全2018件 (2018件中 1-50件目)
4日の昼食は西堀にある「たけしや」で摂った。前回は”スタミナ”であったので、今回は”スペシャル”の普通盛(1050円)にしてみた。『スタミナ』は「キャベツ、肉、ニラ、にんにく、目玉焼き」が具なのに対して、『スペシャル』は「キャベツ、肉、にんじん、もやし、玉ねぎ、イカ、目玉焼き」が入る。濃厚なソースの太麺を美味しく戴いた。
2021年08月04日
1日の昼食は松電桐店向かいのラーメン店「辛菜麺 烈火」で摂った。名前の通り激辛ラーメンを売りにしている店である。この店のある場所は、比較的短期間で経営がコロコロと変わっており、烈火も今春に開店したばかりである。自分は加齢とともに、辛い物がだんだん苦手になって来た。むせる、せき込む、多量の発汗、翌日の下痢、、、泰国や印度、韓国の辛い料理も体が拒否するようになって来てしまった。若い頃はタバスコをびしょびしょかけてナポリタンを食べたり、韓国旅行で青唐辛子で刺身を食べたり、何とも無かったのだが、代謝が悪くなってきているのかも知れない。ともかく、店の看板メニューの激辛ラーメンは最初から頼む気が無く、シンプルな醤油ラーメンを注文した。ラーメン店は老若男女問わず来店するので、万人受けするメニューもちゃんとある。醤油ラーメン+煮卵(850円)。具材は葱、チャーシュー、メンマのみとシンプルだが、なかなか美味しい。店も昼時で割合客が入っている。以前にこの場所にあった「胡桃」もそんなに味は悪くなかったのだが潰れてしまった。今度は長続きしてくれると嬉しい。
2021年07月01日
30日の昼食は松本から四賀村へ抜ける道沿い、六助の池(溜池)の近くにある、そばの里「六助」で摂った。日替り定食(980円)。この店の日替わりはいつも二択である。店も綺麗、蕎麦も美味しいし、献立のセンスも良い。昼定食にしては少し高めであるが充分満足できる。おいしく戴いた。
2021年06月30日
28日の昼食は松本市内西堀にある老舗焼きソバ店「たけしや」で摂った。同店のメニュー表。各種焼きそばがあるが何れもソース味。具材や添え物、量でかなりの選択肢がある。この日は自分の”身の丈”を考慮の上で具沢山の「スタミナ」(小盛=850円)を注文した。しっかりソースの絡まったかなり太麺の焼きそばと黄身半熟目玉焼きの相性は抜群である。量も「知命」を超過した当人には[小盛]がちょうど良かった。熱々もっちりを美味しく戴いた。
2021年06月28日
10日の昼食は飯田市街の居酒屋「和さび」で摂った。一般に居酒屋の昼食メニューはお得で美味いものが期待出来る。入店して席に着くと、店員が手書きの紙を持ってきた。本日お奨めのメニューとのこと。自分は居酒屋の黒板に書いてあるような「本日お奨め品」は必ず1品以上は注文するようにしている。なので、レギュラーメーニューに載ってないこのような紙は大歓迎である。食欲をそそりそうな名前が並んでいる。一番上のメニューは上端が切れてしまっているが、二色焼き魚定食であって、任意の魚を2つ選ぶもので、二種類の焼魚が楽しめる。どれも美味しそうでちょっと悩んだが、”本日限り”の文言に惹かれてマグロ漬丼を注文した。ほぼ二層に切身が載っていて、見た目以上にマグロの量が多かった。たいへん美味しく戴いて満足できた。
2021年06月10日
5月下旬、木曾御嶽山にある八海山神社を参拝してきた。木曾福島町まで国道19号を走り、三岳村を経て王滝村に至る。松本からだと結構遠い。八海山神社は木曾御嶽山の五合目にあって、おんたけ2240スキー場のすぐ近くである。散々つづら折りの道を上って行き、カーブに辟易として来た頃にやっと到着した。八海山神社の参道入り口の鳥居。この神社は眼病治癒の神様として有名である。「め」と書かれた文字が目玉の上に載っている看板。なかなかユニークである。参道を先に進み、拝殿前に出る。先へ進んで二礼二拍手一礼を以て参拝する。拝殿の左裏側に鳥居があって、鳥居上部の看板には「八海山御神水」と書かれている。ちょうど正面奥の注連縄が貼ってある付近から湧水が出ている。これが御神水と呼ばれるありがたい水である。御神水の由緒書き。この水を汲んで眼につけると眼病も治るとされている。今回は眼病を患っている友人のための代参も兼ねており、持参したペットボトルに水を汲んで持ち帰った。なお、この八海山神社は夏の観光シーズン、週末や年始などの一部の日を除いて、基本的に神主さんが常駐していない。お守り・お札等は麓(一合目)にある御嶽神社(里宮)で入手できる。写真はその里宮。ここで眼病治癒のお守りを購入して、汲んできた神水とともに友人に進呈した。(終わり)
2021年05月30日
3日、飯田市と南木曽町を結ぶ道を初めて通った。長野県の伊那谷と木曾谷は間を中央アルプスに阻まれて往来が困難なところである。現在は木曾峠(大平峠)、権兵衛峠、清内路峠の3本のルートがある。このうち権兵衛街道は近年開通した新しい道である。道の良さから行けば、権兵衛>清内路>大平の順に悪くなる。この狭隘な道は車のすれ違いが困難な箇所が多く、林道と呼んでも良い道でバスなど大型車の通行は困難であろう。ずっと怖い崖っぷちを走り、未だ上るのか?と思うほど延々とつづら折りの登り道が続く。時折対向車線を自動車や二輪車が来る。大型連休中とあって、すれ違う車輛は二輪車の方が多かった。向こうからダンプカーでも来たら後退して避けなければならないので。ひたすら大きい車が来ないことを祈りつつ進む。それでも沿道には案内板や道祖神が頻繁に設置されていて、こんな山道にと不思議に思った。運転が嫌になってきたころ、忽然と山中に建物が現れた。飯田側から行くと一番最初に目に入る建物。廃屋に見えたが、蜂蜜を売っていた。やがてちょっとした広場と駐車場があったので車を停めた。「大平宿」の石柱。宿場町の案内図。街道に沿うかたちで集落がある。今回通行した大平街道は江戸時代中期に、伊那谷と木曾谷の連絡のために開かれた道とのことで、大平宿はその道にあった宿場町である。伊那谷を南北に貫く街道は伊那街道(三州街道)、木曾谷を進む街道は中山道であるので、大平街道は二つの街道を結ぶ短絡路になる。旧街道は舗装もされずにそのままの姿を留めている。景観保護のため車輛は原則として乗り入れ禁止である。ほとんどの家は廃墟同然であるが、いくつかは整備維持されていて古民家宿泊体験も可能との事。ちょうどこの日も滋賀県から来た若者4人組が宿泊を終えて撤収しているところだった。宿泊はすべてが自炊、近くに売店も何も無いので、すべて自前で持参する必要がある。夜の星は綺麗だろうが、お化けが出そうな廃村でもある。肝試しが出来そうだと思った。どこか郷愁的な趣もある街並みである。映画のロケにも使われたとのこと。宿場町にあった学校。現在は宿泊研修施設との事だが、ほとんど使われていないような印象を受けた。この大平宿は明治~大正時代に隆盛を極め、戸数七十余り、学校や郵便局もある集落であったとの事。しかし、伊那谷を通る鉄道(現飯田線)の開業や、昭和30年代の清内路街道(国道256号線)の開通でその地勢的意義を失い、基幹産業(炭焼き)の衰退もあって人口流失が続き、遂に昭和45年、最後まで残った28戸が集団移転して、集落は遂に廃村となってしまったとのこと。それから50年ほど経過しているが、建物はある程度の手入れがなされている模様で、現在も時が止まったような姿を残している。駆け足であったが、勉強になる集落の散策となった。その後は南木曾町へ抜けると、どこも観光客で大混雑である、道の駅、幹線道路沿いの飲食店はどこも車が溢れ、店の外まで列が出来ている。ツーリングの二輪車も無数に見かける。コロナなどどこ吹く風と言った印象を受ける。木曾福島の人気そば店「くるまや」の前は近くの橋の上まで続く行列が出来ていて驚いた。同町の和菓子店は芳香堂と田ぐちがよく知られてるが今回は芳香堂で名物のそば饅頭を購入した。駆け足のドライブ旅行であったが、コロナ禍で県外、海外など遠くに行けない中、散策出来た事は良い収穫となった。
2021年05月04日
2日夜は飯田市に泊まった。日中のみならず夜も雨っぽかった。あけて3日、快晴で日差しが眩しい。近くにある市立動物園に寄って見た。何度か門前を通過してことはあるのだが、入場は初めてである。市役所前の公共駐車場に車を停める。緑の中に動物園の全景が見える。写真左手の黄色い建物は動物園内の喫茶・休憩施設。線路が敷かれ豆汽車も走っている(乗車賃50円)。動物園の入場料は無料。前回動物園に行ったのは野毛山が最後で2019年12月なので1年半振りである。写真は水槽で泳ぐペンギン。飼育されている動物は、猿、馬(ポニー)、山羊、羊、カモシカ、狸、鹿、むささび、ウサギ、モルモットなどの哺乳類、ペンギン、コンドル、オウム、フラミンゴなどの鳥類、爬虫類は亀、魚類は居なかった。最近の動物園や水族館は旭山動物園の成功に触発されたのか、飼育員手作りの掲示がとても多く好印象である。従来の一方通行的な説明よりも、飼育員目線で描かれた手書き手作りの説明は読んでも面白く楽しくなる。園内には立派な藤棚があって、ちょうど見頃となっていた。見事に房を垂らした藤。とても綺麗である。緑に囲まれた動物園らしく植物も豊かであった。動物園の崖下(谷・沢筋)は扇町公園と称する広場になっており、鯉幟も掲げられていた。あいにく風が弱く垂れ下がっている。我儘ながらこいのぼりを観るときには若干の風が欲しいと思った。
2021年05月03日
2日、急に雨が降ったり、晴れたりするあいにくの天気の中、南信方面へ出掛けた。今年の大型連休は比較的悪天候の上に寒い。高速道路を使わずに下道を通って箕輪町に至る。辰野方面から伊那へ抜ける「みのわ花街道」の花桃は残念ながら既に時期が遅くほぼ散っていた。箕輪西小前の溜池を跨ぐ様に鯉幟が挙げられていたので写真を撮った。水面の上に泳ぐこいのぼり。晴れていればとても絵になるだろう。毎年この場所に挙げられている。続いてかたくりの里へ寄って行く。みのわ花街道から林道を2km近く入った山の中にある。到着まで親切な看板がいくつも出ていたので前に進めたが、本当にこの道で大丈夫なのかとちょっと不安になる未舗装の道である。道の終点が駐車場となっており案内看板と東屋、仮設トイレも設置されている。駐車場から看板に従って200mほど坂を上ってゆく。雨けぶる天候のなか、深山幽谷と言った趣である。やがて木製の橋が谷に架かっており、カタクリよりも個体の大きな水芭蕉が先に目に入った。谷の沢筋にあたるところが湿地帯となっており、水芭蕉が咲いていた。これと一緒に生えていることが多いザゼンソウは見当たらなかった。尾瀬を思い出した。目的のカタクリの花は水芭蕉の湿地からすこし外れた場所に群生していた。天気が悪かったためなのか、それとも時期が少し早かったためなのか、開花していらず花弁が下向きに垂れていたのが残念であった。それでも希少で可憐な花を見られて良かった。
2021年05月02日
27日、枝垂桜とヒカリゴケで有名な光前寺(駒ヶ根市)の門前にある蕎麦店やまだ保翁へ行って見た。有名観光地の目の前にある店なので大きくて立派な造りで駐車場も広い。この日はちょっと高めの天ざる蕎麦(税込1650円)を頼んだ。観光客向けの蕎麦店なので価格が高い割には量も少ないだろうと思っていたら良い意味で裏切られた。ボリューム満点で天麩羅も旬の山菜が入り、蕎麦も量が結構あって満腹になった。もちろん味も良い。この内容なら観光で県外から来た人達にも充分満足してもらえるだろうと思った。
2021年04月27日
25日、松本空港の周辺に広がる公園の芝桜を見に行って来た。芝桜といえば秩父や河口湖が有名である。松本空港のはそこまで大規模ではないが無料で手軽に楽しむことが出来る。駐車場に車を停めて2分ほど歩けば花畑が見えてくる。場所は飛行場の南端側に位置している。なかなか見事な芝桜でしばし景色を鑑賞した。近くには菜の花畑もある。この日はちょっと雲量が多かったが、天気が良いと雪を戴いた北アルプスを背景に芝桜や菜の花をバックに写真を撮ることも出来る。近場で金のかからない散策であるが、楽しむことが出来た。
2021年04月25日
石垣鯛を戴いた。もう十回以上は貰っていると思う。今回は屋久島近海産とのこと。拙宅出入りの魚屋さんにお願いして、見事に捌いて貰った。盛り付けも美しく、美味しく頂戴した。
2021年04月24日
6日、昼神温泉のハナモモを鑑賞した。とても綺麗で良かった。同じ木なのに花の色が違う(白と赤とピンクなど)ものもあって不思議だなあと思った。
2021年04月08日
7日の夕方伊那市富県付近を通りかかったところ、消防車多数と警察車両が留まっており何事かとびっくりした。道路沿いに指揮所が設けられて旗が立っている。みんな山の方を見守っており、最初は防火演習(訓練)?と思った。しかし、山の頂部から僅かに白煙が上がっており、訓練ではなく、本当の山火事と判った次第である。山の麓にも赤い消防車両が留まっている。山頂付近の拡大。土が黒っぽくなっているところから白煙が上がっている。写真だと非常に分かりにくいが、消防隊員が水を背負って山に上がり、大型水鉄砲のようなもので水を掛けていた。一般に山火事は山の上なので水利がなく消火に時間がかかる。ヘリから水を撒いたり、麓から徒歩で水を運搬したりと人海戦術を余儀なくされる。先日、足利市でも大きな山火事が有ったばかりである。帰宅してからwebで見ると、やはり山火事であって焚火の火が燃え広がったとの記載があった。煙草、焚火など要注意であろう。
2021年04月07日
3日夕方、波田町にある安養寺の枝垂れ桜を見に行った。最初に寺の本堂へ行き、参拝をする。本堂側から眺めた枝垂れ桜。同じ角度からのアップ。中央は鐘堂。桜の下にはスイセンも咲いている。まさに満開であってたいへん美しい。お寺側の好意で、田圃に水を張ってくれてある。なので満開の枝垂れ桜が水面に映って良い景観となる。この日は夕方になって曇天となってしまったのが残念であった。
2021年04月03日
31日、市街地の桜がほぼ満開となったので、さっと鑑賞に行って来た。松本城東側、お濠沿いの桜。中町通りから繩手通りへ渡る橋上から女鳥羽川沿いの桜を見る。中町側から繩手側を見る。鳥居は四柱神社。市街中心部は概ね満開となっていた。好天で気温もあがり、歩いていてもたいへん気持ちが良い。城山公園へ上る坂道沿いの桜。ここから城山公園までの坂道は桜のトンネルとなってとても綺麗である。高台にある城山公園は、観桜には若干時期尚早であった。
2021年03月31日
27日、松本市街中心部にある「辰巳のお庭」の桜を眺めてきた。お城や縄手通り、中町通りなど観光地に近い場所にある。四柱神社を参拝しつつの境内を抜けると緑町である。桜(コヒガンザクラ)が植えられているほか、湧水が流れる公園となっており、市民や観光客の憩いの場でもある。ソメイヨシノよりも数日早く咲くために、松本市街地では最も早く桜を鑑賞出来る場所となっている。
2021年03月28日
27日、コロナ経済対策で実施中の地域振興券を使ってトラフグを自宅へテイクアウェイした。綺麗に盛り付けられた刺身(てっさ)。中央は皮の湯引き(てっぴ)。ふぐちりの材料。刺身と湯引きを味わい、ふぐちりの後に雑炊を楽しんだ。普段は食べることの出来ない高級食材なのでありがたく味わって頂戴した。
2021年02月28日
21日、4月を思わせる好天となり気温も上昇した。拙宅庭の福寿草が咲いていたので写真を撮ってみた。この花は日が陰ると閉じてしまい、日が高くなると開く、早春の間はその動作を繰り返して、比較的長い間鑑賞が楽しめる。可憐な花であるが有毒でもある。しばらく目を楽しませてくれる事であろう。
2021年02月21日
先日、飯田市にある元善光寺を参拝してきた。初詣では臨時列車も運転される名刹である。元善光寺の入口門JR飯田線の元善光寺駅から徒歩数分。駐車場も割合広い。今年度末には至近距離にある中央道・座光寺PAにスマートインターチェンジ(SIC)も開業予定、リニア新幹線の長野県駅も近くに出来る。石段を登り、山門をくぐる。こちらが本堂。内部では何らかの祈祷が行われていた。頭を垂れて参拝する。本堂の正面には柱が建っていた。正直、写真撮影には邪魔な場所にあった。境内にあった従軍の碑。このような石碑は大概高名な軍人が揮毫している。この碑は皇道派の重鎮として知られ、極東軍事裁判では辛くも死刑を免れた陸軍大将荒木貞夫(陸士9期)である。写真は撮り忘れたが、同寺の梵鐘は戦時中の金属供出で失われ、戦後に再建された。鐘の文字は海軍中将を歴任された久邇宮朝融王殿下(海兵49期)の揮毫になる。本堂でお札を買い、門前で売られていた饅頭を買って帰宅した。
2021年02月14日
正月明け、中信地区では三九郎と呼ばれる行事が行われる。前年のだるまや正月の松飾などを焼いて無病息災を祈るものである。今年はコロナ禍のため、中止になった地域もあるとのこと。拙宅の近所では例年通り行われた。点火前の三九郎。藁やすだれ(よしず)、松飾、だるまで造られているため至極燃えやすい。点火するとあっという間に燃え上がる。火がおきになったところで、柳の枝に刺した繭玉と称する米粉団子を焼いて食し、無病息災を祈念する。悪病退散を念じながら、火勢を見守った。
2021年01月09日
皇紀2681年、明治154年、大正110年、昭和96年、平成33年、令和3年、辛丑(かのとうし)の新年を迎えた。一日も早くコロナ禍が収束することを祈念します。
2021年01月01日
春日神社(伊那市)に来年の干支の絵馬が奉納されたのと新聞記事(長野日報)を見掛けたので現物を見に行っ来た。同神社の至近に位置する伊那中学校(美術部)、伊那弥生ヶ丘高校(美術部・書道部)の製作とのこと。どちらも見事な出来映えであると思った。
2020年12月26日
松本市内の高台に牛伏寺(ごふくじ)というお寺がある。地元では大晦日の二年詣や初詣にそれなりの人出があるよく知られた仏閣となっている。ちょうど来年は丑年である。一昨年(猪/名古屋市・猪子石神社)、昨年(子/横浜市・杉山神社)と干支に因んだ寺社仏閣を訪ねていたので、今回は丑に因んだ当寺院となった。幸か不幸かコロナ禍で県外へ出る事も叶わない中、地元にいたって好適なお寺があったのは不思議なタイミングである。参道一番手前にある牛堂。阿弥陀仏を祀っているとのこと。牛堂前を100mほど進むと門と石段があり、ここを登ってゆく。石段を登り切ると山門がある。山門をくぐり、先へ進んで行く。写真左手が本坊。本坊脇を通り過ぎ、如意輪堂の前に1対の牛像がある。これが今回主役の牛。寺のwebサイトに依れば、「天平勝寶7年(西暦756年)に善光寺へ納める経巻を積んだ牛(赤牛・黒牛各1頭)が同時にこの地で斃れ、その使者たちが本尊十一面観世音菩薩の霊力を知り、その経巻を当山に納め、二頭の霊を祀って帰京した」との事。この故事から寺号を牛伏寺としたとの由である。蛇足乍ら天平勝寶年間と言えば奈良の大仏が造営された頃である。仁王門をくぐると本堂がある。本堂で参拝を行い、家内安全・安寧を祈願した。最後に本坊で御守りを購入した。(おわり)
2020年12月20日
先日、知人より石垣鯛を戴いた。既に十回程度貰っている。今回は屋久島近海産のとのこと。近所の魚屋さんにお願いして捌いてもらった。貴重な味を楽しんだ。
2020年12月12日
過日、松本市内にある鰻料理店観光荘の食材を持ち帰りにて楽しんだ。店の外観。古民家を改築して使用している。鰻重弁当・骨唐揚・肝焼。贅沢な味を美味しく戴いた。
2020年11月30日
過日、松本駅前に近い中華料理店「油屋」で夕食を摂った。コロナ禍で宴会・飲会がほとんど出来なくなっている昨今、久し振りに自宅以外での夕食であった。牡蠣のソテー春巻き〆の揚げ焼きそばすべての料理は一般的な中華宴会で普通の大皿でなく、個別盛り付けで各個人に配膳された。コロナ禍中の飲食店もそういった面で余分な手間がかかっている事が理解できた。出来立ての逸品を美味しくいただき満足であった。
2020年11月21日
過日、GoGoトラベルを利用して四賀村にある松茸山荘へ行って来た。目的はもちろん季節を迎えた松茸を賞味するためである。コロナ禍経済対策の結果、各種割引や地域振興券等も重複して適用できる事から実質三分の一程度の費用で高級食材を楽しむ事が出来る。政策の賛否はともかくとして、恩恵を享受出来る立場にあることに感謝しながら滅多に出来ないことを素直に楽しむ事とした。すき焼き土瓶蒸し釜飯茶碗蒸しホイル包み焼き旬の食材をありがたくおいしくいただけて、大満足であった。
2020年10月18日
JR伊那北駅前にある老舗食堂「みどり中国料理店」が明日29日を以って閉店することとなった。この店はとても気に入っており、毎週1回は昼食を摂りに訪れていた。9月上旬、いつものように昼食を摂っていると、女将さんより突然この話を切り出されて驚いた。女将さんいわく、この場所に店を構えて56年やってきたとのこと。主に調理と出前を担当しているご主人はまもなく82歳になるとのこと。閉店後に店を取り壊したり、後始末をする必要があり、体の動くうちにと閉店を決断したとのこと。28日、普段通り12時頃店を訪れると、すべての食卓が塞がり、店内は大混雑であった。閉店を知った旧知の客や常連客などが続々と訪れている模様。いつもはご主人と女将さんの2人で店を切り盛りしているのだが、この日は女性が二名増員されており、主に配膳等を担当していた。どうやら娘さんらしい。10分ほど店外で待ってから空いた食卓へ座る。一番お気に入りの「五目中華丼」を注文する。混んでいるので30分ほど待たされて待望の料理が運ばれてきた。この店で食べる最後の昼食になるのかと思うと、悲しくなって来た。いつもと変わらない熱々を美味しく戴いた。お客さんが次々と来るので、女将さんに「ご馳走様」と声を掛け、急ぎ店を退出した。見慣れた店の外観の写真を撮る。明日29日の夜の営業終了を以って閉店を迎える(水曜日はもともと定休日のため30日の営業は無し)。ご主人、女将さん、どうかご健勝に。お世話になりました。
2020年09月28日
猛暑日が続くので、たまには奮発して鰻でもと思い、伊那市駅近くの「たつみ」を訪ねた。鰻重(上)と肝吸いで2800円。贅沢な気分で美味しく戴いた。一昔前なら2000円も出せば結構な鰻重を食べる事が出来たのだが、最近は高嶺の花になってしまい、食べる機会がめっきり減ってしまった。
2020年08月21日
12日の夕食は伊那北駅に近い鮨店「八幡寿司」で摂った。最初に刺身の盛り合わせを頼む。鰺は生け簀から出してきたので、ピクピク動いていた。生ビールとともにボリューム満点を美味しくいただく。焼き物を頼もうかと思ったが、刺身がたくさんあったので、お腹の余裕が少なくなってしまい、〆の寿司をいただく。ボタンエビ、トロ、イクラ、ウニ、カンパチ、鉄火が載った「中寿司」。久し振りの寿司店は良い気分転換となった。
2020年08月13日
30日の昼食は伊那市駅近くの「花紋」で摂った。ヒレソースカツ丼(1100円)。この店は何を頼んでもボリュームがある。このヒレ丼とて、ヒレカツが6枚も載っており充分満腹になる。ご飯とのバランスを考えるとカツは4枚で充分だと思うのだが、プラス2枚がお店の意気なのかも知れない。美味しくいただいて満腹になった。
2020年07月30日
松本駅前にあった老舗とんかつ店「とん亭」が3月末日を以って閉店したとのこと。経営者の高齢化にコロナ禍が重なり、惜しまれつつ閉店を決めたらしい。写真は昨年4月に食べたランチメニューの定番メンチカツ定食(650円)。店の外観。閉店を知らせる張り紙。ランチタイムメニューはメンチカツ、アジフライ、チキンカツの3定食がいずれも650円とリーズナブルでボリュームもあり美味しかった。また、名店がひとつ失われてしまった。
2020年04月19日
16日、伊那市の観桜の名所である春日公園を少し散策した。コロナ禍で閑散としていたが、満開の桜は変わらない姿を見せてくれていた。今迄、花見しながら酒を飲むなんて特別な事なんだと考えたことも無かったが、当たり前のことが当たり前に出来る日常が本当に幸せことなんだと改めて強く実感した。
2020年04月16日
連日コロナの報道がなされ、状況が日増しに悪化し、出口の見えない状況に暗澹たる気持ちになってくる。いまのところ感染者が少ない長野県とて100%安心とは言えない。見えない脅威がひしひしと迫り来る強迫観念を感ぜずに居られない。それでも、季節が進めば春になり、桜も咲く。美しい花を眺めてもすっきり気分が晴れる事が無く溜息ばかり出てくる。「年々歳々花相似歳々年々人不同」という漢詩の一文を思い出した。9年前、震災と放射能で絶望の縁にあったときも、今回も、桜は変わることなく花を見せてくれる。しかし、人間はその時々で大きく異なる状況下に置かれている。何とか希望を持って将来を考え、前を向いて生きねばと思いつつ、鬱になりそうな重圧を感じる毎日である。11日、ちょっと肌寒いけれど快晴の下、少しでも気分転換になればと思い、市内高台にある城山公園の桜を見に行って来た。ちょうど見頃であって今年も変わらぬ美しい姿を見せてくれた。本来であれば快晴の週末であって花見を楽しむ多くの人が繰り出して大盛況であるはずが、ポツンポツンとかなり離れて十数名が花だけ見に来ましたといった様子で公園を散策していた。松本市内はこのほかにも観桜の名所となっているお城や薄川沿い、県文化会館周辺なども含め、いずれも桜が満開でとても美しい。奈良井川越に見た北アルプスの山と桜。来年は、全国各地で花見に興じる人々の笑顔と歓声の便りが届く事を心の底から強く祈念した。
2020年04月12日
14~15日、恵那峡を望む旅館へ一泊した。コロナ騒ぎで宴会、旅行、集会といった行事すべての自粛要請が出ている中、何でもかんでも自粛自粛では良くないし、経済に与える影響も甚大である。遊園地、動物園、博物館等文教施設もほとんどが休業している。娯楽に餓えている面もあるのではないかと思う。そのような訳で高速バスで名古屋へ行き、市内を散策してみた。いつもほぼ満席のバスは往復とも乗客が7名程度、駅で通過して行った特急列車(しなの号)も乗客の姿がほとんど見えなかった。飲食・運輸・観光業の苦境がかなり深刻なレベルにあることを感じる。一般に乗り物は空いているのが快適であるが、あまりにも閑散としていれば心配になってくる。あいにくの雨天の中、散策したサカエチカも人通りが少ない。科学館や東山動物園ももちろん休業中であってゆくところが無い。夕方、電車で恵那峡へ移動する。宿にチェックインするころには雨は上がり青空が見えてきた。旅館の客室から一望できる恵那峡。対岸にある遊園地(恵那峡ランド)は宿の方に依ると、冬季休業中で間もなく営業を再開するとの事であった。立派な旅館はコロナ騒ぎでガラガラ。気の毒なくらい空いていた。大浴場もほとんど貸しきり状態。ゆっくり湯に浸かって広い夕食会場へ行くと、客は僅か6組程度。コロナによる自粛の影響が深刻なレベルに達している事が良く判った。夕餉を美味しくいただく。季節を先取りした青物や飛騨牛などあって酒も進む。観光客には都合の良い、地酒セット(利き酒セット)。少量ずつ3つの味が楽しめる。どれも純米酒でおいしく飲み干す。酔っ払ってぐっすり眠り翌朝はカラっと晴れて青空が気持ち良い。宿の皆さんのご丁重な見送りを受けながら、送迎車で恵那駅まで送ってもらった。
2020年03月15日
2月も今日で最後、最近かなり春めいて来ている事が実感できるが、拙宅の庭に福寿草があってちょうど見頃となっている。可憐な黄色い花を咲かせる福寿草。有毒植物でもある。桜などとは違って割合長期間楽しめる花である。しばらくは殺風景な庭で目立つ存在で居て呉れるだろう
2020年02月29日
引き続き綱敷天神社の参拝です(その2)。御旅社の由緒書。梅田から最も判りやすく近いため事実上の本社として機能している模様。歯神社の御守りもここで買う事が出来る。家族用に2ヶ購入した。最後に本社を訪れる。中崎町、扇町公園方面にあって梅田駅からは一番遠い。しかし、面積と設備は三社のなかで最も充実している。ちゃんとした社務所もあって宮司の方はここに居住しているのかも知れないが、常駐場所は交通の便が良い御旅社となっている。鳥居をくぐり、山門を通る。正面の拝殿も貫禄充分。境内もきちんとある。拝殿前に立ち、二礼二拍手一礼を以って参拝する。天神様と言えば「梅」である。温暖な大阪らしく既に梅花が咲いていた。男根のような石柱があったので、何かと思ってみたら筆塚であった。綱敷天神社本社の由緒書。菅公を祀る神社なので、合格祈願に訪れる人も多いであろう。駆け足であったが、ちょっとユニークな神社めぐりが出来て良かった。(おわり)
2020年02月11日
8日、石切劔箭神社の参拝後、森ノ宮駅で降りて大阪環状線に乗り換え、大阪(梅田)駅で下車する。今度は梅田地区に三社が存在する「綱敷天神社」の参拝を行う。天神社という名前の通り祀ってあるのは菅公であることは言うまでも無いが、同天神社の傘下にある「歯神社」が今回の参拝主目的である。梅田駅を出て、大阪環状線の高架橋にそって東へ進む。高架橋の下を利用した商店街にある、人気お好み焼き店「ねぎ焼やまもとエスト店」の真裏が、目指す「歯神社」が鎮座している場所である。歯神社拝殿のアップ。鳥居に掲げられた額もちゃんと歯神社と表記されている。手前に男根のような石があるが、これがご利益のある石で、この石を撫でてから、歯の悪いところ(痛いところ)を触ると痛みが和らぐとのこと。神社全景。ビルの谷間の小さな神社で祠と言った方が良いのかも知れない。右側がねぎ焼やまもとの裏側勝手口。ちょうど参拝に来た女性も居た。歯神社の由緒書き。近年におふざけ半分で作られた神社ではなく、ちゃんとした由来があり、歴史もある。近世になって「歯」の関係者(歯医者、歯科関係業者等)の信仰を集めたり、歯の悪い人が平癒祈願に訪れたりするようになったらしい。なお、この歯神社は綱敷天神社の傘下神社(末社)として、維持管理は同神社が行っている。綱敷天神社は上記地図のように御旅社、本社、末社(歯神社)の三社を有している。なお、御朱印、御守り等の授与は御旅社にて行われている。歯神社の参拝を終えて、今度は御旅社へ行く。阪急梅田駅の北東側に位置する。高速バスの発着点にもなっている阪急三番街からほど近い。こちらもビルの谷間にある小さな神社であった。鳥居と拝殿のアップ。鳥居をくぐって階段を登ってゆき、拝殿前で参拝を済ませる。拝殿の右脇には小さいながら授与所があり、御守りや御朱印の授与が行われている。最近は御朱印ブームとなっているためか、小さな神社へ行っても、朱印を求めている人をよく見かける。(次回に続きます)
2020年02月10日
8日、東大阪市にある石切劔箭神社に参拝に出掛けた。「でんぼ(腫れ物)の神様」として癌封じなど病気平癒祈願で有名な神社である。(その2)門前の「すずや・石切丸」で摂ったあんかけうどんの定食。少々風が冷たく肌寒かったので、暖かいうどんはちょうど良かった。ビールとともにおいしくいただく。店頭には関西らしくおでんが大鍋で煮えていた。ジャガイモをおでんに入れるのは関西風なのだろう。信州でも関東でもあまり見かけたことが無い。石切駅からの狭い参道は、正面参道に横からに短絡して入ってしまう。いっぽう、神社正面には山門を配した立派な参道があるので、少々遠回りではあるが、山門入口まで戻り正面から神域へ入場しなおす。立派な山門。正面参道を進んで行く。正面大鳥居。奥にあるのが拝殿となる。干支の大絵馬も掲げられている。この神社の名物「百度石」。100回をカウントするために使う紙製の"こより"が授与所で売られており、それを手にして廻っている人が何人か居た。本人や家族の病気平癒を願っての事だろう。写真に写っている茶色の外套の人と、赤色の外套の人が手に持っているのがその"こより"である。拝殿前に進み、賽銭を投げ入れて、二礼二拍手一礼し、無病息災を祈念する。拝殿のアップ。お札やお守りが売られている授与所。家族用に購入したお守り。帰路は石切駅からの参道を背にして坂道を下り、新石切駅から電車に乗った。(おわり)
2020年02月09日
8日、東大阪市にある石切劔箭神社に参拝に出掛けた。「でんぼ(腫れ物)の神様」として癌封じなど病気平癒祈願で有名な神社である。朝、近鉄線の特急列車で名古屋を発ち、鶴橋で下車し、近鉄奈良線に乗り換える。鈍行列車に20分ほど揺られると目的地の石切駅へ到着した。石切駅の階段を登って殺風景な出口から外に。位置関係はこの地図の通りで近鉄奈良線の石切駅と近鉄東大阪線(京阪奈線)の新石切駅が最寄である。石切駅からは1km強程度の距離があってひたすら急坂を下る一方となっている。その参道沿いには商店街が連なっており、それを見ながら参拝するのが楽しい。参拝後は新石切駅を目指すと、これまた下り一方であって体も楽である。よって石切駅-神社-新石切駅の一筆書きで行くのがが最も適当であろうと思い、そのルートを選択した。駅を出ると参道が始まる。鳥居が迎えてくれる。由緒ある神社のためか参拝講も存在する模様。「~講」と聞くとどうしても"ねずみ講"を連想してしまい、字面が悪く思えるが、参拝講は伊勢神宮をはじめ、神奈川県の大山なども有名である。参道のところどころには「講」の標石が立つ場所があったり、このような祠もある。途中にあった「石切大仏」。坂道を下りながら参道を進んで行く。人が覗き込んでいるので何かと思ったら鰻店であった。香ばしい良い匂いがするが、樋口一葉さん1枚が無くなってしまうので我慢して通り過ぎる。鰻店が名物の参道といえば成田山新勝寺の門前だろう。急勾配で狭い参道の両側に商店が立ち並ぶ光景は金刀比羅宮(香川県)や大山阿夫利神社(伊勢原市)などの参道を髣髴とさせる。この狭隘な参道の主役は占い店であるようだ。やたらに何軒も占い店がある。少々怪しい雰囲気なのが面白いのだろう。さらに坂を下る。神社が近づいて来るとこのような飲食店、みやげ物店が多くなってくる。食堂のメニューはさすがに関西らしくうどん類が多い。狭隘な参道はここで終点。写真左手が神社の拝殿方面となる。ちょうどお昼時であったので、門前の一等地に店を構えている「すずや」へ入店した。
2020年02月08日
11日、しばらく和式旅館に泊まってなかったので、久し振りにと思い、知人を誘って釜の淵公園を望む宿に1泊した。青梅線青梅駅で下車し、駅前真正面の道をまっすぐに下ってゆく。住宅街の中を抜ける細道と階段道路を通ると多摩川を見下ろす吊橋の袂へ着く。人道橋「鮎美橋」から見た多摩川の河川敷。右側には激しく水が流れた痕跡が残り、昨年10月12日の台風の爪痕と思われる。対岸に渡ってから見上げた人道橋(吊り橋)の鮎美橋。同エリア内に移築保存されている旧宮崎家住宅。市内北部の成木地区にあった農家。19世紀初頭の築とのこと。旅館の五階から眺めた釜の淵公園。多摩川が大きく蛇行する場所に位置している。広い河原は、夏場になるとBBQなど楽しむ人で大人気である。ゆっくり風呂に入って汗を流した後、地ビール、地酒を呑みながら楽しく夕餉をいただいた。たまには和式旅館でくつろぐのも気分転換・骨休みになってとても新鮮で良かった。
2020年01月15日
三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その4)引き続き東地区の観覧。宮城(皇居)正門石橋飾電燈。明治初期の製作。写真では見辛いが、見事な意匠が施されている。鋳物であると思う。複製品の戦前の煙草「朝日」。証紙まできちんと再現されている。「大日本帝國 專賣局證票」と書かれていた。戦前の煙草は敷島、金鵄、桜、譽、光などの銘柄が知られている。仕立屋の店内にあったガス燈。キャンピング用ランタンと同様にマントルが装着されていた。電燈の普及に伴い、ガス燈は明治後期以降急速に廃れていった。下谷(台東区)にあった居酒屋店舗。江戸末期の築。震災・戦災を奇跡的に免れた建物とのこと。立派な建物は江戸の銭湯。足立区千住元にあったもので昭和初期の建築。銭湯「子宝湯」前では正月明けの特別企画として地元有志による獅子舞が披露されていた。醤油店。港区白金にあった。昭和8年築。大田区にあった農家。名主を務めた家柄とのことで豪農らしい堂々とした造りである。江戸時代後期築。最後に中央エリアに戻り、見落とした伊達家門を見る。港区白金にあった宇和島伊達家の江戸屋敷の門。大正時代の造営。同家は維新後華族に列せられ、侯爵となっていた。旧大名家である侯爵家に相応しい立派な門である。これで江戸東京たてもの園内のすべての観覧が終了した。歩き回って結構疲れた。400円でこれだけのボリュームがあるのはとても有益であった。(おわり)
2020年01月14日
三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その3)今度は東地区の観覧。万世橋(神田)にあった交番。明治後期築。カイゼルひげを生やし、サーベルを吊った邏卒が似合いそうな交番である。火の見櫓の上部。上野にあったもので大正末期築。50年ほど前まで実際に使用されたが、高層ビルの建築や電話の普及などで消防署の望楼はその役割を終えた。中央区にあった新富邸。関東大震災の教訓から木材部分を外側に露出させない工法で建てられている。神保町にあった荒物店。昭和初期の建築。都内を走っていた路面電車。東京の市電は現在荒川線だけとなっている。右が神田にあった生花店、中央が同じく神田にあった文具店。いずれも昭和初期の建築。左側の土蔵は、内部が麺類中心の和食レストランとなっている。このテーマパーク内には洋食、和食のレストランが各1箇所、メインエントランス建屋内に喫茶店が1箇所ある。右側から先ほどの荒物店、生花店、文具店、和食堂と並んでいる。小岩(江戸川区)にあった和傘店。大正末期の建築。白金台(港区)にあった乾物店。昭和初期の建築。(続きます)
2020年01月13日
三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その2)引き続き西地区の観覧。信濃町(新宿区)にあった洋館。明治末期に獨國人の建築家が建てたとのこと。その建築家はゲオルグ・デ・ラランデという人で、神戸市北野異人館街にある「風見鶏の館」の設計者でもある。瀟洒な洋館の内部は洋食のレストランとなっており、若干昼食には早かったが、遅くなると混んで来そうなので、ドイツビールと共に洋食(ジャーマンライス)を戴いた。堀口捨己設計の家、大正末期築。懐かしいボンネットバスも展示されていた。続いて中央地区の観覧。旧自証院霊屋。市ヶ谷(新宿区)にあったもの。江戸時代初期築。屋根の裏側は東照宮を思わせる派手な装飾が施されている。高橋是清邸。赤坂御用地の南側にあった。2・26事件の現場となった。明治35年築。同じく高橋邸。昭和11年、陸軍の青年将校が指揮する近歩三の部隊に襲撃され、高橋は銃弾6発を受けて即死した。なお、高橋邸のあった場所は現在公園となっている。昭島市にあった実業家(蚕業)の館。大正中期築。(続きます)
2020年01月12日
三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。この博物館は”小明治村”と言った感じで歴史的な建物を公開保存している施設である。都立小金井公園の中にある。この小金井公園は桜の名所で観桜に訪れた事はあったが、博物館施設は見ずに通過した。今回はじっくり見てみようと思った。中央本線、武蔵小金井駅で下車し、バスに乗る。10分ほど乗車で小金井公園前のバス停に着く。落葉した桜の木が侘しい冬の公園を通り抜けて博物館の入口へ辿り着く。立派な建物が江戸東京たてもの園のエントランスとなっている。紀元2600年記念式典のために皇居前広場に造営された式殿であったとのこと。昭和15年に行われた式典の後、小金井の地に移築され「光華殿」と命名されて現在に至っている。昭和15年といえば支那事変の真最中で既に戦時下であった。大日本帝國の國威発揚と言った観点からも威厳のある建物が造られたのだろう。その光華殿で入場料金400円を払って先へ進んで行く。建物が30棟ほどあるので、ちゃんと見学すればかなり見ごたえがある。マニアの方であれば400円で丸一日楽しめるだろう。最初に西地区から観覧を始める。最初に午砲。江戸城内に置かれ明治初期から昭和初期まで東京市民に正午を知らせた。昭和4年からサイレンに変わって役割を終えた。練馬区常盤台にあった写真館。撮影用の電気照明も満足に無い時代なので、建物北側に大きな採光窓がある。日差しの入らない北側からの採光なので日陰も出来ず写真撮影に適した自然な灯りとなったらしい。(昭和12年築)三井財閥の邸宅。昭和27年築。奄美地方の高倉(倉庫)。亜熱帯地方の湿気やネズミの害などを避けるために収納部分がかなり高い位置にある。(江戸時代末期築)倉庫内へはこの入口から出入りする。三鷹にあった農家(名主を務めた家柄)。江戸時代後期築。玄関が特徴的である。八王子で武士兼農民として要衝警備にあたった同心の家。江戸時代後期築。世田谷区にあった農家。江戸時代中期築。この家は珍しい事にかまどに日を入れての展示となっていた。貴重な文化財たる古民家であるので火を炊くことなど論外と思ったのだが、実際は逆で、煙でいぶすことで屋根や建物を保全しているとのこと。内部で火を使わないと屋根材は数年で葺き替えが必要なってしまうが、煙の効果で二十年程度は葺き替えが要らないとの説明であった。(続きます)
2020年01月11日
令和2年、皇紀2680年、明治153年、大正109年、昭和95年、平成32年、西暦2020年が明けた。大晦日・元旦ともに好天で穏やかな日になりました。本年も平和で健やかな年になりますように。(写真はいずれも知人から戴いた初日の出になります)
2020年01月01日
知人から石垣鯛を戴いた。既に十回程度頂戴していると思う。男女群島産であったり、青ヶ島産であったりなかなか訪れる事も無いレアな場所であがった貴重な魚である。今回は屋久島産とのこと。こんな立派な魚は自分で捌けないので、いつもお世話になっている魚屋さんにお願いした。魚を持ちこんで30分もかからず、見事に盛り付けられて我が家の食卓に届いた。パックのサランンラップ越しなので写真はイマイチだがプロの美しい盛付に関心しつつ貴重な味を美味しく頂戴した。刺身にならない「アラ」部分もこのように処理されていたので、酒と醤油と味醂で煮て、別途美味しく戴いた。貴重な石垣鯛を食べる事が出来て良きクリスマスとなった。(以上)
2019年12月26日
25日の昼食は松本市筑摩(富士電機近く)の『大田や食堂』にて摂った。この日は店イチオシと思われる日替定食(税込500円)を注文した。煮カツと白身魚フライの定食でボリューム満点、美味しく戴いた。500円でこの質・量なら大満足である。なので店も満席の混雑であった。
2019年12月25日
19日の昼食は上伊那郡宮田村の国道153号線沿いにある「鳳」で久し振りに摂った。駒ヶ根名物のソースカツ丼(950円)。薄めのカツであるが2枚載っていてボリュームもある。この店のは自分があまり得意でない脂身が少なくて嬉しい。美味しく戴いた。
2019年12月19日
全2018件 (2018件中 1-50件目)