「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2020.04.12
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​​​​​​​さぁさぁ〜やっと、天井のない美術館♪ブルージュ旧市街地『ヤン・ファン・エイク広場』に到着しました2019年4月訪問。友人との気ままな2人旅です手書きハート


​きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(122回)​


​ブルージュ『ヤン・ファン・エイク広場』​

​Jan van Eyckplein『ヤン・ファン・エイク広場』​



ヤン・ファン・エイクに・・・やっと会えました



何しろブルージュの駅から歩いて1日かけての到着。



感動ですおっと・・・



この人は、誰って



​ヤン・ファン・エイク・・・とは?​

​Jan Van Eyck​


1390年頃〜1441年7月9日


初期フランドル派の画家


神の手を持つ男と言われた卓越した技量を持つ画家。

これが神の手です。右手に絵筆。左肩から絵画を下げています。


かつては、ブルージュの港であった運河沿いの


ここ『ヤン・ファン・エイク広場』に立っております手書きハート


ヤン・ファン・エイクは・・・


ベルギーの古都『ブルージュ』で15世紀に活躍。


ネーデルランド絵画の創始者であります



ヤン・ファン・エイクの修行時代の事は・・・不明の点が多いのですが


ヤン・ファン・エイクは・・・


それまで行われていた油彩画法を改良し


乾性油と樹脂、薄め液を用いて


細密な描写と鮮やかな着彩法を確立しました。


​ブルージュ『グルーニング美術館』にて​

​『ヴァン・デル・バーレの聖母子』1434年〜1436年頃​


ヴァン・デル・バーレとは、依頼主の名前で


この作品の中にも、ちゃっかり・・・白い衣を着た方です


遠近法によって巧みに描かれた空間構成


中央の聖母子と聖人たちの人物や衣装と


聖母の足元の絨毯の細密描写は、


今でも色褪せず光り輝いていました。



ヤン・ファン・エイクは・・・


ルネサンスにも劣らない革新をもたらした。


1422年から


「ホラント伯ヨハン・フォン・バイエルン」の宮殿画家として活躍


1425年以降は、「ブルゴーニュ公フィリップ善良公」の従者兼宮殿画家となり


ポルトガル、スペイン、などを旅行。


終生フィリップ公のお気に入り画家として破格の扱いとなった。



ヤン・ファン・エイクは・・・


1390年頃の生まれで


マースエイクの出身だと考えられる?


その記録の最初は、


「バイエルン公ヨハン3世」の宮殿の記録からであるが


それ以前にファン・エイクは、すでに工房を持って親方であった。


1420年頃、ブルージュへ移住したのであります。



ヤン・ファン・エイクの兄は・・・


フーベルト・ファン・エイクで


ヤンと同じくらいに優れた画家であったそうですが


『ヘントの祭壇画』は、兄の構想でありました。


​ゲント『ヘントの祭壇画』シント・バーフ大聖堂​にて


兄のフーベルトの死後・・・


弟エイクが制作を引き継いで完成させました。


長い修復作業が終わり公開された『神秘の子羊』は撮影禁止でしたので



これは、前回の訪問時(修復前の画像)です。


神秘の子羊(中央)は・・・イエス・キリスト


神秘の子羊=子羊の礼拝を描いています。



​​​​​​​​ヤン・ファン・エイク・・・ざっくり記憶していただけましたかウィンク


私たちは、2019年4月、1年前に『ヤン・ファン・エイク広場』に到着


美術館マニアとしての旅も、ここが最終目的地であります。


・・・つづく・・・

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最終更新日  2020.04.12 00:10:08
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