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大分長い間ブログを放置してしまいました。もう誰も読んでくださっている人はいないでしょうが、皆様、お久しぶりです(と一応挨拶してみる)。久しぶりに何か書き残したいと思ったのは、とても素晴らしいコンサートを聴く機会に恵まれたから。日本ではすっかり有名人となった辻井伸行氏のリサイタルに行って来ました。私が彼の名前を始めて目にしたのは、いつものようにインターネットでニュースを読んでいるとき、バン・クライバーンコンクールで日本人が初優勝したという記事でした。その記事には辻井氏は全盲だということも記されており、とても驚きました。音楽をかじっているものとして、楽譜を読めないコンテスタントがコンクールで優勝するということがいかに大変か、容易に想像できたからです。その後、純粋な好奇心から彼のCDを注文して聴いてみました。とても良い演奏でしたが、CDからは当然、録音された音そのものしか伝わってきません。いつか彼の演奏を生で聴いてみたいものだと強く思いましたが、年に1~2回しか帰国しない私にとって、ちょうど日本にいる時期に聴きたいコンサートを聴きに行ける機会はまずありません。そんなある日、偶然彼のドイツコンサートツアーのポスターを見かけ、早速その日の晩にインターネットでチケットを注文しました。日本では既に彼のコンサートのチケットはとても入手困難だということですが、ヨーロッパではおそらくまだほぼ無名の彼。既に公演1ヶ月ほど前でしたが、全く問題なく購入できました(その後、本公演のチケットは売り切れました)。しかも、全席自由とはいえ、チケットは23ユーロと申し訳なるようなお買い得なお値段だったのです。会場は意外にも小ホールで、彼の名前をどこかで見かけたことがあると思われる日本人の聴衆で埋まりました。正直、心のどこかでは「全盲という分かりやすいハンディキャップのために過剰評価されている部分もあるのでは」と少しだけ思ったりもしていたのですが、そんな疑念は全くの杞憂でした。彼の演奏を聴いた途端、彼の音の世界に直ぐに引き込まれ、とても幸せな気分に包まれました。ピアノはいわゆる打楽器です。鍵盤をたたけば誰でも音が出せる。それなのに、どうしてあんなに多彩な音色が奏でられるのか。どうしてあんなに見事に強弱が付けられるのか。同じ楽器なのに、他の人が弾いているときとは全然違うのです。ただただ感嘆するばかりでした。そして私が一番興味を持ち、そして不思議にも思ったのは、この豊かな表現力を彼がどうやって身につけたのかということです。上手く説明できる自信が全くないのですが、とにかく感じた事を書いてみたいと思います。普通、音楽(特に西洋音楽)というのは、まず楽譜ありきです。たとえば、オーケストラの曲ではフルスコアという全てのパートが記載してある楽譜があり、指揮者はそれをひたすら読み込み、奏者に指示を出して自分の音楽を作り上げていくわけです。私は指揮ができないので想像も出来ませんが、指揮者によってはフルスコアを見れば頭の中でその音楽(オケ)を鳴らせるといいます。ところが、辻井氏の場合は生まれつき目が不自由だったといいます。つまり、彼は楽譜というものを見たことなどないのです。楽譜を見ないで、曲を勉強することは可能なのか?というのが先ず素朴な疑問。おそらくは誰かが演奏したものを耳で聴いて、それを覚えていくのだろうと思うのですが、そうなるとどうしても演奏した人の癖、解釈なども一緒に取り込んでしまうことにならないのでしょうか?さらに、オケや吹奏楽の練習中、指揮者は奏者に自分の指示を分かりやすく伝えるため、絵画的なたとえを良く使います。辻井氏の場合は生まれつき目が見えなかったのですから、こういう例えすらも分からないわけですよね。今回のプログラムのメインは『展覧会の絵』だったのですが、これはその名の通り、展覧会で様々な絵画を見て周り、それぞれの印象を連ねた曲です。たとえば「古城」という曲があり、私達はヨーロッパによくある石造りの大きくて古い要塞を想像しますが、辻井氏にとってはこれを視覚的にイメージすることは難しい、もしくは不可能ですよね。楽譜も読めない、その曲のイメージするものを見ることもできない、というのは曲を理解する上で大きなハンディにならないのでしょうか?でも、逆に言うと、全盲というのは大きなアドバンテージになりうるのかなとも思えるのです。辻井氏は自分の世界の中でひたすら音楽と向かい合うだけです。そこには余分なものが入り込む余地はなく、彼は自分の思うとおりの音楽を演奏することが可能なのかもしれません。とにかく、驚きと感動の連続のコンサートでした。辻井氏はのりのりで、まるで大好きなおもちゃを与えられた子供のよう。本当にピアノが好きなんだなぁと思いました。アンコールの3曲目に地震の被害者のために作ったという曲を披露してくれ、これで終演だと思った私達が精一杯の拍手を送っていたら、彼はさらにアンコールにこたえてくれたのです。時計をしていなかったので分かりませんが、このときゆうに10時を越えていたはずです。辻井氏の入退場をエスコートしていた男性が思わず「まだ弾くの?!」という表情をしたくらい。『展覧会の絵』の演奏でぐったり疲れているかと思いきや、これが若さでしょうか(笑)。さすがにこれ以上弾かれてはたまらないと思ったのか、4回目のアンコール後はさっと照明が灯されたのがおかしかったです。次は是非、彼の協奏曲を生で聴いてみたいです。追記:興奮してプログラムを書き忘れました。以下、この日に演奏された曲目です。モーツァルト ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲つき)ベートーベン ピアノソナタ第17番『テンペスト』ムソルグスキー 『展覧会の絵』アンコール1: ショパン ノクターン第8番アンコール2: リスト 『リゴレット・パラフレーズ』アンコール3: 辻井伸行『それでも、生きてゆく』アンコール4: ベートーベン ピアノソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』
2012年03月13日
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『今年最後の演奏会は大好きなマーラーにしよう!』と決めていたわけではないのですが、結果的にそうなりました。ダニエレ・ガッティ指揮、フランス国立管弦楽団によるマーラー9番です。ただし、その後思い立って母に年末に行われる『第9』のコンサートをプレゼントすることにしてしまったので、正確に言うと「ドイツでの今年最後のコンサート」ですが。私がマーラーの交響曲で一番好きなのは3番なのですが、最高傑作は9番という声が多いですね。また、マーラーの作品の中で一番「死」を連想させるのがこの9番だと言われています。日本で大震災が起きて、生と死について思いを馳せることの多かったこの年の最後にこの曲を聴くことになったのも、運命のいたずらというか、何か象徴的な感じです。最近外出続きで疲れが溜まっていて、前半は時折眠気が襲ってきたりもしたのですが、4楽章を聴きながらまたしても涙ぐんでしまいました。ガッティ氏はなんとこの長い交響曲を暗譜で振りました。9番は人気もあるし、演奏する機会も比較的多いのだろうとは思いますが、驚きです。今までそれほど大好きな指揮者というわけではなかったのですが、今夜の演奏で私の中ではかなり株が上がりました。相変わらずちょっとうるさかった(振りながら声を出すので)んですけどね…。でも、音楽に入り込んで、力が入って思わず声が出てしまうというのは理解できるので、許します。(<って自分、どれだけ上から目線なんでしょう~)近いうちにガッティ氏が振るマーラーの3番を聴いてみたいものです。今年の秋はあまりめぼしい公演がなく、例年よりも大分コンサートに行く機会が少なかったような気がします。年内は12月27日にサントリーホールでNHK交響楽団の第9を聴き、来年はこのまま行くと1月29日のブダペスト祝祭管弦楽団で幕開けです。来年も沢山の素晴らしい演奏に出会えますように
2011年12月07日
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葉加瀬太郎さんのドイツでの初コンサートを聴きに行って来ました。お名前はもちろんずっと前から知っていましたが、これまではバラエティ番組等に出演しているところを数回見たことがあるくらいで、彼の演奏を生で聴いたことがありませんでした。また、テレビでは葉加瀬さん自作の曲の演奏しか耳にした事がありませんでした。でも、数年前にロンドンに移住され、最近は『自分の原点に帰る』ということでクラシックの演奏に力を入れているそうで、彼がどんな風にクラシックの曲を演奏するのか聴いてみたかったのです。また、3月の大震災後、精力的にチャリティコンサートを開催されているようでしたので、彼の人となりにも多少興味がありました。本公演のチケットは公演1週間ほど前には既に売り切れだったようです。会場の9割か、もしかしたらそれ以上は日本人で埋め尽くされていました。デュッセルドルフにはまだ8000人もの日本人が住んでいるのですから、誰でも名前を知っている日本人音楽家がコンサートをするとなれば、そりゃあチケットの売れ行きもいいでしょう。じっと座っていられないくらい小さな子供連れの方も私の席のすぐ近くにいて、演奏中に物音を立て続けるので、それにはちょっと閉口しましたが。こちらでは通常、平日のコンサートの開演時間は8時であることが多いのですが、今回は7時半、しかもオケのコンサートではないということで、早く帰宅できるだろうともくろんでいました。が、後でこの読みが大甘だったことを思い知らされる羽目に…。この公演はドイツ日本修好150周年記念イベントの一環だったようで、しかもスポンサーの銀行が東日本大震災のためのチャリティーも行ってくれたため、開演前にたっぷり色々な方々のご挨拶があったのでした。それも、日独両方の言語(つまり全て2度ずつ)で行われたため、実際の開演時間は8時過ぎだったというわけです。公演は休憩を挟んで2部構成でしたが、プログラムも想像していたのとは少々違い、クラシックオンリーではありませんでした。クラシックの演目と葉加瀬氏が作曲した曲が半々くらいか、自作の曲の方が多いくらいだったでしょうか。クラシックの演目を目当てにしていた私にとってはちょっと拍子抜けでしたし、彼の演奏自体も総じて自作の曲の方が良かった気がしました。クライスラーの「プレリュードとアレグロ」の演奏はものすごく素晴らしかったですが。アンコールではNHKドラマ『てっぱん』の主題歌だったという「ひまわり」という曲を演奏してくれました。演奏前に彼がなぜその曲を選んだか話してくれたのですが、震災後の1週間、日本では普通のテレビ番組が一切放送されず、この連続ドラマも打ち切られていたそうです。そして再開されたドラマを見た東北地方の沢山の人が「震災前に毎日聞いていた曲をまた聴くことが出来て、元気が出ました」という手紙をくれたそうです。私はそのドラマを見ていなかったので曲も知らなかったのですが、彼の演奏を聴いていたら涙が溢れてきました。私も以前は会社と家の往復の単調な毎日に辟易し、時には愚痴をこぼし、明日も明後日もその後もずっとこの何の変哲もない日常が続いていくことを疑わずに過ごしていました。ところが今年3月に祖国が未曾有の震災に見舞われ、確かなものなど何もないということ、たった1つの出来事が人生を一変してしまうことがあるのだということを身をもって知りました。そして、何の変哲のない日常を送れるという事がどれほど貴重なことであるのかも。その後、いつ何があっても後悔しないよう、1日1日を大切に生きようと決心し、思ったことはちゃんと相手に伝え、やりたいことは実現に向けて努力してきたつもりでした。でも、震災から半年も過ぎるとそれすらも忘れ、いつの間にかまた些細なことに不満やストレスを感じるようになっていたのです。葉加瀬氏の話を聞いて、そしてその後の彼の演奏を聴いて、あのときの自分の心境を思い出すことができました。このコンサートを聴きに来て、本当に良かったと思いました。アンコールの2曲目は葉加瀬氏が大好きだという「O Holy Night」でした。神聖な気持ちになるクリスマスキャロルを聴きながら、世界中の人が楽しいクリスマスを迎えられるように祈りました。そして2012年はなるべく自然災害の少ない年となり、東北地方の人たちが今年より1日も多く笑顔で過ごせるよう、切に切に願っています。
2011年12月05日
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日本ではもうほとんどの皆さんがスマホユーザーだと思いますが、携帯更新国のドイツでは、まだまだ普通の携帯が主流。去年あたりからようやく若者達の間でいわゆるスマホが主流になってきたかなという感じです。が、会社では私の周りの同僚・駐在員さんなどはここへ来てあっという間にほとんど全員iPhoneユーザーになってしまいました。私は隣国からドイツへ越してきたときに当時務めていた会社経由でV社と契約したままずっと使っていましたが、実はこれって一番間抜けだったんですね。10年近くずっと見直しもせずに更新し続けていたので、当時は多少はお得なレートだったのかもしれませんが、今となってはかなり割高になっていたのを知らずに使い続けていたのです。本体も一度盗難にあったため新機種にしてもらったのを覗けば、全く交換してもらいませんでした。本来ならば2年に1度、新機種に交換できるらしいのですが、使い方等が変わるのが面倒くさくて、ついそのまま古いものを使い続けてしまったのです。そこへ今年の3月、あの大震災が起こりました。朝、出勤途中のラジオで一方を聞いた私は、会社に着いてから両親に連絡を取ろうと何度も何度も電話をかけましたが、どちらも一向につながりません。PCにメールを送っても、携帯メールを送っても、返信もありません。後になって当日電話はものすごくつながりにくくなっていたし、おまけに停電もしていたと分かりましたが、震災があっただけで家族とまるで連絡がとれなくなってしまうことに唖然としました。それはさておき、私は震災が起こった当日から2泊3日で楽団のワークショップに参加することになっていました。両親共に連絡が取れ、無事が確認できるまでは家にいようかと思ったのですが、当日の夕方やっと父と連絡がつき、それで少し落ち着いたこともあり、予定通り合宿場所に向かったのです。が、それは3日間オフラインになってしまう、つまり母の安否が分からないままということを意味していました。そのとき、これから両親ももっと年を取るし、合宿や小旅行のたびに完全にオフラインになってしまうのは考え物だなあと思い、スマートフォンに買い換えようかと考え始めました。それから数ヶ月経ち、やっと思い腰を上げたのは2ヶ月半ほど前のこと。そのときに高いだけでちっともメリットのない契約をしていたと知り、その場ですぐに解約手続きをしました。と言っても有効になるのは3ヵ月後なので、11月一杯でV社との契約が切れることになりました。そのため、10月くらいになったらiPhoneを購入すればいいやと漠然と考えていたのです。そうこうしているうちに10月にiPhoneの新モデルが発売されると発表されました。新しいモデルの値段はきっとかなり上がるはず、でもその直前ならば古い方のモデルはかなり安く買えるのではないかと思い、それならば5が発売される直前まで待って、4を買いに行こうと決めました。(<せこい?)ところが、周りの人は「どうせならもう少し待って5が出たら5を買うべき」という意見。それもそうかな~と思ってぐずぐずしていたら、次に出るのは5ではなく4Sだと言うではないですか?4と4Sではそれほど機能に差はないようですし、これは急いで4を買いに行かなければと先週末に地元のショッピングセンターに出向いたのですが、時すでに遅しで、4はもう扱っていないと言われてしまいました。しかたなく4Sで新たに契約しようとしたところ、身分証明書の提示を求められ、あえなく撃沈…。携帯を購入するのにパスポートが必要だなんて、すっかり忘れていました。気を取り直して、今日こそリベンジです。オケの練習が急にお休みになった(金管奏者抜きの練習に決まった)ため、午後早い時間からショッピングモールへ出向くことができました。このモールにはドイツで数軒しかないアップストアが入店しているのです。友人の進めに従い、それまでにインターネットで色々調べ、計算もしてみたのですが、出たばかりの新モデル4Sの値段が800ユーロ近かったので、これはさすがに高すぎる!!といきなりくじけました。で、当初の予定通り、T社で契約+本体購入しようかと思ったのですが、今日改めてアップストアでの値段を調べてみたところ、4Sは629ユーロでした。ところが、この値段で計算してみたところ、上記のT社での値段と、本体購入後に安い別のプロバイダーで契約するのとの差が40ユーロほどしかなく、それならばやはり当初の予定通りT社にしようとほぼ決めていました。が、もしかしたら古いモデルの4を安く買えるかもしれないし、本体を購入後の契約でもさらに安いところが他にもあるかもしれないので、とりあえず実地調査(笑)してみることにしたのです。で、まずはプロバイダーではなく、各社の契約・電話機を取り扱っている店へ行ってみたところ、果たしてここではまだ4を扱っていました。私が契約しようとしていたT社の場合、32GBの白いモデルを100ユーロで購入できると言うので、私の中では95%くらいそれに決めかけていました。が、パートナーに即決しない方がいいと言われ、とりあえずアップルストアでまだ4を売っているかどうか、売っていればどれくらいの値段なのかを調べに行くことに。ところが、こちらは店の中も外もものすごい人外にはSIMカードなしの4S購入希望者が30~40人くらい並んでいるし、店内もごった返していて、とてもアドバイスなんてしてもらえる雰囲気ではありませんでした。ようやくたまたまフリーだった一人の店員さんを捕まえて、4はまだ売っているのかと訊いたところ、8GBのものしかないというので、その時点でアップルストアでの本体購入はあきらめました。で、また最初のお店に戻り、いよいよT社の契約をしようとしたら、先ほど色々教えてくれた店員さんが見当たらず、別の店員さんが担当になってしまいました。T社での契約では、2年間はSIMカードがロックされたままという点が唯一気になっていて、『それじゃあせっかくスマホを買っても日本でカードを取り替えて電話を使えないのか~』とがっかりしていたのですが、この新しい店員さんに訊いたところ、V社ではSIMカードの交換が可能だと言うのですそこで急遽V社のレートを出してもらい、1ヶ月の通話時間が2時間から1時間に減ってしまう以外はほぼT社と同じ条件のものに決めました。つまり、以前の契約を見直し延長したことになるので、電話番号も変更になりません。T社で契約した場合、電話番号が変わってしまう予定(V社から引き継ぐと移管料を25~30ユーロも取られる)だったので、これは大きなアドバンテージでした。肝心の本体は4の方が4Sより100ユーロ以上安かったのですがそのお店には在庫がなく、取り寄せになると言われました。来週の木曜日には届くと言うし、かなり迷ったのですが、最終的には16GBの4Sに決めてしまいました。店員さんの営業トークに根負けしたのと、彼が古い携帯からのデータを写す作業代金と、電話ケースをサービスしてくれたので…(笑)。というわけで、本日4時間がかりで購入してきました!遅ればせながらいよいよスマホデビューです。全くの初心者なので、これから少しずつ勉強して覚えていくつもりです。先輩の皆様方、色々教えてくださいませ~。
2011年10月29日
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休暇中の楽しみの1つは何と言っても朝寝坊。この2~3ヶ月は週末も色々忙しく、目覚ましをかけずにゆっくり寝ると言うことができなかったので、今回はたっぷり寝るのを楽しみにしていました。と言っても、朝食はしっかり食べなければ夕食まで持ちません。朝食の時間は7時から10時とのことだったので、10時までに食べ終わるよう、8時過ぎに起きて9時頃にレストランに向かいました。のんびり朝食を楽しんで10時前にレストランを出、レセプションの前を通るので、ついでに疑問に思っていたことをいくつか確認することに。まず、ホテルの案内パンフレットにインターネット無料とあったので、どこにそのPCが置いてあるのかを訊ねました。すると、PCは現在故障中との事…。元々3日間オフラインになることは覚悟していたので、まあこれくらいは我慢しましょう。次に、2つ目のマッサージの時間は何時なのか訊ねました。すると驚いたことに「10時からです」とサラッと言うではないですかあと10分しかありませんよ???一体いつ決まったのか分かりませんが、普通は昨日の夜のうちにドアの下にメモを入れておくとか、今日の朝食のときに私に伝わるようにするとかしますよね?もし私が朝食後に確認しなかったら、予約をすっぽかしたことになっていたんでしょうか?しかも、私が勝手に現れなかったと言うことで、マッサージを受けてもいないのに代金だけしっかり請求されていたかも…。恐ろしい。2つ目のマッサージは45分と言う短いものだったので、11時前に部屋に戻りました。するとその短時間の間にお掃除をちゃんと終えてくれていたので、「やればできるじゃん!さすが4ツ星」とちょっとだけこのホテルを見直しました。が、それもほんの一瞬のこと…。予約していた2つのマッサージは予想に反して(内心、両方とも2日目だろうと思っていたので)、いきなり丸1日暇になってしまった私。でも、今回の小旅行の目的はひたすらのんびりだらだらすること。ゆっくり読書や昼寝を楽しもうと本や雑誌、ついでにおやつも持ってきたし、準備は万全です。予定通り部屋でのんびりしようと雑誌を広げると、改装を行っているすぐ隣の部屋で何度もドリルを使う音がするではないですかそのうちお昼の休憩時間になってやむだろうと思ったのですが、12時を過ぎても1時になってもやむ気配が一向にありません。普通、ドイツでは正午から2時までの間は安息の時間で、静かにしなければならないという決まりがあるのにもかかわらず、です。もし、あと少しで終わると言うなら、しばらく外に出て散歩でもして時間をつぶそうと思い、隣の部屋で作業している人に訊いてみました。すると、午後中ずっと作業する予定と言うではないですかこれでは部屋でゆっくり読書や昼寝なんて到底無理です。始めはその離れにウェルネス用の部屋があり、私がウェルネスパッケージを予約したので、好意でその近くの部屋にしてくれたのかな?とも思いましたが、どう考えても違いますね。大体、このホテルには周りにNATOの演習場(これも来る途中に看板が出ていたので知った)以外に全く何もありません。ここから一番近い都市ハノーヴァーまでが40キロほど、次に近い都市はブレーメンで80キロも離れています。つまり、ここを拠点にして観光をする人もいないでしょう。ということは、ハノーヴァーで大きな展示会があるとき以外でここに泊まる人は、ほぼ100%ウェルネス目的で来ているはずです。つまり、日中も外出せずにホテル内で過ごすお客さんがほとんど。普通の常識のあるホテルなら、離れを改装しているならそれが終わるまで離れの部屋にお客さんを入れないだろうと思うのですが…。私が予約したのは2週間前と結構ぎりぎりではあったので、もしかしたら本館はもう部屋が空いていなかったのかもしれないとも思いましたが、ドリルの音があまりにもうるさいのでレセプションへ行き、だめもとで「他の部屋に変えてくれないか」と打診してみました。すると驚いたことにすぐに「15号室なら提供できるので、見てみますか?」と言われたのです。ということは、他の部屋も空いていたわけですよね?それなのに、なぜわざわざ改装中の離れに、しかも改装している部屋のすぐ隣の部屋に私を案内したのでしょうか???私がチェックアウトした後、次は私の部屋も改装されることはどうみても明らか。どうせ外国人だからクレームもつけないだろうし、最後にちょっとこの古い部屋で儲けてやれと思ったのでしょうか。私が新しい部屋を見るために立ち去る直前、レセプションの女性はこれ見よがしにため息をついたりしていたので、やはり完全になめられていたようです。腹立つ~。新しく案内された本館の部屋は、作りは前の部屋とほぼ一緒でしたが、こちらは明らかに改装済みでした。この部屋もソファだけはオープン当初のものと思われる古臭いソファでしたが、それ以外はきれい。バスルームの中もすべてモダンな作り付けの家具になっており、ドライヤーも新しいタイプのものが付いていました。最初からこの部屋に案内してくれていたら、ホテルの印象も大分変わっていたのになあ。これだけだったらこのホテル、インターネットで酷評して、さらに友人・知人にも『絶対お勧めしない』と言いふらして、溜飲を下げるところなんですが、レストランだけは非常に良かったのですよね~。レストランがというか、コックさんが素晴らしい。実は、ホテルの対応にあまりにも頭にきたので、即座にチェックアウトして帰ってやろうかと思ったのですが、1日目の夕食があまりにもおいしく、思わず予定通り2泊してしまったのです~。2日とも3品のコースメニューでしたが、お料理すべてとってもおいしくいただきました。レストランのみの利用だったら、かなりお勧めです。悔しいけど。でも、こんなホテルに数百ユーロも使ってしまったなんて、悔しい限りです。こんな事だったら家でだらだら読書と昼寝していた方がよほどましでした。添い寝してくれる王子もいるし。そうそう、このホテルのレセプション、最後の最後もしっかりやらかしてくれました。請求書を見たら、マッサージの料金が10パーセントオフになっていなかったのです。しっかりクレームして引かせましたが、ここまで色々あると『外国人だと思ってわざとやってる?』と勘ぐりたくなってしまいます。というわけで、食事だけは楽しみましたが、散々な休暇でございました。
2011年10月27日
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うちの会社では12ヶ月に1度、残業時間をゼロにしなければならないと言うルールがあります。一体この新ルールにどんなメリットがあるのか分かりませんが、私は昨年10月に1度ゼロにしたので、今年も10月末までにもう1度ゼロを通過しなければなりません。この2ヶ月ほど日本が祝日のときに代休を取って減らす努力はしてきましたが、それだけでは全然足らず、今月末までにまだ3~4日休まなければならないことが判明しました。そこで、思い切って今週の水~金の3日間、お休みをいただくことにしました。考えてみたら、6月の里帰り以来の休暇らしい休暇です。今年はまだどこにも旅行に行っていないし、この際、2泊3日で小旅行をしてしまおうと決めました。先日女友達と食事に行ったときに、そのうち一緒にウェルネスホテルにでも行きたいねという話になったので、その下見を兼ねて、ドイツ北部にあるとあるウェルネスホテルを予約しました。今回予約したのは『ハッピーリラックス』という2泊3日のウェルネスプログラムで、朝食と夕食各2回つき。ホテル内のウェルネスプログラムはすべて10パーセント引きというプログラムです。ツインルームの一人使いなのでその分代金を上乗せされましたが、それでも2万弱というお値段。ウェルネスが目的なので、もちろんマッサージも予約しました。サンシュイという2時間たっぷりの中国式マッサージと、顔のリンパドレナージュ、それから以前から興味があったまつげのエクステンションを思い切ってやってみることに!ところが、ホテルからの返信によると、まつげ担当の女性が産休中のため、今は対応できないとの事でがっかり。それならホームページに「当ホテルのお勧め!」とか書かないでほしかった…。本当なら休暇初日の今日は朝もゆっくり起きてから支度をし、のんびり北部へ向かうつもりでしたが、前日に本社から電話があり、急遽電話会議をすることになってしまいました。どうしても今週じゃないとダメ、それも早ければ早いほうがいいと言うので、その会議のためだけにいつもどおり出社。9時から10時過ぎまで会議をしてからいったん帰宅し、荷造りをして正午に出発となりました。ホテルの近くまでは順調に来たのですが、肝心のアウトバーンの出口が分かりません。ナビの言うとおりの出口に出ようとすると、サービスエリアに入ってしまうし、その次の出口で出たら、今度はまた逆方向のアウトバーンに誘導されてしまいました。つまり、アウトバーンの一区間をひたすら行ったりきたりしていることに。埒が明かないのでサービスエリアに入って車を止め、ホテルに電話しました。電話を取った人いわく、そのサービスエリアの敷地内にアウトバーンの出口があるとのこと。そんな標識はどこにも見当たらなかったけど、ホテルの人があるというならどこかにあるのでしょうともう1度エンジンをかけてうろうろ。やっとガソリンスタンドの手前にアウトバーンに戻る以外の道路を発見しました。そこまで来れば後はひたすらホテルの看板をたどっていくだけです。やれやれ。チェックインは15時以降可能と言われていたので、15時前後に着くように出かけたのですが、最後に迷ってしまったので15時半過ぎになってしまいました。で、チェックインの際にマッサージの時間を確認すると、今回のメインとも言うべき一番長い2時間のマッサージが17時からと告げられ、ちょっとびっくり。確かにウェルネスプログラム予約の際、「希望は水・木のいずれかで、時間は何時でもいいです」とは伝えましたが、水曜日は到着日だし、木曜日に入れてくれるだろうと予測していました。もしも木曜日にスケジュールが空いていなかった場合のことを考えて、念のため水か木と言ったのです。が、まさか到着後すぐに2時間のマッサージを受けさせられるとは思ってもみませんでした。まあ、自分が2日のうちの何時でもいいと伝えてしまったので、仕方ありません。で、もう1つのマッサージの方はいつ?と訊くと、受付の女の子が「それには答えられません」と言うではないですかなんでも、上司(?)がまだ変更があるかもしれないから伝えるなと申し伝えたそうなのです。でも、今日か明日かすらも分からないなんて、困りますよね?しかも、今夜になるかもしれないとか言うのです。夕食は6時から10時の間とのことでしたが、マッサージが7時に終わって、その後もう1つのマッサージを入れられてしまったら、レストランに行かれるのは早くても8時です。休暇中だし、今日は夕食を早めに食べようと思って昼食を食べていないのに…。何度訊いても「答えられない」の一点張りなので、それならばと「何時頃になったら分かるのですか?」と訊いても、それも答えられないと言うのです。このとき、すでに私の中では「変なホテル」とかなり悪印象。この「とにかく答えられない」彼女が部屋まで案内してくれたのですが、私の部屋があるのは離れの建物の1画でした。が、その離れの入り口にはベッドが山のように積んであったり、どう見ても改装中の雰囲気。このときに少し嫌な予感はしたのですが、なんと私の部屋のすぐ隣の部屋が思い切り改装されているではないですかでも、たまたまちょっと作業しているだけかもしれないと思い、気を取り直して部屋に入ると、さらにびっくり。部屋においてあるのはホテルオープン当時に購入したままと思われる非常に古臭いソファ。さらに、バスルームとトイレもどうみても60年代か70年代から一度も手を入れてない様子。実は四ツ星のウェルネスホテルだから、シャンプーやリンス、入浴剤なども良いものが置いてあるだろうとは思っていたのですが、私は肌が非常に弱いため、念のため普段使っているものを一式持って来ていました。実はこれ、本当にラッキーで、バスタブのところには洗面台においてあるのと同じ石鹸(体や頭も共用のやつ)が置いてあるのみ…。入浴剤やシャワーキャップなんて、どこにも見当たりません。さすがにホテルだからドライヤーは置いてあるだろうと持って来ませんでしたが、果たしてありました。が、なんと壁に取り付ける超旧式のタイプ本体の色は変わり果てて、一応動くけれど本当に微力な温風しか出ず、ない方がましという代物…。これらの事実を確認した時、心底がっかりして「もう2度とこのホテルには泊まるまい」と決心しました。ところが、これくらいはまだ序の口だったのです…。
2011年10月26日
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9月になり、やっとヨーロッパの音楽シーズンも始まりました。私にとっての今シーズンの開幕コンサートは、シャルル・デュトワ指揮、フィラデルフィア管弦楽団でした。単にアメリカの一流オケがこの辺りに来るのがめずらしいのと、このオケが破産宣告をしたばかりだったので寄付のつもりでチケットを購入したのですが、本日のプログラムはチャイコフスキーのバイオリン協奏曲とベルリオーズの『幻想交響曲』。今月3日に母校が全国大会初出場を決めましたが、自由曲がこの『幻想交響曲』の第5楽章なのです。期せずしてタイムリーなプログラムとなりました。チケットは100ユーロ近くもしたのですが、席は2階の桟敷席の殆ど一番後ろ…。手すりからぐっと身を乗り出さないと指揮者すら見えません。その列はかなり空席があったのですが、あいにく私の両隣は埋まっていたので、身を乗り出すと迷惑になるため、じっと我慢。「高いチケットなのにこんな席?!」と普段なら少々頭に来るところですが、今回は「ま、チケット代の一部は寄付だからしょうがないか~」とあきらめもつきました。第2の故郷、アメリカには甘い私です(笑)。1曲目のバイオリン協奏曲はソリストの姿が見えないこともあってか、あまり感動はありませんでした。私にとって、このコンサートのメインはやはり『幻想交響曲』。この曲とは今年何かと縁があるようで、母校が自由曲として選ぶ前に、以前所属していた吹奏楽団も今年の定期演奏会のメインに選んだということもあり、個人的に思い入れがあります。オケの生演奏は吹奏楽とはまた一味違い、5楽章のクライマックスでは鳥肌が立ちました。先日、所属している吹奏楽団の指揮者と話していたら、次のコンサートのテーマは夜、夜の影という感じを考えていると言っていたので、5楽章を提案してみようかな。コンサートの前までは正直なところ、『破産宣告したオーケストラって一体どんな風なんだろう?』と思っていました。メンバーがすっかりやる気を失って、だれだれの演奏だったり、もしかしたら有名な奏者などは早々に逃げ出して、失礼ながら二流の人しか残っていないのでは?という心配も少なからずありましたが、演奏は総じて素晴らしかったです。最近のフルオーケストラのコンサートではめずらしく、アンコールも披露してくれましたし、満足して帰途に着きました。今シーズンも沢山の素晴らしい演奏に出会えますように。
2011年09月07日
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土曜日の夜はサマースクールの終了コンサートがありました。自分としては全くノーミスで演奏できなかったのは悔しかったですが、バンドとしてのできはなかなかで、指揮者もとても満足そうな笑顔。出番の後は早速一部のメンバーで乾杯し、おいしいビールを飲むことが出来ました。ところがしばらく後、その事件は起こりました。バーでみんなで楽しく飲んでいた最中に、50歳のオヤジが急に私に絡んできたのです。その人はコルネットパートの中でソロがあればソロを吹く、いわゆる首席奏者だったのですが、別にだからと言ってバンドのリーダーと言うわけではありません。が、誰も頼んでいないのに、ワークショップの間中、ずっと他の人に注意をしたり、メンバー全員にあれこれと指示を出したりしていました。始めのうちは気を使ってワークショップを盛り上げてくれるのかと思って好意的に見ていましたが、時間が経つにつれて実は単なる「エゴ親父」だと言うことが分かってきて、最後の方はかなりうんざりしていました。指揮者がスコットランド人だったので私達のバンドのワークショップはずっと英語で行われたのですが、彼は指揮者にも色々冗談を言ったり、常にものすご~く積極的に絡んでいて、それも単に『俺はこんなに英語ができる』アピールだったようです。最後の練習の後も「バンドを代表して言わせてもらう」なんて勝手にリーダーぶって指揮者にお礼のスピーチをしたりして、その時はさすがにちょっとしらけました。でも、私は彼とはパートも違ったし、ほとんど直接絡むこともなかったので、ずっと適当にあしらっていたのです。他の人の時もそうでしたが、私のソロの時も、にらむようにじっと見たりしているのはもちろん気づいていました。でも、コンクールではなくワークショップなんだし、学ぶために来ているのだからとあまり気にしないようにしていたのです。それに、私はブラスバンドの経験がありますが、他のメンバーの中には今まで全く経験のない人や、今回担当している楽器を初めて演奏するという人などもいて、全員ものすごくレベルが高いとかいうわけでもなかったのです。だから、私も自分が特別脚を引っ張っているというような意識もまるでありませんでした。が、ある日の夕方、私はあるソロを吹くことが出来ませんでした。その日のペース配分を間違えてしまい、その時点でもうかなりへろへろになっていて、高音が出にくくなっていたのです。確かに恥ずかしかったですが、普段の状態なら問題なく吹けると自分では思っていました。が、次にその曲を合奏したとき、指揮者からそのソロはコルネット(例のオヤジ)に吹いてもらうことにしようと言われました。つまり私はクビ、そのソロを下ろされたのです。ワークショップ中、そんな事を言われた人は他には1人もいませんでしたし、さすがにちょっとショックでしたが、実際に前回吹けなかったのですから仕方ありません。本番で絶対に失敗しないという自信もなかったし、何より指揮者の言うことですから、素直に従いました。で、コンサートの後にバーで飲んでいたとき、例のオヤジが隣のテーブルからそのソロについて、「6回くらい代わりに吹いてやったけど、まだビールを一杯もおごってもらっていないんだよな」とか言い出したのです。でも、私はその時点ではまだ冗談だと思っていて、「その決定を下したのは指揮者だから、指揮者におごってもらって」などと適当に返したところ、彼もその時は何も言いませんでした。今思えば、私の隣に指揮者本人がいたからでしょう。その後、指揮者がその場からいなくなり、周りのメンバーも数人いなくなって、オヤジと私達数人が同じテーブルになりました。そうしたら、このオヤジがコルネットパートの他のメンバーについて愚痴った後、急に私に突っかかってきたんです。実は、指揮者に例のソロを自分にまわすように指示したのは彼自身だったこともその時に初めて分かりました。で、彼の理論によると、私が自分から「私には無理なのでどうか私のソロを変わりに吹いてください」と彼のところにお願いに行くべきだったらしいのです。はあ?!と言う感じですよね。その後も「お前はそのソロをただの1回も成功しなかった、自分に言わせるとお前のソロは音楽じゃない」などと何度も何度も私のソロのメロディーをわざとへたくそに歌いながらしつこく絡んできたのです。そもそも、私はこのパートを自分から希望したのではないし、それにソロも普通の状態なら吹けたので、1度も吹けなかったというのも事実ではないし、何よりまともに音が出ない人、楽譜どおりに演奏できない人が他にも沢山いたので、なぜ彼が私だけにそんなに個人攻撃するのか、理解できませんでした。おそらく、私が菓子折り持ってお礼に行き、彼の前にひれ伏さなかったので、それが気に喰わなかったのでしょう。あまりにも腹が立ち、言いたいこともあったのですが、私が言い返したりしたら喧嘩になるのは火を見るよりも明らか。そんなことになったら、周りにいる他のメンバーの最後の晩をも台無しにしてしまいます。なので、ぐっと堪えて黙って席を立ち、そのまま自分の部屋に戻りました。部屋へ戻ってから、悔しくて涙がこぼれました。せっかく指揮者も含め、みんなで「来年もまた同じメンバーでやりたいね!」と話していたのに、この嫌な出来事のせいで、来年もしまたサマースクールがあるとしても、私は参加する気もなくなってしまいました。せっかくの1週間が最後の最後でぶち壊しです。決して安くない金額を払って、新しい事を学び、みんなと楽しく音楽をするために参加したのに、本当に腹だたしかったです。その後、事の顛末を聞きつけた主催者側の人(私の知り合い)が私の部屋にやってきて話をしたりしたので、なんだかんだで寝たのは3時半になってしまいました。今、この出来事を思い出すだけでもひどくむかむかします。もうこの人に金輪際二度と会いたくないので、ブラスバンドはもうやらないと思います。ドイツでは吹奏楽によりもさらに狭い世界なので、ブラスバンドをやっている限りまたどこかで会う機会があると思うので…。このおかしなオヤジのために自分がブラスバンドをあきらめるのはしゃくですが、自己防衛のためには仕方ありません。ちなみに、この人については私とトラブルを起こす前にも他のメンバーから多数のクレームがあったそうで、もし来年もサマースクールを開催するとしたら、彼を出入り禁止にするそうです。もし本当にそうならば、また同じサマースクールにだけは参加してもいいかな?とも思いますが、オヤジに他のメンバーの前で恥をかかされたこともあり、彼らにもあわせる顔がないような…。まあ、ブラスバンドはどうしても続けたい!!というほどではないので、これからゆっくり考えます。
2011年09月04日
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今年の夏は楽団がオフの間も何とか充実した音楽活動を送りたいと思い、夏前から色々画策しておりました。そのうちの1つが先月に行ったクインテットの合宿です。今回は1週間と長いブラスバンド・サマースクールに参加してきました。はじめ友人からこのサマースクールの日程を聞いたとき、即座にお断りしました。期間中の土曜日にケルンであるベルリン・フィルのコンサートのチケットを購入してしまっていたからです。スクールは月曜日から日曜日までで、日曜日は朝食後解散と言うので、1日早く帰宅すればコンサートは聴きに行かれるかも?と思ったのですが、土曜日の晩は終了コンサートがあるとのこと。思い切りバッティングしています。そのしばらく後、知り合いが指揮をしているブラスバンドが我が地元でコンサートをすると言うので、ショッピングがてら聴きに行ってみました。懐かしい「ジュビリー序曲」などを聴いて、思わず『またブラスバンドを始めるのもいいかも…』なんて思ったりしてしまい、コンサート後にさらに指揮者(サマースクールの主催者)にも口説かれて、考え直すことに。そして、結局最後には参加申し込みをしてしまったのでした。始めのうちは1週間ひたすら音楽漬けになれる事がただ楽しみでしたが、パート編成がメールで送られてきてびっくり!!コルネットで申し込みをしたのに、なぜかフリューゲルホルン担当になっているではないですか。ブラスバンドではフリューゲルは1名のみなので、いわば吹く箇所全てがソロであり、さらに純然たるソロも沢山あります。学生時代のトラウマからソロ恐怖症を患っている私としては、正直ちょっと不安でしたが、考えようによってはこれは絶好のチャンス。そんな問題を克服するためにわざわざお金を払ってワークショップに参加するのだから、がんばろう!と思い直しました。今回のサマースクールには、100名近い奏者が参加し、お試し、ユース、アカデミックという3つのバンドが編成されました。お試しはブラスバンド普及のために将来の奏者を発掘するバンドで、12歳以上の小さな子供が中心です。ユースはいわゆる州選抜バンドで、メンバーは27歳までの音大生や音楽の先生など、いわゆるセミプロ・プロが中心。そしてアカデミックは27歳以上の大人のためのバンドで、私はこちらに参加しました。アカデミックバンドの指導者・指揮者は知る人ぞ知るブラスバンド界のカリスマ、リチャード・エヴァンス氏。ブラスバンドに関わったことのある方ならきっと聞いたことのある名前だと思います。最終的にサマースクールへの参加を決めたのは、彼が指導者と言うことが決め手になったのですが、実は私、パンフレットに彼の名前を見つけた時、非常に驚きました。御歳75は言っているはずなので、まさかご本人だとは信じられなかったのです。が、もちろんご本人でした。氏の練習はいつも「Good morning, my children!」「Good morning, daddy!」という挨拶から始まります。見かけはもうおじいさんなのですが、ものすごいエネルギーで、そのパワフルなことと言ったら日本びいきで、冗談が大好きで、おまけにビールを飲むとちょっと下ねたも入ったりして、とっても愉快な方でした。しかも、数々の著名な奏者、作曲者、編曲者などとお知り合いのようで、たとえば合奏中に誰かが楽譜について質問したりすると「彼は僕の友達だからちょっと訊いててみよう」と本当に電話するのです。メンバー一同が一番驚いたのは、ブラームスの友人の知り合いがいたと言う話を聞いたとき。あのクラシック界の大御所のブラームスですよ長生きするのも捨てたもんじゃあないですねえ。そして、音楽に対する前向きな姿勢がものすごく印象的でした。常に「今、こうして生きていること、一緒に音楽をできることを思い切り楽しもう!」というスタンスで、とても共感できました。合奏中も上手く行くと「Good!」とか「Better!」とかほめてくれ、彼が要求した通りの演奏をすると「Thank you!」とお礼まで言ってくれます(笑)。それまでは3~4日間の合宿しか経験した事がなかったので、『1週間は長すぎるのでは?』と危惧していましたが、いざ始まってみたらあっという間でした。土曜日の終了コンサートまでたったの5日間でバンドとしての音を作り、コンサートで演奏するために選んだ数曲を完成に近づけなければいけないので、逆に時間が足りないくらい。ヴァンス氏が「土曜日に100%完璧な演奏をすることは無理だと思う。が、その時点でのベストの演奏をすることはできる」と言っていましたが、そのとおりだったと思います。実際、本番ではブラスバンド独特のサウンドや私達のパッションを客席に伝える事ができたことを実感しました。さすがに10年ほど前から演奏はしていない(氏は元々有名なトランペット・コルネット奏者)そうですが、77歳でもこんなにアクティブに音楽を楽しめるんですね。私も以前から一生音楽を続けたいと漠然と思ってはいましたが、実際にこのお歳で(失礼!)まだまだ活躍されている方を目にして、とても勇気付けられたのでした。来年もまたお互いに元気でお会いしたいものです。最後に、終了演奏会の演奏曲目を記録しておきます。Big Cup (メンバー全員参加)1. ヤン・ヴァン・デル・ロースト作曲「アーセナル」2. 「All Through the Night」 (ウェールズ民謡)3. 「Loch Lomond」(スコットランド民謡)アカデミックバンド1. ピーター・グレーアム作曲「ウィンドウズ・オブ・ザ・ワールド」1・2楽章2. ディーン・ゴフィン作曲「ラプソディ・イン・ブラス」3. ジョージ・ガーシュイン作曲「I got Rhythm」4. マーチ「チャンピオンズ」5. フィリップ・スパーク作曲「サンサーンス・バリエーション」
2011年09月03日
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結局、今年のドイツには夏は来ませんでした…。たまに気温が30度くらいまで上がり、「やっと夏になった」と喜んだのもつかの間、翌日か翌々日にはまたどんより曇った肌寒い陽気に逆戻り、の繰り返しでした。ところがそんな状況が少しだけ変わる時がようやく訪れたのです。木曜日は気温が30度近くまで上がるけれど、晩に激しい雷雨。金曜日は前夜の雨のために気温が下がるけれど、晴れ。土曜日は1日晴れで最高気温は26度前後。日曜日は晴れ時々にわか雨で、最高気温は30度前後という予報だったのです週末の2日間とも晴れるなんて、今年の夏初めてだと思います。これは何か夏らしいイベントを楽しまなくっちゃ!!という気になりますよね~。金曜日は週末の間、地元の港で開催されるお祭りの初日と言うことで出向いてきました。夜11時からは花火が上がると言うことでしたが、それほど長居するつもりは無く、ちょっと覗いて、夕飯代わりに屋台で何か軽く何かをつまんで帰宅するつもりでした。が、ぶらぶらしたりワインを飲んだりしているうちに11時近くになっていたので、せっかくだから花火も見ていこうかということに。こちらの花火はちょっとした打ち上げ花火が10分くらい続いて終わり、と言うことが多いので、はなから期待はしていませんでした。が、さすがにD市の日本デーの日本製花火には劣るものの、なかなか本格的な打ち上げ花火だったので驚きました。しかも30分間ずっと打ち上げっぱなしで、私達の想像をはるかに上回るものでした。期せずして夏の風物詩を楽しむことが出来たのはよかったのですが、長袖のカットソーを着ていたにもかかわらず、寒くて震えながらの見物…。8月とは言え、ドイツの夜は手ごわいのです。翌日はオケの練習があるはずだったので、昼間は予定を入れないでおきました。が、出席予定のメンバーが少ないからとまたしてもキャンセル。ついでに来週の練習もキャンセルだそうで、結局この夏休み中、練習は一回も行われませんでした。それならば最初から他の楽団のように夏休み中の練習を全てなしにしてほしかったです。わざわざ予定を空けておいて、直前にキャンセルされるのは本当にがっくり来ます。急にスケジュールが開いてしまったので昼間は家でうだうだしてしまい、久しぶりの丸1日夏日を満喫できませんでしたが、夜はしっかり予定を入れてあったので、出かけてきました。お友達夫婦と一緒に、彼らがおいしかったとおすすめの中華料理店で会食です。待ち合わせ時間より30分も早く着いてしまったのですが、レストランが私の行きつけのお店の近くだったので、ついでにのぞいたところ、夏物の最後の最後の残りが70~80%オフくらいの値段で売られていました。その中で気に入った2点をお買い上げ~。それだけでも隣町まで出向いた甲斐があったというものです。そして最終日の日曜日は親友D君に誘われて、彼のモーターボートで川遊び&BBQをすることになっていたので、オランダへ行って来ました。ドイツではモーターボートにも免許が必要なのですが、お隣のオランダでは時速25キロまでなら免許無しで運転してもいいことになっているそうです。予想最高気温が30度と言うことで、水遊びにはもってこいだと思って喜んでいたのに、当日朝起きたら空はどんより曇り、今にも雨が落ちてきそう…。気温も17~18度で、かなり肌寒い感じで、いきなりテンションが下がりました。10時にDくんの家に集合だったので、とりあえずはそちらへ向かいましたが、アウトバーンを走っているうちに稲妻が光り始めました。9時45分頃に着いたら、Dくんはすでに家の外で車に乗ってスタンバっていたので、オランダは天気が良い事を願いつつ、そのまま出発進行ところが、走り出してすぐに大粒の雨が落ちてきて、すぐに土砂降りに…。これはボートツアーは中止だなと思っていたところ、だんだん雲の切れ目に青空が見えるようになって来ました。そして、目的地に着く頃には雨が上がり、その後徐々に気温も上がってきたのでした。そこでマース川の川岸のDくん取って置きの場所に車を止めて、モーターボートを組み立て始めました。これが一番大変な作業で、完成までに1時間から1時間半もかかりました。殆どが力仕事なので、男性陣に任せっきりで、私は見物しているだけでしたけど…。お昼過ぎの日が一番高い頃になってようやく出航しました。私はただ乗って楽しむだけのつもりだったのですが、Dくんに運転するように言われ、一番近くの港まで運転しました。始めはおっかなびっくりでしたが、慣れてくるにつれだんだん楽しくなりました。帰りはDくんが運転したのですが、パワーで全開で飛ばしたり、他の船が起こす波にわざと突っ込んだりするので、スリル満点です。組み立て式ボートなので椅子などは無く、運転席だけ空気で膨らませた椅子があるのですが、後ろの2名は左右の縁にそれぞれ座るだけなのです。ボートについている紐にしっかりつかまっているように言われ、もちろんその通りにしていましたが、あまりにもがんがん跳ねるので、ちょっと油断すると飛ばされそうになります。そんな状態で縁に座り続けるのは至難の業で、何度かボートの中央に滑り落ちてしまいました。おまけに振り落とされないように踏ん張るときに足に思い切り体重がかかるので、ボートを降りた後は太ももがプルプルしてました…。ひとしきりボートで遊んでだ後は、おなかがすいたので、川岸でBBQをしました。火がうまくつかなくて食べ始めたのは3時近くになってしまいましたが、外で食べるご飯はやっぱりおいしいですね~。カフェがそこら中にあるだろうと思ったのでクーラーボックスを用意していかなかったため、ビールがなかったのが非常に残念でした。私達が腹ごしらえを終えた頃、また雨雲が広がってぽつぽつと雨が降り出しました。午前中は釣りに来ているオランダ人のおじさんとその子供達しかいなかったのが、午後には水遊びやボート遊び、サイクリングを楽しむ人たちがどこからともなく沢山やってきてかなりの人出になっていたのですが、ほとんどの人が慌てて帰っていきました。私達も急いでボートを片付けて帰るのかなと思いきや、「もう1ラウンドするよね?」とDくん。組み立てと片付けが大変なので、1度組み立てたら思い切り満喫したいようです。そんなわけで小雨の振る中、またしても私の運転で出航しました。今度は午前中とは反対方向へ行ってみましたが、しばらく走ると関門(?)があったので、Uターン。そしてまた午前中と同じ方向へ走り、前回は途中で左折しましたが、今度は直進し、工業港がある方へ行ってみました。そこにはハーバーもあり、ボートを繋留できる桟橋があったので、私達のボートもそこに止めて、直ぐ目の前にあるカフェ(居酒屋?)でビールとコーラで乾杯!ビールを飲んでいるうちにまた日が差してきて、青空が広がってきました。帰りも私の運転で駐車場まで帰り、また1時間ほどかけてボートをばらして車に積んで、7時過ぎにやっと帰途につきました。男性陣が喉が乾いたと言うので、途中でどこかへ寄って軽く休憩するつもりでしたが、運転中またしても雨が降ってきて、すぐにものすごい土砂降りになり、おまけに雹まで降ってきたので、おとなしく帰宅することに。ボートツアー中には殆ど雨に降られなかったのが幸いでした。とっても楽しい1日でしたが、ものすごい日焼けをしてしまい、家に着く頃には腕が熱を持ってひりひり。朝の時点ではまさか晴れると思っていなかったので、日焼け止めなんて持っていかなかったのです。顔とTシャツから出ていた部分が見事に真っ赤で、腕は完璧な土方焼け…。かなりみっともない焼け方で恥ずかしいのですが、去り行く夏の置き土産ということにしておきましょう。。。
2011年08月21日
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金曜日から日曜日までの3日間、吹奏楽団のメンバーとアンサンブルの合宿を行いました。私もビッグバンドやらブラスバンドやらあれこれ手を出し、昨年はついに自分にとって禁足地だったオケにも足を踏み入れてしまいましたが、今までアンサンブルを本格的にみっちりやったことはありませんでした。私の所属している吹奏楽団は3月のフェーズが終わると9月まで半年間という長い休みに入ってしまうので、その間に何かやれたらなと思っていました。そこへ3月の大震災があり、その後引きこもり&ウツ気味になっていた際、「このままではいけない!何か楽しみを見つけよう」と思って、楽団員の一人に「夏に予定がなかったらアンサンブルやらない?」と声をかけてみたのがきっかけです。その後、楽団内で私が知っている金管奏者に一通り声をかけたところ、乗り気のメンバーが数名いて、少なくとも五重奏か六重奏ができそうな感じに!ところが、その後が想像以上に苦労の連続だったのでした。参加すると言っていたのに「やっぱり行けなくなった」などと言い出す人が続出…。皆のメールのレスポンスも悪いし、私もだんだん弱気になって「やっぱりもう無理なのかも…」とあきらめそうになることも。でもでも、最終的に吹奏楽団のメンバー4人と団員の知り合い1人の計5人が集まり、かろうじてクインテットができることになりましたほんと、ここまでたどり着くのは大変だったので、感慨もひとしおです。が、合宿が近づくにつれ、もしかしたら大変なのはこれからかもしれないとにわかに緊張してきました。というのも、クインテットの構成はご存知トランペットx2、ホルンx1、トロンボーンx1、チューバx1なのですが、実は私以外のもう一人のトランペット奏者は実は音大を出ている音楽(金管楽器)教師。死ぬほどダメ出しされるのを覚悟して出向いた方が良さそうな…。初日の金曜日は早めに集合し、16時から練習を開始することになりました。私以外の全員が16時でOKと言うので、私も急遽会社を休むことに。残業時間が溜まっていたので問題なかったのですが、本当は代休は日本がお盆休みのときに取るつもりだったんだけどなぁ。このクインテットは全く初めての試みで、このメンバーでアンサンブルをするのも初めてなので、とりあえず今回の合宿は純粋な練習でした。つまり、コンサートなど本番の予定があるわけではなく、ただ集まって試しに一緒にやってみると言うだけ。でも、目標も何もないのはつまらないので、最終日の日曜日、お天気が良かったら歩行者天国でコンサートをしようと話していました。金曜日の午後1時間半、夜に3時間近く、土曜日は午前中に2時間、午後に3時間、夜に2時間近くとみっちり練習しました。土曜日の夕方には大体コンサートのプログラムも決まり、日曜日は音出しの後に軽くあわせて、いざ出発日曜礼拝が終わった後は人出がかなりあるだろうと見込んで、11時から演奏を開始しました。ところが1曲目が終わると、一人のおじさんが私達の元にやって来て「あと9分で礼拝が始まるからここで演奏されると困る」と言うではないですか!なんとそこの教会は礼拝開始が11時半だったのです…。教会の窓から聞こえないところならば演奏してもいいというので、別の場所に移動することにしました。ちなみに、その場所で1曲演奏する間に稼いだお金は2ユーロコイン1枚。でも、私にとっては生まれて初めての大道芸(笑)での収入だったので、とっても嬉しかったのです。その後、カフェや飲み屋さんが多い広場の一角に陣取り、プログラムの2曲目から引き続き演奏しました。途中、隣接したカフェのウェイターさんがこちらに向かってきたので「これは絶対苦情を言われるに違いない!」と思わず身構える私。ところが、なんと全員にスライスレモン入りミネラルウォーターを差し入れしてくれたのです~これにはいたく感激しました♪小一時間ほどで私達の歩行者天国ゲリラライブは無事終了。途中、ソリストの楽譜が風で飛んだりというミニアクシデントはあったものの、週末練習しただけの割にはなかなかの演奏ができたし、それになによりも本当に楽しかったこのメンバーでアンサンブルが出来て、本当に良かったです。思ったよりずっと人出が少なかったのは残念でしたが、カフェのお客さんが遠くから拍手してくれたり、通りかかった人が小銭を投げ入れてくれたりしました。路上ライブで稼いだお金は合計10ユーロ90セント。この小銭を持って、差し入れをしてくれたカフェに行き、コーヒーで打ち上げたのでした。以下にライブのプログラムを記録しておきます。1.「スザート組曲」2.バッハ「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」3.「B?nkels?nger」4. マイケル・ケイメン「クインテット」5. Slivery Blues6. アメイジング・グレイス7. グレンジャー「羊飼いの呼び声」8・アンダーソン「トランペット吹きの休日」9.「16 Tons」いつかまた同じメンバーでライブをやりたいな。今回のことを教訓に、そのときは土曜日に開催することにします。。。
2011年08月07日
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2日目は11時からフェスティバル・コンサートが行われることになっていました。このコンサートで演奏するのは別の市の楽団です。Uさんに自分のところのお祭りなのに、どうして彼の楽団が演奏しないのかと聞いたら、「お祭りだから」とのこと。つまり、自分達はお祝いする側(=飲んだくれる側)なので、1日中演奏しなければならない役割は他所の人にお願いするしきたりのようです。このコンサートに出演する楽団も、ステージに上がったらまずタバコに火をつけて、ビールの瓶がひとしきりメンバーに廻されて…となかなか演奏を開始しません。やっと演奏が始まったのは11時半過ぎだったでしょうか。お祭りとはいえ、ものすごくアバウトなんですね…。ちなみに、コンサートの途中でも奏者のタバコ休憩があったのです。これにもちょっとびっくりしました。1時間ほどでコンサートは終わったのですが、次のイベントであるパレードまでは2時間半ほど時間がありました。私はもうホテルをチェックアウトしてしまったので行くところがなく、Uさんの実家にお邪魔することになりました。実はこの日、15時から大きなパレードがあったのですが、なんとなんと、私も一緒に演奏したのです~。前日、Uさんの楽団の仲間から「明日は一緒に吹いてよ、日本人がうちのパレードに加わったらクールだから」などと言われ、私がトランペットを持っていると話したら、とんとん拍子にじゃあ是非参加してもらおうという話になったのです。その時も既にアルコールが入っていたし、冗談半分で言っているのかと思いきや、本気だったんですね…。当日、Uさんが私のためのユニフォームや帽子などをささっと調達してくれて、パレード開始直前になんとか楽譜も手に入り、ぶっつけ本番で演奏してきました。隊列ではUさんが私の左隣だったんですが、まあ最初から最後までダメ出しの嵐でございました。。。私も一応パレードの経験はありますが、こんなにきちんとしたものは初めてで、歩き方から楽器を構えるタイミングまで、注意されてばっかり。でも、知らん顔ではなくちゃんと気に留めてくれ、気づいた事をその都度注意してくれるのはありがたかったです。歩きながら演奏するのってただでさえ疲れるんですが、その町は小さな山が沢山あるのです。坂を上りながらトランペットを吹くのって、想像以上に苦しいんですよ。時々、酸欠でぶっ倒れるんじゃないかと思いました。街を殆ど一周したのですが、とにかく列を乱さないように歩き方や曲がり方に気をつけなければなりません。でも曲を知らないのでずっと譜面を見ていないとそもそも吹けないし、でも時々足元も見ないと馬の落し物なんかもあるし、道路の穴や段差でこけたりしそうになるし…。黒いユニフォームと帽子を身につけているので暑いし、もう汗びっしょりで、終わったときはぐったりでした。時計を見たら、5時半だったので、2時間半もパレードしていたことになります。その後、例の公民館のステージ前で3曲ほどお披露目して、この日のこの楽団のお役目は終了となりました。それにしても、シュッツェンフェストを生まれて初めて訪問し、それだけでなく飛び入りでパレードにも参加するだなんて、まったくの想定外でした。まさか私の一生のうちにシュッツェンフェストで演奏する機会があるなんて、思ってもみませんでしたし、本当に貴重な体験をさせてもらいました。パレードは本当にきつかったので、もしまた出演を依頼されたとしても、丁重にお断りするとは思いますが…(苦笑)。でも、久しぶりにドイツ文化を満喫し、楽しかったですドイツ嫌いだけど、たまにはこういうのもいいですね。
2011年07月17日
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来月で私のドイツ滞在も9年(恐ろしや…)になろうとしているのですが、どうもいまだによく分からないイベントがありました。それは、このあたりで初夏から夏にかけて行われる「シュッツェンフェスト」というお祭りです。我が家の近くでも行われていて、緑色のユニフォームを着たおじさんが行進したり鼓笛隊が演奏したりしているのですが、一体どういう由来があって、どんな目的で何をしているのかが皆目分からないのです。1年に1度、村や市という地区単位で行われているらしく、王様がいるらしいということくらいしか知りません。でも、関係各位(主に男性)はこのお祭りをものすごく楽しみにしているようで、その前後1週間くらい丸々有給を取る人も少なくないのです。このお祭りが盛んな某市に嫁いだ日本人の友人は家に呼んだり呼ばれたり、パレードの応援(?)に行ったり、とにかく大変で、そのせいで離婚を考えたこともあるとか…。それくらいドイツ人男性が命をかけているお祭りなのです。でも、学校で習ったドイツ郷土史のような授業でも聞いたことはないし、以前住んでいたバイエルン州ではそんなお祭り、見たことも聞いたこともありませんでした。で、話を聞くたびに怖いもの見たさ(?)で一度潜入してみたいという野望をひそかに抱いていました。そんな時、私が入っている楽団の指揮者のUさんから7月に彼の地元でこのお祭りがあると聞き、冗談半分で「招待してくれないの?」と聞いてみたところ、「来れば?」とのお言葉。Uさんは実家を離れて長いのですが、いまだに時間の許す限り地元の楽団でフリューゲルホルンを演奏しているのです。この街の今年のシュッツェンフェストは16日(土)~18日(月)までとのことで、土日を利用して出向いてまいりました。お祭り開始が16時のため、15時45分に楽団のメンバーが集合するとのことで、15時半にUさんと待ち合わせしました。現われたUさんは上下黒のユニフォーム姿。ネクタイも帽子も黒で、帽子には赤と黒のふさふさの羽がついていて、かなり本格的な装いです。シュッツェンフェストのメンバーは皆緑色のユニフォームなのかと思っていましたが、楽団はそうではないみたいです。16時になると、あちらこちらに集合した楽団がそれぞれ演奏を始めました。集合場所でマーチを2~3曲演奏した後、いよいよシュッツェンフェライン(いわば射撃クラブ)の会員の行進です。楽団が先導し、後ろにメンバーが続いて街の目抜き通りを歩いてお披露目(?)をするのです。通りを2~3回往復して、そのパレードは終了。Uさんの楽団は17時でもうその日のお役目は終了となりました。その後はお祭りを祝うという名目で、ひたすら飲みです(笑)。シュッツェンフェストというのは昔男性が村や街を守るために形成していた自警団のようなものの名残で、今は単に射撃の腕を競うイベントになっています。そのため、ゲレンデでは木製の鳥を打つ競争が行われていましたが、鳥が打ち落とされるまではかなり時間がかかるので、皆時々そちらを眺めながら、友人・知人とおしゃべりしたり飲んだりしているわけです。8時半頃にようやく鳥が落ちたので、私達はゲレンデを後にして夕食を食べに行きました。その後、公民館のようなところで22時からお祭りの開始宣言のようなものがあるというので、それに併せて出向きました。音楽にあわせ、大きな旗やたいまつを掲げたメンバーが入場してきてお祭りらしい雰囲気がさらに盛り上がります。が、この儀式のあとはまたひたすら飲みです(爆)。なんだかんだ言っても所詮お祭りなので、それを名目に1日中飲んでいるわけですね。ステージでは新しいバンドがポップスを演奏し始め、ステージの前はダンススペースになります。このパーティーは公式には2時まで続くことになっていたですが、私達は1時半ごろに退散。この日は久しぶりにビールをかなり飲みました~。
2011年07月16日
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昨日の晩は久しぶりにパートナーとコンサートへ行って来ました。パートナーはいわゆるクラシック音楽にはまるで興味を示さないので、私は大概のコンサートには1人で出かけます。が、彼はなぜかジャズ風に演奏したクラシックは大好きなのです。パートナーが以前にテレビで偶然見たトリオがものすごく気に入って、一度生で聞いてみたいと言っていました。インターネットで調べてみたら、ジャック・ルシエ・トリオというフランスのグループでした。さらに検索したら、7月に割と近くでコンサートがあることが分かったので、そのチケットを2枚買って、今年の彼の誕生日にプレゼントしたのです。チケットを購入したときは気づかなかったのですが、このコンサートはルール地方ピアノフェスティバルの一環でした。これは毎年この地方で初夏に開催されるフェスティバルで、2ヶ月間ほどの間、クラシックだけではなくジャズも含むピアノ関連のコンサートがあちこちで行われます。最近はあまりめぼしい奏者が来ないので、あまりしっかりチェックしていませんでした。車で1時間くらいかけて出向いた会場はなんと工業博物館の中。ちょっと変わった趣向ですが、天井のはりからシャンデリアを下げたりして、なかなかの雰囲気を出していました。去年のうちのオケのコンサートも某工場の敷地内のクレーン訓練所で開催したし、こういう雰囲気は決して嫌いではありません。ところが、いよいよコンサートが始まろうと言うとき、ちょっと嫌な予感がしました。なんとトリオの主役、ピアノのルシエ氏がステージに出てくる時、足元がおぼつかない様子だったのです。このトリオは50年くらい続いているそうで、どうやらパートナーがテレビやインターネットで見た映像はもう20~30年も前のものだったようです。ピアノに向かったらしゃきっとするタイプの人かとも思いましたが、実際に曲が始まっても演奏にまるで力がありません。おまけに他のメンバーが延々とアドリブソロを続けたので、やはり体調が悪いのだと確信しました。単に高齢のせいか、たまたま体調が悪かったのかは分かりませんが、あきらかにコンサートをする状態ではありませんでした。しかもルシエ氏、曲紹介の時に英語をしゃべっていたかと思うと急にドイツ語やフランス語をしゃべり出したりしていて、それに自分でも気づいていないようだったのです。本当に大丈夫なのかな?と心配していたら、自分で「私は今日はあまり調子が良くありませんが、予定のプログラムを演奏できるよう最大限努力します」と言って、一部最後の曲を演奏し始めました。短めながらこの日初めてのアドリブソロ(多分)も披露し、なんとか一部が無事に終わりました。が、ルシエ氏はなんと自力でステージから掃けることができなかったのです。1度目は他のメンバーをもう1度ステージに呼び出したかったのかと思いましたが、2度続けてだったので、さすがにおかしいと思いました。そんな様子でしたので、「後半は中止になるかもよ…」とパートナーに話していたのですが、30~40分も待たされた挙句、やはり中止になりました。ルシエ氏は具合が悪くなったので、病院に運ばれたとフェスティバルの主催者じきじきにアナウンスがありました。何度もあちこちのコンサートに行っていますが、こんなことは初めてです。でも、演奏者の体調不良では仕方ないですよね…。ほとんどまともな演奏は聴くことができず、おまけにルシエ氏の様子を見ていたら痛々しくて、気分も暗くなってしまいました。コンサートの中止が発表されたのが9時半過ぎで、帰りもしっかり1時間かかりましたので、11時近くにようやく帰宅。なんだかどっと疲れた夜でした。ジャック・ルシエ氏の早い回復をお祈りいたします。
2011年07月14日
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関東地方もいよいよ梅雨が明けたようですね。いよいよこれからが夏本番夏生まれの私としては、なんとなくうきうきする季節です。と言っても、こちらドイツは週末はずっと晴れたり曇ったりの変なお天気でした。特に土曜日は風も強く、急に暗くなって激しい雨が降り出したり…。女子サッカーワールドカップの日本対ドイツのときは雨が降らなくて良かったです。あまり気温も高くなかったので、選手もやりやすかったのではないでしょうか。土曜日は本当に久しぶりにオケの練習に参加してきました。5月21日に演奏会を行い、翌週は演奏会直後のため練習はお休み、その翌週から私自身が3週間日本に滞在。6月25日にやっと練習に参加できると思ったら、参加できるメンバーが少なすぎるとキャンセル。さらに7月2日は管理人さんが入り口の鍵を開けておいてくれなかったため、練習場に入れず、急遽中止になってしまいました。今度挑戦する曲はブルックナーの交響曲4番。金管楽器がかなり活躍する曲なので、練習も楽しいです。楽譜がin Fなので前もって2番だけ移調しておいたのですが、練習中に急に指揮者にソロがあるから3番を吹いてくれと言われ、あたふたしてしまいました。が、どうやら公立学校が夏休みの間、オケの練習はお休みになってしまうようです。去年は夏も練習があったので、このオケは夏休みがないと思っていたのですが、去年は9月に大きいコンサートが控えていたので、たまたまだったようです。今年は定期的に練習できると思っていたので、もうがっかり…。とは言え、こちらでは夏の間は音楽活動はシーズンオフなのでこれが普通です。家で練習できない私は楽団の練習がないと楽器を吹く機会がなくなってしまいますし、なによりもつまらないので、今年は色々対策を立てて予定を入れました。まず、所属している吹奏楽団のメンバーで金管五重奏の練習(合宿)をします。もし練習が上手くいって仕上がりがそれなりであれば、最後の日に歩行者天国でコンサートをしようと話しています。アンサンブルを本格的にみっちりやるのは初めてなので、楽しみです。また、8月の末から9月の頭にかけて1週間行われるブラスバンドのワークショップに申し込みました。ここ数年ブラスバンドでは吹いていないし、1週間と長いので迷っていたのですが、オケで一緒に吹いている友人が申し込んだと言うし、そのワークショップを企画している側の別の知り合いにも誘われたので、思い切って参加することにしたのです。ちなみに講師はブラスバンド界では有名なリチャード・エバンス氏で、これも決め手になりました。以前入っていたブラスバンドではソロコルネットを担当していたので、今回もコルネットで申し込みをしました。企画している知人にもコルネット希望と伝えてあったし、彼もまだソロコルネットは1つ席が開いていたはずと言っていたのです。が、先週編成の発表があり、なんと私はフリューゲルホルンになっているではないですか?メールを見た瞬間、思わず「え~っ」と叫んでしまいました。実はブラスバンドの編成ではフリューゲルホルン担当は一人しかいなくて、つまり全てがソロのようなものなのです。。。でも、よく考えてみたら、ソロ恐怖症を克服する絶好の機会かもしれません。自分の拭く箇所が全てソロなんだから、いちいちあがってなんていられないですからね~。責任重大ですし、経験がないのでちょっと不安ですが、同じトランペット吹きの知り合いが私ならできると選んでくれたのですから、がんばりたいと思います。今年の夏は沢山らっぱの練習して、もっともっとうまくなりたいです
2011年07月10日
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20日の夜、ドイツの家に戻ってきました。いつもなら日本を発つときはかなり落ち込むのですが、今回はほぼ3週間と滞在が長かったせいか、割と平常心で戻ってきました。落ち込んでいる暇がなかったと言うのが正解かもしれませんが…。日本滞在の最後の週、なんと思いきり夏風邪をひいて寝込んでしまいました。まさかあんなに蒸し暑い日本で風邪なんてひくわけないと思って油断していました。本番前最後の練習日、かなり汗を書いたのですが、その後合奏のために部室へ移動したところ、冷房が効いていて少し寒かったので、ちょっと嫌な予感はしたのです。その予感がずばり的中し、翌月曜日は1日中喉が痛くてたまりませんでした。火曜日は大事を取り、風邪薬を飲んで家で丸一日寝ていたのですが、喉の痛みが奥の方へ移動したのみ…。水曜日は元々火曜日に予定されていた父との吉祥寺デートを決行したのですが、その日の夜から急に鼻水が出るようになり、やっぱり風邪でした…。木曜日は頼んでおいた書類を受け取りに母校に出向かなければならず、その足で浦和に行って後輩たちとランチ。以前からの約束だったうなぎ屋さんに行ってきました。が、せっかくのうなぎも鼻ずるずるだったためにいまいち満喫できず…。食事の後、後輩の家に寄ってお茶をご馳走になるついでに風邪薬までもらい、その後すぐ自宅へ帰ってベッドへ直行するも、一向に良くなりませんでした。金曜日はさすがにこのままでは本番出演が危ういと危機感を感じ、ついに自腹で医者へ行く決心。日本の保険証がないため、全額負担なので痛い出費ですが、背に腹は代えられません処方箋の薬が効いてくれることを願いつつ、この日も1日寝ておりました。土曜日もドイツへ持って帰る食料品の買出しにスーパーに行った以外は家で休養し、なんとかその晩のホールリハーサルに参加できるまでに回復しました。帰りの飛行機の中で咳き込んで、周りの人に迷惑をかけるのではと心配していましたが、さらに別の心配事が。ドイツへ発つ当日の朝、空港行きリムジンバスに乗るために父の車で乗り場へ向かっている途中、なんと追突事故にあってしまいました。後ろの車の運転手が余所見をしていたか何かでブレーキをかけずに突っ込んできたのです。当然、警察を呼ばなければならなかったので、もしかしたらバスに乗れないのでは?!と気が気ではなかったです。なんとかバスには間に合いましたが、なんと首都高も事故で通行止めになっていたりして、空港着がいつもより大分遅れました。その後、チェックインしようとしたら、今度は名前だけでは情報が引き出せず、搭乗券が発券できないとか言われ、もう今回は帰れない運命かと思いました。チケット番号を調べてもらって結局は発券できたのですが、今度はスーツケースの重さが25キロあるので、追加料金を払うか荷物を減らせと言われ、行き同様カウンターの前でスーツケースを空ける羽目になりました…。前は2キロくらいだったら見逃してくれることの方が多かったのですが、最近は重量もかなり厳しいですね。そんなこんなで出発前からもうかなり疲れてしまいました。やっとチェックインが終わったのが10時前でしたが、搭乗開始が10時半だったので、空港で最後の買い物する時間もなし。まあ、もう手持ちの現金もほとんどなかったので、いずれにしてもろくに買い物することもできなかったのですけど…。フライト中は特に気分が悪くなったりすることもなかったので、ほっとしました。以前経験した追突事故では、事故後すぐの診察では分からなかったのですが耳の中のバランスを司る器官が追突でダメージを受けていて、その後にアメリカ人の親友の結婚式に出席するために飛行機に乗った際に気圧の変化でおかしくなってしまい、ものすごいめまいに襲われて気分が悪くなって大変だったのです。アメリカの乗り換え空港に着いて、そのまま救急車で病院に直行でした。。。それで今回もまた機内で同じように気分が悪くなるのではないかとものすごく不安でしたが、なんともなかったので本当に良かったです。でも、首と肩の右側が痛いので、鞭打ち(気味?)ではあるようですが。ほんと、いい迷惑ですよね~。年に1度の帰国だと言うのに、行きのフライトではスーツケースを壊されるわ、滞在中に体調を崩して寝込むわ、交通事故には遭うわ、「私、今厄年だっけ?!」と思うくらいついていませんでした。でも、懐かしい人たちに会えて、楽しいことも沢山あったので、結果的にはとても実り多い帰国だったと思います。それに、これだけついてない事が続いてあったら、後はラッキーなことばかりが待っているはず、ですよね?
2011年06月20日
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日本で観劇することのできた演目2つ目は、ミュージカル『スウィーニー・トッド- フリート街の悪魔の理髪師』です。私が根っからの演劇人だと思っている大竹しのぶさんと市村正親さん。日本に帰ってきたら、何かどちらかが出ているお芝居を見たいと思っていろいろ探すのですが、いつもスケジュールが合いませんでした。このお二人が共演、しかも私の滞在中に公演があるとなったら、チケットを買わないわけには行きません。滞在中に開催されているのは大阪公演でしたが、全く問題なし。元々、本社の人達や昔の友人たちに会うために3~4日関西に出向くつもりだったからです。今回、一人での一時帰国ということもあり、行動にあまり制限がなかったので助かりました。大竹しのぶさんの舞台を生で拝見するのは、ずっと前に大阪で「奇跡の人」を観て以来です。市村正親さんは…思い出せないくらいもっと前のようです。が彼には偶然、お会いしたことがあります。もう20年位も前になるかと思いますが、母と「ミス・サイゴン」を観に行った際、開演時間の大分前についてしまい、会場近くのATMにお金を下ろしに行きました。そこへその公演に出演される予定の市村さんがやってきたのです。近くで見たらかなり身長が低くて(失礼!)驚きましたが、舞台上の彼は本当に大きく見えるんですよねえ…。このミュージカル、スリラーだということ意外、全く何の予備知識もなく観てきました。当日になって、斉藤暁さんや武田真治さんも出演していることを知ったくらいです。武田さんには正直それほど期待していませんでしたが、非常にいい味を出してました。ミュージカル自体も久しぶりでしたが、ものすごく良かったです!歌もコーラス、ソロともに迫力があり、何度も鳥肌が立ちました。面白かった~!!(<と言ってはいけないのかな?)特に印象に残ったのは、新製品のパイのアイディアを出すシーンでの主演の二人の掛け合い。最後の方はほとんどアドリブだと思うのですが、あれは毎日内容が変わるのでしょうか?だとしたら、ネタ探しも大変でしょうね…。この日、一番客席が沸いたのは「総理大臣は?」という問いに対する「噛んでも噛んでもきりがない」という答え。私も心の中で「うまい」とうなりました。ちょうど管総理の辞任騒動真っ只中でしたからね(苦笑)。今回の一時帰国中、バレエとミュージカルと2つも観られて、しかもどちらも『あたり』だったので、本当にラッキーでした。次回も何かいい公演に当たるといいなぁ。そろそろシエナも生で聴いてみたいです~。
2011年06月11日
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里帰り中、自分の好きな人が出る演目を何か見たいなあと思っていても、ちょうどスケジュールが合うことはめったにありません。今回の滞在中はめずらしく2度も観劇することができました。1つ目は渋谷Bunkamuraオーチャードオールで開催された熊川哲也さん率いるKバレエカンパニーの「ロミオとジュリエット」。熊川さんの踊りが昔から大好きで、日本にいる頃はよく観に行ったのですが、日本を離れてからは1度も生で見る機会はありませんでした。というわけで、今回はおそらく10年ぶりくらいです。チケットを買ったのが遅かったのであまり良い席ではありませんが、贅沢は言えません。5日が楽日だったのですが、OBステージの練習とかぶっているため、4日のチケットを購入しました。相手役は英国ロイヤルバレエ団のロベルタ・マルケス。彼女のジュリエットを見たら、他の人はもう見られない!というくらいはまっていました。本当に当たり役ですねぇ。彼女が有利なのは、あどけなさの残る顔もそうですが、欧米人にしては身長が低い点だと思います。ジュリエットは14歳と言われていますから、やはり長身のプリマだとちょっと違和感があります。ましてやロミオ役より背が高いとなったら、やはり興ざめです(<前のパートナーのデュ○ンテとかね…)。ジュリエットはもちろんのこと、彼女は少女役すべてがとっても似合いそう。3年ほど前にロンドンで『眠りの森の美女』を見たのですが、そのときのオーロラ姫も確かマルケスだったと思います(プログラムが手元にないので未確認)。きっと『くるみ割り人形』のクララや『コッペリア』のスワニルダなんかも似合うだろうなあ。熊川さんも相変わらずオーラ全開で圧倒的な存在感でしたが、やっぱりちょっぴり体力が落ちている感があり、年齢には勝てないのかな?今回私の目はマルケスのジュリエットに釘付けでした。でも、主役の二人がとにかくものすごくお似合いで、本当にジュリエットとロミオに見えて、素晴らしかったです。ストーリーも何もかも知っているのにもかかわらず、最後は泣けました…。Kカンパニーの次のツアーの演目は『白鳥の湖』のようですね。熊川さんのジークフリート、見たいなああああ。ドイツツアーもやってください~。
2011年06月04日
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今回の里帰りは日程が決まるまでかなり時間がかかってしまいました。パートナーの親友Dくんがが日本の番組をテレビで見て、日本に行ってみたいと言い出してから、彼が実際に私達と一緒に来ると断言するまでに数ヶ月。やっとチケットが予約できると思った矢先、あの大震災が起こりました。その後、こちらで原発の報道がエスカレートし、やはりDくんは「放射能汚染が怖いから日本には行かない」と言い出しました。パートナーはそれでも自分は行くと言い張っていましたが、そう言いつつもなかなかチケットを予約しようとしません。そうしているうちにどんどん残席がなくなっていき、値段も高くなっていったので、痺れを切らした私は先に一人だけチケットを購入しました。それでもすでに元々出発希望だった2日(ドイツは祝日)出発のフライトは高くなってしまっており、行きはSASなのに帰りのSASの便はもう満席となってしまいました。最終的にパートナーは日本行きのチケットを予約しませんでした。色々言い訳をしていましたが、周り(彼の家族や親友)も「今無理していくことはない」と説得していたようですし、やはり彼も本音では放射能が怖かったのだと思います。うちの父ももし彼が日本に滞在している間に何かあったら責任を取れないと感じたのか、最後の方は「彼にはドイツにいてもらったほうがいい」と言い出しました。というわけで、前回に引き続き、結局今回も一人で帰国することに。出発前日はポザウネンコアの練習に参加し、帰宅してから軽く夕飯を食べて、荷造りを始めました。機内でなるべく眠れるように、毎回荷造りをぎりぎりになってから始めて、出発前夜はなるべく夜更かしをするようにしているのです。でも、日本に帰るときはスーツケースに詰めるのはほとんどお土産のみなので、早く終わってしまうんですが。空港に向かう前、最後に空けておいた箇所に洗面道具一式を詰めて、スーツケースを閉めました。持ちあげてみると、ちょっと重量オーバーのような感じ…。でも、最近規則が変わって、確か一人46キロまで持ち込みOKになったはずだから、多分大丈夫だろうとそのまま出発。仕事へ向かう彼の車に同乗して空港に寄ってもらい、もう少しで着くと言うとき、ふと我に返り真っ青になりました。楽器、持ってくるの忘れた・・・!!前夜、練習から戻ってきた時に忘れないようにとリビングのソファの上に置いたのに、それがあだになったようです。今回の一時帰国の一番の目的は、母校の第40回定期演奏会の記念OBステージに出演すること。それなのに楽器を持って帰らなかったら、何のための帰国だか分かりません。パートナーに泣きついて、もう1度家に戻ってもらいました。幸い、我が家は空港から車で15分ほど。通勤時間の混む時間帯ですが、それでも片道30分くらいで行かれるはず…。搭乗開始時間まではあと1時間強なので、何事もなければぎりぎり間に合うはず。とりあえず彼に家に向かってもらい、私は先にチェックインすることにしました。チェックインカウンターでスーツケースをベルトに載せると、やはり2.5キロちかくオーバー。私の予想通りでした。でも、これくらい見逃してもらえるよね?と思ったら、2キロ分の荷物を出すようにと言われました。「今度から一人46キロまで持ち込めるようになったのだから、これくらいいいのでは?」と抗議したら、23キロx2になったのはビジネスクラス以上だけとの事。『そうだったっけ?』と半信半疑でしたが、航空会社によって規定が違うのかもと思い、引き下がりました。カウンターの前でスーツケースを開き、何か重いものを出そうとするのですが、重いものはすべて液体。一番いいのはワインかシュナップスのビンを手荷物に移すことですが、それだとセキュリティチェックで没収されてしまいます。仕方なくお土産のチョコレートの箱をすべて手荷物にし、なんとか2キロ減らしました。それにしても、もう自分で自分が信じられません。去年の秋のアイルランド旅行のときも、一番大事な降圧剤を忘れるし(詳しくはこちら)、最近なぜか旅行と言うと大事なものを忘れてばかりいます。まさか若年性アルツハイマーとかじゃないよね…。空港の椅子に座って文庫本を読んでいましたが、搭乗時間が近づいてきて気が気ではありません。こういうときに限って、フライトって遅れないものなんですよねぇ。そろそろ危ないと思い、空港の外に出てじりじりしながら待っていると、果たして見覚えのある彼の車が近づいてきました!ぎりぎりセーフ!!間に合ってくれて、本当に良かった。パートナーはお客さんとの約束の時間に遅れてしまったので、ひたすら恐縮です。というわけで、出発前はばたばたでしたが、無事機上の人となることができました。飛び立ってしまえば後は乗っているだけ(乗り換えもあるけど)。20数時間後には無事に成田空港に到着しました。が、最後の最後でまたトラブル発生。出てきた私のスーツケースの取っ手が見事に壊れていたのです。おそらくはそのままSASのカウンターへ行って、苦情を言うべきだったのでしょうが、長旅の疲れもあり、面倒くさくてそのまま実家へ向かってしまいました。後で聞いたところによると、やはりすぐにクレームすれば保険で修理代を支払ってもらえたようですが、仕方ないですね。とりあえず、ただいま日本無事(?)に帰ってこられて良かった~。
2011年06月01日
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本日はまた大好きなマーラーを聴きに行って参りました。マイケル・ティルソン・トーマス指揮、サンフランシスコ交響楽団です。実は今、ライプチヒでは国際マーラーフェスティバルの真っ最中。私の好きなあちこちのオケがこぞってマーラーを演奏しております。本当ならば私もこちらへ行きたかったのですが、元々5月28日は年に1度の日本デーが予定されていました。日本の花火が見られる貴重な機会なので、なるべく出向くようにしています。その後、所属している吹奏楽団に28日に行われるとあるイベントの出演打診があり、そのためにスケジュールを空けておきました。が、出演するかもしれなかったイベントは、結局折り合いがつかずおじゃんになりました。さらに日本デーは日本で大震災が起きたため、お祭りは自粛となり、なんと10月に延期。『こんなことならライプチヒへ行けばよかった~』と思っても後の祭りです。開演は17時でしたが、電車の乗り継ぎを検索したところ、最寄り駅を15時51分に発車するトラムに乗らないと間に合わないことが分かりました。が、ふと気づいたら既に15時41分!!慌てて家を出て、駅に向かって走りました。ぎりぎり間に合ったのですが、電光掲示板を見ると「次の電車は8分遅れで運行しています」との表示が。またか!!中央駅での乗り換えには7分しか時間が無いので、8分遅れではどう考えても間に合いません。仕方なくパートナーに電話して泣きつき、車で中央駅まで送ってもらいました。急いでホームへ行くと、今度は乗るはずだった電車が5分ほど遅れているとのこと。またか!!結果的に遅れていたトラムに乗っても間に合ったことになりますが、このことはもちろんパートナーには口が裂けても言えません…。なんだかコンサートのたびに全力疾走している私。ドイツ人は時間に正確と言われているようですが、この国の電車の遅れ、突然の運休は本当にひどいです。幸い電車はそれ以降特に大幅に遅れることも無く、コンサートホールも駅から近いので、開演20分くらい前には到着しましたが、どっと疲れました。ホールの入り口の前に同じオケの知り合いが立っていたのでびっくり。立見席のチケットを買おうと思って並んでいたところ、ちょうど彼の前の人で売り切れてしまったそうです。その後、同じ吹奏楽団の別の知り合いもやって来て、結構みんな立見席狙いで当日にだめもとで来るんですね。私は聴きたいコンサートは逃したくないので、さっさと定価で買ってしまいますが。本日のプログラムはマーラーの6番のみです。今年2月に聴いたウィーンフィルに続いて2度目になります。サンフランシスコ響とトーマス氏のマーラーは定評があるようなので正直かなり期待していましたが、私はあまり良いとは思えませんでした…。客席は『ブラボー!!』の声が飛び、スタンディングオベーションでしたが。なんだかここ最近、アメリカのオケを聴くとがっかりすることが多いです。単に自分の好みがヨーロッパのオケ寄りなのか、もしくは今日は雑念が多すぎて純粋に音楽に入り込めなかったのかもしれません。逆に言うと、彼らの演奏だけではこの曲の持つ世界観に入り込めなかったと言うことにもなりますね。やっぱりライプチヒで大好きな3番を聴きたかったなあと思いながらホールを後にしたのでした。
2011年05月29日
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今月21日は所属オケの演奏会でした。愚痴になりそうだったのでこの演奏会については書かないつもりでしたが、私にとって記念すべき(?)2回目の演奏会だったので、少しだけ記録しておこうと思います。このオケのコンサートは毎回テーマを決めて趣向を凝らした演出が人気です。今回のテーマは「絵画」でした(ちなみに前回は「英雄(ヒーロー)」)。もちろん、当初は絵画にちなんだ曲をもっと沢山演奏する予定でした。が、アマオケの永遠の問題と言うかなんと言うか、今年に入ってから練習出席率が悪かったのです。正直、私から見たらいつもどおりという気もしないでもなかったのですが、4月になって本番が迫ってきて、さすがに指揮者が切れました。唐突にメンバー全員に出席率の悪さ、練習中の態度の悪さなどを叱責するメールが届き、私は個人的にはそれを読んで別の事を感じましたが、とりあえず一部のメンバーには効果はあったようです。その翌週から出席者が確実に増え、それから1ヶ月はまあなんとかまともな練習が出来ました。それでもさすがに最後の3~4週間では新しい曲を仕上げることはできません。曲目が当初の予定より大分減らされた結果、プログラムは以下の通りになりました。1、 ヘイゼル作曲『ブラスキャッツ』より抜粋(金管アンサンブル)2、 ブルー(合唱)3、 ディーリアス作曲『2つの水彩画』(弦楽器のみ)4、 ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』つまり、金管奏者が演奏するのは1と4の2曲のみ(正確にはアンコール入れて3曲ですが)。正直なところ、これではあまりモチベーションは上がりません。おまけにコンサートとしては短すぎて、人を呼ぶのもちょっと申し訳ない感じでした。ところがコンサート当日の夜、サッカーのドイツ杯決勝が行われることになっていたのですが、何をまかり間違ったか現在2部リーグの地元チームが決勝に残ってしまいました。苦肉の策として開演時間を1時間繰り上げましたが、ライバルがあまりにも強力すぎて、前売り券がほとんどさばけなかったのです。つまり、今回のコンサートが短くなったのは結果的には良かったと言えるのかもしれません。当日、サッカーの決勝とバッティングした割にはお客さんは入った方だとは思います。聴きに来てくれた人は沢山拍手してくれて、満足そうでもありました。が、今回聴きに来ていたのはいわばメンバーの身内ばかり。学校の発表会じゃないんだから、身内にだけ喜んでもらって満足していてはダメだと思うのです。前回のコンサートを聴きに来てくれた私の友人は今回は来られなかったのですが、「アマチュアの演奏会なんだから、奏者が楽しく演奏できるのが一番でしょ」と言っていました。が、本当にそうでしょうか?私はいくらアマチュアでも、入場料を取る以上はそれなりの演奏をしなければ失礼だと思います。自分達だけ楽しめればいいのであれば、チケットは売らず、それこそ「発表会」だけしていればいいわけですから。こちらで音楽活動をしていて一番感じるのは、今ひとつ真剣味が無いなあと言うこと。たとえば練習時間を例に取ると、日本では19時から練習開始となっていたら、19時に合奏開始と理解しますよね。つまり、遅くとも15~20分前に来て、各自ウォームアップをし、19時には席に着いているのが普通だと思います。が、こちらでは19時に練習場所に着いていればいいだろうという感じで、実際に人が揃うのは19時15分、合奏開始が19時30分くらいです。単に国民性の違いなのかもしれませんが、こういう小さな点1つ取っても大分違います。そして、これは楽団によってかなり異なりますが、このオケに限って言うと、本番の集中力も足らない気がします。今回、初めて一緒にステージに乗ったらっぱの新人の女の子は隣で吹いていてほんとイライラしました。ゲネプロと本番のみ参加の助っ人さんならまだしも、一応普段の練習に出ていて、本番直前の練習は全部出ていたのに、本番でまだ音や出を間違い、さらに吹く場所を忘れて完全に落ちると言うのはどういうことすぐ隣でこんなポカばかりやられたら、非常にテンションが下がります。合奏時はほぼメインの『展覧会の絵』ばかり練習してきました。去年の最後の練習日のお試しは入れないとしても、丸々5ヶ月練習したわけです。が、後日録音を聞いたら、とてもそうとは思えない出来で、なさけなくなりました。自分個人の反省点もいくつかありますが、やはり団体で作る音楽の場合、普段の練習にそれなりの人数が揃っていなければ、練習にはならないんですよね…。指揮者がぶち切れて、今年10月に予定されていたコンクールの出場は取りやめになったようです。今年はあと11月に合唱団のコンサート(つまりうちのオケは伴奏担当)出演があるだけなので、うちがメインのコンサートは年内にはもうありません。今週から練習が再開されますが、また出席者が激減するのでは、と心配です。私自身もうすぐ里帰りのため、しばらく練習は欠席するので、あまり人のことは言えないのですけどね…。
2011年05月21日
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行って参りました。ボルシア・ドルトムント対日本選抜のサッカーチャリティ試合。ブンデスリーガのシーズンが終わってから、選手達がバカンスに出かける前にとばたばたと決まった日程らしく、発表はなんと試合の1週間前。開催場所が偶然にも私の地元だったので超ラッキーでした。やはり平日の夜に遠くまで出向くのは帰りが遅くなってしんどいですから…。『開催されたら必ず観に行こう!』と前から楽しみにしていたので、発売と同時くらいにチケットを購入。急に決まったので売れ行きがあまりよくなかったのか、先週の金曜日には香川選手が、試合前日には内田選手がデュッセルドルフの某日系ホテルでサイン会を兼ねてチケットを販売したようです。それにしても、サイン会開始が平日の昼間の12時からなんて、専業主婦以外誰も行かれませんよね…ぶつぶつ。私はパートナーを連れて行くつもりで2枚購入したのですが、例によって例のごとく、彼が泊りがけの出張とのことで、急遽会社の駐在員さんを誘いました。別の駐在員さんも奥様と2人で観戦されるとのことで、4人一緒に車で出向くことになりました。スタジアムは我が家から車で5分くらいの近さなので、自転車で行こうと思っていたのですが、鍵が見つからず困っていたところでした。電車で行くのは遠回りだし、車に相乗りさせてもらえることになり、とっても助かりました。試合は夜8時半にキックオフでしたが、もしかしたら開場で何かイベントをやっているかもしれないと言うことで、7時頃に着くように出かけました。さすがに普段の試合ほど混雑はしていなくて、駐車場にも直ぐに入れました。シーズン終了直後なのでドルトムントファンがどれくらい見に来るか予想がつきませんでしたが、思ったより沢山来てくれていたようです。私達の席は発売直後に張り切って買っただけあり、ど真ん中の前から2列目という最高の席でした。ドルトムントの選手は試合前やハーフタイムのときに直ぐ近くで練習してくれたので、本当に目の前で見ることができました。が、肝心の日本選手はベンチ側の方(私達の席から遠い方の側)で練習していたので、あまり近くでじっくり見られなかったのが残念…。でも、ブンデスリーガでプレーしている日本人選手はおそらく全員来てくれていたみたいで、感激しました。来るという噂のあった川島選手の姿は無く、メンバー表に名前が載っていなかった森本選手がいました。結構豪華なメンバーで、これなら試合も面白くなりそう!と期待に胸が膨らみます。チャリティー試合とはいえ、ドルトムントはドイツチャンピオンの面目もあるだろうし、結構真剣勝負になるのでは?と思っていたのです。このときまでは。先発メンバーは香川選手(キャプテン)、岡崎選手、長谷部選手、内田選手を始めとするドイツで活躍している選手が中心でした。が、内田選手はなんと試合開始後1~2分で交代してしまったのです。練習の時も遅れてきて、ゴール脇で眺めているだけみたいな状態だったので、怪我でもしているのかと心配していましたが、よく考えたら大事な試合前でしたね。土曜日にドイツ杯の決勝があるので、「絶対怪我するな!」と所属チームの監督から命令でもされていたのでしょう。でも、私の今日の一番のお目当ては大好きな長谷部選手とイケメン・ウッチー(笑)だったので、この交代はショックでした~。なかなか豪華なスタメンでしたが、やはりコンビネーションの悪さは否めず、毎日一緒に練習しているドルトムントに軍配が上がりました。立て続けに2点も取られてしまい、ちょっとがっかり。が、その後岡崎選手が相手のファウルを誘い、それで得たPKをキャプテンの香川選手がゴール香川選手はドルトムントの選手でもあるので、ドルトムントサポーターも拍手喝さいでした。が香川選手はいわば本日の主役だと言うのにこれでピッチを退いてしまい、代わりにかなり年配のドイツ人選手が入りました。私は知らなかったのですが、元ドルトムントの選手で、大昔に浦和でプレーしていたこともある有名な方らしいです。が、この方が見るからにお年寄り&鍛えられていない体形なので、この人が入ってから途端にプレーがゆるゆるになってしまいました。。。後半は他にも名波選手、城選手などのちょっと懐かしい選手から、なんと奥寺さんやブッフバルトまで出場し、すっかりお祭りムードに。年配の選手が残念なプレーをすると失笑が漏れ、ナイスプレーをすると拍手喝さい、ドルトムントの選手が勢いあまって突っ込んだりするとブーイングが起きると言う状態でした。でも、これはこれで楽しかったです。すっかりメタボになってしまった城選手の苦笑いや、奥寺さんのサイドステップなど、貴重なものを見せていただきました~。それにしても、ここ2年くらいでヨーロッパでプレーする日本人が本当に増えましたね。結局、後半は両チームとも点が入らず、2対1でドルトムントが勝ち、ドイツチャンピオンの面目を保ちました。が、試合終了後に日本選手がドルトムントサポーターの前に行って挨拶したとき、日本コールをしてくれて、ちょっとうるうるしてしまいました。香川もコールにこたえ、自らサポーター席に乗り込んでいき、盛り上げていました。この試合が開催できたのは、ボルシア・ドルトムントはじめ、他の日本人選手達のおかげですが、やはり香川選手が一番の立役者ですよね。彼がドルトムントでこれほど活躍していなければ、しっかりチームに溶け込んでいなければ、実現は難しかったと思います。ドルトムントのスポンサーをしているドイツ企業が100万ユーロも寄付してくれ、それ以外にもチケット代、放映料などで20万ユーロ、合計120万ユーロほど集まったとのこと。このお金は東北大震災の被災地の子供達に送られるそうです。1日も早くみんなの元にちゃんと届いて、少しでも役に立ってくれる事を心から願っています。
2011年05月17日
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本日は佐渡裕さん指揮、デュッセルドルフ交響楽団のコンサートに行って来ました。今年はドイツ・日本友好150周年にあたり、各地で色々な催しが行われているのですが、このコンサートもその一環だったようです。私は去年発売になってすぐにチケットを買ってあったので、オケの練習が後から入ってしまいましたが、そちらは休ませてもらいました。デュッセルドルフは折りしも「ユーロヴィジョンソングコンテスト(ESC)」というイベントの真っ最中。ヨーロッパ中からコンテスト出演者の応援を兼ねた観光客が来ていて、おまけに展示会も開催されているため、なんだかやたら人が多い!今回は前回の教訓(詳しくはこちら)を活かし、開演時間の2時間以上前に家を出て、時間が余ればウィンドウショッピングでもすればいいやなんて思っていたのですが、これでちょうどいいくらいでした。臨時列車増発しまくりのため、トラムが全然前に進まなかったのです。ESCの会場へ向かう若者を尻目に、私はいそいそとコンサートホールへ。こちらの最寄り駅で降りるのは、さすがに年配の方ばかりでした。ホールへ向かう人の流れに逆らって歩いてくる日本人がいるなあと思って見ていたら、うちの会社の人だったので思わず苦笑。今回のコンサートは1部が邦人作品で、2部が最近とみにメジャーになった(笑)ベートーヴェンの交響曲第7番というプログラムでした。1部は武満徹氏の『オーケストラと笙のためのセレモニアル』、細川俊夫氏の『笙と弦楽四重奏のためのランドスケープV』、そして黛敏郎氏の『バッカナール』の3曲。日本週間前とあってか、「これでもか!」とばかりに和のテイストです~。邦人作品に詳しくない私は3曲とも初めて聞きましたが、いい曲ですね。笙も生で聞いたのはおそらく初めてですが、こんな音がするんですねえ。形といい音といい、ミニミニパイプオルガンという感じ…。これなら西洋音楽で使ってみようかと考える人が多いのも納得です。でも、私が一番気に入ったのは黛氏の『バッカナール』でした。かっこいい曲ですね!佐渡さんに合っていて、ノリノリの指揮でした。この曲、吹奏楽版とかないのでしょうか?もしあったら一度やってみたいなあ。実は今回、チケットでは席は5列目とあったのですが、実際には前から3列目のど真ん中で、佐渡さんが目の前ほんの1.5メートルくらいのところの近さでした。演奏を聴くにはちょっと前過ぎる感はありましたが、佐渡さんや演奏者の表情がよく見えて、それはそれでとっても楽しめました。佐渡さんは相変わらず汗びっしょりかいての熱いタクトで、奏者もそれに一生懸命応えているのが好感度高かったです。特に、弦のトップの人たちは弓を切りまくっての熱演でした。告白しますと、私はこのオケは野外コンサート等で数回聞いたことしかなく、その時に自分の中で「お金を払ってホールまで聴きに行く価値は無いオケ」に分類してしまっていました。なので、この市に住んでいた時期も他のオケのコンサート以外でこのホールに出向くことはなかったのです。レベルはともかく、こんなに熱の篭った素晴らしい演奏をするオケだったとは私の失礼をお許しください~。前日にものすごくショックなことがあり、夜はほとんど眠れず、この日もまだかなりへこんでいたのですが、がんばって聴きに行って本当に良かったです。佐渡さんとオケにうんとパワーをもらい、おかげで元気が出ましたやはり音楽の力は偉大ですね。1つ物足りなかったのは、アンコールが無かったこと。アンコールが無くても、今日は佐渡さんのお誕生日だったので、団員がサプライズで「HAPPY BIRTHDAY」でも歌ってあげるのでは?と内心期待していたのですが、それもなし。席がステージに近かったので、勇気があれば一声お声をかけたかったのですが、もちろんできませんでした。ごめんなさい!でも、心の中で『マエストロ、おめでとうございます!!』と言いながら幸せな気分で帰路につきました。
2011年05月13日
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1日観光する予定の本日は、朝から快晴で最高のお天気私の日ごろの行いは非常に良いと思われます(笑)。ブレーメンを訪問するのは今回が初めてではありません。実は数年前(といってもかなり前)にも1度訪れております。その時はアメリカ時代の知人が友人を訪ねてブレーメンに来ていて、久しぶりにその知人に会うのが一番の目的でした。一応、ブレーメンで一番有名な『ブレーメンの音楽隊』と『ローラントの像』は案内してもらいましたが、それ以外に特に観光をした記憶はありません。知人も彼の友人ももう御年70以上というご高齢だったので、精力的に歩き回るという感じではなかったのです。今回は気ままな一人旅なので、マイペースで好きなところを周ることができます。ホテルを朝10時頃に出発し、先ずは駅構内のカフェでパンとカフェオレで軽く朝食をとりました。その後、ホテルの直ぐ近くにある「?bersee-Museum」という博物館へ向かいました。ここでは今、日本・ドイツ修好150年記念の一環で、『日本の部屋』という写真展が行われているのです。通常展示を見た後、特別展を見て博物館を後にしました。思ったより小さい博物館でしたが、なかなかがんばっているという感じで雰囲気も良かったです。ちなみに『日本の部屋』の特別展示場には他にも誰もいず、なんと貸切でしたので、ゆっくり見ることができました。その後、トラムに乗ってとりあえず街中の観光スポットが集まっているエリアへ向かいました。昨日はトラムに乗るたびに乗車券を買う羽目になり、かなり面倒だったので、今日はしっかり1日券を購入。まずは広場で一番目立っている聖ペトリ大聖堂へ入ってみました。コンサートのリハーサル中らしく、『アベマリア』や『アメージング・グレース』を歌っている女性がいたので、休憩がてら聴かせてもらいました。外ではロシアから来たという金管アンサンブルが演奏していましたが、レベルはいまいち…。その後、ローラント像を横目に市庁舎の前を通り、ブレーメンの音楽隊の像のところへ。本日は先週今シーズンの優勝を決めたドルトムントがブレーメンで試合をするとあって、サッカーファンがそこら中で飲んで騒いでいます。ここも例外ではなく、ドルトムントファンが厚紙で出来た優勝カップ(というかお皿なんですが)をもって像によじ登り、我が物顔で記念写真を撮っていたので、早々に立ち去りました。市庁舎の隣のマルクト広場では市場が立っていたので、ちょっとぶらぶらすることに。ちょうどおなかがすいてきたので、まずは焼きソーセージで腹ごしらえです。そのスタンドは実は豆のスープが有名らしく、みんなが注文しているのを見たら食べてみたくなったので、こちらも試してみました。本当は市庁舎の地下にあるレストランにでも行こうと思っていたのですけれどが、市場であっさり昼食は終了。その後、ガイドブックで見て一番興味のあったシュノーア地区に行ってみました。ここはブレーメン市内でも最も古いエリアで、狭い路地が走っているところ。今は工芸品などのお店が並んでいるとのことで、楽しみにしていました。確かに狭い路地には洋服やアクセサリー、おもちゃのお店などがあり、あきません。ちょっと観光地化されすぎている嫌いはありますが、お店を冷やかしながらのんびりぶらぶらするにはとても楽しいです。お茶に関連するものばかりを売っているお店で、母親にバラ柄のランチョンマットと、自分用に猫の形のミルクピッチャーを購入。喉が渇いたので、外にテーブルを出しているレストランでビールを飲みながら一休みしました。その後、ヴェーザー川沿いのプロムナードに出て、そこから今度はこちらも有名なベットヒャー通りへ行ってみました。この通りには文化財に指定されている建物が沢山あるのです。ちょうど3時ちょっと前だったので、3時まで待ってマイセンのベルが付いているからくり時計の仕掛けを見ました。長時間外をうろうろするにはちょっと暑すぎるくらいの気温だったので、荷物を置きがてら一旦ホテルに戻ることにしました。クーラーのきいた部屋で少し休憩して、夕方少し涼しくなってからまた出直そうという魂胆です。部屋で文庫本を読みながら5時ごろまで休憩し、今度は昨日夕食を食べたエリアに向かいました。このエリアは学生が多く、ちょっとしたカフェやブティックなどが沢山あり、昨夜『明日またゆっくり来てみよう』と思っていたのです。ところが、ちょっとばかりゆっくりしすぎました…。6時までやっているだろうと思っていたのですが、なんと殆どのお店が土曜日は4時までの営業で、既に閉まっていたのです。ショッピングを楽しんでから夕食をと思っていたのですが、夕食にはまだ時間も早いし、適当なお店も見つからなかったので、また街中に戻ることに。昼間は簡単に済ませたので夜はしっかり目に食べようと思い、また市庁舎の地下のレストランまで行ってみました。すると今度は「今夜は貸切」の張り紙が…。なんとなく今日は色々タイミングが悪いようです。しばらく街中をうろうろ歩いた挙句、たまたま通りかかったタイレストランでふらふらと外のテーブルについてしまいました。というわけで、なぜかブレーメンでタイカレーを食べた私。いまさらどうしてもドイツ料理!というわけでもないし、おいしかったから結果オーライなのです。その後、腹ごなしをかねて少しお散歩(と言っても、観光地はもう全て周ってしまったので主にデパート内)をし、もう1度ホテルへ。今度はコンタクトを外し、コートを取りに行くためです。所要時間が長かったので少し迷いましたが、今夜は夜警との市内巡りに参加することにしました。9時半に市庁舎前を出発し、11時にシュノーア地区で解散になるツアーでした。1日歩き回って夕方にはもうかなり疲れていましたが、面白かったしなかなかためになったので、やはり参加してみてよかったです。朝10時にホテルを出て、最終的に戻ってきたのは11時半。丸1日精力的に歩き回り、思い切りブレーメンを満喫したのでした。
2011年05月07日
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週末は金曜日から2泊3日で、ブレーメン(グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」の街です)に遊びに行ってきました。前日の夜は会社の創立25周年パーティーがあり、翌日は皆仕事にならないでしょうし、残業時間も溜まってきているので、金曜日は1日代休を取りました。そもそもなぜブレーメンに行くことになったかと言いますと、元々高校の部活の先輩が去年会った時に「来年ドイツへ行くから」と言ってきたのが発端でした。よくよく話を聞いたら、以前一緒にセッションをしたブレーメンのバンドに呼ばれて、今度は先輩達がブレーメンで演奏をすることになったとかなんとか…。それで、「じゃあドイツに来たら一緒にビールでも飲みに行きましょう!」と約束していたのです。先輩が「セッション」と言っていたので、私はてっきりドイツのどこかで行われるジャズフェスティバルにでも出演するのだろうと思っていたのですが、なんと先輩の住んでいる川崎市の某商店街と、ドイツのブレーメンにあるショッピングセンター(商店街)が友好関係を結んでおり、お互いに行き来したりしているそうなんです。姉妹都市というのはよくありますが、姉妹商店街というのはめずらしいですよね。で、その川崎とブレーメンの商店街の友好活動開始からちょうど今年で20周年だそうで、しかも今年はドイツ・日本修好150周年ということもあり、彼らがブレーメンでコンサートをすることになったようです。それでコンサートを聴きに行きがてら、はるばる先輩に会いに行くことにしたわけです。ところが先日、肝心のその先輩がドイツ行きはあきらめたと言ってきたのです。まだ福島の原発の状況が安定しておらず、自分が日本を離れている間に家族に何かあるのではと心配だからとのこと。中学生と高校生のお子さんが二人いるし、まあお気持ちはよく理解できます。とてもがっかりしましたが、もうホテルも電車の切符も取ってしまいましたし、予定通り出かけました。始めは金曜日のコンサートを聴いて、土曜日の午前中の電車で戻ってきて午後はオケの練習に出るつもりだったのですが、たまたまその日は金管楽器は練習がお休みになりましたので、最終的に2泊することにしました。1日目、朝10時頃に家を出て、ブレーメンには午後1時半頃に到着しました。2泊3日の旅行とはいえ、結構大荷物で大変です。地理が分からないのでホテルは適当に駅の近くを選んだのですが、本当に駅の直ぐ向かいで助かりました。こちらのホテルは値段や星の数で容易に考えていると痛い目に遭います。結構高いホテルでもドライヤーが部屋に無かったり、シャンプーが無かったり(ボディーソープしかない)なんてことがざら。そのため、万が一に備え、全て自宅から持っていくと、かなり重たい荷物を抱えて歩くことになるのです…。例の先輩の所属しているバンドのコンサートは木・金の2日間あったのですが、木曜日の方は午後3時からでした。それで3時開演でも間に合うように早めに出かけたのですが、金曜日のコンサートは前日とは開催場所も違い、開演も5時でした。演奏開始時間が遅めだったおかげで、到着してから軽くランチを食べ、ホテルにチェックインすることができました。で、こちらもたまたまなのですが、私の入っている楽団の指揮者がブレーメンから20キロほどの市で働いているので、一緒にコンサートを聴きにいくことになりました。コンサートは1部が金管アンサンブル、2部がビッグバンド、3部がブラスバンドということでしたので、楽しみにしていました。特に私達は二人ともトランペット奏者なので、金管アンサンブルに期待していました。コンサートは予定通り5時に始まり、第1部は予定通り金管アンサンブルだったのですが、彼らが演奏したのは何楽章もある曲1曲のみ。しかも、オリジナルはおそらく5人編成で吹く曲だと思うのですが、15人での演奏。う~ん…。2部はビッグバンドで、こちらはアンコールを入れて5曲くらい演奏したでしょうか。3部のブラスバンドの部はメンバーが足りなかったのか、中止でした。椅子も何もない場所(ショッピングモール内の広場)だったので、1時間強ずっと立ったまま演奏を聴いていました。音響はあまり良いとは言えず、ホルンの方は特にお気の毒でしたね…。2回コンサートをするようでしたが、同じプログラムを2回演奏するのだろうという判断の元、私達はそのままショッピングセンターを後にしました。土曜日は先輩が時間があれば一緒に観光でもして、ドイツ名物カレーソーセージを食べてビールを飲んで…と考えていたのですが、残念ながら来独されなかったので明日は1人で自由行動です。
2011年05月06日
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四連休中、唯一の平日である本日は毎年食料品の買出しに終われる我が家ですが、今年は一味違いますよ!前日にベルギーで買出しをしたため、食料に余裕があります。だからと言うわけではありませんが、私は1日お出かけさせてもらいました。最後に美容院へ行ってから2ヶ月近くたつため、髪の毛がかなりぼさぼさになってきました。ここ2~3週間ずっと気にはなっていたものの、土曜日の午後2時~4時半という中途半端な時間にオケの練習があるため、行かれず仕舞い。きょうはイースター休暇中のため、オケの練習はお休みなので、早速予約を入れました。以前、パートナーがこの日はお店も開いているし、日帰りでオランダのビーチにでも行こうと言っていたので、美容院が終わってからすぐ出かけられるように、朝一番の予約を入れました。おかげで今日は平日のような早起きをする羽目に。ところが、パートナーはオランダ行きについて「そんなこと言った覚えはない」と言い張るし。まあ、これも毎度のことなので、始めから全く期待していなかったため、がっかりせずに済みましたけどね。ちょうどトラムが来たので思い切り走り、なんとか乗ることができました。電光掲示板によると次のトラムは17分後に到着との事で、それだと予約に間に合わないと思ったので猛ダッシュしたのです。が、おかげで早く着きすぎてしまいました。仕方ないので近くのカフェに入り、コーヒーを飲んで開店時間まで時間をつぶしてから美容院へ。新しく通い始めた美容院は若い日本人男性一人とポーランド人の叔母さん2人だけのこじんまりとしたお店で気に入ってます。こちらで働いている美容師さんにありがちの変な押し付けがましさとかもないし、安らげる感じ…。まだ2回しかお世話になってませんが、今のところここを行きつけにするつもりです。美容院がお昼に終わり、久しぶりに日本食レストランでランチをすることにしました。普段はあまり家で作らないようなもの(天ぷらとか)を食べることが多いんですが、今日はあっさりしたものを食べたかったので、即お蕎麦屋さんへ。ほぼ開店と同時に入ってしまったようで、ちょっと恥ずかしい…。お蕎麦はおいしかったのですが、このお店で思っていたより散在してしまいました。なんと、温かいお茶が有料で、しかもお代わりしたので2杯分チャージされていたのです!この辺りの日本レストランはランチタイムはお茶が無料のお店が多いので、なんとなく無料なんだろうと思ってました。それに、もし有料だったとしても、普通お代わりは無料じゃないですか?確認しなかったこちらが悪いんですが、お店の人もちょっと一言言ってくれればいいのに…。がっかりしつつお店を出た後は、銀行へ向かいました。私の利用している銀行はあまり支店が多くなく、お金を下ろせるところが限られているのです。次の予定まで時間もあるし、食後のお散歩がてらにとちょっと遠くの支店まで歩いていったところ…なんと銀行があった場所が貸しスペースになっていました。がっくり。なんだか今日はついていないかも?!気温30度ほどもある中、てくてく歩き回り、今度は某ホテルへ。イースターに旅行にも行かないし、久しぶりに自分に贅沢をと思い、このホテル内のスパでフェイシャル・トリートメントを予約しておいたのです。肩こりがひどいので以前はあちこちのマッサージを試しましたが、日本で受ける整体がベストだと気づいてから、マッサージにお金を使うのは辞めました。スパは最上階にあるのですが、エレベーターに乗って何度ボタンを押しても、ロビーか地下駐車場に連れて行かれます。壊れていると思い、別のエレベーターに乗ってみても同じ。さすがにイライラしてきて、コンシェルジュに訊ねたところ、部屋のある階から上に行くにはカードキーが必要なんだそうです。そういえば、ホテル内のスパを利用するのって、普通は宿泊客ですよね…。1時間みっちりマッサージしてもらい、リラックス~♪のはずでしたが、例によってまつげをぶちぶち抜かれ、涙目に…。ドイツのエステは痛いものだと言うことをすっかり失念しておりました。それ以外はなかなか良かったんですけどね。髪と顔をお手入れしてもらってすっきりした後は、久しぶりのショッピングです。しばらく行っていない行きつけのお店に出向いて春夏ものをチェックしなくちゃ!このお店からは3月に常連客のみご招待という優待セールのお知らせが届いていたのですが、震災の直後だったのでどうしても気が向かず、行かれませんでした。一通りお店を見たけれど、あまり気に入ったものがなくて、そのまま何も買わずに出ようとしたところ、顔なじみの店員さんに声をかけられてしまいました。なので、気になったもの2点、試着だけしてみることに。ところが、ちょうどお店に誰もいなくなったので、彼女が私につききりになってしまい、「これはどう?」と次から次へと試着室に持ってきてくれるではないですか。見かけによらず気弱な私はびしっと断るのがとっても苦手。でも、いまいちのものを「まあいいか」とお買い上げするほど裕福でもないので、心を鬼にして断り続け、やっと1つだけ気に入ったものが見つかりました。『これでやっとお店を出られる~』とほっとしたのもつかの間、商売上手の彼女がすかさずそれに合うカーディガンを持ってきてくれました。暑くなってきたのでもう着る機会もほとんどないだろうし、買うつもりは全くなく、持って来てくれたから一応試着だけと思って羽織ったら、なかなかかわいいではないですか!というわけで、こちらも急遽購入することに。最近、彼女にはやられっぱなし(2連敗中)です…。その後、日本食料品店で買出しをしてから帰宅しました。久しぶりに街を歩き回って疲れましたが、まあまあ充実した1日でした。さて、何も予定もなく、お店も開いていない明日・明後日は何をしようかな?
2011年04月23日
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本日、ドイツは聖金曜日のため、祝日です。なんちゃってキリスト教徒(<全く教会へ行かないので)のパートナーに言わせると、クリスチャンにとっては一年で一番大事な日だそうですが、ほんとかな?普段は全く礼拝に行かない人でも、クリスマスイブとイースターサンデーだけは教会に行く人はいるけど、聖金曜日に教会に行く人、私の周りでは聞いたことないんですが…。とにかく、ドイツでは今週末は四連休。気候も良くなってきたので、小旅行に出かける人が沢山います。出不精のパートナーを持つ私めは相変わらず何も予定がなく、連休と言ってもただ単に食料の買出しが面倒くさい長めの週末、という感じ。ドイツでは四連休中、お店が営業している日は土曜日しかありません。ところが、先日出張でブリュッセルに行っていたパートナーが耳寄りの情報(?)を仕入れてきました。ベルギーでは聖金曜日は祝日ではないそうなのです。そういえば、オランダも平日だったような…。というわけで、今日はベルギーまでドライブがてら、買出しに行くことにしました。パートナーは外回り技術者なので社用車を与えられています。それ自体は大変ありがたいことではあるのですが、以前は国外に出てはダメとか、プライベートの旅行には使わないようにとか、配偶者に運転させるなとか、色々と規則がありました。まあ、律儀に守っているのは我がパートナーくらいだったようですが。そのせいかどうか分かりませんが、規則が見直されて、去年くらいからプライベートでも自由に使用可になり、ついでにいくら乗ってもガソリン代も会社持ちになりました。が、その代わり、一定額のリース料を毎月お給料から天引きされることになったのです。あまり出かけない我が家にとっては、メリットなんだかデメリットなんだかよく分かりません。そういうわけで、この車で正々堂々(?)と国境を越えられることになったのはいいのですが、搭載されているナビが国内専用なのです。まあ技術者は普段は基本的に自分の担当エリア内を回るだけなので、ドイツから出ることはないわけですね。でも、おかげで先日ナビなしでルクセンブルクへ行ったときはかなり苦労しました。そこで、某掲示板の売買掲示板で日本に帰任される方から日本語もしゃべれる(笑)ポータブルナビを買い受けたのです。そのときパートナーは散々「そんなもの本当にいるの」だのなんだの批判していましたが、早速ブリュッセル出張で重宝した模様。なんだかんだで隣国に出かけることがあるんだから、あったほうが便利でしょ!ヨーロッパって本当に不思議で、すぐお隣の国なのに、国境を越えるとスーパーだけでなくガソリンスタンドすら品揃えがらっと変わります。私は基本的にフランス語圏の食べ物はおいしいと思っていますが、ベルギーも例外ではありません。ベルギーで必ず購入するのはベルギービール。お気に入りが2~3種類あって、私のお気に入りはチェリービールと小麦ビール。ビールとしては邪道系かもしれませんが、どちらも夏にぴったり♪そして、ソース類も必ず仕入れます。サムライソース(笑)と言うちょっと辛いソースと、アリオリソースというガーリック入りマヨネーズのようなもの。どちらもこれからグリルをするとき、重宝するんです。フレンチフライにもすっごく合います。あとはドイツでは手に入らないか、めちゃくちゃ高いチーズ類や洋菓子類(エクレア、プリンなど)、気が向けばシャンパンなど。それと今回はステーキを食べたい気分だったので、こちらも購入。1枚約3ユーロ也。ドイツでは牛肉がやたら高く、しかも赤みばかりでぱさぱさしてまずいのです。他にもドイツで見たことのない出来合いのスープ類やら色々買い込んできました。帰りはベルギー国境からすぐ近くのオランダのマーストリヒトに立ち寄りましたが、すでに夕方6時前だったので、ちょうどお店が閉まる時間。もっと早く家を出ていたら、ショッピングもできたのに残念!ここで軽くビールを飲んでからドイツへ帰ってきました。というわけで、今日の夕食はすべてベルギーで仕入れてきた食材で作りました。ブロッコリーのポタージュスープ、そしてもちろんステーキと、付け合せはモヤシ中心の炒め野菜。大変おいしゅうございました♪
2011年04月22日
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気持ちが前向きになってきたところにタイミングよく、今日は以前からチケットを買ってあったコンサートの日でした。ヤニック・ネゼ=セガン指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団で、メインはマーラー5番。私は実はこの指揮者の名前を聞いたことがなかったのですが、ここ数年ヨーロッパの有名どころのオケで立て続けにデビューが続き、かなり勢いに乗っている方のようです。開演は20時で、最寄り駅を7時少し前に出るトラムに乗れば、7時半ちょっと前にコンサートオールのある市の中央駅に着くはずでした。が、ドイツの鉄道といえば…そう、遅延ですいつもなら時間に余裕を見て1本前の電車に乗るようにしている私ですが、今日はちょっとのんびりしてしまったのが運のつき。トラムの駅で待つこと15~20分。その間、乗るはずだった電車が電光掲示板に現れたり消えたりするのを見て、嫌な予感がしていました。発車予定時刻を6分ほど過ぎた頃、突然構内アナウンスがあり、「工事の影響で7分遅れて到着予定」とのこと。遅れると分かっていたなら、もう少し早くアナウンスしてくれればいいものを…。とりあえず来たトラムに乗って、時計とひたすら睨めっこしていましたが、乗り換えの駅まであと5つと言うところで残り時間があと8分ほど。これは絶対に間に合わないと思い、急いでパートナーに連絡し、中央駅に来てくれるようにお願いしました。中央駅には次の電車の発車1分弱前に着きました。こちらの電車はほぼ毎回必ず2~3分くらいは遅れるので、もしかしたら間に合うかもしれないと思い、ホームまで猛ダッシュ!が、こういうときに限ってすでに電車はホームに入っており、定刻どおりに発車してゆきました…。急遽呼び出されたパートナーは当然のごとくご機嫌斜め。でも、今日のプログラムはマーラー5番のみなので、遅刻したらコンサート全てを聴けなくなる可能性があるため、間に合わせるには車で送ってもらうしかなかったのです。私もダッシュしたので気分が悪くて口数も少なく、社内には重苦しい雰囲気が漂いましたが、なんとか開演時間15分くらい前にコンサートホールに到着することができ、めでたし、めでたし。ところが、蓋を開けてみたら、プログラムは1部がベートーヴェンのピアノ協奏曲5番。休憩を挟んで、2部がマーラーの5番という2部構成だったのでした…。つまり、次の電車で行って遅刻しても、最悪マーラーだけは聴けたことになります。(<これはパートナーには内緒!)プログラムに終演予定は22時15分頃とあったので、私は22時31分発の電車に乗ろうとコートもクロークに預けずにいました。演奏が終わって拍手喝采の中、そっと携帯の電源を入れて時間をチェックすると、すでに22時35分。乗るはずだった電車にはもう間に合いません。まだ客席がスタンディングオベーションをしている中、急いでコンサートホールを後にしました。最寄り駅に着き、すぐに近距離列車(Sバーン)の時刻表をチェック。すると数分後にデュッセルドルフ・ケルン方面行きの電車があるではないですか。Sバーンは停車駅が多いので時間がかかるのですが、次の電車が来るのは早くても30分後のはずなので、ホームで突っ立っているよりはマシと乗り込んでしまったのが運のつき…。デュッセルドルフ方面行きの電車ならすべて私の住んでいる市を通過するだろうと思ったのに、気づいたら全く別の市に連れて来られてしまっていました…。しかも、アナウンスが入り、線路工事のため、そこからバスに乗り換えてデュッセルドルフに向かえとの事。これからバスでデュッセルドルフ中央駅へ向かい、そこからさらにトラムに乗り換えたら、あと2時間くらいはかかりそうです。バス乗り場に向かったところ、デュッセルドルフ空港駅行きというバスがあったので、そちらに乗ることにしました。こちらの方が少なくとも我が家に近いので…。バスに乗ったのは本当に久しぶりですが、それにしてもバスって良く停まりますねえ。やっと空港に着いたときは、もう真夜中ちょっと前でした。そこから我が家の近くに止まるSバーンに乗り、ようやっと家に帰ることができました。なんと終演後、2時間近くもうろうろしていたことになります。私が特に電車と相性が悪いのか、それともドイツの鉄道全般が酷いのか…。いずれにしても『これからはコンサートのときは必ず1本早い電車に乗ろう』と固く心に誓ったのでした。
2011年04月10日
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しばらくブログを放置してしまいました。皆さん、お変わりないでしょうか?こちらはいつの間にやらもうすっかり春です。我が家の庭では、チューリップ、ヒヤシンス、椿、桜が同時に咲いております。数年前に植えた木蓮ももうすぐ初めて花を開きそうです。震災から1ヶ月近くたち、ようやく精神的に落ち着き、前向きになってきました。ドイツ人に原発についての意見を求められたりするのがつらく、しばらくは人が集まるところに出るのが嫌で、ひたすら引きこもっておりました。私は国際結婚サークルのようなものに入っており、そこでは毎月1度オフ会が行われています。今年はスケジュールの都合でなかなか参加できず、3月は久しぶりに参加できる予定だったのですが、結局ドタキャンしてしまいました。前日に信頼していた人からショックなことを言われ、またしても情緒不安定に陥ってしまったのです。が、今日行われた4月のオフ会には出席してきました。楽団の練習以外はしばらく家から出ていなかったので、当日ちょっと億劫になりかけましたが、ここで行かなければずっとずるずる引きこもりになってしまうと思い、えいやっと外出してきました。町は普通に沢山の人達でにぎわっていて、なんとなくほっとしました。今回集まったのは私を入れて4人だけで、こじんまりした会でした。一人が1時間ほど遅れてくると言うので、食事はオーダーせず、ビールを飲みながら彼女を待っていました。ビールを飲んだのはおそらく震災の週末に参加したワークショップ以来です。外食も久しぶりだったせいか、食事もとてもおいしく感じられ、完食しました。震災以降、胃の調子もずっと良くなくて、あまり食欲もなかったのですが…。久しぶりに日本語でおしゃべりもできたし、良いリハビリになったようです。ただひとつ気になったのが、その韓国料理屋さんがドイツ人のお客さんでやたらにぎわっていたこと。聞いたところによると、日本レストランは最近お客さんが激減していると言うことなので、そちらから流れてきているのかもしれません。これからは風評被害による二次災害が心配ですね。家にばかりいると、インターネット等で様々な情報を仕入れてはやたら不安になったり、自分の頭の中だけで色々思い悩んでしまうので、あまり良くないですね。これからはまた積極的に外に出ていこうと思います。ちなみに、この土・日は日本人会が主催して、デュッセルドルフ市の中央駅で募金活動をするとのことで、日曜日に参加しようかなと思っていたら、土・日ではなく金・土に行われるとの事でした。引きこもっていると、日にちの感覚すらもなくなるようです。。。
2011年04月08日
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水曜日になり、我が社の社長から全社員にメールが送信されました。今回の日本の大惨事を受けて、できる人は募金してほしいという内容です。日系企業なのに、ちょっと遅いのでは?と思いましたが、もちろんありがたいことです。すでに募金した人は金額を知らせてほしいとの事でしたので、返信しておきました。その翌日の木曜日、今度は人事部から社内一斉メールが配信されました。ちょうど金曜日の夜、我が社がスポンサーをしているサッカーチームの試合があり、そのときに募金活動できるように取り計らってくれたのです。ブンデスリーガの試合は大体土曜日の午後に行われるのですが、今回はたまたま金曜日のナイターにあたってしまったため、準備期間が特に少ないのに、とても感激しました。メールによると、募金活動は2種類で行い、1つは社員が直接スタジアムで募金をお願いすると言うもの。もう1つは、試合中に指定の番号にSMS(携帯メール)を送ると、自動的に5ユーロ(手数料が少しだけ引かれますが)募金できると言うもの。後者は試合中にスタジアムの広告スペースなどで告知をするそうですが、前者のために社員のボランティアを50名募集するとありました。このメールを読んだとき、私は募金活動に参加することを心の中ではすでに決めていました。が、当日は義理の妹さんの誕生日で、私もパーティーに招待されていたのです。普段の私なら必ず先約を優先するし、ドタキャンは基本的に好きではありません。が、妹さんの誕生日は来年もまた来るけれど、私がいま被災地のために直接何かできるのは、この機会を逃したらまたあるかどうかは分かりません。パーティーを欠席したら、義妹が私に腹を立てるのでは、義父がまた非難がましいことを言うのではという心配も正直少しありました。が、もし欠席の理由を説明しても理解してもらえないようなら、仕方ないとあきらめてもいました。もう誰がなんと言おうとも募金活動に行くと決意していたからです。家に帰って、まずパートナーにこの話をしたところ、渋い顔をされました。少なくとも彼は賛同してくれると思っていたので意外に思っていると、妹さんのためでなく、私のことを思ってのことだったようです。つまり、サッカーファンは裕福な人ばかりではないし、攻撃的な人も中にはいるだろうから、暴言を吐かれたりしてつらい思いをするのではとのこと。私がその週ずっと、ドイツの報道やドイツ人同僚の心無い発言などに傷ついていたので、私がもっと落ち込んでしまうのではと心配してくれたのです。でも、うちの会社はドイツにあるとはいえ、日系企業です。せっかく会社が日本のために企画してくれたのに、日本人が先に立ってやらずにいられるでしょうか?それに、会社には300人余りのドイツ人社員がいますが、日本人はたったの9人です。西日本出身の駐在員さん達や、普段会社の行事に参加しない他の現地採用社員たちは参加するかどうか分かりません。日本のための募金活動なのに、日本人社員が1人もいないなんていう事態だけは避けたかったのです。急な話ですし、金曜日の夜と言うことで、一体どれくらいの社員が参加を申し出てくれるのだろうと少し不安でした。が、当日のメールによるとなんと42名もの社員がボランティアを希望してくれたとのことですしかも、日本人社員もほぼ全員が参加表明していました。当日、午後から雨が降り始め、あいにくの天気となってしまいました。こんな天気で一度家に帰った同僚はちゃんとスタジアムに来てくれるんだろうかとまた心配になりましたが、それも全くの杞憂に終わりました。渋滞に巻き込まれた人達を除いてほぼ全員時間通りに集合し、会社名の入ったジャケットを着て帽子をかぶり、赤い十字の付いた募金用の缶を持って、それぞれ持ち場に散っていきました。私は他の日本人3名と現地社員4~5名と一緒に東ゲートを担当しました。始めはなかなか声をかけられずに戸惑っていると、一緒にいた現地人の社員の一人が声をかける役を引き受けてくれました。が、募金してもらうのは思っていたほど簡単ではありませんでした。うちの会社は長い間このサッカーチームもメインスポンサー(今はメインではありませんが)を務めていたので、ファンも快く募金をしてくれるだろうと軽く考えていました。それに、このチームのファンはとても根強いファンが多いので、シーズンチケットを持っている人が沢山います。シーズンチケットを購入できるのなら、収入もそれなりにある人達だろうから、1~2ユーロの募金なんてなんともないだろうとも思っていました。が、よく考えたら、募金をしたところで彼らに何らかのメリットがあるわけではないのです。お金を稼ぐと言うのは大変なことなのに、その苦労して稼いだお金をただで出してくださいと言われても、なかなか「はいそうですか」とすぐにお財布の紐を緩める人はいません。実際、「日本人は自分達でどうにかすべき」とはっきり言う人や、露骨に冷たくにらみつける人もいました。正直、心が折れそうになり、日本人社員が来たのは失敗だったかもとすら思っていました。でも、よくよく考えたらこれも当然の反応です。いくら会社がチームのスポンサーとはいえ、私はそのチームの選手でもなんでもない、ただの無名の日本人です。黙ってそこに立っているだけで自動的に募金が集まるなんてことはありえません。たとえ一部の人に顰蹙を買っても、あきらめずに声に出してお願いして回るしかないのです。そう開き直ってからはかなり沢山の募金が集まりました。スタジアムの手前のスペースにいる人達のところに行くと「もう募金した」「別の人に声をかけられたよ」と言う人が増えてきて、かなりイラついているようでした。それならば到着したばかりの人にお願いしようと思い、敷地内に入ってくる人達にターゲットを絞りました。そこには屋根がないので、雨を避けて小走りに去ってしまう人もいましたが、立ち止まってくれる人も、時には募金を手に戻ってきてくれる人も沢山いました。私はソーセージやビールを買った後のお釣りの小銭を入れてもらえれば十分と思っていたのですが、以外にもかなりの人がお札を入れてくれたのです。「これでも全然足りないと思いますけど」と言いながら20ユーロ札を入れてくれる人もいました。募金してくれた人は「がんばって!」「応援しているよ」と温かい声をかけてくれ、本当に嬉しくて、涙が出ました。後で聞いたのですが、別の日本人社員のところには100ユーロ札を入れてくれたご婦人もいたそうです。すっかり雨に濡れ、体が冷え切ってしまいましたが、充実感と感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。集まった募金はドイツ赤十字の方々が月曜日に直接数えてくださるそうで、まだいくら集まったのかは不明ですが、きっと少なくない額が集まったと思います。もちろん、大企業や国が出す義捐金に比べたら微々たる金額でしょうが、それでも私達の応援する気持ち、ドイツ人のやさしさは伝わってほしい…。これからも私達にできることをこつこつとやっていきますので、被災地の方もどうぞ元気を出してくださいがんばれ日本、がんばれ東北
2011年03月18日
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原発の方は相変わらず予断を許さない状況のようですね…。なんとか早く落ち着いてほしいとひたすら祈るばかりです。そして、現場で作業してくださっている方の安全もお祈りしています。私は日曜日の夜にワークショップから帰宅して以来、テレビを一切見ていません。ドイツの番組は原発の危険性を訴えるか、ドイツの原発の安全性についての討論ばかり流していて、日本の最新の情報をあまり知らせてくれません。それどころか、津波や地震直後の悲惨な現場の様子を繰り返す流すばかりで、見ていると悲しくなり、涙が出て仕方ありません。なので、もう映像は一切見ないことにしました。特にドイツで報道されている原発関連のニュースはやたらと不安をあおることばかり言っている気がします。総選挙が近いので、その影響もあるのだと思いますが、当事者である日本人としては振り回されてたまったものではありません。昨日はドイツの報道を真に受けて少しパニックになってしまい、今日は何が何でも両親を説得し、ドイツに来てもらおうなんて思っていたところです。ラジオで東京でもかなり高い濃度の放射能が検出されたと聞き、心配になって会社から実家に電話してみました。その時、地震後初めて父と話をしたのですが、向こうの方がのんきと言うか、関東は今のところ全く心配ないとのことで、やっと私も落ち着きを取り戻しました。でも、さすがに福島に住んでいる叔母一家は避難することにしたそうで、今埼玉に向かっているところだと言っていました。道中の安全を祈るばかりです。それにしても、こんな事を言ったら被災者の人に本当に申し訳ないのですが、正直なところ、かなり精神的に疲れてきました。というのも、本当に日本や私の家族の事を心配し、私を気遣って声をかけてくれる人もいるのですが、興味本位で色々聞いてくる人も沢山いるので…。昨日はパートナーが仕事で泊まりで留守でしたし、私も楽器を吹いているときは嫌な事を忘れられるので、普段どおりポザウネンコアの練習に出かけたのです。このアンサンブルは教会の付属だし、メンバーも良い人ばかりから大丈夫だろうと思って安心(油断?)していました。最初に会った、普段から私にとても親切にしてくれる70代の男性(私はその人から去年中古のトランペットを買いました)はとても親身になってくれ、本心からと思える温かい言葉を掛けてくれました。次に来たトランペットの男性も、「日本がこんな状態だから今日は来ないと思ってた」なんて言うので、「家に一人でいるのが嫌だったから」と言ったら、理解を示してくれました。が、3番目に来たトランペットの男性は、お見舞いの言葉も何もなくいきなり「両親は無事なの?」と訊ねてきて「今のところは無事」と答えたところ、「青信号?」なんて言うのです。原発の事を知っているはずなのに、無神経ですよね。それで正直に「もう今は黄色信号だと思う」と言ったら、なんとニヤニヤ笑いをしていました。その瞬間、やっぱり今日は練習を休むべきだったとものすごく後悔したのは言うまでもありません。他人を思いやれるはずのキリスト教徒でもこんな風なのですから、職場なんてもっともっと無神経な人が山ほどいます。私と4年半一緒に働いている同じ課の同僚でも、ただの一度も私の家族や日本のことを気遣うような言葉を発してこない人もいます。朝、私の顔を見るたびに「何か新しい情報は?」と興味津々に訊いてくる人もいます。そういえば、週末にパートナーが一番仲のいい同僚と電話で話したとき、私はどうしているかとか、私の両親は無事かとか、一切聞かなかったそうです。パートナーがその理由を聞いたところ、なんと彼は「自分には関係ないから」と言ったらしいです。そして、もしドイツの他の州で同じような事故が起こってドイツ人が沢山死んだとしても、自分はなんとも思わないとうそぶいたそうです。もちろんドイツ人も皆が皆こんな人たちばかりではありませんが、こんな発言を聞くと本当に気が滅入ります。ただでさえ辛い時期なので、こういう人とはあまり関わりたくありません。もちろん、今寒い思いをして不安を抱えていらっしゃる被災地の方々に比べたら、こんなこと苦労のうちにも入りませんが、どうしても吐き出したくなってしまいました。ごめんなさい…。
2011年03月16日
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日本の東北関東大震災、こちらでも大ニュースになっています。ラジオでは毎時ニュースが流れるのですが、金曜日の朝から今まで常にトップニュースです。数週間前のニュージーランド地震は殆ど報道されなかったし、ドイツではこんなことはめったにありません。つまり、それほど被害が甚大だと言うことですよね。私は金曜日の朝、出勤時にいつも聴いているラジオのニュースで日本で大地震が起こったことを知りました。大きな地震が起こったときはこちらのニュースで流れることもあるのですが、普段は地域までは言ってくれないので、会社に着いてインターネットで確認するまでは分かりません。が、今回は東北地方が震源で、東京でも火災が起こり、空港も封鎖されているとのことでしたので、非常にびっくりしました。会社に着いてすぐにメールをチェックしたのですが、母と父からだけでなく誰からもメールがなく、現地の状況がわかりませんでした。それから何度となく会社の電話から電話をかけてみたのですが、全くつながりません。つながったと思っても話中のトーンになるか、NTTの「ただいま大変込み合っております」という自動案内音声に切り替わってしまうのです。父は携帯を持っていませんが母は持っているので、もちろん携帯にもメールを入れたのですがその返信もなし。母はほぼ毎日メールをくれるのにPCのアドレスにも一向にメールはなく、本当に気が気ではなかったです。母の家と実家と交互に何十回と電話をかけ、午後になってようやく母の家には2回だけ電話がつながりました。普段なら家にいる時間なのに留守電になっていて、これを聞いたら直ぐに連絡してほしいというメッセージを2回とも残したのですが、それでも音沙汰がなかったのでとても心配でした。父の方は午前中と変わりなく、いくらかけてもまったくつながらない状態でした。そんな状態でしたので、両親共に連絡がつくまでは家にいようかとも思いましたが、最終的には予定通り、2泊3日の指揮者ワークショップに参加してきました。3時半頃に会社を出て急いで帰宅してメールチェックをしたところ、父から無事を報告するメールが来ていたので、それで少しだけ気持ちが落ち着いたのです。それに、週末ずっと家にいても、TVやインターネットにかじりつき、むやみに不安になるだけで、何も手につかないと思ったので…。でも、私はノートPCもいわゆるスマホも持っていないので、合宿に出かけたら3日間オフラインになってしまいます。その間全く情報を得ることができなくなるため、母が無事かどうか確認する術もなかったので、正直かなり迷いました。それでも、結果的にはやはりワークショップに出向いたのは正解だったと思います。練習やワークショップの間は音楽に集中して余計な事を考えずに済みましたし、1人で悶々とする時間が無かったのは救いでした。今回は指揮者向けワークショップと言うことで、10人の参加者が実技を習うために入れ替わり立ち代り指揮をするため、私達も通常の合宿よりも短い休憩時間でかつ集中して演奏しなければならなかったのです。それも私にとっては不幸中の幸いでした。楽団のメンバーもとても親身になってくれ、優しい言葉を掛けてくれたり、携帯で最新情報を調べては私に知らせてくれたりしました。私はこの楽団のことをHPで見て知り、知り合いもいない状態で入団したのですが、今回の出来事でやっとメンバーの一員になれたような気がしました。また、土曜日の朝たまたま見かけた管理人さん(合宿施設の責任者?)の方に朝のニュースで日本について何か言っていなかったか聞いたところ、その方がとても親切で、後で今朝の新聞を届けてあげると言ってくださったのです。その後、朝食をとっていたら管理人さんが私のところに来て、階上にテレビがあるからいつでも見ていいよと申し出てくれました。さらに、その部屋にはPCも置いてあり、1度だけメールチェックをしてもいいですか?と訊ねたところ、そちらもいつでも使用してもいいと言ってくださいました。それで母からのメールを見ることができたのです。もし、この管理人さんがPCを使わせてくれなかったら日曜日の夜まで母の安否が分からず、テレビでニュースを見られなかったら日本の現状も全く分からず、3日間もっと辛かったと思います。正直、ドイツ人にこんなに親切にしてもらったのは初めてかもしれません。彼のご厚意には本当に感謝しています。そして、楽団の指揮者氏にはこの管理人さんの次くらいに助けてもらいました。特に何かをしてくれたと言うわけではないのですが、常にさりげなく気を配ってくれ、精神的にものすごく支えてくれたのです。おかげで音楽に集中することができ、1人でテレビのニュースを見ているとき以外は何事もなかったように振舞うことができました。今回のワークショップは金曜日の夜から日曜日の午後まで3日間びっしり行われ、その後夕方5時から参加者の成果をお披露目するための終了コンサートがありました。このコンサートが終わったのが7時半過ぎでしたので、それからアウトバーンを飛ばしても、帰宅は10時近くでした。軽くごはんを食べてからすぐに実家に電話をしたのですが留守電だったので、次に母の家にかけてみたらつながりました。もうすぐ停電になる予定であまり時間がないとのことでしたが、少しだけ話をしました。地震後、初めて声を聞けてやっと安心しました。というわけで、私にとっては非常にしんどい週末ではありましたが、管理人さんと指揮者氏、そして何人ものメンバーの優しさのおかげで乗り切ることが出来ました。月並みですが、音楽をやっていて本当に良かった、仲間ってやっぱりいいな、とつくづく思いました。さらに、金曜日にはあちこちから温かいメッセージやメールをもらいました。特にオケの団長さんが、今までそれほど親しく話をしたこともないのに、おそらくはニュースを聞いて直ぐ、とても真心のこもったメールをくれて、感激しました。しばらく経って、今度は教会の金管アンサンブルの世話役の人も、私や日本の家族の事を思いやったメールをくれました。また、普段めったにFacebookを使っていない私ですが、今回は地震の報せを受け、久しぶりに書き込みをしたところ、海外の色々な国にいる友人達が優しい言葉をかけてくれて、本当にありがたく、涙が出るくらい嬉しかったです。私の家族や親戚には特に被害はありませんでしたが、それでもとてもショックで辛い気持ちには変わりありません。初めてテレビで現地の映像を見たときは、これが本当に美しい自分の祖国かと目を疑うほどの惨状にショックで涙とふるえが止まりませんでした。遠くドイツに居て、何もできない自分を歯がゆく思ったりすることもありますが、私達は仲間を助けるために私達の出来ることからやっていきます。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方に心よりお見舞い申し上げます。被災地の皆さんが安心して眠れる日が一日も早く訪れますように。
2011年03月13日
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ここ2週間ほどの一番の懸念事項だったパート練習が無事に終わりました!はっきり言って、指揮者に「ワークショップ前にパート練習をすること!」と厳命されたときは、内心無理だと思っていました。そもそも、最低8人必要なのに、全回の練習に参加していたのはたったの3人。つまり、メンバー集めから始めなければならなかったのです。以前入っていた楽団の仲間、今入っている楽団の同僚、そして以前この楽団のコンサートに出演したことのある人達、この楽団の他のパートの人が紹介してくれた人達、ありとあらゆるひとにメールを送りました。が、私の知り合いからの返事はすべてNGで、それ以外の人達は返信すらくれませんでした。やっとメンバーが8人揃ったのはほんの1週間前(その後一人増えて9人になりましたが)。それからパート練習の日にちを確定すべく、今度は出欠確認のメールを送りましたが、これまたみなのレスポンスが遅く、なかなか決まりません。最終的に日にちが決まったのは水曜日、時間と場所をメンバーに連絡できたのは木曜日(つまり前日)でした。場所はパート練習参加6名のうち、半分のメンバーが住んでいる市に決めました。金曜日の18時半以降ならその市の音楽学校で確実に空いている部屋があるというのも決め手になりました。うちの楽団はプロジェクト楽団ということもあり、メンバーが住んでいる場所は本当にばらばらなので、こういうときは本当に大変なのです。一体どうなることかと思いましたが、出席メンバーはほぼ全員時間通りに集まってくれました。パートリーダーが住んでいるのは州外のかなり遠くの街なのですが、たまたま当日は有給を取って実家に帰っているとの事で、同じ州にある実家からの参加。それでも2時間半もかかってしまったとのことで、30分以上遅刻。私は距離的には80~90キロだったのですが、アウトバーンが混んでいて2時間。もう1人、別の州から来てくれたメンバーは1時間15分くらいかかったとのことでした。音楽学校の管理人(?)のおばさんが何度も様子を見に来て、早く施錠して帰宅したいようでしたが、頼み込んで20時15分まで練習させてもらいました。おかげで指揮者から指示されていた箇所は一通りさらえ、とても助かりました。やはりメンバーの半分以上がぶっつけ本番というのは怖すぎますので、ワークショップ前に練習できてよかったです。実現まではイライラしたり落ち込んだり、色々大変でしたが、無事に終えることができて、心底ほっとしましたし、達成感がありました。もし実現できなかったら、ワークショップを台無しにしてしまったかもしれないし、何より指揮者に合わせる顔がありませんでしたから…。本来のパートリーダーの彼はワークショップのとき、お礼に私にビールをおごってくれるとの事。そのとき、「次からはまたしっかりお願いね」と釘をさしておこうと思います。
2011年03月04日
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オケのパートリーダーから突然メールが届きました。次のコンサートで金管アンサンブルを披露するそうで、その楽譜とパート割りが送られてきたのです。トランペットは1~4番まであり、4番は私とごく最近入ってきた新しい子(私はまだ会った事がない)とで競わせ、どちらが本番で演奏するかは最終的に指揮者が決めるそうです。あ~、またこんなのか、と正直うんざりしています。このオケはもちろんアマチュアなので、とにかく来るものは拒まない主義です。トランペットは元々パートリーダーが1人だったところに指揮者が自分の教え子Jくんを助っ人として連れてきて、さらに他のメンバーがCくんと私をそれぞれほぼ同時期に連れてきて、去年からは4人体制でやっていました。が、コンサートの後に例のフリューゲルしか持っていない女の子Mさんが入ってきて、さらに先々週くらいにもう1人、Hさんという女の子が入団したそうです。というわけで、今は総勢6名の大所帯となってしまいました。オケの経験者ならご存知でしょうが、多くの管弦楽曲では必要なトランペットは2名のみ。大曲や金管が活躍する曲でも大体4人もいればOKなのです。いくらアマチュアとはいえ、どのパートもずっと『メンバー募集中!』でいいのでしょうか。トランペットが8人とか10人とかになってしまったら、一体どうするつもりなんでしょう?それはさておき、こちらのパート割りは大体どこも完全実力主義です。日本のやり方に慣れていると、ちょっと戸惑うこともあります。今まで入っていた楽団のパートの決め方を振り返ってみますと…。小学校:指揮者(先生)が決めていた中学校:Perc.(と一時Euph)担当だったので不明高校:パートリーダーが決めていたけれど、全員満遍なくどのパートも担当(学生なのでスタミナの問題かもしれませんが)日本の一般吹奏楽団1:忘れたけど、確かパートリーダーとメンバーで話し合って決めていた日本の一般吹奏楽団2:パートリーダーの独断、でも全員満遍なくどのパートも担当(こちらもおそらくスタミナの問題)ルクセンブルクの吹奏楽団: 指揮者が演奏する曲だけでなくパート割りまで決める。パートの混在はなし(新シーズンに練習に行くと、譜面台に各自の楽譜が用意して置いてあった)ドイツの吹奏楽団1:パートリーダーが決めるけれど、個人の希望なども聞いてくれ、ほぼ全員満遍なくどのパートも担当ドイツの吹奏楽団2:指揮者が決めたパート割りは不動(パートの混在はなし)というように、ヨーロッパの楽団では比較的パートをびしっと分けているところが多い気がします。日本は割りと平和主義というか、ソロはともかく、一応みんな満遍なくファーストを吹かせてもらえますよね。それに、奏者が同じレベルだったら、真面目に練習に来ている人、より努力している人を優遇してくれる気がします。もちろんアマチュアでもコンクールの全国大会常連とかになるとまた違うのでしょうが。オケに話を戻しますと、普段ほぼかかさず練習に参加しているのは私だけ、次に出席率がいいのはパートリーダーで、JくんとCくんは殆ど顔を出しません。が、Jくんはコンクールなどで活躍している超有望な若手奏者だし、Cくんもおそらくは元音大生かなにかなのでしょう。練習に来なくてもまるでお咎めはないし、常にソロや大役を任されています。つまり、私はこの楽団では常に4番手以降で、そのうちもっと上手い人が入ってくればまずソロやファーストが回ってくることはなくなるというわけです。ドイツではどの街にも音楽学校があり、小さな頃から楽器を学ぶ環境が整っているため、上手い人は本当に上手いです。普通の社会人でも学生の頃は州選抜オケで吹いていたとか、音大を目指していた人などがゴロゴロいます。なので、本当にしがないアマチュアである自分はみそっかすも良い所(もちろん楽団によって違いますが)。普段は何も思わず楽しくセカンドを吹いているのですが、曲によって完全降り番にさせられるのはやはり悔しいのです。前回の『トランペット吹きの休日』はソロを吹かせてもらったけれど、これからもっと人が増えればますます競争も激しくなるのは目に見えています。しかも、相手がJくんのようなめちゃくちゃ上手い人ならばもちろん納得ですが、同レベルの人が選ばれて自分が落とされるのはさすがにへこみます。新しく入ったHさんのレベルは知りませんが、アンサンブルの4番争い、今からものすご~く憂鬱です。争いごと嫌いだし、でもアンサンブルはやりたいし、困ったなぁ…。
2011年02月24日
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猫の日である本日、大好きなウィーンフィルを聴きに行って来ました。『このフレーズ、前にも書いたような気がする…』と思って確認しましたら、去年の猫の日にも確かにウィーンフィルのコンサートに出かけていた私。ウィーンフィルはこの日にドイツのNRW州に来るのが慣例なのでしょうか?あいにく先週ひいてしまった風邪がまだ治らず、体調不良。日曜日にタバコの煙をたっぷり吸ったのが良くなかったのか、気管支炎のような症状になってしまい、嫌な咳が出ます。しかも今日は気温が低く、夜に外出するのはあまり気が進まなかったのですが、自称ウィーンフィルのおっかけ、しかも演目が大好きなマーラーとあっては、行かないわけには行きません。今朝、ドイツ鉄道はストをしていたので、もしかしたらまだダイヤの乱れが残っているかもしれないと思い、かなり早めに家を出ました。ところが地元のトラムが遅れていて、余裕を持って乗ろうと思っていた近郊列車に乗れず…。これでは一体何のために早く出かけたんだかわかりません。幸い、次の列車はほぼ定刻に目的地に着いたため、コンサートには遅刻せずに済みました。今夜のプログラムはマーラーの「交響曲6番」のみなので、休憩がないのです。つまり、ちょっとでも遅刻したら最後、自分の席で聴くことは先ず不可能。ドイツの鉄道関係には毎回はらはらさせられます。今夜の指揮者はセミヨン・ビシュコフ氏です。実は私にとって彼はちょっぴりいわくつき。去年の6月、小澤征爾の指揮でベルリンフィルのコンサートが開催されるはずだったのですが、小澤氏の食道がん治療のため、公演がキャンセルになりました。そのコンサートを代理で振ることになったのがこのビシュコフ氏だったのです。が、私は当時師の名前すらろくにしらず、しかも演目もすべて変わってしまっていたので、そのコンサートに同じ代金を払うのがどうにも納得できませんでした。なので、その旨手紙に書いて、チケットを返却し、代金を返してもらった経緯があるのです。というわけで、彼の指揮は初めてでしたが、とっても分かりやすいですね。これなら私も一緒に演奏できそう…というしょうも無い感想しか抱けませんでした。すみません。マーラーの6番はマーラーの交響曲の中ではかなり人気がある方だと思いますが、私はどうもあまり…。もちろん、マーラーの交響曲は全て好きなのですが、私の中では6番はそれほど上位にはきません。色々な要素が詰め込まれすぎている感じがして、『ちょっと凝りすぎじゃない?』と思ってしまいます。おそらく、吹いている方は楽しいのかもしれませんが…。ということで、今回は正直、全身が打ち震えるような感動はなかったのですが、演奏はさすがでした。特にホルンとラッパの数々のソロがいつもながらとっても良かったです。ウィーンフィルの新しい首席ホルン奏者(多分)の方、特にファンと言うわけではないのですが、彼のソロが始まるといつの間にか力を入れて応援してしる私です。難しいと言われるウィンナーホルンなのに演奏がいつも安定していて、素晴らしくいい音ですよねぇ。去年が生誕150周年、今年が没後100周年という事で、ここ数ヶ月マーラーを聴く機会が多く、嬉しい限りです。今年のうちにどこかで1番好きな3番を生で聴ける事を切に願っています。
2011年02月22日
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今日は久しぶりにスタジアムでサッカーの試合を観戦してきました。以前、バイエルン州に住んでいた頃は時々地元チームの応援に行っていたのですが、しばらくブンデスリーガの試合は観に行っていなかったので、多分それ以来です。もしかして、15年ぶりくらい…?我が社はボルシアMGのスポンサーをしておりまして、その関係で試合のチケットが周ってくることがあります。毎シーズン、社内で5名に2枚ずつのホームの試合のチケットが当る社内抽選があり、今回それに当選しました。と言っても、私は1部と2部を行ったり来たりで、今回も1部リーグ最下位を突っ走っているボルシアのファンではありません。最近めっきり増えたブンデスリーガで活躍する日本人選手を間近で見るべく、相手チームに日本人選手がいる試合の抽選にだけ応募していたのです~。私が初めて当ったチケットは内田選手のいるシャルケ戦。一番生で見てみたかった香川選手は残念ながら怪我でチームを離脱中ですし、私の大好きな長谷部選手がいるヴォルフスブルクとの試合は今期は敵地。ということで、今シーズンに限って言えば、シャルケ戦はベストだったかもしれません。以前、このスタジアムで行われたコンサートに出かけて、渋滞に巻き込まれてひどい目に遭ったので、今日は時間に余裕を見てキックオフの2時間前に家を出ました。が、ちょうど流れたニュースでは、「ボルシア対シャルケの試合に向かう車で渋滞中」との情報が…!ボルシアは昔からの根強いファンが多いし、シャルケの地元も近くと言うことで、かなりのファンがスタジアムに向かっているようです。アウトバーンは思ったよりはスムーズに流れていて、駐車場までは1時間強で到着しました。が、そこからスタジアムまでは徒歩で15分くらい、私達の席への入り口はさらに反対側だったので、さらに5分くらい歩いたでしょうか。やっとの思いで席にたどり着いたのはキックオフの直前でした。それにしてもこの寒空の中、スタジアムは超満員!ボルシアはまだ今シーズンホームで一勝もしていないとあって、応援団も力が入ってます。ところが、開始から1分半でシャルケに先制点を許してしまい、シャルケの応援団が大盛り上がり。やはりリーグ最下位のチームとECLに出ているチームではお話にならないのかと思いきや、ボルシアがその10分後くらいに同点弾を決め、なんとその後に逆転しました。残念ながら後半はだらだらになってしまい、そのまま2対1でボルシアが今シーズンホーム初勝利をあげました。ボルシアファンは大声で歌って盛り上がっていましたが、シャルケは火曜日に試合があったので、きっとまだ疲れがあったのでしょう。お目当ての内田選手にもはらはらさせられっぱなしで、『これは!』というプレーを見ることはできませんでした。それにしても2月のナイター観戦は寒かったです。。。そして、周りの人のタバコの煙にすっかりやられ、喉は痛いし涙はぼろぼろ出るし、試合が終わる頃には頭痛までしてきました。特に私の隣の女性とその前に座っていた男性は2時間ず~っと吸いっぱなし。多分、二箱くらいは持ってきているんでしょうね…。ドイツのスタジアムは残念ながら禁煙ではないのです。以前は時々行っていたブンデスリーガ観戦から遠ざかったのは、これが原因だったんだと改めて気づかされました。スタジアムが全面禁煙になるまでは、やはりタバコ嫌いの私にはライブ観戦は難しそうです。雰囲気自体は決して嫌いではないし、最近は日本人選手も多いので、とても残念なんですけれど。
2011年02月20日
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今日は私にとっては2週間ぶりのオケの練習でした。先週は吹奏楽団の合宿があったので、オケの方は欠席したのです。今回も次の演奏会のメインである『展覧会の絵』を練習しました。本日のトランペットパートは久しぶりに出席率がよく、総勢4名。と言っても、そのうち1人はフリューゲル(しかも音を出さない)なので数に入れられないですが…。『展覧会の絵』の練習が始まって以来、初めて全パートが揃いました。が、3本のトランペットのうち、ロータリーはセカンド担当の私1人。ファースト(パートリーダー)もサードもピストン式を吹いているのです。パートリーダーは去年のコンサートのときロータリーを吹いていたので、てっきり両方持っているのかと思ったら、それは借り物だったのだとか。『キエフの大門』の練習を始めてしばらくすると、弦楽器奏者が弦を切った奏者にやるように、トランペットが前の方から後ろへやってくるではないですか。このオケの指揮者はトランペット奏者なのですが、ファーストがピストン式を吹いているのに耐えられなくなったようで、自分のロータリーをファースト奏者に廻してきたのでした。「せめてファーストとセカンドだけでもロータリーで揃えてくれ」と言うことらしいです。そもそも、私がロータリーの購入を考え始めたのは、プロジェクト吹奏楽団で初めてコンサートに出演したときです。その日、トランペットパートは8名いたのですが、なんと私を除く7名が全員ロータリーを吹いていました。それを見て衝撃を受け、私もロータリーを買ってパートで統一した方がいいのでは?と思ったのがきっかけです。その後、複数のらっぱ吹きの先輩方にアドバイスをいただき、色々考えた結果、慣れないロータリーを無理して買うよりはピストン式を買い換えたた方がいいのではという結論に達しました。が、今度はドイツではピストン式の品揃えが豊富な店がないという事実に直面します。そのうちオランダの楽器店に行こうと思っているうちに時間が経ち、結局身近なところに中古のロータリーを持っている人がいて、その人から買い受けることとなりました。始めのうちは左手が痛くてたまらず苦労したロータリーも、今ではすっかりお気に入りです。楽団や演奏する曲によって使い分けようと思っていたはずなのに、もっぱらロータリーばかり吹いています。私にとっては相性が良かったようで、以前より調子の波がなくなりましたし、音をコントロールしやすくなりました。それにしても、普通は逆ですよね。日本の常識だと、オケはロータリーで揃え、吹奏楽はピストンで揃えるところが多いと思います。我がオケの指揮者もよほどショックだったらしく「君達にはグループセラピーが必要だ」と嘆き悲しんでおりました。が、私は来週の練習にはロータリーとピストンの両方を持って行くことにしました。ファーストからサードまで全員ピストン式で揃え、ちょっと指揮者に意地悪してやれ~という魂胆なのです。彼がどんな顔をするか、今から楽しみです。
2011年02月19日
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土曜日にD市へよく買い出し行く駐在員のMさんから、最近書店の前で日本のケーキを売っていると聞きました。私は間食する習慣もないし、甘いものもめったに食べませんが、日本のケーキなら話は別。年に数回、無性に食べたくなるのです。が、ちょうど日本に滞在している間に食べたくなることはほぼ皆無で、大体帰ってきてから後悔する羽目に…。他の駐在員さんからも買ってみたらおいしかったと聞き、俄然食べてみたくなりました。が、私は土曜日はオケの練習があるし、なかなかD市に行くチャンスがありません。Mさんに「今度行ったら、チラシをもらってきてください」と頼んだところ、ちゃんと持ってきてくださいました。それによると、なんとその洋菓子屋さんの所在地は我が社の割と近く。いつオープンしたのか分かりませんが、全く知りませんでした。これは会社帰りに寄り道して買って帰るしかない!と思ったのですが、Mさんいわく、「お店に直接来てもらっても、お目当ての品物があるか分からない」と言われたのだとか。来店する人が少ないので、毎日すべての商品を作ってはいないみたいです。すると今度は別の駐在員Tさんが会社の掲示板に張ってあったお弁当のチラシを見つけました。5個以上は無料で配達してくれるとあります。でもって、このお弁当サービス、なんと前述の洋菓子屋さんがやっていらっしゃるのでした。食堂のドイツご飯に飽きていた私達は1度頼んでみようと盛り上がり、早速電話で問い合わせてみました。すると注文は前日までにとのことでしたので、各自その場で食べたいものを決め、昼食後にまた電話して早速注文。そして本日、そのお弁当の試食大会となりました。今回頼んだのは鳥照り焼き弁当、鳥から揚げ弁当、焼肉弁当。値段は全て8~10ユーロです。副菜がちょっと少ない気もしますが、この値段なら十分許せる量と味でした。うちの社員食堂は毎日メニューが3種類あり、大体毎日「まあこれならいいか…」と言うものが1つはあるのですが、たまに「今日は食べたいものがない」という日もあります。そういう時、これからはここのお弁当を頼もうと話がまとまりました。ただ、心配なのは次回注文するときまでにお店が存続しているかということ。メインの洋菓子は土曜日に行商しなければならないほどお客が少ないようですし、うちの会社の周りにはそれほど沢山日本企業があるわけではないので、お弁当サービスの方も大繁盛とは行かないと思うのです。『うちの会社だけが常連になっても、やっていけないかも…』と考えるのは余計なお世話でしょうか。それにしても、お弁当を前日までに頼む必要があるということは、おそらく注文があってから材料を仕入れていると言うこと。「明日の日替わり、何ですか?」と聞いてみたら、逆に「何が食べたいですか?」と聞かれるのではというのが私達のもっぱらの予想です(苦笑)。
2011年02月18日
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ウィルス性胃腸炎になり、なんとか普通に食事が取れるまで10日ほどもかかりましたが、楽団の合宿には間に合って、ほっとしていました。が、喜んだのもつかの間、今度は久々に風邪をひいてしまいました…。胃腸炎のときにほぼ1週間殆ど何も食べられなかったので、栄養が十分に取れていなかったのだと思います。その後、合宿では朝から晩まで1日中楽器を吹いて、夜はあまりよく眠れず、帰ってきてからは月曜日に会社の来年度の経営方針発表会(午後1時から5時まで)、そして夜に決起コンパと、この日も帰りが遅かったのであまり寝られませんでした。栄養の偏りと睡眠不足がたたったのですね。喉の痛みから始まり、くしゃみ、鼻水、頭痛、発熱と王道コースです。どれも欠勤しなければならないほどひどくはないのですが、仕事中にくしゃみが連続で出たり、何度も鼻をかまなければならなかったり。うっとうしいことこの上ないです。今度の土曜日は昼間にオケの練習もあるし、夜は今月で退社される日本人社員の方の送別会があります。それまでにはなんとか治るといいのですが…。今は他にもパートナーの実家の問題(私は静観しているだけですが)もあるし、楽団のパート編成の問題もあって、精神的にもちょっと疲れているのかもしれません。前回のブログでも触れましたが、プロジェクト吹奏楽団の方は私が入団してからずっとトランペットパートは人数が足りず、本番の前になると毎回大騒ぎなのです。もちろんパートリーダーはいるのですが、その人が去年転職し、また最近引っ越をしたそうで、ものすごく忙しいと言ってやるべき事をちゃんとやってくれません。この間の練習のときに聞いたら、新しく入るアパートのリノベーションもしなければならないし、仕事で出張も多くてメールも毎日は見られないとのことなので、私にできることは全力でサポートするからと言いました。彼にすべて任せていたらちっとも進まないので、まあ見るに見かねて、です。そのため、最近は自分の知り合いのトランペット奏者や今までのコンサートに出演したメンバーなど、あちこちにメールを送りまくっています。まだ3~4人足らないのですが、本番までに頭数をそろえるだけでなく、その前に一度必ずパート練習をするようにと指揮者からきつ~く言われているのです。それはそうですよね。パートの半分以上の人が当日(指揮者用ワークショップ)ぶっつけ本番では、まともに演奏するのは無理に決まっていますから…。でも、皆住んでいる所もばらばらで、それぞれ仕事や学校で忙しいのに、みんなが空いている日を見つけ、トランペットを練習できるような場所を見つけるなんて、想像しただけで頭が痛いです。正直、ほぼ不可能に思われるのですが、でも私達がちゃんと練習しておかなければせっかくのワークショップをぶち壊しにしてしまうし…。そのことが気がかりで、ここ数日どうにも落ち着きません。というわけで、早く風邪を治そうと躍起になって、軽く夕食を食べたら風邪薬を飲んで、すぐにベッドに入る日々です。が、ベッドに入ってもパートのことが気になって、「誰かから返信が来ているかも…」と起き出してメールチェックをする始末。これでは治るものも治りませんよね…。早く心身ともにすっきりしたいものです。
2011年02月16日
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せっかくの三連休なのに、日本は各地で雪模様のようですね。私も今週末は自主三連休。例によって、昨年末に去年の有給の残りを日本の祝日に申請しておいたからです。この週末から吹奏楽団の新しいフェーズが始まります。この団体は1年に2フェーズ(各フェーズにつき、週末合宿が2回)が基本なのです。今回は3月に行われる指揮者ワークショップのための準備になります。演奏する5曲のうち、4曲が新曲。しかも、らっぱはきつい曲が多くて、かなり大変そう…。今回の合宿にはトランペットは4名参加予定です。これは本当にぎりぎりの人数。曲によってはトランペットとコルネットが分かれているため、全然足りません。しかも、次回の練習(つまりワークショップ本番)にはこの4名のうち2名が出席不可のようです。こんなんで大丈夫なんでしょうか?フェーズ中どちらか片方の練習だけでも出られない場合は、そのフェーズ自体を欠席するのが本来のルールなのですが、うちのパートはそうも言っていられません。なにせ、今現在の固定メンバーが2名しかいないのですから。でも、今回の練習に出られない人にワークショップの応援を頼んでも、ぶっつけ本番になるわけですから、これはこれでまた心配…。ワークショップの最終日にはお披露目コンサートもあるのです。こういうメンバーの出欠関係の問題って、毎週練習している一般の楽団の人もきっと頭を悩ませていますよね。でも、プロジェクト楽団ということはつまり「プロジェクトごとに集まる=毎回メンバーが違う」ということもありえるわけで、本当に大変なのです。フェーズのたびに人数の足りないパートはみんなに声をかけて、知り合いを引っ張ってきてもらわなければならないからです。私の本音としては練習回数をもっと増やして、プロジェクト楽団から普通の一般楽団にしてほしい。さらに可能ならば、固定メンバーで練習できるようにしてほしいです。この楽団自体は大好きなのですが、毎回『今回トランペット人数足りるのかなぁ、一人だけだったらどうしよう?』と不安に思いながら練習に参加するのもしんどいものなのです。。。とりあえず今年の初練習、がんばってきます!
2011年02月11日
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この2年ばかり全く病欠をしていなかったのに(つまり、昨年は皆勤賞)、ついに会社を休んでしまいました。しかも、火・木・金と3日間も…。月曜日の夜、夕食後に急に気分が悪くなり、その夜は一晩中嘔吐し続けたのです。横になっても気持ちが悪くて眠ることすら出来ず、ほぼ一睡もせずに夜が明けました。火曜日は嘔吐がおさまったと思ったら、今度はひどい下痢と発熱・悪寒。起き上がるとふらふらで、まともに歩くことも出来ないので医者にも行かれず、1日寝込んでおりました。水曜日はその日が締め切りの案件があり、どうにも気になっていたので、多少体調が悪くても出社するつもりでした。幸い、前日よりは大分マシになっていましたので、シャワーを浴びていつもどおり出かけることが出来ました。その日締め切りの案件と、他にも気になっていた仕事も片付け、ほっと一安心。が、駐在員さんに「医者に行くべき」と強く言われたので、かかりつけの医者に予約を入れました。持病の薬の処方箋などを取りに行くときに便利なので、会社の近くの医院をかかりつけにしているのです。10時半ごろ会社を抜け出して病院に行きましたが、やはり丸一日何も食べていないせいかふらつくし、とにかく体が異常にだるく、診察を待っている間もどんどん具合が悪くなってきました。診察の結果、診断は『ウィルス性胃腸炎』で、今この辺りではとてもはやっているそうです。生牡蠣を食べてほぼ24時間後に発症したので、私はノロを疑っていたのですが、何のウィルスかは特に調べないんですね。人に移るから2~3日は家にいるようにとの事で、木・金と自宅療養になりました。会社の人うつったら大変なので、やはり念のため診てもらって正解でした。発熱、腹痛用の薬と、嘔吐や吐き気用の薬を出してもらい、帰宅してゆっくり眠りました。翌日になったら嘔吐も下痢もおさまり、体調もかなり良くなってきて、この分なら週末はもうすっかり元気になるだろうと思って喜んでいたところ、思わぬ落とし穴が。診察のとき、先生には「しばらく何も食べないこと。食べていいのはSalzstangen(油で揚げていないプリッツのようなもの)とZwieback(いわゆるラスク)だけ」と言われていたのですが、その日はもう大分調子が良かったのです。それで、特に辛いものや脂っこいものでなければ大丈夫だろうと思い、パートナーと同じ食事(パンとポタージュスープ)をいただいてしまいました。これがどうやら大失敗だったようで、それ以降胃が痛くて痛くてたまりません。まあ、先生の言うことを聞かず、勝手にさっさと普通食にしてしまったので、自業自得ではあるのですが。結果、良くなっていた体調は逆戻りしてしまい、今日は胃痛と吐き気に苦しめられ、またしても丸1日ベッドで過ごしました。スープってそんなに消化が悪いのでしょうか?(<しゃれではありませぬ!)中にひき肉が入っていたのがよくなかったのかなあ…。というわけで、明日はずいぶん前から約束していた新年会なのですが、それもキャンセルする羽目になってしまいました。食べに行くのが魚介類なので、スープで具合が悪くなっているようでは、とても無理だと判断しました。レストランへ出向くこと自体は問題がなさそうなので、私だけ何も食べず、残りのメンバーには普通にお食事してもらうことも考えたのですが、やはりそれでは向こうも気を使いますよね。それに、万が一まだウィルスが残っていて、皆さんに移してしまっては大変ですし。せっかく小旅行で気分転換してきたのに、踏んだりけったりの週になってしまいました。それもこれも、ルクセンブルクで買ってきた生牡蠣を調子に乗って食べ過ぎたのがいけなかったのか、それとも単にどこかで胃腸風邪のウィルスをもらってきてしまっただけなのか…。牡蠣は今後も食べたいので(多分。今はさすがに食べたくないけど)、後者が正解ということにしておきたいと思います。
2011年02月04日
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私の故郷はもちろん日本ですが、7年間を過ごしたアメリカは第二の故郷です。そして、その数年後に骨を埋める覚悟で日本から転居したルクセンブルクは私にとっては第三の故郷です。たとえ、その1年後に部署の移転により、引越しを余儀なくされたとしても…。「あなたの第三の故郷はドイツじゃないの」という突っ込みはご遠慮ください(笑)。その第三の故郷を数年ぶりに訪ねてきました。車で3時間ほどの距離なので、思い立って週末にでも遊びに行かれる距離ではあるのですが、なかなか重い腰が上がりませんでした。昔勤めていた日系企業の駐在員さんがすでに皆帰国されてしまい、訪ねていく機会がなくなってしまったからです。が、パートナーは以前2回ほど連れて行ったポルトガルレストランの大ファン。事あるごとにそのレストランの海老が食べたいと言っていたので、久しぶりに出向くことにしました。ただ、問題はこのレストランの名前が分からず、場所もうろ覚えだと言うこと。インターネットで検索し、多分ここだろうというお店を見つけたので、そこへ行ってみました。ところが、住所を頼りに着いたお店は今まで見たこともないレストラン。そのままそこでディナーを食べるか、以前の行きつけのお店を探してうろうろするか、どっちにする?と相談したところ、「もう来ちゃっただからこのお店にしよう。ここも同じくらいおいしいかもしれないし」とパートナーが言ってくれたので、『当り』である事を期待して、このお店に入りました。が、結果的にはこの決断は失敗でした…。行きつけのお店で毎回食べていた料理と同じと思って頼んだ料理は間違っていたし、付け合せのサラダにはドレッシングも何もかかっていなかったし、がっかり。普段デザートを食べない私がなぜか気が向いて頼んだフラン(いわゆるプリン)のみが合格点でした。せっかく遠くからおいしいものを食べるためにわざわざ来たのに…と落ち込みましたが、仕方ありません。次回来るときは、必ず長くこちらに住んでいた駐在員さんにお店の名前をしっかり聞いてから来ようと心に誓いました。翌日はホテルの朝食をゆっくり堪能しました。さすが四つ星だけあって、ビュッフェが充実しています。私はフランス語圏のパンが好きなので、つい食べ過ぎてしまいました。昨夜のリベンジとして、ランチはおいしいものをがっつり食べてから帰りたかったのですが、これでは無理かも…。ホテルを10時半ごろにチェックアウトし、先ず向かったのは住んでいる頃にしょっちゅう来ていたショッピングセンターです。腹ごなしと称してここでぶらぶらし、私はセールのお洋服をちょっとだけ購入。パートナーはかなり退屈していたようで、後半は私を置いて一人でMacセンターへ入り浸っていました。その後、いわゆるダウンタウンへ行き、ここでもウィンドウショッピング。以前猫の形をした足拭きマットを購入したお気に入りのインテリアのお店を覗いたら、残念ながら閉店するようでセールをやっていたので、テーブルクロスを買いました。さらに、有名なチョコレートのお店でケーキを買おうとしたのですが、あまり長時間持ちて歩かない方がいいだろうと思い、ランチの後に出直すことに。ぶらぶらしてやっと少しおなかが空いてきたので、昼食をとることにしました。パートナーが牡蠣を食べたいというので、以前楽団の仲間に教えてもらったシーフードレストランへ。本当は久しぶりにイタリアンでも食べに行きたいところだったんですが…。この国はフレンチはもちろん、イタリアンもかなり高レベルなんです。フランス系のシーフードレストランで、前菜に生牡蠣、メインにパートナーはグリルシーフード盛り合わせ、私は自家製フィッシュスープを頼みました。どれもとてもおいしくて、大満足。やっとのことで「ここまで来た甲斐があった!」と思える食事が出来ました。最後にスーパーマーケットに寄り、ドイツで買えないものを買い込んできました。チーズは今しか手に入らないモンドールチーズに、私達の大好物のロックフォール、そしてラクレット用チーズ。これは3種類の味のチーズが入っているのがめずらしく、お試しで買ってみました。それともちろん牡蠣を1箱、そしてベルギーのチェリービールにヒューガルテンなどなど。しばらくは自宅でリッチなディナーが楽しめそうです!
2011年01月29日
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今年2011年はドイツ(正確にはプロイセン)が日本と通称・友好条約を結んで150周年の記念の年です。そのため、ドイツ各地で様々なイベントが予定されています。日本でのオープニングセレモニーには皇太子様が出席されたようですね。ドイツでも先日ベルリンでオープニングセレモニーが行われ、それと同時にお能のドイツツアーが始まりました。ドイツの「リトルジャパン」、デュッセルドルフ市の公演はツアー最終日。去年、社内メールで本公演の事を知り、直ぐにチケットを申し込みました。お能は大昔に日本で1度観たきりです。初めて観劇したものの、せりふは分からないし、動作も最小限だし、あまり面白くないなあと思い、その後遠ざかっていました。が、成田美名子氏という漫画家さんがお能についての漫画を描き始め、それを読んでから面白さが分かってきました。今回の演目は『船弁慶』でした。あらすじが分からないと楽しめないと分かっていたので予習したところ、物悲しく静かな前半と荒々しい後半の2種類の舞台が楽しめる作品との事。お能は主役(シテ)が1人なので、前半の静御前と後半の平知盛の幽霊の両方を演じるわけで、これはかなり大変そうです。ちょうどデュッセルドルフで大きな展示会が開催中のためか、道路がかなり混んでいて、私達が会場に着いたのは開演時間ぎりぎりでした。フランスでは日本文化を敬愛している人がとても多いのですが、ドイツでお能ってどうなんだろう?と内心心配していたところ、会場はほぼ満席。日本人よりもドイツ人が断然多く、嬉しくなりました。(<後で分かったのですが、どうやら殆どが招待客だったようです…。それでもちゃんと足を運んでくれたのは嬉しいですが。)開演前にデュッセルドルフ日本総領事館の総領事やデュッセルドルフ市長など、来賓のご挨拶がありました。さらに、金春流の方々によるお能の楽しみ方、『船弁慶』のあらすじの説明などがあり、これはとても良かったと思います。特にお能を初めて観る人にはかなり観劇の助けになったのではないでしょうか。さらに上演中もドイツ語字幕が出たので、初歌舞伎では寝てしまった我がパートナーも今回は楽しめたようです。2時間近くたっぷり日本文化を楽しみ、満足して会場を後にしました。観劇前に夕食を食べる時間が無かったので、その足でレストランを求めてうろうろ。私的にはお蕎麦屋さんで日本酒の気分でしたが、終演が10時近くと遅かったので、断念。パートナーが食べたいと言うので、お寿司にしました。と言っても、ちゃんとした和食店ではなく、ファストフードのようなお店。握っているのも日本人ではないようでしたが、お味の方まあまあ…。でも、お値段はほぼレストラン並だったので、もう行かないかな。お能を見て、キ○ンビールを飲んで、お寿司を食べて、日本を満喫した夜でした。
2011年01月27日
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今年前半は新商品の発売が目白押しなので、かなり忙しくなると覚悟していました。が、今月は思ったほど仕事が忙しくなくて、がっかりというか、拍子抜けです。多分そのせいもあるのでしょうが、周りの同僚の言動にイライラしてばかりいる今日この頃。それにしても何で彼らってこんなにいい加減なんだろう…。たとえば、私のセクションの同僚は二人ともタバコを吸うのですが、我が社はタバコ休憩に行く時もタイムカードを押す決まりです。が、彼らはこれをほぼ毎回無視していて、おまけに1度の休憩が20~30分なんてことがしょっちゅう。うちの会社の実働時間は1日7.5時間ですが、彼らはそのうち2~3時間は確実に休憩していますね。そもそも最低限のルールを守れないなんて社会人失格だと思うのですが、単に私がバカ正直すぎるのでしょうか?明日は、去年の有給消化で1日お休みです。気分転換に、急遽以前住んでいた隣国へ一泊で遊びに行くことにしました。しばらく行っていなかったので、5~6年ぶりでしょうか?平日はビジネスマンで一杯の某四つ星ホテルが週末は3分の1の値段(しかも朝食ビュッフェ込み!)で泊まれることを発見し、早速予約しました。今回の小旅行はおいしいものを食べるのが一番の目的です。この国ではフレンチ、イタリアンを始め、何を食べてもおいしいのです。強いて言えば、味付けはフランス風、量はドイツ風という感じです。もちろんスーパーでの買い出しも欠かせません。ドイツでは買えないようなチーズやシャンパンなどを仕入れてきます。あとは冬物のセールはまだやっているかわかりませんが、見る時間があればちょっと見て…という感じです。明日は以前所属していた楽団の定例練習日ですが、顔は出しません。ディナーをゆっくり食べる時間がなくなってしまうし、何よりこの楽団にはできれば二度と会いたくない人が約一名いるので。この人が練習に来ないと分かっていれば、楽器を持って行って久しぶりに昔の仲間と一緒に演奏したい気持ちはあるんですけど…。でも、こういうのってすごく残念ですよね。おかげで他の大勢の会いたい人にも会えないわけですし。ちょっと早いですが、皆さんもどうぞ良い週末をお過ごしください。
2011年01月27日
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今日は元々はどこにも出かける予定はなかったのですが、またしてもコンサートを聴きに行ってきました。隣町の音楽大学の英国式ブラスバンドのコンサートです。以前某国の吹奏楽団で一緒に吹いていた男の子Pくんがその後イギリスに留学し、有名なブラスバンドのメンバーになりました。そのPくんから去年、1月22日に私の住んでいる市の隣町でコンサートをすると聞いていたのです。それで、その音楽大学のホームページ等、インターネットであちこち調べてみたものの、その日に該当するコンサートは見つからず。結局あきらめて、マーラーの7番を聴きに行くためにコンセルトヘボウのチケットを購入してしまいました(詳しくはこちら)。ところが土曜日の晩、私が電車でケルンに向かっている最中にオケの友人から電話がありました。コンサートホールに着いたので携帯の電源を切ろうとして、初めて気づいたのです。メッセージを聞いてみたところ、その私の知り合いPくんが出るコンサートのチケットが1枚余っているけど行かない?という内容。もうちょっと早く言ってくれたらなぁがっかりしていたら、その友人が翌日私の住む町でもコンサートがあると教えてくれたというわけです。彼いわく、Pくんがまた出演するかどうか分からないけど…とのことでしたが、ブラスバンドは元々好きなので、出かけてきました。結局Pくんと直接話すことはかないませんでしたが、ステージ上には他の知り合いもちらほら。ここ2年くらい、こういうことが続いています。音楽好きな人って、自分から色々手を広げていたり、他の団から助っ人を頼まれたりするので、あちこちで鉢合わせするんですよね(苦笑)。それにしても、ドイツにおけるブラスバンドの普及率は目覚しいものがあります。私が以前ブラスバンドに所属していた頃は、ドイツでまともに活動しているバンドは確か他に2~3団体あるだけという話でした。ところがここ5年くらいでその数は一気に増えたらしく、最近はドイツチャンピオンシップ(コンクール)まで行われています。ドイツではフリューゲルホルンよりもはるかにマイナーだったコルネットの売上、この分では急上昇しているのではないでしょうか。私もまたブラスバンドを再開したいところですが、どの団体も練習場所が遠いので、今は時間的にちょっと無理そうです。今回コンサートを聴きに行ったバンドが家から一番近いのですが、残念ながらこのバンドはこの音大の学生しかメンバーになれません。もっともっとブラスバンドがメジャーになって、ご近所にも団体ができるまで待つことにします。
2011年01月23日
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2011年最初のコンサートはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団です。去年初めて生で演奏を聴き、かなり気に入りました。今現在の私の三大お気に入りオーケストラは、1位ウィーンフィル、2位がこのロイヤルコンセルトヘボウ、そして3位がゲヴァントハウス、となっています。今回のコンサートはケルンのコンサートホールで開催されましたが、公共交通機関の料金がチケットに含まれていました。これは新しく始まったサービスで、インターネットでチケットを申し込み、自分でプリントアウトする場合、このスペシャル切符も申し込み、コンサート前にプリントアウトできるシステムなのです。飛行機のチケットですらもEチケットの時代だし、まさにこんなサービスを待っていました。私は以前からインターネットでチケットを購入しているのですが、チケット代の他に毎回、発行手数料と郵送料を取られます。ドイツの郵便局はあまり信用ならんので、念のために保険をかけると、さらに保険代も上乗せされます(<私はかけたことありませんけど)。これが結構馬鹿にならない金額になるんですよね~。さらにケルンまで電車で行くとなると、かなりの額の電車賃が必要になります。大体、コンサートのチケットには「なるべく公共交通機関をご利用ください」と書いてあり、そのコンサートが開催されるエリア内であれば無料で移動できるようになっています。が、ケルンの場合、私の住んでいるエリアとは違う鉄道会社の管轄になるため、ほぼ全額の電車賃が必要になってしまうのです。今まではそれがちょっとネックなっていましたが、その心配もなくなり、これからはケルンまで出向く事が増えるかもしれません。本日の指揮者はピエール・ブーレーズ氏でした。プログラムを購入するまで正確な年齢は知らなかったのですが、なんと御年85歳。指揮者は長く活躍される方が多いですね。日本を代表する世界の小澤氏も、早く腰の持病を完治されて、また素晴らしい演奏を聴かせてていただきたいものです。そして本日のプログラムは、アントン・ヴェールベンの『管弦楽のための6つの小品』とマーラーの『交響曲第7番』です。もちろん、マーラー大好きな私は7番を目当てに出かけていったわけですが、ヴェールベンという作曲家の作品は初めてでした。短い曲で、「う~ん」と思っているうちに終わってしまいましたが、悪くはなかったです。でも、かなりモダンな感じの作風でした。そしてそして、コンセルトヘボウのトランペット軍は今日も全員ピストン式でした。これって何か理由があるのでしょうか?ドイツに対する何らかの確執があって、ドイツ式(ロータリー式)は使わない伝統とか…。そういえば、うちの会社はオランダに本社があった某コピー会社と、ドイツに本社があった某プリンター会社が合併してできたのですが、ドイツ人とオランダ人は常に張り合っており、あまり仲がよろしくないのです。もしかすると、オランダとドイツの間には深くてくら~い溝があるのかもしれません。閑話休題。コンセルトヘボウのメンバーはマーラーとなると途端に生き生きしますね。「マーラーならまかしとけ」という自負が全身から滲み出ているかのよう。前回聞いた5番に負けず劣らず、素晴らしい演奏でした。次はコンセルトヘボウで私の一番好きな3番を聴いてみたいです。そしてブーレーズ氏の指揮もさすが大御所の貫禄でした。最初からずっと眠そうな感じで表情が全く変わらなかったのですが、休憩無しで2曲連続です。さすがに演奏時間が1時間を越えたあたりから、疲れが出てくるのではと内心心配していました。ところが、最終楽章の前、表情がきりっと引き締まり、あきらかに顔つきが変わったのです。最後の音がびしっときまった直後「ヴラウボオ」の大声が二階席から飛びました。『ちょっと早すぎでは…』と思っていたら、ブーレーズ氏も思わず苦笑、でした。このコンサートホールは出入りの際に階段を上り下りしなければならず、アンコールのとき氏は「疲れるから(多分)」と階段を上るのを省略していたのがおちゃめでした。なにせ85歳というご高齢ですからね…。今年5月にもケルンに再登場されるようですが、お体を大切にしてほしいです。
2011年01月22日
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夕方帰宅したら、今長い休暇中のパートナーがなぜか留守。今朝は早く起きて仕事していたので、客先にでも行ったのだろうと思っていました。彼の場合、自営業のような仕事なので、有給中でもちょっとした仕事を片付けなければならないことはよくあるのです。しばらくして帰ってきた彼に聞くと、お父さんの所へ行っていたとの事。なんと、義父と叔母の家にお邪魔して一緒に朝食を食べ、その後二人でデパートにも行き、さらに今まで実家で二人きりで話をしていたそうです。ということは、ほぼ丸1日義父と過ごしていたんですね…。今この時期に話すことと言えば、実家の相続問題しかありません。日曜日の話し合いを前に、叔母に助言でもしてもらって、方針の相談(密談?)でもしていたのかと思いきや、次の瞬間、私は自分の耳を疑いました。彼はなんと「家は売りに出すことに決めたから」とはっきり言ったのです。私にとってはこんな展開は予想だにしていなかったこと。思わず本当に本心なのか、お父さんも納得しているのかと問い正してしまいました。だって、今まではパートナーは何が何でも実家に引っ越したいものだとばかり思っていたので、もしかしたら、私が罪悪感を感じるようにわざと逆のことを言っているのかも?と疑ってしまったのです。義父と色々じっくり話して、家そのものだけを見ただけでは決められないと思ったそうです。つまり、彼は単純に一軒家の方が今のアパートより広くていいと思ったようなのですが、その立地条件も吟味した結果、やはり今のアパートの方が良いという結論に達したとのこと。たとえば、うちの目の前の道路は行き止まりなので、住民の車しか入ってきません。住んでいるのもほとんどがお年寄りばかりなので、常にとても静か。が、実家の方は近くに団地のような大型住宅があることもあり、かなり車が行き来します。また、アウトバーンがかなり近いので、その音も聞こえるそうです。たとえば今のアパートのガレージは広くて、パートナーの仕事関係の備品置き場になっています。彼の車はガレージ前のスペースに止められるし、私の車は路上駐車ですが、車を止める場所がなくてうろうろすると言うことは全くありません。が、実家の方はガレージはあるものの車1台入れるのがやっとで、備品等を置くスペースはありません。また、私の車を止める場所がないので、市に届けを出して玄関脇のスペースを駐車スペースとして工事する必要があるとの事です。また、我が家はバスタブがないので、ここに住み続けるならばバスタブを入れる工事が必要です。実家の方はすでにバスタブはあるのですが、さすがに20年近くたっているので、バスルーム自体の修復工事が必要だそうです。キッチンも購入して15~20年経っているので、そろそろ買い替える必要があるでしょう。ということで、一軒家=広くて住みやすいと思っていたパートナーも、あれこれ細かい点を見ていったら、今の家の方が暮らしやすいと言う結論に達したようです。さらに驚いたことに、義父はパートナーに家をあげるつもりはなく、買ってもらいたいと思っていたという事実が判明しました。私はてっきり、義父は実家を生前贈与したがっている、すなわちパートナーはただで一軒家をもらえるのだとばかり思っていました。義父が私達に家に入ってほしいと言っていたのは、つまりパートナーに家を買い取ってほしいと言うことだったのです。それで不動産もまとまったお金もない妹さんは最初から除外されていたのね…。つまり、私達はもし実家に入るとなったら、今住んでいるアパートを残っているローンごと売り、手に入れたお金で実家を購入しなおさなければならなかったわけです。ということは、たとえ実家に引っ越してもローンはしっかり残るわけで、それって私達にメリットはあるんでしょうか???しかも、バスルームの修理費やらキッチン、家具等を新たに購入しなければならないことを考えたら、ますますメリットはない気がします。義父は家の価値を15万ユーロと考えており、家を売ったら10万を自分の取り分にしたいそうです。これから入居する高齢者用共同住宅はフルサービスではないので、家賃は普通の賃貸住宅とほとんど変わりありません。義父の年金でも十分支払えるはずです。が、もしかしたら将来完全看護が必要になる状況になる可能性もあるわけで、そのときに備えてまとまったお金を残しておきたいと言うことらしいです。言い換えれば、義父は自分の手元にお金が残りさえすれば、家を購入するのは誰でも良かったわけですね。もしも購入者が私達であれば、ついでにお母さんの遺志も尊重できたというだけ。そして、時々は家に遊びに来させてほしいと言っていた叔母さんや妹さんの願いもかなえられ、一石二鳥だっただけ。よくよく考えると、彼らは私に「引っ越すのは絶対にいや!」とはっきり言ってほしかったのではないかと言う気がしてきました。二人ともお母さんが死ぬ間際までこだわっていた家を手放すことに罪悪感を感じていて、売りに出そうと言い出せなかったのではないでしょうか?ところが、私が一貫して「公共交通機関のないところには絶対に引っ越せません!!」ときっぱり拒否してきたことで、「無理強いはできないし、それなら家を手放すのも仕方ないね」という話に落ち着いたのでは…。私にとっては全くの青天の霹靂でしたが、パートナーのやけにさっぱりした顔を見ていたら、どうもこの予想は当たらずも遠からずなのではという気がしてきました。前日まではあんなにパニックだったのに、こんなにあっけなく結論が出てしまい、拍子抜けではありますが、結果的には私の望む方向でまとまりそうでほっとしています。あとは実家が人手に渡ると聞いた妹さんが変に騒ぎ立てないことを祈るばかりです…。
2011年01月21日
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パートナーの実家のことで、ほとんどパニック状態の私です。やはり昨日義父から電話が来て、施設に折り返し電話したところ、2月1日から入居できると言われたそうです。2月1日って、あと2週間足らずですよ全てが急すぎて、もうどうしたらいいのか分かりません。もちろん、今義父が住んでいる家を2月1日までに空けなければいけないというわけではないので少しは時間がありますが、引越しの前に義父が施設に持っていくもの、処分するものなど仕分けしなければなりません。多分、義妹は子供の世話などを理由にろくに手伝いになんて来ないと思いますので、私達二人がやる羽目になるのは目に見えています。義父は絶対的にパートナー(と私)を頼りにしていますから。それも頭にくるので、私が「クリスマスにすらお父さんを家に呼ばないんだから、妹さんは手伝いに来るわけないよね」と言ったら、パートナーは義妹をかばうのです今年はクリスマスの1週間前にお父さんを家に呼んで手料理を振舞ったし、その前の年はもうお父さんの方が予定が入ってしまっていて、家に呼んだのに来てもらえなかっただけ、なんて言うので驚きました。それはまったく事実ではなく、彼女は『自分の家族』と過ごしたいからと言って、クリスマスにはお父さんを呼ばないとさっさと宣言したのですよ。義母が亡くなった直後だと言うのに、そんな冷たい態度だったのです。それで去年も一昨年も、クリスマスイブは義父を我が家に呼びましたし、第1や第2クリスマスの日は叔母さんが気を使ってお父さんを招待してくれたのです。それなのに、「本当は呼びたかったのに来てくれなかった」だなんて、盗人猛々しいってものです。さらに頭に来るのは、パートナーは今ちょうど去年の残りの有給消化のため、3週間もの長い休みの真っ最中。それなのに、2月にまたお父さんの引越しで確実に何日かは有給を取らなければならなくなります。正直、なんだかな~と言う感じです。それはこの私とても同じこと。義父は私達が手伝ってくれるものだとはなから思っているでしょうし、パートナーは「強制はしないけど、会社を休んでくれたら嬉しい」という言い方をしていました。つまり、私にも手伝ってほしいと言うことですよね。ドイツは有給は6週間分(30日)ありますが、いつも日本滞在が慌しいので、今年こそはのんびり3週間くらい帰ろうと思っていたのです。また、去年結婚5周年を迎えたので、今年は中米あたりに大きな旅行をしようと話していました。大きな旅行となるとやはり2週間は必要です。そして、うちの会社は毎年クリスマスと新年の間は休業なので、全社員強制的に有給を取らされます。それが今年はカレンダーの都合で4日ほどありますので、それで合計5週間。もしもお父さんの引越しで1週間とか休みを取る必要が生じれば、日本滞在をいつものように2週間にするか、結婚5周年の旅行をあきらめるかしかありません。それに、パートナーが私の希望を無視したりはしないとか言いながら、やはり実家に入りたいようで、何かにつけプレッシャーをかけてくるのも頭に来ます。今の家にはバスタブがなく、早めに取り付けてくれると約束していたのに、この1年間全く何もしてくれませんでした。おかげでもう彼はご両親の家に入るつもりなんだなと分かりましたけどね。どうせ引っ越すから、もうこれ以上お金を掛けたくないと思っているのですよね。それに、昨日私が会社に行っている間に掃除をしてくれたのはいいのですが、リビングがかび臭いとか急に言い出しました。壁の中を通っている水道管から水漏れしているに違いない、壁を全部取り壊して修理が必要だから百万からかかるとか言っていました。最近、バルコニーも壊れかかっているとか、あちこち悪くなっているところを見つけては私に嫌味ったらしく報告してくるのですよね。このままこのアパートに住み続けたら、修理費に莫大なお金がかかるから、さっさと引っ越そうと暗に言っているのです。でも、私に言わせれば、一軒家の方がもっと危険です。ご両親の家はもうすぐ築20年になるので、これからあちこちガタが出てくるに決まっています。持ち家だと、自分達の好きなときに好きな場所を修理できるからいいと言いますが、逆に言うと、何をするにしても全て自分達のお金でやらなければならないと言うことです。今は共益費を戸数頭割りで賄っている屋根やバルコニー、外壁の修理とかも全額自腹になるのです。そちらの方がよほどお金がかかりそうですよね…。それに、もし家を売るならば、中身を全部処分するつもりだと言われ(脅され)ました。今の私達のアパートには置く場所がないので、義父が施設に持っていけない家具や、食器、実家にある古い写真や本など、全てを捨てると言うのです。パートナーや義妹が小さい頃にご両親が撮った写真で作ったスライド等も全てです。食器や家具にもいいものがあるのに、分別して引き取り手を捜す暇なんてないから、全てごみとして捨てると言っています。それって結局、私が実家に入るのを拒んだがために、大切な思い出の品を処分せざるを得ないと言っているわけですよね。家族の写真やスライドも全部捨てるなんて言ったら、義妹は半狂乱になって私を責めることでしょう。パートナーは「引越しは無理強いしない、君の意見を尊重する」とか言いながら、口を開けばこやってプレッシャーばかりです。今度の日曜日、早速義父と一緒に話し合いをしようと言われています。家は義父の持ち物だし、家の相続権があるのはパートナーなので、二人だけでやってほしいと何度も言ったのですが、私も家族の一員だからと譲りません。義父とパートナーは思惑が一致しているのですから、二人でタッグを組んでなんとか私を説得するつもりなのでしょう。そんなわけで、今私は完全に孤立しています。今住んでいるアパートの利便性は手放したくありませんが、それだけを理由にパートナーに家の相続をあきらめてと言っていいものかも分かりません。せっかくの週末なのに、また胃が痛くなりそうです…。
2011年01月20日
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ここ数ヶ月、私が一番恐れていた日がついに来てしまいました。夕食前、義父から弾んだ声で電話がかかってきたのです。義父が入居を希望している共同住宅の人から留守電にメッセージが入っていたそうです。私のパートナーのご両親は、比較的遅い時期にマイホームを手に入れました。そのせいもあってか、義母はとてもこの家に愛着を持っていて、病床でも家族の誰かが住み続けてほしいと強く希望していました。が、義妹は以前、祖母が住んでいた家を一世代飛び越えて勝手に相続してしまったため、ご両親の家の相続権がありません。となると、相続するのは私のパートナーだけと言うことになります。が、私はこの家には住みたくない、と言いますか、より正確に言うと、この場所に引っ越したくないのです。パートナーはもちろん相続に乗り気で、引っ越す気満々です。そのため、話し合いをする度に毎回言い争いになり、ここ半年ほどは私達の間ではこの話題はタブーとなっていました。義父は義母の生前から既に家を手放したいと言っていたくらいなので、義母が亡くなった後、直ぐにでもアパートに引っ越したいと言い出しました。理由は、年を取った自分にはもう一軒家は維持できないと言うことと、義母の死後、家の雰囲気等ががらっと変わってしまったということ。それまでずっと二人で住んでいた家から義母だけが居なくなってしまったわけですから、義父にとってはかなり辛いものはあるでしょう。その気持ちは私にも十分理解できます。義父は「とにかく早く家を出たい、遅くとも年末までに引っ越したい」と希望していましたが、事はそれほど簡単ではありませんでした。というのは、義父が希望しているのは普通の賃貸アパートではなく、高齢者用の共同住宅だったからです。こちらでは、いわゆる老人ホームの他にこのような高齢者用のアパートコンプレックスがあります。1軒ずつは普通のアパートと変わりませんが、コンプレックス内に談話室等共同の場所があったり、医者が常駐していたりします。さらに希望すれば(つまり追加料金を払えば)食事の支度や買い物を代行してくれたりというサービスが受けられるのです。ドイツには長男が家を継ぐとか、両親の老後の面倒を見るとか、そういう慣習は特にありません。親の方も独立心の強い人が多く、年老いても子供と一緒に住みたがらない人の方が多いようです。そのため、このような高齢者向け共同生活用アパートはかなり人気があります。義父は去年、このようなアパートをいくつか周りましたが、自分が気に入らなかったり、気に入ったところは長いウェイティングリストがあったりで、入居はかないませんでした。最終的に我が家からも程近い共同住宅が気に入り、そこに入居申し込み書を出したそうなのですが、そこも空き待ちということでした。つまり、義父の引越しがいつになるか分からなかったため、私達も家(の相続)については話をせずにやり過ごしてきたのです。ところが、先週の土曜日に我が家に夕食を食べに来た際、義父が近々アパートが空くかもしれないと言い出したのです。この共同住宅は老人ホームも併設しているのですが、これまでアパートの一室に住んでいたある男性が認知症になり、老人ホームの方へ移ることになったので、その部屋が空くそうなのです。ただ、老人ホームの方も満室で空きがないため、その男性がいつ移動できるのかはまだ分からないとの事。老人ホームではどなたかが亡くならないと空き室は出ないわけで、少なくともあと数ヶ月は空かないのではないかという話でした。義父が今すぐ引越しと言うことはないと断言したので、その時はそれでその話は終わりになったのですが、どうやら意外と早く空き室ができたようです。義父は折り返し電話をしてみないと確実ではないけれど、留守電のメッセージからして、どうもアパートが空いたらしいと喜び勇んで我が家に電話してきたというわけ。となると、いよいよ義父が出た後の家をどうするかについて話し合わなければならない時期がやってきたと言うことです。ご両親の家に私達が入るかどうかについては、私とパートナーの意見(というか希望?)は真っ向から対立しています。パートナーは引っ越せば今よりもっと広いところに住めるし、住居の質が格段に上がると言い張りますが、私に言わせれば、より広いところとはすなわちより掃除に時間がかかり、維持によりお金がかかるだけです。今住んでいるのは庭付きのメゾネットですが、それでも毎週末掃除、夏は芝刈りなどに追われ、のんびりする時間もありません。私が幾度となく「お掃除婦さんを雇おう」と提案したのに、却下され続けてきました。それなのに、もっと広いところに住んだら、ますます家事に時間がとられるのは目に見えています。また、パートナーはアパートに住むより一軒家に住む方がステータスが高いと思っている節がありますが、私は一軒家にはまったく魅力を感じません。というか、マイホームにも格段に興味はありませんでした。老後、家賃を払わなくても住める場所が必要だと説得されて、それはそうかもしれないと思い、購入に同意しただけです。絶対にマイホームがほしいとか、できれば一軒家がいいとか、そんなことはこれっぽっちも思ったこともないのです。また、パートナーはもちろん、彼の親族も皆、義母の思い出が一杯詰まった家を手放したくないと言う気持ちがかなり強いようです。もちろん、義母が死の直前までこの家にこだわっていたと言うこともあります。売りに出せば赤の他人の手に渡ってしまい、もう中に入ることもままならなくなってしまいます。なので、義父や義妹、叔母などにしてみれば、私達が入居すれば自分達が好きなときに訪れられて好都合と思っているのです。でも、申し訳ないですが、私にしてみれば「どうせいつかは他人の手に渡るもの」です(私達夫婦には子供がいませんから)。それならば、まだ価値の高いうちに売ってしまった方がいいのでは?というのが本音です。そして、私にとっての一番の問題は、ご両親の家の近くには公共交通機関がないこと。これがとにかくものすごくネックになっています。パートナーの仕事は毎日車であちこちのお客さんのところに出向くだけなので、車さえあれば何も不自由はありません。が、私の場合はまったく違います。通勤など、どうしても必要なとき以外は車はなるべく使いたくないし、実際私は月に数回電車を利用しています。飲み会のときはもちろん、その他用事があって隣町へ行くときや、オケの練習に行くのも電車です。今住んでいる場所は、歩いて10分もかからないところにトラムの駅が2つもあるので、とても便利なのです。ご両親の家に周りには隣町に一本で行かれるトラム・鉄道の駅がなく、駅まで行くバス停も近くにはありません。パートナーは私が飲み会でD市に行くときは毎回必ず迎えに行くから、なんて言っていますが、実行できるわけがありません。今までも年に1度くらい、帰りがかなり遅くなったとき、タクシー代が足りなくなりそうなときなどにお迎えを頼みましたが、断られる事が殆どでした。そもそも、彼が留守の日に飲み会があれば、最初から彼をあてにすることもできません。D市から家までタクシーで帰ったら、50ユーロくらいかかります。飲み会の費用だけでも大きな出費なのに、それ以外にも毎回50ユーロもかかるとなったら、なかなか出席できなくなるでしょう。でも、会社の人と社外でざっくばらんに色々な話をするのも仕事の一部のようなもの。特に私のような現地採用社員にとっては、何かあったときのために本社の人に顔を覚えてもらうのも大切なことなのです。ドイツ企業だし、自営業のような形態で働いているパートナーには、この辺はいまいち理解できないのかもしれませんが、私にとっては譲れないところです。そんなこんなで、二人で話をしても平行線をたどるばかりなのです。私は今後も妥協するつもりはありませんし、かと言って、相続の話し合いに同席するつもりもありません。家をどうするかはパートナーと義父(と必要ならば義妹)が話し合うべきことだと思っています。ただ、二人の希望はパートナーが家を相続して、私達が入居することで一致しているので、結論は既に出ているのですよね。はてさて、一体これからどうなることやら。ただではすまない予感がします…。
2011年01月19日
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やっと週末になりました月曜日は有給(詳しくはこちら)だったから普段より短いのに、なぜか今週はやたら長く感じました。これもやはり休みボケの一種なのでしょうか。日本にいられたのは10日とはいえ、前後の移動日やらなにやらあわせたら2週間休んだことになるので、体がまだフルタイム勤務モードに戻っていないのかもしれません。先週末は1年の三大憂鬱の第1回目の行事(詳しくはこちら)があり、時差ぼけだと言うのに泊りがけでお出かけでしたが、今週末ものんびりはできません。まず、昨日の晩は教区の新年会(のようなもの)。普段、教会に携わっている人たちとそのパートナーが招待され、みんなで一緒に飲んで食べてという行事です。「去年1年間どうもありがとう」という教会からのささやかなお礼の気持ちなのだと理解しています。今年はうちの楽団(ポザウネンコア)はこの場で演奏も担当することになりました。それは別にいいのですが、会が始まってから出番までがやたら長かった…。出番が終わるまであまり飲めないし、つまらなかったです。19時に会が始まり、牧師さんの挨拶等の後にようやくビュッフェ式の夕食スタート。私達はまず、デザート入場の際にマーチを演奏することになっていました。その前に、去年教会を修復したので、その報告を兼ねたプレゼンがあったのですが、これがめちゃくちゃ長かったのです。この会自体が公式には10時にお開きになるはずだったのに、プレゼンが終わったのがなんと10時半近く…。おかげで私達の楽団以外にも出し物を演る予定だった団体はみな、予定より大分切り詰めたプログラムになってしまいました。しかも、デザート入場の後、そのままBGMのような感じで演奏を続けるのかと思ったら、その後は一旦休憩だったのです。仕方ないので私達も他の人たちと一緒にデザートを頂き、バンドが登場し、その後再び私達の出番とあいなりましたが、この時点でもう11時近く。本当に落ちつかないこと、この上なしです。軽い曲を2曲演奏し、アンコールに1曲演奏し、その日のお勤めは終了。でも、長い待ち時間ですっかり疲れてしまい、11時15分ごろに会がお開きになってすぐ、会場を後にしまいました。帰宅途中、パートナーに「私のソロどうだった?」ときいたら、ソロがあったことすら全く気づいていなかったことが分かり、また脱力でした…。そして今日はオケの今年初めての練習がありました。それ自体は楽しみだったのですが、やはり例の新人の女の子がまた私の神経を逆なでしてきました。今日の1曲目はお試しの新曲が配られ、私がファースト、彼女がセカンドを担当したのですが、彼女、ただの1度も音を出そうとすらしなかったのです。しかも、楽譜は彼女が問題なく読めるはずのB♭だというのに…。関わるとイライラするだけなので、いないものと思って自分の楽譜に集中していました。次に、前回の練習で通した「展覧会の絵」を練習しました。前回の練習の後、一応これではまずいと思ったらしく、譜面に音を書き込んでありました。が、それをしつこくしつこく自慢してくるのがまたうざい自分がC譜をその場ですぐに読めないんだったら、家で実音を書き込んでくるのなんて当たり前のこと。そんな当然のことをいちいち自慢しないでほしいんですが。しかも、音間違ってるし!彼女がオーケストラで一体何をしたいのか、全く理解できません。その後、最近毎月1度行われているメンバーのミーティングがあったのですが、これも疲れました。まあどの団体でもそうなのでしょうが、現状に反対な人と現状を変えたくない役員とで延々と結論の出ない議論をしていました。また、今年は5月か7月に小さなコンサートを、10月にコンクール出場を考えているそうなのですが、もし7月に決まったら、私はおそらく合宿には参加できません。今年の6月は3週間くらい日本に帰るつもりだからです。また、コンクールは10月15日との事で、こちらも私が所属しているプロジェクト吹奏楽団の合宿と重なっています。この吹奏楽団の練習は基本的に年4回しかないし、私はやはり吹奏楽が一番好きなので、こちらの楽団を常に最優先としているのです。メインの行事に出席できないとなると、その前の練習に参加するのも微妙な感じだし、困りました。指揮者がそういうことを全く気にしないタイプなら何も言われないかもしれませんが、正直迷うところです。かと言って、今からまた他のオケを探すという気にもなれません。なんだか昨日今日でさらにどっと疲れましたが、今日はこれから義父が夕食を食べに来ることになっています。メニューがガチョウの丸焼きなので、パートナーが調理担当ですが、それでも家にお客さんが来るのは神経的に疲れます。一体いつになったら気の休まる週末が過ごせるのでしょうか。とりあえず明日は今のところ何も予定がないので、思い切り朝寝坊してやる~とひそかに決意しています。
2011年01月15日
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