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小池延幸@ Re:御厨さと美 (著)トゥィンクル・ノーラ (セレクト・コミック)(12/19) すいません、同じ文面を誤って二度も送信…
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小池延幸@ Re:御厨さと美 (著)トゥィンクル・ノーラ (セレクト・コミック)(12/19) 初めまして。65歳になる都内のバイク乗り…
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Jan 23, 2017
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カテゴリ: カテゴリ未分類
頑張って伝えてくれたので、助かった命もあったのだと思います。

ずっと伝えていかなければならない

次の世代、次の次の世代にも。。。

御冥福を、お祈りいたします。



三陸地震と東日本大震災の語り部 荒谷アイさんが死去 95歳



 昭和8年の昭和三陸地震の津波で孤児になり、平成23年の東日本大震災にも遭遇し、語り部として活動した荒谷アイ(あらや・あい)さんが20日午後0時28分、急性心臓死のため岩手県宮古市の県立宮古病院で死去した。95歳。岩手県出身。自宅は宮古市中里団地10の7。葬儀・告別式は25日午前10時から宮古市田老館が森140、常運寺で。喪主は四女、栄子(えいこ)さん。

 昭和三陸地震で家族を失い、避難の様子や独りになった悲しみをつづった作文が、作家吉村昭氏の「三陸海岸大津波」に収録された。東日本大震災時は内陸の高齢者施設にいて助かったが、自宅が津波で被災した。2つの大災害の体験から、高台への迅速な避難といった防災上の注意点を、小学校の出前授業で子どもたちに繰り返し伝えた。




昭和、平成、二度の津波を経験。とりわけ昭和8年の三陸大津波では、本人を除く家族7人(祖父母、両親、叔母、妹2人、弟1人)を失い孤児となる。尋常小学校6年のときに自身の震災体験を書いた作文が、作家・吉村昭の目にとまり、著書『三陸大津波』で取り上げられた。92歳の今も、若い世代に自身の体験を語っている。

1921年
岩手県田老村に牧野家の長女として生まれる
1933年
(3月3日、昭和三陸大津波) 尋常小学校5年

家族のうち、アイさんを除く7人全員が津波の犠牲になる。田老村の叔父の家に引き取られる
1934年
震災体験を作文「つなみ」に綴る
1935年
北海道根室の叔父の家に引き取られる
1940年
田老村の叔父の家に戻る
教員・荒谷功二氏と結婚。6人の子どもを育てる
1970年
作家吉村昭氏の取材を受ける
2011年
(東日本大震災) 内陸にある施設にて助かる。自宅は全壊。翌日から次女の家で暮らす
2012年
宮古市に自宅を建て、もと小学校校長の4女栄子と暮らし始める


「悲劇を忘れない 昭和8年大津波で家族7人失う」


娘 栄子さん:母さんね、昭和8年の3月3日、覚えてる?

アイさん:忘れられない。

栄子さん:そのときのことを教えて。

アイさん:山まで上がったども。

栄子さん:どんな音がしたか知ってる?

アイさん:ん?

栄子さん:音。

アイさん:話しにならない。ゴーゴーという音。沖から波が押し寄せる音だべね。バリバリバリって家の壊れる音。よくに助かったと思う。

栄子さん:真っ暗だったんだよね?

アイさん:夜中の2時半だもん。

栄子さん:逃げるときね、赤沼山さ逃げるときに、話し声なんかしたの?話し声。

アイさん:ガヤガヤという音だけで、話し声も何も分かんねえ。

栄子さん:みんな黙って逃げたんだね、むすむすと(無言で)ね。

アイさん:みんな逃げた人たちはめいめいの家族と逃げたから。今考えても本当だったべか、思うようなことで。

栄子さん:寒かった?

アイさん:なに?

栄子さん:寒かった?

アイさん:寒いもなにも。そんなこと考えてられない。山の天井だが、赤沼山。みんなそこからもっと高いとこさ上がっぺと思う人がいっぱいいるわけだ。・・・。

栄子さん:母さんね、真っ暗い中逃げて、朝になって明るくなったでしょ。ね?明るくなって山から下りて来たときどんなだったか知ってる?

アイさん:忘れた。

栄子さん:忘れた。でも作文には書いてるよね。山この・・・来なかった?

アイさん:山こさ行った。

栄子さん:そうだね。町の中はどんなだったか知ってる?津波の後の町の様子。

アイさん:分かんねえ。何もかにも、家がねえんだ。

栄子さん:なんにも残ってなかったの?

アイさん:あっちこっちに残材があった。家の形はなんにもない。みんなぶっかけ。それだけの記憶だな。

栄子さん:母さん、その中を歩いた?

アイさん:歩けなかった。

栄子さん:そして、ねえ、母さんね、その壊れた家の残材とか亡くなった人たちがだんだんに片付けられていったんでしょう?その辺りのこと知ってる?

アイさん:分かんない。こう、見えるだけだ。死んだ人とか。



栄子さん:これですね。昭和9年3月3日、だから昭和8年の1年後に一回忌記念というので『田老村津波史』というのが。

Q:小学校で出して。

栄子さん:そうですね、小学校で出して。で、

Q:文集ですか?

栄子さん:この中にやっぱり当時の子どもたちの作文が載ってまして、で、牧野アイさん、うちの母の作文も、これですね、津波、尋常小学校6年、牧野アイさん。母さん、このね、作文はみんな分、載ってないんだよね?このね、『田老村津波史』の中にある作文、これ、ササキタカシさんとか、カミハナワさんとか、それからこれ、イワイズミリョウコ先生も載ってる。ね、リョウコ先生1年生だったんだね。この人たちはどういう人たちの作文なの? 

アイさん:なに?

栄子さん:津波の作文、ね、昭和8年の津波の作文。全員分載ってないんだけども。

アイさん:いいのだけ載せてある。

栄子さん:いいのだけ載せたの?代表の?

アイさん:そう。

栄子さん:代表の作文ね。それで吉村昭さん(作家)は田老を歩いてて、防ろう堤を歩いてて、昭和8年の津波の歴史と出会って、牧野アイさんの作文に。

アイさん:そうそう。

栄子さん:吉村昭さん知ってる?

アイさん:顔を知ってる。

栄子さん:あの、「作文を書きなさい」とただ言われた?どんなに書けって言われたの?

アイさん:そのまま書けって。そのまんま書いた。

栄子さん:見たことだのね、感じたことを書けって言ったんでしょ。そのまんま、飾らなくていいからってね。正直に書きなさい、て言ったんだ。

アイさん:そういうこと。

栄子さん:これ、ほとんど直されてないそうですよ。原文そのもの。




栄子さん:その後に防浪堤(防潮堤)ができていくわけでしょ?

アイさん:しばらく。津波は過ぎて1年以上たってからだ。すぐにできたわけではない。

栄子さん:津波の後、何か月かして工事が始まったの?

アイさん:オレ、山こにいたから分かんねえけど、みんながバラックさ入ってたの。

栄子さん:田老の人たちで、津波で家壊された人たちがバラックに入ってたの?

アイさん:田老の人でなく県から来てたわけ。

栄子さん:工事をする人たちが、その仮設の家に住んで、防ろう堤をつくっていったわけね。いっぱいだった?そういう人?

アイさん:忘れた。

栄子さん:あんまり記憶がないんだ、そこはね。

アイさん:いっぱいだったべ。

栄子さん:そのときのね、村長さん知ってる?

アイさん:関口さん。

栄子さん:下の名前は?

アイさん:松太郎。関口松太郎。

栄子さん:松太郎。知ってる?顔。

アイさん:知ってる。年寄りだもん。

アイさん:男。おじいさん。

栄子さん:ひげ生やしてた?

アイさん:生やしてたの。

栄子さん:話ししたことある?

アイさん:特別はないと思う。親がどんが話をするのを聞いてた。

栄子さん:そっか。じゃ、関口松太郎さんと会ったことがある?見たことはある?

アイさん:ある、何回も。おらがいつも・・・したんだ。




栄子さん:母さん、根室に行ったよね?根室にね。根室にずっといるつもりだったの?なんでこう?

アイさん:学校が終わったら帰ろうと思って。

栄子さん:どこに?

アイさん:田老。

栄子さん:だって田老に家が無かったんだよ。

アイさん:それでも田老。

栄子さん:帰りたかったんだね。なんで?

アイさん:うん、誰か引っ張ってたったべ。

栄子さん:ねー。田老に帰りたかった?

アイさん:帰りたかった。

栄子さん:津波で壊れた町でも帰って来たかった?

アイさん:帰ってきた。

栄子さん:そうか。

アイさん:ひとり、この考えで帰ってきた。

栄子さん:田老に帰りたかった?

アイさん:懐かしかった。

栄子さん:根室にいるときに、裁縫女学校に通ったんだよね?

アイさん:裁縫女学校、これ(裁縫)さえやれば誰の世話になんなくてもいいというふうに、いいと思ったの。

栄子さん:田老にね、そんなに帰りたかった?

アイさん:うん。帰りたかった。

栄子さん:その理由は?

アイさん:津波の、仏様のことを思い出して。よく帰った。

栄子さん:ほんとだね。 そうか、田老に帰って来たかったんだ。ね。

アイさん:うん、ただただ帰りたかっただけだ。尋常6年だもん。

栄子さん:うん。根室にいるとき、母さんの目標は田老に帰ることだったの?

アイさん:オレが1人で思っただけ。

栄子さん:帰ってきてよかった?

アイさん:よかったの。

栄子さん:よかったね。

Q:また同じところに住んだということですか?その・・流された。

栄子さん:結局、

アイさん:仏があるんだもの。

栄子さん:そうだよね。

アイさん:6人、8人か死んだの。

栄子さん:あのね、津波のまた来る田老町に、なんで帰ってきたの?

アイさん:懐かしかった。ただそれだけだ。

栄子さん:帰りたかったの?ただ、ただ。

アイさん:田老好きだった。

栄子さん:そうだよね。いい町だったもんね。

アイさん:ふるさとだ。

栄子さん:ふるさとだよね。そうだよね。


栄子さん:私たちはもう防浪堤がある景色が当たり前だったので、今回の3.11(2011年3月11日、東日本大震災が発生)の後、防浪堤があったために波が来るのが見えなかったとか町の景観をダメにするとか、いろいろな意見があちこちから出てるんだけど、私たちは防浪堤があるのがまず当たり前の生活をしてきたわけですよ。で、防浪堤があるから津波はこないっていう、そういう教えは無かったです。防浪堤から波が飛び越えて来るような想像力をいつも教えてもらってたような気がします。だから地震のときはどんなに小さな揺れでも近くの赤沼山にとにかく逃げましたね。小っちゃいときから。それが当たり前だったので。親も一緒に逃げたし、近所の人たちも一緒になって逃げて。そして今のように情報は入らないんだけれども、山に逃げて、ある程度時間がたつとポツリポツリと家に帰ってくるんですよ。その間、ぜんぜん情報はないわけです。それが昔の田老町でしたね。

Q:お母さんからの教えとして、何かそういうのってあります?津波を知ってるお母さんから。

栄子さん:ありますよ。あります。うちの両親は、うちの父も昭和8年で親を亡くしてるわけです。で、私の両親は2人とも津波で、津波を体験したわけですね。だから私たちの家族はなんにも難しい教えは無かったです。地震の後には津波が来る、高台、赤沼山に逃げる。戻らない、と。戻らない。ただそれだけでしたよ、「あー、地震だ、それ、逃げろ!」て逃げて。で、その逃げるときには必ずランドセル背負(しょ)わされましたね。教科書が入ってるランドセルを背負わされて逃げて。で、夜寝るときは枕元に次の日に着る服をきれいに畳んでおくと。それは厳しかったですよ。暗闇の中でも目をつぶってもちゃんと服を着れるような状態で重ねておいて。そして玄関の靴はいつもこう、そろえてないとすごく不機嫌な父親だったんですよ。だから夜中に大きな地震があったら手探りで服を着て、そろえてる靴をそのまま履いて、あとはずっと赤沼山に逃げて行くって。それですね。難しいことは全然ないです。ただシンプルに。あとは私はね、小っちゃいときから外で遊ぶ子どもだったんですよ。だから海にも行ったし、川にも行ったし、防浪堤でも遊んでる子どもだったんです。だから父親とすれば、やっぱりはらはらした部分はあったと思います。一人で海に行って遊んでるんですもんね。そしてあるとき、防波堤で遊んでると、「お前は防浪堤で遊んでるようだけれども、津波が来たらどうする?」て。そうすると「大丈夫、大丈夫。防浪堤の上にいれば大丈夫だから」て言うんだけども、父親は「防浪堤を飛び越えて波が来たらどうするんだ?」ということを言われてました。そうすると防浪堤を越えてくる波を想像して、おっかないな、ていうのがあって。だからそういう、こう、シンプルな教えと想像力で教えられてきたんだと思いますよ。今回、それが役に立ちましたね。 でも恐怖心を持たせないような、なんだろうな、恐怖心を持たせないような、ときには、ね、津波と一緒に逃げたから助かったとか、津波に勝ったとか、コウスケ先生(アイさんの小学校時代の担任の教師)じゃないけども、そういうユーモアも教えてもらってましたけどもね。

栄子さん:「来る」、ていう感じですよね。今回はダメだな、て。絶対来るな、ていう、本能ですよね。情報の入る前に、もう本能で感じたはずです。ただ私は職場にいて、揺れたときに真っ先につけたところがテレビだったんですけども、テレビの画面、テレビのスイッチは入ったんだけど、画面が出る前にプツッと切れてしまったんです。電気がストップしてしまって。それで頭をとにかく、揺れて揺れて揺れて、とにかく逃げようって、私たちこどもの命を守らなきゃいけない役割があるので、子どもたちと一緒に高台に逃げて行ったんですけど、その同じ時間に田老町では3メートルの大津波が来るっていうふうに(情報を)流したんですね、あれね。で、3メートルであれば田老に防波堤があるから町の中には入ってこないだろう、といって、なんだろうな、そういうふうにもう解釈して逃げなかった人は、まあ、ほとんど亡くなったわけですけれども。ね。で、その「3メートルの大津波ですよ」て言った後に、やっぱり電気が切れてしまって、その後全然情報が入らなかった。高台に逃げた人たちは防波堤の向こうにある海がものすごくせり上がって大津波が来るっていうのを見てるわけですよね。だからまあ、3メートルにこだわる人もあれば、大津波が来るって、防波堤越えて来るんだっていうふうに本能的に逃げた人もあれば、ま、いろいろですけどもね。見直しをしていかなければならない部分かもしれませんね。


栄子さん:ねー、母さん。生きててよかったと思う?

アイさん:思います。

栄子さん:今、幸せだ?

アイさん:最高。

栄子さん:どのくらい幸せなの?

アイさん:90パーセント。

栄子さん:90パーセント?そっかー。茶目っ気がある人で。かわいい。かわいいというか、ほんとに茶目っ気があるんで、こうやってひとりでおくといたずらするんですよ。なんかこう、この辺をこうやって。好奇心が旺盛で。ほんとに亡くなった父親には怒られたことがないんだそうです。分かるような気がしますよ。すごいかわいい子どもだったんじゃないですかね。 父さんが迎えに来たら行く?

アイさん:行かない。

栄子さん:行かない。まだ?だって父さんが生きてるときは、父さんの言うことをずっと聞いてきたんでしょ?

アイさん:うん。もう少し。

栄子さん:うん、もう少し?

アイさん:時間を下さい。

栄子さん:そうだね。時間を下さい。津波の仏さんの分まで生きなきゃいけないね。

アイさん:ああ。

栄子さん:ね。

アイさん:その通り。

栄子さん:その通りだね。ね。まだまだね。母さん、ちょっとこれ。これを。それ、あげたら?

アイさん:これどうぞ。

Q:すみません。ありがとうございます。

栄子さん:震災前、田老の家に住んでたときは、ちょうど国道45号線のちょうど町のど真ん中に位置してたので、あそこを通る人たちは、ね、「母さん」てうちに必ず来るんですよ。そうすると「ああ、よく来た、よく来た。入れ、入れ。」て、お茶を出して、愚痴を聞いてあげたりとかね、それからその辺に何かあればそれを持たせてやったりとか、ものすごく田老の人たちみんなとお付き合いしてた人です。ね。

Q:そういうコミュニティというかつながりが強かったんですね?

栄子さん:強かったですね。ま、うちだけじゃなかったかもしれないけども、田老町。で、今ここに引っ越してきて1か月に1回定期健診で田老の診療所に連れて行くんですよ。そして診療所の待合室に行くと、田老の人たちがいっぱいいて、みんなね、「母さん」て寄ってくるんです。寄ってきて。そうすると一人一人名前を覚えてて。診療所に行くのも楽しみですね。だから母を見ると仮設住宅に住んでる人たちはみんな涙流してね。田老を思い出して涙流して。母親から受けた優しさみたいなのを思い出すんじゃないですかね。そうすると「がんばっぺ」て言ってね。「がんばろう、がんばろう」てみんな励ますんですよ、この年して。だから私は親子ではあるんだけれども、母ではあるんだけれども、何かこう大事なものをね、預かっているような、そういう感じがしていますね、今ね。





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Last updated  Jan 23, 2017 11:51:08 PM
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