照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2025.06.27
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カテゴリ: 時事問題

教育基本法第2条5には、

伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

とある。教育基本法改正に当って、「国と郷土を愛する心を養う」と表現するのを連立与党の公明党が嫌い、「国と郷土を愛する…態度を養う」などとあいまいな表現になっているのは無惨であるが、それは措(お)こう。問題は、平和教育がこの条文に反しているのではないかということである。

 戦後80年が過ぎようとしている中で、平和教育は、その必要性が薄れてしまった。平和教育の必要を言うためには、戦前の日本の有ること無いことを穿(ほじく)り返さねばならない。戦前の日本の暗黒だけを、否、戦前の日本を暗黒として論(あげつら)わねばならない。「国と郷土を愛する…態度を養う」こととは正反対の教育とならざるを得ないということだ。

 戦前の日本を美化せよと言いたいのではない。悪いところは悪いと言って構わない。が、それは程度問題である。あらゆるものには光と影がある。にもかかわらず、影の部分だけを強調し、光の部分を捨象するのは平衡を欠くと言わざるを得ない。戦前の日本の暗部ばかりを暴き立てる教育では、愛国心や郷土愛を育むことなど不可能である。

 日本に生まれ育ち、そして、これからの未来を日本と共に歩んでいく若者たちに戦前の日本の暗部を殊更(ことさら)強調し、その反動を利用して行う平和教育とは一体何なのだろうか。平和主義者は、平和を訴える自分に酔い痴れてはいないか。が、本当に重要なのは、社会の平和を維持することであって、平和というスローガンを唱えることではない。

 平和を唱えるだけで社会が平和になるのであれば苦労ない。が、平和は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)うごめく、どろどろとした国際社会の中で、押し合いへし合いしながら汗をかき、時として泥水をも啜(すす)りながら交渉することによってはじめて得られるものであろう。外交の外側から独り平和というスローガンを唱えるだけで得られるような甘いものでは決してない。

 教育の目標の1つが「愛国心」を涵養(かんよう)することであることは本来言うまでもないことだ。が、戦後日本人は、羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹くかのごとく、異様に愛国心を警戒する。が、言うまでもなく、国民から愛国心がなくなれば、国の存続は危うい。問題は、愛国心の中身なのであって、健全な愛国心すら忌避してしまっては、日本人が日本人でなくなってしまうだろう。

 日本を皆が愛せる国にするためには、日本人一人ひとりが愛国心をもつことが欠かせない。再び戦争への道を進むのではないかと危ぶみ、いくら戦前の日本の悪事を言い立てたところで、日本を愛する気持ちは生まれない。愛国心を涵養する教育に対する安全弁として平和教育もまた必要であったとしても、愛国教育を否定するかように平和教育がしゃしゃり出るのは、みっともないと言うか醜悪そのものではないかと思う次第である。【了】






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Last updated  2025.06.27 10:00:06
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