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2007年10月24日
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テーマ: 精神の世界(125)
カテゴリ: 宗教
前回の「護戒波羅密」は、本来の心の在り方を言葉で示そうとしたものと言うことが出来る。心は本来無相である。言葉で示された状態は有相の面である。無相を有相に変えるのは真実ではない。このような観点から説法は方便であると言われる。真理は直接言葉に出来ないという意味である。

そこで戒律の内容を見てみると、どれも有相の否定であることが分かる。つまり無為を示唆しているのだ。これが解ると、一切の戒律の意味が全く別の角度から読めるようになるであろう。つまり一切所に我は存在しないという視点である。この視点に入れる者は、一切の罪から解放されて、無垢性の自己を確認することになる。ここが悟りの入り口なのであり、人々に戒律が示されている宗教的意義の最も重要な一つでもある。

しかし天上者でもない一般者には、普通この戒律を見て即座に悟りの境地の入り口を見分ける力は無い。それ故示されたすべての戒律に対する心の葛藤が生じる。勿論天上者であっても、或いは悟りの者であっても、現実が問題にされる場合には、心と現実の葛藤は外面性として現れる。つまり心と現実には永遠の矛盾があるので説明がつかないということだ。

例えば一般には「殺してはならない」を守りきることは出来ない。食肉の問題もあれば、害虫駆除などの問題もある。人畜に危険な野生の動物とか殺人鬼の問題なども、戒律との関係を思えば尽きざる葛藤が現れる。従ってもし「殺してはならない」の戒律を、宗教的修行者の域を超えて一般社会にも及ぼしたいのであれば、どのような事態に於いては何を殺してはならないのかというような細かい指定が必要になるだろう。何故と言って、一般社会人は悟りを求める特定の人物のように、己の生命を投げ捨てる覚悟で生きているのではなく、己の生命を守ることを前提に生きているからである。

また次に事実上頻繁に生じる「嘘を言ってはならない」との葛藤を想起してみよう。或る絶望的な病の者を看護する者が、病名を偽るなどで病者の心を安楽にしようと計る時などにも、やはり宗教的な心との葛藤が生じるであろう。このような時、看護者によく生じる葛藤は、「例えこの嘘によって、自分の魂が罰を受けて地獄に堕とされるとしても、この不幸な病人の心を一時でも安らかに保てるのであれば、決して自分は後悔などしないのだ」というような心である。宗教者に現れる心の葛藤とは、常にこのようなものだと考えられるが、このような葛藤を何度も乗り越える過程の中で、人は徐々に悟りの境地に近付くのである。またこのような葛藤の過程を与える事が、一般者に対する戒律の意義でもある。





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最終更新日  2007年10月24日 17時09分00秒
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