いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2007.12.25
XML
陶器19.jpg

 ワイドショーで「有名人の家のデザインに近隣から苦情」を見て感じた事を記します。

 苦情は、主に「色」に対しての事の様でした。元々、「色」が背負うイメージにも、人それぞれで、あやふやさを感じています。はたして私が見ている「赤」が、他の人にも同じ「赤」として伝わって居るのか・・・。また、その「色」自体よりも、その色を受け入れる時の、その人の精神状態や、シチュエーションに、好みが大きく影響されて来た様に感じています。

 その苦情を訴えている女性達からも、「色」自体への「嫌悪」だけでは無く、相手(施主や建築会社)との感覚(世界観)のズレや、対応に対しての「嫌悪」を、少なからず感じ取れます。恐らく、その女性達の大切にしているモノにも、同じ色のモノの1つや2つは在ると思いますよ。

 私は生モノが苦手です。ただ、元々食べ物の好き嫌いはほとんど在りませんでした。「食べる」に興味が薄いといった方が良いですかね。他人との会話で、食べ物の好き嫌いの話題になると話が盛り上がらず、嫌いなモノが多い人に少し嫉妬に似た感覚を持っていました。 また、私は感覚的に父を苦手に感じていて避けるようにしています。

 少しあてつけ気味に、父が何よりも好きな「刺身」をしばらく意識して避けていました。ある時、仲間の飲み会で久しぶりに「刺身」を食べたら体中が痒くなり、湿疹が出てしまいました。それ以来本当に生モノには一切手が出なくなりました。似たようにして、今では幾つか苦手なものが出来て好き嫌いの会話がはずむ様になり、楽しく過ごしています。

 そんな事からも、モノに対する好き嫌いにも「想い」の影響を強く感じざるを得ません。よく解りませんが、トラウマなどもこんな感じなんですかね? また、よく「センスが良い」・「センスが悪い」と語られますが、センスは「良い」・「悪い」というよりも「合う」か「合わない」かだと感じています。そもそも「感じ方」に正解・不正解があろうはずもなく・・・

 その人が「感じた」ことは少なくともその時のその人にとっては「真実」でしょうね。また、その「真実」も他人に強制できるモノでもないように感じます。そして、その個人の「真実」は他人の「想い」に関り、お互いの同意によって共通の「真実」(好み・常識なども含め)に成り得るように感じます。(07.8.15著)

・・・・・・・・・・

 「人を見掛けで判断しないで!」

 とは言え、個人的にはファッションや音楽・遊び・仕事などの「好み」(見掛け)には、ある程度その人の気質がでるように感じますね。そして同じような「好み」を持った人達には、似た気質を感じられることが少なくないですね。少なくともその「見掛け」が表に現れているその瞬間は、わりと気質を判断する要素に成りえるように感じますね。

 ただ、誰の中にも色々な気質を感じますし、その一時の見掛け(気質)だけでその人を画一的なイメージに固定するのはやはり難しいのかな・・・。またどんな時も画一された自分の好きな格好を通す「オシャレ」もあれば、その場その場で自分なりに雰囲気を読んで格好を変える「オシャレ」もあるように感じますね。そしていずれも立派な「ポリシー」と感じます。

 私も今の中高生達の格好を見て違和感があったりしますが、そこには自分の学生時代の強い規制と比べての嫉妬的なモノが少なからず感じられますね。その分私も大学に入ると、タガが外れたようにメチャクチャな格好をしていましたし、私の同年代には今髪を染めたりして、後になって何か噴出している人も少なくないように感じますね。(08.10.25著)

・・・・・・・・・・

 「次に乗り換えるならやっぱりエコカー!」

 燃費も良く、環境にも優しく、補助金も出て良いことずくめですかね。ただこんなに騒がれて皆が同じような車に乗り始めると・・・なんか気持ち悪いですね。個人的には今のエコカーのデザインには格好良さも感じませんし・・・でも今の世情から、エコの波に乗らないとなんとなく損をしてしるようだし、環境を無視した悪い人間と想われそうだし・・・。

 でもやっぱり好みの車に乗らないと後悔しそうだし・・・。

 ある知人はドライブが大好きで、自分で乗る車は生涯4駆と決めているようです。4駆となれば、その用途を考えれば将来的に見ても「地球に優しい」エコカーとはちょっと縁遠いようにも感じますかね。知人自体は無邪気で純粋な感じが周りからも好かれる気質ではありますが、好きなこと・モノには頑固で、あまり周りに流されない気質でもあるようです。

 どんなにお金や手間がかかっても、どんなに周りから非難を受けても欲しいと思えるモノに出会えることが幸せなのかも知れませんけどね。方向性によっては怖い感覚ですが・・・。私は周りの目や評価が頭から離れないので好きなこと・モノを我慢して身動きでずに生き辛さも感じたりしましたかね。本当はそんなに好きなこと・モノなんて無いんですけどね。(笑)

 逆に言えば良い周りの目や評価が最も好きなモノですかね?そういえば今「好きなこと」を出来ていると感じられている皆さんは、その「好きなこと」って意識して探して見つけられたモノなのですかね?(09.10.26著)

・・・・・・・・・・

 「最近の女子高生の顔は娼婦みたいだ」

 いつも辛口で高齢のコメンテーターの言葉です。「○○○アゲハ」とか、ホスト的水商売系の髪形・メイクも流行っているようですが、特に高齢の方はそんなイメージを強く残しているのでしょうかね。ただ髪形・メイクの好みより、そもそもいつから学生のオシャレに対してこんなに寛容になってしまったのですかね?学校や親も気が付いていそうなものですがね。

 また携帯電話を持っている小学生も増えているようですね?「防犯のために」という声も多いようですが、私も子供が居たらやはり持たせますかね?常に繋がっていて管理・把握できるようにも感じますし、何よりもその方が色々と楽な気がしますので。私が子供の立場で感じれば、秘密も創り易く色々と軽く悪さも出来易くて嬉しいと感じるに決まっていますけどね。

 外見や携帯の機能が原因の青少年を巻き込む犯罪やイジメも増えているようですが、青少年層は大きなマーケットでもあるのか携帯・化粧メーカーもそれに対して積極的な対策もとらないようですし、少子化もあり、学校もあまり締め付けを厳しくすると生徒集めが大変なんですかね?私も出来る限り子供にも気に入られたいですし、大人の都合も多いに感じますかね。

 結果的にそこに子供の為(特に金銭的養育)も含まれてしまうことも少なくないですかね。色々立場でジレンマ感じますね。また是非は別として、私の学生の頃の締め付けと比べると、今の学生にはとても嫉妬は感じますけどね。その時々の立場(環境)ならではの苦労もあるのでしょうけれど、私と同年代の親さんは自分の子にそんな嫉妬も感じませんかね?(09.9.22著)

・・・・・・・・・・

 “This is it”

 基本的に音楽は童謡や学校唱歌(滝廉太郎など)が好きですが、高校でニューウェーブやインディーズ、大学でパンク・ハードロック・プログレなど、マイナーだったり複雑・ひねくれたモノを好むことが格好(センス)が良いという環境の中にあり、それに流されてきて・・・ただ気が付くと、M・Jだけは昔からテープなどによって記録されていたりましてね・・・

 キング・オブ・ポップなんですけどね(笑)今ではポップなモノの気持ちよさも素直に感じられるようになり、個人的に好きなボーカリストの3本指に入ると堂々といえますけどね。ただ相変わらす今のポップな邦楽は苦手ですが・・・(笑)

 彼の言葉に「観客が望んでいるのは非日常的な時間」といったような趣旨のものがありましたかね。確かに彼の中には自分の人種に対してのコンプレックスも強く感じますが、人工的で日常では異質に感じるあの容姿が逆に人間から遠ざかって(ある意味『神』的)ステージでは一段と映えて見えますかね。今回はコンサートのメイキング的映画でして・・・

 彼の色々な拘りが見られて、今までのコンサートフィルムよりも感動も+αでして・・・ただあんなの見せられると何もやる気が失せてしまいますね。比べるレベルがズレているとも感じますが、やはり劣ると解っていて表現する気にもなれませんしね。また映画の中で自然破壊に対する途上国への批判的表現もありましたが、ちょっと興ざめも感じてしまい・・・

 個人的には純粋に彼の特に歌声によっての感動を欲していましたし、彼自身は確かに莫大な寄付もしていたようですが、それでも有り余るような贅沢な生活をしていたようですし・・・ただやっぱり彼のパフォーマンスは格好良くて・・・「それはそれ、これはこれ」・・・とても便利な言葉でヒトの本質であるようにも感じますかね。(09.12.3著)

・・・・・・・・・・

 「ブラボ~!」

 オーディション番組において、素人さんが一夜にしてスターになってしまったりしていますね。例えば容姿が冴えない人がとても綺麗な声で歌を唄いあげたり、また子供が大人まがいの技を見せて周りの人を驚かせたりして・・・。ただ冷静になって他のプロのヒトが見たりすると、その技だけを見ればその位の人は他にも居ると感じている人もいると感じますかね。

 感動を誘った原因は、「子供」や「冴えない容姿」のような元々薄かった(低かった)期待を破られたこと・・・『ギャップ』にあると感じますかね。また、恋人から毎日の様に暴力を受けているのに、極稀に「優しさ」のようにみえるモノを忘れられず、いつまでも別れられずにいる人も居るようですが、『ギャップ』には通常よりも強く人を惹き付ける力を感じますかね。

 先日目にした歴史的人物の紹介番組において、高評価であった人物が下げられ、また逆であったりされていました。科学も同様ですが、比較的歴史の分野は学者などの信念の強さが反映(現象・物質化)もされ易く、次々と新しい証拠が創ら(生ま)れ、「過去」を解き明かそうとしていても、実は「今」から創り上げられた「未来」になってしまう要素が強いとも感じます。

 世の中の全ての基本に自己主張があるとするならば、既存の価値観を次々と塗り替えていく営みが常であると感じます。またこうした180°変えられて表現されてしまったモノは、既存のモノが行き詰った時など特に説得力を感じてしまいませんか?『逆転的発想』と言いますか、この手法は時にヒトの価値観を易く変えてしまう力を感じてしまいます。(11.10.24著)



姉妹日記「価値」へ  / 「索引1」 「索引2」 「索引3」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.06.27 00:06:08
[気功 スピリチュアルかな?] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Favorite Blog

Improvisation004 60ヒロさん

「あんのこと」を観て ゴムニュオグマさん

初物 松茸の浅井商店三代目さん

ようつべ 具なしチャーハンさん
健康は大丈夫ですか? ponti21さん

Archives

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: