いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.11.30
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 知人の知人(他人ですね)のお宅にお邪魔した時の話です。

 そこには、小学校前の兄弟がいました。兄は物静かで人との関わりが不器用な感じ、弟は活発で誰にも愛想振りまく要領の良さを感じました。弟は我々とも直ぐ馴染み、兄は目を合わすこともほとんどありませんでした。

 弟の居ないちょっとしたタイミングに、「ああいう弟を持つと、兄貴は色々と大変だろう?」と声を掛けると、クルッとこちらを向き、目をキラキラさせました。その後少し大人な会話をして、その兄弟達とは別れました。あのキラキラした目が今も焼きついています。私も彼らの頃は、既に周り(特に大人達)を気にしながら、イタズラなどしていた記憶があります。

 そこには「親の目を惹きたい」の質が含まれていたりもしますかね。私自身は、「親の目を惹きたい」よりも、それ以外の単に自分の欲求を満たす行為と、自分(プライド)を守る行為が多かったように感じます。結局のところ、「親の目を惹きたい」も欲求の形の1つでしょうがね。そして逆にそこに自分(プライド)を守る目的も多分に含まれると感じます。

 「気」の治療に限った事ではないと感じますが、子供さんの場合、調子の悪さをその両親(気を惹きたい人)の前で認めてあげたとたんに症状が急激に変化したりします(子供に限った事ではないと感じますが)。また社会的にある程度の地位にいる両親を持ってプレッシャーを感じ、また親のプライドを他世界観から守る様に子供が無意識に自ら病気を背負ったり・・・。

 家族を自分自身(プライド)とみなしている子供も多いようです。親の側にも言えますね。自分の成し得なかった夢を子供にかけたり、自分の自慢をするのに子供の話を出してきたりしますね。自分が創った作品のように。そして時には自分の命まで投げ出せるんですかね。まさに自分自身です。

 人により「創造物」や「仕事」・「趣味」・「動物(ペット)」なども、自分自身になりますね。私などはそのタイプですが、自分の子供を持てばやはり何よりも優先しそうです。自分の子供の頃は棚に上げて厳しく接したり、自分のやりたい事を我慢して当たってみたり・・・いや、やりたい事を優先するでしょうかね?どちらにしても子供を持った自分が怖いです。

 私は、子供の頃の記憶やこれまでの関りから、特に話しをする時など、大人と区別した付合いが難しいです。最初は子供から戸惑い(例えば、「子供らしく」しなくて良いのかな?)を時には感じますが、後にはむしろ大人同士の会話よりしっくりいくモノも感じます。親以外の大人などに対しては、かえって正直になれることもあるように感じます。

 特に子供からは、相手(特に親)の自分に対する扱い(教育・躾けなど)から感じて、自分の立場(大人っぽく・子供らしく、時には別人格的なモノ)を無意識的に創り上げる力を強く備えているように感じます。そこには自己防衛を基本に、「好かれたい」・「好きでいたい」とかいう自分自身の呪縛、時には親の面子も背負っているようです。

 私も時には子供を鬱陶しく想うこともあります。ただそんな時こそ他の大人達と同等に子供と関われているとも感じてしまいます。そして子供の頃の環境に、良くも悪くも個々の世界観の構成に多大な影響を感じます。 色々と言葉の足りなさも感じてます。「子育て」を放棄した人間の「言い訳」としてどうか多目に。(07.12.5著)

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 「息子が車両事故を起こした。」と知人が嘆いていました。

 普段から良くない運転をしていて、「そのうち事故でも起こすからね!」と注意していたようです。そして言った通りの結果になって「ほらみろ!言った通りになった。」とも息子に言ったらしいですね。また知人は普段から「感が良い」(先の事が解る)と言う自覚があるようです。歳に関係なく、子供は特に親の「言葉」にはとても強く影響を受けるように感じます。

 子供の頃などは、親の言付けを守って(素直に)行動していると、それなりの結果が得られるように感じます。そういったことが積み重なると親子には特に「言った通りになった」(予言)的「信頼関係」が根付いてくるように感じます。前記の知人の件も、「そのうち事故でも起こすからね!」の言葉は息子の心の何処かに常に引っかかって意識されると感じます。

 そして事故後の「ほらみろ!言った通りになった。」でさらにその呪縛が強まっていくように感じます。普段の様子から、おそらくその知人は「ほらみろ!言った通りになった。」が息子達に対して口癖のようになっていると感じます。そのようにして、病にも多くの親子の呪縛的原因を感じられることがありますね。(08.7.15著)

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 「30歳にもなって、親のせいにするな!」と罪を犯した人間に対して芸能人コメンテーターが言っていました。

 例えば、子供の頃から親に敷かれたレールに沿って素直に育ち、また自分(親)のやり方がベストとして親以外の大人から学ぶことも教えない環境に育った人間がある程度大人になり、想った通りの結果にならなかったことから親の都合で「ここからは自分の力で生きていけ」なんて見放されて、誰もが自立した大人としてすぐに自分自身で修正がきくものですかね。

 まして子供の頃の失敗やワガママはまだ受け入れられますが、ある程度成人になってからのソレには世間は冷たいですからね。最近はこんな世情のせいか特に厳しいものも感じますね。勿論全てに当てはまることではないと感じますが、おそらくゼロから人間を形成していく(ルールを刷り込む)訳でしょうから、初めに関る特に親の影響は大きいと感じますね。

 もっともその親もまたその親から、またまたその親もその親・・・といった具合に代々引き継がれてきて来ているモノに影響されているのでしょうけれどもね。厄介な呪縛連鎖のように感じますが、その是非は私には解りませんね。ただ、気功の施術中にする何気ない会話にも、年齢を問わず親との関り的な内容が出てくることも少なくないように感じています。

 ヒトはいくつになっても「子供」を少なからず残していますし、前記したような子供の頃の環境によって、いつまで経っても「子供」でいられるように感じます。特に行き詰ったり、病気など自分の想うように周りが動かなくなってくると、そういったヒトのせいにしたくなったり、ワガママになったりといった「子供」的気質が顔を出しますね。時に本音だと感じます。

 そしてその「子供」気質が顔を出したとき、良い意味でも大きな力を発揮することが少なくないと感じています。

 今テレビに出演できるような、ある程度順調に事が進んでいる時期にあると考えられる人たちにはあまり言われたくない言葉でもありますかね。それなりの努力は認めますが、ある程度自分のやりたい事(ワガママ)を通した形が今のテレビ出演にも繋がっていると感じますし、そこには少なからず他人(子供気質)の助けもあったように感じますがね。(08.7.18著)

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 「お腹の子、逆子なんだって」

 知人の娘が検診においてそう医者から告げられたと悩んで、知人(母親)に打ち明けてきたそうです。知人は「あなたも逆子だったけど後に元に戻ったから大丈夫よ」と伝えたそうです。するとすぐその後の検診において「逆子が直っている」と告げられたそうです。未知のモノに対しては、経験者のアドバイス(言葉)が強く影響を及ぼしたりするように感じますね。

 まして母親(家族)の言葉だったりするとその効果も絶大だったりしますかね。ただ大人になると家族の言葉(気)は、切羽詰りもしないと逆に他人以上に届かないことも少なくないように感じます。身近であるが故に普段から嫌な所やだらしない所なども同時に見てきているため、プライドも拮抗していて素直に言葉に従えなか(信頼できなか)ったりもするようです。

 ただ親の言葉は何処か(無意識)に引っかかっていて、ふとした所で表に噴出したりもしていると感じますね。それとも母の言葉により娘の「想い」が強まり、お腹の子に伝わりましたかね?二人の関係も既に親子ですからね。(笑)(09.9.24著)

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 「子は国の宝」

 「子供は社会で育てよう」と、子供手当てや授業料の無料化などの政策がなされていますね。また保育施設の増設なども叫ばれているようですね。確かにその政策によってお金が出来て、また保育施設が増えることで子供達から手が離れ、共働きもし易くなりますから、親にそのつもりはなくとも、結果的に保育所(社会)で子供は育てやすくなりますかね?

 もし保育所の支払いのためだけに共働きになってしまうのだったら育児放棄的で本末転倒にもなりそうですが、個人的には最近一人っ子も増えてきましたので、出来るだけ小さい頃からそういった施設に入れて団体生活を強いることは比較的賛成ですかね。全ての子供が最下~最上級までの色々な立場を経験し、我慢や思いやる能力も養え易くなるとも感じますのでね。

 兄弟姉妹関係だけでは得られない立場を全ての子供達が、より小さい内に経験出来る訳ですからね。ただ少なからず天才とかスーパースターとかいった才能の芽を摘むことにもなりそうですかね?個人的には「ワガママ」を強く感じる才能なのであまり好みませんが、時に強いワクワクをくれますので、その才能の持ち主が居なくなってしまうのも寂しいですかね?

 今の自分がそういった人間にはなれない嫉妬が強い自覚もありますかね。私はあまり賛成もしませんが、経済的なことや育児仕事の負担のことを考えるなら、やはり昔のように親との同居ですよね。それでもお互いが人間関係の鬱陶しさを優先してそれを避けるのなら、あまり国にお金のことで強く言うのもちょっと筋違いのようにも感じますけどね?

 「子は国の宝」・・・将来の「労働力」的に当てにされるのであれば気持ちの悪い言葉ですがね。将来的にその子供達が皆この壊れかけた国を背負ってくれる保障はありませんしね?それなのに今までしっかりと働いて税金を納めて来た高齢者達の年金や保険料などが削られ、それが子供に流れたりするのでしょうから理不尽を感じている人も少なくないでしょうね?

 むしろそうやって結果を出して来た高齢者の方が「宝」であるようにも感じますがね?またスポーツ選手などの年俸アップの理由に「子供に夢を与えるためにも・・・」と言っている評論家もいましたが、そこにも気持ち悪さも感じますかね?確かにお金を稼げる意味では「仕事」でしょうが、他より「趣味」的要素も強く感じたりもしますからね。 (10.8.1著)



姉妹日記:  「両親」 「私」  / 「索引1」 「索引2」 「索引3」






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Last updated  2010.11.20 13:25:34
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