o(・▽・)(‐^ー^‐)/^^ 見習腹話術師ワイコ&お人形のアイちゃんの腹話術修業記へようこそ

2012.10.29
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超もりあがった体験スコップ三味線後。

スコップ三味線のスコッパーズを率いて祭典にお越しくださった、瀬戸さんが、被災した石巻での体験を話してくださいました。
瀬戸さんは、元気できれいでしゃきしゃきした女性です。
瀬戸さんご自身も被災し自宅は残ったものの経営していたお店が流されてしまい仕事を失いました。
 震災直後の1カ月間は、救援給水スタッフの為ひたすらおにぎり炊き出しを。
 その後、1ヵ月は、市役所でボランティア。
 朝4時~夕方5時まで、被災証明・住宅・葬祭・・・あてどもなく市役所を頼るたくさんの人の為、案内をつとめました。
その後、震災復興基金による市役所臨時職員に。

その仕事は、石巻市役所産業部御遺体安置所受付。

最初の2日は、気絶。
その後、6カ月、1日として泣かない日はなし。
500人の遺体。新たに運び込まれた200人の遺体。
火葬場は、津波で使い物にならない。
しかたなく1ヵ月は、仮に土葬。
東京都が、手をあげようやく火葬の目途がたち約300人の遺体が東京に運ばれる。
Aの何番Bの何番と番号を付けた遺体が、東火の何番と遺骨になって戻ってくる。
それを何度も何度も安置所になっている体育館に運ぶ。
200人の仮土葬の匂い。瓦礫の匂い。
夏になるとマスクを4枚、さらに暑くなるとそのマスクの2枚目と3枚目の間に樟脳を入れる。
そうしないと近くに寄れない状態の遺体と一刻でも長く過ごしてあげたい思いからだ。
人としての顔が、判別できるのは、4月5月まで。6月1日以降に発見された遺体は、もうわからない。
遺体の多くは、車ごと水に呑まれた方のものだ。
ポーズは、みな同じになる。両手を握り顔をそむけ、水に漬かり大きさも変わっている。

土葬された母の土饅頭を父と一緒に毎日なでに来る10歳、7歳の子。
その土饅頭にびっしりと蠅がたかりすごい匂いがする。

亡くなったのは、40代の男性。その妻と小さい娘、10歳の息子が遺骨を引き取りに来る。
とりみだす母、泣きながら安置所を飛び出す妹、それをなぐさめる10歳の男の子。
「おとうさんが、お世話になりました。」
くどいようだが、たった10歳の男の子が、整列し、見送る安置所の市職員・警察官、ひとりひとりへ頭を下げた。
お巡りさんも消防さんもお役所さんも男泣きに泣いた。

お腹に4か月の赤ちゃんがいる女性。
夫の遺体が、発見され、その女性の母も夫の母も止めたがどうしても最後の別れがしたいと安置所へ。
遺体袋を開くと付き添ってきた母達2人は、卒倒し救急車で運ばれたが、その女性は夫に最後のお別れをして帰っていった。

生後4カ月の女の子の棺のお世話をした時には、もう仕事が手につかなかった。
私は、こんな程度の女だけれどあの子には恥じない生き方がしたい。

不眠・精神安定剤・自殺未遂。
被災地では、まだ何も展望が無い。
時間は、止まっている。
お盆にはたくさんの後追い自殺が出た。
今働いている飲食店で「今日は、仮設で4人・・・」と言う会話を毎日聞いた。

こんな事して何になると思う時もあるが、いっときでも元気になってくれれば、とスコッパーズは、頼まれれば、出かけていく。
布草履作りを東京から教えに来てくれたボランティアもあった。
できあがるまでの2時間、忘れる事ができる。実用的。一人暮らしになってしまったおじいさん達がはまっている。

こう、偉そうな事いってるけど、私は、阪神には一度もいかなかった。
わが事にならないとわかる事ではないかもしれない。
しかし、見どころ満載。石巻には是非来て欲しい。

瀬戸さんが、静かにこう語った。祭典会場のあちこちですすり泣きが起こった。

私の職場でも市役所のすぐ近くだった石巻店が津波にのまれ同僚2人が行方不明になっている。
1人は、何カ月もたって遺体が見つかったと聞いている。
同僚も瀬戸さんにお世話になったのだろう。本当にありがとうございます。






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最終更新日  2012.10.30 23:48:19
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