今が生死

今が生死

2013.03.12
XML
カテゴリ: 生き方
前回「念ずれば咲く」に関連して願いを叶えるための祈りについて書いた。祈れば願いが必ず叶う訳ではないが、祈らないよりは叶うような気がする。

祈るだけでは物足りなくて「断ちもの」をする人もいる。願いを叶えるために酒やタバコやまんじゅう、ケーキなど自分が一番好きなものを絶って願うのである。東日本大震災後その鎮魂と復興を願って大好きなお酒を絶っている人の話を聞いた。タバコを絶っている人もいるかもしれない。

孫の合格を願って酒を絶ったり、夕食を絶ったりしている人もいる。嫁さんのお父さんの病気が治るようにと真冬に毎朝5時に起きて雪が降ろうが猛吹雪になろうが1日も欠かさず神社に願かけていた人もいた(これは私の父のことです)。断ちものやお百度参り(神社や寺に毎日お願いに参る)すれば願いが必ず叶うと思っているわけでもないと思うが、そうしないではいられない人間の弱さがあるのだと思う。

全ての人は願いを持っている。結婚の願いだったり、子宝の願いだったり、病気治癒の願いだったり、子供や孫の入学や入社試験の合格だったり、お金持ちのなりたい願望だったり、自分が作った製品や書いた本が売れる願いなど、口には出さなくても心の底から願っていることがあると思う。そして祈り、それでは物足りなくて断ちものをしたり、お百度まいりしたりするのが人間の性だと思う。しかしそれらをすれば必ず願いが叶う訳ではない。そこで絶対願いが叶いますよという宗教が登場する。

その宗教に入っても叶う願いとかなわない願いがあるのだと思うが、絶対願いが叶うと言われるとやってみようかと思う。全ての宗教は願いが叶いますよというところから出発している。病気を治してもらいたい、金持ちになりたい、出世したい、幸福になりたい、それらの願いを叶える受け皿として宗教が存在するのだと思うが、いくら宗教と言えども願いを全て叶えてくれるものではない。

結局最後は、努力を積み重ねることと、冷静な判断と冷静な処置、根気強い根回しが大願成就への最有効手段であることに気づかされるのではなかろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.03.12 23:55:54
コメント(8) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: