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2026.05.09
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アニメ『アン・シャーリー』及び『アンの愛情』翻訳比較(妹の記事)を受けて思うこと徒然(姉編)

『アンの愛情』について、妹が​ 渾身の翻訳者毎の比較記事 ​を書いてくれました。私もいろんな発見があって楽しかったです!
昨年2025年のアニメ『アン・シャーリー』や、妹の記事を読んで、私個人として感じていることの備忘記事です。

*以下、いち読者(エンタメ好き・少女漫画好き・にわか)の勝手な見解です。
妹の記事でも前提としていますが、私たちは村岡訳を約1年前に読み始め、アンシリーズにはまり込んだ勢です。村岡訳で読み取った筋道に大感動してアンシリーズの大ファンなっているので、基本的には村岡訳がオリジナル且つ“是”という認識で話します。



妹の記事で『アンの愛情』の翻訳版を比較検証して、 基本的に村岡訳の大筋/ニュアンスは、後続の訳本には踏襲されていなかったこと が分かりました。
…なんとなく、そうなのかな?と漠然とは感じていましたが、いざあれだけ訳本を集めた上でまじまじと目の当たりにすると、正直なところ 『信じられん。マジかよ。』 という感想でした。


アニメ『アン・シャーリー』放送時、特に第1話の放送時に、Xなどですごい叩いている人たちが居たのは傍目に目に入ってた んです。とにかくそこでびっくりしたのが、 あのアニメの企画・体裁を見て、“何をやろうとしているアニメ企画なのか”を理解できない人の多さ でした。

え…何が分からないの???
見るからに、“ラブストーリーとしてのアンシリーズの映像化”をやりたい企画に決まってるじゃん。“赤毛のアン・青春・愛情の3部作を描く”って最初から言ってるし、キャラクターデザインもラブストーリーやる気満々の少女漫画調でデザインしてあるじゃん。

『“原作”と違う!!』と言ってる自称有識者っぽい語り口の人たちが、明らかに“原作”を読んでいなかったり(あるいはうろ覚えの状態で)、79年の世界名作劇場の『赤毛のアン』と比較することしか言ってないんですね。

…いや、だからアニメのタイトルから違うじゃん。『赤毛のアン』じゃなくて『アン・シャーリー』と銘打って、青春・愛情まで3部作をやるって最初から言って…
あれ?文句言ってる人たちって、 ひょっとして79年の高畑監督アニメのことを“原作”って言ってるのか?
もちろん高畑勲監督のアニメは、カナダの空気感・生活感のリアリティを最重視した作りで、「アルプスの少女ハイジ」の流れを汲んだ“世界名作劇場”のアニメーション企画として、まるでプリンスエドワード島に暮らしているかのような体験ができる、素晴らしい傑作だと思っています。
ただ、ラブストーリー軸への意識は希薄…というか、やはり『赤毛のアン』までを念頭に置いた作品ですし、その後のアンちゃん&ギルバート像には繋がりづらいキャラクター造形だと思っています。後々の展開を考慮していれば、アンちゃんはもっと“女神”感・“守ってあげたくなる”感が重要というか、青年期以降のギルバートのハイテンションに繋がる説得力が必要だと思うので。

…たぶん、高畑版アニメを“原作”だと思っている人たちは、本当の“原作”では主人公のアンちゃんが、最終的に”ギルバート&子供たちに人生を捧げる、愛と家庭に生きる女性”になる…とは思ってなさ気だったんですよ。高畑版アニメだけでは、そんな風に見えないから。

そもそも、アンシリーズが“ラブストーリー”であり、“カップル萌えの大ヒット小説”であるという共通認識感が見受けられないんです。

…衝撃でした
原作を読めば一発で分かりますが、 アンシリーズは、キャラクター性が爆発した&とんでもカップル人気で一世風靡した “ザ・元祖少女漫画!萌え&ラブストーリーの殿堂作品!!” …以外の何物でもないじゃん???

『アンの愛情』なんて、超繊細且つ殴り合い上等!の超強烈なラブ(バトル)ストーリーじゃん!!
これまで、ヒーローとヒロインが繰り広げるラブバトル作品は星の数ほど鑑賞してきましたが、お互い本気で殺し合うところまでやり合った奴らは初めて見たぜ…。
このヒーローは衝撃的だよ…ヒロインと結婚できなくて“死ぬほど辛そうな奴”は他作品でもたくさん見てきたが、本当に死にかけた奴は初めて見たぜ…!
婚約後&結婚後の引くほど激甘ラブラブ夫婦っぷりも含め、“元祖”はやっぱマジで殺傷能力(萌えパワー)がッパネェなっっ!!!
それと、クライマックスの『黙示録』…とかオシャレ過ぎない!!?>< 日本人には馴染みがないけど、だからこそ思わず辞書で調べちゃう!そこで『世界終末』の意味合いを見て大興奮するやつだよ!

…と、妹と2人で大いに盛り上がって、原作のアンシリーズ&アニメ『アン・シャーリー』感想を当ブログに投下しまくって楽しんでました。


…で、だんだん途中で気づき始めるんですが、
あれ?私たち以外に、あんまり『アンの愛情』をトラウマ軸で語ってる人が…居ない??
えっ…だって、可哀想な生い立ちor不安定な家庭環境で育ったヒロインが、ヒーローの熱烈ラブコールを怖がって逃げたくるお話なんて、少女漫画のそこかしこにいっっっくらでもあるわけで(※)…『アンの愛情』の作りはどう見てもそれと一緒じゃん!!

※『アンの愛情』を読んで、特に 聖千秋先生の『いつも上天気』 (集英社・マーガレットコミックス) にすごくよく似てるな~、と思いました。両親の不仲故、父親が常に家に居らず、“男運のない(男を不幸にする)家系”という自己認識(トラウマ)を持つ女の子と、彼女に幼い頃から恋するバイオリン弾きの美形青年のお話です。もしかしたら本作は『果樹園のセレナーデ』や『アンの愛情』のオマージュ的な作品だったのかな?とすら感じました。

確かにトラウマ軸について、『アンの愛情』の作中の言葉でははっきり説明してないけど、 私たちは少女漫画を嗜むノリですっごい普通に読んだんですよ…。 そもそも“日本語版オリジナル”である村岡花子さん訳が、その軸に沿ったニュアンス/テンションまでしっかり日本語で再現して、『アンの愛情』と銘打って分かりやすくまとめてくれているわけで…。

トラウマ軸を捉えてなければ、後日談である『アンの夢の家』や『炉辺荘のアン』が何を描いてるかも捉えられないじゃん!
…アンちゃんにとって、出産がどれほどハードルの高いことか、だけどそれを超えた先に、両親はたどり着くことが出来なかった&自分自身は幼少期に享受できなかった“子どもたちが愛情いっぱいの中で育つ、愛ある大家族”があったわけで。
…一体どこに何の悩みどころがあるんだ。

ただ、妹の集めた『アンの愛情』の後続翻訳本を読んで…あとがき等を読んで、正直なところ、絶句しました。 “英語力”でも“読解力”でもなくて…あまりにも “エンタメ観点・少女漫画観点・心情を前提に据えたエピソード構築観点”が欠如 している。

特に最近の訳本に関しては、 細かいところの文化的・文学的背景の研究に走り過ぎて、“いちエンタメ作品”“いち萌え作品”…いち物語として、しっかりきっちり必要な情報を、必要なニュアンス・濃度・バランスで受け手に落とし込むという、本来エンタメ作品のあるべき形を横に追いやっており、あまりにもバランスが悪い。

2026年現在、本屋さんに並んでいる文庫本(完訳)として手に入るのは、おそらく下記の3冊です。
・新潮文庫版 アンの愛情(村岡花子訳)
・文春文庫版 アンの愛情(松本侑子訳)
・角川文庫版 アンの初恋(河合祥一郎訳)
このうち、松本訳・河合訳は2000年代に入ってからの、第3次翻訳期のものと受け取っています。
※第1次:50年代の村岡訳~、第2次:90年代の掛川訳~、第3次:00年代の松本訳~という感じかな?と思っています。

特に、松本訳本・河合訳本に共通した印象としては、 “高尚な文学作品だ”と言いた過ぎて、延々と引用・パロディ部分の話をしている、 ということ。
もちろん、モンゴメリさんが聖書や英米文学作品等々から数々の引用をしていることは間違いなく、その内容を理解できただけ、楽しい。これは間違いのない楽しみ方だと思います。
ただ、これらはあくまで、“物語の本筋には大きく影響しない、リップサービス”というか、気づける読者だけが楽しめばよい要素だと思っています。

例えば、戦後~現代にかけての日本産エンタメ作品において、キャラクター同士の軽い会話の中で“きびだんご”というフレーズが登場したとして、100年後の欧米の方には伝わらないので、下記の説明をしているようなイメージです。
◇きびだんごとは…岡山のお菓子・吉備団子や北海道の駄菓子を指すもの。日本で広く一般に認知されている童話・桃太郎の中で、主人公の桃太郎が犬・猿・雉を仲間(家来)にする際にきびだんごを与える描写があり、転じて仲間を得る際に渡す対価といった意味合いを持つ。

確かに、これらパロディ要素の意味が分かれば、キャラクター達をより身近に感じられる…キャラクターたちの会話がより活き活きとして聞こえてくると思いますし、当時の人々の価値観もより落ちて来て面白い。
この観点の楽しみ方を否定するつもりは全くないのですが、ですが…やっぱり これらはあくまで“おまけ”としてのパロディ要素であって、物語の本質ではない と思っています。知らなくても、会話の流れでなんとなくの雰囲気はつかめたり、あるいは物語本筋にはかかわらないので、読み飛ばしても大きな支障はない雑学です。

アンシリーズのリアルタイム読者は、アンシリーズが“たくさんの文学作品を引用しているから”熱狂していたわけではないはずです。
いちエンタメ作品として、プリンスエドワード島の豊かな自然描写と田舎生活への憧れ、そしていち少女の心情がこれまで観たことがない次元でイキイキと繊細に描かれる…
引き取られた先で養父・養母に愛され、生まれて初めて“自分の家”で暮らすことができる幸せを感じ、唯一無二の腹心の親友を得て、そして作品出だしではライバル関係だった男の子…ギルバートというスーパー一途なヒーローが彼女を女神と崇め奉り始める…
爆萌えラブストーリー展開!萌えキュン♡萌え萌え♡♡ に大いに心躍らせていたはずなんです。

いいんだ…パロディ部分について、細かいところについていっくらでも語るのは…全然いいんだ!
ただ、 本質…エンタメ&少女漫画観点はちゃんと前提に据えて欲しい!
アンシリーズが、“エンタメ作品として、ラブストーリーとして、どれだけ高尚な作り込みがしてあるのか”…
モンゴメリさんがアンシリーズ執筆時におそらく一番念頭に据えていた“読者の期待に応える(受け狙い)
”制作意図 も含め、“萌えの元祖”の破壊力について、語りつくす方が先だと思うんだ!!



以下、 河合祥一郎さん訳のつばさ文庫のあとがき について、それぞれ思うことを列記します。
※下記、河合さんの文章に私の言及したいことが全部詰め込まれていたため使用してますが、河合さんのみならず、基本的には90年代以降の翻訳者様たちの全員…でもないですが、 エンタメ観点を軽視して、アンシリーズを“高尚・難解なものにしよう”という全体的な風潮 に対して思っていることです。

◆新訳アンの初恋(上下巻) 河合祥一郎訳(角川つばさ文庫)
(あとがきより)
アンの人生をともに歩むことで大いなる感動を得られるのは、 アンの知的な世界観が魅力的 だからなのではないでしょうか。高尚で、気高いよろこびを知ることの意義深さを、アンは教えてくれるように思います。そして、 アンほど「哲学の得意な」かしこい娘でも、自分がほんとうに愛しているのはだれなのかということに関しては、おろかしいほどわかっておらず 運命の女神に助けられなければ 、さとりをひらくことができない のです。


黄色マーカー箇所 :河合さんのあとがきでは、上記文書の前に、作中に出てくる聖書や英米文学作品、シェイクスピアの引用(パロディ)について諸々説明されています。河合さんが東大の教授で、シェイクスピア作品等の訳本もたくさん出されている方とのことなので、こういった観点になるのは分かりますし、先にも書いた通り、パロディ部分に知的さを見出す楽しみ方自体は、何も間違っていないと思います。

ピンクマーカー箇所 :正直に言いますと、 少女漫画的観点の欠如とアンちゃんのキャラクター性に対するあまりの解像度の低さに絶句する一文 でした。
男性読者がギルバートびいきの視点で読み進めるのはよく分かりますし、彼の求婚を足蹴にした挙句、金持ちのボンボン(ロイ)に現を抜かすアンちゃんの行動が不愉快極まりないと感じるのだとは思いますが… 心情描写に特化した作品の場合、“おかしい”と感じる部分は、一番拾うべきところです。
一人の孤児の女の子…アン・シャーリーの心情を構築するためにエピソードは繊細に積み重ねられており、彼女の“おかしな”リアクションやニュアンスにこそ、キャラクター性の本質を見出すべきところです。
恋愛について“おろかしい”女の子の物語を、読者の期待を一身に受けた状態で、6年も待たせた上でモンゴメリさんが出してくるはずがないです。読者に喜んでもらう為の、エンターテイメント作品なんですから。
訳者様が“このヒロインはおろかしい”と思いながら訳した本を読んで、読者がアンちゃんのファンになれるわけがない ので、細かいパロディ部分の話の前に、まずはエンタメ作品としての本質に目を向けて欲しいです。あまりにもバランスが悪いです。

水色マーカー箇所 運命の女神って何??どこのシーンに神が出てきたの???
『黙示録』のシーン(河合さん訳では“悟りの書”と訳されてます)を指して、掛川訳の解釈に則り、「このシーンは、アンちゃんが天の啓示を受けるシーンである」⇒「天の啓示を授けた運命の女神が登場した(ジャンヌ・ダルクの天啓シーンみたいなイメージ?)」という拡大解釈に基づいた言及だと思うのですが、 本編中には…そんな“神”が登場してアンちゃんに啓示を授けるシーンはありません。

第40章『A Book of Revelation』については、妹の翻訳比較記事でもさんざん取り上げて話してますが、掛川訳の『天啓の書』という解釈が強烈というか、罪深いというか…。掛川さんは“ヨハネの黙示録”を否定しているわけではなくて、あくまで“聖書の黙示録”と言われても日本人には受け止め方がよく分からないと思うので、“黙示録”を“天啓の書”と日本人のイメージしやすい形に言い換えただけだと思うんですよ(もちろん、“天啓”という解釈であればこの不可思議なシーンも納得できる!という、誘導の意図も込めた上での言い換えだと思いますが)。
そして、この“天啓”という言葉が強烈で、その後の翻訳家様たちがおおよそ掛川訳の解釈を前提に据えて、“神の啓示を受けるシーンである”という認識に立たれている傾向が見て取れます。
…個人的に率直な見解を言うと、 “掛川訳の登場で、本作の解釈が本編には描いてないものを堂々と語る、明後日の方向に行ったな” と思っています。

近年の松本訳・河合訳のいずれの本にも言えることですが、本編の引用・パロディの話をたくさん語られるのですが、 とにかくこの第40章『A Book of Revelation』…直訳すると『ヨハネの黙示録』については言及を避ける。 “天啓”や“神の啓示”という解釈で押し通そうとする&“黙示録”という単語を濁そうとする。「ヨハネの黙示録」と言ってしまうと、やはり真っ先に出てくるのは“世界終末”の方のイメージなので、解釈筋から外れるからだと思います。

…個人的には、やっぱり語るべきバランスが適切ではないと思います。他のパロディ部分には言及しなかったとしても、 どう考えても語り明かすべきは 何故、 この重大なアンちゃんの人生が転換するクライマックスシーンで、『ヨハネの黙示録』が出てくるのか?” …です。
モンゴメリさんも、村岡花子さんも、“何故ここで『黙示録』?”について考えて&語り合って欲しい意図を持って、堂々と章題に掲げているんですから。

ちなみに私たちの解釈としては、 『黙示録』の章は、アンちゃんが一度世界の終末を体験⇒生まれ変わり、新しい世界を生き始める「人生最大の転換点」として描かれているもの と認識しています。
“ギルバートの死”に直面する夜の独白シーンは、突如「世界の終わり」が突き付けられた時に、アンちゃんが自身の内側からあふれ出る大後悔を叫んでいるシーンなので、 『A Book of Revelation』は『黙示録』と直訳し、世界終末論のイメージを纏った言い回しでなければ意味がない と思っています。



上記、非常に好き勝手、感じたことを素直に語って来ていますが、やはり…エンタメ作品と言っても年期の入った作品なので。モンゴメリさんが発表されてから110年以上、日本において村岡花子さんが最初に訳されてからも70年以上が経過している作品なわけで、日本だけに絞った翻訳の歴史を見ても、様々な方が目いっぱい向き合い、解釈論も変遷を重ねてきたことが見て取れます。
79年の高畑監督アニメ『赤毛のアン』の印象も強烈ですし、日本独自の「アンシリーズ」の印象形成がなされてきたのだな、と受け取っています。
様々な観点でアンシリーズや、本作「アンの愛情」を語る方が登場して、様々な解釈論が展開されることは当然の結果だと思います。

しかし…アニメ『アン・シャーリー』放送時の異常なバッシングや、近年の翻訳本を拝見してとにかく思うのが…繰り返しになりますが、 あまりにも“エンタメ観点・少女漫画観点・心情を前提に据えたエピソード構築観点”が欠如している方々が語りすぎてる。

少女漫画観点…いち少女の心情(恋心と葛藤、そして人生)を構成するために、エピソードとニュアンスの全部を繊細に積み上げているんだ、
という前提の話が通じない。
おそらく、 アンシリーズのような 高尚で深い文学作品 は、そんな“少女漫画みたいな”、“恋愛漫画みたいな”、“乙女チック&ロマンチックな”くだらないものは描いてない! という感性が根底にあるんだと思うんですね。

…作り込んであるラブストーリーって、すごく読解が難しいんです。
まず 『赤毛のアン』シリーズの少女漫画性をなめてかかるのをやめて欲しい。
読めてないだけだから。読めてたら絶対に、この観点を横に置くことなんて出来ないから。

モンゴメリさんの他作品を読めば分かりますが、モンゴメリさんはとにかく女性の生き方に興味のある方で、その中でも “結婚の決意に向けた心情変遷”は、彼女のワークスの根幹に据えられるような一大テーマ です。(著作の半数以上が結婚テーマなのでは?と感じるほど多いです)

アンシリーズの中でも、特にこの『アンの愛情』は、モンゴメリさんが前作『青春』から6年間もファンを待たせに待たせた上で繰り出してきた作品であり、アンちゃんが結婚に向かう決意を固めるまでの心情変遷を描いた作品です。 …ここで、読者をうならせる究極の衝撃的ラブストーリーを繰り出すぞ!という、並々ならぬ渾身作であることは疑いようがありません。

いち少女という、社会的には弱者になりがちな主観の心情構成のために、世界設定・人間関係、エピソード/ニュアンスの全てを繊細に積み上げるという作品形成に慣れる… “少女漫画力”を磨いて、どれほど “萌え” を生み出す過程で高尚な作り込みがなされているのか に向き合って欲しい。




以上、 少女漫画原理主義者且つアンシリーズのにわか読者の好き勝手な叫び でした。
やっぱり…語りがいがありますね!!

by姉

アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917
炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939
その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912
アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920

◆モンゴメリ著 小説 感想リンク
果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910
ストーリー・ガール(The Story Girl)1911
黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913
可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923
エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925
エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927
青い城(The Blue Castle)1926

◆赤毛のアン 関連本 感想リンク

赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて
赤毛のアンシリーズのコミカライズについて





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最終更新日  2026.05.13 20:14:40
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