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2008年05月24日
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テーマ: 精神の世界(125)
カテゴリ: 宗教
新約聖書で見るイエスの言葉からは、殆ど同じ言葉に重なるように、「神の導きの声として体験される天国への道」と「清浄なる真理の世界への悟りの道」として説かれる天国への道の二種が読み取れる。

この中、前者の「神の導きの声として体験される天国への道」については、原始的な宗教に於いて特に顕著であるが、その各々に於いて、極めて多様な脚色が為されているのを見聞することがある。

キリスト教に於いても勿論脚色は認められるが、仏教には仏教独自の仕方で脚色されているのが見える。

また、この道を完走して天国へ入った者は、そのような宗教家のみではなく、哲学者や芸術家にも見られる。勿論その他にも、何の作品も残さなかった一般人にだって、天国へ入った者は沢山居る筈だ。唯残念ながら、作品などによるその痕跡が殆ど残されていないだけである。

新約聖書では、イエスが様々な比喩話を用いて、天国への示唆を語っているが、仏教でも特定の経典がそれを語っている。

例えば阿弥陀経などでは、信仰篤き者が死に臨む時、阿弥陀仏が眷族を引き連れて来迎する様が描かれている。これのみならば、冒頭に分別した後者だとも考えられるが、地蔵経などの説と組み合わせれば、前者の道にも重なるのである。

また冒頭で「原始的な宗教に於いて特に顕著である」と書いたが、例えば古代エジプトの宗教に関わる『死者の書』なども、本質的には地蔵経などとも重なるところが読み取れる。

概して天国に生を受けた者は、悟りの道に入っても歩みが早い。これは、この二つの道が、実には一つの如くであることに基づく。

従って、天国に生を受けた者は、イエスならずとも、イエスと同様に、その道を人々に説き示す能力はある。しかし天国者の殆どは、そのようなことをしていない。それは何故かなら、もし人々の為にそれを説き示したとしても、それを信じて天国へ上れる者は極めて少なく、かえって天国へ上れなかった者たちに絶望感を募らせるだけだと思うからであろう。

そんな訳で、天国への道は、イエスでさえ比喩で語っているように、殆どの天国者によっても秘されていて、それ故天国へ上れる者は、これほど書物が反乱する現代でも、僅かしかいないのである。勿論私自身も、新約聖書以上に具体的に分かり易く語ることは出来る。しかし上記の理由などから、文書でそれを具体的に書き示すなどということは考えていない。ただ折り有ればそれに関わる聖典などの言葉を、私の流儀で解読した文章を残すぐらいのことはするだろうか。





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最終更新日  2008年05月24日 07時33分02秒
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