PR
Free Space
Comments
Calendar
Keyword Search
「文化と教育に関する懇談会」は、教育現場における、生徒の非行、暴行、落ちこぼれなどの原因を4つ挙げる。
《1つは、受験体制教育の弊害である。就職に有利と考えられがちないわゆる一部有名大学の入学試験競争が、高等学校以下の全学校教育に強い影響を与え、不本意と思う者をも無理やりに巻き込んだ行き過ぎた受験体制を作り上げてきた》(「文化と教育に関する懇談会」の報告について:『文部時報』1984(昭和59)年5月号、 p. 58 )
学校教育は、必ずしも〈受験体制〉を敷いていない。不十分だからこそ、それを補う形で、塾や予備校といった受験産業が成長してきたのだ。よって、学校の教師が生徒に受験圧力を掛けたことが生徒を「非行」や「暴力」へと走らせたかのように言うのは間違いである。
また、「落ち零(こぼ)れ」は、どのような状況においても一定数存在するものであって、学校の受験競争化したから「落ち零れ」が生まれたと言うのは「濡れ衣」である。
《2つは、画一教育の弊害である。義務教育年限の延長と高等学校教育の普遍化が人並意識や平等志向と複合して、生徒の能力、個性を省みない詰め込み型の画一教育が一般化した》
学校教育は、集団教育なのだから、「画一的」にならざるを得ない。また、戦後持ち込まれた「平等」の価値は、「個性」とは本来的に矛盾するものだ。平等に扱おうとすれば個性は死ぬし、個性を生かそうとすれば不平等になる。
《3つは、社会的風潮の問題である。自由と権利には責任と義務が当然伴うという民主社会における最も基本的な考え方が、教育においても社会一般においでも忘れられている》(同)
これは教育の問題と言うよりも、GHQによって先導された戦後の価値観が自由と権利一辺倒だったことに起因する。もしこのことを問題にするのなら、日本国憲法を破棄することから始めなければならない。
《国民全般の強い教育志向は貴重な資産であり資質であるが、これがいつの間にか偏った学校観や学歴観を生み出し、この偏った考え方が、教育の著しい発展を遂げた社会全体にわたって身動きできない特異な教育的風潮を一般化させた》
成程、日本人は、教育熱心な民族だ。が、そのことと、学歴至上主義的な考え方は一直線には繋がらない。学歴至上主義が受験競争を激化させているのは周知の通りである。が、それは教育の問題というよりも社会の問題と言うべきではないか。人物の能力を評価する基準として、社会が「学歴」を採用しているからこそ、学歴至上主義となっているのだ。
《価値観の多様化と物質的な豊かさの中で、行き過ぎた利己主義の横行、大人の自信の動揺、露骨な営利主義、刺激的な情報の過多など、子供の成長に悪影響を及ぼす社会的環境も指摘される》(同)
これらはまさに教育基本法に謳(うた)う「個の尊重」が生んだ鬼子(おにご)である。
教育について(83)微妙な差別 2024.11.17
教育について(82)「学歴=能力」にあらず 2024.11.16
教育について(81)生き残り競争 2024.11.15