いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.07.29
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 皆さんの心の中にある「愛」の定義ってどんな感じです?

 「好き」の最上級的な位置づけですかね?ちなみに私は、「好き」は「本能(欲)」で「愛」は「理性」ですかね。言い方を変えれば、表面上の「自分優先」か「他人優先」かですかね。ただ、基本的に「他人優先」ということはありえないと感じます。外目に「他人を優先」しているよう見えても、結局は全て自分の「欲求」を満たしている行為のように感じますね。

 皆さんの心の中にある「浮気」の定義ってどんな感じです?

 自分を「愛する」と約束した人が、自分以外の異性に対して体やお金・時間を費やすことですかね?ちなみに私はその人が「嫉妬」を感じることなら何でも「浮気」になり得るように感じますが。自分だけが興味を持つ仕事や趣味(宝石・オシャレ・アイドルなども含め)、子供などだけに体やお金・時間を費やすことは「浮気」にはならないのですかね?

 私の定義で「愛」を進めていくと、相手が他の異性を心から「好き」になることを望んでいるなら、自分の「束縛したい」(欲)を抑えてでも認めなければなりませんかね。「人間愛」ってどんなモノ?「好き」(欲求)を切り離すようにして、相手によって差別(制限)をつけて行うモノになってしまうと「愛」ってそんなに尊さを感じませんかね。また想いが巡ります。

 これ以上話を進めると、「浮気」を肯定しなければならなくなりそうそうなのでやめておきます。(笑)「本能」(欲求)は「理性」(理屈)ではどうにもならないことも多いようです。時に「理性」(理屈)は「ワガママ」(欲求)を通す「言い訳」にすぎないようにも感じます。そして「本意」でない所へ進んでしまい、後戻り出来なくなったりします。 

 また「気」に限らず、初めは自分の中に「確信」を築くために、「理屈」は大切なモノの一つと感じます。ただその「理屈」で構築された「世界観」(能力・感覚)の更なる「強まり」を求めると、元の「理屈」(制限)が邪魔になることも時に感じられます。「理屈」は状況(矛盾等)により変化し、その時々で自分の心にしっくり来るもので良いと感じます。

 また、様々な変化・世界観を受け入れられる心の柔軟性も大切と感じます。

 私のような人間には、物事を「理屈」無く楽しめる人と同じように、「理屈」を考えている時が「理屈」無く楽しかったりするんですね。そしてそこから新しい「感覚」や「能力」が生まれることも感じますし、物事を「理屈」で理解していると、急な状況の変化にも他人の知識を頼ることなく、自分自身で対応できる力(応用力)になると感じます。(07.12.11著)

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 「人は平等であることが基本なんだから、たとえ好きな人でも常に優先するのはおかしい」知人の言葉です。

 確かに存在的には平等だと感じますが、そこに人の基本があるかはちょっと違和感がありますね。元々(本能的)の人は自分以外の存在に好き嫌いで順番をつける事が自然(基本)のように感じます。ただ、私も彼女の「たとえ好きな人でも常に優先して考えるのはおかしい」には共感もありますね。「一生おまえだけを愛する」・・・って、私は時に不信感を抱きますかね。

 「そのうち浮気するんでしょ?」と言うよりもむしろ、同等に問題が起きた時も常に「愛する人」を優先し、他の人間は後回しにしてしまうのですか・・・という不信感ですかね。その「愛する人」より前からの付き合いで、時には一緒に頑張って来たのにそりゃ無いよ・・・とかもあったりしますかね。出来る限り今目の前に居る人を最優先していたいと感じています。

 平等的価値観も、これまでの人生において教育(後付け)されたモノであると感じますが、自分の善悪(好き嫌い)等の選択が強く働いていることも感じます。確かに素直な感覚ではありませんが、どこかで自分をコントロールできている満足感も感じていますかね。そういったことに優越感を感じるのも「理屈」(理性)の楽しみ方の1つと感じています。(08.8.18著)

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 「無償の愛」とか言いますね。

 与える一方で見返りを期待しないような意味ですかね?「欲」の無い崇高なイメージもありますかね。ただそこにも「与えたい」という気持ちが必要で、それって「欲求」になりますよね?そして「与える」という行為に移った時点で「欲求」を満たしたと言うことになりませんかね?かなり体裁は良いですが、欲しいモノ(満足)を手に入れる行為に変わりませんね。

 与える側には例えその気は無くとも、相手には少なくとも「感謝」や時には「負い目」なども与えてしまいますよね。「無償の愛」って時に一番贅沢な「満足」を得られる欲求でもあるように感じますね。ただ、時に「感謝」って、する側にとっても気持ち良い感覚があったりしません?「感謝せずにはいられない」的にそれこそ自然に湧いてくるような・・・。

 お互いが同時に欲求を満たせる感覚ですかね。チャラってことで、これがある意味「無償の愛」ですかね?あとは本人が何も意識しないでした事に対して、周りが勝手に「感謝」等の感情を持つことですかね?ただそれって「愛」なのかな?やはり「与えたい」という意識(欲求)を伴って初めて「愛」のように感じますけどね。

 私の若い頃は男性が様々な支払いを請け負う雰囲気がありましたが、最近おごられる事を嫌い、割り勘にこだわる女性も少なくないですね。確かに下心も感じますが、相手のプライドを立てて「負い目」を負ってくれても・・・(笑)(08.11.15著)

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 「むっつりスケベ」って言いますよね。

 人前では「スケベ」さを隠してはいるが、いざその時になると・・・て言うことですかね?となると基本的に私もそこに当てはまると自覚しますが、あまり良いイメージには遣われていないように感じますかね。普段から下ネタなど「スケベ」さを表に出していた方が嘘がなくて好感を持てるとか?確かに「ギャップ」にも要因を感じますが・・・。

 ただ実際に隣にそんな人間が居たらどうですか?少なくとも私は周りの雰囲気を壊さないかハラハラさせられたり戸惑いを感じる方ですがね。へたすれば「セクハラ」とか騒ぎ出す人も居るのではないですか?ただそれが好きな人だったりすると許せてしまったりもするのでしょう?それもある意味むっつりスケベにもなりますかね?

 未成年を「好き」になることは、罪に問われるくらい世間では嫌われていますよね。TVのコメンテーターとして罪を犯した人に正義感たっぷりに諭しをしているミュージシャンもいますが、確か彼の奥さんは20以上歳が離れ、16歳の頃には交際をしていたようですが・・・結婚の意志があれば許される?・・・その辺の線引きも微妙なモノがありますかね。

 性的下心は切り離して書いてしまいますが、一種の純粋を求める形の1つにも感じますかね。もっともそれを切り離してしまったら語る意味も無くなるのかも知れませんがね。ただ未成年同士の「好き」だったら少なくとも罪に問われたりはしないのでしょうが、かえって若い時の恋愛にも性的興味が強い分、不純だったりすることも少なくないと感じますけどね。

 そして性的興味(好奇心)は純粋な欲求ではないという定義が前提になりますかね。

 また女性でも未成年のアイドルに群がる光景も多く目にしますが、男性のそれとはイメージの悪さに差を感じますかね。そして芸能界をみると人気の主力はどんどん若年化していますかね。もちろん仕掛け人は大人達でしょうし、売り込む対象も同じ若年層だけであるとは感じられませんかね。少なからずメディア(大人)による煽り的力も感じますけどね。(09.11.5著)

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 「話せば解るよ!」

 例えば映画などで「悪を根絶するにはより強い悪が必要」的な表現がありますよね。またヒトの心を動かすには悲惨であればあるほど効果的であったり・・・社会の裏にある不条理を正すのに正攻法でいっても周りには見向きもされなかったり、力でインパクトを与える方法をとると「暴力はいけない」という事に重きが置かれ、身動きとれなくなってしまったり・・・

 皆さんは自分の欲求を全て「話合い(理屈)」で抑え込めます?特に悪いことと理解してあえてやっているヒトに理屈が通じますかね。そして「暴力はいけない」という言葉が出ることを期待し、正義感を逆手にとっていつまでも悪がはびこる事が出来ているとも感じますがね。少なからず私の「子供」の頃は、親の言葉による諭しはほとんど効果は無かったですがね。

 もう子供じゃないんだから・・・?悪いことと理解しても欲求が先行して自制が効かない大人の中身は子供のような気質なんじゃ・・・確かに幼い頃からの教育(刷り込み)によって非暴力的な気質に矯正も出来ると感じますが、そこに少なからず「嫌な想い(暴力)」的経験の関与も同時に感じ、まして大きくなってしまってからの矯正は難しいものも感じますかね。

 「ハンガーストライキ」なども細かく内容を見直した時に、その非暴力的な方法をきっかけに心を動かされた人達が、末端では暴力的な運動をした結果世界が変わったりして・・・「ハンガー」も結局はヒトの「命」を盾にしているように感じ、純粋に非暴力的な方法が存在するのかは疑問も残りますがね?「理屈」は鬱陶しいと感じたり、喧嘩の後に親友になったり・・・

 ヒトの基本に単純に「気持ちよい」を求める広い意味での「自己主張」があり、各々がその違いを表そうとするならば、良いイメージのモノだけでは収まりきれる訳もなく・・・「善~悪」的な共存(幅)が生まれるのが必然なのですかね?個人的には善悪の価値観も生まれながらの環境や教育によって創られるモノで、ヒトの基本に正義があるとは感じませんし・・・

 罪を犯しても自首をすると減刑されることがありますね。つまりヒトの心情としては、そこで逃げてしまうことが普通として考えられているためにご褒美的に減刑があると聞きました。法律的にも本来のヒトは「弱い」を基本に置いているようですし、正義の感覚にもヒトによってズレを感じます。そして正義の根本にも嫉妬やワガママ(欲求)的資質を感じますかね。

 「正義は必ず勝つ!」・・・「正義」に勝ち負け的表現が付いて回る事に違和感がありますし、言い方次第かもしれませんがなんか威張っている感じで反発したくもなりますかね。そして現実を見れば、世間で「勝ち組」と呼ばれる人達には、むしろ正義的な印象が薄いように感じられることも少なくなく、その言葉にも時に「上手く扱われている」感があったり・・・

 また悪1人を諭すまでに多くの善に犠牲が出たとしても、ヒトとして「話せば解るよ!」に拘りますよね?そして全ての悪を諭すのにどれだけ多くの善の犠牲を我慢できます?その中に自分の身内が居ても我慢できますか?そうなれば私は一時的に悪に成ってもそれを制する・・・ほら、少なくともここに一人「話しても解らない」ヒトがいました。

 ♪キミ~が笑ってくれるなら~僕は悪にでもなる~♪・・・定義にもよりましょうが、愛も常に正義なのですかね?私も「暴力反対」ですし、過去の自分に対する「暴力」の経験から決して肯定もできませんが、正義感からというよりもその行為自体に恐怖(気持ち悪さ)や、時には面倒臭さを感じるからで、あくまでも受身的立場な感覚でもありますかね?(10.11.16著)



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Last updated  2012.10.20 19:04:46
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