平成 30 年 5 月 7 日 ( 月 )
午前 4 時過ぎ起床。雨。一時雨脚が強かったです。
長い休みがあると、明けての出勤は憂鬱です。しかも雨模様。クールビズになってネクタイを巻く必要のないのがせめてもの救いでした。写真は自宅を出ての裏庭です。夜来の雨に今日も梅の実の落下多しでした。毎日これだけ落ちても猶鈴なりです。適度な摘果になっているのでしょう、今年は豊作のようです。
終日デスクワーク。お客様がお見えになったりミーティングが入ったり。調べ物の時間も十分にあり、難なくウィークデーモードに戻ることができました。ところが夕刻、またぞろ頭から仕事のことが抜け落ちました。羨ましいメールを受け取り、暫し白昼夢を見てしまったのです。 A さんからの便りでした。彼は 私のまち出身です。 5 年来、高誼を得ています。 K 大を卒業、大手商社に勤め、リタイアの後も文化活動に活躍の方です。 N 県にある有名なリゾートタウンに別荘を持ち、都内と行き来の生活をしています。内容は
「資料を送った、仕事の参考にされたし」
とのことでした。後段には
「数日後、フランスへ旅に出る、パリ、エトルタ、オンフルール、モンサンミシェルを回ってくる」
とありました。エトルタか。ルパンで有名、針岩のあるまちです。綺麗な景色なんだろうな。そう思うともう仕事どころではありません。楽しい旅行になるよう返し、パソコンを閉じました。
まっすぐ帰宅。走ろうか。しかし強い降り様です。本を手に取りました。ハヤカワ epi 文庫、グレアム:グリンはこれでお終いです。
読み始めて勃然、よし、合羽を着て梅林下の草を刈ろう。草刈り機を背負いました。暮れゆく中、濡ぼそりの 40 分。家の南側をやっつけました。写真は梅林の端、妻の手入れする花壇に咲く花です。背丈は 1m ほど。名を失念。これに間違っても草刈り機の刃を当てはなりません。切ってしまったら大叱られです。気をつけないと。
シャワーを浴びました。風呂上がりは塗り薬を。このところ左手の肘痛に悩まされています。患部にこれを塗っています。心持ち症状が改善した様な気分になります。安静が一番のようですが、そうもいかない。だましだましです。
さて、書くことがありません。連休に書き始めた雑文を以下に。
「瀬田唐橋」
初めまして。 皆さん、瀬田の唐橋と聞くと何を思い浮かべるでしょうか。ランナーやマラソンに興味のある方 に はびわ湖毎日マラソンのコース になっているので 印象深いと思います。 その通り 多くのランナーが私の上を走りました。そう、私は瀬田唐橋と申します。下を流れるのは瀬田川。琵琶湖の水は宇治川、淀川と名称を変え大阪湾に注ぎます。
さて、この徒然を認めるに当たり 、 橋ごときが 何を 出しゃばるのか 、 そう物申す方もいると思います。しかし、人間様の一生は粗方 80 年。この 一生 は、天上界 の時間勘定ですと僅か 1 日余りで しょうか。昔、 幸若舞「敦盛」に謡われ ました。 出家した熊谷直実が「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」儚いことを嘆いています。化天とは天上界のことです。一昼夜は人間界の 800 年にあたります。化天の時間に比べたら人間の一生は朝露の如し。 蓮如上人のおっしゃるとおりです。 この意味 において 、人間様よりは多少長生きの私 です。ここに 来し方のあれこれを綴る自由は許されると思いまして筆を執 ってみる気 になりました。
思い出其の 1 びわ湖毎日マラソンに託けて
冒頭、マラソン大会のことを書きました。本題に入る前にそのことを少し振り返ってみましょう。びわ湖毎日 マラソン は古い大会です。戦後すぐに始まりました。 開催地は大阪でした。 私の背中を走るようになったのは 1968 年、第 23 回大会からです。その折は宇佐美彰朗が優勝し 、 メキシコシチーであったオリンピックに出場しました。以降 この大会にはミュンヘン五輪金メダリストの フランク・ショーターや モスクワ五輪メダル間違いなしと言われた 瀬古俊彦も やってきて優勝をさらいました。 近いところではウィルソン・キプサング。彼がこの大会の記録保持者、 2011 年に優勝しています。途轍もなく速かったことは記憶に新しいです。残念に思うこともあります。 1975 年からの 6 年間 、 私の傷みがひどく改修工事 が始まりました。 コース は 琵琶湖大橋に変更されました。日本マラソン界が誇った名ランナー宗 茂、宗猛の二人は 奇しくもその間に 相次いで 優勝 。私は兄弟の 雄姿を見ることはできませんでした。 一方、 マラソンがここを走り始める 1967 年以前に目を移しますと これまた有名選手が優勝者リストに名を連ねています。 メキシコで銀メダるを獲得の君原健二 、ローマ、東京、二つの五輪を連覇した裸足の英雄 アベベ・ビキラ ・・・。
私の 装い が 新たになって 、また レースが戻って来ました。 その間迂回の 琵琶湖大橋 は 橋齢 50 年余り、 1300 余年の私のほうに大会関係者が敬意を表したかどうかはかどうかわかりません が、嬉しいことではありました 。さて、私なりに思い出深い選手を一人挙げるとするならば采谷義秋(うねたによしあき)で ありま しょう。 何時の 五輪 も 代表枠を巡る混迷は巷間をにぎわしますが、メキシコ五輪の際、君原健二、佐々木精一郎、宇佐美の 3 人と 代表の座を 争った 当時の ことは 今も 語り草 で す。彼は元祖市民ランナー でした。 広島県の高校教師とランナー、二束の 草鞋 でした。今年、ボストンマラソンを優勝の公務員ランナー川内優輝選手が脚光を浴び たことは記憶に新しいですが、 何を隠そう采谷選手もこのマラソンを勝っているのです。しかも選に漏れたメキシコ五輪 後に臥薪嘗胆・捲土重来 、ミュンヘン五輪に出場 を果たしました。 結果は 36 位と振るいませんでした が瀬田唐橋としては判官贔屓、エリートランナーを押しのけてつかんだ栄光と、 現役引退後も定年まで教師を続け たこと、喝采を送りたいです 。
さて、日が傾き、湖西の山々がシルエットを際立たせ始めました。今日はこの程度にして筆を置くことにします。次回は遙か昔、壬申の乱の折、被った痛みのことを綴ってみましょうか。
( 続く )
今日の一句
鯉のぼり降り込められて鼻を上げ
今日のラン
なし
今日の酒
冷酒 1 合
今日の写真は週刊文春の最新号です。私、
d マガジンの会員です。月
400
円で
200
種類以上の雑誌が読み放題。その中の
1
冊です。パソコンや
ipad
、スマホでも閲覧
OK
。暇に任せてペラペラ捲っています。なによりの利点は本屋の店頭で衝動買いをせずにすむことです。以前、男の隠れ家、一個人、サライ、日経おとなの
OFF
、
dancyu
、おとなの週末などを買っていました。今はそれがなくなりました。普段、
AERA
、
Newsweek
、週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済に目を通しています。著作権の関係でしょうか、時々、肝心の記事だけ不掲載の場合があります。残念です。えっ、で、何故文春の表紙かって?決まっているじゃないですか、ブロ友禁玉さんの家に飼われているゆう君がモデルになっているんだもの。
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