いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.06.26
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 今回は、母の作品を内緒で掲載してみました。

 高さ40cm位ですかね。柄は、一つ一つ手で穴を掘ってから色土を詰め(ゾウガンという手法だそうです)、更にその上から再び一つ一つ手で穴を掘っています。これはまだ少ない方です。こんな感じの作品が大小含めて数百ありますかね。病的でしょう?他にも、編み物で同じモチーフを編み続けたり。

 単純な作業が苦にならないようです。逆にそういった事に没頭することで、何も考えずに済んでいるようです。母は大病後、「気」の鍛錬法として、特に「瞑想」に趣を置いていたようですが、そこに繋がるモノも感じますね。ただ、最終的に確信を強める決め手になるのは、術を受ける側の良い反応の積み重ねと感じます。

 テレビの好みは、スポーツやニュース(世情)ですかね。バラエティー(お笑い)も好きです。ただ、意外と昔から不思議系の番組にはあまり興味を示さないんですね。私が見ている超能力番組を見て、自分にも出来るか試して茶化す程度です。もっとも私の関心も能力者本人ではなく、そこに関わっている周りの人々ですが。

 そして「強い自己主張」(ワガママ)気質の人を見ては怒っています。ただ、その人達がバッシング(強い自己主張)を受けだすと、バッシングしている側に怒り、時に前者の擁護に回っていますね。自分の中にも抑圧されたそのような気質を強く感じて、「嫉妬」(憧れ)もあるように感じます。そして、遺跡の番組は、かかさず見ていますね。

 60歳を過ぎてもなお活発で、姉妹や友人を精力的に誘って、年に1度は海外に出掛けるようにしているようです。エジプトやトルコ・イタリア、最近ではペルーなど、いわゆる「聖地」といわれる世界遺産を好んで巡っているようです。マチュピチュでは頭痛との闘いのようでしたが、今までで一番良かったと言ってます。

 なにか惹かれるものを感じているようですが、仕事(?)柄、気楽に誰にでも「頼る」ということも難しいでしょうし、そういった「聖地」という偉大な存在において溜まったストレスを落としてもらう様なリフレッシュの意味も強いように感じます。
崇高なイメージのモノから、「パワーを貰う」とか「浄化する」とか言う感覚も含んでいるのでしょうかね。 

 そして毎回、不思議と行く先々で天候や出来事にも恵まれるようです。(07.10.18著)


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 旅行から帰ってくると早速土産話に華が咲きます。

 母は、相変わらず機械に弱く、デジカメなどに馬鹿にされながら、一生懸命話をしてくれます。そんな時父が、さも行って見てきたように話しに割り込んでは、母の反感をかっています。ただ、それが驚くほど詳しかったりするんですよね。 

 一方、今の父は出不精ですが、私が小さい頃は色々な所へ車で連れて行って貰った記憶があります。そして道に詳しいイメージが強く残っています。初めて行く所だって多かったと思いますよ。また、混んでいるのが嫌なのか、遠回りが嫌なのか、細い道を遣うんですよね。クネクネと。そして車に弱い母が気分を悪くして、よく反感をかっていました。(笑)

 また昔から本が大好きで、部屋には山のように本が積まれています。旅の本や医学書、科学雑誌や動物モノ、スポーツや武道と、ジャンルも幅広く、あまり話しはしませんが、その知識は相当のものと思います。父の頭の中では、世界一周どころか、内外宇宙一周が完結されているのではないですかね。(笑)

 テレビの好みは、動物ドキュメンタリーやNHKローカルモノ、洋画。そして意外と日本ドラマがジャンルに拘らず好きなようです。また、見ていた番組がコマーシャルになると別のチャンネルに変え、またその番組がコマーシャルになると元の番組に戻しと、結局両方とも内容が中途半端になるんです。

 また、他人が見ていたチャンネルを強引に奪っておいて、本や新聞を読み始めたり家事を始めたり・・・。テレビを見ていないのかと思ってチャンネルを変えると「なんだ!見てるんだぞ!」です。また、自分の興味のない番組を他の人間が見ていると、家事を始めたりしてガチャガチャ音を発てます。ボリュームをあげると「うるさいな!音を下げろ!」って・・・。

 これにもまた家族から反感をかっていましたね。そしてまた、私がトイレに入っていると、必ず父が来て扉をたたき、「なんだ、入ってたのか」と言います。とてもタイミングの悪さを感じますが、そんなタイミングの事ほど記憶に残るのです。あたかも無意識に(自分のプライドは守っておいて)その存在を示すように・・・

 とても健気さも感じますが、やはり父親にはどうしても「尊敬」を求めてしまい、なかなか優しくはなれませんね。。ある意味いつまでもこの人の前では「子供」であると認めている事なのでしょう。私は父が苦手です。他人に見る嫌な所程、自分の中にも強く感じることがありませんか?心の何処かでとても似ていることを自覚しているようです。

 前記の「道」の件も含め、父は、頭の中で色々な経験が積まれ、実際に経験しなくても完結してしまうようです。また、絵や彫刻が上手いですよ。具象(写実)的なモノに限られているようですが、半端じゃないですよ。なかなか家族にも見せてくれませんけどね。これもまた自分の中で完結(満足)しているようです。(笑)(07.10.19著)

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 「泣く子はいね~か~!」

 「なまはげ」のように悪いことをしないように抑止的に恐怖を飢え込むような慣わしは、秋田県意外にもあるようですね。「死刑制度」や「体罰」など、抑止についても色々と人によってその是非(線引き)も変わってくるようです。私も個人的な線引きは持っていますが、それを他人に強いる自信はありませんし、自分の中でその線引きが不変である自信もありません。

 「愛のある体罰」なら許されます?私も子供の頃はよく弟をいじめて父親に締め上げられていました。締め上げられている時は、正直愛情など微塵も感じられませんでしたし、時に命の危険すら感じることさえありましたね。それでも弟いじめは止められませんでしたね。体罰時に愛情を感じられていたら、私には抑止としての力はもっと薄らいでいたでしょうかね?

 また逆の立場での自分の感覚として・・・真から純粋で家族同然に大切と感じるペットのイタズラにさえ、そのお仕置きの瞬間には「何故言うことを聞けない!」と言った『憎しみ』が明確に自分の中に感じられますね。そして最後は「力」で抑えつけ、少し時間をおいて冷静になってから優しさで繕い、その感覚に自分自身恐ろしさを感じることもありますね。

 今になっては、父親に対する(力を最終手段にチラつかせた正義や優しさ等)トラウマ的反抗心は残りましたが、逆にその時受けた体罰には特に違和感はありませんかね。自分なりに悪い事(自分にだけ利益のある欲求)に対する抑止は強く根付いていると感じていますからね。ただし体罰を反対する現代の家庭や社会的環境には、不公平(嫉妬)的違和感はありますかね。

 他人に我子を叱られることは許せなかったりするんですよね?自分自身のプライドを傷つけられるような感覚もあるのでしょうかね?時に子供は自分自身になるようですからね。そうかと思えば、他人のせいにして我子を叱ったりするんですよね。「あのおじちゃんに怒られるから止めようね」といった具合に・・・我子に嫌われたくないのでしょうかね?

 若い人の中には、叱られることを心の何処かで望んでいる人もいるようです。気を惹いたり、気を遣われる感覚に違和感・プレッシャーを感じたり、親や大人に威厳(いつまでも尊敬できる存在でいて欲しい)を望んでいる子供も少なくないように感じます。またイタズラ(反発)時に逆に同情を見せられると、反発がすう~っと引けてしまったりもするようですね。

 自分の経験から、人は本当に「理屈」だけで抑止力を身につけることが出来るか疑問も感じますかね。ちなみに私自身への抑止力は「自由を奪われる」ことですかね。例えば罪を犯して長い時間拘束されるなら、「死刑」でも構わないと感じます。執行の瞬間はジタバタすると想いますが、故に「死刑制度」自体に抑止力は感じていませんかね。

 そしてまた心から「やりたいこと」があるのにそれを我慢してまで生きる意味があるのか・・・とも感じてしまいます。方向性によってはとても危険な感覚ですが、他人を傷つけてまでする事に私は満足感を得られるとも感じませんので、今の所、大きな間違いは起こしていないようです。

 そういった抑止の感覚には、子供の頃受けた「体罰」(恐怖体験)の影響も少なからず感じますが、それ以外にも多くの要素の絡みを感じますし、体裁もあり、やはり「体罰」の是非は解りませんかね。(08.9.19著)

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 「尊敬する人は両親です!」

 年に数億円も稼ぐ若いスポーツ選手がキッパリと言い切っていましたね。私も若い時はそのように答えていたように思います。今はどうですかね?育ててもらった感謝は当然ありますが・・・正直今は世の中に真にやりたい事や目的も探せずに浮いた感覚もあり、せっかく生んでもらって人生を楽しめていない感覚に「負い目」すら感じられることがありますかね。

 どんな親だったら「尊敬」できますかね?自分が持てそうもないと感じる技術や才能・社会的地位を持つ親ですかね?自分を才能豊かに育ててくれた親ですかね?私の今の価値観から考えると、既に他人が持つ才能には反発も感じますし、私に常に「戒め」を感じさせる独自の哲学(理屈)を持つ親ですかね?自分のその時々の価値観を常に壊してくれるといいましょうか。

 前記のスポーツ選手の立場を借りれば「ここまで稼がせてもらったら将来は安心だろ。好きなことをさせて貰っているのだし、これ以上の稼ぎは応援して下さるに皆さんに還元しなさい」とか、極端な公平感的なモノも良いですね。芸術やスポーツは経費が掛かるとも聞きますが、やっぱりいい生活しているようですしね?嫉妬も入れておきました。(笑)

 そしてそんな親を持てば、結局「かなわない」といった「負い目」を背負って生きていくのでしょうけどね。また自分を抑制(我慢)できる人間が立派のように教育され、大人になって周りを見れば自分の欲求に素直(ワガママ)な人間ばかりが尊敬され・・・でも調子に乗ると「我慢が足りない」と言われ、また我慢出来る人間にしか尊敬も置けなくなっていて・・・

 私は父に反面教師的な存在をあてていますが、ある意味これ以上自分に戒めを与えてくれるモノは無いようにも感じていますかね。私の性格上、直接言葉(理屈)で悟されると反発も生まれそうですし、「自分で悟った」感覚がないと自分のプライドを傷つけますかね。ましてそれが父の計算であったりしたら・・・尊敬を超えて恐ろしくも感じますかね。(09.12.19著)



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Last updated  2011.05.28 15:45:01
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