「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2011.04.04
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カテゴリ: モンテネグロ
「モンテネグロの歴史」を記しましたが、次は【世界遺産】コトル地方の歴史的建造物と自然・・・についても辞書ウィキペディアさまにお世話になりました。これもただの記録として、手短に♪

コトル

英語:Kotor

セルビア語・クロアチア語:Котор Kotor

イタリア語:Cattaro

ラテン語:AcruviumKotor / Croatian

コトルは、モンテネグロの都市である。人口19,000人。

           コトルにて・・・・・・・2010年12月12日(日)午後
CIMG3631.jpg


歴史

コトルが最初に言及されるのは、

紀元前168年である。

古代ローマ期を通してローマの属州であり、

AcruviumやAscriviumまたはAscruviumとして知られた。

中世初期より強化が続き、

535年のユスティニアヌス1世の時代に、

Ascriviumの上に要塞都市として建築された。

後にゴート族を退けている。

おそらく10世紀にコンスタンティノス7世により

第2都市が周辺の高地に建設されたことがLower Cattaroよりうかがえる。

810年にサラセン人の略奪にあっている。

1002年、街は第一次ブルガリア帝国の占領下で苦しみ、

翌年、ブルガリア皇帝(ツァーリ)サムイルにより、セルビアに割譲された。

・・・・・辞書には、ここまでしか書いてありません!書き掛けです!あかんがな~駄目です

「モンテネグロの歴史」をぽちよろしく!

【世界遺産】コトル地方の歴史的建造物と自然

英名 Natural and Culturo-Historical Region of Kotor

仏名 Contr?e naturelle et culturo-historique de Kotor

登録区分 文化遺産

登録基準 文化遺産(1),(2),(3),(4)

登録年 1979年

拡張年 2003年

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。


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最終更新日  2011.04.04 15:24:07
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