に神経質になるには訳があり、このアパートを買って間もない頃、義両親に「自分たちがもっと年を取って、一軒家の維持が大変になったら、住む場所を交換してくれ」と言われたことがあるのです。やはり彼はご両親の住んでいる家と私たちの住んでいるこのアパートをいずれ交換するつもりなのでしょうか?それで、ご両親のために少しでもこのアパートを良い状態に保ってあげようとしているのか…。私達に貯金もたっぷりあるのなら、家の修理・改装にお金をかけても別にいいと思いますが、そういうわけでもないのに、一体何を考えているか分かりません。今年は私が新車を買ったし、彼はインプラントで多額の出費があるので、家のことはバスルームを最優先にして、あとは徐々に少しずつやっていこうと決めたのに…。その割りに、私に優先順位1位と約束してくれたバスタブはいまだに見に行ってもいないのです。パートナーが自分のマイホームを誇りに思い、色々手をかけたい気持ちは分からなくもないですが、やっと主な家具も揃って、新居が落ち着いてきたところなのに、どうしてこう次から次へと手をつけないと気が済まないのか…。私にとっても『マイホーム』のはずなのに、気が休まるときがありません。実際に今日だって、具合が悪くて家で休養したいのに、それが出来なくて出社しているわけですし。この分では、一通りやることが終わったら今度はまたペンキ塗りと壁紙貼りに戻ってしまい、いつまで経っても作業が終わることがないような気がします。恐ろしすぎる…。
2009年10月22日
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