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1998.12.09
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カテゴリ: 近代文学

昭和文壇側面史(著者:浅見淵|出版社:講談社文芸文庫)


 文壇の「側面史」とは何かというと、文壇に登場した人物がどういう人物か、どんなエピソードがあるか、ということのようだ。
 昭和の初めから昭和42年まで、著者がどういう人とつきあってきたか、どんなことを経験したかということを回想している。文壇にも派閥があり普通の感情を持った人たちが小説を書いているわけだが、作家がどういう人なのかはわかっても、書いた作品の価値がどういうところにあるのかについてはほとんど触れていないのがかえって面白い。
 なにしろ、書かれたのがだいぶ前なので、「プレイ・ボーイ的作品でいま売り出し中の野坂昭如」(p360)などと書いてあって驚かされる。
 ただ、文章はわかりにくいところがあり、どの語を修飾しているのか判断に迷うようなものもある。例えば、「のち北京で客死した太宰治の東大時代の同期生」(p213)など、太宰は北京で客死したのではない、ということを知らなければ誤解しかねない。
 また「瞥見」ということばが好きらしく、特に前半には頻繁に出てくる。「ぼくは文学部の事務所で、小宮山君が製本した三百枚の卒業論文をはやばやと提出しているところをたまたま瞥見し、ぼくはまだ一枚も手をつけていなかったので圧倒感を覚えたものだった。」(p95)という具合。
 副題として「回想の文学」とあるが、これはどういう意味なのだろう。内容は文人の回想ではあっても文学の回想ではない。回想を文学として書いたもの、という意味なのだろうか。それらしい気負いは感じられず、思い出話のように思えるのだが。解説にある初版の写真を見ると、「回想の文学」などという文字はないので、文庫化に際して編集部で勝手に入れたものと思われる。どういう意図で入れたのか全くわからない。





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Last updated  2005.04.01 20:42:25
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