全11件 (11件中 1-11件目)
1
Monday, October 17, 2022 雨 南西の風平均風速0.9 21.2℃ 18.0℃ 午前4時起床。終日、そぼ降る雨。 午前7時半出社、午後5時過ぎ退社。 会議とミーティングに終始。書類の決裁は少なかったです。 このところ、刺身を食べていませんでした。帰りにいつものスーパーへ。鯵を物色しましたが、棚に丸鰺の残るだけ。比較的大きい3尾入りを1パック購入しました。税抜き1/2ラー弱。2尾を塩焼きに、1尾を刺身に。写真はありません。角瓶土佐鶴で流しました。 夜のお勤めをしていて、札幌在住のA先生からTELあり。御年90。葉書とともに柿が届いたとのこと。そうなんです、先生は柿が好きなんです。3年前、藻岩山の麓にある御宅を訪ねた際、今生の別れだな、そういいながら辞す私を見送ってくれました。今日の電話は、もう一度会いたいから札幌へ来い、そう言う内容でした。 A先生のことをして、Y先生のことを思い浮かべました。先月、暮らす日田市を訪ねました。その際、近々、緩和ケア病棟に入院すると聞いていました。見舞いは不要、ただし手紙は寄越せ。その笑顔が今日、ありありとなのでした。葉書を認めました。今日の一枚で都合4通目です。末期ガン、伏せる先生に差し上げる言葉はなかなか見つかりません。それでもなんとかかんとか。頂いた司馬遼太郎のムックを読んで発見が多かった、来月私的用事で上京、都合を付け竹内栖鳳展か川端康成展を覗く、先生は二人に興味有り無し如何。とりとめ無しの内容です。 葉書ついでということではありませんが、もう一人、まだ若い同僚にも一筆。彼女も同様の病気を患い、厳しい状況です。互い、それを承知なので月並みの励ましは不要。日々、悔恨と達観を繰り返しているかと。かける言葉無しとはこのことです。しかし、一方で、日々、貴女のことを思う人のいることは伝えなければなりません。平気前進して欲しい、眠れない夜はNHKのラジオ深夜便もよい、等々を認めました。彼女への葉書も5枚以上になるかな。 人間は生まれたら、何時か死にます。しかし、健康な人は、それを意識しません。無意識のうちに、今の暮らしがずっと続くことを前提なのです。これは人間の性です。それが、不治の病を患うと、死は急、有無を言わせず迫ります。その状況に置かれた人へ出す手紙は、何を書いたらいいのでしょう。励ましは空虚ですし、かといって悟りめいたことを書くのも空々しい。仕方が無いのです。ただただあなたの回りに、あなたのことをいつも思っている人のいることを書くことが支えになる、そう思い定めて、でした。今日の一首病む人に便りを記す秋の夜彼此の境は虫声にあり今日のランなし今日の酒冷酒8勺 芋焼酎ロック正味2合今日の音楽なし今日の写真は認めた葉書。私、青インクを好きなんです。ロイヤルブルー。
2022年10月17日
コメント(8)
午前4時過ぎに起きました。ユーロサッカーの決勝戦を見ました。スペイン対ドイツです。スペインの優勝でした。クローゼ、バラックとも活躍できませんでした。ドイツチームの暗さとスペインチームの明るさが勝敗を分けたのかと思わせるようなスタジアムの雰囲気でした。朝ラン8km。ちょっと足に疲労が溜まった状態です。今日の仕事は引っ越しです。内部の事情で、私のセクションが占領していたスペースを開けなければなりません。私のところは、プロジェクトが終わり、今後は商品の宣伝と幾つかの小さなイベントをこなすだけです。仕方ありません。引っ越しが終わり小さなフロアにギュウギュウ詰めの状態となりました。窓際で、なんだか悲しいです。終日、ゴミを整理したり机を運んだりして、いい汗をかきました。今週末、父が80の誕生日を迎えます。私は頓着ありませんが、妻がケーキを買って、娘息子に手紙を書かせようという算段をしました。それで今日、私はケーキの注文をしました。父用にと、酒屋で再度「獺祭」も求めました。家に帰ると、その娘から父(娘にとっては祖父)宛の封書が来ていました。開けると滂沱滂沱の文章です。自慢話をしてすみませんが、いい娘に育ちました。帰宅したら妻が寂しい顔をしています。娘から今夏は帰省しない旨のメールがあったというのです。致し方ありません。大学生の息子も帰りませんから、ダブルパンチだったようです。手紙を読んで泣くのでしょう。父が漁師さんにクツガキをもらいました。妻がこれをカキフライにしました。美味。絶品です。
2008年06月30日
コメント(8)
午前5時半起床です。昨夜の就寝は午前0時を回っていたのですが、目覚めの時は気分がよかったです。布団の上でちょっとだけストレッチし、起き上がってメールをチェックしました。その後はランです。朝の6キロ。今日もいい汗をかきました。途中目についたものを順番に挙げていきますと、天理教の教会、豆腐屋さん、某宅生け垣ベニカナメモチの花とこれに沿うように咲く花々、松壽寺の前の伸びきったタケノコ群、ニラを栽培するハウス、疎水、秩父の実、樫の若葉、小中学校の同級生Kの母、製材所に積み上げたワキ落とし、カエルの轢死体、蕪に乗った隣のおじさん。タイムを計ったら昨日より10秒よかったです。朝ランなので、スピードは出さないようにしていますが、タイムがアップしたことは、多分、ノンアルコールだからなのだと独りごちました。私の毎日の出勤は、午前7時40分に家を出て、軽トラで30分走り、会社へ到着というパターンです。モーツァルトのシンフォニー1曲分の時間です。終日デスクワークでしたが、一昨日にもらった宿題を片付けるべく、弊社の財務部門へ協議しました。話し合いの結論が出ず、これはごり押ししかないなと決めてかかっていましたが、大分の取引先が折れてくれ、すんなり解決しました。一安心です。今日は多くの人と電話で話しました。かけたりかかってきたり。50回は受話器を握りました。大げさなようですが、手帳やメモを眺めると、本当なのです。帰宅は午後10時前でした。夕飯は今日もコノシロの酢締めです。これが美味しいのです。もちろん杯は伏せたままです。夕方、ラン仲間のS氏にエメ・ル・シャットリーの抹茶チーズケーキをいただきました。ビールの代わりに深夜のティータイムです。音楽はグールドのトッカータBWV915~916です。パルティータと違う味わいです。永井荷風の続きを読みながら寝ることにします。
2008年05月08日
コメント(0)
午前5時半に起床しました。快晴です。外気温は10℃でした。冷えた感じがします。今日から10日間、忙しくなりそうです。ここに誓います。プロジェクトがうまくいくよう、17日までノンアルコール、1滴も飲まない決心です。早朝ラン、6キロ走りました。いい汗が出ます。走った後5キロの鉄アレイでちょっとだけ腕の筋肉を鍛えました。今日は小学校の近くを走りました。体育館の完成が間近です。校庭の土俵は、校舎新築の際、取り壊されていました。私がPTA役員の時、校長に乞われて父親グループで造ったものだけに、ちょっと寂しかったです。朝食は塩鮭を焼いたものと味噌汁でした。お昼は妻の作った弁当でした。仕事は終日デスクワークした。午前中、一番の取引先から役員を含め4人が来社し、弊社のボードと交渉をしました。協議と言うよりも、不始末のようなことになったことに対する弊社へのお詫びのような内容でした。同席しましたが、彼らと対等の関係にないので、言うべきことは言いましたが、折り合いはつきません。今後も紆余曲折の道が続くような気がし、実務担当者としては悩ましい限りです。帰宅は午後10時を過ぎました。遅いご飯は、昨日三枚におろしたコノシロの酢締めを握ったお寿司です。母が作ってくれました。妻は魚を使った酢の物が嫌いですが、今日のものは美味しかったのでしょう、食べたそうです。ムロアジの天麩羅もありました。これも昨日下ごしらえをしたもので、これは妻が揚げたものです。もちろんノンアルコールです。足の裏の豆は楕円形で、長径のほうが5cmほどになりました。でも痛みはなく、走りに支障はありません。ちょっと違和感があるだけです。写真を撮ってアップしようかと考えたのですが、足の裏はいけませんね。シャワーを浴びて、やっとパソコンの前です。今夜はグールドのBWV1080を聴きました。彼のオルガン演奏です。淡泊な感じがするのは私だけでしょうか。
2008年05月07日
コメント(2)
父が娘に葉書を書いてくれました。東京の西新宿に就職した彼女を励まそうという思いからでしょう。内容はわかりません。書いたことを妻が教えてくれたのです。さて、話はその葉書の投函についてです。父はこの葉書を洗濯ばさみで自宅のポストに挟みます。そうすると、やって来た配達員の方がこれを持っていってくれます。何ともありがたく、微笑ましいのです。こんなことを思っていたら、脈絡もなく母の話を思い出しました。今日、妻とコノシロをおろしていたとき、父の友人が鹿を撃った、まだ温かい足を1本もらったからこれを料理しないかというのです。嬉しかったのですが、ちょっと時間がなくて、冷蔵庫で保管して欲しいと言いました。後日の楽しみです。今日は妻が娘と息子へ送る小包の荷造りをしました。ホウレンソウを茹でたもの、蜂蜜をたっぷり使った好物の自家製ドレッシング、お菓子の類、その他小間物です。義母がウナギの蒲焼きを添えてくれたそうです。夜、グールドでバッハのトッカータを聴いていると、こんな今日一日のことがあれこれと浮かんできます。ランブルのコーヒー豆を挽いてチーズケーキとモンブランをいただきながら書いています。JBLなのですが、なかなかいい音を出してくれます。しかし、この時期は湿度が増してくるので、タンノイが一層麗しくなります。オーディオの師匠O氏は梅雨時期のタンノイは最高だと話します。今から場所を移して、明日からの仕事は忘れ、暫しバッハの世界に沈潜です。
2008年05月06日
コメント(5)
午前5時に起床しました。今日は晴れたり曇ったりの天気でした。最近、朝走ることが多いのですが、今日はやめにしました。コーヒーを煎れ、オイストラフのブラームス、ヴァイオリンコンチェルトを聴きました。あなたと初めて行ったコンサートは、五反田のユーポートでしたね。ギトリスと読響でした。チャイコのコンチェルトがよかったのを思い出しました。朝ご飯を食べた後はモーリス・アンドレを聴きました。アルビノーニのアダージョをペットで演奏するのもいいです。午前10時過ぎから、家の周囲の草を刈りました。草刈り機の調子は上々です。小6の甥がバットの素振りをしていました。口を出したくなってちょっと指導しました。あなたは知っていますよね、私が学生時代、野球部だったことを。あなたも会ったことのあるHという北広島高校出身のスラッガー。私は彼と無二の親友になり、彼から野球の奥深さを学びました。ということで、学生野球のレベルを知っていると、少年を指導しやすいと思います。甥は賢く、飲み込みが早いので、私も嬉しいです。草刈り機を止め、甥の指導がてら、文佳人の四合瓶を父と兄にそれぞれ一本ずつあげました。兄からのおつりは身欠きニシンでした。お昼を食べて、テレビでトライアスロン宮古島大会を見ました。凄かったです。日曜日、レース会場でU氏に自転車を勧められたことを思い出しました。その時はトライアスロンもいいかなと考えたのですが、実際のレースを見ると、挑戦するのはちょっと怖いです。夕方、一時間走をしました。走った距離はわかりませんが、キロ5分~5分30秒のペース換算で11kmは走ったと思います。右足にも豆ができましたが、潰れないので、まぁいいかと思い、放っておきます。今日のコースは総合運動公園から樫野方面に抜けるトンネルをくぐりました。トラックが近づいてくると、とても恐ろしかったです。歩道がありますが、恐怖感は拭えません。もうここは走らないことにします。堅田のあたりを走っている途中、麦畑がありました。実っています。穂がとても美しいです。走った後、プールで600m泳ぎました。内耳に水が入って痛かったです。帰ってビールを飲みました。3連チャンです。サントリーのプレミアムという少し高いビールです。その後、ボルドーの赤を抜栓しました。家にはセラーがないので赤ワインは夏までに飲んでしまおうと思っています。それではまた。
2008年04月29日
コメント(2)
午前5時に起きました。ちょっと薄曇りの天気でした。左足の裏に直径2センチほどの水マメができていましたが、朝間に5km走りました。膝もふくらはぎも大丈夫でした。終日デスクワークでした。仕事中、体が軽く、とても気分がよかったです。職場を後にしたのは午後9時でした。ミーティングの多い一日でした。昨日心配した別府の件は、無事解決しました。明日は休みです。普段、ウイークデーは飲まないようにしていますが、今日は別です。土佐の「文佳人」を開けました。当ては天麩羅です。ゴボウ天、玉葱天、鯵天。特に、母がまだ小さい芽が出たばかりのゴボウを間引き、それを妻が揚げてくれましたが、これが絶品でした。
2008年04月28日
コメント(0)
今朝は4時過ぎに床を離れました。中天に半月が浮かんでいる、まだ未明の時間です。外に人気はなく、かといって恐ろしさを感じさせるような闇でもなく、とても落ちつきます。外気温は8℃、家の中に残っていた薪を使い切ってしまうというこじつけの理由を勝手に仕立て、今朝も火を入れました。朝食は鯵の丸干しと味噌汁でした。チョコレートも食べました。今日はレースでした。15.7kmの部に出ました。タイムは1時間11分でした。5kmまで1キロあたり4分30秒前後前後でした。このペースは私にとっては速すぎました。スタートは午前10時20分でした。気温が上がり、主催者の発表では24℃とのことで、前半で既にたっぷり汗をかきました。途中、どの給水ポイントでも水を飲みましたが、息せき切っているため、なかなか飲めません。日差しが強く、キャップを被っていてよかったです。行きは太陽を背に、帰りは太陽を見ての走りだったので、前後にかぶり直しましたが、これがよかったです。ダメージを抑えることが出来ました。上半身はノースリーブのユニホームだったので、肩のあたりを日焼けしました。8キロ過ぎの折り返し点からはとても厳しい戦いになりました。いっぱいにはなりませんでしたが、それに近い状態でもがきました。最後の2キロは腕を振るよう心がけたり、呼吸のリズムを変えたりし、何とかしようとあれこれ試みましたが、スピードを上げることはできませんでした。このレースは九州屈指の清流番匠川沿いを走ります。右岸を河口から上流へ向かい、また下ってくる堤防コースです。ほぼフラットですが、風が強かったです。参加した人は800人と聞きましたが、地元の人は1割いなかったのではないでしょうか。少ないなと思いましたが、よくよく考えると、地元のランナーは大会の運営に携わっていたのです。走らずに裏方としてレースを支えてくれていたのです。私は走ることばかり考えていましたが、地元で開催される大会には裏方として関係すべきなのかもしれません。大会の記念品はTシャツでした。私の町にある大きな海藻加工会社「山忠」が作る「ヒジキふりかけ」、「白和えの素」も参加賞として袋に入っていました。これは絶品で、妻が喜びました。そうそう、釣りバカ日誌19のシールもありました。私の町がこの映画の舞台になるのです。この連休明けから地元ロケが始まるというのです。この映画は見たことありませんが、ハマちゃん、スーさんの名前くらいは知っています。今日は妻と義母が応援に来てくれました。走る姿を撮ってもらいました。午後1時前に帰宅すると、東京の取引先から電話がありました。別府で進行中の契約に不備があるかもしれないという内容です。困りました。別府に向かおうと思いましたが、日曜日なので別府側の責任者は休みだそうです。今日、別府での交渉の場をセッティングするかどうかについて、連絡待ちの状態になりました。午後は町の居酒屋でレースに出た仲間たちと打ち上げをする予定でしたが、ビールはお預けです。3時間後に、今日の交渉はなしとの連絡がありました。遅れての出撃です。妻に居酒屋へ送ってもらいましたが、皆はもう出来上がっていました。駆けつけ3杯ということばがありますが、ジョッキ3杯のビールをあっという間に飲み干しました。打ち上げの会は午後5時に散会となりましたが、S氏が私のためにもう1軒付き合ってくれました。「つねさん」を覗きましたが、休みでした。「炙り屋」という店に初めて入りました。日向地鶏の刺身が美味しかったです。イタリアのワインを抜栓してもらいました。ベリーの酸味とフレッシュさが染み入ります。今日のような陽気だと、ボルドーのフルボディーはちょっと、という気分になりますが、これならいいです。勢いでシャルドネも開けました。マスターがワインだけではなく日本酒もあるよ、ビールの管理にも気を使っているよ、というので、これらも試しました。「獺祭」があり、これを飲みましたが、さすが獺祭でした。ビールはクリーミーでこれまたいいです。今日のレースを振り返りながら、S氏と一献傾ける時間は至福でした。S氏はいい時計を持っていました。ラップタイムを記憶できる優れものです。7千円したそうです。私はストップウォッチ機能だけがついた498円のものを使っています。欲しくなりました。帰宅は午後8時前でした。妻の迎えで帰りました。今日はいろんな人に会いました。U氏。彼はトライアスロンをする人です。今日は自転車にのってレースを先導しました。スタートの前、自転車の蘊蓄についていろいろと教えてもらいました。自転車の世界も魅力的です。K氏。このレースのキーパーソン。20年間、運営に携わる事務局長です。高校生の時、有名な宗兄弟と都大路で襷をつないだ人です。今日のレースに関係して、国土交通省と交渉し、堤防の一部に新たな取り付けの道を整備したのも彼のなせる業らしいです。H氏。大会の表彰部門の責任者です。私より2つ年上、中学の先輩です。彼は駒沢大学に進んだあと地元で家業を次いでいます。若い時分に別大マラソンを走り、2時間20分台の記録を持つ人です。N氏。H氏と同級生、この人も中学の先輩です。竹田のハーフマラソンでは入賞をねらえるくらいの実力者です。Y氏。水泳のコーチです。58歳かな。息子が世話になった方です。フルマラソンを走る人です。同じレースを走ったのは今日が初めてでした。N氏。全国紙の記者です。顔中、髭もじゃで、自称上条恒彦の弟らしいです。似ています。ホノルルや東南アジアの大会に出かけるそうです。
2008年04月27日
コメント(0)
一昨日の夜、ほろ酔い気分で注文した酒が届きました。高知、土佐山田のアリサワが銘酒「文佳人」です。純米原酒とあります。昨年末以来、私は高知の地酒にはまっています。亀泉と美丈夫、酔鯨が美味しいと思いますが、中でも出色がこの文佳人です。芳醇ですがIさんオススメ、佐賀の能古見(のごみ)のようなトロリ感がなく、その分上品に仕上がっているような気がします。能古見はこれはこれでいいのですが。Iさんの名前が出ました。彼のことは知りませんよね。私がこの町に帰り、20年も経ってから知り合った人です。1年間だけの短い付き合いでしたが、毎日のように会っては酒を飲んでいました。家族ぐるみの交際もしました。奥さんから馳走になったサヨリのフライが美味しかったです。彼は山の作業を気に入り、親方と一緒に地下足袋を履きました。(あなたは親方のことも初耳でしょう。彼のことはまた別の機会に説明しますね。)Iさんの職業は全国紙の記者でした。佐賀に転勤し、そこで退職しました。一度、妻と一緒に有田の陶器市へ行ったとき、泊めてもらいました。気さくでとても話し好きなおじさんでした。彼を通じ、型絵染の芸術家の知遇を得ました。Iさんの世間話には人を惹き付ける魅力があり、あなたもきっと引き込まれると思います。いや、反対かな。今井美樹に似たあなたの容姿と知性に、Iさんの方が惹かれるかもしれません。もう縁のなかったことだかから今更詮無きことだけれど、それはもう言わない約束ですね。Iさんは本当に面白く魅力的なのです。さて、この手紙の書き出しは文佳人の話でした。今日届いたのは1升瓶が2本と4合瓶が5本。お店の担当者Fさんが「文佳人リーズル」という純米吟醸の試供品をオマケに添えてくれました。リーズルとはフランス語で「精読者」の意味だそうです。チボーテが文学を深く味わう読書人をリーズルと称したことに依るそうです。この酒を飲むと、わたしもリーズルになることができるかなと思います。私はトイレの中に本を持ち込みます。台を置いて、その上に数冊重ねています。しかし、小説を持ち込んでも、拾い読みしかできず、なかなか進みません。いつまでもこんなことをしていると、リーズルになんかとてもなれませんね。今日は運動をしませんでした。明日のレースに備えて休養です。甘いものをたくさん食べるよう心がけました。これも長い距離を走るための準備です。午前中、お酒とは別に、宅急便でもう一品が届きました。10枚組で2千円足らずの廉価版です。早速開封し聴いてみました。1枚目はルビンシュタインのショパン、2枚目はグルダでベートーベンのコンチェルト4番です。何れもライブです。ルビンシュタインの演奏は奔放で力強いです。ベートーベンの4番は、今日の天気のような春の爽やかさを感じさせるだけに、これはこれでとてもいい演奏でした。昼ご飯は、妻が焼いてくれたピザです。白ワインと合わせたかったのですが、午後、出かける用事があったので、そういうわけにはいきません。食後、龍之介の全集を手に取り、2時間ほど没頭しました。「手巾(ハンカチ)」はいい小説でした。その後、妻が親方へ頼みたいことがあるというので、ついていきました。途中、トキハでパンやシュークリームを土産に買いました。親方はユンボを運転していましたが、作業を中断して話を聞いてくれました。パンもその場で二つぱくりと食べました。依頼したのは、親方が組合長をしている生産森林組合の、全伐した山にドングリの木を植えさせて欲しいというもの。快く引き受けてくれました。パンが美味しかったからでしょうか。その後、山で1ヶ月迷子になっていたという雌犬を見に行きました。保健所に保護され、安楽死させられるというのを親方が引き取ったという因縁浅からぬ関係にあるそうです。とても可愛く、人なつっこい犬でした。親方の家を後にし、ドングリを植える予定の山に入りました。場所も決まって、めでたしです。妻を送り、私は一人、床屋へ行きました。さっぱりしました。マスターに贅肉のついていない体だと言われ、皮膚も若いとほめられました。嬉しかったです。それから少し仕事をしました。取引先の依頼を整えるため、10人あまりの人と会いました。このうち、何人かは古い知り合いでした。好意的に受け止めてもらえたような気がします。うまくいくといいのですが。帰宅は午後7時を過ぎました。誰かが父の家に青鰺を持ってきてくれたようで、そのおこぼれを妻が刺身にしていました。数が沢山あったので、私も手伝いました。天麩羅にもしようということになって、今日のメニューは豪華でした。こうなればレースを控える身であっても飲まないわけにはいきません。文佳人を開けました。それではお休みなさい。
2008年04月26日
コメント(0)
今朝は特別早く起きました。午前3時過ぎには目が覚めていました。床を離れたのは午前4時頃です。エアコンの室内機中央に表示される外気温は6℃でした。パジャマ一枚しか身にまとっていないので寒さを感じ、今日もストーブを焚きました。カーテンを開けると下弦の月が丁度南中の位置にあり、梅林を煌々と照らしていました。スターデジオの484チャンネルに合わせ、バッハの827を聴きながら薬罐の沸くのを待つ時間がいいのです。コーヒーを挽き、湯をちょっとだけかけると、ドリップの中の豆がふんわりと膨らんできます。立ち上る匂いとシフのタッチに、日々の仕事、雑事のことを忘れ去ることができます。今朝の朝日新聞に宗谷岬のことが書かれてありました。ダ・カーポの歌う「宗谷岬」のことです。船村徹氏の曲とは知りませんでした。宗谷岬には、東京に就職する前、まだ学生だった頃の思い出があります。あなたを知る前のことです。記事にも書いてありますが、稚内港西側岸壁の特徴のある形が、樺太へ向かう船の桟橋だったということを聞いたことです。昔の記憶ですから定かではありませんが、パイプを縦方向に四分の三カットしたような形で、外側を北西方向に向けています。季節風や潮の飛沫を避けるためなのでしょう。船山馨や三浦綾子の小説をたくさん読んでいれば、この桟橋を眺めて深い思いを巡らすこともできたのでしょうが、私にはただ珍しいものがあるなというふうな記憶しかありません。むしろ、東の海岸線を北上したところにある宗谷岬が日本最北端であることのほうが旅情を引き立ててくれました。今になって思うのですが、「てふてふが韃靼海峡をわたっていった」という短歌の意味がわかったような気がします。(思い出があると書きながら、つまらない記憶ばかり書いていますね。)さて、その宗谷岬の思い出のことです。いや、宗谷岬という地名から連想する北海道北部の記憶といった方がいいかも知れません。その時、稚内へ行った目的は、そこから出港する練習船北星丸に乗船するためです。大学3年の夏でした。まだ急行列車の走っていた時分です。夜行列車に乗りましたが、音威子府あたりから夜が白み始めるという時間帯で、最果ての町へもそこから少しの時間で着きました。友とレンタカーを借り宗谷岬へ行きましたが、稚内からそこまでの道のりは緑の草に覆われた丘陵が続いていました。スコットランドの風景をテレビや写真集でしか見たことがありませんが、とても似ているなと思いました。一度町へ帰り、土産物屋を兼ねた食堂に寄り、昼食をとりました。乗船時刻は夕方でした。船に乗り込むとすぐに出港です。学生70人あまりが乗船実習をします。約2週間、オホーツク海沿岸で海に下ったばかりの鮭の稚魚をサンプリングしたり、ナンゼン採水器で深層水を汲んだり。プランクトンネットも曳きました。当時、何千万円もしたDSLというセンサーを扱ったりもしました。いけませんね、思いつくままに当時のことを書き連ねてばかりで。知床沖の実習のことはまた別の機会に手紙を書くとして、宗谷岬、稚内港の思い出、それはアザラシなのです。港を出てすぐ、本船がまだ防波堤をかわすかかわさないくらいのところにアザラシがぷかりぷかりと浮いているのです。模様が体にあったかどうかの記憶はありませんが、体は小さかったのでゼニガタアザラシだったのかもしれません。私は南の海しか知りませんでしたから、海にこのような哺乳類の棲んでいることにとても驚きました。南国から北海道にやって来て、冬、雪の積もるのを見た驚きに優るものでした。イルカなら魚の形をしていますし、水族館で顔を上げたとき僅かに表情を窺うことができるか否かという程度ですが、アザラシは人間に似た顔をして、目が合おうものなら意志というか感情のようなものが読み取れそうで、そんな動物がすぐそこの海の中にいるということが、異国としての北海道を一番感じたシーンなのです。あなたはこのとき、理科大の2年生だったのですね。東京でどのような学生生活を送っていたのかな。それではまた。
2008年04月26日
コメント(0)
(今日からしばらく、日記はCへ宛てた手紙文になります)今日は午前5時過ぎに起きました。何時の起床が早起きというのかわかりませんが、毎朝、早起きをしています。魚河岸時代のことを覚えていますか。その頃は午前2時起床でした。今朝は冷えました。外気温は6℃した。迷わず薪ストーブに火を入れました。なぜか火を眺めていると、ふとあなたの顔が浮かび、そうだ、今日から毎日、あなたに手紙を書こうと思いついたのです。そうなるともういけません。昔のことが走馬燈のように蘇ります。しかし、まあそれらのことはそれとして、なぜか急に今の私の過ごし方などをあなたに知って欲しく、このような形式をとることにした次第です。私は走り、泳いでいます。昔はスリムでしたが、30台後半から太り始め、90キロ近くまでいきました。太っちょになっていたのです。このため運動を始めました。今は80キロ。あなたの視線に耐えられる背格好だと思います。ということで今朝も5キロばかり走って汗をかきました。後半の2キロはスピード練習でした。途中、熟年の夫婦が散歩をしているのに出会いました。挨拶をしましたが、清々しい気分です。而して私の妻は、この時間、まだ夢の中です。朝食はパンとコーヒーでした。ランブルの豆を挽くと、とても美味しいのです。ランブルとは私の町の喫茶店です。かつてあなたと行ったことのある銀座ソニービル近くのランブルではなく、8丁目の方のランブルと関係がある店です。ここで豆を買うのです。今日もいい天気でした。朝間はデスクワークでした。昼前、会社の車を運転して、別府へ向かいました。道中の所要時間は1時間半でした。高速道路を走ると、国道10号線を行くよりも1時間の時間が短縮されます。軽乗用車だったので、料金も節約できました。別府の取引業者を訪ね、8人で会議をしました。弊社のプロジェクトに理解を頂き、現時点では満足のいく結果になりました。ありがたいことです。別府を後にしたのは午後5時でした。午後7時前に帰社し、ちょっと残務整理をして、午後8時からは私が組合長をする生産森林組合の総会がありました。ギリギリ間に合い、組合員のみなさんに迷惑をかけなくて済みました。会議の冒頭、木材価格は低迷しているけれど、森林が地区の水源として大きな役割を果たしていることを話し、これからも共有林を守ろうというような挨拶をしました。議事の中では役員報酬の引き下げを提案し、承認を頂きました。役員の仕事の中身は大したものではないので、理事の誰にも異存はありませんでした。おっと、こんなことを書いてもあなたには興味のないことですよね。帰宅は午後9時を回りました。この時間になると、プールは閉まります。ということで今日の運動は5キロを走っただけでした。私は、明後日、15キロ強のレースに出ます。そのため、今日と明日はレースを休もうと思っていたので、この日のこの距離が特に少ないとは思っていません。酒を控えました。酒と言えばあなたとピルゼンやニュー東京、エスコフィエに行き、鳥銀にも通いましたね。昔はよく飲みましたが、今、酒量は落ちました。手紙を書いている今は深夜です。いつもはクラシックですが、今夜はMIKE DEL FERRO を流しています。ノンアルコールでこんな曲を聴くのは、タバスコをかけないピザのようなものでもの足りませんが、先に書いたようにレースを控える身なので仕方ありません。本当に久しぶりの手紙でしたが、結局とりとめのない内容になりました。それではまた。お休みなさい。
2008年04月25日
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1