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【柔軟剤は必要か?】・・・南北の窓を開け網戸から風の流通。空きだった隣室に入居者家族。窓際に洗濯物を干しているのか。柔軟剤の匂い。どうも苦手、具合が悪くなってくる。体に悪い成分なのか?30年も使ってなかったのをなぜか最近使ってみた。やはり体が嫌感。合わないと拒絶。 【米糠】・・・夏は臭いに敏感。道で擦れ違った人からも来る。この頃の夏は私にとっての断食シーズン。ヌカを使った酵素風呂で、すみずみから毒素を排泄しよう。在庫のヌカは梅雨時がタイムリミット。在庫を確認した。5回分ある。今週中に使い切ろう。トイレ掃除に。食器洗いに。手洗いに。【足もみ】・・・とりわけ定時のイベントがない日は、夕方16時くらいから散歩に出動。暑い中たくさん歩く。一日2リットル水を飲む。たくさん汗をかく。日没時間迄には家に入っていよう。べったり汗をかいた帰宅後、EM石鹸で全身洗い、水シャワー。玄米の圧力釜のガスをつける。炊飯の間、夫の足もみ整体20分。水を浴びると力が出る。冷えた体が暑くなってきたところでご飯が炊ける。【コーヒー】・・・新谷弘実氏のコーヒーエネマの予定は全くない。が、本屋で立ち読んだところ、コーヒーを口から飲むと、善い菌をも殺菌してしまうというのが、飲む方のコーヒーの問題点であると理解する。2時半に目が覚めたので、起きて直ぐ珈琲を淹れて飲む。少しムカムカしたためか、その本を思い出した。柔らかな春キャベツ3、4枚を洗って、芯は別にし、葉を重ね丸めてバリバリ食す。その後に珈琲を飲んだ。(!わるくない)今後は最初おなかに何かを敷いてから、珈琲を飲むとしよう。過去わかめサラダの後の珈琲に心身の充実体験。(2011年7月2日(土)7:00)【本を読む順番】・・・早朝起床後、読みかけの小説を読んでいた。(林芙美子の戦争当時にちなんだもの)次より、朝一に読む本はより精神的な読み物とし、神的な時間としよう。それ以外の本は午後でよい。時間の段取りを考えるように、本も分けて取り込む。新聞は最後の順番でもよいな。【断捨離】・・・本を読むとその考えはヨガからきているそうだ。スクラップで思いついた。断捨離っていうのは、つまり、新聞ひろげ、残したいものを切り取る。残ったものは捨てる。(掃除用新聞の箱に入れておく)二つに分けるということだ。二つの箱を用意。残すもの、捨てるもの。使うもの、使わないもの。要る、要らない。分けなければいけないのだ。混沌とは、結局、要らないものに支配されてしまうということだ。ダイエットと同じなのだ。断食が出来る自分なら、自分ならそうとう質の高い断捨離を決行するだろう。食を上手くより分けて、適量、適質を取りこんでいるではないか。【断る女性の姿に復興の兆し】・・・食量配給を4月下旬迄受給。最後の日、前の30~40代の女性が、自分の番が回ってきたとき、袋に入れられたものを、「これ要りません」「これも要りません」と数回にわたって、瞬時にお断りしていた。圧巻。(食を考えている人なのだなあ、こうでなくちゃね)その姿はすがすがしかった。食にこだわる者にとって、配られる物は、体にとって(???)のものが多くなりがちで。私もカップ麺を何個も食べました。でもおいしかった。楽しくもあったし。幸せでもあった。定期的に食べ物を食せるって、しみじみありがたかった。感謝。不安定な状況の時は、それで、いのちをつなぐのだから、それで良かったのだ。(2011年7月3日(日)11時)
2011年07月03日
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【バンダナ】・・・ハンカチの正方形を三角に折り、両端を結ぶ。それを頭に被る。後ろの余分な髪を黒ゴムで縛る。家にいる時の私の好きな格好。(イスラームのイベントに参加する機会があるなら、黒のバンダナで頭を包めばいいんじゃないかな)トイレで閃いた。頭にキッチリ被り物をするため、私は顔が小さい。近頃気づいた。バンド効果で血流の運動作用だろう。巻くだけダイエットを試みて色々アイディアわく。ユニクロ見て回ると自分のスタイル、こういうのがいいと発案生まれる。【紐】・・・古下着の伸びる綿をつかって長い紐状に作成(240センチ)。それを巻くだけダイエットのピンクバンドのように、骨盤を縛ったりして気持ちがいい。今はその紐をタスキ掛けにし、タンクトップの紐に絡め、胸の上ラインで縛る。シャキっと背筋が伸びる。なんといっても、涼しいのだ。【手を洗う】・・・(そうだ!書く前に手を洗うのだ!それもEM石鹸で。そうすると手さんが、よく動いてくれる!そうでしょう。歯磨きあとに塩で歯をブラッシングし、顔を洗い、目を洗ったあと閃いた。【イヤホーン】・・・BGMをイヤホーンで聴くようにして書くと、集中力高まる。音楽は天使。また、朝書くポイントに加えて、私のスピリットは朝7時オープン。楽しい。お金が少しでも、生き抜く力。【スクラップ】・・・小説「ナニカアル」~林芙美子の夫・画家の緑敏の日常『庭仕事とスクラップ、事務ごとも得意』という箇所を昨日の昼に読んで、(緑敏さんもスクラップしていたんだ)やっぱり始めようかなと夜に思ったのは、岡田斗司夫さん記事に影響。再度読み返してみたいと思ったから。【評論家・岡田斗司夫さん】・・・スピリットが好きです。(「いつまでもデブと思うなよ」昨日返却)昨日の朝日新聞悩み相談への回答が振るっています。「ダメ人間は作家をめざしましょう」だって。『自分をダメと決めつけるプライドだけは高い。あなたは業が深い。そういう人間に向いている職業がたった一つあります。作家です。作家になるための前提は三つ、妄想力、世間からバカにされていることへの恨み、それ以外のとりえのなさ。~自分のダメさがどれほど本物か、賭けてみる値打ちはあるでしょう。~私たちのようなダメ人間が、作家などクリエーターを目指す方法はただ一つ。毎日、作品を書くこと。~今までの~をムダにしないため、あれは取材だったんだ、と割り切りましょう。周囲のバカにする目つきも、私たちにモチベーションを与えるための逆境です。これまでのダメ人生と、高すぎるプライド。この二つを自分の資産にするのです。』岡田さん回答~抜粋。これは、相談事が何であれ、回答になっている。書けば、道が開けてきそうだ。相談する側は落ち込んでいる状態ということなのだろうから、そういう状態にあるとき、奮い立たせてくれますね。書いていくうちに、きっと、自分がめちゃめちゃダメじゃないという勇気づけが湧きたってきそうだ。先月迄の仕事を納めた者にとっても、やる気が喚起された。昨日、図書館で過ごした充実の時間。(仕事をしばらくしないというなら、何か書いてみようかな)樋口一葉の本をめくりながら思いついた。(「明治の文学第17巻樋口一葉」坪内祐三・編集)2011年7月3日(日)7時半~9時半
2011年07月03日
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朗読会参加。観客は、会議用堅椅子で3時間座り行に耐えつつ聞く。途中トイレ休憩10分。いっぱい涙しハンカチを濡らした。そう!感動したかった!泣きたかった。それを求めていた。椅子の上に正座。背筋を伸ばし、顔は斜め上に顎をあげる。情景が浮かんでくる。上演者の方々はプロの男優女優ではないシニアの方々。こういうのもいいものだと思いました。落語やTVドラマと違ったヒヤリング。身近な人々の口から語られる、普通の声が、親祖父母から聞くようでぐっときた。「十三夜」(樋口一葉)こういう話だったか。祖父母に本を読んで聞かせてもらったような体験。嫁いだ娘が、夫の小言に傷つき耐えかね、幼い太郎を置いて実家に戻ってきた。話をきいた母親は感情的になり、我慢する必要がどこにあるかと息巻く。冷静な父親が穏やかに諭し、娘は決意し直して、嫁ぎ先に戻っていくという話。泣けた。一番印象に残った。帰宅し、夜、朝と夫にその内容を繰り返した。男も女も、環境が仕事でも、同じような詰まりを体験するだろうから。「節目」なのだ。巻くだけダイエットのピンクバンドを手にしてから、「話を長時間きく」というのが得意になった。集中力。ダイエット。頭が研ぎ澄まされる。正座、横座りを左右交代。普通の座り姿勢の際は、ピンクバンドは膝がくっつくように、膝上に巻き縛る。が、ピンクは目立つだろうからと、オリジナル作品を。100均で買った黒の太ゴム。太ももサイズに合わせ、巻くというもの。血流の調整だ。ゴムの太さ加減で、血流の微妙な変化が、脳への刺激に影響。これで講義、研修、講演会、演奏会もOK。家で本を読む時も、時々活用。背筋も伸びるため、この生活法は、心身を健康にする。9年周期、5年周期、私は物捨て大掃除に特化する。節目なのだ。竹のごとく。一定の期間ごとに太い節が入っている。そうすることによって、竹がこの先どんどん上に向かって伸びても全体を支えられるのだ。節目にあたる時は、通常と違った苦労がある。が、そういうしくみになっている。全体的な生命を丈夫にするため。味わう苦労には、実に深いわけがある。なるほど、女性の生理と同じだ。最後に出会ったクライアントが節子さん。ありがとう。怒涛の震災復帰後の目まぐるしかった職場期間よ、ありがとう。この縛りの期間も、全く、ピンクバンドと一緒だ。ある時間だけ、縛って、血流をせき止める。そして縛りを外す。血流がサーっと活発になる。私の霊肉も同じということだ。まるで、地上の中間霊界から、天上にあがってきたような気分だ。そう、私は、ある種の「死」を体験した。私が最後の節目にあたる時が「死」であるから、(その月は6月かもしれない)そう思った。天のお父様、私は生き残ったのであります。震災時、私が職場にいなかったなら、どうなっていたことでしょう。このへんをうろうろ歩いていたなら、私はあちらへ人事されていたのです。私の住まいは3階で、夫も車も仕事ゆえ、ここには居なかったのであります。コリア本を読んだ時、朝鮮戦争時の場景がどんなだったかと思いましたが、想像できませんでした。震災津波数日後の惨状を歩いた時、(こうだったか)と思いました。ですが、地震津波じたいは、天の周期によるものでした。
2011年07月01日
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2011年7月1日(金)9時半~本日干支【辛卯・白青/甲牛・青赤/丁巳・赤赤】という具合に今日出かける時の服を組みたてる。電車通勤定期が今月21日迄有効のため毎日散歩日課として歩く、走る。帰りに食材を調達。キャベツは晩に半分、朝に半分コールスロー。今日は新月の日ではないか。そのつもりで一日を過ごせ。探しモノ:2リング穴あけ器。コーヒーフィルター買いおく。朝、仏様にあげる「水」は、キャップ付き透明ペットボトルとなる。震災時、当然コップの水はこぼれ水浸しになったゆえ。茶碗は割れたため、ご飯は朱塗りのお椀で。避難所の配給はおにぎり、菓子パンなど。4月末まで配給受けさせて頂いた。通常の食生活に回復し体蘇った。10年前開始の玄米ご飯、最初は二人で3合。震災時頃迄は2合。震災後からは二人で一合がちょうどになった。食前にキャベツを食すようになったため。1年前からキャベツダイエット本買って読んでいた。もう随分前から玄米ご飯二人で二合がきつくなっていた。私は無理に食べていた。夫が1杯しか食べないから。二人は夜しかご飯を食べない。食後デザートもお菓子も食べる。が量が今迄の半分に減った。私の朝は、水とキャベツとコーヒー。時々黒砂糖。りんごの季節はりんごを好んで毎日。避難所からの配給食がなければ、本当は「やっていく方法」があった。が安易な方に流れた。震災時、ソフトバンクが不通で、私はエスパル地下に避難する運びに。一緒に固まってザコ寝した女性二人は翌朝、指定された小学校へ移動すると途中の道で別れた。私は天気が良いので家まで歩くと瞬時に決断。歩いている最中に携帯がつながった。合流の喜び。3、4日間は車で寝泊まり。家にはすぐに入れず。2メートルもの津波が来て、水が引くのに、数日かかった。一度家に戻ったが危険と言う夫の判断に従い、在庫の食糧を持って、歩いて2時間先にある夫の仕事関係の駐車場の車をねぐらとした。また数日後に、マンション3階に来てみた。2階の知人と対面し、どうやら、ここに戻ってきてもよいらしい状況を掴んだ。電気・ガス・水はなくとも。我が家は最高だから。「やっていく方法」とは在庫の米4キロ、乾燥ワカメ3袋、ヌカ4袋、塩、黒砂糖、味噌、酢などがあったので、水を運べば、米もワカメもヌカも、水につけて窓辺に置いておけば、充分食べられる。実際、そういう生活を数日していた。結構おいしいものだねと、二人は充実していた。気を張っていた二人は毎日、あっちこっち、水汲みと情報収集のため歩いた。避難所に泊ったのは一泊だけ。仕事は4月4日から復帰。それまで時間は自由だったが、電気・ガス・水がままならない状況だったため、家は片付かなかったのだ。ただ、落ち込みたくなかったため、長靴を履いて、毎日、朝昼晩と、水汲みに往復三十分を三回エクササイズした。力仕事をして汗を流せば、心強くなり、力が漲ってくる。疲労をたっぷりするため、夜はぐっすり寝た。(何が起こっているのかわからなかった)4月、5月、6月と、私は新しい部署で怒涛のごとく日々に追い立てられた。仕事の厳しさが、震災という現実を忘れる薬となった。この3ヵ月は霊肉におけるリハビリだった。ありがとうみんな。
2011年07月01日
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2011年6月29日(水)23:57(年・辛卯/月・甲午/日・乙卯)お久しぶり。帰ってきた。一年ぶりの日記復帰!勤務4年間にピリオド。円満なる退職記念日。悶々とした悩み固まった状態が続いた。が、一気に解き放たれた。スカッとした気分が晴れがましい。この終止符を誰が打ったのか。天の計らいを思った。ずっと前向きに信じた。決意した。あきらめなかった。やりきった。開けた。南北の窓を開ける。風の流通。静寂の深夜ゆえ、BGMはイヤホーンでヒーリング癒しの音楽。(次の晴れ日に網戸を洗おう)家の真ん中にテーブルを配置。なかなかこの場所、善いではないか。「文章講座」今年は申し込まず。文字数の制限と、問題点の指摘。その二点が前回は苦しかった。日常書けない状態で、いつもぎりぎり提出する即席文。が、楽しかったなあ。作品は残った。会社のPCから解放され、私の手は自分所有のキーボードを打つ気になる。うれしいな。自由。会社で働くって大変なことなのだ。すっぽりと奪われる。会社のしもべ着ぐるみすっぽり被る。最後の部署がスパルタだったため、なおさら解き放たれ感はいっそう涼やかだ。私は部署上長とも円満な最後を締めくくる。締めくくりが確定してからは、最後の挨拶に友好的なそよ風が吹き合った。夫メルその都度心情報告。書くと次に行けた。夫はエールを送り続けてくれる「あなたは出来る人だ」と。このすがすがしい気分は、今年はじめて味わう。震災後の整理をこれから少しずつ進める。七月は大掃除。断捨離。さっぱりさせた上でお盆の準備。八月一日から恒例のラマダーン断食の出発。あの震災を思えば、仕事がなく、経済に余裕なくとも、いかようにも生きられる気がしてくる。批評というのは専門家にまかせておけばよい。私は批評家になれない。その「本」が私にどのような影響を与えたかが問題。その「人」を通して私が何を学んだかが問題。文章も。今は上手くなるとか、そこまで至れない。書くことによって、自分が整理されたい。救われたい。次の行動を興すための心の相談室。ここの場所なかなかよい。見つけた。新たな場所。詩作の机、半畳スペース。生まれるに時があり、結婚に時があり、出産に時があり、死ぬのに時がある。今回の人事、天時に私は「死」とはこういうものだなと考える場面があった。道具を整理しこの場を立ち去る。それは悪いことではない。さなぎが蝶になるには殻から脱皮しないといけない。居心地よいからと、いつまでも殻の中にいたらどうか。時に押しやられ、殻を破ったら「抜け出せて善かった」となるだろう。これから精力的に書く。このスペースで報告し続ける。ガレキと汚泥の整理。私は自由な時間を持たされる。それらを上手くコントロールし使いこなす。少しずつ善くして行けるだろう。きれいにしていけるだろう。私にはそれらを上手くやりとげる能力がある。そうしながらも毎日散歩に出かけ、水シャワーを浴び、野草摘みも始め、ジュースも作って飲むだろう。窓をピカピカにし朝顔を咲かせてみたい。書いたものをプリンターし本の作成を構想し続けていた。その時間もたっぷりもらった。好きなようにやってみろという。神様が自由時間をくれた。水も電気もガスもある。充分だ。進め。
2011年06月29日
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14日目。数日日記をお休みして申し訳ありませんでした。7時。立ち上がろう。3分間だけ肩逆立ちのポーズ。低反発の枕を壁に持っていき、そこに頭を乗せると固定されて、らくに肩逆立ちができる。それと、ピンクバンドを腰に数分巻く。これで頭がシャキッっとするはず。頭で段取り手順の構想ができると、体を、この場所まで運べた。書きたいことがいっぱいあったのに、体が立ち上がれず、朝、ここに体を書きに運べず、申し訳なかった。神様、今日はありがとう。あなたに、どうやって、お話したらいいか、わからないできたけど、今朝、日の出前に、屋上近くの階段を昇って、おどりばで、東の空をぼんやりみていたよ。父親と会話がはずまない。どう話しかけたらよいか、何を話したら話が続くか、工夫しようとも考えなかった。その父と娘の関係の距離の遠さに、不可解に、神様と私の関係と、全く同じなんだな!いつも思いもしないことを思ったのだ。作文で、私は人の美点を原稿用紙30枚書くのはわけがないなんてかいたのが、妙に詩的で、いいこと書くなあと、心に残ったの。一番すぐ書きあげられるのが、夫なんです。会社でお世話になった人に、お礼の言葉をいいたくて、私はあなたの良さをこんなに書けますなんて、言ったの。それには根拠があって、その人は、私の大好きな夫の個性に似通った性質を持っていたので、称賛する言葉に苦労なくスラスラ表現できるとイメージできたからなの。さて、私の父と、私の夫は、似てる要素が、やっぱりあるの。分析すると、統計をとると、とても説明がつく要素を書きならべられる。そっかあ!私は父の美しい要素を30枚分書くのは、難しくない。だって、夫と似ているのだから。さて、私は現在の仕事部署の上長をどんな目で、見ているか。究極的に、父と似ているのです。父の若い頃は、こんなふうだったのかもしれないと、父と重ねて、見ているのです。数えたくはないけれど、だいぶ、こちらが早く生まれた立場です。ですが、まるで、その方の年下のように、礼儀作法をもってふるまっています。立場上それでよいのです。ですが、もっと、その方の子供のような顔つきをすることがあります。それらの根拠は、私が、四柱推命の統計学で、たえず、人の美点を研究しているという研究ノートからくるインスピレーションです。神様に、こんなにも毎日、ありがとうありがとうありがとうをいいたくてたまらないのは、あなたが、私にたった一つの贈り物を下さったからです。夫です。形ある夫という存在。夫に毎日、ありがとうありがとうありがとうを、いい続ける根拠は、その推命学の研究からきています。私の命を、霊的生命をも、養って下さろうとする、親の存在のようでもある夫。私は、いつしか、夫に、あなたを重ねるようになりました。神様、それでね、わたし、祈り方のこつをつかんだよ。ずっと、空と、にらみあいしてた。言葉が、でてこず。思いもでてこず。漠然。こんとん。そらに、向かって「おとうちゃん」とよんでみた。段階があるんだから、大人の口調じゃなくても、まだ、心の世界がちいさいんだから、3歳児の女の子のしゃべりでも、いいでしょと。ふつうのしゃべりでもいいでしょと。それで、日記で、いつも、気さくにおしゃべりするように、神様に、今、こんなことおもってるんだって、友達のように、空に話しかけたんだ。そしたらね。ぽっ!と赤の半円が、東の空の、高いビルの上からから顔を出したの。その出かたがね、赤ん坊が、いま、おかあさんの中から、からだ半分だけ、でかかってます。っていうかんじで。ねっ。すごいでしょ。かんどうした。そうか!私は、こうやって、太陽のおっかけをしてるんだ。日の出と共に一日を出発して、日没には、ちゃんと、お家の中に入る、太陽の子なんだって。3日連続で、赤い日の出を体験したのです。昨夜の帰り道にはお月さまは、まるくなっていました。私が、研究したいお菓子は、ヨモギ大福もちです。夫の母がつくってくれたのが、今まで食べたおやつで、いちばんおいしいって、魂の喜びをかんじたもの。それが、ヨモギ大福もちなんだ。マルって、神様をあらわすんですね。営業で、月おわりの週の段階でも、まだゼロっていうことがあったとしても、無から有を生み出せると信じるんだ。これは訓練なんだ。かみさまを信じる訓練なんだ。かならず、うまれる。ゼロ円は、妙味がある。マル。おだんご。神様、私、数日、こころが、ぼんやりしていました。書くのが恥ずかしくなった。断食期間、苦しいこと、落ち込むことあったら、よかったと思え。この期間は、生産数をあげるのに、やっきになる期間じゃないのだよ。いらないものを捨てる期間でしょ。困難な難しいことがおこっても、当然だよね。古井戸に、石をなげこんで、澄んだふうに見せかけの水を混濁させて、水をてっぺんまで、そそぎいれて、よごれを、容器から、あふれさせる。ながしだす。二層式の洗濯機の方が、わかりやすい。とにかく、わかったんです。いちばんあらいだしたいのは、傲慢という汚れを洗い流したかったってことです。
2010年08月24日
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報告日記11日目。変化は、顔つきです。顔色が澄んできました。少女っぽさ、童女っぽさ。日中断食とヨモギ若葉の青汁効果。若さという生命力を頂きます。肌色が、白くなった。昨日の朝の挨拶をした時、上長の顔つきの反応で、やっぱり(気づかれましたか・・)と思いました。(上長も、私には修行僧に映っています)最初の好転反応状態から、ある日、突然、効果がくっきり出始めます。 8時まで20分。仮眠したい。ここで眠れ。日の出じかん1時間遅れてヨモギ畑。今日は土曜日。家近くの堀ぞいを散策。長くつで歩く。汗びっしょりかいて、マンション階段のぼり口で、こっそり飼っているらしい犬&家族に遭遇。ぎゃんぎゃん鳴かせてしまってすみません。朝に静けさに公表させてしまいまして。その時間は彼らの時間帯だったのです。日の出時間が、私専用の特別優待される時間帯だった。次から時間守ります。日の出前時間、NHKの絶景映像みながら、昨日朝どりのヨモギを洗ったあと、ザルにあげ、ボウルにて、ちょきちょき刻んでいました。ミキサーにかける前段階の作業。その後、落語をやっていたのです。タイトルは「紙入れ」。人類歴史の戒め。あやまちは、女性が先に誘惑している。落語は、私には礼拝説教と同じく感じます。げげげ、行ってきます。げげげ、から戻る。「奥さんはちっとも変ってなくてほっとします」深沢さんのセリフ。素朴、飾らないって素敵だと思った。親に仕えているから、謙虚さが、鍛錬されて、美しいのだな。今日は時間きれ。またあした。次かきたいのは、日の出時間、畑に行くのが、恋人に会いに行くということだなと、昨日、仕事時間思ったこと。家事をどんどん、しはじめたということ。スーパーで売ってる、味付け調理前の、豆腐屋からきた「おから」は、生で食せるということ。昨日、夫がいなかったので、やってみた。よかった。修行僧らしい食べ方だ。また、ミキサーにかけた水&ヨモギ、小ザルにあける。水分はペットボトルへ。ざるに残ったものも、食べれる。口の中でカミカミする際、納豆をいっしょに口に入れて、カミカミすると、ヨモギの繊維が、カンペキほぐれる。体内の掃除隊として、ぞうきん係の役割も抜群で、昨日の生おからとダブル効果で、精神的に、研ぎ澄まされる。ひらめきすごくて、詩人になれそうだ。メモをとらないと、忘れていく。メモ用意。太陽のおっかけ、楽しいな。仕事の成果も、なかなかの働き。巻くだけダイエットのピンクバンドも大活躍で。さらにいろいろなゴムひもで、腕、足、頭、血流をあやつっている。短時間で、質のよい眠り。8:40。そろそろ出発。
2010年08月21日
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十日目。三分の一の地点にきています。昨日の夜の過ごし方の出来の良さ。波にのってきた。流れをつかめてきた。報告日記は眠くても、書けないことはないと知った。むしろ覚醒しきれてない中で書くというのも妙味がある。所要時間は7時~7時半を目標に。昨日の仕事終わり以降のみごとさ。時間を意識したら、段取りよく時間が来て、会社を出られた。走れ。私には目標がある。18時17分の電車に乗るのだ。電車に乗って、18時27分の日没時間が過ぎたら、用意した水と、青汁の、それぞれのボトルをあける。乾ききった、疲弊した体内に、流しこむ。神様の愛たっぷりで潤い、電車から降りたら、いちもくさんに家に飛び込む。日没って、太陽さんが、太陽さんのお家に入ることなのですね。その後も家事こなしも、みごとだったが、この話の続きは後日。仏様のコップの水。じゃぶじゃぶと水に触りたい。皮膚が水を好み、なんでも洗うことが好きになる。毎朝の仏様の水の取り換えを、夕方も取り換えてみる気になる。その際、コップの外と内もさっと手で洗う。中に最新の水を注ぐ。「どうぞ、今日も暑かったですね」朝夕の仏様の水あげ下ろしというのも、コミュニケーションなのですね。コップの水は、自分を象徴。今日の私の気持ちです。自分そのものをコップと水に表して、お供え致します。と、いうことなのだな。断食で、中を洗い。垢と臭いを洗いおとす必要から、外もせっせとまめに洗う。新しい皮袋の用意ができましたので、最新の神様の気持ちを注いで下さいな。愛という気を。光を。今日もまんたんにして出発だ。
2010年08月20日
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薬草採取をしながら、どうぞ、この薬で、その傷口が癒されますように。どうぞ、あなたの病気が治りますように。神様、あなたを牛にたとえてみました。動物たちの運動会で、あなたは背中のネズミをゴール地点で、背中からおろしてやったのであります。子供である人間に、自分の「数」の一番をあげたかったのであります。日の出時間には、野原のモスクにでて、あなたのお出ましを待機し、日没には、もう、自分の家に入っていなければなりません。外で、余分な仕事をしているのではありません。さっさと家に入って、家ですべきことを、時間内にやりおえるのです。昨日、自分のスケジュールを調整した。仕事を18時あがりに修正をかけた。どこにも寄らずにまっすぐ家に飛び込め。どうしても、日没時間は過ぎてしまうが。そうだ!電車と家を、ひとくくりとし、18時23分、もしくは18時17分の電車に走れ。日々、どんどん、よくなっていっています。9日目(8日目は書くのを休み)ここは、森の中の小屋です。(イメージ)洗剤で、こぎれいに磨かれてなくても気にしない。野原にて、毎朝、日の出時間にせきたてられる。さあ、黄色いザルを持ってと。今朝は薬草摘みをお休みしようと思っていたが。その時間が来て、トイレに立たされる。めんどうなので、行くかどうするかを考えつめるのが、とりあえず、行くことにした。階段を下りてすぐの家の前の場所。この地点から、まっすぐ東の空から、先日、朝焼けをみたのだが、昨日も、今朝も、その姿はお目にかかれずの曇り空。毎日、日の出時間を、その場で過ごすなら、必ず、出くわせる、美しい朱のエネルギー。(エーテル体?)想念の描写。下絵、下書き、メモ書き。書くことなくても、まとまらなく、支離滅裂でも、眠くても、とにかく、紙の前に座れ。未明混沌の水の量がすすまず。入っていかない。無理する気にもならず。口の好きなようにさせておく。こまめに石鹸をつけて手を洗うのが好き。手洗い用にEM石鹸を置いてみよう。ついでに顔もあらう。こまめに手を洗いたいのなら、ついでに、こまめに、その泡で、顔も洗おう。8日目の変化。昨日朝、その石鹸で、髪を洗ったら、整髪後、しなやかにまとまって、顔つきの鏡うつりが、いつもと違って見えた。その石鹸での髪洗い、ずっと、していなかったのだが、こんなに気分よく過ごせるのか。鏡うつりに違いを感じたのは、石鹸だけではない。どうも、断食効果の変化なのだ。人の気配の雰囲気で、(あれっ?この人誰だっけ)常にうつら、うつら眠い状態に覆われながら、笑顔の薄化粧をまとう。休憩時間は、少しでも目を閉じて、休ませようと、こまめに意識。昨日も、今日も、眠気のため、なかなか、書けず。近頃の就寝時間が、24時前のため、曙前の水飲み&コーヒーの後、足は座り状態で、木枕に顔をのせ、上体をうつ伏せる。トイレの小水のニオイに断食臭が出てきた。昨日の8日目くらいから徴候。悪霊が、どんどん、どんどん、抜けていっているっていうことか。そういうことなのか。気づきもしなかった発想だったが。そういうことなのかも。日々、帰宅後は、汗びっしょり。毎日、洗濯。二層式洗濯機で、今使っているのは、ミヨシ粉石けん。水を入れ、まわしながら、粉石けん入れ、泡を作る。濃い泡の手桶にすくい、トイレの便器を泡で洗う。気持ちいい。洗濯ものを入れる前の泡だて工程時に、トイレの便器洗浄のみなら、1分で済む。用を足した後、その都度、トレペーと水で、気になったところをひと拭きし、水に流す。7日目の仕事で、朝いちで光輝く高貴な人に出会い、帰り際、その対極のところに在る人に遭遇した話。肝をつぶす思いをしたが、美しい高貴な人は、その翌日、翌々日と、さらなる華麗な美を返してくれ、対極にあった人の影は嵐が過ぎ去ったかのように私の中からも忘れかけた、という消え方。上長の表情を見て、相手はしっぽを巻いて逃げたのか、負けを察し自分たちが不利な立場に置かれているという愚かさに気付いたのか、姿を消した様子。そういう人たちは、威勢を張るが、本当は内心おどおどしているのだろうか。悪事を企てようとか、もくらみの発そうが起こる人も、もともとは、神の子だというのに、後ろの影の悪霊のいいなりになっているのか、その人たちの食べ物は足りているのか、親はどうしているのか、子はいるのか、いろいろ思った。自分の被害の損失、立場の危険、進退問題に発展しかねない、という混沌も、通過しなくはなかったが、そういうことと常に背中合わせにある紙一重の、現地点であることを知れ。自身を戒めた。悪しき事故は、小さな負の意識の足し算。ある一定の分量がたまったら、負の現象を実現させてしまうということを、気づかされる思い。今、そんな法則があるのだったと思い出す。行者の日々に、よこしまな念に薄汚れていないか、どうか。不安な要素があるのか、どうなのか。それらは、行者自身が、わかることなのだ。この世で、人と関わりを持ちながら生きる一人びとりは、修行僧であると思った。托鉢の行は、相手を選んではならず。あばら家も豪邸も、一軒一軒をはずさず、もれなく、順番に黙々と無心で。高貴な人に出くわすこともあれば、殺人強盗の罪人に頭を下げることも。高貴な人に頭を下げれば、麗しい恵みを頂くことに。罪人とされるものに頭を下げれば、自身の罪が洗い流されるというのである。修行者は、罪人のように頭を下げて、相手が高貴な人か、対極の人かなど、関係なく、同じように、頭を下げて、訪ね行く。そうこうしているうちに、自身のでこぼこな傲慢や、劣等感や、もろもろのものが清算され、繕われ、真っ平らに、きめ細やかに、丈夫に、しっかりとした生命力が、身体に宿り、霊性を新品のように仕立てていく。ああ、神様。私は、この断食期間の出来事の中で思ったのです。私の中にある、神様の一部分である高貴な性質。そして、やくざな親玉の巨漢の悪霊。対極を示した大男は、私の中にあったものを鏡に映して、「あなたの姿だよ」と、見せて下さったのです。それらを、そういう形で、あなたは、取り除いて下さったのです。大手術のようでありながら、メスも何も使わず、あなたは、水と薬草と、いったん水を抜き、水田を干からびせ、悪い虫の正体をあきらかにし、悪なる根を全滅させたのであります。そうしてから、あなたは、天の水を、その水田に注がれようと、すでに、いのちの水を用意されているあなたなのであります。そうか、眠いと、半分、寝てる状態で、無理に上体を起こし、文字を書かせるように仕向け、書きながらにして、この期間の出来事を、よく考察することができました。「書くことは、人を善くしていくことなのです」今、そう思いました。修行僧にとって、書くことは、魂の余分な垢を落とし、眠っていたものを呼び起こします。半分寝ている状態でも、とりあえず、書き続けていってみようと思いました。人が生きる上で、避けられない喜びの対極にある物事。神様は、混沌の塊から、神様の高貴な喜び要素を取り出したくて、混沌を善悪に分けられるのであります。負なる現象があったとき、「混沌」引く「悪」イコール「善」ではありませんか。喜びを取り出して、ノートに写して、本にまとめて、神様の所に持っていったら、神様はそれを、お受取りになられるでしょう。なんて、わかっていなかった自分だったのでしょう。
2010年08月19日
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7日目。霊妙なる日の出のヨモギ摘みから、一日は始まる。5時、私は朱色の朝焼けの数分間だけ、あなたが指し示す、黄緑色の若葉を黄色いザルに摘んでいきます。神様おはようございます。今から40分以内にあなたにメール文書き、お空のポストに投函し終えます。虹のように、朝焼けのように、数分、顕れては、消えてしまう。朝のアカスリとボディ・ブラシで皮膚の毛穴を鍛錬し、活性化させ、水をじゃぶじゃぶかぶり、皮膚にたっぷり水を飲ませ。 神様、あなたは、二つのものを組み合わせて作られました。必ず、いいことも、わるいことも、セットで訪れる。いいことでない物事が来たとき、それはチャンスの前ぶれである。仕事で出会う、お客様を通して、あなたは、私の内側に、存在する姿を、人を通して、見させて下さったのであります。朝一番、美しい喜ばしいお客様。仕事終わり寸前の、真逆なお客様。それに対し、喜んだり、うちひしがれたりするところから、幽体離脱してみよう。鳥になって、上空にあがって眺めてみよう。神様、あなたを、朝に喜ばせてみたかと思うと、夜には、あなたを悲しませてしまう。神様、信用できない、この者を、なぜ、あなたは、相手にしなければ、ならないか。せっかくの朝の喜びが、夜の真逆の出来事に、喜んだ分だけ、衝撃は大きく、どっすんと、高く胴上げされた者を、地面にたたきのめす。出くわす、出来事、全てのことが、私の一部分であります。目をそむけてはいけない。コーチング・コーチは言うでしょう。その痛みを味わってみましょうと。神様、朝、わかったんだ。神様も、二つのものから、成り立っているんだって。神様も、心の部分と、体の部分が、あるんだってこと。体の部分は、これら宇宙の、目に見える巨大な、場所。誰かが、銃で、人を打つなら、その痛みを、神様は、神様の神経は、ダイレクトに、リアルタイムで、同じように、感じ受けなければ、ならない。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。神様だって、泣きだしたいことが、あるだろう。神様だって、お母さんに、しがみついて、子供のように、泣きわめきたい、場面、あるでしょう。神様の親は、誰。神様のお母さんは、どこ。神様、ずっと、一人ぼっちで、さびしかった。だれにも、弱いとこ、見せられないできた。私は、靴ズレして、足に血がでて、シャワー浴びたら、ひりひりする、一部分が痛くても、神経は痛みに集中してしまう。指にトゲがささっても、気になって、するべき仕事ができなくなる。私らは、宇宙に棲む、一人一人は、あなたと切っても、切れない因縁がある。神様、この地上の刑務所に、暮らす、人たちも、あなたが、知らんぷりしているわけではない。あなたは、その中に生きる人々のことも、忍耐強く、感じておられる。太陽を追っかけて、一日を移動して歩いています。どうか、どの子も、どのお客様も、いい、わるいなんて、とんでもない。もともとは、あなたの王子様、王女様、あなたの祝福の光で、洗濯されて、真っ白になって、美しい笑顔を、神様に返すことができますように。2010年8月17日 8時前。
2010年08月17日
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6日目。スタート感謝。目覚ましセット忘れ。にもかかわらず、2時に目が覚めて、ありがとう。神様&スタッフの皆さん。もう6時。眠くなってきた。水の量、今日ははからず。自分の身体のいうことをきいた。あんまり飲みたくないのだって。ペット4本にこだわらず。テレビの時計の方が、本日曙時間の3:13を表示したので、口に残っている水は、外に出しました。水のみ中、時計の文字盤みながら、ノートに絵を描く。12数を5分割すると、一つの区間は2時間と24分なのだね。五行図を書いていたの。五行図の区切りは、「1:12」→「3:36」(なるほど!“寅の一刻”とはこれか)→「6時」→「8:24」→「10:48」(イスラームのラマダーンの祈りの時間に11時半くらいの項目があるのだが、関連の意味があるかな。あとで調べてみよう)丸いタルトを5つにわけるのに、役立つね。NHKで日曜の夕方テレビでオランダのチーズの映像。アスパラのタルトの作り方。タルト生地に、生ハムしいて、白いアスパラ、溶き卵とクリームをまぜたの、おろしチーズ。ナイフでうすく切ったチーズを朝のパンにのせた朝食。あつあつのマッシュポテトにおろしチーズをまぜこんだのを「クリームシチュー」と呼んでいた。お皿に生野菜の付け合わせを添えて出来上がり。13日の金曜日に近所の家族を集めて食べる習慣だったか。これらの食材、ほぼ私が食さないもの。十年以上前だったら、喜んで、影響受けたがる内容だったね。けど、出てきた人物、皆、身体がアップアップしている。燃焼できない。身体が重くなる。出てきた人々の表情が暗く感じた。が、オランダに旅行に行った際は食べるだろう私。嗜好品だということです。年に1回食べるような嗜好品。習慣で食すと、血液がさらさら流れない。乳牛の乳搾りから作るチーズの作り方の映像。飼われている牛さん。乳も飲まない、肉も食べない。これらも年に何回かのお祝いの時のもの?神様は牛さんをどのような目的で作られたのかな。数日前に深夜やっていた、映画「やさしい嘘」ロシアのおばあさんが主人公。食卓のシーンに、興味がそそられ最後30分くらい観た。80くらいに見えたが。おばあさん役の女性。背中が曲がって、身体が重そう。のそのそ歩く。牛さん、みたいだ。出てくる人が皆、表情暗い。そういう内容だからなのですが。(ごめんね。おもいつくままを書く場所なので、気を悪くしないで下さいね)私ね、この間、書いた文で、(向こうに行った時に、お茶とお菓子のもてなしを受け)っていう内容が、妙に気にいって、絵本のような映像が脳裏に印象づく。私、身体にやさしいお菓子づくり、研究したいなって思っているとこ。甘味料を甘酒、とまではいかなくても。黒砂糖と、すり白胡麻を一緒に食べるのが好き。コーヒーのおともにちょうど良く。今度やってみたい。じゃがいも、さつまいも、にんじん、かぼちゃ。フカシテつぶして、おやつにする方法。(検討案件)昨日、おはぎ食べた。市販のです。お供えのあと。もち米の玄米雑穀で黒砂糖を使った粒あんのおはぎ。つくってみたいな。こういうのを料理教室で、リクエストしなきゃ。曙時間3:13。アカスリと浴室掃除に70分程かけ。この時間、青汁のみちさんのことを意識して、熱中しました。家にずっといた4日間は結局、二日に一度のアカスリで。今日はたくさん出た。白い垢。「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に」とおもい。なるほど、自分の体は、丈夫な皮袋だなと思った。何度も洗濯して、何十年もつかいこまれている。洗濯というのが、日中断食であり、石鹸洗いとアカスリだなあと。ファブリーズとかニオイ消しコロンで、すまないほどの汚れなのです。ああ、そういえば、先日、演奏会の前列にて。メインの演奏家が、たまにしか着ないのだろうなという背広姿で。Tシャツでよかったのに。その人が巨漢だった。汗が顔からいっぱい噴きだしている。毒ガスにやられて具合が悪くなった。(ごめん、おにいさん)別な場所での演奏会で、隣の人が、70~80くらいの男性だった。においと毒ガスで、具合が悪くなり。(ごめん、おじさん)去年、アカスリ最中、具合が悪くなった。自分から発散される毒ガスではないかと思った。今年は、自分のアカスリで具合悪くなるというのが、そういえばない。6月からヨモギで作る青汁のおかげではないかな。今そう思った。日の出時間4:51。そうだ!日の出時間を意識するために、この時間からヨモギ採取をしよう。という閃き。小雨。どうしよう。結局、ジーンズ・ぼうし・靴下・黒コートで庭へ。黄色のザルもって。量を取りすぎないように。黄色のザルがいい!と判断。直径20センチほどの。黄緑色の2~3センチほどの若葉。朝の日の出時間に小さな女の子が、黄色のザルを持って、若葉摘み。いいなあ。絵になるかも。プーンと蚊の音「みのがして下さいね」「ああ、もうこのくらいでストップしなさいということか」2~3回洗って、ガラスボウルに入れたのが目に入るそばに置いて、書いていました。夫出勤。もう閉じなきゃ。これから朝ドラのゲゲゲ時間まで木枕で仮眠。起きたら、逆立ち1~2。いきものがかりの歌が終わるまで。ドラマ中にハサミで、ヨモギをカット。チョキチョキと。ドラマ終わったら、荒くカットされたヨモギと、水でミキサー。木綿袋でこし、搾る。それをペットボトルにいれる。鞄入れて会社にもってく。日没時間18:31になったら、青汁を飲もう。ちょうど休憩時間内だ。意識できるのもちょうどいい。いつか、青汁のみちさんに、あいさつをすることができますように。あなたの本のおかげで、青汁が実践できるようになりました。今日、あなたのお顔を思ったときに、チャームポイントはお顔の頬の丸みだと思いました。あれが、あなたの運勢だ。あなたに注がれた、神様の愛だ。いつか、そのことをあの方にお伝えすることが、できますように。映画のお顔も、なかなかでしたよ。女優さんのようでした。私が、あなたから受け取ったものは、こうです。(自分のことは、よいのです。世の中の人のためにお役に立てれば)ああ、竜馬も、きのうのセリフで、そんなことを言っていた場面が。自分のもうけは、いらないという話。
2010年08月16日
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日中断食4日目。トイレに入るたびに閃きが。0時からあけぼの時間3時過ぎまでの時間の魅力もなかなかだな。身体が、野菜が不足という訴え。水とにんにく酢で中和。青汁3日間お休み。今日こそは日中のうちにヨモギ若葉の採取をよろしく。日没前には用意ができていますようによろしく頼みます。青汁担当者さんへ。神様、13日の締め切り日の15時には作文の提出を終了。私はいつも時間ぎりぎりの人です。原稿用紙を何枚も書き直し、編集作業していました。日中断食でグダッとしたところで、文をまとめるとは、なんて、つかれる作業って、思ったりしていました。ですが、終わってみると、なかなかの充実感。原文も書いて、編集も、一人だけでできるというのがいいな。より、思考がまとまるし、尊厳を傷つけられないし。作文教室を楽しもう。いつか役に立つことがあるかもしれない。いつか。しかしここで、書く、下書き作業もなかなか楽しいものだな。ただ、ボーっとして、意味もなく書く。少し前は、(ごみをふやす)のではないか・・と思っていたことも。神様、お空はこんなに広い。我が家のスペースは、小屋ほどのコンパクトさですが、お空の書庫はこんなに広いよ。いくらでも、どんどん、送って、けっこうだよ。って、神様が、いらっしゃいって、歓迎してくれているようだ。コーチングの成果。「ただ、口にまかせて、発してみる」無、考えない。そうすることによって、整理がつく。要るもの、要らないもの。残しておくもの、捨てていいもの。見逃してはならないもの、みおくっていいもの。休みの2日間は作文を仕上げることがテーマだった。多少のぐだぐだの一日もヨシとされた。自分に。日中断食が始まって、クーラーのない昼時間を過ごすのもおつかれさまです、と、いたわる気持ちも。やはり断食らしき、好転反応もおきているようだ。腰痛。身体の悪い部分の修正期間だから。頭部からも毒素がいっぱい出ているような気がしている。一年のほぼ9割が、日中は断食の自分なのだが、通常は水を日中飲むのに対して、ラマダーン時期だけは水も断つため、特別なひと月である。そう、私は先ほど台所にて、モハメッドさんや、イスラームの人たちに感謝する思いをもった。この断食に出会わせて頂いて、私の生命が、助けられています。一人ではできない。でも皆もこの乾きを共にしていると思うと、充実がくる。モロッコのフナ広場の情景のにぎやかさと、人々の笑顔を想像して。私もあの笑顔を表現できるようになれたらいい。顔がどんどんアートのように、詩的に、音楽のように、よい風がそよぐアーティストになれますように。今シャワーとアカスリを終えて。アカスリ石鹸の高麗人参の香りと、アカスリ後の炭石鹸の香りと。アカスリ・グッズは古いのと、新しいのと2種使っている。そうそう、神様、私が、なぜ、こんなにもラマダーンを支持しているかといいますと、一番の恩恵は、自分のもつ霊界の庭が、非常に質がよくなると感じるからであります。自分という一生命体が、なかなか素晴らしい生き方をしているのではないかと、ほれる気持ちをもつことができるからです。想念の庭が美しくなるのです。この喜びは、今までかつて、体験したことのない、出会いなのです。老いや、病や、死や、生活苦や、不安など、そういったものを超越します。顔つきなど、美的喜び。健康の自信。どんなに豊かな死、エンディングに向かっているアートな一生涯の途中の道を歩いている今であるか。少ない生活必需品だけで生きられるなら、最小限の食物で生きられるなら、生活苦というものは存在しない。坂村真眠のように12時に起きて創作活動というのもいいなと思い、この連休中は深夜起きていてもよいことにしたお試し。断食のよさは、身体と心の両者が、大変近づけるのである。一つになれるのです。仲良しの夫婦になれるのです。北と南が一つになれるのです。これが、一番の幸せだ。楽しい。台所の場所にたつと楽しい思いが湧いてくる。風水的によい位置でもあるらしいのだが。今おもったのは、身体の温度調節が良好であること。アカスリをすると必ず、毎日でも多少の垢が出る。全くお湯は使わず、水シャワーだけ。が、垢は出る。毒ガスの発散と感じる。で、夏なのに暑さを感じない。扇風機の微弱だけで、快適に過ごせるのである。その恩恵に、喜びを感じるのです。朝、大きなお便りの頃になると、身体が暑さを忘れている。本当に涼しげな身体になるのです。また、さっき思ったのは、イスラームでない私が、ラマダーンを通して、イスラームを理解したり、話題にすることは、イスラームの人々の美点を見出すことにつながるので、私はイスラームの人々と一般の人たちより、近づいていると思うのだ。仕事で、イスラーム関連のことが、もし今後あるとすれば、きっと、うまくやれるのではないのかな。なんて、そんなこと、はじめて想像してみた。世間にうとまれる野蛮な行為をする特定の人たちについて。幼児虐待の最近のニュースと重なる。ほとんど、人は自分がされたように、ふるまうという話。やられたように、やりかえす。連鎖が断ち切れますように。世の中が、今日一日、平穏でありますように。皆が、仲良しに過ごせますように。ラマダーン初日、駅でスカーフを被った女性二人を見かけた。声かけるぞ、前もって意識に入れていたのだが。「アッサラーム アライクム」「ラマダーン カリーム」と学習していたのだが、声かけられず。やはり、その方々も、(断食していますグダッ」とした殺伐とした表情にも感じられたし、その顔をみて、自分の顔もおなじように思われた。その朝、声をかけられない事情がもう一つあった。電車に乗り遅れて、15分遅刻しますと報告電話を入れた朝だったから。その日の仕事は、いつも以上にうまくいった。遅刻に対して、上も横も、おとがめなし。なにごともなかったような、人々のおだやかな顔。が、私の中では、セミナーがおこなわれていた。いつもぎりぎり。時間すれすれ。時計の老化で、おはらい箱はかわいそうだなんて、古時計の機能を警戒しなかった。おひとよし。だまされやすいタイプ。愚か。時間の管理の悪さは、いい仕事を生まない。私の人生の肝心な部分をも浸食するだろう。神様、この期間、どうぞ、悔い改めを深められますように。時計の健全性をチェックして、どうぞ、来週からの出勤は8時59分の電車に乗って、途中、ホテルで朝刊を20分読んでから、会社に入れますように。このことを通して、学ぶことができますように。2010/08/14(土)
2010年08月13日
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私の趣味は、人の美点研究。ある冬の期間、早起きして読書し、読書ノートに思いつくままを書いていったの。日常の気になること、仕事で心を動かされたこと。職場の人たちから教わったこと、影響を受けたこと、それによって自身が好転したことなど、気づきメモから文章化。これは私の特技になるかもしれない!楽しい気持ちが沸き起こる。人から受けた美しい印象を、忘れたくない。繰り返し感動を再現したいから、書き留めておかなきゃ。心の中で、その人のことを好きと認識すれば、それは必ず相手に伝わります。(私の長所に、よくぞ気づいてくれました。ありがとう)というメッセージが、以心伝心で返ってきます。顔の表情で汲み取れます。この方法で生きていったら、いつかこの身体の消費期間が終わる時には、私が書き貯めた喜びノートはたいそう充実したものとなって、身体の殻を土に埋めると同時に、抜け出た魂に飛ぶ装置が与えられ、神様はお祝いの旅行券を下さるでしょう。喜びノートをおみやげに、神様のお家を訪問します。天使たちが出迎え、お茶とお菓子の接待を受けます。「やあ遠いとこよく来たね、お疲れさん。どれどれ、出来たのかい。見せてごらん」どこからか、声だけが聞こえます。この地球に棲む一人一人は、神様の個性を表しているから、人々の美点研究は、実は神様を研究していることそのものなの。毎日の仕事は血の巡りをよくするための運動です。人と関わりを持ちながら心身を研磨し、茶色のまだら模様のたぬきちゃんから、光がはじける色白すべすべの女の子に変身するための、限られた命の期間。研いで磨くのですから、冬の季節を忍耐するカリキュラムも含まれています。そんなときはこんな呪文をつぶやくと、トンネルを抜けるのが早く感じます。「それをどう思うかは自分しだいです。これ以上の苦難に遭ったとしても、感謝できる私を育てるための神様の愛なのです」そよ風の笑顔と、ゆっくり頭を下げ、楽器のようないい声で、縦の挨拶。自分によくしてくれる些細な物事に「よくしてくれてありがとう」音楽のように口ずさむのが日課であり、それがご飯を食べるための仕事につながります。売れる本を書きたいのではないの。神様のお家にもっていく、おみやげにしたい、感動ノートを書いていきたいの。外にでることは、ネタ集めと取材です。よいニュースは見出そうとしなければ、見つけられないようになっているの。日々の営業活動と一緒なんです。
2010年08月12日
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「報告。5時半~8時迄仮眠。ここまでを宇宙ポストへ投函」神様おはようございます。神様に管理してもらうには、生活を報告することでありましょう。(ああ、そうなのですね。日頃、夫にメールで報告を入れるのは、正され、間違わないように、夫の意識と管理の中に生きたいからであります)一日の有り様をそのまま報告したらよいのです。その中で、自身に気づきが起こり得るでありましょう。今朝、夫との会話。「なんで今、手で口を押さえたの?」「ふいに口に食べ物いれないように」「日の出からじゃないの?」と尋ねられ「あけぼの時間。今日のあけぼの時間は3時8分で、日没時間は18時36分。だいたい1分ずつ日没が早くなっていくの」そう、あけぼの時間の方は日々、約1分ずつ遅くなっていく。毎日持ち歩くA5手帳に前持って記しておいた。4時半、大きなお便りあり。ちょうどコップ1杯分の腰にあてた湯たんぽがぬるくなる時間。湯たんぽをキッチンテーブルに置く。シャワー浴びる夫がそれをみて「なんで湯たんぽ?意味わかんない」うん私も、よく説明できないが、自然療法の「お手当」の意味があるのだろう。去年は湯たんぽと、専用やかんで熱くしたコンニャクも一緒にあてたのだった。(大きなお便りという表現は非常によい)トイレの中で思った。「昨日一日の過ごした生活ぶりがよくできました」と、はなまると100点満点をもらった気分。そういう点数をもらった記憶はない。それをこの一ヶ月間はこの調子でいけば保障される。去年はそうだった。毎年そうだ。早起きの時間を守るためと短眠のため、食べ物の質や量を脱線しないよう心がけるためだ。(四角い答案用紙に毎日100点と赤ではなまるか)映像を思い浮かべる。これは仕事の成果を上げることになりそうだ。こうやって書いてみると、なかなか私はまじめな人のようだ。先日の8月5日のコーチング・セミナーでペアの女性の【こんな人に見えますワーク】の際、「まじめ過ぎるくらいマジメ」というのは、(そうかも?まあ、そういうところもあるかも)と思った。昔母親にも言われたことがあると思い出す。「あんまりそうなので冗談も言えない。へんなこと言えない。気をつかう」と。堅物(かたぶつ)ということか。辞書を引く。【まじめなだけ。がんこで。融通のきかない人】そうとも言える。そういうところもあったから、悩むということが生じるのか。と今思う。甲田光男先生が、「長生きの人はウイットに富んでる」と言われた内容の記事があった。それを読んだとき、えらく沁み入ったものだ。(人からキツイことを言われたとしても、軽く受け流す感覚でいけという意味だな)なるほど!と。自分に追加させたい性質だと思ったものだ。今さらにこう思う。キツイという事態が人生の中で、起こったとしても、軽く受け流すことだ。いちいち気にしないことだと。そうですよね、神様。【これ以上の苦難があったとしても、感謝できる自分をつくるための神様の愛】なのですよね。そうです、そうです。キツイなと感じることがあると、私はいつも詩のように、心でそうつぶやきます。(中断。5時半眠気。仮眠。8時起き。目覚ましセット。朝ドラ後洗濯。2010/08/12木・休日)
2010年08月12日
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ラマダーン一日目。神様おはようございます。2時きっかりに目覚めました。新めざまし電子音のはじめの小さな音に夫が反応し、ちょんちょんと私を起こしました。(窓を開け放ちのため、近所迷惑にならぬよう。夫も配慮)テレビ下のビデオ機のデジタル時計で2:00ちょうどを確認し、即たちあがりました。キッチンにて、ペットボトルの水4本の用意。コーヒーを淹れ。パソコンをたちあげ。扇風機をまわし。BGMを小さくつけ。(ユーセンC21モーニングミュージック~心地よい朝の目覚め~)これら水分を1時間かけて、ちびりちびり飲む。PCでラマダーン記事などを探しながら。去年はラマダーンという言葉をあまりつかわなかった。日記を書くにあたって。よそものが、イスラームの儀式に便乗していることをムスリムの人たちはよく思わないのではないかという懸念からでした。一人では日中断食がなかなか出来るものではないですが、世界10億の人たちが一斉におこなっている中に参加すると、日中断食はわりと出来るものである。先日、コーチング・セミナーに参加して。(そういうパラダイム、既成概念とか壁って、とっぱらってもいいかもね)って思った。つかいたい言葉をつかおう。常識の範囲内で、人に不快を与えないようにという最小限の礼儀をもって。だって、曙時間から、日の出の運行、神様という存在は一つだ。世界の皆は兄弟姉妹です。この期間、10億人のイスラームの人々を少しでも理解できたらいいし、きっと親しくなれると思う。頭の想念ではモロッコの笑顔の人々の映像が流れている。私もあの屈託のない天然の笑顔の人になりたいです。韓国人のにんまり相好をくずした笑顔も好きです。◇トイレ休憩。4:20大きなお便りありがとう。去年の夏ラマダーンからの思いつきで、冬に使う湯たんぽの活用を思いついた。コップ1杯程のお湯を専用やかんで沸かし、大正湯たんぽを腰にあてる。大きなバスタオルで腰を巻く。扇風機のそよ風。これで腸の留まっているものが自然に出る。3:07あけぼの時間よりラマダーン一日目開始。お口の飲食ストップ。2リットルとコーヒーが入ったお腹の後ろに、湯たんぽをあてながら書く作業。4:20排泄。体に留まった余分なものが排泄されると、断食は快適なものとなる。苦痛がない。日中の仕事はいつも以上に集中力が冴えわたる。コップ1杯分の熱湯を入れた湯たんぽのため、腰に一部分だけが温まる。これはお灸のような気持ちよさで、体が暑いと感知しない。意外と中の臓器は冷えているの?大きなお便り後、扇風機をとめる。いらなくなる。朝起きてきた夫が「暑いな」と言った。同じ瞬間、私は(涼しくて気持ちいいな)と感じていた。◇においについて。石鹸で手洗い。洗いもの。(アカスリ石鹸をキッチンにもおけばいいのだ)と思いつく。高麗人参の香りが好き。断食するとニオイには大変敏感になる。人がつけている汗のにおいを消す汗止めスプレーの香料や、人がつけているアロマのコロンなど苦手。胸の具合や、脳の気分をも不快にする。朝の電車、隣席の女性は20歳前ほどの人だったが、くさく感じた。講演会や演奏会など、年配の男性の横や後ろは、極力避ける。においに閉口。(どうぞ、においをキャッチする私の体の器官さん、においをキャッチする能力を少し弱めてちょうだいね。気分を超越して集中できますように。隣人を悪く思わないよう無になれますように)◇仮眠。日の出4:47分後眠たくなる。正確には大きなお便り後。整体の施術後、気持ちよくて眠たくなるのと同じ。腰部分のみの湯たんぽが、お灸か温シップの効果で血の巡りがよくなり眠気。5時~6時くらいまで仮眠。椅子に座ったまま後ろの背椅子と壁にもたれて。右に設置されてる大テーブルにうつ伏せになり。堅椅子3つ並べ、うつ伏せに体を伸ばし。想念は起きている。脳内では内観道場のような座禅で思い浮かべるであろう、さまざまな映像や思いを浮かべている。家系図に存在する人々のこと。生まれてから今に至るまでのありがたい、いろいろなこと。心地よいと感じている。BGMのピアノ音が、高い霊界の場所で聴く音楽に思える。四角い部屋が、スウィート・ルームに見える感覚。(いい部屋だな)と感じている。うす桃いろ。白。クリーム色。朝日の光。ヨモギが干されているにおい。◇7:30夫出勤。ピッチを上げてA4分を2枚書いて宇宙ポストへ投函しよう。ゲゲゲ女房5分前までを目標に。すっかり目覚めた。昨夜21時半に就寝。19時仕事終え、20時家に入る。シャワー浴び食事終えたのが21時。ヨモギ青汁。玄米2杯。醤油で納豆小2個。ゴボウのさつまあげ。豆腐半丁。梅干し数個。塩。生姜味噌。おやつにミックスのおかき。21時半いつの間にか眠ってた。が眠る前、時計の文字盤しっかり見つめて、2時起きを意識に入れる。想念の中で書きたいこといっぱい浮かぶが、体がシャキッとせず、文字に写せず。今日一日仕事行って、明日から盆休みの4連休だ。神様、なんとか、今年も私のラマダーンを出発できたようです。感謝致します。意識が明確になる。冴えわたる。うれしいな。ゲゲゲ観てきます。~終了。台所洗いものして、シャワー浴び出勤。早めに出よう。神様、こんなわけで、第一日目の出発をきらせて頂きありがとうございます。こうして、紙に報告しながら書いていけば、なんとか、なりそうです。粗雑ではありますが、いい展開でいけますように、よろしくサポート願います。昨日朝刊一面が、臓器提供の話でしたが、今朝、夫ともその話をした。私らの間ではそれに対する見解をもっているが、どうか霊界ではどういう明確な解説があるのか、論理的にもっと知りえることができますように、それが、今回の日中断食のテーマかもしれない。日没18:37分。17時仕事終え帰ってから青汁作って飲みます。
2010年08月11日
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神様お久しぶりです。今夜はうちのおにいさん(夫)不在のため、そうだ!書いてみよう!なんて思い立ちました。これから何十時間後から私ラマダーンに突入いたします。すっかり私のお楽しみイベントになってしまいました。うしろの風景が修行僧の私にとって、この儀式は本来の自分に帰るような懐かしささえ覚えるのです。おにいさんにも、前々から宣伝しておりまして、協力を仰いでいます。昨日は新しい目覚まし時計を買いに行きました。電子音の新しいタイプのものを選びまして、朝2時起きをイメージしております。新しいアカスリグッズも用意しました。毎日いっぱい汗かいて、さらに毒もよけいに出すため、水シャワーのあとアカスリ石鹸。その後アカスリ5分を日課とする予定です。髪は二カ月程前から「イメチェンした?」と言われるほどバッサリ断髪しました。修行僧のため毎日頭皮を丹念に洗いたい為、ぎりぎりの短さでしたが、次はもっと短くてもよい。断食シーズンは頭皮からの排毒も多いはずですから。そして今日は一日休みをとって環境整備にあてました。イスラームの皆様もきっと準備を整えていることでしょう。私は今回で6回目なのです。身近にイスラームの人は相変わらず全くいません。毎回被りものをしている女性を駅などで見かけるのですが、一度も挨拶をしたことはありませんでした。向こうの言葉で言おうとするから声をかけられないのだと気づきました。ふつうに「こんにちは」と言えばいいのだと、いま思うのです。ここは日本なのですから。「私も断食やっているのですよ」って、仕事帰りの時間だったら声をかけてみようかなと思っています。去年、出勤の朝、駅でスカーフの女性見かけたのでしたが、暑くて、ふうふう言いながら、気持ちが急いでいたので、また水を飲めない状態だったので、声をかける余裕がなかったのです。その女性の方も、そんなふうでしたし。ぼうぜん。私の断食行事は、イスラームの人のように賑やかでも華やかでもなく、たいへん地味で食事も質素なものです。早く寝て、早く起きる。時間勝負のため、時計をジーっと、睨みます。最低22時には寝て、4時間熟睡し、2時に目覚める。あけぼの時間のおよそ3時頃までに、水をちびちび2リットル流し込み、コーヒーを飲みスタンバイ。今年の特別なる猛暑の夏、本当に出来るのだろうか?と疑ったりもしました。無理しなくてもいいのだよと、迷ったりもしました。ですが、思い込みの壁が、パラリと剥がれ落ちたのです。今年はいつになく気温高いため、水をいっぱい飲んで、いっぱい歩く私は、汗をびっしょりかきます。サウナです。それだけで既に排毒作用です。汗のべたべたが気持ち悪いです。臭いがクサイと感じます。ヨーシ!いいぞ!これがいいのです。神様、わたし久々に書いています。2ヶ月以上書いてないのです。なぜでしょう。私、ズーっと出ずっぱりでした。イベントに出かけてばかり。演奏会、バレエ、講演会、最近は文章講座なんかにも出かけています。本をじっくり読めていません。家事も細やかに出来ず。ですが、よいのです。あなたは大変よく動いています。問題ない。今日も環境整備、進んでいるじゃないですか。床拭きもかなり行き届いているし、トイレ掃除も念入りでしたよ。そう、この日記に挑むため、あなたは水シャワーを浴び、アカスリ石鹸、アカスリ5分、スキッ!っとしてから、この白PCの前に座ったではありませんか。たいへん真面目で、よろしいです。扇風機のそよ風も、ちょうど好いです。ほんとですね。アカスリで毛穴がスキッ!っとしたため、そよ風が、肌にフワリとやさしく心地よいです。あなたはこの家を夏は避暑地のようだ別荘のようだ、それほど浜が近いこの場所はクーラーなしでも心地よいのだと言っていました。昨日、今日は家で過ごして、家事を丹念にやってみると、やっぱり、本当にここは避暑地だと思えました。神様、私、文章講座で、何かを書きあげて、提出しなければならないのですが、実はなかなか、手をつけられないでいます。下書きしてみて、(ヘンかも?)って、思ってしまうのです。ですが、なんですか、楽しくなってきました。神様に話しかけるのって、おもしろいなー。神様と対話している気がするのです。神様にニックネームをつけようとしてみたのですが、おもいつきませんでした。神様は、神様なんです。ここに神様って、書けば、読む人も誤解なく、ああ、この人は神様に呼び掛けるようにして書いているのだなとわかるから、それはそれでいいのかなっていう結論です。明日、あさってと二日、出勤すれば、4日間お盆休みに突入です。お盆の準備をしながら、どんどん、ここで書く練習してみてはどうですか?やってみましょうよ。(楽しそう) でしょう?うん。先日、コーチング・セミナーっていうのに参加してきました。AさんとBさんとでペアを組み、一方的に思ったことを言っていくワークの際「相手がどういう人であるか言い当てようなんて思わず、口から出るままにまかせてよい」と。講師がおっしゃっていました。へえ、そうなのかー。そんなのでいいのかー。まるで私の日記です。日記もそれでよいのだと思いました。楽しかったなーあの時間。たまたま隣に座った女性の方とペアを組んだのですが、私がどんな人なのかを、言って頂いた内容が、全部あたっていました。帰り際、お見かけしたので、挨拶しなくちゃと、駆け寄りました。あちらが手を差し伸べて下さり、久々に人と握手をしました。「また、どこかでお会いできたらいいですね」と言って頂き、なんだか小学生の親友同士になった瞬間でした。
2010年08月09日
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神様おはようございます。私、7年前の食神の年周りの時、こんなメールを同僚に書いたことがあったのを思い出した。「土日を前にお部屋をホテルのようにピカピカにします」これを思い出したということは、ああ、今、ちょっと【そういうお部屋になっている】ということなのです。お父様、私は相変わらず、夫を称賛する毎日。自分のことを「たぬきちゃん」と呼んでいます。自分の姿形がしっぽのついている茶色のぬいぐるみのようなかわいい「たぬきちゃん」顔の表情のニンマリ笑顔は漫画そのものです。いつの間にか、自分はこういうキャラクターになってしまったのです。大殺界の3年間を生きのびた智慧(ちえ)といいますか。人間だと思うと辛いことが辛い。ですが、たぬきちゃんと思えば、たぬきちゃんなのだから出来なくてあたりまえ。人間のようにいきません。とこうなるわけです。自分の位置を低くすると、なんでも感謝でありがたき幸せの世界が拡がるのです。神様、それでいて、時々、私は詩人のようです。毎日「あなたが好きです」と家の中で言っているのです。夫を全肯定している私。毎日、どうしてあなたがこんなに好きか理由をポロリと言います。あなたを生み育てたご両親に感謝する思いをのべ。神様に「ありがとう。ありがとう」道を歩きながら「ありがとうございます」という思いがこみ上げてくる。だって、神様が私のために、あなたを探し出して下さったから。(このお礼を、50歳の年から10年間が私の活躍期なので、あなたの願いに応えたいです。どうか、そういう場が設定されますように。何か、命ある期間の中でお礼が果たせますように。神様、私、ハングル勉強できますように。助けて下さい。語学の天使を私につけて下さい。どうしても、必要に迫られています。計画的に覚えていけますように)それが「目標」というものですよね。新月・満月の日、その日がヨガ日で、「太陽の礼拝」も出来るようになったから行けばいいのに。(行きたくなーい)という日も度々ありまして。私、「目標」なんていうと、いつも仕事の「数字」ばっかりイメージしてしまう。仕事のことばかり言ってると「僕」と「主人」の関係に陥ってしまうと本に書いてありました。と言って、本当にやりたいことがわからなかったのです。詩人になりたいんです。お坊さんになりたいんです。いいえ、「たぬきちゃん」という隠れ蓑にありながら、神様がつくられたものに対して、関心をもち、感想文を書きたいのです。いいえ、神様とそうやって対話しながら暮らしたいのです。楽しそうでしょ。私にとって、夫と一緒に暮らすということは、即ち【神様と一緒に暮らす】ということなのです。「どうしてこんなに毎日私の中で「好き」が生まれるのかな。好きで好きでたまらないグツグツが沸いて、上にあがってくるんです」わかった。平日私はほぼ夜しか食べない。食事を忘れて働いて帰宅し、お腹に玄米菜食がズシリと入る。お腹がめちゃ感動する。(ありがたい。こんな幸せってあったのか。ありがとうございます。なんておいしいんだろう。なんて贅沢なんだ)その感動が「おにいさんのおかげだ」という意識に昇華する。それらの食材は全て夫の調達によるものだから。「私を食べさせてくれてありがとう。買ってくれるのはおにいさんだけ」という言葉がでてくる。平日の食の節制は、私の幸福度を高めました。おかげさまで容貌の幸福度も高められたのです。「なぜ今日も好きなのか?それだけ神様とのつきあいが長くなっているってことです」私は平日、仕事があれば、だいたい日中は水だけなのです。出勤から帰宅までの間は自然と断食が習慣なのです。その効果として、神様とおしゃべりするというのが、私の詩人タイムといいますか。心の中で話したり。道を歩いている時は、声に出して話したりも。そういえば、半分は歩くのでなく走るというのも習慣化しています。おかげさまでスタイルが非常に華奢に。背中もまっすぐに。夫は毎日たぬきちゃんからお礼を言われています。家に帰れば、なんでも喜ぶ女の子がいる。夫は私の願いに応えようと、心配りを働かせます。きれてた蛍光灯、全部明るくしてくれてありがとう。おかげさまで、この部屋がホテルの一室のようです。いえ、そこまで行かなくても、南米を旅した時を思い出す、おしゃれな一室になっています。楽しいです。「神様もインテリア好きでしょう?」「うん好きさ」神様ありがとう。時計に目をやってたら「あっ!落語」月曜日の朝5時から30分落語を見たいと常々思っていたのです。思い出させて下さってありがとう。とにかく、これからは「書きます」だって、生きている期間は限られていますから。遠慮していられません。命の期間は神様が決められるのですから、一日一日が貴重なのです。落ち込んでなんかいられないんです。私、生きることに忙しいんです。楽しむことに忙しいんです。では、神様またあとで。2010年5月3日(月)4:50
2010年05月02日
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イ・ヤンジ(在日韓国人二世の小説家)の命日は今月だったのですね。(1992年・5・22)あなたがイ・ヤンジという響きが好きだと生前言われていたと知り、私は同級生を呼ぶように、イ・ヤンジと呼びながら本を読みました。いいえ、随分先輩でありお姉さんでしたね。途中オンニという呼びかけもしてみました。あなたが生きた年代に、私が生きたその頃を重ねました。(私もその当時の韓国の市場を歩いたことがあり。「ナビ・タリョン」P56の老婆の話は辛かった。私も同じ姿の人を見かけたことがあった。辛い内容。これ以上、表現不可能)お久しぶりです。連休に入りまして、どうぞ有意義に数日を使いこなすことが出来ますように、天のお父様お導き下さいませ。家事もする。外出もする。運動もする。読書もする。内外を充実させ、この期間を通して、あなたのお気持ちに近づくことができますように。あなたの一部分を知るための読書でありますように。初めに祈りつつ、真摯にページをくくることができますように。神様、イ・ヤンジの「ナビ・タリョン」今読み切りました。チェサ(祭祀)の気持ち。あなたの作品の最初は「ユヒ」で、これはあっさり通り過ぎました。映画「ウリハッキョ」観て在日について考えるのは今!と、あなたのエッセイを読みました。ナビタリョンのあらすじを知った上で「読もう!」決意して臨んだ。理解させて下さいませ。何かを得るに至れますようにと。あなたに近づけたと思います。神様、どうしても、読んだあと、すぐに何かを書かなければいけないと思うに至ったのです。でなければ、感じたことが流れ落ち、こぼれ、乾いてしまう。失せ、消えていってしまうのです。一行でも、手帳にでも、とにかく書きなさいよ。と私は自分に命令します。昨日の夕方、読み残したまま返却する予定でした。時間ぎりぎりの18時までねばってキリのいいところまで読んだのですが、結局、借り直すという形で、あなたを連れ帰りました全集。イ・ヤンジ1955・3・15生 乙亥・死(偏印)/己卯・偏財・建禄(比肩)/乙未・比肩・養(偏財)「比肩星・財星」は今年来年私のテーマです。そのため、あなたと出会うべきして出会ったのです。またチェサ(祭祀)ということを考えます時、「比肩・財」は私の祖母イト(父の母親)、夫の祖母はつを(父の母親)が「比肩・財」の性質と人生です。また私の今年来年の巡回する星周りが「比肩・財」にあたるという縁です。これまで出会ってきた、「比肩・財」の女性の上司、女性のお客様、実に難しいものがありました。どうぞ和解がなされますように。水に流すことができますように。私は今日という一日、早朝半分読んで、午後少々読み、その後、猛烈な洗濯に挑み、布団一組、薄掛け一枚、厚手毛布一枚、他にもシーツやら布団カバーやら普通の洗濯もこなしました。二層式の洗濯機と、大型脱水機の活用。本来全自動ですが、今はまだ脱水機能だけを活用しています。布団が気楽に洗えて、脱水し干せるようになったのです。結構重労働なのです。生にんにく(大蒜)の味噌漬けの効果で、家事天使が私の体にセットされ、猛ダッシュで働きました。ベランダのコンクリも、まるで新品を見るように、デッキブラシで磨きこむ。洗濯ものをコンクリに落として汚すのは悔しく惜しい。ですがコンクリが磨かれていれば安心。ごめんね。イ・ヤンジさん。あなたが「読みなさいよ」と言います。「もっと深くよく私を知りなさいよ」と言います。そうですね。そうすることによって、私と夫の祖母達の性質も、人生も、知ることがかなうでしょう。ですから、多くの意味を含むチェサです。あなたの人生のあらすじをほぼ知っていたので小説は厭な感情を少しも持たず読むことができました。在日の方々の運命の難しさを考えるとき・・。こんな風に思ったのです。南と北、本来渾然一体の一つの父母であるのに。夫婦なのに。離別、そこに含む難しい感情。その流れをくむ子女の行く道が簡単でないということ。私が何かを言う資格は全くない。語るべきでない。「うるさい。だまれ」とあなたは言うでしょう。私はあなたの小説にちょい役で出演・・私の読書の中でね。あなたが友達の私に聞いてよと語っている情景。ううん、聞く暇はないよ。そうだよね。あなたは私に原稿を渡し、「まあ、こういうわけ」「そっか。そうだったんだね」幸せになれ。あちらに私の知り合いでこういう人がいるの。訪ねてみて。幸せになって。だって、あなたは私に教えてくれた。私が知りたかった、在日の方々の心情。到底、理解など出来るわけもありません。イ・ヤンジ、幸せになれ。あちらでも力強く生きて。伸びていって。活躍する術を持ち得て。あなたの二人のお兄様も高いところに上がられますように。あなたのご両親、妹様が幸せでありますように。天のお父様、読者が意味を善く理解して、あなたの御心に生きる糧を得て、理解する器を広げられますように。(2010/5/2(日)壬子)5/3 3:30
2010年05月02日
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3連休の過ごし方の目標は【部屋の模様替え】です。紙に書き出す。段取り、手順を決める。それらをね、神様、あなたに相談しながら進めたいのです。あなたが家事天使を送って下さるでしょう。神様お早うございます。また間をあけてしまった。久々の場所。電気スタンドの傘の埃を拭いてから席につく。神様に出来るだけその都度、報告して生き進めるのがよいと思っています。神様と、おしゃべりしたくて、ここに来ました。「書く」って、別にいい文章を書くことが善いわけではないのですよね。話したらすっきりする。問題が解けるってことがありますから。また、家庭での会話は、紙に文字に顕わすと、とても少ないです。朝までしゃべり続けるというのは、年に一度くらいです。右隣りの同僚に声かけられ「明日は?~そう3連休いいわね」金曜午後の会話。明日土曜は仕事か休みかの問い。そう、彼女と顔を合わせて言葉を交わしたのは一週間前の金曜夕方もそういう会話というか挨拶を交わしたのだ。「お部屋の模様替えをしたいの。寒くてなかなかできなかった」と私。「寒いとできないのよね。わかるわぁ」彼女のヘアスタイル、メイク、顔のつくり、朝鮮半島系だなあ。と思うと慕わしい。今年来年と私は朝鮮文学と関わり合っていくし、白色を愛すると思う。朝、意識覚醒の瞬間「好きだ好きだ」と言って目を開ける。寝入るときも同じく。夫が好きだ好きだという表現だ。「わたしって、寝言でも好きだ好きだっていってる?」「ぅん」本当かなあ?これはもう口について出てくる癖。けど、それって悪くないよね神様。「こんなに懐(なつ)いて、好きだ好きだっていう仔猫、おうちにいたらかわいいよね。今日もりんご買っていってあげようって思うよね」「ぅん」休日、キャベツ一個を千切りにしてボールに入れ麺つゆを振りかけてしんなりさせておきます。キッチンテーブルに置いておき、おもいついたときにちょこちょこと食べます。背中に湯たんぽを手作り専用布に入れて腰に巻きつけます。まだ肌寒いので毛布を膝かけにします。神様、この冬は、ストーブの灯油は買いませんでした。代わりにコタツを買ったのですが十分間に合いました。日中は仕事で留守にしてるでしょ。帰宅して、熱い湯を浴び浸かり、ご飯を食べ、コタツに体半分を入れ体をホカホカにしてから眠気に満ちてきたところでコタツを解体。布団を被ってちゃんと寝ます。早朝の読書時の暖房は、厚着と湯たんぽと毛布を巻いてOK。コタツに入ったら寝てしまうので読書にコタツはNG。ゆうべ胸から下を全部コタツに入れて寝ながら、韓ドラ「スポットライト」最終回。途中で眠ってしまったのです。ですがね、主人公の男女の役者さんを見ながら思ったの。美男美女ですが、とっても普通だなって。それがどうしたの?それでどうしたの?一部分にすぎないって。神様、一人一人があなたの一部分です。一人一人があなたの一部分を表現している俳優さんだ。私は職場の一人一人のキャラクターを見るとき、それぞれが、それなりにキマッテルナ、そう思えるのです。ちゃんとそれぞれを演じている。私も上昇気流に乗っている女優さんだな。・・そう思ったっていいじゃありませんか。自分から湯気がでているよな気運。透き通った肌から感じさせる、漲(みなぎ)ったやる気。焦点の合った、まっすぐに責任者と目を合わせられる眼光。常に新しい私。
2010年03月20日
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この部屋この椅子たまにしか来なかったための埃。この部屋テコイレ、ベランダをデッキブラシでゴシゴシ。快晴の休日この日洗濯しなければ大損。衣服重要、外出着のクリーニング。読書時々家事。家事は読書の合間にちょこちょこ。気分転換を図るためと頭をクリアにする運動という考え。天のお父様、私は毎日「大好き!大好き♪」と叫んでる。今朝も朝から夫に向けて。「リピートはうんざり?」「いや、べつに」神様も天使の称賛の歌声は飽きないんだな、と私は理解。これは外でやったら危険。が夫へはいくらでも称賛際限なく自由。日記は一回につきワード1枚に凝縮させる。最近は仕事帰宅後の手順はシャワー、食事、時々テレビ、比較的早く就寝。早朝起床の目的は読書。今後は2週間以内に読み終えて、約束日に返却するという癖をつけよう。「遅れないで」という窓口の小言はもう聞く必要がないように。与えられた期間内に目標完遂する訓練のためでもある。日の出に向けて読みながら充実に満たされた。読書っていいな。同じ作業の繰り返しの平凡で単純なワンパターンリズムの日々。読書によって、日常の平凡さの価値が高められるのです。いかに何でもない普通のことが、素晴らしいかって感動がおこる。いかに幸せな中にある今かってこと。しだいに仕事での不安の解決方法が閃いてきた。今の仕事がとっても好きで。多分この話をすれば、同僚は自分の仕事をほめられているようでモチベーションがあがると思う。夫「あなたがそう口にするってことは本当に好きなんだと思う」あと2年はこの場所で、自身を成熟させたいと思ってる。ならばそうできるように、最悪の場合の対策が思い浮かんだ。肩をたたかれた時の交渉の仕方。いや、その手前で手を打つ。いいや、手本となる仕事の仕方を研究しよう。仕事のできる人に頭を下げて聞いて行こう。これが、なかなか実践しにくい難しいこと。できる人の真似をするということが。教えて下さいと人に頭を下げることが。それをする訓練の時が、今の科目ではないのか自分。プレート写真の人物はターシャ・テューダー。私の今年の運勢の象徴【財星と劫財】の人物。その生き方の美点を研究しよう。自身の中で躍動感が起こっている。やる気に満ちた、底から湧いてくる力。普通は上から水が流れるというものなのに。底から上に湧いてくる、この気力とか思いというのは何者か。私はその時々の環境や特徴をすばやく呑み込み、それらを味方につける天才だ。今やりたいことは友に手紙を書くこと。読書感想文をラフな文でいいから書くこと。読書ノートをつくること。小説は読んでいくうちに、前のことをどんどん、忘れていく、ところどころで関心をもったせっかくのハッとする部分を。カラフルな付箋と新しいノートを用意。気になった文を箇条書きでよいからメモをどんどんとる。ゆっくり丁寧に読んでいこう。今後読書ノートをどんどん増やしていこう。本の書き手が必要。その向こうに読み手が必要。感想文を書く人も必要。書いたものへの関心、称賛。ああ、そうか。私の称賛力は、関心力は、夫以外の所で発揮させることは可能だったのだ。
2010年02月24日
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NHK「飛騨~雪の絵手紙~」を見た。岐阜県飛騨市。ひとり暮らしを続ける75歳以上のお年寄りのもとに週2回、絵手紙つきの往復はがきが市より届く。ボランティアの人が書いたという絵と文。お年寄りは「元気です」か「相談したいことがあります」のいずれかに○をつけ、余白に日々の思いを書き添えて送り返す。4年ぶりの大雪に覆われた飛騨の冬を、オートバイで運ぶ郵便配達員さんもお疲れ様です。「元気です」と返信し続ける83歳の女性の一冬を見つめた。時にはご近所同士が集まって3、4時間おしゃべりしたりすることも。が、雪が深くなると行き来がままならなくなる。一軒一軒は距離があるだろうから。(NHKテレビ~にっぽん紀行「きょうも元気です~飛騨 雪の絵手紙~」)(ああ神様、私も20年ほど前に、雪深い冬、合掌造りの家々のある飛騨を、歩いたことがあったことを思い出しながら見ていました)神様お久しぶりです。2週間ぶりでしょうか。大殺界があけました。3年間私もお疲れさん。神様たくさんの根を強める訓練の数々ありがとうございます。無事に平穏に終えられたことを私は感謝すべきだ。すっかり忘れており・・今思いついて書いたのでした。ああ、神様、私がその年代になった時、一人暮らしであっても、神様に手紙が書けたらいい。(そしたら寂しくないし毎日充実して暮らせる)神様、書いて届ける相手が欲しいのです。神様、あなたが、本当に何でも打ち明けられる友達がなかなかいらっしゃらないように、私もなかなか見つけられません。会話が弾む友達。ですが、だからと言って今、寂しいというわけではありませんよ。今は、そういう難しい年代の中を歩いているのですから。人々はそれぞれ違う中で、それぞれの闘いで精一杯です。ただ、80代に生きる時、何か書くことに意味を見いだせて、役立つ何かがあればいいなと思ったのです。(神様、今閃いたよ。私も雪深い親もとに、返信はがきで絵手紙と超みじかい文で書けばいいのではないか)ああ、神様、さっそくそれを実行できますように。そして、それを「よくできました」と、ここで、報告できますように。一回でも実行する勇気が出せますように。「はじまりはいつも雨」ASUKAの曲。私の場合は「はじまりはいつも書くことから」だ。書く秘訣を数カ月前、ちょっと発見したんだ。自分なりの「これだ!」っていうのを。子供の頃、遊ぶのに飽きると、母親の膝元にきてぐずぐずと甘える。それに満足すると、また母親の膝を離れて自分の遊びをしだす。「書く」って、そういうことなのかな。それだけでも十分な役割だ。休憩する木陰。調整場所。私は、神様と白い紙の所にきてぐずぐずと甘える。それに満足すると自分の仕事をしだす。この家に来たばかりの頃、片付け作業もそんなふうにして進めたの。まず奥の四畳半だけキレイにして、作業の合間、その部屋に行って膝を折って「神様、いま私の気持ちはこんなです、こんなことを今思い出して・・」と荷を整理しながら、心の内側も整理していっていました。私にとって、家でのパソコンはそんな私をあやすお母さんだ。(2010年2月11日/木曜/祝日・建国記念の日/AM3時)
2010年02月10日
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新PC購入より3ヵ月。さっき初めて日記を送信できました。感激。こんなに簡単にできることが、こんなにもできなかったなんて。時が満ちてきたということです。2010年2月4日から本当の平成22年の干支【庚寅】は始まり、私の鬱積した運気も一息つける春の到来です。神様、あなたが、私に干支の勉強をさせて下さったことに、本当に感謝しているのです。客観的に物事を俯瞰(ふかん)できますから。苦労が薄まるというものです。苦労を苦労と思うことなく、ということです。神様、心の中のつぶやきが、手を伝わって、キーボードで文字が記され、文ができるって、なんて楽しいのでしょう。スカッとするじゃありませんか。どのパソコンを選んだらよいか迷っていた私に、しつこいと思うくらいひっついて客を逃がさなかった店員さんに感謝します。「それでいいでしょ。さっさと決めなさいよ」と車で家電屋に連れて行って、背中を押して下さった夫に感謝します。今年【庚】の色は白を顕します。私のとこにやってきたこのPCも白で。マウスも白。最近新しくきた携帯電話も白。一か月前に家に運ばれた炬燵(こたつ)もやっぱり白。白の民族といわれる朝鮮文庫を今、集中的に読んでいます。自分の新携帯電話の手続きを終えて、まだ終わらない夫の携帯手続きのカウンター席に移って、終わるのを子供のようにじっと待っていた。すると、さっきまで私の手続きを担当してくれてたウェルカメのカツノシン似の店員さんが、帰り仕度を整えて携帯に目をやりながら歩いてくるのを見る。黒のコート、黒のズボン。その携帯の色は白だった。あ!私もそれにして善かったんだ!そう思った瞬間だった。私もこの頃、黒コート、黒ズボン、といういでたちだったから。黒色に、白色が、大変な美しさで、目に飛び込んできたのだ。無難。普遍的な美しさ。また最近凝っているのが、赤のチェック柄のキルト生地。織り込まれている、わずかな色は青・緑・黄色・白など。先日、夜なべでブックカバーをチクチクと手作りしてみた。キナリ色のレースをアクセントでつける予定だ。五行の色が麗しく、私の感情を豊かにする。黒色が好きになったのはごく近年。白色が好きになったのは、もっと最近。生きる喜びを味わうようになったのもこの頃になってからだ。私はちょっとしたネタを見つけては夫をほめる。私の口は、家庭内で常に讃美歌を歌っている。感謝の言葉を連鎖する。単純な言い回しは多分、しつこいほどだ。ですが神様、ありがとうございます。うれしい!たまらなく幸せ!とプラスの言葉を表現する生活をするほど幸せな気分に酔う自分なのです。なので、マイナスの言葉を警戒せず奔放に発する人の、その音を聞くと、私は即座に、同調せず、逃げ出します。「いつも走っている」と人に言われますが、私はまさしく逃げているのです。マイナス発言はしない。これは家庭内での暗黙のルール。なんの意味もない。営業にも害である。辛い時こそ、顔をなおして。笑顔。これらも仕事から学んだことですが、仕事ってありがたい。いつまでも青年でいさせてくれる。(2010年1月27日晴天15時~)
2010年01月27日
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神様お久しぶりです。今日はあなたに対面したくなりました。朝ドラのウエルカメでカメコとカツノシンの呼吸が合って衝動的な一秒のキスシーン。そんな書きたくてたまらないという衝動!そういう時こそ書くべきです。自分の気がすむまで。とことん書き尽くしたい。吐き出したい。空にしたい。自身の中に空洞を作りたい。(2010年1月27日/金賢姫誕生日/14時~)天のお父様。今日は定休日。丁度ガス検針で立ち会いが必要でした。家事が捗りました。おかげさまで。家に人が入ってくるって、たまにはありがたいものだ。全マドという窓を開け放ち、冬の風が入ってくる。トイレも掃除後に開け放した。家に風が吹き抜ける中で、掃除機をぶんぶんかけた。布団をおもいっきり干した。夫の部屋着の作務衣も同じく干した。冬の強い風シャワーという洗濯。すきっとしますぜ。神様、あと一週間ほどで、私の大殺界が終了します。3年が短くもあり・・。今の勤め先も、もうそんなになります。感慨深い。この間の修行にて、多くの訓練ができました。仕事がとても好きになった。また神様が探して下さったこの仕事は、私の体の健康と、精神の健康に多くの薬の効果をもたらしました。運命が沈む、穴倉に入ったようなこの停滞期間は、決して悪くない。ここには、ここで培うべき神様の愛がある。成長できる滋養がある。ところで、パソコンが10年ぶりに新しくなったのです。日記を書く、という目的なしに私にとって家でのパソコンの必要性はないかのようです。買って、3カ月も閉じたままでした。最後の3カ月の大殺界月ということで、私の精神は穴倉にもぐりこんでいたからです。けれども、どうしようもなくなり、穴倉から這い出てきました。神様、私はこの3年間の期間、自分のことをたぬきちゃんと呼んできました。自分の重い体のことをたぬきちゃんと。さあ、たぬきちゃん、仕事に行こう!準備をしよう!いつも呼びかけてきました。あまりにも愛着があって、たぬきちゃんと、別れられそうにないです。人間だったら、辛い期間かもしれない。けれども、たぬきちゃんだったら、山から里におりて来たたぬきちゃんだったら、こんなに幸せなことはないと。そのように自分を慈しんできました。おかげで心に傷を負うこともなく、非常に元気に若々しさを挽回するかのように、背筋をまっすぐに伸ばし、生き返ったかのような溌剌とした鏡の中の女性を見るのです。どんどんよくなっています。人は生きるほど、充実し、新鮮さを増し、感動を豊かにする。苦労よりも、喜びの方が、鮮明に心に刻まれ、印象深く残り、善い顔つきを創っていきます。幸せになる方法を、すでに知っている優遇された人です。愛しています。いつもおいしいもののお土産をありがとうございます。私は夫に愛されている幸運な妻です。幸せな女性です。感謝します。
2010年01月27日
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今朝は2時きっかりに起きた。起きる意志があってこそ、はじめて体が動く。起きて、何をしたいから、という明確な目的なしに、体は動かない。起きて、読みたいものがあったから目覚ましなしでも体内の時計が協力してくれた。一日一分でもお経の音読しはじめた。ろうそくの火も気持ち一分。お線香も短くして。使わないで、しまってた醤油さしのフタの小さな穴に差し込む。数センチの長さでもOK。いかようにもなります。1センチの長さのお線香に挑戦。さっき毛抜きで差し込むことがかなった。が、今後は3センチくらいにしてみようか。少しずつ、掃除して、部屋を、物をキレイにしつつ、もっと、内容も、善くしていこう。断食っていう言葉、もう使わなくてもいいのかな。別に、あたりまえのことだし。ふつうの自分のスタイルだし。もう、あなたは好きなようにしなさい。たとえ、何かで食が乱れたり、早い時間に起きれずとも、気にしない。何事も3日で修正すればよいのです。2週間、日記を書かずに間があいたということは~そういうことです。変化と成長の調整期間です。ですが、「どんどん善くなっている!」と自分を励したくなる私なのです。 ◇ ◇ ◇2週間ぶりです日記。この期間の報告。お手当て教室参加。⇒びわ灸とコンニャク湿布の体験。楽天Kスタ観戦9月29日、30日。⇒外食続く。⇒深夜帰宅続く。⇒生活時間乱れる。が、それがどうした。どおってことない。調整すれば善い。自身の問題点の克服のため。⇒会社に30分早く出勤。⇒仕事場の掃除⇒タイピング早打ち練習こま切れの時間を使って始める。仕事のためもあるが。朝の日記が、自動書記のように書けたらいいな。漠然と、そういう狙いも。最近みたネット記事で、脳疾患の人は先祖供養出来てないという文を目にした。考えてみたら、そりゃそうなんだな。私の母が脳出血。母の実父の発見は、田圃(たんぼ)で倒れて冷たくなっていたとのこと。脳疾患か、心疾患か。母の実母は老齢時会いに行った時、体は動くもボケが進んでいた。皆、霊界に行った方々は、心の宿便整理できずに、あちらに人事されたのではないか。突然に。霊界にいく仕度もできぬまま。本当ならお嫁入りじたくより、もっと丹念にすべきことなのですよね。夫の父は心疾患で早くに逝かれた。無念だったと思う。そして、この期間、発見したのだ。私の腰痛の原因を!以前、やはり、宿便が原因だったと、さも分かり得たように書いたのだが、具体的に原因があったと心あたりを覚えた。で、今、書きながら、事故や怪我、というのも、霊界の現象なのだよなあ・・などと、今更ながら、思ってみたりするのである。22歳の大殺界の真ん中の年、しかも大殺界の月にオートバイに跳ねられた際、左足骨折で「奇跡的だ!本来なら植物人間になってた」とお医者さん。それが初めての入院3日間体験。石膏で足を固めただけ。通院、完治まで40日。さらに、今回、この2週間期間に読んだ本で、「怪我は後遺症がこわい。必ず骨盤がズレル」という文を目にして、思い出すことがあった。26歳の秋が深まったころの雨の日のことだったか。外のトタン階段からドッスン!2階から1階ほどの距離を、すべり落ちてしまったのだ。1ヶ月ほどして、どうも、座る時の鈍痛がまだ続いてる、おかしいなと病院へ。レントゲン撮って「尾帝骨が骨折。これは曲がったままどうしようもない」と言われただけで帰された。それから翌年の夏、ぎっくり腰の痛みで病院へ。「椎間板ヘルニア」と診断。コルセット、デンキや牽引。毎日通院していたことがあったのだな。整体を受けたりもした。気功。霊界体操。プロティンなどの健康食品を食べたりした。カップ麺に反応あってから、決して食べない。あとで四柱推命勉強時、その時期は病気の年回りだったと知り、ただ納得するのみだった。だが、そこまでの病名がつくまでの期間、やはり、原因というものは、きっちりとあったのだ。がてんがいった。「食事が原因、食べ過ぎが原因」だけでは腑に落ちないものがあったのだ。それで、今、先祖供養が出来てないという一文をネットで目にしたとき。本当にそういうことだなあと、とっても納得がいったのだ。それで、朝、30分出発準備を早めたときに、電車に時間が5分くらい余分にあることをおもい、お経を一つあげてから出発することを思いつく。一日1分でもいいから、こまぎれの時間を利用したら善い!という発想で。気持ち1分。実際は3分~5分かもしれないが。そのうち歩きながらとかでも善しとした。そのうち、そのお経というか、その音読が、音楽のようなリズムになりだした。(!いいかもしれない)そう!ネット検索で、「平床に寝れば、腰痛は必ず治る」と確信した。それを家でも口にしていた。「よし!ホームセンターに探しにいこう!」と言ったのは夫で、「えっ!ほんとう?」まだ具体的に考えてなかったんだけど。が、行ってみると、探し当てた平床は、車で運ぶ必要があったので、夫のはからいには感謝したものだ。まもなくして、夫が、自分用の平床を買って帰ってきて、またまた、びっくりだった。この木綿シーツを被せた平板を和室に敷くと、西式体操を自然とするようになるのである。私も夫も、なぜか甲田先生が好きなのである。お会いしたことはないのですが。ただ、夫の父の生前の本棚に「西式」の本があったというだけで。甲田先生に、夫の父が惹かれていたのだな、興味を持っていたのだな、と思うところに、私も夫も、お父さんと一つになる思いなのである。夫の父の興味は、生活化できなかったように思う。一緒になった年、夫の妹に夏の花火大会に行かないかと私が誘って、浴衣を買ってあげたり着せたりした時のこと。ぼろぼろに疲れて、朝起きれず、夫をおくりだし、妹に朝飯ださず、10時くらいに外食行こう!というふうにした。後日、夫が家に帰ったとき、「お前、嫁さんに朝飯くわしてもらってないのか?」とチラリとイヤミっぽい言い方をされたそうだ。その時は、まだ朝抜き健康法などは知らなくて、ただ、その日、起きれなかったので作れなかったのだった。夫の中には、やっぱり、お父さんが入っているのかな?ってなかんじに思えるくらい、西式の話は、一つ言えば、理解が早い。朝めし習慣途絶えて早5、6年。一日三食の時から、一日一食になっても、体重は同じなのですね。なら、一食でもいいんじゃない?
2009年10月11日
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腰痛からの解放。スタート当初はテーブルにまな板を置き、椅子に座って野菜を刻んでいたが、最近は、立ちながら、ガシガシ台所仕事。腰痛の原因はやはり宿便だったのか。◇ ◇ ◇5時~反省文スタート~神様おはようございます。神様は深夜0時に起きだすのですか?私は最近21時半きっかり眠くなり就寝。2時半の目覚ましで起きたが、一瞬うとうと。いや、起きなきゃ損だ。起きるべきなんだ。まずは立ち上がれ。今日はここの部屋のインスピレーションベッドで寝た。柔らかいBGM聴きながら寝入る。夫はPC使い終わったあと、隣室和室の平床でお休みのよう。タオルケットの夫に夏がけの薄い布団をかけてあげる。夫寝入っている間も、夫を言葉に出して褒める自分。起きてる寝てるに関係なく、讃美の詩を音楽のように奏でる自分。夫という建物に同居する霊界スタッフ陣は、その音楽を聴きながら、やる気を出すだろう。夫が乗る車の脇を通る時も、必ず挨拶する。(今日も安全運転ありがとう。バイバイ)軽く会釈。隣のお世話になってる方の車もあれば軽く会釈。その他の車さんたちにも。その場を通り過ぎる頃に(今日も一日おつかれ様でした。どうぞ、ごゆゆりとおくつろぎくださいませ)にこっ軽く笑顔も添えてみる。天のお父様、壁掛け時計の12時前後の場所、そこで、神様は指揮をとっていらっしゃる。私は、その時間、神様にいだかれながら、美肌を作る睡眠時間。12数の円のトップの前後で5時間も寝れば、快適に一日を過ごせる。仕事も順調。~トイレ~洗い物~床拭き~ターシャのことを思いつつ。90代の年齢になってポスターや写真集が出される女性って、なんていいんだろう。私の素敵なおばあさまだ。けど、本人は、霊界住まいで、一番お気に入りの若くて充実したお顔で生活していらっしゃることだろう。夢だった楽園という花園を実現されたから、あちらの生活も楽園でお花畑の暮らしでいらっしゃるのですか。けど、さびしそうでもあるんだ。その環境づくりは土台である。健康な体という土台を作ったまで。彼女の心は、もっと愛で満たされたい願望が、残されて、今もあると思う。彼女は1830年代の暮らしを好まれたそう。当時の服もオークションでコレクションしてたんだそう。痩せ型。背筋まっすぐ。土の上を裸足で歩いたりする。これは長寿に善いそう。(東城先生の本によると)そうだろうな。野草園をスニーカーで歩いても、足から土パワーが入ってくるのを感じるし。善い空気を吸い込む。目で楽しみ。心を笑わせる。(神様、テレビの落語の時間に、家にいるか、買い物にでるか、迷ってるので、メモに書いて、貼ってみました。解答よろしく)ターシャの暮らしぶりに影響されて、家事の仕方が愉しくなった。ターシャと私は、趣味があう。部屋の作り方。ターシャが部屋においてあった雑誌、私も海外で買ったインテリアの雑誌広げてみて。きれいな部屋に、主人公のモデルがいない。私はターシャを知ったので、ターシャをモデルに起用。イメージの。ターシャは少女から素敵なおばあさままでの女性の総合的な姿を、絵のように見せてくれる人。そう、彼女の姿が、絵なのである。人は「絵」なのである。あきないのだ。妻から観る夫の姿形も。夫から観る姿形も。神様は、やはり、女性に力を入れて作られた。「愛したい」「抱き締めたい」向いあってお茶を飲みたい。見つめ合って、おしゃべりしたいし、わらいあいたい。そんな時、好きな女性が、かわいい顔、かわいい色あいの服、背骨や肉のつき方、美しい方が、もっと愛が煮詰まるし、しあわせが凝縮される。だから、やっぱり、女の子はかわいくなきゃいけないのだ。最近、そう感じるよ。相手の人が、好きだよっていう目が、もっと好きが煮詰まった目で、自分を見たら、女の子はわかるよ。昨日の目より、もっと、私のことが好きみたいだって。その相手の顔を、もっと見たいな。もっと感動させたいな。もーっときれいになろう!わくわく。それが、女性と神様の関係。人間と神様の関係。もっと、神様に褒められたい。(きみって、なかなかすごいね)仕事においても、出来映えをほめられたい。そうだよね。神様。日曜日は神様とのデートの日だよ。家庭が、その場所です。神様、この間の日曜日、野草園行ったよ。萩祭りで萩の花を観察してきました。自分の部屋にも萩の花を飾りたいな。咲かせたいな。お昼過ぎから入ったので、その時間はもう萩が疲れてる時間だったね。朝方の8時、9時の花を見たいのだけどね。今度はもっと早くいくね。近場でも、散歩の時間つくって、きっと咲いてるところを見つけられるかもね。求めれば。心が。神様がいろいろつくった品種の中で、私のお気に入りは「やまはぎ」かな。まんまるの葉っぱが、かわいいの。小学1年生の女の子の妖精さんみたい。ぷっくりとしたブラウスの袖とまるいほっぺ。神様、ほんとは、神様に名前をつけたい気分なんだけどね。どんな名前でよんでほしい?ターシャが庭を歩く姿が、エバさんのよう。私の一番最初のおばあさま。あまり美人すぎず。私の父の母親のイトさんと重ねたよ。うちのおばあちゃんの70代の時の姿は覚えてるよ。小学生の時、おばあちゃんの顔を写生したから。何が食べたい?サンドイッチと言うから買いに走ったりしたよ。おばあちゃん、抱っこするおばあちゃんのスカートに赤ちゃんの時の自分、おもらししたらしくて、ごめんね。おばあちゃんは孫がいっぱいいたけど、さびしかったと思う。長男の家でも、次男の家でも、お嫁さんと衝突。それぞれの家の子らは、母親の味方だったから、おばあちゃんの晩年は娘の家で暮らした。私のうちは遠く離れていたので、おばあちゃんの暮らしとは遠かった。距離があるっていい面もあり。マイナスの面を見ないで、いい面だけを記憶する。おばあちゃんは物事はっきり言ったから。キツイ人と思われやすいタイプだったと思う。一緒に暮らす人はキツイ。ターシャは家族と適度な距離を作られた。自立したおばあさま。経済的にも世話にならない。環境的にも。最後まで、健康と美的を保たれた。老後の世話も、迷惑もかけず。素晴らしいな。イメージに焼きつけよう。今から私たちは健康体と美的を鍛えなければ。皮膚を丈夫にする。内臓のスタッフ陣の方々をこきつかわない。彼らの気持ちを理解するには、顔を見よ。鏡に映る自分の顔が、表情が、いきいきしているか。肌のはりはどうか。家事をしながら、鏡の前をとおる時は、のぞきこむよ。みなさん、元気ですか。うん、元気そう。ターシャが、「顔をみればわかる」って。花の顔をみれば、根がどういう状態か、体が、葉っぱがどういう状態かわかるって。花の顔を見れば全部わかるって。~トイレ~BGMを、朝の目覚めから、ヒーリングに変える。ターシャを意識したら、家事がどんどん進むよ。はかどるし、合理的にうまくできる。ていねいすぎず。無駄がなく。マトを得て。愉しむ感覚。書く時の東西の窓をあける幅は8センチから10センチ。朝方はたくさん重ねてきる。湯たんぽは必ず。家事をするとき、体温に合わせてぬぎ、薄くしていく。今日の洗濯家事の目標は9時でひとくぎり。夫と車で買い物予定。もうちょっとだけ。南西庭をベランダ窓から眺める。背丈5メートルに黄色いマーガレットに似た花畑。名前調べてみよう。セイタカアワダチ草の蕾ふくらんでる。黄緑いろの蕾がそろそろと時期をはかっている。PC脇に、ニチニチソウの小さな鉢に花と蕾が10個ほど。濃いピンクが白熱灯で健康をアピールしている。私が仕事の時間はベランダに出して、おひさまたっぷり吸い込んで、書く時はたっぷり受けたエネルギーを私に向けてそそぐ。(くーちゃんおそぼ!)うん。おりこうさん。今日はクッキーたべるんだ。ターシャがつくったクッキー。ターシャが必ずお茶にする午後4時半。日曜日は、私もそれを愉しみたいな。神様、どう思う?ターシャはいつも紅茶だけらしい。食後も、お茶の時間も。そうだ。今日はよもぎも摘みたい。先週の萩祭りの日は断食解禁日をイスラームの方々にならって、私もそのようにした。日曜朝の洗濯家事の合間に、さつまいもを数個ふかして、天然塩で食べる。コーヒーも。野草園に出かけた昼前後から、おなかがすく。朝たべると、すぐおなかがすく。やっぱり、午前中は、食べても損するばかり。食べるなら、午後、それも、なるべく遅らせて。その日、野草園について歩く前に萩茶を2杯頂く。野点(のだて)のお茶会に参加。うすみどり色の芋あんらしい和菓子と抹茶頂く。 公家のお顔立ちの、お手前が精神的にすーっとして、映像に残った。無表情ながら、背筋の伸び具合や、お顔つき、美しく、白襟の出し方がやや多め、清楚な昔の方が、入っているよう。私は着物も着れるし、お茶も出来るし、今後、自分も、そういう場があったら、いいんじゃないかな。お姑さんが、見て褒めてくれたらうれしいな。などとおもいながら、お茶の時間が流れていった。ドライブ、買い物、稲穂を見ながら、車でお弁当など、いろいろ好きなものを買って食べた。背中におひさまいっぱい浴びて。午後4時半前後だったと思う。(楽しいなー)モロッコのフナ広場で彼らはおおにぎわいをしてるんだろうなあ。半日断食ではあるが、1ヶ月とか、まとまった期間が過ぎてからの日中の食事は、自分の魂の霊の体の面に印象を強く残し、しあわせな喜びがくっきり残される。何年か前は、旅行先韓国で食べた、あんぱんとケーキを食べた時、強烈に体が感じた。(なんで、こんなにおいしいんだ!)なんていうところでつくってるんだ?味覚が、強烈に生きてる喜びをほっぺたから全身へ伝え、それが、ずっと、忘れない。断食は感動する力を鍛える。感じ取る力を鋭くし、無駄なことで悩まなくなる。今日、書きながら、得とか、損とかいう表現をいっぱいつかった。今年、ラマダーン期間、イスラームに関する本や情報はほとんど目にしなかった。以前、読んだ、本や読みものの中で、その信仰的な表現が、商業的だなあと、とても新鮮に感じたのだ。有益か、損失か。有益なので行う、というような。観念的な宗教でなく。損益勘定として、借金(罪)を減らし、資産を豊かにするから。~のように受け取ったのだが、宗教がわかりやすいなと思った。たとえば、不倫は自分にとって大損失である。だから決してやらない。といったかんじか。大きな借金をつくる。この返済は、貧乏、汗だく、なかなかおわらない。知ってたら、罠にはまらなかった。甘いチョコレートやスイーツを食べまくるという、ある一定時期の過食。それによって、その後、普通の食事の時に、ふつうにご飯を食べるとお腹が痛くなって苦痛を何十年も受けるという大不幸が待ってる。それを知ってたら、そういう生活を続けなかった。知らないから、わからないで間違った習慣を続けてしまった。一時的な快が、その後に9割の苦しみがあると、知ってたら、人は一時的な快に溺れるだろうか?この夏は麻薬に関する記事に、「罪」や「牢獄」をいろいろに考えた。天のお父様、この地上での暮らしがまさに、「1」期間です。「9」という果てしない霊界での暮らしが、牢獄でなく、お花畑の明るい部屋であるように。地上での暮らしを、うまく進めるように、導いて下さいませ。ラマダーンの1ヶ月期間が終わる頃、私の頭に浮かんだ映像は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の代表者の三者が抱き合っている映像。過去の仲違いや、心の恨みを、泣きあって、涙で洗い、理解しあって、友好的に肩を組み合う絵。
2009年09月26日
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朝ドラまで12分行。神様おはよう御座います。昨日は相談にのって頂いてありがとうございます。PC購入の相談したとき、ゆうせんのお気に入りチャンネルが止まってしまった。で、きのうは途中からほぼBGMなしで書いていた。暗示だったのか、不成立の結果となる。先方の都合で断られた結果だったが、こちらにおいても、もっとさらなる善い情報を手に入れる。今日は買い物、交渉ごと、契約、決断において、自分における最良の日であるため。干支によると。さらにあちこちに働きかける予定。起きてから5時間半たつ。起床2時半。こうでなくちゃ。曙時間1分前には飲み終え終了していた。本日の曙時間4時1分。4時きっかりにおえた。きのう、神様から教えを受けた。日の出時間を1分20秒を超過した私は電車で居眠りしてしまう。1本乗り過ごし、すぐ逆の電車が出発寸前で、ぎりぎりの出勤打刻時間。が、遅刻はまぬがれた。にくい神様だ。私の最大の欠点は、時間をあまく見ているということ。自分より新人の同僚が、会社に一番にくる。私は、新人に学ぶべきだったのに。その人に対し、心の中で、頭を下げることができないでいたのだ。昨日、私は、その方とすれちがって、自分の間違いをきもにめいじた。天のお父様。生きるとは、限られた時間を生きることです。神様が、今日、曙時間をその時間と定められました。私は、その時間に頭をさげる。そうすべきなんだ。イスラームの方々の体全部をつかっての敬礼の仕方が頭にうかぶ。そのようにして、天のお父様の前に、自分を低くします。という謙虚に、へりくだって、というおじぎの意味を考えました。そのような気持ちで、今日の洗顔時、私は、頭をさげながら、顔を洗うでしょう。神様、愉しい。たのしいです。神様と対話できるなんて。きのう、神様、今日も一日、共にいてくださいと、かいたものの、いや、神様が、私のようなものを相手にするだろうか・・というおもいもきたのですが、ですが、私は仕事のお客様や、会社の人々にもまれながら、あなたのはたらきを感じずにはいられなかったのです。そう。それで、もう、朝は早くおきたくたまらなくなって。夫にも協力を求めました。明日は早くおきる。そのため夜の食事は少なめにする。早くねると。時間切れです。では、西式体操行ってきます。あと、田中真澄さんの講演会、行こうと思うのですが、夜18時すぎですが、どうでしょう。神様、考えておいてください。ではまたあす。
2009年09月26日
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夫出勤、朝ドラまで12分程、神様、新しいPCの購入の件、神様いかがでしょう?今夜電話で営業受けますが、前向きに推し進めてよろしいですか。アドバイスと智慧を教えてね。最適な判断をも。神様、日の出5時25分を1分20秒オーバーしました。水飲み2リットル。押しきってしまいました。報告。すっきり出発します。最近、夕食時、夫との会話が盛り上がりすぎて。就寝時間が遅れがちで。今朝の起床は4時半。水飲みに1時間は必要。本当はもっと必要。昨日は5時起床で、時間内に1、5リットルしか飲めず。湯たんぽで腰あたため出来ぬ代わりに、ホカロン貼った。朝ドラまで掃除・洗濯で書くのお休み。この日、出すべきものを出さず、保存したまま一日すごす。やはり、朝もっと早く起きなければ。夜の食事とおやつ控えねば。が、お彼岸は明日で終了。お供え物はもうよいでしょう。昨日は梨だけ。天のお父様、日の出から日没までの断食とはほぼ12時間~13時間。南米と日本の時差くらいですね。この食べぬ、飲まぬの不思議空間。自由に使える時間の獲得。また老いる不安の消滅。これはやめられませんぜ。仕事も最小限に減らし。二日をワン・セットと考えてもよいな。常々感ずる。出すべきものが、毎日でなくても、気にするな。一日一食が、少食で良質であればよい。時間切れ。朝ドラみながら、西式体操して、出発準備。今日も善い日になるぞするぞ。天のお父様、共に過ごして下さいませ。
2009年09月25日
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断食生活の贈り物は「時間を貰える」ということ。今日から日の出時間を中心に、飲食に区切りをつけていきます。昨日、朝ドラぎりぎりまで寝入っており、水も排泄もなく出勤。ペットボトル4本を持って出勤。ラマダーンを終えて、それでもよいのだけれど。損した気分だ。重い水を持っていくのも損だし、朝の時間を台無しにしたというのも、耐え難いほど。 ◇ ◇ ◇お手洗いから出た直後、夫、お手洗いへ入る。台所洗い物。したく部屋4畳半にモノを取りに行く。夫の姿。「おはようございます」夫がカツオに見え。自分がワカメに思えた。夫髭剃り準備へ。自分のわき通るとき、頭なでてくれた。どぎっ!神様、あなたから、頭をなでてもらったようです。(わたしのかわいいむすめよ)「昨日どっちが勝った?」よかった「東京03」で。21時過ぎに寝入ってしまった。2時前に目を覚ますも、4時近くに起き上がる。今日から日の出前までに朝食おわらせる。水2リットルとコーヒーという朝食。夫出勤。さて、20分行の出発式。U‐SEN・BGMのチェンジ「心地よい朝の目覚め」から「癒しのヒーリング」へ。天のお父様、おはようございます。昨日までの3日間は断食生活の休館日でした。2日間、書かないで一日を出発してみると、・・強烈な寂しさ・・覚えた。あなたもそうだ。一人では生きられない。一人ではつまらなくて。刺激がなく、だらけてしまう。天のお父様、何かを守る、時間一つを守る、そのわずかな条件があなたと出会える決まりごと。なんて簡単なんだ。日の出の時間迄の飲み物、というのを「やってみよう!」と心が言う。昨日まではシカトだった体が「OK!」・・どうやら応じてくれるようだ。だって、なんたって、こういう生活法って、断然お得なんですもの。趣味的時間が増えるのですよ。私の人生トータル的に豊かになるのですよ。それに、夕食がめちゃ美味いのです。「おむすびころりん」という話は、なぜかわくわくする。おばあさんが作ってくれたおむすびを昼食べようとしたら、ねずみの穴にころがって下に落ちてしまった。おじいさんもいっしょにころがって。穴の中で、ねずみがおもちをついたり、たいそうもてなしをうけ、おばあさんのおみやげまでもらって帰った。という話だったか。そんな愉しさ。天のお父様、あなたからプレゼントされる、その早朝の時間を、さらに有意義な時間へと推し進めていく計画です。昼は肉を養う活動。朝は霊の糧となる食物を頂く時間。夜はあなたの懐で霊肉の休息の時間。生産的活動でなく、調整の時間。神様、私たちは限られた時間を生きています。着々と霊界から招かれるその日は、刻一刻と近づいているのです。その日は、いつか、誰も知らない。知らなくてよい。時が満ちたとき、自然と海の潮のように、正確にやってくる。期限満了の日は、必ず、誰もが通るから。実に今日一日を貴重に思わねば。健康は目的でない。土台作り。何かを行うための。今日、何をやるか。その目的が明確でないと、朝、起きれないのです。朝2時に目を覚ましても、やることが明確でなかったため、また目をつむりました。次の目覚めがきたのが4時でした。これ以上、寝続けるのが無意味と霊も体も知ってたので、起き上がったのでした。生活の流れ、段取り、計画をたてていきます。ノートをつけていきます。この地に足をつけて生きるということは、霊肉の両者が手を取り合って大喜びすること。
2009年09月23日
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92歳のターシャ「幸せは自分でつくるもの。でも、あせってはダメ。時間がかかるものなの」てまひまをかけることを惜しまず、ていねいにすごしている。父が大好きな「戦争と平和」(トルストイ)のヒロイン・ナターシャから名をとり、ターシャと呼ばれるようになった。23歳で結婚。農業のかたわら、絵本を書く。ディディと呼ばれる乳母から、料理と裁縫を習った。 ◇ ◇ ◇今朝はここまでね。これから、お洗濯して、家事運動をひととおりしてから、今日、野草園に行くんだ。そう、ターシャ展終わってから、ターシャの森に行くつもりで、今日行く計画してたんだ。夫が車に乗せて連れてってくれるって。9月に咲く萩を見に行きたかったの。どういう花のかたちなのか、ノート鉛筆持参でスケッチしてくるね。(私もターシャのように絵を描いてみようかな)ターシャ、昨日は丁卯の干支の日だった。「卯」はターシャを意味することを途中で意識にとめたよ。ターシャの精霊さんのような「草花」を意味するよね。ターシャの表情が、さびしそうに私の印象に残されたのだけど。(霊界に暮らすエバさんと重なる。エバさん、もし、エデンの園の幼少期、思春期の頃、アダムが一緒に手をつないで、エバのままごとに付き合ってくれてたら、よかったのにね)そういう意味でも、今日、私を、夫が連れてって、くれるってことは、私の代から、歴史をやり直すぜっていう気持ちだよ。私のままごと遊びに付き合ってくれようとする夫とアダムを重ねるよ。ターシャ・・。神様、私をターシャのところに連れて行ってくれて、ありがとう。ターシャと友達になれた気分です。ターシャと一緒のお茶飲みたい。ターシャが好きな紅茶とクッキーを今日は楽しんでみようかな。イスラームの方々は今日はイードというお祭りの日で、断食終了おめでとうのパーティの日だそうです。ゆうべ新月が見えたのだそうです。よかった。今日はどうしても萩祭りの「萩茶」の振る舞いを受けたかったのです。「萩祭りに参加した人にふるまわれる<萩茶>はなんとも言えない良い香りが好評です」というネット記事の文句に惹かれて、いただく映像化を描いていました。世界10億人ほどの方々が行ったとされるラマダーンの断食。それが昨日で終わったとの情報をネットで見て、とーっても、皆と別れるような気分で、さびしさを朝おぼえたりした。私は部外者だし。(モロッコのフナ広場も今日は賑わいだね)よその家のコだといって、のけものにしないでね。私もそのお祭り混ぜてよ。ーいいよ-いいって。ターシャ一緒にご馳走いただきに行こう。私は9歳のターシャと手を繋いで、一緒に遊びます。今日はいただくね。食べよう。食べることで、世界の10億の人たちと、意味はよくわからないけど、喜び共有しよう。だって、本当は世界って、一家族世界なんでしょ。楽しも!うん。笑顔笑顔笑顔。(ターシャが笑った!)92歳春の映像のターシャが言う。「人生は楽しむためにある。お茶の時間はそのためにある」ああ、人生の作者、監督でもあられる神様は言うでしょう。「人生の目的。人を作ったのは、喜ばすため。食事の時間はそのためにある。存分に喜びなさい」ああ、神様がそう、私をもてなし、接遇してくれるというのですか。喜べ喜べ。はい!期待におこたえして、たくさん喜ぶ人になります。飛行機で体験したあるアテンダントさんから受けた接遇。アテンダントさんは神様にそのように接遇された。それを私に表現して見せて下さった。あの姿で生きよう。あの美しい表情で人に接しよう。人に対するとき、神様をみるような幸せな顔で。目で。笑顔で。
2009年09月20日
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ターシャは【ひっそりと咲いている花のようなイメージ】ターシャと同じ《辛卯・日干≫の女性が、職場に一人います。そんな感じなの。【媚びやへつらいが嫌い】その女の子も、ターシャと同じ表情してる。作り笑いなど決してしない。というか、そもそも、できない。えっ、どうやってするの?そもそも要求しても無理。だから、顔表情は単色、つまり1種類なんだけど。そういう特徴なのですよ。その女の子もなかなか品位があります。ターシャは名門の家の子。両親は名家の出身。父はヨット建築家、母は自画像画家。ビックカップルから生まれた子。ターシャの祖父母と両親は、マークトゥエインやアインシュタインと親交があった。【品が良く内面は繊細で神経質な面がある。年を取っても若々しさのある人が多い。ちょっと見は、威勢がよく、貴公子的でプライドの高い星】ターシャ、どんどん、あなたのことがわかってくる。楽しい。 ◇ ◇ ◇ターシャ・テューダー:1915・8・28生/辛卯・絶(偏財)/甲申・正財・帝旺(劫財)/偏財・絶(偏財)朝、出発前迄の時間、私はターシャ研究をしていた。 (H21年戊子・ターシャ印綬・長生(傷官)の年)の去年亡くなったということは印綬で旅立たれたということなので、善い旅立ちだったんだなという印象を持った。この方の人生を神様が褒めている。霊界のことよくわからないという干支の教室の先生が、「印綬で亡くなる人は、ああ、この人いい所に行ったなあってことになる」と言っていた。高僧のイメージが今わいた。善い生き方だったということだ。(今ノートをめくっていたら、以前調べた長南年恵さんのメモを目にした。彼女がどういう人かイメージがわかなかった。が、ターシャと似ていること発見!長南年恵:1863年・12・6生/己亥・胎(偏財)/癸亥・偏財・胎(偏財)/癸亥・偏財・胎(偏財)/・・水の財が5つもある この方は生水だけで人生のおおよそを生きられた方で、44歳で没しておられる) そっかー!新たな閃き。ターシャとの共通点で「よく尽くす、心中どうであれ、よく仕える」の意味があると思われるが、ターシャの財の固まりが、「乙」となってること。さっきまで、ターシャって、人と関わることに気疲れすることを嫌い、少しのことも神経に障る、という頭痛もちの要素があったのではないかなあ。と思っていた。それもあるかと思う。が、「乙」の意味は草花なのだ。彼女は草花を命の糧とされた。霊的糧。草花の精気を食して生きられた方なのだ。神様が、それをおしえてくれた。(神様、いちいちありがとうといわずともよい。水臭い仲ではないからと。何かの本で読んだ話でもあるが)神様、でね、あたしね、昨日の朝、「辛卯(かのと・う)」研究をしていましたでしょ。ターシャ展終わってから、なるほど、ふむふむと理解できる思いだよ。【周囲をびっくりさせるようなことを、平気でやってのけることもある人】そうだね。56歳の時、本の印税で30万坪の土地を買ったのですから。また、辛卯イチローもそのごとく!で。でね、私、展示会のアプローチ段階で、心のモヤモヤがおこったでしょう。どうしようかとマジ困った。心の収拾。でね、わかった。辛卯の特徴のおさらいをしてみると、【内面に気の小ささや、迷い、移り気、貧乏性、愚痴などが潜んでいる】これだ!貧乏性と愚痴。もったいないの貧乏性と、心の内にひろがるモヤモヤ。これらの性質をターシャも持っていらした。それらの感情と、辛抱強く、格闘もしていた。それを静かに納めるためにも草花の気を人一倍欲したのだ。そして彼女が影響を受けたシェクスピアや、お気に入りの作家さんの本、哲学書、彼女は本をよく読んだ。自分の心の指針となる本を求めた。それで彼女の語り口は詩人のようだし、カリスマ性さえあり、言葉に力をもつ。「人生は短いのよ。文句を言ってる暇などないの。目の前にある幸せを精一杯味わうことよ」と幸福のメッセージを伝える。「皿洗いも楽しむことよ」亡くなる一年前の映像のターシャが画面で言っている。92歳のターシャの映像や写真がポストカードになって、いーっぱいターシャ・グッズが販売されていた。美しいおばあさまというモデルのプロマイドが大人気。絵になっている。精霊さんのように。服の柄、色、デザイン、素材が。とってもくすぐるの。肩に赤の色の肩がけをこのくらいの分量もってくるとか。茶系、黒、花柄の小紋のワンピース。長めのスカートに格子柄の前かけエプロン。結い髪と首もとに白ベースにピンク系の小紋柄スカーフ。レース襟も好き。茶系カーディガン。こげ茶セーターの上に、うす茶の肩がけは、大きな襟を模すようにブローチで留める。ターシャ、そこにたたずんでおられるのは、おばあさまでなく、少女でもなく、なぜか、なぜか、おとずれる人々が、自分をそこにかさねることができるの。つまり、首のないマネキンが、近頃の主流でしょお洋服売り場。ターシャは「無」だからなのです。「あたしがターシャだよ~ん」と自己主張がまったくない。首のないマネキンが主流になったのは、その服を自分が着た場合をイメージできるから。
2009年09月20日
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ターシャ「たーくさんの球根を用意してたのに、へびに食べられて台無しになっちゃうこともあるの。そんなことを気にしてちゃだめ。そんなもんだと思わなきゃ」ターシャが言っていた。そうか、そうだな。とターシャの言葉で、気持ちを切り替えることが、できた。入場入り口から数分、私の心の中で、小さな不快があって、これをどう始末しようかと思ってたのだ。 ◇ ◇ ◇ターシャ展へ行ってきました。場所と前売りの件で会場そばのデパートに立ち寄る。開店オープニング時の挨拶に出ている人に質問した。支配人風の権威ある面立ちのその人は、言葉の端にイヤ感を私に感じさせる。(よその店のことか、こんな若いあねちゃん相手にしてられない)その人の目は上得意様を見逃さぬよう(さっさと行ってくれ)オーラ、肌に刺す・・追い払われた感。断食で若返りに便乗して、若い格好をしていたからか。軽んじられた接遇に、気持ちが沈む。会場に着いた。20代顔の会場係の男性にものをたずねた。その人の目は別なところに泳いでいた。ぞんざいな接遇に、さらに、気持ちが沈む。前売り券はいつまで求めればよいのか聞きたかったがわからないと。受け付けでパンフレットを手にしていたら100円引きにしてくれ700円で会場入り。チケット売り場の若い女性はさわやかな対応をしてくれた。きもちが少しアップした。ほんの数十秒のやりとりで、お客様が感じる気持ちを、この日、私は学んだのだった。これを自分の仕事に生かすぞ。いま、ここに、文として、書き表してみると、私は大きな収穫を得たと知る。私の仕事も、お客様との数十秒の最初のアプローチで、お客様に判断される。その日の売り上げにならない、数字にならない、断りのお客様を大切にするのが、私のこれまでの営業の極意であることを思い出させてくれた。前日の仕事は、数字を表せず、ゼロでおわっていた。最後断りだったが、最後までよく尽くして、気持ちの通いあった交流が出来たので、ただのゼロでなく、次につながるゼロだった。なので、それはそれで、意味のある仕事を納められたのだ。私が思い出した仕事の極意とは、「たくさん尽くしてもてなして最後断られる」それを心を乱さず、こつこつ積み上げていくことだった。そのポイントがたまると、神様が突如プレゼントをくれる。という宇宙のしくみ。そういう体験を随分前に、神様からおそわっていたはずが、すーっかり忘れていたのだ。それを今、ターシャ展入場前のアプローチで神様は私に耳打ちしてくれ、おしえてくれた。
2009年09月19日
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「痩せたんじゃない?動きも軽やかあ~」後ろから同僚に声かけられた。きもち1ミリ2ミリ全体の輪郭が小さくなってるイメージあり。顔つきとか肌質とかも、きもち別人になってる気がする。古い自分と別れたな。私を取り巻いている霊界スタッフの様相の変化も、そういえば、かんじなくもない。イスラームのラマダーンは今日か明日で終了の予定。9月は断食がなんてふさわしいのだろう。この9数という水の数霊は、多くのよどみを洗い流してくれるよ。気分は9月の秋晴れのようだ。どんどん、朝方の時間帯の充実度が増してくる。夫出勤後20分書く日課が続いてて、やみつきになりそうだ。ああ、朝方の神様とのわずかな対面時間。心が高揚して、たまらない味わいだ。そして、また、昨日の東城先生の講演会が沁み入る、沁み入る。高性能な浸透力抜群の化粧水が、どんどん、お顔の肌を潤していく。言葉の力。磨き上げた魂。しっかりノートをとってきました。今までで、一番、自身の中に構築できた。「家事が大事。生きるとは、掃除・洗濯・料理。それが人生ひらく鍵となる。智慧が与えられる」次なる月は家事に特化しよう。そう思い始めていたところに、その話はとっても私を激励してくれた。神様、私、もっと、もっと、神様とおつきあいがしたい。し続けたい。空、太陽、月、上を見上げて、神様との交流って、なんておもしろいんだろう。出会う人とのやりとりの中にまで、神様が関与して下さる・・という気が致します。私は孤独好きでもありますが、寂しさを感じることもあります。講演会終わったあと、会場の都合から、皆、蜘蛛の子を散らしたように解散となり、どことなく寂しかった。テーブルで薬草茶で、おしゃべりしたい気持ちになりました。あっ、それがあの会なのですね。次も参加します。神様、あなたが、生活の中に一緒にいて下されば、一人で展示会へ行くことも、決して寂しくないです。神様、今日の予定は「ターシャ・テューダー展」一緒に行きましょう。(終わったら、仕事にも付き合ってね)あなたが、ターシャを訪ねるように示唆なさいました。ターシャがどんなティカップで紅茶を飲んだか、見に行ってごらん。ターシャの服、人形、庭、じかに触れて、レポートしてみると、テレビやネットでは得られない妙味があると思うよと。神様、そっか・・神様は少女のような彼女を愛していたのですね。そうか・・神様はターシャのような女の子が好きなんだな。うん。私も、それを研究しに行ってきます。私も、神様が好きになる、女の子になりたいから。
2009年09月19日
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神様、おはようございます。神様、今日は神様にとって特別な思い入れのある日。私にとっても記念日です。夫と出会うきっかけになった日であるし、夫の前に神様って言葉を耳にした日。最初はどちらも、ひとめぼれじゃなかった。夫の外見も、神様っていう言葉の響きも。お店に入って、うわっ素敵いいなー!と、すぐに好きになったものは、すきでいる期間が、短かった。だから、最初「むっ」と心に思った物事に妙味あり。夫は一番の親友になったし。神様のことは、最初、自然の森羅万象に発見したけど、そのうち、人を通して、神様の気持ちをちょっとずつ知るようになった。でも、まだ、パーティーのテーブルの前菜、サラダしか食べてない気持ち。そうだな・・自分の心に「イヤ感」が生じるとき、きっと、そこには長くつきあえる、あきない学びがあるのだね。(ああ、神様、今日のこと報告します。ごめんね。失敗の報告。この白い紙が、吸い取り紙となって、トイレの水に流して下さいませ。時間をはずしました。曙時間はずし。日の出時間で仕切り直しと思って、気持ち切り替え実行したものの。あとで、ノートの時間表みたら、日の出時間を間違えていました。31分遅くまで、水飲み、していました。ラマダーンを真剣に取り組んでいるイスラームの方々に面目ないです)ああ、私は誰に謝っているのでしょうか。どなたに、お詫びしているのでしょうか。自分の本心が、姑さんのように、平林都さんの一瞥(いちべつ)で「何やってんじゃ!」と、管理できなかった体の肉の心に一喝。嫁さんの立場の体の肉の心は「申し訳ございませんでした」頭をさげます。平林都さんが「わかったよ。もち場に戻りなさい」穏やかな満面の笑顔を顔じゅうでパフォーマンス。ああ、神様。すっきりしました。これで、今日を新しい気分で出発できます。昨日も、今日も、2時半に目覚め、目覚まし時計を持って、平床の畳の部屋から、ここの、インスピレーション・ベッドに移動して、気分が充実してなかったため、二度目、三度寝でした。面目ないです。いいわけはもうしません。たくさん、眠れて、最高に気分いいです。神様、私が今日起きた時間は、今日の、日の出時間だったのです。神様、2時半だったのか、夜中、窓を見たら、外が青くみえました。そうか!「甲」数字「1、2」が「青」。これは、光の色でもあるのか。青い光。1は神様、2はエバ。けれど、この2の位置は、天地創造の最初、神様はその、まだ定まっていない、あやうい「2」数に、天使長を配置したのでなかったか。天使長が、幼いエバを正しく指導して、3のアダムに繋げる使命があった。「2」は、なんて難しい役なんだろう。壁時計のアナログの数字の配置と、円と、私の生活時間を合わせ見しながら、神様、私の睡眠時間は、22時前から2時過ぎまで。「甲」の上の部分だ。(今年の曙時間は3時過ぎから始まった)・・トイレ・・神様、私が寝てる間の時間は神様の霊に包まれた深遠な時間帯。神様の懐で眠れる特別な時間。肌をきれいにしてくれるという時間。神様、今、庭を見たら、黄色い花。神様、色の三原色で、だいたいの花が、リンドウの青、バラの赤、ひまわりの黄。が、白いカサブランカや菊もある。黒チューリップもある。神様、五行という色の創造。デザイナーで、画家で、建築家で、神様をもっと、もっと、おしえて、おしえて、って、求めていけば、神様、いっぱい引き出しあけて、みせてくれそう。自慢の宝石やら、服やら。神様、わかったことがあったよ。神様は人をつくられ。複数の人を繁殖させ。・・今、夫が出勤。「いってらっしゃい。お気をつけて」・・神様、私もそろそろ、東城百合子さんの講演会に出かける仕度しますが・・神様、神様は人達を創造されました。一人ではなく。一色ではなく。神様、あなたは、組み合わせの妙味という喜びを作られました。人と人との間にコミュニケーションをとらせ、あたらなものを生み出すことを計画されていた。人と人が、仲良くなるには、お食事。「食べる」って、そういうこと。一日一食しかとらない、という私。と、夫。だから、二人はその一食が、とても貴重で、楽しくて、素晴らしくて、心のつながりが、すごくすごく深い。神様、これから、神様、あなたが、私に何か、させたい仕事を与えるとするなら、今後、食べる機会はいろいろあると思う。いろいろなテーブルの前に座ると思います。この生活法は、あくまで基盤づくり、下地づくり。「陰」の部分を今あるいています。神様、また、今日はいろいろ、探険に行ってきます。あなたが用意されたこの一日というお皿に盛られたものを味わい深くいただきます。今日という日の干支は「丙・寅」・・(赤と青)・・さて、どの服着ていこうかな。神様、丙寅の日の、私にとっての意味は、お見合いの席に座れば、必ず相手に気に入ってもらえるということの暗示。神様、あなたとお見合いの席に向い合う・・そういう気持ちで、今日という日に臨みます。
2009年09月18日
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夫が少し遅れるとのことで、寸暇を惜しんでのしのび愛だよ。神様、ここは笑う部分だよ。神様、ありがとう。温冷浴前に、ちょっとだけお礼言いにきた。食材調達人の夫が遅れるとメール入ったので、(玄米少し多めに炊いてと、先に食べてたいな。神様、今日、EM微生物農法のコインロッカーにトマトが入ってたらいいんだけどな)とロッカー30秒前地点で心に思う。通りがかる。おっと!おじさんが、ロッカーに品物入れてます。少し歩き過ごしお財布用意。振り返る。おじさんロッカーに入れ終わってもういない。よし、それいけ!あったあー!トマト食べたかったんだよお!神様が、タイミングよく、セッティングしてくれたよおー!それで、神様に、「ありがとう。おいしかったよ」めちゃ愛されていることをちゃんと感じているよって伝えたかった。今、玄米の圧力釜のガス止めにいって、また一個食べた。もぎたてだよ。夫がおじさんのトマト気に入ってて、買っといてねと小銭渡されてた。うちの玄関から出て20秒のところに設置してある。うちの隣の土地はズラリおじさんの畑。ちなみに駐車場は、数年前までおじさんとこのさといも畑だったんだ。EM農法だと知ったのは最近。明るい時に顔写真の紹介の看板みて知った。その顔みて、心の中で賞賛した。やはり善い食べ物で生きてる人は顔が違う。映像としては柳生博さんの笑った顔と年の頃かな。こんなにいいもの作るなんて完成された人間のように思える。ご近所でも人気で、いつも売り切れ。毎年、おじさんのじゃがいも食べてる。この間はきゅうりも食べた。早朝ハトをたくさん飼ってるご近所さんと話してた。EM農法だからハトの糞をもらうのかも。今、炊けた玄米、最高いつになくおいしく炊けた。キャー神様ありがとうって気持ち。いつもと違うく感じる。玄米、自然塩、のり。今コーヒー。神様、も一つだけ話したい。今日最後に出会ったお客様を通して感じたこと。ああ、私のこと、どうやら気に入っていただけてるよう。76歳の素敵な奥様。その時、テレビでみた「銀座のブスママ」のことを思い出した。私は昼のホステスだって。私のイメージとしては飛行機に乗ったとき、とっても感じよかったアテンダントさんの礼儀作法や表情や言葉遣いを意識しているのだが。もてなされていると感じる。その方は心を遣ってくれてるなと感じる。気を遣う、気遣うと、ちょっと違う。まごころのおもてなし。私の仕事はお客様に気分よく物を買ってもらうこと。無理にすすめない。ただ、さりげなく、自分を売り込んでいたんだなと感じた。私は昼のホステスなんだな。それに磨きをかけていきたいな。誇りをも持っていきたいな。発声練習もしよう。笑顔の練習もっとしよう。美肌にも気を配ろう。ターゲットのお客様層は60~75歳前後の女性。私の商品はEM農法(?)・・これだ!こういう心意気だ。私自身がEMの腸をもつ、心情をもつ、おいしい人になるんだ。正しい言葉遣いの本も読んで、美しい日本語でもてなす人になろう。神様、思ったんだ。営業の販売で、いろいろな人と言葉を交わす。訓練だなって。人と仲良くできなきゃ、だめなんだよね。お客様との関係も、同僚との関係も、上司との関係も、素晴らしいこと勉強できる学校なんだなって。仕事って。嫁さんが、お姑さんに、ブスママ法のホステスさんのように心を遣っていったら、お姑さんから、いっぱいチップもらえそうだなあというイメージがわく。愛される人にならなきゃ。それを思ったら、どう振る舞えばいいのか、見えてきた。身近な同僚に、大切に対することをしようって思った。挨拶も。あいづちも。笑顔も。親愛なる一瞬、一瞬を工夫していこう!って。お客様の気持ちを理解すること。お客様の気分を引き立て。下から、下からへりくだる気持ち。おべっかではなく。そのためには、自身の内なる人が充実していなくてはいけないのです。
2009年09月17日
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神様、あと20分しかないけど、おつきあいお願い致します。2回目、曙時間、はずしてしまいました。ですが、「失敗は成功の母」、即座の判断は、(日の出時間迄の水のみでしきりなおせ)あらたな閃きがおこる。そうだ!このラマダーン時期が終わったあと、私は、日の出時間を意識して、しばらくこの半日断食方法を、次の段階に、すすめてみるのはどうだろう。いいんじゃないかな。詩人・坂村真民さんが言われてた。「~だから日の出の時間に寝てるようではいかん」そうだ!これを実行しようと思えば、早起き習慣という新たな貯金通帳をつくるということだ。今朝も東の窓から、素晴らしい光が入ってきた。日の出直後の光は、すっかり昇った時の光と違う。次なる段階は朝陽を浴びる生活!と、これは、私に与えられた、神的メッセージではないだろうか。日の出時間を中心に、就寝時間と起床時間が、決まってくる。それに合わせて、肉の糧を稼ぐ仕事時間を調整すればよいのだ。今日もたーくさんの宿便を排出した。普段の日中の水だけ2リットル+夕食だけの一日一食というのでは得られない効果があった。同じことを続けていては、効果が薄くなる。細胞がそれに慣れてしまうので。「自然療法」の本を手にとると、そういわれる東城百合子さんの文が浮かんでくる。それで、帰宅時の水浴びから、温冷浴に変える時期にきたとやり方を数日前から変えたのだが。昨日だけ(水浴びで、ま、いっか)をしたら、その後、湯たんぽで温めたのだが・・。体が「温冷浴にして」と。(はい。かしこまりました)そう。時間なくても、今日、曙時間を失礼したことを、書いておきたかった。失敗の告白。それの心のモヤを、この白い紙に書く、移動、移すことによって、サヨナラします。また、あたらな閃きをありがとうございます。これで、今日を負債なく出発。新たな光の祝福を受けたものとして始められます。今日も人を愛します。「托鉢の行」頑張ります。営業は一件一件の訪問。家から家へ。殺人の家もあれば、姦淫の家もある。高貴な家もあれば、信心深い家もある。一件も選ばず、あばら家をとばさず、くまなく訪ね、頭を深々と下げます。自分以上に罪深い家にも、深々頭を下げることによって、あなたの罪は赦されるのです。と、言われた方がいた。今日、私と関わってくれる様々な方々。その方々によって、私は磨かれることを感謝します。
2009年09月17日
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私の日々の暮らしは断食道場。内観道場。半日断食をしながら、腸内のクレーム処理、クレーム除去をしている。それが、きれいになりつつある状態にしたがって、心の腸内という入れ物にたまった汚物も、片付け作業が、ちゃくちゃくと進められてる。そういう気配を今朝、感じはじめた。 ◇ ◇ ◇神様おはようございます。おもいはふっときて、ふっと消える。まるで雲と月のおにごっこ。東の窓を開けにいく。お月様・・秀麗な眉のような三日月型。目を細めた神様の片目。もうすぐイスラームの方々のラマダーン月における断食がクライマックスをむかえようとしているのか。私は、私なりの方法で、続けたい気持ちでいる。何が、楽しいって、神様、毎日、曙時間と日の出時間と日没時間をノートみてチェックします。空の具合を確かめます。こんな生活をしている人はおらへんです。詩人の坂村真民さんでしたか、生前言われてました。あの方は、深夜12時に起床され、午前3時半を「寅の一刻」と呼び、庭の木に手のひらをあて、お祈りをされました。四国の方でしたか、仏教系の方でしたか。ああ、そういえば、3年前に霊界に逝かれました。丙の年のラマダーン月にふと閃いて、ネットで調べてわかったことでした。文章は、必ず朝方書くのが善いと言われていたのもその方で、「朝型書く文は、人を生かす力を持っている」と。イメージとしては日の出前後あたりから書かれるのかなと汲み取りました。そういいますと、日記を書く私は、書いてる側の自分自身が、書くことによって力を与えられるようです。神様、今日は甲子(きのえ・ね)でしょ。だから、今日は今から書いてもいいなって思いました。本日の曙時間は、3時51分で、時間内にちょうど、水2リットルを飲み終えました。すごく協力してもらってるなあと、あなたのことをイメージできましたよ。今日はあなたをパパって、呼びたい気持ちになった。でんと、大きな社長の椅子に座っているスーツ姿のあなた。「水のみ手伝ってやれ、時間内にな」ここでの形は、朝ドラ「つばさ」の金貸屋のヒロリン(西城秀樹)の姿で出てきた。従業員の社員は、天使さんで「へいっ!」仕事でもそれを感じてるの。最近、私の仕事の姿勢変わってきた。今まで、色々な上司が、色々なことを言ってくる。小言に自分の気持ち閉ざし、怒られないようにと、ちょっとマシーンになってた。というより、言われたとおりのイエスマン。これを使用人という。が、何が変わったかというと、自分で考えるということをしないできたんだなって。本当に、時間で使われている使用人なんだなと。けど、それでは、自分の限られた人生の4分の1を締める舞台として、(ぜんぜんダメじゃん)自分の生き方としてもあやふやになっていたのだ。私の立場は、会社とお客様を繋ぐ立場。私は差し出した時間と引き換えに、肉の糧となる給料をもらうという会社との契約なのだが、断食やってたら、(困らない程度で、多くなくても問題ないじゃん)絶対生活成り立つわけだし。という確信。【お客様を得させようよ】という気持ちが出てきた。会社もお客様が、感謝して喜べば、なんとかやっていける。絶対。お客様が、心動いて、お求めになった。時間が過ぎて「善かったなあ」としみじみ思っていただける。そんな現象を増やそうよ。だって、私のこの地上での目的ってさ、霊界行くための準備期間なんだもん。今、あなたから与えられた職場という箱の中で、あなたとの暮らしに役立てるために、何かを学ぶ、訓練所なのだもの。ここで、給料もらって、終わりじゃなくて、ここで、あなたが教えようとしている出来る限りのことを習得しなくてはもったいないよ。求めれば、あなたはこう言うよ。「もっと持ってけ!」倉庫から、もっとあなたが、考えていること、もっと出してこられるよ。私はチビだから、小さいことしか考えが及ばなかったけど、あなたを研究したい。吉田拓郎の奥さんが、「堂本~」で趣味は?と問われたとき「おっと!」と即座に答えられた。何年も前のテレビ。趣味=夫か~(わかる!)あたしもそうなんだー。夫は親友で、お父さんであり、お母さんであり、息子であり、お兄ちゃんであり。私の欠けてる部分に、ぴたっ!とフィットする存在だ。あきない。つきあえばつきあうほど、好きになる。知れば知るほどかっこいい。けど、それは当然の話で、神様が、(この娘に合う男ー)神様、神様はちゃーんと、私のゼロ歳以前から、ちゃーんと計画なされたのだよね。このかわいいコに合う男、この辺に種、植えといたからねと。神様、あたし、今おもうよ。私の趣味=神様だ!神様・・今トイレでしばし、ぼーっとしてたよ。トイレでいつもいろんなことが閃くよ。あっ、そっか、だからトイレ掃除かー。もっと、トイレの空間をいろいろ工夫して、トイレ担当の神的な守りの方をもてなさなくては。神様、思ったんだ。断食が問題じゃない。宿便だすのが問題じゃないって。神様・・あなたと近づくためだったんだ。毒を減らしていって、あなたと面会しやすくするためだったんだ。日頃、毒だらけに、本体がおおわれちゃって、神様の愛を呼吸すべき皮膚の穴が、ふさがってしまってたんだ。だから、神様、あなたは、このように、私の手を引っ張られ・・断食に興味を持たせられた。 ◇ ◇ ◇トイレで、青キョンのことが浮かんだ。「コールセンターの恋人」スタッフも役者さんも脚本家さん、プロデューサーさん、一体化してたなーという作品だった。最終回におおいに満足。トイレで閃いたんだ。あの飯屋のおっさんは、(「メシヤ」と重ねたのか?・・)本書いた人、そこまで考えてたの?すごいな。青キョンの父はクレーマーで、わざとクレームをつけて金品要求してお縄になった。刑務所から出た男を雇い入れた飯屋の主人。「娘に申し訳ないことをしたと、お父さん、気にしてたよ。実は5年前に亡くなったんだ」「お父さんは、亡くなるまでこの店で働いてたんだよ。よくやってもらった。身寄りがないってことで、うちのお墓に入ってもらったんだ」それ、まずいでしょ。墓相的に。見てたときは、そう心でおもった。(テレビだから、しかたないか・・)けど、こういうことなのかな・・新たな閃き・・刑務所から出てきた青キョンのお父さんとは、堕落天使の天使長ルーシェルさんをあらわしていたのではないかって。トイレで、閃いたんだ。犯罪者として服役し、その後、メシヤによって、更正した。飯屋のおじさんの温かい愛に触れて、人間らしい心を取り戻した。天使長は人間ではない。だが、心情的存在であるのは、人間と変わりない。役柄はしもべでも、出どころは神様から出た被造物である。そういう役なんだよ。神様は、一つのドラマを仕上げるのに、主役は一人に決まってるの。脇役は、主役を引き立てる、重要な存在である。陰陽なのだよ。主役が一人だけ、1時間番組のドラマに出てたら、飽きてくるし、ストーリーが成り立たないし、ドラマにも本にも仕事にも経済としても回らない。永遠に人々の心にとどまれない。刺激的でない。第一、主役は、作った顔の、ひとパターンしか、顔の表情を生み出せない。いろいろな種類の個性を周囲にちりばめて、主役の彼は、おおいに引き立った。ああ、彼は(アダムさんの役だったのかあー)新たにあらわされたアダムの役なんだ。ぴーったり!なキャスティング。セリフの本も、声の音も、顔表情も!・・なんて人間って、芸術的なんだろう!って思わしめる。神様も、きっと、鑑賞しながら、笑って喜んでたよね。「うん、うん」って。青キョンのお父さんは、本当は、本来はなかなかの方だったんだよ。だから、青キョンのようないい娘が、純真で、心情の深い娘が生まれ出たんだ。青キョンは、犯罪者の父の悪さを小さい子供ながら、知ってはいたけど・・自分の頭を撫でてくれた唯一の身寄りを、自分にはよくしてくれた父親を、いとおしく、かけがいのない存在として、いつか会えると思って、それをわずかな希望として、クレーム処理の仕事に、全力でいのちをそそいだ。その人にはクレームを素敵に処理する大変創造的な才能があった。青キョンはエバだ。エバさんを新しく、今の時代に、やりなおさせた。あたらしく、生み出されたキャラクターだ。もともとは、神の子だった。お姫様だった。王様の娘だったんだ。青キョンの本当の父は、本当は刑務所に入った男ではなく、本当は王様という凄い人が親で。その人の子だったんだ。「オーラの泉」風にいうと、青キョンは前世エバさんで、父親役は堕落天使長。飯屋のおじさんはメシヤを意味しており、神の直系にあたる子で、飯屋のおじさんをよそおいながら、実は王様の実子で凄い考えの深い懐の厚い人。自分の家の墓に入れるということは、そういうことか。【あなたを自分の家の人と見なします。あなたを家族として受け入れます。あなたを土に返し、あなたの出どころである神様のところにお返しします】(神様、また今またトイレで、あらたなことを思ったよ。けど、次々、忘れていきそう。眠気で、閃いたことを、地に落としてしまいそう) ◇ ◇ ◇暴力団のクレームの場面は、本当に恐かった。こうやって、こういう手口をつかって、おどされるのかー。なんという巧妙さ。本当にこういう現実って、あるのだろうなあ。それは、私が、地獄の場面を夢で見たのに似た恐ろしさ。感電するデンキ椅子に座るよう促される夢に似ていた。人質の私の子供らしき二人が、二つの器の中に、魔法で水に変化させられ、入れられている。救いたいと思ったら、一人につき30万払えと脅される。お金ないから全く無理、と心で思う。デンキ椅子に座れと言われ、いえいえ、いいです、なんとか逃げて、冷や汗かいて、目が覚めた。その日の午前、霊が見えるらしい女性が、私と挨拶して悲鳴をあげた。「キャアー!」「ちょっとー、何ですかー、それえー」やっとのことで聞き出せた。白装束の男性が、くらーい顔してあなたの肩の後ろにいた。その人は修行を失敗した人らしく見えると。今までになく、その夢の解読を深くする思いだ。13年も前の話だ。その人は霊界で地獄を見て、逃げ出してきた人か?地獄の暮らしに悩んでいる人だったのか。「オーラの泉」風でいうと、私の前世の人なのか。先祖に存在した人なのか。何かしら、私とつながりのある人なのだろうな。 ◇ ◇ ◇クレーム処理という仕事。苦情処理。償い。お詫び。青キョンは「申し訳御座いませんでした」と、電話口で立ち上がり、頭が、膝にくっつくくらいの180度のお辞儀をする。怒りたっているお客様に、180度のお辞儀は、なぜか、伝わる。この人ちゃんとあやまってるなとわかる。いいドラマだった。終わったあとに、登場した役者さん、一人一人のその役の奮闘ぶりが、私の心の中に浮かびあがる。テレビ画面を見てる時は、主役級の人に着目するが、終わって時間がたつと、それぞれの役者さんの個性が、浮かび上がってきて、よくできてたねと声をかけたい気持ちになる。実は主役も脇役もなかった。裏も表もなく。出来上がった完成のパーティでは、神様がみんなにお祝いの餅を配るだろう。それぞれが、それぞれの喜びの程度に応じた気持ちで、その餅をいただくだろう。神様・・神様が完成させたいドラマ、私も欠かせない端役で、参加しなくては。いつか、辛かったことが、お祝いの餅となって飛び交う時が来る。喜びのパーティが実現する時がくることをイメージして。だ・か・ら、今日一日は全体の中の端役にすぎない一日だったとしても、絶対的になくてはならない一日だよ。欠かすことができない今日という一日だよ。
2009年09月15日
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神様、昨日はありがとうございます。お客様の反応具合や、仕事の進捗具合に、あなたからの返信を受けたかのようです。必要な人に、もっていってもらう。受け取ったその人が、あとで、時間が経ったとき、よかったなって思ってもらえたら、それが授けるものの幸いだ。神様、自分が受け取る、食べ物も同じ。市場やマーケットに無尽蔵にある商品の数々。バイヤーの夫が善かれと思ったものを、チョイスして品物を家に持ち運ぶ。それを私が調理。口に運ぶ。時間が経って、いっぱい善い便が出た。きれいな顔になった。心が穏やかになった。神様、そんな毎日は、まるで御茶のお稽古のようです。きまりきった流れを、段取りよく運んでいきます。ですが、いつも違います。今日も私が走る出勤通路は同じでも、お空に変化をくれました。雨。雨の日でも困らない靴があります。傘があります。少し温かめの服を着ます。神様、あたし、おもったんだ。私は賛美が天才的にうまいと思う。家にいると、歩きながら夫を賛美します。歌をうたうように。ある人にあなたの美点を30分は語れる。原稿用紙30枚は書けると思わず口走ったことがあって。きっと、その人は悪い気はしなかったと思う。決して、こんなに思ってくれるファンの人に嫌われる行為はすまいと、そう特別な気持ちで賞賛の言葉を、大切に持ち帰ったことと思う。その後、思った。よその人はともかく、まずは、身内の夫の30枚を書いてみようよと。が、夫の美点30枚、まだ、手をつけていません。天のお父様、私おもったんです。あなたのことをまず、30枚、書いてみるべきですよね。ずーっと、あなたを傷つけてきました。愛した、尽くした子供から、受けたことは、がっくりくることばっかりだったとおもいます。おもいが通じ合わず、理解できるところまで育っておらず。だから、孤独だった。神様は、喜びのために、人という子を作ったけど、本当の意味で、喜びを味わうところまで、いってなくて。神様は、長い間、ずっと友達がいなかった。神様、どれほど巨大な傷を受けたか、神様、神様、つかえたもの、からまった紐を解いているの手伝いたい。昨日、帰りがけ、ちょっとした同僚の言葉が、また、ひっかかって。気分がわるいモヤモヤの茶色い思いをひきずってきて。これを通して、何を学ぼう・・いろんな風に考えてみて、頭の中にいろんな作文を書いてみました。ですが、神様、出勤前になって、一番納得いく気づきを得た。神様、私は、これまで、たくさん、神様を傷つけてきました。あなたを理解できず、見向きもせず。ですが、神様、同僚の茶色い言葉に、神様、あなたも、その後味の悪さを消せなくて、悩んだおもいがあったのではありませんか。私が通過したことは、きっとその前にあなたが、味見をした味です。だから、その同僚の姿は、私の姿なの。これ、気づけたよかった。もっと、どんなイヤなことでも、ぶつかってこい。ぜーったい、ぜーんぶ、良化します。気づけた分だけ、自分の不快な姿が赦されていく。神様、ごめんね。気づけなくて、ごめんね。今日また仕事行ってくる。出会う人、あなたから出た子だと思って、あなたに挨拶するように、すがすがしく振る舞います。頭を下げます。笑顔たっぷりで、いい気分をふりまきます。神様、出会うものを、くすぐるように、賛美の詩をうたいます。あなたの作品展示会に出かけてきます。
2009年09月15日
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天のお父様おはようございます。出勤前のわずかな時間であっても、ちょっとでもいいから、あなたに声をかけて、話しかけて、それから、出発の準備にかかりたいと思います。ニチニチソウの鉢植え、いっぱい蕾をつけて、花もいっぱいつけている。今日は大漁である。いっぱいお魚を釣るんだ。「夫反対で見込みのお客様が流れたよ」と私の報告に対して夫が言う。「夫反対とはあなたとあなたの上司との信頼関係に問題ありなんじゃないの。それか、あなたと私との間に、意識のズレがあるということだな。野球の話でもいろいろと教えてあげてるのに、全然話きいてないし、反応ないし」「明日の営業は、家に帰ってきたその時点から既に始まってるよ。明日の出会いの準備。家庭での在り方は、胎中期間なのだからね」「朝起きて、また寝るようじゃ話にならないね。朝の二度寝はやっぱり納得いかないな」夫がそこまで言ってくれるほど、仕事に打ち込んではいなかった私。そこまで数字をつくりたいとか、思えないでいた私。最近読んだ文章で、「神様に仕事のことばかり祈っているとしたら、しもべの位置にとどまっているということ」というような一文を目にした。(おっと!)・・が、私、そこまでも行ってなかったな。意識にとめてないほど、断食生活にアップアップ状態の今日この頃。朝3時から水飲みスタート。3時49分でストップ!湯たんぽ、本、ネット、情報収拾する中、6時迄の間、何度もトイレに行って、黒い便をいーっぱい出す。この黒い便は、どんだけあるんだ。「宿便がでると、そこからいっきによくなる」甲田先生の声が頭にひろがる。6時くらいになると、今日出す便はそろそろ終わりだ。と、同時に眠気がくるのが6時。整体をしてもらったあとの状態と同じだなと気づく。終わったあとは20分寝るのがいいと整体の先生が言ってたな。「血液の流れが、これまで小川のせせらぎだったのが、濁流の勢いになるから」そんな状態なのかもしれないな。6時半、夫が起き上がってきた。ちろりとのぞく。うつ伏せ寝の顔をあげ、目を合わす。「寝てるんじゃないよ」7時半夫出勤。「お客様の映像化してたんだよ。必要なお客様がいるんだと思う。うちのお父さんやお母さんのことを思った。そういう人におしえてあげればいいんだなって」夫、(了解!)の笑顔で出掛けた。今、こういう商材を扱っているのにも、意味がある。そして、卒業の時も必ずくるだろう。今日の仕事は、今日の私にまだ必要な内容なのだ。今日は断りのお客様を賛美して行こうと思う。お客様とのやりとりをおもしろくしていこう。神様から出ている方々にいっぱいあたっていこう。笑顔、おじぎ、賞賛、それが今日の仕事。
2009年09月14日
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腸を洗う。腸という道。この道を洗うとは、先祖までも洗う・・ということではないか。職場のO子さんの咄嗟の一言が、神経にさわる。(この物いい)このものの言い方・・変なものを食べた時の舌に残るイヤ感。ふっと、その人の姿に母の養母が重なった。60回忌だったか、最後の法事に行かなければ、ならなかったのだが、健康を害し、結局は行けず、父だけ参加したという話は、もう3年程も前のことか。(行きたくなーい)強烈な葛藤があったのだと。体に合わないものを飲んで、意識がなくなり、死にかかったのだと電話で言っていた。行きたくない思いは、行かなくてもすむ大きな理由づくりを実現させた。親戚はそれは大変でしたねと納得しただろう。「行きたくないと思っただなんてお母さん・・育ててもらった恩があるというのに・・」「あなたに言っても・・わからない」(わかってもらえない)とてもガミガミ小言の人で、若い時、早く家を出たい、親から離れたーい!強烈に思ったという。思春期に本当の母でないと知ってから、強烈に怒られることがあると、(やっぱり本当の親じゃないから)って、心に思うことがあったとか。その方は私が生まれる前にはすでに霊界に行っていたので、享年50歳だったか。早死にだった。その人の夫は別な女性もいた。その別な女性との間に出来た子もあったが、早くに亡くなったそう。家系図を作るのに戸籍を取り寄せして、大きな紙に家系図を書き出していった時、いろいろな人々の品行方正でないことがらがあかるみにされた。孫によって。母がそれを見て、「あんたって、なんていう人なんだ」ちょっとおそろしくもある・・といった顔で。話それたが、養母の生年月日で、その人物を想像した。テレビでの映像キャラクターとしては、小池栄子さん、浅野ゆう子さんが、養母と似たタイプの命式の人だった。私は親しみを持ったし、母を育ててくれてありがとうという気持ち。血は繋がってなくても孫らしい感情をもった。私にはおばあさんが、5人いる。夫の祖母二人も合わせて。その方々を研究してみたことがある。共通して似た命式の方々の集結だった。皆、古くまで、生きれば、色々な宿便を心に持つだろう。わだかまって。別れられない思いの数々。なぜ、ここまで、話を広げてしまったか。職場O子さんの刺さるモノイイに、私は、とっさに、母が養母に持った思いが来た。母の養母はこういうタイプの人だったのではないか。O子さんも大変損なタイプで。いつもちょっとした一言で、人の気分を害している。私に言葉を刺したあと、上司に呼ばれて注意を受けていた。言葉遣いやちょっとした事項にも細かい上司でもあり。言葉遣いの間違いを指摘されていた。その様子が私の視野に入ったため、クスッっと笑ってしまった。それもあり、その人のことが、自分の意識に留まった。なぜ、さっと、流れないかなあ・・この人のこと。このことを通して、なにかを考えるべきことがあるのだろうか。私は、いつか、その人が、自分のおばあちゃんに見えたことがあったのだ。赤ちゃんで、はいはいしている私。「いらっしゃーい」その人がおばあちゃんの立場で、両手をさしだし、赤ちゃんのはいはいを促すように、目を細めている姿。O子さんはおそらく50代くらいの年齢で独身。愛する人を事故で亡くしたのだと言っていた。おんぼろアパートに住んでると自己紹介をする。そもそも、おばあちゃんのような田舎の人のしゃべりをする。その人は悪気のある人ではなくて。その人の持つ特徴。というだけのこと。上司に注意を受けたあと、つっけんどんに、くびすをひるがえし、その場を立ち去るとき(コうるせーな)という心の声を感じさせるようなドスドス歩き方。ああ、そんなとき、「大変失礼いたしました。以後気をつけます」静かにおじぎ。という所作をすれば、素敵な女性なのになあ。私はテレビのお笑いをみるように、笑いながら。母のこと、養母のこと、また、その他のおばあさんたちのことをおもった。私自身を研究すると、実母との縁は薄く、祖母に縁が深いとあるのだ。私は、また思う。祖母たちの嫁姑関係を考えた時、どんなに、キツイ姑役を演じただろうかと。インスピレーション・ベッドにうつぶせに体を伸ばしたとき、考えたんだ。人類始祖エバさんのこと。エバはカインとアダムを生んだ。人類の系図はそこが始まりだから、当然、嫁がいて、孫がいて。エバさんと嫁さんとの関係とは、今の嫁姑関係におけるイヤ感は、そこに当然あったはずだ。ここまでの話は、よその家のどうでもいい話なのだが、人類始祖エバさんにまで、さかのぼって考えるなら、意味ある例題となる。みーんなお腹に黒い毒を溜めている。古くて、臭くて、ガビガビに固まって、カチカチに腸に張りついて、びっしりくっついてる汚れ。厚い壁が何層にもなってるため、壊しようがないほど、堂々とした存在感になっていて。もともと在るものという厚顔のあつかましさで。あまりには、腹に溜め込み過ぎると、生きるのが、どんなに苦しく感じるのだろうか。宿便についての話をしたかったのだ。【宿便とは滞留便。胃腸の処理能力を超えて負担を掛け続けた場合に腸管内に渋滞する内容物】前に食べたものが消化して便として出来上がったのだが、出て行きそびれてしまった。そうこうしているうちに、そこにくっついて居座るようになっちゃった。事故で死んだのに、死んだと気づかない、理解できない霊人のように。本当は死者として、霊界に行かなきゃならないのに、うまくお空に昇れないコたち。そういう浮遊霊のように、成仏されない便たちが、あっち、こっち、くっついて、腸を澱ませている。そのコたちを成仏させてあげようとしている。今、日中の断食を通して、朝いっぱいお水を流し込んであげて、湯たんぽで腰を温め、毎日走ったり、温冷浴やったり。寝る前に、玄米菜食や酵素、スピルリナ、ビール酵母なんかのサプリメントを水でドロドロにして流し込み、汚れを浮き上がらせるという腸内パックをやってます。日中14時間は、口にしないという絶食期間をつくってあげ、モチリン効果を高めようと、代謝酵素を促してあげ、年に一度の大掃除をさせていただいています。普段、なかなか、しっかり、きっちりできません。イスラームの方々が、このラマダーンの時期に断食をいっせいにされますので、その方々の勢いにあやかって、なんとか、一人で試行錯誤しながら、やれてます。今年の朝の飲食ストップがかかる曙時間が早く、朝3時台だったのです。それより1時間早く起きて水飲みをするというのは私のオリジナルです。トンネル内をジョギングというニュースが何週間か前にやってました。監視カメラがついてるので女性でも安心というもの。それを見て、私も地下鉄内の通路を昼休み歩いてる!両手は頭の上で組んで、胸上半身を全体的に前に突き出すようにして、背筋伸ばし、足は早歩き。それを5分ぐらいやってます。午後からの仕事に、集中力が増すかんじ。天のお父様、インスピレーション・ベッドにうつ伏せに体を伸ばした5分のひととき、私は腸を洗う人。この腸の道。私の腸だけだったら、5分で拭き通せる。私が地下鉄入り口から入って出るまでの出口迄の時間は5分)神様、私が代表選手で、断食掃除係担当します。氏族の人々が生きた道は後悔も無念も悲しみも孤独も多かった。それらをね、私が洗いましょう。掃除屋という専門職を引き受けましょう。デッキブラシとたくさんの水でしぼった布巾をいっぱい袋につめて、毎日、毎日、掃除し続けましょう。私が生きるということは、掃除して私が通る道をキレイにしていくということ。それが、あたしの生きる道なんだ。意味ある生きる道。そういう人が氏族に一人いたっていいじゃない。「コールセンターの恋人」テレビショッピングMCの南極アイスさん表舞台に立つ彼女が、裏方クレーム処理担当の場を一旦離れる青山響子さんに言う。最終回の場面。「その声は青山響子。どんなコかと思ってたら、こんなに若いコだったのね。あなたのような人がいないと、私がおもいきり暴走できなくなって困るじゃない」天のお父様、表舞台に活躍するものが実子なら、裏方でクレームまみれになって人生をすぎゆくものは、まるでシモベです。あなたは、表と裏をつくられました。天のお父様、あなたは、先に子の前にしもべを創造されたのです。あなたは日の出の前に曙を、先の順番にされたのです。けれども、後のものが優遇されました。神様、あなたはイサクの前にイシマエルを地上に誕生させました。イシマエルは兄であるはずなのに、イサクが誕生すると、その存在をうとまれ、アブラハムの家を出ていかなければなりませんでした。イシマエルの母は、アブラハムの正妻サラのつかえめでしたが、サラが子ができないということで、後継ぎを残すため、つかえめの女を夫の寝床に添わせたのです。イシマエルと共に追い出された、その母は、うらみをもったことでしょう。ハガル。あんまりですと。砂漠で喉も乾き、これからわが子と、どう暮らしたらよいのかと、途方に暮れ。神様、その母子は、それから、どういう道を辿ったのですか?断食を通して、私はイスラームを少しだけ知ることとなりました。この断食の期間を通して、そのうらみという宿便が水に流されないといけません。神様、兄弟のわだかまりを解き、妾と正妻のうらみを解き、姑と嫁のうらみを解き、しもべと実子のうらみをとき、どうぞ、私の先祖の人々がきた道を整理させて下さいませ。どうぞ、日の出より、先にあけぼのを愛するというささやかなこの1ヶ月の早起きを通して、どうぞ、つっかえた、つまった岩を押し出して下さいませ。神様、こうして書きながら、私の腸が泣くのです。えんえんえんと。胸を震えさせながら。このぐにゅぐにゅした腸の道が泣くのです。動き出したー!今まで、べっとり、くっついてた汚れが、強力な壁となって、腸が人口腸のように、感情を表に表わすことをしなかった。けれど、腸内の壁が毎日、ちょっとずつ剥がれ落ちて下に流れていくので、ちょっとずつ本来の姿を顕わしつつあります。神様、私は表と裏を選べと言われたら、裏のカードを選びます。なぜって、私は偏官の女なんですから、裏方の仕事の方が性に合ってるのです。けど、裏方とはいえ、もともとの出は神様、あなたが、そもそもの出所なのですから、私は、体はしもべでも、心は実子です。あなたの子です。青山響子さんの父は、刑務所にひかれた過去のある屈折した男でしたが、その祖先を辿れば、出所はあなたの懐です。青キョンは、もともとは神様から出発している。私も。その先祖は屈折した過去があったがゆえに、青キョンがクレームまみれを掃除するように、私は宿便まみれを掃除します。罪を洗う人になります。神様、あなたは天使長ルーシェルというカッコイイ有能な秘書を創造され、あなたの自慢でもあったはずです。また、その秀麗な美貌や有能さは、あなたに似せて造られたのではないですか。本来、あなたの長男のような存在。けれど、他のものを創造するのに忙しく、神様はゆっくりじっくり、ルーシェルを可愛がるゆとりがなかったのです。万物を創造しきったあと、その大仕事のあとに、アダムとエバを創造され、おおきな達成感があられた。やっとひといきつけたのです。だから、余裕をもって、可愛がることができた。アダムとエバを。先のものが損するようになってしまった。ですが、損得とかじゃなくて。神様の心の内を理解したい。自分の腸の道をずんずん片付けていく。先祖の一人一人を洗いに行く。ずんずん、さかのぼって、デッキブラシと雑巾もって今日もいく。神様、あなたの心の内にも入っていきたい。あなたの腸にも入って行って、洗ってあげたい。そのたまった、悲しみを、たまったわだかまりを。あたしはそこに向って進んでいく。(2009・9・13 日曜10時)
2009年09月13日
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半日断食3週間が過ぎた。「やり続ければ、変えられるんじゃないか。人の運命って!」信じられる気持ちわく。本当に願いはかなうのではないか。40日の断食はできないが、半日断食を日々続けることは、やろうと思えばできなくない。人のどうしようもないとあきらめかけた運命が変化していく映像がおこりはじめた。好きな俳優さんは誰?と問われれば、昨日の午後まで、誰も思い浮かばなかったけれど、ゆうべ見た「コールセンターの恋人」主演の小泉孝太郎さん。このドラマは全部みた。一貫して、主演の方の顔と表情がとてもよかった。私、これから、こういうスキッっとした顔の人になりたいなろう!今、心に決めた。 ◇ ◇ ◇「自然療法」(著:東城百合子)さんの本を開いてみた。「~だから、まずい顔をしている」という言葉を思い出したからだ。その箇所を読んだのは、この本だっただろうか。何かをたしなめている、いましめの言葉だったと思う。顔を見ただけで、「!」「?」「×」とっさに判断されてしまうのかあ!きゃあー!講演会に参加するにあたって、壇上から、きっと一人一人の傍聴者の顔をみてマル、バツの判断をとっさになさるだろうな。さーて!まずい顔で参加してはならぬなあ。顔って、そんなにズバリ、出てしまうものなのだなあ。顔って、今からでも遅くない。大事に顔をよくしていこう。と、これは女の子が子供の時から思う「キレイになりたい」というそれとはまた角度が違う顔の話。インターネットで三浦綾子さんのことを調べていたら、ホームページにご主人様のお姿を拝見した。小さい姿での映像なのであるが、顔の輝きに圧倒された。(日曜早朝のNHKの番組でお見かけし、それの再放送までペロリと見てしまった。「こ、こ、これは!」なるほどなあ、やっぱりお祈りで寝たきりの愛する方を立ち上がらせた方のお顔とはやはり違われるなあ。クリスチャンの方はすごいのだなあ。顔を見ただけで完全屈伏。おそれいりました。ネット上だけでも、こんなに人に影響を与え、印象を刻みつける。それじたいが伝道そのものだ。一日二食の松井二郎さんのメルマガで、厚揚げを食べようとしている写真をネットで拝見。顔がキレイ!肌がキレイ!ピカピカの光が顔から出てるよう!へえ、カッコイイ方なんだなあ!という印象が脳裏に刻み込まれた。甲田光雄先生って、やっぱりすごいんだなあ。美しい顔が、その方の先生の価値を高めていた。東城先生の講演会には何度か足を運んでいた。81歳頃の講座に参加した時のこと。午前は講演会で、お昼は玄米菜食を頂き、午後からはこんにゃく・さといも・しょうがを使った自然療法の実演だった。お世話をして下さる方々がそれぞれ担当されて、先生は脇の方で見ておられていた。参加者やスタッフの方々も、なんとなく、だらりーんとした空気、眠気に誘われてるようなをトロリとしたかんじがあった。その中で、ひときわシャッキリ!した先生の姿とお顔があった。私を圧倒した。なぜって、まわりの方々は先生の半分くらいの年齢の人たちに見えるが、先生の方が若々しく生き生きした颯爽感があったのだ。私の中で、あとに残ったのは、その時の先生のお顔と、背筋の伸びた姿勢かな。まわりの人たちの比較があったため、よりいっそうその姿が引き立ってかんじられた。ああ、私もこのような80代になりたいなあ。おばあさまという表現は適切でなく、現役の80代の先生って、こういう姿形とお顔なのだなと思わしめた。今お手洗いに立ち、今朝から5、6回目くらいの宿便排泄。本当に、どんだけ腸内は汚れがこびりついてるんだろう。これで完璧っていう掃除の終わりがくるのだろうか。考えてみて。築50年、60年の古ーい食堂。油や汚れが、固まってしまって、きれいにしようがないとあきらめたくなるだろう。そのキッチンにマジックリンのようなものをつけるが、すぐにはおちないので、水でぬらしたペーパータオルかティッシュかに洗剤をかけ、少し汚れを浮かしておく。ほーらほらほら、みるみるおちる。と、これは、早朝みたテレビショッピングの強力洗剤の映像なのだが。腸内の汚れは、強力な洗剤をふりかけることはできないので、みるみるおちる、と簡単にはいかない。地下鉄の地下道を歩きながら、自分の腸内を想像する。「レ・ミゼラブル」長編小説3で長々説明されてる「パリの下水道」のページを思い出し、どれほど臭く、キタナイ下水道を主人公は恩讐を背負って、出口を歩かれたかと想像した。キッチンとお風呂場の排水溝をまめに掃除するようになった。自分の腸である、下水道である、と思いながら。「一石を投ずる」という言葉の意味を考えた。井戸の底には長年の汚れが沈殿している。そこに、ドカーンと大きな石が投げ込まれたら、沈殿物の汚れが、上まで上がってきて、全部の井戸水が混濁してしまう。これが、メンケン反応とか、好転反応とか言われるもので、病気のある人は症状がひどくなる。そこを過ぎ去るのを、耐え忍んで待つ。しだいに症状がよくなっていく。これを混濁した井戸とした場合、じーっとしてたら、また、同じように汚れが沈殿するばかり。どんどこ新しい水を入れてやらねばならない。ああ、神様!あなたは私の腸を井戸のようには作られませんでした。下の底には、流れるように穴を作られました。横の皮膚からもどんどこ汗や垢として汚れを吐き出させます。私は、どんどん、どんどん、きれいになっているのです。見えないながらも、わかる喜び。先に見える希望の光。洗濯機の映像浮かぶ。すすぎの際、水が上からそそがれ、すすがれた水が横から外へ流れ、下から排水される映像。踊るように回る衣類はキャキャキャキャとはしゃぎながら、きれいによみがえることをたいそうよろこんでいます。また、新品のように、使ってもらえる体さん。そこに住む快適な心さん。夫の言葉を思い出す。営業も野球もいかにして「流れをつくる」かだよ。「映像化」だよと。あなたはどんなお客さんに出会いたいのか。そうか、いつの間にか、ぼやけてしまってた。しきりなおしだ。(私は、どういう人になりたいのか)心が言う。81歳の東城先生のお姿、顔つきをみて、(私こういう風になりたい!)そう思ったのが、数年前のこと。私の中では静かに映像化が効果をもたらしていた。今まで生きてきた中で、一番背筋がのびてきているとかんじる。早朝のテレビショッピングの姿勢がよくなる下着の映像をヒントに、自分で自分に合う補正下着を作って着るようになっていた。自然と背筋が伸びる運動が習慣化していた。私は以前より、ちょっと近づいている。なりたいと思った方の形に。背筋の伸びた姿形に。「映像化」「流れをつくる」これを、より、神様が願うものに、意識をあげていけばよいのだ。小さい範囲から、大きな範囲に。営業や野球はわかりやすい例題。神様が何をどうしたいのか、私は何が担当できるのか、考える一日を出発する。
2009年09月12日
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「ターシャ展示会」への計画。私は、ターシャを通して、おばあさまに会いにいく。そのおばあさまとは、究極的には、人類始祖のエバさんなのだと思った時、神様のきもちをぐーんと引き寄せた気がしました。 ◇ ◇ ◇天のお父様、日記を4日もあけてしまってました。さまざまな小さい失敗をしましたが、今朝また持ち直しています。少しのミスを所々でしていても、反省すれば、必ず、新しい朝がくる。昨日のミスを今日カバーできる。「失敗は成功の母です」それを口癖とする人のことを思い出してみたりした。そうですね。全く学びます。ことの善悪を。それと、神様の感情を知ります。日曜日、ダラダラ書き過ぎて、自身がダレテしまったし、目にした人にも気の毒でした。ちょっとした自己主張や自慢は鼻持ちならないし、他者を批判してなかっただろうか・・あとで気づいて反省した。批判って自分に跳ね返ってくる。なんの儲けもない。たとえ、真実を言ってたとして、それを主張して、何の益もない。理不尽なことによる真実の訴えだとしても、他者を悪く批判する結果を作る時、やはり儲けはなく損失があるばかり。それを日記を書いてても思ったし、仕事の人間関係においても感ずるところ。そこには意味が秘められている。批判したくなるような感情がきたときに、神的に思考するなら、(これはどういう意味があるのでしょうか?)わなに引っかかってはならない。冷静沈着に、すぐに言葉に思いを表わさず、静かに心の中で、無言のまま、問いかけ続けてみるべきだろう。すぐにイヤ感を表現してしまうとき、私はその時、神様をすっかり忘れてる。口や言葉にする前に、もっと深く、たずねてみるのだ。(神様、これって、どういうこと?)なかなか、失敗せずして学べなかったり。日記で、書いてみて、数日して、書いたことが間違っていたことを知ったり。ああ、どうぞ、ここでの表現が、無害でありますように。ここで、私が成長することができますように。ここで、文を目にすることがある人にとっても、時間を奪われる損失とならず、何か、人を前進させる踏み台とか、きっかけとか、ヒントをもたらす善なる存在となれますように。一人だけでは日記を書けないのです。読み手が、どこかに存在する。というこういった場でこそ、神様、あなたと対面、面会できる秘密があると思います。 ◇ ◇ ◇昼の仮眠に行く場で、いろいろな情報をキャッチする。チラシやポスター、新聞広告などで知るイベント情報。東城百合子さんの講演会のポスターが張られてる掲示板のところを、いつも歩かないのに、体が引っ張られ、その広告を知ることとなる。その日は、私自身の善き記念日。(行こうよ!行こうよ!)かわいらしい天使さんたちが、私の両方のお袖を引っ張って、(行きたい!行きたい!)とせがんでるかんじ。私としては、(~どうすっかなあ~)のらりくらり、はっきりしない。 -検討中- ああ、だからお客さんも検討しますと言って、なかなか、はっきりした答をくれないのだよなあ。ふむふむ。別な記事に関心あって、新聞開く。「ターシャの展示会」の広告を知ることに。90過ぎで最近亡くなられ、30万坪の土地を買って移り住んだのが、57歳の時だったとか。草花を育て、人形作家でもあり、自給自足を満喫された。孤独を愛し、自由で好きなように、庭を創造された。素敵なおばあさま。というより、一人の素敵な女性。ネットで最初知り、NHKテレビの特集を毎年みて、さらに知ることとなる。仕事をしながら、(私のおばあさんに会いにいくんだ)と心が言った。そのあとに、(じゃなくて、人類のおばあさまに会いに行くんだよ)ともう一つのおしゃべりの声が湧き出した。そうか!そいつはすごい!人類のおばあさま、と言えば、エバさんではありませんか。エバさんは子供の頃、きっとお人形さん遊びが大好きだったろうし、草花を喜んだはずだ。が、アダムは、エバの関心ごとには無関心だったはず。男の子は男の子の興味を引くものがあっただろうから。私はターシャを通してエバを想像した。ターシャの展示会に行ったあと、野草園の萩祭りにいくのだ。そう!野草園は私のプチ山登りしてきたぞ感を満足させるもの。そこへ行く意味付けをするとしたら、アダムとエバの堕落前まで生まれ育ち住んだエデンの園へいくのだ。そういう気持ちで行けば、非常に意味を持たせられるでありましょうに。おまえは行動範囲が狭過ぎる。やりたいことを積極的にやりたまえ。行動することによって、足で動いて、手で触って、見て、知ることによって、もっと、わたしが手掛けた作品をおまえにみせてやりたい。ひとつ、感想を言ってくれたまえ。・・神様・・神様の創造を、その魅力を語り賛美するものは誰でしょうか。それが、詩人かもしれませぬ。私は、その賛美者、詩人になりたい。あなたの作られた、麗しきものを賞賛する。絶妙な言葉で感想をのべる。神様の心に刺激をあたえ、笑わし、泣かせる、そういうことをやりたいです。神様をドキドキさせたいし、神様をくすぐって、はしゃぐ、かわいらしい神様とたわむれてみたいです。
2009年09月11日
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断食っていいな!って、はやり心を動かされるのは、「若返り」「美肌」ではないかな。鏡の中の自分にハッっと驚き、どんどん好きになっていくことの喜び。自分のことが。断食がやめられないのは、メリットがいっぱいだから。この習慣は自分の強い武器だ。神の霊に包まれる。平安。不安知らず。悩みが解決していく。先日より日記を書くようになってから、悩みとか心の詰まりがとれてきた。救われた思いに至った。これでいいのだ。今ある現象は、これが最大限にいい現象なのだ。精神面の効用。美容の効用を考えた時、どんどん若返ってキレイになって、流行の洋服が似合うようになっていき、社会で働く環境にあったとき、危なくないか。今後、そんな心配をしなければならないのではないか。男女共に。断食には、健康法、宗教の行、願かけなどがある。体を打って欲望を小さくし、心を強くする方法。営業は精神状態で決まる。というなら、仕事法ともいえる。午後眠くならない。集中力が増し没頭できる。このトレーニングを積んで、本心が満足する生き方、究極的には神様の手足となって働きたい。 ◇ ◇ ◇ラマダーン月の半分が過ぎました。(昨日が満月でした)今日は3回目の日曜日で、夫と車で買い物には出かけませんでした。前の2回は買い物に出て、たっぷり腰が痛くなるまで、お店を見て回りました。朝10時に出て、食料品と日用品の買い物が終わると、私だけ途中で降ろしてもらい、服売り場を疲れるまで、ぐるぐる散歩しました運動と思い。 14時になると、腰が疲れを感じ、家に歩いて帰ります。今回のラマダーン月における目標は、50キロの体重を45キロに痩せたいという密かなもくろみがありました。1週間で3キロ痩せました。それからなかなか痩せません。服は7号を着れるようになり。できるだけ細いGパンを履けるようになりたいなどと、思っていたのですが。 今は、(そういうことじゃなくて)カラダさんが一番いい状態であって下さいという気持ちに。はやり、上を締めたら、下はゆったりと。それが、一番仕事しやすい。上下を締めたら、だめ。仕事しやすい格好が、一番です。腰痛の原因は、食べ過ぎに対する悲鳴なのだな・・最近、それがとってもよくわかるようになりました。イスラームのラマダーンのおかげで、断食生活法を工夫するようになりました。結果、私は西式健康法の考え方が、だんだん理解でき深められきてると感じています。木枕平床をしているうちに、自然と体操らしきことができるように。本の写真を見て、目で覚えて、体が動く。次は青汁。今の断食法で、裸療法とか、水とお湯交互の温熱療法らしきことを行っていると思う。私の場合は水浴びと、湯たんぽと厚着で汗ばむほどあっため、の繰り返しの生活。それで、起床時間を守り、睡眠を管理しています。水行最高。湯たんぽ最高。昨日の薬草風呂も最高です。今日は休日で家にいるため、だらだら長く書いてしまいました。なんですか、だらだら、長く生きるって、ダレテしまうかもしれません。(平日の出勤前の時間内に書く、というのが好きです。限られた時間内に集中力をもって書く。ですが、休日のこの自由時間、喫茶店で、彼女の無駄話、神様、付き合ってくれてありがとう。神様はなんにも言わないけど、大好きなんだあ。おこりもせず、けとばしたりもせず。温厚で、私に関心を持って、いつも見ていてくれる。朝起こしてくれる神様)日曜日以外、仕事の予定はびっちり入れました。生活時間のサイクルを乱さないため。同じ生活リズムの方が、らくに、上手に断食生活をしやすいだろうし。その代わり、早く仕事を切り上げるように、今までより1時間、仕事量を減らしました。本日の日没時間はジャスト18時。今月から17時には退社するようにしたのです。日没前の日を浴びて家に入れるように。私はお日さまの子です。お日さまが出てる間に外で短く仕事をする。私は10時から17時迄。これって、究極的にいいです。カフカはある時期、8時から昼食をとらず14時までの6時間を働き、その他の時間で小説を書くのにあてたそうです。彼は病気で絶食の生活の中で「断食芸人」を書いたようです。(2009・9・6(日)11時半)
2009年09月06日
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長南年恵さんは、もともとの少食から、20歳すぎには生水だけで生きるようになり、青・赤・黄の生水をつくられ病人を癒された方。獄につながれ、檻に入れられるようになってわかったことは、彼女が飲食せず排泄せず、髪もさらさらで風呂に入らずとも汚れず、いい匂いさえしていたということ。【(1863・12・6生~1907・10・29没44歳)己亥・胎/癸亥・偏財・胎/癸亥・偏財・胎】 ◇ ◇ ◇薬草風呂、セイタカアワダチソウの湯につかり、アカスリ、水浴び。体が芯からあったまって、垢も二日分を落とし、毒ガスが垢と物質化したものを、こすって、汚れ落としをし、水に流した。こうすれば、断食をしていても、社会生活に損傷なく。臭わない。仕事をしながら断食できる。私の14時間は完全に飲食という客が入らぬようフタが締められている。 ◇ ◇ ◇ああ、玄米菜食生活が9年近くになるというのに。今回の断食で、こーんなに、私は汚れた人間だったなんて。臭い人間だったなんて。けっこう愕然。それと、目覚めた気持ち。はじめて体内のくだ(管)、ホースの内側を想像するようになる。入り口から、出口までの長ーい長いトンネル、今、何がおこってるか。普段の便は、やまぶき色の水に浮くフカフカした便。快便と喜ぶ。今回、日中、水抜きしての14時間の断食を毎日。ははーん、どうやらこの14時間の間は、誰もこないな。と、その時間内に、日頃は、なかなかそこまで掃除の手がまわらない、腸の管の側面掃除に特化しはじめる。あれえ、いつものやまぶきいろのフカフカしたやつは、どこいっちゃったの?毎日でるのは、腸の壁から剥がれ落ちた、濃い緑がかった、ポロポロした便が、一つに大きくまとまらないで、でてくる。臭いもキツイ。私の食生活の肉は、年間全体の1%にも満たないはず。風呂場と台所シンクの排水口、月1くらいで掃除する。けっこうドロドロしてます。ぬめり。この状態が腸壁と想像しますと、やっぱり、酵素は必要。食べたあとは、酵素を流し入れて、壁に膜をはるように覆ってあげて腸壁パックをしてあげなきゃ。青汁の材料を、一日分ずつ採取したい。できますように。ところで、今回、イスラームの人たちは朝早くて苦労しているのではと思う。私は起床2時半、そうしないと、あけぼの前までの水飲み2リットルが終わらない。今回、便を見て、水分が足りないのかな。もっと飲んでもいいのかな、と思ったり。夕べは、帰宅時の日没後、ペットボトル1本分の水を飲んで、ちょうどよかった。窓際に青装飾のペットボトルを日中置くというのは、大変気に入った。水がスーッと、無理なく飲める。で、イスラームの人達は、夜、いつも以上のご馳走を食べるのだろうから、生活時間が大変と思う。私の場合は、今回、あけぼの時間が早いため、夕食は少なめにとるようになった。4時間ちょっとの睡眠で、昼寝しないため、いつも本を読む電車内は仮眠電車となった。水飲みして、あけぼの時間を過ぎたあと、寝れば、体がおかしくなる。水飲みしたあとは必ず排泄にもっていかないと、充実した1ヶ月を過ごせない。湯たんぽで、腰をあたため、温熱療法しながら、必ず、排泄しての出勤。これを絶対的に意識するので、いつになく、生活のサイクルは順調に、快適に運べてる。イスラームの人達は、ご馳走と夜遅く寝る、という通常のラマダーン月の過ごし方をしていたら、一日の生活がうまくいかないんじゃないかと心配してしまうのは、傲慢かな。(はやり傲慢ですね)あけぼの時間すぎて寝るのは、絶対いやだ。今回は、今までの経験からして、眠りの時間を守ることを、真剣に考えた。去年の過ごし方は、排便をとくに気にしないで、習慣的に、ラマダーン月の時間をイスラームの人の真似だけで、なんとなく過ごしていた。イスラームの人が行などをしているだろうなあと思いながら、私は真夜中、どう時間をつかっていいかわからず、小説なんかを読んで過ごしたが、途中眠くなり、寝てしまったり。排泄を意識すれば、眠りは短くできたし、眠気の管理できたのにな。私はなんで、こんな時間に起きて、イスラームの人の時間帯を真似てるんだろう。いいかげんな人間だ。中途半端な人だ。動機があいまいだった。それで、今回は、自分の断食をしっかり管理しないと、真似事だけで終わってしまうと前々から戒めていたのだ。食と睡眠と排泄を管理できれば、ラマダーンの断食月は充実して、仕事もいつも以上に没頭、集中できる。私はラマダーンというおじさん、おばさんに育てられる。自分の体を管理する方法。古い汚れを毎日、少しずつはいでいけば、それを続ければ、私の体内からは、今後、いい匂いが発散されるようになるのではないかという予感。
2009年09月06日
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東城百合子さんの本「自然療法」(P115)の話を思い出した。宿便排泄研究家の尾藤章さんがポーポの木の下で寝たら、数日後には何百という果実が全部落ちてしまったという話。土や砂療法の話です。人体から発散するガス体は13種類もあるのだそう。西式の西勝造先生が言われたそうです。 ◇ ◇ ◇ああ、もうこんな時間。眠気が来る時間だったり朝8時です。ずーっと断食や宿便とかのネットと本でぶらぶらしてました。そうそう、先だって、夫が桃を4個買ってきました。むくのが面倒だから2個残そうよと私。じゃあ、若いの残してね。うん。翌日の夕方。ああ、腐りかけてるよ。ええ?なぜだろう?昨日見た時、全然若々しかったのにぃ。毒素の話。・・実は最初の桃2個を食べた日、夫がお腹すいたと、せかすので、アカスリをしないで帰宅後のEM石鹸と水シャワーだけで簡略化した。毎日アカスリはよくないかも。一日おきの方がいいのかもしれぬ。とも思い。翌日、一日を過ごす中、(ちょっと臭いするな。断食臭だ!)自分の体内から発散してる臭いを、意識にとめた。ははあ、これは、昨夜アカスリをしなかったから・・かもしれぬなあ。そうかあ、私は断食をしていたのだよなあ。臭いは、他人に気づかれてないだろうか。大丈夫かなあ。今後はアカスリは欠かさず、毎日キチンとやろう。心がしっかり決意した。で、家に帰ったら、桃が一つ、直系5センチ程いたんでいたわけ。私から発散される毒素?ガス体?そういえば、浴室、臭うな。トイレも少し。私は日中断食というのはほぼ年間の8、9割は日常的にしていて。平日は大半が仕事をしていて、日中は水2リットルだけ。で、10日程前から、2リットルの水を、夜明け前に飲み終えるというだけの変化。自分としては、たいしたことはない。食べる糧を減らして、なるべく早く寝て、早く起きる。その工夫を新たに加えた生活を始めた、というだけ。日中ほとんど、食べ物のことは忘れていて、仕事からの帰り道、はじめて食べることを思い出す。そのくらい、仕事中は、仕事に没頭している。食材は夫が、仕事の帰り道、車で調達してくる。夫と私は、食べ物の意識においては一致していて、自分がスーパー行くと、脱線してしまうので、夫の判断に委ねてる。昨夜は夫の帰宅が遅かったので、薬草風呂につかってアカスリ二日分してみようと思った。熱い湯につかるのは久々だった。ましてや毒素排泄効果にすぐれた、自家製のセイタカアワダチソウだ。ヘナ・パック(髪染め)をするのに、紅茶の変わりに、先日セイタカアワダチソウを煮出してヘナの粉をといてどろんこを髪の毛に乗せ、もみ込み、ビニール袋で保温し蒸らして染めた。これは頭痛もとるらしい。と、これはイスラームに関する書物に、ヘナが出てきて、アンマンに滞在した方の本に書いてあったのだ。それで、髪を染めると思うと億劫に感じるが、トリートメント・パックと思えば、頻繁に面倒に思わずできそうだ。と意識にとめた。ネットでヘナを調べた。お湯か、紅茶でマヨネーズ状にするなら、自分作の乾燥させてとってある薬草を煮出してみようか。さらに、私は薬草成分が染み込んだ繊維の服のことを思いだし、草木染めを思いついた。家庭着の木綿シャツを染めてみたが、なかなか、体が喜びの反応を示しているのだ。生活が創造的になってきた。薬草での足湯をしたり。意識があちこち飛ぶのだが、薬草煮汁でのヘナ・パックを休みの時、長い時間をおいて行うと、頭は確かにスカッっとする。頭痛をとるというのは確かと思う。また、長時間行ってる時は、必ず排泄がスカッと大量に排泄される。と、これは以前の体験のことですが。私は、「断食」というキーワードから、ラマダーンを知り得、イスラームの情報を知ることとなり、中東文化や、その圏内に住む人達が、近しく感じられるようになった。今日は断食検索で、断食は健康法と宗教法があるのだなと思った。痩せたい、排毒したい、美しくなりたい。10代の時の断食への興味は、体重を減らして見た目カッコよくピカピカになりたい。という動機が一つ。と、もう一つあった。先祖の悪しき因縁が、断食法で、私の代の時点で、リセットされるのではないかな。という期待を持った。沖ヨガの本を読んでいた。内藤晃代さんの「こんにちわ私のヨガ」この本がとっても気に入って、新宿の教室に週1で通ってた。2時間そこで習うと、帰りはスーイスイと体が軽くなり、夏はカジュアルな草履を履いて、親指を意識して大またに闊歩した。が、生活化には至らず。また、断食への興味は遠のいていった。苦手だし、とてもできないし、道場にでも入って、皆と一緒でなければ。一人では出来ない。できるわけがない。あきらめていた。で、ラマダーンの断食で今、ありがたく思うのは、私の周囲に断食仲間はとくにいないのだけれども。(夫を除いて)であるけれど、世界の多くの人たちが、ヨーイドンでいっせいに日中の断食をしていますよということなら、どれほどラクにできることか。「皆と一緒」感の効力。インターネットと本で、日中断食生活を、独自での習得可能となった。イスラームの人たちの日中を食べない飲まないといラマダーン月の過ごし方。その月以外でも、できる限り、私は、続けたい。大殺界時期が終わる来年2月最初までは続けたいな。続けさせてくださいというきもち。
2009年09月06日
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ああ、私に友達が出来たという喜び。断食便を見て、その断食の成果を知って、私は青汁の森さんと、今こそ、友達になれるという気がした。甲田先生と縁が持てて、本当に幸せです。10代の時、断食に興味をもって、まさか、それを今実現させて、実行中で、それもルンルン元気いっぱいで、ずっと、この生活スタイル変えたくないと思うまでになるなんて。(2009・9・5(土)8:01) ◇ ◇ ◇天のお父様、おはよう御座います。楽しいなあ。すんごく楽しいの。頭の中、体の中、家の中、職場の中、鏡に映る顔表情が、すんごく生き生きしてるの。充実した断食月です。南西の空に真ん丸お月様。2時過ぎに起きたら、窓際のペットボトルの水を取りに行ったら、「くーちゃーん」真ん丸と対面。ああ!今日は満月日だった。そう!この日は9月の目標ポスターを書く締めきり日でもあった。書かなきゃな。目標は12件。ロッカーもこの数字を意識してるんだ。それと、美しくなる、意味も込めて。女性の見た目は大事!って、この頃、素直に受け入れることができるようになった。神様も美しい娘を自慢したいんだ。書くのは夜にしよう。本日の月の出時刻は17~18時前後だから。神様、そうそう、孫際ペットボトル水は今日で3日目。青系のセロファンのスポーツドリンクの空きボトルに浄水を入れて、お日さまにあてると、胃に優しい水になるんだって。これって、すごいな。今、気づいたんだけど。朝、仏さまに水をあげる。子供の時からの習慣。お日さまに向けて、水を置く、という行為は、神様に水をあげる行為?・・という意味も含むのですね。太陽エネルギーという神様の愛が、昼の間にたっぷりと青セロファンの水の中に注がれて。素敵に充実していくの。ああ、また気づきがきた。神様を色に表すと!青だ。アナログ時計の12のところは真ん丸のトップ。干支でいうと甲(きのえ)で東、甲の色は青です。青といえば、ブルージーンズ!最近、そのブルーのデニム生地が好きになってしまって。色々に買ったり、作ったり、着たり。また、私の守護色は、青であったことに今気づく。私の天徳貴人の干支が、甲。甲とはブルーだ。そっかー!最近、私は、今日着る服を考えるとき、干支を活用しているではないか。例えば、昨日は壬子だったので、上も下も黒色の意味。その色の上下で仕事をしてたな。もっと営業成果をあげようと思考するなら、青系を首もとにもってくればよかったのだ。そういえば、青系1センチをのぞかせる服を中に着ていたな。仕事は充実していたものな。おもしろいな。干支の活用、生活化。あなたが、そういう勉強を仕込んでくださった。断食が楽し過ぎる。睡眠時間は4時間ちょっと。朝夕の電車、昼休み、10~20分の仮眠をちょこちょこ。あっという間に仕事が終わる。全身が、神的エネルギーにコーティングされてる。私の世界に誰も入り込めない。ケチとつけられない。なぜ?顔色、顔表情が輝いているのだ。会社お手洗いの鏡のチェックで、自分が「ほおー」と満足する。これまでで、一番、上手な断食生活法ができてるなあ。断食インストラクターの素質ありだな。これらは、人の運気の停滞時期こそ、可能なわざです。運気が盛り上がって、商売繁盛モテモテという時期には出来ない芸当なのだ。事業が倒れる、食べれないという貧乏(経済状態)。食べれないほど体が弱り(健康状態)。愛する者の犠牲、子が不良化したり(愛情)。認められない、潰れるの運気。そうか!知らず知らずの内に、私は、大殺界とか天中殺とか空亡と呼ばれるこの時期を、日中断食の日々で、救われたようだ。不幸の現象が起こる前に、【口に運ぶ食物を自分から断った。】口に栓をした。それ事態が、すでに、不幸せそうだ。そう見せかけておいて、中身は全く損傷してない。むしろ、洞穴生活の中で、ちゃくちゃくと、次に来る活動運気のトレーニングで、良質な運気の筋肉をつくっているのだ。見た目は、手にしてるものが、最小限で、うだつがあがらない冴えない人、という無視されるような、表面現象であるが、中身は非常に訓練を積んでいる。次にくる時は、通行人の役でなく、主役に抜擢される。美しいドレスが似合う、体型を整えるべく必要な期間。人には必ず冬の季節が必要なのだ。冬を楽しめる人は、おそれるものがない。持ってるものがないので、誰からもねたまれず。むしろ気の毒がられ、同情の心をおこさしめる。気の毒な人からは、奪うものが何もない。泥棒が盗みたくなる何ものもない。何もない人の運気は上昇するという今後を暗示しているのだ。鏡で見る、自分の顔つきをみるとき、自分の運気は、そうとう希望的だ。顔を見れば、その断食がどのくらいうまくいってるかどうかがわかる。自分でわかる。甲田先生が生きておられたら、報告したい気分だ。森先生に報告すればいいのか。手紙で。そう!私はあの方の本を読んで、ああ、この方とお友達になりたーい。強烈に思ったのだ。去年の今頃だったか。が、自分に毒がいっぱいという気がして、縮こまっていたのが去年の今頃か。けれど、この断食の便の様子を見て、これが、断食だったか!という断食の意味を、はじめて理解するおもいがきてる。カレー鍋を想像してほしい。日常の便は、カレー鍋のお皿にもれる内容物。断食の時は、カレー鍋の内側にへばりついて固まっている便が、どんどんどんどん、はがれおちていく。そぎおとされていく。洗剤とスポンジの役割が、水2リットル、生でとる野菜、歩く走るなどの運動。水浴び、アカスリ、湯たんぽによる療法。人の腸は、カレー鍋のようなずん胴体ではない。くねくね、ひだひだ、腸の側面は、へばりつける表面積が、平に広げてみれば、どのくらいの大きさになるか。これらの汚れをとれるのは、運気がマイナスのさえない時期が、お掃除の時期だ。誰にも苦にもされず、ほめられもせず、評価されない時期とは、実は神の愛でいっぱいなのだ。悩み苦しむ、不運と言われる運気の中でこそ、なぜか、出来る断食。私の不幸運気は、今年が最強かもしれない。仕事が自営なら倒産の憂き目である。いろいろ想像される不幸な現象。それらをくいとめてくれたのが断食か。くいとめるって、食い止めるか。人は行き詰まったら、食べないことだ。日常の流れをストップさせることだ。神様、さっき曙前みたNHKプラーネット・アースの映像は、ホッキョクグマの親子。二匹の子グマが、大柄のおかあさんクマのおっばいにしがみついてる。青年期に達した時、おかあさんクマの姿はなかった。自分たちだけで生きていかないといけない。神様、この素晴らしき断食月、この時ばかりはあなたのおっぱいにしがみつくのがゆるされる。しっかりつかまって、たっぷり甘えさせてもらえる。たっぷりの愛情を吸えば、この月が過ぎても、十分やっていける力がたくわえられる。野村監督が、まーくんに「神離れ」と言ったとき、すねたような反応。どうせ僕は。そうじゃないよ。神離れの意味は、親離れってこと。親がお乳をやらなくても、自分でやっていけるという意味だよね。断食をすると、手相が変わるという。顔の相も変わるのではないだろうか。腸の内側のへばりつき汚れが、どんどんきれいに磨かれていって、肌もきれいになって。全体が、1ミリ2ミリと、小さめになって、引き締められて。汚れがおちていくぶんだけ、キタナイばっちい子ではなくなるため、神様も臭いおもいをしないで抱き締めやすくなるだろう。
2009年09月05日
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書いてたら、なんだか熱くなってきた。涙がいっぱい流れて、自分の中からいっぱい言葉が、でてくる。いっぱい泣いたら、泣きつかれてきた。赤ん坊のようにすやすや眠りたい。仮眠を10分でもとって今日を出発しよう。神様ありがとう。朝一で、一番最初にコミュニケーションをとる方が、あなたであると、とーっても一日が充実します。ああ、あたしゃ、神様と一緒にいるんだぞーっていう気分に満ちます。断食さん、ありがとう。セイタカアワダチソウのあし湯さん、ありがとう。いっぱい涙がでてる最中、夫のお見送り。タオルで涙をふいた。たぬき笑顔で手を振った。雨の音。神様、あなたもいっぱい泣いておられる。ああ、今日は壬子の日ですから、雨はたっぷり降り注ぐのだろう。広ーい、大きなテーブルで、あなたが座り、私に座ってとあなたが言う。特に話すことはないのですがと私。いや、なんでも話しをしよう。話しているうちに、いいアイディアがどんどん沸いてくると思うからとあなた。本当だ。白い紙のテーブルについたら、どんどん、あなたとおしゃべりができてしまう。とても楽しい。刺激的だし、やみつきになりそう。そっかー。きのう朝、そうやって出掛けたから、お客さんと話しがうまくできたんだ。朝は、最初に神様とお話しなきゃ。ああ、神様、こういう意味があって、祈りというのがあるんですね。祈りって、神様との対話、なのですね。上お得意様であられるあなた。私はね、あなたに気に入られようとおべっかをうわべだけする人になりたくない。あなたの役に立つ人になりたいな。体を鍛えて、できるだけ、身の回りから、できることからお掃除していきます。私は偏官の女だから、舞台女優の器じゃない。裏方で、ほこりまみれ、あせまみれで働く、評価されなくても不満を言わない、自分の中に喜びをつくれる、そんな人になりたいです。実用的で、つかいでのある、くたくたの雑巾になるまで、いのちが終わるまで、元気に働く子でいよう。そのためには、体を鍛えて、丈夫にたもって、西式も断食もよくやって、神様が、(このコに何をやらせようか・・)と役回りを考えていただけるような、そこまで、体と心を鍛えていくのだ。今の職場は、その訓練養成所。 ◇ ◇ ◇今日は迷うことなく日記を書きます。(2009・9・4壬子5時41分)だって、私にとっては傷官・長生(傷官)の日。神様と最も、近く交流できる素敵な予感がする朝です。神様、昨日ね、仕事がとってもうまくいったの。お客様の息遣い、呼吸がとってもよくわかって。心臓の音が聞こえそうになるの。気持ちがわかるの。くみとれる。ああ、神様、私があなたの心臓のところに抱かれた、袋にはいったかわいいコだからですね。神様は、どんなに素養がわるくブサイクなコでも、かみさまかみさまって、ニコニコなついてからみつけば、しょうがないなあ、どうぞって、おひざにものせてくれるかもしれない。さっき、あけぼの時間のNHKで、大きなサルが、ちいちゃなサルを背中に乗せてノシノシ歩いている映像をみたの。クックックッ神様とあたしのおサル・バージョンだ!って楽しくなったよ。神様のユーモアだ。神様はウイットに富んだ、お笑い大好きなプロデューサーだから。神様、あたし、幸せです。最近食事時に、ラジオで楽天の中継を流してる。岩隈さんが「本気ですから」と。夫「本気ですからだって!」夫を熱く喜ばしてる。テレビでもチラリとその画面が目に入った。神様、こういうの好きなんだなあ。真剣に闘う人の姿、コメントする時の息遣い、その心意気、心情。(うん、私も本気で9月は闘うから)そうなんだな。神様が評価するのは、究極的には勝ち取った心情なのだよね。得点や実績や給料は、その時で終わるけど、その人が、その人の魂が、その体を使って、何を魂に沁み込ませ、何を勝ち取ったかなんだ。だから、悪い時は、ただ終わらせるでない。その辛さから、次に繋げる秘策を勝ち取るのだ。くっそーお!今涙ながらに心が叫ぶ。形をつくらなかった自分へのうらみ。(何やってんだおまえ!ありえるか!)(頭が別なことを考えたな。形を実現させようとしなかったな)自分が自分をさばき、その心情を問うよ。心が入ってなかったな。あなたの心が、どこかに行ってたな。本気でお客様にぶつかろうとしなかったんだな。これはね。仕事の成果がどうのっていう話じゃないの。人生の問題。家庭にあてはめることができる例題なのです。お客様とのコミュニケーションがよくとれなかった。心をつかめなかった。と、これは、夫に対しても、同僚に対しても、会社や責任者に対しても、ううん、神様、あなたに対して、本気じゃなかった。漠然としてたんです。あなたの気持ちを考えようとしたことが、なかったのです。あなたに対して、漠然としていたのです。私は、10代の時、霊界の本を読んで、ぜーったい地獄に行きたくなーい。とだけ思って、どう生きればいいんだろう。あやまちをおかさないで生きるためにはって。それだけを考えた。自分の安全を。その時は、神様っていう存在は、まだわかってなくて。「カルマの法則」(著・五島勉)の本には書かれてなかったような。この霊界と地上界の両方をつくられた、大きな責任者、主人公という存在が、実現するのでは?っていう発想もわかなかった。とても霊的に低い、暗い、沈んだ、貧しい、小さな魂しかなかったから。私は混沌さんだったのです。常識もなく。考え方の、もとになる素材も何もなかったのです。馬と鹿も見分けられない、頭の悪い、無知で貧しい子供でした。育てた親も神様のことは知らなかったのです。神様、その当時は、とても寂しかったです。せっかく自分の部屋が出来たのに、かえって寂しさが強調されました。子供部屋なんて要らなかったのですね。天のお父様、あなたは日々どんな暮らしですか。あなたが、大きな御殿にお住まいなら、寂しい時はありませんか。部屋が大き過ぎて、悲しみが強調される時はありませんか。(なんだよおまえ、泣かせる気かよ)ごめん、神様。本来あなたは喜びの神様だというのに。今、日中断食というのをやっていて、体を適度に打っているので、体の欲求が小さく、おとなしく、おりこうさんで、つつましやかです。その分、心の本来の心の方がとってもクローズアップされてます。断食の心的効果は絶大ですね。水行も。それを感じるのは、アフリカの人々のことを近くに感じられるようになってるからです。「砂漠のディリー」という本を読んだ時は、衝撃だったけど、時が流れて、意識は薄れた。忘れてしまう。今もそういう環境の中を現在進行形で歩む人々の存在。黒柳徹子さんのアフリカにちなんだテレビの映像を、本以前に見た時は、意味がよくわからなかった。・・神様・・(あなたは、ずーっと泣きどおしでいらっしゃる)人が目を背けたくなる問題を、本来神の子である人間が、知った時、逃げ出さない。目を背けない。知らない振りをしない。なぜか。神様の本来の子供っていうのは、神様の心情をもった人間だから、親の考えや感情がダイレクトにくる。だから、体が地上にある子供は、自分の手足、頭、体全部を使って、親の悲しみを取り払うことに全力を注ぐことを惜しまない。だから、そういう人が、人側から見たら救い主。神側からみたら真の子。神様、あたし、もう、天国に行くのが人生の目的ですなんて、10代の時のようなことは言わない。どこでも働きます。お客さんじゃなくて、参加者となって、汚いところのお掃除少女として頑張る。霊界での任務地が、汚れがひどいところでも頑張って掃除に打ち込んでみる。私は能力がないから、一番の下っ端でいいです。掃除や洗濯は得意です。時々、神様の家の掃除係にも使って下さい。神様、私はいい服なんか着なくていい。ほめられなくていい。よごれてもいいような服で、ジャンパーとか作業着で、働きやすい格好がいい。雨の中で、デッキブラシで庭の石洗いを命じられても決して風邪をひかない。倒れない。神様、あたしはそんな決意しか今、できないよ。おもいつかないよ。神様が、私が働いてる最中に、庭をお通りになられたら、キチンとご挨拶ができるように、地上で、毎日挨拶の練習をします。神様、その時、明るい表情で、神様に美しい微笑みを顕わせるように、この先、罪を犯すことがないように、私の行く手を導いて下さい。異性の誘惑の影が近づいていると、察知した時は、早足で逃げ出します。そこが職場なら、バッサリとそこから立ち去ります。そのような環境設定にいたらぬよう、悪条件は芽のうちから摘み取る。小さな悪条件を続けることがないように、直感センサーを日々研いでいきます。だから、ブサイクも神様がほどこした化粧なのだね。(ラマダーンの断食で色情の罪は消せないよ。赦されると思ったら大間違いだ。ずっと過去のことなら、先祖の代のことなら知らないが、ラマダーンをしながら、色情を繰り返したら、どうせ、断食すれば赦されるからと思ったら、大間違いだ。残るのだよ。霊界の映像に。永遠の世界で、皆の前に罪の映像がエンドレスに繰り返されるのだよ)
2009年09月04日
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ゼロに対する強烈な悔恨。無能力者を見る同僚の厳しい視線。・・気にしちゃあいないよ。・・いや、実は、けっこうこたえていた。ですがね、今日日記を書くことによって・・救われた。あたしって、これから、そうとう、高く、とぶってことだな。跳躍、躍進、これからが始まりってこと。 ◇ ◇ ◇私が住む地域の時間表。本日の月没時間が午前3時27分。あけぼの時間が3時36分。日の出時間が5時6分。そうか、月がお母さん、エバさん。曙が天使長さん、万物のおえらいさん。日がお父さん、アダムさん。女性が鍵を握っている。万物を生かし、男性を生かすんだな。「月と曙と日」と、三者が一体となってこそ、永遠の愛の実現があるのだな。月である私は、昨夜、低反撥の枕に、たっぷりのお湯入り湯たんぽを枕カバーに入れ、これは冬用にだっこして寝るぬいぐるみだあ!喜んで寝入ったのだが。枕を手放して、神様に抱きついて寝たまえ。神様を時間帯で顕わすなら・・わかった!月の正中時間。私が寝入っている真ん中の時間帯。24時前後だ。神様は昼と夜を司っていらっしゃるのだから、日の正中時間も神様時間ではないか。12時前後か。時計のトップの12の位置は神様が全体を見まわしていらっしゃる場。ああ、神様。あたしは、枕を手放して、神様、あなたに抱きつきます。あなたにピタッっと、だきついて、あなたの心臓の音を聴きながら、生きるなら、なーんにもおそれるものはありません。私は12数を愛します。待てよ・・。真夜中は24時とも言うが、0時ともいう。ゼロか・・。意味深。実は先月、はじめてのゼロだったんだ。営業成績が・・。これも意味があったのだろうか。みっちりしぼられ落ち込んだ。この悔しさ、倍やってお返ししないと。ゼロで給料もらったんじゃ・・罪人のように顔をあげられないではないか。断食月とこれも関係があるのだろうな。神様、神様。私、もっと勉強します。もっと神様わかるために。もっと探索します。神様発見するために、今日もお外に出て、いろいろ見てまわります。今日出会うお客様を通しても、きっと神様を知ることができるのだと思います。これから一日をはじめます。(2009・7:51) ◇ ◇ ◇何にも書くことがないとしても、白い紙に向ってみよう。「書いたら?」アドバイスあり。「負債という罪意識を告白してから、一日を出発したらいいんじゃない?」女性のお姉さん的声が、心からわきだす。・・水飲み、時間迄、あともうちょっとという時、数十秒超過してしまった。(多分大丈夫だろう。誤差があるはずだから)住んでる地域の曙時間が本日3時36分。テレビ画面に出る時間が3時37分になった。目標の水があと、ふた口み口残っていて・・飲み終えた。(まあ、このくらいいいんじゃないの?)という軽んじる気持ちををたしなめたいのです。時間管理できないものが、どうして営業成績の数字がやれるか。自分を叱りたい。小さな注意をたたき込まなければ。別なことにも影響する。今朝、起床もギリギリだったのだ。3時15分。あぶなかった。ぎりぎりセーフだった。目覚まし天使さんにお礼を言うのも忘れてた。2時15分に目が覚め、目覚まし鳴る前に意識的に切りまどろんでいた。たるんでる。パカッっと目が覚めたということは、体は「睡眠はもう十分だよ」と言っていた。(けど、まだいいさ)ワルオが(まだ、ねておけよ)と体を起き上がらせなかった(どうせ、だいじょうぶなんだからさあ)(どうせ、ちゃんと起きれるにきまってんだからさあ)少食と一定時間の断食で、睡眠は短くて済むという情報も入っていた。朝晩、水浴びをしているから、体を管理しやすくなっていた。体が心の言うことを、よく聞いてくれる。素直に従ってくれる。心がすっかりお姉さん気取りだった。油断だ。傲慢なお姉さん(心)を、ひそかに妹(体)は、(なにさ)(いい気になってさ)・・小さなころに、注意してかからないと。いましめられた。理由は即座にわかった。前日、寝る前に、22時をまわっても、テレビをなかなか消せなかった。が、それは、この頃ずっとそんなふう。原因は湯たんぽ。起きた時、体が温まりすぎていたと気づいた。【起きる時間というのは体温が最も下がってる時間】なのだと、睡眠関係の本で読んでいた。昨日から、夜も湯たんぽを使ってみては?いいことを思いついたのだ。日没直後の水浴びで体が冷えをおこしていたから。今、お手洗いで(もう、まとめろ)と。問題は解決した。湯たんぽの効果は、温熱療法として、大変体のためになっていた。問題解決は、なにかというと、【湯たんぽの湯の量と、熱さの調整】にあった。湯の量が多いと長時間となり、湯の量が少ないと短時間の効き目になるのだ。昨日の湯の熱さは適度であったが、量が多かったため、長時間にわたって温かかったのだ。寝る時、低反ぱつの枕のカバーに入れ、ぬいぐるみのように脇において寝たし、しかも厚着で寝たため、朝、目覚めたものの、体温の高さが、起きることをはばんでいたのだ。であるが、必死で、この子をがっかりさせまいと、体さんたちが総力をあげて、まだ水飲みに間に合うぎりぎりの時間に、私を目覚めさせて下さったのだ。(だって、最近、私たちはとーっても、この子に尽くされてるんですもの)体の細胞さんたちが、にくいことを言ってくれる。今日はいろいろ勉強できたよ。昨日から大潮で、仕事がとっても楽しかったよ。一日の目標数字がやれると心でそう思ったら、時間内に達成できた。毎日小さな達成感をもってやっていける。日没時間の前、一時間内に月が出る時間が設定されてると知った。なるほどなあ・・。日勤の日子さんが「お先しまーす」とあがる、40分くらい前に、夜勤の月子さんが「おはようございまーす」とやってくる。24時間のファミレスとか、コンビニとかをイメージ。月の正中時刻は、私が寝入ってる真ん中の時間だ。ああ、最近の眠りはおいしいって感じ。甘い味がする。負債は清算できた気がする。「時間が一番じゃないからね」全ての森羅万象、万物を動かしているのは神様であって、一番のボスは神様だってことだ。「君は今日の運気がどうの、暦がどうのっていうけど、それらを操作しているのは私だからね」親分は神様だってことです。そうなんだ。暦を読むようになってから、営業にとらわれが生じ、目標数字に対する信念がブレる・・という状態が、何事につけ、つきまとっていた私。とっぱらっちまえ。私は親分の神様と関わることをおろそかにして、従業員、あるいは弟子の、時間などの万物に従っていたのだ。それをね、昨日の営業で、気づいたんだ。営業とかスポーツの勝負というのは、例題であって、肝心要の家庭という事業運営において、応用してくれよ。あなたはそういいたいのだ。私の中でストーリーがまとまってきた。私の悲しみが、喜びごとのために必要だったとする時がくる。
2009年09月03日
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ヨシ書け!体の中でピカッと指令の光がおこった。そうだ!苦しい時こそ書いたらいいでしょ。人の目を気にせず。神様の胸に飛び込んでいけよ。神様を絵に描いてみた。顔は夫の映像で。腰ベルトと肩ベルトでガシッっとした袋をつけている。中に入っている子供を支えられるよう装置された服を身につけさせた。神様の胸のところにある袋に、子供はすっぽりと入って遊べるのだ。今の自分のままをちいちゃくした子供の形を、その袋の中に入れて遊ばせる。おおはしゃぎの女の子。「ねえ見てみて」あまりかわいく出来たので、夕べ夫にもその絵を見せました。(表情変えぬがニコッ)ここ数日、そういうイメージを体内に宿らせた。日中水も飲まない断食をしている自分は、昼休み、職場から数分のところにある、ガラス越しに日本庭園が見える木の椅子に座って、しばし目を閉じる。仮眠。子供とお母さんとのやりとりの声がきゃっきゃと聞こえた。耳ざわりが善かったのだ。子供を喜ばし、笑わかしているお母さんは気の高そうな人に感じられた。「あんまり笑うとお熱が出るからね。疲れちゃうからね」その子の顔は赤ん坊の小ささじゃない。言葉はなく、はしゃぎ声だけ。何かの障害があるよう。お母さんの声は30代くらいで聡明な音に聞こえる。神様・・と、人間の関係。神様と人間のやりとりのよう。泣けてきた。ここ数日、仕事が辛く、忍耐の時を強いられていた。(どうしていいかわからない)ピンチ状態に、心も体もうつむき加減の日々。そんな中、同僚の言葉に静かに傷ついていた自分があり。仕事と別テーマ。アキレス腱をつつかれ、神経に障った。どう、この心を切り替えたらいいのだろう。そう思った時、(こんな、自分のことなど、どうでもいいだろう。それより、神様は、この自分がかかえているテーマをどう見つめていらっしゃるかだ)(自分の気持ちなど、どうでもいいだろう。問題は、神様の気持ちだろう。神様はどうお考えになってるかだ)そうだな。自分の低迷していた思いが、うすれていった。まずは奥の部屋においておこう。その難しい問題は。あとから解くとする。断食ノートをつけている。断食情報収拾は、孤独な断食者に希望をくれ、きもちを温める。カーネギーの「人を動かす」2冊目の本を、勉強するのに善い時だ。仕事がうまくいっている時は、悩みをどう克服するかというテーマに興味も持たない。さっきまで無かった赤ボールペンが、机の上に出ていた。あれっ?なぜ?イスラームの本に書いてあったジンといういたずらっこの霊か?ジンってなんだ?サタンとか悪霊のちびっこか?君もお外に出て、神様を求めて、お空に飛び立って下さい。整理整頓って大事だ。家にジンとかいう存在を住まわせないために。霊人は霊界で、自分の本来の場所で、生きるべきだから。本来活動すべき場所で。だから、隠れ蓑をつくらないために、お部屋はきっちり整理してあげよう。今、私の体は工事中。キレイにせっせと食物繊維の、食材の精霊さんたちがお掃除隊で活躍してくれてる。ラマダーンというイスラームの断食にはここ数年にわたりお世話になりどおしだ。イスラームの人は親戚のおじさんおばさんとその家族たちってかんじだ。今年のラマダーンはこれまでで一番上手に食と眠りが管理できてる。神様にとっては障害をもった子供である自分が、神様を喜ばす、ほんまもんの人間になっていくために、とおらなきゃならない道が今の苦渋とか忍耐とかの味がする道なのだね。断食生活は上手にできてる分、社会での仕事の数字に試練がきてる。・・がほんとは辛いとおもっていない。永遠の霊界生活からしたら一瞬間の今という今。これは、次にも必ず巡り来る試練。ほんとに神様が訓練したい、困難の時のための練習問題。必ず、トンネルが終わる。早めに終えられる方法があり。実は答もあるのだ。(それは自分で工夫して考えなさい。あなたを愛しているから、ただでおしえたくない)神様、わかった気がしたんです。私ね、あなたが、私を生かすなら、70、80になっても働きたいと思ってるの。あなたに祈りを捧げるとか、あなたとお話をするにしても、少女のような純粋な感性が必要でしょ。そのためには感性を活性化したり、成長させたり、するべきでしょ。日中、家にいて人と関わりをもたなかったら、ストレスがなかったら、だめになっちゃうでしょ。うれしいとか、泣きたいとか、感性を老いさせちゃいけないでしょ。生きるって、お金を稼いで食べてくことだけど、日中断食生活の訓練のおかげで、自分の必要経費って、少しでなんとかやっていけるのです。仕事はなんでもいいから、80歳の時も、何か益になる仕事をしていたい。それが、お金という益かどうかわからないけど。体を動かすということが大切なの。お掃除でも、新聞配達でも、体を動かして、人と関わって、人に頭を下げたり、笑顔を発信したり、傲慢なおばあさんになってはいけないと思うからです。どんな仕事でもやってみよう!と思ったとき、9月はなんでもやってみようって気になれた。出来る努力はなんでも。さて、これから、おもいついたプチ善行、本番へのスタンバイを行動に移します。
2009年09月02日
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ラマダーンの断食出発日から一週間が過ぎた。取り組んでいる真っ最中においては、なかなか書けないものです。今日は日曜日、ふっと、(書いてみようかな)と閃きが起こった。時間も7時過ぎ、書く時間としては、好きな時間。満足がいく文が書ける、いつもの時間。夕食は20時には食べ終える。理想としては。昨日終えたのは20時半。21時にはすっぱり寝る。理想としては。見たいドラマがある時は22時になることも。睡眠時間5時間前後になるように、目覚ましをセットする。昨日は21時に寝たので、目覚ましの2時より前に目が覚めた。本日曙時間の3時半前までの1時間半内に、水2リットルとコーヒー2杯をちびちびすする。水は口に含み、噛むようにして口の中であたためてから静かに流し入れる。口に含みながら、適度な温かさを保つため服を重ねる。8月末であるがタイツ、ジャージ、ジャンパーも着始めた。内側は木綿素材で、外側はポリエステル素材。夜半は寒め。8月末であるが、天気予報では9月下旬の気温と言っていた。温度調節は肘(ひじ)と膝(ひざ)の出し入れ。寒ければ肘と膝を覆(おお)う。暑ければ肘と膝を出す。家にいる時間は、着たり脱いだりでこまめに調節。平日は朝夕2回水でシャワーを浴びる。出勤前、顔を洗うついでに全身に水をかける。これを思いついたのは、10代に読んだ本を思い出したから。(沖ヨガ断食道場の日課に朝は水風呂とリンゴ一個と書いてあったな)自律神経を整え、食べないことをしやすくするためかと思う。夕方は汗まみれで帰ってくる。水を4回かぶって、EM石鹸で2回全身プラス髪も洗い流す。ゆうべはカユミを感じたので、アカスリもきもち5分ほど擦(こす)る。垢が出なくても、擦るだけでも血行を善くするから、きもち5分の勢いで、擦ればよいのだ。とアカスリすると黒い垢がいっぱい。そうか。日中水も飲まない断食をしてるのだから、体内の毒素は排出しやすくなっているのだ。体を湯に漬けなくても、アカスリが出来るのか。と思えば、毎日5分だけでも寒風摩擦するきもちで、気軽にやってみようかな。マッサージ効果と血行促進で排毒がしやすくなるだろう。帰宅時の水シャワーは肌寒い時期から始まって3ヶ月くらいたつ。湯でシャワーはなぜか億劫でメンドウに感じるのだが、水だと楽しみでさえある。夏だから。夏のかき氷を食べる楽しみのよう。かき氷なんて、もう20年も食べていない気がするが。体は水浴びを喜んでいる。シャワーの時間は、朝はきもち1分、夕はきもち5分で手早くササササッと手早い。素早い。さて夕方のシャワー後は、体の冷え具合に応じて綿シャツ1~2枚、ジャージ、ジャンパーと調節する。台所仕事へ。まな板は昼間じゅうぶんに日光浴できるよう窓際に置くようになった。生野菜は必ず。テーブルにまな板を置く。椅子に座って野菜刻む。ガラスボールに麺つゆドボドボ。そこに玉葱、生姜、人参、葱などみじん切りまでいかずとも出来るだけ細かく刻む。刻んだ順にスプーンでかきまぜツユをからませていく。時間をおかずとも、生で即座に食べれる。野菜を細かく刻む作業は、普段はメンドウに思うのだが、テーブルと椅子で行えば、落ちついて出来る。すりおろしを以前してたが、刻んで即食べても、こんなにも辛味がなくおいしく食べれるので、最近はまめに刻む作業をおこたらなくなった。噛んで食べると少食でも満腹感。湯たんぽで体が温まってきて眠気きたので、そろそろ今回の文のかたずけに入る。体重の推移は毎日必ずチェック。帰宅時のシャワー前に測定。平常時から比較すると、一週間で3キロの減少。おなかがこんなにもへっこんでいます私、を強調するスカートを履いた一週間でした。
2009年08月30日
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書こう!体の中に火が興ったのでラマダーン日記を開始。朝6時を過ぎて気が充実してきた。2リットル水を飲んだあと大正湯たんぽで腰を温めながらPCに向っていた。朝起きて食物は口にせず、コーヒーと水。腰を温めると必ずお通じがある。毎朝、排泄のリズムが刻めれば、腸は空っぽになり、日中の断食は苦にならない。イスラームの人間でない自分が、ラマダーンを口にするのは、どうなんだろうな。イスラームの人が目にする時、この人は全くわかってないと、きっと不快な感情をもつことがあるだろうなと感ずる。人の目を気にするようになった。あたしはどういうスタンスで、この期間に臨もうとしてるのか。ただのイベント参加のつもりだとうまくいかないよ。と、イスラームの人の声が聞こえるような気がする。確かにその通りで。今朝、目標とする時間に起きれなかったのだ。2時50分にセットしていたが目覚ましの音が聞こえなかった。時計をセットする前日22時、時計を転ばした。ちゃんとベルが鳴るか確認しなかったし。目覚めたのは3時38分。(本日地元の曙時間は3時20分~23分)時間を見る前に、窓の暗がり具合いや、なんとなくの気配で、(マズった・・)と察知。21時が就寝目標だったが、21時からのお気に入りドラマ「コールセンターの恋人」を見終えてから眠りに入った。それも、気合いが、曖昧。ラマダーンを甘くみていた証拠です。ああ~どうしよう。咄嗟の判断は10秒くらいだろうか。「おめえ、なめてるんかあ」会社ウチ部署のトップが、二の位置の部下に言ってる声が自分の中で再現される。なめてたんだな・・あたし。心構え。昨日も前兆あり、帰りの改札でスイカでぽちっと照合させる時、おかしな作動で、青が赤に途中変化し、機械の両手が私の前進を阻み、膝をついてつんのめってしまったのだ。カッコワルイ姿みられて恥かしいよ。窓口に「今朝買ったスイカなんですけど」言いに行った。(危ないじゃないですか、怪我したらどうするんですか)軽い血気を起こしていた。自分へんだな。いつも冷静沈着な自分が、怒気を含んだ、顔つきとものいい。駅員さん困った顔(そんなこと言われても・・)「物がいっぱい入ってるとそういうことも・・」(そうだな自分があらためよう。これは意味のあることなんだ。財布にカードが増えて厚くなってたし。が、今までそんなことなかったな。気をつけろっていうことだ。そういえば、今日の仕事は、量的に見た目は整ったが、質に引っかかりが気になってた。それに、途中、気持ちに乱れもあった」歩いている途中、これは(厄落としなんだ)と閃いて顔を明るくした。が、ラマダーンに臨む姿勢が、傲慢だったということだ。ああ、ここで私が、自分の傲慢さを自覚できたことが(善かったことじゃないか)今また私の顔が明るくなった。書くことの効果は、気づきがおこるということだ。書くことの意味は結局、自分のためなんだ。咄嗟の判断10秒・・って。お客さんが営業アプローチを受けたときの(どうしようかな?)同じだね。お通じが来た。7時。(私の中にはおじさんがおり、おばさんがいます。60歳くらいのおじさんとおばさんかな)トイレでのインスピレーションは「ピンチはチャンス」この日、私は曙時間をあきらめて、日の出迄の時間内に水飲みをするという決断をした。一日分は、やりなおせばいいじゃないかファイト!朝焼けの気配に気づき、玄関あけた。ビルに遮られて、丸い太陽が見えないよ。身支度整えて屋上に行ってみた。ちゃんと見える。しかも、ここでパノラマの空と町の風景が見られるとは。朝陽のご来光を浴びて、一日を出発するっっていいじゃないか。これはやみつきになりそうな時間だ。タイムリミット。書くのは朝6時~7時半までがいいみたいだ。これから洗濯。今日は晴天のお洗濯日和です。お日さまは、家族に影響を与える衣服に幸運の光を注ぎ、喜びごとをもたらすだろう。神様、どんどん汚れを落とします。あなたが、私を抱き締めたくなるくらいに、この一ヶ月期間、どんどんあなたが好きになる女の子になります。
2009年08月22日
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