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現在、とんでもないことを目論んでいる(笑)。白洲正子氏の著作を出来得る限り入手しよう、と。一体どれくらいの量になるのだろうと心配にもなるのだけれど絶版になってからでは遅すぎる。今、この時点において、入手できるものを出来る限り。・・・・氏の文章との出逢いは、今から十数年前。古伊万里に関する本だった。要するに骨董というのは、美しいものは美しく、みにくいものはみにくい。ただ、それだけのことですよ。 古伊万里を楽しむ 世界文化社・・・・この一文で、私は氏の文章の虜となった。読んでいて清々しい。勿体ぶっていない。取り繕わない。私は自分がぶれそうになると足もとが不安になると・・・気がつけば 氏の著作を手元に置き読んでいる。そしてもうひとつは法華経に関する本だろうか。白洲正子氏の文章、そして法華経。このふたつを 自分の還るべき場所だと考えている。
2011.07.23
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今、白洲正子氏の本を読んでいる。彼女の文章を読んで思ったこと。西行の歌に似ている、と。西行の歌には何処か光るところがありその同じ光が、白洲氏の文章に秘められている。
2011.07.07
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白州正子氏の文章に出会ってからというもの何かが、自分の中で変わりつつあるのを感じます。上手く言えないのですが・・・文章をとらえる感覚が違ってきたように思うのです。以前は 美しい文章を読むのが好きでした。流れるような文体、そして文章の最後の部分がすとん、と収まるべきところに収まるその感覚。美しい文章に触れることによって得られるその感覚をこよなく愛してもいたのですが最近は少しずつ変わってきているように思うのです。白州正子氏の文体は、流麗というタイプではないように思われます。しかし、人の心を掴んではなさない。いつまでも心に残る。西行の歌によせる氏の文章はまさに圧巻。どこをどう書けば、氏の文章の素晴らしさを伝えられるのか分からないけれど(いや、おそらく伝えることなどできない)ここはもう、どうぞ氏の著作をご自分でお読みになってください、と申し上げるしかないように思うのです。先日、氏の「きもの美」を読んでいて思わず、落涙してしまった箇所がありました。氏の底知れぬ魅力のひとつはこの、あたたかみにあるのではないか、と。ほんの少しだけ ここに抜粋してみたいと思います。「若いお嬢さんなど、きものから帯、じゅばんから草履に至る、 あらゆるものを揃えてくれと持ち込まれることもある。 そういう方達にこそ、私は親切にしてあげたいといつも思います。 自分もかつては、何も知らない若い娘だった。 そう思うと、ほっとくことができなくなるのです。」 白州正子著 「きもの美」・・・この文章に触れたとき、改めて白州さんは10年も前にこの世を去ってしまわれたのだと私たちは なんとかけがえのない人を失ってしまったことだろうと今更ながらに思われたのでした。
2009.06.30
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シリーズもの、第3弾です。余り、こういうかたちでは日記を書くことはないのだけれど氏についてだけは特別。書けるときに、書いておきたく思います。今日もまた「白洲正子 私の骨董」について。このたびは茶碗、酒器、漆器について書いてみたいと思う。まずは「志野筍文筒茶碗」。色も佳いけれど、まず、かたちがよい。見ていて何だか危なっかしげで(笑)、とても、初々しい。次いで「黒織部茶碗 銘 夕だすき」。この黒は・・・なんて深いのだろう。手に取ってみたらどんな感じだろうと思った。「絵志野盃」。・・・もう、このあたりで、こんなふうに思うのだ。こうやって「夕だすき」だの筍文の筒茶碗だの見せられたらば今後、他のお茶碗を買えなくなってしまう(笑)。だって、この本に出てくる品々のようにこんなにも自分の好みに合致したものに出逢ったら(うーん、上手く言えないのだけれど)自分の心の鍵穴にぴったりの鍵を持ってこられたらもう、ね。 降参ですよね。この「絵志野盃」だって、見た途端「うわ!」だけ。情けないことだけれど、それ以上の言葉が出てこない。確かに物の本で調べれば この盃についての専門的な知識は得られるかもしれないけれどでも、それはあくまで外側からくっつけたものでしかない。ひとつの「もの」との出逢いは 知識や解説や、専門家の言葉ではなくて(もちろんそういうものがあったに越したことはないけれど)やはり、自分の心の「共鳴度」だと思う。次いで「唐津盃」。・・・この盃を前にしたら思わず居住まいを正してしまいそう。端正。慎ましやか。「堅手盃」。この盃が一番好きかもしれない。色がすっきり、美しい。いつも手にして大事にしていたい、と思わせる品。「根来四ツ椀 五客」。なんて艶やか。椀のかたちも美しく、殊に手前の小皿など・・・思わず手に取ってみたい、と思わせる。最後に この本に書かれてあった氏のお言葉を。「この本は一応「私の骨董」としたが、先にもいったように 人様から拝借したものが、数多く入っている。 中には重文級のものも交じっているが、私たちはそんな勲章には興味がなく ただ同然の下手物の中にも同じくくらい美しいものがあることを見て頂きたい。」
2009.06.17
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前回の日記に引き続きこのたびも、氏の著作「白洲正子 私の骨董」について。今回は仏像、壷について書いてみたいと思う。・・・自身のことを書けば私は仏像に対し特別の信仰心を持っていない。もっと正確に言うとひとつの美術品として仏像を見ることにしている。(全く変なことを書くようではあるが)それは、自分自身が仏教徒であるからである。釈迦がその生涯を通し 一体私たち人類に何を言い遺したかったかを考えればとても、仏像を信仰の対象として考えることは出来ないからだ。・・・こういうことはここでは余り書かないことにする。著作「私の骨董」の中におさめられている北魏時代の坐像について。・・・心が澄んでゆくようである。西暦464年と書かれてあるので今から1545年前のもの。何だか、こちらがわの心に添うて下さるような感じ。この坐像を前にしたら素のままの自分を ふと出してしまいそうだ。そして、すごく素直になってしまう。次いで 「降三世明王像」。これは鎌倉時代。うーん・・・体の線が実に美しい。躍動美、とでも言えばいいのだろうか。そのままモダンバレエの舞台に立っていてもおかしくない。惚れ惚れ、である。殊に、後ろ姿。次に「李朝面取小壷」。備前説もある、とのこと。時代は書かれていない。・・・不思議なことにこの壷はそこに在るだけでよい、そんなふうに感じさせてくれる。花を生けずとも。色も深く、美しい。氏の収集なさった骨董は(上手く言えないけれど)まろやかで澄んでいる、そんなふうに思う。だから、この本の隅々にまで目を通しているうちこちらの心も澄み透ってゆく。・・・天平古材、藤原時代の金銅鈴などそれらを眺めているうちに何だか、しん となってくる。そして遙か天平 東大寺建立の折風にひるがえっていた幡の色までも目に浮かぶようで ふと 目頭が熱くなってしまった。
2009.06.17
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・・・この人との出逢いは 今から15年以上前に遡る。確か古伊万里についての文章だったと記憶している。ここに少し抜粋してみると「要するに骨董というのは、美しいものは美しく、みにくいものはみにくい。 ただそれだけのことですよ。」 「古伊万里を楽しむ 世界文化社より抜粋」その、すっきりとした物言いに惹かれてしまった。骨董というものは・・・などと構えてみせるのではなく本当にすっきりと 呟くように語る、その姿に惹かれてしまった。確かに、折々の文章の中では少しついていけない部分もあるのだけれどそれでも、本質をズバリと言い切る姿が好きだった。今、私の手元に「白洲正子 私の骨董」という本があるけれどこの本も実によい。大好きな本である。その本の中に収録されている品々を見ていると思わず 心の中で「うわっ」と叫んでしまう(笑)。そう、これは私の変な癖ではあるのだけれど心奪われるものに出逢うと、言葉は出ずにただ感嘆詞だけが口をついて出てしまうのだ。「うわっ」と一言言ったきりあとはじっと、その品々を見つめるだけ。・・・今日は、この本の中の骨董について。お気に入りの品々について書いてみたいと思う。まず、推古時代の鈴について。まずもって、いきなりの「推古」に驚いてしまった。江戸とか鎌倉ではなく、いきなり古代へのタイムスリップである。遣隋使、聖徳太子、蘇我氏・・・浪漫溢れる時代。写真に納められているその鈴を見ているうちに一体どのような音色なのだろう・・・と思ってしまった。そして 遙か古代の人々が耳にしたであろうその音を自分も聴いてみたいと 切に願ってしまった。そして 同じ頁に掲載されている「天平古材」。これについては白洲正子氏の解説を。「お寺の建築に使った板であるが、こんなささやかなものにも天平の雰囲気が感じられる。 春日杉の大木を切ったもので、表裏ともに見事である。 (中略) あんまり美しいので花台にするために買ったが、陶器も塗りものも似合わないので 藤原時代のたっぷりした姿の鈴を置いてたのしんでいる。」 「私の骨董 求龍堂より抜粋」このほんのページをめくっていくと次々に美しい品々が目に飛び込んできて ただ、うっとり。ここにはきらびやかなものはない。ただ、美しく、ゆかしいものばかり。・・・余り書き続けていくと日記が長くなってしまいますので今日はこれにて終わりたいと思います。このシリーズ、しばらく続くかもしれません・・(*^_^*)
2009.06.16
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神戸大丸の「白洲次郎と白洲正子展」に行きたいと願い昨日はいそいそとその準備に取りかかっていたのだけれどいやいや、自分の都合で外出するのだから家の中をきちんとしなければ・・・といつにもまして家中の掃除に精を出したところ目眩と吐き気とに襲われてしまい(掃除に対して拒否反応を示したわけではない(笑))やむなく外出は中止。勿論その後はお買い物にも行くことは出来ずじっと、家の中でおとなしくしていた。夕刻には仕事も控えていたので、とにかく仕事に差し障りがあってはならないとひたすら体力温存。義父も現在、全く同じ症状で苦しんでいるらしく義父と私とは、おそらくは同じような体質なのだと思う。そう、夏でも扇風機は一切ダメ。冷房も28度台でないと身体が冷えすぎる。だからこそ私には義父の辛さが手に取るように分かるのではないだろうか、と。上記の「白洲次郎と白洲正子展」は2月9日まで。これを逃してしまったならば一体いつ、この2人の美意識に直接触れることができるのだろうと実に心許ない思いもするだけれどでも、仕方がない。自身の体調も不安定ではあるけれど、第一、娘も病み上がりだし明日あさっては予定が詰まっているし要するに今回、この展示会には行けないということである。この展示会のみならず、他に楽しみにしていた諸々の展示会も全てアウト(涙)。これが今の現状であるわけだから、そのまま受け入れざるを得ずそう、もう少し気候も良くなって外出も出来るようになってそれにあと数年も経てば、大人になった娘と共に色々なところに行けるのだからそれまでの辛抱である。ひとりで行くのも良いけれど、我が子と一緒に行く様々な展示会。どんなに心豊かなお出かけになることだろう、と今から心待ちにしている。白洲正子さんの美意識が殊の外好きで(確かに、この方の文章には時折受け入れがたい部分もあるのだけれど)それでも、氏の、美しさに対する鋭敏な感覚。これには理屈抜きに惹かれてしまう。東京の武相荘にまで直接足を運ぶことなど叶わないので今はもっぱら氏の本に触れているのだけれどいつか時間を見つけて 娘と一緒に この地を訪れたいと願っている。
2009.02.05
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