いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.07.11
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 気功師の中にも、超能力的なことが出来る人がいたりと、自分の理想とする世界観を構築する上で必要と強く感じた他世界観を取り入れられる柔軟な人も多いと感じます。

 私や母も、テレビを見ては「スプーン曲げ」に挑戦してみるのですが、「やっぱりダメだぁ~アハハ~」で終わります。「やっぱり」や「アハハ」では「必要と強く感じた」という事にはならないようです。腕力で曲げた方が速いですし、今は無くても不便も感じませんしね。確かにそこには「出来なくて悔しい」が少なからず存在しますが、それ以上に「二番煎じは悔しい」なんですね。

 母も、私に「後継ぎ」を期待していることは、薄々・少なからず感じていますが、ここでもその「二番煎じ」が引っかかって、なかなか受け入れられないのが正直な所です。そんな事に拘っているようでは、その資格にも疑問がありますしね。本来自分の感覚が、「気功」という世界観に便乗している感覚にも強く「悔しい」なんですね。

 個々の中には、「自己主張する強い気質」と「他人の主張を理解しようとする弱い気質」が、対極に存在するように感じ、人によってその偏りの度合いが異なっているように感じています。よって、私は、最近「気」の「質」よりも、その「強弱」に関心を戻しています。強弱も質と感じますが・・・いや、やはり私の中では強弱の偏りこそ「気質」ですかね?

 別の「気質」の表現として「やわらかい―かたい」・「あたたかい―つめたい」・「きつい―やさしい」などでも表現されますが、結局のところ、いずれも対極の関係にある表現で言い表されている事には変わりませんし、私の感覚からすると「強弱」や「高低」とも、気を習い(意識し)始めたシチュエーション等による単なる表現の個人差の範疇のように感じます。

 個人的には、気の感覚的「質」も、その世界観を創った先駆者達による一種の「刷り込み」によって創られるモノと感じます。 あえて「強弱」と別に言うなら「気」の質とは、個人的には「想い」のようなモノで、人それぞれその時々で、同じモノは1つと無いと感じています。そしてその「想い」の強さによって・・・結局「強弱」に戻ってきてしまいましたね。

 そこに「関心」(気)が生まれた時、「個性」(姿形の違いも含め)として見分けられていると感じます。関心が薄いモノは同じ様に見えていませんか? 私の今の基本は「他人の主張を理解しようとする弱い気質」に偏り、固まっているようで、「スプーン曲げ」のような「自己主張」型には、少なからず私の中に「嫌悪」・自分の個性との「差別化」的抵抗も感じます。

 ただ、そこには自分に無いモノに対する「憧れ」や「嫉妬」の裏腹を感じます。またそれがプライドに触れ、より強く拒んでいるように感じます。そして、弱い気質の裏には、自己主張に対する強い欲求を感じられます。

 また、私にとっては、より「柔軟性」が必要と感じます。こうやって、自分自身を見つめ、「文字」や「言葉」に表し、周りに知らしめる作業が、色々自分のプライドに働きかける作用があることも感じています。「スプーン曲げ」は、私自身の「精神的成長」のバロメーターとして、これからも事あるごとに挑戦していきたいと考えています。(笑)(07.9.30著)

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 「我が巨人軍は永久に不滅です!」有名な台詞ですね。ただ、「永久」と「不滅」って・・・意味が重複していませんか?

 私は小さい頃からこの手の事がダメなんです。以前にも話したことがありますが、私は人の話を理解しようと話している内容に気を向けるほど理解が出来なくなるんです。むしろ言葉の調子に気を寄せるようにするのですが、前記のような場面に出くわすと、まだ意味も理解する前に、何かどうしようもない「気持悪さ」が何より先に伝わるんです。

 今では「意味が伝わればいいか。皆に尊敬される人の言葉だし・・・」と言った具合に「気持悪さ」を抑えられるのですが、小さいときは難しかったですね。他の人の話では、床の模様(線)にテーブルがそろってなかったり、壁に掛かっている額絵がわずかに曲がっていると「気持悪い」とかいう事も耳にしますね。彼らも何だか解らないけど「気持悪い」そうです。

 「神経質」(几帳面)とか言う括りの性格ですかね。(私のヤツは「揚げ足取り」ですか?笑)ただ私などは、興味事や必要性を感じない事に対しては他の人以上に面倒くさがりだったり、大雑把と呼ばれる人にも「なんでそんな所に拘るの?」と感じたりします。誰にも興味事には拘り、興味薄いものにはズボラさを少なからず感じますね。皆さんはどうですかね?

 以前に、催眠術の番組で被験者が、「どんな感覚なんです?」と司会者に聞かれて、「恥ずかしい事と解っているんだけど、指示された事をやらないと気持悪くてしょうがないんです。」って答えていた事を思い出します。ある意味のルールを刷り込まれた感覚なんでしょうかね。ルールに縛られたり、逆に奔放だったり、人の言うことに素直な気質時に多いように感じます。

 少しそれますが、私は常に自分の周りを把握していたいと感じています。元々お酒は強い方ではありませんで、そこそこ呑むと「気持悪い」になります。ただ、「今回は周りに任せて羽目を外しちゃおう!」と割り切ると、酔い(飲酒量)が違ってくるんですよね。そこでもルールに縛られ、自分を抑える性格の影響も感じます。

 「性格」って生まれ持ったモノ(遺伝等)っていわれますが、私は違和感を感じますね。赤ちゃんの「人見知り」も耳にしますが、生まれたばかりでもそんな反応があるんですかあ?もっとも「胎教」とかいうモノの研究もあるようで、生まれ出る前から外からの影響を受け始めているのかも知れませんね。

 時に「性格」は、それぞれの「想い」の遂げ方・表現方法の違いのようなモノでもあるように感じます。(08.6.6著)

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 自称「潔癖」と「雑」に別れて、芸能人達が討論していました。

 今回「潔癖」な側の拘りは主に『汚い』のようでしたが、他にも細かくキチッと物事をこなしているようです。「雑」な側からすると「それじゃ楽しくないし疲れちゃうでしょ?」と言われていました。それに対しては「キチッと生きることはとても気持ちよい」と答えていましたね。少なくともキチッとしないと理屈無く「気持ち悪さ」は感じているようですから。

 確かにある意味あれだけ物事に拘って生きられることには時に羨ましさも感じたりしますかね。ただその受け答え等の他人との関りに関しては、むしろ「雑」さを感じられることも少なくなかったですかね。(笑)結局の所、いずれの性格でも興味事には「潔癖」(拘る)であるようですし、同じように「気持ちよさ」(満足)は得られているように感じますがね。

 「拘り事」が日常的に目に付く事柄であるか否かもありましょうし、極端な性格の討論で、あまり噛合っていないようでしたが、相手を否定することでお互い自分の生き方(世界観)を正当化する(守る)ような役割もあるのでしょうかね?そして以前血液型でも同じような討論をしていましたが、今回はいずれの性格にも複種の血液型の人間が含まれていたようですね。

 私も何か表立ったモノによる気質の分類方法を探ってはいるのですが、全ての人をきっちり当てはめられるモノは無いでしょうね。偏りは感じますが、特に関わる相手によって全ての人に全ての気質の変化は感じますからね。ただ、同じモノに人の関心が集まった時においては、比較的気質がそろうようなことも少なからず感じたりしますかね。(09.9.29著)

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 「俺はお酒に強い♪」

 そう言う知人は今日も沢山お酒を呑んで上機嫌です。確かにいくら呑んでも気持ち悪くならないようですが、大きな声を出したり、見知らぬ人にまでちょっかいを出してしまって、トラブルになることも少なくないですかね?私の周りの「酒豪」には、特にお酒が入るとハメを外せるタイプの人が多かったりしますかね?そして比較的女性も多いですかね?

 また一見真面目で物静かなタイプの人にも「酒豪」が居たりしますが、このタイプの人も結局は自分の意見を強く持っていて、それ(表向きな頑固)を日頃から迷わず表すことができる人が多く、「自己主張」気質という点においては、前記したタイプの人の部類に入るように感じますかね。広い意味で欲求に「素直」という所にも括られる人ですかね?

 逆に私の周りにいる「下戸」と呼ばれる人を見てみると、割と他人の目を気にするタイプの人が多く、「常に周りの状況を把握していたい」的なモノを感じたり、酔って醜態(?)をさらすことを恐れるような強い「自己抑制」気質を感じますかね?一見普段から調子の良い人も居ますが、裏には常に周りを伺っている「したたかさ」を感じたりしますかね。

 また、他人に先に酔っぱらわれ(ハメを外され)てしまうと、周りや後のケアを考えてしまって不安になって酔えなかったり、騒ぎの中心に入り込み損なって後から追いかけるように酔うのも二番煎じ的な感覚があって悔しくて酔えなかったり・・・とにかくアルコールによって普段から理想とする自分の姿を崩さないように無意識に抵抗しているようにも見えますかね?

 せっかく欲求の吐き出しの場を与えられたにも拘らず、葛藤しているようにも見えますかね?もしアルコールにそういった自制を外すような力があるとすれば、そしてまた「下戸」と呼ばれる人がそれでも自制を保とうとするような気質の人であるならば、「下戸」と呼ばれる人の方がむしろ「お酒に強い」ということにもなりませんかね?

 そして前記したストレスなどの精神的なモノの他に、広い意味で「自分の中に溜めているモノを吐き出す」的なことに「酔い」との関係を感じたりしますかね。個人的には汗(熱)や尿など物質的なモノの代謝が活発な人ほどお酒の量がいけるようにも感じますかね。ただそういった医学(科学)的要因に繋がりそうなモノ(体質)の基には気質的なモノを感じますかね。

 小さい頃からルールを刷り込まれるように、起こる現象にいちいち科学的要因に繋がる根拠を残し、無意識にそちらに刷り合わせるように・・・時にはそこに「逃げ道」(責任転嫁)の余地を残したり・・・。そして汗や尿などは、周りを気にする気質の人にとっては時に最も天敵となるイメージのモノだったりして、結局そこでまた我慢が発生したり・・・

 そしてまた「自己主張」気質・「自己抑制」気質として大別してみましたが、結局のところいずれもその時々で最良と感じるモノを選択しているわけでしょう?見た目の解りやすさや時に体裁に違いは感じても欲求を満たすという点では変わりなく、いずれも「自己主張」になるようにも感じますがね。(10.12.5著)



姉妹日記:  「体質」  / 「索引1」 「索引2」 「索引3」





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Last updated  2012.11.18 14:47:16
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