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はじめに 個人ごとで恐縮ですが、8月上旬に神戸大学附属病院で治療を受けましたので、JR三ノ宮駅 経由で通いました。 そこで早速”地金が出る”?で駅の周囲にあるマンホ-ルが目に入りました。 そこで見たマンホ-ル 2020.07.22撮影 マンホ-ルがある地域の三宮の景色 JR三ノ宮駅の山側出入口から線路沿いに姫路方面の風景 上のマンホ-ル付近の別のマンホ-ル 自転車の影が映っていて、残念ですが。場所によってこのデザインのカラ-マンホ-ル蓋 があると思います。 これもJR三ノ宮駅沿いの1枚 英語版のマンホ-ル蓋 さすが港町神戸! Welcome to Kobe! KOBE OSUI JR三ノ宮駅の山側から線路沿いに西に歩き、が-ドをくぐり、表側の一部を撮影した。 写真の正面には阪急が写っており、遠くに神戸市役所の高いビルに一部が見えている。 写真の中央に見える道路を通り、港側の通りを歩き回れば、また別のマンホ-ル(蓋)に 出合えたことだろう。 残念ながら、病院通いと言う時間の制約のある行動の為にこの辺で我慢した。 神戸大学附属病院 神戸市中央区楠町7-5-2 この山側にある大きな病院の界隈にも街の歴史があり、様々な排水溝がありそうでしたが 歩き回ることができなかったので、マンホ-ルの観察もできなかった。 JR三ノ宮駅付近の観光 この界隈ではよく知られている生田神社がある。 ウイキペディア引用 ともかく数ありそうな神戸のマンホ-ル蓋のデザイン集めも、制約があり思うにまかせません でしたが、念のためにこれまでに撮りだめたマンホルデザインの控えを探してみました。 病院に通っている内は、神戸の街のことやマンホ-ルのことも強く興味を持つ気持ちにも なれませんでしたが、1995年1月阪神淡路大震災後の復興を願う行事の一環として 企画し、実行されたハ-フマラソン(21097m?)に参加して、ポートアイランドの街を 走り回ったことを 思い出しました。 2001.02.11(日) ユニセフカップ2001 神戸バレンタインラブラン 65才でした 思い出のマンホ-ル蓋 ※ 昭和51年(1976)まで神戸市東灘区で暮らしましたので、1995年1月の阪神淡路大震災 の見舞いで、新幹線の新神戸駅から芦屋まで何回かこの街を歩きました。 そのすざましい光景を今でもはっきりと覚えておりますが、2001年のこのハ-フマラソン で出合ったこのマンホール(蓋)のデザインは感無量でした。 ※ 1995年の震災後、実行された復興事業の記念として 回復、設置が続いている排水溝の 完成記念としてデザインされたものと思われます。余談ですが: ① このハ-フマラソンは発足1987年で、今年2020年で34回目が開催されたようですが 上掲のマンホ-ル上を通過した時、皆様はどのような感想をもたれたのかと、 ふと思いました。 ➁ 私はこの2001年3月25日 東京・荒川市民マラソンに参加して、やっと完走したこと でしたが 、同じ年に神戸のポ-トアイランドで走りながら1,995年の大震災の痛ましさ と6年後の回復途上にある街を見ながら走った感じ方にはかなり差がありました。 ③ 今回通院した神戸大学附属病院は、神戸市の中では、山側にあります。 三ノ宮などの海際からみて、かなりの傾斜面を山に近づいた位置のあるはずですが、 ともかく、三ノ宮の山側の出口にあるタクシ-乗り場からの通院で、マンホ-ルの 観察も限られた地点のみでした。 こんなマンホ-ルもありました。 2003年撮影 〇 § ×
2020年09月16日
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今年の初詣は春日神社でしたが、歴史のあるお寺妙福寺(日蓮宗)や浄土宗の誓願寺まで足を延ばしたので、これまでの年とはずいぶん違った過ごし方となった。1. 篠山のスタンダ-ドなマンホ-ル蓋 これまでも篠山へ出かけるとこのマンホ-ル蓋の写真もご紹介してきました。2. 今回見て頂きますマンホ-ル蓋はずいぶん手の込んだ物でした。 東西南北を24方位に分けて表したものでした。 それをさらに拡大した写真 北東南西として北を真上にして構成されているので、そのように撮影出来ていれば 更に理解しやすかったが、西から東に向かっております。 3. 正確ではありませんが篠山市では、このマンホ-ル蓋を意図的に道路へ設置して いるものとみております。 例えば、東西南北の角などに ・・・あくまでも推測ですが。4. 24方位のマンホ-ル蓋の意味について 写真に刻印されている文字はいちばん外側の東西南北は誰でもわかる方位です が、以下の文字を用いた方位は馴染みが無いのでわかりにくい。 (1)十二支を配分する。 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥 (2)八卦を組み込む。 坎 カン 北 艮 ゴン 北東 「うしとら」ともいう 震 シン 東 巽 ソン 南東 「たつみ」ともいう 離 リ 南 坤 コン 南西 「ひつじさる」とも言う。 兌 ダ゙ 西 乾 ケン 北西 「いぬい」とも言う (3)十干も組み込む。 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 とにもかくにも我々の祖先は、これらの方位表の多くを生活や仕事、学問に生かし て生活してきたものと思われます。 篠山市がこの24方位をどのような歴史の中で見て来たのか、こうしてマンホ-ル蓋 へ刻印された動機も分かりませんが、何か素晴らしい意図があるように思われます。
2014年01月08日
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菅原神社へ上杉千郷氏が名付けた?「短足型-関西型」狛犬の撮影と隋身門の隋身さんの撮影の為、2回出かけました。南海電車を堺市で降りて、和歌山に向かって左側を歩くと菅原神社へたどり着きますが、その途中には、様々なマンホ-ル蓋があり感心いたしました。☆ 政令指定都市 移行記念・ 汚水マンホ-ル蓋2012-01-31 撮影 ☆ うすい(雨水)用マンホ-ル蓋☆ 合流用マンホ-ル蓋☆ おすい(汚水)用マンホ-ル蓋これは上の雨水用と同じデザインでした。☆ ポイ捨てのないきれいな街に・・・合流用マンホ-ル蓋☆ 市制100周年 平成元年(1989年)・雨水マンホ-ル蓋」マンホ-ル蓋は以上で終わります。☆ 街路に埋められた地理案内板地理がよくわかる工夫だと思いました。さすがに堺市、町の発展にきめ細かい工夫をされていることが十分理解できるマンホ-ル蓋のデザインと数でした。 このような工夫は国からも奨励されていると聞いて、どの地区でも様々な工夫が見られますが、市制周年記念とか、政令都市移行記念とかの年代が読めるデザインもあり、ユニ-クだと思いました。 写真撮影も楽しくできました。この日訪ねた菅原神社とおもての道路写真ではわかりませんが、この神社や付近も海からの風か吹くとその中に塩を含んでいるとかで、この菅原神社の隋身門も隋身さんを保護するガラスの囲いが塩水とほこりでべっとりくもり、さんざんな様子で社務所の方々も悩んでおられました。市民の皆様も同様の悩みがあるだろうと同情の気持ちがわきました。
2013年01月06日
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敦賀と福井市のマンホ-ル蓋どんな都市、地方へ出かけてもまず最初の部分で目に付くのがマンホ-ル蓋。JRの駅前から道路が始まる、そんな感じですよね。敦賀、最初の出合い。この都市も彩色マンホ-ル蓋は無いのかな・・・そんな印象。まっ、こんなものか。あっ、あった!彩色マンホ-ル蓋-1 桜吹雪彩色マンホ-ル蓋-2 気比の松原とカモメと海気比の松原とカモメ、灯台そして海感激の出合い。やはり観光コ-スである金崎宮(神社)の参道、あるいは参道につながる道路と思われるところにありました。やはりいいなあ。しかしながら、気比神宮、おそらくかなり大半の形がこの神宮、あるいは両部鳥居に関心があっての敦賀入りだと推測しておりますが、このあたりは平常の鋳物地肌のままでした。福井市のマンホ-ル蓋広い福井市の全域ではなくて、観光地域と思われるところをほぼ2日間歩き回りましたが、結局地肌のままのマンホ-ル蓋でした。どこの都市でも言えることですが、このマンホ-ル蓋も彩色の物は想像以上に綺麗です。訪れる方々のみならず、地元の方々、お子さん方もきっとその美的な感覚に訴えるものがあるように思います。JRなどの駅前や観光地域などからスタ-トして彩色マンホ-ル蓋を採用される事を願っております。美的感覚の養生なんて大げさな教育もさることながら、こんな地道、足元の美しさからも育つように思います。生意気言ってごめんなさい。こんな失礼なことを書いてから、現在のブログを書く基本ラインが、嘘は書かない出来る範囲で裏を取る、ネット検索、図書館での資料漁り、で真実に近づくその線に沿ってネット検索で「福井市のマンホ-ル蓋」を調べました。そして、胸をなでおろしました。間に合った。福井市のカラ-マンホ-ル蓋ブログ「気ままな歳時記」さんからお借りしました。有難うございます。フェニックス(不死鳥)のマンホ-ル蓋 カラ-です。不死鳥宣言のいわれ:福井市が「不死鳥のまち」宣言をしているとか、紹介されておりました。そこでさらにネット検索の結果「不死鳥のまち」宣言のいわれ:1. 1945年(昭和20年) 福井市は空襲で84.8%被災したこと。2. 1948年(昭和23年) 福井地震で被災3. 1952円(昭和27年) 復興博覧会開催 シンボルマ-クとして不死鳥、フェニックスを掲げた。このことなどで、フェニックス(不死鳥)が、マンホル蓋に採用された理由がよくわかりました。蛇足ですが、わが郷里の高知市も1945年の空襲と1946年12月21日午前4時過ぎの南海大震災で二重の災害をこうむり、様々な影響を受けており、博覧会が開催されたことも思い出しました。ブログ「気ままな歳時記」さんをはじめ資料をお借りした方がへ御礼申し上げます。勉強になりました。また、わが郷里と全くと言ってよいほど似た運命のもと、復興に励んだ都市を知り、感銘を受けました。
2012年04月23日
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五大力菩薩 こぼれ話 五大力船のマンホ-ル蓋と五大力船舌足らずながら前にも触れましたように、わが祖先たちは五大力などのように五がついた言葉だ大好きであります。1. 千葉県船橋市の素晴らしいマンホ-ル蓋 こんな形で市当局が広報している例も少ないかもしれません。 国の推奨で、マンホ-ル蓋に自由にデザインしてよいところから、全国に4000~ 5000か所あるマンホ-ルは,それぞれの都市が知恵を絞ってデザインしたマンホ- ル蓋で覆われております。 同時にそのマンホ-ル蓋も観光事業の一環として、彩色されたものがその都市、町 、村の観光コ-スにある道路などに設置されたと思われます。 松本市のてまりを彫りこんだマンホ-ル蓋のデザインも優れた物の代表かと思います がこの船橋市の五大力船のマンホ-ル蓋に出合ってしびれました。 すごいとしか言いようがない。 江戸時代から昭和にかけて東京湾や隅田川、堀などで、海から川化で積み替えなし に多くの荷物を捌いた船で、往時の船橋市など東京湾内の諸港湾では、その恩恵な しには生活が成り立たなかった。 そんな、いわば大動脈をマンホ-ル蓋にした船橋市当局や該当部局の見識には頭 が下がります。 なんで五大力船と命名されたかについては、小さな船の割には、たくさんの荷物運搬 ができたそのすごい力が五大力菩薩みたい・・・ と江戸市民が思ったことでしょうね。2. そもそも五大力船とは、その実物にせまる。 実写ではないようですが、ほぼ実物に近い姿のようです。 ブログ 「海事博物館 ボランティアあれこれ」 の写真及び情報をお借りしました。 江戸時代、人口100万人という世界一の大都市人口を養うために運搬される荷物 は、港湾の活用が第一で第二が無いに等しい。 北前船とか上方からの500石とか1000石積みの巨大船は、江戸湾に入ってから積 み替えが必要であり、 それとは違う働きがこの五大力船にはあったということでしょう。この度、五大力菩薩像の写真を元にあれこれ書き、ブログかする中で、集めた資料の中デこの素晴らしいマンホ-ル蓋に出合いましたので紹介させてもらいました。マンホ-ル蓋のカラ-版を改めてネット検索したところこれまた沢山の力作がありました。しかしながらこの船橋市の五大力船のマンホ-ル蓋の如く歴史が如実に表されている例は少ないと思いました。参考情報:小説家 山本一力氏著書「菜種晴れ」江戸時代末、江戸深川と千葉・勝山が話題の中心ですが、この両地域を結ぶ足として船があり、五大力船も出てまいります。
2012年02月27日
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8月27日(土)第85回全国花火競技大会が大曲で挙行されるとあって、見物に出かけました。 大曲の花火その模様は別稿でブログ化致しました。創業101年、競技形式になってから85年目とあって、70万人以上の見物客が詰めかけました。その足元にはこんなマンホ-ル蓋が、観衆を迎えてくれました。 大曲市マンホ-ル蓋 解散後の混乱、誰かの足が写っていてごめんなさい。 妻の荷物など両手にいっぱいで、カメラの操作もこれで精いっぱいでした。 入場の際気付いておりましたが、大群衆で立ち止まる余裕が全くありませんで した。 70万人、80万人の集まりってすごい。現在は大仙市として、その一部をなしている大曲ですが、今後大仙市マンホ-ル蓋と刻印だれるのか、今後もこの花火大会が当市を代表する名物なので、このマンホ-ル蓋を残すのか、悩むでしょうね。それはさて置き、マンホ-ル蓋にはくっきりと花火が刻印だれていて印象的です。他の都市同様、花火会場への通路?だけでもカラ-マンホ-ル蓋へ変更をご提案致します。我々のグル-プは前日宮城県の鳴子温泉郷から北上して最後に?横手市から会場入りとなりました。その横手市と思われるトイレ休憩場所は、道の駅だと思いますが? 余りにもいろいろ体験するので記憶間違いをしていたらごめんなさい。その広場で撮影出来た雨水のマンホ-ル蓋です。 Kamakulandのマンホ-ル蓋 秋田のふるさとです・・・とあります。 雨水用ですこの横手市の"かまくら"はそのおもてなし振りで広く知られているとの事でしたが、こうしてマンホ-ル蓋へもkamakulandと刻印していたんですね。実物のマンホ-ル蓋は、車と人の足ですり減り、デザインも必ずしもハッキリしておりませんでした。妻と二人で、妻も私のマンホ-ル蓋撮影の助手?ですから関心が高いのです。で、二人でこのデザインの動物が何か、ワイワイやり合いました。わかりません!道の駅のボランティア、お兄ちゃんへ聞きました。この動物はなにかなあ?ボランティアの方 {犬です、秋田犬です}「秋田犬を表しているんだけどなあ」と残念そうだった。で、私も謝りました。"ごめんなさい"とんだへまをしたもので、秋田犬の飼育が趣味だった兄弟のいる家内が、普通秋田犬が分からないはずがないのですが、このマンホ-ル蓋のすり減り具合で失礼しました。28日宿泊先の鳴子温泉郷から出て、このツア-の最後の企画である【銀山温泉】で散策。早速出合ったのがこのマンホ-ル蓋でした。 尾花沢市マンホ-ル蓋銀山温泉へ何故立ち寄るのか、どんな場所なのか、100%知りませんでした。銀山温泉は、尾花沢市にあって、どうやらかつて銀山で栄えた場所であり、アメリカ人女将でも全国に名をはせた温泉でもあるとこことだった。なるほど、狭い狭い渓谷に風情のある建物が並んでいて知名度が高そうだった。所で、マンホ-ル蓋は「雪とスイカと花笠の街」と刻印されております。花笠踊りで有名かとおもいますが、スイカのうらなりを専門農家が田んぼに放棄している様が「スイカ」の名産地を裏付けていた。このマンホ-ル蓋のデザインは,大変よくできているように思います。上越市(JR直江津駅)からJRの特急"はくたか"で金沢市経由大阪駅への電車に乗るまでに様々な道の駅などで休憩致しました。そこでも手洗い後、必ずマンホ-ル蓋を探しましたが、見つかりませんでした。 上越市のマンホ-ル蓋 【上越市のマンホ-ル蓋】26日(金)直江津駅から直江津観光バスで大曲へ向けて出発の経路で、バスガイドさんから様々なPR・説明がなされました。その中で印象に残っているのが、日本で最初に白鳥に餌付けを行い、成功したのが当地であることでした。マンホ-ル蓋には、どうやら現在も白鳥の渡来が続いている事が分かる構図であり、沼、池にはハスの花が咲いていて、その花が綺麗だ。桜も有名らしい。そんな市民の誇りがマンホ-ル蓋のデザインに出ていて素晴らしいと思いました。ここも折角ですからマンホ-ル蓋は彩色されることをお勧めします。地味なようでいても市民の皆様もこれで知らず知らずの内に元気づけられることでしょう。大曲の花火大会と東北の旅紀行の一部として、撮影出来た地域のマンホ-ル蓋をご紹介いたしました。国の事業としてもマンホ-ル蓋の独自デザイン推奨と風聞ですが、承知しております。これからも楽しいマンホ-ル蓋に出合えることを願っております。
2011年09月01日
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箕面市(大阪府)のカラ-マンホ-ル蓋と珍しい祠昨日4月4日、箕面市半町(はんじょうと呼称されております)にあります箕面市立箕面聖苑へ出かけました。三田市からみると低地で、その上気温が上がったらしくて、恐ろしく熱い日でした。小高い丘の麓に箕面霊園があってその付け根にある施設ですが、そこに通じる道路のほどにあるマンホ-ル蓋に自然に目が行きました。 ☆鋳物のままのマンホ-ル蓋 無地のマンホ-ル蓋 紅葉に滝があしらわれております マンホ-ルに久しぶりのご対面だなの感じで写真撮影。 眩しい光で路面が見えにくくて心配でしたが、OKでした。 ☆しばらく歩いているうちに出合ったカラ-のマンホ-ル蓋 【カラ-のマンホ-ル蓋】 滝と紅葉、箕面のシンボルですからね。 偶然のことながらこの"箕面聖苑"もその一部だと思いますが、箕面霊園が坂の中 腹にあって、妻の両親もここに眠っているので詣でて帰りました。 その坂の歩道はずっとカラ-のマンホ-ル蓋でしたから、念のため撮影を続けまし た。何時ものことながら、マンホ-ル蓋は全て彩色してほしいと感じて撮影した事でした。 ☆箕面市 人 口 ? 人 市の花 「ササユリ」 ササユリ 箕面市の木 イロハモミジ 以上の二つは箕面市のHPからお借りいたしました。有難うございます。 祠のお話 ☆ 阪急電車の箕面線で桜井駅で,降車、乗車を行いましたが、その線路沿いで 出会ったコンクリ-ト製祠 神社・仏閣建築で、【流造 ながれづくりと読む】と呼称されているらしい祠が 阪急電車の線路沿いにありました。 流造のコンクリ-ト製の祠 祠に出合っていまだその全貌を云々できる段階ではありません。 しかしながら、現在三田市内の神社建築物を通じて神社建築について学んで みよう。楽しみたい。 そんな時間の流れの中で、最近、【流造】とは、神社・仏閣の建て方の中で 屋根が直線的な神明造にたいして、屋根に反りがあること。 その屋根の片方が長い。 その長い屋根の下に、向拝などを設ける・・・そんな形式のようですが、 このコンク リ-ト製の祠は、大まかな意味でその形式を具備しているように 思いました。 (1) 出会ってみて、祠の形式の多いのに毎度驚かされます。 (2) この地区で、同じ形式の祠を二つほど見受けましたから、きっとこの地域に 古来からの 歴史的な意味合いがあるものと思っております。旧西国街道は、この線路から見てちょっと山沿いにありますが、国道171号線はその西国街道の名残りだと思います。尚、西国街道は江戸時代、西国の大名が行列を組んで「下に~、下に~」 と警蹕の声をからして通過した歴史がある所です。少なくとも昭和40年代はそんな雰囲気が残っておりました。そんな歴史に富んだ町々ですから、きっと話題が豊富なことでしょうね。 満開の桜 線路沿い、コンクリ-ト製祠の傍、満開でした。 4日(月)朝突然の電話で、ある告別式のご連絡を頂き、とるもとりあえずでかけましたが、出かけた先が箕面市であり、御悔やみを申し上げることの後は帰るのみと思っていたしだいですが、犬も歩けば棒にあたるで、カラ-のマンホ-ル蓋に出会い、【流造】と思われる祠に遭遇して、大げさに言えば人生を感じました。三田市は桜はあまり咲いていないと思いますが、箕面市では陽当りの良いところでは散り加減ですからね故人は92歳の由、ご冥福を祈りながら帰途につきました。
2011年04月05日
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四国八十八ヵ所巡礼お遍路さんの祈りがこもるマンホ-ル蓋北海道・札幌市在住の友人から写真添付にメ-ルがあり、松山市と内子町のマンホ-ル蓋の写真でした。2月に愛媛県を巡礼した時に出合ったマンホ-ル蓋らしい。私がマンホ-ル蓋の写真を撮影する趣味があるので、こうして出会ったマンホ-ル蓋の写真を贈ってくれたものです。有難いことです。☆ 松山市のマンホ-ル蓋 椿の花 早速、得意の?インタ-ネット検索で調べてみました。 昭和46年4月1日、椿の花は松山市の「市の花」に制定されました。 今では、椿の名花展?が開催されているとのこと。 【椿の花】 ブログ【松山ブログ】のお写真です。お借りいたしました。有難うございます。 松山市のマンホ-ル蓋写真を贈ってくれた友人は、小豆島の出身であり、四国の 事はかなり詳しいはずですが。 愛媛県の街道をどんな気持ちであるいたことでしょうね。 奥様もご一緒のはずですが、「同行二人」は弘法大師とご一緒に・・・と考えられ ますが、奥様とも仲良く歩かれて、このマンホ-ル蓋の椿を眺めながら、どんな話 をされたことやら。 南無弘法大師、南無弘法大師。☆ 内子町のマンホ-ル蓋 つつじの花 あるマンホ-ル蓋に詳しい方が、つつじの花と紹介されておりました。 土佐の高知の出身である私は、愛媛県の事をほとんど知らない、恥ずかしい状 態ですので、この内子町がどんな町かわかりません。 内子座 ここが大変有名な存在のようです。☆ 四国巡礼 昔は、一生の内に少なくとも一回は四国88ヵ所の巡礼が決め事みたいな空気 が土佐にもあったように思いますが、 だからと言って、定期的に行われることもありませんでしたし、そこまでの義務感 もありませんでした。 10代の内に郷里を離れ、その後都会生活で半世紀以上過ぎた今日、北海道 の友人のように巡礼を重ねる方々を尊敬しております。☆ 余談ながら: お遍路さんの思い出: (1) 我が家は、37番札所の「岩本寺」(高知県高岡郡四万十町 町役場の 直ぐ傍にあります)が菩提寺でした。 (2) 高知方面から足摺岬へ抜ける国道からはちょっと離れたところに我が家 がありしたが、時々「お遍路さん」が来訪されました。 (3) お経をあげてくださるので、「お米を一握り」差し上げることが目安と記憶 しております。 昔の農家では、米一俵(4斗 60kg?)を1度に精米して桶などに保管 しておきます。 大概白壁の土蔵などに古風な鍵を掛けて保管しているものですから、 その鍵でもってあけてコメを一握り掴み出した,そんな感触が今でも残って おります。 親は農作業で多忙を極めるので、子供がこのようにしてお遍路さんにお布 施?を差し上げても、何ら問題にはならなかったように思います。 (4) また、お隣の集落との境などには、「お堂」が多く見らました。ここにお遍路 さんが宿をされることもあった ようにおもいますが、お堂の前を通過する際、やや心細い思いをしながら足 早に通過したことでした。 (5) 結構沢山のお遍路さんが通りかかるので、お遍路さんとおこもさんの区別 がつきにくい、そんな噂話も あったように思います。 (6) 今はきっと国道をまっしぐらに通過していくたびで、横道にそれる{自活型} のお遍路さんはみられないと想像しているところです。
2011年03月16日
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6月10日(木) 先輩のお通夜で茨木市へ出かけました。阪急電車の茨木市駅で降りて葬祭殿に向かって真直ぐ歩いていきましたが、駅近くにマンホ-ル蓋が確り見えました。18時からのお通夜の後では写真を撮りづらいので先に撮影させてもらいました。1. 汚水用 汚水用と刻印されているわけではありませんが、排水のメイン施設に関する蓋であ ると思われます。2. 「うすい」用 雨水用と思われます。 三田市のマンホ-ルも当然の如く排水本管と雨水用マンホ-ルが別に施設されてお りますので、雨水用があることに違和感があるわけではありませんが、ひらがなで「う すい」と刻印されていた点がちょっとひっかかりました。 おすいとうすい・・・そんな間違いがあるわけはありませんが、最初ヘンだなと思った ので考えて、雨水をひらがな表現したものだと納得しました。3. この茨木市マンホ-ル蓋のデザインは? あるブログに「バラ」と「カシ」と書いておられましたが、茨木市のHPにもその辺の事が 紹介されておりませんし、茨木市のシンボルは何か・・・ 同市でも議論されたらしい情報が見られましたが、わかりません。 私の家人は、バラだろうと見ているようですが、今一つは松、盆栽の松ともかんじら れますが、どうでしょうか。今日、全国的にマンホ-ル蓋の写真を撮影されている方もおおいようですし、市民向けにもマンホ-ル蓋のデザインとその狙いを公式のアップする事が好ましいのではないかと愚考いたしました。茨木市の公式hpで記載済みであり、私が見落としたのであればお詫び申し上げます。
2010年06月15日
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5月21日(金) 晴れ大阪市→堺市・菅原神社→住吉大社(大阪市)→大阪天満宮(北区)と歩き回りました。天満宮は超有名でも案外参拝が出来ていない代表みたいなお宮さんの一つでした。今回参拝し、狛犬さんにお目にかかることが出来ましたが、その参道と言えなくともそれに近いのが、天六(天神橋6丁目)から天神橋1丁目のア-ケ-ド街です。大阪市のマンホ-ル蓋 桜と大阪城天守閣などそれに水でしょうか綺麗なマンホ-ル蓋で、日本でもきれいな方だと思いますが、鋳物の地肌のままのものは、意外に地味な印象です。さすがにこの商店街は、その辺を心得ていると見えて、かなりの数のマンホ-ル蓋がア-ケ-ド街の歩道にありますが、彩色されております。ただ、この、大変人気のあるア-ケ-ド街のこととて、大勢の人が歩くので、さしもの彩色も擦り切れて色が薄くなりがちです。その中で、今日取り上げた1枚はかなり綺麗な色が残っておりました。個人的にはこのア-ケ-ド街の中の天六から南森町の交差点辺りまでの間はかなり数多く歩いた事がありますし、多くのファンがいらっしゃいますね。いまだ歩いた体験の無い方は一度散策される事をお勧めします。道を歩く皆様方もたまにはこのようなマンホ-ル蓋に関心をお寄せいただくと各地の市町村関係者に反映して、道の美化を心掛けてくれると思います。先日も取り上げましたこの友が丘の道路横の平戸ツツジは剪定のタイミングが花の咲いた直後に実施されますと翌年素晴らしい景色を演出してもらえますが、広い市街地の選定は友が丘だけが優先とはいきません。その点、マンホ-ル蓋の彩色は、長く保たれますので、各地区ともこれから新設や交換の際、彩色をお心がけ頂くよう願っております。
2010年05月24日
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5月21日(金) 晴れ大阪駅前第二ビル5Fで、「第28回鐘友美術関西展」が20日から25日まで開催されとのご案内頂いた機会に、兼ねて大阪へ出たら足を伸ばして、菅原神社(堺市)の短足型狛犬を見たいと思っておりましたので、いそいそと出かけました。菅原神社は堺市に有るので、南海電車に乗り訪れる事が出来ましたが、和歌山市方面に向かって左側へおりて約10分あまり歩きました。その間、地理不案内をカバ-する為に、人々にお聞きしたり自分でキョロキョロ見ている内に嫌でも目に付きましたのが、地下埋設物の蓋や公衆道徳呼びかけ物と言うべきでしょうか、いろいろ心掛けられた風景が展開されていました。1. タバコの吸殻のポイ捨てはやめましょう! タバコの吸殻-ポイ捨てはやめましょう! 呼びかけ 菅原神社へ至る道路には、デザインを替えていろいろ設置されてました。 このような地下埋設物の蓋の利用だけでなく、路上の利用、或いは来訪者への案内 など、相応の気遣いがなされているように見受けました。2. マンホ-ル蓋 3種類 2-1 推測ですが、これが堺市の普通のマンホ-ル蓋だと思います。 2-2 堺市 市制100周年記念(平成元年) マンホ-ル蓋 灯台と帆船の図柄・・・堺市らしい。平成元年と言えば1988年でしょうか。 2-3 政令指定都市移行記念 (行事)おすい 帆船と市の紋章など マンホ-ル蓋は歩道にあって、意図的に彩色された場合は比較的綺麗ですが、通 常車道に地下埋設物が設置され、その蓋の上を車が通ります。 その車の通行量が多いマンホ-ル蓋は磨かれて綺麗ですが、そうでないか、古い 場合あまり見栄えはよくありません。 尚、堺市は、 人口83万人あまり、 堺市の花 花ショウブ 堺市の木 柳 たまたま堺市のごく1部の地域を歩いただけで、堺市のマンホ-ル蓋の全貌を語 る・・・なんて大それた意見を述べる勇気はありません。 それでも推測できます事は、いかに国の政策でマンホ-ル蓋の図柄の選択は自 由といっても3種類は多いほうでしょうから、地域を愛するお気持ちがこのような地 味な事柄にでもよく現れているとも言えそうです。 蛇足を申し上げます。 先日。盛岡市のマンホ-ル蓋をアップするに当たり、インタ-ネット検索を試みまし たら、あるブログに合併市町村マンホ-ル蓋の紹介がありました。 それによりますと、合併される前の町村はそれまでに制定していたマンホール蓋の 図柄はそのままですので、例えば5か町村が加われば、5つの独自マンホ-ル蓋も 新しい合併先に加わる事になるわけです。 堺市の場合の周辺町村が加わっている可能性がありますので、周辺地域を歩きま すとマンホ-ル蓋もそれぞれユニ-クなものがあるかもしれませんね。堺市の街を歩いている内に、堺市は歴史的に大活躍した都市であって、さぞいろいろその遺構など、豊かな地域であろうと考え、考え歩きました。
2010年05月24日
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今回、4月22日から26日に掛けて標題の諸地区をフルム-ンの形式で家人と旅を重ねましたが、このマンホ-ル蓋を観察して写真に収めて、そこに見られるデザインの内容などは、夫婦としても桜の花やねぷた(佞武多)、はとバスの行き先に劣らない話題でありました。標題の7地区のマンホ-ル蓋を一気にアップしますのでお許し願います。1. 盛岡 22日の夜から23日の朝まで、 盛岡市のマンホ-ル蓋(JR盛岡駅前にて撮影)と思われますが、このデザインが 何を表しているかわかりません。 また、インタ-ネット検索でも探し当てる事ができませんでした。 インタネット検索で、思いがけないブログに出会い(@_@)しておりますし、その内容 が驚嘆に値する情報でしたので、ここでご紹介させて頂きます。 ブログ名「鯛の尻尾を奪い取れ」 日本の広範囲をカバ-しておられました。 ご興味をお持ちの方はクリックしてご覧下さい。 ご自身お一人でここまで蒐集されたとすれば大変な努力を重ねられたことでしょう ね。敬服致します。 家人も私も岩手県そのものも、盛岡市についても何も知らない者ですから、ここで は写真の掲載にのみ止めます。 盛岡市のマンホ-ル蓋についてご存知の方、コメント願えれば幸いです。2. 角館 4月23日 雨 桜は蕾の段階 観光客多く、さぞ無念でしょうね。 (1) 角館のマンホ-ル蓋 その1 カラ-マンホ-ル蓋 JR角館駅前のカラ-マンホ-ル蓋 かなり前に施設された物らしくてデザインが消えかかっており、構図がはっ きりしませんが、お祭りの山車などをあしらっているのでしょうね。 (2) 桜のマンホ-ル 桜の花が満開のマンホ-ル蓋(3) 秋田駅前、千秋公園 4月23日午後 雨と強風の中でした。 JR秋田駅前のマンホ-ル蓋 雨と強風の元、すっきり見えませんがあの有名な”竿灯”が表現されているよ うです。 上述のブログ”鯛の尻尾を奪い取れ”に蒐集されております各地のマンホ- ル蓋を拝見したしますと、例えば弘前市の物でも確か5つありました。 推測ですが、市町村合併前のそれぞれの行政区が違ったマンホ-ル蓋であ ったことの影響でしょうね。 従って、秋田市のマンホ-ル蓋はこれ! なんて決め付けない方が無難でし ょうね。この写真もその一つと理解したい・4. 五所川原市 4月24日 晴れ お昼過ぎまで。 私のお気に入りです。龍のエネルギ-が感じられます。 ここでチョット一休み、折角の快晴で鯉が勢い良く泳いでおりました。 弘前から五所川原へ向かう五能線の駅にて、元気良く泳いでおりました。5. 弘前市 4月24日 午後 晴れ 弘前八幡宮近くで撮影。リンゴを表現しているようです。 ブログ”鯛の尻尾を奪い取れ”では、5個のマンホ-ル蓋が紹介されています ので、これはそのひとつです。 6. 東京 4月26日 午前 晴れ 暖かし。 早朝この写真を撮影できました。 この図柄のマンホ-ル蓋は随分昔から御馴染みですが、たまたま止まったホテ ルの近くので歩道など入れ替えなどがあって、マンホ-ル蓋も新設されたものと おもわれます。 個人的には、これはこれで置くとしても、首都だしいい図柄になる事項が多いの でその幾つかを常備して置き、気分を変えて頂きたい。 そんな願いであります。7. 横浜 4月26日 はとバスで東京駅を09:30 スタ-ト。 (1) 日本丸の図柄 みなと横浜と言った感じが良く出ていて、こちらも嬉しくなりました。 ランド゙マ-クタワ-ビル前の歩道にて撮影できました。 (2)中華街で撮影できた橋をあしらったマンホ-ル蓋 その町に住む方々もさることながら旅行者もほとんどがこのようなマンホ-ル蓋に関しては無関心であります。しかしながら一方では、ブログ”鯛の尻尾を奪い取れ”の作者のように刻苦勉励集めて下さる方もいるのがこの世界であります。ここにたまたま7地区のマンホ-ル蓋の写真をご紹介させて頂きましたが、それぞれの都市の関係者のご苦心も理解して頂けた事と思いますので、これからは前や空のみならず足元もご覧頂いてマンホ-ル蓋もお楽しみの一つに取り上げて下さい。昔から言うではないですか、”亭主の好きな赤烏帽子” ご夫婦親子でどうぞ!
2010年04月29日
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2009年(平成21年)も今日で終わります。年越しのブログをいろいろな角度からみて頂きます。今年もブログに関していろいろ勉強させていただきました。三田のマンホ-ル蓋 雉(キジ)が描かれているらしい。マンホ-ルの蓋の観察も続けてまいりましたが、カラ-物やデザインの優れた新しい施設には出くわす事はありませんでしたが、家内の協力も得て出かけた先のマンホ-ル蓋の見落としがないように写真に収めることが出来たと思います。陶芸で縄文土器の製作学習を行った際、インタ-ネット検索を行っておりましたら山梨県のある地域で、マンホ-ル蓋に土器をデザインした物が施設されているこが分りました。素朴なデザインですが、縄文土器ですから意味があると思いました。2010年の中でご紹介できたら幸いです。今年1年このつたないブログをご覧頂いた皆様へ感謝と来年もよろしくお願い申し上げます。来年が皆様にとって良い年でありますよう祈っております。
2009年12月31日
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この15日(火)阪急交通社の企画した”カニフルコ-スで大満足のお歳暮企画”バスツア-に夫婦で参加させてもらいました。その観光行事はさておき、私の道楽である?マンホ-ル蓋を鳥取砂丘会館前の道路で発見。早速写真に収めました。ふくべのマンホ-ル蓋 昔の地図では福部村とあるのでこの名称らしい。図案の中の花はラッキョウの花と推測しておりますが、どうでしょうか。三田市や神戸市などここぞと言う所のマンホ-ル蓋はカラ-化して、町を際立たせるのにかなり効果的であるとわたしはおもっております。何故ならこの地帯鳥取随一と目される砂丘の真前を走る道路に施設されているからです。それがこんなに地味なのは、いささかつや消しではないかと、愚考ですが・・・鳥取と岡山の県境の町智頭町で見たマンホ-ル蓋ちづ(智頭)のマンホ-ル蓋図案の中に刻まれている3本の木は、杉の木と思われます。同町は面積の93%が森林であり、杉の美林が有名らしいが。尚智頭町は鳥取市と岡山市を結ぶ因幡街道(江戸時代など)で、鳥取側の藩主が泊まる最初の宿場として栄はじめ発展を遂げた町だそうだ。彩色の図案例 兵庫県 出石の消火栓蓋説明の必要なしで、そばの町として有名では在りますが、なお町の美化を心がけての工夫と思われました。地味な存在であっても工夫次第でこんなに変身すると言う参考例です。
2009年12月15日
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現在は篠山市の一部になっていると思われます今田町には、ア-モンドを育てている所があって、そこを見物した際、早速今田町の汚水処理施設の蓋、マンホ-ル蓋に出あった。それが、この鷺草の図柄が鋳込まれたマンホ-ル蓋でした。我々夫婦は恥かしながら知りませんでしたが、この辺は鷺草が天然記念物になっているのではないでしょうか。鷺草のマンホ-ル蓋大変申し訳ありませんが、私自身鷺草そのものの写真をご紹介できませんので、インタ-ネットで見せて頂いた今田知之さんのブログ「江鷹会の談話室」から素晴らしい写真をお借りいたしました。これが鷺草です。鷺草が鋳込まれたマンホ-ル蓋は、この辺りがそれ程車の交通量が多くないので、あまり磨かれておらず、くすんで見えますが、本物の鷺草はまさに芸術品の感じが致します。姫路城前のマンホ-ル蓋に白鷺が鋳込まれているのを見たときに、すぐにこの鷺草と鷺草のマンホ-ル蓋の事を思い出したくらいです。自然の造形力に、まさに脱帽ですね。
2009年11月15日
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11月11日の写真を探しておりましたら、2007年11月11日 姫路城を散策する娘の家族と我家の写真に出会いました。その写真集を眺めている内に、姫路城前の道路に設置されたマンホール蓋の写真に目が行き、ここに再び掲載させてもらう気持ちとなりました。白鷺が舞う姫路のマンホ-ル蓋素晴らしいデザインに再び感動致しました。多分、姫路市内全域にはこのマンホ-ル蓋は行き届いていないと思いますが、あの壮麗な姫路城前の道路にふさわしいデザインのマンホ-ル蓋を許可された姫路市当局を立派だと思いました。姫路城
2009年11月11日
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11月23,24日の第6回大和路まほろばツ-デ-ウオ-ク大会参加に合わせて、奈良市内のマンホ-ルを改めて写真にしました。 いわゆるマンホ-ル蓋(着色済み) 近鉄奈良駅から興福寺や東大寺のある坂道を登る途中で撮影したもので、これまで市内で撮影して来たものと同じものです。以下の2点は同じマンホ-ル蓋(直径45cm以上)ながら、雨水、汚水と区分された用途が刻印されたマンホール蓋です。汚水用マンホ-ル蓋雨水用マンホ-ル蓋これら3点もマンホ-ルと蓋はどのように利用が区分されているか不勉強ですが、全国押しなべて、マンホ-ル蓋に着色して綺麗に仕上げているのは、総合的な排水対策のマンホルとその蓋と思われます。なおまた、マンホ-ル蓋に関して各地域毎に様々なデザインの蓋が存在するのは、国家がそれを、いわば推奨しているからで、全国に4000以上のマンホ-ル蓋のデザインが存在し、かつ、それがb業界で資料化され写真にも収集されているようであります。
2008年11月25日
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この頃は神戸市と言っても三宮界隈しか訪ねていないから、神戸市全体の下水道とその蓋について、かくかくしかじかとさも知ったように語ることは失礼であろうが、マンホ-ルノ蓋や消火栓の位置を表示した歩道の施設は、随分と豊富で、同行する家内も楽しげに探してくれます。そのくらい、至る所に”お宝発見”で、写真を撮らせてもらっております。英語で表示のマンホ-ル蓋六甲山などが彫り込まれたマンホ-ル蓋神戸市は本当に恵まれた街で、沢山の人が訪れております。都市も綺麗、異人館や南京街など訪れる場所も豊富ですが、街そのものを綺麗に保つ心配りとして、歩道の受け木箱や花時計、マンホ-ル蓋などにまで心配りが行き届いて下りように思われます。観光の方々も見物先が多くて大変でしょうが、時には気分転換もかねて、足元もご覧下さい。意外に楽しいものを発見出来て楽しみがさらに増えるのではないでしょうか。
2008年09月17日
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漫画家 やなせたかしさんの故郷のマンホ-ル高知県香美郡香北町高知県香美郡香北町のマンホ-ル蓋 アンパンマンの故郷なのだそう、この香北町は、漫画家やなせたかしさんの故郷です。アンパンマンミュ-ジアム アンパンマンの資料が沢山あったアンパンマン通り? 美良布神社 1500年前に創建の言い伝えあり。高知県について知識の無い方には分りにくいであろうが、高知市の東側で、室戸岬や安芸市よりは高知市よりに位置していて、上の神社が物語っているように6世紀に神社が創建されるくらいだから、人々が大昔から結構多く済んでいた地域であったらしい。漫画家やなせたかしさんはこの町の生まれらしい。私の5代前の祖先がこの町の出身だとの言い伝えがあり、祖先の墓参りを思い立って訪ねたが、町役場でも資料がなく目的は果たせなかった。韮(ニラ)生とかいて”にらぶ”あるいは”にろう”とも発音されると思われるが、1817年誕生と言う古い話だし、市町村合併などで地名の変更もあるだろうから無理も無いが、遠い祖先の一族が現存しておられたらお目にかかれるチャンスもあっただろうが、是非もないアンパンマンをご存じない方は少ないであろうが、此れがアンパンマンです。
2008年05月20日
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琵琶湖北岸のマンホ-ル蓋について5月10・11日のウオ-キング大会参加して、観察を楽しんだ。型どおり瓢箪を彫りこんだ長浜市のマンホ-ル蓋北国街道で見た排水溝の蓋 ここにも瓢箪が。排水溝の蓋-2 全て瓢箪彫りこまれている。消火栓と駐車禁止 地下埋設物の目印としてもこの標識は、何処の地域でも一定の目立つ表示になっているのが特徴であり、長浜市だからと言って特に変わった事は無いが、五月10日、雨中を一日歩いているとこのようなものでも写真を撮りたくなった。米原市のマンホ-ル蓋 デザインの意味は分らないが・・・今回のウオ-キング大会が長浜市内で行われていると思い込んでいたが、どうやらこの当りの各市町村参加のイベントらしいことが分った。うかつな話であることよびわ町のマンホ-ル蓋この辺りは地形が平坦で広々としており、工場用地として開発、売り出したようだ。このマンホ-ル蓋もある大きな工場の新設敷地と堀の間に最近設置された物だった。10kmコ-スの途中にもヤンマ‐の大きな工場がありましたが、この琵琶湖北岸はブラジルやペル-など南米の方々が沢山在住していると大会でも知らされましたが、たくさん工場が存在していることだろう。クリ‐ンな農業用水施設歩いていると田んぼに出くわすが、水の取り入れ口には、独特の設備がしてあって琵琶湖とのかかわりから田んぼ1枚作るにも気を遣っていることが理解できた。集落排水マンホ-ル蓋 小規模汚水処理施設を意味しているはず。我々が住んでいる三田市でもこの種の汚水処理施設が普及しておりますが、琵琶湖は特にこの点に気を遣っていおることでしょうね。我々夫婦は10日、11日共に10kmしか歩かなかったから、マンホ-ル蓋の観察も一部に限られている可能性がありますが、国の推奨で、マンホ-ル蓋のデザインに工夫をする背景があるので、歩けばいろいろなマンホ-ル蓋のデザインにであえる楽しみが在ります。
2008年05月14日
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姫路城界隈はマンホ-ル蓋も花盛り4月29日通常白鷺は白の着色でしたが、ブル-系。マナ-を宣伝したマンホ-ル蓋お城をデザインした排水口・・・小さな施設ですが。消火栓の蓋お城周辺は綺麗に着色してありました。
2008年05月01日
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札幌のマンホ-ル蓋は時計台札幌のマンホ-ル蓋札幌に在住の大学学友が前に写してくれたマンホ-ル蓋です。新設の道路などではカラ-に彩られた蓋もあるかもしれないが、蓋としても通行の、或いは観光客の思いで磨り減ったマンホ-ル蓋。札幌の雪祭り雪祭り-1雪祭り-2折角開催中に送ってもらった写真が、何かの手違いで再現できない事があって拝見するのが今日になったが随分賑やかだったことでしょう。多謝。
2008年04月02日
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蕎麦の町出石 マンホ-ル蓋と辰鼓櫓出石の町は江戸時代、仙石氏の城下町で今では蕎麦の街として名を馳せているが、小高い山裾にあるお城の遺跡は登るのがなかなかしんどい。その点、繁華街にある有名な時計台”辰鼓櫓”を眺めながら、お蕎麦を食べ歩くのが出石見物のコツであろう。我々三田市の趣味のグル-プ『男料理うまい会』も、料理の見学を兼ねてあちこち館外学習をおこなっているが、当然の事ながらこの出石にも団体で来て皿そばを味わったものだ。出石の時計台 辰鼓櫓 日本一古い(1881年)この時計台付近にお蕎麦屋さんなどお店が集まっている。辰鼓櫓が刻印されているマンホ-ル蓋この街では、下水道のマンホ-ル蓋は如何にも地味で、目立たないが、そこへいくと消火栓と上水道仕切り弁は、その所在を極めて明快にしたいとする意図が端的に現れているケ-スである。今日の観光的見地からすると、下水道のマンホ-ル蓋も同じように彩色したものを街中へは配置した方が美しいと思われる。いずれの都市でも目立ちやすいように鮮明な色づけ浄水道仕切弁多くの都市では、ここまで分りやすい姿にはなっていない。尚、街の中心にある時計台”辰鼓櫓”は、もともとお城の時計であったらしいが、明治に入って、地元のお医者さんが長崎から様式時計を取り寄せ寄贈した物で、同年北海道の札幌市にも洋式時計台が設置されたので、いずれが最古かは不明とか。兵庫県北部の戦略的地域とは言え、ここに日本で最古の洋式時計台が設置されて地元の観光資源として寄与している点が興味深い。なおまた、現在出石は町村合併で豊岡市出石となっているようだ。
2008年02月26日
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三田市のマンホ-ル蓋 こんなお顔ですウッディタウンの彩色されてきれいな蓋重複はさけますが、通常はこの文様のマンホ-ル蓋で、地金の色のままの物が敷設されております。ウッディタウンの彩色マンホ-ル蓋の一つ兵庫県武庫川 上流流域下水道 マンホ-ル蓋数日前に妻と二人で散歩していて、天神町と言うのか、三田郵便局本局近くの歩道で、このマンホ-ル蓋を発見!まず妻が(@_@)、新しいマンホ-ルよ。私もアッと驚いたが、その日はカメラを持参してなかったので、今日撮影して、観察してみた。このような表現を刻んだマンホ-ル蓋に初めてであったので、これが三田市のものか兵庫県のものか断定は出来ないが、面白い。次第に三田市の下水道局(課)をお尋ねするべき時期が近づいているようだ。ごくスタンダ-ドなマンホ-ル蓋厳密に言えば、これらのマンホ-ル蓋のほかにもマンホ-ル蓋があるようですが、これらの4種類が代表的な三田市のマンホ-ル蓋と思われます。
2008年02月08日
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宝塚のマンホ-ルとカネボウ保養所雨にぬれているマンホ-ル彩色されていないJR宝塚駅絵お降りて、国道176号線を越えて、阪急宝塚駅を抜けると広い武庫川に出る。その上に架かっているかなり長い橋を渡り、突き当りを左に曲がると武庫川沿いに道路が走っている。マンホ-ルはその道路沿いの小道にあったもので、彩色はされていないが、まあまあの綺麗さだった。観光地だから、彩色したらよいのにと思ってチョット残念だった。しばらく行くとカネボウ宝塚保養所がある。高校の同窓会開催企画で、幹事候補の4人で同所を訪問して、会食と下見を行ったこの建物も以前は日本庭園・日本家屋であったが、阪神淡路大震災で倒壊などの被害を受けたようで、その後洋式建築物に変わっている。保養所だから利用には制約がありそうですが、宿泊は最大48名まで可能だし、低料金で利用できるから、ご興味のある方はご照合下さい。宝塚駅から徒歩10分ぐらい。
2008年02月03日
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案山子祭りのマンホ-ルふた 上山市上山市のマンホ-ルふた二千年6月、上山市出身の知人のご案内で、山形県を訪れて、次の写真でご紹介する上山城の麓の旅館に宿泊した。尚、この城の写真は、お城ガイド の写真をお借りしたものです。このお城は急な陸の上に立っており、写真が摂りづらいので私は摂ってなかった。上山城(摸擬) 元来のお城は破却されて無いらしいが、美しい夕方、このお城を我々夫婦で訪問、見学しての帰り道、下り坂にこのマンホ-ルがあったそれまでマンホ-ルふたについての興味も知識も全く持ち合わせてなかったが、何故か強烈な印象があり、夢中になって写真を摂った。妻も、或いは私以上に妻がこのマンホ-ルに強い印象を受けたようだった。翌朝、別の場所で写したマンホ-ル昨日の興奮を引きずっていた早朝、旅館から一人飛び出して、その辺の道路や屋敷町を徘徊して写したのが上の1枚としたの標識の1枚。雪で埋もれる道路や消火栓の標識このマンホ-ルが横山隆一さんの漫画『ふくちゃん』の主人公だと思い込んだのも興奮の原因でしたが、後日調べたら、この上山市が秋の案山子祭りを行い、その行事にちなんだ物だと分った。山形から帰ってからマンホ-ル蓋の写真を撮り始めたが、その年の夏スイスへ出掛けて首都ベルンで、熊を刻んだマンホ-ルに出合うなどマンホ-ルがグット身近な物になった。さくらんぼ狩りこの旅行では、さくらんぼの産地やお蕎麦の美味しい店、天童や羽黒山、立石寺などを巡回して、山形の雰囲気を味わったが、素晴らしいところだと感じた。ただ、期待していた芋煮がシ-ズンオフで食べられなかったのが、今でも残念である。
2008年01月30日
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マンホ-ルとその蓋(ふた)も奥が深い旅先も含めて、マンホ-ルの蓋を見つけたら取敢えず写真に収めることにしている。但し、マンホ-ルとその都市の関係などについては、後日チャンスがあれば調べる程度です。こんな方式でマンホ-ル蓋の写真を撮り続けているが、今では夫婦の話題にもなる有様で、様々なデザインの工夫に感謝している次第です。しかしながら頭の中では、本当の所マンホ-ルって何かなあ、マンホ-ル蓋のあれこれを知りたいと念願している所がありましたから、今日は思い立ってGoogleによるインタ-ネット検索で調べてみた。そうするとヽ(^o^)丿、やったと言う感じでいろいろの情報を手に入れることが出来ました。 大阪市天王寺区例えば、この写真のマンホ-ル蓋(ふた)は、スタンダ-ドなサイズで、直径が45cmの物と思われますが、明治17,18年頃東京・神田の下水から鋳鉄製格子型からスタ-トして今日のように、デザイン的に見てもなかなか素晴らしい広がりとなっているようです。検索の結果、主に次の3点のHPでマンホ-ルとマンホ-ルの蓋(ふた)について示唆をうけましたし、松本市の手まりと言うマンホ-ルの写真を拝見して楽しくなりました。1.日本グラウンド マンホ-ル工業会 下水道用ふたの歴史この資料によると、マンホ-ルの形式は、東京型と名古屋型が大きな流れであり、そのふたのデザインは昭和30年ごろから次第に全国的な規模で広がり今日の隆盛?を見るようになったそうです。このマンホ-ル蓋のデザインは、これこそ見る人次第で、宝物でもあり、逆にその存在さえ無視されると言う存在です。2.水道産業新聞社 優良図書のご案内マンホ-ル蓋の写真集が発行されているそうです。『日本のマンホ-ル』 国土交通省下水道部 監修 @6,300円(送料別)B5版 304ペ-ジ 1546点蒐集との事。高くて手が出ないから、図書館ででも拝見しようかなと夫婦で知恵を絞っている次第です。3.中田扶紗のマンホール拓本のホ-ムペ-ジ私が写真を写すのは、旅の途中であり、マンホ-ルに出くわすと思ってないから、マンホ-ルにゴミ、砂、タバコ・・・はまっているケ-スが大半ですが 新設物らしくて、砂がかなり残っている。中田扶紗さんのこのHPのなかにも綺麗な拓本が蒐集されておりますが当然ゴミ、砂などの異物はなし。興味とお時間のある方は中田先生の拓本と比較下さい。なおまた、鷺草をモチ-フにしたと思われるマンホ-ル蓋が我々の身近にあることを思い出しました。現篠山市(今田町)のマンホ-ル国内は勿論海外もバスツア-などで、時間的な制約がある中での蒐集だから、写真の為にマンホ-ルを清掃出来る時間はほとんどないだろう。それでも写真を写せれば幸せだと思っている次第です全国的にアマチュアのマンホ-ル写真収集家がいらっしゃる事でしょうから、今後出来るだけ写真を公開して、情報交換を図りたいと思っております。
2007年12月27日
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新聞投稿写真とマンホ-ル11月28日(水) 朝日新聞;投稿欄お昼寝タイム愛知県春日井市の方が投稿された写真が”お昼寝タイム”、の題で声の欄に載せられている。猫がお店の前の歩道?に悠々寝そべっている姿が素晴らしいが、私の興味はその横に何気なく写っているマンホ-ルにある。杖を突いて散歩と言うか足の訓練中かもしれない女性と寝そべっている猫、素晴らしいシャッターチャンスに恵まれたものだ。私にとっては、全国紙の上でマンホ-ルが見られて(@_@)だ。偶然とは言え、本当に面白い構図で撮影して頂いた比叡さんに感謝している。
2007年12月04日
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小倉と門司のマンホ-ルについて11月25.26日正確には、北九州市のマンホ-ルと紹介するべきであろうが、かって5つの地域が合併して出来たといわれている北九州市の他の地域は見ていないから、確かなところは小倉と門司は同じマンホ-ルの蓋を使用していることが分った。いま一つは、下関市でも少し紹介したように、電線などの設備が地価に埋設されていたが、門司、小倉も電線設備が無かったから地下に埋設されていると思われ、その為の出入り口の蓋が到る所に見られた。 汚水のマンホ-ル汚水とは別に雨水用のマンホ-ル(という事は雨水専用の配水管が設置されているのであろう)が見られたのでご紹介。 雨水用マンホ-ル電線などが配線の為に市街や街路がゴタゴタして、どのくらい景観を損ねる事は、かって東京の銀座3丁目のビル勤務時代に大げさに言えば国を挙げて激論の末?電線やチンチン電車の廃線に伴う空中の設備、電信柱が無くなっていく様を見て、ただただ驚きだった事をそれから数十年経っても鮮明に覚えている。小倉や門司もそれと同じで電線や電柱が無いから町はすっきりしていた。 電気と刻印されているマンホ-ル冒頭の汚水マンホ-ルは、多分北九州市のシンボルマ-クが中心に描かれているのであろうが、下関市のふぐの図案を徹底的に利用しているのに比べると分りにくい?JR小倉駅前の陸橋で見た祇園太鼓などが、北九州ときたらピンと来るかも知らない。 JR小倉駅前の祇園太鼓(ブロンズ)
2007年12月01日
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マンホ-ル見て歩き11月10日(土)から16日(金)にかけて、姫路市、たつの市、高知県と旅をする機会があり、マンホ-ルも凄いなあと思えるものからほのぼのとした物まで写真に写せる機会に恵まれた。 姫路城の前の歩道を歩いていて発見 ヽ(^o^)丿 姫路城の前から中庭にかけて沢山の人で埋まっていたが、11日(日)は好天に恵まれて来場者もさぞ満足した事だろう。 新しくかけられた橋の手前から姫路城を臨む 消火栓も白鷺が舞っている 姫路城前歩道にて 童謡”赤とんぼ”の故郷 たつの市トンボが鋳込まれている川西市のマンホ-ル 真ん中のお花はリンドウだろうかこの1週間は偶然興味深いマンホ-ルを見ることが出来てラッキ-だった。特に姫路城前のマンホ-ルは家内ともどもびっくりして、いささか興奮した。これらのマンホ-ルの企画者はそれないにご苦心をされている事だろうが、人々の目に触れないので、せめても私がご紹介させていただいた。
2007年11月21日
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大阪市の彩色マンホ-ル昨日10日(水)、久しぶりに大阪へ向かった。夜、曽根崎警察署近くの通称”お初天神”通りと言うのか、繁華街を歩き阪急側に渡ったが、その通りで久しぶりに大阪市の彩色マンホ-ルを見かけたからご紹介します。お初天神からところどころに見られます。 大阪城と桜が美しいこの写真はデジカメで撮影後パソコンで処理しているので、マンホ-ルもまるで新品みたいですが、実際は少し泥や汚れがあることをご承知置き下さい。設置直後はこうだっただろう。マンホ-ルの名称はたしか、直径45c以上の円形地下埋設施設の蓋に付けられている名前らしいが、こうして彩色されたマンホ-ルを見ると美しい歴史とか、何かのいわれがデザインされているので、どこかでマンホ-ルをご覧になったら、時々チョットご注目下さい。意外に面白いこと請け合いですよ。
2007年10月11日
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