今が生死

今が生死

2023.03.08
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カテゴリ: 読書

墨子の根本思想は兼愛で、「すべての人を愛するという広い心を持たなければ善なる行為にならない。人を愛せば必ず人から愛され、人を憎めば必ず人に憎まれる。自分の親族や関係者ばかりでなくあまねくすべての人を愛し、他人に苦痛を与える争い(戦争)はしてはならない」という教えだが現実性のない絵に描いた餅だと孟子に批判されていた。
著者は歴史のかなたに置き去りにされてきた墨子の教えを今こそよみがえらせなければならないと訴えていた。
中村哲さんはアフガニスタンで貧民層の診療や水利事業に携わってきた人で2019年12/4車で移動中銃撃されて亡くなった方である。それより7年前の2012年に中村さんが帰省中著者が東京で中村さんと対談した内容が巻末に特別付録として収録されていた。
中村さんがアフガニスタンと関わるようになったきっかけは、元々昆虫採集が好きでアフガニスタンを訪れたことがあり、ここにしばらく住んでモンシロチョウの故郷を調べてみたいと思っていた矢先、偶然にもキリスト教海外医療協力会から現地で働いてくれないかという話があり、そこで働くことになったとのことである。最初はパキスタンでの「ハンセン病コントロール5か年計画」に沿ってのハンセン病治療を行っていた。
最初は5~6年で日本に帰るつもりだったが、自分が解決できる問題があるのにそれをほったらかして逃げるのはいさぎよくないと思って居続けることにった。長引いた原因は1998年にハンセン病根絶宣言が出されたけれど現場ではどんどん患者がやってきた。国家の見栄や都合で根絶宣言するが現実は全然違った。そこでその年にペシャワールに病院を建ててこれから何年も患者さんの面倒を見ていこうと思った矢先に大干ばつに襲われ村が全滅して2~3百万人の難民がアフガニスタンに生じた。病院の仕事よりも人々の生活援助が大切となり、干ばつで難民を生じさせないために河川工事に力を入れることになった。対談した頃は医療活動よりも殆どが河川工事で自ら起重機を運転して土木工事を連日行っているとのことだった。また子供たちのためにマドラサという学校も建てて教育にもかかわっていくことになった。
現地はイスラム教で食生活にも違いがあり、豚肉はだめ、他の肉でも一週間に一回位しか食べないとのことだった。お酒はだめという生活だったが郷に入っては郷に従えで、現地に溶け込んで生活していた。
正に墨子の教えそのままにすべての人を愛し、村人からも愛されていたが凶弾に倒れてしまった。
アフガニスタンでは麻薬の栽培は国で認められており、大きな収入源になっていたが、中村さんは食料を得るための灌漑事業を行っており、麻薬栽培のタリバンにとっては中村さんは取水口関係で邪魔な存在として標的にされたみたいで無念でならない。
中村さんが墨子を勉強なさっておられたのかどうか知らないが、中村さんの生涯をみていると墨子の教えそのままで、正に現在の墨子の称号に相応しい人だと思った。





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Last updated  2023.03.08 22:56:01
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